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The little girl looking for her mother  :  トニ・モリスンの「レシタティフ」と『神よ,あの 子を守りたまえ』における娘たちの友情

著者 利根川 真紀

出版者 法政大学言語・文化センター

雑誌名 言語と文化

巻 17

ページ 61‑79

発行年 2020‑01‑30

URL http://doi.org/10.15002/00022985

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・Thel i ttl egi rll ooki ngforhermother・

トニ・モリスンの「レシタティフ」と

『神よ,あの子を守りたまえ』における娘たちの友情

利根川 真 紀

は じ め に

ToniMorrison(19312019)はその生涯において,幼少期に始まる黒人女 性同士の友情を繰り返し描いた。例えばすぐに思い浮かぶのが,Sula(1973) におけるSulaとNelや,Love(2003)におけるHeedとChristineの友情だ。

彼女たちは様々な点で異なるとはいえ,孤独という点では共通している家庭環 境で育った。4人のうち3人までが一人娘であり,さらにこれら3人の家庭に おいては父の存在感が薄いことも相俟って,母娘関係が重要性を増し,問題含 みなものとなっている。孤独な2人の少女たちは子供時代に出会い,互いの存 在だけを頼りに自我を形成するものの,「強制的異性愛」との暴力的な遭遇

(『スーラ』の場合は12歳の時に生じた少年チキン・リトル事件(1,『ラヴ』の 場合は親友の祖父との11歳での結婚)によって,2人の絆は大きく試される ことになる。これら2作においては,片方が死を迎えるまで友情の変遷がら れているのも特徴的だ。

同様に,2人の娘たちの友情は,短編小説 ・Recitatif・(1983)と最後の長編 小説となったGodHelptheChild(2015)においても前景化されている。た だしこの2作品において,それは黒人と白人の異人種間に設定されており,結 果としてまずは,強制的異性愛社会の問い直しというより,社会における人種 差別(racism)や肌の色の濃淡による差別(colorism)が,母娘関係や娘たち の友情にどのような影響を与えるかという側面が問われているようにみえる。

時代設定が異なるこれら2作品からは,当然のことながら,人物たちの物語 の背後にアメリカ社会の人種意識の変化が垣間見られる。例えば,「レシタティ

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フ」の冒頭では,1950年代のニューヨーク州立養護施設が舞台になってお り(2,孤児や育児放棄された子供を収容するこの施設には,黒人や白人だけで なく,ネイティヴアメリカ人,プエルトリコ系や韓国系アメリカ人もいる

(・Recitatif・160)。この一見マルチカルチュラルな環境の中で,常に行動を共 にしている8歳の少女TwylaとRobertaは ・saltandpepper・(160)と他 の子供たちから陰口をたたかれていた。どちらが白人でどちらが黒人かは敢え て明らかにされないものの(3,この呼び名からは,彼女たちの異人種間の友情 が周囲に違和感を与えるほど際立っており,黒人と白人の異人種間の親密な交 流は珍しかったこと,その結果2人の孤独とそれゆえの友情が深まっていった ことが窺える。

これに対して,『神よ,あの子を守りたまえ』の舞台は,21世紀のカリフォ ルニアである。タイトルに名前を冠した一人称の語りによる章と三人称の地の 文による無題の章とから構成されるこの小説において,名前がタイトルになる 5人はすべて幼少期に母との確執を抱える女性たちであり,そのうち2人は黒 人(主人公Bride,母Sweetness),残りは白人(主人公の同僚Brooklyn, 主人公の偽証により服役した教師Sofia,少女Rain)である。・onewhitegirl withblonddreads,oneveryblackonewithsilkycurls・(God23)と語ら れるブルックリンとブライドは,化粧品会社の経営に携わる同僚かつ友人であ り,誰に遠慮することもなくしばしば行動を共にする。ただし,彼女たちは幼 少期に母から受けた仕打ちについて直接話し合うことはなく,互いに競争心や 相手を裏切る行動もあり,2人の関係は表層的なものに留まっている。一方,4 部構成のこの小説のちょうど折り返し地点(PartIIの最後)に象徴的に位置 するレインの章およびその直前の三人称の語りにおいて,黒人ブライドの前で 白人レインが母について語る場面がある(10003,10406)(4。ブライドの肌が 黒いのはなぜかを養母に問うレイン(85)は,山間部の集落でおそらく生まれ て初めて黒人と遭遇したと考えられ,その問いは単に見た目の違いを問題にし ているだけで,人種の違いに付随しがちな社会的な価値観,先入観は,もはや 伴っていないようにみえる。

このように異なった社会背景を反映しつつ,「レシタティフ」と『神よ,あ の子を守りたまえ』において強調されているのは,人種の違いのいかんにかか わらず娘たちが同様に体験することになる母との間の藤であり,人種の違い は最終的に,この共通点を際立たせるためにこそ導入されているように思われ

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る。「レシタティフ」について杉山直子が指摘しているように,「妻というアイ デンティティ,母というアイデンティティ」においては,人種の壁がむしろ強 化されるのとは対照的に,「「母の娘」というアイデンティティ」は「人種をこ え,階級差もこえてお互いに友情と共感を感じ,連帯する」ことを可能にして いる(杉山25)。モリスンは,妻や母という立場を通して,人種やジェンダー や階級をめぐるアメリカの父権制的な社会の現実を作品に浸透させつつも,娘 という立場を通して,時代を超える普遍的なドラマとして母娘の間の確執を捉 えようとしているようだ。

本論考では,「レシタティフ」から,まずは第1節で母の育児放棄が2人の 娘たちに与えた心理的影響をり,次に第2節においてこの娘たち自身が母親 になった時にどのような変化が生じるかを整理する。第3節において,作品構 造を通して母娘関係のトラウマの反復が示唆されている様子を確認したのち,

最後の第4節では『神よ,あの子を守りたまえ』において異人種間の娘たちの 友情に託されたモリスンの希望の如きものを読み解いていきたい。各行程は必 然的に,モリスン作品のモダニスト的特徴である空隙(gap)と併置 (juxta- position)を注意深くりつつ,繰り返しやコントラストから意味を抽出して いく作業を伴うことになるだろう(5

1 .BigBozo と biggirls

限られた選択肢

8歳のトワイラとロバータは,母親による養育が不十分なため ・dumped kid・(・Recitatif・164)として施設に預けられることになるが,そこは収容児 童130名,うち90名は12歳以下(162)という女子専用の養護施設だった(6。 この施設において少女たちは,女性としてのロールモデルの選択肢が極めて限 定されており,2種類しかないことを知る。この施設の館長を務めるMrs.

Itkin(BigBozo)のようになるか,この施設の果樹園を占有する最上級生に あたる15~16歳の不良少女たち(biggirls)のようになるかという選択肢で ある。収容された少女たちのほとんどを占める ・realorphanswithbeautiful deadparentsinthesky・(160,162)はもとより,トワイラとロバータもま た,自分の将来の選択肢がこれらのロールモデルのいずれかを選び取ることだ と予感するが,実際には母親が存命であることにより,2人の選択はより複雑 なものとならざるをえない。

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館長のイトキン夫人は滅多に笑顔を浮かべず,収容児童たちに一方的に指示 を出す権威主義的人物として登場する。子供たちは彼女を本名でなくビッグ・

ボウゾウと陰で呼ぶが(160),アメリカの子供なら誰でも知っていたテレビ番 組の道化役 ・Bozotheclown・に因んだあだ名をつけることによって,彼女 たちはその絶対的な権力を無化しようと精一杯の抵抗を試みていると理解でき る (Morris167)(7。・When you hearaloud buzzer,that・sthecallfor dinner・(・Recitatif・160)と告げ,施設として定期的に食事は提供するもの の,子供たちと双方向のコミュニケーションが取れないイトキン夫人は,ロバー タの母と似ているともいえるだろう。ロバータの母は,施設を一度だけ訪問す る場面で,久しぶりに会った娘と会話を交わそうともせずに,ただ一方的に聖 書を読み聞かせ,持参した盛りだくさんの料理を並べるだけだった(16364)。

イトキン夫人が敢えてミセスに設定されているにもかかわらず,夫や子の存在 を感じさせない点も,ロバータの母を彷彿とさせる。

一方,施設の果樹園を我が物顔で占拠しているのが,ビッグ・ガールズであ る。 彼女たちの邪悪さは, ロバータが公民の授業で耳にした ・evilstone faces・をしたガーゴイルをヒントに,この不良少女たちを ・gargirls・と呼 ぶことによっても示されている(16768)。スサーナ・M・モリスがビッグ・

ボウゾウを・theconsortoftheterrorizinggargirls・,・theadultversionof thegargirls・power・(Morris167)として位置づけているように,またビッ グ・ガールズとビッグ・ボウゾウとの呼び名の類似からも推測されるように,

両者は少女たちを心底から脅かす脅威という点では違いがない。ビッグ・ガー ルズはただし,施設のルールに反抗する存在でもあり,ラジオに合わせて互い にダンスをし,・lipstickandeyebrow pencil・(・Recitatif・160,161)で派手 に化粧し,タバコを吸い,小さい少女たちを追い回しては暴力を振るう。トワ イラの母は,食事の支度もせずに娘を家に放置したまま夜じゅうダンスに興じ,

また教会の礼拝中でも・lipstick・を鏡で直すような女性として描かれており

(163),こうした点はビッグ・ガールズを引き継ぐ存在のようだ。

ロバータとトワイラは,自分たちを捨てた自らの母と距離を置くためか,互 いに相手の母親をロールモデルに選び取ったように見える。ロバータはその後,

10歳,14歳でも再度施設に預けられたが,果樹園でダンスをするビッグ・ガー ルズになりたくないと14歳で施設から脱走したと話す(169)。だが,16歳の ロバータがハワード・ジョンソンのレストランに現れた時には,彼女は高校を

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中退しており,・Talkaboutlipstickandeyebrow pencil.Shemadethebig girlslooklikenuns・(164)とトワイラが驚くほど派手な化粧をし,タバコ を吸い,施設の年上の不良少女そのものになっている。モリスも指摘している ように,ロバータはこの場面で,いわばトワイラの母に接近しているだろう

(Morris168)。一方,日頃から食事を作らず,施設の訪問日にさえ手ぶらで来 るような自分の母に不満だったトワイラは,16歳のこの場面では料理を運ぶ ウェイトレスとなっており,またやがて自分の作る食事を喜んでくれる夫と結 婚することになる(・Recitatif・164,166)。その意味で,食事だけはきちんと 作っていたロバータの母を,トワイラは見倣おうとしていたともいえる。

こうした限られた選択肢からなる将来しか展望できない養護施設時代を通し て,トワイラとロバータはそれぞれの母から教え込まれた人種差別意識(160, 163)を徐々に乗り越えて友情を育み,また力を合わせてビッグ・ボウゾウと ビッグ・ガールズの脅威に対処したが,その代償は8歳の少女たちにはトラウ マとなるほど大きいものだった。・Wewerescaredofthem,Robertaandme, butneitherofuswantedtheotheronetoknow it・(161)とあるように,

ビッグ・ガールズへの恐怖心を互いに悟られないように隠し,虚勢を張ること によってかろうじて生き延びることができたのだった。感情の抑圧はその後 20年以上続くほど深刻なものだったことが,小説の最後で示されるが,その 点については第3節で検討することにしたい。

2 .Mrs.Benson と Mrs.KennethNorton

母側の視点と子供側の視点

16歳での再会後,次にトワイラとロバータが再会するのは高級スーパーで 買い物をしていた28歳の時だが,それ以前との大きな違いは,この時点では 2人がそれぞれ結婚して,母になっている点である。トワイラには中学生の息 子がいるため,12年前の前回の再会直後に結婚・出産した計算になる。

Waitinginthecheck-outlineIheardavoicesay,・Twyla!・ Theclassicalmusicpipedovertheaisleshadaffectedmeandthe woman leaningtowardmewasdressedtokill. Diamondson her hand,asmartwhitesummerdress.・I・m Mrs.Benson,・Isaid.

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・Ho.Ho.TheBigBozo,・shesang.(166)

トワイラと呼びかけられたにもかかわらず,ベンスン夫人と自らを名乗るその 態度には,既婚女性としての自信と誇りが感じられ,ロバータはビッグ・ボウ ゾウの名を持ち出して,思わずそれを冷やかしている。一方のロバータは1年 前27歳の時に,4人の連れ子のいる男性と結婚しており,・Now I・m Mrs.

KennethNorton・(168)と嬉しそうに名乗る。

上記の場面から明らかになる2人の安感と精神的余裕は,とりあえず自分 たちが自らの母とは似ない形で,母として妻としての道を歩み始めたことから 生じていると考えられる。前回のハワード・ジョンソンでの不仲が嘘のように,

2人は友好的に接し,養護施設での思い出話にも花を咲かせる。

6月のこの再会に続き,同年8月には子供たちが通う中学校で人種の不衡 を是正する「強制バス通学」(busing)が導入されることに伴い,賛成反対両 派のデモ行進が行われることになるが,2人はここでも偶然再会する。28歳で のこの2回の再会を通して浮上するのが,母になることによって生じた自らの 母への理解の変化である。以下2点に分けて,その変化を確認する。

デモ行進において,2人の対話はプラカードを通してなされることになる。

ロバータが一貫して掲げるプラカードは・MOTHERSHAVERIGHTSTOO!・

(170)というものであり,母親の側に立った主張となっている。これに対して,

トワイラが次々に作る3枚のプラカードは子供の声を代弁するものとなってお り,・ANDSODOCHILDREN****・(172)のプラカードでは母だけでなく子 供にも権利があると張り合い,・HOW WOULD YOU KNOW?・(172)では 母にも権利があるなどとなぜわかるのかと問い詰め,最後のプラカード ・IS YOURMOTHERWELL?・(173)では相変わらず娘でもあることをロバータ に思い出させようとする。子供たちのことはすべて把握しているといわんばか りにふるまうデモ行進の他の母親たちを指して,・Lookatthem,Roberta.

They・reBozos・(171)と指摘するトワイラは,自らが母になることによって 娘の視点を忘れてしまう危険性を警告しているといえるだろう。育児放棄をし た自らの母と同類になってしまわないためには,娘の視点を持ち続けた母にな る必要があることを告げているようだ。強制バス通学をめぐる場面の導入部は

・Strifecametousthatfall.Atleastthat・swhatthepapercalledit.Strife.

Racialstrife・(170)となっているものの,以上の展開が示唆するように,ト

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ワイラたちにとってここでの争点が,黒人対白人という人種をめぐるものから,

母の権利対子の権利という問題に置き換えられていることに注目しておきたい。

28歳時の2度の再会においてもう1点興味深いことは,養護施設時代の記 憶として,台所勤務の年老いた女性Maggieが2人の会話に20年ぶりに浮上 することだ。マギーが転んでビッグ・ガールズに笑われたと記憶しているトワ イラに対して,ロバータは,マギーがビッグ・ガールズに押し倒され,暴力を 振るわれたと記憶しており,2人の記憶の齟齬が明らかになる。トワイラはロ バータの記憶を聞かされることによって,養護施設時代に自分たちがビッグ・

ガールズから追いかけられ,髪を引っ張られたり腕を捩じられたりする暴力を 受けていたのと同様に(161),年老いたマギーもまた彼女たちの暴力の犠牲に なっていたことを知る。しかも,ビッグ・ガールズからの脅しに対して,自分 たちは2人で力を合わせて逃げおおせたものの(171),マギーはひとりで耐え なければならなかった。ましてや彼女は脚に障害があり,耳が聞こえず口もき けないとされていた人物だ。ロバータの記憶を必死で否定するトワイラだが,

マギーが自分たち同様に犠牲者であり,自分たちよりもはるかに無力な存在だっ たことをやがて認識することになる。

トワイラのこの認識は,マギーが黒人だったと主張するロバータの発言を契 機としてさらに新たな段階へと導かれ,自分の母に関しての深い洞察に至って いる。無力なマギーを8歳の自分たち自身が蹴りつけたこと,しかもそこには マギーが黒人だという事情が絡んでいたのだとロバータから告げられて,これ らが事実だったかどうか自問自答する過程を経て,トワイラはそれまで20年 間抑圧していた母への加害願望と向き合い,母を客観視できるようになるのだ。

Itriedtoreassuremyselfabouttheracethingforalongtimeuntilit dawnedonmethatthetruthwasalreadythere,andRobertaknew it.

Ididn・tkickher;Ididn・tjoininwiththegargirlsandkickthatlady, butIsuredidwantto.Wewatchedandnevertriedtohelpherand nevercalledforhelp.Maggiewasmydancingmother.(173)

最後のクリスマス・イヴ前夜の再会時には,ロバータ自身もマギーが黒人だっ たかどうかについて実は確信がなくなったと告げることになる(174)。・sandy- colored・(161)の肌をしたマギーの人種は結局特定されないままに小説は終

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わるが,彼女の人種をめぐるは,2人に養護施設時代の記憶を精査させるた めの契機として機能し,人種関係が象徴するような様々な支配・被支配関係の 考察へと導いたのだった。マギーの人種を糸口にしてしか母の問題に接近しえ なかったことは,当時の世相を反映して人種問題を俎上に載せることがもはや タブーではなかったのに対して,2人の娘たちにとって,母娘関係を直視する ことが依然として高い心理的困難を課すものだったことを告げているだろう。

強制バス通学騒動が過熱する中,ここでもまた争点の核心は人種ではなく母娘 関係であったことが判明する。

3 .appleblossoms と snow

循環の構造

養護施設での出会いとその後の4回の再会により,20年以上の人生が断続 的にられるこの作品においては,繰り返しやコントラストの手法を通して,

トワイラやロバータを襲ったトラウマの輪郭が明らかにされていく(8。ここで 特に注目したいのは,視界一面に白さが広がる2つの場面である。まずは,養 護施設の果樹園にある何百本もの林檎の木が(161),白い花で満開に彩られる 場面がある。

RobertaleftinMaywhentheappletreeswereheavyandwhite.On herlastdaywewenttotheorchardtowatchthebiggirlssmokeand danceby theradio.Itdidn・tmatterthatthey said,・Twyyyyyla, baby.・Wesatonthegroundandbreathed.LadyEsther.Appleblos- soms.IstillgosoftwhenIsmelloneortheother.(164)

ここでは,トワイラの母が施設を一度だけ訪問した折に,いつになく優しく抱 きしめてくれた一瞬の嬉しさが,母が使うパウダー(レディ・エスタ)の匂い の記憶として漂い,ロバータとの間に築いた強い友情の絆を祝福するように咲 く満開の林檎の花の匂いと溶け合い,トワイラの最も幸せな瞬間として描かれ ている。母から育児放棄され顧みられずにいることや,施設の孤児たちから捨 て子として無視されるつらい生活の中で,かろうじて彼女を支えたものの存在 が浮き彫りになる。

再度白さが広がる光景が出現するのは,ロバータとの4回目の再会となるク

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リスマス・イヴ前夜である。夜遅くなって降り始めた雪の静けさとその中をや がて家路を急がなければならない憂鬱がトワイラを襲う様子が,満開の林檎の 白い花が約束した幸福感とコントラストをなしている。

Inoddedandcouldn・tthinkofanywaytofillthesilencethatwent from thedinerpastthepaperbellsonoutintothesnow.Itwasheavy now.IthoughtI・dbetterwaitforthesandtrucksbeforestarting home.(175)

沈黙の支配するこの憂鬱な白さは,実は,母についてロバータと話した結果と してもたらされている。この直前の場面で,ロバータは自分の母についての客 観的な認識を意を決してトワイラに話して聞かせた(17475)。第2節で検討 したように,すでに強制バス通学の場面で,語り手であるトワイラ自身はひと り自分の母への客観的な認識に達していた(173)。したがって物語はその場面 で終焉を迎えても良かったはずだが,この最後のクリスマス・イヴ前夜の再会 が不可欠である理由は,語り手だけが洞察を得たり,また2人がそれぞれ個別 に母への想いを認識するだけでは不十分だということだ。そこには,2人で認 識を共有して初めて互いを支えることになるという娘たちの友情の絆,自我の 支え合いのあり方が関係していると言わなければならない(9

第2節でも考察したように,トワイラはマギーの姿に被害者としての自分を 重ねていただけでなく,自分の母の姿をも重ねており,ビッグ・ガールズがマ ギーに暴力を振るう現場を目撃しながら,母への怒りや不満を投影して加害者 としてそれを疑似体験していた。8歳で施設に預けられた当初は,彼女にとっ て母はまだ絶対的な存在であり,・Everynow andthenshewouldstop dancinglongenoughtotellmesomethingimportant・(160;下線筆者)と 信頼していた。だが,口がきけず耳が聞こえないマギー同様,娘の声に反応で きない頼りない母でもあったことを,彼女は20年経ってようやく素直に受け 止めるに至る ・Nobodyinside.Nobodywhowouldhearyouifyou criedinthenight.Nobodywhocouldtellyouanythingimportantthat youcoulduse・(173;下線筆者)。結局彼女は,母を相対化し,母も自分同様 無力な存在にすぎなかったことを受け入れることになった。他方で,ロバータ はマギーが精神病院で育ったと知ったことから,精神を病んで入院していた自

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分の母とマギーを重ね,また自分も将来同様に精神病院で過ごすことになるの ではないかと不安に駆られ,マギーと距離を取ろうとして加害幻想を持ったの だと,クリスマス・イヴ前夜にトワイラに初めて告白する。

無力だった8歳の2人が互いに虚勢を張り,無表情にポーカーフェイスを取 り続けることで,母からの愛が得られない状況をかろうじて乗り越えようとし たことについては,すでに第1節で確認した。小説の最後になってようやく,

・Andlonely・,・Scared,too・と2人は子供時代にいだいた感情を素直に打ち 明けあうことができるようになり(10,ハードボイルドを貫いてきたロバータ が周囲も憚らずに泣きじゃくり,泣き顔をトワイラに晒す(175)。母からの育 児放棄により,存在が脅かされる経験をしたトワイラとロバータの傷つきやす さは,トラウマと向き合うために20年以上もの年月と互いの存在を必要とし たことになる。

娘たちのこうした傷つきやすさは,・Twolittlegirlswhoknew whatno- bodyelseintheworldknew―how nottoaskquestions・(168;下線筆者)

と「リトル・ガールズ」という言葉を用いて表現されている。ところが,この 作品ではトワイラを無力な存在に追いやった母自身もまた「リトル・ガール」

として語られていた ・shesmiledandwavedlikeshewasthelittlegirl lookingforhermother―notme・(162;下線筆者)。さらに「リトル・ガー ルズ」という表現を追っていくと,トワイラやロバータやマギーに暴力を振るっ た「ビッグ・ガールズ」さえも,実は近親者からの性暴力に晒された犠牲者だっ たことがわかる ・Theywereput-outgirls,scaredrunawaysmostof them.Poorlittlegirlswhofoughttheirunclesoffbutlookedtoughtous, andmean・(16061;下線筆者)。加害者に見えていた存在も,実は無力な娘 たちであり,家庭が安全な安定した場でなかったために,こうした負の連鎖が 生じていることが,この単語の繰り返しにより浮かび上がる。いわば,この短 編は「リトル・ガール」たちの群像小説と見ることもできる。

2人の少女たちの20年以上もの歳月を5部構成で扱うこの作品は,時系列 を追うと,1月~5月・8月・6月・8月~10月・12月に設定されており,4部 構成のTheBluestEye(1970)が・Autumn・,・Winter・,・Spring・,・Sum- mer・と季節の廻りを小説の構造として持っていたのと同様,ちょうど1年間 のサイクルを描いている。母娘関係の理解のプロセスが,いつの時代にもどの 母娘の間でも完全に解決されることがないまま繰り返されることを示すかの如

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く,循環の構造が四季の廻りを通して表現されているようだ。

4 .Bride と Rain

娘同士だけが与え合えるもの

モリスンは最後の作品においても,人種の異なる2人の娘ブライドとレイン を登場させて,母から愛情を得られなかった娘たちの自我形成がいかに困難な 道のりを歩むことになるかを描いている。この本のタイトルGodHelpthe Childは,ブライドの母親スウィートネスの言葉であり,娘も親になればやが て世間の苦労が理解できるようになるだろうから,・GoodluckandGodhelp thechild・(God178)と小説が終わっている。スウィートネスの一人称の章 で始まり,そして終わるこの小説においては,母の視点が優勢であるように見 えるかもしれないが,母との間に問題を抱える何人もの娘たちが登場し,その 悩みをそれぞれの一人称の語りの一部でそっと独白する(11。実際,執筆中の タイトルはTheWrathofChildrenだったとモリスンが語っており,最後に なって出版社からの要望を受けて現在のタイトルに落ち着いたものの,作者自 身は元のタイトルに未練を残していた(12。このエピソードからも,モリスン が娘の視点を中心に作品を構想していたことがわかる。

ブライドとレインは2人とも,父のいない家庭で母からの愛情を得られずに 育つ点で「レシタティフ」のトワイラとロバータと似ている。ブライドは

・highyellow・(3)の肌をした母から,自身の肌の色が・Midnightblack,Su- daneseblack・(3)であることを理由に,肌に触れられることも愛情を表現 されることもなく育つ。母の手で肌に触れてもらいたい一心で,敢えて叱られ て叩かれようとするほど愛情に飢えた少女だった。一方のレインは,娘を性の 商売道具にする母から,客の男に怪我をさせたとして,6歳頃に家から雨の中 に追い出されてしまう。作中に登場する数多くの娘たちの中でも特にこの2人 に共通点があることを,リンダ・ワグナーマーティンは名前の変更に注目し て次のように指摘している。

Narratively,theparallelbetweenBride,whohasnamedherselfbut allowedasegmentofhergivennametoremain,andRaisin,whohas completelyerasedanyhintofhergivennameortheidentityitrepre- sented,seemsclear.(...theymakethatchangetoseparatethemselves

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from themothersintheirlives.)(Wagner-Martin173)

かつての名前が語られないまま登場する少女は,レインという新たな名前を得 て,愛称としてレイズンを使い始める。レイズンの箱は,一緒に暮らし始める ことになる母親代わりのEvelynから初めにもらった食べ物だった(God101)。

一方,母の愛情を得られなかった無力な少女時代に別れを告げるべく,・Lula AnnBridewell・は・AnnBride・になり,最後にはただ・Bride・を名乗るよ うになる(11)。

2人の年齢関係に注目すると,23歳のブライドに対して,レインは8歳から 10歳くらいだと考えられる(13。ただし,森の中でレインが母のことを語る場 面では,年齢差は消滅し,2人とも初潮を迎える以前の少女になっている。と いうのも,恋人に去られてからブライドの体が次々に変化し,子供時代に逆戻 りしていくからだ。実は2番目の章で語られるこの恋人からの拒絶は,ジーン・

ワイアットも指摘しているように,1番目の章で語られる母からの拒絶をなぞ るものとして提示されており,幼少期の母からの拒絶のトラウマの強さを告げ ている(Wyatt182)。ブライドは8歳の時に,母からの愛を得たいがために 裁判で偽証までするが,その褒美として母が耳にピアスの穴をあけてくれる。

そこで耳のピアスの穴が消えてしまうことは,・theLulaAnnwhonever foughtback・(God32)へと,つまり母からの拒絶に耐えていた頃,名前変 更以前の無力な少女へと戻ってしまったことを意味している。

Althoughtherewerenomorephysicaldisappearances,shewasdis- turbedbythefactthatshe・dhadnomenstrualperiodforatleasttwo, maybethree,months.Flat-chestedandwithoutunderarm orpubic hair,piercedearsandstableweight,shetriedandfailedtoforget whatshebelievedwashercrazedtransformationbackintoascared littleblackgirl.(142;下線筆者)

成人女性の服が体に合わなくなったブライドは,レインの子供用のジーンズを き,生理がまだなく胸が真っ平と語られるレイン(97)と同年代の状態にな る(14

レインが母から受けた虐待にこれまで誰も耳を貸そうとせず,レインは飼い

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猫にひとり想いを呟くしかなかった。森の場面で過去を語ることを彼女に可能 にしたのは,同様に母からの拒絶を体験した幼少期のブライドが聞き手となり,

話してくれるようひたすら懇願したからだろう。しかもブライドは精神的に相 手に共感するだけでなく,帰り道に少年たちから散弾銃で撃たれた時には,自 分の体でレインを庇って傷を負うことも厭わなかった。そしてその無私の行動 が次にはレインを支えることになった。

Myheartwasbeatingfastbecausenobodyhaddonethatbefore.I meanSteveandEvelyntookmeinandallbutnobodyputtheirown selfindangertosaveme.Savemylife.Butthat・swhatmyblacklady didwithouteventhinkingaboutit.(10506)

レインはブライドのことを ・sister・のように感じ(105)(15,ブライドはレイ ンに ・schoolgirls・の親密さを抱く(103)。エメラルド色の瞳をして,・bone- white・(83)で ・milk-white・(86)の肌の色をしたレインから,ブライドは

・myblacklady・と呼ばれる。ここでは人種の違いが強調されているものの,

その違いを超えて相手を心から「ケア」しようと,それまでの自己中心的なブ ライドからは考えられないほどに利他的な行動がみられる。

モリスンは本作における思いやり=「ケア」の重要性について,ハーバード 大学でのレクチャーの中で ・Onlycaringunselfishlyforsomebodyelse wouldaccomplishtruematurity・(Origin51)と述べている。この経験は レインのみならず,ブライドの人生における転換点ともなり,母から拒絶され て無力だった少女時代を完全に卒業したかのように,彼女は以後大人の体を取 り戻していく。最終的には小説の最後で,妊娠してやがて母になることが告げ られ,彼女の中で母という存在との精神的和解が進んだことが示唆されている。

お わ り に

2組の娘たちが幼少期の耐え難い体験を共有する時,彼女たちは自分の過去 に捕らわれることをやめ,ありのままの母を認めて母の拒絶から解放されるだ けでなく,自分たちの外の社会を冷静に見る視点を手に入れることになる。

「レシタティフ」はトワイラの一人称の語りであるにもかかわらず,小説の最

(15)

後はロバータのセリフで終わるため,トワイラが語りのコントロールをロバー タに譲り渡して一体化するほどに2人の絆が強くなっていることがわかる(16。 そして2人はそれまで自己投影の手段としてしか見てこなかったマギーに対し ても,初めて親身の心配=「ケア」をし始めている。『神よ,あの子を守りた まえ』において,ブライドもまた自分のこと以外では涙を流せないほど,母娘 関係に対処することで精一杯だったが,自分と合わせ鏡のような少女レインと 出会うことによって,自己憐憫を自覚できるようになり,のちにはQueenの 娘代わりを演じるほど他者への理解を深めることになった。

思い出してみるなら,これらの娘たちの友情は幼少期に出発する設定となっ ており,そこには書き言葉が介在していなかった。ロバータは文字が読めなかっ たし,トワイラは読んだことを覚えていることも教師の話を覚えていることも できなかったと語られていたし(・Recitatif・160,164),レインも文字が読め なかった(God104)。ロバータとトワイラは手紙の交換や連絡を取り合うこ とを何度も約束しはするものの(・Recitatif・164,170),結局は相手が直接目 の前に現れた時にしか交流が生じなかった。母になってからの対話はプラカー ドの文字を通してなされることもあったが,物理的に同じ場にいて互いを補う コンテクストなしには周囲に理解不能なものとなっていた。レインも ・She・s gonenow butwhoknowsmaybeI・llseeheragainsometime.Imissmy blacklady・(God106)と語り,生涯で最も大事な存在となったブライドに 対して,偶然の再会を期待する以上のことをしない。相手の現前性に支えられ たこのような結びつきは,父権制社会の約束事が介入する以前の,原初的親密 さとしていわば特権化されているようだ。その意味で,「レシタティフ」がロ バータの声を響かせて終わることは,直接的・現前的といった娘たちの友情の 特徴を象徴的に表現しているだろう。

こうしてみると,モリスンは娘たちの友情の絆が可能にする共感の力が,認 識の力,さらには思いやりの力へと展開すること,しかもそれが父権制社会を 異化し,問い直す原動力になることに期待を寄せ続けたといえるのかもしれな い。冒頭で述べておいたように,異人種間の娘同士による母との確執の告白は,

人種の隔たりを越えた友情をはぐくむ可能性を秘めていた。だがそれだけでな く,2作品を読み返し,他者への思いやり=「ケア」の主題に到達してみると,

人種を越えた友情こそは娘たちを最も深く遠くまで突き動かすチャレンジング な設定だとモリスンは考え続けていたように思われる。

(16)

(1)「強制的異性愛」については,Richを参照。『スーラ』のチキン・リトル事件 については,拙論「Shadrackのシェルショック」14143を参照。

(2) 物語は5つの場面に分かれ,20年以上にわたる2人の少女の出会いと再会が 描かれるが,それぞれの場面の設定年代に関して本論考では以下のように想定し ている 1959年(トワイラ8歳),1967年(16歳),1979年(28歳;息子中 学生),1979年~1985年(28歳~34歳;息子中学生~高校卒業),1985年(34 歳;息子大学生)。第二場面のジミ・ヘンドリックスに会いにカリフォルニアに 行くというセリフから,鵜殿えりかは「彼が八月に太平洋岸にいたのは一九六七 年だけであり」(鵜殿142)と時期を推定している。本論考では,この情報をも とに,さらにトワイラたちの年齢,経過年月,息子の教育段階等を参照して時期 を割り出している。トワイラの出産時期や本作品の出版時期との関係など,いく つかの不整合が散見されるが,本論考では深入りしない。

(3) この作品において,主人公たちの人種が明かされないにもかかわらず,人種の 違いは重要だと作者は語っている ・ThekindofworkIhavealwayswanted todorequiresmetolearnhow tomaneuverwaystofreeupthelanguage from itssometimessinister,frequentlylazy,almostalwayspredictableem- ploymentofraciallyinformedanddeterminedchains.(Theonlyshortstory Ihaveeverwritten,・Recitatif,・wasanexperimentintheremovalofall racialcodesfrom anarrativeabouttwocharactersofdifferentracesfor whom racialidentityiscrucial.)・(Playingxi)。つまり,どちらが白人でどち らが黒人かをモリスンが明示しなかった理由は,人種をめぐる文化的先入観その ものを主題化し,読者に自覚させるためだったと考えられる。

(4) 名前を冠した一人称の章のうち,レインが語り手となるのはこの章のみであり,

その意味でも特権的な章といえる。そのほかは,ブライドの章が4回,スウィー トネスの章が3回,ブルックリンの章が3回(3回目が母について),ソフィア の章が2回(2回目が母について)となっている。

(5)「レシタティフ」についての先行研究は,おおよそ3種類に大別することがで きる。カッコ内に出版年を記す。初期には,2人の主人公の人種の特定をめぐる 批評として,Abel(1993),Rayson(1996),Goldstein-Shirley(1997)などが あり,その後,障害学(disabilitystudies)の知見を取り入れてマギーの障害 の扱いや役割に注目した批評として, 金丸 (2004),Stanley(2011),Sklar

(2011)などがある。本論考と同様,母娘関係や女性同士の友情に焦点をあてた 批評としては,杉山(2006),Androne(2007),時里(2017)などがあり,な かでもMorris(2013)は本論考と多くの接点を有している。

(6) シャロン・モンティースは現代小説における異人種間の子供の友情について論 じた章で,孤児であることや家族から隔てられていることが,その種の友情をは ぐくむ契機となりやすいことを指摘し,注において「レシタティフ」の養護施設 の設定についても言及している(Monteith51,187)。

(7) 鵜殿えりかは「ビッグ・ボウゾウ:テレビ番組の人気キャラクター,一九四九

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年から」と説明し,写真も掲載している(鵜殿138,139)。ただし,テレビ番組 の道化の名前には元来「ビッグ」はなく,この部分は養護施設の子供たちが追加 したものと思われる。本文中では ・BigBozo・と ・Bozo・の両方が使用されて いる。テレビ番組についてはHollisも参照。

(8) 繰り返しやコントラストの主要な例については以下本文で扱うため,ここでは 補足として2例を挙げておく。例えば,聖書と十字架だけに没頭していた孤独な 母とは対照的に,ロバータはひとりでいることを恐れるかの如く他の人々と行動 を共にする様子が執拗に描かれている(2人の男性との西海岸旅行,子供の母親 たちとのデモ行進,クリスマス・パーティからの3人連れでの帰宅など)。また トワイラとロバータの4回の再会のうち3回は,ハワード・ジョンソンのレスト ラン,高級スーパーとコーヒー・ショップ,簡易食堂がそれぞれ舞台となってお り,2人が一緒にサラダを食べるコーヒー・ショップの場面では特に話が弾み,

交流が深まるのに対して,唯一食べ物と関係のない場所での再会となったデモ行 進においては,関係が悪化している。ここでの対照的な設定からは,トワイラに とっての食事と母のトラウマとの結びつきが示唆されているだろう。

(9) ロバータが母についての想いを語った後で,トワイラは自分の母が結局ダンス を最後までやめなかったことを告げている(・Recitatif・175)。トワイラのほう から自分の母の話を持ち出すのは,作中でこの場面が初めてであることは,ここ で注意に値するだろう。

(10) 実は,高級スーパーでの再会時に,ロバータは ・Rememberhow scaredwe were?・(・Recitatif・169)と子供時代の恐怖を早くも言語化していた。だが,ト ワイラの次のセリフ ・Waitaminute.Idon・trememberanyofthat・(169) は,ロバータによるマギーの記憶を否定するものであり,その記憶内容の違いに 気を取られていたがために,トワイラがロバータの恐怖の告白をこの場面では聞 き漏らしてしまったかのように会話が進んでいることに注目しておきたい。

(11) 本論考の注(4)を参照。また,プリンストン大学所蔵のモリスンの執筆原稿を 調査した楠元実子によれば,初期段階においてはブライドの語りから作品が始まっ ていたという(楠元66)。

(12) モリスンが現在のタイトルが気に入らず,元のタイトルを好んでいたことにつ いては,Chenを参照。また以下のモリスンの発言も参照 ・Ihadanentirely differenttitle,whicheveryonehated・(・ToniMorrisonKnows・)。タイトル 変更時期が一校ゲラの段階だったことについては,楠元54を参照。

(13) 6歳頃に家を追い出された後,SteveとEvelynに拾われて一緒に暮らすよう になってから数年が経過している設定である。本人も年齢を知らないようだ(

God97)。乳歯は抜けていて,初潮前であること,飼い始めた仔猫が猫になるく らい年月が経過していることが書かれている(97,104)。風呂本惇子はレインを 10歳くらいと想定している(風呂本226)。本論考では,『青い眼がほしい』で Pecolaが初潮を迎える時期が11歳に設定されていることも参考にして,年齢を 推定した。

(14) ブライドの体が最も幼児化した時点で2人の出会いが生じることについて,ポー ラ・マルティンサルヴァンも次のように考察している ・Symbolically,the

(18)

textestablishestheconnectionbetweenthediscretesymptomsandtheidea ofBridebecomingLulaAnnagainthroughthefigureofRain,anothervic- tim ofchildabusewhoappearsinherlifepreciselyatthemomentwhenher transformationiscompleted・(Martn-Salvan615)。

(15)「レシタティフ」においても,養護施設時代を回想するトワイラとロバータは,

・Now wewerebehavinglikesistersseparatedformuchtoolong・(・Recita- tif・168)と,人種の違いにもかかわらず,やはり姉妹の比喩を使って表現され ていた。

(16) ロバータのこの最後のセリフについて,トワイラに対するロバータ自身の姿勢 にも変化が見られることを,ジェイムズ・フェランは指摘している ・Roberta iswilling toshow even morevulnerability assheseeksguidancefrom Twylainawaythatshehasneverdonebefore・(Phelan166)。

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(20)

金星堂 2017年 21835頁

(アメリカ文学/文学部教授)

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