高崎宗司著『検証 日韓会談』(岩波新書 1966年)
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(2) うに続ける。. 「衆議院議員生路友蔵(社会党)は『自国の漁民の人権、財産権を無視し、ふみにじる無 謀なもの』と批判し、 『政府は意識的に誇大に韓国漁業の劣弱を喧伝するきらいがある』. と決めつけた。社会党の日本政府批判は屋外強硬派の立場からのものだった。」 この部分を読んだとき、私は強い違和感を持たざるを得なかった。赤路氏の「日韓漁業協 定の欺隔」 (『月刊社会覚』1966年1月)には上記に続いて次の部分がある。 「韓国漁船は日本の領海は3海里であるから、山口・福岡・長崎などの沿岸3海里までは、. 自由に操業してよろしいということであります。日本の漁船は韓国側へは普通専管水域 12海里、その外に共同規制水域28海里、合わせて陸岸より40海里以内には勝手にはいれ. ない。これは大変な違いである。これで漁業協力9千万ドル、漁船建造協力3千万ドル を韓国に与えた結果は、どうなるだろうか。とんでもない。これが(農相)不信任第五 の理由であります。」. 漁業協定では相互に漁業水域を設定したのだから、正確には、日本沿岸は3海里ではなく 12海里以内に韓国漁船は入れない(当初は対馬周辺にのみ設定)のだが、第二次臼韓漁業 紛争は、ほぼこの記述通りに推移したのではないだろうか。なぜこれが「対外強硬」と評 価されねばならないのだろうか。韓国漁船の日本沿岸での操業に「人権、財産権」をふみ. にじられた日本漁民は多い。1999年7月、私は、島根県大田市の和江(わえ)漁協の理事 長を1977年から1988年にかけて務あ、韓国漁船による被害と戦ってきた月森元市氏から、 次のような具体例を教えていただいた(注4)。 ・1978年からシイラ漬漁業のイカダのロープを韓国の小型トロール漁船に切られる事件が 多発した。1978・1981年の二度三韓して韓国の漁業関係者と会合を持ったが、1981年に はなんと「公海上に障害物を置くな」と言われた。. ・イカダに懐中電灯をつけてその位置を知らせたり、テープレコーダーに韓国語で注意を 吹き込んで韓国漁船に呼びかけたが無駄だった。懐中電灯はすべて取られてしまってい た。. ・韓国のアナゴ籠漁業の漁師は、わざわざ日本のシイラ漬のイカダの回りに籠をつける。 獲物がいるからだ。引き上げるときに、包丁でじゃまな日本のイカダのロープを切って しまう。日本の漁師は仕掛けが重なったときは、上の仕掛けが終わるまで引き上げるの を待つのが慣習だ。. ・和江漁協ではかっては35隻あった小型底曳漁船が10隻にまで減少してしまった。 このような韓国漁船の行動こそ、 「対外強硬」というのではなかろうか。高崎氏は、1965. 年の日韓漁業協定以後の韓国漁業の発展と、日本の沿岸漁民との紛争を本書の執筆時点で 知っていたはずである。漁業協定のどこに問題があったのか、韓国漁民の行動の背景にあ るものは何か、第一次日韓漁業紛争によってその背景が作られた部分はないのか。これら の疑問に本書は答えない。これでは「今日の議論に確かな手がかりを与える」ことはでき ない。. 一41一.
(3) 論じられるべき多くの問題が本書では抜け落ちている。80ページの1957年12月31日の取 極についての記述がそうだ。日韓会談における「はじめての合意」と本書で評価され、私 もこの取極の意味は大きいと考えるが、これは、大村収容所の在日韓国人と釜山の収容所. の日本人漁夫を相互釈放する、B本政府は久保田発言と対韓財産請求権を撤回する、とい うものだった。高崎氏は、久保田発言の撤回は日本人漁夫を釈放させるための手段であり、 発言を「過ち」と諏めたものではないとする。にもかかわらず、韓国側が「譲歩」したの は韓国側に「減少し始めたアメリカの対韓援助を日本の経済協力によって代替しながら経 済を開発するという動きが出てきていた」からだと述べる。韓国側の立場に偏した記述で ある。この取極は法務省や自民党内部の反対意見を押し切って岸首相によって行われた。 その要因の一つは窮状に陥った日本の漁業者の運動だったが、本書にはその記述はほとん. どない(注5)。本書では日韓会談の推移の重要な要素である日本(もちろん韓国も)漁 業者の実態はわからない。日本統治期の日本漁業者の活動と戦後の李承晩ライン内の日本 漁船の朝鮮近海操業に変化はあったのか。そもそも、朝鮮近海漁場に日本漁業者はなぜか くも執着したのか。それらが本当にわからないのだ。. また、1962∼65年の大詰めの漁業交渉の記述(142∼168ページ)に、戦後の国際海洋 法秩序の転換の視点がないのも気にかかる。本書の見方は、1962年11月の「金・大平メモ」. で請求権を経済協力にすりかえたように、日本は李承晩ライン撤廃後の韓国漁民の不安を. 9千万ドルの漁業協力資金で解消した、というものである。日韓漁業協定の評価も、韓国. 側の肯定的評価と否定的評価を並列しているだけである(183・186ページ)。日韓漁業 協定は、領海6海里・漁業管轄水域6海里を提起した第二次海洋法会議(1958年)と、二 百海里排他的経済水域を条約化した第三次海洋法会議(1973∼82年)の中間で締結された。. 高崎氏はなぜこの当時の国際的水準で日韓漁業協定を評価しないのだろうか。例えば、19 62年に漁業協定を締結したイギリスとアイスランドの漁業紛争と第一次日韓漁業紛争は極. めて類似しているが、なぜ比較しようとしないのだろうか(注6)。そもそも、先進漁業 国が発展途上国に漁業面での経済協力を行って紛争の解決を行った例はあったのか。これ は第二次日韓漁業紛争につながる問題である。国際比較の視点の欠如は本書の記述の中心 である請求権問題でも明らかであるが、本書の欠陥の一つだと考える。. a高崎氏の漁業問題の理解は加藤論文を踏襲 本書の漁業問題に関する記述がきわめて不充分なのは、私の想像するところでは、加藤 晴子氏の「戦後日韓関係史への一考察淳ライン醐をあぐって」 (上) (下) (r日本女子大学文学. 部紀要』28・29 1979・1980年)で漁業問題は論じ尽くされていると高崎氏が感じたためで. はなかろうか。日本一強者・加害者、韓国一弱者・被害者とする本書の図式は、この加藤 論文もほとんど同じである。加藤氏は李承晩ライン問題を、強者の日本漁業者が植民地支 配による収奪と朝鮮戦争による荒廃で弱者となった韓国漁業者の近海に、強引に出漁しよ 一42一.
(4) うとしたことから始まったとする。さらに、日本は植民地支配の責任の自覚も反省もせず、. 大量の日本漁船立面によってかきたてられたナショナリズムは再軍備にまで発展しかねな かったとする。例えば、李承晩ライン宣布前後の韓国の漁業政策は、米加両国には操業を 自粛しながら韓国に対しては「公海自由の原則」をふりかざして操業許可を迫る日本への、 韓国側の「ぎりぎりの対抗策」と肯定的に評価されている。. しかし、これは韓国側の主張(注7)をそのまま引き写したもので正確ではない。韓国 側の漁業担当者だった池鐵根氏の回想録『平和線』(汎友社1979年)には第一次会談の漁業委. 員会に出された日韓漁業協定の日本側案が記されている。ここには韓国近海の主要漁業で. あるトロール漁業と機船底曳網漁業の一定期間・一定水域での禁止が第4条に明記されて いる。 『忌日會談漁業委員會議事録(第一次會談)』(姻煽部1958年)によると、他の漁種. の規制にも応じると日本側は発言している。この議事録に残されているのは、自らを主観 的には戦勝国と位置づけ強硬な姿勢をとる韓国側と、前年の日米加漁業会談をふまえてで きるだけ韓国の立場にも配慮しながら日韓漁業協定を結ぼうと努力する日本側の姿である。. 本書で高崎氏は、これまで「日韓会談全体について研究したもの」の「ほとんどが、最 も重要な資料である日韓会談の議事録にあたっていない」と批判している(vページ)。 しかし彼自身も『韓日會談 漁業委員會議事録(第一、二、三次會談)』(韓国外瀦1958年). を「参考文献」に記していない。漁業問題における加藤論文の限界を克服していないので はなかろうか。. 4おわりに 高崎氏は請求権問題でのr植民地支配責任未清算」という自己の結論を急ぐあまり、漁 業問題においては、日韓の漁業者の実態や国際海洋法秩序の激変、そして李ライン問題を 「人質外交」として利用する韓国側のしたたかさが視野に入っていない。漁業問題を構成 する複数の要素、漁業問題の独自の論理を考えようとしないのだ。日本一強者・加害者、 韓国=弱者・被害者とする本書の一方的な図式は、多くの見るべきものを見えなくさせて いると思う。. 注1. 佐藤勝己「植民地支配がなぜ“謝罪”の対象なのか」(1獄コ1アBO81991年甥) 西岡力『日韓誤解の深淵』(郵書房1992年) 西尾幹二『異なる悲劇 日本とドイツ』(文春文庫1998年). 黒田勝弘『韓国人の歴史観』(文春瀦1999年). 注2. 旧日韓漁業協定締結時の難航ぶりについては森田芳夫「日韓関係」(鶴鞠磯所耀『躰外 交蝉28巷納後の外交1対魍麟(上)1鶴磯所出販会1973年) 135∼136ページ. 新日韓漁業協定締結の難しさとその後の交渉については杉山晋輔「新日韓漁業協定 締結の意義」(1ジュリスU11511999年3月1日号)・島根県水産部漁業管理課「暫定水域内 一43一.
(5) 韓国漁船操藁実態調査について」(1999年4月)・「日韓漁業交渉決着」(晦日獺11999年 12月24日) 。. 注3 注4. 鄭大均『韓国のイメージー轍躰人の隣国観』(申公縮1995年) 71∼81ページ. 月森氏は「十八年間の韓国漁船との戦い」として『漁協』61(1996年5月)に自らの活 動の一部をまとめられている。. 注5. 1953年に漁船禽捕の急増に対応して設置された日韓漁業対策本都の活動を記録した 『日韓漁業対策運動史』(日鱒鶏議会1968年)は巻末の「参考文献」にはない。. 注6 注7. 中村洗「日韓漁業協定」(掴際麟交繍164−4・51966年). 元容爽『二日会談十四年』(三醜版会1965年)を引用したと加藤氏は記している。韓国 政府の主張は池二二『平和線』(汎昌盛1979年)や金東回『回想30年・韓日会談』(嫉日 報社1986年)でも同様である。. 補論 本書には事実経過にっじつまが合わないものがいくっかあるが、その中でもっとも 大きなものを指摘しておきたい。第四次日韓会談を説明した95ページである。米国の ハーター国務長官が韓国に対して「韓国が公海上で日本漁船を捕え、船を押収し、そ のうえ漁船員に対して刑を科していることが、日韓関係をいちじるしく悪化させてい ることを指摘し、これに対して憂慮の念を表明した」『朝日新聞』の記事は、1959年 3月ユ8日ではなく、1960年の3月17日(タ利)のものである。そもそも、アイ・ゼンハ. ワー大統領がハーターをダレスに代わる国務三二に任命したのは1959年4月18日、正. 式就任は4月22日である。この警告により韓国政府が1959年4月15日から40日余り会 談を再開したと本書は書いているが、その事実は森田芳夫「日韓会談」にはないし、 『朝日新聞』でも確認できない。おそらく、1958年4月15日の第四次日韓会談の開会. か1960年4月15日の再開第四次会談の再開会と混同しているのだろう。1959年8月12 日の再開第四次会談二三を伝える『朝日新聞』には「申断後、八ヵ月ぶりに」という 見出しがある。. 一44一.
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