安川文朗・石原明子編『現代社会と紛争解決学
―学際的理論と応用―』
(ナカニシヤ出版・2014 年)仁 木 恒 夫
Ⅰ
本書は,熊本大学大学院交渉紛争解決学・組織経営専門職コースに所属する研究者 を中心に 9 名の執筆者によって上梓された研究書である.この専門職コースの設置運 営には吉田勇熊本大学名誉教授がかかわってこられたという.本書は,吉田教授に捧 げられている.吉田教授は,交渉促進型調停を高く評価し日本社会における実践的可 能性を探求してこられた.本書の内容は,この交渉促進型調停に関連するものもある が,それに限定されてはいない.多様な紛争場面を,多様な方法論で分析検討してい る.本書の構成は,この多様な論稿を,三つのパートに振り分けている.第Ⅰ部「紛 争解決学の基礎理論」では,「紛争解決というものを考えるうえで押さえておくべき 基本的理論や実践の手法」を,第Ⅱ部「紛争解決学の学際的展開」では「個人,社 会,国家の間で起こる紛争や 藤の問題に関する学際的アプローチによる検討」を, そして第Ⅲ部「現代社会と紛争解決学」では「医療と土地開発という,現代社会をあ る意味で象徴するテーマを」とりあげて検討している.「紛争解決学」とは聞きなれ ない名称の学問であり,本書の構成及び執筆者の専攻から学際的な分野であることが 分かる.それを,基礎理論をふまえて,様々な方法論から複眼的に検討し,現代的な 問題へも固有の知見を提供しようとする書物なのである. 筆者はこれまで民事紛争処理に関心をもって研究に携わってきた研究者であり,本 書で取りあげられているテーマについては今回初めて教えられることが多く,個々の 研究の意義を正確には理解できていない.そうした制約された筆者の立場からではあ るが,以下で本書を紹介する.Ⅱ
「Ⅰ 紛争解決学の岐路理論」は 4 つの論文から構成される.まず,「第 1 章 紛争 変容・平和構築学の理論的枠組み(石原明子)」では,紛争解決の実践家育成のため の紛争変容・平和構築学の理論的枠組みを示している.紛争が解決されて無くなることを目指すのではなく,紛争をよりよい状態への変容の契機ととらえる視点を示す. そうした紛争に働きかけていく診断,介入計画の策定,介入の実践,評価のステップ を示し,実践のための方法論として対話・交渉,メディエーション,心理的ケアなど を列挙する.「第 2 章 『解決』から『変容』へのパラダイムシフト(外村晃)」は, 前章と同様に,まず紛争を機会ととらえ,変容の過程そのものを重視する立場を確認 する.著者は紛争変容論に立って実践される調停として,トランスフォーマティヴ調 停とナラティヴ調停に着目する.関係的世界観に立脚するトランスフォーマティヴ調 停では,当事者双方が相互に自ら「弱さから強さへ」「自己中心的から応答的へ」変 容を遂げる.他方,ナラティヴ調停では,当事者が異なる視点から紛争を見直す脱構 築を進めるため,紛争を当事者から分離し外在化する.そうして当事者はあらたな社 会を構築するのである.いずれの調停も,その過程を通して,謝罪が生みだされ,赦 しへ向けて進められる.「第 3 章 修復的正義の哲学とその応用の広がり(石原明子)」 では,紛争変容論と基本的な考え方を共有すると思われる修復的正義について扱う. 修復的正義とは,誰かが誰かに被害を及ぼした状況においての正義の哲学的指針の 1 つで,関係者参加の理念が強調される協働的実践である.1970 年代からメノナイト 派キリスト教徒らによって開始されたこの取り組みは,その後,理論的にも実践的に も洗練され拡がっていく.特に修復的正義が実践される具体例として,刑事司法,教 育現場,内戦後の正義回復とコミュニティ再生などをひいたのち,著者が研究対象と している大規模な環境災害の場面である東日本大震災の事例に依拠して,修復的正義 のアプローチの有効性を論じる.「第 4 章 民間型調停発展の必要性を考える(レビ ン小林久子)」は,日本における民間調停発展の必要性を論じる.著者によると,現 代日本は多元的社会であり不確実性のなかで私たちは互いに差異を折り合わせること が求められる.また移住しやすい環境下で形成される「選択のコミュニティ」に住ま う人々は自己主張し対立が生じやすい一方で,中央政府の指導力が低下している.さ らに差異を孕んだ社会は急速にグローバル化している.こうした状況に対して,司法 型調停では扱える紛争類型が限定されていること,司法型調停が担う人間関係調整機 能と司法的機能は相反する側面があることから十分に対応することは難しいと主張す る. 続く「Ⅱ 紛争解決学の学際的展開」は法社会学者,心理学者,哲学者,経済学者 の 4 つの論文から構成されている.「第 5 章 国家間の紛争解決での裁判の有効性と 限界(森大輔)」は,国際司法裁判所(ICJ)の判決がどのような条件のもとで遵守さ れるのかを統計学的手法で分析する.ギンズバーグとマカダムズの先行研究に修正を
加えつつ,28 件のデータを検討する.著者は,個々の事例の特性を反映させた質的 比較分析という方法により導き出された結果につき,次のような解釈を行っている. まず当事国間の政策が類似していることが,判決が遵守される場合の必要条件であ る.その上でさらに境界に関する事件で付託合意が存在する場合に,判決が遵守され やすくなる.ただし,1966 年以前は,ICJ に対する期待と義務意識が高かったことか ら付託合意がなくても判決は遵守されている.境界に関する事件以外で遵守されてい るのは,当事国から裁判所に解釈請求がなされていない明確な場合であるとする. 「第 6 章 人間関係の厳密さと 藤解決(大渕憲一)」は,親密関係への傾斜が 藤解 決に影響を与えることを心理学の知見に基づいて紹介する.まず乳幼児と母親の関係 のように,個人がある特定の他者に対して接近と接触を求める強い欲求をもっている ことをアタッチメントといい,アタッチメントは人々の交流を円滑に行うための対人 関係の基礎をつくることを指摘する.安定したアタッチメントを形成した子どもは, 自分が困ったときは他者が手を差し伸べてくれるという信頼感を形成する.そしてア タッチメント人物のイメージが誘起されると,ストレスが軽減され,他者への利他的 な行動が増加する.この効果は,安定型の人だけでなく不安定型の人にも見られると する.エッセイ風の文体の「第 7 章 紛争は解決しない?(岡部勉)」は,まず私た ちは紛争を解消することはできないからこそ,予防システムが創り出されるが,それ でも紛争は必ず起こるとする.紛争が一度起こってしまったら,放置,第三者の仲介 での手打ち,そして交渉や第三者関与などによる解決が確認され,欧州連合は和解の 見本であるとする.そして類人猿と比較しつつ,人間がストレスを感じるのは大集団 社会と我々の感情の仕組みとが合わないためのようであるが,感情による紛争の激化 などもふまえて紛争解決の対応策を考えるべきとする.では,紛争解決において核心 となる決定的な何かというと,人間だけがもつ「みなす」という能力で,何を解決と みなすかが決まれば何とかなるとする.「第 8 章 NIMBY 問題をどう克服するか(安 川文朗)」は,必要性は認めつつも,自らの居住地に隣接して作られることに反対が 唱えられる「迷惑施設」の設置をめぐる人々の反応(NIMBY 問題)を取りあげる. 富山県での東日本大震災で生じたがれき処理について,地域住民は NIMBY 問題に 陥り,国や自治体は住民を説得できず,合意形成にいたらない.著者によれば,この 出来事の経緯を見ると,当事者の意思表示のタイミングのずれ,合意形成努力の欠 如,合意形成を促す仕組みの欠落が問題であるとされる.これに対して協議会や住民 投票,補助金などの財政的インセンティヴでは十分な対処にならないとし,行動科学 的アプローチに依拠して,相互信頼性があるときは自発的にコストを負担しようとす
る傾向がみられるが,さらに行為者は具体的状況のなかで受入結果の客観的な予測を 求めており,また見返りが提示されることが合意形成を促進するのに有効であると論 じる. 最後の「Ⅲ 現代社会と紛争解決学」は,医療政策と被援助国での土地開発とを取 りあげた 3 本の論文により構成される.「第 9 章 患者・家族の理不尽な行動と医療 機関のリスク・マネジメント(菊池健)」は,理不尽な行動を繰り返す患者・家族に 対し,各医療機関が適切な対応を取るための明確な指針の必要性を説く.理不尽な患 者の存在は医療効率を下げ,結果として医療費を押し上げる,患者の満足度を大きく 損なう,医療者の疲弊感を増幅するなど,医療機関にとり無視できない負の要因であ る.そこで診療契約に着目した対策案,予防策,理不尽な行為の不当性を法で明示す ること,要注意人物登録制などの対策案をあげるとともに,診療拒否を実施できる場 合を提案する.「第 10 章 社会基盤整備事業と用地紛争(奥村哲史)」は,紛争状況 への原則立脚型交渉論の適用可能性を,カンボジアにおける社会経済基盤開発のなか で生じる土地紛争を素材に検討する.著者によると,現実の紛争に対処するには,こ の利益型アプローチだけでは解決できず,権利型アプローチ,パワー型アプローチも 考慮されるべきであるとする.カンボジアで開発のため立ち退きを求められる住民は 権利型アプローチに訴えても公式機関はほとんど機能しない.また開発業者は政府の 有力者と密接な関係をもっており,住民側はこれに対抗するために首相や NGO,国 際社会に働きかけてパワー型行動がエスカレートする.こうした実情に対して,住民 の生活再建という観点から紛争解決のあり方が見直される必要性を説く.「第 11 章 医療制度設計のコンフリクトマネジメント(安川文朗)」は,制度設計や政策立案に おいて生じるコンフリクトの修正の可能性について,地域医療を対象に検討する.大 学病院の影響を受けて専門化が進行し,医療報酬スキームのみに医療需給調整が依存 する医療制度について,医師の適正配置と役割の明確化,機能分化と連係,医療費の 適正化へ向けて体制改革が進められてきたが成功しているとはいいがたい.患者側の 行動には,一見定量的データからは読み取りにくい政策立案者側の予想を外れたもの が相当あるものと推測される.すなわち同一疾患で複数の医療機関を受診している者 が多数いるのである.また,医療と介護を明確に区分したうえで在宅を推進しようと する一方で,在宅医療への希望が減少している.医療機能の分化・効率化は実現され てはいないのである.問題は,高齢者が追加的な医療費支出に消極的であるとの想定 で,政策立案者側が政策を策定実施してきた過程にあるとする.国民に対して,一定 の情報を提供し,そのことで国民が意見や行動を変容できれば両者のコンフリクトは
緩和されると主張する.
Ⅲ
前節では,本書の論文ごとにその内容を簡単に見てきた.以下では,本書を一通り 読んで筆者の感じた若干のコメントを述べたい. 本書に収録されている個々の論文から教えられることは多い.紙幅の制約からその 一部の指摘にとどめるが,たとえば「第 2 章 『解決』から『変容』へのパラダイム シフト」は,アメリカで多様に展開する対話型調停論(facilitative model)の特徴を的 確にとらえて整理している.またそこで指摘されている,謝罪や赦しの生成の可能性 は,「第 3 章 修復的正義の哲学とその応用の広がり」で触れられている南アフリカ やルワンダでの殺戮の経験を調停的手法によって克服しようとしていることともつな がる.これまで日本では,必ずしも十分に検討されてこなかった,紛争変容論と結び ついた調停の機能をより明確に示している.また「第 6 章 人間関係の厳密さと 藤 解決」が述べるような,アタッチメントが人々の交流を円滑に行うための対人関係の 基礎をつくるという点は,直感的には分かる.しかし,アタッチメント人物のイメー ジが誘起されると他者への利他的な行動が増加するという現象は,安定型の人だけで なく,不安定型の人にも共通しているという知見は,筆者の思い込みに反省を促すも のであった.人には共感の資質が一般的に備わっているのではないかと考えさせられ る.さらに「第 10 章 社会基盤整備事業と用地紛争」では,近時の原則立脚型交渉 論が権利型アプローチ及びパワー型アプローチと併せて利益型アプローチをとらえて いることを知った.その視野の広がりからみると,現実の利害調整場面では利益型ア プローチがほとんど機能していない可能性がうかがわれる.そこから,利益型アプ ローチがより活用されるためにはどのような条件が必要なのだろうかという関心がわ く. このように刺激的な論文が集められている一方で,気になる点もある.様々な領域 を様々な方法論で分析することによって,本書は「紛争解決学」の可能性を感じさせ る.しかし,本書の強みでもあるこの特徴は,逆に「紛争解決学」とはどのような学 問なのかというイメージが読み手になかなか伝わりにくいという弱みにもなるのでは ないだろうか.本書の第Ⅰ部は「紛争解決学の基礎理論」として 4 つの論文がまとめ ら れ て い る. い ず れ も 紛 争 変 容 論 を 下 敷 き に し た Lederach や Bush,Winslade, Zehr らの(広義の)調停論に基づいている.しかしながら,ここで提示された基礎理 論を具体的な事例に適用した研究が本書にはおさめられていない.この基礎理論をより意識した研究があってもよかったのではないだろうか.また,扱う「紛争」が広範 にわたることも本書の輪郭をぼかすことになっているのではないだろうか.紛争とし て,国家間の紛争,人間関係の親密さ,住民と自治体,政策立案者と利用者と様々な 場面が取り上げられている.いずれの論稿もたしかに対立状況を扱ってはいるが,そ れをすべて「紛争」で括ってしまうことで,それぞれの対立状況に特有の要因への考 慮が十分になされないことにはならないだろうか.最後に,本書のタイトルである. 執筆者の何人かは紛争「解決」観を批判的にみており,紛争「変容」観を提示してい る.そうした書物において「紛争解決学」という用語を使用するのは,どのような意 図に基づくのかが一言触れられていてもよいのではないだろうか. 本書全体としての「紛争解決学」のイメージをつかむには,読み手の側にかなりの 解釈による補充が必要になると思われるが,もしかすると本書には「紛争解決」とい う営み自体がそうした一貫した体系的思考で対応できるものではなく,様々な道具立 てを自在に使用して切り抜けていかなければならない実践的な学問であるというメッ セージが含意されているのかもしれない.