『混沌から発展へ 南アジアの現在を問う』との総合テーマで、南ア ジア学会創立30周年記念シンポジウムが各地で開催された。1988年に創 設された本学会は、30年という節目を迎えたが、その間の南アジアの変 貌は、多くの研究者の想像を絶するものであった。その中で、どのよう なシンポジウムがふさわしいものだったのか。 シンポジウムは、第1回の神戸を皮切りに、東京、仙台、福岡、京都、 金沢と続いた。筆者はその一部にしか出席していないため、各会場での 状況を十分には把握していない。ここでは、本企画の実現に最初から携 わったものとして、今後記念行事などが企画されるであろうことも想定 し、趣旨と内容、反省を概括しておきたい。 連続シンポジウムの意図の一つは、学会が30年にわたって積み上げて きた成果を学会員以外にも還元する形にすることであった。入り口を平 易にして専門的な話へと進む、テーマに沿って複数のディシプリンから の議論になるように論者を組み合わせる、論者の選定では、若手とシニ ア、男女、インドと周辺地域のバランスを配慮する、などを出発点に置 いた。加えて、2000年代に入ってからの、『現代南アジア』、『現代イン ド』、『激動のインド』などの和文シリーズ出版や英文での研究業績発表 の一般化、現地情報や一次統計データがネットを通じて入手できるとい う研究環境の大きな変化を踏まえて、日本の南アジア研究が、今後どの ような方向に進んでいくかをも示す企画であるべきとされた。 以上の認識をもとに、各地の担当者と協議が進められ、総合テーマが 定められた。以下は、各シンポジウムの概括であるが、各回の報告者と タイトル、および報告内容は、本誌の担当者報告に示されているので、 それらも合わせて参考にされたい。 第1回「ナレンドラ・モディ政権下のインド」(神戸)は、経済、政 治、社会、外交の4側面から、シンポジウム開催時点で長期安定政権を 築くかに見えた BJP 政権下のインド社会の現状を分析し、それぞれの
シンポジウムの趣旨と概要
水島 司
104分野での今後の動きを見通そうとしたものであった。モディ政権が内 政・外交のいずれにおいても見せている政策運営の巧みさ 暴力的戦略 も含めて が示されると共に、それが今後も継続しうるための条件が示 された。第2回「インド政治の過去と現在 支配の正統性をめぐって」 (東京)では、支配の正統性がいかに確保されようとしてきたかをめ ぐって、エキサイティングな議論が展開された。扱われた時代は、イン ダス文明に始まり、ヴェーダ時代、ムガル時代、独立運動期、そして現 代にまでわたった。いずれの時代においても、支配の正統性が複層性・ 多系性を帯びており、支配者と被支配者、世俗権力と宗教的権威、指導 者と民衆、国家と地方、制度と実体などの間の様々なズレや差異をとも ないながら支配がなされるという、一筋縄ではいかないインド社会の性 格が浮き彫りになった。第3回「南アジアにおける表象と身体」(仙台) では、南アジアの文化的特徴が、対照的な二項が表象と身体を媒介させ て交錯することにあるという認識を出発点にして、ヨーガ、古典舞踊、 神霊祭儀、映画がとりあげられた。そこでは、各分野の特徴が論じられ ると同時に、それぞれが時間や空間を超えていく動きの中で、どのよう な外的環境にどのように具体的に対応していったかが議論された。「伝 統」とされる南アジアの各種の文化的営為が、したたかな変容を見せな がら増殖してきている様子が見事に明らかにされた試みであった。 南アジアのめざましい経済成長の軌跡の中で、教育をめぐる問題はま すますその重要性を増している。第4回「教育からとらえるインドの現 在 多様性のなかの平等を考える」(福岡)は、義務教育の一般化とい う新たな政策下で浮き上がってきた格差の問題を扱った。義務教育の普 及や高等教育機関の近年の激増は、教育がもたらす社会の革新に結びつ くかのようであるが、そこには、男女格差、障害児の排除、学校間の教 育の質の格差、未就学児の存在などの幾つもの問題が山積している。コ メンテーターは現在の教育問題研究には、従来の研究枠組みを刷新した 個を中心とする新たな視角が必要であり、各報告はその方向に沿ったも のであると指摘している。同様な指摘は、他の南アジア研究の分野にも 当てはまろう。報告者の一人が述懐するように、教育 もしくは教育研 究 のみが果たしうる役割は限定的であり、多面的なアプローチが必要 であるかもしれない。しかしなお、社会の進展に教育が決定的に枢要な 役割を果たしてきたことも事実である。教育がもつ大きなエネルギーを 学会近況 特別企画 日本南アジア学会30周年記念 連続シンポジウム シンポジウムの趣旨と概要 105
確信しつつ、研究が進んでいくことを期待したい。 さて、近年の南アジアの変化は、目に見える社会の中だけではなく、 人々の身体感覚にも確実な変化を及ぼしているようである。第5回「感 覚からみるインド世界 動物・生業・芸能」(京都)は、絵画、写真、 音楽、舞踊をとりあげ、暮らしの中で人がもっとも近い関係を持ち続け てきた動物に焦点をあて、その関係の変容を扱った。人と動物、さらに はそれらを取り巻く自然と超自然の存在がかつてはどのように視覚化さ れていたかに始まり、牛の忌避、肉・皮・生と死がぶつかり合う現実、 視界からの動物の消失、そしてそれらの動きに反比例するかのような象 徴化の問題へと展開したそこでの議論は、社会が大きく変容する中で、 個の内部が感覚の次元まで変容しつつあることを示した企画であった。 思想と感覚とにどれほどの緊密さと距離があるのか。もし、社会変化 が感覚の変容をもたらしているのであれば、両者は緊密に通底している に違いない。hindutva という語とそれにまつわる思考枠組みが、20世 紀末から現在に至るまでインド社会を大きく揺るがしてきた現実からす れば、思想と感覚との強い連関が想定しうる。問題は、その緊密な連関 と個の内部への沈殿が、不変なのかどうかにある。第6回「ヒンドゥイ ズム再考 時代を超えた変動とその余白」(金沢)は、ヒンドゥー教、 ジャイナ教、自他認識、祭祀、コミュナリズムをテーマにして、ヒン ドゥイズムがインド社会にいかに対応し、その変革し、あるいは自ら変 貌してきたかを議論するものであった。ここにおいても、古典、正統と されるものが、実際には時代に適応してその役割と実態を変化させ、し ぶとく社会あるいは個の内部に変化を遂げながら再生産されていくとい うインドの特徴が示された。 全体を振り返って、インド以外についての報告がなかったことが大き な反省点である。最後に、準備が遅れたなかで、また近年の常態化した 激しい天候変化により急遽日程変更を強いられることもあったなかで、 研究の着実な深化と成長を示して頂いた各担当委員と報告者、コメン テーター、および内川秀二担当理事に深く感謝したい。今後の研究の深 まりと学会の発展を望んでやまない。 みずしま つかさ ●2016−2018年度理事長 南アジア研究第30号(2018年) 106