昭和49年度音楽学フィールド・ワーク調査研究報告
遠江小国神社に伝承される十二段舞楽について
1太平楽舞を中心として一
﹀ωε身O囲.q口づ三き−ゆ二σq夢‘︵十口首里巌︶、、冨づ象づひq伽O≦昌貯Oσq犀巳︵ウ圖Yω耳ぎ①小
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本楽音楽学専攻では、例年﹁法会及び祭礼の実態調査・研究﹂を目 的に掲げ、法会・祭礼に行われる芸能音楽の採集調査を実施して来た が、本年度は、静岡県周智郡森町近辺に伝承される山名神社の舞楽と 小国神社十二段舞楽の二つの芸能の採集調査を行った。この地域を中 心とする遠江一円には、奥羽、越後、若狭・丹後、隠岐などの諸地方 と並んで、民俗芸能化された舞楽の分布が可成り広範に亘って存在し ており、これら二つの舞楽もそうした範疇に含まれるものである。遠 江地方のこうした芸能については、本田安次氏が自著﹃延年﹄の中に 註1 紹介されている他にも﹃二・三の研究者の調査報告﹄を散見するが、 いずれも芸能研究の立場より調査報告であり、音楽な立場よりの調査 報告は寡聞ながら知り得ない。そこで私達は、音楽的内容の把握を中 心の目的として、この目的に副って採集調査を実施した次第である。 調査は、七月十二日より十五日の四日間に亘って行った。本学から 遠江小国神社に伝承される十二段舞楽について は、仲氏、酒井氏、馬場氏、大谷氏、大原氏、申重氏、平野氏、小野 氏の八人の教員及び、音楽学専攻三回忌四十二名、教務係辻野氏が参 30 1 加した。採集器機としては、VTR録画機、録音機、八ミリ撮影機、 文献・記録撮影用写真機など大量の機器を動員し、網羅的な調査を企 図した次第である。その採集資料の整理作業は今なお続行中である が、今回は取敢ずその第一次報告として、これらの資料をもとにして 小国神社に伝承される十二段舞楽の調査結果概要と、ここに行われる ﹁太平楽舞﹂についての拙考を小論にまとめて報告する次第である。 註1 本田安次著﹁延年﹂六、遠近の舞楽 ω小国神社の舞楽︵℃● HO一㊤∼唱・ HON心。︶ ︵木耳社、昭“︶ 他に上杉千年著﹁国遠における舞楽﹂ ︵芸能復興巻9 昭31︶ 田中勝雄著﹁静岡県芸能史﹂ ︵静岡県郷土芸能保存会 昭36︶ 一= など遠江小国神社に伝承される十二段舞楽について
第一項十二段舞楽の変遷と概要
﹃小国神社﹄ ︵写真1・図1参照︶は袋井市より北へ約二十キロ、 正確には静岡県周智郡森町に在り、袋井市へ注ぐ太田川の上流、山麗 の山懐に抱かれた静かな追いの神社である。この神社は紀伝による と、欽明天皇十八年に祭神を大己貴命として草創され、爾來建武年中 迄勅使の参向が慨怠なく行われていたと伝えている。その故でもあろ う遠江﹁宮とも称され、遠州一円の総社的な存在として今日に至って憲
灘、麟灘
写真1小国神社境内
いる。 ここに伝えられる﹁ 十二段舞楽﹂は、例年 四月十七日・十八日の 両日に亘って行われる 当社大祭に奉納される もので、近在の氏子中 の有志者達の手に依っ 註2 て行われる。﹃往古は 社家や神宮寺の社僧﹄ に属する人々によって 行われて来たようであ るが、当今は先にも述 べたように氏子中の人 々の手になり、舞楽保 存会の如き演奏団体を 結成し、長老指南役の 指導のもとに若年の人 々も多数参加してお り、多くの民俗芸能に しばしばみられる将来 への悲観的な見通し も、この芸能に関する 限り見られない。因み に十二段舞楽は去る昭 和二十七寒国の無形文 化財に指定されてい る。 この芸能の創始につ いては定かではないが 延宝八年︵一六七四︶ 社家小国弾正の編述し 註3 図1小国神社附近の地図 至静岡 島田團
二二 同剛国記]遠江森 飯田 L﹃−▼● 山梨 天竜 土山一 袋井 磐田 太田川牛
二俣灘 浜松 東海道棚 至豊橋 天竜川 た﹃遠州周智郡一宮記録﹄には ﹁⋮前略⋮勅幣無慨怠就中文武天皇大宝元年辛己春十八日之勅幣厳 重而被為授舞楽十二段御神事勤畢 爾来年々二月十八日勅幣勅使則勅 使壇坐当否神事舞楽有之也⋮下略⋮﹂ とあり、文武天皇大宝元年に舞楽が移入されたことが述べられている 129が、この時期には未だ我国において舞楽の成立そのものが認められな いところがら、当社への舞楽の伝来は時代を下るものと思われる。し かし、同書によれば、 ﹁⋮勅使之例廃而神主使役勤来也、故二三社モ勅願造也、舞楽之真 似比︵事か︶モ干今回而年々二月十八日之御祭三相勤也﹂ ともあり、勅使の参向が建武年中迄行われていたことを勘合すれ ば、或いは当社への舞楽伝来は平安朝時代より鎌倉時代に亘る間では なかったかとも推則されるのである。すなわち、この時代には中央に おいて、天皇貴族の発願になる寺社の法会神祭においては、必ず雅楽 の奏楽や舞楽の奉奏の行われたことが知られるし、また勅使などの参 向が行われる地方の寺社や、中央との交流の繁く行われた地域の寺社 でも中央の様式を採り入れ、舞楽を用いた神事や法会が営まれたこと は、これらの寺社の記録にも明らかである。 当社に現存する舞楽関係の文献はあまり多くはなく、しかも江戸時 代延宝回申︵一六七三∼一六八○︶より貞享︵一六八四∼一六八七︶ 元文年中︵一七三六∼一七四〇︶に亘るものが中心である。なかで
註4
も、﹃古式舞楽写本﹄は延宝五年︵一六七七︶、貞享二年︵一六八五 ゾの二度に亘って書写された十二段舞楽の舞に関する伝書ともいうべ きものであるが、この最後の書写の奥書に ﹁此三舞様々手数多三共、未に分明ならず、如斯つなぎ計三者也﹂ とあり、まず当時迄における舞の手の伝承が可成乱れていたことが うかがわれ、それが為にそれ迄の伝書の内容を再編の上書写し、舞の 手順書として残したものと考えられる。 遠江小国神社に伝承される十二段舞楽について 註5 又、元文三年︵一七三八︶に編述された﹃遠州一宮御神宝御入用目 論見帳﹄は、社殿の修復に際し、当社の新調すべき什物をリストアッ プしたものであるが、その中には舞楽各曲の面、衣服などの品々の名 称が列挙されている。 こうした文献の書写及び述作の年代、また記述の内容から推して少 くとも元禄期を中心した前後の時期に亘って、十二段舞楽の内容の上 に何らかの更新、改訂の為されたことが推則される。 註6 又、文献とは別に口碑として、この舞楽が大阪の﹃天王寺舞楽﹄か ら伝授されたともある。このことについては、当社に近在する山名神 註7 社の舞楽に関する伝書、﹃舞楽指南書﹄に ﹁遠州山名郡飯田之江 氏神牛頭天王御祭礼 九拾七年以前乙未之 年迄中絶仕申に付 右翌年丙午三年三国天王寺にて伝来由 其より今 に至三三来り申通御祭礼三三⋮下略⋮﹂ と記されている。この書は元禄十四年︵一七〇一︶の編著であるか ら、慶長十年︵一六〇五︶に一旦中絶した舞を天王寺から習い伝えて 註8 至ったことが知られるのである。現在﹃山名神社に行われる舞の内 容﹄は、十二段舞楽、天王寺舞楽とは程遠く異るものであるが、こう した口碑や文献の記述から遠江に伝えられるこれらの芸能が、少くと も江戸時代には天王寺の舞楽と何らかの係合いを持ち、当地に影響を 齎したものとも推則されるのである。 十二段舞楽は祭礼の当日、御渡と神事の後神社の境内に設けられた 舞殿に行われる。この舞殿は本殿の正面を少し東にはずして対面して 二一二 128遠江小国神社に伝承される十二段舞楽について
轟
手
踊
鑓
図2 小国神社境内見取略図写真2十二段舞楽舞殿
建てられた約十ニメー トル四方、入母屋造り の建物で︵写真2、図 2参照︶、後方には楽屋 があり、楽屋と舞殿と の間は、一円三メート ル、長さ約十八メート ルの渡廊下によって結 ばれている。この渡廊 下は、単に舞人の出退 場の為に使用されるの みではなく、舞楽の構 成上演技を行う場とし て、それは能舞台にお 舞 殿 渡廊下 楽 屋 本 殿 1 1 拝 殿 参 道 石 畳御札所
二四 ける橋懸りに似たような用途を持っている。 十二段舞楽は、その名称が示すように全部で十二曲のレパートリー から成っている。この他に祭礼の当日舞楽の演奏に先立って﹁花の舞 ﹂が奏されるが、これは番外として扱われ、いわゆる十二段の曲日[の 中には入れられていない。次の表は、十二段の曲目を演奏順に掲げ、 各々の曲日の樵成員数を示し、且つ伴奏楽曲と楽器編成を記したもの である。 図3 小国神社十二段舞楽曲目[覧表 7 6 1 ,」、 3 2 1 番演 ?t 二にフ舞誤
安究 ?ワ 痩ロ級まつく麟
1恭
スa
癖
鳥考フ舞系
蝶量rう
ヲ量舞蕊 色名痘ル
灘舞ぶ
曲名
大二人人
大二人入
子四供人
子四供人
子四供人
子四供人
大二人人
子二供人
舞人構成員数当曲
大大幕}楽 当蘭ネ條
当蘭ネ條
当蘭ネ條
蘭條
伴奏楽曲 全 右 鉦太ロ鼓
P 1全右
全右
全右
全右
全右
笛鉦太 ロ鼓T11
伴奏楽器 12712 11 10 9 回し1 R子回し 織蘇そ 陵呈う王ぢ 抜馨 ェ言 伏 利り せ)三三 舞ま 舞課
麟
大 大 大 子 大 三人 一人 一人 八供一人 前 人 人 人 人 当蘭 当 当 当 曲直 曲 曲 曲 笛鉦太 鼓鼓511
全 右 脳 右 全 右 曲目の呼称について﹁遠州周智郡一宮記録﹂ ﹁遠州一宮御神宝御入用目論 見帳﹂には漢名が施されてあり、 ﹁古式舞楽写本﹂には仮名で記されてあ るので三者を勘合して漢名とふり仮名を加えた。 これらの曲名をみれば、先ずその大部分の曲が宮内庁を初めとして 註9 ﹃京都、奈良、大阪﹄に伝承される︵以後﹁十二段舞楽﹂とこれらの 舞楽との混同をさける為に﹁中央の舞楽﹂と称する︶現行の或はすで に排絶した舞楽の曲名と同じものであることが解る。また各曲におけ る舞の構成員数も、﹁連舞﹂、﹁安摩﹂、﹁二の舞﹂の二名、﹁蝶の 舞﹂、 ﹁鳥の舞﹂、 ﹁太平楽舞﹂、 ﹁新まつく舞﹂の四名、抜頭舞、 註10 ﹁陵王舞﹂、 ﹃盗塁利舞﹄の一名は中央の舞楽における現行のものと 一致する。 ただ中央の舞楽におけるような左右両部の組み合せば判然としない が、 ﹁蝶﹂と﹁鳥﹂、 ﹁安摩﹂と﹁ニノ舞﹂、 ﹁陵王﹂と﹁納曽利﹂ 註11 の演奏順序は、やはり﹃三舞﹄の残影を忍ばせるものといえよう。 このように、曲名や舞人構成の上において中央の舞楽と甚だ近い類 遠江小国神社に伝承される十ご段舞楽について 似性をみることができるが、その類似性は又舞楽の構成や故実の上に も見ることができる。 例えば、 ﹁連舞﹂は鉾を持った二人の童によって舞われるのである が、舞の手の中に非常に単純化されてはいるが鉾を打振る手があり、 らんじょう しかもこの伴奏楽には﹁蘭條﹂と称する曲が奏される。この﹁蘭條﹂ 註12 は恐らく﹃乱声﹄の誰字化したものと考えられ、 ﹁新楽乱声﹂、 コ局 註13えんぷ あわぼこ 麗乱声﹂を伴奏に舞われる﹃振鉾﹄の第三節目すなわち﹁合せ鉾﹂の 構成を受継いでいるものといえよう。 かりようびん 次に﹁鳥舞﹂、﹁蝶舞﹂の曲舞は、古来よりそれぞれ﹁迦陵頻﹂、 ﹁胡蝶﹂の略称として云われ来ったものであり、十二段舞楽において も蝶舞が﹁庭小鳥﹂と別称されるようにその例外ではないと考えられ る。この両舞には先ず﹁季世﹂が奏され、この間に舞人が登場する。 26 1 次いで当曲が舞われ、難曲の奏楽中に舞人が退出して行く構成が採ら 註12参照 れているが、これも中央の舞楽において、 ﹃古楽乱声﹄の内に舞人が 註14 註15いりあや 登署し、﹃音取﹄、 ﹃忍業﹄、 ﹃入綾﹄にて退出する﹁迦陵頻﹂、 註12参照 註16こねとり ﹃高麗乱声﹄、﹃小音取﹄、﹁当曲﹂、﹁入綾﹂にて退出する﹁胡蝶 ﹂と大略同じ構成を採っていることが解る。 また太平楽については後に詳述するが、楽曲の旋律の中に、中央の 舞楽における当曲の旋律と同じものが含まれている他に、舞楽の構成 みちゆき は きゆう の上においても、 ﹁道行﹂、 ﹁破﹂、 ﹁急﹂の三部構成を想わせるも のがある。 ﹁安摩﹂、﹁二之舞﹂は古来より一連の舞楽として行なわれて来た が、中央において﹁二之舞﹂は失隠し現在は行われていない。その点 二五遠江小国神社に伝承される十二段舞楽について ﹁十二段舞楽﹂ではこの舞の古態を伝承しているわけである。先ず あま 註レそうめん ﹁安摩﹂は﹃雑面﹄と称する紙製の面を着け、手には笏を持って舞う が、この姿は十二段舞楽の﹁安摩﹂も同様である。なかでも﹁安摩﹂ の舞人が舞い終って退場すべく渡廊下を通る時、﹁二の恥しの舞人が 登場し、二人の内翁の方が安摩の舞人に笏を乞うが安心の舞人はこれ を拒否し楽屋に退出するといった所作が行われる。この所作について 註18 は、 ﹃教訓龍巻二﹄
三・舞三三鑛搬彌臨煉鋤レ楽屋シテ先至言、毒二
出替腰ヲヤラシテ笏ヲコフヨシヲス⋮下略⋮﹂ とあって、十二段舞楽の﹁二之舞﹂がかなり古い故実を伝承してい ることがうかがわれる。先述の如く、この舞は中央の舞楽においては すでに失伝している為、この舞の古態や故実をうかがう上には真に貴 重な資料であると考えられる。 以上述べ来った如く、小国神社の十二段舞楽は、民俗芸能化された 舞楽というも、舞の構成や故実の上において可成り正確な伝承をもっ て今日に至ったと考えられる要素を内包している。そのことは、舞楽 のプログラムだてや舞楽の構成、故実などの外郭的な面からのみでな く、個々の曲における舞の動きや組成、又音楽の旋律やリズムの構造 などの内面的なもののなかにもそうした要素が見出せられぬかと考え る。 ここに十二段舞楽中の﹁太平楽﹂を抽出し、そのような問題点を抽 出してみた。先ず次項において、太平楽の舞の構成と動きを中心にし て分析を試みてみた。 註2 註3 註4 註5 註6 二六 遠州周智郡一宮記録︵小国神社蔵︶ ﹁⋮前略⋮右四ケ寺平僧也鮨詰四人ノ内彫上リニ仕遺旨 御祭礼の御練の三三舞楽笛先年ヨリ此社僧役也﹂ 縦3,センチ、横1ーセンチ艇丁からなる線装本で小国神社に蔵され、当社 に関する縁起、年中恒例行事、社領、末社などの諸項に亘って述べられ ている奥に 延宝八年申卯月六日 小国弾正圃 とある 縦13センチ横8センチ仮綴本28丁からなる︵小国神社蔵︶ 本文に掲げた奥書に続いて 延宝五年 鈴木武左衛門 二月吉日 一、羅臼に重伝外手無為也 貞享二年五月廿=百写之 25
鈴木大郎左衛門 花押 1 とあり、十二段の舞の手順が述べられてある。なお末にこの書が周智郡 園田村菅沼幸太郎氏の所蔵本で昭和四年四月に当社に寄贈され、当社の 蔵になったとの識がある。 り 縦乳センチ、横aセンチ 仮綴本 小国神社蔵 ワヨ 奥書に 隠者今度御修覆成願上の御神宝御入用積 書引手通 遠江一宮神主 元久三年午 鈴 木 弾 正 とある。 平安朝来雅楽の楽所は御所、南都興福寺、大阪四天王寺の三ケ所に設け られた。これを三方楽所という。天王寺舞楽とは天王寺臥所に伝承され る舞楽で、主に四.天王寺に営まれる法会に演ぜられて来た。その故に宮 廷舞楽とは異った故実や様式を今日伝承している。この田所における楽 人達は祖を秦河勝とし東儀、園、岡、林等の姓を以って参仕していた。註7 註8 註9 註10 縦35センチ、横%センチ線装本上︵40丁︶下︵30丁︶二冊よりなる 山 名神社舞楽保存会蔵 奥書に 右御祭礼舞物指南仕候儀毎年三二指南仕申候へ共、楽打子孫細少御座 候に付、指南仕申儀不能 廿年余抜者指南仕候 本年楽打指南仕申候へ ども少量相違之儀御座候に付、悪敷所本年も指南仕候、右御祭礼舞物之 次第出付御神前曲筆御座候付向後如何様密儀御座候而も相違之儀無御座 候様にと二三前々之通、相違無御座候様に銘々斬付御神前に奉納申候 壬上 当巳七拾歳 村松孫兵衛 元禄拾四辛巳九月吉日 とある。 山名神社の舞楽は現在例年七月盃盤の土・日曜両日に当社の午頭天王祭 の祭礼の際に、本殿に対面して建てられた舞殿に行われる。曲目は、ま やつはち とうろう うでん くり、八蚕児、巫女舞、鶴舞、獅子、迦陵頻、陵王、蟷螂、優填獅子の 九曲からなる。本文にもあるように舞と音楽の内容は、いわゆる舞楽と は趣を異にする。本田安次氏は﹁舞楽に風流の混入したもの﹂との見解 を述べている。現在は鈴木旭氏の率いる山名神社舞楽保存会がこの芸能 を保持伝承している。 ﹁註6﹂に述べた三方楽所の伝統は明治遷都后民間の雅楽団体に受け継 がれ今日に至っている。東京では宮内庁楽部の他に、日本雅楽会、小野 雅楽会等があり、名演屋には熱田雅楽会がある。京都では御所楽人の系 統を受ける平安雅楽会、奈良では南都楽所の系統を受ける春日古楽保存 会、大阪では天王寺楽所の系統を受ける雅亮会があり、今日それぞれの 楽風を伝承している。 ﹁納曽利﹂は右方高麗楽に属し、別称﹁双竜の舞﹂といわれるように二 人舞のものが本来である。しかし一人舞の場合もあり、この時には別に らくそん ﹁落鱒﹂と称する。しかし南都楽所では、一人舞のものを﹁納曽利﹂と 註11 註12 註13 註14 許15
註註
17 16 註18 称し、二人舞のものを﹁落踵﹂と称してそれぞれ虎反対の呼称砕使って いる。 舞楽のプログラムの立て方は、左舞と右舞とを一対にして組まれるのが 通例である。従って一つの左舞の曲に対応する洋舞の曲が定められてお り、これを拝舞と称している。 雅楽における笛と鼓鉦の楽曲名で、拍節を持たずに各奏者が自由なリズ ムで追復的に奏する。乱声の中には﹁新前乱声﹂、﹁高麗乱声﹂﹁古楽 ︵林野︶乱声﹂、﹁小乱声﹂、﹁陵王乱声﹂、﹁安直乱声﹂などがある。 討王が商郊の牧野に天神地砥を杞つた故事に因んで按舞されたものと伝 えられる。平舞装束、左右より一人つつ舞人が出る。舞は三節に分れて おり、第一節目は﹁新楽乱声﹂で左方舞人が、第二節目は高麗乱声を伴 奏に右方舞人がそれぞれ舞う。第三節目は新楽高麗両乱声の伴奏で左右 あわせぽこ の舞人が揃って舞う。これを特に﹁合鉾﹂と称する。この舞は鉾を打ち 振って道場の邪気を鎮めるといった作法に近い舞で、その故に舞楽演奏 の際には必ず冒頭に演奏される。 24 1 現行の雅楽には六つの調子があるが、曲の演奏に先立ってその曲のピッ チや旋律の型を暗示した極く短い曲が演奏される。これを﹁音取﹂と称 する﹁音取﹂は普通、笙、箏築、笛の順で始められ、管絃の場合はこの あとに絃楽器が続く。 舞楽は曲の終了と舞の終了とが一致する場合もあるが、なかには一致し ない場合もある。すなわち舞が終了し、舞人達が楽屋に退く迄何回もそ の楽曲を反復するような退出法を﹁入綾﹂と称する。 高麗楽一越調の楽曲に奏される﹁音取﹂の一種 雑面は﹁安摩﹂の他に﹁蘇妥当﹂にも用いられるが、この舞に使用され る雑面は少し形が小さい。 ﹁教訓抄﹂狛近真天福元年 遠江小国神社に伝承される十二段舞楽について 二七遠江小国神社に伝承される十二段舞楽について 第二項 ﹁太平楽の舞﹂について 太平楽舞は先掲の図3にも示したように、四人の男の子供達によっ て舞われる。鳥兜に七福を着し、腰に太刀を早き鉾を持ったその舞装 束︵写真3、4、参照︶は、甲冑に身を固め、黒帯をたばさみ、胡録 を負い太刀を楓き鉾を持ったものものしい中央の舞楽の太平楽の舞装 束︵写真5参照︶とは異っており、どちらかといえば同じ武舞である 写真3十二段舞楽 NN太平楽舞i” ・・一 チ・ 二八 註19ばいろ ﹃賠朧﹄の舞装束に類似している。しかも、 ﹁賠櫨﹂に鳥兜を着する 姿は伝統的に天王寺の﹁賠櫨﹂のみに限られ、宮内庁を始めとする他 の演奏団体では巻嬰冠を着けるのを通例としている。このことは先に も述べた十二段舞楽が天王寺より伝授されたと云う口碑の裏付をする 資料の一端ともなり得よう。 舞は構成や様式の上において、十二曲中最も中央の舞楽に近似して いる。従ってここに中央の舞楽と十二段舞楽における太平楽の舞の構 成と動きを比較させながら論を進めて行きたい。左に掲げたのは、中 註20 央の舞楽の例として﹃天王寺舞楽の太平楽﹄と十二段舞楽の太平楽に 臥蕊“ 購 おける舞の構成と極く簡単な舞の動作を記し、両者を ^轡賦 西 ゆ みキ 心韓 懲 対象した図表である。 一二簿織 以下この表を参照の上灘を進めて行きたい。
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写真4 十写真5天王寺舞楽太平楽
123十二段舞楽・天王寺舞楽 太平楽比較表
天王寺舞楽 太 平 楽一+二段舞楽太 平 楽
舞の手及び動き 奏楽の楽曲 及び順序舞の手及び動主奏誘繕序
道糖行紡 太食調音取﹁朝小子﹂発楽楽止む 出で 破は ﹁三層楽﹂発楽﹁武昌楽﹂拍子十楽止む 舞楽平太 ﹁太平楽曲﹂発楽楽止む き 急ゆ う 始める 舞人立ち上り舞い6←や⑱憩
6、や審
抜刀して輪の手に 入る争駆
①←③一 ①6臥以下この
動きを生物P返す
/ 渡りの手⑱⑱↓↓
審①吻③⑱
ゆ⑱↓↓
審瑠③憩
就鉾納台舞返以 くをめ中人す下 持る央抜 つ に刀 て 踵の 定 居ま 位 刀ま 置 を舞 こ の 動き を 繰 ﹁合歓塩﹂発楽 ﹁合歓塩﹂ 小拍手十七 ﹁合歓塩﹂ 二回目の頭 ﹁合歓塩﹂ 三回目の頭 楽止む 乱声止 発楽と同時に舞人 立上り舞い始めるあ←φ⑱④
φ.や⑱⑧
抜刀して輪の手に 入る へ滞②辛
過 ④ーー① オ ②、 渡り 以下こ の動き を繰り 返す ﹁大平楽急曲﹂ 発生 ⑱④ →①②一−③④←審
二
審6⑱6⑱
以下この動きを繰 返す 舞人定位置に就き 刀を納める 中央に寄り鉾を取 り定位置につく 楽止む 122 遠江小国神社に伝承される十二段舞楽について 二九遠江小国神社に伝承される十二段舞楽について 手る入 付所より鉾取る手︵入手︶を舞い、一列縦隊になり四繭より退出吻⑱盆⑱甲甲9 みちゆき は きゆう 先述したように天王寺舞楽の太平楽は、﹁道行﹂、 ﹁破﹂、 ﹁急﹂ の三部より構成されているが、十二段舞楽の太平楽も楽曲の上には歴 然とした区別はない迄も、﹁道行﹂を想わす舞人の出る部分、﹁破﹂ と考えられる太平楽の当曲、それから太平楽急の曲とやはり三部の構⋮ 成から成っていることが解る。 たいしきちょうねとり 先ず﹁道行﹂の部分において天王寺の太平楽では、﹁太食調音取﹂ 註21ちょうこうし に続いて﹃朝小子﹄が発楽されると、舞人が一萬より順次舞台壇下で ﹁鉾取る手﹂を舞う。壇下では白丁姿の鉾持ちが予め鉾を持って待機 しており、 ﹁鉾取る手﹂を舞い終った舞人達に順次手渡す。舞人は鉾 註22ずりて を捧げて乳量し、舞台上中央で﹃露呈﹄を舞う。この舞の手は﹁鉾取 る手﹂と同じ手であるが、舞台上に鉾を持って舞うところがら﹁出手 播〇 ﹂と称している。 ﹁一手﹂が終ると俗に﹁河渡り﹂と称する舞の手を 行って各自の定位置に就く。四人とも定位置に就き終ると中央に歩み 寄り鉾を置くと楽が止み、﹁道行﹂は終了する。 十二段舞楽では、先ず一者より順次橋廊下の楽屋際でいわゆる﹁鉾 取る手﹂を舞い、橋廊下を渡って舞殿中央に進み改めて﹁二手﹂を舞 い定位置に就く。全員四人が揃うと中央に歩み寄って鉾を置く。但し この間奏楽は行われず、舞は終始無音の裡に行なわれる。ただ一者と 四者が舞殿に﹁出手﹂を舞う際、太鼓が舞人の足拍手に合わせて打た れる。 ﹁鉾取る手﹂は両手を左右に打振って足踏をする単純なもので はあるが、舞の形の中に天王寺の舞の手を想わせるものがある。 このように﹁道行﹂における舞の手順は両者大略同じであるといえ る。また舞人が定位置に就いた際、相互に向い合うのも全く同じであ 21 1 る。 註おぶしょうらく ﹁破﹂は天王寺の太平楽では﹃武昌楽﹄が慰楽され、前半部は鉾を 註鍵 持たず両手を剣印に結んで前後或は向い合って舞う。途申﹃拍子十﹄ の箇所迄楽曲が進むと舞人は向い合って鉾を取る。鉾を取ってから は、前後、内側、外側と身体の方向を移動させながら鉾を振る、鉾を 立てる、鉾を捧げるなどの手を繰返し行う。就中舞人の身体の位置方 向と鉾を扱う舞の手とは組合わされてそれぞれのパターンを成してお り、内側及び外側を向いた際には鉾を立てて落居る手が、前後方向の 註25 時は鉾を捧げて﹃踊る﹄手が主な動きとして組み合わされている。最 後は鉾を中央に置き定位置に戻って平居のまま﹁急﹂の発楽を待つ。
十二段舞楽の太平楽でも前半は鉾を持たずに素手で舞う。舞人の位 置方向は天王寺舞楽の太平楽と同じく前後、内側、外側と移動する。 舞の手は単純化されてはいるが、舞楽の共通した特徴でもある一つの 舞の手を位置を変えて相称的に繰り返す﹁ヘンポ﹂が行われている。 後半から鉾を取り、前半と同様の位置方向で鉾を捧げたり、立てた り、振ったりする。舞人の位置方向と鉾を扱う動作とが結びついてパ ターン化されていることは天王寺舞楽の場合と同様で、数度に亘って ﹁ヘンポ﹂が繰り返えされる。就中外側、内側を向いた際に鉾を床に 立て二回に亘って落居る動作がみられるが、これは先に述べた天王寺 舞楽の舞の手のパターンと合致して真に興味深い。鉾の舞が終了する と舞人は鉾を舞殿中央に置き定位置に就いて躇評する。 ﹁急﹂を更に分析すると次に示す三つの部分から構成されている。 ω 武具を持たず素手で舞う部分 ② 抜刀し輪を訂す部分
㈲渡りの部分
註%がったんえん 先ず天王寺舞楽では﹃合歓塩﹄が発楽され、﹁小拍子17︵最初の楽 節の反復の頭より︶﹂から立ち上って舞い始める。短長をして左右を 註29参照 差しながら位置を前後に移動しつつ舞って行く。﹁小拍子97︵二回目の 反復の最初の楽節より︶﹂に至ると抜刀し、太刀を左右に打振りなが ら輪の手に入る。その位置の移動の有様は先の対象図に示してあるよ うに内側、外側の順で旋回しながら八回位置を変えてもとの定位置に 戻る。次いで抜刀のまま渡りの動作に移るが、刀を上方に差す手を繰 遠江小国神社に伝承される十二段舞楽について り返しながら八回に亘って渡りを行う。この動作が終わると奏楽が止 註27ふきどめく み、乱声の﹃吹止句﹄が奏され、舞人たちは刀を下げ舞台中央に寄り 踵点し刀を納める。こうして﹁急﹂は終了する。 十二段舞楽では、先ず急の曲の笛の発楽と同時に舞が始まる。最初 註28かきあわせ ば﹃掻合﹄の如き舞の手が前後、内側、外側と方向を変えて行われ、 次に抜刀すると輪の動作に入る。その移動の有様は図に示したように 内側のみで四回の移動によって定位置に戻る。 一回位置を変える毎に 足踏みをしながら刀を上にかざす所作が行われる。輪の手が終ると渡 りの手に入る。渡りは前後六回に亘って行われ、その間に中央で刀を かざして手を開く所作がある。渡りが終ると舞人は刀を納め、定位置 に就き鱒居する。 これで道行、破、急の三部からなる太平楽の舞は終了、舞人達が楽 註29 屋へ退出する為の入手が舞われる。天王寺舞楽では先ず急冷﹃合歓塩 の中段﹄が奏され、舞人達は鉾を取り向い合って﹁入る手﹂を舞う。 ﹁入る手﹂は﹁道行﹂において行われた﹁出手﹂と同じことを四人が揃っ て行うのである。そして一列目遂列を成し、鉾先を見上げつつ落居る 動作を繰返しながら登場の場合とは逆に四七より順次退出して行く。 十二段舞楽でも同様の順序で冒頭に行った﹁着手﹂を四人揃って舞 い、舞殿を橋廊下の方へ斜めに一列縦隊となり、四品より順次退出し て行くが、最後に一者のみ舞殿に戻って太刀の一人舞といわれる舞を 奏する。この演出は天王寺舞楽には勿論中央の舞楽にも見られない。 註30 しかし﹃教訓抄﹄第三には太平楽急の簡単な舞の順序が記載されてい 一三 120遠江小国神社に伝承される十二段舞楽について るが、渡りのところで ﹁・−次畷如.常此間在・秘手酵鑛暇一曲日舞・鶴・﹂ と記述されており、或はこの記述にある故実が十二段舞楽の太平楽 に伝わり、今日に残されたものかもしれない。 以上述べ来ったように、十二段舞楽における﹁太平楽舞﹂は、舞の 構成や手順に関するかぎり全んど中央の舞楽における太平楽と大差が 註4参照 ないことが解るのである。しかも延宝五年の書写になる﹃小国神社蔵 古式舞楽写本﹄の記述に見られる舞の動きの手順は、ほとんど現行の ものと等しい。よってこれらのことから、先ず十二段舞楽の舞手は延 宝年間より大きな変化もなく伝承されて来ていることが証明されると 共に、更にはすでに当時迄に伝承されて来った太平楽舞が、舞の構成 や手順に関する限り、中央の舞楽と大きな差異を持っていなかったこ とが解るのである。他の舞についても如上の分析をすすめて行けば恐 らく太平楽に近い分析結果が得られるのではないかと思われるが未だ 充分に行っていないので述べることはできない。その総合的な結果は いずれ稿を改めて述べたい。 次に太平楽の音楽についてはどうなのであろうか。果して舞の場合 と同じような伝承が保たれているのであろうか。それらの問題につい ては次項において述べたい。 註19 註20 註21 註22 註23 註24
博通
26 25 註27註註
29 28 註30 三二 賠腫は林邑八楽中の一曲で古楽に属し破急の二部より成っている。 禰福装束に太刀を楓き鉾、楯を持って舞う。別名を﹁賠腫破陣楽﹂とも 称する。その衣服については﹁楽家録37﹂に﹁套鑛販塞東太難事・平信、楯鉾芸事蜻藤Tt
とある。 太平楽は現在どの演奏団体でも行われるが、天王寺以外のものは﹁破﹂ の舞に省略がある。従ってここに完全な形で伝承される天王寺の太平楽 を参照した。 唐楽太食調に属する楽曲で延四拍子、太平楽では、この曲を道行とし﹁ 武昌楽﹂を破とし﹁合歓塩﹂を急とする全く異った三つの曲を集めて舞 を構成している。 舞楽では舞人が登台した際冒頭画く短い手の舞を奏した後に定位置に就 く。これを﹁出門﹂と称している。 唐楽太食調に属し、延八拍子の曲である。註21に示したようにこの曲は ﹁太平楽﹂の﹁破﹂に用いられる。 雅楽の音楽は原則的に四拍単位、八拍単位、二拍単位で一つの小節を構 成しているこれを小拍子と云う。更にこの小拍手が四つないしは八つ集 合された小節を大拍子若しく拍子と称している 舞楽の舞の手の一つで跳躍することを云う。 唐楽太食調に属し早四拍子の曲で﹁太平楽﹂の急に用いられるが、管絃 曲としてよく独立して演奏もされる。 俗に﹁止手﹂とも称し、楽曲の終りに主奏者のみによって奏される拍節 のない短い楽句である。 舞楽の舞の手の一つで両手を前に合わせ左右に開げる動作を云う。 ﹁合歓塩﹂は小拍子16単位で三つの楽節より構成され、これらの楽節が 反復演奏されて一曲を成す。今それぞれ小拍子16単位の楽節をA・B・ Cと定めて、その順序を示してみると次のようになる。 ﹁AABBCCABB﹂従って中段とはBの部分を指す。なお太平楽急 ではこの﹁合歓塩﹂を三回反復する。 ﹁教訓抄﹂巻之三、武将太平楽 119第三項 ﹁太平楽舞﹂の音楽について
十二段舞楽における伴奏の楽器は、先に掲げたレバートリ表︵図2 参照︶からも解るように、雅楽に用いる葦笛、怪鳥直径八十センチ、 胴長約一メートルからなる丸型銅の太鼓、直径五十センチの鉦鼓の三 種である。︵写真6参照︶笛、鉦鼓からなる楽器編成は、民俗芸能化さ 註1 れた舞楽において共通してみられる例である。満
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凝 写真6 十二段舞楽奏楽 ただ、 ﹃若狭の松尾寺 に伝わる仏舞﹄の場合 は、篁簗、横笛、掲鼓 太鼓の編成からなり、 註2 この点からは﹃三管三 こ口の編成を以ってす る中央の舞楽に近いも のであり、真に珍しい ものというべきである が、箏簗の技法上の制 約から、そこに奏され る音楽自体が躍動感を 失い、かっては複雑で あったろうと思われる 旋律が非常に単純化さ 遠江小国神社に伝承される十︼,一段舞楽について れてしまっている。その点、十二段舞楽の音楽には躍動感と生彩が認 められる。むしろ松尾寺の音楽はこうした芸能の内では例外というべ きである。演奏技法が至難でかつ音程の不安定な二元や、楽器の保管 の至難な笙などの管楽器、演奏技術の至難な謁鼓などの打楽器は、自 然にこうした芸能の内から淘汰されていったものであろう。 太平楽は図3にも示すように、太鼓1、鉦鼓1、笛5の編成からな り、これらの演奏は指南役が担当する。就中太鼓と鉦鼓とは指南役の 長老が充たり、打楽器を奏しつつ、楽のリズムとテンポとを統制して 行くのは、中央の舞楽において、楽頭が鶏鼓を掻きつつ楽を統制する のと同じ趣が感ぜられる。奏楽は、舞殿後方の楽屋において行われる が、その演奏者の位置は左図の如くである。 図4 笛一
○○○ ↑ ↑ ↑楽屋
○○ ↑ ↑ 大コ ○← ○← 鉦鼓 渡 廊 下 灘 舞 さて、こうした楽器に依って演奏される音楽の実態はいかなもので あろうか。次に、﹁太平楽急﹂の曲を例に揚げ、これをめぐって拙考 を述べてみたい。 カエシ ﹁太平楽急﹂の曲は、﹁急の難曲﹂というべき部分と、﹁返﹂と称 三三 118遠江小国神社に伝承きれる十二段舞楽について される部分の二つからなっており、 ﹁当曲﹂は十六小節、﹁返﹂は二 十二小節からなっている。演奏は、懇懇が反復された後、間断なく﹁ 返﹂の部分に入り、又﹁舞曲﹂へ戻るというように、舞の終了迄続け られる。その演奏順序は次の通りである。
序謡曲銅返洞謡曲咽返週謡曲蹴返咽
︵ ︵ r ︵ ︵ ︵ ︵序というのは極く短い笛の演奏である︶ このような楽式的構成をもって演奏される謡曲は、中央の雅楽と同 じように、序破急のテンポで以って奏される。発楽の当初は﹂稿50ぐ らいの早さであるが反復されるにつれて速度が漸増し、終りにはJH 80 ョらいになる。この演奏速度は、中央に行われる舞楽における演奏 速度とあまり大差はない。 しかも、 ﹁当曲﹂と﹁返﹂の各部を詳細に検討すると、旋律の各部 において、中央の舞楽﹁太平楽﹂の急曲である﹁合歓塩﹂の曲と甚だ 類似した点が見出きれる。次に比較譜を掲げ、その問題を中心にして 論じてみたい。 ︵次頁参照︶ この比較譜は、現行の十二段舞楽における﹁太平楽急﹂の曲と、小 国神社の蔵になる二曲の楽譜、更には中央の舞楽における﹁太平楽急﹂ すなわち﹁合歓塩﹂の曲とを比較する為に作製したものである。楽譜 中の一は、七月十五日小国神社舞殿において我々の為に演奏された﹁ 太平楽急曲﹂の録音テープから採譜したものである。先にも述べたよ うに、この曲は演奏開始の当初よりテンポが漸次早くなっていくが、__.__齢伽鋳郷一
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く 俗蚕 写真7 舞楽楽譜太平楽急︵小国神社蔵︶ この譜では、旋律の動きとリズムの乗り及びテンポが中央の舞楽に最 も近い部分を採り上げた。なお拍子は%拍子﹂1170として記譜した。 2は小国神社の所蔵になる﹁舞楽楽譜﹂︵写真7参照︶に収められて いる太平楽急曲を訳堕したものを記載した。この﹁舞楽楽譜﹂は、当 舞楽指南役故宮谷八郎氏が元来口頭伝承きれてきた笛の唱歌、指使い を古着をもとにして整理編纂し、楽譜として上梓したもので、完成後 昭和四十二年に当社に奉納された。縦舗センチ、横65センチの折本で その書式は各曲毎に仮名譜が記され、その塁審に小さく横笛の指譜が 117施されている。また左傍にには、太鼓の打所が朱の○印で施されてあ り、これによって大体の拍節の見当はつくが、延書になっている為、 墨字の音価は解らない。従って比較譜には指譜によって示される音高 のみをωの採譜によって得られた音高に該当する箇所にあてはめて記 した。なお現在、実際の演奏及び教習には、この楽譜は用いられず、 昔乍らの口頭伝承の形を以て行われている。また今回、この﹁舞楽楽 譜﹂の編者故宮谷八郎氏が拠所とした古譜、及びその他の古譜につい ては調査の手が及ばなかった。そのことについては後日を期したく思 8 っている。 眞
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3は、太鼓のリズ ムを記したものであ る。符尾が上方を向 いた音符は、拝で鼓 胴を打つことを示し 下方を向いた音符は 鼓面を打つことを示 している。原則的に は二小節単位の単純 なリズムパターンを 構成している。 4は、現行の﹁合 ぶがくぶき 註32 歓塩﹂舞楽吹の﹃笛 譜﹄ ︵写真8︶を訳 遠江小国神社に伝承される十二段舞楽について 譜したものである。ただし、ωと対比させる為にこれに合せた記載を 試みた。なおこの訳譜に際しては、単に原譜に指示された内容の謙訳 のみではなく、旋律、リズムなどのうえにおいてできるだけ実演奏に 近づけるために、慣習的な奏法や原譜に表記されていない要素も書加 えた。 以上述べたような方法によって比較譜を作製したのであるが、これ らの譜を通暁してみると先ず、中央の舞楽における太平楽里言﹁合歓 塩﹂の旋律が可成り正確な形で残されていることである。特に太平楽 急曲は、全体が十六小節より構成されており、これは、小拍子十六即 ち十六小節を単位として一つの楽句を構⋮成する﹁合歓塩﹂と全く同じ である。しかも、この当曲は﹁合歓塩﹂の最初の十六小節の変化した ものであることが証明される。すなわち、当曲は﹁合歓塩﹂の小拍子 16 三つめ︵第三小節︶から始まる。第三小節から第六小節迄は、旋律進行 においてもリズム型においても大異はない。第七小節以降は、一見す ると全然異った曲のように見えるが、二小節単位のフレーズに区切っ て、詳細に見れば、各フレーズの開始音、若しくは終止音が一致して いることが解るであろう。しかも、開始音に至る迄の旋律進行はその 経過音、及びリズムの型が異っても大略同じといえる。ただ十二小節 から十三小節迄の旋律は、笛の技法上における問題から差異が生じ たものではなかろうか。すなわち﹁当曲﹂においても﹁返﹂において 註33セメオンフクラオン も、 ﹃責音と和音﹄の二者は存在しているが、同一音型、同一旋律型 の内において和音から責音へ移行するようなことはない。現行雅楽に おいては、和音から責音へ移行する技法は、同一一州で微妙な息使い 三五遠江小国神社に伝承される十ご段舞楽について 三六 15 θ 1 ’ 1 I I 1 .r 幽 L − n ll ∠【 l r 1 I I ■ 冨 1 ■回 ■昭 “ 1 ■ 隔 ●」
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以上十二段舞楽における﹁太平楽舞﹂の音楽について拙考を述べて 来た次第であるが、まだまだ観察や考察の上において不充分な点があ ろうと思われる。しかし、まず云えることは、舞と同様この音楽が中 央の舞楽における﹁太平楽﹂の急曲﹁合歓塩﹂を可成り忠実な型で伝 承して来たことには肯き得るものがある。ただ細部においては、指摘 したように変化した部分が認められるが、これの大きな要因はその伝 承の形態と楽器の技法の問題にあろうかと思われる。前者に就いて は、先ず笛の伝承の方法であるが、楽譜は存在してもこれに依らず、 専ら師匠の笛の指使いのみを口伝される形を採っており、雅楽の伝授 註35しょうが に見られる﹃唱歌﹄も行われて来なかったようである。恐らくここに 多年の間に亘っての伝承の多岐を産み、漸次くずれを起して来たもの であろう。又、それは久しく中央の雅楽との交渉を絶ったが故でもあ ろう。 このような結果として、笛の演奏技法の上には、中央の雅楽におけ る横笛の技法と比較して次のような特徴が揚げられる。 ユル ︶ 、
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(2) ︵ (3) (4) ﹃叩く︵打つ︶﹄ ﹃由﹄などの技法は行われない。 一つの音型内若しくは旋律型の内において﹁和音﹂から﹁責音 ﹂への移行は行なわれない。 指使いによる細いリズムは、洋譜に示して八分音符迄で、それ より音価の短いものは用いられない。 比較的単調な旋律は、中心音の指孔に近接する指孔を使うこと によって、旋律とリズムの上に装飾的な綾をつけている。 このような技法上の制約が、曲全体の姿を比較的忠実な伝承の中に 遠江小国神社に伝承される十こ段舞楽について も変化を生ぜしめる要因の一つとして推則されるのである。 註31註註
33 32 註誕 註35 相愛女子大学研究論集第十九巻︵昭47︶に掲載した拙論﹁松尾寺に伝承 される佛舞について﹂を参照されたい。 ﹁舞楽龍糊置﹂昭⑬年 雅亮夕刊 竜笛は原則として2オクターブの音域を持っているが、標準の音を和と 称し、オクターブ高い音を責と称する。 箏築や竜笛にみられる演奏技法の一つで次の音の指孔へうつる前にその 一つ下の音の心得をす早く軽快に打つのである。それは丁度前打音的な 効果上げる。 箏築、笛、笙の三管にはそれぞれ楽曲の旋律を口頭で歌う為の歌唱法が ある。雅楽の練習を志すものは先ず、この唱歌よく歌い込んでその楽器 の旋律、塩梅音やリズム型、アーチィキ,ユレイションアゴーギグ等を会 得する。箏築と笛には唱歌の為の仮名譜があり、指骨とこの仮名譜との 10 両用によって吹奏するのである。 小国神社に伝承される十二段舞楽は、民俗芸能化されたこの類の芸 能の申でも、可成り正統的な伝承を持ったものであるとの論は、すで に先賢の調査報告や研究にも明らかなところである。しかし、その伝 承の忠実性についての具体的な論述は寡聞ながら知るを得ていない。 しかるに私は今回の調査にもその点に大いに興味を抱き、本論でもそ の問題を中心に考証したいと思った。その結果はすでに小論に述べ来 った次第であるが、それは、 ﹁太平楽舞﹂を通じて舞や音楽の実態な ど、具体的な面より伝承の忠実性をうかがうことができたと思ってい る。しかし採集した資料の整理研究は目下続行中のことでもあり、今 四一遠江小国神社に伝承される十二段舞楽について 四二 回はその一部を紹介したのみで、整理研究が進めば或いはまた興味あ る問題や結果が得られるであろうと信ずる次第である。 又、小論では主として中央に伝承される舞楽との比較の上からの同 義点を申心として述べて来たが、その相異点も又、同様に重要なウエ イトを占めるものと考える。その研究調査は単に十二段舞楽の芸能 的、音楽的性格を位置づけるのみではなく、中央から地方へ伝播した 我国音楽文化の地方での受容の有様を明らかにし、それは又ひいて は、元来充分に明されていない我国上代より中世に亘る音楽芸能史解 明の上にも資するものであろうと考える。 最後に、本調査に際し、御懇篤な御協力を賜った小国神社宮司水野 修次氏、及び山名神社舞楽保存会会長鈴木旭氏に謝意を表して掴筆し たい。 109 ︵付記︶掲載した写真の内、文献に関するものは馬場助教授指導による写真撮影 班、スティール写真は酒井教授指導の写真班の撮影したものに依った。