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I 発掘調査以前

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Academic year: 2021

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H。発掘、山田寺

I 発掘調査以前

 山田寺の跡には、建物の基壇や礎石が地上に残り、発掘調査のおこなわれる以前から、

多くの研究者が折りにふれて、その時々の様子を記録に残してきた。

 1904年、奈良県尋常中学校の教師であった高橋健自は、「古刹の遺址」という短い文章 のなかで山田寺の現況を伝え、土壇や礎石、字名のありかたから、伽藍の配置を四天王寺 式と推定した。このとき高橋は、寺跡の荒廃に警鐘を鳴らしたが、残念なことに、1925年 に上田三平が調査した時には、金堂の基壇にあった12個の礎石は、わずか2個となってし まっていた。その後、『奈良蒜史蹟勝地調査會報告書第四回』に寄せられた天沼俊一の報 告では、現況の測量図と、講堂跡に残る礎石の詳細な実測図が掲載され、講堂建物が、桁 行7間、梁間4間になることが推定された。この説に対しては、石田茂作が、桁行を8問 と考えた反論をしている。なお、山田寺跡は、1921年には国史跡に、1952年には特別史跡 に指定された。

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1916年 大沼俊一実測

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1925年 上田三平実測

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    1904年 高橋健自実測 山田寺調査の記録

2。発掘調査と研究

 1975年に史跡指定地の中心部が国有地となり、史跡公園として整備する方針が示された。

これをうけて、発掘調査が開始されることとなった。 1976年以降、11回におよぶ調査が実 施されている。

(2)

第1次 中門・塔・西面回廊 第2次 金堂りヒ面回廊

第3次 講堂・北面回廊

第4次 東面回廊・寺域東限 第5次 東面回廊

第6次 東面回廊・寺域東北隅 第7次 南門・寺域南限

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(1979 (1982

(↓983 (1984 (1989

第8次 東面回廊・宝蔵・寺域西限(1990 第9次 寺域東南隅

第10次 南面回廊 第11次 寺域南辺

(1994

4〜1976

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8〜1983 ・ 1)

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10〜1990 ・ 2)

8〜12)

11〜12)

(1996ぺ5〜8) (↓996 ・ 10〜12)

 発掘面積は約10、500 「におよび、史跡指定地の総面積約33、000 「の1/3にあたる。 2001 年3月には史跡整備工事が完成した。発掘調査の成果は、1995年に『山田寺出土建築部材

集成』(以下『部材集成』)、2002年に『山田寺発掘調査報告』(以下『報告』)、2007年には  『飛鳥藤原京木簡一一飛鳥池・山田寺木簡−』を刊行している。また、飛鳥資料館では、

↓981年に『山田寺展』、1996年に『山田寺東回廊一再現にむけてー』を開催し、東面回廊 出土部材のうち保存状態のよかった3間分の部材について、保存処理後、これを再び組み 立て、1997年4月以降、第2展示室で常設展示している。

東面回廊の発掘(第5次調査)

参照

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