象徴主義絵画試論
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(2) . 象徴主義絵画試論. 古. 川. 俊. 英. 1 9世紀末に起った汎ヨーロッパ的芸 術運動, 象徴主義について, デルヴォ ワは「……-帝国の生 成と衰亡の年 代を決定するように, 上部構造, 芸術の-傾向, または趣味の変化の最初の出現の年 代を決定することは できない。 特に, その言葉の指示する神秘的内容が, それが同定される前に , 散乱し分岐しは じめているの で, 象徴主義誕生の正確な日付を決めよう とすることは無意味であ 1 }と述べている 1 る」 6年のモレアスの 「象徴主義宣言」 は運動の開始を告げるものというより, 。 88 既に流布していたもののまとめという性 質が強い。 あるいは, 誰か一個人の作品を取り上げて運動 の始まりとすることも できない。 象徴主義者の名の下に包括される美術家達についてみても その , 多種多様さにただ驚く ばかりである. 象徴というものは, 常に, 目に見えるものから目に見えない ものへ, 目に見えないものからある定められた歴史的時間において人間によって知覚されたものと して, 現象の幻想へ導くものである. 象徴自体がそのような存在 であるから, 象徴主義運動を一貫 し, 統一された独 創的運動と認知することが困難となる. ゴーガンの表現方法とギュスタ ヴ。モロー の 方 法, ユイ ス マ ン ス と マ ラ ルメ の 著 作, ク ノ ッ プ フ の 形 象 の 想 像 力 と ク リ ム ト の そ れ ト ー ロ ッ , プと ル ドン の 詩 情 の 間 に, ピ ュ ヴィ スリ ドoシ ャ ヴ ァ ン ヌ セ ガ ン テ ィ ー ニ ミ ュ ー シ ャ ム ン ク , , , , ク ー ビン, モ ー リ ス o ドニ, ウ ォ ル タ ー ・ ク レイ ン, ベ ッ ク リ ン ら に よ っ て 使 わ れ た シ ー ニ ュ の 間. に, 同じ時代, 同じ地域に属していたこと以外, 如何なる共通項が存在するだろうか 「芸術は…… 。 本質的に主観的なもの である。 事物の外観は, ただ解釈することだけが芸 術家の課題である象徴に 2 }と 過ぎない。 事物はそのことを除いて真実を持たな い. それらはただ内的真実を持つだけである」 いうシャ ルル・モリスの言葉が代表するよう に, 当時優勢 であっ た写実主義と自分達 の立場を区別 したいという願望を共有したに過 ぎない。 ここから, 外部世界の再現に反対し, 普遍的感情を伝達 するために人間の内面の世界の表現に向っ た. そのために, 伝統的, または文学的主題をしばしば 取り扱っ たけれども, 表現された感情 の性質は選ばれた主題に依存するのではなく, 色彩や形態か ら引き出された. 彼らは触知しう る現実の再現を放棄すること で, 新しい自由, 主観的世界の探究 を可能にし, 不可思議な魅力を持つ 暗示的絵画世界を創り出した. 象徴主義美術運動は文学, 特に詩の領域での運動に先導され, その理論的基礎は 殆ん どが文学の 領域にあ った. マラルメの周辺に集った象徴主義に関わっ た芸術家達は何よりも, ゾラの 「科学的 に」 探究された小説で細々と記述されている平凡な中流階級の世界を拒絶する。 彼らは最も偉大な コレスポンダンス. 現実は想像と幻想のうちにあると信 じ, その理論的根拠をボー ドレールの 「万物照応」 に求めた 。 即ち, 芸術作品は根源的感情の表現, 理念と感情の喚起 であらねばならないから, すべての芸術は 相互に関係づけられた水準まで上昇する。 音は色彩を暗示し, 色彩は音を示唆する そして 理念 , . ) ですら音または色彩によっ て喚起されるだろう3 . 18 86年, エ ヴェヌマン誌で, 「我々の芸術の本質的目的は, 客観的なものを主観化すること(気質 37.
(3) . 古. 川. 俊. 英. )と主 を通して見られた自然)の代わりに, 主観的なものを客観化すること(理念の外在化) である4 張することで, カーンは ゾラの有名な文句を逆手にとっ て, 芸術家と題材のあり方を逆転させた. ゾラの主張したように, 触知 しうる世界からは じめて, 感情・気質に従っ て自然を主観化するより も, 芸術作品の出発点を感情または理念に置き, それを詩や絵画の形で, 現実的に客観化すると言 うのである. かように, 伝統的秩序を逆転させること で, カーンは自我を自然の水準より高めよう とした. ボー ドレールが色彩と形態が絵画の主題の気分を非常に良く表わしているという理由で, ドラクロワを賞讃したのに対 して, カーンの立場は色彩や形態の 主観的表出的性格を描かれた主題 と同等, あるいはもっ と優れたものと考えるの である. 画家達はここから, 主題から独立して存在 する色彩や形態の喚起力を大いに追求して行くことになる. 文学者によっ て提起された理論と美術家達の実践が容易に一致するというよう なことは殆んど起 りえない. 主観, 感情を重視し, 芸術の喚起力を利用 するという象徴主義の否定した立場, 自然主 義に根 ざし, 科学的客観性を目指すという立場から, モネは独特の 主情的世界を創りだした. 新印 象主義の目的と平行する科学的客観性に基いた プロ グラムを仕上げるために, モネはシリー ズ画に 取 り 掛 っ た. 1891 年 に 描 か る た 15 枚 のく干 草 シ リ ー ズ〉に 始 る 作 品 が そ れ で あ る が, 既 に, 1886 年. )にその崩芽は見られる モネは この連作で, 対象 のエトルタ, ベ ル.イー ルで仕上 げられた作品5 , . 分解することによっ その各々の瞬間に 観察を連続して行い が連続して知覚さ れたもの であるから, , て, より正確な記録を作り 上げようとした. 瞬間, 瞬間の姿を描き留めるというモネの作画法は確 かに, 記録の正確さを増 大させた. 所が, この正確さは作品を通して観者と 分かち合うことを望む 芸術家の鋭い感受性に 依存するが故に, 主観もまた増大することになる. 絵画それ自体の論理とそ の展開を色彩調和の論理発展として, モネは受け入れる. そして, 視覚対比を最少限にし, 絵の主 調色を唯だ一つの色調に限定した. 凝縮と簡約が, 光景を写すことから, 象徴化の方向に作品のあ }と全く同じ分析的方 法 つ り方を移行せ しめた. 根本的には, シニャックの科学的印象主義の方法6 , まり色彩をス ペクトルの7色に分解し, パ レッ ト上で混合色を作る代りに, カンバス上に色点を並 置し, それらの色調のアラベスクを利用して 物の形を表現しつつ, ,多数の色斑 点の変化に富んだ並 一 ーマ, 即ち最も光の強い点から 法のモネの風景は つのテ こうした技 置で, 画面を作り上げた. , 発して画面全体にそのテーマの ヴァ リエーショ ンを繰り拡 げる一種のシンフォ ニーとなる. 極めて 客観的な印象派技法の進化が, ここで, 対象を再現することを越えて, 無限のニュアンスを通して, ,流の暗示の原理を完成させている. マラルメ こ関して, 象徴主義者も比較的寛 モネが象徴主義者であったか否かが問題なの ではない. この点る 大 であ り, 1887 年, 第 4 回 〈二 十 人 会 展〉 に, ス ラ ー が 《グラン ド・ジャッ ト島の日曜日の午後》. ( 1884-86年, シカ ゴ美術協会) を出品して居り, その客観的科 学的芸術理論の支持者であったに も拘わらず, しばしば象徴主義者に 組み入れられ, 論じられている. 問題なのは, 文学者の象徴主 義理論は美術家に方向づけ, 理念は与えたけれども, 美術独自のア プローチに具体的方法論を提示 しなかっ たこと である. こうした状況の下 で, 美術家達は主題を如何に扱う べきなのか. ルドンは } この作品は デュー 暗示的芸術を論じた中で, デュ ーラーの版画《メランコリア1》を取り上げた7 , . 「 鍵は力を意味し 一対のヒントを与えている ゴ リーの内容に関しても 題を付け アレ ラー自身が表 , . , 財布は富を意味する.」《メランコリア》 はある程度ま で中世以 来受け継がれてきた象徴を使った伝 } ルドンはこうし 統的寓意表現であり, 正確な意味を付与された品物が画面に散りばめら れている8 . た寓意には全く触れてはい ない. 自 己の暗示的芸術の主張の傍証に, ブュ ーラーの線の表現の力と 彼の偉大さを引き合いに出 しているに過 ぎない. しかし, ル ドンがこの作品に魅力を感 じたのは, 画面全体を包む寓意を秘め た謎めいた雰囲気と 無縁だったとは考えられ ない. ここにこそ 象徴を 38.
(4) . 象徴主義絵画. 使っ た表現の特性が存する。 絵画の 歴史において, 象徴は特異な役割を果たしてきた. 所謂, イコニ ックな象徴と非イ コニッ クな象徴の絡み合いが錯雑した表現大系を産みだしてきた。 イコニ ックな象徴とは形態と理念の間 に同一 律が成立するものであり, 炎は熱さ であり, 血は生命, ハンマーは力であるというように, 人はこの関係を直接的に感じ, 経験するので, 象徴から概念への移行に, 想像力または直観力の飛 躍を必要としない. 非イコニ ックな象徴は形態と理念の間に同一性 が存在しないものを指す 救済 。 を示す十字架, キリストと魚など, 象徴から概念への移行に, 飛躍を必要とする。 この両者は全く ) こうした象徴の特性か らその意味内容の伝達にあたって ある程 対照的な性 質を持つ象徴である9 、 . , 度の教養があれば理解しうる象徴システム, 「開かれたシステム」と秘密を伝授された人々にのみ意 0 ) その上 多くの象徴は常に明確な- 味の伝わる象徴システム, 「閉じられたシステム」が生れる1 , . 意味だけを持 つの つといは限らず, 様々の解釈も可能である. 例えば有名な組合せ文字 「IHS」 に し て も, lesousと い う 名 前 の ギ リ シ ャ 文 字 の 最 初 の 3 文 字 に 由 来 す る と か, コ ン ス タ ン テ ィ ヌ ス. 大帝の戦の前の幻想に関わる ln Hocsigl nce s (この印によりて汝勝利を得ん) を意味すると loVi l か, ラ テ ン 語, lesus Honimmasa vator(イ エ ス, 人 類 の 救 済 者) で あ る と か 言われる。 尚, 近年 H の例 では, イ ギリ ス に お い て I aveSaved,IHaveSuffered と 解 す こ と も 行 わ れ, ドイ ツ の 異 説, 1 ) このよう な同一 の象 landse l i Jesus Hei gn nacher (救 世 主 イ エ ス・キ リ ス ト) と いう も の も あ る1 .. 徴に多くの解釈が共在した例に加え, 象徴と意図された意味の間に, 当初から一対一の 等価値の思 考を拒否して作られる場合も多く, 時の経過のうちに意味不明となっ た象徴も存在する。 こう して, 象徴は観者に謎を投げかけ, 観者の心に不可思義ななにかを鳴り響かせることになる。 異教古代の形象を再生し, 再解釈する過程で, ルネ ッ サンス美術は, 象徴に基づくアレ ゴリー表 現の 錯 綜 し た 展 開 を 示 し て い る. フ ェ ラ ー ラ の ス キ フ ァ ー ノイ ア 宮 の フ レ ス コ 画 は, 中 世 以 来 の 累. 積的象徴表現で占星術の一体系を表現している. フランチェ スコ・コ ッ サはその一枚 《ヴィ ナス の勝利》( 1470年頃) を祭りめいた楽しさ で包み, 深淵な意味を語る. 白鳥に引かれた戦車の上の ヴィ ナ ス の 足もとに 甲胃 を着けた 戦士 が膝ま づ き, 鎖 で連ながれて いる。 通例, この図は ヴィ ナ ス に 恋 し, 囚 れ 人に な っ た マ ル ス が 表 わ さ れ て い る と さ れ る. 占 星 術 体 系 に よ れ ば, こ れ は, 白. 羊宮の支配者火星が金牛宮の女神金星に服従していること, 即ち 3月から4月 への移行, 春の盛り 2 ) コッサの例は占星術の秘儀に関わる「閉じられたシステム」に属する表現である そ を意味する1 。 。 れに 対 し て, テ ィ ツ ィ ア ー ノ の 《慎 し み の ア レ ゴ リ ー》 (ナ シ ョ ナ ル・ギ ャ ラ リ ー, ロ ン ドン. 1565. 年頃) は 「開かれたシステム」 の象徴表現と言える. 時のアレ ゴリー, 人間のアレ ゴリーとして知 られるこの作品は,《オラチオとマルコ, ヴェ ルチェリオを伴う自画像》とも呼ばれる. 3匹の動物, 犬, ライ オン, 狼の上に, 男性の顔が, 一人は正面向き, 他の2人は横向きに重 ねられて描かれて いる。 狼は時をむさぼり食うことの象徴 であり, 犬は未来を喚出す. ライ オンは現在の強さの栄光 の象徴である。 人物も若者, 壮年, 老人と描き分けられている。 過去, 現在, 未来がここ で示唆さ れている. さらに, これらの像はより集っ て, 「慎 しみ」を越え, より高次の忠告, 良い助言の意味 3 ) を伝 え る の で あ る1 。. 象徴の意味は時を経るのに従い, 変質し, 意味を喪失して行く. ボッティ チェ ルリの作品は19世 紀の象徴主義美術に大きな影響を与えた。 特に, イ ギリスにおいて, バーン・ジョ ーン ズ, ビア ズ リ ー, リ ッ ケ ル トの 作 品 に そ の 影 響 を 見 る こ と が でき る。 ボ ッ テ ィ チ ェ ルリ の 例 え ば《春》(ウ フ ィ ー. ツィ 画廊)《ヴィ ナス誕生》(前同)の作品の表わしている意味内容も20世紀になるま で, 不明のま・ 4 ) 彼らは古代の神話に取材した何やら意味あり気なこれらの作品の示す雰囲 気に魅かれ であっ た1 。 , ボッティ チェ ルリの色彩, 線, 形態の表現力に衡撃をうけたに違いない. 象徴, 寓意の意味内容の 39.
(5) . 古 川. 俊. 英. 不明瞭さが, かえって, 19世紀の象徴主義画家に豊かな暗示として働きかけ, 特別の魅惑を感じさ 1506 年 頃 ‐1508 年 頃, ア カ デ ミ ア 画 廊, せ た の だ ろ う. ジ ォ ル ジ ォ ー ネ の 《ラ・テ ン ペ ス タ (嵐)》 (. ヴェ ネツィ ア) がわれわれの 心に魔力的に働きかけるのも同じ事情 である. この絵についての最初 1 5 )とだけ述べている 30年に「ジ プシー女と 兵士のいる嵐の小さな風景画」 の記述で, ミキエルは15 . 描かれている場面は 「樹樹の茂る林の中に 電光がひらめいて, 湿雲低く垂れこめ, 迫る嵐の前ぶれ に樹は揺れ葉はふるえさ ざめいている. その中を流れる暗い小川の 彼方に石の宮殿が, 電光に照ら Hの岸に, 白布に肩 を蔽うた裸身の美女が座 って嬰児を さ れて黒雲の中に妖しく白く立ち, 前景のi 両手に抱え, 恐怖に身をふるわせている. それは前景の右方 で, これに対して左方には, 着 衣の- 1 6 )である だが詳細に観て 青年が長槍に筒り, ふるえる美女を深く静かに欲望して眺めている……」 . みると, 絵全体が上の記述のように関連づけられているとは 思えない. 前景の人物達は嵐の近づい ていることに気づいていない様子であるし, お互いに全く 無関心のよう でもある. 中景の廃壇の形 態も現実の建物の一部を形成できそうに もない. これらのものが, 意味あり気に画面に散在せしめ られた象徴であることは容易にみて 取れる. 《ラ・テンペスタ》 は 様々 に 解 釈 さ れ て い る. ヴィ ン ト 1 7 )であり カルベ ジィ の説 に言わせ れば, 「勇気と愛が運命にもて あそばれる田園詩的アレ ゴリー」 , 8 )と な る だ が こ の 絵 の 本 来 の 意 義 は そ の よ う な 解 釈 を 越 え た と こ ろ に あ る では「モ ー ゼ の 発 見」1 . , .. 自由な幻想の所産 であり, 制作の進行が作品を成長させて 行く一種の 「ク ブラ・カーン」 であり, 連続的な連想と巧みな構図に導かれて作品の気分に没入できる人のみがその素晴らしさを感ずるこ 9 ) 「マラルメの詩論」 の中で 小林太市郎氏が 「書物の薄い紙の とができる作品ということに なる1 , . 中に, たとえば深い林の恐怖, あるいは樹々の葉ずえに弥漫する音なき雷鳴……」 にはじまる一段 0 )が 上記のクラークの言と考え合わせると誠に興味深い に結びついけて, この絵を解釈している2 。 , 愛味さが象徴主義芸術の本質であったが, 《ラ・テンペスタ》 はこの意 マラルメにとっ て, 暗示性と自 味で象徴主義絵画の表現の先 駆となる. 1871 年 1 月, ピ ュ ヴィ ス・ド.シ ャ ヴ ァ ン ヌ は 《伝 書 鳩》 (フ ラ グラ ー・マ シ ュ ー ズ夫 人 コ レ ク シ ョ ン, ニ ュ ー ヨ ー ク) を 描 い た. ドイ ツ 軍 の パ リ 包 囲, そ れ に 続 く パ リ 開 城 と い う フ ラ ン ス の 屈 辱 的 出来事に際しての 国民の不屈の精神の証言であっ た.1870年10月 7 日に気球に乗り, 包囲中の パ. ,. リ か ら 脱 出 した ガン ベ ッ タ を 描 い た. 《気球》 の対の片方であるこの絵は, パリとフランスの他地域. ・ 婦人の胸に抱かれた 一羽の鳩, 中空で待ちうけ との唯一の連絡手段 であっ た鳩を題材としている. ゴリーによれば春の先触れを意味する. しかし, たかは慣習的なアレ いる るたかの姿が描かれて . こ こ では 鳩 の 使 命 を 阻 止 で き な い 無 力 さ を 暗 示 し て い る。 こ の 意 味 を 伝 え る た め に, ピ ュ ヴィ ス は. 象徴表現を 二重化している. 第一に包囲された パリを 喪服の優雅な婦人の姿 で人格化することに よ っ て. 第二に絵の枠に銘文, 「敵の爪から逃れて, 期待されたメ ッセージは誇り高い都市の心を高 揚する」 を記すことで. こう して, 当時の国民的感情を根底に, 描かれた画像の非現実性にも拘わ らず, この絵の伝えんとした 意味の重さを痛感せ しめた. アレ ゴリー表現のあり方としては伝統的 形式に属するもの であるが, 象徴がいわば国民的常識に基づく 共通の基盤の上に立つ新しいもので あっ たこと, 形態が自然主義的表現から離れること で, 有効な象徴に化していることが注目される. 褐色が唯一の支配的色調として画面 を包み, 線と形態が簡略化されることによっ て, 流血の惨事と 事件の現実体験として与えた苦脳 を希薄化する. このことが逆に話題に満たされたメ ッセージとし て, 非現実の水準ま でイメ ージを高めている. 緊張, 仮借のなさ, 少ない色彩, 簡潔, これがこの 後のピュ ヴィ スの絵の特質となるばかりでなく, 象徴主義絵画の重要な要素となる. ピ ュ ヴィ ス の 《伝書鳩》 は確かに象徴主義絵画の特質を保持するが, これをもって運動の開始と す る こ と は でき な い. ま た, こ の 種 の 象 徴 的 表 現 が す べ て で も な い. ワ ッ ツ の 《希 望》 (1876 年 頃, 40.
(6) . 象徴主義絵画. ウォ ーカー画廊, リヴァ プー ル) のように伝統的な形 で, つまり慣習的記号や象徴を使 っ たアレゴ リーも, 多くの象徴主義者の屈服した誘惑 であった. この種の傾向は逸話や意味内容の伝達に造形 的要素を従属させ てしまう危険を秘めている。 この危険を回避することが 象徴主義画家の当面 の , 問題ともなっ た. 彼らは様々の道を経てアレ ゴリーと表現主義の中間に存在する新しい種類のテー マの展開を目指すことになっ た。 ゴーガンの《黄色いキリスト》( 1889年, ア ブライト=ノックス画 廊, ニ ュ ー ヨ ー ク), ム ン ク の 《春》( 1 88 9年, 国立美術館, オスロ) などがその例 である。 これら の作品は伝統的な意味 でのアレ ゴリーではない。 個人的感情や経験に発しているが 観者にこれら , の感情を再体験させるために, 伝わり易い強さ で表現するだけ でなく, 内省的気分を惹起すること を望み, 人間の共通体験に根を求めようと した。 慣習的なアトリビュートを伴うアレ ゴリーは 時 , の流れのうちに共通の伝統基盤も, それを基礎にした訴求力も失っ て行く と同時に 人々の感情 , , をとりこにする力もなくす。 それ故に彼らの目指した新しい表現は, 人間性全般と感情を結びつけ る内的状況を前提とすることを要請した. 人間性の反映として自然を見ること, 感情を意味深いも のにしたいという願望は1 880年代の芸術全体の共通要素であっ た。 象徴主義の先駆者と呼ばれる 人々 は こ の 願望 を 共 有 して い た モ ネ と ホ イ ッ ス ラ ー は 自 然 主 義 か ら バ ー ン o ジ ョ ー ン ズ は 文 学 . , 的 浪漫 主 義 か ら, モ ロ ー, ピ ュ ヴィ ス ・ ド・ シ ャ ヴ ァ ン ヌ は ア レ ゴ リ ー か ら そ の 目 標 へ 向 っ た 表 。. 現上の統一は様々な程度で達成されたけれども, 表現, デザイン, 主観的感情といっ た要素は並列 されたま) であり, 象徴主義者の望んだ融合を達成してはいない しかも, 特定のテーマがより大 。 きな目的に従属されているので, 描かれたテー マまたは対象で感情を表わそうとする意図はみられ るものの, 感情自体よりも他のなにかを表現することに重点が置かれて いる 。 ゴー ガン の 《説教の後の幻想 (天使と格闘するヤコ ブ)》( 188 8年. , スコッ トラン ド国立美術館, 1 }1 エジンバラ) は総合主義の誕生を印したばかり でなく2 8 9 1年 , , オーリェ の 「絵画における象徴 ゴ 主義;ポー ル・ ーガン」 の源であっ た. 新しい表現手段が特異なテーマに合致し 新しい象徴主 , 義絵画の誕生が示さ れた。 ゴーガン独自の線 の重視, 平面性の強調, 色彩の自由な使用 単純化が , , ブルターニュ の農民のプリミティ ブな生活と信仰に取材したテー マと巧みに結びつけられている 。 象徴主義絵画という観点から, 最も注目すべきものは色彩である. ゴーガンの方法は 「自然の外観 によって提供さ れた色彩と所謂気儀な色彩の間の, 知覚された色彩と夢みられた色彩の, 模倣され た色彩と想像の色彩の間の分 裂, 裂け目, 区別を前提とした。 ボー ドレールは, 赤く染められた牧 場, ピン ク の 髪, ライ ラ ッ ク 色 の 農 夫 と 呼 ん だ. … … ラ ン ボ ー は, 青 い 草 オ レ ン ジ の 砂 緑 の 天 , , 2 )説 数 の 後 に を 見た。 ゴー ガ ン の 《幻想》 は 同 一 の 系 列 に 属 す る 色 彩 を も っ た 夢 に 基 い て い る 」2 . ,. お祈りをしている ブ ルターニュ の人々の想像においてのみ存在する, 天上と地上の, 善と悪の争闘 のさまを象徴的背景, 枯れた木のったの蛇のような曲線, 民衆と, 格闘している人々の極端な大き さの違いなどと共に, 色彩により非現実性を強烈にかっ如実に表わしている。 ゴーガンは現実世界の知覚を再生 産するという試みを拒絶し 日本版画やプリミイ ティ ブ芸術に , 新しい表現法を探した. 空間を簡略化し, 素描を様式化し, 自由な色彩を付与するという表現手段 に適合したテーマをまずブルターニュ の田舎風の, 迷信深い愚鈍さの中から選 びだした 《黄色いキ . リスト》 18 89年, ベ ルギー王立美術館, ブリ ュッセル) は , 《キリストの磯刑像 (緑のキリスト)》( 3 ) ゴー ガ ン は こ の よ う に 自 然 で は 共に こ う した ブ ル タ ー ニ ュ の 民 俗 芸 術 の 作例 を 典 拠 と して い る2 .. なくして, 感情の蒸溜物, 即ちある様式に要約され, 単純化された信仰の対 象, そう言う点で象徴 として存在している事物を出発点として, 彼自身が描写あるいは表現しようとしている気分, 感情 を, 形態という手段を通して完成するのである。 文明化された人々が失っ てしまった性格の完全性 , 運命に順応する姿を, 質朴で, 疑うことを知らない農民の中に求めた 失なわれた全体性に対する . 41.
(7) . 古. 川. 俊. 英. 郷 愁とその回復の願望がこの時代の芸術家の プリミティ ブな世界への回帰の 原因である. ゴーガン とその仲間の総 合主義者は自然に生き 抜く農民達を通して, 新しい汎神論的結合を芸術において達 18 89年, ボストン美術館) と 《神秘的な 成しようとしたの である. 《恋せよ, さらば幸せならん》( れ》( 1890年, 個 人蔵)は ゴー ガンの作品の中でも, プリ ミティ ブな性格を最も 顕著に示す象徴主義 的作品である. しかも, この種の傾向は他の象徴主義絵画に比べると, ゴーガンの個性, 独自性が あまりにも強烈で, 彼独自の表現世界に属するものと考えるべき であろう. しか し, ゴ ー ガン の 作 品 の 中 に は, 《ブ ル タ ー ニ ュ の イ ブ》 (1889 年, マ リ オ ン・ ク ー グラ ー・マ. クネイ芸術協 会) など, スタイ ルは装飾的で, 総合主義的であるが, 誘惑するイ ブと いうような主 題の部分 は ア レ ゴリ ー 表 現 の 歴 史に し ば ら れ た も の も あ る. 1888 年, ゴー ガ ン がア ル ル の ヴァ ン・ 188 8年, ヴァ ン・ ゴッホ国立美術 ゴッホと自画像を交換した. その 《自画像 (レ・ミゼラ ブル)》( 館, アムステル ダム)について彼自身述べている. 「その子供じみた花のある繊細で少女趣味の背景 4 2 }と ゴー ガンが理念を伝 えるために絵画 は, そこに, 我々の芸術の 処女性を意味するために ある」 , 的 等 価 物 を 捜 し て い た こ と を 告 げ て い る. 同 じ 絵 に 関 し て, シ ュ フ ネ ッ ケ ル ヘ の 手 紙 で は も っ と 正. 確に述べている. 「全体は子供めいた 花を撤き散らしたクロ ーム・イエローの背景上にある. 純潔な 若い少女の寝室. 印象主義者はエコール・デ・ボザールの腐敗したキッ スに汚されなか った純粋な 2 5 } 特に ここで ゴーガンはこの作品の抽象的性格を強調している. これは, 形態の 存在である.」 , , . しているからである. 等価物たる 色彩とデザイ ンのうちに, 表現しようとする意味を具現しようと コレスポンダンス 「 万物照応 」 の理論に非常に ここで示された 理念は, 詩的象徴主義にと っ て重要なボー ドレールの 近づいている. 次の年に描かれた 《光輪のある自画像》(ワシントン, 国立美術館)は, 誘惑のリン ゴ, 純潔さの光輪, 蛇=悪の象徴, 曲線をえがき, 様式化された百合の茎など, 本質的に文学的主 題を詳細に説明している. このように, 象徴主義絵画において, 先の プリミティ ブな世界から活力 を引きだした作品のあり方よりも, アレ ゴリーの伝統表現に しばられた表現の方が容易に 用いられ たよう である. 象徴主義者と 多くの共通 点をもつ広範な美術 運動に思想画という名 で性格 づけられる運動 があ る. 精神の目に見えない世界に 絵画的形態を与えるという願望, 前世代の理想主義者達, 特にギュ ス タ ブ・ モ ロ ー, バ ー ン ・ ジ ョ ー ン ズ, ピ ュ ヴィ ス ・ ド・ シ ャ ヴ ァ ン ヌ, ラ フ ァ エ ル前 派へ の 尊 敬. を共有し, 主題も同一のものが多かっ た. 両者の間に明確な線を引くことは困難であるが, その違 いは, 象徴主義者が形態や意味の表現上の新 しいユニ ッ トを求めるのに対 して, 思想画画家は単な るアレ ゴリー で満足することだろう. 主観的であること, 主観を全体として人間性と結びつけるこ と, 自然を内省の延長として 理解すること で, 感情を意味深いものに しようとするという 共通基盤 はあったが, デザイ ンと表現の 融合を追求したのは象徴主義者であっ た. ゴーガンの例 で述べたよ うな両者の融合の例よりも, 半アレ ゴリ カ ルな作例が 多いけれども, この分離は思想画の場合は本 質 的 性 格 で あ っ た. フ ラ ン ツ・フ ォ ン・シ ュ タ ッ ク の 《罪》 (1895 年, ノイ エ・ピナ コ テ ー ク, ミ ュ ン ヘ ン)は そ の 典 型 で あ る. ア カ デ ミ ッ ク なヌ ー ド描 写, 慣 習 的 な ア ト リ ビ ュ ー ト であ る 巨 大 な 蛇,. 神秘性を付与する 鋭い対照を示す明 暗など, 思想画の物質描写の重厚さとアレ ゴリーの間の分離が みられる. 象徴主義画家の作品においても, クリンガーの 《調 和 ; ブ ラ ー ム ス ・ フ ァ ン タ ジ ー, 作 I 》( 1894年, ブレーメン 美術館)も同様の傾向を示す. ここでは夢や霊感の無形の暗示を導く 品 XI の では なく, 音楽の 主題に具体的形態を与えている. この種の表現は ドイツに限ぎられたものでは なく, フランス, ベ ルギーにも見い だされる. 特に, この種の傾向は 「バラ十字会」 の理想主義と 189 6年, 個 人蔵) はこの手法のも 結 びつ い て い る, 例 え ば, ア ルマ ン・ポワ ン の 《王女と一角獣》( ので, 地面に撒き散らされた白い花, 念入りに仕上げられた王女の胸当て, 柔順なユニコーンの姿 42.
(8) . 象徴主義絵画. 等彼女の処女性, 清純さを示す 象徴が満ちあふれている。 ドニの《祝福された処女》( 189 3年, 国立 図書館, 版画室, パリ) の控え目な暗示や様式化された単純さと比べれば 喚情的な気分を主体と , す る ドニ と ポワ ンの 説 明 的 ア レ ゴ リ ー へ の 依 存 の 違 い は 明 ら か であ る 。. ドニの 「絵は--軍馬や裸婦または何かの逸話である前に--ある秩序のもとに集められた色彩 2 6 )という定義は 象徴主義絵画が自然と模倣すべ に覆われた平面であることを覚えておきなさい」 , き対象と等価値の独自の表現を追求するという役割を荷う べきであるという立場の表明 であった. 外界の事物への依存から解放されれば, 絵画は感情を 呼び起し, 理念を暗示したいという画家の願 望に従っ て色彩を変更し, 形態を整え, 絵画の自律的性格を強調しうる. ここで, 重要な役割を示 すのは従来のアレゴリー大系から離れ, 新たに創造された象徴の筈 であっ た。 既に, ゴーガンの作 品で述べたように, アトリビュートの使用は必ずしも避けることができなかった. 自己の美学の知 的基盤に基いて制作したと考えられるクノッフは作品の意味を取り違えられないよう に, 慎重に 象 徴を使用している. ラファエル前派のロセッティ の詩からタイ トルを取った作品,《私は自分自身に 扉 の 鍵 を か け る》 (1891 年, ノ イ エoピナ コ テ ー ク, ミ ュ ン ヘ ン) では 美 の 具 現 で あ る と 同 時 に 悪 の. 7 ) 処女性を表わ 権化でもある女性,彼女の処女性を示す白い百合の花 等伝統的な象徴を使っ ている2 . す白い百合は本来キリ スト教的象徴であり, ロセッティ の 《祝福された少女》( 1875一1879年, レ ヴ ァ ー 夫 人画廊, ポー ト・サ ン ライ ト), カ ルロ ス・シ ュ ワ ー ベ の 《百合の聖母》( 189 9年, 個人蔵). など例は 多い. 象徴の意味が周知のものであり, 確定されてい る場合には, 形態自体から何かを感じ取ることよ りも, 言葉のように意味を認知し, 読み取ることが先行する. このようなアトリビュートの使い方 は ドニの定義からすれば, 象徴主義絵画の目的とは矛盾する. これを克服するために, 使い古され た 象 徴 を 新 しい も の に 取 り か え, 個 人 的 隠 噸 を 使 用 し た. こう し て, ル ドン, ム ン ク, ゴ ー ガン 等. は主題の形態表現として抽象的あるいは 音楽的等価物を追求した. しかし, 観者への伝達を容易に するために, 自分たちの描いた自然の形象のうちに, 主題のための類似点を見つけだした. ピュ ヴィ ス・ド・シ ャ ヴァ ンヌ の 《貧しき漁夫》( 18 81年, ルーブル美術館) が象徴主義の先駆的作品として 賞讃されたのは自然の風物の感情表出力を巧みに利用したからである。 一 貫して快活な調子を示す. ドニの絵も, 魂の平穏さ, 流れるような線と構図の伝える平 静な調和を通してと同等に, 緑の草, 花, 繁茂する樹木が連想と結びついてて, 変わることなき春の幸せを示唆している.花と野原はホー ドラーに宗教的図像に頼らずに, 主題の精神的意味の暗示手段を与えた. 《聖別さ れた人》( 1893- 4年, ベ ルン美術館) の幼い少年の背景をなす花と野原は, 一種の自然の道徳化を通して, 主題の 9 図像的説明と同時に, 線の連続と反復により形成された理念の形態表現の等価物となっ ている。 ところで, 象徴主義絵画の様式特徴は平面性の強調 にある. 肉付けを希薄化し, 一様な平面だけ で構図を作り上げるために, 連続する線が使われた. しかも, これらの線は重要な表出的役割を荷 う こ と に な っ た. ゴ ー ガ ン の 《神の日》( 1894年, シカ ゴ芸術協合) やムンクの 《叫び》 ( 189 3年, 国立美術館, オスロ) のように, この種の線が特別な緊張と強烈さを示し, 観念と必然的に観念に 類似した物体の表現との間の緊張をも暗示する. その上に, 創造者の内的衡動を露わにし, 苦脳の 痕跡も止めており, 作り手の存在から決して自由にならないことを示している. この点で, 象徴主 義者に様々の影響を与えたプリミティ ブ芸術の特質を共有している。 線の表出的要素と自然のモチーフとの結びつきは, ミンネの《いばらのもとの若者達》 ( 189 2年, 所在不明)が好例である. 若者達はいばらの茂みに囲まれ, その小枝と彼らの髪の毛は絡らみ合い, いばらの意味を明らかにしている. いばらは精神に対する物質の妨げ, 敵意を意味する. ミンネは これをぎざぎざの断続的な線と流れるような髪の毛の線で示唆した. 髪の毛は主に女性の属性を表 43.
(9) . 古. 川. 俊. 英. 現する効果的モチーフとして, 象徴主義絵画で数多く使われた. 彼らが女性に2重の性質を見たと 同じく, 髪も女性の悪意ある表情 (あるいは, 願望の実現を防げる全てのものの象徴) にも, 女性 1892 の優しい表情(あるいは善, 男性の願望の象徴)にも使われた. 《お)汝の勝利を埋めた墓よ》( 年, アムステル ダム美術館) で, トーロ ッ プはいばらに代表さ れる断続的線と髪の毛の流れるよう な線 で悪と善の対立を表現している. この作品では, 線が画面を完全に 支配している. これらの線 はまた主題の視覚上の表現 的等価物でもある. ふしく れだっ た木のこぶだらけの枝の切れ切れの角 ばっ た線は悪の誘惑及び危険を表 わし, 髪の毛や衣裳の流れるようなスムースな線は善の認知, そ 1893年, 国立クレラ-=ミュラー美術館, オッ こから派生する平和と調和を象徴する. 《時の歌》( テルロ) では左側の悪の表現, 右側の救済の律動的な秩序を対照 的に表現し, 画面を越え, 枠の外 ま でこれらの線は拡っ ている. 象徴的対位表現法とでも呼ぶべきトーロ ッ プの表現法は 《3人の花 嫁》( 1893年, 国立クレラ-=ミュ ラー美術館) で最高潮に達している. 中央に花嫁 (または処女) 左右に修道女 (年味の悪い禁欲主義で満たされた熱情) と娼婦 (飢えの満たされないスフィンクス) が立ち, それらの背後の線は人物の属性を示す. 即ち, 善の側にはゆるやか で穏かな線, 悪の側の 線はピンと張り鋭い. こう した線はそれぞれの人物の役割 を浮彫りにする. そして, 鐘の中から流 8 ) こ こ で トー ロ ッ プは 象徴 れ 出 す 髪 は キ リ ス ト の 言 葉 を 運 ん でい る よ う に, 波 の よ う に 起 状 す る2 , .. から, その形態の, あるいは音楽的等価物への連鎖を確定した. トーロ ッ プ流の線の性 質のう ちに, 象徴的意味を見いだし, 他の図像と結びつけること でテーマ の内容を伝達するという方 法はともすると文学的な, 謎解きの面白味に片寄り過 ぎるという欠陥を る. しかし, 形態そ 持つ. 造形的形態の感情訴求力によりも, 説明的要素が重視さ れることにもな. 9 ) モン ドリ のものが理念を表 現しうることの実証は20世紀の抽象芸術における象徴主義に連なる2 . 9世紀の象徴主義の-発展と考え アンやカディ ンスキーの非対象絵画の 表現する意味内容はこの1 て も 良 い だ ろう.. 象徴主義者好みのテーマを羅列すると, 沈黙, 孤独, 腹想, 暗示, 神秘, 夢, 官能, 額廃などで ある. これらはそれぞれ数 多の作品で具現化されている. 中でも, 沈黙は通常見ることも, 聞くこ ともできないものを造形的に表現するという 点からも, 象徴主義絵画特有の題材と言える. ルドン 19 11年, 現代美術館, ニ ュ ーヨーク)は目を閉じ, 指を口唇にあてた人物が描かれてい の《沈黙》( る. 色彩は極端に抑制され, その色彩のうちにぼんやりと人物は浮び上る. その外側を非現実的な 不確定空間が取り囲む. 全体を暗示的雰囲気が包んでいる. この作品は象徴と再現, 擬人化と暗示 1890年, ルー の融合という点で, 象徴主義絵画のあり方を示す好例 である. ルドンは《閉じた目》( ブル美術館) でも特別な図像を使うこ となく, 沈黙, 孤立を表現していた. レヴィ ・デュ マの 《沈 1895年, 個人蔵)では人物ばかり でなく, 星の輝く 空, 遠く 退行する水の流れのかすかな光が 黙》( 暗示的様相を強めている. 沈黙は象徴主義の画家にとっ て, ただ音がないということでもなかった し, 沈黙そのもの表現することが目 的でもなかっ た. 沈黙は本質的なものに精神を集中させる 手段 であ った. メーテルリンクは優れた 生活は沈黙だけから作られると信じ. 未知なるものとの交信を 1年) 89 189 1年)〈沈黙の王国〉(1 可能にする力をもっと考えた. ローデン バッハは〈沈黙について〉( た孤独の必要性を説いた 道徳原理の水準にま で高められ を出版し, . 象徴主義の画家は伝統的な擬人法や寓険に頼よらずに, こうした沈黙を表現した. グザヴィ エ・ メ ルリの《事物の魂》( 1890年頃, 王立美術館, アントワー プ)では上昇する階段と楽器を抱いて座 る婦人の彫像が描かれているに過 ぎない. メ ルリは普通の室内の 空虚な薄暗い空間の描写を通して 1895年, ピカ デリー画廊, 沈黙と孤独の感情を伝達した. メ ルリの他の作品, 例えば《尼僧の祈り》( ロン ドン)でも沈黙, 空虚, 静けさの同 一の表現を示している. このような暗示的沈黙の表現は ヴュ 44.
(10) . 象徴主義絵画. イヤールの家庭的な室内画, 例えば《沈黙の生活》( 1 894年, ニューヨーク現代美術館)にもあては まる. 日常的な見慣れた品物の表面下に隠さ れた不可思議な力が暗示される。 ゴー ガンの 《ゲ ッ セ 1891- マネ の キ リ ス ト》(1889 年, ノ ー ト ン 画 廊, フ ロ リ ダ), ム ン ク の《〆 ラ ン コ リ》ま た は《嫉 妬》( 92 年, 国 立 美 術 館, オ ス ロ), ホ ー ドラ ー の 《内省に耽ける人》( 189 3-94年, ベ ルン美術館) , ミ ンネ の 《ひ ざまづく若者》( 189 8年頃, ガン美術館) など, 沈黙と孤独をテーマにした作品である。 これらは象徴主義の反物質的関心, 現象世界の姿よりも気分を表現したいという欲求の一部であっ た. こうした傾向が象徴主義芸術の抑制された 静的性格を生みだしたのである。 こ れ ら と 対 照 的 な テ ー マ が 官 能, 額 廃 の 領 域 であ る. ユイ ス マ ン ス が〈さ か しま〉 (1884 年) の 中. で賛美したデカ ダンスの世界と共通する。 その源をモローの神秘的な神話表現に求めるのは妥当で ある。 《オイ ディ プスとスフィ ンクス》( 1864年頃, メトロポリタン美術館)は象徴主義絵画におけ きいう 本 来付属 さ れて る ス フ ィ ン ク スの 表 現 の 手 本 を与 え た. モ ロ ー の ス フ ィ ン ク ス は 生 命 の 神 秘.. いた意味は殆んど表象せず, 精神の敵である物 質的世界の罪深い存在を代表する. つまり, モロー がサ ロ メ, デリ ラ の 描 写 で示 した あ ら ゆ る 肉 欲 の 誘 惑 的 な 卑 しさ の 象 徴 であ る. ク ノ ッ フ の《ス フ ィ. 1884年, 所在不明)は魅力的だかが倣慢な婦人の姿を示しているが, 後に再び《愛撫》( 1 896 ンクス》( 年, ベ ルギー王立美術館) で, それを取り上げ, その動物的性格をヒョウと結びつけた。 こう した 人間の肉欲, 官能的な要素は多様な装いをも って取り上げられた. クノッフの官能的なものと理念 の対立感情の表現は象徴主義のなかの官能性と煩廃的な美への傾斜を示す. フオ ン・シュ タッ クや クリンガーの妖婦もこの系統に属するもので, 写実的表現が逆に重要な役割を持つことになる. 描 かれた対象自体の目に対する喜びが, 前面に現われ, 象徴主義特有の暗示性は後退する. 象徴主義とは別の立場で制作し, 思想画画家達の尊敬を集めたベ ッ クリンは《死の島》 ( 188 6年, 3 0 ) プ 主義者 重苦しい表現 暗うつな た ) に数えられることにな ツ ヒ美術館 によ て 象徴 フィ っ 。 ィ っ , , 空, 全体を包む静けさ, 中央を占める岩石島のどっ しりした姿, 納骨堂, 暗い糸杉, これらは避け 難い運命に捉えつけられたような悲痛な気分を感じさせる。 この絵は人物の内面世界と風景が融合 し, その力をお互に交感するところから人物のいる象徴主義風景の典型と考えられるのである. 人 物と自然の情調の交換はムンクの月光と不安の間に,ゴー ガンのタヒチを描いた作品に,ホー ドラー の 《昼》 ( 19 189 9年, ベ ルン美術館) や 《春》( 01年, フォ ルクワン グ美術館, エッセン) にも共通 する. 人間の気分や生の進行を自然に反映させ, 日々の時の巡り, 季節の循環を人間の生の移行と 188 結びつける風景画の世界がそれである. ベ ルナールの《愛の森のマ グダレーヌ》( 8年, 個人蔵) か らム ン ク の 《叫び》 への流れは究極的には ヴァ ン o ゴッホの野原や樹木や空の生命あるものの如 き感情を表出する自然に進む。 ゴッホは決して象徴主義者 では なかったが, 彼の考え, 作品に象徴 主義の要素を見いだすことが多い. これは, このような象徴主義者の宇宙への主観の投映が人間感 情の強烈な表出を目指す表現主義との間の近親関係を示すから である。 同様に, ラン ゲやフリート リッヒのような浪漫主義者も多くの類似点をもつにも拘わらず, この点で区別される. 彼らは殆ん ど個 人的な感情的情況の内で創造することはなく, 自然のうちに人間の精神の反映を見いだすのは 両者が神の被創造物だと考えるからである。 このように, 象徴主義美術は浪漫主義と表現主義の中 間に位置するものと考えられる。. 〈注〉 l i l i l tL.:Symbo tand Symbo 1)De evoy s sm,Geneva 1978 . ,14 ,Rober ,p 45.
(11) . 古 川. 俊. 英. bid l 2)De evoy :i .p.12. 3)「色彩や, 輪郭線や, 音や, 香りの持っている精神的意味を人間に教えてくれたものは, 想像力である. それは 83 81年 1 世界草創のはじめに, 類推と陰除を教えてく れた (福永武彦編 「ボー ドレール全集IV」 人文書院 19 想の中におとし その香りは私を深い夢 しぎな効果を与える りは こと私自身にふ 「 褐色や赤の金蓋花の香 頁) . , , 0頁) いれる. そうすると, 遠くの方でのように, オーボエの重々しい深い音が聞えてくるのである.」(同上 2 l i f ia Pr iv ess t h i f Modem Ar orn ipp .50 4)Ch .P ,1968 .ofCa ,Un , H.B.:T eoreso プ畑を描き, 9月にはベル・イー ーリ りのチ た エトルタでは花盛 1 6 年 3 ュ ッ )モネ は 8 8 月 オランダを再訪し 5 . ,. ルヘ移り, 《ベル・イールの岩群 (獅子の岩)》 , 《ベル・イールの岩》 など, 海岸風景を描 , 《ベル・イールの嵐》 い た.. f ’ i i impres ixauneo rman・964 l sme ‐ s on acro ・ 6)SignaC ,pp l03f , He ,P.:D Eugene De i t i i brai i r eJos邑Cor -meme 7)Redon .pp ・26-27 ,1961 ,l ,0.: A so A A h ince iv f brec tDurer ton Un tof 1 es s 8) Panof eand r sky .pr .156一176 ,1955 ,pp ,Pr . ,E.: The Li lumbia inaPres iv i l i s/Co ミ 美ofSymbo sm,Un 9) Fingesten,P,:The]&l p ,C,1970 ,120一 ,ofSouthCarol ,S ,pp 121 . l i th t Ar t s 1 ) LucieSmi 0 . .7 ,Thamesand Hudsonl972 ,p ,E:Symbo 130 i ten t 11 ) Finges .p . . .c ,P.:op. 1 2 ) Seznec,J .204一205 . セズ ,pp .:Thesuvivalofthe Pagan Gods ,Haper Torchbooks Happer&Row l953 ネ ッ クは こ の 戦 士 がマ ルス である こと に 疑 問 を提 示 し, ラ ン スロ ッ ト, ある い はロ ÷ エ ン グリ ー ン のよう な 人物. とも考え, 騎士道物語に関する表現と推論している. 1 1 ian i don 1 t ) Wrethey,H.E.:Ti 1 3 .18 パノスキーはこの絵をスコラ哲学の道 .1971 .50一511 ,p ,1 ,pp ,1975 ,Pha 徳的神学に基づいた慎重の表現だとしている. 3組の頭は, 記憶, 知性, 摂理であり, 過去を保存し, 現在を知. i i lin ique Re l l:“A Lat e Ant ousSymbo り, 未 来 を 予 想 す る こ と 表 わす と して いる. E.Panof skyandF.Sax g ” lbe i ian Bur l i ine XLIX I926 Wr t nand Ti ngton M【 agaz orksby Ho .pp .177一181 . lofthe Warburg l i i ) Gombr 14 ch c工mages .こ の 研 究は 1945 年 Journa . H:Symbo .1-78 ,E ,Phaidonl972 ,pp i i he Rena i M i d C l d工 i P t W d t t t t nt s sance an ourau ns u es に発表したものの改訂版である 及び n agan yseres ,. .. ,. Peregr i r の1958 年 版 であ る. ne Bookl960 .113-140 .この 本の 初 版は Faber & Fabe ,pp i T G i i P h i d 1 9 1 7 1 6 6 t ) Pignat : o r o n e e o n 15 g p , , ,. . ,. 2 ) 小林太市郎:”マラルメの詩論” 美学4 1 6 6 0 , 19 , 11頁. ’ E:Gi Tempes oxford C1 i t s ) Wi o r o n e s a ar endon Pres 1 7 nd g .4 . ,p , , i i i t t ) Calves 18 .p .102 . .c ,Pignat ,op ,L,quot. i 1 ) C1ark, K,:Landscapeinto An,Pel can Books 9 . .71 ,p 小林太市郎 前掲書 一 2頁 2 ) 1 0 1 0 , , . ) この作品とベ ルナールの 《牧場 の ブ ルター ニ ュ 婦 人》 (ドミニ ー ク・ドニ・コレ ク シ ョ ン, パリ) を綜合主義最 21 i bl i t s ‐Avent othequedesAr 初の作品と 考える べき であ る.Jaworska,W.:Gauguinetじ弦;oledePont ,Bi ,Par , 1971 . .230 ,p l i tp 22 ) De evoy:op .c .80 .. 2 3 ) 《黄色いキリスト》はトレマロの教会堂にある木製の牒刑像に, 《緑のキリスト》はニゾンのロマネスクの石の ion i ld lmpr t キ リ ス ト の 牒刑 像 に 基い て制 作さ れた. Rewa ‐ es s sm,the Mu s eum of Modern Art .:Pos ,New ,J York,1978 -284 .282- . ,pp ld:i b id 1 ) Rawa 24 p . . 91 . ipp:op i t ) Ch 25 .c . ipp:i b id ) Ch 26 . .p .94 i 27 ) Goldwater sm,Happer&Row, New York,1979 .208 . ,p ,R.:Symbol l dwater i b d 28 ) Go . .pp .252一253 ,R:i i P ten t 29 ) Fi nges :o c p . .pp .106-118 . , , ) ベ ッ クリ ン は こ の 絵を 単 に 《夢の絵》 と 呼ん だ. 現在 の題名 は 画 商 フ リ ッ ツ・グルリ ッ トによ っ て 付け ら れた. 30 Go dwat i l t er:op .c .p .269 .. (本学助教授 札幌分校). 46.
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