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(書評)由谷裕哉著『近世修験の宗教民俗学的研究』

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Academic year: 2021

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202 203 宗教と社会 Religion and Society 2019.06, Vol.25: 202–207

 皇學館大学文学部教授

由谷裕哉著

『近世修験の宗教民俗学的研究』

岩田書院 2018年(平成30年)3月刊、A5版 316ページ 7,000円(税別)

中山 郁

1 .本書の構成と概要

著者の由谷裕哉氏は、ホームグラウンドであ る山岳宗教・修験道はもとより、「郷土」「郷土 史」や、さらにはサブカルチャーと聖地巡礼を 題材として研究を展開してきた気鋭の宗教民俗 学者である。本書は2008年に刊行された前著、 『白山・立山の宗教文化』(岩田書院、)に続き、 氏がそのホームグラウンドたる修験道研究の分 野において、既存の研究パラダイムの超克とい う課題に果敢に挑んだ成果である。 まず、本書は以下の各章によって構成されて いる。 序 論 近世修験という対象について 第一部 柱松と近世修験 第一章 修験道系柱松をどう捉えるべきか      —和歌森太郎と五来重の所論を踏ま えて— 第二章  北信濃小菅権現の祭礼における柱松 と修験者 第三章  妙高関山権現の夏季祭礼における柱 松 付論  復活した戸隠神社の柱松神事 第二部  近世修験の諸相—里修験・修正延年・ 里山— 第一章  岩手県宮古市の里修験—津軽石・長 沢地区に焦点を当てて— 第二章 六日祭修正延年と近世修験 第三章  里山と近世修験—白山加賀側と石動 山の例から— 結論 書評と言えば、先ず各章の内容紹介から入る のが王道である。しかし、本書に所収されてい る各論考を細かく紹介してゆくだけで、筆者に 与えられた文字数を軽く超えてしまう—それだ け濃密な議論が展開されている、ということで ある—。そこで、ここでは本書で示された議論 の要点のみを先ず紹介する。 本書は、和歌森太郎—宮本袈裟雄各氏によっ て示され、以後研究者間に共有された、近世の 修験を里への定着と苦行性の希薄化した存在と して、里の呪術師的活動(里修験)を主体に語 られた近世の修験というパラダイムに対し異議 を唱え、その姿に対する新たな「代案」を提 起しようと試みたものである。そのための研究 手法として著者は、事例の本質を探ろうとする 民俗学的な研究方法にかわり、「宗教民俗学的」 手法、すなわち、近世における霊山の祭礼や芸 能、宗教者の活動などの事象を、それが置かれ ている時間・空間的な場の中で位置づけてゆく 立場から研究すべきことを提唱する。そのうえ で長野県小菅神社や関山神社、戸隠神社に残さ れた柱松行事や岐阜県長滝白山神社の長滝六日 祭(旧称修正延年)とそれを巡る祭礼の構造の 検討。こうした祭礼の担い手とその変容が祭り の構造に与えた変化、岩手県宮古市の旧里修験 所蔵文書の検討を通じた「里修験」、中世から 近世にかけて修験が活動の拠点とした「里山」 などの事例を検討が行われる。その結果、「里」 と「山」をつなぐ「里山的空間」において権現 社の祭祀や修行、そして神事芸能の一端を担う という、既存の「里修験」という枠組みでは捉 え切れない近世修験の姿が明らかにされてい る。そして「結論」においては、和歌森太郎— 宮本袈裟雄による「里修験パラダイム」の代案

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202 203 書評とリプライ として、①隠喩としての高さ、②山林修行、③ 修験を含む組織、④権現という奉斎対象、とい う、近世修験を読み解くための四つの枠組みが 提示されている。

2 .「里修験パラダイム」の転換

本著の狙いは「近世修験」という研究対象の パラダイム転換にある。近世の修験については これまで、修験道研究の基礎を構築した和歌森 太郎氏の議論の影響により、修行の形式化と里 に定住し呪術師化した、中世の修験に比べてマ イナスの存在としてとらえられ、それが研究者 の間に長らく定着してきた。一方、のちに登場 した宮本袈裟雄氏による「里修験」の研究は、 こうした修験のあり方をポジティブに捉える枠 組みを提示したという意味で、和歌森氏の作り 上げた近世の修験像の延長線上に位置すると捉 えることができると著者は説く。 この「近世の修験道」=「里修験」という研 究者に共有されたパラダイムは、長らく修験道 研究を方向付ける力を持つものであったと考え られる。というのも、昭和末から平成にかけて の修験道研究では、大なり小なり里修験と、そ れを統括する本当両派の組織に関する業績が積 み上げられる一方、入峰修行や霊山での祭祀と その担い手に関する研究は、比較的手薄であっ たといえるからである。筆者もまた、若いころ にはこの「里修験パラダイム」を共有していた ことを告白しなければなるまい。すなわち、筆 者は自身が研究していた近世の御嶽行者につい て、当時の修験者が失っていた激しい修行性を 新たに担った存在として捉えていたからであ る。しかし、御嶽信仰の開祖の一人、本明院普 寛は本山派修験であり、多くの御嶽行者が幕末 には本当両派に属し、各地の霊山開山や登拝や 籠山修行を繰り返していた。見方を変えれば、 近世の「修験」は、積極的に山岳修行に向き合 う集団を生み出し、包括する力を有していたと もいえるのである。 著者は本書で提唱する「近世修験」を、和歌 森氏—宮本氏による「里修験パラダイム」を「相 対化」する「代案」と控えめに記しているが、 筆者からすれば、この企ては破壊的創造の試み といえよう。すなわち、近世の修験に対する研 究を、「里」の重力から解き放ち、再び里山、 そして霊山へとその可能性を開こうとするもの だからである。それでは、こうした企ては、ど のような方法によってなされてゆくべきなので あろうか?

3 .

「本質論」との決別と「宗教民俗学的」

研究

著者は序論において、「近世修験」という対 象を「宗教民俗学的」に研究するとしている。 その「宗教民俗学的」研究とは、「儀礼など民 俗事象あるいは文書の形をとるテキストを取り 上げる場合、そこから遡及して何らかの古態を 求めるのではなく、そうしたテキストが含ま れる文脈を重視する立場」であるとする。具 体的には、「儀礼や文書における語りの継起性 (sequence)に注目し、個々の儀礼や文書が生 成した空間的時間的な文脈においてそれらを定 位すべきである」という。この「生成」の概念 について著者はジェイムズ・クリフォードの「文 化や伝統は生成するもの(emergent)」との議 論を踏まえ、近世修験の祭祀や活動の各事例 を、時間的・空間的な文脈において生成してき た事象として捉えるということ」であるとする。 それ故にこそ、これまでの民俗学的な立場から の研究において目指されていた、事例の検討を 通じてその古態や本質を求めようとする「本質 主義」とそれを求めた先行研究に対する著者の まなざしは峻厳ですらある。著者は柱松や六日 祭(修正延年)に関する以前の研究として尾芝 古樟(柳田國男の筆名のひとつ)や五来重氏ら 民俗学者による先行研究を徹底的に批判し、こ れらの議論は「有効性を持たない」ものであり、 斯様な研究思想とは「袂を分かつ立場である。」 と述べている。もちろん、こうした著者の考え に対しては、民俗学者たちからは異論も多々あ

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ろう。しかし、氏が検討対象とする「近世修験」 の霊山組織やその祭礼の多くが、中世末に一度 衰退し、近世に再興されたものであることか ら、その検討に際しては、近世から現代にまで 継続する祭礼の姿と残された史料に頼らざるを 得ない。そうである以上、今の祭礼の姿や史料 の読みから飛躍し古態を類推するような議論を 進めるより、その儀礼や行事が「生成」してゆ く過程を時間的、空間的な文脈の中で検討し、 その動態をみてゆこうとする著者の立場からす れば、十分に蓋然性のあるものといえよう。鍬 売るに、こうした研究手法は、他者による反証 可能性にも道を拓くものであることも付け加え ておく。修験研究の世界は、もはや名人による 直感的認識に頼る時代は終わったのである。

4 .

「権現祭祀」と「祭祀者」としての

修験

本著において著者は、近世修験を考えるのぞ き窓のひとつとして、霊山で行われる祭礼に登 場する柱松に着目している。氏の「隠喩として の高さ」に基づく、神事芸能としての柱松を位 置づけようとする議論は確かに魅力的である し、この「高さ」という視座は里修験パラダイ ムを相対化する、すなわち修験を山の宗教者に 取り戻す、山の視点から修験を見ることにもつ ながるものであり、かつ、祭礼研究者にとって も有効な視座を提供するものといえよう。しか し、筆者の関心はこれよりも著者が打ち出した 「権現祭祀」と、その祀り手としての修験につ いての議論にある。 著者は前著においても白山など各霊山を構成 する多様な宗教者に対して注意深く注視し、論 じてきていた。本著ではそうしたまなざしがさ らに進化し、山の権現の祭祀への修験の関与に ついて詳細に議論がなされている。今回氏がと りあげた小菅や関山、長瀧などの霊山におけ る「権現祭祀」は、実際には修験を主体とした 祭祀ではなく、彼らも含めた僧侶や衆徒、社家 や俗人など多様な属性を持つ人々によって担わ れたものであった。そして各山においては修験 の減少と社家の参入により祭祀のかたちが変容 し、これが現今の祭礼の姿の原形を形成してき たという指摘は重要である。それではなぜ修験 は権現の祭祀者の一端を担い得たのであろう か? そもそも、近世の修験とは、果たしてこれま で言われてきたように、山岳修行を通じて超自 然的な験を獲得した呪術・宗教的職能者として のみの理解でよいのであろうか。むろん、山岳 での修行とそこでの超自然的な力能の獲得は修 験の宗教活動の正当性を示すものとして重要で ある。とはいえ、修行による呪力の獲得という 研究者による言説は、実は修行の現場において 必ずしも歓迎ざる物言いなのである。かって筆 者はある修験教団の大先達から「研究者の言っ ていることは正しいですが間違っています」と 言われたことがある。端的に言うならば、修行 は験の獲得を目的とするのではなく、験徳獲得 はその結果のひとつにしか過ぎない。行による 懺悔と六根の清浄化こそが、行の目標たる神仏 との合一(即身即仏)を約束するものなのであ る。とするならば、権現祭祀に関与する修験と は、その験徳ゆえに祭祀に参与したのではな く、山での修行を通じ、山の権現に近しい聖な る存在であるがゆえに、著者が述べるように祭 祀者として「自らの出自に即した手法によって 霊山と同一視される権現を奉斎」することを得 たのではないだろうか。神仏分離に際して、多 くの霊山で清僧や妻帯修験があまりにもスムー ズに復飾神勤を選んだのは、そうした彼らの祭 祀者としての性格を示すものと考えられないで あろうか? これに加えて、もし「権現祭祀」を、山の神 に対する多様な宗教者による「祭祀」として取 り上げてゆくのなら、それは神に対する祭祀の 在り方を問うことを使命の一つとする神道研 究、特に神社史・神道史と山岳宗教史、修験道 研究にひとつの接点をもたらす可能性あるので はなかろうか。すなわち、神仏分離以前と以後

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204 205 書評とリプライ * 小松短期大学教授 を、「祭祀」という視点から問うことを可能に するという意味で、近代以前の霊山を神社史の 課題として取り込んでゆく道を開くものではな いだろうか。著者の指摘した「権現祭祀」とそ の担い手の問題は、単に修験道研究の問題にと どまらない広がりを持つ可能性を秘めていると いえよう。

5 .著者にお伺いしたいこと

以上、著者の議論を通じて筆者が考えたこと を述べてきた。近年、修験道研究はいささか停 滞状況にあるが、一方で、著者や時枝務氏らに よって、これまでの研究を批判的に再検討する 努力も活発になされている。平成が終わり、新 しい時代を迎えようとする今、昭和に形成され たパラダイムを作り替えようとする作業は、山 岳宗教史・修験道研究が二十一世紀においても 有用な学問的ジャンルであろうとするならば、 必須の動きであると信じてやまない。そして、 前著に続き著者が本書で示した研究スタイル は、その突破口となるものと確信している。ま た、筆者も 9 年に渉る間の大学教育改革担当者 としての生活を終え「アクティブラーニング」 や「質保証」の世界から元の研究に戻るに当た り、著者の研究成果に触れ強い刺激を受けるこ とができた。すなわち、早く遅れを取り戻さば や!と。 ただ、あえて著者に問いかけるとするなら ば、「近世修験」の見直しと再構築をするのな らば、それは近世日本の宗教史をみてゆくうえ で、いかなる可能性をもたらすものなのであろ うか。また、こうした作業を進めるならば、そ の前と後の時代、すなわち中世と近代の修験に 対して、研究者間に共有された理解(パラダイ ム)にも影響を与えざるを得ないのではないで あろうか。この近世修験の見直しは、中世・近 代も含めた修験研究にどのようなインパクトを 与えることになるのであろうか?著者の今後目 指してゆく修験研究の方向性も踏まえご教示を 頂ければ幸いである。

書評へのリプライ

由谷裕哉* まず、ご多忙の折、拙著『近世修験の宗教民 俗学的研究』を書評して下さった中山郁氏、お よび拙著を書評対象に選んでいただいた本誌編 集委員会に、心から御礼を申し上げる。 差し当たって中山氏書評の 5 にお応えすべき かと思うが、その前に一点だけ、同氏の議論と 拙著とのすれ違いについて述べることから始め たい。 1 .本書における山林修行の理解 それは、中山氏書評の 4 のうち、「端的に言 うならば、修行は験の獲得を目的とするのでは なく、験徳獲得はその結果のひとつにしか過ぎ ない」以下、修行と権現祭祀との関わりについ てのご議論については、良く分からないという のが正直な所である。たしかに本書の第 1 部に おいて、柱松は修験道教義上(即伝など)入 峰修行の前行として位置づけられていた、した がって修験の柱松への点火が入峰による修験者 の験力を示すものではありえなかった、と複数 箇所で述べていた。しかし、そのことと本書で 取り上げた柱松儀礼が近世に権現社を祭場とし て行われていたこととを、筆者は結びつけて考 えていなかったのである。 むしろ近世修験の山林修行について本書で は、第 2 部第 1 章における宮古の里修験事例に 関して、補任と修行との関わりを強調してい た。しかし、この辺りの議論は、近世における 入峰抖擻が形式化していたと見る和歌森太郎の 言説(p300)を反証できていないかもしれない、 という反省が残る。 なお、筆者が最近見た加賀藩のある里修験の 縁起に、その初代が前田利家の為に大峰代参を 毎年行っていた、という趣旨の記載があった。 本書ではそれに類する議論を行っていないが、 そうした代参が近世修験に期待されていた役割 であったのかもしれない、と付記しておく。と

参照

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