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樗牛とニーチェ (1)

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樗 牛 と ニ ー チ ェ(i)

樗 牛

と ニ ー チ

ェ(1)

Chogyu .und Nietzsche

Kenji Nakamura

序 この 試 論 は 、 樗 牛 の 伝 記 的 な側 面 を追 い な が ら 、 そ こ に ニ ー チ ェ に 通 ず る もの を み て行 こ う とい う もの で あ る 。 樗 牛 が ニ ー チ ェ を知 っ た の は 、 明 治 三 十 一 年 一 月に 井 上 哲 次 郎(ド イ ツ に 留 学 し、従 来 の 英 仏 哲 学 に 対 し て ドイ ツ 系哲 学 を移 植 、また 日本 主 義 を 唱 導 した 人 と して知 られ て い る 。)の 講 演 を き い て か ら だ1と い う。 また 明 治 三 十 四 年 九 月 の 「帝 国 文 学 」 誌 に 、 樗 牛 の友 人 登 張 竹 風 に よ って 「高 山 君 の 『美 的 生 活 論 』 は 明 らか に 、 ニ イ チ ェ の説 に そ の 根 拠 を有 す 」 とい う論 評 が 載 り、 そ れ 以 降 それ が 定 説 の ご と くい わ れ て き た 。だ が 樗 牛 自身 そ の 「美的 生 活 を論 ず 」(明 治34.8)を 発表 した 年 の 十 一 月十 五 日附 の 姉 崎 嘲 風 宛 書 簡 の 中 で 「… …吾 れ は 又 ニ ィ チ ェ の 思 想 に 先 天 の 契合 あ る を覚 え ぬ るは 如 何 に そ や 。 … …」 と書 い て い 一52一

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る の で あ る。 樗 牛 が ニ ー チ ェ を知 っ た 後 、 ニ ー チ ェか ら 多 くの もの を得 た で あ ろ う こ とは想 像 に 難 くな い。 また そ れ を考 察 して 行 くこ とは 、 日本 に お い て 最 も早 い時 期 に ニ ー チ ェ主 義 者 、 或 は ニ ー チ ェ 紹 介 者 とい わ れ た樗 牛 を研 究 す る上 で重 要 な こ とで あ る。 だ が 樗 牛 自身 の い う先 天 の 契 合 を無 視 す る こ とは で きな い だ ろ う。 そ の 両 方 をみ て 行 か な か っ た な ら、 片 手 落 ち とな ろ う。 人 々 は或 る思 想 に 出会 う と、 そ こか らそ れ ぞ れ が 感銘 を受 け た もの 、衝 撃 を受 け た もの を取 り出 して 、自 らの 内 部 でふ くら ませ て い く。 従 って その 思 想が 偉 大 で あれ ば あ る程 、よ り 多 くの 解 釈 も生 まれ て くる し、 よ り多 くの 思 想が 派 生 して くる の で あ る。 か よ うに 、 人 そ れ ぞ れ に よ って そ の 思 想 を受 け とめ る仕 方 が 様 々 に な る大 き な要 因 の 一 つ に 、 先 天 の 契 合 が 考 え られ る で あ ろ う。そ れ を探 っ て い くこ とは 、無 意 味 な こ とで は な い 。 そ うい うわ け で 、私 の 考 察 は樗 牛 の 誕 生 か ら始 ま るの だ が 、 どれ ほ ど その 「先 天 の 契 合 」 に 触 れ る こ とが で き るか 、 はなはだ心 も とない次第では あ る 。 第 一 部 誕 生 よ り二 高卒 業 迄 誕 生 高 山 樗 牛(本 名=林 次 郎)は 、 明 治 四 年(1871)一 月十 四 日鶴 岡 の高 畑 町 に 、 斎 藤 親信 、 芳 子 の 二 男 と して産 まれ た 。翌 五 年 二 月 十 七 日、戸 籍 上 高 山久 平 、岩 江 の養 子 とな る。 樗 牛 が 高 山 家 の養 子 に な る こ とは 、誕 生 前 か ら決 って い た 。 親 信 は 高 山家 か ら養 子 に きた 人 で あ り、 そ の 実 兄 久 平 に は子 が なか っ た の で 、 男 女 を問 わ ず 第 三 子 を養 子 に す る と い う約 束 に な って いた の で あ る 。 そ の 第 三 子 が 男 児 で あ っ た の で 、 両 家 の 喜 び は 大 変 な もの だ っ た ら しい 。 生 後 一 ケ年 は樗 牛 を乳 母 に 背 負 わ せ て ほ とん ど毎 日新 士 町(現 在 大 東 町)の 養 家 に通 わせ 、 早 く養 父 母 に な じませ よ う と した り して い る。 な お 樗 牛 生 誕 の 部 屋 は 、 現 在 も市 役 所 本 庁 舎 と道

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樗 牛 と ニ ー チ ェ(1) 路 を は さん だ 真 向 い に あ る致 道 館(徂 徠 学 を藩 学 と した藩 校)に 保 存 され て い る 。生 家 そ の もの は 、 斎 藤 家 の現 在 の戸 主 求 氏(独 立 会 所 属 の画 家) が 処 分 して 東 京 に転 居 した た め 、現 在 は 諏 訪 家 の 所 有 とな っ て い る 。 養 家 の 現 在 の 戸 主 は 、樗 牛 没 後 三 浦 家 よ り高 山家 に養 子 に きた 喜 三 郎 と樗 牛 の 末 の 妹 直 井 との 間 に生 まれ た 久 太 郎 氏 で あ り、 家 は ほ ぼ 昔 の ま ま維 持 され て い る 。 そ こに は 、樗 牛 の 蔵 書 、直 筆 の 絵 等 、遺 品 の 数 々 が 不 完 全 な が ら 大切 に保 管 され て い る 。樗 牛 に は他 に 兄 弟 姉 妹 八 人 が いた 。 樗 牛 が 最 も可 愛 が っ た弟 良 太 は三 男 で 、 結核 の 為 二 十 二 才 で 没 して お り、 四 男 信 策 は 、 後 の 斎 藤 野 の 人 で あ る 。 末 弟 親 平 は銀 行 家 に な っ た 人 だ が 、 文 学 好 きで 、 ハ ー ン の翻 訳 や 、樗牛伝 な ども書 いてい る。 また、樗牛の蔵 書及 び書簡 等 の 資 料 類 もか な り所 蔵 して い た との こ とだ が 、 残 念 な が ら現 在 親 平 の 長 男 勁 氏 の も とに は それ らは残 って い な い 。 つ い で な が ら親 平 の 妻 良 子 は 、 佐 藤 紅 緑 の姪 で あ る。 こ こ で樗 牛 の 生 家 、養 家 に つ い て簡 単 に 触 れ て お きた い 。 信 策 の 「亡 兄 高 山 樗 牛2」に よ る と、「高 山 家 は 予 の 斎 藤 家 と共 に士 族 で は あ っ た が極 く卑 い 階 級 で 、本 当の 武 士 な ど と銘 打 つ わ け に は 行 か な か った 。 斎 藤 家 は 古 来 普 通 の 人々 の み で あ っ た の に 引 き替 へ て 、高 山 家 は 代 々芸 術 に 長 け て居 て 、 祖 先 の 中 の あ る者 は道 場 を 有 した 位 で あ る。 固 よ り身 分 は 卑 しか っ たが 確 か に 技 能 才 幹 は 凡 人以 上 で あ っ た。 … …之 に 反 して 斎 藤 式 は 蒲 柳 の 質 で あ る。 高 山家 は 唯 に 武 芸 に長 け た の み で な く、卑 い階 級 の士 族 と して は 似 合 わ ぬ程 に学 問 に も長 じて 居 った 。… … そ れ か ら不 思議 なの は書 画 の 才 を持 っ た者 が 古 来 多 い こ と で あ る。 … … こん な風 に 高 山家 の 血統 を 引 い た もの に は小 才 では あ るが 、 本 当 に百 人 並 み の 才 幹 を持 っ た者 が 多 か っ た の で 、つ ま り樗 牛 は こ れ 等 の 高 山式 の小 才 幹 を一 身 に 煥 発 した の で あ る。 しか し こ の 高 山 式 は 決 して 羨 む べ き もの で は 無 い の で あ る。 即 ち才 人 もあ っ た 代 り に気 違 い も偶 々 出 た との事 で あ る 。精 神 病 者 もあ れ ば 自殺 者 も あ っ た ら し 一54一

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い 。 … …」 と書 か れ て い る 。 武 芸 に長 け た者 と し て は 、 三 百 五 十 年 位 前 に 高 山八 衛 門 とい う人 が 三 十 三 間 道 の 通 し矢 で 、 七 千 六 百 十 六 本 中 、五 千 百 九 十 七 本 を 当 て 、 当 時 の 最 高 記 録 を達 成 して 弓 の 日本 一 とな り、 荘 内 の名 を高 め た と、高 山 家 所 蔵 の 古 文 書 に あ る。 ま た養 父 久 平 も柔 術 や 礼 法 な ど 五 ・六 の 免 状 を持 ち、 門弟 もか か え て い た そ う で あ る 。 ま た 、 書 画 につ い て は 、樗 牛 の大 伯 父 に 上 野 柳 斎 とい う人 が あ り、 画 家 と して暮 し た。 こ の 画 才 につ い て は 、現 在 樗 牛 の 甥 で あ る斎 藤 求 氏 が 画 家 と して一 家 を成 して い る とこ ろ をみ る と 、 い ま だ に 脈 々 と生 きて い る とい え る だ ろ う。 樗 牛 自 身 は 、 当 時 と して は 、体 格 に 於 て は 優 れ て い た し、 七 分 の 強 弓 を ひ くほ ど の 体 力 もあ っ た 。 ま た絵 も仲 々上 手(高 山家 に は樗 牛 直 筆 の 絵 が 保 管 され て い る)で あ っ た 。 だが 信 策 に よれ ば 、 書 は兄 親 廣 に 比 べ れ ば お 話 しに な らぬ 位 拙 だ っ た そ う で あ る。 書 に無 知 な私 が 、鶴 岡 の 高 山家 や 、 樗 牛 の墓 の あ る清 水 の龍 華寺 で 見 た 樗 牛 の 字 は 、仲 々達 筆 に 思 え た が 、 そ うい う も の で は な い ら しい 。 実 父親 信 は 後 に 鶴 岡郊 外 の 大 宝寺 村 の 村 長 とな り、 茶 の栽 培 な ど も し、 実 家 の 斎藤 家 は 結 構 ゆ と りの あ る生 活 を して い た ら し い 。一 方 養 父 久 平 は 、 小 官 吏 と して 任 地 を転 々 と し(こ れ に 関 して は 、 小 野 寺 凡 氏 の 「人 間 高 山 樗 牛 」3に詳 しい)、最 後 は 東 京 の 警視 庁 勤務 で 終 っ て い る 。警 視 庁 で の 地 位 は 、 当時 の 「官 報 」 附録 の 『職 員録 』(あ る地 位 以 下 は 記 載 さ れ て い な い) に 記 載 さ れ て い な い の で(養 父 と同 様 警 視 庁 に 勤務 して い た 実 兄 斎藤 親 廣 は 明 治二 十年 、二 十 一 年 両 版 に 「九 等 ・書 記 局 」、二 十 二 年 版 に は 「八 等 ・ 書 記 局 ・第三 局 」 とあ る。)か な り低 か っ た ら し い。従 っ て 、生 活 も決 して 楽 で は な か っ た よ うで あ る。 しか し樗 牛 は 、 こ う し た生 家 と養 家 に 見 守 ら れ て 、養 子 で あ る こ と も知 ら ず に 、 負 い 目を感 ず る こ と も な く、後 に一 般 に 東 北 人 タ イ プ と見 られ や す い 、陰 気 さや 寡 黙 さ と は縁 遠 い 、陽 気 で 傲 慢 な 樗 牛 が 東 北 人 で あ る こ と を知 った 上 田敏 が 、 そ の 意 外 さに 驚 い た程 に 、

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樗 牛 と ニ ー チ ェ(1) の び の び と、我 が 儘 一 杯 に ふ る ま い 、 成 長 して行 くの で あ る 。 小 学校 時 代 明治 十 年 七 月 、就 学 年 齢 に達 す る 以 前 か ら 「入 りた い」 と言 っ て 養 父 母 を 困 らせ て い た 学 校 に樗 牛 は 念願 か な っ て 入学 す る。 そ し て十 月 に は養 父 久 平 の転 任 に従 い 、 山 形 の 香 澄 学 校 に 転 校 す る 。 転 校 に 際 して 本鏡 学 校(鶴 岡)の 教 師 は 「大切 の 生 徒 が 連 れ て 行 か れ る」4と 嘆 い た とい う。 秋 山正 香 氏 の(「 高 山樗 牛 そ の生 涯 と思 想 」)に よ る と、樗 牛 が 「は じめ て 自分 が 高 山家 の養 子 で あ り、斎 藤 の叔 父 が 実 は生 み の 親 で あ る こ とを知 っ た ら し い。」5のは 明 治 二 十 一 年 頃 、即 ち第 二 高 等 中 学 校 時 代 の こ と と想 像 され て い るが 、 末 弟 親 平 の 「樗 牛 伝 」 に よれ ば 、 山 形 移 住 後 、 戸籍 調 べ にや っ て来 た巡 査 と養 母 との や り と りを蔭 で 聴 い て い て 知 っ た と あ る。 とす れ ば 、巡 査 が 戸籍 調 べ にや っ て来 る の は 、 恐 ら く移 転 後 間 もな くの こ とで あ ろ うか ら、六 才 か 、七 才 頃 の こ とで あ ろ う。 樗 牛 が こ の事 実 を どの よ うに 受 け とめ た の か 、子 供 の こ とで あ っ て み れ ば な お の こ と想像 し難 い。 だ が 少 な く と も、 そ の 後 の樗 牛 の 成長 の 跡 を辿 っ て み る と、 お定 ま りの 暗 い影 は 、落 さな か っ た よ うに 思 わ れ る 。 寧 ろ後 年 の樗 牛 の弟 妹 思 い をみ る と、独 っ子 と思 い込 ん で い た 自分 に 、実 は 八 人 もの実 の 兄 弟姉 妹 が い た こ と を喜 ん で い るか の よ うで あ る。だが 後 年 樗 牛 は 、嫁 い だ妹 に こん な こ と も言 って い る 。「決 して 養 子 に な る もの じ ゃな い。お 前 小 供 を沢 山 有 っ て も決 して 養 子 に はや る もの じゃ な い よ」6人知 れ ず 樗 牛 の心 の 奥 に は蔭 が 落 ち て い たの か も知 れ な い 。 或 は 親 平 の い う よ うに 、 樗 牛 に と っ て は 「晴 天 の 霹 靂 」 で あ っ た の か も知 れ な い 。 さて 、 小 学 校 時代 の 樗 牛 は 、成 績 は 常 に一 等 か 二 等 を通 し、 酒 田琢 成学 校 時代 に は 、北 海 道 、東 北 巡 幸 途 上 の 明 治 天 皇 の 前 で 、「奉 祝 巡 幸 」 を読 み あ げ る程 の優 等 生 で あ った が 、半 面相 当 な腕 白 で あ っ た ら しい 。山形 時 代 、 樗 牛 の 家 の近 所 に 海 上 胤 平(歌 人 と し て一 家 をな し、 東 京 に 歌 塾 「椎 木 吟 社 」を設 け 、門下 生 千 人 を数 え た 人 と し て知 られ て い る。)が住 ん で い た が 、 一56一

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そ の 海 上 家 の 犬 が 何 者 か に よ っ て切 りつ け ら れ 、 傷 を負 わ され た。 海 上 は この 界隈 で こん な こ と をす るの は高 山 の 息 子 以 外 に は い な い と い っ て 、 高 山家 に談 じ込 ん だ 。 養 父 は 平 身 低 頭 し、 泣 き な が ら身 に覚 えの な い 罪 の 弁 明 につ とめ た 樗 牛 は 、結 局 濡 れ 衣 を着 せ られ た ま ま、 謝 罪 させ られ た 、 と い う。 だが 実 は こ の事 件 の 真 犯 人 は 、 小 学 校 時代 か ら の顔 見知 りで あ り、 二 高 、 帝 大 を通 じて の 友 人 で あ る、、後 の 一 高 教 授 畔 柳 都 太 郎 と、 そ の 友 人 ノ で あ っ た と い うこ とを 、 二 高 時 代 、 畔柳 の うち あ け 話 に よ って 樗 牛 は 知 る の で あ る。 この 濡 れ衣 事 件 は 、 当 時 の 樗 牛 の腕 白ぶ りを知 る上 で は 恰 好 の エ ピ ソー ドで あ ろ う。 腕 白ぶ り同様 樗 牛 は勉 強 で も 目立 っ て い た 。当時 の 同級 生 三 浦 菊太 郎 に よ れ ば 、 画 が とて も上 手 で 、 ま た 作文 の 力 は 入 学 当 時 は そ れ 程 目立 た な か っ た が 、後 に 「日一 日 と此 長 所 が 明 に な っ た 」7と い う。当 時 「記事 論 説 文 例 」 とい うか な り厚 い 四 冊 物 の 書 が 青 年 の 間 に はや って い て 、 それ を樗 牛 は ど こか か ら借 りて き て 、 筆 写 して 二 冊 物 に 綴 り、 飽 か ず 読 み 耽 っ て い た とい う。 後年 の 樗 牛 の文 才 は 、 こ の 頃 か ら養 わ れ て い た の で あ ろ う。遊 び に お い て も、腕 白ぶ りに お い て も、諸 々 の 勉 強 や 体 操 に お い て も、抜 きん でて い た樗 牛 で は あ っ た が 、た だ ひ とつ 、算 数 だ け は 不 得 意 で 「先 づ 普 通 以 上 」 8で しか なか った 。そ して 風 邪 を ひ く と よ く咳 を して 、時 に は痰 に混 って 血 が 出 る こ とが あ っ た と い う。 この 頃 既 に 、 後年 樗 牛 の 生 命 を奪 うこ とに な る病 魔 が 巣 食 っ て い た の か も知 れ な い。 こ れ は 、ニ ー チ ェ が 少年 時 代 数 学 が 苦 手 だ っ た こ と、 そ して そ の 晩年 に 致 る まで 悩 ま され る激 しい 頭 痛 と視 覚 障害 に既 に苦 しむ こ とが あ っ た9こ と と、似 て い な くも な い 。ただ ニ ー チ ェ は 、学 業 が 優 秀 で あ る こ とや 、絵 が 上 手 だ っ た 、 とい う とこ ろ は 樗 牛 と似 て い るが 、級 友 に 「小 さ な お 坊 さ ん」1°と言 わ れ る様 な 、風 変 わ りな 、行 儀 の 良 い 子 だ っ た そ うで 、 腕 白で行 儀 の 悪 い11樗 牛 とは好 対 照 で は あ る。

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樗 牛 と ニ ー チ ェ(1) 中 学 校 時代 明 治 十 七 年 九 月 、樗 牛 は 福 島 中 学校 に 入 学 す る。 そ し て こ の 頃 か ら樗 牛 は 、 単 な る ガ キ大 将 的 な 存 在 か ら徐 々 に脱 け 出 そ う とす る。 雑 誌 に 投 稿 した り、 肉筆 の 週 刊 個 人 新 聞 を学 校 内 で発 刊 した り して い る。 そ して か な りの 書 籍 を濫 読 し た 。近 野 衛 門治 の 「樗 牛 伝 」(『人 文 』 大 正6.4)に よ る と、 唐 宋 の 大 家 遺 文 は 勿 論 の こ と、 漢 楚 、 呉 越 な どの 軍 談 類 、三 国 誌 、水 滸 伝 、源 平 盛 衰 記 、保 元 平 治 物 語 、太 平 記 、 そ して 一 九 、 三 馬 、 京伝 、種 彦 、 春 水 等 の 戯 作 、 そ して 特 に 馬 琴 の 著 書 は 、 小 品 文 に 至 る ま で余 さず 読 ん だ と い う。しか し西 鶴 の もの は 読 ん で い な か っ た とい う。 後 年 の 樗牛 の 西 鶴 ぎ ら いが 既 に 始 ま っ て い た のか も知 れ な い 。 現 在 読 む こ とが で き る 「光 陰 誌行 」 は 、 この 頃 の樗 牛 の 日記 で あ る。 学 業 成 績 は 殆 ど 首 席 を通 し た よ うで あ るが 、樗 牛 は 決 して ガ リ勉 型 で は な か っ た 。む し ろ 、 それ を軽 蔑 し、 そ れ ら しい生 徒 の 勉 強 をわ ざ と邪 魔 した りし た 。 当時 の 同 級 生 で 終 生 樗 牛 を尊 敬 してや ま なか っ た 近 野 衛 門 治 の ノー トに 樗 牛 は 、一 字 も読 め な くな る程 の 悪 戯 書 き を し、「雑 記 帳 一 冊 と学 生 の 生 命 とは 果 敢 な き友 よ 、頭 脳 の ノー トブ ッ クに 記 述 した らん に は 、 火 に も焼 か れ ず 、遺 失 もせ ず 、ま し て予 の 楽 書 もな し得 ざ り し もの を」12など と言 っ た とい う。し か も この 言 葉 に 被 害 者 の 近 野 が い た く感 動 し た とい うの だ か ら、 面 白 い 。 また樗 牛 は 、養 父 久 平 が 礼 儀 作 法 に厳 しか っ た に も拘 ず 、一 歩 外 に 出 る と 、 飯 粒 を ロー 杯 に ほ うば っ た ま ま 、放 言 高 論 し 、「飯 粒 を四方 に 吹 き散 ら し」13 他 人 の 菜 を奪 っ た り して 、随 分 回 りに迷 惑 をか け た ら しい 。明治 十 八 年 の 新 校 舎 落 成 式 に 、 生 徒 総 代 に選 ば れ 、 祝辞 を朗 読 した程 の優 等 生 で あ りな が ら、 こ の腕 白ぶ りで あ る 。 天 衣 無 縫 の 英 雄 の 如 く近 野 ら同 級 生 達 の 眼 に は 映 っ た のか も知 れ な い。 ま た養 父 久 平 が 芝 居 好 きだ っ た こ と もあ り、樗 牛 は幼 い 頃 よ りよ く芝 居 を観 た 。 観 劇 した 夜 は 帰 宅 が午 前零 時 をす ぎ る こ とは 普 通 で 、翌 日は 授 業 に遅 刻 す る。そ うで な い 日も よ く遅 刻 し た とい う。 また体 操 の授 業 な どは 始 終 休 ん で い た 。とて も模 範 的 な 生 徒 とは い え な い 。 一58一

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中学 校 時 代 の樗 牛 は 、自由 気 儘 、人 を 人 と も思 わ ぬ 才 気 走 っ た ガ キ大 将 だ っ た よ うで あ る。 そ して 、 恐 ら くあ ま り余 裕 の な か っ た養 父 母 も 、樗 牛 に 級 友 に 「潤 沢 」 と思 わ れ るほ ど本 を買 い与 え た ら し い。 こ の 頃 樗 牛 が 眼 を通 した 書 物 は か な りの量 で あ る 。 そ して こ の 頃 樗 牛 は 、処 女 小 説 『春 日芳 草 之 夢 』 を書 い た。 これ を樗 牛 は 、 中 学 教 師 の 榎 本 弁 吉 に読 ん で 貰 っ た り、 級 友 の 中桐 確 太 郎(後 の 早 大 教 授)に 筆 写 させ た り して い る。 な お この 小 説 の 直 筆 原 稿 の 所 在 は 不 明 で あ り、 我 々 が 現 在 読 む こ とが で き る の は 、 こ の 時 の 中桐 が筆 写 した もの で あ る との こ とで あ る。14従っ て 、続 編 が あ っ た の か ど うか も明 らか で は な い 。また 内 容 に 関 して は 、「人 生 五 十 は素 よ り蜉 蝣 旦 夕 の 生 涯 、 生 の 目的 は快 楽 に あ る の み 、後 生 万 釣 の重 名 は 生 前 一 杯 の 酒 に 如 か ず 」 とい う序 章 「夢 見 草 」 の 言 葉 に 注 目す る に と どめ た い 。 こ こ に は 後 年 の 樗牛 の 著 作 に 通 ず る もの が あ るか ら で あ る 。 そ れ に つ い て は 、 後 に 触 れ る こ とに な るの で 、 こ こ で は 言 及 し な い こ とに す る。 と こ ろ で 、 当 時 の 中学 生 達 の 間 に は 、 高 等 中学 校 に 入 学 す る た め に は東 京 に 出て 勉 強す るの が 最 善 で あ る とい う空 気 が あ っ た 。 い わ ゆ る 「鹿 鳴 館 時 代 」 とい わ れ て いた 当時 、移 植 さ れ る西 洋 文 明 に刺 激 を受 け つ つ 、予 備 校 で 勉 強 す る 「上 京 遊 学 」 は特 に 地 方 出 身 者 に とっ て は 、 大 変 晴 れ が ま し い こ とで あ った ら し い。 多 くの 中学 生 達 が 「上 京 遊 学 」 に 憧 れ を抱 い た。 そ して 樗 牛 の 友 人達 も幾 人か が 上 京 した 。 樗 牛 が上 京 の 夢 を果 した の は 、 明 治 十 九 年 十 月三 日、養 父 久 平 が 警 視 庁 勤務 とな り、 そ の 転 任 に 従 っ て の こ とで あ っ た 。翌 十 一 月 中 旬 、 一 高 入学 の 為 の予 備 校 的 存 在 だ った 東 京 英 語 学校(後 の 日本 学 園)に 入学 した 。(当 時 は高 等 中 学 校 の 入学 資 格 に 中学 卒 業 証 書 は 必 ず し も必 要 なか っ た ら しい 。 多 くの者 が 中 学 を途 中 退 学 し、 上 京遊 学 した 後 高 等 中学 校 に進 ん で い る。勿 論 樗 牛 もその 一 人 で あ る。樗 牛 の 場 合 、中 学 校 に二 年 間 しか 在 学 し て い な い 。)明 治 二 十 年 七 月 の 一 高 入学 試 験 に 樗 牛 は 失 敗 し た。 こ の 時 の 屈 辱 感 、 挫 折 感 は 相 当 な もの だ っ た に違

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樗 牛 と ニ ー チ ェ(1) い な い。 そ して 樗 牛 は 、 十 二 月 の 二 高 補 欠試 験 を受 け る 。 これ に は合 格 す る に は した が 、数 学(殊 に代 数)が 不 出 来 だ っ た た め に 、本 入学 で は な く、 仮 入 学 だ っ た(翌 年 の学 年 試 験 に 二 番 で 及 第 し、 本 入学 生 と な る 。)。こ れ に も樗 牛 は か な り参 っ た よ うで あ る。 こ の 時 の 仮 入 学 組 に 、 後 の蔵 相 井上 準 之 助 が い た 。15 二 高 時代 二 高 時 代 の 樗 牛 に は 、学校 の 施 設や 教 員 へ の不 満 、「仙 台」 の 風 土 的 な もの へ の不 満 等 、 多 くの 不 満 が あ った よ うで あ る。 そ の 多 くの 不 満 の一 つ に 、学 の 内 外 を問 わ ず キ リス ト教 の 信 者 が 多 く、 執 拗 に 入 信 を 勧 め られ る こ とが 挙 げ られ て い る。 中 で も福 島 中 学 以 来 の 同 級 生 関 屋祐 之 助 に 入 信 を勧 め られ て 、 ひ ど く迷 惑 した ら しい 。 そ の 父 に 仙 台在 住 の保 証 人 に な っ て も らっ て い た の で 、 む げ に 断 れ な い 立 場 に あ っ た こ とが 災 い し た ら し い 。樗 牛 の キ リス ト教 嫌 いは 、 こ ん な と こ ろ に そ の 端 を 発 っ して い る の か も知 れ な い 。 こ こ で 二高 時 代 の 樗 牛 の 文 学 的 活 動 に 触 れ る前 に 、 ジ ャー ナ リス ト的 な 樗 牛 の 一 面 に 言 及 して お きた い 。 樗 牛 が 小 学 校 に 入学 す る年 の二 月(明 治 十 年)に 西 南 戦 争 が 起 っ て い る。荘 内 の 人 々 の 西 郷 び い きは 有 名 で あ る し 、 現 在 で も鶴 岡 と鹿 児 島 は姉 妹 都 市 とな っ て い る。 酒 田 に は 西 郷 神 社 や 西 郷 会 館 ま で あ る位 で あ る。 荘 内 藩 は幕 府側 だ っ た の に なぜ 、 と首 を傾 げ た く な るが 、 実 は 奥 州 列 藩 の 中 で 最 後 ま で 政 府 軍 に 抵 抗 した 荘 内 藩 に 対 す る西 郷 の 処 分 が 、 なぜ か 例 外 的 に 軽 か っ た とい うこ とに 、 そ の 因が あ るの で あ る。 以 来 荘 内 人 は西 郷 を大 の 恩 人 と思 うわ け で あ る 。 当 然 西 南 戦 争 に 際 し て 明 治 政 府 は 、荘 内藩 士 の動 向 に 警 戒 の 眼 を光 らせ て い る し 、実 際 に 不 穏 な 動 き も あ っ た よ うで あ る。 そ う した世 情 に 、六 才 の 児 童 で あ っ た とは い え 、好 奇 心 旺 盛 な樗 牛 が 全 く無 関心 で い られ る はず は な い。 お まけ に 養 父 久 平 は 、 末 端 官 吏 とは い え、 西 郷 人 脈 に 属 す る三 島 通庸 の 任 地 に 常 に 従 っ た 人 で あ る。 土 地 柄 とい い、 家 庭 とい い 、 道 具 は揃 って い る 。 樗 牛 は 子 供 ・1

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な りに 自 由民 権 運 動 な どに も興 味 を示 した ら し く、 明 治 十 五 年 に は 、 県 議 会 を時 々 傍 聴 した り して い る。16そして 中学 入学 後 、終 生 の 友 人 とな る近 野 衛 門 治 と知 り合 うわ け だ が 、 そ の 父 元 右 衛 門 は 、 六 期 連 続 県 会 議 員 をつ と ・ め た 人 で あ り、県 会 副 議 長 もつ とめ て い る。樗 牛 は しば しば 近 野 家 を訪 れ 、 元右 衛 門 と も面 識 を持 つ 。 こ う して 自然 に樗 牛 の 内 に 政 治へ の 感 心 は 強 く な っ て 行 くの で あ る 。そ して 二 高 時 代 、「擬 国 会 」な る もの が 開 か れ て い る 。 こ の 時 の 討 論 の 課 題 は 「豊 臣 秀 吉 の 征 韓 は 我 国 と利 あ りや 否や 」 で あ り、 樗 牛 は論 客 とし て参 加 した ら しい。(政府 委 員 と して 井上 準 之 助 の 名 が あ る の は 、 彼 の 後 の 姿 を想 像 させ て 面 白 い。)太 田 資 順 編 『樗 牛 兄 弟 』(大 正 四 年 六 月 、 有 朋 館刊)に よ る と、 樗 牛 は雄 弁 家 とい うよ りは討 論 家 で 、完 膚 な き まで に 相 手 をや っつ け な い と気 が 済 まず 、 時 に は 人 身攻 撃 ま で して 終 に は喧 嘩 に な って し ま うこ と も少 な くなか っ た とい う。 そ して 、 そ う した 場 を と り もつ の が いつ も後 の 蔵 相 井 上 の 役 目 だ っ た とい う。 樗 牛 と井 上 の 資 質 の違 い が よ く出 て い る 。 後 に本 物 の 政 治 家 に な る井 上 と依 違 っ て 、 樗 牛 は そ の 都 度 思 いの た け を放 言 す る だ け で あ り、政 治 家 向 きで は な い 。 だ が 、 中学 時 代 に 書 い た 「春 日芳 草 之 夢 」 の 中 で女 権 論 を と りあ げ て い る位 だ か ら感 心 は 強 か っ た とみ るべ き だ ろ う。 後 の 「日本 主 義 」 に 関 す る作 品 も これ と無 関 係 で は あ る ま い 。 だ が 後 の樗 牛 は 文 芸 評 論 家 で は あ っ て も、 決 し て政 治 評 論 家 で は な い。 そ れ は 二 高 時代 も勿 論 例 外 で は な い 。 た だ文 芸 だ け で は な く、 現 に 行 わ れ つ つ あ る政 治 に も眼 を 向 け て い るの で あ り、 そ う した と こ ろが 樗 牛 の ジ ャー ナ リス ト的 な 一 面 な の で あ る 。 樗 牛 は 様 々 な もの に感 心 を示 す 。 それ が 「美 術 につ い て の 彼 の 熱 意 が も し一 本 で あ れ ば」17とい う後 人の 感 慨 に もな る わ け だ が 、そ れ が ジ ャー ナ リス テ ィ ッ ク な 文 芸 評 論 家 樗 牛 の 樗 牛 ら しい と こ ろ だ 、 と思 う しか な い だ ろ う。 樗 牛 像 を よ り鮮 明 に す る ため に こ こ で樗 牛 の 二 高 時 代 の 生 活 面 に も少 し 触 れ て お き た い 。 明 治 二 十 三 年 一 月 樗 牛 は 徴 兵 猶 予 願(当 時 、官 立 学 校 、

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樗 牛 と ニ ー チ ェ(1> 府 県立 諸 学 校 在 学 中 の 生徒 に は 、 願 い に よ り、二 十 六 歳 ま で徴 兵 猶 予 の特 典 が あ っ た 。 ま た 、 函 館 な ど一 部 を 除 く北 海 道 や 沖 繩 、 小 笠 原 諸 島 に籍 を   持 つ も の は 、 徴 兵 の 義 務 を 免 除 さ れ て い た 。)18を 提 出 し た 。 そ の 直 後 に ほ i ん の ひ と握 りで しか な い官 立学 校 生 徒 に も無 差 別 平 等 に 兵 役 の 義 務 を課 す る の は 、 おか しい と い う意 味 の 手 紙 を樗 牛 は実 父 に 出 して い る。 自分 は エ リー トだ とい う 自負 が あ っ た よ うで あ る。 前 途 あ る 学 究 の徒 に 力 役 を課 す の は 納 得 で きな い とい うわ け で あ る 。 結 局 樗 牛 は 二 十 六 歳 に な っ て も兵 役 の 義務 を果 さな か っ た 。籍 を 当 時 北 海 道 に い た 実 兄 の 所 に移 し た の で あ る。 この よ うな樗 牛 の 姿 勢 は 、 実 は 、後 の 日本 主 義 や 、 それ に 関 す る作 品 の 中 に も現 れ て い るの で あ る。 これ に 関 して は拙 稿 の 「第 二 部 」 で よ り詳 し く 触 れ る こ とに な るが 、要 す るに 樗 牛 が 、国 家 と個 人 と を比 重 に か け た とき 、 よ り重 い の は 、個 人 な の で あ る。 そ の 意 味 で 、 高 須 芳 次 郎 等 が 、 フ ァ シ ス ト的文 学 論 の 好 題 目 と して 樗 牛 を論 じた の は 、 樗 牛 の 個 人主 義 的 な側 面 を 全 く無 視 した 筋違 い の 論 考 とい え る だ ろ う。 樗 牛 の 個 人 主義 的 な意 識 が 明 確 に な って く るの は 、 帝 大 入学 以 降 で あ る が 、 既 に二 高 時代 の こ の 猶 予 額 の提 出 と い う出 来事 に 、そ の 意 識 が 現 れ て い る と思 わ れ る 。「個 人 を離 れ て 別 に 国 家 無 し」19と 樗 牛 は後 に 主 張 す る の で あ る。 生 活 面 で も う一 つ 言 及 して お き た い こ とは 、 金 銭 的 な こ とで あ る。 高 等 中 学校 の 生 徒 の 多 くが 、勉 学 途 中 でや め て い っ た。 そ の理 由 の大 半 は 、経 済 的 な理 由 だ った 。 樗 牛 に もそ の 危 機 が あ っ た 。 明治 二 十 三 年 、養 父 が 非 職 に な っ た の で あ る。た だ で さえ楽 で は な か った養 家 の経 済 状 態 が 、更 に悪 化 す る で あ ろ うこ とは眼 に見 え て い た。それ 以 前 か ら養 家 の 経 済 状 態 を気 に 懸 け 、大 学 卒 業 迄 の 学 資 を計 算 して 養 父 に 書 き送 った りして い た樗 牛 で あ る か ら、そ の 落 胆 と心 配 は並 々 な らぬ もの で あ った ろ う。「山形 日報 」に盛 ん に 投 載 して い た の は 、原稿 料 を学 費 の 一 助 に し よ う とい う考 え も あ っ たか らな の で あ る 。22だが この危 機 を樗 牛 は 、養 父 と実 父 、そ して嫁 い だ実 姉 の 援助 で 、 一62一

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な ん とか 乗 り越 え るの で あ る。 そ して 樗 牛 は 、金 の あ りが た 味 を身 に しみ て知 るの で あ る 。後 年 の樗 牛 は 、 日常 的 な 意 味 で は 普 通 の 生 活 者 で あ っ た。 そ れ は 、 こ の様 な 金銭 的 な苦 労 を経 験 し たか らで あ ろ う。 後 世 の 太 宰 治 や 坂 口安 吾 の よ うな 、 日常 的 な意 味 で の 生 活 失 格 者 タ イ プ か ら は 樗 牛 は程 遠 い 。そ の 樗 牛 が 「近 代 の批 評 家 の な か で は 空 前 絶 後 の 人 気 を持 っ た 」21のだ か ら面 白 い 。 次 に 二 高 時代 の 樗 牛 の 文 学 的 な 面 に 視 点 を変 え て み よ う。 二 高 入学 後 の 明 治 二 十 一 年 九 月頃 に 山形 県 共 同 会 を組 織 し、年 末 頃 に 「山形 県 共 同会 雑 誌 」第 一 号 を発 行 、翌 二 十 二 年 第 二 号 に 「ジ ャ ン ・ダー ク伝 」 を、「ペ ス タ ロヂ ー 伝 」 を第 三 号 に 、 そ して翌 二 十 三 年 第 四号 に は 「チ ョー サ ー 伝 」 及 び 「宮 城 集 治 監 を 見 る の 記 」 を発 表(こ こで 初 め て樗 牛 荘 子 逍 遙 遊 に あ る言 葉 を採 っ た もの で 、 曲 り くね っ た樗 の 大 樹 や 、垂 天 の 雲 の や うな釐 牛 は 、鼠 も捕 る こ との で きな い存 在 で 、 そ の ため 害 さ れ る憂 い もな く困苦 す る こ と もな い とい う意 味22の 号 を使 用 した ら しい)す る。十 月頃 に は 「山形 日報 」 に畔 柳 、渡辺 らと羽陽文壇(文 芸欄)な る もの を創 設 し、投稿 を始 め る 。こ の 間 、二 十 一 年 に 設 立 され た二 高 の 傭 教 師 米 人 ドク トル ・バ ー レル を中心 と した 「英 語会 」 に 参 加 し、 英 語 劇 「シー ザ ー 」 の ブ ル ー タス を演 じた り、 や は りバ ー レル が 指 導 した 「べ 一 ス ボー ル ク ラブ 」 に 参加 し て 大 い に 活 躍 した り して 、相 変 らず の 多 芸 ぶ りをみ せ て い る。 中学 時 代 同 様 二 高 時代 にお い て も、 見 識 が さが る とい う理 由 で体 操 嫌 い だ っ た 樗 牛 に とっ て 、べ 一 ス ボー ル だ け は 別 だ っ た ら し く 「山形 県 共 同 会 雑 誌」 第 三 号 (明 治 二 十 二 ・六)の 「雑 報 」に 紹 介 記事 を載 せ て い る。 ひ ょ っ とす る と、 今 や 国 民 的 ス ポー ツ とな った 野 球 の 、 我 が 国 にお け る最 初 の プ レ ー ヤ ー に よ る紹 介 文 か も知 れ な い の で 、参 考 まで に 引 用 して お こ う。「○べ 一 ス ボー ル 吾 人 は就 中べ 一 ス ボ ー ル を以 て最 良 最 善 の運 動 な る こ と を確 認 して 疑 は ざ る な り何 とな れ ば べ 一 ス ボー ル は 吾 人 に与 ふ るに愉 快 と健 康 とを以

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樗 牛 と ニ ー チ ェ(1) て し少 し も危 険 の 虞 な く最 も経 済 的 に して 且 最 も普 通 的 な る者 なれ ば な り 蓋 しベ ー ス ボ ー ル は這 般 利益 を吾 人 に 与 ふ る と共 に 同 時 に 精 神 的 の 利 益 を 与 ふ る者 に して 之 れ 諸 般 の 遊 技 中最 も高 尚 優 等 な る 所 以 な り とす 」 現 代 の 野 球 フ ァ ンが 聞 い た ら ど う思 うだ ろ うか 。 樗 牛 は 後 に 二 高 教 授 と して 赴 任 す るが 、 野 球 部 に大 歓 迎 され 、部 長 に 推 され て い る 。23 明治 二 十 四年 、生 徒 、 教 職 員 有 志 に よ って 文 学 会 が 結 成 さ れ(勿 論 樗 牛 も委 貝 と し て参 加 した)、 六 月 に 「文 学 会 雑 誌 」が 創 刊 さ れ た 。そ こに 樗 牛 は 「文 学 会 漫 評 」 を 載せ た 。 そ こ で 樗 牛 は 、詩 の本 質 と 、批 評 に つ いて 言 及 して い る。仲 々 興 味 深 い 内 容 な の で紹 介 し よ う。「世 に 自 ら詩文 家 と称 す る者 あ り、其 の 言 ふ所 を聞 くに 、曰 く、文 体 は斯 くせ ざ るべ か らず 、曰 く、 文 字 は斯 く用 ひ ざるべ か らず 、 曰 く、某 の 文 は語 格 を誤 れ り、 曰 く、 某 の 句 は 『テ ニ ヲハ 』 を破 れ り と。 吁 、文 体 何 物 ぞ 、語 格 何 物 ぞ 、文 学 の極 致 は天 地 人 情 の 霊 想 を 発揮 す る に あ り。 霊 想 の本 源 を棄 て て 、 章 句 の 末 流 に 走 ら ば 、議 論 愈々 巧 に して 、本 を去 る 愈 々 遠 か ら ん 。」小 学 時 代 か ら 「記 事 論 説 文 例 」 な ど で文 章 研 究 に 余 念 の なか っ た樗 牛 が 、 詩 の 本 質 は 文 章 に あ る の で は な く、天 地 人情 の 霊 想 に あ る と い っ て い る 。 これ は創 作 の 本 質 論 と もい うべ き もの で あ ろ う。 即 ち 、 い か に 美 文 を 用 い よ う と、 中 味 が なけ れ ば 、 詩 とは い え な い 、 とい うこ とで あ る。 当 然 の 主 張 とい え るだ ろ う。 だが 樗 牛 の 主 張 は こ こ で 終 って は い な い 。 別 の とこ ろで は 「世 人動 もす れ ば 曰 く、 詩 は以 て学 ぶ 可 か らず 、小 説 は 以 て 習 ふ べ か らず と。是 れ 大 に 然 り、然 れ ど も 内学 問 な くん ば 、区 々 た る 曲巧 小 才 又何 をか 為 し得 ん 。」学 問 が あ っ て 初 め て識 見 が あ り、 識 見 が あ っ て 初 め て す ぐれ た創 作 が 出 来 る と い うわ け で あ る 。 更 に樗 牛 は 霊 想 と学 問 との 相 関 関係 を もみ て い るの で あ る 。 これ は ニ ー チ ェ が論 理 や 言 語 に 否 定 的 で あ りな が ら、 そ れ な しに は 人 間 の 表 現 が 成 り立 た な い とい う認 識 を持 って い た こ とに 、通 ず る よ うに 思 わ れ る 。だ が 遙 か に楽 天 的 で あ り、浅 薄 では あ る 。「道 化 にす ぎぬ!詩 人 に 一64一

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す ぎぬ!」24と い う「デ ィオ ニ ュ ソ ス 頌 歌 」にお け る ニ ー チ ェ の心 底 か らは 、 樗 牛 は程 遠 い。 だが そ れ な りの視 野 の広 さは 持 って い る し、 な に よ りも詩 の根 源 に 眼 を 向 けつ つ 、詩 作 その も の を も見 据 えて い る と こ ろ は 、 つ ま り 一 面 的 で は な く二 面 的 に み て い る とこ ろ は、 評 価 で きる だ ろ う。 この 様 に 物事 を二 面 的 に 、裏 と表 か ら論 ず る とい うの は 、ニ ー チ ェ も よ く用 い る手 法 で あ る。 次 に樗 牛 ば 批 評 に つ い て 「詩 人は 能 く美 妙 を 直 覚 す る も 、之 を 理 解 す る者 に非 ず 、之 を理 解 す る者 は即 ち批 評 家 な り。 詩 人 は 直接 に 自 然 を感 銘 し 、能 く其 の微 妙 を知 得 す る を得 る も 、 自 らは其 の 如 何 に して 微 妙 な るや を知 ら ず 、 之 を 説 明 す る者 は 批 評 家 な り。 若 し夫 れ 詩 人 の託 興 高 遠 寄 情 深 幽 に して、常 人 の理 解 す る能 は ざる者 に 至 て は其 妙 を悟 り其 理 を 識 る を得 る は一 に批 評 家 の 之 を分 析 解 説 す る に依 らず ん ば あ らず 。」そ の作 品 の 素 晴 ら しさ を解 説 し、 広 く世 の 人に 知 ら しむ る の が 、批 評 家 だ とい う の で あ る。 決 して破 壊 的 な批 評 、即 ち 、欠 点 を揚 げつ ら う よ うな 批 評 は 、 批 評 家 の 本 分 で は な い とい って い る の で あ る 。後 の樗 牛 は 鴎 外 に 論 争 を挑 ん だ り、辣 らつ な 、即 ち破 壊 的 な批 評 を展 開 す る こ とが 多か っ た よ うで あ るが 、樗 牛 の批 評 の 原 点 は 実 に こ こ に あ った の で あ る 。こ の 「文 学 会 雑 誌 」 が この 後 の 二 高 時 代 の 樗 牛 の 主 な る発 表 の 場 とな る こ とは い う ま で もな い。 ま た文 学 会 活動 の ひ とつ と思 わ れ る も の に 「能 弁 会 」 とい うの が あ っ た 。 そ こ で樗 牛 は 、度 々 演 説 して い る。 そ の題 目 をい くつ か 挙 げ る と、「利 己 主 義 の可 否 」(明 治25.5.24)、 「哲 学 と英 文 学 」(明25.10.24)、 「近 世 哲 学 に 於 け る 進 化 論 」(明26.1.23)、 「基 督 教 信 者 は 多 く迷 信 者 に 非 る 乎 」(明26.3.25)25等 で あ る 。残 念 なが ら 、今 とな っ て は そ の 内容 は 分 か らな い が 、 樗 牛 が 当時 どん な こ と に興 味 を抱 い た か が 伺 えて 面 白い 。 ま た 、文 学 活動 とは 、直 接 の 関 係 は な い が 、樗 牛 は 二 高 時 代 に恋 ら し き もの を した ら しい 。 明 治 二 十 五 年 四 月 三 十 日に 樗 牛 は 永 見 裕 方 に 下 宿 す る が 、 相 手 は そ の 永 見 の 令 嬢 み ち子(後 の 岡不 崩 夫 人)で あ る。 み ち子 は 西 周 夫

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樗 牛 と ニ ー チ ェ(1) 人 の 姪 に 当 る。 当時 み ち子 は 宮 城 女 学 校 本科 四 年 に在 学 中 だ っ た 。 永 見 家 に は 樗 牛 の他 に 、 藤 井 健 治 郎 と 、 島 貫彦 次 郎 が 下 宿 して い た 。 み ち 子 は 樗 牛 に勉 強 に 限 らず 、母 校 の文 学 会 雑 誌 「宮 城 野 」に 載 せ る文 章 をみ て も らっ た り、 色 々 な こ と を教 えて も らっ て い た。 そ して い つ も長 話 に な っ た とい う。 樗 牛 の卒 業 後 は 藤 井 に勉 強 をみ て も らっ た が 、 用 事 が 済 む と、 す ぐ自 分 の 部 屋 に帰 っ た そ うで あ る 。 ま た 、藤 井 や 島 貫 に は 、母 親 か 女 中 が 部 屋 に 食事 を運 ん だ が 、樗 牛 の 部 屋 に は み ち子 が 運 ん だ 。 ま た 同 宿 人三 人 が 庭 先 の 「鉄 棒 」 で 器械 体 操 を して い る と、 そ れ を見 に き た み ち 子 は 、 樗牛 が う ま くや る と拍 手 を し 、失 敗 す る と も う一 度 す る よ うに と応 援 した 。 だ が 他 の 二 人 が う ま くや っ て も、一 度 も拍 手 しな か っ た とい う。26なん とな く淡 い恋 心 が 感 じ られ る。 しか し、 樗 牛 の 卒 業 の 前 月 に は 、み ち子の結婚 話が ま と ま っ て い た 。 時代 が 時 代 で あ り、 しか も相 手 は す で に画 家 と して一 定 の評 価 を得 て い る人 で あ る。 樗 牛 は 恐 ら く、何 もい え なか っ た だ ろ う。 だ が 二 人 は 、 み ち子 の 結婚 後 も手 紙 の や りと りを 続 け るの で あ る。 土 井 晩 翠 は 、 「わ が 袖 の 記 」(明 治30.6)「 清 見寺 の鐘 声 」(明34.6)「 思 出 の 記 」 (同)の ヒロ イ ンが み ち子 で あ る と指 摘 して い る27が 、そ れ は十 分 あ り うる こ とで あ る。 そ して それ は 悲 恋 で 終 っ たか らこ そ 、 な の か も知 れ な い 。話 が 少 し横 路 に それ た 。 こ こで 話 を樗 牛 の 文 学 活 動 に戻 そ う。 中学 時 代 既 に 樗 牛 は 「春 日芳 草 之 夢 」 や 「光 陰 誌 行 」 を書 い て い るが 、 そ れ は まだ 海 の 者 と も山 の 者 と も知 れ な い 早 熟 な少 年 の 文 学 的 な 資 質 の 発 芽 にす ぎ な い 。 そ の資 質が 、 い よ い よ根 を張 り、枝 葉 を伸 し始 め るの は 二 高 時 代 で あ る。そ して その 樗 牛 が 文 壇 に初 め て 注 目 され た の は 、「早稲 田文 学 」 に 投 稿 した 「文 学 者 の信 仰 」 が 、 明 治 二 十 五 年 五 月三 十 日刊 の 「早稲 田文 学 」(第 十 六 号)に 、全 文 登 載 され た 時 で あ る。 内容 は 、 当時 の文 学 者 に は 様 々 な 弱 点 が あ るが 、 そ の 最 大 の もの は 「信 仰 」 を持 た な い こ とで あ る とし 、 そ の 「信 仰 」 を文 学 者 た ち に求 め た もの で あ る 。 こ の 「信 仰 」 と ・.

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は 、宗 教 的 な そ れ で は な く、「自家 立心 の脚 地 」の こ とで あ る。樗 牛 は 半年 後 の 「文 学 会 雑 誌 」 第三 号(明25.12)に 発 表 した 「厭 世 論 」 で も、 厭世 主 義 を こ の 「信 仰 」 を持 ち得 なか っ た もの の 陥 ら ざる を得 なか っ た 窮 地 に ほ か な らな い と して い る し、 評 論 の 処 女 作 と もい え る 「文 学 会 雑 誌 」 創 刊 号 (明24.6)の 「文 学 及 び 人生 」で は 、人 は 地上 の 生 活 者 た ら ざ る を得 ず 、 同情 同 感(自 己 の心 情 を移 して 他 物 を忖 度 す る こ と)の 霊性 を もっ て この 世 界 と理 想(最 も高 尚 な る理 想 とは 、 心 塵 寰 を脱 して 自然 と同化 し、 「真 」 「善 」 「美」 を正 当 に 理 解 す る こ と)界 を連 結 させ、吾 人 の 幸 福 を して 円 満 完 了 な ら しむ る 、のが 文 学 者 の 役 割 だ と して い る。そ して 「文 学 者 の信 仰 」 で は そ れ を ワー ズ ワ ー ス の 「信 仰 」 に 見 い 出 して い る。 樗 牛 は ワ ー ズ ワー ス をバ イ ロ ン との対 比 で 次 の よ うに評 す 。「バ イ ロ ンは其 天 を仰 て 其 地 を見 ず 失 意不 平 の 極 只 不 可 思 議 中 に 無益 に 平 和 を求 め た りウ ォ ル ヅ ゥ オー ス は 能 く天上 の 星 を 眺 む れ ど も然 れ ど も地 上 の 草 を忘 れ ず 前 者 の天 を見 るや 凄 湍 た り後 者 の 星 を眺 む るや 莞 爾 た り其 地 を見 るや 前 者 は 憎 悪 と嘲 笑 と を以 て し後 者 は 愛 情 と親 睦 と を以 てす 前 者 は 寂 寞 を楽 む を知 りて 而 も社 会 を悪 む を忘 れ ず 後 者 は等 し く之 を愛 す 前 者 の 言 は村 政 の剣 の 如 く一 度 発 す れ ば 血 を見 ず ん ば 巳 まず 後 者 の 歌 は 「エ オ リア ン」 の 琴 の 如 く如 何 な る風 も之 に 触 る れ ば 妙 音 を発 す 」両 者 の 違 い は 天 上 、地 上 を隔 て な く見 つ め て い こ う とす る 「信 仰 」 が 有 る か 無 い か に そ の 由 が あ る とい い た いの で あ る。 ま た 「ウ ェ リテ リズ ム」 か ら抜 け 出 た ゲ ー テ と比 べ てバ イ ロ ン は 、 本 質 的 に そ こか ら抜 け 出 て い な い厭 世 家 だ とい う。「バ イ ロン た らざ る も寧 ろ小 ウ ォ ル ヅ ォー ス た れ」 「小 ゲー テ た れ」 と樗 牛 は い う。 この 頃 の樗 牛 の バ イ ロ ン に 対 す る評 価 は後 年 の それ とは 比較 に な らな い位 に低 い。 こ の 樗 牛 の 主 張 は 、ニ ー チ ェ の 「ツ ァ ラ ト ゥ ス トラ の 序 説 」 の 「大 地 に 忠 実 で あ れ 、そ し て地 上 を超 え た希 望 な ど を説 く者 に信 用 を 置 くな 、 と。か れ らは 、み ず か らそ れ と知 ろ うが 知 る ま いが 、毒 を盛 る者 た ち な の だ 。 … …」28(氷 上 英

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樗 牛 と ニ ー チ ェ(1) 廣 氏 訳)と い う主 張 に 通 ず る もの が あ る。 バ イ ロ ンに 対 す る 評 価 は 別 に し て も、樗 牛 が ニー チ ェ の い う 「大 地 」 に意 義 を見 い 出 して い た こ とは 確 か で あ る。 だが 樗 牛 の 「大 地(樗 牛 の 言 葉 で い え ば 地 上)」 に 対 す る認 識 は 、 天 上 に対 す る地 上 、理 想 界 に対 す る この 世 界 とい う程 度 の もの で 、「神 は死 ん だ」とい う言 葉 で ヨー ロ ッパ の ニ ヒ リズム の到 来 を告 げ るニ ー チ ェ の 「大 地 」 とは 、形 而 上 学 的 な深 さに お い て も、 そ の 認 識 の背 景 に お いて も、 か な りの 隔 た りが あ る とい わ ざ る を得 な い だ ろ う。 西 尾 幹 二 氏 は 、 その 著 書 「ニ ー チ ェ」(昭 和 五 十 二年 五 月 二 十 五 日、中央 公 論 社)の 中 で 、当時 の 日 本 の ニ ー チ ェ 理解 に言 及 され 、「ヨー ロ ッパ の ニ ヒ リズ ム の 到 来 を告 げ る 形 而上 学 的 意 図 は 、第二 次 世 界大 戦 の 前 夜 まで ほ とん ど知 られ る こ とは な か っ た 。」 と指 摘 され て い る。まだ ニ ー チ ェ の 存 在 す ら恐 ら く知 ら なか っ た 当時 の 樗 牛 で あ る 。 認 識 の 浅 さや 甘 さ は 、 致 し方 あ る ま い。 だ が 二 十 才 そ こ そ こ と い う樗 牛 の 年 齢 と、 当 時 の 日本 の 文 学 界 を考 慮 に 入 れ る な ら 、 そ の 見 識 の 深 さ に は 舌 を巻 くば か りで あ る 。「先 生 以 上 に エ ラ イ」29と い わ れ て い た の も首 肯 け る。 この 一 文 に 注 目 した の は坪 内 逍 遙 らの 「早 稲 田文 学 」 の 編 集 部 だ け で は 無 論 な い 。 当時 一 高 在 学 中 で 、後 に帝 大 の 哲 学 科 で樗 牛 と 同 級 生 とな る桑 木 厳 翼 もそ の 文 章 に 感 服 し た一 人 だ っ た 。 桑 木 は こ の筆 者 が 、 新 聞 記 者 か 、 キ リス ト教 派 の文 学 者 で は なか ろ うか と思 っ て い た そ う だ が 、翌 年 九 月 に 、 自分 と同 じ帝 大 の 哲 学 科 の 同級 生 が そ の 筆 者 だ と知 っ て び っ く りす るの で あ る 。 この 「文 学 者 の 信 仰 」 は 、数 多い 樗 牛 の評 論 の 中 で 、最 初 に 光 を放 っ た もの とい う こ とが で き る だ ろ う。これ 以 外 に も 「山 形 日報 」 紙 上 に お け る 「羽 陽 文 学 」 と 自称 す る樗 牛 ら(樗 牛 の他 に渡 辺 黙 禅 、畔 柳 芥舟 、総 崎 鵜 州 らが い た)の 活 動 は 「早 稲 田文 学 」 に注 目 され て い た。 そ して 樗 牛 は そ の 中 心 的 人物 と 目 され て い た 。樗 牛 の 文 章 の み と い うわ け で は な いが 、 人 間 、 霊 魂 、 時 間 、 空 間 、運 命 、理 想 、 死 生 等 の文 字 が 頻 出す る 評 論 や 、欧 米 の 名 文 の翻 訳 な どに 「早 稲 田文 学 」 は注 目 して い .:

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る の で あ る。 樗 牛 に 多 くの 注 目が 集 まっ て いた こ とは 間違 い な い 。 な ぜ な ら、前 出 の 言葉 は 樗 牛 の文 章 に は よ く出 て くる し 、ゲ ー テ の 「ウ ェ ル テ ル 」 を 「准 亭 郎 の悲 哀」 と題 して 英 訳(樗 牛 の 成 績 表 か ら判 断 す る に 、独 語 に 接 した の は 予 科 三 年 か ら ら し い)か らだ が 翻 訳 し 「山 形 日報 」 に 連 載 して い る か らで あ る 。 な お 樗 牛 の 実 弟 斎 藤 信 策 に よ る と、 この 頃 樗 牛 が 読 破 し た もの に 、 コ レ リ ッヂ 、 ウ ォー ヅ ォー ス、 シ ェ レー(シ ェ リー の こ とか)、 バ イ ロ ン、 キー ツ 、 テ ニ ゾ ン 、 ブ ラ ウ ニ ン グ等 が あ っ た と い う。 この 中 か ら現 在 高 山 家 に所 蔵 さ れ て い る樗 牛 の 蔵 書 の 中か ら確 認 で き た の は 、 シ ェ リー 詩 集 と、 ワー ズワ ー ス詩 集 の み で 、 他 は散 逸 して し ま っ た もの と思 わ れ る。 樗 牛 の 二 高 時代 の 文 学 活 動 と して は 、他 に卒 業 間 際 の 明 治 二 十 六 年 七 月 五 日に 創 刊 号 が 発刊 され た 「尚志 会 雑 誌 」 と、井 上 安 基 、畔 柳 芥 舟 、藤 原 悲 想 庵 、相 良 某 等 で 刊 行 した 同 人 雑 誌 「日本 の 花 」3°が挙 げ ら れ る だ ろ う。 前 者 に は 「近 松 戯 曲 に 於 け る女 子 の 性 格 を論 ず」 を載せ て い る。 後 者 に は 時 評 を載 せ た よ うで あ る が 、 一 号 雑 誌 で 終 って い る との こ と で もあ り、 ま た 当 の雑 誌 も所 在 が 明 らか で な い の で 、 どの よ うな こ と を書 い た もの か 、 残 念 な が ら全 く分 らな い 。 明 治 二 十 六 年 七 月 八 日、後 の 京 大 総 長 新 城 新 蔵 、 後 の 蔵 相 井 上 準 之 助 と と もに 「先 生 以上 に エ ラ イ」 とい わ れ た樗 牛 は 、 二 高 を卒 業 し た。 こ の 時 樗 牛 は ま だ ニ ー チ ェ を知 らな い 。 ニ ー チ ェ の 思 想 に触 れ て もい な い の だ 。 だ が 樗 牛 に は 既 に ニ ー チ ェ に 通 ず る もの が芽 生 え て い た 。最 も早 くは 「春 日芳 草 之 夢 」 の 中 の 「人生 五 十 は 素 よ り蜉 蝣 旦 夕 の生 涯 、 生 の 目的 は快 楽 に あ るの み 、後 生 万釣 の 重 名 は 生 前 一 杯 の酒 に如 か ず 」と い う言葉 の 中に 、 そ して近 くは 「文 学 者 の信 仰 」 や 「厭 世 論 」 に 、 そ して樗 牛 の 精 神 的 な 姿 勢 の 中 に。 ニ ー チ ェは 「人 間 的 な 、 あ ま りに 人 間 的 な」 の 序 で 次 の よ うに い う。「彼 は 満 た さ れ ぬ 貪 欲 を抱 い て 残 忍 に うろつ き まわ る。彼 に捕 獲 され

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樗 牛 と ニ ー チ ェ(1) た もの は彼 の誇 りの 危 険 な 緊 張 に よ っ て 被 害 を受 け ざる をZな い。 彼 は 自 分 を刺 戟 す る もの を引 き裂 く。お お い 隠 され て い て 、何 らか の 羞 恥 感 に よっ て保 護 され て い る もの を見 つ け れ ば 、 悪 意 の あ る笑 い を も って そ れ を反転 させ る。 それ らの事 物 を ひ っ く り返 せ ば ど う見 え るか 、 た め す の で あ る 。」 31(浅 井 真 男 氏 訳)無 論 樗牛 は 当 時 ニ ー チ ェの 「自由 な る精 神 」な ど知 りは しな い 。 ただ 思 っ た こ とを歯 に 衣 着 せ ず に 発 言 して 慮 らな い だけ な の だ 。 こ の 後 樗 牛 は 様 々 な もの を 引 き裂 き 、 反転 させ る。 どの様 な 大 家 に対 して も筆 が 鈍 る よ うな こ とは 殆 どな い。 そ れ は 樗 牛 が 「信 仰 」 を 、即 ち 「自家 立 心 の 脚 地 」 を持 って い たか ら こ そ で きた の だ と、み るべ きだ ろ う。 そ し て 、そ こに こ そ ニー チ ェ との 「先 天 の 契 合 」が あ った と、私 に は思 わ れ る。 そ れ が 一体 何 だ っ た の か 、今 は ま だ明 で は な い 。 いつ れ にせ よ樗 牛 の精 神 は 外 に 向 って 既 に そ の 歩 み を 開 始 した 。 そ して 大 海 へ 、文 化 、文 明 の 中心 地 東 京 へ と旅 立 つ の で あ る。 注 1長 谷 川 義 記 「樗 牛 青 春 夢 残(高 山 林 次 郎 評 伝) 」 暁 書 房1982.11 2斎 藤 野 の 人 「亡 兄 高 山 樗 牛 」 明 治 文 学 全 集40筑 摩 書 房 昭 和58 .10. 1 3小 野 寺 凡 「人 間 高 山 樗 牛 」 評 言 と 構 想7∼19浅 川 書 店 昭 和51.10. 30∼ 日召不[155.10.30 4評 言 と構 想(前 出) 5秋 山 正 香 「高 山 樗 牛 そ の 生 涯 と 思 想 」 積 文 館 昭 和32.11.10 6斎 藤 親 平 「樗 牛 伝 」 人 文 大 正5 .7. 7三 浦 菊 太 郎 「樗 牛 伝 」 人 文 大 正5.10. 8同 上 9ア レ ヴ ィー 「ニ ー チ ェ 」 大 野 俊 一 訳 新 潮 社 昭 和28 .11.25 一70一

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10エ リー ザ ベ ト ・フ ェ ル ス テ ル ・ニ ー チ ェ 「若 き ニ ー チ ェ 」 浅 井 真 男 訳 モ ダ ン 日本 社 昭 和15.4.6 11畔 柳 都 太 郎 「樗 牛 伝 」 人 文 大 正7 .9 12近 野 衛 門 治 「樗 牛 伝 」 人 文 大 正6.4 13中 桐 確 太 郎 「樗 牛 伝 」 人 文 大 正6.2 14評 言 と 構 想(前 出) 15「 井 上 準 之 助 伝 」 井 上 準 之 助 論 叢 編 纂 会 編 昭 和10.4. 16評 言 と構 想(前 出) 17長 谷 川 義 記(前 出) 18評 言 と構 想(前 出) 19高 山 樗 牛 「日本 主 義 と世 界 主 義 」 博 文 館 明 治41。12.5 20評 言 と構 想(前 出) 21中 村 光 夫 「明 治 文 学 史 」 筑 摩 書 房 昭 和60.1.20 22秋 山 正 香(前 出) 23評 言 と構 想(前 出)

a4Nietzsche"Dionysos -Dithyramben"Gruyter .Berlin.1969. 25評 言 と 構 想(前 出) 26評 言 と 構 想(前 出) 27土 井 晩 翠 「学 生 時 代 の 高 山 樗 牛 」 大 雄 閣 昭 和9.9. 28Nietzsche"AlsosprachZarathustra ,.EinBuchtiirAlleandKeinen" Gruyter.Berlin.1968. 29土 井 晩 翠 「二 高 生 も の が た り 」 大 雄 閣 昭 和9.9. 30評 言 と構 想(前 出) s1Nietzsche"Menschliches ,Allzumenschliches.EinBuchtiirfreie Geister."Gruyter.Berlin.1967. \

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樗 牛 と ニ ー チ ェ(1) 追 記 鶴 岡 の 高 山家 で 樗 牛 が 所 有 して い た 洋 書 類(半 分 は散 逸 して し ま っ た との こ と)を 見せ て 頂 い た が 、 それ を私 な りに 整 理 して み た の で 、 表 に し て掲 載 し 、拙 稿 第一 部 の 締 め く く り と した い 。 書 名 著 者 編 者 ・訳 者 出 版 社 独 語 1.美 術 史概 要 ヴ ィ ル ヘ ル ム ・リ ュ プ ケ エ プ ナ ー&ゾ ィベ ル トヴ 第1巻(全II巻) シ ュ ト ゥ ッ ト ゥガ ル ト ゥ 1892年 2.倫 理 学 ヴ ィ ル ヘ ル ム ・ヴ ン ト ゥ フ ェル デ ィナ ン トゥ・エ ッケ シ ュ ト ゥ ッ ト ゥガ ル ト ゥ 1892年 3.倫 理 学 体 系 フ リー トゥリッヒ ・パ ウ ル ゼ ン ヴ ィ ル ヘ ル ム ・ヘ ル シ ュ ベ ル リ ン 、1889年 4.歴 史 的 基 礎 に 立 った オ ッ トー ・プ フ ラ イ デ ラ ー ラ イ マ ー 、1878年 宗教哲学 5.ド イ ツ の 抒 情 詩 マ キ シ ミ リ ア ン ・ベ ル ン レ ク ラ ム 、ラ イ プ ツ ィ ッ ヒ 6.ア リ ス ト テ レ ス の 二 工H.V.キ ル ヒ マ ン エ ー リ ッ ヒ ・コ シ ュ ニ イ コマ コス倫 理 学 1876年 7.詩 と散 文 Dr.T.メ ッ ト ゥ ナ ー マ イ ゼ ン ハ ウ ス 、1889年 8.イ ン ドの 仏 教 美 術 アル バ ー トゥ・グリュンヴェー デ ル W.シ ュ ペ ー マ ン ベ ル リ ン 、1893年 9.現 代 の 意 志(美 学) Dr.マ ー ル ・シ ュ ッ ツ ラ ー テ ン プ ス キ ィ ー ラ イ プ ツ ィ ッ ヒ 、1886年 10.美 学 ロ ー ベ ル ト ゥ・プ レ ー ル ス ヴ ェ ー バ ー ラ イ プ ツ ィ ッ ヒ 、 ユ889年 11.オ リ ュ ン ボ ス 山 A.H.ペ テ ィ ス ク ス C.F.ア メ ラ ン グ 、1890年 12.沈 鐘 ゲ ル ハ ル トゥ・ハ ウプ トゥマ ン ブ イ ッ シ ャ ー ベ ル リ ン、1898年 13.メ シ ア F.G.ク ロ ブ シ ュ ト ッ ク レ ク ラ ム 、ラ イ プ ツ ィ ッ ヒ 14.ハ ン ブ ル ク 戯 曲 論 レ ッ シ ン グ レ ク ラ ム 、ラ イ プ ツ ィ ッ ヒ 一72一

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書 名 著 者 ・編 者 ・訳 者 出 版 社 15.レ ッ シ ン グ の 賢 者 ナ ク ー ノ ・フ ィ ッ シ ャ ー T.G.ゴ ッ タ 一 タン シ ュ ト ゥ ッ トゥ ガ ル ト ゥ 1896年 16.ヘ ン リ ー ク ・イ プ セ ン ロ マ ン ・ロ ー エ ル ナ ー オ ス カ ー ・ベ ッ ク 第1巻(全II巻) ミ ュ ン ヒ ェ ン 、1900年 17.シ ラ ー 全 集1∼12 レ ク ラ ム 、ラ イ プ ツ ィ ッ ヒ 18.ヘ ル ダ ー 全 集1∼3 ア ドル フ ・シ ュ テ ル ン レ ク ラ ム 、ラ イ プ ツ ィ ッ ヒ 19.ジ ャ ン ・パ ウ ル 全 集 T.G.ゴ ッ タ 1・3・5・7(全 八 巻) シ ュ ト ゥ ッ ト ゥガ ル トゥ 20.テ オ ドー ル ・ケ ル ナ ー リ コ ラ 、ベ ル リ ン 、1879年 全 集1・3(全 四 巻) 21.ゲ ー テ 著 作 集1∼4 T.G.ゴ ッ タ シ ュ ト ゥ ッ ト ゥガ ル ト ゥ 22.カ ン ト純 粋 理 性 批 判 Dr.カ ー ル ・レ ー ル バ ッ ハ レ ク ラ ム,ラ イ プ ツ ィ ッ ヒ 23.文 化 史 F.F.ホ ー ネ ッ ガ ー ヴ エ ー バ ー ラ イ プ ツ イ ッ ヒ 、1889年 24,Lehensfragen ア ウ グ ス トゥ ・シ ュ ペ ー ル オ ス カ ー ・ベ ッ ク (レ ー エ ン ス フ ラ ー ゲ ン) ミ ュ ン ヒ ェ ン 、1900年 25,BunteBriefeaus オ イ ゲ ン ・ツ ア ー ベ ル ゲ オ ル グ ・シ ュ テ ィ ル ケ Amerika ベ ル リ ン 、1905年 (信策 の蔵 書 と思 われ る) 26,Hilfsbuch ヘ ル マ ン ・ラ ン ベ ッ ク レ ク ラ ム 、ラ イ プ ツ ィ ッ ヒ 27.サ ン ス クリット語 の 初 級 ゲ オ ル ク ・ブ ー ラ ー カ ー ル ・コ ネ ー ゲ ン クラスの ため の 入 門 書 ヴ ィ ー ン 、1883年 28.英 独 ・独 英 辞 典 Dr.フ リ ー ト ゥ リ ッ ヒ ・レ レ ク ラ ム 、ラ イ プ ツ ィ ッ ヒ 一 一 フ ー 29.ヴ ェー バ ー の 独 語 辞 典 マ ッ ク ス ・モ ル ト ゥケ ベ ル ン ハ ル トゥ・タ ウヒニ ス 30.聖 書(旧 ・新) Dr.マ ル テ ィ ン ・ル ー タ ー T.G.ミ ュ ラ ー 、1844年 31.聖 書(旧 ・新) (仏 語) ア メ リカ 聖 書 協 会 ニ ュ ー ヨ ー クー、1894年

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樗 牛 と ニ ー チ ェ(1) 書 名 著 者 ・編 者 ・訳 者 出 版 社 32.聖 書(旧 ・新) (英 語) ア メ リカ聖 書協 会 ニ ュ ー ヨ ー ク 、1868年 33.コ ー ラ ン (英語) フ レ デ リック ・ワ ー ン&Co. ロ ン ド ン&ニ ュ ー ヨ ー ク 英 語 34.模 倣 芸 術 ジ ョー ジ ・ベ ル と 息 子 た ち その源泉と発達 ロ ン ドン 、1882年 35.ア デ リー ン の芸 術 辞 典 J.S.ノ く一 ト ユ ー&Co. ロ ン ド ン 、1891年 36.美 の 哲 学 ウ ィ リ ア ム ・ナ イ ト ゥ ジ ョ ン ・マ レ イ ロ ン ド ン 、1891年 37.楽 器 カ ー ル ・エ ン ゲ'ル チ ャ ッ プ マ ン&バ ー ル 38.現 代 画 家 ジ ョ ン ・ラ ス キ ン ジ ョ ー ジ ・ア レ ン 、1885年 1・2・4・5巻 39.論 理 学 体 系 ジ ョ ン ・シ ュ ト ゥア ー ト ・ミ ロング マ ンズ ・グ リー ン&Co、 ル ロ ン ド ン 、1884年 40.論 理 学 ウ ィ リ ア ム ・ミ ン ト ジ ョ ン ・マ レ イ ロ ン ド ン 、1895年 41.思 考 法 則 概 要 ロン グ マ ンズ ・グ リー ン&Co. ロ ン ド ン 、1867年 42.道 徳 哲 学 の ハ ン ドブ ヘ ン リー ・カ ル ダ ー ウ ッ ドゥ マ ク ミ ラ ン&Co. ック ロ ン ド ン 、1879年 43.現 代 画 家1巻 オ ッ クス フ ォー ドの卒 業者 UnitedStatesBookCom一 pany、 ニ ユ ー ヨ ー ク 44.生 理 学 的 心 理 学 概 要 ジョー ジ ・トラ ンベ ル ・ラ ッド チ ャー ル ス ・スクリブ ナ ー の 息 子 、 ニ ュ ー ヨー ク 、1892年 45.心 の 生 理 学 ヘ ン リ ー ・マ ウ ズ リ ィ D.ア ッ プ ル ト ン&Co, ニ ュ ー ヨ ー ク 、1883年 一74一

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書 名 著 者 ・編 者 ・訳 者 出 版 社 46.喜 び は 永 遠 に ジ ョ ン ・ラ ス キ ン ジ ョ ー ジ ・ア レ ン 、1889年 47.ホ ー マ ー の オ デ ュ ッ ア レ キ サ ン ダ ー ・ポ ウ プ フレ デ リック ・ワ ー ン&Co. セ イ ロ ン ド ン 48.英 文 学 研 究II巻 ウ ィ リ ア ム ・ス ウ ィ ン ト ン サ ン シ ョ ウ ドウ 、1890年 49.文 学 の心 地 よ さ ア イ ザ ク ・デ ィ ズ レ イ リ フ レデ リック ・ワ ー ン&Co. ロ ン ド ン&ニ ュ ー ヨ ー ク 50.ア レ キ サ ン ダ ー ・ポ フ レデ リック ・ワ ー ン&Co. ウプ 詩集 ロ ン ド ン 51.ペ リ ー ・バ イ シ ェ ・シ フ レデ リック ・ワ ー ン&Co. エリィー 詩 集 ロ ン ド ン 52.ロ ン グ フ ェ ロ ー 詩 集 フ レ デ リック ・ワ ー ン&Co。 ロ ン ド ン 53.ワ ー ズ ワ ー ス 詩 集 フ レ デ リック ・ワ ー ン&Co. ロ ン ド ン 54.ヨ ー ロ ッ パ の 知 的 開 ジ ョ ン ・ウ ィ リ ア ム ・ド ゥ レ ハ ー バ ー&兄 弟 発 の 歴 史1・2巻 イ パ ー ニ ュ ー ヨ ー ク 、1876年 (全 二 巻) 55.教 育 の 歴 史 EV.N。 ペ イ ン タ ー D,ア ッ プ ル ト ン&Co. (国 際教 育 シ リー ズ) ニ ュ ー ヨ ー ク 、1896年 56.自 然 主 義 者 の 図 書 館 サ ー ・ウ ィ リア ム ・ジ ァ ル ヘ ン リーG .ボ ー ン 32巻 一" ア イ ン ロ ン ド ン 57.キ リ ス ト の 模 倣 に つ ト ー マ ス ・A・ ケ ン ピ ス D.ア ッ プ ル ト ン&Co. いて ニ ユ ー ヨ ー ク

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