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大覚寺・大沢池(旧嵯峨院)の調査

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Academic year: 2021

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大覚寺・大沢池(旧嵯峨院)の調査 ( 5 )  

建造物研究室・平城宮跡発掘調査部・埋蔵文化財センタ一 平安時代嵯峨院庭園の遣水であるSD43は, 1986年度にその一部を検出して以来, 1987年度に 大沢池への注ぎ口を確認し,次第にその様相が明らかになりつつある。今年度は, SD43をより 広い範囲にわたって検出することを目的に,上記の2部]査区を結んで南北25m,東西15m,面 積360m'の調査区を設け,1988年8月1日‑9月4日の期間に発掘調査を行った。調査の結果,

SD43は平安時代以前の自然流路 (SD95)を組め,整地を行った後に開削していることをf確認し た。 SD43は,幅約4‑10m, i奈さ約l.Omの素掘り市ーで,調査区北端で東南から西南方向へ,中 央やや南寄りでさらに東南方向へ大きく蛇行する。埋土は3時期に分けられる。最下層は中央 部が幅O.9‑1.5mにわたって約40cIll深く,底聞には参大の礁によってえぐられた無数の凹凸が ある。この帯状の底部が哩まった後,厚さ約O.8mの黒色粘土層が構全域に堆積し,出状を呈し ていたことを示す。この堆和土中から,種子や枝葉などの植物遺体をはじめ,平安時代前期の 土器片,瓦片,木簡,木製品などが出土した。土器には墨書土器が10数点含まれており,とり わけ rf共御」と記す杯の破片は, I嵯峨天皇ー

に直接関係するものとして興味深い。木簡 は21点出土し r薬用所J,r御J~訪飯」と記 すものがあるなど嵯峨院に関連する役所や 家政機関の一端に迫る貴重な成果を得た。

SD43は,黒色粘土層が埋まる途上に杭やシ ガラミで護岸されていたらしく,随所に杭 列の痕跡が認められる。また最上層のi目!土 からは,廃絶時期jを示す10世ー紀の土器片が 出土した。 ( 田 中 哲 雄・本中 真)

調査区全長(筒から) 大覚寺・大沢池第5次官日j資遺構図

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