• 検索結果がありません。

ジェレミー・ベンサム:その知的世界への再アプローチ : フィリップ・スコフィールド『功利とデモクラシー』(2006年)をめぐって

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "ジェレミー・ベンサム:その知的世界への再アプローチ : フィリップ・スコフィールド『功利とデモクラシー』(2006年)をめぐって"

Copied!
33
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)研究ノート. . ジェレミー・ベンサム:その知的世界への再アプローチ ──フィリップ・スコフィールド『功利とデモクラシー』(2006 年)をめぐって──. 深貝保則・高島和哉・川名雄一郎・小畑俊太郎・板井広明 I ジェレミー・ベンサム,その思想来歴と波及 1).  .  1. し,これに納得することができなかったのであ る.この体験は,のちの『宣誓すべきではない』 (Swear Not at All, 1817)や『イングランド国教. ジ ェ レ ミ ー・ ベ ン サ ム(Jeremy Bentham,. 会主義とそのカテキズムの検討』 (Church of. 1748-1832)──.モンテスキュー『法の精神』. Englandism and its Catechism Examined, 1818). の刊行の年に生まれブリテンの議会改革の年に. に典型的なアングリカン教義に対する批判的考. 没したこの人物は,その生没年に相応しく,統. 察の起点ともなった.. 治のあり方をめぐって現代に至るまである程度.  事務弁護人とともに公証人組合書記. の影響力を及ぼすほどの思想を提示した.快苦. を 兼 ね て い た 父 ジ ェ レ マ イ ア(Jeremiah. の原理を軸にした功利主義の論理的枠組みを打. Bentham,1712-1792)はかねてより,息子ジェレ. ち出し,それに基づいて法典編纂の作業を飽く. ミーを大法官となるように育てあげたいと期待. ことなく積み重ねるとともに,いわゆる「哲学. をかけた. そこでベンサムは法律家となるべく,. 的急進派」 (philosophic radicals)のグループを. オックスフォードの卒業に先立つ 1763 年から. 回路に 19 世紀前半ブリテンの社会改革に影響. は当時4つあった法学院のひとつであるリンカ. 力を及ぼしたその来歴からは,よかれ悪しかれ. ーンズ・インに身をおいた.しかし彼は弁護士. 首尾一貫した,揺るぎなき言説の持ち主と思わ. としての活動の最初の経験をほとんどおざなり. れがちである.その著作活動はしかし,順調に. に済ませ,法律家としての道を断念する.長き. 成功を収め続けた訳では必ずしもなく,むしろ. 歴史の累積のなかで形成された法を与件とし,. 少なくとも外見上は紆余曲折を辿ったものであ. その解釈と運用の一端を担う仕事のかわりに,. った.. やがてベンサムが志したのは法の枠組みそのも.  大学における学生生活を概して 10 代半ば以. のを提供することであった.ベンサムは 1763. 降の年代に過ごすことが多い 18 世紀中葉のイ. 年末から,オックスフォードにおけるウィリア. ングランドにあっても早熟に,1760 年に 12 歳. ム・ブラックストーンの講義を聴講し,64 年,. 3ヶ月でオックスフォードのクイーンズ・コレ. 65 年にも聴講を続けた.このブラックストー. ッジに入学したベンサムは,入学に際して求め. ンの議論はベンサムから見ると,単にさまざま. られる宣誓をあまりにも若いとの理由で免除さ. な判断の累積のなかに法の基準を求める精彩な. れた.むろん卒業前までにはこの宣誓を求めら. きものと見えた.そこでベンサムは,論理的枠. れることになるのだが,それに先立ってメソデ. 組みに支えられ明文化された法の創出を自らの. ィストの学生が非国教を理由に退学を迫られる という事件を契機に,ベンサムはこの宣誓に対 して著しく懐疑的になった.もとはといえば 国教会(アングリカン)の洗礼を受けたベンサ ムではあった 2).しかし,この事件に際して友 人たちとイングランド国教会の 39 箇条を検討. 1)小論は執筆者相互の討論を踏まえてⅠを深貝, Ⅱを高島,Ⅲを川名,Ⅳを小畑,Ⅴを板井が執筆し, 高島のサポートのもとで深貝が調整を施した. 2)ジェレミー・ベンサムは 1748 年2月にロン ドンに生まれ、オルドゲイトのセント・ボトルフ 教会で洗礼を受けた.. 『エコノミア』第 58 巻第 2 号(2007 年 11 月),25 - 57 頁[Economia Vol. 58 No.2(November 2007),pp.25 - 57].

(2) . 課題とする. ブラックストーンはその講義を 『イ. Principles of Morals and Legislation)の原稿は. ングランド法注釈』という4巻本の書物として. 既に書かれ,1780 年時点で印刷も了えたもの. 刊行したのだが,ベンサムはこれを承けて,批. の製本・出版に進むことなく置かれていたのだ. 判的に検討する注釈を書きためる.1775 年ま. が,とくにほかならぬシェルバーン卿がこの『序. でに書かれたその原稿は,のちに 20 世紀にな. 説』に関心を寄せた.のちの首相ウィリアム・. って刊行された.. ピット( いわゆる小ピット )と知り合ったのも. 3).  1776 年に公刊された初めての著作『統治論. この機会であった.さらに,スイス人のエティ. 断片』 (A Fragment on Government)は匿名によ. エンヌ・デュモンともシェルバーンのもとで会. る刊行が功を奏して,のちにベンサム自身がそ. ったが,この人物はやがて,ベンサムの草稿を. の第2版向けに用意した序文で振り返ったよう. フランス語化して普及する役割を果たすことと. に,とくに著者割り出しをめぐってある程度の. なる.. 関心を集めた. しかし,著者が無名の青年だ.  兄弟のうちただひとり成人した弟サミュエル. と判明するとその反響は急速に冷え込んだ.著. (Samuel Bentham, 1757-1831)は造船の技術を学. 作家としてのデビューの挫折を体験して一旦は. んで,エカテリーナ皇帝のロシア政府のもとで. 失意のうちに過ごしたベンサムではあったが,. 勤務していた.そもそもジェレミーがシェルバ. シェルバーン卿からの誘いにより転機が訪れ. ーン卿と接点を持った最初のきっかけは,卿が. た.1781 年夏にバウッドにあるその邸宅で過. この弟サミュエルのロシア行きへの橋渡し役を. ごすこととなったことが,ベンサムがイングラ. 担ったことにあった.そのサミュエルをクリチ. ンドの統治に関わる多くの知識人・政治家と知. ョフに訪ねた 1786 年からのロシア滞在は,2. 己を得る機会を提供したのである.5) 『道徳お. つの成果をジェレミーにもたらした.『高利の. よび立法の諸原理序説』(An Introduction to the. 擁護』(Defence of Usury, 1787)とパノプティコ. 4). ンの構想とである.まず前者はアダム・スミス 3)William Blackstone, Commentaries on the Laws of England (4 vols., 1764-1769). Jeremy Bentham, A Comment on the Commentaries: a criticism of William Blackstone's Commentaries on the Laws of England, ed. Charles Warren Everett (Oxford: Clarendon Press, 1928). ブラックストーンの著作、 および 20 世紀になってから刊行されたベンサムの 著作のそれぞれに対しては、しばしば『英法釈義』 および『釈義評注』(または, 『注釈の評注』)との 日本語タイトルが充てられる. 4)Preface intended for the second edition of A Fragment on Government, in eds. J.H.Burns and H.L.A.Hart, A Comment on the Commentaries and A Fragment on Government: The Collected Works of Jeremy Bentham (London:University of London, The Athlone Press, 1977), 504f. この著作集序文で紹介さ れているように (xxxii-xxxiii)、『統治論断片』の第 2版向けの序文は 1822 年夏に書かれたものの 1823 年刊行の第 2 版には収録されることなく、1838 年 のバウリング版著作集の第1巻により初めて公刊 された. 5)『統治論断片』刊行からバウッド滞在に至る 一連の経緯について、土屋恵一郎『ベンサムとい う男』 (青土社、1993 年)はベンサムの心理状態に も踏み込んで描き出している.. 宛の形で書かれた 13 通の書簡からなり,利子 の上限を法律で取り締まることの不適切さを告 発したものである.一種の公開討論の心積りで 1787 年に刊行されたこの書物はスミスのもと にも届けられたが,肝心の晩年のスミスは内容 上の反応をする余力がなく,代わりに『国富論』 の改訂版をベンサムに贈った.いまひとつのパ ノプティコンは,刑務所改革のプランである. ダニエル・デフォーの小説『モル・フランダース』 が描いたように,18 世紀半ばまでのイングラ ンドにとってはアメリカ大陸東岸のニュー・イ ングランドが犯罪人の流刑地の機能をも果たし ていた.しかしアメリカの独立によって,犯罪 人の更生を図るうえでの代替機能をアイルラン ドに委ねる必要があるとの議論が浮上するなか で,パノプティコンのアイデアが世に出るチャ ンスを得た.1791 年に『パノプティコン』が 刊行されるにあたって最初の出版地がダブリン であったのには,この経緯があずかっている..

(3) . 時の首相ウィリアム・ピットもこのプランに関.  ベンサムは『序説』以降,その具体化として. 心を示すなかで,ベンサムは法案作成の下作業. の法典編纂をはじめとする膨大な著作を書き進. を行ない,建設資金の提供も申し出た.しかし. めた.一旦は下院議員になることを試みたもの. ロンドンにおける建設予定地たるべき場所の地. の不首尾におわり,その後は執筆に主たるエネ. 権者である貴族の非協力に直面し,さらには対. ルギーを注ぎ続けた.もともとベンサムは,自. 仏干渉からナポレオン戦争に至る一連の経緯. らの功利主義的な枠組みに沿う「よき統治」の. のもと,パノプティコンの構想は 1813 年に至. 意味を既存の政治の担い手たちが理解し,その. るまで棚ざらしとなって挫折した. パノプテ. 推進者の役割を果たすことを期待したようであ. ィコンを整備する計画が頓挫するうちに,1810. る.1771 年のシェルバーン卿の邸宅における. 年代以降はオーストラリアがブリテンの流刑地. 出会いを回路にウィリアム・ピットともコネク. としての機能を担うことになる.1830 年前後. ションを築いたのであったから,この期待にも. になるとオーストラリアのニュー・サウス・ウ. 一理ある.しかしベンサムはやがて,既存の. ェールズ経営を改革することが,組織的植民論. 利益を守るシニスター・インタレスト(sinister. の登場と連動して政治的論争テーマのひとつに. interest)に対しての批判的な眼差しを培ってい. 浮上した.ウェイクフィールド,ホートン,ト. く.ちなみに,ベンサムのデモクラットつまり. レンズらによって議論が展開され,晩年のベン. 民主主義的立場への転換の理由を何に求め, 「デ. サムもこの問題に発言を行なう.. モクラット」の立場へのベンサムの転換,転向.  さて,遡ることになるが,1780 年に印刷を. ないしは回心(conversion)の画期 8)をいつに定. 了えた『道徳および立法の諸原理序説』は,そ. めるのかという問題は,今日に至るまでベンサ. の時点での刊行は差し控えられた.1782 年6. ム解釈上の論争点のひとつである.. 月にアシュバートン卿(庶民院議員のダニング).  . 宛の手紙で書き送ったように,ベンサムは人間. 2. 6). 性把握と法の目的とを繋ぐ基礎原理としての.  ベンサムの思想は 1820 年代以降,二重に普. 『序説』と立法の基本骨格を示す『立法の原理』. 及の回路を獲得することになる.まず,ベンサ. との関連づけを深めつつ,『序説』をすくなく. ムの統治に関する思想に共鳴した者たちは,庶. とも「間接立法」に関する考察と併せて刊行し. 民院の議員として,また言論界において,この. ようと考えたのである. しかし,後者がさし. メッセージを伝えていくこととなった.のちに. て進捗しないうちに刊行されたウィリアム・ペ. エリィー・アレヴィーの著作のタイトルによ. イリーの『道徳および政治哲学の諸原理』 (1785). って広く知られるようになったように,ベン. 7). は,神の摂理のもとでの人間の幸福の実現を快 苦と関連づけて説明しており,神の論理の有無 を別とすればベンサムの『序説』と類似な要素 を持っていた.ちなみにちょうどその年に勃発 したフランス革命(1789 年)は,伝統的な政治 的な秩序に対して権利もしくは人権を軸とした 代替案を打ち出す点で,功利,幸福を軸に社会 存立の基盤を説明するベンサムの『序説』とは 異なる方向にあった.おそらく,自らの独創が いささか損われかねない状況に追い立てられる かのように,ベンサムは『序説』を 1789 年に なって初めて刊行した.. 6)一連の経緯について,永井義雄『イギリス思 想叢書 7 ベンサム』研究社,2003 年,204 ページ 以下. 7)The Correspondence of Jeremy Bentham, vol.3, ed. Ian R. Christie (London: Athrone Press,1971), 123-28. 8)ベンサムの立場の転換をめぐって、しばしば conversion と表現されることがあり、小論で検討 するスコフィールドの著書でもこの表現が採用さ れている.この用語はもともと、宗教上の「回心」 という強い意味を持つが、スコフィールドの著書 ではこの意味を含んでいない.政治的立場の「転向」 という表現では伝統的な日本語の語感としてネガ ティヴな印象を伴うので、以下ではいささか曖昧 さはあるものの、おおむね「転換」の語を当てる..

(4) . サムの後継者たちは一括して「哲学的急進派」. 行ない,法典化自体は実現に至らなかったもの. (philosophic radicals)もしくは「哲学的急進主. の,ある程度の影響力を及ぼした.ついでなが. 義」 (philosophic radicalism)の名のもとに呼ば. ら時期を隔ててからのこととなるが,明治維新. れることが多い.9)その含意は,名誉革命体制. 後の極東のこの国においても,近代的な法制度. 以来の統治の枠組みを大胆に変えるという意味. の一環として,ベンサムの枠組みで刑法を用意. で「急進的」であり, 『道徳および立法の諸原. する素案まで練られた.. 理序説』を抽象的な一般原理としつつそのロジ.  ベンサムは自らの思想を後世に伝えるために. ックに沿って具体化を図るという意味で「哲学. オート・イコン(Auto-Icon)という偶像を残すア. 的」だということにある.10) ベンサムは 1832. イデアを提示し,自らそれを実行に移した.ミ. 年6月6日に没した.それは,その統治機構改. イラ造りのオート・イコンは──頭部の腐食に. 革の動きがひとまず達成されるいわゆる議会改. より取り替えが施され,その頭部はしばらくの. 革の実現直前であったが,この一連の動きはそ. 間は本体の脇に置かれていたが今はとりのけら. の後,社会改革のうねりとして影響を残す.そ. れている──生前の姿を伝えるものとして今日. の中心的な人物の一人がエドウィン・チャドウ. なお,ユニヴァーシティ・コレッジ・ロンドン. ィックであり,若きチャドウィックが『ロンド. に座している.ベンサムの著作はその遺言執行. ン・レヴュー』誌上で 1829 年に書いた「予防. 人ジョン・バウリング(John Bowring)によっ. 警察論」が両者を結びつけたのであった.ベン. て 11 巻本の著作集に編纂され,1839 年から 43. サムの死後,チャドウィックは 1834 年の救貧. 年にかけて刊行された.またその思想の概要は. 法改革から 40 年代初頭の公衆衛生改革に連な. ジョン・H. バートンによってダイジェスト化さ. るうねりにおいても重要な役割を果たした.. 11) れ,波及の役割の一端を担った. さらに思想.  また,ブリテン内部における影響の拡大と並. 界においてより重要なこととして,ベンサムは. んで,国際的な展開もみられた.1780 年代に. その功利主義思想を押し広める極めて重要な人. シェルバーン卿の邸宅で出会ったスイス人エテ. 物を獲得した.1800 年代初頭において熱心なベ. ィエンヌ・デュモンは,ベンサム自身は仕上げ. ンサムかぶれとなったジェームズ・ミルはその. ることのなかった『立法の原理』についてその. 長男を,幼少期からベンサマイトたるべく徹底. 草稿をもとに編纂してフランス語版として刊行. した教育を施したが,こうして育てあげられた. したのをはじめ,ベンサムの著作をフランス語. 人物こそ,ジョン・ステュアート・ミルである.. で刊行した.このフランス語版を介して,ベン.  しかしながら 1840 年代までにおいて,当の. サムの思想はギリシアやスペイン,中南米など. ブリテンではベンサムの思想の影響力の波及. に広まる.そしてベンサム自身 1820 年前後か. に対して反発も多く現われた.急激な産業化. らスペインや南米諸国などに対して「世界の立. や都市化がもたらす弊害,とりわけ社会的な絆. 法者」として憲法典を寄草する旨の働きかけを. の疲弊に対して批判的なロマン主義的な思想の. 9)「哲学的急進派」という用語は 1830 年代初頭 には『エクザミナー』誌上などで登場し始め、「ベ ンサム派」(Benthamite) と並置されることが多か った. 10)アレヴィーの著作と並んで近年ではウィリ ア ム・ ト ー マ ス が、 こ の グ ル ー プ を 主 題 的 に 取 り扱っている.William Thomas, The Philosophic Radicals: nine studies in theor y and practice, 1817-1841 (Oxford:Clarendon Press, 1979).. 11)The Works of Jeremy Bentham(11 vols., Edinburgh: William Tait, 1838-1843)published under the superintendence of his executor, John Bowring. John Hill Burton (ed.), Benthamiana: or, selected extracts from the works of Jeremy Bentham (Edinburgh: William Tait, 1843) . 全 11 巻からなるバ ウリング版著作集が完結した年に刊行されたバー トン編の『ベンサミアーナ』は、バウリングに捧 げられている..

(5) . 波及のもとで,快苦によって幸福を定義するベ. えられるようになる.14). ンサムの枠組みはしばしば批判,嘲笑の対象と.  また,倫理的な枠組みにおいてはシジウィッ. された.たとえばトマス・カーライルは『サタ. クの整理がある.ベンサムの功利主義に対して. ー・リザータス( 衣服哲学 ) 』のなかで,ベン. 修正を加えたミルの検討を受けた後に,シジ. サムの思想を「利益損失哲学」(Profit-and-Loss. ウィックは『倫理学の方法』 (Henr y Sidgwick,. Philosophy)と表現して揶揄した. 『功利主義. Methods of Ethics, 1874)において,倫理学説を3. 論』における J.S. ミルの整理によると,ベンサ. 類型に分けて論じる.そこでは利己主義,直覚. ムによって枠組みを与えられた功利主義の思想. 主義,功利主義の3つを挙げている.素朴に快. は,一方では人間を単に快楽計算機械として捉. 苦で動く枠組みである限り,ベンサムは第1番. える思想だと受け止められ,他方では,全体の. 目の利己主義の枠組みに当てはまりそうではあ. 利益を勘案することを日常の人々にまでも求め. るものの,社会的な望ましさを社会全体にとっ. るような無理難題を押しつける思想だと捉えら. ての幸福に求める点で3番目の功利主義に対応. れていたという.13). したものとして特徴づけることが可能で,シジ.  . ウィックはベンサムの取り扱いについてナイー. 3. ヴである..  おおむね 1870 年代以降になるとベンサムの.  このように経済学や倫理学において,ベンサ. 思想は,社会改革のプログラムへの応用や人間. ムの思想を自らの枠組みにおいてどのように受. 観をめぐる反発というそれまでのパターンとは. け止め,組み替えるのかが 19 世紀末までの議. 異なり,理論的含意や倫理的基礎づけを問うと. 論のスタイルであった.これが大きく変容を. いう作業の俎上に載せられることになった.ま. 被ったのが 20 世紀初頭である.一方ではダイ. ず経済学の領域において,1871 年のジェヴォ. シーが『法律と世論』 (A.V. Dicey, Lectures on the. ンズ『経済学の理論』により,快楽−苦痛原理. Relation between Law and Public Opinion in England during the Nineteenth Century, 1905)において,. 12). に沿って財の価値の説明が行なわれるようにな った.限界効用逓減論として知られるジェヴォ ンズの基数的な効用関数の定義は,エッジワー ス『数理的精神科学』 (1881 年 )において序数 的な効用関数に置き換えられる.さらにエッジ ワースにおいては,厚生の改善のためのプログ ラムの基礎になりうる「功利主義」的解釈が与 12)Thomas Carlyle, Sartor Resartus: The Life and Opinions of Herr Teufelsdroeckh, 1838, in ed. Henry Duff Traill, The Centenary Edition of the Works of Thomas Carlyle (London:Chapman and Hall, 1896), vol. 1, 129. 13)John Stuart Mill, Utilitarianism, 1863, Chapter 2. ミル自身は、功利主義に対しての両極の「誤解」 を解きほぐすことを『功利主義論』の課題のひと つとして引き受けることとなった. 14) こ の 側 面 に 関 し て は、 た と え ば John Bonner, Economic Efficiency and Social Justice: the development of utilitarian ideas in economics from Bentham to Edgewor th (Aldershot: Edward Elgar Pub., 1995) が整理している.. 1870 年代を画期にブリテンの統治をめぐって の段階的な相違を特徴づけ,個人主義的ベンサ ム主義的な枠組みから集産主義(Collectivism) への切り替わりとして整理した.ここには,19 世紀を彩る思想傾向と社会的雰囲気を特徴づけ るひとつとして,ベンサム(派)を位置づけ る見方が示されているのである.また,エリィ ー・アレヴィーの『哲学的急進主義の成立』の 著作がフランス語版で出され(1901 年 ) ,これ は 1928 年に英訳された.ベンサム,ジェーム ズ・ミル,J.S. ミルを考察した評伝的なレズリ ー・スティーヴンと並んで,15)アレヴィーの議. 15)Dictionary of National Biography の編纂で 知られるレズリー・スティーヴンは『イングラン ドの功利主義者たち』(Leslie Stephen, The English Utilitarians, 3 vols., 1900) において、ベンサム、ジ ェームズ・ミル、J.S. ミルを順次取り上げた..

(6) . 論は,思想史的な特徴づけのもとでベンサムを. の『著作集』はベンサムのマニュスクリプトの. 扱うスタイルの登場を意味していたのである.. 取り扱いにおいてしばしば混乱がみられ,17)さ. さらに 20 世紀初頭において,思想史の対象と. らに膨大なマニュスクリプトに比して収録範囲. してベンサムを扱う動きと並んで,より根本的. は極めて限られたものであった.その後,1930. には,功利主義の論理的基盤を突き崩す議論が. 年代初頭にはミルンによってユニヴァーシテ. 登場したことが重要である.「自然主義的誤謬」. ィ・コレッジ・ロンドン所蔵のマニュスクリプ. として知られる G.E. ムーアによる批判がこれ. トのカタログが整理された.18)またオグデンに. に該当する.16). よる言語論関連著作の整理やスタークによる.  思想史上の系譜のなかにベンサムを位置づ. 『経済学著作集』の編纂など,内容と並んで資. ける一群の考察が 20 世紀初頭に差しかけて登. 料的な開拓が 1950 年代前半までにおいて進め. 場したのとは対照的に,20 世紀半ばになると,. られた.1960 年代後半以降,ユニヴァーシティ・. およそ近代の特質を描き出すための象徴の一つ. コレッジ・ロンドンのベンサム・プロジェクト. としてベンサムを取り上げる議論が登場する.. を中心に,新たな『著作集』と『書簡集』が編. ハイエクとフーコーとがその代表例である.ハ. 集されている.14 巻からなる『書簡集』は間. イエクはサン・シモンを標的とした『科学によ. もなく完結が見込まれるのに対して, 『著作集』. る反革命』などにおいて,全体主義的,設計主. の側はいまだ完結の見通しなどを語るにはほど. 義的な特質を持つ思想の側にベンサムを位置づ. 遠い段階である.とはいえ,この文献的な整備. けた.また,ミッシェル・フーコーは『監獄の. の進行も手伝ってベンサムの思想そのものにつ. 誕生』において,ベンサムのパノプティコンの. いて新たなアプローチが展開している.. アイデアを取り上げ,管理型社会に連なる見方.  ベンサムの伝記的な事実についてはバウリン. としてシニカルに取り扱った.. グ版『著作集』の第 10 巻全体と第 11 巻前半に,.  . ベンサムの伝記的な整理が与えられている.こ. 4. れはバウリングがベンサムからの聞き語りをも.  ジェレミー・ベンサムが書き残した膨大な著. とに年代順に配列しつつ,ベンサムの往復書簡. 作は,19 世紀前半に,その遺言執行人のジョン・. を活用する形で整理した伝記である.しかしこ. バウリングの手により 11 巻本の『ジェレミー・. の伝記においては土屋恵一郎が指摘するよう. ベンサム著作集』として刊行された.しかしそ. に,ベンサム自身が回避しあるいはバウリング が封印した事実が隠されている.19)これに対し. 16)ムーアは『倫理学原理』(1903 年)の第1章 第 14 節において、ベンサムをターゲットに「自然 主義的誤謬」(naturalistic fallacy)を批判している. そこでの議論は、シジウィックの整理するベンサ ム論を経由してベンサムを批判するという形を取 っているので、いささか込み入っている. 17) た と え ば 経 済 学 関 連 の 著 作 で、 の ち に ス タ ー ク 版『 経 済 学 著 作 集 』 に お い て Manual of Political Economy と Institute of Political Economy と に整理され直す複数のマニスクリプト群が、ひと まとめに扱われていた. 18)A. Taylor Milne, Catalogue of the Manuscripts of Jeremy Bentham in the Library of University College London, 1937. 19)土屋恵一郎『ベンサムという男』 ,50 ページ 以下など.. て最近完結した『書簡集』を活用することによ り,ベンサムの伝記的な事実および思想遍歴に ついてより正確な様子を掴み取ることが可能と なった.マックによるベンサムの前半生を扱っ た伝記とともに, 『書簡集』各巻冒頭に添えら れた編者序文の年代記的な整理を手がかりにし つつ,バウリングの手による伝記の記述に軌道 修正を加え,さらに『書簡集』を該当する時点 にはめ込んで読むことにより,従来に比べて飛 躍的に正確な度合いでベンサムの思想遍歴や人 的交流を窺い知ることができるのである.  20 世紀半ばまでにおいて,ジェレミー・ベ ンサムの思想は両極端のイメージのなかにおか.

(7) . れていたといってよい.アレヴィーの『哲学的. 刊行した.20)『著作集』の編集を進める中心人. 急進主義の成立』などベンサムに好意的な整理. 物に相応しい緻密な考証に支えられるととも. を別として,一方ではベンサムが非常に徹底し. に,ベンサムの思想の展開をめぐる斬新な議論. た素朴な個人主義的快楽主義の持ち主としてし. も多く提示している.. ばしば扱われた.他方では,全体主義的,設計.  小論の執筆者5名は他の数人の協力を得な. 主義的なベンサム・イメージも,とくにハイエ. がら,スコフィールド『功利とデモクラシー』. クやフーコーの解釈によって広まった.このよ. の 検 討 を 2007 年 4 月 に 2 回 に 分 け て 行 な っ. うな両極のベンサム評価という状況のもとで,. た.1994 年の東京での国際功利主義学会大会. 1980 年前後以降,徐々に変化が生まれてきた.. (ISUS)の開催以来,深貝は永井義雄,音無通宏,. その基礎的な条件としては,新たなる『著作集』. 有江大介をはじめとする研究者たちと協力しな. や『書簡集』の刊行といった文献的事情の改善. がらスコフィールドを招聘する機会を数回持っ. がある.これと並んで,ハートらによる法哲学. た.また,スコフィールドとの相談によりベン. 的な議論のなかで功利主義の論理的再構成を見. サムの経済思想を検討するコロキアムを主催し. 直す理論など以降,ベンサム像のバランスをと. た.21)他の4名の執筆者はベンサムをはじめと. る試みが進んでいる.たとえば,期待と安全を. した功利主義研究を進めるにあたってロンドン. 重視してベンサムの議論を特徴づけるディンウ. のベンサム・プロジェクトを訪ね,あるいは来. ィディ,この特徴づけを分配的正義論の主題に. 日の折にアドヴァイスを受けた.パーソナルと. 活かして整理するケリー,代議制統治論の枠組. もいえる関わりにもまして,内容面でみて,ス. みに着目してベンサムの政治思想を特徴づける. コフィールドの『功利とデモクラシー』を立ち. ローゼンらによって,ベンサムの思想史的研究. 入って検討する意味があると考えた.1980 年. は近年,飛躍的な展開を見せている.. 代以降のベンサム解釈の新たな進展のなかで,.  . とくに資料的開拓の成果を活かす形でベンサム. 5. の知的世界を改めて掘り起こしていくという観.  ユニヴァーシティ・コレッジ・ロンドンにお. 点から,この著作は今後のこの領域の研究にお. ける新たな『ベンサム著作集』の編集総括の役. いて活かされるべきものであると考えられるか. 割は,ジェームズ・バーンズ,ジョン・ディン. らである.. ウィディ,フレッド・ローゼンに引き続いて,.  この著作は次のように構成されている.. 現在はフィリップ・スコフィールドによって担.  . われている.ベンサムの手書き文書についての.  1.. Real and Fictitious Entities. 達人的な解読とともに緻密なテクスト解釈で定.  2.. The Principle of Utility. 評のあるスコフィールドは,この度『功利とデ.  3.. Natural Law and Natural Rights. モクラシー─ジェレミー・ベンサムの政治思想.  4.. The French Revolution. ─』( オックスフォード大学出版局,2006 年 )を.  5.. The Emergence of Sinister Interest.  6.. Parliamentary Reform.  7.. The Church.  8.. Colonies and Constitutional Law.  9.. Codification, Constitutional law, and. 20)Philip Schofield, Utility and Democracy: The Political Thought of Jeremy Bentham (NewYork: Oxford University Press, 2006), 12+370pp. 以下で はこの書物の引用については、単に括弧書きで引 用ページを示す. 21)Colloquium on the Economic Thought of Jeremy Bentham, Januar y 26-27, 2002, Tokyo Metropolitan University など.. Republicanism  10.. Publicity, Responsibility, and the Architecture of Government.  11. The Antidote to Sinister Interest:.

(8) . Official Aptitude. コフィールドによるアプローチの特質に配慮し.  12.. The Politics of Law Reform. ながら,個別の論点に立ち入ってみていこう..  13.. Last Things. スコフィールドの議論をいくつかの章ごとに紹.  . 介しつつ,ベンサム解釈の可能性をめぐってコ.  この書物の特徴は,ベンサムの著作活動を草. メントを加えるというパターンで議論を進め. 稿にまで立ち入って活用しながら再現している. る.. ことにあるのだが,そしてまた伝記的なベンサ. II エンティティ理論と功利の原理. ムの活躍と結びつけていることにも特徴が見ら れるのだが,それとともに,ある種の論理的構. 1. 成を備えている.第1章から第3章までにかけ.  1932 年,C.K. オグデンは研究史上初めてベ. て,統治を支えるための功利の原理をエンティ. ンサムの言語論の哲学的価値に注目し,ラッセ. ティ論という概念的な把握を土台として提示す. ルらの記号論理学の発想を先取りする理論とし. ることに力点が置かれる.ベンサムの功利主義. て,また,ファイヒンガーの虚構主義哲学を補. 的枠組みは,思想の系譜としてみた場合にブラ. 完しうる理論としてそれを評価した.22)その後. ックストーン流の自然法思想やフランス革命に. もマック,ハート,ハリソン,ポステマらによ. 体現された自然権論と対抗的であった.そこで. って,ベンサム思想体系における言語論の基底. 第3章をステップに,18 世紀末から 19 世紀初. 的役割が注目され,とりわけ法理論との関係性. 頭にかけてのイングランド,もしくはブリテン. という視座からその解明が進められてきた.23). の統治をめぐるせめぎ合いのなかでのベンサム. しかし従来の研究は,ベンサムの言語論あるい. の固有性を明らかにするという手順がとられ. はそれを包摂する論理学そのものの解明に関し. る.第4章でベンサムのフランス革命を論じつ. て十分包括的でなかったり,法理論との関係性. つ,以下第7章にかけて,統治をめぐっての従. という局所的な議論にとどまっていたりする点. 前の仕組みとこれに対しての改革プランを,世. で不満が残るものであった.そうした研究動向. 俗の議会と精神世界の教会の両面において検討. に照らしてみれば,スコフィールドの研究書の. を及ぼす.そして,とくにラテン語圏の諸国に. 重要な成果の一つは,言語論を核とするベンサ. むけて代替的な統治の枠組みの提言を行なうベ. ムの論理学が,存在論,認識論,心理学等をも. ンサムの営為を取り上げたのが第8章以降であ. 包摂した哲学理論として,功利の原理と並んで. る.そこではさらに,植民や公開性などとの関. (あるいはまた功利の原理へのコミットメントをも. わりで,立憲をいかに担うのかをめぐるベンサ. 支えるかたちで) ,終始一貫して彼の思想体系の. ムの理論の特質について焦点が当てられる.以. 基礎をなしている点を説得的に示したことに存. 下では,ベンサムの思想的枠組みについてのス 22)C.K. Ogden, Bentham's Theor y of Fictions (London:Kegan Paul, 1932). 23)M. P. Mack, Jeremy Bentham: An Odyssey of Ideas 1748-92 (London:Heinemann Education Books Ltd, 1962),ch.4: H.L.A. Har t, Essays on Bentham: Studies in Jurispr udence and Political Theor y (Oxford:Clarendon Press, 1982),introduction and ch.6: R. Harrison, Bentham (London:Routledge & Kegan Paul, 1983), ch.2,3,4: G.J. Postema, Bentham and the Common Law Tradition (Oxford:Clarendon Press, 1986), ch.8,9.. 24)以下、「エンティティ理論」と略記. 25)「現実的エンティティ」(real entity)と「虚 構的エンティティ」 (fictitious entity)の区別につ いて、ベンサムは次のように述べている. 「現実的 エンティティとは、それについて語る場合、また 語るために、それが真に存在すると考えられてい るもの (entity) である.虚構的エンティティとは、 それについて語るうえで使用される言説の文法形 式によって存在が帰せられているものの、実際に は存在しないと考えられているもの (entity) であ る」 (J. Bentham, De L’ontologie et autres texts sur les fictions, ed. P. Schofield, trans. J.P. Cléro and C. Laval (Paris : Le Seuil, 1997), 164)..

(9) . する.そして,本書のそうした主張は,冒頭第. 議論を展開している.エンティティ理論の基礎. 1章で言語論を,第2章で功利の原理を論じる. に,幽霊や悪魔の存在に過剰な恐怖心を抱いた. ことにより,ベンサム思想の哲学的基礎をまず. 幼少期の経験が横たわっている可能性を指摘し. 闡明しようとするその章立てにも反映されてい. たのはオグデンだが,26)スコフィールドはその. る.. 仮説をさらに発展させ,ベンサムは,そうした.  言語論を扱った第1章が「現実的および虚構. 恐怖心の克服を企図した内省と,ロックの『人. 的エンティティ」と題されている点は注意を要. 間知性論』との出会いを通じて,オックスフォ. する.オグデン以来,ベンサムの言語論は一般. ード入学以前に「現実的エンティティ」と「虚. に「フィクションの理論」と称されてきた.し. 構的エンティティ」の区別に関する洞察をすで. かしこの呼称は, 「誤った命題」を意味する「フ. に得ていた可能性があるという(7) .その論拠. ィクション」と, 「語の指示対象ではあるが物. の一つとして彼は,ベンサムがオックスフォー. 理的に実在しないもの」を意味する「虚構的エ. ド入学以前から,ロック以来ウィッグの自然法. ンティティ」との区別を曖昧にしてしまうた. 学者たちが名誉革命体制の正当化に用いてき. め,「フィクションの理論」に代えて「現実的. た「原始契約」概念を,フィクションにすぎな. および虚構的エンティティの理論」という呼称. いという理由で拒否していた点を挙げる.27)ま. を用いるべきだというのがスコフィールドの. た,1765 年,学位取得のために国教会の教義. 提案である(2n.) .25)そしてこの提案によって. である 39 箇条への署名を強制された際にベン. スコフィールドは,ベンサムのいわゆる言語論. サムが味わったとされる精神的苦痛も,エンテ. が,まずもって存在論であり,同時に一定の認. ィティ理論の核心をなす上記の洞察に起因する. 識論的立場を表明する理論でもあるという意味. ものであるという.この議論の当否はともかく,. で,彼の思想体系の根幹に位置する哲学理論で. 1770 年代前半に弟サミュエルに数学を教授す. あるということを適切にも示唆しているのであ. る過程でエンティティ理論を構成する主要な諸. る.. 観念が発展を遂げ, 『統治論断片』出版の時期.  . までにはこの理論はほぼ完成していたという指. 2. 摘(7-8),さらに,ベンサムがヒュームによる.  第1章冒頭でスコフィールドは,ベンサムが. 功利の原理の説明に欠陥を見出し,それを「最. 明確に功利の原理にコミットし始めた 1769 年. 大多数の最大幸福」という定式の採用によって,. 以前に,すでにエンティティ理論の主要な要素. また,功利を幸福に,幸福を快苦に,快苦を善. は確立されていた可能性があるとする興味深い. 悪に関連づけて説明する「言い換え」という手. 24). 法によって克服しうると信じたのは,エンティ ティ理論にもとづく洞察ゆえであるという指摘 26)C.K. Ogden, Bentham's Theor y of Fictions, xi-xvi. 27)ベンサムは『統治論断片』において、原始 契約というフィクションが有用であった時代は過 ぎ去ったと述べている.国家への服従義務は直接 的に功利の原理によって基礎づけられるのであり、 「人類の破壊できない特権」、すなわち人民が統治 者に対して彼らの幸福に資するような仕方で統治 することを要求する権利は「フィクションという 砂のようにもろい基礎に支えられる必要はない」 というのが、彼の原始契約説批判の要点であった (J. Bentham, A Comment on the Commentaries and A Fragment on Government, 439-41).. 28)ベンサムは、なされるべきこと (something to be done) はすべてアートの主題たりうるし、知 られるべきこと (something to be known) はすべて 科学の主題たりうると述べている.また、なされ るべきことがあるところには必ず知られるべきこ とがある以上、アートと科学は本質的に不可分で あり、その意味で論理学もアートであると同時に 科学であると述べている(J. Bentham,“Essay on Logic”, in The Works of Jeremy Bentham, vol. viii, 218, 240)..

(10) . (9)は,論拠も豊富であり説得的である.. 上,実在するものと実在しないものの区別を曖.  スコフィールドによれば,ベンサムにとって,. 昧にしてしまうこと,さらには言語および思考. あらゆるアート・科学は「善き生」 (well-being). にとって,そうした実在しないものを指示する. を目的とする「幸福学」 (Eudaemonics)の一. 語や観念もまた必要不可欠であることから混. 部をなし,その点「思考のアート」と規定され. 乱が生じていると考えた.それゆえ彼は,実. る論理学も例外ではなかった(10-1) .. 在しないもの,すなわち「虚構的エンティテ. 28). また,. 言語は思考の伝達手段であるだけでなく,思考. ィ」を指示対象とする語の分析方法として,2. を生み出す道具でもあり,人間精神のほとんど. つの相補的な方法,「言い換え」(paraphrasis &. すべての活動が言語に依拠していると考えられ. phraseoplerosis)と「原型化」 (archetypation). ていた(11-2).さらに,善き生は思考の適切さ. を考案する.それらはいずれも, 「虚構的エン. に依拠し,思考の適切さは言語の適切さに依拠. ティティ」の意味および起源を「現実的エンテ. すると考えられていたがゆえに, 論理学こそ「人. ィティ」との関係性を通じて解明しようとする. 間の思考と行動の全領域」に関わるアートとみ. 試みであった.そして,そうした解明を拒む「虚. なされ,言語が必然的にその中心主題となった. 構的エンティティ」を主題とする命題は,空想. (12-3) .この論理学の中核をなすのがエンティ. が生み出したフィクションであり,虚偽にほ. ティ理論であり,その基礎には,語の指示対象. かならないというわけである.ところで上述の. に関する「現実的エンティティ」と「虚構的エ. ように,実在するものと実在しないものの区別. ンティティ」の区別があるわけだが, 「現実的. が究極的には個人間で相違しうる主観的信念の. エンティティ」はさらに「知覚可能なエンティ. 問題にすぎないとすれば,実在世界とは関係を. ティ」と「推論的エンティティ」に分類される.. 有さないフィクションを排除すること自体不可. 「推論的エンティティ」とは,知覚に基づいて. 能な企てではなかろうか.だがスコフィールド. その存在が推論されうるもののことであり,そ. によれば,ベンサムの理論はそうした認識論上. の具体例としてベンサムは「神」や「魂」を挙. の相対主義を免れている.つまり,各種事物の. げる.しかるに一方で,そうした推論に納得し. 実在に関する信念は,その信念の保持が快楽の. ない人々にとって, 「神」は「非実体」 (non-entity). 増大や苦痛の回避に寄与するか否かによってそ. であり,「魂」は「虚構的エンティティ」であ. の真偽を検証しうる.そして,ある信念が快楽. るとされる.この点についてスコフィールドは,. の増大に寄与するとすれば,それはその信念が. ベンサムがエンティティの分類に関して主観主. 物理世界のリアリティに合致している証拠であ. 義的な立場をとっていたこと,また,その前提. り,かくしてベンサムの存在論において真理と. として「あらゆる言説の直接的主題は発話者の. 功利は調和するのだという(20).また,快苦. 精神の状態である」 (18)と考えていたことを. こそ人間が直接的にその存在を知覚しうる「現. 指摘する.そして,ドグマティズムと不寛容を. 実的エンティティ」であるがゆえに,ベンサム. 科学の敵とみなすベンサムの可謬主義的科学観. の存在論は自然主義的な基礎づけを有している. を支えていたのが,何よりもこの存在論的・認. とスコフィールドは評価する(27).. 識論的主観主義であった点を明らかにしている.  . (20) .. 3.  スコフィールドの解釈によれば,ベンサムの.  以上のようなエンティティ理論が,ベンサム. 言語論は,真理を虚偽から,物理的事実を空想. のなかで,功利の原理へのコミットメントに先. の産物から区別するために,言語と実在世界. 立って確立されていた可能性を指摘するスコフ. の対応関係を正確に理解することを目指す理. ィールドの議論は,第2章で功利の原理,およ. 論である(14).ベンサムは,言語がその構造. び快楽主義心理学に焦点が当てられるに至っ.

(11) . て,より説得力を増す.まず「功利の原理」に.  実際,ベンサムにとって,道徳と心理学は快. ついてみれば,この特定の道徳原理をあらわす. 苦という認識論的基礎を共有しているばかりで. 名称そのものが,エンティティ理論の観点から,. なく,いわば同一平面上で地続きにつながって. 「虚構的エンティティ」を指示対象とする言葉. おり,規範的言明と事実的言明の間に概念的区. とみなされる.それゆえスコフィールドによれ. 別は存在しないというのがスコフィールドの解. ば,ベンサムは功利の原理に関し, 『統治論断片』. 釈である.たとえばベンサムは『序説』のなか. では明示的に, 『序説』では暗黙裡に「言い換. で,立法者にとって快苦は目的因であると同時. え」の手法に訴えて,その意味内容を説明しよ. に作用因であると主張する.というのも,社会. うとしている(28-9) .また,ベンサムが「共感. 全体の快楽の最大化・苦痛の最小化こそ立法者. と反感の原理」 (the principle of sympathy and. の目的であり,その目的の達成に用いられるべ. antipathy)─この名称のもとに, 「禁欲主義の原理」. き手段も(人々の動機として作用する)快苦に. (the principle of asceticism)を除く,あらゆる対抗. ほかならないからである.それゆえベンサムは. 原理が包摂される ─に対する功利の原理の優越. また,快苦の力(force)を理解することが立法. 性は,それが善悪の基準として客観的尺度を提. 者の務めであると述べた後,快苦の力とは,別. 示している点に存すると主張したことはよく知. の観点から見れば,快苦の価値(value)のこ. られているが,スコフィールドの解釈によれば,. とであると述べている.スコフィールドはこの. この利点の意味するところは,功利の原理の意. 点に,ベンサムにおける心理学と道徳の間の相. 味内容が快苦という「現実的エンティティ」と. 即不離の関係が端的に示されていると指摘する. の関係に基づいて明確に理解可能であること,. (37) .すなわち,ある行為に付随する快苦の力. それゆえ,功利の原理に依拠した道徳判断の真. (ある人間への動機としての作用力)は, 「強度」 ,. 偽は,物理世界への参照によって客観的に検証. 「持続性」 ,「確実性」, 「近接性」といった尺度. されうるということにほかならなかった(47) .. に基づき量的に把握され,一つの心理学的事実. こうしてベンサムによる功利の原理の説明,お. を構成するが,そこに「範囲( その行為によっ. よび道徳原理としてのその優越性の主張そのも. て影響を受ける人間の数) 」の考慮が付け加わる. のが,エンティティ理論に立脚したものであっ. ことで,そうした心理学的事実は,いまや功利. たことが説得的に論じられている.さらにスコ. の原理に照らして行為の善悪を指し示す道徳的. フィールドは,動機,欲望,意図,気質,利害. 事実に変容するというわけである.それゆえス. といったすべての心理学的諸概念を,快苦とい. コフィールドは,幸福計算の最も重要な要素は. う「現実的エンティティ」との関係に基づいて. 「範囲」であり, ベンサムが『序説』第2版で「功. 説明しようとしている点で,ベンサムの快楽主. 利の原理」に代えて「最大幸福原理」という呼. 義心理学もまたエンティティ理論を前提とする. 称を推奨するに至ったのもその点を強調するた. ものであることを明らかにしている(30) .そ. めであったと論じている(38).さらにこれに. れゆえスコフィールドによれば, 「自然は人類. 関連して, 「最大多数の最大幸福」という表現. を苦痛と快楽という,二人の主権者の支配のも. が「多数者の利害だけ考慮すればよい」という. とに置いてきた.…」という『序説』冒頭の有. 誤った意味に解されることを危惧するベンサム. 名な一節において,ベンサムはエンティティ理. の議論が紹介され,彼の功利主義がすべての関. 論に基づき,道徳も心理学も快苦という「現実. 係当事者の利害に対する平等な顧慮を含意する. 的エンティティ」に立脚してはじめて有意義に. ものであったこと,それゆえ少数者の犠牲を無. 語られうるという見解を,あるいは,道徳と心. 条件で是認するものではなかったことが指摘さ. 理学が快苦の知覚という共通の基盤に立脚して. れている(38-9).. いるという見解を表明しているのである(29) ..  なお,ベンサムの心理学については,一般に.

(12) . 『序説』における簡略な記述に基づき,「自己利. 治者の側の「服従の習慣」に見出していたこと,. 益の最大化を追求する合理的計算者」という単. それゆえ,服従の習慣のありようが主権のあり. 純な人間モデルに立脚するものとして理解され. ようを左右するという意味で,主権者と被治者. がちだが,スコフィールドはその具体的内容を,. の間にダイナミックな関係性を見出す理論であ. 主として論理学関連の著述をもとに明らかにし. ったことが明らかにされている(230-1,343).. ている.それによれば,ベンサムは人間の活動.  . を肉体と精神の活動に分類したうえで,精神の. 4. 活動を意志と知性という2つの主要な作用から.  以上みてきたように,スコフィールドの研究. 成るものとして捉えていた.それゆえ,晩年の. 書の成果の一つは,ベンサムのエンティティ理. 国制理論において重要な役割を果たす「公職適. 論,およびそれを核とする論理学に焦点を当て,. 性」の概念が, 「活動的適性」 , 「道徳的適性」 , 「知. 彼の思想体系の哲学的基礎を解明したうえで,. 的適性」という3つの要素に分類されているの. その一貫性を説得的に論証した点に存する.そ. も,そうした心理学理論の反映であった(275).. して,そうした成果は,今後ベンサム研究が進. またベンサムは,意志と知性,あるいは欲求と. むべき方向性についてさまざまな示唆を与えて. 判断の間に複雑な相互作用が存すること,その. くれるが,以下に示すとおり,とりわけベンサ. 結果,たとえば過度の欲求によって知性の作用. ムの功利主義倫理の解釈をめぐってそのインパ. が阻害され,誤った判断がもたらされる可能性. クトは大きい.. があることを認めていた.それゆえ,政治的謬.  ムーアによる「自然主義的誤謬」批判以後,. 論を引き起こす「利益に由来する偏見」に関す. 一部の論者たちは,ベンサムの功利主義が,第. るベンサムの分析も,そうした心理学的洞察に. 1に「善」という定義不可能な非自然的属性. 依拠したものであった(32) .このようにスコ. を「快楽」という自然的属性によって定義して. フィールドは,ベンサムの快楽主義心理学の詳. いる点で,第2に事実から規範を導出している. 細を明らかにするとともに,心理学と政治理論 の密接な結びつきを種々の観点から例証してい る.  スコフィールドによれば,ベンサムの思想は 政治的急進化など表層的なレヴェルでは諸々の 変化を遂げたにせよ,その哲学的基礎について は終始一貫していた.すなわち,エンティティ 理論を核とする論理学が彼の思想体系の不変の 基礎であった(342) .それゆえ,スコフィール ドは第3章以降で,自然法・自然権理論,コモ ン・ロー理論に対するベンサムの批判,および それらに対抗して提示された彼の法理論だけで なく,国制理論を含めた彼の政治思想の全体が エンティティ理論に立脚するものであったこと を,広範かつ入念な文献読解を踏まえつつ明ら かにしている.とりわけ主権理論とエンティテ ィ理論の関係性に関する分析は秀逸であり,そ れによって,ベンサムの主権理論が,主権とい う「虚構的エンティティ」の存在論的基礎を被. 29)ムーア自身は「自然主義的誤謬」を第1の 意味で用いている.ムーアによるベンサム批判に ついては、G.E. Moore, Principia Ethica: Revised Edition, ed. T.Baldwin (Cambridge:Cambridge University Press, 1993: first published 1903), 69-71 を参照.ベンサムが第1、第2双方の意味 で「自然主義的誤謬」を犯していると解釈する 代 表 的 論 考 と し て、J.Plamenatz,“Bentham and his School”, in Man and Society (3 vols, London: McGraw Hill,1992: first published 1963), ii, 211-25: B. Parekh,“Bentham's Justification of the Principle of Utility”, in ed. B. Parekh, Jeremy Bentham: Ten Critical Essays (London:Case, 1974), ch.5 を参照. 30)P. Kelly, Utilitarianism and Distributive Justice: Jeremy Bentham and the Civil Law (Oxford: Clarendon Press, 1990), 46-8. そ の 他、 ベ ン サ ム を自然主義的誤謬批判から擁護する解釈として、 D. Baumgardt, Bentham and the Ethics of Today (Princeton:Princeton University Press, 1952), 171-5: A. Goldworth,“Bentham's Concept of Pleasure and its Relation to Fictitious Terms”, Ethics, 82(1972), 334-42: J. Dinwiddy, Bentham (Oxford:Oxford University Press,1989), 20-1 を参照..

(13) . 点で,「自然主義的誤謬」を犯す典型的な倫理. うした証明は不可能かつ不必要であるという見. 学説であると論じてきた.29)他方で,倫理学に. 解を表明していた.だが一方で, 『序説』にお. おける自然主義の復権がみられた 1950 年代以. ける「禁欲主義の原理」および「共感と反感の. 降,さまざまな論者がベンサムのテクストに即. 原理」に関する議論は,功利の原理に対抗する. してそうした解釈の誤りを指摘してきた経緯が. 2つの原理の論駁を意図した議論であり,その. ある.たとえばケリーは,ベンサムは「善=快. 意味でベンサムによる功利の原理の間接的証明. 楽」と定義したのではなく,「善」や「正」と. とみなしうる.この間接的証明に関して,たと. いう道徳的語彙はすべて功利の原理に照らして. えばハリソンは,ベンサムによる対抗原理の列. のみ意味をもつと考えていたのであり,その意. 挙は包括的でなく,功利の原理が唯一妥当な規. 味でベンサムの功利の原理は,厳密にいって規. 範原理であることを示しえていないと指摘す. 範原理ではなく,道徳的語彙や道徳的命題の意. る.33)しかるに,スコフィールドが主張するよ. 味を明らかにするメタ倫理の原理であると論じ. うに,ベンサムの功利の原理へのコミットメン. ていた.30)しかるに本書の分析によれば,ベン. トがエンティティ理論を前提とするものである. サムにとってエンティティ理論こそがメタ倫理. 場合, 「共感と反感の原理」に対する功利の原. の原理に相当し,功利の原理の意味もエンティ. 理の優越性を説くベンサムの議論がよりよく理. ティ理論に基づいて説明されるべきものであっ. 解されるばかりでなく,彼が対抗原理として2. たこと,また,ベンサムが規範原理としての功. つの原理のみを問題とした理由もよりよく理解. 利の原理の優越性を,まさにエンティティ理論. されるのではなかろうか.すなわち,エンティ. に基づいてその意味が明らかにされうる点に見. ティ理論を前提とする場合,規範原理は,その. 出していたことが理解される.またケリーの場. 意味が快苦という「現実的エンティティ」に即. 合,ベンサムは功利の原理の直接的証明を試み. して理解可能か否かによって分類される.そし. ていないため,事実から規範を導出しているわ. て, その意味を理解しえないあらゆる原理が「名. けではないと論じていたが,. スコフィールド. 前だけの原理」(a principle in name),すなわ. が指摘するように,ベンサムが事実的言明と規. ち「共感と反感の原理」にほかならない.続い. 範的言明の間にいかなる概念的区別も見出して. て,その意味を理解しうる規範原理は,快楽の. いなかったとすれば,そもそもベンサムの哲学. 最大化を善と規定する原理と,苦痛の最大化を. において「自然主義的誤謬」という概念自体が. 善と規定する原理の2つに分類される――後者. 成立しないのである.32)その意味でスコフィー. が「禁欲主義の原理」である――というわけで. ルドは,ベンサムの哲学理論の解明を通じて,. ある.もちろん,それは即座に,ベンサムによ. 31). 「自然主義的誤謬」批判に対する決定的な反論. る功利の原理の間接的証明が成功しているとい. を引き出しえたといえよう.. うことを意味しない.しかしスコフィールドに.  ケリーの指摘するとおり,ベンサムは功利の. よる分析は,エンティティ理論を視野に入れる. 原理の直接的証明を試みておらず,そもそもそ. ことによってはじめてベンサムの功利主義擁護. 31)P. Kelly, Utilitariarism and Distributive Justice, 48-9. 32) こ の 点 に つ い て は ス コ フ ィ ー ル ド 自 身 が 以下の論文で論じている.P. Schofield,“Jeremy Bentham, the Principle of Utility, and Legal Positivism”, in ed. M.D.A. Freeman, Current Legal Problems 2003: Volume 56 (2004), 1-39. 33)R. Harrison, Bentham, 183-8.. 34)表象主義とは、真理は実在世界の正確な表 象であり、言語はそうした表象の媒体であるとす る考え方を指す.また基礎づけ主義とは、真理で あることを主張するあらゆる知識は、実在世界と 直接的な対応関係を有する特権的な表象によって 基礎づけられねばならないとする考え方を指す. 両者は密接に関連し合い、一体となって「真理の 対応説」を構成している..

(14) . 論の全貌が明らかになることを示唆しており,. ばベンサムのいわゆる普遍的法学における法的. その意味でベンサムの功利主義倫理をめぐる今. 諸概念の分析・定義が,単なる「脱神秘化」の. 後の研究が進むべき方向性を指し示しているの. 作業ではなく,36)むしろ功利主義的法システム. である.. の確立を可能にする法的諸概念の発明・再定義.  ところで,スコフィールドはベンサムのエン. として企図されていたことが理解されるのであ. ティティ理論を,真理を虚偽から区別するべく. る.それゆえスコフィールドの研究は,エンテ. 言語と実在世界の対応関係を明確化することを. ィティ理論がベンサム思想の哲学的基礎である. 目指した理論と解釈することによって,ベンサ. ことを詳細かつ説得的に論じている点で比類の. ムに表象主義的な言語観,真理観を帰している.. ないものではあるが,エンティティ理論そのも. また,ベンサムが実在世界を構成する「現実的. のの哲学的含意の解明に関して異論の余地を残. エンティティ」の知覚に知識の究極的な基礎づ. すものといえよう.. けを見出していたと解釈している点で,ベンサ 34) ムに基礎づけ主義的な知識観を帰している.. III シニスター・インタレストの発見と急進化. しかし,これら一連の哲学的諸前提をベンサム. 1. に帰するにあたって,スコフィールドは十分な.  ベンサム研究における重要なトピックとし. 論拠を提示しえていない.また,そうした哲学. て,フランス革命期(1788 ∼ 1792 年頃)の彼の. 的諸前提をベンサムに帰することの誤りを示唆. 民主主義的議論の位置づけをどのように理解す. する研究も存在する.たとえばポステマは,エ. るか,そして,この時期の議論と後期(1809 年. ンティティ理論において,「現実的エンティテ. 以降)の議論の関係をどのように理解するかと. ィ」は知識の基礎として役立つような独立した. いう問題がある.アレヴィー,バーンズ,ディ. 実在性を有するものとしては捉えられていない. ンウィディらは,フランス革命期のベンサムの. こと,また,言語は実在世界を表象する媒体で. 民主主義へのコミットメントは一時的なもので. はなく,むしろ実在世界を把握し操作するため. あり,1808 ∼ 1809 年に民主主義への永続的な. の道具とみなされていたことを明らかにしたう. 「転換」 (conversion)あるいは「移行」 (transition). えで,ベンサムの知識観,言語観はプラグマテ. がなされたと論じている.これに対してマック. ィズム的なものであったと論じている.35)そし て,そうしたプラグマティズム的な知識観,言 語観を前提とする場合,ベンサムが科学という 営みの本質を「観念の発明」に見出していた所 以がよりよく理解されるばかりでなく,たとえ. 35)G.J. Postema,“Facts, Fictions, and Law: Bentham on the Foundations of Evidence”, in ed. W. Twining, Facts in Law (Wiesbaden : Steinaer, 1983), 37-64. なお、ポステマの議論を補強しつつ、 プラグマティズム的な知識観、言語観に立脚した ベンサムの科学方法論について考察した論文とし て、高島和哉「言語・発明・想像――ベンサムの 科学方法論に関する一考察――」日本イギリス哲 学会編『イギリス哲学研究』第 30 号、2007 年参照. 36)ハートはベンサムによる法的諸概念の分析 を「脱神秘化」の作業として解釈している(H.L.A. Hart, Essays on Bentham, ch.1).. 37)E. Halévy, La for mation du radicalisme philosophique(3 tom, Paris:F.Alcon, 1901-4), tom 2, 183-213. [The Growth of Philosophic Radicalism, trans. by M. Mor ris (London:Faber and Gwyer, 1928), 249-264.]: J.H. Bur ns,“Bentham and the French Revolution”, Transactions of the Royal Historical Society, 5th ser., 16 (1966), 95-114: J.R. Dinwiddy,“Bentham's T ransition to Political Radicalism”, Journal of the Histor y of Ideas, 35 (1975), 683-700:M.P. Mack, Jeremy Bentham, 407-43. 38)J.R. Dinwiddy,“Bentham's Transition”. デ ィンウィディは、ジェームズ・ミルと知り合ったこ と以外にも、ブリテンにおける急進主義の再燃, スペインの反仏戦争や中南米のスペイン領植民地 の独立運動における自由主義的理念への共感や民 主主義国家アメリカへの関心の高まりなどを、ベ ンサムの転換を促したであろう要因として指摘し ている (J.R. Dinwiddy, ibid., 685-6, 693-4.)..

(15) . は,ベンサムはフランス革命の行き過ぎを目の. 革案が 1809 年以降のそれとは異なるものであ. 当たりにして,1792 年 9 月以降,民主主義に. ったことや,それがフランスを念頭に置いたも. 対して沈黙していただけであり,1809 年以降. のであって必ずしも一般的な理論として展開さ. の民主主義に対する高い評価は,それまで保持. れていたわけではなかったことに十分な注意が. し続けていた見解を再び表明するようになっ. 払われてこなかったとして(82-3) ,これまで活. たものであったと論じている.. そして,この. 用されてこなかった未公刊草稿にも適宜言及し. 論点はベンサムの民主主義的な立場への転換. ながらフランス革命期のベンサムの政治思想に. の経緯についての問題と関係するものであっ. ついての新しい解釈を示している.. た.この点についてこれまで標準的解釈として.   フ ラ ン ス 革 命 期 の ベ ン サ ム は, た と え ば. 指示されてきたディンウィディの議論では,ベ. 1788 年後半から 1789 年初頭に執筆された「三. ンサムの民主主義への転換は彼がジェームズ・. 部会の構成についてのイングランド人の考察」. 37). ミルと知り合った 1808 年頃に起こったもので. (Considérations d'un Anglois sur la Composition. あり,38)1809 年に執筆された「議会改革問答」. des États-Généraux)に見られるように,政治. (Parliamentary Reform Catechism)以降,ベン. 的平等の重要性を論じつつも,未成年,女性,. サムが「民主的支配」 (democratic ascendancy). 精神障害のある人,識字能力のない人,非財産. が被治者の幸福にとって最善の政体であると主. 所有者などの選挙権を認めていなかった.した. 張するようになったのはこの転換の結果である. がって,この時期の議論はアレヴィーやマック. とされた.. が考えていたほど急進的なものではなかった.  スコフィールドは,フランス革命期のベンサ. (83-9) .たしかに, 「フランス憲法案」(Projet. ムの議論を検討した第4章「フランス革命」と,. of a Constitutional Code for France, 1789 年 10. 1803 ∼ 1809 年頃の法改革論をとりあげた第 5. 月)では,非財産所有者や女性の選挙権を認め. 章「シニスター・インタレストの登場」において,. るなど急進的な主張もなされていたが,君主政. 1790 年前後から 1810 年頃までのベンサムの思. や既に採用されていた原理(「人権宣言」)を前. 想の展開を詳細に検討することによって,これ. 提としていたという点で限定的なものであった. らの論点についても回答を示している.スコフ. (89-94).その後,ベンサムは,1792 年以降フ. ィールドは,フランス革命期の民主主義的議論. ランス革命が暴力化・過激化したことに衝撃を. の位置づけという第一の論点については,フラ. 受け,統治を遂行するための知性が人民に欠如. ンス革命期の民主主義論は後期の議論とは性格 が異なるものであって,そこに過度な一貫性を 想定することはできないことを主張し(マック に対する批判) ,また,急進化の経緯という第二. の論点については,1804 年頃にベンサムが支 配層のシニスター・インタレストを「発見」し たことに重要な契機を求める,従来の通説とは 異なる解釈を提示している( ディンウィディに 対する批判) ..   2.  第4章でスコフィールドは,これまでの解釈 が依拠した資料が十全なものではなかったこと もあって,フランス革命期のベンサムの政治改. 39)この時期のベンサムは後期と違って、民主 的政府が財政負担の軽減をもたらす可能性を否定 していた (101).また、スコフィールドによれば、 フランス革命期と 1810 年代以降の民主主義論の性 格の違いは、彼のアメリカ合衆国に対する態度の 相違からもうかがえるという.1810 年代後半から 20 年代のベンサムが民主主義のモデルとして高く 評価したアメリカ合衆国は、フランス革命期のベ ンサムにとっては、アメリカの社会状態が英仏の それとまったく異なっていることから、民主主義 の適切なモデルにはなりえないとされた (ibid.). 40)ベンサムは 1790 年の総選挙の際にシェルバ ーン卿(当時,ランズダウン侯爵)の持つ腐敗選 挙区から選出されることを望んでおり、このこと からも、この時期の彼が重視していたのは既存の 制度のもとで立法に従事することであったことが 推察される (104)..

参照

関連したドキュメント

In this, the first ever in-depth study of the econometric practice of nonaca- demic economists, I analyse the way economists in business and government currently approach

An easy-to-use procedure is presented for improving the ε-constraint method for computing the efficient frontier of the portfolio selection problem endowed with additional cardinality

Let X be a smooth projective variety defined over an algebraically closed field k of positive characteristic.. By our assumption the image of f contains

Economic and vital statistics were the Society’s staples but in the 1920s a new kind of statistician appeared with new interests and in 1933-4 the Society responded by establishing

Related to this, we examine the modular theory for positive projections from a von Neumann algebra onto a Jordan image of another von Neumann alge- bra, and use such projections

“rough” kernels. For further details, we refer the reader to [21]. Here we note one particular application.. Here we consider two important results: the multiplier theorems

It turns out that the symbol which is defined in a probabilistic way coincides with the analytic (in the sense of pseudo-differential operators) symbol for the class of Feller

We give a Dehn–Nielsen type theorem for the homology cobordism group of homol- ogy cylinders by considering its action on the acyclic closure, which was defined by Levine in [12]