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─心理的責任要素としての故意理解について─

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(1)

「故意の提訴機能」の史的展開とその批判的検討( 2 ・完)(小池)   

論 説

「故意の提訴機能」の史的展開と その批判的検討( 2 ・完)

─心理的責任要素としての故意理解について─

小 池 直 希

はじめに

Ⅰ.提訴機能の学説史

  1 .提訴機能前史 ─誤想防衛をめぐる Welzel と Engisch の論争   2 .中義勝による「構成要件的故意の提訴機能」の提唱

  3 .日本における展開   4 .ドイツにおける展開

Ⅱ.提訴機能概念の担ってきた機能   1 .厳格責任説の正当化機能

  2 .責任説の正当化機能(故意責任の加重機能)

  3 .心理的責任としての故意と規範的責任論との接合機能   4 .解釈論的指針機能

Ⅲ.提訴のメカニズム   1 .問題の所在

  2 .提訴の主体(何が提訴するのか)

  3 .提訴の対象(何を提訴するのか)

  4 .提訴の機序(どのように提訴されるのか)

  5 .提訴の根拠(なぜ提訴されるといえるのか)

  6 .提訴の標準(誰にとって喚起可能ならよいのか)

  7 .提訴の前提:構成要件の不法類型性 (以上、96巻 2 号)

Ⅳ.提訴機能を用いる見解に向けられた批判   1 .厳格責任説に対する批判

  2 .提訴の有無・強弱に関する批判

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  早法 96 巻 3 号(2021)

Ⅳ.提訴機能を用いる見解に向けられた批判

1 .厳格責任説に対する批判

 まず、提訴機能を用いる見解のなかでも、厳格責任説にのみ妥当する批 判から検討をはじめよう。

 厳格責任説は、正当化事情を誤想している場合にも、「自身の行為が構 成要件に該当すること(法益を侵害・危殆化すること)はわかっているのだ から、自身の行為が正当化される状況にあるとの想定が正しいか否か、慎 重に点検せよ」との提訴は到達しており、構成要件的故意の提訴こそが故 意の成否にとって決定的であると主張する。換言すれば、構成要件的故意 によって一旦提訴が与えられたか否かに、故意と過失の決定的相違がある ことになる。

 これに対しては、すでにみてきたように、通説の側から、正当化事情の 誤想によって、構成要件的故意から生じる提訴は麻痺ないし中和され、

「単に間接的に

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違法性の意識を喚起しうるに過ぎない」(109)(傍点原著者)との   3 .喚起の直接性/間接性基準に対する批判

  4 .過失犯との比較からくる批判

  5 .現実の違法性の意識を有する場合についての批判

  6 .法益侵害に応じた故意責任の相違を説明できないという批判   7 .故意違法要素説からの批判

  8 .責任説を採りつつ故意と違法性の意識を結びつけることへの批判

Ⅴ.私見の展開

  1 .提訴機能に対する態度決定

  2 .故意責任の理論構造 ─心理的責任要素としての故意概念   3 .意味の認識の基準

  4 .誤想防衛の処理

おわりに (以上、本号)

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「故意の提訴機能」の史的展開とその批判的検討( 2 ・完)(小池)   

批判が寄せられている。換言すれば、正当化事情も含めた認識事実の総体 が、(正当化事情の想定を点検するなどの作業を経由することなく)行為者に 直接

4 4

提訴を与えるものであるか否かに、故意と過失の決定的相違を見出す べきであるとする。

 また、Jakobs は、次のような 2 人の医師の例を挙げて論ずる。まず、

酩酊しているにもかかわらず、失敗する可能性を考えることなく、うまく いくと軽信して手術をする医師は、手術に失敗しても過失にとどまる。こ れに対して、厳格責任説によれば、実際には手術に同意していない患者に 対して手術をしてしまったが、通常の人なら同意する手術内容であったた めに、当該患者も(正当化作用を有する)同意をしていると誤想していた 医師は、正当化事情の錯誤に陥っているものの、故意犯となる。しかし、

前者の医師のほうが、自身の態度の違法性について思案するためのより強 い契機を有しているのではないか。それゆえ、提訴機能は、故意と過失と を分かつものではない、というのである(110)

 たしかに、構成要件的事実を認識していない場合よりも正当化事情を誤 想している場合のほうが特別慎重に認識事実の正確性を点検しなければな らないとする厳格責任説の理由づけは疑わしく(111)、正当化事情の錯誤のもと では故意の提訴機能は働かないという通説の主張はもっともである。他 方、厳格責任説のいうように、正当化事情の錯誤のもとでは、行為者は一 旦構成要件的故意によって提訴を受けているということ自体は否定できな いはずであり、そこに規範的相違を見出すことの妥当性はともかく、構成 要件該当事実の不認識と正当化事情の誤想とでは、提訴の構造が異なると いうことはできよう。厳格責任説も制限責任説も、提訴機能に着目して故 意と過失を区別しようとする点では同様であり、どのような提訴をもって

(109) 佐久間・前掲注( 3 )256頁。中村邦義「誤想防衛論」『立石二六先生古稀祝賀 論文集』(成文堂、2010年)333頁、鈴木彰雄『刑法論集』(中央大学出版部、2020 年)117頁・133頁以下も参照。

(110) Jakobs, a. a. O. (Anm. 79), § 11 Rn. 47.

(111) Vgl. Roxin/Greco, a. a. O. (Anm. 65), § 14 Rn. 66.

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故意にとって十分であるかという点に相違があるにすぎない。そうする と、結局、提訴機能という観点からでは、故意責任と過失責任の相違をど こで線引きするか確定させることはできず、議論は平行線のままであるよ うにも思われる。

2 .提訴の有無・強弱に関する批判

 次に、提訴機能を用いる見解全般に妥当する批判を検討する。

 たとえば、有力な批判として、構成要件の提訴機能は万能ではなく、犯 罪領域によっては、構成要件による提訴が弱い、あるいはそもそも提訴が 認められないこともあるという指摘がある。

 殺人や窃盗といった、いわゆる「中核刑法(Kernstrafrecht)」の領域に おいては、構成要件の提訴機能は問題なく認められよう(112)。当該犯罪構成要 件の規定形式を詳細に知らなくとも、構成要件が定立された根拠たる不法 の内実(生命の剥奪や占有侵害など)に否定的評価が向けられることは、誰 でも知っているからである。

 しかし、犯罪領域によっては、必ずしもこのようにいうことはできな い。

 第一に、抽象的危険犯においては、構成要件該当行為と不法の内実との 間にかなり距離があるから、構成要件の提訴は、中核刑法の領域に比し て、かなり弱まるだろう(113)

 第二に、いわゆる法定犯のなかには、行為自体は価値中立的である犯罪 類型も存在し、そうした領域では、構成要件に提訴機能が認められるのか という問題が、より顕著に表れる(114)。たとえば、自動車による道路の右側通 行が禁止されているのは、右側通行自体に不法の内実があるからではな

(112) Vgl. Dinter, a. a. O. (Anm. 65), S. 43; Gaßner/Strömer, a. a. O. (Anm. 65), S.

123. さらに、岡野・前掲注(55)177頁など。

(113) Jakobs, a. a. O. (Anm. 79), § 11 Rn. 47.

(114) Walter, a. a. O. (Anm. 65), S. 393; Neumann, a. a. O. (Anm. 96), § 17 Rn. 90;

Rengier, a. a. O. (Anm. 72), § 31 Rn. 2.

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「故意の提訴機能」の史的展開とその批判的検討( 2 ・完)(小池)   

い。「通行区分制」という法的制度が、右側通行の禁止に論理的に先行し ており、「左側通行制度」という制度的事実を認識しないことには、右側 通行の不法の内実を認識することはできない(115)。このような犯罪領域におい ては、自然犯のように、前法的な社会倫理規範が法によって承認されるこ とで構成要件化されるというプロセスを経ておらず、どのような行為を規 制するかは、一定程度、立法者の裁量に委ねられている(116)。それゆえ、当該 領域における構成要件は、不法類型であるといっても、それ自体没価値的 な行為を制度的利益の保護のために類型化しているにすぎないから、禁止 違反の認識なくして、提訴は期待できない。そこで、このような法領域で は、違法性の意識を要求する故意説に近接せざるを得ないことになる。

 Arthur Kaufmann は、故意の提訴機能に賛意を示し、故意にとって実 質的違法性の意識(社会有害性の意識)を必要とする一方、形式的違法性 の意識(法律上の禁止の認識)は不要とする。しかし、法定犯の領域にお いては、法律上の禁止の認識を必要とする余地を認めている(117)。これは、法 定犯における構成要件による提訴の特殊性に配慮したものであろう。日本 における違法性の意識についての自然犯・法定犯区別説(118)も、基本的に同様 の発想にあるといえよう。

 このように、抽象的危険犯や法定犯のような、犯罪の中核領域から外れ る類型においては、構成要件的故意の提訴機能によって一元的に故意責任 を根拠づけることは困難であり、(部分的な故意説の採用といったような)

なんらかの修正を迫られることになろう。

(115) 髙山・前掲注( 1 )190頁。小林憲太郎『刑法総論の理論と実務』(判例時報 社、2018年)293頁以下は、これを「調整問題」と呼ぶ。

(116) Vgl. Neumann, a. a. O. (Anm. 96), § 17 Rn. 90; Jakobs, a. a. O. (Anm. 79), § 11 Rn. 47.

(117) カウフマン (甲斐訳)・前掲注(98)199頁以下 (Kaufmann, a. a. O. (Anm.

98), S. 137)。同旨、石井・前掲注(82)34頁以下。

(118) たとえば、八木胖『刑法における法律の錯誤』(有斐閣、1952年)302頁以下。

また、神山敏雄「行政犯及び経済犯における違法性の認識」一橋論叢98巻 5 号

(1987年)11頁・19頁以下も参照。

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3 .喚起の直接性/間接性基準に対する批判

 また、故意責任の実体を故意の提訴機能に求める見解は、違法性の意識 の喚起(あるいは「規範への直面」)が直接的か間接的かという点に故意と 過失の相違を見出すが、その基準に対して、主に故意説の論者から批判が 向けられている。

 提訴機能の観点から故意責任の態様を論ずるときには、次の 2 つの場合 が想定できる。ひとつは、構成要件該当事実の認識とともに違法性の意識 もあわせて抱いたにもかかわらず、それを乗り越えて行為に出た場合であ り、もうひとつは、構成要件該当事実を認識したものの、違法性の意識を 抱くことなく行為に出た場合である(119)

 このうち前者の場合には、厳格故意説同様、「違法行為を行おう」とい う直接的な反規範的心理が非難されることになろう。これに対し、後者の 場合には、事実を認識していたのだから違法性の意識を抱くことが法によ って期待されていたにもかかわらず、反対動機を形成しなかった

4 4 4 4 4

点が非難 されることになる。川端博は、このことを次のように論ずる。「故意犯に おいて違法性の認識の可能性があるにとどまるのは、狭義の構成要件的故 意の提訴機能が十分に作動しなかったばあいであるといえる。このばあい は、行為の違法性に十分な注意を払わなかったことにより責任非難が基礎 づけられる」(120)。このように、後者の場合、非難の重点は、積極的・事実的 な心理状態というよりも、「そうすべきなのにそうしなかった」という消 極的・規範的判断にあるといってよい。この点が、故意

4 4

責任にふさわしく ないと批判されている。とりわけ故意説からすれば、最終的に違法性の意 識を問題とするなら、端的に現実の違法性の意識の有無で故意と過失を区 別すればよいというのである。

 たとえば、中山研一は、厳格故意説の立場から、「違法性の意識の可能

(119) Vgl. Engisch, a. a. O. (Anm. 4 ), S. 599.

(120) 川端博『正当化事情の錯誤』(成文堂、1988年)184頁。

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「故意の提訴機能」の史的展開とその批判的検討( 2 ・完)(小池)   

性があるのに結局は反対動機を形成しなかったという場合が、なぜ反対動 機を形成した場合と同様に『故意』犯といえるのか」(121)と疑問を呈する。

 また、佐伯千仭は、準故意説の立場から、「自分の行為が許されないこ とを知らない者は、決して規範の問題に直面してはいない」(122)と主張する。

 さらに、梅崎進哉によれば、実質的故意論の「帰責基準は『より多くの 人間』の側にあり、責任を問われる者にとって完全にフレムト(疎遠)な ところで設定されることになる」が、「故意の内容はあくまでも被告人の 具体的認識が現実に反対動機を導いたかという観点から論じられねばなら ない。……およそ人が『こんなことをしていいのか』という認識(反対動 機)を持つのは、自己の行為の侵害性を認識したときに他ならない」(123)。  さらに、責任説の論者からも、違法性の意識の喚起の直接性/間接性を 故意と過失を分かつ基準とすることに対して批判が向けられている。山口 厚によれば、「違法性の意識の喚起可能性が直接的か間接的かは、単に言 葉の上でのみ区別することが可能であるに過ぎず」、「あくまでも、故意と 過失の差は、構成要件該当事実の認識の有無であって、違法性の意識の喚 起可能性が『直接的か間接的か』ではない」(124)

4 .過失犯との比較からくる批判

 提訴の存在自体は認めるとしても、それは故意に固有のものではないと いう指摘もある。

 たとえば、ドイツにおいては、「構成要件的故意なき提訴機能もまた存 在し、それゆえ、提訴機能は、構成要件的故意を特別扱いするものとはな りえない」(125)との批判がなされている。「道路交通において危険な追い越し を行う者、燃えているろうそくを持って納屋に入る者、人の近くで装填さ

(121) 中山研一『違法性の錯誤の実体』(成文堂、2008年)281頁以下。

(122) 佐伯千仭『四訂 刑法講義 (総論)』(有斐閣、1981年)254頁。

(123) 梅崎進哉「故意」法学セミナー511号 (1997年)64頁。

(124) 山口厚『問題探究 刑法総論』(有斐閣、1998年)150頁以下。

(125) Jakobs, a. a. O. (Anm. 79), § 11 Rn. 47.

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れた銃火器や爆薬を扱う者は、それが不幸な結果となった場合には、状況 を検討するための非常に強烈な提訴を聞き流してしまったのである。しか し、その者はなお、過失によって行為したにとどまる」(126)

 日本でも、「過失犯は違法性の意識の可能性がない場合にも成立する、

あるいはその場合だけ過失犯が成立するという(不当であり、採りえない)

見解を採らない限り、故意犯・過失犯いずれの成立を肯定するためにも

『違法性の意識の喚起可能性』は共通して必要であり、これによって故意 と過失を区別することはおよそ論理的に不可能」である(127)と指摘されること もある。

 過失犯論においては、具体的予見可能性説の見地から、いわゆる「危惧 感」を、結果の具体的な予見に到達するための「契機」ないし「警告表 象」として理解する道が示唆されている(128)が、「危惧感」を抱くという心理 状態もまた、一種の提訴を受けたものとみることができよう。

5 .現実の違法性の意識を有する場合についての批判

(a)批判の内容

 提訴機能によって故意責任を基礎づける見解は、「事実の認識が違法性 の意識を直接に喚起する」という点に着目するのであるから、(とりわけ 提訴の対象を違法性の意識と解している場合には、)違法性の意識へと至りう る道程が故意責任にとって重要だと考えていることになる。しかし、これ を徹底すると、終着点となる違法性の意識をすでに抱いている場合には、

その前提としての構成要件該当事実の認識がなくとも、故意の成立を認め るべきことになるはずであるが、これは不当である(129)と批判されている。た

(126) Roxin/Greco, a. a. O. (Anm. 65), § 14 Rn. 67.

(127) 山口・前掲注(124)150頁。同旨、山中・前掲注(23)321頁。髙山・前掲注

( 1 )80頁以下も参照。

(128) 松原芳博『刑法総論〔第 2 版〕』(日本評論社、2017年)293頁。松宮孝明『刑 事過失論の研究〔補正版〕』(成文堂、2004年)294頁以下も参照。

(129) 林幹人『刑法の基礎理論』(東京大学出版会、1995年)93頁。町野・前掲注

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しかに、構成要件として類型化されている犯罪の実質たる意味の認識がな くとも、法規範違反を認識していれば直ちに故意が認められるというので あれば、故意を要求する意義は形骸化してしまうであろう。

 類似の問題は、次のような誤想防衛に関する二重の錯誤の事例でも発生 する。

〔おもちゃのピストル事例(Spielzeugpistolenfall)(130)

 精神病患者 A が、おもちゃのピストルの銃口を B に向けた。B は、自分 が本物のピストルで脅されていると考え(第一の錯誤)、防衛の意思で A を 射殺した。その際、B は、法は精神病患者に対する正当防衛を許していない と思っていた(第二の錯誤)。

 制限責任説は、「誤想防衛では規範に直面しえない」ということを故意 阻却の根拠とするが、この事例の行為者 B について、第二の錯誤によっ て、現に規範に直面している(現実の違法性の意識を抱いている)とみるな ら、「誤想防衛では規範に直面しえない」という論拠と矛盾することにな る。そうすると、提訴機能によって故意責任を基礎づける場合、この事例 では B が違法性の意識を抱いているのであるから、制限責任説からも故 意を認めるべきということになるはずである。しかし、客観的に評価すれ ば適法な事実を認識している行為者に故意責任を問うことは不当であるよ うに思われる(131)

(b)「事実の認識なき違法性の意識」はありうるか?

 もっとも、上記事例では、「事実の認識がないのに違法性の意識は抱い ている」という事態が念頭に置かれているが、果たして事実の認識なくし て違法性の意識を獲得することは可能なのだろうか。たとえば、おもちゃ

(55)187頁も参照。

(130) 本事例については、小池・前掲注(53)265頁以下参照。

(131) 小池・前掲注(53)293頁。

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のピストル事例のように、(責任無能力者に対する正当防衛は許されないとい う)誤った妄想から法規範違反を意識した場合には、その獲得過程に瑕疵 があるから、違法性の意識としての適格性を欠くと解する余地もある(132)。そ うであるなら、提訴機能を用いて故意を論ずる場合にも、本事例では、

「事実の認識から瑕疵なく違法性の意識を獲得してはいない」として、故 意阻却を認めることは可能であろう。

 これと同様に、構成要件該当事実の認識がないにもかかわらず、偶然に も法規範違反の意識を抱いてしまったような場合(133)にも、その意識の獲得過 程には瑕疵があるから、提訴機能に故意責任の実体を求めたとしても故意 は認められないとの反論が考えられる。換言すれば、行為者の実現した構 成要件該当事実の認識なくして、違法性の意識を抱くことはできないので あって、批判者の想定する事例はそもそも存在しないということである。

故意説の論者が事実の認識を違法性の意識の発生根拠とみている(前述Ⅰ 3 ( 6 )参照)のも、裏を返せば、事実の認識なくして違法性の意識を抱 くことができないということであろう。

 このように考えてみると、「提訴機能の観点からは現実の違法性の意識 があれば構成要件該当事実の認識は不要になってしまう」という批判は、

決定打にはなりえないのではないだろうか。

6 . 法益侵害に応じた故意責任の相違を説明できないという 批判

 仮に提訴機能によって故意責任と過失責任の相違を説明できたとして

(132) 小池・前掲注(53)294頁以下。

(133) 一例として、小池・前掲注(53)263頁で紹介した、「イタチ事例」を挙げるこ とができよう。イタチ事例とは、次のような事例である。「密猟者 W はイタチ

(連邦狩猟法によれば狩猟の対象とされる動物であり、それゆえドイツ刑法292条の 意味における猟獣である)を捕獲した。彼はイタチをネズミだと思い(第一の錯 )、しかしネズミは狩猟対象の動物であり、それゆえドイツ刑法292条の意味にお ける猟獣であると思っていた(第二の錯誤)」。本事例では、猟獣たるイタチの認識 を欠いているが、密猟罪にあたるという意識は抱いている。

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「故意の提訴機能」の史的展開とその批判的検討( 2 ・完)(小池)   

も、反対動機形成の観点からでは故意責任の大小を適切に把握することが できず、行為者によって認識された不法の大小を責任に反映できないとい う問題が生じる(134)との批判もある。

 刑法上の責任は程度を付し得る概念であるが、故意責任の実体を解明す るためには、同一法益侵害結果に対する侵害態度の相違から生じる責任の

相違(135)すなわち「責任の縦の比較」のみならず、同一侵害態度による異なる

法益侵害結果に対する責任の相違(136)すなわち「責任の横の比較」についても 的確に説明できる論理を要する。故意の提訴機能では、このうち責任の縦 の比較は論証できても、責任の横の比較を論証することはできないという のである。

 第一に、禁止の認識(形式的違法性の意識)には、程度を付しえない。

「禁止はあるかないかであって、多く禁止されるとか少なく禁止されると かいうことはないからである」(137)。それゆえ、「窃盗は少しやってよいが殺人 は高度に禁止されている」から両罪の故意責任が異なるという理解は不可 能である(138)

 第二に、反対動機形成可能性の大小で故意責任を把握することも不当で ある。「殺人の責任が窃盗の責任よりも重いのは、反対動機の形成可能性 が殺人の方が大きいからではなく、殺人の不法が窃盗の不法よりも大きい からである」(139)。「現行法の各則の罪の法定刑の程度は、認識された犯罪事実 の重大性に応じたものであり、回避の容易性に応じて定められているわけ

(134) 髙山・前掲注( 1 )88頁以下、橋爪隆「構成要件的符合の限界について」法学 教室407号(2014年)100頁・102頁参照。

(135) たとえば、故意責任は過失責任より重く、また、故意のなかでも意図はより重 い責任形態である。日本では刑法典上区別されてはいないが、諸外国における故殺 と謀殺の相違を思い浮かべてみるとよい。

(136) たとえば、殺人罪の故意責任は窃盗罪の故意責任より重い。

(137) 髙山・前掲注( 1 )74頁。

(138) 髙山・前掲注( 1 )88頁参照。

(139) 佐伯仁志「故意・錯誤論」山口厚ほか『理論刑法学の最前線』(岩波書店、

2001年)102頁。髙山・前掲注( 1 )112頁以下も参照。

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ではない」(140)

 それゆえ、故意が責任の横の比較を可能とするためには、行為者の実現 した不法を責任に媒介する機能を付与する必要がある(141)が、提訴機能による 反対動機形成可能性の大小という基準には、不法を責任に媒介するという 観点は内在していない。

 提訴機能によって責任の不法媒介機能を説明しえないということは、提 訴機能の出自からしても明らかである。提訴機能は誤想防衛論に由来する 概念であり、誤想防衛においては、犯罪類型ごとに異なる故意責任の量的 相違は問題とされていない。正当化事情の誤想が故意責任に与える影響を いくら論じたところで、個々の体系構成要件に内在する不法の相違を責任 に媒介するという観点は出てこない。

7 .故意違法要素説からの批判

 提訴機能によって故意責任を基礎づける見解は、構成要件該当事実の認 識と違法性の意識(あるいは事実的な反対動機)の喚起とを結びつける。そ れは、規範的責任論のもとでは、責任とは反対動機形成可能性を意味する から、故意を責任要素とするなら、故意責任もまた反対動機形成可能性と 結びつけられなければならないと解されているからである。

 しかし、責任説を採り、かつ故意の体系的地位をもっぱら違法要素と解 する見解からは、このように解する必然性はない。すなわち、「違法性の 意識は動機づけの制御に関わる責任の問題であり、違法要素としての故意 とは無関係である」(142)というのである。

 たしかに、規範の義務づけ機能と動機づけ機能をそれぞれ違法性と責任 に分属させるという、論者の拠って立つ体系からすれば、違法論で問題と

(140) 髙山・前掲注( 1 )75頁。

(141) 髙山・前掲注( 1 )88頁、佐伯・前掲注(139)102頁、橋爪隆『刑法総論の悩 みどころ』(有斐閣、2020年)160頁。

(142) 井田・前掲注(22)70頁。

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なる故意と責任論で問題となる反対動機形成可能性(違法性の意識の可能 性)とを結びつけることは体系的矛盾であるから、故意をもっぱら違法要 素と解する場合には、故意の加重根拠を説明するために、提訴機能概念を 用いることはできないことになろう。

 もっとも、この見解に対しては、故意を責任と完全に切り離して理解す ること自体に疑問がある。論者は、「責任は、不法とは異なり、処罰を根 拠づけるものではなく単に限定するものにすぎず、それじたい独立の分量 を持っているものではない。分量を与えるのは不法でしかあり得ないので ある。不法とは処罰の基礎づけ(エンジン)であり、責任とは処罰の限定

(ブレーキ)にすぎない。違法性の段階で、10の不法が基礎づけられたとい うとき、責任の段階ではそのうちのどれだけを主観的に帰責し得るかが問 題となるのである」(143)とする。

 たしかに、非難の対象

4 4

を考えるに際しては、責任は独立の分量を持たな い。純然たる「不法なき責任」は排除されるべきである。行為責任を堅持 するためには、非難は行為を通じた不法の惹起だけを対象とするものでな ければならない。

 しかし、確定された非難の対象へどの程度

4 4 4 4

の非難を向けるかという判断 を、(故意によって媒介された形で不法の大小にも影響を受けるとはいえ)不 法の観点だけから導出することは不可能であり、必ず責任評価を介さなけ ればならない。同一の不法内容に対してそれ以上重い非難を想定し得ない ような最も重い非難

4 4 4 4 4 4

、換言すれば「一定量の不法に対して科し得る刑の限 界」などというものを観念することはできない。それゆえ、責任を処罰限 定的にのみ理解することもまたできない(144)。非難の程度は、責任の観点を抜

(143) 井田良「コメント②」山口厚ほか『理論刑法学の最前線』(岩波書店、2001年)

133頁。

(144) このことを的確に論じるのは、野村健太郎『量刑の思考枠組み』(成文堂、

2020年) 5 頁以下。同書は基本的に量刑責任について論じるものであるが、そこ で展開されている理論は、犯罪論における責任理解(いわゆる「刑罰を根拠づける 責任」)においても妥当するはずである(同書21頁では、故意の不法媒介機能も援

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きにして語ることはできない。この限りで、責任は独立の分量を持つので ある。したがって、刑法上の非難は、故意・過失によって媒介された不法 の量を基底としつつも、責任によって積極的に基礎づけられなければなら ない。

 かくして、不法の量が、責任評価を介さず直ちに

4 4 4

刑罰の量に結び付くこ

とはない(145)から、故意をもっぱら違法要素として捉えることはできない。故

意・過失という心理的責任要素を媒介としてはじめて、不法の量は刑罰の 量に結びつくのであり、責任は処罰を基礎づける量的実体を有するもので ある(146)

 また、故意を違法要素としつつ、故意を含めたすべての不法要素が間接 的に責任の基準にもなるという見解に対しては、「故意には客観的不法内 容の認識が含まれるのであるから、故意とその他の不法要素とを並べて責 任判断の対象とするのでは、すでに故意の認識対象とされた不法内容を責 任において二重に考慮することにな」る(147)との批判も向けられている。この 二重考慮は、客観的不法を行為者に帰属させる故意・過失の体系的位置づ けを誤っていることに起因するものである。

用されている)。

(145) ただし、人的不法論を前提として、行為無価値自体に非難の契機を見出す「不 法非難」の構想(伊東研祐「いわゆる責任論の近時の展開動向と犯罪論体系に関す る一考察」荘子邦雄先生古稀祝賀『刑事法の思想と理論』(第一法規、1991年)77 頁以下参照)からは、「非難」が責任の専有物ではなくなるため、なお論理的一貫 性を担保しうる余地がある。しかし、このような理解は、犯罪論から「責任」とい う体系カテゴリーを消失させる契機を孕む点で問題があるように思われる。

(146) 佐伯・前掲注(139)101頁は、「個人の処罰を基礎づけ量刑の基礎となるのは その者の責任であり、故意が過失よりも重く処罰されることは責任の量の違いとし て説明される必要がある。そのためには、行為者が惹起した違法の量を責任の量に 媒介するものとして、故意を責任要素に位置づけることが不可欠である。」と指摘 する。

(147) 髙山・前掲注( 1 )89頁。ただし、行為無価値一元論を採用する場合には、客 観的不法は独立の分量をもたないから、この限りではない(同書89頁)。

(15)

「故意の提訴機能」の史的展開とその批判的検討( 2 ・完)(小池)   

8 . 責任説を採りつつ故意と違法性の意識を結びつけること への批判

 さらに、そもそも責任説とは故意と違法性の意識の可能性を切り離した 学説であるのだから、責任説に立ちつつ、故意と違法性の意識を連続的に 捉える提訴機能を用いることはできないと主張されることもある(148)。  ここでは、責任説の定義が問題となる。責任説とは、違法性の意識を故 意の要件

4 4

とはしない見解であると定義するなら、違法性の意識自体を故意 の要件としなくとも、提訴機能を介して故意責任と違法性の意識を関連づ ける可能性は、理論上排斥されていない。責任説は厳格故意説からの離反 を目的に主張された学説であるから、本稿は、責任説を上記のように定義 する。前述のように、故意の提訴機能は、責任説の正当化という役割も担 ってきたのであり、責任説が提訴機能を用いることができないとするの は、学説史の理解からしても誤っているように思われる。(厳格)責任説 の主唱者である Welzel もまた、故意を違法要素とするものの、それが最 終的に責任非難に影響を及ぼすことは認めており(149)、「違法な故意は、それ がどれだけ違法性の意識を現実化させるものであり、どれだけ意思決定の 反対動機となりえたかに応じて、行為者に対して非難を向けることができ

(150)る」

として、故意を違法性の意識や反対動機と関連づけている。彼が厳格 責任説を主張する際に、(「提訴機能」という定式は用いていないものの、そ の実質において同様の)構成要件的故意のもつ「衝撃(Impulse)」で十分で あるという論拠が用いられていたことに思いを致すべきである。

 これに対して、責任説とは、故意と違法性の意識を一切関連づけてはな

(148) 川端・前掲注(120)184頁、南・前掲注(47)100頁以下、川田泰之「規範的 構成要件要素の認識」法学研究論集36号(2012年)30頁以下。町野・前掲注(55)

187頁も参照。

(149) Welzel, a. a. O. (Anm. 6 ), S. 161. 福田・前掲注( 3 )182頁以下、髙山・前掲 注( 1 )72頁も参照。

(150) Welzel, a. a. O. (Anm. 6 ), S. 161f.

(16)

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  早法 96 巻 3 号(2021)

らない見解であると定義づけるなら、たしかに、責任説からは提訴機能を 用いることはできないということになるだろう。しかし、この定義は論点 先取の誹りを免れないように思われる。

Ⅴ.私見の展開

1 .提訴機能に対する態度決定

( 1 )解釈論的給付能力に対する疑問

 ここまで、提訴機能を用いる見解に向けられてきた批判を概観してきた が、筆者もまた、このうちいくつかについて疑問を共有するものであり、

故意責任の実体を提訴機能に見出すことはできないと考えている。

 まず、故意責任の根拠は、抽象的理論にとどまらず、故意論・錯誤論に おける個々の論点について解釈論的指針を与える給付能力を有する必要が あると思われる。しかし、すでに一部みてきたように、故意の提訴機能に よる解釈論的給付能力には疑問がある。なぜなら、提訴機能を用いる論者 のなかでも、提訴のメカニズムに対する理解が統一されておらず、それに もかかわらず提訴機能に解釈論的指針を求めることは、処罰すべきか否か の結論に応じて恣意的に故意概念を操作することにつながり、ブラックボ ックス化しかねない(151)からである。「『提訴機能を発揮するように事実認識の 範囲を画定せよ』と説くだけでは、議論の循環にすぎない」(152)との指摘は、

提訴機能による故意理解の問題性を的確に表している。

 たとえば、方法の錯誤においては、法定的符合説の陣営も具体的符合説 の陣営も規範の問題を持ち出して自説の理由づけに援用するが、各自の依 拠する規範の具体性について見解の一致がないから、結局のところ問題の 解決はなされていない(153)

(151) 西田典之(橋爪隆補訂)『刑法総論〔第 3 版〕』(弘文堂、2019年)257頁参照。

(152) 塩見淳『刑法の道しるべ』(有斐閣、2015年)85頁。

(17)

「故意の提訴機能」の史的展開とその批判的検討( 2 ・完)(小池)   

 また、誤想防衛においても、提訴機能の観点から制限責任説と厳格責任 説の対立を解決するには、「認識した正当化事情について再点検せよ」と いう構成要件的故意による提訴が、故意責任にふさわしいかという問題が 解決される必要があるが、これは量的な線引きの問題であって、論理的に 結論が出る類のものではないことが予想される。

 さらに、提訴機能による解釈論的給付能力には、市民に対してどの程 度、法を知ることや法を調べることを期待できるかという問題も大きく影 響するだろう。ある事実についての意味の認識には無限の程度がありう る。市民に対して強い期待をかければ、裸の事実に近い認識さえあれば、

そこから違法性の意識を喚起することが期待されることになろう。他方、

多様な法規範が乱立する現代社会では市民に対して強い期待はかけられな いと考えるなら、違法性の意識に近い評価的認識までなければ、提訴は果 たされないということになろう。たとえば、文書のわいせつ性の意味の認 識についても、「なんらかの文字が記載された本である」という認識さえ あれば、そこから「違法なわいせつ文書かもしれない」と推知することを 期待することも不可能ではない。逆に、現状のポルノ規制の曖昧な線引き を考えれば、「ひわいな内容の本である」という認識があってもなお、そ こから違法性の意識を喚起することは容易ではないという結論を導くこと もできる。規範的構成要件要素についての錯誤が問題となった種々の判例 の事案の解決について、提訴機能を用いて説明する論者の間で結論が分か れていることも、提訴機能による解釈論的指針の不明確性を示すものとい えよう。

(153) 関・前掲注(37)61頁は、方法の錯誤におけるこのような議論状況を受けて、

「故意・故意犯の成否の問題を規範の問題に転換して説明しようとすることに、そ もそも合理性がないのではないかと考えざるをえない」と疑問を呈する。同様に、

鈴木左斗志「方法の錯誤について」金沢法学37巻 1 号(1995年)112頁も、「『故意 犯が成立する範囲』という解明すべき問題を、『反対動機が設定される範囲』(ある いは、『規範の命令している範囲』)という別の問題に置き換えられたとしても、そ れだけでは、問題の実質的解決は得られないのではないか、と思われる」と指摘す る。

(18)

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 そもそも、前述のように、犯罪領域によっては提訴機能を有しない構成 要件も存在する。当該構成要件該当行為が道徳規範・社会倫理規範に抵触 するものでなければ、提訴の根拠を欠き、構成要件該当事実の認識から、

直ちに反対動機は提訴されない。それゆえ、法定犯のうち一部の領域で は、故意責任の実体を故意の提訴機能に求めることはできない。もちろ ん、つとに指摘されているように、自然犯と法定犯の区別は流動的であ り、制定当初は倫理的に無色だった行為が、次第に道徳的に悪い行為であ ると評価されるようになることはある(法定犯の自然犯化)。しかし、制定 間もない刑罰法規や市民にあまり知られていない刑罰法規については必ず しもそのようにはいえないのであって、構成要件の提訴機能を期待できな い領域は常に一定程度存在し続けるであろう。そうした犯罪領域において 要求されるべき故意の内容を、提訴機能の観点から明らかにすることはで きない。

( 2 )「責任の縦の比較」に対する疑問

 提訴機能概念には、責任の縦の比較(故意責任の加重根拠の論証)をなす ための機能が付与されてきたが、すでにみたように、この機能にも無視し えない批判が向けられている。とりわけ、過失にも提訴機能は存在すると いう指摘は重要であり、提訴機能の観点からは、故意と過失に質的相違を 見出すことはできないのではないかという疑問が生じる(前述Ⅳ 4 参照)。 また、提訴の標準を一般人とするにせよ法の立場とするにせよ、行為者か ら離れたところに故意責任の標準を求めることは、故意の客観化につなが るおそれがある。提訴機能による故意理解は、行為者の心理状態を、規範 的判断のための単なる媒介項へと矮小化させてしまう。そうすると、故意 をあくまで主観的責任要素と捉え、不法を行為者個人に主観的に帰属する 要素であると理解する(154)ならば、故意責任と過失責任の相違は、行為者の心

(154) 伊藤渉ほか『アクチュアル刑法総論』(弘文堂、2005年)219頁以下〔安田拓 人〕参照。

(19)

「故意の提訴機能」の史的展開とその批判的検討( 2 ・完)(小池)   

理状態の相違自体から直接導かれるべきものであって、提訴機能のように 規範的相違に変換された形で導かれるべきではないと解すべきであろう(155)。  また、責任の縦の比較の観点からは、故意の内部でも意図がより重い故 意の形態であることを論証する必要があるが、提訴機能の観点からでは、

これをうまく説明することが難しいとも指摘されている(156)。意図がある場合 と消極的認容にとどまる場合との間に、違法性の意識の喚起可能性につい て相違があるとは思われないからである。

( 3 )「責任の横の比較」に対する疑問

 さらに、提訴機能によって故意責任を基礎づけることのより本質的な問 題性は、責任の横の比較(犯罪類型ごとの故意責任の相違)にある。なぜな ら、提訴機能の観点からは、罪刑均衡原則を維持することができないから である。

 罪刑均衡原則のうち、序数的均衡性(ordinal proportionality)は、「ある 行為への反作用が、他の行為のそれと比較して、相対的に正しい関係にあ る」ことを要請する(157)が、この意味での罪刑均衡原則は、責任段階において も固有の意義を有する(158)。なぜなら、「法定刑の大小は基本的に、認識され た犯罪事実の重大性に対応している」(159)からである。責任論においてこの対 応関係を維持するためには、故意・過失によって、実現した不法の大小を 責任へと媒介しなければならない(160)。すでにみたように(前述Ⅳ 6 参照)、

(155) 本稿のような心理的側面に着目した責任非難の構成に対しては、批判的な見解 もある。たとえば、鈴木茂嗣『刑法総論〔第 2 版〕』(成文堂、2011年)87頁は、

「犯罪の処罰は、行為者の結果惹起行為の『意思』的側面を非難するものではな」

いとする。

(156) 小林・前掲注(115)287頁。

(157) 岡上雅美「いわゆる『罪刑均衡原則』について」川端博ほか編『理論刑法学の 探究❷』(成文堂、2009年)17頁以下。

(158) 髙山・前掲注( 1 )108頁以下参照。

(159) 髙山・前掲注( 1 )103頁。

(160) 髙山・前掲注( 1 )103頁・108頁参照。

(20)

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「規範への直面」という観点からでは、この故意の不法媒介機能は果たさ れない。

 かくして、故意責任の実体は、自らの犯した不法内容(法益の侵害・危 殆化)を認識していることに見出されるべきであり(161)、故意責任を考えるう えでは、提訴機能という観点を持ち出すべきではない。

( 4 )「事実」としての提訴

 このように、私見によれば、故意の提訴機能は、故意責任の根拠

4 4

とはな りえない。もっとも、提訴の機序や提訴の根拠において分析したように、

とりわけ中核刑法の領域においては、ほとんどの場合、故意が違法性の意 識を直接的に喚起する契機となることは事実である。本稿も、故意を有す ることの反射的効果として、事実上

4 4 4

、行為者が提訴を受けることがあると いうことまでも否定する趣旨ではない。

 そこで、故意責任の根拠を多角的・複合的な観点から説明し、故意の提 訴機能を、故意責任の多様な根拠のうちのひとつ

4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4

と解する方途もないわけ ではない。たとえば、松原芳博は、以下のように、 3 つの観点から故意責 任の根拠を論ずる。

 「犯罪事実の認識としての故意は、第 1 に、自己責任の観点から、外界の 犯罪事実を自己の意思の産物として行為者に主観的に帰属させることによっ て行為者の責任を基礎づける。行為者は、自らの意思で犯罪事実の実現を選 択したことから、実現した犯罪事実に対する責任を負担する。第 2 に、犯罪 事実の認識としての故意は、法益の侵害・危殆化の認識を含むことから、行 為者の法益尊重意識の欠落の表れとして、市民相互間の法益尊重義務に違反 したことへの非難、および法益尊重意識の覚醒による予防の必要性を基礎づ

(161) 林幹人『刑法総論〔第 2 版〕』(東京大学出版会、2008年)268頁は、このこと を次のように論ずる。「故意の成立に必要なのは、法益に直面することである。『悪 い』ことと思わなくても、違法だと思わなくても、法益に直面しつつ行為する者に は故意がある。問題とされるべきは、規範ではなく、法益に直面したかである」。

(21)

「故意の提訴機能」の史的展開とその批判的検討( 2 ・完)(小池)   

ける。第 3 に、犯罪事実の認識としての故意は、犯罪に出ようとする意思に 対して規範的抵抗を呼び起こし、反対動機を形成する重要な契機を提供する ものであって、これを無視して犯罪行為に出た者に対する重い非難を基礎づ ける。こうして故意は、行為者に対する重い責任非難を根拠づけるものとし て、責任要素に位置づけられる。」(162)

 また、小林憲太郎は、後述のように、故意責任の加重根拠を処分(特別 予防)の必要性によって根拠づけるが、それと並行して、(本稿のいう規範 的責任の観点に相応する)制裁の観点からも説明しようと試みている(その 機序についての詳細は、前述Ⅲ 4 ( 5 )参照)。故意の本質を語るうえでは処 分の観点からの説明が欠かせないが、「制裁の観点から故意による刑の加 重を説明できる側面もある」(163)というのである。

 たしかに、複数の観点から故意責任を根拠づけるこうした試みは、現実 世界における事実としての故意責任の在り方を描写するには適している。

そしてそれは、「行為者にとっての納得可能性を保障する」(164)責任主義の機 能を果たすためにも、有用であると思われる。しかし、解釈論における犯 罪成立要件として故意責任を考えるうえでは、必要条件たる根拠を選別す る作業が必要ではないだろうか。そうでなくては、各種論点において、故 意責任の根拠から演繹的に帰結を導出することは不可能となり、解釈論的 給付能力は損なわれてしまう(165)。そして、故意の提訴機能は、故意責任の必 要条件たる根拠となるだけの資格までは有していないと思われる。

(162) 松原・前掲注(128)227頁以下。

(163) 小林・前掲注(91)〔『刑法総論〔第 2 版〕』〕170頁。

(164) 松原・前掲注(128)10頁。

(165) たとえば、観点 A は充足するが観点 B は充足しない意味の認識でも、故意は 認められるか、ということが問題となるだろう。これを解決するには、諸観点ごと の優劣関係を明らかにする必要があるが、それはつまるところ、故意責任の必要条 件たる根拠を選別する作業にほかならない。

(22)

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2 . 故意責任の理論構造

─心理的責任要素としての故意概念

( 1 )規範的責任論による一元的構成への疑念

 提訴機能による故意責任理解が維持できないとなると、心理的責任要素 としての故意(および過失)は、反対動機形成可能性を基準とする規範的 責任論との接合点を失い、規範的責任概念から分離されることになる。い わば、反対動機形成可能性がないところにも故意責任の実体は存在しうる のである(166)

 このような故意理解に対しては、「心理主義的に基礎づけられる故意は、

意思形成過程の規範的評価である違法性の意識(の可能性)と接合するこ とは困難であり、犯罪論内部において刑事責任が分断される」ため、「責 任を反対動機形成可能性として理解するのであれば、故意の対象ないし意 味の認識も、反対動機形成可能性となんらかの関連性をもって理解しなけ ればならない」(167)として、故意責任も反対動機形成可能性の観点から一元的 に構成すべきとの批判もある。

 しかし、「刑法体系に先立って責任の本質などというものが存在するわ けではないから、無理やりに責任を一元的な原理により構成しようとする のは本末転倒である」(168)。責任説を採りつつも、提訴機能によって故意責任 を違法性の意識と接合させようとした中義勝の見解は、規範的責任論から 責任を一元的に構成しようとする試みであったといえようが、すでに論証 したとおり、種々のひずみを生み、貫徹可能なものではない。

 中に限らず、日本の刑法学では、責任に関する問題を、規範的責任論か ら一元的に帰結を演繹しようとする傾向が強い。たしかに、規範的責任論

(166) 南・前掲注(47)103頁参照。

(167) 石井徹哉「無免許運転罪の故意」岡野光雄先生古稀記念『交通刑事法の現代的 課題』(成文堂、2007年)139頁。

(168) 小林憲太郎『刑法的帰責』(弘文堂、2007年)77頁。

(23)

「故意の提訴機能」の史的展開とその批判的検討( 2 ・完)(小池)   

は、「反対動機形成可能性がない場合には責任を問うことができない」と いう消極的側面においては、正しい核心を有しているように思われる。し かし、規範的責任論は、「反対動機形成可能性がある場合にはなにゆえ/

どれだけ非難できるのか」という、責任非難の積極的側面に関する言明ま で必然的に含意するものではない。この規範的責任論の一面性について、

荘子邦雄は、以下のように的確に指摘している。

 「責任は非難可能性であるという命題は、責任が価値関係概念であること を明らかにするにとどまり、非難が可能であるという実質的価値判断の前提 要件を明らかにするものではない。規範的責任論は、責任をもっぱら心理的 関係として把握することにより故意と過失との統一に矛盾を感じた心理的責 任論における方法論と対立して責任の実質を非難可能性と解したが、非難可 能性と故意および過失との関係を積極的に明示する努力をなおざりにした。

規範的責任論は、責任は非難可能性であるという命題をかかげることによ り、故意および過失そのものと『責任』とのかかわりに関する積極的な探究 を停止した。ここに、規範的責任論における方法論上の問題がある。規範的 責任論が心理的責任論を完全に克服するためには、故意および過失の意義を 積極的に究明した心理的責任論の方法論に立ち戻り、故意および過失と『責 任』すなわち非難可能性との関係を積極的に検討しなければならない。すな わち、規範的責任論は、故意および過失の『責任』における位置付けについ て論理構成を進め、故意および過失を責任非難の前提要件、有責判断をくだ すための積極的前提として確立しなければならない。故意および過失が非難 を根拠付ける責任要素として把握された時に、始ママめて、非難可能性という実 質的価値判断の前提要件が明確となる。」(169)

 また、Arthur Kaufmann も同様に、実質的責任概念を探究することの 重要性について強調する。「非難可能性こそが責任の本質存在であるとい う見解、それどころか責任は非難可能性に尽きるという見解が主張される 場合、責任原理は、完全に意義をなくしてしまっている。……責任原理を

(169) 荘子邦雄『刑法総論〔第 3 版〕』(青林書院、1996年)302頁。

(24)

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  早法 96 巻 3 号(2021)

真摯に主張する者は、責任の下で非難可能性を理解するのみならず、責任 に実質的内容を結び付けなければならない。それが可能なのは、責任の中 に実在性

0 0 0

が認められる場合だけである。」(170)

 すでにみたように、提訴機能によって「反対動機形成可能性の大小」と いう観点から故意責任を基礎づける試みは奏功しないように思われる。よ って、残された方途は、故意を、反対動機形成可能性とは切り離された形 で、責任に量的実体を与える心理的責任要素として理解する方向性であ

(171)る

( 2 )責任論体系の二元的構成①:髙山佳奈子の見解

 では、刑事責任論において、故意責任には、具体的にどのような積極的 内容が与えられるべきであろうか。

 Ⅳ 6 で見たように、積極的責任要素としての故意は、「責任の縦の比 較」と「責任の横の比較」の両者を的確に説明できる概念として構想され なければならない。そのためには、故意は、行為者の犯した不法を責任へ と媒介する法益侵害的心情として理解されるべきである(172)

 このような試みの代表的なものとして、髙山佳奈子の見解を挙げること ができる。髙山によれば、「故意の『提訴機能』を前提とする通説的な

『規範的責任論』から一旦離れ、改めて故意を責任論へと位置づける」必

要がある(173)。そして、「刑事責任において、犯罪事実の認識としての故意は、

(170) カウフマン (甲斐訳)・前掲注(98)249頁以下(Kaufmann, a. a. O. (Anm.

98), S. 178)。ただし、Kaufmann は、中の用いる提訴機能概念には好意的である。

カウフマン(甲斐訳)・前掲注(98)194頁(Kaufmann, a. a. O. (Anm. 98), S.

131)参照。

(171) このような方向性を打ち出すのは、髙山・前掲注( 1 )387頁、佐伯・前掲注

(139)102頁、林・前掲注(161)231頁、竹川・前掲注(76)26頁など。

(172) 故意の内容を法益侵害性の認識や利益侵害性の認識に求める見解(石井・前掲 注(84)11頁、齋野・前掲注(87)188頁以下、長井・前掲注(54)192頁など)

も、着眼点は同様であろうと思われる。私見との相違は、提訴機能を介して故意を 規範的責任論と接合させようとする点にある。

(25)

「故意の提訴機能」の史的展開とその批判的検討( 2 ・完)(小池)   

反対動機の形成可能性を与えるものとしてではなく、むしろ、不法に応じ た責任の量を規定する要素として理解すべき」(174)であるとする。ここまで は、まったく正当である。

 ところが、髙山は、続けて、「責任の基本的な量が認識された不法の量 に応じて定まることを実質的に論じうるのは、実質的行為責任論(性格論 的責任論)であ」(175)り、「この見解は、端的に特別予防の必要性が責任を根 拠づけまた同時に限定もする、という発想に基づいている」(176)として、特別 予防の観点を持ち出す。具体的には、故意犯は自らが「何をなすか」を理 解しつつ行為に出た場合であることから、そこに行為者の犯罪性が示され ており、故意という心理的事実が責任を特別予防論的に基礎づけるとす

(177)る

。よって、刑罰は、「決定論的観点から、将来の社会化を志向して『展 望的に』科されることとなる」(178)

 他方、違法性の意識の可能性が責任非難の条件となることは、応報ない し規範的責任の観点から導かれる(179)。こうして、髙山は、責任を、心理的要 素と規範的要素によって二元的に構成する。

 しかし、特別予防の必要性によって故意責任を基礎づけようとする髙山 の試みには、次のような疑問がある。

 第一に、髙山は、平野龍一の性格論的責任論に拠ったうえで、特別予防 の必要性から故意責任を基礎づけようとしたが、その学説理解について、

疑問が呈されている(180)。平野による性格論的責任論は苦痛による威嚇を中心

(173) 髙山・前掲注( 1 )103頁。

(174) 髙山・前掲注( 1 )107頁。

(175) 髙山・前掲注( 1 )121頁以下。

(176) 髙山・前掲注( 1 )122頁。

(177) 髙山・前掲注( 1 )122頁、同「量刑論の現代的課題」刑事法ジャーナル21号

(2010年) 5 頁参照。

(178) 髙山・前掲注( 1 )122頁。

(179) 髙山・前掲注( 1 )267頁以下、同・前掲注(177) 5 頁。

(180) 小池信太郎「量刑における犯行均衡原理と予防的考慮( 2 )」慶應法学 9 号

(2008年)16頁、城下裕二『責任と刑罰の現在』(成文堂、2019年)11頁。

(26)

108

  早法 96 巻 3 号(2021)

に据えているのであって、再社会化は補完的なものとして捉えていたにす ぎないから、特別予防の必要性を全面に打ち出す髙山の理解とは異なるの ではないかと指摘されている。

 第二に、髙山の見解には、「より重大な法益侵害行為を意図的に行った 者ほど特別予防の必要性が高い」という法則性が類型的・定型的に肯定で きる、との前提があるように思われるが、常にこうした前提が妥当するわ けではないから、より積極的な論証を要する、との指摘がある(181)

 第三に、各犯罪の責任の大小は法定刑に反映されていると考える(182)髙山の 見解からは、「刑罰を重く(長く)すればするほど高い改善効果が見込ま れるということ」も前提となるはずであるが、これも必然とはいえない(183)。 長い期間自由を剥奪することが再社会化を促進させるとは限らないからで ある。「たしかに、行刑に際して行われる様々な矯正処遇が功を奏して、

受刑者が改善更生することは決して少なくないだろう。しかし、矯正処遇 は、刑罰そのものではないことに注意しなければならない。現行刑法にお ける自由刑の内容は、自由の剥奪(および刑務作業の強制)に尽きてい

(184)る」

。「再社会化効果が、刑罰の本質的内容に必ずしも結びつくものでない とするならば、それを(少なくとも中心的な)刑罰目的として理解するこ とはできない」(185)

 第四に、特別予防の観点から責任に量的実体を与えようとすること自体 に、次の 2 つの懸念がある。

 まず、特別予防の観点を導入すると、当初の目的であったはずの不法媒 介機能を損なうおそれがある。不法媒介機能の前提にある罪刑均衡原則と 特別予防は相性のよいものとはいえない。刑罰論における通説が相対的応 報刑論に立つのは、予防目的の追求に終始すれば、無限定な処罰を招きか

(181) 城下・前掲注(180)13頁。

(182) 髙山・前掲注( 1 )108頁参照。

(183) 小池・前掲注(180)19頁参照。

(184) 小池・前掲注(180)19頁以下。

(185) 小池・前掲注(180)20頁。

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