205 総特集「グローバル・スタディーズ」を読んで 204
は
じ
め
に
本 総 特 集 は、 「グ ロ ー バ ル・ ス タ デ ィ ー ズ と い う 新 た な 潮 流 の な か で、 『グ ロ ー バ ル・ イ シ ュ ー』 を 扱 う 地 域 研 究 者の最前線を紹介するとともに、そこから生まれる地域概 念 の 再 編、 方 法 論 的 課 題 に つ い て も 議 論」 (九 頁) す る も の で あ る。 本 総 特 集 は、 「日 本 に お け る グ ロ ー バ ル・ ス タ ディーズの受容と地域研究」と題する座談会、そして第一 部「グ ロ ー バ ル・ イ シ ュ ー と 地 域 研 究」 、 第 二 部「東 南 ア ジアをめぐるグローバル・イシューと地域研究」の三つの 部分から構成されている。 評 者 に 課 せ ら れ た 課 題 は、 大 阪 大 学 グ ロ ー バ ル コ ラ ボ レ ー シ ョ ン セ ン タ ー (以 下 G L O C O L) の 活 動 や 経 験 を 踏まえて、本総特集に対してコメントすることである。G LOCOLは、大阪大学の国際化を担うために設立された 部局である。二〇〇七年の発足以来、人間の安全保障やグ ロ ー バ ル 共 生 な ど の 地 球 規 模 の 課 題、 す な わ ち グ ロ ー バ ル・イシューに対し、研究だけではなく、教育および実践 的活動を行ってきた。評者がかかわった活動の経験に基づ いて、本稿ではこの総特集に対して三つの点からコメント を行いたい。 なお、言うまでもないことだが、本稿は評者の個人的見 解であり、所属する組織を代表するものではないことを念 のため付記しておく。Ⅰ
転換期
に
あ
る
知
と
大学
グローバル・スタディーズという新たな知の領域が要請 され、大学もそれに応える形で、さまざまな研究プロジェ ク ト を 立 ち 上 げ た。 ま た、 い く つ か の 大 学 で、 「グ ロ ー バ ル・スタディーズ」を冠する研究科、学部、学科が設置さ れた。しかしながら、座談会のなかで指摘されているよう に、地域研究とは関係なく、英語力の強化や英語で授業を することを「グローバル・スタディーズ」と称している場 合が、 しばしば見られる。 また、 「グローバル・スタディー ズ」を冠した研究科などの「中身のワインがほんとうに変 わ っ て い る の か」 (四 五 頁) と い っ た 懸 念 は、 ど う し て も ついて回ってくる。こうしたグローバル・スタディーズを め ぐ る 事 態 の 背 景 と し て、 現 在、 知 と 大 学 が 転 換 期 に あ り、さまざまな試案が提起され、取り組みがなされている こ と を 指 摘 し う る。 言 い 換 え れ ば、 「グ ロ ー バ ル・ ス タ ディーズ」は転換期の落とし子の一人である。 一 九 世 紀 ド イ ツ の フ ン ボ ル ト の 改 革 以 来、 〈教 育 + 研 究〉が、近代から現在に至るまで、各国によりその濃淡は あるかもしれないが、大学の在り方を規定してきた。これ を、 と り あ え ず フ ン ボ ル ト・ モ デ ル と 呼 ぼ う。 フ ン ボ ル ト・モデルは、近代以来、政財界の要請を受けて、うまく 対応してきたすぐれた大学モデルだったと言える。しかし ながら、現在の大学の議論における百家争鳴の状況は、フ ンボルト・モデルの史的終焉が近づいていることを示して い る の か も し れ な い。 お そ ら く、 我 々 は、 〈フ ン ボ ル ト・ モデル+α〉を模索している最中なのであろう。 〈フ ン ボ ル ト・ モ デ ル + α〉 は、 近 代 国 家 に 回 収 さ れ な い人々のつながりを生む公共圏への寄与にかかっている。 すでに、さまざまな学問分野で、近代国家に回収されない 発想の転換が行われている。たとえば、安全保障論では、 安全保障政策が近代国家に回収される傾向が強かったのに 対し、 人々 の日常空間の安全に目を向けた人間の安全保障 が提唱されて、はや二〇年がたつ。人間の安全保障は、近 代国家に限定されていた安全認識から、新たな認識を切り 開くことに貢献してきた。いまこそ、大学それ自体が、近 代国家でなく、これからの公共圏創設に寄与する 新 たな立 脚点に立たねばならない。グローバル・スタディーズを考 えるときも、その知のプロジェクトが近代国家の認識空間 を開き、新たな公共圏を作ることに寄与する+αに貢献で きるかが問われてくるであろう。総特集
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グ
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福田州平
『地域研究』
一四巻一号
特集へのコメント
207 総特集「グローバル・スタディーズ」を読んで 206
Ⅲ
現地
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外
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本総特集の諸論文は、いずれも現地でのフィールドワー クに裏打ちされたものである。現地でのフィールドワーク に お い て は、 幡 谷 論 文 が 指 摘 す る よ う に、 「所 与 の 解 釈 で 限定された主流概念から離れ、個々のローカルな文脈、地 域社会の文化、歴史、価値のもとで当該概念を再構築する こ と が 肝 要」 (九 七 頁) で あ る が、 こ れ は、 研 究 の み な ら ず、海外体験型の教育においても同様であると、評者は考 える。 GLOCOLでは、海外での実地体験型学習と実践をサ ポ ー ト す る こ と を 目 的 と す る「海 外 体 験 型 企 画 オ フ ィ ス (F I E L D O) 」 を 二 〇 一 〇 年 八 月 に 設 置 し、 海 外 イ ン ターンシップ、海外フィールドスタディなどを、学内のさ ま ざ ま な 部 局 と 協 力 し な が ら、 企 画・ 実 施 し て い る。 グ ローバル・スタディーズの教育面を考える上で、海外体験 型の教育プログラムは重要な位置を占めると思われる。そ こで、GLOCOLが二〇一三年八月にモンゴルで実施し た海外フィールドスタディを、海外体験型教育の一例とし てここで紹介したい。 本海外フィールドスタディでは、参加した学生たちが遊 牧 生 活 の 持 続 性 (環 境 問 題) 、 開 発、 そ し て 都 市 空 間 に 関 して調査・考察し、その成果をまとめた。その報告書は、 日本語で執筆されたが、モンゴル語にも翻訳し、現地への 還元を果たしている。この一〇日間のスタディツアーのな かで、学生たちは、しばしば自分の先入観が壊されていく 体験をしたようである。モンゴルを発展途上国だとイメー ジ し て い た あ る 学 生 は、 近 代 的 な ビ ル が 林 立 す る ウ ラ ン バ ー ト ル の 光 景 を 見 て、 「こ ん な に 開 発 が 進 ん で い る と は 思わなかった」と感想を述べたことがあった。また、ウラ ンバートルから西に約四〇〇キロ離れた調査地に車で向か う 途 中、 舗 装 道 路 か ら 草 原 へ と 道 が 変 わ っ た が、 そ の と き、 「舗 装 道 路 に 戻 れ る の か?」 と 不 安 を 抱 く よ う な 言 葉 を発した学生もいた。加えて、学生が先進国/発展途上国 と い っ た 二 分 法 を 安 易 に 持 ち 出 す こ と も あ っ た。 こ れ ら は、各個人がもつ先入観の問題である。先入観は、本来多 様である地域を他の地域とのつながりから切り分け、それ ぞ れ を 均 一 の 存 在 と し て 捉 え て し ま い か ね な い (大 阪 大 学 GLCOOL FIELDO 二〇一四) 。 現地で学ぶ効用は、こうした先入観を一度崩して、ロー カルな文脈に沿った新たな考え方で対象にアプローチして いく必要性を自然と悟り、行動に移せる点にある。本海外 フィールドワークでは、さまざまな人との出会いと驚きを 重 ね、 思 考 を せ き 止 め る 大 き な 壁 を 少 し ず つ 崩 し て い っⅡ
教育
・
実践
・
実践
の
三輪車
G L O C O L の 活 動 を 通 じ て 痛 感 す る こ と は、 「グ ロ ー バルというと海外に出てなにかすることだと考える人がい ま す が、 こ れ は ま っ た く の 誤 り」 で あ り、 「海 外 に 出 て いって、英語でペラペラ喋るという話ではない」 (四九頁) という指摘である。地に足のついた知の営みが、昨今言わ れる「グローバル人材」の育成に求められると、評者は考 えている。 G L O C O L で は 、〈 教 育 + 研 究 〉 に 「 実 践 」 を 加 え て 、 これまで活動を行ってきた。実践の舞台、すなわち新たな 公 共 圏 へ 寄 与 す る 足 掛 か り を、 「頭 上」 で は な く、 「足 も と」に求めることが多かった。GLOCOLの活動の一例 を、ここで紹介したい。 現在、さまざまな地方公共団体で、ニューカマーの外国 人移住者が増えてきている。そして、外国にルーツをもつ 子どもたちが、満足な学習サポートを受けられない状況に 置かれている。GLOCOLでは、吹田市国際交流協会と ともに、こうした子どもたちへのサポート事業「ハロハロ S Q U A R E」 を 二 〇 一 一 年 に 立 ち 上 げ た (ハ ロ ハ ロ と は、 フ ィ リ ピ ン 語 で「ご ち ゃ ま ぜ」 の 意) 。 そ の 試 み は、 小 さなものかもしれないが、学習サポートだけでなく、子ど もたちの「居場所」を提供することに寄与している。ハロ ハロSQUAREでは、学生ボランティアが主となって子 ど も た ち へ の 学 習 支 援 を 行 い、 吹 田 市 国 際 交 流 協 会 の ス タッフが運営し、グローバルコラボレーションセンターの 担当教員が、適宜、運営に協力している。また、この事業 を、教育に結びつける試みもなされている。これまで行わ れてきたグローバル共生に関する研究および教育に、実践 活動が結びつく形となっている。 こ う し た 活 動 を 通 じ て、 大 学 の 新 た な キ ー ワ ー ド と し て、評者は「実践」というタームの重要さを再認識した。 す な わ ち、 〈フ ン ボ ル ト・ モ デ ル + 実 践〉 で あ る。 こ れ は、新たな公共圏の創設に向けた大学のありかたとして、 十分にありうる形なのではなかろうか。そして、ともすれ ば「頭上」に目が行きがちなグローバル・スタディーズに お い て も、 「足 も と」 で の 実 践 的 活 動 は 重 要 で あ る。 も っ とも、教育・研究・実践の三輪車は、車輪がどれか一つ欠 けても運転していくことができない。これをうまく運転し ていく工夫ないしは仕組みが、グローバル・スタディーズ に求められているのではなかろうか。208 た。グローバル・スタディーズにおいても、海外体験型教 育は重要だと思われるが、その教育のデザインにおいて、 地 域 研 究 者 の 役 割 は 非 常 に 大 き い。 モ ン ゴ ル で の 海 外 フィールドスタディも、同地域を調査地とする地域研究者 を抜きに成り立つものではなかった。