海 外 移住 と して の 「
本 土 」就 職
-沖 縄 か らの集 団就職-山
口
覚
I は じめ に II 集 団就 職 の 諸 制 度 と沖縄 (1) 集 団就 職 とは何 か (2) 沖縄 の位 置 づ け III「 本 土 」へ の 集 団就 職 (1) 米 軍支 配 下 で の就 職 難 (2) 集 団就 職 の 開 始 と拡 大 (3)「 本 土」 か らの 求 人 と就 職 地 (4) 集 団就 職 の社 会 問 題 化 IV 3つ の 政府 の は ざ まで (1)「 キ ャラ ウ ェ ー旋 風 」 下 の 中止 命 令 (2) 中止 命 令 を め ぐる反 応 (3)『 海 外 へ の 職 業 紹 介 業 務 取 扱 要 領』 の 制 定 V「 本 土 」 へ の あ こが れ と現 実 へ の 対 応 (1)「 本 土 」 へ の あ こが れ (2)「 本 土 」 へ の移 動 と就 職 (3) 合 宿 訓 練 と 「本 土 」 就 職 マ ニ ュ ア ル (4) 海 外 と して の 「本 土 」 VI お わ りに キ ー ワ ー ド: 集 団 就 職, 労 働 市 場, 琉 球 政 府, 琉 球 列 島米 国 民 政 府 (米 民 政 府), 日本 「本 土 」, 沖縄 I は じめ に 1) 沖 縄 は1945年 以 来 ア メ リカ軍 の支 配 下 に あ り, サ ン フ ラ ン シス コ講 和 条 約 (1952年発 効) に よ っ て沖 縄 の施 政 権 は ア メ リカ合 衆 国 に正 式 に移 譲 され た。 沖 縄 に とっ て 「本 土 」 は 「海 外 」 と な り,「本 土 」 へ の 渡 航 に は 「パ ス ポ ー ト」 と 呼 ば れ た 身分 証 明書 が 必 要 とさ れ た の で あ る。 しか しな が ら沖 縄 の潜 在 主 権 は なお も 日本 政 府 が有 して お り, 当時 沖 縄 に置 か れ てい た琉 球 列 島米 国 民 政府 (米民政府), 沖縄 の 人 々 に よ る琉 球 政 府, そ して 日本 政 府 とい う3つ の政 府 が 沖 縄 に 園与 す る こ とに な る。 こ の よ うな状 況 下 で 沖 縄 の人 々 は生 活 し 「本 土 」 と交 流 して い た。 1957年 に 開始 され た沖 縄 か ら 「本 土 」 へ の 集 団 就 職 は そ う した交 流 の興 味 深 い事 例 の1つ で あ る。 一 般 に集 団就 職 と呼 ばれ る現 象 は 「高 度 成 長 期 にお け る新 規 学 卒 者 の制 度 化 され た大 規模 な 労 働 力 移 動 」 の こ と で あ り, 後 述 す る よ うな 「全 国統 一 的 」 な広 域 的 職 業 紹 介 ・計 画 輸 送 制 度 に よ っ て実 施 され た。 本 稿 で は行 政 用 語 で は ない 集 団就 職 の語 を あ え て用 い る。 高 度 成 長 期 の キ ー ワ ー ドの1つ で あ る こ の言 葉 は, 移 動 ・ 移 住 現 象 を 「個 人, 家 族, 社 会 集 団, コ ミュ ニ テ ィ, そ して 国家 に とっ て豊 富 な意 味 を持 つ 文 1) 1972年 の施 政 権 返 還 前 の 公 称 は 「琉 球 」 で あ り, そ れ 以 降 は 「沖 縄 県 」 で あ るが, こ こで は 「沖 縄 」 で 統 一 す る。2) 化 的 イベ ン ト」 と見 る よ うな視 角 に お い て ふ さ 3) わ しい と思 わ れ る。 数 多 くの 聞 き書 き に よっ て 構 成 さ れ た編 著 『庶 民 が つ づ る 沖 縄 戦 後 生 活 4) 史 』 に 「集 団就 職 」 とい う章 が あ る よ うに, 戦 後 の沖 縄 を語 る上 で もこの 言 葉 は 無視 で きな い もので あ る。 沖 縄 か らの 集 団就 職 につ い て は加 5) 6) 瀬 の概 説 な どが あ るが,「 全 国統 一 的 」 な シ ス テ ム にお け る沖縄 の 位 置 づ けや 制 度 化 の 過 程 は こ れ まで 明 らか に され て こな か った。 近 年 の人 口 ・労 働 力 移 動研 究 で は 人 々 の移 動 に お け る社 会 的 ・制 度 的 影 響 や 移 動 要 因 の複 雑 7) 性 が 重 視 され る。 山 口 ・江 崎 は新 規 学 卒者 の 労 働 力 移 動 が 特 定 地 域 間 で 制 度化 され て い る こ と 8) を 明 らか に し, 筆 者 は都 市 イ メ ー ジ と集 団就 職 9) の 関係 を確 認 した。 労 働 市 場 や 労働 力 移 動 に作 用 す る諸 制 度 に言 及 した研 究 は 現在 で は珍 し く 10) な い。 特 に広 域 的 職 業 紹介 制 度 につ い て は 苅谷 11) らに よるす ぐれ た 概 説 書 もあ る。 また, 川 崎 は 1960年 代 に 「歴 史 的 伝 統, 縁 故 関 係, 強 力 な勧 誘, 賃 金 格 差, 労 働 条 件 が 社 会 的 心 理 的 な条 件 とか らみ合 って 流 動 方 向 を決 定 して い る」 と し 12) て移 動 要 因 の複 雑 性 を指 摘 した。 人 々 の移 動 に は実 際 に数 多 くの興 味 深 い エ ピ ソ ー ドが 含 まれ る。 近 年 で は人 類 学 者 ク リ フ ォ 13) ー ドな どの影 響 も受 け なが ら, 移 動 者 の 「空 間 的実 践 」 を詳 述 す る た め に記 述 的 ・民 族 誌 的 ア プ ロ ーチ を採 る研 究 も増 えつ つ あ る。 集 団 就 職 とい う文 化 的 イベ ン ト全 体 を研 究 す る素 地 は よ うや く整 いつ つ あ る。 沖 縄 か らの集 団就 職 につ い て語 る場 合 で も, そ れが3つ の政 府 の 間 で い か に制 度 化 さ れ実 施 さ れ た の か とい う問 題 と と もに, 政 策 決 定 者 や 集 団就 職 者 の意 識 や 行 動 に も 目を 向 け る必 要 が あ る。 制 度 を作 り出 し実 施 す る主 体, あ る い は そ う した制 度 を利 用 す る主 体 そ れ ぞ れ の姿 を と らえ て は じめ て集 団就 職 の 「豊 富 な 意 味 」 を見 出 す こ とが で きる。 沖 縄 か
2) (1) Fielding, T.,‘Migration and culture’, Champion, T. and Fielding, T. eds., Migration processes and patterns
vol-ume1: research progress and prospects, Belhaven Press, 1992, p. 201. (2) McHugh, K. E.,‘Inside, outside, upside
down, backward, forward, round and round: a case for ethnographic studies in migration’, Progress in human
geography, 24-1, 2000, p. 72. こ こで 「文 化 」 の語 が用 い られ て い る の は, 人 口 ・労 働 力 移 動 を 単 な る経 済 的 な 現象 と して 見 るだ け で な く, 諸 主体 の 意識 や 意 図 に も注 目す る た め で あ る。 3) 山 口 覚 「文 化 的 イ ベ ン トと して の 集 団就 職-高 度成 長期 に お け る新 規 学 卒 労 働 者 の移 動 と生 活 に関 す る覚 書-」 人 文 論 究51-3, 2001, 66-81頁。 4) 沖 縄 タイ ム ス社 編 『庶 民 が つ づ る沖 縄 戦 後 生 活 史』 沖 縄 タ イ ムス 社, 1998。 5) 加 瀬 和 俊 『集 団 就 職 の 時代-高 度 成 長 の に な い手 た ち-』 青 木 書 店, 1997, 162-167頁。 6) 沖 縄 か らの 集 団 就 職 に 関 連 す る エ ッセ ー は い くつ か あ る。(1)青 い海 出版 社 編 「本 土 就 職 者 とい う名 の 若 者 た ち」(『は だ か 沖 縄 ジ ャ ン プ ・イ ン 《沖 縄 》 青 春 広 場 』 六 月 社 書 房, 1972) 181-228頁。(2)瑞 慶 覧 薫 「沖 縄 集 団就 職 者 の 光 と影 」 現 代 の眼17-1, 1976, 194-203頁。(3)沖 縄 タ イ ム ス 社 編 『あ す へ の 選 択 沖 縄 経 済-実 像 と展 望 ・上 』 沖縄 タ イ ム ス 社, 1979。(4)玉 城 利 則 「沖 縄 か ら の集 団就 職-関 西 沖 縄 青 少 年 の集 い 「が じ ゅま る の 会 」 の 結 成-」 け ー し風30, 2001, 32-33頁, な ど。 ま た 直接 ・間接 に集 団就 職 者 を扱 っ た研 究 は少 な くない。(5)谷 富 夫 『過 剰 都 市 化 社 会 の 移 動 世 代 』 広 島 女 子 大 学, 1989。(6)佐 藤 嘉 一 「『復 帰 』 世 代 の 「本 土 移 住 』 体 験 」 立 命館 大 学 人 文科 学 研 究所 紀 要68, 1997, 113-191頁。(7) 岸 政 彦 「文化 的抵 抗 と自 己表 象 の ア ポ リ ア-あ る在 阪沖 縄 人 の語 りか ら-」 沖 縄 文 化36-1, 2000, 51-71頁, な ど。
7) (1)堤 研 二 「人 口 移 動 研 究 の 課 題 と視 点 」 人 文 地 理41-6, 1989, 41-62頁。(2) Gordon, I.,‘Migration in a segmented
labour market’, Transactions, institute of British geographers, NS20-2, 1995, pp. 139-155. (3) Lawson, V. A.,
‘Arguments within geographies of movement: the theoretical potential of migrants' stories’, Progress in human
geography, 24-2, 2000, pp. 173-189. (4) 谷 謙 二 「就 職 ・進 学 移 動 と 国 内 人 口移 動 の 変 化 に 関 す る分 析 」 地 理 学 研 究 報 告 (埼 玉 大 学教 育学 部) 20, 2000, 1-18頁, な ど。 8) 山 口泰 史 ・江 崎 雄 治 「高 校 生 の就 職 にお け る組 織 的求 人 シス テ ム につ い て-女 子 就 職 者 にお け る西 南 九 州 と 中京 圏 の 結 び つ きか ら-」 季 刊 地 理 学54-2, 2002, 92-104頁。 9) 山 口 覚 「工 都 尼 崎 市 の求 職 開拓 政 策 」 地 域 史 研 究28-3, 1999, 33-55頁。 10) (1)友澤 和 夫 「わが 国周 辺 地 域 にお け る 『非 自立 的 産 業 』 の展 開 と地 域 労 働 市 場 の構 造-熊 本 県 天 草 地 方 を事 例 と して -」 経 済 地 理 学 年 報35-3, 1989, 21-40頁。(2)吉 田 容 子 「繊 維 工 業 に お け る 労働 力 供 給 地 と性 別 職 種 分 業 の 変 化 」 人 文 地 理46-6, 1994, 1-22頁。(3)加 茂 浩 靖 「わが 国 『周 辺 地 域 』 にお け る地 域 労 働 市 場 の 性 格 と労 働 者 の 環 流 移 動-鹿 児 島 県 姶 良 地域 を事 例 と して-」 人 文 地 理51-2, 1999, 24-47頁, な ど。 11) 苅 谷 剛彦 ・菅 山真 次 ・石 田 浩 編 『学 校 ・職 安 と労 働 市 場-戦 後 新 規 学 卒 市 場 の 制 度 化 過 程-』 東 京 大 学 出 版 会, 2000。 12) 川 崎 敏 「三 大 労 働 市 場 にお け る吸 引 労 働 力 の 地 域 構造 」 地 理 学 評 論36-8, 1963, 31-48頁。 13) た と え ば, ク リ フ ォ ー ド (毛利 嘉 孝 他 訳)「 ル ー ツ-20世 紀後 期 の旅 と翻 訳-』 月 曜社, 2002, な ど。
-22-らの 集 団 就 職 は就 職者 自身 や労 働 行 政 ・教 育 関 係 者, 3つ の 政 府,「 本 土 」 企 業 な どの 多 様 な 主 体 に よ る様 々 な 思惑 の 中 で進 め られ て きた の で あ る。 一 般 に集 団就 職者 は 「高度 成 長 の に な い 手 た ち」 と し て 賞 賛 さ れ な が ら,「 国 策 と し て の 14) 『集 団就 職 』」 に翻 弄 され て きた 受動 的存 在 と も 考 え られ て い る。 しか し沖縄 ・奄 美 出 身者 の事 例 で す で に言 及 さ れ て い る よ う に, 故 郷 へ の Uタ ー ン を前 提 と し, 労 働 力 移 動 を 人 生 に お け る 「キ ャ リア 形成 」 の手 段 と考 え る者 は少 な 15) くなか った。 後 述 す る よ うに多 くの沖 縄 出 身者 16) は 「本 土 」 や 「都 会 」 に 「あ こが れ 」 の 意 識 も 持 って い た。 集 団就 職者 は単 な る受 動 的存 在 で はな い し, か つ て の労 働 力 移 動 研 究 が しば しば 前提 と して きた 単純 な合 理 的意 志 決定 者 で もな い。 彼/彼 女 らは 「本 土 」 や そ こで の就 職 に何 ら か の 動 機 や 希 望 を持 ち, 集 団 就 職 に よ っ て 「本 土 」 の現 実 に触 れ たの で あ る。 こ う して 沖縄 と 「本 土 」,「日本 」 との非 対 称 17) な 関係 も問 わ れ る こ とに な る。 戦 前 の 「本 土 」 労働 市場 で は 「朝 鮮 人琉 球 人 お 断 り」 とい う差 18) 別 的 な 雇 用 慣 行=「 沖 縄 的 労 働 市 場 」 が あ り, 19) 戦後 にな って も同様 の状 況 が見 受 け られ た。 し か も 「海外 」 か ら来 た戦 後 の沖 縄 出 身者 へ の対 応 は, あ る 意 味 で戦 前 以 上 に複 雑 な もの とな っ て い た は ず で あ る。 谷 は沖 縄 か ら 「本 土 」へ の 出郷 につ い て ドイ ツ に お け る ガ ス トア ルバ イ タ ー の よ うな 「『異 民 族』 の 往 来 の ご と き相 貌 」 20) と表 現 した。 少 な か らぬ 数 の沖 縄 出 身者 は精 神 21) 的 な苦 痛 を覚 え, 犯 罪 を犯 した り自殺 す る者 も い た とい う。作 家 ・大 江 健 三 郎 は沖 縄 か ら集 団 就 職 した3人 の少 年 に よ る強 盗 事 件 (1969年6 月) に 際 し次 の よ う に 問 う。 「こ れ らの 少 年 た ち に とっ て, 日本 とは どの よ うな現 実 の場 で あ 22) っ た だ ろ うか ね?」。 こ こで 一 貫 して 問 題 と な る の は沖 縄 と 「本 土 」 の 間 に あ る 「距 離 」 で あ る。 距 離 とは地 理 的=物 理 的距 離 な い し空 間 的 障壁 で あ り, 同時 に社 会 的 ・心 理 的 な懸 隔 で もあ る。 本 稿 の 目的 は, この距 離 を克 服 して沖 縄 を 「全 国統 一 的」 な労 働 市 場 に包 摂 し よ う と した諸 制 度 や, そ の 距 離 を様 々に意 識 した で あ ろ う人 々 の姿 を描 き 出 し, 沖 縄 か ら 「本 土 」へ の 集 団就 職 を総 体 的 に把 握 す る こ とに あ る。 以下 第II章 で は集 団 就 職 の全 国統 一 的 な実 施 方 法 と, そ の 中 で の沖 縄 の位 置 づ け とい っ た制 度 的側 面 を概 説 す る。 第III章で は沖 縄 か らの集 団就 職 の特 徴 を 明 らか にす る。 す な わ ち集 団就 職 が 開始 され た理 由, 「本 土 」 就 職 の 在 り方 や 就 職 者 数 な どで あ る。 第III章で は米 民 政 府 に よる集 団就 職 の 「中止 命 令 」 事 件 (1963年) と そ の 翌 年 に 制 定 さ れ た 『海 外 へ の 職 業 紹 介 業 務 取 扱 要 領 』 を取 り上 げ る。3つ の政 府 の 間 で 実施 され た 沖縄 か らの集 団就 職 の特 殊 性 は この事 件 に お い て集 約 的 に表 れ た。 特 に送 出側 の琉 球 政府 の 意 向 が注 目さ れ 14) 簾 内敬 司 「難 民 の戦 後 史-集 団就 職 ・出稼 ぎ と列 島 の縁-」(上 村 忠 男 他 編 『歴 史 を問 う5 歴 史 が書 きか え られ る時 』 岩 波 書 店, 2001) 217頁。 15) 前 掲6)(5)。 上 原 慎 一 「職 業系 高校 生 の 進 路 形 成 と 『県 外 』 就 職-奄 美 ・鹿 児 島 の 事 例 か ら-」(鹿 児 島経 済 大 学 地 域 総 合 研 究所 編 『ボ ラ ン タ リ ー ・エ コ ノ ミ ー と地 域 形 成 』 日本 経 済 評 論 社, 1998) 298頁。 16) 都 会へ の あ こが れ の 意 識 は戦 前 か ら見 られ た とい う。 水 田憲 志 「日本 植 民 地 下 の 台 北 にお け る 沖縄 出 身 『女 中』」 史 泉 98, 2003, 43頁。 17) た だ し地 理 学 界 で は こ う した 問題 を取 り上 げ た研 究 は少 な い。 た とえ ば, 大 城 直 樹 「地 域 ア イ デ ン テ ィ テ ィ と歴 史 意 識 の 交 錯 と変 容-沖 縄 にお け る歴 史 修 正 主 義 に 関 して-」(「 郷 土 」研 究 会 編 『郷 土-表 象 と実 践-』 嵯 峨 野 書 院, 2003) 248-267頁。 18) 冨 山一 郎 『近 代 日本 社 会 と 「沖 縄 人 」-「 日本 人」 に な る と い う こ と-』 日本 経 済 評 論 社, 1990。 19) 山 口 覚 「複 雑 化 す る 『結 び あ い』-戦 後 兵 庫 県 に お け る沖 縄 出 身者 の都 市 生 活-」 地 理 科 学57-1, 2002, 23-44頁。 20) 前 掲6)(5)293頁。 21) (1)風間興 基 「出 かせ ぎ精 神 病-沖 縄 県 人 の事 例 を め ぐっ て-」(『 現 代 のエ ス プ リ別 冊 現 代 人 の 断絶5 文 化 と断 絶』, 1978) 122-138頁。(2)金 城 実 「方 言 問 題 と集 団 就 職 青 年 た ち 」 沖 縄 問 題11, 1983, 15-19頁。 22) 大 江 健 三 郎 『沖 縄 ノ ー ト』 岩 波 書 店, 1970, 26頁。
る。 第V章 で は 「本 土 」 へ の あ こが れ の 意 識 と 現 実 の ギ ャ ッ プ, そ れ を解 消 す る た め に 実 施 さ れ た 「合 宿 訓 練 」 の 内 容 な ど を見 て み た い。 中 23) 止 命 令 につ い て は大 田 な どの, 合 宿 訓練 に つ い 24) て は小 熊 の 簡 単 な 記 述 もあ る が, こ こで は さ ら に詳 述 す る。 沖 縄 に限 らず, ロー カ ル ・レベ ル で の 集 団就 職 の 実 態 は これ まで あ ま り解 明 され て い な い。 毎 年 ほ ぼ 同形 態 で 実 施 され た 集 団 就 職 で は 各 年 ご との行 政 資 料 が 保 存 され な か っ た こ と もそ の 25) 一 因で あ ろ う。 沖縄 につ い て は, 1967年 前後 に 作 成 され た 琉 球 政 府 労働 局 職 業 安 定 課 の 資 料 集 が 沖 縄 県 公 文 書館 に保 管 され て い た。 これ と と も に各 種 の 資 料, 琉 球 新 報 (以下 「新 報」 と略 称) な どの新 聞記 事 もあ わ せ て利 用 す る。 沖縄 か らの 集 団就 職 が 開 始 され た1957年 か ら計 画 輸 送 が 終 了 した1976年 に至 る約20年 間 を本稿 の 主 な対 象 時 期 とす る。 基 本 的 に新 規 中 卒 者 ・高 卒 者 が 中心 的 な対 象 と な るが, 集 団 就 職 とい う言 26) 葉 に は若 年 の 一 般 就 職 者 の移 動 も含 まれ る。 こ こで は, 公 共 職 業 安 定所 を介 して 「本 土 」就 職 した若 年 沖 縄 出 身者 全 体 を 「『本 土 』 就 職 者 」 と して 見 て い きた い。 た だ し 「非 公 式 (私的) ル ー ト」 と も呼 ば れ た縁 故 な どに よる就 職 者 は 27) 本 稿 で は扱 わ ない。 II 集 団就 職 の諸 制 度 と沖 縄 集 団 就 職, つ ま り広域 的 職業 紹 介 ・計 画輸 送 制 度 は,「 本 土 」 と沖 縄 の い ず れ で も1960年 代 に確 立 さ れ た。 同年 代 に お け る諸 制 度 の概 要 と 28) 沖 縄 の位 置 づ け に つ い て, 苅 谷 らの研 究 も参 照 しつ つ簡 単 に触 れ て お こ う。 (1)集 団就 職 とは何 か 高 度 成 長 期 にお け る 集 団就 職 は, 1930年 代 後 半 以 降 の戦 時 計 画 経 済 体 制下 で実 施 さ れ た若 年 労 働 力 の全 国 的 な再 配 置 に そ の原 型 が あ る。1939年 に は初 の集 団就 職 29) 列 車 が秋 田県 か ら東 京 に 向 け て走 っ て い る。 第 2次 大 戦 後 に はGHQの 指 導 の も とで 労 働 法 が 改 定 され, 求職 者 の職 業 選 択 の 自由が 強 調 され た。 しか し高 度 成 長 期 に な る と中卒 者 を 中心 と した若 年 労 働 者 は 日本 経 済 を支 え る基 幹 労 働 力 と見 な され, そ の再 配 置 が再 び重 視 さ れ る こ と に な る。 米 国 で は新 規 学 卒 者 を特 別 に扱 う慣 行 が な か っ た た め, 戦 時体 制 下 の経 験 が 生 か され 30) た と も言 わ れ て い る。 労 働 省 は 「全 国需 給 調 整 会 議」 とい う会 合 を1947年 以 来 開催 し, 労 働 力 31) 需要 ・供 給 両 地 域 間 で の労 働 力移 動 を調 整 した。 一般 に 集 団就 職 と言 え ば就 職 列 車 の よう な集 団 的 な移 動 手 段 の利 用, つ ま り計 画輸 送 の イ メ ー ジ が 強 い で あ ろ うが, 国家 に よる職 業 紹 介 制 度 の一 元 化 や労 働 力 の需 給 調 整 もま た そ の本 質 を な す もの で あ っ た。 労 働 省 職 業 安 定 局 は 「全 国 統 一 的 な 業 務 運 営 」 の た め に 『新 規 学 校 卒 業 者 職 業 紹 介 業 務 取 扱 要 領 』 を策 定 した。 昭和42年 度 の要 領 に よれ ば, 公 共 職 業 安 定 所 (職安) が 企 業 か らの 求 人 を受 理 す る 際 に は 「従 業 員 採 用 計 画 書 の検 討 結 果, 受 入 目標 数 及 び求 職 動 向調 査 結 果 を勘 案 し, 23) (1)大田昌 秀 『沖 縄 の帝 王 高等 弁 務 官 』 朝 日新 聞社, 1996 (初 出1984), 225頁。(2)読 売 新 聞 編 集 局 「戦 後 史 班 」 『戦 後 50年 に っ ぽ ん の軌 跡 上 』 読 売 新 聞社, 1995, 202頁。 24) 小 熊 英 二 『<日本 人>の 境 界 沖 縄 ・ア イ ヌ ・台 湾 ・朝鮮-植 民 地 支 配 か ら復 帰 運動 ま で-』 新 曜社, 1998, 582頁。 25) 苅 谷 らは 集 団 求 人 シス テ ム の県 レベ ル で の 実 態 の 解 明 に際 し,「 こ の 類 の 史 料 は概 し て保 存 期 間 が 短 く, 残 さ れ る こ と が ご く まれ 」 だ と して い る。 前 掲11)88-89頁。 26) 6月 以 降 に 就 職 した新 規 学 卒 者 も一 般 就 職 者 と して取 り扱 わ れ た。 琉 球 政 府 労 働 局 編 『労 働 白書 』 労 働 調 査 課, 1966, 121頁。 27) 参 考 まで に 「本 土 」 就 職 者 に 対 す るあ る ア ン ケ ー ト調 査 結 果 を挙 げ る と,「 政 府 送 り出 し」66.2%,「 親類 をた よっ て 」 9.2%,「 会 社 が 直 接 採 用 」17.4%,「 そ の他 」6.1%と な っ て い る (琉 球新 報1969年3月7日)。 28) 前 掲11), 特 に第3・4章 を参 照。 同 書 で は 計 画 輸 送 制 度 に は触 れ られ て い な い。 29) 前 掲3)72頁。 30) 前掲11)202頁。 31) 2003年 現 在 で も 「学 卒 ・広 域 業 務 担 当者 連 絡 会 議 」 と して継 続 され て い る。
-24-求 人 数, 採 用 地 域 そ の他 必 要 な事 項 につ い て指 32) 導 」 され た。 不 適 切 な求 人 条 件 が 是 正 さ れ な い 場 合 に は求 人 を受 理 しな い な どの措 置 が 取 られ た。 特 に1960年 代 は求 人 難=売 り手 市 場 だ っ た こ と もあ り, 若 年 労 働 者 の労 働 条 件 の 向上 を 目 指 した 「特 殊 援 助 」 が 盛 ん に な さ れ て い る。 就 職 希 望 者 へ の職 業 指 導 で は学 校 と職 安 が 「連 け い 強化 」 し, 賃 金 等 の労 働 条 件 や 「求 人 地 域 の 生 活 環 境 そ の他 必 要 な情 報 資 料 」 を活 用 して よ り良 い就 職 先 が 指 導 さ れ て い る。 こ う した職 業 指導 の 際 に は求 職 者 の就 職 希 望 地 に も注 意 が 払 わ れ たが, そ れ は県 外 就 職 希 望 者 数 と県 外 か ら の求 人数 とを調 整 す る必 要 が あ っ たか らで あ る。 日本 全 体 で の経 済 成 長 や 完 全 雇 用 を 目指 した 労 働 力 需 給 調 整 の も と, 求 職 者 本 人 や 家 族 な ど の意 向 も踏 ま え なが ら就 職 先 が 決 定 さ れ, 新 規 学 卒 者 は就 職 列 車 な どに よ る計 画 輸 送 に よ っ て 出郷 す る こ とに な る。 計 画 輸 送 は 日本 交 通 公 社 が 『新 規 学 校 卒 業 者 計 画 輸 送 取 扱 要 領 』 を基 に 一括 して取 り扱 っ た。 ま た 「本 要 領 に よつ て行 う計 画輸 送 の対 象 は, こ の取 扱 い に 同意 した事 業 所 に就 職 す る 中学 校, 高 等 学 校 卒 業 生 及 び職 33) 業 訓 練 所 修 了 生 と す る 」。集 団 就 職 と い え ば 1954年 に青 森 県 が 計 画 した就 職 列 車 を嚆 矢 と し, 1976年 の沖 縄 か らの計 画 輸 送 まで を指 す こ と も 多 い で あ ろ う。以 上 が 集 団就 職 に 関す る諸 制 度 の概 要 で あ る。 広 域 的 職 業 紹 介 制 度 ・計 画輸 送 制 度 は, 労 働 力 需 給 両 地 域 間 の 空 間 的 障壁 を克 服 し, 労 働 市 場 を全 国 統 一 す るた め の もの で あ っ た。 (2)沖 縄 の位 置 づ け で は, 沖縄 は こ う した 制 度 の 中 にい か に位 置 づ け られ た の か。 労働 省 は1960年 に策 定 され た 『琉 球 地 区新 規 学校 卒業 者 職 業 紹 介 連 絡 業 務 取 扱 要 領 』 にお い て, 琉 球 政 府 に対 し 「本 土 職 業 安 定 機 関 の 業 務 運 営 方針 34) に即 応 した年 間計 画 」 を求 め てい る。 琉球 政府 労 働 局 が 作 成 した 資 料 で も 「求 職 者 の 動 向 を的 確 に把 握 す るた め, 労 働 省 取 扱 要 領 に基 づ き実 35) 施 す る」 とい った 文 章 が 見 受 け られ る。 沖縄 に は 集 団 就 職 開 始 以 前 か ら職 安 が 存 在 し た が, 「本 土 」 シ ス テ ム へ の 同化 と と もに 職 安 機 構 の 36) 整 備 不 足 が 認 識 され, そ の 改 善 が 進 め られ た。 一 方,「 本 土 」 で 用 い ら れ た 労 働 行 政 資 料 で も 「琉 球 の労 働 市 場 」 とい う項 目が 設 け られ,「 各 都 道 府 県 と対 応 す る形 で, 労 働 市 場 の あ ら ま し 37) と安 定 所 別 概 要 」 が 示 され た。 労働 省 と琉 球 政 38) 府 相 互 の 連 絡 は総 理 府 と南 方 同胞 援 護 会 が仲 介 39) した。 「本 土 」へ の 計 画 輸 送 に は 基 本 的 に 船 舶 が 利 用 され た。1960年 代 半 ばか ら は飛 行機 も一 部使 40) われ て い る。 琉 球 政 府 労 働 局 は 『沖縄 か ら本 土 41) 就 職 者 計 画 輸 送 実 施 要 領』 を作 成 し, 沖縄 旅 行 32) 労働省職業安定 局 「新 規学校 卒業者職業紹介業務取扱 要領 昭和42年度」(琉球 政府労働局職業安定課 『学卒者 ・職業 紹介取扱要領』, 1967)。 33) 労働省職業安定 局長 「昭和41年3月 新規学校卒業者 の計画輸 送について」(琉球 政府労働局職業安定課 『本土就職者計 画輸送 に関す る書類』, 1966)。 34) 労働大臣官房総務課編 『昭和36年 労働行政要覧』財団法人労働法令協 会, 1962, 219頁。 35)「 新規学校卒業者職業紹介業務取扱要領 (本土 関係) 1968年度」(前掲33関連資料)。 36) 琉球労働6-4, 1960, 28頁 にお ける座談会報告。 37) 労働省職業安定局監修, 日本職業協会編 『公共職業安定所別 労働市場便 覧-わ が国労働市場 の全 貌-』 日刊労働通信 社, 1968, 32頁。 38) 1956年 に設立 された 日本政府の対沖縄 施策 を代行する財団法人であ り, 沖縄 出身の若 年労働者 や学 生が利用 で きる施設 の建設 などをお こなった。同会は1972年の沖縄の施政権返還に よって翌73年に解散 され, 財団法人沖縄協会 となった。財 団法人沖縄協会編 『南援17年のあゆみ』, 1973。 39)「 沖縄 か ら本土就職者計画輸送実施要領」(前掲33関連資料), 別表2。 40)「 豪華な本土就職」 とい う新聞記事 (琉球新 報1966年3月30日) に よれば,「……全 日空では 『空か らの集団就職 はこと し初 めて』 といっている」。た だし管見 では1961年 に 「奨学女 中, 空路本土へ」(同上1961年3月24日夕刊) とい う記事 も あ り, 限定的 な使用 はそれ以前か らあった ようである。 41) 前掲39)。
社 が 「日本 交 通 公社 との 間 に覚 書 を定 め, 本 土 受 入 につ い て の 斡 旋 を行 い 職 業 安 定機 関 に対 し 必 要 事 項 の協 力 を要 請 す る 」。一 方,「 本 土 」 側 は 『琉 球 地 区 並 び に鹿 児 島 県大 島 地 区 新 規 学校 42) 卒 業 者 集 団 赴 任 受 入 要 領』 に よっ て 沖縄 ・奄 美 出 身者 を神 戸 港 ・晴 海 港 (埠頭) で 受 け入 れ る 体 制 を整 えた。 沖縄 出 身 者 に は 「入 国 記 録 票 及 び 身 分 証 明 書 」 に関 す る 「入 国 事 務 」 とい った 特 殊 な手 続 き も必 要 と され た。 こ う した 特殊 性 はあ った もの の, 沖縄 か らの 集 団 就 職 も また 他 の 労 働 力 供 給 地域 の そ れ とほ ぼ 同 形 態 で 実 施 さ れ て い た こ とが 理 解 され る。1957年 か ら1976年 にい た るそ の 概 略 を第1表 に示 す。 各 事 項 の 詳 細 は以 下 で 取 り上 げ る。 以 上 の よ う に沖縄 は 「全 国統 一 的 」 な 集 団 就 職 の 諸 制 度 に 組 み 込 ま れ て い た。 しか し 「本 土 」 へ の 集 団就 職 は様 々 な 問題 を か か え てお り, 米 軍 や米 民 政 府 に よる影 響 も小 さ くな か っ た。 で は, 沖縄 か ら 「本 土 」へ の 集 団就 職 は い か な る理 由 で 開始 さ れ, どの よ うに 実施 され た のか。 次 章 で は こ う した 問題 を見 て い こ う。 III「 本 土 」 へ の 集 団 就 職 (1)米 軍 支 配下 で の 就職 難 高 度 成 長期 に は 「本 土 」 の労 働 力 需 要 地 域 に お い て激 しい 求 人 難 が 起 こ り, 労 働 力 供 給 地 域 で の求 人 活 動 (= 求職 開拓) が 重 視 され た。 しか し1957年12月 に 沖縄 か ら 「本 土 」 へ の 集 団就 職 が 始 まっ た の は 43) 「琉 球 政 府 か らの 要 請 」 に よ る もの で あ っ た。 戦 後 の 沖縄 で は つ ね に 就 職 難 とい う状 況 が見 ら れ, そ れ は米 軍 支 配 と密接 に関 わ っ て い た。 米 国 に よ る対 日政 策 で は,「 本 土 」 につ い て は 輸 出 志 向経 済 に よる 日本 経 済 の 早期 回復 が 目 標 と され た の に対 し, 沖縄 で は 反対 に輸 入 志 向 44) 経 済 が採 用 され た。 米 軍 に よっ て 導 入 され た沖 縄 の 通 貨 「B円 」 は実 質 的 に 日本 円 の3倍 の価 値 が 与 え られ (1950年), 1958年 か らは 沖縄 で ド ル が 使 用 さ れ る よ う に な っ た。 「本 土 」 製 品 を 中 心 と した外 国 製 品 が 盛 ん に輸 入 され た 沖縄 で は 製 造 業 な どの 産 業 が 発 達 せ ず, 就 職 難 が恒 常 化 す る。 他 方 で基 地 労 働 者 へ の 給 与 は他 に競 合 す る雇 用 先 が な か った た め に低 レベ ル で推 移 し た。 米 軍基 地 で の 雇 用 政 策 と密 接 に結 び つ い た 経 済 政 策 は 「沖縄 統 治 の コス ト節 約 」 を可 能 に した の で あ る。 こ う した 中,「 新 規 学 卒 者 の 就 職 が 行 きづ ま 45) りにな りつ ゝあ 」 った1957年 の3月 の 新 聞記 事 には 次 の よ うに記 され た。 集 団 就 職 が 開 始 され る9カ 月 前 の こ とで あ る。 第1表 沖 縄 か ら 「本 土 」 へ の 集 団 就 職
Table 1. Administrative labor migration
pro-gram from Okinawa to 'mainland' Japan
資料: 各種行政資料お よび琉球新報, 沖縄 タイムス など。 42)「 琉 球 地 区並 び に鹿 児 島 県 大 島 地 区 新 規 学 校 卒 業 者 集 団 赴 任 受 入 要 領 」(前 掲33関 連 資料)。 43) 労働 大 臣 官 房総 務 課 編 『労 働 行 政要 覧 昭和33年 版』 財 団 法 人労 働 法 令 協 会, 1958, 233頁。 44) 我 部 政 明 「北東 ア ジ ア に お け る米 軍 占領 の現 在 的 意 味 」 情 況 (第2期) 11-8, 2000, 13-21頁。 45) 琉球 労仂 局編 『琉 球 労 仂經 済 の分 析 (一九 五 七 年 度)』, 1958, 52頁。
-26-職業安定所の窓口か らみた昨年の中, 高校 マ マ 卒 業 者 の 就 職 率 は 中校 三 十 六 パ ー セ ン ト, 高校 二 十 三 パ ー セ ン トとい う低 い 率 を示 し て お り各 職 安所 で は今 年 こそ は の 意気 込 み で 管 内 各 学校 と協 力 し, 目下 新 卒 者 就 職 希 望 の 実態 把 握 を急 ぐ …… (新報1957年3月6日)。 この 記 事 で も明 らか な よ うに 沖縄 内 部 で は 雇 用 に限 りが あ った。 米 軍基 地 で の 雇 用拡 大 が検 討 さ れ る 一 方,「 本 土 」在 住 沖 縄 出 身者 に就 職 斡 旋 を独 自 に依 頼 し, 和 歌 山 県 内 で5名 の 採 用 を 確 保 した 中学 校 の 例 もあ っ た (新報, 同上)。 こ う した 小 規模 な縁 故 就 職 を制 度化 し, 大 規模 化 した もの が 「本 土 」 へ の 集 団就 職 だ っ た の で あ る。 (2)集 団 就 職 の 開 始 と拡 大 「本 土 」 へ の 集 団就 職 は就 職 難 の 解 消 のた め, あ るい は当 時 の 琉 球 政 府 労 働 局 職 業 安 定 課 長 の 言 葉 に よ れ ば 「人 口問 題 の 解 決 策」 と して 重 要 な意 味 を持 っ 46) た。 「多 額 の 資 金 を伴 う海 外 移 民 と比 べ て “金 の かか らない 移 民 ”あ る い は “雇 用 移 民 ”と い わ れ る程 大 き く期 待 が か け られ」 た ので あ る。 当 時 の沖 縄 で は 中卒 者 の進 学 率 も 「本 土 」 よ り 若 干 低 く (第1図), 進 学 も就 職 も し な か っ た 「無 業 者 」 も少 な くな か っ た。1957年 の新 規 中 卒 者 に 占 め る無 業 者 の 割 合 は 「本 土 」 の8.9% 47) に対 し沖 縄 で は16.8%で あ り, 若 年 不 就 労 者 の 「不 良 化 」 も問 題 視 され て い た。 集 団就 職 に は 48) 「本 土 」 で 「働 き乍 ら技 術 を学 ぶ/勉 強 す る」 とい う意 味 も込 め られ た。 さて, 同労 働 局 が 「一 人 で も多 く雇 用 の機 会 を与 え る」 とい う雇 用 政 策 を検 討 して い た1957 年, そ れ に 呼応 す る か た ち で 関西 在 住 の沖 縄 出 身者 が重 要 な役 割 を果 た す こ とに な る。 沖縄 で は若 い エ ネ ル ギ ー を吸収 す る産 業 は あ ま り育 っ て お らず, 琉 球 政府 は そ の対 応 に 苦 慮 し て い た。 ……そ ん な 中 で,「 郷 土 の 若 者 た ち に も広 い本 土 で働 く機 会 を与 え て や りた い 」 と思 っ た の が, 関西 在 住 の沖 縄 県 人有 志 た ち だ っ た。 そ の 奔走 で大 阪 の 製 パ ン組 合, 製麺 組 合 が 求 人 の 意 向 を示 し, ……男 子 一 二 二 人 の 求 人 票 を ま とめ て くれ 49) た。 そ こで 職 安 で募 集 をは じめ る と 「六八 〇余 人 の 50) 応 募者 が殺 到 し」, 厳 選 され た少 年 工122人 が 同 年12月 に 「本 土 」 に 渡 航 した。 これ が 沖縄 か ら 第1図 中 卒 者 ・高 卒 者 の 進 学 率 (全 国 ・沖 縄)
Figure 1. The ratios of students who went on
to the next stage of education (junior
high school and high school students, the
whole country and Okinawa)
資 料:『 琉 球 統 計 年 鑑 』,『沖 縄 統 計 年 鑑 』,『学 校 基 本 調 査 報告 書 』, 各 年 分。 46) 労働局職業安定課長 ・白川英男 「本土就職の現況 と今 後の課題」琉球 労働6-2, 1959, 2頁。 47)『 学校基本調査報告書』,『琉球統計年鑑』,『沖縄県統計年鑑』 など, 各年分 による。 48) 労仂局長 「本土出張報告-労 働 問題の折衝 及び本土就職少年少女 の事 業場視 察について-」 琉球労働7-2, 1960, 3頁。 49) 沖縄県人会兵庫 県本部35年史編 集委員 会編 『ここに榕樹 あ り 沖縄県 人会兵庫 県本 部35年史』 沖縄 県人会兵庫県本部, 1982, 301頁。 50) 前掲6)(1)213頁。
の 最 初 の 集 団就 職 で あ っ た。 「職 場 を通 した 日 51) 本 復 帰 」 とい う表 現 も使 わ れ て い る。 も っ と も, 最 初 の 集 団就 職 は そ れ ほ ど簡 単 に は実 施 で き な か っ た。 「本 土 側 と の話 合 い は ま と まつ た もの の琉 球 政府 に は外 交 権 が な い た め (米) 民 政 府 と の 折 衝 に は約 半 ヶ年 を費 し」 た 52) か らで あ る。1953年 に は 日本 政 府 の 費用 負 担 に よ る沖縄 か ら 「本 土 」へ の公 費 留 学 制度 が始 ま 53) って お り, 当 時 は南 米 移 民 も実 施 され て い た。 そ れ を考 え る と,「 本 土 」 へ の 労 働 力 移 動 の 制 度化 に対 す る米 民 政 府 の 強 い警 戒 感 が 読 み取 れ る。 よ うや く米 民 政府 に も認 め られ た集 団就 職 は, 54) そ の 当初 は 「本 土 」側 の 「善 意 」 に よっ て 開始 され た もの で あ っ た。 琉 球 政 府 労 働 局 は 日本 政 府 労働 省 に対 し翌58年3月 卒 業 の 中 ・高校 生 の た め に1,741人 分 の 職 業 紹 介 を さ ら に依 頼 した (新報1958年3月5日)。 結 果 的 に58年3月 に は102 人 が 集 団就 職 した に と どま っ た もの の, 同年10 月 に は事 業 の推 進 の た め に大 阪雇 用 連 絡 事 務 所 55) が設 置 され た。 1960年 代 に な る と沖 縄 で は 中卒 者 の進 学 率 が 低 下 す る (第1図)。1965年 に は 「本 土 」 の67.4 %よ り15%以 上 低 い51.6%と な った。1966年 に 56) は 無 業 者 の 割 合 も21.6%に 達 し て い る。 「不 良 化 」 問題 も含 め, 中卒 者 を 中心 と した学 卒 者 の 処 遇 は よ り大 きな 問題 とな っ て い く。詳 細 は不 明 だが, 1962年 に は 『本 土 就 職 促 進 協 力 会 補 助 57) 金 交 付 規 定』(告 示 第一 三 二 号) が 定 め ら れ, 「本 土 」就 職 が さ らに促 進 され て い る。 一 方, 1950年 代 後 半 以 降 の 「本 土 」 で は, 経 済成 長 に と もな う大 規 模 な求 人難 が 起 こ り, 他 方 で 中卒 者 の進 学 率 が 上 昇 しつ つ あ っ た。 こ う し て 安 価 な 労 働 力=「 金 の 卵 」 を 求 め る 「本 土 」 企 業 の求 人 が 沖 縄 に殺 到 す る よ うに な る。 労 働 省 か ら 「京 浜, 中京, 阪神 地 方 ……が 就 職 あ っせ ん上 容 易 で あ る」 とい う回 答 が あ っ た 1958年3月 に は愛 知 県 労 働 部 長 が沖 縄 を訪 問 し, 同 県 に お け る求 人 難 の状 況 を伝 え た (新報1958 年3月5日)。 翌59年3月 に は大 阪府 労 働 局 か ら新 規 学 卒 者 と と もに過 年 度 卒 業 生 の求 人 もお こ な う 旨 の 連 絡 が あ っ た (新報1959年3月14日 夕刊)。 琉 球 政 府 労 働 局 長 は大 阪府 に対 し 「沖 縄 の特 殊 事 情 を勘 案 して過 年 度 卒 業 生 も考 慮 して も らい た い との希 望 」 を そ れ 以前 に 出 して い たが, 求 人難 が 大 阪府 の 申 し出 に つ な が っ て い る こ とは 間違 い な い。1957年 に大 阪府 か ら初 め て もた ら され た求 人 は翌58年 に は11都 府 県, 61年 に は20 58) 都 府 県 へ と拡 大 した。 この よ うに労 働 力 移 動 の プ ッ シ ュ ・プ ル は沖 縄 の就 職 難 「本 土 」 で の 求 人 難 に よっ て合 致 した の で あ る。 1959年 に集 団就 職 に よっ て 「本 土 」 に 向 か っ た 中 卒, 高 卒, 一 般 就 職 者 は 計472人, 翌60年 に は1,115人 と徐 々 に 拡 大 し た (第2図)。1962 年 に は 「本 土 」 か らの求 人数 が 前 年 比 で半 減 し た もの の, 特 に沖 縄 返 還 交 渉 が 日米 政 府 間で 進 展 した1960年 代 後 半 に は求 人 総 数 が 急 増 し た (第3図)。 この 時 期 で は高 卒 者 と一 般 向 け の 求 人 の伸 びが 著 し く, 求 人 数 は73年 に は計16万 件 に 達 した。 「本 土 」 就 職 者 は1970年 に計1万 人 を越 え て い る。 「本 土 」 就 職 した 中 卒 者 は, ピー ク 時 の1970 51) 前 掲46) 2頁。 52) 前 掲46) 2頁。 カ ッコ 内 は筆 者。 53)「 沖縄 を知 る事 典」 編 集委 員 会 編 『沖縄 を 知 る 事 典』 日本 ア ソシ エ ー ツ, 2000, 106頁。 54) 仲 村 初 枝 「私 の 力 で 生 きて み た い-少 女 に と って 本 土 と は無 限 の 可 能 性 なの だ-」 青 い 海1-1, 1971, 115頁。 55) 大 阪 沖 縄 県 人 会 連 合 会40周 年 記 念 誌 編 集 委 員 会 編 『雄 飛-大 阪 の 沖 縄 大 阪 沖 縄 県 人 会 連 合 会40周 年 記 念 誌 』 大 阪 沖 縄 県 人 会 連 合 会, 1987, 158頁。 後 に改 組 さ れ, 1965年 に は 琉 球 政府 東 京 事 務 所 大 阪支 所 とな っ て い る。 同159-160頁 を参 照。 56) 前 掲47)。 57) 琉 球 政 府 法 務 局 編 『琉 球 政 府 現 行 法 規 総 覧 』 第 一 法 規, 1972年5月13日 にお け る内 容 現 在。 58) 琉 球 政 府 労 仂 局 労 政 調 査 課 編 『労 仂 経 済 の 分 析 1961年 』, 1962, 46-47頁, 附 表32。
-28-年 に は1,822人 とな っ た。 これ は 同 -28-年 に 中 学 校 を 卒 業 した25,638人 の7%に あ た る。 中 卒 者 に つ い て は進 学 率 の上 昇 もあ っ て就 職 者 自体 が 減 少 し, 69年 に は高 卒 者 が 中卒 者 を抜 い て い る。 70年 代 の 沖縄 で は例 年1万6千 人 程 度 が高 等 学 校 を卒業 した が, そ の うち3∼4千 人, つ ま り 4人 に1人 が 「本 土 」就 職 した。 本 論 とは直 接 には 関 連 しな い が, 1975年 を 中心 に 「本 土 」 就 職 者 が 減 少 した理 由 は, 同年 の沖 縄 海 洋博 覧 会 の 開 催 な ど に と もな う沖縄 で の雇 用 拡 大 の た め で あ る。 そ の 後 は 「海 洋博 後 遺 症 」 と も呼 ば れ た 沖縄 の不 況 に よっ て 「本 土 」 就 職者 が 以 前 よ りも増 加 す る。 しか し改 め て言 う まで もな く, この よ う な 「本 土 」 へ の 労働 力 移 動 は1957年 に は じま る集 団 就 職 を通 じて 強化 され た の で あ っ た。 (3)「 本 土 」 か らの求 人 と就 職 地 「本 土 」 各 都 府 県 にお け る求 人 数 と就 職 者 数 の 関 係 につ い て 今 少 し詳 細 に見 て お く。第2表 は1960・61年 にお け る各 都 府 県 か ら沖縄 へ の 求 人 数, 沖縄 か ら当 該 都 府 県 へ の 就 職 者 数 を示 して い る。 こ こ で は女 性 の数 値 を 中心 に考 察 す るが, 比 較 対 象 と して61年 にお け る男 性 の数 値 も並 記 した。 明 確 に ジ ェ ンダ ー化 さ れ て い た 当時 の労 働 市 場 の 状 況 は 同表 で も明 らか で あ る。 さて, 沖 縄 向 け の求 人 を最 初 に お こな っ た大 阪府 は そ の後 も求 人 数 で上 位 を 占 め てお り, 愛 知 県 ・岐阜 県 ・兵 庫 県 ・東 京 都 ・神 奈 川 県 な ど か らの 求 人 数 も増 加 して い っ た。 基 本 的 に は こ れ ら求 人 数 の多 い都 府 県 に就 職者 が 集 ま る傾 向 が見 受 け られ る が, 求 人 数 の 多寡 と就 職 者 数 の そ れ とは 必 ず し も一 致 しな い。 求 人 数 に対 す る 就 職 者 数 の 割 合 (=充 足 率) も, 都 府 県 間 で, また各 年 ご とに 異 な って い る。61年 には福 井 県 か ら90件 の 求 人 が 寄 せ られ た もの の 同 県へ の就 職 者 はい な か った。 埼 玉 県 の 充 足 率 は60年 に は 90%近 い 高 率 で あ った が, 翌61年 に は求 人 数 が 激 減 し, 就 職 者 も皆 無 で あ った。 こ う した 変化 の 例 は富 山 県 の 数 値 に端 的 に見 る こ とが で き る。 1958年 に は同 県 か らの 求 人 は なか った が, 翌 第2図 沖 縄 か ら の 「本 土 」 就 職 者 数 (公 共 職 業 安 定 所 取 扱 分)
Figure 2. Labor migration from Okinawa to
‘mainland’Japan (directed by the public
employment security office)
資 料:『 職 業紹 介 園係 年 報』,『職業 安 定行 政 年 報』,各 年 分。
第3図 「本 土 」 か ら 沖 縄 へ の 求 人 数 (公 共 職 業
安 定 所 取 扱 分)
Figure 3. Job offers from‘mainland’Japan to
Okinawa
59年 に は求 人 数104件 に対 し就 職 者 数89人, 60 59) 年 に は205人 が 就 職 して い る。 富 山県 は59・60 年 に は沖 縄 の女 性 「本 土 」 就 職 者 に と って 最 大 の就 職 地 で あ っ た。 とこ ろが61年 の 求 人 数 は前 年 の388件 か ら150件 へ と半 数 以 下 と な り, 就 職 者 数 は205人 か ら5人 に まで 落 ち 込 んで い る。 こ れ は1960年 に 富 山 県N社 で 起 きた 集 団 退 社 事 件 に よ る もの と推 測 され る。事 件 の 詳細 につ い て は後 述 す る こ と に しよ う。 富 山県 の例 はい さ さか 特殊 な もの で あ ろ うが, 各 都 府 県 にお け る求 人 数 や 就 職 者 数 の 変 化 に は 多 様 な要 因が 介 在 して い る こ と は間 違 い な い。 (4)集 団 就 職 の社 会 問 題化 この 当 時 で は 集 団就 職 者 が都 市 に お い て孤 立 す る こ とは珍 し く なか った が, 第2表 で は61年 にお け る栃 木県, 山 梨 県, 和 歌 山 県, 富 山 県 の よ う に同 じ県 に就 職 した 者 が 数 人 しか い ない 例 も散 見 され る。 こ う した孤 立 とい う問 題 も含 め, 集 団就 職 の規 模 の 拡大 と と も に様 々 な社 会 問 題 が発 生 した。 沖 縄 出 身者 に限 らず, 故 郷 を後 に した 集 団就 職 者 は しば しば孤 立 し, 早 々 に初 職先 か ら逃 亡 し, 転 職 を繰 り返 し, ノ イ ロー ゼ にな る者 もい た。 沖縄 出 身者 につ い て も1957年 の最 初 の 集 団就 職 者 の 中 か ら早 くも 自殺 者 が 出 て い る。 一 七 ∼八 歳 の 少 年 に と って, は じめ て の都 市 生活 は 強烈 な カ ル チ ュ ア ・シ ョック で あ 第2表 各 都 府 県 に お け る 沖 縄 へ の 求 人 数 ・沖 縄 か ら の 就 職 者 数
Table 2. Job offers to Okinawa and placements from Okinawa by prefectures
注) 単 位: 人。 カ ッ コ 内 は各 都 府 県 か ら の求 人数 に対 す る 当該 都 府 県 へ の 就 職 者 数 の 割 合 (=充 足 率, %) を示 す。
資料: 琉 球 政府 労 仂 局 労 政 調 査 課 編 『労 仂 経 済 の分 析 1961年 』, 1962, 46-47頁, 附 表32よ り作 成。
59) 前 掲58)。
-30-った の だ ろ う。 つ い に そ の 中 の ひ と りが ノ イ ロー ゼ 気 味 にな り, 電 車 に飛 び 込 ん で 自 60) 殺 した。 沖 縄 と 「本 土 」 との 間 に は まず 「地 理 上 の 距 離 」 が あ った。 集 団 就 職船 の 上 で は 「遠 い本 土 へ 行 く本 人 た ち もあ ふ れ る涙 を止 め る こ とす ら 61) で きず, 船 出 の テ ー プ は涙 雨 だ っ た」。東 京 の T社 で は1967年 に飛 行 機 を 使 い 始 め た が, そ れ は 「必 要 な時 期 に間 に合 わ す の と船便 で 感 じ る本 土, 沖 縄 の 地 理 上 の 距 離 をな く して, 新 し い 就 職 者 にホ ー ム シ ック を与 え ず, 定 着 させ よ う とい うの が ね らい」 で あ っ た (新報1968年3月 25日)。 「輸 送 」 時 間 は42時 間 か ら2時 間40分 に 62) 短 縮 され て い る。 しか し飛 行 機 の利 用 は 一 部 の 企 業 に限 られ た。 ま た, そ れ に よ っ て 「時 間-空 間の 圧 縮 」 が 達 成 され た と して も, 沖縄 出 身 者 の 言 葉 や 習 慣, あ るい は 差 別 的待 遇 は 簡 単 に は克 服 され なか った か も しれ な い。 沖縄 と 「本 土 」 の 間 に は無 視 で きな い 懸 隔 が あ った の で あ り, そ れ は沖 縄 出 身 者 の劣 等 感 に も結 び つ い て い た。 そ の せ い か, 東 京 に流 入 した 若 年 地 方 出 身 者 の う ち, 沖 縄 出 身 者 の 非 行 化 率 は 他 府 県 出 63) 身 者 よ り高 か った とい う。 求 人 条 件 と実 際 の 労 働 条件 の相 違 とい った ト ラ ブル も発 生 した。 求 人 難 の 中 で 労働 者 を確 保 す るた め, 企 業 側 は条 件 を誇 大 に示 す こ とが 多 か った か らで あ る。 こ う した トラブ ル を避 け る 必 要 か ら琉 球 政 府 と労働 省 の 間 で 策 定 され た の が 先 述 の 『琉 球 地 区 新 規 学校 卒 業 者 職 業 紹 介 連 絡 業 務 取 扱 要 領 』 で あ った。 も っ と も, 労 働 条 件 を誇 張 す る よ う な求 人 は教 育 関 係 者 や 「手 配 師 」 の 手 に よ って イ ン フ ォー マ ル な か た ち で存 64) 続 し, 後 々 ま で問 題 とな っ て い く。 以上 の よ う に集 団就 職 は 開始 ・実 施 され, そ の 中 で様 々な 問題 を招 来 した。 そ の最 た る もの が 米 民 政 府 に よる 中止 命 令 で あ っ た。 IV 3つ の政 府 の は ざま で (1)「 キ ャラ ウ エ-旋 風 」 下 の 中 止 命 令 米 軍 は沖 縄 と 「本 土 」 との歴 史 的 な異 質 性 を強 調 65) しつ つ 沖 縄 の 軍 事 占 領 を正 当 化 した。 そ して 1961年 に米 民 政 府 第3代 高 等 弁 務 官 とな っ た陸 軍 中将 ポ ー ル ・キ ャ ラ ウ ェ イ は, 以 前 に も増 し て 強硬 な 「日琉 隔離 政 策 」 を打 ち出 した。 この 時期 の沖 縄 で は 「本 土 」 復 帰 運 動 が 勢 力 を拡 大 しつ つ あ り, 1960年4月28日 に は沖 縄 県 祖 国復 帰 協 議 会 が 発 足 して い る。1962年 に はケ ネ デ ィ政権 の 「沖 縄 新 政策 」 も公 表 さ れ た。 沖 縄 に対 す る 日本 政府 の潜 在 主権 の再 確 認, 援 助 拡 大 とい っ た沖 縄 と 「本 土 」 の 関係 強化 を米 国 政府 が 公 認 した の で あ る。 そ の 一 方 で1960年 に は ベ トナ ム戦 争 が 始 まっ て い た。 キ ャラ ウ ェ イ は米 軍 の代 表 者 と して復 帰 運動 や米 国政 府 に対 抗 し,「基 地 の 島」 沖 縄 を確 保 し続 け る 必 要 が あ っ た の で あ る。 米 国 資本 の導 入 や琉 球 政 府 へ の徹 底 した介 入 な ど, 一 連 の 反動 的 な 隔離 政 策 は 「キ ャ ラウ ェ ー 旋風 」 と呼 ば れ た が, そ う し た 旋風 の 中, 1963年6月 に は 集 団就 職 の 中止 が 突如 命 令 され た。 米 民 政 府 は沖 縄 が 「本 土 」 の 労働 力 需 給 調 整 に 包摂 され て い た こ とに つ い て, 施 政権 との 関 係 か らそ れ 以前 よ り疑 問視 して い た よ うで あ る (朝日新 聞1963年6月28日)。 しか し中 止 命 令 が 出 され た 直接 の, また 表 向 きの 理 由 は 次 の とお り 60) 前 掲49) 302頁。 61) 前 掲4) 198頁。 62) 前 掲23) (2)202頁。 63) 垣 花 鷹 志 「本 土 の沖 縄 非 行 少 年 た ち-そ の 実 態 と要 因 に つ い て-」 青 い 海3-25, 1973, 129頁。 た だ し非 行 化 した少 年 の 多 くは 私 的 ル ー トに よる 就 職者 で あ っ た とい う (133頁)。 64) た とえ ば, (1)由利 博 「悪 質 な 求 人 を 告発 す る 」 青 い 海1-1, 1971, 106-113頁。(2)伊 是 名 剛 「本 土 就 職 青 少 年 を ね ら う “手 配 師”の 実 態 を あ ば く」 青 い海1-2, 1971, 116 -121頁。 65) 宮 里 政 玄 『ア メ リカ の 沖縄 政 策』 ニ ラ イ社, 1986, 207頁。
で あ っ た。 こ の直 前 に ホ ー ム シ ッ クで 「本 土 」 か ら帰 郷 した集 団就 職 者 が い たが, 彼 女 は本 当 の退 職 理 由が 言 えず, 就 職 先 の 労 働 条 件 の 過 酷 さ を訴 え た。 こ れ に対 し米 民 政 府 は 「『わ れ わ れ の庇 護 下 の 国民 が よそ の 国で ひ どい 目に あ っ 66) た』 と態 度 を硬 化 させ 」 た とさ れ る。 よ り詳 細 に は5つ の理 由が 示 さ れ た。(1)「本 土 」 の職 場 の多 くは低 賃 金 で過 当労 働 を強 い る。(2)技術 を 学 ぶ こ と も勉 強 もで きない。(3)「 ほ ん の子 供 」 を千 マ イ ル も離 れ た職 場 に送 る の は か わ い そ う で あ る。(4)沖縄 の経 済 は成 長 しつ つ あ り労 働 力 過 剰 の状 態 は今 後 解 消 さ れ る。(5)外国資 本 を導 入 して 島 内 産 業 を興 す べ きで あ る (新報1963年6 月27日夕刊)。 また 中 止命 令 の 内 容 は次 の とお り で あ っ た。(1)海外 就 職 は 当分 の あ い だ許 可 しな い。(2)求人条 件 の基 準 の改 善 をふ くむ諸 手 続 が 制 定 され れ ば, 18歳 以 上 の青 少 年 の海 外 就 職 は 許 可 す る。(3)18歳未 満 の青 少 年 の本 土 就 職 は許 可 しな い, た だ し職 業 訓 練 所 へ の入 所 は こ の 限 りで は な い。 中止 命 令 は63年6月6日 に米 民 政 府 労 働 部 長 か ら琉 球 政府 に 口頭 で指 示 さ れ, 琉 球 政 府 は そ れ を同27日 に公 表 した。 こ の話 は 同 日中 に 「本 土 」 の新 聞 で も報 ぜ られ, 日本 政 府 の知 る とこ ろ とな る。 そ して 「これ ま で の沖 縄 も含 め た需 給 調 整 も くず れ る こ とに な り, 対 本 土 政 府 との 関係 もあ っ て 問題 は波 紋 を広 げ」 た の で あ っ た (新報1963年6月27日)。 総 理 府 は米 民 政 府 に 対 す る非 難 声 明 をた だ ち に発 表 し, 米 民 政 府 は翌28 日に 中止 命 令 を撤 回 した。 この よ うに 日本 政 府 の介 入 に よっ て 問題 は即 座 に解 決 したが, 中止 命 令 の公 表 か ら撤 回 の後 ま で, 集 団就 職 は様 々 に語 られ る こ とに な る。 そ の 一部 を次節 で確 認 し よ う。 (2)中 止 命 令 をめ ぐる反 応 琉 球 政 府 を は じ め 沖縄 の 人 々 は 中 止命 令 に強 く反 発 した。 後 に 琉 球 政 府初 の公 選 主 席 とな った屋 良 朝苗 は この と き教 職 員会 長 とい う立場 で あ り, 次 の よ うに コメ ン トした。 集 団 就 職 につ い て は, 沖縄 の 進 出へ の ひ と つ の 門戸 と し て 歓 迎 さ れ 喜 ば れ て い た。 ……沖 縄 とい う小 さ な カ ラ に閉 じこ もる こ とが な く発 展 性 の 上 か ら歓 迎 され るべ きで あ り, 実 際 に現 在, 東 京, 大 阪 をは じめ本 土 各 地 で 沖縄 出 身 者 が 活 躍 して い るの は, こ う した 門 戸 が 開 い て い た か らこそ の 雄飛 で あ る と考 え る (新報1963年6月28日)。 同 じ記 事 で は全 琉 進 路 指 導 主 事 協 会 会 長 が 沖縄 に お け る就 職 難 に言 及 し,「 本 土 の 職 場 が 悪 い とい う こ とだが, ……沖 縄 よ り就 労 条 件 もよ く, 一 部 の例 外 を除 い て は本 土 へ の集 団就 職 は よい と考 えて い る 」。こ の記 事 で は 「何 千 人 の うち か らは脱 落 者 が で るの も不 可 抗 力 で あ る」 とい う言 葉 も見 受 け られ る。 次 に挙 げ る 「本 土 へ の 集 団就 職 の意 義 」 とい う記 事 も興 味 深 い。 沖 縄 の 青 少 年 の 本 土 就 職 は人 生 修 行 にい く の と変 わ らない。 民 政 府 のい う一 千 マ イル も離 れ た旅 の 空 で 苦 労 す る の はか わ い そ う とい う親 心 は あ りが たい が, 青 少 年 を温 室 育 ち に して成 長 してか ら使 い もの に な ら な い人 間 にす る よ りは, 獅 子 が わが 子 を千 じ ん の谷 底 に突 き落 とす 勇 気 と真 の 愛 情 で, 若 い人 た ち を暖 か い故 郷 の空 気 か ら冷 た い 本 土 の寒 気 に さ ら し, 身 も心 も引 き しめ た 方 が 本 人 の 将 来 の た め に も よ い (新報1963 年6月28日夕刊)。 労 働 条 件 の 悪 い 「一 部 の 例 外 」 企 業 や 「脱 落 者 」 は あ っ て も,「 千 じん の 谷 底 」 と も評 され た 「本 土 」 へ の集 団就 職 が 非 常 に重 視 され て い た こ とが 理 解 さ れ る。 「人 生 修 行 」 とい う表 現 66) 前 掲23)(2)202頁。 この 理 由 につ い て 「さ き に本 土 に集 団就 職 した 少 女 二 人 が 病 気 で 帰 沖 した 問 題 」 と記 した 記 事 もあ る (琉 球 新 報1963年6月28日)。
-32-は不 良化 な どの 問題 を念 頭 に置 い た もの か も し れ な い。 集 団就 職 は 「本 土 」 の厳 しい現 実 を認 め な が ら再 開 が 求 め られ た の で あ る。 中 止命 令 に つ い て 「ア メ リカ人 的 もの の考 え 方 と 日本 人 的 な もの の考 え方 の根 本 的 な相 違 か らで た もの 」 と指 摘 した者 もい た (新報1963年6 月29日)。 「日本 人 」 とい う表 現 は 当 時 の 復 帰 運 動 の 影響 も考 え られ るが, キ ャ ラ ウ ェ ー旋 風 の 意 図 を理 解 した上 で の対 抗 的 な言 説 で もあ っ た。 当 時 の琉 球 政府 主 席 ・大 田政 作 は1963年 の 中止 命 令 につ い て 後 に こ う記 して い る。 「弁 務 官 の 真 意 は沖 縄 側 の利 益 を念 頭 に しなが ら も半 分 は 本 土 側 に ケ チ をつ け, あ る い は本 土 側 の不 備 を つ い て沖 縄 住 民 に本 土 へ の不 信 感 を抱 かせ る と 67) こ ろ に あ っ た もの の よ うに付 度 さ れ た」。 米 民 政府 は実 際 に, 復 帰 運 動 へ の対 抗 手 段 と して 集 団就 職 の 中止 命 令 を 出 した可 能 性 が 高 い。 次 の 一件 は そ の意 味 で興 味 深 い。 翌64年4月28 日, 今 度 は看 護 婦 見 習 い23人 の 「本 土 」 就 職 に 対 す る 中止 命 令 が 突 如 発 表 さ れ た。4月28日 は サ ンフ ラ ンシ ス コ講 和 条 約 が 発 効 し, 沖 縄 県 祖 国復 帰 協 議 会 が発 足 した 日で もあ る。 沖 縄 で は 「屈 辱 の 日」,「沖 縄 デ ー」 と も呼 ば れ, 64年 の こ の 日は 「軍事 的植 民 地 主 義 」 に反 対 し 「祖 国 復 帰 」 を 求 め る大 規 模 な県 民 総 決 起 大 会 が 開催 され て い た (新報1964年4月29日)。 次 節 で 取 り上 げ る 『海 外 へ の職 業 紹 介 業 務 取 扱 要 領 』 の第 十 一 条 に対 す る琉 球 政 府 の違 反 が 中止 命 令 の理 由 と され た が (新報1964年4月30日), 同 日 に 開催 さ れ て い た県 民 総 決 起 大 会 と無 関係 で は な い で あ ろ う。 こ の と き も中止 命 令 は1日 で撤 回 さ れ た。 米 民 政 府 は集 団就 職 を単 な る労 働 力 移 動 以 上 の もの, つ ま り沖 縄 と 「本 土 」 の結 合 を示 す 政 治 的 な イ ベ ン トと見 な した はず で あ る。 日本 政 府 に よる 中止 命 令 へ の批 判 は これ と同様 に政 治 的 な もので あ った。 先 述 の とお り中 止命 令 を知 る と と もに米 民 政 府 を非 難 した だ けで な く, 何 の事 前 連 絡 も な く中止 が 決 定 され た こ と に対 す る強 い不 満 を 改 め て 表 明 して い る (新報1963年6 月29日)。 そ の 表 明 に は 沖 縄 の 潜 在 主 権 の 再 確 認 とい う意 味 も含 まれ て い た で あ ろ う。 こ の よ う に3つ の 政 府 は各 々の 立 場 か ら集 団 就 職 を と らえ, 表 現 した。 集 団就 職 の マ イ ナ ス 面 を理 解 しなが ら もそ れ を肯 定 し, 再 開 を強 く 求 めた 沖 縄 の 人 々の 姿 は特 に印 象 的 で あ る。 (3)『 海 外 へ の 職 業 紹 介 業 務 取 扱 要 領 』 の制 定 1963年 の 中止 命 令 は沖 縄 と 「本 土 」 の 関係 強 化 に対 抗 す るた め の キ ャ ラ ウ ェー 旋風 の 一環 で あ っ た。 しか しなが ら米 民 政 府 は表 向 きの理 由 と して 「自 国民 」 の 福祉 を挙 げて い た。 一 方, 琉 球 政 府 と して は集 団 就 職 を順 調 に と りお こな う必 要 が あ った。 そ こで 両 政 府 に よ って 制 定 さ れ たの が 翌64年 の 訓 令 第 六 号 『海 外 へ の 職 業紹 68) 介 業 務 取 扱 要 領』 で あ る。 こ こで 言 う 「海外 」 とは も ち ろ ん 「本 土 」 の こ とで あ る。 同 要 領 は 沖 縄 内 部 で 就 職 困 難 な 「15歳以 上 」(第 五 条 の 四) の 「青 少 年 」 に対 し 「本 土 」 の 優 良 企 業 の 求 人 斡 旋 をお こ ない, 労 働 条 件 の 向 上 を 目的 と した (第一 条)。 い わ ゆ る 人 身 売 買 の禁 止 (第三 条 の四), 就 職 者 の 健 康 管 理 や そ の デ ー タ の琉 球 政 府 へ の報 告 (同八), 教 育 へ の 配 慮 (同九), 求 人 活 動 の管 理 (第八 条) な ど も定 め られ た。 1964年4月 にそ の 違 反 が 問 題 と され た 第 十 一 条 で は, 同条 に定 め られ た 各 項 につ い て 琉 球 政府 労 働 局 長 が 米 民 政 府 に 「随 時 」 報 告 す る こ とが 定 め られ てい た。 同条 は1965年 に 「必 要 に応 じ て」 報 告 す る もの へ と改 正 され て い る。 この 要 領 で 特 に興 味 深 い の は第 三 条 の 二 で あ る。 す な わ ち, 就 職 者 は, 国 籍, 出生, 性 別, 人種, 年令 67) 大 田政 作 『思 い 出 を随 筆 にの せ て 』 北 島 健 三 (非 売 品), 1970, 319頁。 68) 琉 球 政 府 内 務 局 文 書 課 『公 報 (号 外)』 第九 号 (1964年3月5日)。 琉 球 政 府 法 務 局 編 『琉 球 政 府 現 行 法 規 総 覧』 第 一法 規, 1972年5月13日 にお け る内 容 現 在。
又 は信 条 を理 由 とす る差 別 か らの保 護 が 保 証 され, か つ, 見 習 修 業, 訓 練 計 画, 婦 人 年少 者 の保 護 又 は労 働 組 合 へ の加 入 の権 利 若 し くは 団体 交 渉 の もた らす 恩 恵 の享 受 に 関 して, 就 業 地 出 身 の もの と同等 の取 扱 い を 受 け る こ と。 これ も沖 縄 出 身者 へ の差 別 的待 遇 を緩 和 す る た め の もの で あ ろ うが, 同年 に米 国 で制 定 さ れ た 「1964年公 民 権 法 」(Civil Rights Act of 1964) の 影響 も考 え られ る。 第三 条 の二 は, 雇 用 関係 の すべ て の 局面 に お け る 「人 種, 皮 膚 の色, 宗 教, 性, ま た は 出 身 国」 に よる一 切 の差 別 を禁 じた 公 民 権 法 第7編 (Title VII) と ほ ぼ 同 内容 で あ 69) る。 「米 民 政 府 との 関係 の 中 で制 定 さ れ た 同要 領 は, 集 団就 職 者 に対 す る 「特 殊 援助 」 と して は他 に 類 を見 な い 強力 な もの で あ っ た。 日本 政 府 の労 働 基 準 法 と同要 領 に よっ て, 労 働 条 件 が 二 重 に 審 査 され る こ とに な っ た か らで あ る。 そ の た め, 同要 領 の 制定 を契 機 に 「本 土 」 企 業 が 沖 縄 で の 求 人 を減 らす の で は な い か とい う危 惧 す ら語 ら れ た (新報1964年3月3日)。 実 際 に は1964年 の 「本 土 」 企 業 に よ る中 卒 者 へ の 求 人 数6,372件 は 前 年 の4,544件 の1.4倍 とな っ て お り, 減 少 し て は い な い。 しか し同要 領 に抵 触 しな い人 々が 含 ま れ る 一 般 就 職 者 へ の 求 人 は63年 が2,887件, 64年 が9,334件 と3.2倍 に な っ て お り, 就 職 者 数 も大 幅 に増 加 した (第2図)。 同要 領 は求 人 活 動 に何 らか の影 響 を及 ぼ した可 能 性 が 高 い。 沖 縄 の新 規 学 卒 者 に対 す る求 人 は これ 以 降 で は大 企 70) 業 に よ る もの が 中 心 に な っ た と さ れ る。 ま た 「本 土 」 復 帰 を 目前 に した1971年 に は次 の よ う な意 見 も見 られ た。 「現 在 琉 球 政 府 に よる 職 場 調 査, 求 人 面 の 身元 引 き受 け な ど, 二 重 にチ ェ ック さ れ て い るが, 復 帰 後 は本 土 並 み に求 人 が “自 由化 ”さ れ る。 集 団就 職 の 曲 が りか どで あ る」(新 報1971年3月11日)。 キ ャ ラ ウ ェー 旋 風 下 の 中止 命 令 は 同要 領 の制 定 へ と結 びつ き, 皮 肉 に も沖 縄 か らの 集 団就 職 に多 少 な りと も益 す る こ とに な っ たの で あ る。 中止 命 令 そ れ 自体 は きわ め て短 期 間 に解 決 さ れ たが, こ の とき3つ の政 府 の意 向, 特 に琉 球 政 府 が 集 団就 職 にか け る思 いが 明確 に示 され た。 そ して そ の意 向 は 『海 外 へ の職 業 紹 介 業 務 取 扱 要 領 』 の 制 定 に結 実 した。 「本 土 」 を 「海 外 」 と表 現 し,「 本 土 」 以 上 の 「特 殊 援 助 」 を 実 施 す る必 要 が あ っ た沖 縄 か らの集 団就 職 の特 異 性 は, こ の要 領 の存 在 に強 く見 て取 れ る。 V「 本 土 」 へ の あ こが れ と現 実 へ の対 応 1963年 の 中止 命 令 は 「本 土 」 就 職 者 の ホー ム シ ック に よ る帰 郷 を直 接 の理 由 と してい た。 沖 縄 出 身者 に とっ て 「本 土 」 とは どの よ う な もの で あ っ たか。 ま た琉 球 政 府 が 実 施 した合 宿 訓 練 とは何 か。 本 章 で は 「本 土 」 就 職 を め ぐる個 人 レベ ル で の諸 実 践 を見 て み た い。 (1)「 本 土 」 へ の あ こ が れ 1960年 に富 山 県 N社 で 起 き た 沖 縄 出 身 者 の 集 団 退 社 問 題 は 注 目に値 す る。 この 年 に 同社 で勤 務 してい た 「女 子 従 業 員 六 百 八 十 七 名 の う ち二 百 七 十 入 名 が 沖 縄 出 身 で」 あ り,「 こ こで は 『沖 縄 乙女 』 が 大 手 をふ って か っ ぽ してい 」 た (新報1960年6月14 日)。少 な くと も沖 縄 出 身 者 の 孤 立 状 況 は 同社 で は なか っ たの で あ る。 この よ う に多 数 の 沖縄 出身 者 が 集 中 した の は, 同社 の求 人 を仲 介 した 沖 縄 総 代 理 店 (H氏, 那 覇市) が 労 働 条 件 を 過 大 に示 した か らだ と され る (新報1960年4月20日 夕刊, 同6月13日 夕刊)。 そ してH氏 に 提 示 さ れ 69) 中 窪 裕 也 『ア メ リ カ労働 法』 弘 文 堂, 1995, 29頁。 70) 前 掲5)166頁。
-34-た 労働 条件 とは異 な る職 場 の現 実 に 直画 し, 多 数 の 集 団就 職 者 が帰 郷 を望 ん だ とい うの が集 団 71) 退社 事 件 の 要 旨 で あ る。 求 人 条件 と実 際 の労 働 条 件 との ギ ャ ップ は こ の 時期 に大 きな社 会 問題 とな っ て お り, お そ ら くこの エ ピ ソー ドも同様 だ と思 わ れ る。 しか し 興 味深 い こ とに この 時 は集 団退 社 した沖 縄 出 身 者 を批 判 す る 意見 も見 受 け られ た。 しか もそ う した批 判 で は 「あ こが れ」 とい う言 葉 が散 見 さ れ た。 た と え ばN社 に よ れ ば 「内 地 に あ こ が れ た 子 ど もた ち が, 本 土 の集 団就 職 を悪 用 した と も考 え られ る の で, 労 働 省 に訴 え 同省 か ら琉 球 政 府 に厳 重 抗 議 」 す る よ う求 め た (新報1960 年6月2日)。 沖 縄 側 で も次 の よ うな意 見 が あ っ た。 職業 は ど うで もい い, あ こが れ の本 土 の土 を踏 ん で み た い, 絵 ハ ガ キ に 出 て 来 る風 景 が見 た い, な どロ マ ンチ ック な観 光 的気 分 で就 職 した 人 に とっ て は, 着 い た翌 日か ら が っ か り した こ とで し ょ う。 ど この会 社 で も募 集 条件 を一割 増 し ぐ らい 良 く宣 伝 す る もの。 少 々 の くい ちが い は生 じて も一, 二 年後 に は お互 い に力 を合 わせ て改 善 に努 力 す る ほ どの 情 熱 は あ っ て ほ しい も の で す (新報1960年6月11日夕刊)。 つ ま り 「あ こが れ の本 土 」 を 「観 光 」 す る 手段 と して 集 団就 職 とい う制度 が 「悪 用 」 され た と い うの で あ る。 しか し実 際 は ど うだ っ た の で あ ろ うか。 72) 「漠 然 と した都 会 そ の もの へ の憧 憬 」 は集 団 就 職 者 一 般 に 当 て は ま る もの とさ れ る。 そ して 多 くの沖 縄 出 身者 もま た 「本 土 」 や 「都 会 」 に 73) 強 い あ こ が れ を抱 い て い た。 「日本 」 志 向 の 教 74) 育, 映 画 な どの メ デ ィ ア に よ る 「本 土 」 情 報 の 75) 流 布,「 本 土 」 へ の 修 学 旅 行 の経 験 な どに よ っ て 「本 土 」 へ の 関心 が 喚 起 され た例 もあ ろ う。 家 庭 の事 情 な どで沖 縄 で進 学 で きな か っ たた め, 「本 土 」 企 業 に 就 職 しつ つ 各 種 学 校 へ 通 う こ と を夢 見 た者 もあ っ た はず で あ る。 さ らに沖 縄 は 米 軍 支 配 下 で 閉塞 状 態 に あ っ た。 自分 の望 み は とて も小 さな 島-沖 縄 にい て は 実 現 で きな い, ……。(集 団就職 を) 反 対 す る父 母 や 兄 姉 た ち を納 得 させ そ れ は楽 し い第 二 の人 生 の 出発 で もあ り, 祖 国へ の あ 76) こが れ で もあ りま した。 「本 土 」 との社 会 的 ・心 理 的 距 離 は劣 等 感 だ け で な く, あ こが れ の意 識 を も もた ら した の で あ る。 も ち ろ ん 「み ん な も行 くか ら 自分 も一 度 77) は」 とい う当 時 の 沖縄 の状 況 もあ っ た。 こ う し た意 識 は賃 金 格 差 な どに対 す る合 理 的判 断 と重 な りな が ら重 要 な移 動 要 因 とな っ た はず で あ る。 しか も 「戦 前 の紡 績 工 場 へ で も送 る よ うに誤 解 78) して い る父 兄 の方 々 が多 」 く, 先 の引 用 文 に も あ る よ うに家 族 が 「本 土 」 就 職 に反 対 す る例 も 珍 し くな か っ た。 「本 土 」 就 職 者 に対 す る1974 年 の ア ンケ ー ト調 査 結 果 を見 て み る と, 就 職 先 に つ い て 「自 らの考 え」 で決 定 した とい う者 が 79) 76.9%に の ぼ っ て い る。 「学 校 ・先 生 」 の 意 見 32.2%,「 家 族 ・親 族 」11.2%な ど よ り もは るか 71) な お, 集 団 退 職 者 の 多 くが 過 年 度 卒 業 生 ・一 般 就 職 者 で あ っ た と して, N社 は 次 年 度 以 降 に お け る沖 縄 か らの 採 用 を 新 卒 者 に 限 っ て継 続 す る と した (新報1960年6月15日 夕 刊 な ど)。 新 規 学 卒 者 の方 が 就 職 ・労 働 に つ い て真 剣 に考 えて い た とい うこ とで あ ろ う か。 72) 前 掲6)133頁。 小 川 利 夫 ・高 沢 武 司編 『集 団 就 職-そ の追 跡 調 査-』 明 治 図 書 出版, 1967, 175頁。 藤 本 建 夫 『東 京 一 極 集 中 の メ ン タ リテ ィ ー』 ミネ ル ヴ ァ書 房, 1992, な ど。 73)「 本 土 」 へ の 「あ こが れ 」 とい う言 葉 は 様 々な 文 献 や 資 料 で 散 見 され る。 た とえ ば, 前 掲6)(1), 同(5)177頁 お よび259頁 な ど, 慶 応 義塾 大 学 沖 縄 親 善 訪 問 団編 『う る ま の 国 (沖縄)』 小 川 書 店, 1961, 113頁, な ど。 74) た とえ ば, 田仲 康 博 「郷 愁 の <日本>」EDGE12, 12-15頁。 75) 前 掲4)182頁。 76) 与 那覇 光 子 「富 士 山 の よ う に」 琉 球 労 働6-3, 1960, 36頁。 省 略 お よび カ ッ コ内 は 筆 者。 77) 前 掲6)(5)180頁。 78) 前 掲36)。 79) 財 団法 人沖 縄 協 会 『沖 縄 出 身本 土 就 職 青 少 年 に 関 す る意 識 調 査 報 告 書 』, 1974。