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二コラ・プサンの風景画について

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(1)Title. 二コラ・プサンの風景画について. Author(s). 古川, 俊英. Citation. 北海道教育大学紀要. 第一部. A, 人文科学編, 17(2): 134-146. Issue Date. 1966-12. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/3919. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 第1 7巻. 第 2 号. 北海道教育大学紀要 (第一部A). ニ コ フ. o. 1年12月 昭和4. プサンの風景画について. 古. 川. 俊. 英. 北海道教育大学札幌分校美学美 術史研究室 .. 丁oshihide FURUKA・VA ; 0n the LandscaPe of ト i i col as Poussin. on the Landscape of Nicolas Poussin. By Tosh de Furukawa ihi . Landscapes o f Ni i fideal landscape. co col as poussin (1593-1665) have a characterist. d not Paint any landscape pain[ He di ing before hi i though he had had an t es s 丘f , al immence aPetite for nature. He began i ion in 賃gure pa ing int t only after hi s exert brought forth a sat i sfactory product - a monumental style of 7〃””海γα ’”αg“ 蛎cα .. Thi igorous nature o f hi ー stance decides r s circulr slandscape, The Pi ial imaginat ld o ion take root deeply in the l f vi l or ovid ctor i caI Wor r ーythi rg ,. Theimage ofthe Golden Age of 駕 anki nd haunts around his landscape, though it is ー bi i 1 t t th the ph er ed and weighented down wi osophy ofthi s stoica1 Painter. one o f the mos t cardinaI Problemーs in landscape ofthi s tyPei s that of the unity of foreground and background. Pouss in s i tin two LandscaPeswi thPhoc olvedi on(1648) .. The strict geometric sche宝 in had es i deal l エ ーe wi th Whi tabl ch Pouss shed hi audscape si l d i d l i d ion Pregnant s oosene or conceae as he works on mythorogcal subject , an express th meaning wherethe al legor i i lements increase the o Wi lder he grows cal and emot onal e becomes exP 1 i i t ion of e , The Four Seasons (1660-64) are appriciated as a condensat in’ k whol e range of Pouss s wor s ,. 若年期から円熟期 への芸 術的進展過程において, プサソは新たなジ ャ ンル, 風景画 へ 踏 み 込 )を除けば, 一 貫 して神話・伝説o聖俗史等から題材を借り む. 彼は生涯を通 じて, 数点の自画像1 受け, 古代世界の形象化に打ち込んだ, この文化遺産と して伝えられて来た文学的倫理的理念の 視覚化形象化のうちに ブサン芸術の特殊性が認められる. 若年時代, 彼は< バ ッカナル>に代表 される生の歓喜を歌い続ける. しかるに晩年に到るや, 病気, 人生経験, 肉体的衰退と歩を合わ せ る よ う に, こ の < 快 活 さ 〉 は 失 な わ れ,. プ サ ン芸 術 は 変 貌 す る R ・ ユイ グ の 言 を 借 り れ ば , ,. 「老年の重みが 宗教的意味を要求する時, 生は人間の行為から身を引き, 世界に溢出する ブサ . ) ソは季節の永遠かつ緩慢な循環のうちにリズムと法則を知覚する2 」 のである, つまり, 単なる 人間的行為の具現に止ることなく, 人間およびそれを取り巻く自然を類稀なる姿で一致せ しめ, 世界像と して提示することを 目指す, 自然の景観 の中に人間を小さく添景 した ブサンの風景画が -134-.

(3) . 古. 川. 俊. 英. 彼の芸術の集大成の意味を持つのもこの点においてである, これこそ, 彼の芸術が生への愛と理 性への愛の均衡関係のうちに変転 しつつ到達 した至高の絵画世界と云える, プサソの風景画は今日的風景画の概念, 自然の忠実な再現という観点からみれば, 純粋の風景 画ではない, 所謂<構成された〉風景画である. 彼は確かに若年時代から数多くの風景の写生デ ) ッ サ ンを 残 して い る. しか し, こ れ ら の デ ッ サ ン と タ ブ ロ ー と の 関 連 は 稀 薄 で あ り3 ,. 単なる 修. 練, 材料収集に止ると推察される. ブサ ソのこの<構成された>風景画は, さらに, 理想的風景 画という範時にも属 している. 一つの主題のもとに自然景観の中で演 じられる人間劇の形態を附 与される, 理想的風景画とは, グラムの定義によれば, 「文学的あるいは倫理的表象を基礎と し ) て, 自然の手本を自由に活用 し,美的観点から具象的に構成された風景画4 」 ということになる. この種の風景画にあっ ては, 予め完成された理念がまず存在し, その理念のもとに偶然的現実を 意識的に放棄 し, 自然の高尚で洗練された形 態への晶化, 意味深い人間的出来事の舞台への昇華 が行な われる. 云いかえれば,手本たる自然の偶然性を越えた形態に迄高めることを志向して自然 を描く ことである, 本質的でないもの, 混沌たるものは除去され, 主題の情緒に適合 した表現形 態が自然か ら選び出され, 相互関係を解き放された後, 再び, 一つの新たな総合体と して融合さ れる, 理想的 風景画はかように して, 美的観点から多少とも自由に創造されたく構成された>風 景画と 必然的に結びつく, 理想的風景画は, 根底をなす文学的あるいは倫理的モメ ントに従い, ドラマティ ックな悲壮性, 叙事的牧歌調, 1や情調へと情調のニュア ンスを変える 英雄の働きに 。 あるいは彼等の情緒に適 切な表現を与えられる時, つまり英雄にふさわしい舞台と してすべ ての 形態が具象化される時には, 英雄的風景画と呼ばれ, 単なる歴史的資料による附加的アクセサー と して処理されるのではなく, 歴史上の人物の情緒が背景の自然に反映す る形を取る時には, 歴 史的風景画と呼ばれる, 主要人物の情緒性, 精神性と風景の表現形態とに緊密な相関関係を維持 せ しめることが, 理想的風景画の必須の条件である, このような諸 生質を包含する プサンの風景 画を, フリー トレンダ←は, 端的に 「人間気質の表出意志から生れた風景5 ) 」 と評言している, 風 景 画 は 中 世 以 来 の月 暦 の 絵 を 受 け 継 ぎ, い て 発 展 した の で あ り,. 主 に フ ァ ン・ アイ ク 以 後 の 二 ← デ ル ラ ン ド絵 画 に お. グ レコ ・ ラ テ ン の 思 想 を 継 承 し, ノ\体描 写 に 重 き を 置 い たイ タ リ ア で は. 傍系的存在に過ぎなかった, とは云え, 既にジオッ トーの風景描写のうちに, 神秘的に輝く金地 背景から脱却し, 人物像と山川草木や建造物と の結合へと向う. 即ち, 風景画への発展の最初の ) こ の 様 な 人 物 構 図 の ア ク セ サ リ‐ 萌芽 が 認め られ る6 ‐と して用 い ら れ た 風 景 モ ティ ー フ が, 徐 ,. 々に重要性を増 し, 占有部分を拡大して, 人物像と風景モティーフの比率を逆転するに到る? ) . こ の 様 に して, ヴ ェ ネ ツ ィ ア 派 の 牧 歌 的 情 緒 を 持 つ 風 景 画, 所 謂, ペ ィ サ ー ジ ュ・ュ マ ニ ス ト8 )が 生 まれ る. ア ンニ バ ー レ・ 力 ラ ッ チ や ドメ ニ キ ー ノ のイ タ リ ア 理 想 的 風 景 画 は, こ の 伝 統 よ り 発 して い る. プ サ ンの 風 景 画 と こ のイ タ リ ア 理 想的 風 景 画 と の 関 係 は 明 白 で あ り, 特 に ドメ ニ キ ー ) ノ と の 関 係 は, フ リ ー ト レ ン ダ ー の 様 式 上 の 指 適 の 通 り 密 接 な も の で あ る9 .. に も 拘 ら ず, フ サ. ンの風景画が単にこれら先人の直接的影響のもとに生まれ出たと断定する訳にはいかない. ベロ o ) ー リ は, プ サ ン が 第 一 ロ ー マ 時 代 の 初 期 に 大 い に ドメ ニ キ ー ノ に 傾倒 した こ と を 記 して い るl .. しかるに, プサンが風景画制作を開始 したのは, 自己の画業を殆んど大成 し, 人間的にも成熟 し た50才 の 半 ば を 過 ぎ て か ら で あ っ た, 伝 記 作 者, フ ェ リ ビャ ン は, プ サ ンは1648年 に < ディ オ ゲ ネ ス が 鉢 を 打 ち 砕 い て い る 大 風 景 画 >, < フ ォ ー キ オ ンの 話 を 扱 っ た 2 枚 の 風 景 画 >, <大きな. 道のある風景画>を制作した=)と記 している. これが文献にあらわれた最も早いものであり,従来 はこの年代を ブサソの風景画制作開始年代と していた. フ ェリ ビャ ンの記述に含まれない作品の -135-.

(4) . ニコラ・ プサソの風景画について. 発見と共に, この年代 が疑問視され, その後の研究により, 現在では, バル ベリーニ宮殿で発見 in-Dahl l em)》 を 最 初 の 作 ate Museums さ れ た 《 マ タイ と 天 使 の い る 風 景 (1640年 代 初 め,St , Ber 2 ) 例 と 考 え る の が 通 例 で あ る1 , 1642年 秋, ブ サ ソ は 2 年 間 に わ た る パ リ 滞 在 を 終 え,. 再 びロ. マヘ 帰える. 多忙な パリでの宮. 廷生活から解放され, これ以後, 彼の芸術は真の円熟期に入ることになる. この転機に永年の懸 案であっ た風景画に着手 したと推定するのは妥当であろう. 既に若年時代において, ブサソは自 然 に 深 い 関 心 を 示 して い た.. 第 一 ロ ー マ 時 代 の1630年 代 の 初 め に, プ サ ソ, ク ロ ー ド・ ロ ー ラ ン. イ ル・バ ン ポ ッ チ ィ オ が 共 に, ティ ヴォ リ ヘ ス ケ ッ チ 旅 行 に 出 樹{寸 た 事 実 を サ ン ドラ ー ト は 書 き 残 ) 生 き た 人 間 を モ デ ル に す る こ と の な か っ た プ サ ン が, 憧 れ の 地 p ‐ マ ヘ 落 着 く や, 3 して い る1 .. 直ちに写生に出掛けたということは, ブサソの自然に対する関心の深さを物語ると考えても良か ろ う, しか る に, こ の 時 代 に は, 風 景 画 を、一枚 も 制 作 して は い な い, 風 景 画 に 取 り 掛 る ま で に,何. 故にこの様な長い年月を必要と したのであろうか, プ サ ンの 風 景 画 の こ の 特 殊 な 状 況 は 興 味 あ る 問 題 を 提 示 す る.. P ・ フ ラ ンカ ス テ ル は こ の 点 に. 着目 し, 「プサンの様な人にとっ ては, 美的秩序や人間的秩序についての新 しい問題を手樹{する ために, 自己 の作品の規則的発展から突然抜け出すことも可能ではないのだろうか, 云い換えれ ば, 技術的に既に高度のものを示す作品の表面上の首尾一貫した発展の内部に 形態と想像力の関 係の急激な変化を招 来し, 新 しい造形言語の発明を眼前に具現する断続点を認めること が可能で 4 ) 」 と ブサソ風景画の一つの問題点を示唆 している, 彼の風景画は, この芸術家が若 あ ろ う1 . ,. 年時代から提示 して来たある種の要素の発展過程と して把握されるばかりでなく, 絵画について の新たな理念の提示でもあると考えられる。 この時点まで, プサソは人物の行為の描写を中心に 物語の具象化を 成し遂げて来た. ここで, 更に, 人物描写をこえ, それら人物像を支配する普遍 的理念の具象化を絵 画に求める. プ サ ソは常 に 借 物 の 理 念 や モ テ ィ ー フ を 使用 して い る. イ マ ー ジ ュ や モ デ ル, 附 属 物 の 形 態 も. ) 5 古代以来の文化遺産の中から借用する1 , これらの素材を, ある方法に従っ て配置 し, 結合し, 枠にはめ込んで, 絵画を仕立て上 げる, 彼にとっ て, モ ンター ジ ュの問題が根本的問題であった と推察される. 1 ( )年代後半以前の彼の絵画において, 風景モティ ーフは情緒表現の補助図式と して, あるい 64 は 単 な る 附 属 物, 環 境 の 指 示 の た め に 用 い ら れ て い る. テ ィ ツ ィ ア ー ノ の 影 響 の 支 配 下 に あ り,. 自然に則 した風景写生との関連は殆んど認められない. 例えを , 《ナ ル シス と エ コ ー (1629一30 年頃, Louvre)》 の 背 景 を 占 め る 大 木 の表 現 は, 明 ら か に, テ ィ ツィ ア ー ノ の ル ー ズ で ア トモ ス. フ ェリ ックな表現法と共 通している, また, この時代の神話や空想的主題を扱った作品の風景モ ティーフの処理には, 形態上, 構成上共にティ ツィアーノ風の汗情的効果を盛り上げるための手 640年代後半以降, ブサンの作風は著る しく変貌する. 所謂 maniera magni冗ca 法がみられる, 1 ) 1 6 の登場である , 前時代の拝情的気分は消滅し, 宗教的題材のもとに,厳粛なストイ ッ クな気分が i l i lof El esmere ect on Ear 渡 る, シ ャ ンテ ロ ー の た め の 《 七 つ の 秘 蹟(1644一48年, Col , on loan G i l f Scot land, Edinburgh)》, 一 連 の 聖 家 族 像, 《 ジ ェ リ コ の 盲 人を 癒 ionaI al to the Nat eres o. す (1650年, Louvre)》 等 が, こ の ス タ イ ル に よ る 作 例 で あ る, こ こ で, プ サ ソ は 風 景 の 底 部 に. 古代風の人物集団を配置するための探究に努める. 前景の人物群は彫刻の如くモニ ュメ ンタルな ・リッ クなシステムにもと づき整然と整えられた背景の前に配置さ 姿に組み上 げられ, フランメ1 れる. 観念的な脈絡を除けば, 両者間にはなんの厳密な意味での連絡はなく, 人物集団は風景を -136-.

(5) . 古. 川. 俊. 英. 背にくり抜かれ, はめ込まれているようにさえみえる. なんら図式的な連絡を持たないこの2つ の要素は, 云わ 士独立 して作用 し, 再構成は視覚的, 精神的, 想像的である, さらに, このスタ イ ルによるぞ巨例にはカンバスの枠と人物群との関係にも変化が認められる. 従来のf乍例では, し ば しば, 両端に位置す る人物像はカンバスの枠により重切され, あるいは, 窮屈そうに押 し込め られていた. これに対 して, 人物群は枠に対 して余裕を残 し, ゆったりと落ち着いて配置される ようになる, 描かれた世界は, もはや両側から外部世界へ拡がるのではなく, 深奥へ向っ て積み 上げられて行く, ここでは, 観者は一つの世界と対時 し, 自らその世界へ入り込むことな しには 決 して描かれた世界と 交流することは出来ない. 一つの完結 した自律的世界が形成されたと云え る, ブサンの物語に立脚 した風景画とこの世界の類縁性は明らかと云えよう, 前景と背景, 人物と自然の対応についてのこの独創的解決は, 彼の風景画の特異な構成法 (浮 彫的構成と呼ばれる層を積み重ね, 画面を構成する手法) を決定した, しか し, この時代の絵画 が風景画へ発展するためには, なお一つの問題の解決を要 した, つまり, 前景一物語の部分-と 背景の融合の問題である. ここでは, 未だ, 前景及び背景は前もっ て別個に 固定され, 各々の組 成法則に従っ て構成され, しかる後に合成されているに過ぎない, 1 64 8年以前の風景画は, この 点について 興味ある手掛りを提供する, 風景画の最初の作品《聖マタイ と天使のいる風景》は, 《 パ トモ ス 島 の 聖 ヨ ハ ネ の い る 風 景 (1644一45年 頃, Ar t i tlns tut cago)》 と 共 に, maniera e , Chi magni6ca. を根底とする作例である, 聖マタイ と天使の姿が廃虚の石を両側に従え, 前景中央に 配置され る. これが第一の浮彫層を形成 し, この上に, 中景, 遠景と第二・第三の層が積み重な る. 各層の指示する平行線が 漸次長さを減 じ, 奥行を表現する, 浮彫的構成法が本質的に平行方 向への強力な指示を持つが故に, 風景画に必須の深奥部への浸透が困難であり, かつ, 前景と背 景の分離の危険性を包含 している. ここに, 蛇行する川のモチーフを導入 して, 深奥への浸透, 前景と背景の結合の補助手段と している, この浮彫層による画面構成法は, プサ ン風景画の根本 をなすも のであり, 最晩年の連作<四季 図 (1 660一64年, Louvr )>の 《夏(ルッとポアズ)》 に e 7 ) お い て見 事 に 結 実 して い る1 ,. 《聖マタイ》においては, 物語部分と背景部が分離 し勝ちな傾向が幾分残存 しており, 各々が 別個に形成され, 合成されたという感は免れない。 この課題解決のために《聖ヨハネ》に珍らし くも術敵画法を採用 してみたのではな いだろうか. 債徹画法にもと づく壮大な自然のパノラマは ニ ー デ ル ラ ソ ト の ブリ ュ ー ゲル の作品 に 典 型 的 に あ ら わ さ れ て い る.. ブ サ ンに して も, 《 聖 ヨ ハ. ネ》において, この表現法の有効性は充分認識したであろう し, 事実, 風景表現と して優れたも のを示 している. にも拘らず, 何故にか, 彼はこれをただ一度限り用いたに過ぎない, 壮大な自 然 景 観 の表 現 を 可 に す る こ の 画 法 も, mani era magni6ca によっ て確立した, 厳と して動かざる. 秩序表現を旨と した, プサンの意には叶なわなかっ たのであろうか。 1 64 8年以後の晩年の作風を 示す 風景画と共に, 彼はこの問題の最終的解決を得ている,《ディ オゲネスのいる風景 (1 64 8年, Louvr )》は, 前景の物語部分が著る しく強調されることなく, 極めて精巧な風景描写の中に目 e 立たなく なっ ている, 深奥部への浸透についての技術的進展も著る しい, 樹木の側景(クリッセ) と蛇行する川の曲線モティ ーフの併用により, 強力かつスムー ズに視線を遠景に導く, 《型マタ イ》で, 水平線の長さを漸減せ しめ, 遠近表現のわざとらしく ない補助図式を形成せ しめていた 中景側方の森が, 《ディ オゲネス》では恰かも前方へせり出 したかの如く, 完全な側景 (クリッ セ) に変る, 側景と蛇行する河川の併用は, 浮彫的構成の必然的な強い水平効果による深奥への 侵入の妨害を解消 し, 前・中・遠3景 の緊密な結合を可能に した, 奇妙なことに, 側景によっ て -137一.

(6) . ニコラ・ プサ ソの風景画について. 一方の端を樹木または岩石で塞ぎ, 他端に遠景へ連なる小さな開口部を置くという第一 ローマ時 代の神話や空想的主題による絵画の構成法に再び立戻っている. 一例を挙げれば, 《 オ ー ロ ラ と l l i ery ケ フ ァ ロ ス (1630年 代 初 期, Nat onaI Ga , London)》 が あ る, 情 緒 的 で ロ マ ンティ ッ ク な 物. 語を包含する右側は, 微光を放ち不確かな左側の遠景へ向っ て次第に消えて行く. この対照的効 果によっ て, 大いに汗情性が盛り上 げられている, この表現法は晩年の風景画においては強力 な 情緒表現のための対照的効果のために使われるのではなく, 深奥表現の有力 な武器と して, 画面 統一の具 に供されている点が 注目される. プサソ絵画が知的, 論理的, 合理的であるという事は, しば しば指摘されて来た. 風景画と云 えども例外 でなく, K・クラークは 「自然の光景の無秩序に対してさえ, 論理的形態を与えるこ ) 8 とによっ て, 知性のために新 しい征服を達成するという野望に燃えていた1 」 と 推 論 して い る, i n i 自然の光景に秩序と永 遠性を与えるという試みは, man e a magn ca の あ の モ ニ ュ メ ンタ ル な r ス タイ ル と 直 接 的 に 結 びつ く こ と に よ っ て 可 能 と な っ た.. しか し, プ サ ン 風 景 画 の 特 質 は こ れ の. みに止らない, 彼の絵画には, 美と調和, 即ち, 画像の形態, 構図の緊密な結合, 統一等, 形態 上の特性と共に, 主題の処理の問題が併存 している, 「題材は高貴であらねばならない」 と1665 年 3 月 1日 付 の シ ャ ン プ レー 宛 の 手 紙 で 述 べ,. 題 材 の あ り 方 を 規 定 して い る, ま た, ベ ロ ー リ が. }> によれば 「題材は他のす べてのもの 9 プサソの理念と して採用 している<絵画についての所見1 の根源であるが故に, 題材や主題は戦闘, 英雄的行為, 神々に関するものの様に, 偉大なもので あらねばならな い」 , さらに, 「低俗な主題を選んだ人々は, 精神の低劣さ故に, 逃避 している のであり, 芸術家は芸術上の手段が役立たない様なむさくる しく, 低俗な主題を軽蔑 しなければ ならない」 と強く述べ ている, 題材に対するこの様な配慮は《聖ヨハネ》の場面設定のうちに窺 い 取 れ る, 聖 ヨ ハ ネ は ドミ テ ィ ア ヌ ス 帝 に よ り 追 放 さ れ,. パ トモ ス 島 で 鉱 山 作 業 に 従 事 す る こ と. を宣告される. その島で, 彼が黙示録を執筆するというのがこの題材である, 流刑地 パ トモス島 は本来, 世間から孤立 した荒れ果てた岩石島である. ところが, プサソは遠く本土の山々を 望む 雄大な眺望を持ち, 樹木の生い茂る恵まれた自然を採用 している. そ して, 僅かに聖ヨハネを囲 む崩れ落ちた廃跡の石で, 荒涼たる岩石島を暗示 している, この変形の根拠は, この島が追放の 地であるにも拘わ らず, 聖ヨハネにとっ て至福の地にな った, つまり, 主キリス トが視覚と聴覚 を通じて来たるべ き時 代の姿を先取せ しめた場所であり, この出来事が安息日に生 じたという理 由で, 荒涼の地も豊かで美 しい楽園に変るという思想に基づいたのであろう, この変形の結果, ブサ ンは聖者の偉大さと聖者を取り巻く自然の間に, 微妙な感応を生ま しめることに成巧 してい る. 神の崇高なる秩序のもとに, 故意に様式化され, 理知的秩序を荷せられ, 主人公の精神性, 情緒性を分ち合う自然の姿がここにみられるのである, こ こ で, 風 景 画 を 離 れ て,. ブ サ ン の 題 材 解 釈 が い か よ う な も の で あ っ た か を, 《 ア ル カ デ ィ ア. の 牧 人 》 を 取 り 上 げ て 考 察 す る, ヴィ ル ギ リウ ス が 歓 喜 と 美 の ュ ‐ ト ピ ア と して 詠 っ た ア ル カ デ i ィ ア を 舞台 に, <Etin Arcad ae go>という章句を中心に展開する生と死の対比を眼目とする こ の 絵 を, プ サ ンは 2 度 に わ た り, つ ま り, 1630年 頃 と ま さ に 円 熟 期 に 入 り つ つ あ っ た1639一40年. (4 2一4 3年頃とする説もある) に制作 している, <Etin Ar a ego> な る 章 句 は, 後 の ク レメ ンス 9 世, つ ま り, 詩 人, 芸 術愛 好 家, 人 文 主 cadi 義者 の ジ ュ リ オ ・ ロ ス ピ リ オ ッ シ の 創 始 した も の と 伝 え ら れ る, そ の 意 味 は 「ア ル カ デ ィ ア に お. いてす ら, 吾はあり」 で あ る と 解 釈 さ れ る. こ の 主 題 は 既 に, G ・ F ・ ゲル チ ー ノ に よ っ て 絵 画 l i i 化 さ れ て い た (1621-23年 頃, Pa azzo Cor ni s cad n Ar a , Rome). ゲ ル チ ー ノ の 絵 で は,<Eti 38一 -1.

(7) . 古. 川. 俊. 英. ego>と刻まれた朽ち果てた石の上に, 巨大などくろを発見して, 歩みを止めた2人の牧人の姿 が示される, どくろに腐蝕と破滅の シンボル, 蝿とねずみが併置され, このどくろが 死者の頭蓋 骨 で はなく, 死 神 の 頭, 即 ち, 擬 人 化 さ れ た 死 の シ ン ボ ル で あ る こ と を 表 わ して い る , 16・17世 紀 に は, 喋 べ る し ゃ れ こ う べ は 通 念 と な っ て い た. 従 っ て, こ の 章 句 が どく ろ に よ っ て 語 ら れ た. ことは明らかである, この絵 の理念は人文主義的仮装をまとっ た中世の死の啓示, つまり, 古典 化された理想的田園の中に移されたキリスト教的道徳的理 念と云える. プサソの最初の 《アルカ i l i t デ ィ ア の 牧 人 (Devonsh ect on at Cha th)》 は, いく つ か の 変 更 が 加 え られ て い る e Col r swor に も 拘 わ らず, ゲ ル チ ーノ の 絵 と の 関 連 が 認 め ら れ る, こ の 絵 が 《 パ ク ト ー ロ ス 河 で 沫 浴 す る ミ. l i ダ 【 ス (1629一30年 頃, Met tan Museum)》 と 対 を な す 故 に 河 神 ア ル ペ イ オ ス の 無 心 に 水 ropo. を流す姿が加えられ, 朽ちた石が大石棺に代えられ, ゲルチ ーノの構図が修正され ている さら . に, 女人の姿によって, アルカディアのなまめか しい含蓄が強調される, 牧人の姿に残存する劇 的驚きの要素は, ゲルチーノの作と同様, 左方か ら近づいた牧人が突然歩みを止められた ことを 表わ している. 棺の上には, 小さく 目立たない姿ではあるが, どくろが示 される ただ 牧人達 , , の姿には死神の恐るべき言葉によっ て,衝撃を与えられたというよりも, 碑文に惹きつ けられてい る暗示が認められる, この点に, プサソの知的傾向がみられるとは云え, 牧人の驚 き 突然の停 , 止, どくろの存在などから, 碑文は死神の発 した言葉と して,「アルカディアにおいても 吾 (即 , 0 ) ち死) はあり」 の意味で扱われている2 , この場合も, 二重の教訓, 生活の真 の価値を犠牲に し ても, 豊かでありたいという欲望に対する警 告, および, 利那的快楽の無分別な享受に対する 警 告を志向するも のと推測される. しか し, 後の 作例では, 中世的教訓の伝統 は完全に破棄され, ヴィルギリウスの詩の世 界に対 する ブサソの理念が描かれる, 劇的驚きという要素は認め られず, どくろも姿を消す 左方か ら , 近 づく牧人に代り, 墓の両側に均等に配された 4人の人物により画 面は構成される , 突然の恐ろ しい現象による停止ではなく, 静かな論議と腹想に耽る, 墓は平らな直方体の岩に単純化され , 画面に並置される。 右方の乙女の立像を垂辺とし, その頭部と左方で片膝をついている牧人の坐 像を結ぶ斜辺の作る直角三角形, およ び, 左方の牧人の立像の垂辺 その頭部と乙女の足とを結 , ぶ線の形成する直角三角形の組合せにより, 斜辺の交点 に位する碑文に視線を集中させ 主題を , 指示する. 巨大な墓石は中央部を閉鎖 し, この集中効果を高める 墓石を中心とする人物像の配 , 置 は, 釣 合 の と れ た, 一 種 モ ニ ュ メ ンタ ル な 画 面 を 築 き 上 げ て い る , こ れ に, 透 明 で は あ る が, あ ま り 鮮 か と は 云 え な い 色 調 が 加 わ り, メ ラ ンコ リ ッ ク,な 情 緒 を か も し出 して い る , ここにおい て, <Etin Ar cadi a ego> の 意 味 は, 前 述 の 作 品 と は 根 本 的 に 異 っ て い る 死 の シ ンボ ル た る ど .. くろの消滅によっ て, 厳しい未来についての警 告を知らせる死神との劇的遭遇を意味するのでは なく, 墓 そ の も の に 関 係 づ け られ, フ ェ リ ビア ンの 解 釈 , 「こ の 墓 に 埋 め ら れた 人 が, 昔 ア ル カ 1 2 ) デ ィ ア で暮 して い た 」 と い う 事 実 の 表 示 , つ ま り, 「吾 も ま た ア ル カ デ ィ ア に あ り き」 と い う 意 に 解 さ れ る, プ サ ンは, こ こ で, ヴィ ル ギ リ ウ ス の 詩 の 世 界 に 立 戻 り , 自 己 の 絵 画 的 視 覚, 造. 型的思考に基 づき, 極り文句の意義を逸脱 し, 云はば 挽歌の情調に通ずる詩的世界の表現に達 , している, 過去と現在・未来, 生と死の対比のもとに 幸福のはかなさ すべての事物の空 しさ , , ,. 冷 酷 な 真 理 に つ い て の 寓 意 を, 単 な る 図 解 に 止 ま る こ と なく , 釣 合と調和 のうちに モ ニ ュ メ ン. タルな絵画世界と,して提示する. ここに プサソ絵画の真の生命が認められる , 彼は制作にあたっ てまず主題を選 択する. この主題は文学 伝説 聖俗史等 既成のジャ ンル , , , から借り受ける. その主題は 「戦闘, 英雄的行為, 神に関するもの」 で 「偉大かつ高貴なもので -139-.

(8) . ニコラ・ プサ ソの風景画について. あり, 人間の精神に 語りかけるもの」 であらねばならない, そ して, 選ばれた主題を,恰も詩人, 哲学者の如く, 深い思索と知識のもとに 掘り下げ, 構想を作り上げる, 構図や配置の中に取り入 れねばならない諸部分を決定し, 無益に見えるもの, 混乱を惹起するも のを排 除する, 主要テー マが重視され,第二義的なものをそれに従属せ しめ, 位置を定める. 画面構成は綿密に計算され, 造形的諸要素は論理的に組み上げられる, 人物も風景も建物も不動の秩序の中に配置される, 画 面を構成する無数に絡み合う糸とも云うべき造形的与件と心理的与件, 感覚的与件と理知的与件 が一つに集中される. 風景画において も, 画面の統一を支配するものは, 内容の造形的 思惟にも ト観的統一は, すべて, この統 一関係に従っている, と づいた従属関係である, 画面そのもののク 2 )》 l lof P1 l l i ow)2 ect on of Ear y park, Lud ymouth, oakl 1648年 の 《 フ ォ ー キ オ ソ の 葬 式 (Co lof Derby,Prescot )》 は, ブ サ ソ風 景 画 の 一 つ の ピ ー l i l t ec on of Ear 《 フ ォ ー キ オ ソ の 遺 骨 (Co. クを印 づける. ここに は, 秩序 づけられた 自然の景観, 諸付属物の論理的形態, 永遠性を附与さ れた風景の姿が, 彼の 作品の中最も原理的典型的な様相で表わされている, ブル夕【ク英雄を伝の フ ォ ー キ オ ソ の 章 に も と づ い て,. こ れ ら の 風 景 画 は 制 作 さ れ た, ア テ ー ナ イ の 武 将 ・ 政 治 家 フ ォ. ーキオソは, 危機の時代に租国の名 誉と独立を 守っ て来たが, 反逆罪に問われ, 民党の手によっ て毒殺の刑に処せられた。 その上, アテーナイ城内で遺骸を焼き, 葬ることを禁ぜられた. それ 故, 2人の奴隷が, メ ガラまで遺骸を運んで行く (《フ ォ ーキオソの葬式》). 下女を連れた彼の 妻 が, 秘かにそ の灰を集め, 持ち帰る (《フ ォ ーキオ ソの遺骨》), 両国とも民衆の無理解で移り 気な気質と高 徳の英雄の崇高な死とを 対比せ しめた場面 が幾何学的構成のもとに, 厳格で非情な 風景の中に再現されてい る. 《葬式》は遠景の丘 陵, その前に築かれた古都アテーナイを表わす建築群を背地と して展開す る. 構図は画面をほぼ2分する水平線を中心軸と して形成される, 中心軸に沿っ て, 中央に祭壇 その左右に巧みに 均衡を保っ て, 建物, 樹木の配置 がみられる. 建物, 樹木の短い垂直線が, 水 平線に冷く交わり, 傾斜面 の緩やかで短い斜線が前後を連ぐ. 前・ ・中・遠各景の斜面が呼応 し合 い, 線を根幹と した錯綜 した感 じの深奥空間が形成される, 中景の牛車, 羊群が横の帯線を暗示 する. 前景には, 2人の奴 隷が白布に覆われたフ ォ ーキオソの遺骸を担架に乗せて, 遠くメ ガラ ヘ運 んでいる. 白布に, プサソの常用する左からの斜光線があたり, 主要集団が周辺の薄暗がり の 中 か ら 浮 び上 っ て い る,. ここ では 主題を明示する要素は, 中央部を閉鎖する密集した集団の形で, 前景に位してはいな い, 主要人物は殆んど風景の中に 融解 している. 意味を持つ要素一民衆の忘恩, 無関心を表わす 添景され ている小人物像, 丘辺の人々, 野辺の牧人達, この死刑が冷酷にもゼウスの祭礼の日に 行なわれたこ とを意味する神殿 の前に立ち並 ぶ人々-が画面全体に撤散らされている. さらに, 主要集団の技法と背景の付 属物の技法との間には, 対照的差異は認められず, 絵の枠内で, 完全 i t age)》 や 《 マ ナ (1638年, l に 均 一 な 織 物 を 形 成 して い る. 《 モ ー ゼ の 岩 撃 ち (1637年 頃, Ern. Louvr e)》 の背景に ある岩壁は, 「それ自体と して存在 し, 外部から侵入 して来た様に画面に入 3 ) 」 つ ま り, 作品の意味も造形的釣合も 破壊することな り込み, 勝手に出て行くことも出来る2 . しに, 容易 に 変 形 しう る, 重 要 な も の は 人 間 の 行 為 で あ り, 風 景 モ テ ィ ー フ は 附 加 的 ア ク セ サ リ ーに 過 ぎな い. こ れ に 比 べ れ ば, 《 フ ォ ー キ オ ソ》 で は, 人 間 の 行 為 は も は や 孤 立 さ れ る こ と な. く, また, 殆んど自 然の動きとも対立してはいない, 人間はすべての事物を包む自然環境と完全 に同化している. 《フォ ーキオソの遺骨》の女性の身振りは, それ自体と してはあまり重要な意 味を持たない. 前景の人物はこの絵を支配する力を附与されてはい ない, 数々の徳を重ねたフォ ー1 40-.

(9) . 古. 川. 俊. 英. ‐キオソの姿を描く こと なく, 自然の秩序をもっ て語らしめたこの絵の汎神論的意味, それは自 然の静かなたたずまいの中で, す べての個人は滅亡 して行くことを観者の精神に訴える。 この様な汎神論的世界に接近 したにも拘わらず, プサソの自然はあくまでも 「人間性の伸長と ) 4 して考えられた自然2 」 であり, 他のものよりも人間に重要性を保持せ しめている, それ故に, こ の 後 の風 景 画, 例 え ば エ ル ミ タ ー ジ ュ の 著 名 な 風 景 画 で は, ポ リ ュ ペ ー モ ス は 山 の頂 を 王 冠 の. 様に覆い, あたりを隣脱する. 前述の如く, ブサソ風景画は浮彫的構成を根底と している. この最も典型的なものは, K・ク ラークの述べている水平 線と垂直線の調和ある 釣合にもと づく 幾何学的構成と必然的 に 結 び つ く. この幾何学的図式によっ て自然を再構成する場合, 自然そのものが本質的に水平なものであ り, 垂直線を欠くという事実が障害となる, このために, 多くの場合, ブサソは建築物を導入す ることでこの障害を除去 した.. (建築物の導入は彼の風景画に古代的雰囲気を与えるという副次. 的効果をも生み出 している.) 縦線と横線が直交するためには,構図の主軸が画面に水平であるこ とを要求 し, その結果, ブサソ風景画の特性, 正面性を招来 している, しかし, 風景画の本質が 深奥への浸透にある以上, 観者の目を奥行に導く手段を工夫する必要があっ た, このために, 彼 は水平線を足場に目をスムーズに導く余 斗行線の補助図式を採用 している, ブサソが, この手段と して, 特 に 好 ん で 使 用 した の か, そ の 行 程 の 3 分 の 2 程 で 折 返 す余日了す る 道 の モ チ ー フ で あ る と 5 ) ク ラ ー ク は 述 べ て い る2 .・ こ の 分 析 は 《フ ォ ー キ オ ソ》 の 両 図 を も と に な さ れ た も の と 推 定 さ れ る が, 多 か れ 少 な か れ,. プ サ ソ 風 景 画 の 大 部 分 は こ の 原 理 に も と づ い て い る. しか し, 神話 を 主. 題とする風景画は, 主題の性質に起因する故にか, 比較的この構成から逸脱し勝ちである, 特に l i tan Museum)》 は 全 く 異 っ た 構 造 を 示 して い 1658年 の 《 盲日 の オ リ オ ンの い る 風 景 (Met ropo る, 1648年以 後, 2 ・ 3 年 間 が プ サ ソの 風 景 画 多 作 時 代 で あ り, フ ェ リ ビャ は こ の 期 間 に プ サ ソ が. 6 ) 極めて多様な12・3点の風景画を矢継ぎ早やに産み出 したことを記 している2 。 各々の作品の間 そ れ ら を グル ー プ に 分 け る こ と は 殆 ん ど 不 可 能 で あ る.. た だ, f I G l l C d o N iona a ery o ana a tawa)》, 《 2 人 の 《足 を 洗 っ て い る 女 の い る 風 景 (1650年, at . t C l l h i t 》 《 人 の 男 の ニ ンフ の いる 風 景 (1651年, Musきe Condき ) 3 い る 風 景 (1651年, a n y , ,. の 進 展 を 識別 す る こ と,. ま た,. Pr ado)》, 等の如く, 主題不明のものは別と して, 殆ん どが 神話にもと づいている点が注目され る, 《 オ ル ベ ウ ス と エ ウ リ ュ デ ィ ケ ー (1650年 頃, Louvre)》 は 対 照 的 人 物 配 置 に も と づ き, 内 容. 表現が殊に優れている. 前景右端に, オルペウスが霊感に身を委ね, 堅琴を奏でている, その傍 に 2 人 の ニ ンフ の 坐 像, 音 楽 に 耳 を 傾 け て い る 男 (ヒ ュ メ ナ イ オ ス か) の 立 像 が 続く。. こ れ ら第. 一集団は野獣も山川草木も聞き惚れれたというオルペウスの属性を暗示 し, 主題の優美な情調を 感知せ しめ,樹木の茂った光景の美 しさが一段とその調子を高める, 中景を堂々たる大河が流れ, 河 の 周 辺 に 水 浴 者, 釣 り 人 が 散 在 し, 暖 か い 日 中 の 静 け さ と 夏 の テ ー マ を 語 る. モ ニ ュ メ ン トで. 飾られた村の外壁と大河の接点に, 構図の基本である水平線が引かれ, 直交する建物の垂直線と 共に安定効果を生み出している. 遠景は建築群を越え, 深奥に消失 し, 広漠たる拡りを示 してい る. オルペウスを含む集団から少 し離れて, 驚きのあまり緑の草原に花で一杯になった龍を思わ ず取り落した 姿のエウリュ ディ ケーがいる, 鎌首をもたげた蛇を目前に, 恐怖に捕え られ, 自 ら の死すべき運命に気付いたかの如き様子である。 画面全体を支配する静に対する動の対照的関係 が 認 め られ る, こ こ に, 盛 期 ル ネ ッ サ ンス の 古 典 的 構 図 と バ ロ ッ ク ・ ク ラ シ ッ ク と 呼 ば れ る プ サ ー1 41-.

(10) . ニコラ・ プサ ソの風景画について. ソ構図の一つの類縁関係が認められる, 「すべ ての価値は, ただ相対的価値に過ぎなく, また, 各々の大きさ, も しく は各々の方向は, ただ他の方向との関係においてのみ, その効果を持つ, 」 また, 「 ・ 偏奇を感知せ しめる基準と しての垂直線を基本に, 人間の表情, 動と静, 大小複雑なも の と 単 純 な も の な ど,. す べ て 目 で み ら れ る も の の 全 領 域 に わ た っ て 個 々 の モ テ ィ ー フ を 対 立 した. 7 ) ものと並置する時, 十分な効果を発揮する2 」 という ヴェルフリソの観察にそのまま合致する. プ サ ソは こ の 原 理 を 《 オ ル ペ ウ ス と エ ウ リ ュ デ ィ ケ ー》 以 外 に も , しば しば 適 用 して い る. 例 え C l i ば, 《 ア ル カ デ ィ ア の 牧 人 (Devonshi l re o ectn)》 の河神の静と牧人の動揺, 《サ ビーニー女 i tan Mu の 掠 奪 (1634年 頃, Met ropol s eum)》 の構図上前景集団を包括する直角三角形の垂辺を. 示す左方石段上に直立する指揮官 ロームルスの姿と 前景集団の動勢の対比等数多くの 作 例 が あ る, 動と静の対比に加えて, 立像と坐像の並置による人物配置が用 いられている. これは《フォ ー キ オ ソ の 遺 骨 》, 《 デ ィ オ ゲネ ス 》, 《 ル ッ と ポ ア ズ》 等 に も 共 通 し, 特 に, 立 像 は 構 図 の 基. 本をなす正中線の暗示となり, プサソ風景画において重要な役割を果している, 《オルペ ウスと エウリ ュ ディ ケー》の対照的工夫はこれに止らず, さらに意味上の対比が組み込まれる. 晩年の 作品に何故かしばしばあ らわれている生の愉悦と死の対比である. オルペ ウスを中心とする集団, 優美な風物の示す喜び, それがオルペウスの歓喜の調べに乗っ て頂点に達する. まさに, その瞬 間に発せられた苦悩の叫びとも云うべきエウリユディ ケ←の姿がそれである. 左方はかげり, 右 方は明るく, 光があたり, 背景の城の背後には煙が立ち上っ ている, この煙は婚礼の席でくすぶ っ て 燃 え 上 ら な か っ た ヒ ュ メ ナイ オ ス の た い ま つ の 暗 示 と 解 さ れ, 凶 兆 を表 わ し てい る. こ の 煙 i I Museum, の モ ティ ー フ に よ る 凶 兆 の暗 示 は 《 ュ ゥ ロ パ の 掠 奪 (1649年, デ ッ サ ン, Nat ona lm)》 (タ ブ ロ ← と し て は完 成 さ れ な か っ た) に お い て も用 い ら れ て い る, 線 の 処 理 は 遠 Stockho. 景に到るまで明確であり, 個々の人物は柔らかいがく っ きりした斜光線を受けて, 際立ち, 浮び 上っ ている. 色彩も多彩で変化に富む, かよ う に し て,. プ サ ソ は 生 の愉 悦 と 突 然 の 死 と い う 普 遍 的 テ. マ を ギ リ シ ャ 神話 に 仮 託 し て,. 造形的形態をもって納得せしめる. 死を目前にしたエウリュ ディケーの恐怖, すべての凶兆に全 く 気付か付かぬ夫オルペウス, この二重像 は, 視覚を通 じて, 観者の心 に働きかけ, 様々の思 考をかき立てる. 愛する妻を失っ た夫の哀しみ, 死の国から妻を引き戻すための彼の試み, 妻を 取り戻した時の喜び, 永遠に妻を失っ てしまっ た時の悲しみ, オ ヴィ ディウスの変態譜の場面が 次 か ら次 へ と 思 い 浮 ぶ こ と に な る. l l こ の 様 な 神 話 に 取 材 し た 風 景 画 は, 以 前 の 《フ ロ ー ラ の 園 (1631年, Ga ery , Dresden)》 の如. き作品の発展形式であると思われる. 大きな世界の写しとしての小世界, その中にあらゆる形態 の本質的姿を包含する, この場合, 考古学的正確さは問題ではない. 《オルペウス》においても トラキア地方の出来事が口 ← マ の カ ン パ 一 二 ャ に 移 し変 え られ, 背 景 の 城 も 古 代 F ‐ マ の サ ン, ア ンジェ ロを写している. プサソは風景を構成するに当っ て, 最も古代的な性格を帯び, 主人公 および主題に最も適合した自然を合成すれば良かった, 現象世界は正確な写しを作るためにでは なく, ヒ ン トを 得 る た め の 資 料 に 過 ぎな い.. 彼 の 風 景 画 は かく し て, 独 創 的 な ミ ク ロ コ ス モ ス を. 提示するに到る, 2 8 )》 お よ び 《 ポ リ ュ ペ ー モ ス の 《 ヘ ラ ク レス と カ ク ス の い る 風 景 (1649年 Pushki n Museum) tage)》 は 対 と し て 描 か れ た. 共 に, 背 景 の 山 岳 の う ち に 主 人 公 が 隠 蔽 い る 風 景 (1649年, Ermi さ れ, 前 景 に は ニ ンフ が 代 置 さ れ て い る. こ の 配 置 は 特 異 な も の で あ る. ヴ ェ ル ギ リ ウ ス の ア エ ネイ ス の 第 8 章, ア ウ ェ ンテ ィ ー ヌ ス 丘 の 叙 述 に 取 材 し た 《 ヘ ラ ク レス と カ ク ス 》 で は, 山 腹 の -14 2-.

(11) . 古. 川. 俊. 英. 隠れ家の前に死絶えたカクスと勝者ヘラク レスの姿が描かれている. それらの姿は, 殆んど山の 一部と化しているようにさえ見える。 全体として, 象徴的意味の存在を思わせる構成を取っ てい るが,その意味も,主役然と前景中央を占めるニンフが誰を表わしているのかも不明である, テー マは悪に対する善の勝利であり, ュソフの姿は豊かで, 肥沃な原始白勺世界を象徴し, その様な自 9 ) 然の壮大さと英雄の徳が並置されていると推測されている2 。 画面全体はバロックの非対称性が 支配し, 中景およ び背景では主役のいる右方に重みがかけられている, 様式的には 最後の風景 , 画 《 大 洪 水 (1660一64年, Louvre)》 に 極 め て 近 い も の に 進 展 し て い る 一 方 《 ポ リ ペ ー モ ス ュ ,. のいる風景》 の前景の人物の名称は明らかである, つまり, 悲恋の相手ガラテア その恋人アー , キ ス で あ る.. ポ リ ュ ペ ー モ ス は 山 上 に 腰 掛 け, シ シ リ 湾 を 望 み 芦 笛 を 吹 い て い る 前 景 の ガラ , .. テアを含む3人の集団はピラミッ ド形に組み上げられ,背景の山形と呼応せしめ られ 主要人物を , 結びつけるる巧みな構図がみられる, プサソは若年時代に同 じ主題のデッ サンを試 みたが その , 時 に は ポ リ ュ ペ ー モ ス が ア ー キ ス と ガラ テ ア の 恋 を覗 き 見, 岩 を まさ に 落 さ ん と す る 姿 態 が と ら. 0 ) えられていた3 , しかるに, 晩年のこの風景画では, 河神や半獣半人神, 農耕に いそしむ人の姿 を点在せしめ, 人間の黄金時代を回想させる豊かで, のびやかな自然に取り囲まれた ヴ ルト. ェ シフ トラ ン トー r と L て 把 握 さ れ て い る, こ こ に は,人 間 の 行 為 や 身 振 の表 現 を 意 と し な い 晩 年 の プ. サンの作画態度の変化が如実に示されている. 自然の至高美に対する彼の信念, 調和に対す る彼 の欲求を包含しつつ, 詩的浮惰 性が全体 を支配している, しかも《フォ ーキオン》において 典 , 型的な形で示された直線群による厳格な幾何学的構成とは異 なり, 微妙に変化する ゆるめられ , た線が巧みに作用し, のどやかな光景を現出せしめている, この構成上の変化は 《オリオン》さ らに は 《ア ポ ロ ンと ダ プ ネ (1664年, Louvre)》 の 曲 線 的 構 成 に 連 な っ て 行く 。. これまで取り 上げて来た静穏なたたずまいを示す風景画に対して, 恐怖, 興奮, 戦僕を描写し i た 作品 が あ る, 《 蛇 と 男 (1648一51年 頃, Nat I Ga l l ona ery,London)》 (所 謂, カ ドモ ス) に は. 強い感情表出がみられる, 恐しい死の光景, それに続く人物達を数珠つなぎにする様な恐怖の伝 染が, 穏やかな情景を背地に繰り拡げられている, この種の興奮, 戦係表現は, カシア【ノ ,デ ル ・ ポ ッ ツ ォ の た め に 描 か れ た 《 ピ ュ ー ラ モ ス と ティ ス ベ ー (1651年, S輪de llnst i tute Frank- furt am. i Ma I n)》において, 最高潮に達している, 「いかに難しくとも, 自然の異常 な効果S ) 」. を 描 出 しよ う と し た プ サ ンは, 1651年 の ス テ ラ 宛 の 手 紙 で, そ の 成 果 を 詳 しく 説 明 し て い る 作 .. 画の意図は烈しい風雨の効果, 稲妻の惹き起す烈しい混乱を結合することで嵐を描く こと, 人間 の悪天候に対する様々の反応を表現することであっ た。 この動揺する天地を扱うにあたっ て, レ ) 烈 しい ドラ マ チ ッ ク な 手 法 で 処 2 オ ナ ル ド・ダ・ヴ ず ソチ の く 絵 画 論 > の 嵐 の 記 述 に 従 っ て い る3 ,. 理された風景画は, ブサンの作品では非常に少なく, この他に<大洪水》があるに 過 ぎ な い. (Prado の版画, 《嵐》は原作不明である, ) 1 658年の《盲目のオリオンのいる風景》は最晩年 の特殊な作風を示す, 構図は水平線, 垂直線 による厳格な幾何学的構成によるのではなく, 中央の- 丘の円曲線, 左右両端より中央雲上の ダイ アナを包む円弧, 遠景の樹木群, 丘の形態, すべてがゆるやかな曲線を主体に構成され ている。 この円曲線構成は最晩 年の神話画においてのみ見られるもので, 《 バ ッ カ ス の 誕 生 (1657年 頃, Fogg Ar t M useum, Ha i ty t rvard Univer e)》, 《 ア ポ ロ ンと ダ プ ネ (1664年, s , Massachuset Louvre)》 に用 い ら れ て い る. 特 に, 絶筆 《 ア ポ ロ ンと ダ プネ 》 は, 死 を 目 前 に し た こ の芸 術 家. の執念を感じさせる, 神々やニンフ達, 心理的に結合された人物の姿, は両側を高く, 真中に卵 型の空間を残すゆるやかな曲線に沿っ て配置され, 理想的でしかも高められた意味において現実 1 43-.

(12) . ニコラ・ プサ ソの風景画につし・て. 化された風景, 樹木, 山々と同化され, 理知的な構成を底に沈め, 云い知れぬ生命的なものを表 出している. 最晩年 の作品には, もはや, 多様に変化し, 興奮を引き起す劇的な表現は認められ ない, それ故にか, 青年期, 壮年期には, しを し ば 邪 魔 に な っ て 来 た も の, つ ま り, 実 験 す る こ と, 理論化すること, わざとらしさ, 極度の意識性は除去され, 詩的汗情的情緒, 自由な寓意の 楽しみ, 美しき女性の肢体の享受というものが, 老 年期の作品には, メロディアスな調子を持っ て しば し ば 現 わ れ て い る, さ て, プ サ ソは 《 オ リ オ ン》 を 制 作 す る に あ た り,一 つ の 寓 意, 即 ち, 神 話 蒐 集 家 コ ンティ とイ タ リア 哲 学者 ト マ ソ ・ カ ン パ ネ ル ラ の 学 説 に も と づ い て 雨 の 起 源 を 語 っ て い る と 云 わ れ る 甥, オ. イノ ビオンによっ て盲目にされた美と力を兼 ね備えた巨人の狩人オリオンは, 旭光が視力を取り 戻すという託宣を受け, ヘー パイ ストスの鍛冶場からケ ダリオ ンを奪い, 彼を肩に乗せ, 太陽の 昇る方向へ導かせ, 森を横切っ て進む. 雲上から, オリオンを愛したダイ アナがそ の姿を見つめ て い る, 中 景 の 3 人 の 人 物 は ゼ ウ ス, ア ポ ロ ン, ポ セイ ド ンを表 わ し, そ れ ぞ れ, 大 気, 太 陽,. 水を象徴する, それらは相寄り雲を作り出す, オリオンのかたわらから上方に向っ て漂う蒸気は 月 の女神 ダイ アナの足下の雲, 即ち大気の上層部にまで達した時, 雨となっ て大地に落ちる, ダ イ ア ナが オ リ オ ン を 殺 し た 矢 が こ の 雨 を 象 徴 す る, リ シ ュ リ ュ ー 公 の た め に 描 か れ た く 四 季 図 (1660-64年)> は プ サ ン風 景 画 の 最 終 作 で あ る. 《 春 》 を 楽 園 の ア ダ ム と エ ヴ ァ, 《夏》をルッと ポア ズの解返, 《秋>を約束の地からの使人の 帰還, 《冬>を大洪水と, 各々旧約聖書の4つの話を主題とし, 四季の変遷に伴う自然の生成過 程を描出し, そのうらに一貫して流れる人類救済のテーマを込め, シリー ズ全体を貫く意味的統. 一を与え, 見事な円熟せる心技を示している. それぞれの画面は異っ た情緒, それに適合した構 成を示し, プサソ風景画はここに集大成される, プサンの風景画が多かれ少なかれ, 象徴的意味, 寓意, 比1 稔を包含することは疑い得ない, C ・ 0 ・ ベ ア ー も 述 べ て い る 通 り,. ブ サ ソ の絵 画 が 当 時 の古 典 研 究 家, 知 識 人 を 中 心 と す る サ ー ク. 4 ) こと か らも ル を 目 指 した も の で あ る3 , か よ う な 含 蓄 の 存 在 が 推 測 さ れ る. し か し. 《 オ リ オ. ン》, <四季図 >を除けば, この種の意味は未 だ殆んど解明されてはいない. さらにまた, 彼の 理想的風景画が自然のモニュメ ンタルな姿を再現し, 意味深いもの, 不滅なもの, 真なるものを 示し, フランス絵画のクラ シッ シックな伝統の源をなすと同時に, 感覚主義的風景画対する合理 5 ) の手本となっ た, この合理的論理的様相が ブサン風景画の一大特徴であることは 主義的風景画3 事実であるが, それも知的要素とか, 他の言語において表現され易 い思考ばかりを表わしている のではなく, 造形言語, もっ と正確に云えば, 絵画言語を通じてのみ表現されうるイ マー ジュ を も表わしていることに留意しなければならない. 視覚に映 じた事物を単に絵に移し変えることで はなく, あるいはまた, 既存の理念や思考を造形的に表現する ことに止るのでもない. すべての 思考が造形的なシニ ューである直接的言葉で表現したのである. 彼の理想的風景画には, 思考に 対する視覚 の優位が認められる. この芸術家の目で見られた事物が感覚の完全な秩序を暗示する 力を持つのはそのためである. 知的な面で念入りに作り上げられた現実性の提示方法が問題なの ではなく, 形象的秩序 --表示的なものではない一一は視覚的であると同時に想像的なものにも と づいている, かように, ブサンの合理主義, 汎神諭的思考は, 単に哲学的理念の面に依存して いるのではない, シニュ ーの新しい表示法, 新しい大系が, 必然的に,想像上の新しい秩序, 即ち 人間と感覚的知覚の世界との新しい関係を表わすことに なる, かく して, 晩 年の風景画において, メ つまり, 人間の姿や行為がもはや全体を包む 光景の中で単なる 一要素でしかないような公式を{ ド 1 44-.

(13) . 古. 川. 俊. 英. り上げた時に, プサ ソは古代に対する新しい概念を明らかにし, さらにそこから, 人間と自然の 新 し い 解 釈 を 生 み 出 した,. こ こ で は, も は や, 古 代 は ル ネ ッ サ ンス 以 来, ブル ネ レス キ や ドナ テ. ルロ等が作り上げて来た記念碑的遺物の中に求められることはない. 人間と自然の永遠の関係, 人間の運命の不易の限界を直接理解することに求められる, つまり, 文化伝統の中に求められる ので は なく, 感 生との直接的対決のうちに求められることに なる, ここで, 彼は寓話の語り手,. 即ち, 他 の世代の逸話的経験を物語る人間となることを拒み, 古代的逸話世界に仮託しつつ, 精 神の道具たる目と現象世界との直接的交流によっ て得た至高の価値を語るに至っ たのである. 」 こに, 彼の技法, 造形的様式化によっ て伝える感覚的経験の世界がある, ブサソは, 決して, 直 接的に自然を描いてはいない, 伝統的文化から借り受けた要素を, 想像力を培うためにではなく 空中や地上から彼が読み取った特性的シニューを育て上げるために利用した, 彼は言語に表わさ れるような思考によ っ てより, 色彩の関係によっ て, 面の配置によっ て’ より一層感動させられ た の で あ っ た, こ こ に み られ る 極 め て 近 代 的 画 家 の 態 度 が,. プ サ ンを し て, セ ザ ンヌ の 祖 た ら し. めたのであろう. プサソが真に創造的, 近代的, 古典的なのは, 絵画におけるこの態度にもと づ き, 新しい想像的世界を創造しうることを証明したからである. 註 i l in de l i l t l: Les aut e 6 Pous s er i i n, ler Cahi i t s et a soc 1) Bernard Dor s de Pous ra n va oport , , Bu pp .39‐48, imi i t 2) Rend Huyghe: Pouss er p es r Cahi n hors desesl .10. . P.le ,B, S 3)1 l an は風景画とデッサンの関連につき論及 しているが, 彼の指摘も2・3点に止まり, これを .Shearn i f ns de 認めるとしても, プサ ソ風景画 の性質を変えるものとは思えない.c nan: Les dess r ・ . Shea ,J in l l in l960 pp t s s E 潟 du Col oque Ni Co as Pous paysase de Pous ,179一188, , Ac 4)Joseph Gramm :ldea l t 1 5 e Landschaf p , , l i 5) Wa t n,1914 p er Friedrander: Nicolas Pouss ,96 G) Gi t o の風景モチーフは形態の抽象化装飾 ot i化等, ゴシック絵画の頚形に留っている.. 7) この展開において, ニーデルラソド絵画の影響を無視することは出来ない,. i t 8) PauIJa i t s tau paysage human t ・ not: Du paysage abs s e e des Beaux-Art ra , Gazet i l i A h 9) W, Fr 9 4 7 edl s l 6 7 aender; Ni co as Pous n e w a r o c n a p p p , , int i l l erre i i i: Vi in, Col i t r 10 sdePe ) Giovanni Pietro Bel r es g6eparPi e de Ni s t or co as Pous ec on Ecr ,di i l Ca l - 2 5 2 6 er pp . i l l i i res t i i l in,Co nt sdePe [ 1 en: Ent ec on ECr 1) Faibi ret enssurl av ee=e co as Pous s souvrages de Ni , di i i l l r err e Ca er gde par Pi ,p ,84. 1 2) この作品は《聖ヨハ ネ》と共に, ウルバヌス8世の命により制作された四福韻書著者のシリー ズの一部 であると考えられ, 16 44年のウルバヌス8世の死により中断された. 既に完成されていた《聖マタイ》 in はこれを根拠に《聖マタイ》を だけが バルベリーニによって買上げられたものと思われる. S ・ l g .Be. in au i i f logue de rexpos t s 1642年 頃, 《 聖ヨ ハ ネ》 を1644-45年頃 の作品 と してい る. c on Pous a , Cat M[ 619Go t t us6e du Louvre on l ロ.p ,6 ,26. l ld-und Mah t 3)J e 1 er ey Kuns ,184,こ の記 述 ,von sandrart: Teusche Academie deredeln Bau-Bi ,p はブサソがクロー ドの影響のもとに風景画を制作し始めたという Colombier の主張の‐ 根拠の一つとも l isurl i な っ て い る, ( i f n, B, S er er:Es sonnages de C1 aude Lorra re du Co omb sa es pe r c . P, ,Pi P i P C 1 d L A C N 一 5 5 1 ロecahi i 4 0 - 3 7 ) 6 6 t erl950 pp および an e or ran . . , . . , ,pp , oussn e C N i in: ACad6mi e 1 4) Pierre Francastel: Les paysagecompos6schez Pouss c sn l . e et C1 a轟i sn , A, , , P.p .202. 15) 一例を挙げれば, 《ナルシスとエコー》 および 《キリストの死を哀悼する図》とテルム美術館の浮彫 (No ark : The Nude ,8074) と の形 態 上 の関連 が 指 摘 さ れ る, Cf .257 , K, C1 ,p i i 16) W. Fr edl t aender:op ,c .(1964) pp.57-75. 1 7) 美学第59号 (196 4年) 掲載の拙稿<プサソの四季図について>参照 l 18) Kenneth C1 ar <: LandscaPeint t o Ar .78 ,P. lor i: op i t i i 1 9) Bel t onssurl a Pe e> はイタリア人の伝記作者がよ n u r ,c .pp .131-137 こ の <○bservat く引用 しているものではあるが, プサソ自身の意見ではないとする説もある,. -145一.

(14) . ニコラ・ プサ ソの風景画について lar 20) Erwin pan。f sky: Meaningin the vi t s sua .295一320 ,pp 1 bi i 21) F6 i t en:op.c .p .119 i l l ip Johnson 22) 全く同様な図柄の作品が Col ect on of phi , お よ び Louvre に保存されているが, この2. 枚は17世紀の模写とされている.. l:op.c 23) P. Francas t i t e ,p .206 i 24) R. Huyghe:op t ,13 .c .p i l 25) K・ C1 t ar <:oP .C ,PP ,78一79 ib l i i 26) F ≦ t en:op.c { ,. 2 7) ヴェルフリソ:古典期絵画 (守屋謙二訳)p 1 .31 l b i i 28) F6 49年の作品となるが, 様式上の理由から, もっと晩年の作とする意見 も あ en の記述に従えば16 i る。 B6guin (op t ・ 655-60年頃 の作品と している。 ,ton .c .耳 p ,46) は1 i in:op 29) Bきgu t .c .. i in p edlaenderand A. B1unt: The Drawingsof Ni 30) W.Fr col as Pous s .128,134 l ib i 31) F6 t en;op . Ci .p .208. i: Pous in et 《 Trai tock 3 i 2)J t e de]a Pe os s an Biaー nt ur e》 de L6onard .138 , A, C, N, P, p ingt l i 33 ) この寓意は, E. Gombri ch が Bur on Magaz ne LX X Xn7 に おい て, 解 明 したも の で あ る が, 残念ながら, 私はこれを披見するに到ってはいない. 34) Cur i in t ing l963 s o, Baer: An Bs say on Pous s . A. A. C .spr ,J l han: L’ ique de Paysage 35) Fr thst ‐ es 1 9 2 0 8 6 p p . Pau , .. 一146-.

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