医療機関のガバナンスと監査
著者 藤岡 英治
URL http://hdl.handle.net/10236/13882
論 文 内 容 の 要 旨
1.本論文のテーマと問題意識
本論文『医療機関のガバナンスと監査』は、医療機関におけるガバナンス体制の整備と外部監査の導入に 関する包括的、体系的な研究成果をまとめたものである。
医は「仁術」とされ、その専門性の高さも相俟って聖域扱いされる側面を有するが、診療行為と診療報酬 をめぐる不正は後を絶たない。本論文では、医療をめぐる不正行為のうち、架空請求や二重請求など、診療 報酬にかかわる不正に特に焦点を合わせている。医療機関を開設する非営利組織体に対しては、医療法や健 康保険法などによる監督官庁の指導、監督ないし監査が実施されているが、情報の開示と外部者による監査 は、債券を発行する一部の医療法人に強制されているに過ぎないのが現状である。
本論文は、非営利組織体が開設する医療機関の透明性・信頼性の向上に向けて、ガバナンス体制の整備、
内部統制を核とする経営管理体制の構築、および外部監査の実施が解決の鍵を握っていることを明らかにし ようとするものである。
2.本論文の構成と内容
本論文は、研究課題と構成について述べた序章と、日本の医療機関のガバナンスと監査への示唆について 述べた終章に加え、3部8章で構成されている。
序章 本書の課題と構成
第1部 わが国医療機関と会計・監査制度 第1章 非営利組織体とその監査 第2章 わが国医療機関と医療制度 第3章 わが国医療機関の会計・監査 第2部 米国医療機関と会計・監査制度 第4章 米国における医療機関と医療制度 第5章 米国医療機関の会計・監査
第6章 米国医療機関における医療コスト報告書と監査 第3部 医療機関におけるガバナンスと内部統制
第7章 医療機関におけるガバナンス論 第8章 医療機関における内部統制
氏 名
学 位 の 専 攻 分 野 の 名 称 学 位 記 番 号 学位授与の要件 学位授与年月日 学 位 論 文 題 目
論 文 審 査 委 員 (主査)
(副査)
藤 岡 英 治
医療機関のガバナンスと監査 博 士(商 学)
乙商第49号(文部科学省への報告番号乙第363号)
学位規則第4条第2項該当 2015年2月25日
林 隆 敏 瀬 見 博
教 授 教 授
教 授 井 上 達 男
終章 わが国医療機関のガバナンスと監査への示唆
序章では、まず、上述のような著者の問題意識が示され、医療サービスと医療費の関係を捉える構図、医 療における不正の種類と性質、および診療報酬に関わる不正の手法とその防止・摘発の方策が整理、検討さ れている。診療報酬をめぐる不正に対しては、監督官庁による指導・監査やレセプトの審査によって防止あ るいは摘発が行われているが、それが十分に機能していないというのが著者の観察である。そこで、利害関 係者がそれぞれの立場から医療機関を監視する一つの仕組みとして、利害関係者が積極的に財務諸表を利用 し、その利用にあたって外部監査を積極的に活用することを提案する。医療機関への外部監査の導入に対し ては多くの否定的な見解がみられるが、それらを踏まえたうえで、利害関係者の期待に応え、透明性・信 頼性の高い医療機関となるために、外部監査の積極的な実施や医療機関のガバナンス体制の構築が極めて重 要であると主張する。なお、ここで、医療機関に対する外部監査は、財務諸表(会計情報)を直接の監査対 象としつつ、情報に写し出された医師の行為の誠実性も監査対象である、あるいは監査対象とすべきである、
という極めて根本的かつ重要な主張がなされている。
第1部では、日本の医療制度の現状と医療機関の開設主体たる非営利組織体の意義を明らかにし、検討対 象である医療機関を開設する非営利組織体およびその医療機関に対する外部監査の必要性と課題について整 理している。
第1章では、非営利組織体を詳細に定義・分類するとともに、それぞれの特徴を論じ、本論文の考察対象 とする非営利組織体を明確化する作業を行っている。また、医療機関に対する外部監査を「言明の監査」と して整理している。第2章は、医療機関の開設主体たる医療法人、公益法人および社会福祉法人について、
まず、医療法人の歴史的変遷や医療法人制度の特徴、あるいは具体的設立要件や法律上の要件について説明 し、それとの対比で公益法人や社会福祉法人についても説明している。そのうえで、医療情報とその種類、
医療機関の利害関係者と彼らの情報要求、医療機関に関与する専門家、医療保険制度と診療報酬制度の枠組 みを説明することにより、日本の医療機関の特徴を浮き彫りにしている。第3章では、医療法人、公益法人 および社会福祉法人における会計、外部監査および監督官庁等による指導監督の現状が明らかにされている。
著者は、第1部での考察を通して、日本の医療機関の特徴である所有と医療の一致がガバナンス体制の不 備をもたらしていること、および、国民皆保険制度の負の特徴である医療費や医療行為に対する国民の関心 の低さが診療報酬の不正請求の温床となっていることを指摘し、それゆえに、保険機関に提出する診療報酬 明細書やレセプトに関する情報など、診療報酬に関連した情報にまで外部監査の対象を拡大する必要がある と主張している。指導監督に関しても、外部監査との連携により有効性が高まると指摘している。
第2部では、日本の医療機関の会計・監査のあり方に対する示唆を得るために、日本との比較を念頭に置 いて、米国の医療機関および医療保険制度の特徴、米国の医療機関における会計・監査制度の特徴、ならび に米国独自の制度である医療コスト報告書の作成と監査について考察している。
第4章では、米国の医療機関の特徴と医療保険制度の概要を整理し、米国の医療機関では「所有と医療の 分離」が進んでいること、営利組織体が開設した医療機関のガバナンスが非営利組織体のガバナンスに影響 しており、医療機関は、利害関係者を意識して会計情報を開示し、外部監査を受けていること、利害関係者 が医療機関経営に参加する仕組みが取られていることなどの特徴が示されている。そして、この背景には、
米国は日本のような国民皆保険制度を採用しておらず、大半が民間医療保険に任意で加入する仕組みをとっ ており、自己責任の原則が医療機関と保険機関の両者の運営に対する関心の高さと医療費請求に対する審査 体制の厳しさをもたらし、会計および監査の積極的な実施につながっているという状況があることを明らか にしている。第5章では、医療機関の会計および外部監査にかかわる基準・指針の設定主体と内容が、歴史 的な観点も含めて整理、検討されている。米国では、医療機関の会計に統一的な基準が存在すること、利害 関係者を意識した積極的な会計情報の開示が行われていること、診療報酬に関わる情報が外部監査の対象と
され、外部監査と審査機関が実施する各種監査との連携が図られていることなど、日本の医療機関における 外部監査に対してさまざまな示唆を得ている。第6章では、医療機関が保健機関に提出する医療コスト報告 書の意義、記載内容および監査が詳細に検討されている。医療コスト報告書に相当する報告書は日本では作 成されないが、診療報酬の不正防止と医療機関の透明性向上のために、医療コスト報告書を作成するととも に、財務諸表の監査と医療コスト報告書の監査を連携させることの必要性を提唱している。
第3部では、医療機関における組織運営および経営管理と外部監査との関わり合いを明らかにするために、
医療機関のガバナンスおよび内部統制を考察の対象としている。
第7章では、日本における医療機関ガバナンス論の先行研究を手がかりとして、良質な医療サービスを地 元密着型で提供することを目的とするイギリス式クリニカル・ガバナンス論と営利組織体をとる医療機関の 経営に焦点を当てる米図式ホスピタル・ガバナンス諭を検討している。日本の医療機関のガバナンス構築に とって、監視体制が機能する機関設計および患者や地域住民が何らかの形で医療機関経営に関わることので きる仕組み作りの重要性が指摘されている。
第8章のテーマは、医療機関の内部統制である。著者は、内部統制のグローバル・スタンダードである COSO に依拠しつつ、医療機関リスクのリスクマネジメントを意識した内部統制の整備の重要性と、医療機 関に特有の内部統制の構成要素を論じている。そして、リスクマネジメントを意識した内部統制を整備する とともに、医療の質の向上を確保する体制と、患者や地域住民が医療機関運営に参加する仕組みを加えるこ とで、医療機関のガバナンス体制が整うとの見解を示し、内部統制を含む内部統治構造と外部監査などによ る外部統治構造からなる医療機関ガバナンスの全体像を提示している。
終章では、 3部にわたる本論文の研究成果がまとめられている。著者は、日本の医療機関の所有と医療の 一致が会計・監査・ガバナンスに多くの弊害をもたらしていると断じている。そして、日本の医療機関の所 有と医療の一致を残しつつ、米国における監査制度およびガバナンス構造を導入することにより、日本の医 療機関における閉鎖性・不透明性を解消すべきであるとの主張を展開している。具体的には、医療機関を取 り巻く利害関係者を意識した情報公開と監査の強制的な実施、診療報酬に対する審査制度と外部監査の連携、
医療コスト報告書制度などを積極的に導入し、日本の既存の制度と融合させることにより、利害関係者に信 頼される医療機関づくりが可能になるとする。また、医療機関に対する外部監査の機能として、医療機関の 会計処理に統制を与え、財務諸表に対して安心性を付与し、さらには患者の生命に関わる医師の誠実性をも 律するという新しい機能を識別している。
論 文 審 査 結 果 の 要 旨
1.本論文の意義と貢献
本論文の最大の貢献は、これまで積極的には考察されてこなかった非営利組織体、特に医療機関の監査問 題に光を当てたことである。現在の監査研究の主流は、株式会社の財務諸表監査の研究である。営利組織体 である株式会社の会計と監査については研究が活発に行われており、株式会社の財務諸表監査は、法規の裏 付けを持った社会システムとして確立されている。これに対して、非営利組織体の会計に関する研究は少し ずつ前進しているように思われるが、非営利組織体の監査はこれまで等閑視されてきたと言っても過言では ない。しかし、人口構成の変化や財政健全化への要請などを背景に、社会的にも経済的にも非営利組織体の 存在感が高まっていることは言を俟たない。また、本論文の直接の考察対象である医療機関についてみれば、
診療報酬の不正受給額が毎年かなりの金額に膨れ上がっており、有効な対策が求められている。このような 状況において、監査が貢献しうる新しい研究領域を切り開いた意義は極めて大きいといえよう。
また、外部監査を核としながらも、内部統制の議論を絡めて、医療機関ガバナンスのあるべき姿を追求し、
著者なりの全体像を提示したことも重要な貢献である。コーポレート・ガバナンスは、所有と経営が分離し た営利組織体を念頭においており、会計と監査は情報開示とその信頼性の保証を通じて受託責任ないし説明 責任の解除にかかわる重要な役割を担っている。著者は、営利組織体のガバナンスに関する議論を非営利組 織体に単純に応用するのではなく、医療機関の特徴を念頭に置いたイギリスのクリニカル・ガバナンス論と 米国のホスピタル・ガバナンス論も踏まえつつ、行政当局や患者・地域住民を組み込んだガバナンス構造を 描き出している。その構図は、今後の研究の方向性を示すものとして高く評価できる。
さらに、監査理論の観点からは、財務諸表や医療コスト報告書の監査を通じて、これら報告書の情報とし ての信頼性を保証するのみならず、その背後にある医療機関経営の誠実性までも保証することを視野に入れ て議論を展開している点が高く評価される。現在の監査論研究では、情報の信頼性の保証と経営行為の誠実 性の保証とは分離して議論されるのが一般的である。監査という行為ないし職能の起源は古く、聖書にも監 査に相当する記述が見られるが、その本質は、受託者の報告を詳細に調査し、報告の信頼性の程度を明らか にするとともに、報告の基礎にある受託者の行為の誠実性を確かめることにあった。現在の医療機関が抱え るさまざまな問題を外部監査の導入によって解決すべく研究に取り組んだ著者は、試行錯誤の末に、医療機 関のガバナンスを確立するためには、外部監査が経営行為の誠実性の保証にまで踏み込む必要があると考え るに至ったものと理解される。
2.残された課題
上述のとおり、本論文の意義と貢献は高く評価されるものの、残された課題もある。
まず、本論文では、全体を通じて日本と米国の制度比較により議論が展開され、かつ米国の制度を日本に 導入すべきであると提言されている。しかし、日本と米国では医療機関の設置形態、医療保険制度、行政当 局の関与形態あるいは税制が大きく異なっている。また、イギリスにおけるクリニカル・ガバナンス論と米 国におけるホスピタル・ガバナンス論にみられるように、医療を受ける国民の意識や文化的背景も考慮すべ き要因である。これらは、日本が米国の制度を参考にするうえで決定的に重要な相違であろう。本論文には、
これらの相違が十分に考慮されていないと思われる箇所がある。
次に、日本の非営利組織体が開設した医療機関は一般に所有と医療が一致しており、そこには株主に相当 する利害関係者は存在しない。また、患者が医療機関の会計情報ないし経営情報をどの程度知りたいと思っ ているかは明らかではない。これらは、本論文がその導入を提唱する外部監査がそもそも「誰のための監査 か」という問題を提起するものである。
最後に、本論文では、医療機関の外部監査のみならずガバナンス体制にまで研究対象を広げ、外部監査を 取り込んだガバナンス体制の全体像が示されているものの、医療機関監査の理論体系化にまでは至っていな い。特に、終章で提示された「外部監査による医療機関の安心性の保証」という監査機能に関する主張は、
本研究の独自性を示すものであることから、理論的解明が望まれるところである。
3.審査委員会の結論
本論文にはこうした課題も残されているが、これらは決して本書の価値を下げるものではない。日本の医 療機関の現状、英米における医療機関の外部監査ならびにガバナンス体制を緻密に分析することにより、医 療機関の透明性・信頼性・安心性の確保のためには外部監査と内部統制を含むガバナンス体制の整備が最重 要課題であると主張する本論文は、医療機関を含む非営利組織体の監査研究の嚆矢として高く評価される。
なお、本論文は、日本監査研究学会平成26年度監査研究奨励賞を受賞したことを申し添える。「監査研究 奨励賞」は、監査研究の向上発展に寄与しうる優れた著書・論文に贈られる賞である。
以上、審査委員会は、論文審査および口頭試問の結果を踏まえ、本論文は、博士学位申請論文として高く 評価できるものであり、本論文提出者が博士(商学)の学位を受けるのに値するものと判断する。