社会科公民教育のための「私利」と「公益」の比較研究
A Comparative Study of Interest for Social Education
宇 多 賢治郎1 UDA Kenjiro 要約:本稿は、社会科で経済教育を円滑に行う前提として、「私利」と「公益」の意味 を整理し、説明する方法をまとめたものである。「社会」や「経済」に対する「考え方」 が人それぞれであるとしても、言葉の定義はある程度共通しておかなければ、意思伝 達がまともにできなくなる。このことから本稿では、まず辞書を使って意味を確認し た。次に、複雑な社会構造の整理の仕方を説明するため「家」が本来持つ意味に着目 し、「大きな家」と「小さな家」の二極に分けた単純な例で、図示することを試みた。 これにより、「私」と「公」という立場の違いによって、「社会」の捉え方が「世の中」 と「人の集団」、「経済」の捉え方が「貨殖」(金儲け)と「経国済民」に分かれること を示した。また、「私利」の測り方である「収支」と、「公益」の測り方である「国民 所得」の違いを確認した。 キーワード:貨殖、経国済民、利益、付加価値、収支
1.はじめに
A. D. Lindsay “Democracy assumes for its success an educated public” 筆者は、教育学部で社会科の経済を教える立場にある2 。このことから、必然的に自身が経済学部 で学んできた経済学の基礎理論と、社会科における公民教育で教えるべき経済の乖離に直面し、授 業を担当する立場から、その乖離の解明が研究テーマの一つとなった。 専門分野は、「分野」の字が示す通り、「野」(field、領域)を「分」けたものである。わざわざ「分 ける」のは高度化、複雑化により、一部に集中しなければ研究し、理解することが困難になったた めである。これにより、一部でしかないものに対する過度な執着により、他のことに目を向けなく なり、本来つながっているはずの他の部分や全体を軽視してしまうことがある。その結果、他の知 識との関連性や総合的な整合性が捉えられなくなってしまう。また、全体を理解しておくことに対 する必要性が分かりにくくなることで無関心になり、結果的に専門分野がそれを含めた全体の理解 を妨げるということが生じやすくなっている。 このような「専門分野」の宿痾と言うべき性質を踏まえれば、それ以外のことも広く浅くでも学 ぶ「教養教育」、また専門知識と教養のバランスが重要であることが分かる3 。しかし、分野の基礎理 論や科目の教育は、その内容を理解することを目的とするため、他の科目とのつながりや、つなぎ 合わせて考えるといったことは後回しにされるか、対象外とされてしまう。その代表が学部や大学 1生活社会教育講座 2本稿の執筆の際、本学部皆川卓教授には、西洋史を専門とされる立場から貴重な意見をいただくなど、執筆の際は 大変お世話になった。ここに記し、感謝申しあげる。 3このことから、「偏った専門知識に限れば多分に持っていて、それを誇る人」を「教養がある」と表現するのは、誤 用であることが分かる。
院でなされる専門教育であろう。また受験勉強も、科目別の縦割りで点数を競う結果、「科目横断的 で総合的な理解」や、その知識の活用といった重要であるはずのことは、テストの点という目に見 える成果にはつながらないため、後回しにされてしまうことになる。 これに対し、教育学部に所属すると、教育の対象は社会科教員を目指す大学生、教員免許状を更 新する社会人、大学の公開授業や出前授業に参加する高校生が対象となる。そのため授業では、限 られた時間で、社会科の公民教育にとって必要な経済の理解を優先することになる。このことから、 経済学の基礎理論を理解するための説明と、社会科の公民教育のための経済の説明に乖離があるな らば、専門的な内容を公民教育の説明で用いる際は、注意と配慮が必要になることが分かる。 以上のことを踏まえ、本稿では社会科教育の観点から、今日の日本の社会と経済の構造を理解す る基礎となる内容を整理した。そのため、「専門家」を称する人たちの思想や立場に基づいた「主張」 ではなく、それ以外の人達が共通認識としている事柄の理解を優先する。そのため、まず辞書など で基本的な意味を確認し、それらを踏まえて説明を行うことにした。次に、社会科の授業を担当す る前提として理解すべき内容を「ノート」としてまとめ、その補完として社会科の公民教育におけ る経済の内容と専門分野の基礎理論に齟齬が生じる原因を、宇多(2021)で説明した。つまり、2 本の論文は補完関係にあるため、併せてお読みいただきたい。 また、今回の授業ノートを作成するまでに、その内容を論文としてまとめ、『山梨大学教育学部紀 要』に掲載してきた。そのため、これらの論文を再構成した部分があることを、お断りしておく。
2.社会科教育のための社会と経済の図化
2-1.「社会」と「経済」の意味の確認 初めに、汎用の国語辞典を使って、「社会」と「経済」の意味を確認する。この確認作業は宇多 (2020)などでも行っているため、本稿の論点整理に必要な部分のみ説明する。 まず、「社会」の意味を確認する4 。 社会 (大辞泉、3番までを抜粋) 《英語 society の訳語として「社会」を当てたのは、明治初期の福地桜痴(源一郎)である》 1.人間の共同生活の総称。また、広く、人間の集団としての営みや組織的な営みをいう。 2.人々が生活している、現実の世の中。世間。 3.ある共通項によってくくられ、他から区別される人々の集まり。また、仲間意識をもっ て、みずからを他と区別する人々の集まり。 この「英語 society の訳語」という説明を踏まえれば、英英辞典とほぼ同じ説明がされているはず である。しかし、2種の英英辞典を確認したところ、2番の「世の中」の意味は記載されていない。 このことから、「社会」は「society」の訳語と説明されているのに、元々の説明にないものが追加さ れたことになる。そこで、「世の中」の意味を確認する。 世の中 (大辞泉、2番までを抜粋) 1.人々が互いにかかわり合って生きて暮らしていく場。世間。社会。 2.世間の人々の間。また、社会の人間関係。 4 本稿では、複数の国語辞典の他、百科事典、経済辞典などに注目し、説明に用いやすい分類をしているものを採用し、 必要があれば他の資料で補完するという形式を採っている。この説明から、「世の中」と「社会」の2番以外との違いは、関わり方であることが分かる。他の 項目が、集団を形成する、所属する、ある程度の排他性を伴うといった、強い結びつきがあること が記されているのに比べ、「世の中」の説明はあいまいである。 これを踏まえ、本稿では、「社会」の「排他性を持つ人の集団」(1番と3番)と「世の中」(2番) の違いに注目し、「社会」に「世の中」という意味が加わる理由を示すことを、第一の目的とする。 次に、「経済」の意味を確認する。 経済 (大辞林) 1.物資の生産流通交換分配とその消費蓄積の全過程、およびその中で営まれる社会的諸関 係の総体。 2.世(国)を治め、民の生活を安定させること。 3.金銭の出入りに関すること。やりくり。 4.費用が少なくてすむこと、節約。 一見するだけでは、これらの四項目は、全く違った意味が集まっているように見える。 このような違いは、語源にもあるように見える。まず、「経済」の語源は「経国済民」、つま り「国を治め、民の生活を安定させる」である。次に、「economy」の語源は、古代ギリシャ語の 「oikonomíā」( )つまり「家政」である。また、ドイツ語の「経済」には、英語と同じ 語源を持つ(ökonomisch、経済的)の他に、「Wirtschaft」を主人(Wirt)とそれを中心にした集合 体(schaft)が合わさったものもある。一方、これらの言葉は揃って、「貨殖(金儲け)」、「吝嗇(ケ チ)」、「安物」といった、一見すると語源とは関係がないような使われ方がされているという共通点 がある。 これらのことを踏まえ、本稿では、「経済」の「経国済民」と「貨殖(金儲け)」の二つに分けて 整理することで、辞典の四項目また三種の語源の意味が、「経済」の性質の一部を説明したものであ ることを示すことを、第二の目的とする5 。 2-2.「家」の「ウチ」と「ヨソ」 その説明の前提として、「家」とその「ウチ」(内)、「ヨソ」(外)の違いを整理する。 まず、「家」の意味を確認する。 家 (世界大百科事典 第2版) 日本の家も西欧のファミリーも、その基本的機能は成員の生活保障にある。だからこそ血縁 者のみでなく、他人もいれる必要がでてくる。英語のファミリーfamily の原義は家の使用人た ちであった。歴史とともに社会が安定し、生活が容易になれば、他人を必要とせず、血縁につ ながる近親者の小集団に縮小してくる。しかし、家の血縁に対する考え方は国によって違う。 家族 5経済を「経国済民」(家政)と「貨殖」に分類することは、アリストテレスの『政治学』の第一巻の第8章から第 11 章に、つまり紀元前4世紀にされている。この説明によると、財の獲得術には、家長や当時の国家であるポリスの 指導者による、自然に適っている「家政」の一部と、ポリスを堕落させる不道徳行為としての金銭獲得を目的とす る「蓄財術(売買術)」、本稿の「貨殖」に分類される。アリストテレス(2018)、p.40~54。なお、アリストテレス の説明では、「家政」と「経国済民」が同じ「家政」と扱われている。これは、宇多(2021)の図6で示したように、 国家の規模や発展段階が別ものと扱うほどには達していなかったためと考えられる。
この説明から、「家」は「成員の生活保障」を「基本的機能」とする、「人の集団」であることが 確認できる。この説明では「社会」と「近親者の小集団」という二者に分類し、対比しているが、 本稿では説明の汎用性を高めるため、「歴史とともに社会が安定」の「社会」を「大きな家」、「近親 者の小集団」に縮小するものを「小さな家」と置き換え、必要があれば実態に即した名称を併せて 用いる方法を採る6 。 例えば「国家」、運営期間である「政府」を含む大規模な「集団」を「大きな家」と位置づけ、そ の「国家」では、福祉などの制度が整い、「経国済民」な政治が行われ、治安や景気が安定している とする。このような状況では、「小さな家」である「近親者の小集団」は、「小さな家」にとって「ウ チ」以外の人、つまり「ヨソ」の他人と、互いに成果や力を売買や借用、融通することで、利用で きることになる。これにより、身近な人以外にも頼ることができるのだから、「小さな家」は規模を 維持する必要がなくなり、「近親者の小集団」は血縁の継続性を踏まえれば核家族、そうでない場合 は個人という最小単位にまで縮小しても困らなくなる。 また、人が集団を成しているのなら、その集団に属さない場合は、他人として扱われる。これに より、本人の意思に関係なく、集団に所属する「ウチ」の人と「ヨソ」の人を区別しなければなら なくなる。ただし、この場合の区別を行う際は、ただ否定し、排除するような差別的行動ではなく、 「ヨソ」の人と互いの所属の違いを理解し、認め合い、尊重し合う姿勢が必要となる。このような区 別、線引きが「社会」などの「人の集団」でされていることを示すことを、第三の目的とする。 そこで、次に「世の中」と「人の集団」の違いを示した、宇多(2020b)の図を引用する。 図1は、体験を通じて捉えられる「世の中」の姿、図2は社会科教育を通じて得るはずの、公民 的視野を図化したものである。 6「社会」の意味、また「society」との比較は、宇多(2020b)を参照。 図1 世の中 図2 社会科の社会(学年別) 図2が示すように、社会は地域社会、国際社会、また学校社会のように様々な形態を持ち、それ は他の単語と合わせることで示される。それは「人の集団」を構成する人の質や数、また目的に よって異なる。小学校社会科の教育では、各段階(学年)で視野が広がるよう、3年で市町村の 「ウチ」と「ヨソ」、4年で都道府県の「ウチ」と「ヨソ」、5年以降は国家の「ウチ」と「ヨソ」を 説明する。 このようなことから、「社会」という言葉を用いる場合、規模や形態また目的などの性質を明確に し、所属する「ウチ」の人と、しない「ヨソ」の人を区別する必要があることが分かる。
2-3.「私利」と「公益」 特に経済の場合、金勘定のため、家計、会社の会計のような「ウチ」と「ヨソ」を明確に線引き を怠った場合、自身や所属する集団に害をなす行動、公私混同な行動をしてしまうことになる。そ こで、このような行動を採らないよう、「利益」(もうけ)という言葉の意味を整理する。 しかし、複数の国語辞典を確認したところ、「利益」は「もうけ」、「もうけ」は「利益」と説明さ れているため、必要な情報を得ることができなかった。 そこで本稿では、「利」と「益」の別に確認した。 利 (大辞林 より抜粋) 1.もうけ。利益。 2.都合のよいこと。役に立つこと。 益 (大辞林) 1.人や世の中の役に立つこと。ためになること。 2.利益。もうけ。 このように、「益」が一番目に「人や世の中の役に立つ」ことに言及していることを踏まえ、本稿 では「益」は「公益」、対する言葉として「利」は「私利」という意味で、区別して用いることにす る。そして、「私利」の追求と「公益」の関係を示すことを、第四の目的とする。 なお、「社会」には境界線を挟んで「ウチ」と「ヨソ」があるという前提で話をするため、「公益」 は「ある社会の公益」という意味に限定されることに注意する必要がある。その外側については、 別々の社会を形成している「ヨソ」の人のことがだから、国家ならば「主権」、それより小規模な集 団なら「私的自治」、つまり自分のことは自分で「決める」という権利を尊重する立場から、「ヨソ」 の人には権限もまた責任もないとする。例えば、家庭という「小さな家」に口を出せば、「ウチのこ とに口を出すな」となり、国家という「大きな家」に他国が口を出せば、「内政干渉」とされる。 また、これらの理解にあたり、「立場」と「状況」を意識して、説明を行う。図3は、宇多 (2020b)で使用した、「立場」や置かれた「状況」によって「私」と「公」が変わることを示したも のである。 図3 立場による「私」と「公」の変化
この図3が示すように、社会という「人の集団」はその構成員が誰であるのかを無視して説明し た場合、意味をなさないどころか、かえって誤解させる原因になりかねない。一方、今日のように、 国家が強大化、複雑化した状況では、社会の形態を理解できず、「世の中」として捉えてしまいやす い7 。これにより、国家規模の公益よりも、それに属する、あるいは属さない会社などの「小さな集 団」の「公益」、ただしその「小さな集団」に属さない人から見れば「私利」になるものを優先しや すくなる。また、集団に所属することに伴う責任や義務を怠ったことによって発生する損害、また 自身が所属により享受している「公益」も分かりにくくなる。これにより、「私利」しか考えられな い、狭い視野になりやすい状況が整うことになる。
3.社会の構造変化の図化
3-1.社会の境界線と視界 次に、2節の説明を基に、社会と経済の特徴を説明するための図示を行う。 そのため、図示にあたり、これまでの説明で示した方針を整理する。 ・経済を、私利である「貨殖(金儲け)」と、公益である「経国済民」の二つに分けて捉える ・社会は、「世の中」ではなく、「ある程度の排他性を持つ人の集団」の意味で捉える ・そのため説明では、社会の「境界線」と、それを挟んだ「ウチ」と「ヨソ」の違いを示す ・利益(もうけ)を「私利」と「公益」に分け、その関係を示す これらを整理するにあたり、本稿では「家」の中、「ウチ」の関係では物や金を共有し、「ヨソ」 の人とは互いの所有権を認めた上で、必要なものを「取引」によって融通し合うという状況を前提 に、説明を行う。 これらの説明のため、本稿では以下の図4を説明に用いる基本形とする。 7 このことから、「集団の構成員」である人を「みんな」と表現する場合は、それは「誰でも」という意味ではないこ とが分かる。逆に言えば、「みんな」という曖昧な表現が何を意味するかには、注意が必要である。 図4 前提:集団の構成例 図5 私人の視野(例:「小さな家A」) 図4は、一つの「大きな家」(赤線)に、A, B, Cと名付けた三つの「小さな家」が所属しているこ とを示している。この場合の「家」とは、先述の「成員の生活保障」という基本的機能を有するも のである。 この場合の、Aという「小さな家」の私人的視点、つまり「大きい家」に所属しているという自覚がなく、「ヨソ」を全て「世の中」とだけ捉え、「小さな家」の損得しか考えることができない私的 な狭い視野は、図5のようになる。つまり、Aは自身や地震が所属する「小さな家」を中心に、その 利害だけを考えるのだから、所属している「大きい家」の全体像も、また自身のために理解してお かなければならないはずの境界線も捉えられなくなり、同じ共同体の構成員であるはずのBやCに対 する意識も希薄になる。 これに対し、この境界線の内側を、小学校の社会科教育で図2のように広げていき、各段階で、 それぞれの「ウチ」の特徴を、「ヨソ」と比較するなどの方法により理解させるのである。その結果 として、それぞれの段階で、「大きな家」と定めた社会は市町村、都道府県、また国家のように規模 や形態は異なってはいても、図6のようになる。 8 「国」というあいまいな表現を用いることで、「国家」と「政府」を混同させ、理解を妨げてしまうことが生じることは、 宇多(2021)で説明している。 図6 公民としての視野(例:「小さな家A」) 図7 政府の視野 図6の赤線内の各家に属さない公共部分は、自身のことよりも理解度が少なくなることを示すた め、色を暗めにしてある。また、他者との関係を示したのが、BとCの「プライバシー」黒で示した 部分と、交流のために開いている灰色の輪の部分である。 これに対し、図7は政府の視野を示している。この場合、「国家」ではなく「政府」であることに 注意する必要がある8 。 政府 (大辞林) 政治を行う所。立法・司法・行政のすべての作用を包含する、国家の統治機構の総称。日 本では、内閣および内閣の統轄する行政機構をさす。 この説明から、政府は国家を運営する、一部の機能でしかないことが分かる。そのため、様々な 権利が確立されている国家ならば、「小さな家」の領域、私事(プライベート)である民事には基本 介入できないことになっている。例えば、家宅に踏み入る場合は、捜査令状のような手続きが必要 になる。なお、図7に政府を描いていない。その理由は、3-3で説明する。 3-2.「家」内の「共有」、「家」外の「取引」 次に、基本形である図4に加筆し、「家」の基本的機能である「成員の生活保障」の方法が、「家」
の形態によって、どのように変化するかを説明する。そのため、まず原始的な「小さな家」が集 まって「大きな家」を形成し、発展して「国家」となる様子を説明する。なお、本節では、金(貨 幣)が必要な形態であったとしても、まず物の流れに着目して説明する。 まず図8、図9は、原始的で「群れ」と呼ぶ程度の「小さな家」であるA, B, Cが、他者を意識し た状況で、採ると考えられる行動を図化したものである。 図8 「小さい家」間の「取引」 図9 「大きい家」における共産と「共有」 図8は、共同体を構築せず、物々交換などの手段によって、それぞれが得た自然からの収穫を 「取引」している状態を示したものである9。 また、この段階ではまだ農業や酪農ではなく、まだ狩猟や採集といった手段により自然から、生 活に必要なものを得ているであろう。なお、「対自然」という青の矢印は、自然に対して働きかける ことによって、生活に必要な物を自然から得る、つまり「生産」を示している。 これに対し、図9は血族などの関係性がない集団が、より大きな集団を形成したことを示したも のである。この場合、共同体として狩猟・採集を共同作業とし、役割分担程度の分業があっても、 収穫物の共有が行われる。これが、いわゆる「原始共産制」である。 原始共産制 (大辞林) 社会発展の初期、きわめて低い生産力段階で、血縁関係を基礎に生産活動や分配・消費を 共同で行うとされる社会体制。エンゲルスらにより唱えられた。原始共同制。 なお、実際の社会は図8と図9が混成した形態であり、集団で共有するものと集団内でも取引の 対象とするものは、その集団の規模や構成に至る経緯など、様々な要因によって変化することにな る。また、図9のように、「大きな家」の中に「小さな家」が内在する場合、またそれが多層をなす 場合は、「家」の役割である「生活保障」も分業されることになる。例えば、生活に必要なものの確 保は「小さな家」、治安維持は「大きな家」の役割となる。また、「家」が所有するものも、例えば 住居は「小さな家」、集落の中心に設けられた広場や河川は「大きな家」に所属するといった形で分 けられる。 また、集団の規模が大きくなれば、管理や分配が困難になるので、「小さな家」単位の所有と交換 9 奴隷など人の売買、略奪や征服といった、双方の合意による「取引」に基づかない行為は、歴史的にも日常的にも 見られる。しかし、本稿が説明する経済活動から逸脱したものであるため、扱わない。
を認めざるを得なくなり、「大きな家」単位で共産、共有する部分が縮小することになる。しかし、 広場や道路などは、私物化によって他者の排除が生じないようにしておかないと、社会に混乱をき たすため、「大きな家」単位で共有を続けることになる。これを経済学では「公共財」と呼ぶ。 公共財 public goods(経済辞典) 政府が提供する財であって、私的財と異なり各個人が共同消費し、対価を支払わない人を 排除できず(非排除性)、ある人の消費により他の人の消費を減少できない(非競合性)もの をいう。国防・警察または道路・堤防等がその例である。 3-3.「家長」による家政 次に、集団内の分業を説明する。ただし、実際は「大きな家」の拡大により、所属する「小さな 家」の数が増加し、また「小さな家」の拡大や、多層化が発生するなどの社会の複雑化を図示する 必要性は、今回の説明ではないため、図3のまま説明を続ける。 本能では歴史的経緯、特に「経済」の語源を踏まえ、市場からではなく、集団における「家長」 の台頭から説明する10 。既に説明したように、経済の語源は「経国済民」、「economy」の語源は「家 政」、ドイツ語の「Wirtschaft」は「主人を中心にした集合体」である。これらの語源が示すように、 「市場」が成立し、「経済」という言葉に貨殖(金儲け)の意味が加わる前から、「家長」や「家政」、 また「経国済民」は存在していたことが確認できる。 なお、小規模で生産形態や集団の管理運営の方法が単純ならば、管理や運営は年長者の決定や家 族内の合議によってなされるであろう。しかし、集団が巨大化、複雑化すれば、「家長」の役割とな り、これを特定の血縁者が独占すれば、「王朝」になる。図 10 は、Aが「家長」になった状態を示し たものである。 10これに対し、例えばミクロ経済学の導入的部分では市場が成立し、生産者と消費者だけでも機能する、という前提 を設ける。これにより、本来不可欠な政府が後から出しゃばって生産者と消費者の利をかすめ取るだけでなく、そ の存在意義であるはずの社会厚生(Social Welfare)さえ損なうという、「政府の介入」や「政府の失敗」といった修 辞を成立させることを、宇多(2019)で説明した。なお、筆者は修辞ではない、「家政」を行う立場の者が役割を乱 用、私物化した歴史的事実に対する分析は、本文でも指摘したように不可欠と考えている。 図 10 「家長」の台頭 図 11 他集団との取引の初期段階 この図 10 と図7を比較すると、「公私混同」の姿が明確になる。つまり、「家長」が集団内の役割 であるのならば、政府と「小さな家」の関係は図7のようになり、どの「小さな家」が「家長」を 担っているのかは、図示しなくても説明は済むはずである。
このことから「公私混同」とは、「家長」の役割を担う際に図7の視点を採りきれず、「小さな家」 のことを考える図5の視点を持ち込んでしまう状態であることが分かる。これは、これまでに説明 してきた、集団の「境界線」を理解できていないことが原因であることが分かる。つまり「大きな 家」のことを考える際に、「小さな家」の都合を持ち込むことで権力の私物化が生じるのである。 なお、図 11 のように、「大きな家」の規模が小さければ、また「取引」のルールが確立していなけ れば、危険を回避する観点から、他集団との取引は「家長」が「独占」することになろう11 。そもそ も、貨幣以前の取引とは、要するに自分たちが必要で足りない物を得るために、今持っている物の 一部を手放すことであり、その前提にあるのは所有権である。つまり、それを保証する「市場」が 必要である。しかし、「力」では強者の権利は保証されても、弱者の権利は保証されない。このこと から、家の外では何らかの勢力がその保証をしてくれる「市場」や、それを相手に保証させる所属、 要するに「後ろ立て」が必要になるのである。 3-4.分業による産業、身分、職業の確立 次に、家長以外の分業形態を説明する。この場合の「分業」とは、以下の「社会的分業」を指す。
社会的分業 social division of labor(経済辞典)
社会の総労働が、農・工・商業などの各職業分野に専門化すること。歴史的に見て、原始 共同体内部における性・年齢の違いにより自然発生的に生じる場合と、共同体相互間の交易 から生じる場合とがある。 この説明のように、「分業」には、共同体内のものと、共同体間のものがある。この内と間の違い は「交易」の有無であるから、3-3の「共有」と「取引」と同じ説明がされていることが分かる。 これを踏まえ、まず共同体内部における「分業」と、それに伴う「自然」との関わり方の変化を 説明する。確認すると、図 11 までは人の力、つまり「労働力」は自然に対して向けられている。こ れが社会の発展につれ、生産性が向上、つまり使われる労働量や時間に対する収穫量が増え、余力 を他のことに向けられることになる。 例えば、集落から離れ、行き帰りに獰猛な獣が出るような、山頂近い場所に生える高い木に登っ て果実を採集し、運搬しなければならない場合、その作業は武装した多人数の大人でないとできな い、危険性も高いものになる。これに対し、種や挿木によって集落近くの平地に木を植え、高くな らないよう剪定を行えば、採集や運搬の仕事は子供でも可能になる。これにより、大人の仕事は木 の植林や剪定などに限られ、他のことに労働力を向けることができるようになる。 また、このような分業により、自然から収穫を得る「狩猟・採集」は、自然の管理を必要とする 「農業、畜産」に変化する。これにより、そのための道具を制作する鍛冶などを専業にする、自然と は距離を置いた「派生的」(二次的)な役割も発生する。また、空き地を確保するための土木、また 植林や剪定といった蓄積された知識や技術に基づいた、大人数による作業の分担、また分担を行う ための指揮系統が必要になる。この組織編成や指揮は、「家長」の仕事となる。 このような関係を示したのが、図 12 である。 11ポラニー(1975)、p.75~89。ポラニーは、市場は「経済」(家政)の「内部でではなく、もっぱらその外部で機能 する制度」、「市場は遠隔取引の会同する場所」であり、市場ありきなどではなかったことを説明している。また、 市場によらない部分では、強盗や海賊といった「一方的な関係」が、時に「双務的な関係」である「あるかたちの 交換」、つまり取引となること、それが「遠征先の有力者が強要」する、例えば「首長が、すべての訪問客をもてな すと言い張って対外貿易を独占する」ことによって、成立したことを説明している。(p.79)
図 12 は、自然から収穫を得る役割を続けるBが「農」業を、自然に直接的には働きかけなくなっ たC が「工」業に従事するようになったことを示している。また、分業という役割分担ができたこ とで、集団内の統率や組織的運営の必要性が高まるであろうから、「家長」の権限も強くなろう。 また、初期は人を統率する「政治」と、自然のような人間の理解や能力の外にある圧倒的な力を 治めようと祈る「祭事」が分割されていない状態があり、これを「祭政一致」という。この祭政を 分けて行うようになると、インドのカースト制度やフランス革命以前のフランスの第一、第二身分 のように、為政者と聖職者を上級とする身分制度が成立する。また、儒教の「祭政分離」の思想に より、祭事を担うものが権力構造から排除された場合、「士」だけが政治を行う階級となる12 。 3-5.集団内の複雑化と産業の確立 次に、「商」業について説明する。図 14 は、自身の物を持たず、他集団との「取引を仲介」するこ とで利得を得る、商人の登場を示したものである。 図 12 分業による「農」、「工」の分離 図 14 分業の身分化 図 13 仲介者の登場 図 15 商業の発展(取引の増加) 12江戸時代の政治を「武士」が行っていたことにより、「士」は「武士」と思われているが、元々は「士大夫」、皇帝 や王などに使え政治を担当する身分である。なお、江戸時代の場合、それ以前は政治に関わっていた朝廷の公家や 神道や仏教の聖職者が、各種の法度によって政治から遠ざけられていたことも誤解の原因と考えられる。
商取引は「他人」、集団外の人との関わりであるため、その仲介や運搬をする商人は、その役割か ら取引相手の一方に所属するわけにはいかないから、必然的に所属をせずに商人だけで集団を形成 するか、半端な立場を取らざるを得なくなる13 。 図 14 では「家長」的役割を身分化したものとして、「家長」を「士」と置き換えた。これにより 「士農工商」の関係を、説明する図ができあがる。 また、図 14 までは取引は「大きな家」と集団外だけがしてきたと説明してきたが、「大きな家」の 規模が拡大、複雑になり、共有による管理や分配は困難になり、「小さな家」の間での取引を活発に しなければならなくなる。 これを円滑に行おうとすれば、図 15 のように、「大きな家」内部の取引も商人が仲介することに なる。また交換する手段の必要性が高まるため、政府にあたる「士」などが価値を保証した「貨幣」 を発行することになる。 この段階になると、「大きな家」規模での「家政」の必要性は、集団が大きすぎることにより見え にくくなるから、「士」(家長)以外には「経国済民」(辞書の2番)は意識しにくいものとなる。こ れにより、「小さな家」は、「大きな家」である国家(社会)を、「世の中」として捉えやすくなる。 一方、「小さな家」の「やりくり」(3番)、つまり金を使った「取引」と、それを手段とする「貨 殖」(金儲け)の役割は大きくなる。これにより、「小さな家」には「経国済民」は直接関係ないも のになり、目先にある直接的な「貨殖」の方が主要な意味となる。また、「経済」は「経国済民」よ りも、目先の目的である「貨殖」の意味で使われるようになり、「経済」の意味は、「大きい家」の 政治を考える「経国済民」と、「小さな家」や個人の「貨殖」の二つに乖離することになる。 このような、「大きな家」(例:「国家」)の発展と、それに属する「小さな家」(例:「家計」)の関 係を示したのが、図 16 である14 。 13 「商」を行う立場に立って考えれば、そもそも必要な物が足りないから仲介という役割によって、得なければならな いのである。そのため、苦労して得た利の一部を自身が所属していない、仲間とは扱われない集団やその権力者な どによる「かすめ取る」行動に対して反発を感じることは、その立場からすれば必然となる。 14 この図 16 は、宇多(2021)の図6の再掲である。図6の詳しい説明は、宇多(2021)を参照。 図 16 発展に伴う「家」の二極化 この図 16 までの説明を踏まえると、経済の意味は、次のように整理される。 図 14 まで、つまり貨幣経済以前なら、集団の領域内で収穫したもの、また収穫物を加工したも ので「成員の生活保障」をするため、辞書の4番にある「節約」は、2番の「経国済民」の重要な 「手段」となる。つまり、この段階では「経国済民」と「節約」は強い結びつきを持っていたことに
なる。しかし、図 15 で示したように、集団内の共有が取引にとって変わり、それを仲介する商業と 貨幣の役割が大きくなれば、3番の「金銭のやりくり」の度合いは強まることになる。このことか ら、2-1で示した「経済」の説明の1番は「構造」、2番は「目的」、3番は「手段」、4番は「心得」 という、社会の発展に伴い、巨大化し、複雑になった「経済」の性質の一部であることが分かる。 また、国家という「大きな家」の構造が大きく、複雑になり、それを補うために貨幣による取引 が多くなれば、経済全体の仕組み、つまり1番の「構造」やその「目的」である2番を理解するこ とは、図 16 で示したように困難になる。その見えにくくなった部分、図6で示した「小さな家」の 外側の「大きな家」の残りの部分を理解させ、利害対立がある中で、ある程度の共生関係を意識さ せることが必要になる。 また、「農工商」という表現と「産業分類」の関係を説明する。 その関係を示したのが、図 17 である。 15 「産業分類」の分類の境界線は約束事、決まり事でしかない。そのため、細部になれば国ごとに異なるし、同じ国で あっても統計によって異なるものになる。例えば、同じ日本の統計でも、建築・建設、電気・ガス・水道を第二次 産業とするものと、第三次産業とするものがある。 図 17 農工商と産業 「農」は対自然、「根源的(primary)」であることから、「Primary industry」(第一次産業)となる。 また、直接自然に働きかけず、収穫物を加工する「工」、「派生的(secondary)」であることから、 「Secondary industry」(第二次産業)となる。このように「主要」、「派生」といった意味を語源が持つ としても、日本語訳のように「第一次」、「第二次」と表現してしまえば、分類の理由が示されない、 数字が振られただけのものになってしまう。 なお、第三次産業(Tertiary industry)の「tertiary」は「その他」、サービス産業だけでなく、それ 以外も含まれる。ただし、自然に直接働きかけ収穫を得る第一次、それを加工する第二次は間接的 に自然を相手にし、物を生産している。このことから、「その他」は対自然ではなく対人、つまり奉 仕(サービス)になる。このことから、「第三次産業」はほぼサービス業と認識していても、日常会 話では困らないこととなる15 。
4.私利の追求と公益の達成の関係の図化
4-1.集団外部との収入と支出 3節では、物やサービス(奉仕、人の力)の流れに注目してきた。これに対し、本節では「金」 (貨幣)の流れで、「経済」、私的な「貨殖」(金儲け)と公的な「経国済民」の関係を説明する。初めに、「収支」の計算方法を説明する。収支は、「収入」と「支出」を計上し、その差分を取る ことで計算する。そこで、まず「収入」と「支出」の意味を確認する。 収入 (大辞林) 個人や団体が、金や品物を自分の所有とすること。また、その金品。 支出 (大辞林) ある目的のために金銭・物品を支払うこと。また、その支払い。 この説明を図化したものが、図 18 である。 図 18 収入と支出 図 19 前提:金の流れ 図 20 「家計」の収支(例:「小さな家A」) 図 18 が示すように、境界線を越えて金が入ってくれば「収入」、出ていけば「支出」となる。この ことから、「国際」つまり国家の「際」(境界)である「国境」の収支を捉える統計には、「国際収支 統計」の名前が付けられている。 これを踏まえ、まず「小さな家」の金の動きを、「家計」として計上する方法を確認する。 図 19 は、説明の前提として、A, B, C の三つの「小さな家」が、「大きな家」の外とも取引できる 場合の、金の動きをまとめたものである。 また、図 20 は「小さな家」の例として、「A」が取引相手を意識せず、金の出入りのみを見た場合 を示したものである。
次に、図 21 は、「小さな家」である「家計A」にα、β、γの3人が所属していることを示したもの である。 図 21 「家計」内外の収支(例:「小さな家A」) 図 22 「家計」内外の金の動き(例:「小さな家A」) この状況で「家計A」の収支は、境界線を挟んだ金の動きとなる。そのため、「小さな家」内部の 金の流れ、つまり家族間の金の移動は、家計の収支で捉える必要はなく、捉えた数字には現れない。 しかし、実際は「小さな家」の内部でも金は動いている。その流れを示したものが図 22 になる。 図22では、αを扶養者、βとγを扶養家族としており、収入はαだけが稼ぐとしても、買い物や学費、 小遣いなどの形で、βとγを介して、金が家の外に支出されていることを示している。この場合、「小 さな家」では物が「共有」されているのだから、「金」の動きは「取引」ではなく、単に「ヨソ」と の「取引」を円滑に行うための、「ウチ」内部での金の移動、つまり「移転」されたことになる。 4-2.集団内部における付加価値 次に、「大きな家」の金の動きの測り方、国家ならば「国民所得」にあたる「付加価値」の捉え方 を説明する。 まず、「付加価値」の意味を確認する。 付加価値 (大辞林) 生産過程で新たに付け加えられる価値。総生産額から原材料費と機械設備などの減価償却 分を差し引いたもので、人件費・利子・利潤に分配される。一国全体の付加価値の合計は生 産国民所得となる。 この「国民所得」の一種が、国家の経済規模を示し、また経済成長率を計算するために使われる、 国内総生産(Gross Domestic Products、GDP)である16
。
そこで、「一国全体の付加価値の合計」である、「国民所得」の意味を確認する。
16ただし、GDP(国内総生産)には「機械設備などの減価償却分」が含まれている。また、GDP から「減価償却分」
を差し引いたものはNDP(Net Domestic Products、国内純生産)である。このように、汎用の用語の説明を細かくし たことで、整合性が取れなくなることがある。
国民所得 national income (経済辞典) 要素費用表示の国民所得は、雇用者報酬、企業所得、財産所得よりなる。市場価格表示の 国民所得は、要素費用表示の国民所得に加えて生産・輸入品に課される税(控除)補助金を 足したものを指す。 また、経済用語としては「国富」と「国民所得」に違いがあるため、「国富」の意味も確認する。 国富 national wealth (経済辞典) 国全体の正味生産の合計で、実物資産と対外純資産の合計。実物資産の中に土地のような 再生産不可能な有形資産を含める場合(戦前の国富調査とSNA)と含めない場合(戦後の国 富調査)とがある。国民所得がフロー概念であるのに対して、国富はストック概念である。 この説明から「国民所得」とは、「フロー」(一定期間内に流れるもの、動いているもの)であり、 「国富」はフローの内、投資され、蓄積された「ストック」であるという違いがあることが分かる。 また、「付加価値」は「フロー」であり、かつ「生産過程で新たに付け加えられる価値」であるか ら、一定期間内の生産活動、物を生産し販売する、サービス(奉仕)を行った成果以外は、含まれ ないことになる。例えば、土地の売買では、「付加価値」、「国民所得」にあたるのは仲介手数料など で、土地代そのものは、ストックの移動であるため計上されない。 これを踏まえ、「付加価値」と「収支」の違いを説明する。図 23 は、「小さな家」の例である「家 計A」の収支だけでなく、取引する「相手」の収支も示したものである。 図 23 は、「立場」によって、収入と支出が逆になること、これにより収支の正負がひっくり返るこ とが示されている。つまり、「家計A」から見た収入(プラス)は、相手から見れば同額の支出(マ イナス)、また「家計A」から見た支出(マイナス)は、相手から見れば同額の収入(プラス)にな ることを示している。これにより、これらの収支を全て合計すると、プラスとマイナスが相殺され てゼロとなってしまい、評価には使えないことになってしまう。 一方、「付加価値」では、想定した国家など、集団に属する人たちの間で「取引」のために動いた 金を、図 24 のように捉える。この金が動きに伴い、対価である物やサービスが提供されるのである から、これら「付加価値」の金額が大きいということは、多くの生産が行われ、またそれが取引に よって販売され、消費や投資に用いられることを意味する。例えば、図 23 のように「付加価値」の 図 23 二つの「家計」の収支 図 24 「大きい家」の付加価値
流れが二本で、「小さな家」の収支で測れば同じ 10 万円の黒字(プラス)であったとしても、100 万 円と 90 万円と、1000 万円と 990 万円では、動く物やサービスの量は全く異なるものとなる。 また、「小さな家」で米を育て収穫し、炊いて食べる、いわゆる「自給自足」ができれば、家の外 との取引が存在しない、つまり「小さな家」の中だけで済んでしまうため、「付加価値」はゼロにな る17 。これに対し、「小さな家」から見れば「ヨソ」の人から生の「米」を買う、「加工品」を買う、 場所や給仕などを含む「食堂」のサービスを買う場合は、家の外との取引になるので、「付加価値」 として計上される。つまり、「小さな家」では中の動きを捉えないのに対し、「大きな家」ではその 中の「小さな家」の間の取引の額を合わせて「付加価値」とするのである。 このように、「ヨソ」の人の成果や力は「取引」によって得るものであり、今日では橋渡しの手段 として貨幣(カネ)が用いられている18 。昔は、これを「ムラ」など集団内の「コネ」で行ってい た。これを、「カネ」によって済ませることが増えたのが、貨幣経済である。つまり、「コネ」がな ければ生きていくことが困難だったのが、「カネ」さえあれば何とかなるようになったのである。こ れにより、2-2で説明したように、親戚付き合いなどの人間関係の必要性は減るのだから、「小さ な家」に対する所属意識は希薄になるし、また「小さな家」の規模が縮小しても支障はきたさなく なる。 4-3.貨殖と経国済民の関係 「国民所得」の計算では、この「付加価値」に加え、国外との「収支」を含める。 図 25 は、国際つまり国境を越えた「収支」を示したものである。また、輸出や輸入は「収支」で あるため、原材料として使われたとしても計上される19 。 また、この図 25 に図 24 を合わせたものが、図 26 である。 図 25 「大きい家」の収支 図 26 「大きな家」の国民所得 17ただし、他者に販売するために行った生産活動の成果を自分たちで消費した場合は、「自家消費」とみなされ、計上 される。また、「帰属家賃」のように、家主と住人を別人として扱い、計上するものもある。 18現実の社会は、単純な大小の二極ではなく多層であり、また「状況」によって「ウチ」と「ヨソ」の境界の位置や 強さは変化する。例えば、災害などの非常時の際は「ウチ」と「ヨソ」の区別は曖昧になる。また、日常でも近所 付き合いの深さ、地域性などによって、「お互い様」と損得勘定から外す部分が変化する。 19厳密には「収支」には、取引を伴わない金の移動の差分である「純所得」が加わる。 これを図4以降の、「大きな家」と三つの「小さな家」の関係で示したものが、図 27、図 28 であ る。
図 27 は「小さな家」の例である家計Aの「収支」を示したものである。家計 Aの場合、「収入」よ りも、自身の努力が結果に結びつきやすい「支出」の方で「節約」(4番)という「金のやりくり」 (3番)に努めることになる。これに対し、図 28 はA, B, Cの三つの家計が貨殖をした結果、「付加価 値」が生じたことを示している。この場合、国家内の「付加価値」全てと国外とのやりとりの差分 である「収支」の合計が、「国民所得」となる。 また、図 27、図 28 では国家内の金の動きを、「付加価値」とそれ以外に分けて示してある。 図 27 は、収支計算では境界線を越えた金の動きが計上される。これに対し、図 28 の「国民所得」 の計算では、「付加価値」に含まれない原材料費や、一定期間内の「生産過程で新たに付け加えられ る価値」、つまり期間内の生産活動の成果でないものは計上しない。これにより「資本収支」、つま り国境を越えた「ストック」移動の「収支」や、既に「一定期間」の前に生産された資産の売買な どによる金の移動は、「国民所得」の計上から外れることになる。これらのことから、「小さな家」 の立場で測った収支の一部でしかない私的な企業の「もうけ」を合計したとしても、公的な「付加 価値」や「国民所得」にはならないことが確認できる。
5.おわりに
本稿では、まず辞書を使って単語の定義を確認し、次にそれらの理解に必要な性質を図化して説 明した。これにより、「社会」と「経済」の意味が、私人的立場だけで捉えれば「世の中」と「貨殖」 にしか見えなくなってしまうのに対し、公民的立場から俯瞰して「国家」と「経国済民」として捉 える必要があることを示した。 このように、分業によりそれぞれは役割に「集中」することができるようになる一方、それ以外 のこと、またそれ以外のこととのつながりや全体像が見えにくくなる。この見えにくい部分を学ぶ のが、社会科をはじめとする教養教育であり、その一つである公民教育も多面的な見方や総合的な 理解を重視している。 しかし、物事は、理解するために必要な、分割された枝葉的な情報を、ただ教えることさえすれ ば、自動的につながりや核心を理解し、知識の体系化がされ、またそれを適切に用いる公民的思想 が育まれるというものではない。その理解のためには、「情報の繋げ方」や「考え方」なども習得し なければならない。つまり、考えるためには、十分な情報とそれを受け止めるだけの前提知識が必 要である。また、好き嫌いなどの感情的な要因により情報を排除するなどの行動を取らずに、筋を 図 27 私利、貨殖(「小さい家」の収支) 図 28 公益、経国済民(「大きな家」の国民所得)通すという、実行が困難な行動が不可欠であることが確認できる。 このようなことから、理論やそれを用いた現実の説明を聞く際は、その前に理解をするための前 提となる基礎知識を持つこと、また説明する人と自身の立場の違いを意識し、認め合い、折り合い をつけることが必要になる。そのためには、まずは「専門家」が説明する、客観性があるとされて いる情報にさえ、感情や損得勘定といった「立場」が伴っていることを理解し、注意することが必 要になるのである。この「立場」の違いを曖昧にしたまま、説明する側の都合に合わせて切り取ら れた断片的な情報だけで社会や経済を論じても、現状の問題点の把握、また解決策の模索を難しく するだけでなく、かえって誤解を生み、妨げてしまうことがあるからである。 そのため公民教育は、冒頭に用いたリンゼイ(1935)の言葉を和訳した以下の文のような、「最も 難しい」とされることに挑まなければならないのである20 。 一般のひとびとは、専門家によって出された諸提案の意味するところをいく分でも理解し て、それについてなんとか討議するのでなければなりません。ですから、民主主義は教育あ る民衆あって、はじめてその成功を収めることができるのです。 参考文献一覧 アリストテレス(2018)、『アリストテレス全集 17 政治学 家政論』、神崎繁・相澤康隆・瀬口昌久 訳、岩波書店。 井上永幸、赤野一郎 編(2012)『ウィズダム英和辞典 第3版』、三省堂。 宇多賢治郎(2016)「『経済学』と『経済』教育の乖離 後編:私と公民の分離」、『山梨大学教育人 間科学部紀要』、第 24 号、山梨大学教育人間科学部。 宇多賢治郎(2018)「経済動向を示す値と経国済民の関係 前編:収支バランスと経国済民」、『山梨 大学教育学部紀要』、第 26 号、山梨大学教育学部。 宇多賢治郎(2019)「『経済学』と『経済』教育の乖離 その3 専門と教養の違いがもたらす乖離」、 『山梨大学教育学部紀要』、第 28 号。 宇多賢治郎(2020a)「『経済学』と『経済』教育の乖離 その4 家計の赤字と国の財政問題の比 較」、『山梨大学教育学部紀要』、第 30 号、山梨大学教育学部。 宇多賢治郎(2020b)「『経済学』と『経済』教育の乖離 その5 私と公の関係を対立と捉える考え 方の分析」、『山梨大学教育学部紀要』、第 30 号、山梨大学教育学部。 宇多賢治郎(2021)「『経済学』と『経済』教育の乖離 その6 『経国済民』と『貨殖』を対立とす る『単純化』の研究」、『山梨大学教育学部紀要』、第 31 号、山梨大学教育学部。 奥野正寛(1990)『経済学入門シリーズ ミクロ経済学入門 第2版』、日本経済新聞社。 金森久雄、荒憲治郎、森口親司(編)(2013)『経済辞典 第5版』、有斐閣。 渋沢栄一(1927)『論語と算盤』、KADOKAWA。 小学館国語辞典編集部(編)(2012)『大辞泉 第2版』、小学館。 スミス,アダム(1789)『国富論 Ⅱ』、大河内一男 監訳(1978)、中央公論新社。 根井雅弘(2005)『経済学の歴史』、講談社。 福澤諭吉、小幡篤次郎(1872)「初篇」、『学問のすゝめ』、青空文庫。 https://www.aozora.gr.jp/cards/000296/files/47061_29420.html ブルンナー,オットー(1974)「Ⅵ 『全き家』と旧ヨーロッパの『家政学』」、『ヨーロッパ』、岩波 20 リンゼイ(1935)、p.156。英語版 p.79。
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