アジ研ワールド・トレンド No.240(2015. 10)
18
タビューと称して話を聞かずに自
分の聞きたいことだけを詰問し、
礼だけ言ってそれきり去っていく
「
バ
カ
セ
」
た
ち
の
所
業
と、
そ
れ
に
傷ついたり、迷惑したりした人々
の体験である。研究者が自らを研
究という高尚な目的を追求する聖
人だと思いこみ、地域の価値観や
ルールを尊重せず、協力してくれ
る
人
々
を
単
に「
イ
ン
フ
ォ
ー
マ
ン
ト」として一方的に利用する時、
こうした
簒 さん
奪 だつ
は起こる。また逆に、
地域に関わり過ぎてしまった研究
者の失敗にも触れられている。良
かれと思って行った提言がきっか
けで、西表島のヤマネコ印無農薬
米を販売する事業を引き受ける羽
目
に
な
っ
た
安
渓
氏
は、
「
よ
そ
か
ら
持ってきた智慧や文化で、地域が
本
当
に
生
き
延
び
ら
れ
る
わ
け
が
な
い
」(
四
八
ペ
ー
ジ
)
と
い
う
批
判
に
出会う。島とは無縁の価値観や方
●
フ
ィ
ー
ル
ド
に
行
く
前
に
フィールドワークは地域研究者
にとって最も重要な現地との関わ
りである。アジ研の多くの研究者
のように、研究者が調査対象地か
ら地理的にも文化的にも遠い出自
である場合は特に、現場に行くこ
と、その土地の人々の考え方を知
り言葉や文化に触れることは、研
究作業を行ううえで欠かせない修
練となる。研究者はかくしてフィ
ールドに行く。しかし現地の人た
ちに、研究者という珍客はどのよ
うに映っているのだろう。
宮本常一・安渓遊地『調査され
るという迷惑――フィールドに出
る
前
に
読
ん
で
お
く
本
』(
み
ず
の
わ
出版、二〇〇八年)
には、異文化
から学ぶ立場の研究者にとって耳
に痛い話が満載だ。そこで語られ
ているのは、突然押し掛けてきて
資料をあさり、時には奪い、イン
法を地域に押し付けたことで、地
域の自立を妨げてしまった側面に
気付くのである。
●
フ
ィ
ー
ル
ド
と
向
き
合
っ
て
フィールドといかに関係を結び、
人々の抱えている問題や、そのも
のの見方や、その感情に向き合っ
ていくのか。こうした問いは学問
の外にあるものと捉えられがちだ
が、実は学問と深くつながってい
る。それどころか、学問そのもの
で
さ
え
あ
る。
保
苅
実『
ラ
デ
ィ
カ
ル・オーラル・ヒストリー――オ
ースト
ラ
リア先住民アボリジニの
歴
史
実
践
――』
(
御
茶
の
水
書
房、
二〇〇四年)
は、フィールドに真
摯に向き合った若き研究者による、
野心的な学問業績であり、挑戦的
な実践の記録だ。オーストラリア
のアボリジニが口承で伝える歴史
を研究する保苅氏は、自身の専門
を人類学ではなく歴史学であると
言う。文字のない人々の歴史も歴
史であり、イギリス人入植の際に
白人たちが書き残した「科学的」
クロノロジーとアボリジニのオー
ラル・ヒストリーは、同じ資格で
歴史的記録であるべきだという考
えからである。しかし、今日の実
証主義歴史学では、事実を証拠に
よって特定する作業が規範とされ
る。また、史実には論理的整合性
がなければならず、反証性が必要
であるとされる点は社会科学と同
様
で
あ
る。
「
よ
く
実
証
さ
れ
た
」
事
実関係の主張とそうでない事実関
係の主張が矛盾しあうとき、歴史
学者は実証の不十分な事実関係の
主
張
を
排
除
し、
「
よ
く
実
証
さ
れ
た」ものだけを史実として認定す
る。こうした選別の作業のなかで、
ア
ボ
リ
ジ
ニ
の
長
老
が
伝
え
る「
史
実」は非科学的な言説として排除
されてしまう。それは例えば、オ
ーストラリアに植民地主義をもた
らした白人は、アボリジニと起源
を共有しない「猿」から進化した
ものであるとか、一九二四年にウ
ェーブヒル牧場でおこった大洪水
は、アボリジニ男性が雨をつかさ
どる大蛇に降水を依頼したからだ
とかいった「史実」である。歴史
●
特
●
集
本の森への道案内
フ
ィ
ー
ル
ド
ワ
ー
ク
と
研
究
者
渡邊
祥子
[マグリブ現代史]
19
アジ研ワールド・トレンド No.240(2015. 10)
学者たちはこうした逸話を荒唐無
稽
な
も
の
と
し
て
排
除
す
る
か、
「
史
実」とは異なる「神話」として包
摂してしまう。
保苅氏の歴史学は、研究者たち
の特権的地位への疑問を徹底的に
突き詰めることから始まる。目指
す
と
こ
ろ
は、
「
歴
史
構
築
の
エ
ー
ジ
ェントとしての『われわれ歴史学
者』を強固に保持する努力をあえ
て放棄してみるという作業」であ
り、
「
い
っ
た
ん、
僕
ら
の
エ
ー
ジ
ェ
ンシーをカッコでくくって、かれ
らのほうにエージェンシーを預け
たときに、いったい何がおこるの
か
」(
一
八
ペ
ー
ジ
)
を
見
る
試
み
で
ある。実証主義歴史学がお墨付き
を
与
え
る
史
実
と、
ア
ボ
リ
ジ
ニ
が
日々実践している、ローカル化さ
れ、超自然的な歴史との間の「対
話」を模索することこそ、保苅氏
の提唱するクロス・カルチュララ
イジング・ヒストリーである。
●
フ
ィ
ー
ル
ド
の
後
に
保苅氏の著作に私たちが見出す
知的刺激は、オーストラリアとい
う土地の持っている豊かで多元的
な歴史と、著者の才能との出会い
によって生み出された、ユニーク
なものだと読者は思うかもしれな
い。
し
か
し、
「
ク
ロ
ス・
カ
ル
チ
ュ
ラライジング」行為そのものは、
フィールドと関わっている者すべ
てが日常的に経験しているのでは
ないか。ほとんどの研究者は、仮
説検証のためにフィールドに赴く。
しかしながら、フィールドでの経
験は大概、研究者が机上でこしら
えた予見を裏切るものである。研
究者はこのギャップに苦しみ、そ
れについて考え、それを乗り越え
るべく知的努力を行う。また、あ
る人たちの「信仰」や「神話」を
調べていたら、それらが「研究対
象」を超えて身に迫ってきたとい
う、
「
ミ
イ
ラ
取
り
が
ミ
イ
ラ
に
な
る」経験も、少なからぬ研究者が
持つだろう。しかし、狭い井戸の
なかの蛙である研究者の世界とフ
ィールドの広大な世界が、非対称
的な関係から抜け出て共振するよ
うな経験は、保苅氏の書など少数
の研究を例外として、普通論文に
は書かれることのない部分である。
川
田
順
造『
マ
グ
レ
ブ
紀
行
』(
中
公
新
書、
一
九
九
九
[
一
九
七
一
]
年)
は、サブサハラ・アフリカを
フィールドとする人類学者による
著書である。フィールドとの出会
いが引き起こした生々しい体験の
痕跡を、このエッセイに見ること
ができる。この文章が学術論文で
なく旅行記であり、しかも著者の
本来の専門ではない地域(マグレ
ブ、つまりアルジェリア、チュニ
ジア、モロッコ)を主題にするも
のであったことは、著者の想像力
あふれる自由な筆致とおそらく無
関係ではないだろう。川田氏は、
学問の窮屈さから相対的に解放さ
れ
た
目
で
フ
ィ
ー
ル
ド
を
め
ぐ
り、
人々と話しあい、男たち女たち老
人たち子どもたちの様子を、明晰
な日本語と自筆の美しいイラスト
でスケッチしている。
考察の一部分はたしかに、書物
から得られた知識に基づいており、
実証的なアジア・アフリカ研究の
発展という当時の社会科学の文脈
を受けた理論的な考察である。し
かしながら、著者のひらめきや感
想が書き留められている個所こそ
がこの本の魅力である。たとえば
川田氏は、マグレブの人たちの文
化的な特徴を表すしぐさとして、
驚
い
て
眉
を
上
げ
た
と
き
に
で
き
る
「
額
の
横
じ
わ
」
を
挙
げ
て
い
る。
ま
た川田氏が「アルジェに暮らすあ
いだ、こうした人たちと親しくな
るにつれて、ゲリラと市街戦と、
テロと虐殺の八年間の戦い[注:
アルジェリア独立戦争のこと]の
熾烈さを、このおだやかで控えめ
な人たちからは、どうしても想像
できなかったが、しかしこの人た
ちが勝ったのは、当然だったと思
っ
た
」(
一
一
~
一
二
ペ
ー
ジ
)
と
書
くとき、私たちは川田氏の学問的
考察というよりは、その生きた直
接的な経験へと導かれる。
マグレブ周遊の長い旅の終わり、
モロッコのテトゥアンからセウタ
(
モ
ロ
ッ
コ
に
あ
る
ス
ペ
イ
ン
領
の
飛
び地)に抜けて、町の教会で血ま
みれの聖母子像(ピエタ)をみた
川田氏の感想は、なかでも奇妙で
あ
る。
「
な
ん
と
い
え
ば
よ
い
か、
ま
ず一目みて、ひどく気味が悪かっ
た。清楚な幾何学模様に飾られた、
明るく風通しのいい、中庭にいつ
も泉水から清水があふれているイ
ス
ラ
ム
寺
院
に
親
し
ん
だ
あ
と
で
は
」、
ピエタ像の崇拝は「ひどく迷信深
い
も
の
に
思
わ
れ
た
」。
そ
し
て「
偶
像を拝む「異教徒」の国に、とう
とう足をふみ入れたな、というの
が、
素
朴
な
第
一
印
象
だ
っ
た
」(
一
五九~一六〇ページ)
。「フィール
ド後」の研究者の変貌した身体感
覚が、ここに現れている。
(
わ
た
な
べ
し
ょ
う
こ
/
ア
ジ
ア
経
済研究所
中東研究グループ)