︵粥︶ 古代インドの哲人の多くは人生︵観︶の最高目標として、⑩﹁法ロ冒円ヨロ︵m︶﹂。②﹁理財胃吾”︵の︶﹂。③ ︵愛欲︶ ﹁性愛宍腎目︵m︶﹂そして側﹁解脱言。厨四︵碗︶﹂の四つを掲げ、その実現のために努力していた。これら四大人生 観に関する基本的文献として、H﹃マヌ法典冨自、ぐ且言日陣︲箇曽3︵の︶﹄、。﹃カウテイルャの実利論宍画匡豊]2 野昏画融降愚︵m︶﹄、㈲﹃マッラナーガ・ヴァーッャーナの性愛論旨邑画ロ侭画くg望畠自要肉胃]、︲の鼻3︵の︶﹄、及 ︵別称を﹁ヴェー び十三世紀のヤーショーダラ尽鼠o今自画の注釈害﹃ジャャマンガラ旨冒目画碕巴昌等があり、それと側﹃ウパ’一 ダーンタく且冒冨︶ シャッド与凰曾屋を中心とする哲学書と仏教経典であることは周知の所である。 古代インドの歴史意識︵町田︶ 五三一 はじめにl問題の所在 ﹁歴史﹂を意味する語 むすびl歴史意識の欠如1
古代インドの歴史意識
一はじめにl問題の所在I
目次
二﹁インド﹂を意味する語 四ヴェーダ讃歌の非歴史性町田是正
落について、インドの生ん垂 めて次のように述べている。 古代インドの歴史意識︵町田︶ 古代インド人の四大人生観に共通していることは、その何れもが個々の精神的・物質的欲求の満足に向けられてい ること、つまり﹁自己充足、画爵昏。画。目︵g﹂という個人的志向が優先されているのであって、インド同胞民族と か国家の動向などに関しては意識は薄いのである。 本来、民族国家の動向、また同胞民族の興亡︵歴史︶に深い関心を寄せることは、洋の東西に共通する民族意識で
ある。その事は、我国の季霊魂蕊された目的の罰偽定実﹂︵古事記序文︶を見ても明らかであり、また古
代オリエントの諸王朝l由喝冨・層巨。己”・霞詳詳の“。シの切菖”lに関しても多数の年代記o言。。この︵g・ 金石文智狩圖g合︶が残され、殊にエジプトからは草紙文書顧冨同具巴が沢山発見されている。古代ギリシア ︵前一四五’八六︶ には一過叫叶型が一瞬廼画︶&剣:&﹄があり、中国には司馬遷の﹃史起が残され、後の中国正史の標準形式の 紀傳体の叙述と人間の記録の範を示した。 ︵高貴な人の意︶ 古代インド文明を形成した主役はアーリァンン昌昌のである。彼等はヴェーダ宗教文学は沢山残したが、どうし た訳かインダス流域への侵攻、先住民との激斗に関する民族の興亡史は全く残していない。この古代インド史書の欠 ︵ロロズ◎綴ヨ亘屋S3I墨の巴 落について、インドの生んだ世界的な科学者・歴史家・思想家であったコーサンビー氏は自著の中で痛切な想いをこ インド古代史に関する歴史記録の欠落については、我国のインド学の泰斗・中村元博士によって夙に指摘されてい とともに変ってしまつ浄電 か。何故に仏教は生れた国でかくも完全に滅んでしまったのであろうか。⋮⋮書かれた資料は殆ど無く重要な単語の意味は時代 インドでは前三千年紀から文字を知っていた。それなのに何故インドでは歴史記録及び歴史意識が異常に欠けていたのであろう (82)古代インドに於ける大事件、それはアーリア人碓浦復籏嶬戯泌副電癒蛍して崎窄ヂブ地方に侵入、先住ドラ ︵。旨く己旨房︶ ヴィダ民族の築いたインダス文明を破壊した出来事であった。この大事件に関して﹃ヴェーダ讃歌言烏︲屋同冨冒・ く§︲“号鰯﹄の表現では、英雄竪椎鎗曜蒜綴呼鴻瑁鵡ラが統率して頑強に抵抗する﹁城砦甸弓﹂を破壊し、 征服していくという神話物語の形で伝えられている。その﹁讃歌、黒目﹂による表現は決して歴史記録ではない。 古代インド人はすぐれた宗教文学を沢山に残した。その代表作が鶉痢鰯獺癖堀騏四重”﹄であり﹃マハーバー ︵三世紀頃現存の形で成立︶ ラタ冨画冨与胃冨﹄であるが、古代インドに於ける凄惨な部族斗争を主題として語られてはいるが、それはサンス 古代インドの歴史意識︵町田︶ 、ご プ︵︾0 人類史を播くとき、民族的苦悩・悲惨を体験した民族は、同胞民族の生きている歴史的現実に対して体系的な思索 をめぐらし、歴史世界の構造について鋭い歴史意識を表現している。例えば魂亭潮僻匝渓雪蕊醐Ⅷ蝿︶﹂ という民族的悲惨を体験したユダヤ人は、ヤーヴェ﹄号葛呂信仰・契約観念・選民思想・救世主思想を育み、前五 壷 三八年にイェルサレムに帰ると、﹃旧約聖書﹄を基にしてユダヤ教﹄且巴切目︵gを創始していった。 ※旧約聖書○匡罵の冨目の具︵g⋮⋮ユダヤ人は﹁旧約聖書﹂とは呼称しない。旧約の内容を律法弓。﹃g・壬言書z、匡目・ 諸書○言吾匡巨目の三部分類して、その首文字を合せて﹁タナハ自画画moEと呼んでいる。またユダヤ人の精神生活の源泉と して、聖書︵タナハ︶と共にユダヤ人の口承律法を収録した﹁タルムード冨一昌且忌畠﹂がある。 ︵﹄・○甸苛言⑮s︹両。〃、畠孟︶ また一八○八年、プロイセンがナポレオン軍の躁踊下にあったとき、哲学者フィヒテが﹃ドイツ国民に告ぐ胃号邑 目sのロのgmo言zgざこと題して講演、ドイツ民族の文化の誇りと自信・愛国心を喚起鼓舞した事は有名であ る所であ鄙で
二﹁インド﹂を意味する語
︵戸、oご⑮詠貢己号ョ◎⑥日屋⑰﹃⑮で匡匡一no﹃旨邑匿︶︵弓言○.ョ異芦呉冒。◎﹃宮島毎︶ 一九五○年一月﹁インド民主共和国﹂の成立宣言、同時に﹁インド国憲法﹂を施行して、インド近代化の最大の阻 ︵口馬言訓鉦ご 害となっていた﹁カーストく胃9.台は︵ぬ︶﹂に基く身分差別の撤廃、殊に﹁不可触賎民ェ。冒冨︵の︶﹂の廃止を規 定したが、憲法の壁否向な理念が実現するためには、将来になお長い時間を必要としているのであふ竜 我々がインドを旅して驚くことは、その無限とも云える多様性と不調和とである。艫識・砿遜・躍腎窄罰識・鎌呼. 螺薦罐式莞僅蔀・鶉麺。鶴攝機翻心毒には繩気雛識蒲鯲蠅確嘩が悲惨な現実をみせつけられる。インドでは現在で︵一九キ巳︵紙輪の利馴は百・五十・二十・十・一の2で函も画冨﹃がある︶
も十二哩毎に言語が異なると云われる。言語の不統一を象徴するものに﹁ルピー紙幣﹂には英語と憲法で制定された 十四種の言語が印刷されている。インドには民族共属の言語と文字が無いのである。 仏教の故地・インドを旅して考えさせられることは、民族意識とは何か、地域性とは、宗教二塁閉違い、国民性・ 経済生活など、その相違と格差が改めて見直され、その上で﹁同一性屋のgご宙︶﹂の主体的穫得が緊急の歴史的 課題であることを痛感させられる。 ﹁インド民主共和国﹂の国内で使用する正式国家の呼称は、ヒンディ語の﹁バーラット里胄g﹂又は﹁ヒンデュ スターン雷且匡の薗己である。元来﹁里胃画匡はサンスクリットの﹁里胃g巴又は﹁パラタの土地厚腎画岳ぐ胃苗﹂ 古代インドの歴史意識︵町田︶ クリットによる見事な叙事物語であって、歴史記録ではない。古代インド人は、政治経済の変革・社会生活などの人 間の記録は全く残すことをしなかった。この際立った違いは、単に歴史意識の欠如の問題に限られることではなく、 思想全般・思惟構造・生活様式・政治経済の構造にも関わる問題を提示するのではなかろうか。 (“)由来するとされる。 次に仏教では、インドを意味する語として﹁閻浮提皆目g︲号ざ画︵m︶﹂を用いている。仏教の宇宙観によると、 ︵妙高山︶ 宇宙の中心に﹁須弥山曽冒の目﹂があって、世界を東西南北の四洲に分ち、閻浮提は南洲に当るとする。閻浮提とは
闇浮﹄●圏g﹂の樹木が篝している﹁波提・洲言画﹂を意味する.南部に当る世暴金舗讓をしているこ
とから、インド亜大陸の地形がオーバーラップしていると思われる。 先に見た﹁里胃画冨ぐ胃曾﹂の地域は、仏教で云う﹁閻浮提﹂世界に含まれるとされている。サンスクリットが示 す﹁竪胃”gぐ胃溜﹂又は﹁旨目g︲号ざ四﹂のインドを表現する世界は極めて物語的であって、政治統合体としての ﹁インド国家﹂を総称したものではない。古代以来、インド人が﹁厚胃g﹂或はご画ョg︲号ざ画﹂という特異の語を もって呼称した所に、インド人の民族意識・歴史意識の欠落を窺うことができよう。 現在、我々が﹁インド﹂と呼称している国家名は、サンスクリットの.且匡月輪・月﹂又は﹁段且言大河﹂に 承したものである。 ダ旬叩く&この詩頌に見える部族名であり、有名な叙事詩﹃マハーバーラタ﹄は明らかに﹁團胃”この部族名を伝ダ旬叩く&この詩 から発生した語で、元々﹁インド冒匿画﹂を意味している。この﹁パーラット﹂の呼称は、最古の文献﹃リグ・ヴェー この.且匡﹂・﹁四目言﹂の呼称が、隣国のペルシアに伝わり﹁震且冒﹂と呼ばれ、更に遠くギリシアに伝わっ て﹁員且旨﹂と誰り、インド住民を﹁昌且oの﹂と呼んだ。偶姥巡喧岬諭崇浮代の風潮にのって東地中海。西アジア一帯 古代インドの歴史意識︵町田︶ ※閻浮提の中央の池・シコggg富から流れ出る四大河lガンジス。、ロ魁殖伽・インダス醗且匡信度・ヴァクシュく鼻曾 縛趨・シータ留冨私陀lのうち﹁段且冒﹂を指子。古代インドは、全国土が政治的に統一された時代はなかつ畏室噴窯槌︵霜謹暁嬉詣繧蕊躍卜
蝦蝿窄帽雫端垂辨も媚窄趨帽快王轆堪這窄滞郊琵弧毛爽過瀝擁我頚靴灌どの諸王朝が興亡したが、その王権の波及し 古代インドの歴史意識︵町田︶ に広まり、ヨーロッパ人は.且旨己・﹁冒号己と呼んだとされている。 命画国鼻昌完成・洗騨された語︶︵で罠聖典語︶︵刃異勢俗語・民衆繭︶ 我国で古来、﹁インド﹂と呼称する場合はサンスクリット語・パーリ語・プラクリット語の﹁震且言﹂・﹁醗号E をインドと呼び、これを音写して信度・身毒の達筆を当て、また﹁段且言﹂がイラン語に識ったものを音写して賢 度・賢豆の漢字を当てている。玄葵が﹃大唐西域記﹄の中で﹁今従二正音一云二印度爵︶と使用して以来、﹁印度﹂の漢 字表記が常用されている。仏典では後漢代から﹁天竺﹂の語を用いることが多い。 以上の語彙の解説から分るごとく、インド人は古代から現代に至るまで、自国に関する統一した正式呼称をつくる ことをしなかった。また自分達を.且旨邑﹂。.且◎の﹂と呼ぶこともなかった。インド文化形成の主役はアーリア 人であった。彼等は自らを﹁淳曽高貴な人・聖人﹂と呼び、征服した先住民族を﹁冨后8富蛮民﹂と呼び蔑視し た。こうした民族差別観は、恰も古代ギリシアのポリス成立期に於て、ギリシア人が自らを惑鎖舜塞誕聰︾称して同 ︵聞き苦しいg蕊を話す者︶ 胞意識を強め、異民族を﹁贋﹃g﹃。とと呼んで軽蔑したのと同様である。ともかくアーリア人は征服したドラヴィ ダ人を蛍口して﹁インド人﹂と称することはなかつ尋 ※アーリア人は自らを﹁高貴な人諺q、ご﹂と称したが、元々はコーカス山脈の山麓の草原に原住し父権的社会組識の遊牧民で あったアーリア人が、﹁冨后8富蛮民﹂と呼んだ先住ドラヴィダ民族の方こそ前二三○○年頃から先史青銅器都市文明を成 立させていた。インド・アーリア人の方が野蛮の侵略者であった。アーリア人が先住民族を制圧し得たのは、アーリアが文化 的に高度であったからではなく、組織的な暴力戦斗部族であったからである。 (86)古代インドの政治的不統一であったことが、民族の共属意識を弱める第一原因と考えられる。その事が延いては言 語・生活様式・経済・慣習・宗教などの多様化を生み出す事となり、民族共属の意識を愈々稀薄にしたことは否めな い。民族意識の無い所に歴史意識は育たないのである。古代インドは、まさに﹁バーラット﹂の人々の集まったヴェー ダ宗教文化の国であったのである。
以上﹁インド﹂に関する薑の義を試みて云えることは、インドに於け壷孟︺惑謹●巖、我々が通常的に
考える﹁主権のある政府の下に統一された国﹂の概念とは全く次元を異にしている。古代インドに於ける国とは、村 落共同体によって構成される地縁的な共同体と称するものであって、一定の領土と民族、そして政治権力と組織をも つ政治社会、つまり政治的に統一された国家とは無縁であった。インド亜大陸として持続し得たのは、民族とか国家 ︵ヒンデュー教・仏教・ジャイナ教・イスラム教︶ という意識を超越した﹁宗教による共属意識﹂が強かったからであろう。 、︵諺酔◎云画届○四g,凸罵員凝、。︶ た領域は限定されていた。マウルャ王朝のアショカ王時代・クシャーナ王朝唾婚秀雄五摩蝿や︶ヴァルダナ王朝のハ 嶬踊姥媚走肱購奉琴龍趣轤鶚雲︶その最盛期でも全インドを統治することはなかった。しかし諸王朝の英遙な君主は、 文化人を都城に集めて学芸の興隆に意を注いだ。マウルャ朝とグプタ朝の都撚癩喝粥岻飛騨フ・ヴァルダナ朝の都城 ︵富ョ畠鼻匡冥の曲女城︶カナャiクビジャ・クシャ︲ナ朝の製憲瑠嘉襄厩蓑壮・均斉・優雅・篭・篝などの特徴を示す建築
と彫刻、そして文学が開花した。これらの学芸はインド三大宗教lヒンデュー教・仏教・ジャイナ教lと深い関わりと彫刻、そして文窒 をもって発展したり三﹁歴史﹂を意味する語彙
古代インドの歴史意識︵町田︶右の垂鑿弩哩﹁歴史﹂につい悪明したものではなく、﹁冒閻﹂の語と共に﹁歴史﹂的な薑を並べ
て、人間の始祖マヌの言葉﹁冨昌匡印目登﹂という絶大の権威をもって、古代インド人の学習すべき事を規定した ものである。規定からも明らかの如く、歴史事実とか、正確に史実を伝えるという無味乾燥的な事は排除して、古 代聖賢伝説・英雄伝・神話・讃歌などを﹁歴史﹂として享受させようとしている。この事は.号勝画﹂の派生語 ﹁置く尋冨冨﹂︵本事・昔話・斯きの如き出来事︶が示す語意からも理解される所である。 次にカウティルャの﹃実理論﹄の一節を参照してみよう。 サーマ・ヴェーダ留目口︲ぐの§・リダヴェーダ旬叩くの目。およびヤジュル・ヴェーダ倒巴員︲ぐの§これら三つが三ヴェーダ 実理学︵言ぐの§︲胃芸い︲ごこぎmeである。アタルヴァ・ヴェーダ諺穿胃箇︲ぐの8およびイテイハーサ・ヴェーダ房讐四囲︲ぐの: 実理学︵言ぐ且甲周一 如く、あった︶ 強いのである。 古代インドの歴史意識︵町田︶ ︵雪冒島インド連邦公用語︶.︵ごa匡パキスタン公用語︶ 現在、インドで使用されている﹁歴史﹂に当る語は、側ヒンディ語の三号勝﹂・コ威冨笛﹂と、②ウルドゥ語の 弓胃鼻己である。﹁三富闇﹂は元来はサンスクリットの﹁曽十g十勝ロ﹂︵斯の如く・実に。ありき。昔し、かくの 如く、あった︶に由来している。従って﹁イティハーサ﹂は﹁歴史﹂の意味よりは、詩史・叙事詩・昔話の意味合が 古代インド人の生活規範の中で、最も権威を有した﹃マヌ法典﹄の中に、次の様な規定がある。 祖霊祭即&富のときに、吠陀くの§・法典ロ冨門目⑤出馬弓画・伝説諺夙ごgm・古伝写昏勝画・神話勺貝冒画。及び讃詠 ︵歌︶国司冨口画。︵補歌園3︶を間かしむくい竜 も亦ヴェーダであぷで 一日の午前は象・馬・戦車・武器の学問の教練を受け、午後は古伝專昏勝画を聴受する。古神伝勺員9m・史伝罵言冨冨・逸 (鋤)しようでん 右の﹃実利論﹄では、四種のヴェーダ聖典と全く同格の扱いで、﹁イティハーサ巨富の画﹂も聖典︵聖伝文献︶と され、その内容は神話・史伝・逸話・実話・律法・制度などを包括している。即ち、﹁イティハーサ﹂はインド人 ︵史実を肥録する。耶実を探求する︶ の観念からすると﹁歴史﹂ではなくて、神聖な聖典であった。而も後になると、﹁律法論﹂は法律や生活規範を取 り扱う法律文献へと定型化され、また﹃実理論﹄も国家経営・利益追求の政治経済学書へと定型化していったので、 胃号勝”﹂の構成内容から、国家・民族・社会・制度・政治・経済などの事柄が脱落してしまい、愈々.鼻勝画﹂の 語彙から歴史的要素が欠落することとなった。 古代インドに於ける﹁歴史﹂の意味に近い語蕊を探すと、先の﹃実利論﹄の中でも列記されていた仙本事・昔話 屋ぐ算箇宮。②古伝説・古諏国甸習画。③逸話・故事シ与忌豈冨﹂・側例話・引嚥ロ・豐胃画意などである。 然しこれらの諸語も﹁歴史﹂の意味にはほど遠い。我々の知っているギリシア語の﹁雷、8﹃旨事実の探求・調査﹂ から派生した﹁里の8q源泉・歴史﹂とは異なる事は云うまでもない。古代インド人の関心事は、専ら神話・文学・ 宗教の世界に向けられ、神々を讃美することであった。 ︵身分制・不可 古代インド人の社会意識の底辺にあったものは﹁カーストgの扇﹂のみであった。この事は﹃マヌ法典﹄の第十 触賎民︶︵始廻と解脱︶︵身分制・バラモン優位制︶ 章・第十二章・第五章を追条見ただけでも、古代インド人の眼中にあったのは﹁ヴァルナく胃冨﹂と﹁ジャーティ 台邑のみであって、国家・民族の事などは全く意中になく、また婆羅門の利益のみ優先して、他のヴァルナ︵穂姪︶ の缶畷伍など全く問題にもしていないのである。 話物語箔 柱︵7︶ である。 シ 古代インドの歴史意識︵町田︶ 喜甚鼠冨・例話口監富国g律法論口冨﹃9画雷里恩。および実理論諺司吾mmmg目これがイティハーサ昼冨間
古代インドの歴史意識︵町田︶ さて、古代インドの世界文明に寄与した最大の功献は、数学における﹁零目詞○﹂概念を考案して、﹁整数 皀弓画。固”﹂と﹁負冨皀口?z画。シ︲国く且の概念を樹立して﹁十進法ロの。目印亀m駐日﹂を可能にしたインド数 学の創始である。然るに古代インド人は自らの思索の中に数学の方法を取りこむことをしなかった。従って数学に基 く合理的思惟を生むことがなく、また時間認識の方法にも﹁数﹂の概念を用いることがなかったので、実生活に於て も正確に時間・年次・日時を記録することを怠たった。世界文明史上でも最大の発見とされる﹁零﹂の概念をして、 古代インド人は数理に用いることなく、これを﹁空呂昌四・m目園﹂概念へと転換して、合理的思索世界から宗教世 界へと変えてしまったのである。 ︵時・ 古代インド人は﹁数﹂概念を手離すことで、物理的時間の経過の表現に於て正確性を欠き、延いてはその事が歴史 増・人︶ 時間の観念を稀薄にしてしまった。例えばヒンデュー教では、世界の時間経過を表現するのに、側作用・活動冑冨・ ︵§。 ②破壊・災害岸の苗。③像法・仮法口ぐ菩胃陣・側悪世・末世冨冒という四期に分けているが、その表現は宗教文 叙那時︶ 学的であって、数値による表現は見られない。 仏教に於ても独特の時間の捉え方をしている。①数量的に表示される物理的時間のことを手鵬職跨測一四﹂と称し、 ︵機械的︶ ②時機とか時点という実在と現象の区別の難かしい時間︵境地︶を主戦聯剃P目画冨﹂と呼び、③人間の意識の中で .︵世・世路︶ 計測︵思索︶される時間を﹁阿陀波耶委号ぐ目﹂と呼んでいる。この様に仏教に於ても、時間の実体化の考えを排 除して、諸行無常の無限定の原理を基にした時間とか時代の経過を考える。従ってその時間の表現はドラマチックと 除して、諸行無蓉 なることもある。 たとえば﹃法華経﹄如来寿量品で説示される無始無終の悠遠時間を想定して、久遠実成の思想を表現する説示は極 (”)
︵、色匡⑤色吻巨切︶ 中央アジア草原地帯・コーカサス北麓に原住していた﹁アーリァ遊牧民﹂は、前二千年頃、ヨーロッパとアジアの
二方向に枝分れをして大移動を開始した.東方に向った一群は、前千吾年頃に氏族と部盗潅罵輪嬉諺
えて波状的に馬と戦車とをもって、インダス中流のパンジャーブ平原に侵入、先住の彪売婚噌茶人蜂宏癩卜人との 間に激斗を繰り返し、先住民の築いた高度の青銅器文明を破壊し征服していった。 インダス中流域の都市文明を破壊していったアーリア人の歴史記録は全く残っていない。史実を伝えるものは、考 古発堀資料が唯一のものである。先住民との激斗を伝えるものは、神話的ではあるが﹃リグ・ヴェーダ讃歌﹄が唯一 の文献と云えよう。既に再三、言及したように﹃リグ・ヴェーダ﹄は天啓聖典であって、戦斗に関する時代・場所・ 戦斗経過・人物などは史実を伝えることを目的とはしていない。専ら英雄軍神の活躍を讃詠することに主眼をおいて いる0 めて劇的である。 右の寿量品では、当に天文学的数値をもって久遠実成の思想を表現しようとする。古代インド人は世界に稀な独特 の時間観念の持ち主であったことを充分に踏まえ、その上で歴史意識の考察をすすめるべきであろう。 注︵8︶ 我実成仏已来・無量無辺・百千万億・那由他劫・ 注︵9︶ 自我得仏来・所経諸劫数.無鼠百千万億・億戦阿僧祗 ﹃ヴェーダ讃歌﹄の一節を参照しておこう。 古代インドの歴史意識︵町田︶四ヴェーダ讃歌の非歴史性
古代インドの歴史意識︵町田︶ われ今宣くらん。インドラ︵冒号、︶の武勲をヴァジュラ︵ぐ昌圖金剛杵︶を手に持つ神が、最初にたてし勲しは、ヴィリト ラ︵く喜司p蛇形の悪魔︶を殺し、水を穿ちいだし、山々の脾腹を切り裂けり。 インドラ︵勺匡国昌83帝釈天とも云う︶は肩を拡げたる最も頑強なる障碍、ヴィリトラを殺せり、偉大なる武器ヴァジュラ によって。斧もて伐り倒されたる木株のごとく、ヴィリトラは大地の上に傭伏に横たわ註で 罪に汚れし諸人は、いつしか彼が弓の的、傲れる者は神の敵、アリァン族に仇をなすダスュ︵口勉、旨・ロ厨、奴隷・卑狼の賎 しき者の意︶もあわれ彼の犠牲、その神の名はインドラ天。 春秋四十山深く、ひそみし悪魔シャンバラ︵静日93ダスュを統率する指揮官・インドラ天の大敵︶も、神の眼にあばかれ つ、力を誇示して横たわるダーナ竜の殺裁者、その神の名はインドラ天。 天も敬い地も屈む、神にしあれば足曳の、山もひれ伏すその力、手に振りかざす金剛杵、ソーマ︵gョ、神酒・月天・宿星の 意、エネルギー源︶の神酒に酔うという、その神の名はインドラ寿冠 城砦の破壊者の亜 ﹃婿塞嶋伽藤蟹の中で英雄軍神として崇敬讃詠されているのは﹁インドラ天﹂︵別称・不蘭陀羅勺匡圖ョ烏圖帝 釈天︶である。インドラ天の活躍は恰もアーリア人戦士の理想の雄姿を想わしめる。インドラ天はヴェーダ神話の中 で最も擬人化されている。大敵ダスュは指揮者のシャンバラに統率され、広くて頑固な﹁城砦國己に立て龍り抵 抗する。この城砦に対して、インドラ天は繰り返して攻撃し破壊していったとしている。 さて﹃ヴェーダ讃歌﹄に見える﹁城砦﹂について、従前の解釈では文字通り聖典の中の古諏・神話と解し、又はイ ンドラ天の絶大の威力を讃歌したものと受けとめてきた。然し一九二一年パンジャーブ州モンゴメリ地区遺丘の発堀、 次で一九二二年シンド地方のラールカナ地区の発堀など、考古発堀と調査の結果、前千五百年アーリア人がインダス 中流域パンジャーブ地方に侵入したことが明らかとなっ趣でこの考古発堀の成果の内容は、﹃ヴェーダ讃歌﹄の偶頌 に見えるインドラ天の城砦破壊の経過と見事に符節するのであ参 (”)
︵代窯涯昨がマハーパーラタ︶︵代塞藤津1 元来、サンスクリット諸文献は、⑩伝説・詩史岸号陽画及び神話・古諏習﹃眉画などの古代物語群と。②詩篇
マーヤナ︶しようでん
宍画く胃から成っている。これらの諸文献は﹃マヌ法典﹄と共に聖伝文学の枠組に入れられ﹁聖典﹂として尊重され ︵閲・柵︶ てきた。その表現法も神々を讃える﹁頌。g富︵の︶﹂という詩体で語られている事からも、歴史記録の範鴎とはか け離れ、むしろ宗教聖典と云うべきものである。例えば﹃マハーバーラタ﹄は十万頌に及ぶ世界最長の叙事詩であり、 その展開される内容は宗教・神話・伝説・風俗・制度など、ヒンデュー教の百科全書の観がある。特に第六巻二三章 より四○章に亘る灌匙繋捲湛睦穏賠到罰騨訂︲函曽﹂︵神の歌︶はヒンデウー教ヴイシュヌ派の聖塁蟄星なっ ていて、哲学的基盤を﹁留昌胃、﹂に置き、実践的基盤を。。魁﹂に求め、汎神論的な恵忌口冨の思想を多く含んていて、次に後期ヴェーダ時代、アーリァ民族のガンジス流域の大平原への進出を語るものとしては、叙事詩の
﹃冨画冨与胃冨﹄と富四目母息﹄そしてヒンデュー聖典碓群馳醒]垂嘘識雫離輔廠謹唖伝説が知られている。周知のごと く二大叙事詩は後世に増補されて現在形になっているから、その應大な詩頌を歴史と見ることは出来な恥電 ※後期ヴェーダ時代、アーリァ民族のガンジス支流ジャムナ河旨冒且︵閏の冒匡目︶とガンジス河との中間の肥沃な平原へ進 出し定住した史実を証拠だてるものとして、例えばアヒチャットラシ三・。冨言画︵ガンジス中流の街︶の西方﹁サラスヴァ ティ留吋、、鼠三水に富むの意︶河の上流遺跡の発堀と通物がある。出土した灰色彩文土器の放射性炭素Mの測定で前千百年 から前五百年とされ、後期ヴェーダ文献の表現と一致す季で でいる。 ※ヴェーダ讃歌に見える強大な城砦含昌︶は、正しく先史インダス都市文明の遺跡群l國胃99・富o冨且。︲88.○言。g︲ 烏3.旨号且◎︲88.FO吾巴l等であって、それはヴェーダ詩掲に見える要塞化された城砦である事は疑う余地が全くな い。 古代インドの歴史意識︵町田︶﹃ヴェーダ讃歌﹄は全篇が神々を詠歎する旋律的な宗教讃歌である。後期ヴェーダ時代に宗教思想に変革が見ら れた。即ち﹁梵書呼豊目9画﹂から﹁奥義ご冒易且﹂へと新しい神秘主義的な哲学を生み出していったが、その 表現形式は二百に近い散文・韻文より成る書巻であって、周知のごとく﹁ウパ’一シャッド﹂の中心思想は梵我一如に 究極する根本の探究であり、また後期ヴェーダ文献の最後を形成することから﹁ぐggg﹂とも称せられている。 次に歴史意識と最も深く関わると思われる末法思想について少しく見ておきたい。一般に﹁末法思想﹂と云えば、 仏滅後に正法・像法・末法の三時を経過して仏教が衰退するとする仏教史観と解されている。特に﹁末法﹂は仏法衰 滅した濁世澆季の世とされ、危機意識が強く表現される時代とされている。 しかし初期の仏教経典に於ては、いまだ﹁末法観﹂は明確な形を見せてはいない。即ち﹁末法﹂時の受けとめ方 古代インドの歴史意識︵町田︶ インド史に於て、後期ヴェーダ時代と云えば、それはバラモン文化の樹立された時代、宗教文化の華が咲いた時代、 そしてヴェーダ文化の波がガンジス河・ジャムナ河の中央平原、クル地方に波及した時代とされている。しかし社会 制度の立場からみれば、閉鎖的・孤立的な農村社会を基盤として成立した一盃堅恭化であった。﹃ヴェーダ讃歌﹄を他
の世界の宗教蓋、たとえば藤鑿鑿蟹薙雷・蒙・教訓・預言の各簑ら成っているが、聖典としてユ
ダヤ教徒の信仰の典拠であると同時に、パレスチナの風土の歴史文書の性格を備えているのであ秀 ※ユダヤ教では、旧約聖書を⑩律法目。Hg。②予言書z画巨9.③諸書○言吾p巨冒の三部に分類して、その首文字を合せ て﹁弓画。:Eと呼んでいる。旧約聖書は創世記・出エジプト記・レピ記・民数記・申命記・エレミア記⋮⋮等々の各書から 成るが、聖書が歴史書の性格を担っている一例として、サムェル記の中で、ダピデ王朝の諸事件を記録しているが、その記録 は歴史的信怨性が高いとされている。 (“)右に参借した﹃大方等大集月灯経﹄に於て厨且今日ggg﹃今習画正法の消滅﹂と説示する、その﹁消滅﹂の語 意について、﹁正法が次第に衰退して消えて無くなる﹂と文字通りに解せば、正法時から像法時へ更に末法時へ至る 接点︵過渡期︶とすることが出来るが、﹃月灯三昧経﹄に於て扇且舎胃日習冨円与冒画﹂と﹁留邑冨罰目昌一冒画︸8の﹂ ︵ユ酎色で罵色﹃画弓8︵画︶︶︵の鼻ヨ鼻ざ.︵同︶︶含◎匡画昏垂︵画︶︶ が並記されていることを考えると、﹁正法の消滅﹂の意味を強めて、﹁絶滅﹂とか﹁滅亡﹂の意に転じて解することも 可能であり、また我々の理解している﹁末法観﹂を基にして、﹁悪世末法﹂・﹁末法濁世﹂の意に受けとめることも 許されよう。然しどのように解釈しても﹃月灯三昧経﹄からは、正像末の三時説は生まれてこないし、経典自体の内 容からしても、教法の衰退を具体的に求めることは無理があろう。 古代インドの歴史意識︵町田︶ が、単に仏滅後の﹁荒廃した時代﹂とか﹁人間の善悪の価値が顛倒した時代﹂という、散文的な表現がされており、 歴史的な現実をみつめる危機意識は乏しく、末法観の意識は未分化であることが窺えるのである。 初期の大乗経典の﹃月灯三昧経○m目愚胃画藍︲冒切四目且冨︲の黒目︵の︶﹄によれば、末法に相当する時代を表現する のに﹁荒廃の時代。胄匡怠去巴巴。﹁大恐怖の時代目昌豐冨冨︲冨旨﹂・﹁困難の時代の匡霞闇圖︲冨旨﹂。﹁滅尽の時代 扇四冨六巴、﹂などと示している。その表現を見ると、時間の経過とか、衰滅に至る経過を具体的に示す表記は見 当らない。そして﹃月灯三昧経﹄では、明らかに﹁末法﹂に当る語彙が﹁正法の消滅留邑冨円ョ習冨a冨息﹂と示 されている。しかも我々が﹁末法﹂の意で使用している﹁正法の滅亡留注冨司ョ閨甘且。g﹂と並記して説示され ている。 のmQQゴ、司尉ご画。一m﹃・云陣pm0汽固一mのpHごm雷のme・壷、討昌冒画︲ご﹄で吋口﹄○口のぐ口司一画H己陣口の目ご画のく画吋冒吋ロで陣含め画一﹃、ロ一画 。 柱︵鳩︶ ● ずゆず旦画。g匡函匡口凰冨すい壷三mpロロ言ぐゆユ芦冨す四コ匡旨己昌司匡Q・壷陣目、壷9画口g黒雲凹め。m丘ゴ胃回国 ●
古代インドの歴史意識︵町田︶ 次に原始仏典の阿含部を見るに、﹃雑阿含・相応部留日旨鳶画︲邑弄母この中で、﹁正法留呂冨日日画︵巳﹄・﹁正法 の消滅留邑盲目日習富国号習”﹂の語が説示されているが、雑阿含に於ける﹁消滅﹂の意味も、先の﹃月灯三昧経﹄ の説示と同意に解してよいのではないか。即ち、時代が経過して仏法が衰退、正法から像法へ、さらに末法に至ると いう危機意識︵悲感的な現世否定︶は表明されていない。 またパーリ聖典の中でも成立時の遅い﹃増一阿含・増支部シ品言富国︲己冨冒﹄を見ると、﹁仏滅闘円目9画目﹂・ ﹁正法留&富日日回﹂・﹁像法普&、日昌画冨胃号画冨﹂・﹁正法の消滅蟹&冨日昌冒冨圖合習い﹂などの語葉が説 示されて、恰も仏滅後に於て正像末の三時を経過する如くに見受けられるが、しかし﹁増支部﹂では末法思想を説示 したものではない。その事は﹁正法の消滅﹂の語が明らかにサンスクリットの﹁末法際&言﹃9画急胃巴。g﹂と同 義であるのに、正法・像法を経て末法に至るという意味が明確ではない。増支部の﹁静&富日日習冨圖号冒画﹂の語 には、仏法が衰退して末法濁世に突入するという危機感とは関係なく、文字通り﹁正法﹂の﹁消滅﹂の意で用ぃられ には、仏法が衰垣 ているのである。 右の﹁安楽行品﹂の一節は、我々日蓮宗徒にとっては馴染みのものである。右の説示を文字通りに解せば、﹁如 次に﹃法華経﹄の安楽行品を参借してみよう。 、。 BG 富、昼匡野昏OQ言印g言、己ロゴ勝g雪固の冨吾画函口冨望口も口風昌円弓厨望口も画⑰9日の弄巴のでpg目目の苗目、馬でp⑰g目ご陣骨 、D で畠。鼠巴冨日の目号胃ggp菖胃巴。固のぐ胃冨目目の目5日号日日§”q陣包め“目謁鰕腺昌冒百日§の匡喜画伽菩騨。 ● ● ● ケゴ画く画罫82諒す?、吾騨鼠。口。三m目目、冒す彦馬函曾の天m望甲函、冨己ぐ四℃扁冨斉甲函画冨昌箇. 文殊師利・如来滅後・於末法中・欲説是経・応住安楽行・若口宣説・若読経時・不楽説人・及経典趨︶ (96)
︵砺件︶ 古代インド人の関心の対象となったのは、超人間的な現象や偶発的な購異の現象、自然界の猛威の現象であった。 彼等は超人的な霊力を想定し、発現の根源を神格化していった。神格化された自然神として、例えば天神身自切・ 古代インドの歴史意識︵町田︶ 業を怠った。 のであった。 等の説示と共に、滅後の末法弘教を勧奨した典拠として、日蓮宗学上では格別の意義を有する所である。然し本拙 稿で当面問題としている古代インドの歴史意識の視点から見れば、安楽行品に説示される﹁末法﹂の意味は、末法澆 季の歴史的危機を踏まえたものではなく、仏滅後にやがてやって来るであろう﹁仏教衰滅﹂の時期に至っても、仏説 が衰滅することのないよう弘教を期待した願望の表現である。 滅していく永い期間﹂を﹁末法﹂と説示しているのである。 来滅後・於末法中﹂としているから、正法・像法を経過して末法濁世に至ると見るのではなく、仏滅後の﹁正法の消 ︵如来が入滅した後に、正法の衰滅する最後の五百年の間︶ 余事ながら、先の鳩摩羅什訳﹃妙法蓮華経﹄の安楽行品の説示は、 注︵咽︶ 法師品﹁而此経者・如来現在。猶多怨嫉・況滅度後﹂ 柱︵胸︶ 薬王菩薩品﹁我滅度後・後五百歳中・腐宣流布・於閻浮提・無令断絶﹂ ︵王朝︶︵政治・鰹済・社会・文化活動︶ 古代インド人は、自国の民族の興亡・国家の興廃・人間の活動・過去の事件など、それを歴史の記録として残す作 を怠った。過去の出来事は全て擬人化された神々の功業として讃詠された。その表現は修飾・誇張・想像に富むも
五むすびl歴史意識の欠如I
︵恩業︶ 総じてヴェーダ等のサンスクリット諸文献で語られている過去の出来事は、神話的であり、論究される事柄は神秘 的・超越的であり、語られる世界は永遠性・悠遠性という無限定な時間を想定している。 古代インドに関する應大な文献の中に、信懸性のある史書を欠いていることは、古代インド人の歴史意識の欠落を ︵職︶ 如実に示すものである。その欠落の要因として、側哲学と文芸に秀れたインド人は、思索と空想の産物と史実とを明 確に分ける意識を欠くことになったこと。②理想の追求に力を注いだために、現実を軽視する事になったこと。③長 期の統一国家、全領土を統一した王朝に恵まれなかった事は、国家や民族の意識を稀薄にしたこと。側インド数学を 創始しながらも、数学的思惟から離れたことは、具体的に数蚤的表現を怠ることになった。⑤数量的時間意識の未分 化は、歴史事実に関する記録を怠ることになった。⑥人生目標を﹁解脱﹂することに置いたことは、人生を諦観的に みつめる事となった。、人生目標を﹁法﹂と﹁性愛﹂に置いたことは、人倫組織を超越する傾向を強くしたこと。⑧ インドの特殊な風土は、人々の民族国家の意識を稀薄にしたこ&電等を指摘することが出来よう。 古代インドの歴史意識の欠如について、W・ヴィンデルバンドの創語を借りて云えば、﹁古代インド人は特殊的。 I 太陽神胃ごm・雷神冒号画・風神ぐごP・雨神闘﹃旨ご画・水神言画、などが知られている。而もこれらを擬人化す ることで、想像の世界で神々と睦み合うことに歓喜しているのであ浄 ※﹁ヴェーダ讃歌﹂に於ては、雷神旨号画を英雄軍神として擬人化することで、アーリァ民族戦士の理想の英雄を﹁インドラ 天﹂とオーバーラップさせてある。従ってアーリァ民族が先史インダス文明を破壊し先住ドラヴィダ民族を駆逐していった史 実は、全く神話の世界へと転換され﹁インドラ天が大敵ダスュロ画切言︵卑狼なる賎しき者︶を滅ぼす﹂という、インドラ天 の讃詠に変えられているのである。 古代インドの歴史意識︵町田︶ (”)
一回的事件を求めることなく、而も単称的号同盟習一目の。確然的命題号同酌めぬの﹃8号号ののg函つまり個性記述的学 問昌。、国で三の号。:言の目鼻農︵歴史科字︶を発達させることがなかつ趣電のである。 ①pp宍0mm目豆一目言○巨富同の口且gく曽闘g8.9画。sの口昌己旨旨冨の8﹃一。巴○匡昌口の・山崎利男訳﹃インド古代中匡 三’四頁。二○’二一頁。昭和四一年・岩波書店。 ②中村元博士によれば、インド人の歴史意識の欠如について﹁⋮⋮インドの史書は、史書というより芸術作品である。それは通 例韻文をもって著されている。⋮⋮インド人は芸術的視点から過去を美化し、理想化するのである。従って数学とか前後の順 序とか地域・場所とかの正確なる記戦という無味乾燥なことはこれを遠ざけるのである⋮⋮﹂︵﹁東洋人の思惟方法﹄第一部イ ンド・シナ人の思惟方法’二四四頁・昭和二三年・みすず書房︶。 ③インド社会におけるカースト︵身分制︶の問題は、古代インドという限られた歴史の問題ではなく、当に現代インドにおける 生々しい政治的・社会的・人権的の問題である。その事例を朝日新聞ニューデリー支局長・長岡昇氏の通信寄稿を転戦して参 注 。﹁インドの深い苦悩lカースト抗争、再燃か﹂←﹁インド独特の身分差別制度カーストをめぐる抗争が再燃する気配を見せて いる。火元はネパールに接する人口がインド最大の州・ウシタルプラデシュ州だ。インドの縮図といわれるこの州で二年前、 イスラム教モスク破壊事件をきっかけに宗教暴動が起き、ヒンズー、イスラム両教徒の抗争が全国に広がった。その揺りもど しで昨年十一月、州議会選挙では暴動の引き金を引いたヒンズー至上主義の宗教政党が敗れ、﹁カースト政党﹂の社会党・大 衆社会党連合が大曜進した。社会党の支持基盤は後進農民カースト、大衆社会党は最低辺の被差別カーストが票田。両党とも 宗教融和を訴えイスラム教徒の支持を得て州政権を握った。新政権は⋮⋮宗教政党の息のかかった官僚を閑職に追いやり、政 権幹部の属するカースト出身者を昇進させる露骨な人事を始めた。そのうえ、地方公務員の採用や大学入学枠の五○%を後進。 被差別カースト出身者に割り当てる政策を打ち出した。上・中位カーストは猛反発している。とくに被差別カーストの少ない ヒマラヤ山麓ウッタラヵンド地方の反対は激しく州の分離運動に発展した。十月上旬には州の分離を要求するデモ隊が首都に 向かおうとして治安部隊と衝突し十数人が死亡した。州政権は﹁わが州はイスラム教徒を加えれば後進・被差別人口比は七○ 考としたい。 古代インドの歴史意識︵町田︶
古代インドの歴史意識︵町田︶ %を超える。まだ控えめなくらいだ﹂という。南部諸州でもカーストが政治の前面に出つつある。宗教暴動・地震・ペスト。 そしてカースト抗争、インドの苦悩は深い。︵平成六年十月二十一日・朝日新聞・ミニ時評欄︶ 側玄美撰﹃大唐西域記﹄大正蔵五一巻四八七五頁。 ⑤旨冒、菌︲鼻胃目、由勝言画・田辺繁子訳﹃マヌの法典﹄第三章二三二条岩波文庫一○四頁。 ⑥嬰回目他のい、弓鴬鈩﹃吾恩勝胃、9百匡己]p恥中野義照訳﹃カウテイルャ実利論﹄第一巻第三章九頁・昭和二○年・生活社。 、注⑥同書・第一巻第五章十一頁。 ⑧坂本・岩本共訳注﹃法華経﹄下巻十二頁・岩波文庫。 ⑨注⑧同書・下巻二八頁。 伽辻直四郎訳﹃リグ・ヴェーダ讃歌﹄岩波文庫一五○’一五一頁・昭和四五年刊。 伽注⑩同書・一五四頁。毎日新聞社編﹃東洋の名著﹄所収﹁ヴェーダ識歌﹂一七○頁併参照。 伽岩波講座・世界歴史第三巻古代3.所収・小西正捷﹁インダス文明とアーリ世界の背景﹂。世界美術全集︵全二九巻古代初期・ 所収﹁インダス文明の美術﹂平凡社・昭和二六年刊。 ⑬岩波講座・世界歴史第三巻所収・岩本裕﹁アーリァ世界とガンジス古代諸国﹂参・ 側後期ヴェーダ時代にアーリア民族がガンジス流域へ進出したとするものに、叙事詩﹁マハーパーラタ﹂の中で展開されている クル族の﹁クル・クシエトラ冒昌訂の言、︵現デリー近郊︶﹂における大斗争を語る詩偏の内容がガンジス河進出を語ってい るとする。その事は﹁カター・サリット・サーガラ冨吾口’3鼻︲m凋口目﹂︵岩波文庫︵全四巻︶四巻一五三’一五四頁︶中 でも語られていること。またマハーパラタの英雄﹁パリクシット王勺胃弄mEとその子孫ジャナメージャ王の名が﹁ブラフ マナ文献﹂に見える事が、アーリア民族進出の事実を語っているとする。岩波講座・世界歴史第三巻古代3所収・岩本裕﹁アー リア世界とガンジス古代諸国﹂参照。 ㈱z・ロ匡蔦9行諄冨、ロ匡mo凰亘、ご巳・P。、凰日・口おつlお﹄. 月灯三昧経の説く末法観の詳しい研究は、密波羅鳳洲﹁三昧経における時機観﹂︵日本仏教学界年報四九号︶を参照された 、。 ← 側詞ぽ・ぐ口匙買興の且号日日口で匡且胃弄p︲呂耳p・国巨&言騨の画口の胃詳弓の曽・zO観勺・︺g・ ロ・言○m誉画Hpm。・○弓、匡呂丘輿のmQqきゆ同旨、で壱○口﹃弄画︲の三門閏昌.”o冒画口旨且価回・くのama弓の嵐.固]全 (IOO)
叩坂本幸男・岩本裕訳注﹃法華経﹄中巻二五六頁・岩波文庫。 側注⑰同書・中巻一五二頁。大正蔵九巻㈹三六頁。 側坂本・岩本訳注﹃法華経﹂下巻二○六頁。大正蔵九巻H五四頁。 剛中村元﹃比較思想史﹄岩波全書二○一’二○二頁。 倒乏・乏旨号仔、。goの、。言。宮口且zg胃昌ゆめのpmo冨震屋震。篠田英雄訳﹁歴史と自然科学﹂岩波文庫八・二二・三○頁 昭和四年十二月刊。 古代インドの歴史意識︵町田︶ ︵平成六年十一月二十八日︶