人類氣候馴化に於ける氣候.、﹂疾病の問題 ︵前編︶
和
田俊
二
序 尺類気候馴化に於ける諸要因の究明は我国の直面せる気候馴化論的課題の研究への指漂を得る為の目的に出でる。この 当面せる課題とは云う迄もなくアマゾン河流域へ指向され、今後も引続いて指向されんとする本邦計画移民のその地に於 ける気候馴化の可能性如何の問題である。 この問題の由来と経輝は凡そ次の如くである。戦後ブラジル敷府は我国の懇請を容れて、農業移民として本邦人のアマ ゾン流域への入植を許可したが、アマジン流域への第一次計画移民が神戸港を出航したのは昭和二十七年十二月二十八日 であった。この計画移民の船出を五日後に控えた神戸港へ同局二十四日朝に当のブラジルから、かつての移民一七二名が 和蘭船で引揚げて来た。引揚者一行の代表佐藤辰夫氏︵福島県出身︶は昭和六年ブラジルに入植、 アマゾン流域に六ケ 年、以後サンパウロ州に於いて農園を経営していたというG彼は語るi ﹁人間は紙くずでないのだから、もっと移民の生倫.を大切にしてやってほしい。私と一緒にアマゾンのベレン︹アマゾン河口に近い中 心都市切㊦罫昌近傍を云う1和田註︺に入ったのは二〇〇家族あったが、六年の労苦の後にも黒水病で殆んど全滅してしまった。特に ジエート痂を栽培する低湿地帯は珊地人でも住み切れない処で、今残っているのは自然の淘汰に生き鼓いて来たゴリラの様な土入ばか・つ 入類気候馴化に於ける気候と疾病の問題︵前編︶ 一二人類気候馴化に於ける気候と疾病の問題︵前編︶ 二二 だ。四〇度の高熱があっても、木の上で一時聞もまどろんだら治ってしまう程の身体でなければとても生活出来ない。﹂︵朝日新聞、二十 七年十二月二+五H︶ 然るにこれに続いて前述の第一次計画移民として十二周二十八日神戸港を出航して﹁アマゾン流域のジェート栽培に赴 ける十七家族五四名の中、四家族十四名が早くも入植地から脱出して来た。この一団が夫々の目的地に着いたのは三月上 旬のことであって、同月末にはもう出て来ているのであるから問題である。﹂︵朝H新聞社説、二+八年五月四日︶と云う移民 脱落の事実が継起し、而もこの事実は駐ブラジル大使鱗高良書記官の﹁ジエート移民の間題点−一なぜ三家族の退耕者を 出したか﹂︵朝日新聞、同年五月+七日︶の報告に依って確認されるところとなった。 .筆・者は本年五月四日外務省に当の高良書記官を訪れ、なま新しい現弛報告を聞く機会を得た。氏の談話の中で﹁第二攻 大戦後、北部、フ・ジルの爺播された状態は戦醸﹂比べて驚一べきものがあり・国土の広大でみる為に・北部の文明化さ れた状態はブラジル南部人さへも知っていない。況んや戦萌の文献からでは知るよしもない。今や気候や疾病を問題にす ると笑われる位ですよ﹂と云う事も聞いた。また南米の族から帰った賀川豊彦氏は﹁アマゾン流域の新聞も電話もない処 でも、自家発電を必ず備え、オールウェーブのラジオをもつている。日本移民は益々有望だが、だんだん事情の悪い処に 入るわけだから余程の準備がいるだろう﹂︵朝H新聞、同年六月二+五日︶と語っている。 わが国の風土と全然性質を異にしたアマゾ芝流域への喜入の入植には困難が俘はないと云ふことはあり得ない。 ﹁困難 を軽視することは軽卒であり、困難を避けることは萎縮である。困難の正確なる程度を認識し、困難を着実に克服するこ とこそ肝要である。﹂︵op二.門肩・邑二2胃。言回置戸¢日8℃8。。二言..ゐ・一町。﹀塁王島酔Q♪一年q夢器︵ぎ.三遍肉q﹄§蓑馬匹ミミ勉罫§、.一〇一wじ。. 皿・G。O・︶だが邦入のアマソン移民の可能監に対する吾々の解答もまた容易でない。 されば、吾々はこの問題究明の為の一つの指標を求めて、吾々は一応気候馴化研究の創始期このかたの、気候馴化論的
研究に於いて取扱われた入類気候馴化に﹁於ける諸要因を究明して置かなければならないと思う。それは吾々の研究に当っ て要因決定が独断に陥ってはならないと云う自戒の意味Pらでもある。 一 気候環境学設と気候馴化論 人類気候馴化という問題が十九世紀に於いて英国で取上けられなければならなかった直接的動機は後に詳述するよう に、英国の印度経営に当って、印度派遣軍の“家つた重大なる人命喪失が単に火器に依っただけではなく、実に鋭い自然の 淘汰の骨導であったことにあり、また十九世紀末葉に到って欧洲半張の帝国主義の下に行われたアフリカ分割が完了する に誓い、欧洲列強がアフリカの欧人に依る植民的利用の可否に関する問題の究明の為にもこの研究が要請されたものであ った。 だが十九世紀に到って、気候馴化という、当時この潔しき語辞に飯って表現される問題はそれ以前に於いては全然取扱 われなかったか、また十七・八世紀このかた既に時代思潮とも云うべき勢力を以て欧洲学界を風廃した所謂気候環境学論 の主張者たちに依って果して取・扱われなかった問題であろうか。吾々が戴に先ずか、る設問を提起したのは、中りに気候 環境学説と気候馴化論とを同一乃至は混同視する場合ありとせば、気候馴化という新しい語辞に依って表現される概念の 創始それ自体が無意味となり、延いては無意味なる研究を、何が故に十九世紀このかたの欧人たちが必要としたかと云う 疑問に到達するに違いないからである。だから吾々は先ず気候環境学論の内容を為すものを検討し、然る後に、それと気 候馴化論との異同点を明かにして置く必要があると思う。前述の設問の解答はこの異同点を間明することによって自から 明かとなるであろう。 気候環境鞠唄とは近世初期十七・八世紀に於ける一群の哲学者乃至は思想家によって提示された自然観乃至は世界観で 人類気候馴化に於ける気候と疾病の問題︵前編︶ 二三
人類気候馴化に於ける気候と疾病の問題︵前編︶ 二四 あって、入呼んで地理的唯物論O①oケQ話℃窪しつ。び興碧羅けΦユ巴剛ω要脚あと名付けるものの亜流である。気候瑳境学説では特に ① 気候が人聞及び人閣生活に及ぼす作用が強調される。凡そ地理的唯物論は中世を通じて支配的であった封建主義的観念形 態・一伝統主義.神秘主義・絶対主義などに対する対立物としての、ギリシア的班智主義乃至は含理主義のルネッサンス であり、かつて全歴史の原動力、入類の運命の規定者として現われていた神乃至は絶慰主義的主権に辛し、 ﹁自然﹂を置 き代えようとする思想であり、而してこの思想は近世に到って漸く歴史の表面に現われ始めた第三階級即ち市民階級の世 ② 界観の表現に外ならなかった。 吾々は枚挙にいとまのない多くの気候環境論的著述のなかから、英国の史家¢の霞団目7Qヨ霧⇔ロ誕。匹Φをひろい上げる と、彼の思想はその大著頸誇。蔓。隔ΩくまNp⊃臨︵︾bぎ団資月旦&・b。く9ω噛剛HG。ミ⋮璃μ。。2・に於いて展開されている。彼 が第一に問題にしたのは﹁自然の人聞に戴する関係であるQ﹂ ﹁入歯に最も有力に影響する自然要素は四つある。気候・土壌・食物並びに自然の一般的形状泊れである﹂﹁気候は土 地の豊度と共に群類文化の発達を支配する二つの要素である。凡そ入類文化の発達の初期に於いては社会の富の蓄積は労 彷のエネルギーと規則性及び自然的資源から作り出された労功報酬に依存している。而して労彷のエネルギ1と規則性と は気候に依存している。温暖な気候のもとでは労藤津の元気は旺盛となり、暑過ぎる気候のうちでは労彷者は常に甚しい 倦怠を感じ、活動的でなくなり、鰻重過ぎる気候においては入々は蓮絡のない生活をなし易い。蓋し彼らは産業活動の蓮 鎭は寒い季節の聞は中断せしめられるからである。﹂﹁文化の進歩は先ず土地の毎度に負うている。例えばアジアやアフリ カのエジプトの如きは溺れである。併し文化の発蓬は気候にも負うている。例えばヨーロッパの如きは土地の豊度の高い ためというよりは、この気候がこの地方住民をして無限の活動力を発蓮せしめた為に、指導的な文化地域となったのであ る。かぐして気候と土壌との影響は所が異るに従って色々と異ることがわかる。併し土壌のうちから生じ、自然の恩恵に
O 負うている丈化は、気候に依存して発歯した文化の高度までは達しない。蓋し唯一の有効なる進歩は人間のエネルギーに 依存しているものであり、且つ人聞の力は自然の力のように局限されているものではない。気候は人闘に作.悔し、そのエ 、不ルギーを刺戟しその力を発達せしめる。それ故に人工のエネルギーの進歩によって制約された丈化は、主として自然の みに依存し、人間の潜在的な力を喚び起すことのない文化を凌駕すべき蓮命をもつている。﹂ 独逸の大地理学者男面①時凶。げ菊餌冒皿の大著跨肩野鴨OOQ鐙①o短欝Oぼ①●Nゆ血①﹂國Hc。QQ卜。噛色目Q。り把に於いて展開される彼の 根本思想は﹁入間を本質的に受動灼なるものと見倣して、入類の諸々の活動その分布ならびに組織化を、室間的にも時闇 的にも、決定しているところの自然的環境の諸法則を樹立しようとした﹂ものであると要約され、 ﹁その基本的な概念と しては、人聞の存在は、その上に彼が棲下しているところの土地によって宿命的に決定されるという見解を持しているも のである。しかし、 一つの新しい科学の基礎づけを与えるにあたって、 一つの因エ﹂、即ち環境の影響が必然的に明かに過 大評価されるべきことは認めざるを得ないしとのうッツエ九批判は吾国の多くの地理学者にも認容されている。 いま僅かの例証を挙げたにすぎないが、気候環境学説乃蚕は地理的唯物論の悉くに共煩している事実は、自然乃至は気 候が人問及び特需生活に及ぼす影響のみを語り、自然乃至は気候に対して常に入間が受動的であるという事実である。ウ イットフォーゲルが地理的唯物論の欠陥の一つを指摘するに当って、自然よりの解放論断①謬β餌養骨舞ご拳セ①冨OΦ葬ぞ① を挙げていることの謬りであることは、経済学者川島帯締氏によって指摘されている。﹁如何に素朴な地理的唯物論者と 難.も、否、素朴な地理的唯物論者であればあるほど、このような意味での解放観に論ることは到底あり得ない。事実気候 や土地の性質の人聞に対する影響を強調して止まなかったのは外ならぬこの派の始祖モンテスキュウーであるし、厨家の 地的羅縛性をその政治地理学の基礎においたのはうッツエルである。彼らの誤りは寧ろ全く逆に、か、る安易な﹃非解放 ⑨ 観﹄に囚われて、正しい﹃解放観ヒを正面に押し出し得なかったところにある.、﹂ ぺ類気候馴化に於ける気候と疾病の問題︵前編︶ ご五
人類気候馴化に於ける気候と疾病の問題︵前編︶ ・ 二六 ④ し得るに過ぎない,しこの所読に於いてもまた人問は能動的意味に於いて自然に対する影響乃至は支配というよりは、寧 ろ自然が入開に及ぼす影響と云う受動的な面の椙対的減少と解した方が正しいであろう。更にこの事実は自然的生産諸力 ・ ⑤ に関する詳論の後に、川島哲郎氏が到達した結論﹁自然的生産田力の後退と変化、社会的生塵諸力の前進と発展﹂と解し た方が理解は容易となるであろう。これが正しい意味に於ける自然からの解放である。﹁マルクスに從えば社会に凝する自 然の影響は社会の生産諸力の発展に俘って相対的に減少する。メンシェヴイキ化しつ、ある観念論の一代表者ウィットフォ ーゲルは社会の相対的解放を云々することは出来ないと老えている。だがマルクスは明白に﹃自然的制限は産業が進歩す ⑥ るにつれて後づさりする﹄といっている。﹂ 気候環境学溌乃蚕は地理的唯物論の即興は人間は常に自然の前には受動的であるとの基本的観念に律せられて、自然の 人岡に対する影響のみを四天に考えたところにあるのであって、右に遽べた如く、自然の人聞に対する影響は社会的生産 導通の発建に俘い軽減されて行くのである。換言すれば自然よrり解放されて行くが、それが現実の入闇社会に現れて来る 過程は外でもない、歴史的な発展、変容をつ望ける生産諸要素よりなる単離過程を通じて生起するものである。自然は労 仇過程なる中耳蝉を媒介して入賜社会に及ぼす結某である。この見解はウィノトフォーゲルに吾々は負うていることは彼の ⑦ 名誉にかけても忘れてはならない。またかかる相五作用現論はそれよりも二年前にbこ鐙⇒o甘露蔦。げに依って唱えられ ていることを吾々は知っているQ併しOδ三〇げにあっては未だ相互作用が労彷過程を媒介とすることには想到していな かった。気候環境学読乃至は地理的唯物論はこの相五作用にも想到してない素朴さをもった。ウィットフォーザルは短絡法 .Oδ翠霞Nωoゴぼ器冨①鼻○鋤①と呼んでいるが、これこそ気候環境学説乃至は地理的唯物論の重大なる欠陥であったし、そ れはまたOδ時闘。ゴの相互作用理論にも当はまる。 デイートリッヒはその相互作用を﹁人聞と室間とは決して孤立せる定在形式でもなく、或いは弛く或.いは緊く、幾千の ,
果して人聞は自然の前には常に受動的であろうか。黒正博士の所論に從えぱ﹁人聞は騒然の強制より脱却し、專ら積極 的に自然の潜在力を利用発現せんとするものの如くである。併し人聞が精神的に自然に仇きかけて、自然の彊制力を変化 せしめることは極めて微少である。人間は知力の発展によって相対的に自然の彊制力を脱黒し、自然の潜在力を利用発現 ⑧ 縣を以て結合されている。この爾者が如何に相互に結合し合い影響し合うかは全く相互の力の結果である。﹂と読くとき に、 ﹁聴聞はこの室間︹時には世界全体を指し、時には所与の地域を指し、用例する場合によって異る一1和田註︺に居佳し生活し ⑨ 増殖し密着している。﹂ことが前提となって相互作用が生起する。この﹁幾千の縣を以て結合されている﹂ことの代りに 労仇過程を置き代えたウィットフォーゲルにあっても、この前提には変聾はない。いすれにしても自然と入聞との相互作用 によって生起せる経済的所康乃至は文化が其処に実在しているからこそ相五作用なり労伍過程なりに依って説き得るので ある。気候環境学説乃至は地的唯物論が批判されるのは、かかる対象をさへ単なる気候11自然環境でもつて理解せんとす るところに欠陥があるのである。 気候馴化論の内容に立入る前に、明かにして置かねばならないことはこの労初過程に託してである。労仇過程には二つ の側面がある。一口に人聞と自然との質料変換の過程といわれる繋累過程も、人聞労初の濠物が人間漁業の産物に彷きか ける過程、労仇生産物と労彷生産物との関.係と云ってよい面がある。換言すれば祉会的労彷手段×社会的労初対象×祉会 的労彷力︵累代の生産経験や労功習熟︶に依って表わされる面がある。これに対し今日でも爪何依然として、原料とは呼び 得ない自然的労彷封象と労仇の所産でない自然的労功手段とが﹁入種などの如き人閲そのものの自然﹂をもてる自然的労 初力を以て日々の生塵に参加している。換言すれば自然的労仇対象×自然的労仇手段×自然的労賃力に俵って表わし得る 面がある。この労初過程の二つの側面は各個の産業についても企業についても確然たる姿で対峙するものではなく、労彷 過程の各要素毎に統一されてるのが常態である。それにも拘らず理論的にはこの二側面は確然と区別されることが出来 人類気候馴化に於ける気候と疾病の問題︵前編︶ 二七
人類気候馴化に於ける気候と疾病の問題︵前編︶ 二八 ⑭ る。 そこで気候馴化論はどうかと云うに、気候環境学説乃至は地的唯物論そしてまた相互作用理論に於ける﹁人鶴はこの室 間に居佳し生活し増殖し密着している﹂と云う前提は蕪では証明されなければならない課題そのものである。從って前蓮 の労彷過程そのも.のも其処に営まれ得るかどうか未知のものであり、果して将来労彷過程が、灰早し得るか否かの問題が課 題となる。例えばアマゾン流域に於いて天然ゴムの拾集セ営む印旬人の社会は如何に吾々が低く評価しても、自然的勢仇 対象×自然的早早手段×自然的壷皿力よb成る労仇過程はそこには実在しているのである。少くとも自然的労凶弾として の土着の印夢人がその地に生活している。然るに、いま自然的労功力を駆りに欧入に置換えた場合はどうか。その欧人は 自然的生産諸力は云うまでもなく、高度に発呈した社会的興隆諸力をもアマゾン流域へもち込むであろう。併し乍ら、仮 りに欧人と云う自然的一環力それ自体の存在がその蒸熱の地域に於いて拒否されるとすれば、社会的生産諸力を以てする 労仇過程はおろか、自然的生産諸力を以てする労彷.過程の成立すら否定されなければならない。室内冷房装置が社会的労 仇手段であっても、それを以て天然ゴムの拾集に彷きかけることは不可能である。前稿述べたように、西印度に於いて北 欧斜なる自然的労仇力の存在が否定され九時に、置換さるべき別個の.ものとしてニグロが導入されることに依って初め てプランテーションの労彷過程が成立し得た、それが西印度に於ける奴隷経済の実体であったと云うことを想起すればよ @ いGだから気候馴化論はかかる労彷過程の成否の可能性を究明することを課題とする。即ち自然的労彷力自休が心地に存 在し得るか否か、定着し得るか否かが第一の問題となる。 かかる自然的労仇力に対する自然の直接作用は、現実に焚、いては気候の人体に及ぼす生理的作用である。現今のように一 工業の高度の発蓬に俘い、異常環境が各種の産業に現われて来ているGこの入城曝気.候を意味する労仇環境に於ける自然 ジョゲンド 的労初力の恕限度の問題のみを抽出して究明せんとする所謂身魂生理学・労仇衛生学乃至は総称して労仇科学なるものが
著しい発蓬を途げて来た。入墨約気候と自然的労仇力との関係についてのデータを吾々はこれらの科学から多くを得るこ ⑫ とが出来る。 気候馴化論にあっては労彷過程の威立如何の問題が課題となるが、その問題の中心をなすものは自然的労功力の存在の 可否である。乙の可否を決定するものが気候か疾病か、更にま彰11労伽過程の継続の可能性が経済的要因乃至は文化水準の 維持と云う問題に懸って迫るかは、いま吾々が本稿に於いて検討しようとする処である。 ①
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自お=o節跨O.日養り● 〆︸巧建♂究=08で。一一貯貸碧。題ぞ一p一。・。︸ち﹃窓算9三宝葺塞自三無己、忍。・圃⋮警 qミミ警ミ馳§包ミ、驚砺ミミミ偽ミミ層旨一一茜き﹃q 川西正鑑 経済地理学方法論 昭和八年 第一編 第二章﹁半身不随の地理的唯物論﹂ 佐蔭 弘 最近の経済地理学 昭和十一年 第二部 第五章 第一節﹁気候遠境学説の史的展望﹂ などに於いて地理的唯物論の詳細なる紹介がある。 小原敬士 祉会地壇学の基礎問題 昭和十一年 二〇四一−五頁。 川農哲郎 ﹁日[然的生丈斥諸力について﹂経済学年報 第二集 昭和二十八年置九一頁。 黒正 巌 経濱地理,学総論︵経済地埋学講座︶昭和十一年 五頁。 川島 前揚書 八八頁。 前掲書 九二頁。 じd巴§︹︶惣書.三=O笙罠首蝿。︹一2、鑑σq9回p畠屋 ≦、ぼ頃。一B⇒据8㈹2︸︷ρ痴㊦岳さH潟8 国げ○︼益3Tい・し。9 国ぎ同三触ごQり.㏄O・ 川島前掲書八﹁頁。 拙稿 欧人の西印度経営と奴隷労仇力問題ーー薩史的方法による労衡力気候翫適性の入種差に関する研究 彦根論叢 十八号。 拙稿 気候馴化研究方法の批到i室内突験的方法への疑義 彦根論叢 五号 入類気候馴化に於ける気候と疾病の問題︵前編︶ ご九人類気候馴化に於ける気候と疾病の問題︵前編︶ 三〇 一
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人類気候馴化の要.因としての気候と疾病に関する ヂェームス・ハントの見解︵一八六一年︶ 人類気候馴化に於いて何が決定的要因となるか。この決定的要因の確定は延いては誌面乃至は入種の気.候馴化の可否を 結論せしめるものであるから、この問題は気候馴化論の研究が創始された当初よりの最大の問題であった。いま、試みに 気候馴化研究の古典的蛍作の一つとも云ってよい洲︶ぴ駐日①¢顛β葺の一八六一年に発表した論文O⇔国恥謬06にヨ舞㌣ 冒字q団嚇舞昏①諺8=ヨpρ弧N節鼠。βo琉フ富Pについて彼の昆解を顧みよう。当時の昏昏の知見を以てすれば﹁吾々は未だ各 人種の正確なる力︹気圏馴化能カーー和田註︺を決定することは出来ない。なぜならば団昏β9Ωごδ簿︵︾︸o頴︽は新しき学問 ① であり、満足なる解答を与え得る前に長き一蓮の観察が必要とされるからである。﹂されば﹁この論文の目的は気候馴化 ② の重大なる問題を更に検討する必要を地理学者:人種学考にただ階示することでめる。﹂と述べている処でも明かなよう に一八六一年当蒔の英国に於いては気候馴化研究は未開拓の状態にあった。更にこの事実を一層如実に語るものは彼の この論文のテーマ自警であると思う。凡そ気候馴化跨oo賄冒話欝讐δPなる謝辞が英国で最初に使用され忙のは一八三 ③ ○年であったことは前にも見たが、 一八六一年に弼っても彼が﹁忙種気候学国昏⇔06嵩ヨ鉾。ざ騎くすなわち人類気候馴化 ♪o畠B帥欝鉾6蜂。︷ヨ麟民μについて﹂と云う珍妙なるテーマの褐げ方をしなければならなかったのも、省当時未.π普及せ ざる気候馴化の概念が科学界に於いて或ひは理解せられざるやを慮って、彼はこれと同義語と考えた団戴き0695簿。一〇漁︽ なる語を先に提示して読者の理解を扶けんと企図したものと考えてよいであろう。かくして彼は英国に於いて気候馴化論 を創始するに当って、 ﹁私はこれまで無謀なる英国植民政策を特徴づけたあの寒紅喪失を防ぐ見込みがめる処の大科学の ④ 輪廓が存在していることを示し得ると信じる..﹂とその抱負を語っている。彼の目的とする処は論文の一頭に蓮べる如く﹁全世界に亘る入類の題号に際して、人類の健康を取締る処の法則の発 見﹂にあったが彼の研究を要請した直接の動機は印度に於ける英国派遣軍兵士の恐るべき損耗にあったことは、彼の例証 並びに統計の多くが印度に関するものであることに依っても明かである。当時英国は印度デリーを申心として蜂起せる土 民兵転圧に一年半の臼子を費したといわれる程の未會有の大叛乱に遭遇した。翌一八五八年には印度を東印度会社の手よ り分離して政府直轄となし、英印関係は益々深化の度を茄えた応和のことであり、英国の印度統治にあたって英人の気候 馴化の可否の問題は彼をしてこの問題の重要性を認識せしめる直接動機であった様である。 彼の見解に於、いて.気候馴化に影響する要因を探索する前に、彼は暴言に気候馴化論と気候環境学説の課題の相違を意 識していることを蓮べなければならない。 ﹁地球上のちがった部分の州民の開に、肉体的に精神的に道徳的に実に著しい 相違があることを否定せんと試みる人はないであろうQ︹今日でもこの事実は啄められるが、その証明は容易ではない一附田註︺ ︹だが︺気候を構成する種々様々の能因餌頴①旨窃並びに諸能因の副次的効果が︹藪で︺吾々が見る処の肉体・精神・道徳 ⑤ 上の変化を生するに足るかどうかを究明することを目的・とするのではない。﹂と述べているなかで、特に﹁だが﹂以下の 内容は明かに気候環境学読か從来主張し取扱つた問題であって、 ハントは意識して気候馴化論ではかかる問題を取扱わ ざることを明かにし、彼の取扱う課題が﹁人聞はコスモポリタンなる動物であると仮定して正しいか否か叉気候馴化力 フ 娼○妻①円oh鋤oo嵩ヨ簿冒ロ凱︵︶ロは吾々が知れる限りのすべての人種に依って等しく所有されているか否かを決定しなければ ⑥ ならない⊂﹂として、両者の取扱う課題の限界を明かにした。 彼の見解に於いて気候馴化に影響する要因をさぐってみようQ ﹁人類気候馴化を妨げ或いは手間どらせる状態は身体的 であり精神釣であり霊徳的である。﹂と云っている意味は次の個所で具体化される。﹁の気候が入獄にのみ与える効果を論ず ることの不可能なることは吾々もよく知っている。⑭食物が気候と切り離せないことや、爾者が居住堪域の自然的構造に 入類気候馴化に於ける気候と疾病の問題︵前編︶ ・ 三︸
入類気候馴化に於ける気候と疾病の問題︵前編︶ 三ニ ラ う よって変更されることを知っている。⋮紳精神文化が行使されるか無視されるかも老慮されなければならない。侮だから或 る効果をどの階級に帰ぜなければならないかを決定することは不可能である。併しこれらの原因はすべて調和をとりつ∼ 行動することや文鮭意識的に結合されることは殆んど疑いの余地がない。L︵文中の数字は園田による︶ ・①は気候の人聞に対する直接作用即ち生理的作用を意味し、今日の正しき概念に於ける気候を云う。そしてかかる気候 的要因のみで決定されるものでないと云う。働食物が気候と切離し得ない関係にあり,從って食物を通じての気候の間接 お 作用を云う。価精神文化とは﹁欧人をして極端な気候にも耐えしめるものは主として文明であろ。実際人々は遽隔の地域 を訪れんと欲する前に譲る程度文明化されなければならぬ。例えばエスキモーは自己流の生活で完全に幸福であり、より 淵暖な気候へ移動しようとは欲しない。 エスキモーの身体も精神もその位置に適している。﹂と云っていることから、異 境に於、ける生活態度への知識と云うことであろう。從ってそれは精神的乃至は道徳的問題に関連して来る。從って気候.馴 化に於ける気候乃至は自然環境に対立する人聞の側面に幽する問題である。これに関してはその後フェルキンに俵って熱 ⑦ 箒馴化に対する北欧人の精神力の旺盛さが強調されたがその主張は間もなく忘れ去らるべき蓮命をもつた。叉別の意味で リプレーに依って取上げられた熱馨居住欧入の飲酒癖や性的放縦の問題はそれらに基因する疾病が明かに気候と無関係で ⑧ あると云う理由の下に﹁紛らわしき因子﹂として気候馴化の要因から捨象される為の取上げでしかなかった。リプレーに ⑨ 依っては働食物の聞題も﹁食物選択に於ける国民灼啓慣の影響は除外さるべき第三の要素﹂であった。とは云え、ハント にあって④㈹価が並列的地位に置かれて取扱われていること自体は正しいが、それにも掬らす次に蓮べる箇所では㈹は① の中に併呑されてしまうのは、彼の気.候概念が当時の時代思潮に如伺に災されているかを明示している。 彼の気候概念は次の如くである。 ﹁私は最も充実した意味に於いて、この語を使用し、且つ全宇宙的現象をも含める。 かくして一国.の自然的性質は気候と重要な関係をもつ。そして吾々は所与の場所の経緯度のみを老えてはならないのであ
つて、位置の高低・土壌・大気の影響・光線の量・水の性質・卓越風・室気の電気状態・大気圧・植生・食物を老えなけ ⑩ ればならぬ。それらはすべて気候の問題と関係かあるからである、﹂ 彼はただ羅列的に気候を構成する諸要素と並んで気候と関係のあるすべての事象を列挙することに依って﹁気候﹂であ ると解する。・彼は﹁私は最も充実した意味に於いてこの語を使用し﹂ている積りであるが、実は最も曖昧であり不徹底な 意味に於いて使用しているっ気候環境学者が﹁気候﹂を云々する時に、言葉通りに解釈するならば、ただ﹁暑いとか寒い とか﹂の濫度関係のみを取扱っているが如くに受取れるけれども、それは却って恥ずべき皮柑的語義的な観察にすぎない のであって、彼らの真実の意昧は﹁暑い地方、寒い地方﹂或いは﹁暑い環境、善い環境﹂と云うことであって、それはワ1 ド教.授の云える如く﹁古き時代の多くの著述家︹﹃古き著述家の見解は富琴ご㊦の時代に至ってさへ⋮・:﹄と云うワードの言葉から じ⇔衰磨Bを含めて考えて差支えない一和田註︺にとって、気候は今日意味する以上のものである。今日吾々が云う全自然環境 ⑳ と名付けるものの多くを気候が内包している﹂と解した方が正しい。とすれば、ハントもまたかかる気候環境学者の気候 概念に災されているとしなければならない。気候馴化論に於ける気候概念は、時代が新しくなるに從って、内容は縮少さ れて行き、今日の正しい意味の気候概念に到達する。そ.の縮少の過程は気候概念に包まれた多くの気候外的因子の夫々に 検討が加えられ、気候馴化に当って、それらの因子に対する適当なる対策を近代医学が発見し、克服して行く過程と逆比 例の関係にあると見てよいであろう。だからハントの時代にあって、彼が気候概念の下に羅列した諸要因が、たとえ正し い意味の気候概念の下に包含せられざる因子を内包していたと批判され得るとは云え、それらの羅列された要因はハント の時代に於ける熱帯.気候馴化に於ける重要な要因であったと考えてよいであろう。 このこと以上に重要なことは今日正しい気候概念に於ける諸要因の影響を彼は如何に解していたかということである。 ﹁吾々は所与の場所の経緯度のみを考えてはならない﹂︵既出︶と云えるなかに、争日の正しい意味での気候的諸要因の 人類気候馴化に於ける気候と疾病の問題︵前編︶ 三三
人類気候馴化に於ける気候と疾病の問題︵前編︶ 三四 問題が曙示されているとしても、就中気温については﹁人間は気温が血濫を越える場所でも生きることが出来る。叉水銀 ⑫ が凍結する様な場所でも生きることが出来る。﹂と述べているが、これも気濡の問題を提示したにとどまう、湿度に関して は燭れるところがない。 次に彼は人類気候馴化に於ける疾病の問題を取上げる。 ﹁熱帯諸国の疾病に関して大抵の著者が陥っている大きな誤謬 ⑱ は、多数の疾病を真の源泉、即ち欧入の熱帯諸国に対する非適応性に帰することを無視していることである。﹂として、多 数の疾病が予防し得る原因に俵って高き死亡率が生すると老えることを誤謬であるとし、実にそれは気候への非適応性に 基くものと老えた。当時印度派遣軍の兵士が疾病に侯る恐るべき高き死亡率を示したことは彼が掲げる派邉軍の医学統計 に明かであるが、ハントはこの疾病に依る高き死亡率の原因は言入の印度への非適応性、即ち印度気・候への馴化し得ざる ことに帰し、從ってそれは予防し得ざる原因に帰している。凡そ疾病は罹病し高き死亡率を伴う場合に問題となるが、欧 人が罹病し高き死亡率を示す、これは気候馴化し得ざる為なりとすれば、疾病は気候馴化の結果の表示であり気候馴化の 困難さの程度を示す尺度であり得ても、気候馴化の要因ではないこととなる。かくしてハントにあっては気候の作用に圧 倒的重要性を認めんとするのが彼の見解である。 最後に彼の入類気候馴化の可能性に関する所見を示せば次の如くである。 ﹁歴史の最も築き黎明より、人種は現在彼らが存在する如くに同一の場所に存在している。⋮⋮だから.私は如何なる入 種でも、その人種の自然のままの棲息地から心置することなしにその入種を絶滅させることが困難であると同様に、ある 人種をその人種の生画地以外に移住させることは困難であると思う。タスマニア人や印旬八はいすれも彼らの自然のまま ⑭ の故郷から移動させることに依り絶滅されてしまった。﹂と結論して徹底した入類気候馴化の否定論を陳遠している。 要するに彼は書類気候馴化に於ける要因として.気候と疾病とを取上げたが、疾病は前蓮の如く要因ではなくて結果を表
示する尺度にすぎないとの見解から、結局要因は気候だけと云うことになった。而も彼の気候概念は当時の時代思潮の影 響の下にあり、今匠吾々が云う全自然環境と名付けるものの多くを気候が内包していた。このこと自体は後に自然環境の 分析、更にぱ正しき意味に於ける気候の諸要素への分析へ、更にはその分析に基く夫くの要素の作用の検討にまで展開さ るべき、気候馴化研究の発達をその中に用意していたというべきであろう。彼の後進に与えた示唆は深く重大である。 ①麹葺。轟轟幽§π︵ぎ聾写。とゴ胃に戸け9£ご9筈。︸。。穿Fp書目託9日。頃露霜・お鴨噂ミ鳳ミ馬ミき、ミ忌蚤鈎ミ“ヘミ§誉鳩き馬﹄§§馬㍗ ミ§“ミ勲“§3Hc。2︵℃℃.μb。㊤一猿O︶唱●Hω9
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\勤ミ←で・]お・ 拙稿 気候馴化論の学史的背景−仏蘭西の当帰研究創始とその目的 彦根論叢 二号。 霞︻臼3q笹。“♪マ這O・ N嘲ミこ℃.δ9 奪ミこ℃・竈O. 国。び。簿≦.﹂句&︿貯“O=b。&5註鍔鉱8’曾ミ鳳賊罫窮馬譜ドミ騒々鳶ミ♪ぐ。川・評日。。りお唱.象P 薫自ぎ昌鵠家喜曙”菊8Φ。。。h碁δ儲”﹀。Qo。互。鷺。巴聾孟寧﹃・oロ3Hc。⑩①・⊆戸p箸貧冥×rぎ三門昌註国記§一高、冨︹甲809ヨ喜ざ亀 翌誉ま亀費。野ぎ噂。p=雰89毛・望]一蟹口・ 奪ミ●︸やU︵Wじ。・ 出琶計。︾職餅㍗Hら。ρ 加。げ。嵩bゆρ巧p巳n、穿。⊆ヲ義。穿99凶昌三葦げ℃ξ旨a国旨丘﹃8臼曾ご紹㌧§匙勘昏ミ§き§巳し。P<。N層G。O二更■⇒O一同。。G。. 山葺計唱︾翫♪亨富O・ 奪ミごやHも。⑩・ ㌧昏ミご亨嵐9 人類気候馴化に於ける気候と疾病の問題︵前編︶ 三五人類気候馴化に於ける気候と疾病の問題︵前編︶ 三六 三 人類気候馴化の要因としての気候と疾病に関する ロバート・フェルキンの見解︵一八九一年︶ ① 医師フェルキンの論文O罫跨oo嵩ヨ鉾圃N響δ口がスコットランド地理学雑誌に揚載されたのは一八九一年である。この時代 は既に老察したよ.うに欧洲列強がアフリカ分割を完了し、この新しき地域に於いて書入は自から如何なる利用価値をもつ か、厳密に云えば商業的意味に於ける利用価偵をもつだけか、植民が可能か、若し然りとせばその地域は何処か、どの程 度に可能か、就中﹁熱帯アフリカに於いて白人発展に適当とされる範囲如何﹂の問題に関する解答を、当時の国際政局は 求めて止まなかった。かかる要請に答えて聖人の熱帯気候馴化研究は未曾有の進歩を滲げること、なる。 先ず彼の気候概念の把握の仕方から検討することにしよう。彼は﹁閏○遜団が云える如く﹃気候が生理的自然に対する 関係に於いて、気候が各場所に関する外部的自然環境すべての総和を構成する﹄換言すれば、頃‘目・切信。箆①が云える如 ② く﹃気候は社会の虚威の上に、そして叉個体の性質の上に自然法則に依って及ぼされる影響である﹄﹂との見解を持する 限り、彼の気候概念もまた前述のハントの見解と変るところのない気候環境学説の影響の下に立っている。このことは既 に前章に於いて詳しく見た。 気候馴化の問題に於ける気候概念.がかくの如き旧き時代の環境論者風の理解に立つ限りその研究より明確なる結論を引 出すことが出来ないのは云うまでもない事である。かかる気候概念をより正確に分析することに依り、純気候要因と然ら ざる他の因子とを区別し、然る後に夫々の要因が人類気候馴化に如侮なる作用を与えるかを検討されなければならない。 フェルキンの気候概念は彼の言明する処によって、環境論者風の理解に立つた。それにも拘らす、彼の論文の末尾に近 ③ く、純気候要因、の中の特に熱︹気温︺の問題を取上げていることは正しい事であり、気候馴化研究を一歩前進せしめたも 、
のと考えざるを得ない。彼自身かかる正しい見解を内に面し乍ら、術師述せる如き曖昧なる気候概念を表明しなければな らなかったのも、畢浮するに時代.思潮とも云うべき地理的唯物論者の気候概念に、ともすれば流されていたと解さなけれ ばならない。 熱︹気濫︺の問題に於いて、騒人にとって季節的変動がωO。両それ以上をもつ気候である場合、聖人は欧洲に於いて為 し得忙以上、良くは為し得ないにしても、同じ程度には為すことが出来る。併し年較差HO記Hα。岡に過ぎない処、若しく は日較差がδ。国以下の処では野人移民は耐えることが出来ない、即ち気温変動の単調さの害を述べたことは今日も省真 実である。 彼の気候学的認識の深さは欧人の気候馴化の問題に於いて総ての欧人種が同じ条件の下に取扱われることの不可なるこ とに早くも着眼せしめ、南欧人と北欧人との聞に著しい差異あることを夙に指摘せしめている。彼は﹁故郷の気候学︹熱 帯気候と爾欧.北欧の故癖の気候との聞の比較気候学的研究を云うi和田註︺が老輩されなければならないのみならす、彼らの ④ 習慣・習性及び彼らの精神的特殊性をも考慮されなければならぬ﹂と云う。就中彼の主張する比較気候学的研究法はその 後カルル・ザッパーに依りて取上げられ、展開されて、その方法に依って山人の熟帯気候馴化に関する多くの労作が発表 されている。就中指墨富農並びにより寒冷地帯に居住せる嫌濫的鏑①﹃資○℃げ。σなる人種と、南方即ち澄暖温帯より熱帯 にかけて居佳せる好濫的夢醇Bo娼露一なる人種とに区別し、 英人を以て寒国的百種群を代表せしめ、 イベリア人種を以 ⑤ て暖国的人種群を代表せしめるが如きは入掛気候馴化研究に於けるフェルキンの比較気候学的方法に出するものである。 ⑥ 併し乍ら、前述の如き北欧人の気質・性格と云う精神力が熱帯気候に馴化する困難に良く耐えしめると云う彼の主張は、 その精神力なるものが北欧気候の所、産であると考えたモンテスキェーや彼と同時代のバックルに依っては或いは良く理解 され得た事柄かもしれないが、現代に於いては却って理解の困.難なる問題である。 入類気候馴化に於げる気候と疾病の問題︵前編︶ 三七
人類気候馴化に於ける気候と疾病の問題︵前編︶ 三八 次に彼は護憲気候馴化に於ける疾病の問題を如何に理解したか。彼は先ず﹁気候の健康に好適なる条件﹂。。鑑鐸びユ黛。剛 黛」 女ルヨ糞ゆ酔。を提示して、㈲源和にして、比較的均一なる照度。㈲土壌の騰る乾燥状態。︹湿度,一和田註︺ω僅かの程度乍 ⑦ ら特殊疾病に罹り易き亙る未知なる風土11身体的素因にあるとする。㈲㈲は気候要素であり、㊨はこれらに対立する入体 側の要素であって、別の個所で彼が﹁人種なるものは或.る疾病に対して或る種の冤疫をもつている。﹂と云うことを意味す る。併しこの主張は﹁熱帯地方に佐んでいる人々は地方灌に対して冤疫となっているという古き繕えは、も早や熱帯医学 の研究蓉に依っては受容れられない。確かに成人は冤疫となっているがこの事は全休として人種については真実でない。 多くの子供たちが嬰児期若しくは幼年期に死亡するのは、白人を熱帯に恒久的に住まわせる事を妨げている疾病と同じ疾 ⑧ 病に罹るからである﹂と否定されている◎ かかる﹁健康に好適なる条件﹂に立脚して見る時に、熱帯は非健康地域となることは云う迄もない。併し乍らフェルキ ンは﹁健康と開蓮して気候を考える場合﹂死亡傘が高くとも、その地の健康的・非健康的問題に影響を及ぼす各.種の猿境 ⑨ を酌観する必要φりとし、就中保健的予防策によってこの高き死亡率は克明され得るとして、疾病の問題を出来る限り、 気候の外へ取幽すことによって、気候作用の正しき意味における理解に近づき、且つ気候の重要因子たることを認めてい る。この事は前章に述べたハントが気候作用の中に疾病をも含めしめることによって、気候の正しからざる理解の上に気 候の重要因子たるを認めた立場とは全然背馳する。併し乍らフ犀ルキンが気候の外へ取出すことの出来なかった部分、即 ち熱帯気候との蓮関に於いてのみ理解せざるを得なかった部分は所謂﹁熱帯風土病﹂であった。彼は当梓、の知識に依って 長期熱帯滞留が罹病を冤れしむる種類の疾病、長期滞留に比例して罹病率が高まる疾病、明かに長期滞留の後に罹病する 疾病とに分類し、それらは彼が記せる如く黄熱病・マラリア∴熱幣覆菓子腫.敦皮病等であって、それらは気候馴化の可 能性との関蓮深き要因として取上げる。併し乍ら﹁此らの疾病に関しては、数年を出ですして予防処置の方法が発蓬する
⑩ かもしれぬ希望への理由がある﹂とその可能性を予期した乙とは卓見と云うべきであろう。 されば彼は一八九一年当時、欧凡の熱帯気候、馴化に成功し得る方法として﹃熱帯高原﹄と云う居住地選択を主張した。 即ち﹁熱帯気候の中に於、ける黒人の恒久的植民地は先ず一定の高度を漏せる地域︹彼の見解によれば、マラリアは海抜約三〇〇 〇沢、黄熱病は一〇〇〇沢以上では夫々毒性を振わなくなる一、−和田註︺に於いて試みらるべきである。その高度は著しく低温と ⑪ 低湿を客人に与えると共に低地、雫原に於けるよりは風土病への重なる冤疫を与えるからだ﹂と云う。併し遺憾乍ら、た とえかかる地域に庫入が気候馴化を蓬成することが出来たとしても、真の意味での熱帯気候鱗化である筈はなく、真の熱 帯気候を回避し、更に熱帯風土病を回避することに達成された見懸け上の熱帯気候馴化であることを思わなければならな い。逆言すれば回避しなければならなかった﹁気候と疾病﹂の閃題は当時にあっては欧人の熱帯気.候馴化に於.ける最大の 要因であったと云うことである。 ︵一九五四・六二一三稿︶ C,y @@@@@@@ @@ 菊90耳著’冑①洋ぎ”O⇔>o。曄暑鉱鶏覧。苧勲ミ職隔海盆ミ吐口’ミ黛偽禽帖ミ9<o巨メHG。⑩ポ℃や①自一①♂・ \騒賊ご℃.⊂鳶密− \騒載ごやの蜜・ \ミ蹴←Ψ武O・ ・ 閑旦。慶弓需コσご㊤臼。︵恥国①暴。嵩低落と︿鷺言雰田家賦8篇居留び亀ぎ算︵一翼三①ロ﹃魯婁窮爵飛3Nミ賜昏ミ職“=翼し。。・りF潟卜。㌦轡㏄G。“一㏄。。鉾 鴨①涛︻炉q㌻ミ♪℃・OO9 ㌧ミ駄ぜ℃・cも器’ 邑︻訴≦o先ず=二口獣コσqけoHご、コさ﹀︵5三三葺k^曾、夢。≦﹃繧寄三一葺ε‘、﹃Q覧8一︸碁角8帥・㍉ミミ城ミ馬出、肉ミ昏b亀ミt感ミ§ひぐ︵︺一.y壱ト♪ ℃●冨7 喝977ヨ=愚零隻掛マ象↑・ \魅ミニ一も・O黛IQ蜜・ 人類なス候馴化に於ける気候と疾病の問題︵前編︶ 三九
⑭ 後記 入類気候馴化に於ける気候と疾病の問題︵前編︶ ㌧魅ミ﹂℃.①饗. 拙稿﹁入類気候馴化に於ける諸要因について﹂ 第一部 人類気候馴化に於ける気候と疾病の聞題︵前編・後編︶ 第二部 人類気候馴化に於ける経済的要因と支化水準の問題 太稿は第一部の前編である。後編⋮は疫根論叢の近廻に、また第二部は地理学評論に寄稿の予定Q 本稿は昭和二十九年度文部省科学研究費に依る各個研究 研究﹂の基礎調査第一報とする。 四〇 ﹁ブラジル特にアマゾン流域に於ける邦人農業移民に関する軽済地理学的