テレビもなく娯楽も少なかった時代、誰 もが夢中になったのは映画でした。 中宮映画劇場は昭和 18年頃、地元の実業 家 ・ 徳永和三郎さんが現在の都丘町に建設。 近くにあった陸軍の枚方製造所で働く人た ちを中心に多くの人でにぎわいました。戦 後 、映画人気が高まるなか 、﹁笛吹童子﹂ などチャンバラ映画の上映日には子どもた ちが行列を作り、スクリーンに向かって大 きな声援を送ることも 。﹁お客さんは売店 でみかん水とおかきを買って映画を観るの が定番でした﹂と話すのは、劇場の手伝い をしていた徳永さんの三男 ・ 司さん ︵ 63歳︶ 。 ﹁父は香里園や岡本町でも劇場を経営して いて、重たいフィルムを抱えていつも自転 車で走り回っていました。映画でみんなを 笑顔にしたかったのでしょうね﹂ 。 和三郎さんは昭和 28年頃、劇場の北側に 25m と子ども用の 2 つのプールを備えた ﹁徳永遊園プール﹂も開園 。当時 、市内に は枚方小学校にしかプールがなく、夏休み には大勢の子どもたちが訪れました。劇場 のすぐ近くに住んでいた泉太郎さん ︵ 68歳︶ は﹁ふんどし一丁で泳いでいましたよ。水 は地下水だったので冷たかったなあ﹂と笑 顔で話します。 昭和 43年に和三郎さんが亡くなり、映画 館の経営は他に移りました。プールは 46年 頃に廃業。映画館があった場所は住宅にな りましたが、プールをそのまま再利用した 駐車場には今も飛び込み台の番号が残り 、 当時をしのばせてくれます。 ︵平成 24年 4 月号︶
22面 中宮映画劇場(昭和18年頃) (ファイル名:54929.pdf サイズ:541.64KB)
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