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アントニ・アルバセーテ=イ=ガスコン 遺言状に見 る15世紀バルセロナの解放奴隷たち(下)

著者 阿部 俊大

雑誌名 文化學年報

号 68

ページ 53‑66

発行年 2019‑03‑15

権利 同志社大学文化学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2019.0000000114

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アントニ・アルバセーテ=イ=ガスコン

遺言状に見る 15 世紀バルセロナの 解放奴隷たち(下)

阿 部 俊 大 訳

小教区のデータと関連付けることの出来る,もう1つの非常に重要なデータ は,埋葬の場所の指定である。この情報は我々に当時の霊性についての情報

──具体的には,調査した集団のそれ──を提供してくれる。この情報を通 じ,遺体が休息を得る場所の選択についての好みを知ることが出来る。もっと もよく選ばれる寺院はバルセロナ司教座であり,35通の遺言書において,埋 葬される場所に選ばれている1)。続いてサンタ=マリア=ダル=マル教会を選んだ 遺言書は19通あり,2番目に多く選ばれている2)。その次に,解放奴隷たちは 7通でサンタ=マリア=ダル=ピ教会に埋葬されることを選んでいる3)。説教者修 道会(ドミニコ会)のサンタ=カタリーナ教会が6通4)。サン=フランセスク修 道院が5通5)。サン=ペラ=ダ=ラス=プエラス修道院が4通6)。サン=ジュスト教 会が3通7)。サンタ=マリア=ダ=ラ=メルセ修道院も3通8)。サン=パウ=ダル=カ ンプ修道院が2通9)。サン=ミケル教会(57番)とサンタ=マリア=ダル=カンプ 修道院(14番)とサン=ジェローニ=ダ=ラ=バル=デブロ(89番)が1通ずつで ある。時には,埋葬費用のための遺贈の面からも,具体的にどの墓に埋葬され たがったのかを知ることが出来る。例えばリュシアは,夫のガルシア・ダ・ビ レナが眠るバルセロナ司教座の回廊に埋葬されることを望んだ(29番)。フラ ンセスカもやはりバルセロナ司教座へ,具体的には彼女の遺言執行人,市の公 証人であるオノラ・サ・クナミナの埋葬場所に埋められることを望んでいる

(35番)。マリアは遺言書において,彼女の元の所有者であるジュアン・ダ・

バルデヤが眠る,フラマノール(フランシスコ会)修道院の教会の墓へ,彼女

― 53 ―

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を埋葬するように求めている(81番)。別のマリアは,やはり彼女の以前の所 有者であったコンスタンサ(アルナウ・ベルトランの未亡人)の墓に埋葬され ることを望んでいる。この場合は,サンタ=マリア=ダル=マル教会であった

(60番)。商人アントニ・ファブレガスの妻で,フランセスク・ムレルの元女 奴隷のリュシアは,遺言において,彼女の2人の娘が既に埋葬されている,サ ンタ=マリア=ダル=ピ教会に埋葬して欲しいと述べている(85番)。別のリュ シアは,サンタ=マリア=ダ=ラ=メルセ修道院の教会の,サン=リョレンス礼拝 堂のルゼールス兄弟会の墓に,メルセ修道会の修道服を着て──同修道会の 12人の修道士たちが彼女の体を墓地へ運ぶよう改めて命じた上で──埋葬さ れることを望んでいる(99番)。別の,やはりリュシアという名の女解放奴隷 は,ドミニコ会修道院の教会の,彼女の元の所有者が眠る墓に,修道士の服を 着せて埋葬して欲しいと求めている。12人の修道士が彼女を墓へ運んでほし いと述べている。修道士の服のために60ソリドゥス,また彼女に服を譲って くれる修道士のために2ソリドゥスを遺している(15番)。

遺言書における最も重要な条項は,如何なる社会集団や時代においても,遺 言者の財産の包括相続人である。調査した史料に関して言えば,包括相続人た ちには,基本的に3つの大きなグループがあることが見いだせる。数の大きさ から言えば,第一に遺言執行人たちであり,29の事例がある10)。このグループ には,元の所有者の親族たちや,他の解放奴隷たち,聖職者たち,またその他 の,遺言者との関係が述べられていない人々がいる。

ガルシア・ダ・ビレナの未亡人で,故人でありバルセロナ司教座聖堂で聖職 禄を得ていた司祭のフランセスク・ルイアルの元女奴隷であったリュシアは,

楯職人のジュアン・センドラを包括相続人にしている(29番)。故人で商人で あったペラ・デ・カンプの元女奴隷のマリアは,彼女の遺言執行人であるジュ アナ・サウリナと,ジュアナの同居人であるマテウア・ダ・バルビスを,対等 の包括相続人としている(58番)。キレナイカ出身の黒人のマルガリーダ──

やはりキレナイカの黒人で元奴隷であったジュアン・アントニの未亡人──

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は,他のやはりキレナイカ出身の黒人の元奴隷,アントニ・サラバールを包括 相続人にしている。アントニは彼女の遺言執行人たちの一人であった(78 番)。

第二のグループとして、遺言者の家族が遺言者から包括相続人に指名されて いる。このグループについては,24通の遺言がある11)。ここには夫たち・妻た ち・子供たち・養子たち・妻が妊娠している子・兄弟たちや孫たちが現れる。

ギレム・グラウの元女奴隷のカタリーナは,夫のジュアン・ガラックを包括相 続人としている(84番)。ロメウ・パリャーレスの元奴隷でトルコ人のガブリ エル・パリャーレスは,財産を妻のマルガリーダに遺している(83番)。サラ セン人で,商人バルナッ・サマルガンの元奴隷であるペラ=ジュアンは,妻の ジュアナを包括相続人にしている(53番)。布地商の故フランセスク・ダ・シ サの元奴隷であったギリシア人のティラナは,姉妹のマリアを相続人としてい る(16番)。チェルケス人で,フィレンツェの商人ロベルト・デ・ビリパンデ ィの元女奴隷であったエウラリアは,子供たちを相続人にしている。ロベルト

・デ・ビリパンディを父とするフランセスク=ロベルトとカタリーナ,また羊 毛工でバルセロナ市民のジュアン・ピュッチを父とするラファエルとアリオノ ールである(67番)。

慈善事業は22の遺言書において包括相続人に指定されている12)。この場合,

遺言者は,遺言中で遺贈にあてたものを除き,全財産を遺している。これらの 事例で通常みられるように,それらの財産を遺言執行人たちが公共のために役 立てるよう,また金を慈善行為,すなわち,貧しい少女たちの嫁資や,サラセ ン人に対するキリスト教徒の捕虜の身代金,貧しい物乞いや物乞いを恥じる 人々,遺言者の魂の救いのためのミサなどに使うように規定している。

元所有者が包括相続人とされる事例もある。バルセロナ市民で太鼓奏者のブ ナナッ・ビラールの元奴隷であったサルデーニャ人のマルガノ・カステリョの 事例であり,ここではブナナッが遺言執行人にもなっている(34番)。バルセ ロナ市民の刀工サルバドール・サラの元奴隷である,ジュアン・サラの事例も 遺言状に見る15世紀バルセロナの解放奴隷たち(下) ― 55 ―

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同様である(92番)。これらの事例では,遺言者はその元所有者に,何らかの 感謝を示したかったのだろうと想像できる。

包括相続人たちの補欠が決められるのも,大変よく見られる特徴である。包 括相続人に指名された人が,何らかの条件に合致しないために相続を拒んだ り,相続する前に死んだり,遺産が受取人の存命中に限られるものであったり した場合,遺産を引き受ける第二の,時には第三の人物や組織が見出される。

マリアの夫で,騎士見習いの故バルトメウ・オスタルリックの元奴隷であった ナルシス・オスタルリックは,もし自分の死に際して生きていれば,息子たち が相続人となるが,そうでなければ全てが慈善事業に渡るように取り決めてい る(66番)。ブルガリア人で,理髪師のリェオニシの元女奴隷のマリアは,仕 立屋で彼女の遺言執行人であるマルティ・アレスを包括相続人にしているが,

彼女の魂のために,サンタ=マリア=ダル=マルで毎年2回鎮魂のミサを行うよ うにという条件を付けている。もしマルティがそれを出来ないか,望まない か,死ぬかした場合は,遺産は同じ条件でマルティの息子に渡る(77番)。騎 士ミケル・ダ・グアルバスの元奴隷で,黒人のジュアン・ダ・グアルバスは,

娘のマリアを包括相続人にしている。もしマリアが遺産を欲しないか死ぬかし た場合は,黒人たちがサン=ジャウマ教会に有している兄弟団に渡るようにし ている(87番)。包括相続人が未成年の女子である場合は,相続した金は,彼 女が結婚する際の持参金にするよう,両替商に預けられた。サラセン人で,パ ルピニャー(ペルピニャン)の宿屋の故ラモン・ファブレガスの元女奴隷のカ タリーナの事例がそれである。彼女は,バルセロナ市民の靴屋で彼女の遺言執 行人たちの一人であるギレム・ミケルの私生児である娘(※やはりカタリーナ という名)を包括相続人としたが,その際,遺産をある両替商に「カタリーナ の持参金にするための場合にしか引き出せない」という条件付きで預けてい る。もし彼女が遺産を望まない場合は,ギレム・ミケルがそれを二等分し,片 方を自分のものとし,他方を慈善事業に与えるよう取り決めている(11番)。

兄弟会への遺贈に関しては,このタイプの遺贈は信仰によるものと考えられ

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るが,ここでは,彼らが行った遺贈からうかがえる他の諸側面が我々の興味を 引く。まず,それは解放奴隷たちの新しい共同体への統合の重要な指標であ る。兄弟会は,彼らが結びつく集団の社会的つながりにとって,極めて重要な 要素であったからである。また,遺言書を作成した解放奴隷が行っていた仕事 について──それが明示されていないときに──情報を与えてくれる。つま り,女性の遺言による遺贈が兄弟会へのものであった場合,(※その兄弟会が 関わる)男性だけの特定の職業から,夫の職業を知ることが出来る。本論文で 扱う史料では,11の兄弟会への言及が見いだせる。まず,大工たち,ロンバ ルディア人たち(※金貸したち),石工たち,臼工たち,沖仲仕たちの兄弟会 の聖人のサンタ=エウラリアである13)。この兄弟会の礼拝堂は,バルセロナ司 教座にある14)。サン=アントニの加護(86番)は,家畜の仲買人の兄弟会,ま たラバを貸す者たちの兄弟会に向けられている。前者は,サン=アントニ=アバ ット修道院の教会に礼拝堂を持ち15),後者はバルセロナ司教座に礼拝堂を有し ている16)。麻織工たち,縄職人たちと縄靴職人たちは,ロウソク工のように,

サンタ=マリア=ダルス=アンジャルスの加護を受け(10番),ロウソク工の場 合のみ,フランシスコ会修道院の教会に礼拝堂を有していたことが知られてい る17)。サンタ=カタリーナ18)は,船大工たちとタール塗装職人たちの守護聖人で あり,サンタ=マリア=ダル=マルに礼拝堂があった19)。絹の染色工たちの守護 聖人でもあるが,どこに彼らの礼拝堂があったかは不明である20)。古着屋たち の兄弟団は,サン=ニコラウを守護聖人としていた(40番)21)。サンタ=クレウ が守護するのは毛皮商たちである(77番)22)。刀工23)たちと槍工たちはサン=パ ウの守護を得ていた24)。黒人の解放奴隷たちは,自分たちの兄弟団を形成して いた(87番)25)。遺言状の一覧からは,サン・リョプを守護聖人とする兄弟団 も見出せるが(102番),何の職業かは不明である。近世以降に人気になる,

ルゼールスを守護聖人とする兄弟団への初期の言及も見出すことが出来る(99 番)26)

遺言者が死ぬと,遺言は公表された。このことは遺言の末尾,証人たちの後 遺言状に見る15世紀バルセロナの解放奴隷たち(下) ― 57 ―

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に記されている。このデータは,我々に遺言が公表された日を教えるものであ り,そのため,遺言が記された日と公表された日を比べ,遺言者の死のおおよ その日付を知ることが出来る。遺言の一覧から,遺言者たちは遺言を書いてほ どなく死んでいることが結論できる。遺言の日付とその公表の日付は,何週間 も離れていないからである。これは一般的な慣行であった。公表のもう一つの 興味深い点は,遺言者の住居の所在地に言及していることである。しばしば,

まさに遺言者が暮らしていた通りを明示しており,または具体的な目印を述べ ている。かつて,バルセロナ市民で商人だった故ペラ・デ・カンプの女奴隷だ った,マリアの遺言の場合がそれである(58番)。サンタ=カタリーナ修道院 の菜園の裏の通りに居住しており,その修道院とサン=ペラ=メス=バシュ通り を通じてつながっている。これは,小教区の情報と組み合わせて,地図上で解 放奴隷たちの居住地を特定することの出来る情報である。

備忘録,遺言修正,(財産)目録と競売

備忘録は,一連の借金や発注を明示するために使われた公証人文書の一類型 であり,貨幣や動産,不動産が記されている。本稿で扱っている文書群には 18の備忘録があり,15は遺言の続きとして書かれていて27),他の3つは独立 した文書である28)。36番の文書,バルセロナ市民で弁護士のジャウマ・リエラ の元女奴隷のフランセスカ──我々は彼女の遺言も保持している(35番)──

の備忘録では,複数の人びとと彼女の貸借が詳細に示されている。合計11点 の記録であり,最後のものは遺言者がビサンス・ダ・サリアに負っている1フ ローリン──彼女が彼から買った薪の代金──についてである。最初の記録か ら,彼女がパン屋であったことがわかる。これは法律家でバルセロナ市民のガ ブリエル・ロッチの借りに関するもので,フランセスカに20フローリンと7 ソリドゥスの借りがある。このうち,10フローリンと7ソリドゥスは,彼に パンを焼いたためであり,残りの10フローリンは,前述のフランセスカから

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ガブリエル・ロッチへの貸付である。この同じ記録はまた,我々に,解放奴隷 フランセスカがパンを焼くために使った竈は,バルセロナ市民アントニ・カサ スから借りていたものであったことを教えてくれる。2つ目の記録には,船頭 のアントニ・マシプが──フランセスカが彼に商取引のために貸した──21 フローリンを借りていることが記されている。マルケサにも商取引のために6 フローリン貸しているが,遺言者は彼女から既に20ソリドゥスの価値がある オリーブオイル1壺を受け取っているので,4フローリンと2ソリドゥスの支 払いが残っているだけである。マルケサは以前にも別に10フローリンの融資 を受けており,そのために服飾品の覆いを抵当にしている。法律家でガブリエ ル・ロッチの妻の娘婿であるペラ・マルティは,フランセスカが借りている竈 でパンを焼いたため,彼女に16ソリドゥスと4デナリウスの借りがあった。

アラゴン出身のベルトランは,やはりパン焼き職人であったが,フランセスカ が彼に売ったベッド用の板数枚のため,1フローリンの借りがある。その他の 記録も,遺言者が借りている竈でパンを焼くために取り決めた他の借金や,商 いをするようにフランセスカが貸したり託したりしていた金額を教えてくれ る。

他の興味深い事例が,サラセン人の出自で製粉業者のバルセロナ市民,解放 奴隷ペラ=ジュアンの2つの備忘録である54番と55番である。彼については,

遺言も存在する(53番)。このバルセロナ市民で商人のバルナッ・サマルガン の元奴隷は,1つの備忘録(54番)に人びとが彼から借りている金の額を記し ている。他方の備忘録(55番)には,彼が他の人たちから借りている金が記 されている。人々が彼から借りている額を示す備忘録(54番)に注目すると,

例えば,最初の記録には,ビラフランカ近くのグラナダ小教区のガテイ・カス テリェットの──公的な形式で書かれた注文書に記載されているところによる と──,このペラ=ジュアンから買った白毛のラバのための8.5フローリンの 借金が記されている。この解放奴隷ペラ=ジュアンがガリファのガッシウ・ダ

・カステリェットの妻のアルドンサに対して行った,4フローリンの貸し付け 遺言状に見る15世紀バルセロナの解放奴隷たち(下) ― 59 ―

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に言及している他の記録もある。この貸し付けについては,文書も明細も無 い。もう1つの記録は,カンプダラの橋の肉屋の近くに住んでいる羊毛工のク ロマが,ペラ=ジュアンと共に行った仕事のために,ペラ=ジュアンに3ソリド ゥス9デナリウス借りがあると述べている。同様にボリア通りに住む梳毛工の サロリは,粉ひきのため,彼に1ソリドゥス8デナリウス借りがある。仕立屋 のアントニ=ペラは,同じ理由で彼に1ソリドゥス2デナリウスの借りがある。

どちらの場合も,小麦粉はその重さの順に記載されている。2つ目の備忘録

(55番)では,この解放奴隷ペラ=ジュアンが有していた多様な負債に言及さ れ,彼に対して行われていた貸し付けが記録されている。例えば,聖職者タガ マナンの元女奴隷のジュアナが彼に貸した29ソリドゥスである。或いは,ビ ラトルタの元女奴隷である他のジュアナが彼に貸し付けとして委ねた22ソリ ドゥスである。ペラ=ジュアンが小麦の購入のために小麦商カルボネイに対し て負った借金の情報もある。或いは商人ガブリエル・サバタに対する羊毛購入 のための借りもあれば,ジャウマ・プラナに対する,住居を借りるための借り もある。

遺言に含まれた備忘録に注目すると29),これらの事例においても貸し付けへ の言及があることがわかる。86番の事例である。そこではマグダレーナが,

複数の人物が彼女から借りている額を記載している。例えば,彼女の遺言執行 人の一人であるドゥメナク・セックの姑のマルガリーダが,彼女に5フローリ ンの借りがあるというように。この貸し付けについて,マグダレーナは抵当と して重さ10オンスのサンゴの首飾りを保持している。もう1つの事例は,ア ルメニア人の解放奴隷ジュアンのものである(23番)。彼の備忘録には,遺言 執行人の一人であるジャウマ・ブスケッツの家に中古の軽い上衣を有している こと,またそのジャウマ・ブスケッツから8フローリンの注文を得ていること が記されている。故ペラ・ビウラの元女奴隷であるカタリーナは,バルセロナ の公証人ガブリエル・カニェラスが,彼女に2年4か月分の給料──年に8リ ブラの割合──の借りがあると記している(8番)。他方,ロシア人解放奴隷

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のジュアナは,バルセロナ市民で船員のアントニ・パルプンテルが,彼女に貸 し付けの残金として77ソリドゥスの借りがあることを記している(17番)。

もう一通の,行われた労働に対する報酬として遺言者への借りとなっている金 に言及した備忘録は,左官のジャウマ・グンバウのそれである。ここでは,バ ルセロナ司教座聖堂の工事監督であるバルトメウ・グアルが,1年間働いた給 料として,彼に14フローリンの借りがあると表明されている。商人ペラ・グ アルは,彼に日雇いの報酬として8フローリンの借りがある。商人バンレイ は,やはり日雇いの報酬としてバルトメウに26ソリドゥスの借りがある(48 番)。他方で,63番の例のように,幾つかの備忘録には,遺言者──通常は女 性──が所有している,複数の衣服や布の完全な一覧が記されている。

遺言修正は──1445年8月19日の最初の遺言に行った修正を,1451年2月 1日(77番)に同じ公証人の手で最初のものを無効としつつ別の遺言を作成す ることで取り消した,マンレザ市民のリェオニジの元女奴隷であるブルガリア 人のマリアの遺言のケースのように──別の遺言を作り直すことなく,元の遺 言の特定の部分を修正するのに利用された公証人文書の類型である。本稿で扱 うのは,アントニア・シルバンタの遺言と結び付いた遺言修正の事例だけであ る(45番)。彼女はバルセロナの住民で,国王ジュアン1世の首席秘書官であ った故バルトメウ・シルバンタの元女奴隷であった。この遺言修正では,アン トニアは遺言執行人を2人追加している。フランセスク・サルの未亡人カタリ ーナの他に,法学博士バルトメウ・シルバンの未亡人クララと,バルセロナ市 民で商人のパウ・マドレックが加えられている。また,1431年7月17日の遺 言(31番)で記していた埋葬の場所も変更している。遺言ではサンタ=マリア

=ダル=ピとされていたが,修正ではバルセロナ司教座聖堂に埋葬されたいとし ている。また,パウ・マドレンクの子どもたちにそれぞれ22ソリドゥスの遺 贈をしており,パウ・マドレンク本人にも44ソリドゥスを遺している。遺言 執行人たちにも,それぞれ5ソリドゥスを遺している。

死後の財産目録については,4件の事例がある30)。このタイプの文書は先に 遺言状に見る15世紀バルセロナの解放奴隷たち(下) ― 61 ―

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見た類型,備忘録と類似性を有している。やはり故人の財産についての情報を 示しているためである。しかし,主要な相違点として,財産目録の場合は遺言 者の死後に作成されており,亡くなった解放奴隷の住居で見つかった財産につ いての陳述は極めて網羅的である。1例だけ,遺言も共に遺されている。51番 であり,バルセロナ市民で宿屋の故ラファエル・ダ・ビラルダガの元女奴隷の カタリーナの財産目録である。彼女の遺言(50番)に見て取れるように,

1441年10月18日に彼女の遺言執行人たちによって作成された。この事例で は,文書の連続性が看取される。遺言は1441年9月29日に作成され,1441 年10月18日,財産目録が作成されたのと同じ日に公表された。このため,遺 言者が9月29日と10月18日の間に死んだことがわかる。前述したように,

遺言者が既に体調を崩してから遺言が作成されるのが普通である。この財産目 録はカタリーナの遺言執行人たち,バルセロナ市民の薬剤師ジュアン・マスカ ロとその妻のビオラントによって作成されている。ここでは故人の財産は3つ のグループに分けられる。まず,寝台,長持ち,小さいテーブル,ベンチなど の動産である。第2のグループは,例えば様々なサイズの深鍋のような,多様 な用具である。最後に,毛布やシーツ,チュニックなどの衣服や家庭の調度品 がある。遺言者は遺言の中でアントニア──バルセロナ市民で麻織工のクリマ ン・チフレの妻──が,自分が死んだ時に家にある全ての動産を──アントニ アが銀貨3クロアートの抵当として保持している暗い色の羊毛の胴着を除いて

──受け取るように記している。残りの財産の公的競売の一覧が無いことか ら,おそらく,死に際してカタリーナは遺言の遺贈に含まれない全ての財産を 慈善事業に遺したと思われる。通常,遺言執行人たちは遺言者の遺志を叶える 金を得るために,財産を売るから,そうであったに違いないと考えられる。他 の3つの財産目録の例では,遺言は無いが,かわりに公的な競売による財産の 売却一覧がある31)。他方で,ギリシア出身のマリアの財産目録(19番)では,

先の財産目録と類似したものが記されている。5枚の板のベッド,藁の詰まっ た布団,白と青の縞で赤い裏地のマットレス,使い古したシーツ1組,白いチ

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(12)

ュニック1枚,錠と鍵が付いて衣類や家庭の調度品が入った木製の箱,また銀 のスプーン1つと壁掛け1枚がある。リストはさらに続き,衣類と調度品が列 挙される。フランセスク・ダ・スケラッツの未亡人の故コンスタンサの元女奴 隷のフランセスカの財産目録(21番)は,大変興味深い。他の財産目録と共 通する物──衣類や調度品,ベンチ2つ,テーブル1つや7段のハシゴ1つ,

台所やパン作りのための道具といった──の一連の列挙に加え,故人が都市バ ルセロナの評議会から受け取った地代の取り分,64ソリドゥスも記されてい るからである。もっとも興味深いのは,2続きの公証人文書である。それぞれ 4つの文書から成り,故フランセスカに,バルセロナ市の2つの不動産の所有 権を与えている。1つは商人ギレム・ブリマからの不動産についてのものであ り,なぜかは書かれていない。それに対し,他方の不動産については,フラン セスカの元所有者の,フランセスク・スケラッツの未亡人の遺産だと記されて いる。そして最後の,お針子で,故人のアグスティなる人物の元女奴隷であっ たマリアの財産目録では,様々な衣類と,調度品としてサイズの異なる,それ ぞれ鍵と錠が付いた2つの長持ちがある。鉄具が付いていると特定された長持 ちの中には,それ以上の説明なしに,証書類があるとされる。その他に,絹ま たはビロードの衣類一組,金の装飾品類,印章が押されていない手紙,種々の 台所用品,タンス1組,壁の箪笥,ベッド1つと,処女マリアの姿が描かれた 祭壇画1点が言及されている(28番)。

財産目録に現れる物品の,競売における売却一覧を通じて,それらの物品に 対して払われた金額を知ることが出来る。フランセスカの財産目録(22番)

に関連した競売事例では,序文に競売が故人の遺言執行人たちによって行われ たと述べられている。ペラ・ダ・ララとバルセロナの司祭アントニ・オリベ ル,また故人の仲間のマリアである。競売は,サン・ジャウマ広場の故人の家 の前で行われた。競売はバルセロナ市の公式仲買人であるバルナッ・フォルミ ゲラに委託され,何日も続いた。ギリシア出身の解放奴隷マリアの財産の競売 は,金の刺繍職人のジュアン・クピの未亡人のジュアネタの指示によって行わ 遺言状に見る15世紀バルセロナの解放奴隷たち(下) ― 63 ―

(13)

れたのだが,それが行われた日付や,誰に操作が委ねられたのかも記していな い(20番)。アグスティなる人物の元女奴隷でお針子のマリアの財産の競売 は,行われた日付が明示されていないが,農夫のジュアン・セラによって行わ れたことが記されている。故マリアがその財産を遺した船員のニコラウ・アバ サの許可と意志によるものであった(32番)。

結 論

遺言の検討を通じ,奴隷は,ひとたび解放奴隷となれば,自由人となった新 しい社会の,完全な権利を持つ市民となっていたと結論できる。如何なる点か らみても,その新しい社会への統合は完全なものであった。宗教的な観点にお いても,我々が見出した解放奴隷たちは,生来の自由人たちが行っていたのと 同様の教会組織へ遺贈を行っている。彼らは,生来の自由人たちと共に,当時 バルセロナに存在した諸々の兄弟団へ参加していた。宗教面での統合は完全な ものであったと言うことが出来る。真面目な信仰ないし社会的な慣習によって そうしたのであろう。解放奴隷たちが就いた職業の多様さは,あらゆる可能性 をカバーする一覧となっている。ほとんどの解放奴隷たちは,我々が財産目録 で目にしたように,死ぬ時には,貸し付けとなっている相当量の金銭を有して いた。他方で,市内に複数の不動産を所有している事例もある。これはよくあ ることではないが,このような事例が存在することは,少なくとも安定した生 活レベルに到達した元奴隷たちが居たことを我々に示してくれる。確かに,ほ とんどの場合,遺言を作成する解放奴隷たちは,生来の自由人たちへの言及と 同じ比率で,他の解放奴隷たちや,とりわけ奴隷たちに言及している。とはい え同じ出自の解放奴隷たちと社会的関係を持つ傾向も,同じ市内や他の地理的 領域の人たちと緊密な関係を持つ上での障害にはならなかった。他方で,旧所 有者たちの職業や社会的地位が多様であることから,当時,奴隷の所有が全て の社会階級に広がっていたことが理解できる。本稿で扱った史料群からは,多

― 64 ― 遺言状に見る15世紀バルセロナの解放奴隷たち(下)

(14)

くの場合,解放奴隷たちが市内のもっとも人口が多い地域に住んでいたこと,

それゆえ,生まれつき自由な住民たちと共通した住居の規範に従っていたこと を認めなければならない。解放奴隷たちが生来の自由人たちと共有していたも う1つの規範は,ほどなく死ぬという時点で遺言を記していたという事実であ る。遺言の作成と公表の間に,ごくわずかな週しか経過していないからであ る。

1)1番,2番,3番,4番,5番,7番,27番,29番,35番,37番,38番,39 番,40番,41番,50番,52番,56番,63番,65番,68番,71番,72番,

73番,74番,75番,78番,79番,80番,83番,90番,93番,94番,95番,

98番,100番。

2)6番,8番,9番,12番,16番,17番,23番,25番,30番,33番,34番,43 番,53番,60番,62番,69番,77番,84番,101番。

3)31番,46番,70番,82番,85番,97番,102番。

4)15番,42番,47番,58番,59番,64番。

5)13番,26番,81番,86番,88番。

6)24番,39番,44番,67番。

7)11番,87番,91番。

8)10番,49番,99番。

9)76番,92番。

10)2番,5番,6番,11番,15番,17番,23番,25番,29番,30番,37番,38 番,39番,42番,44番,47番,56番,58番,59番,62番,64番,69番,

70番,71番,73番,77番,78番,81番,93番。

11)4番,9番,12番,16番,18番,24番,26番,35番,40番,41番,43番,

49番,53番,66番,67番,68番,83番,84番,85番,87番,90番,94番,

95番,100番。

12)1, 7, 10, 13, 27, 31, 33, 46, 50, 57, 60, 72, 74, 86, 88, 91, 96番,97番,98番,99 番,101番,102番。

13)7番,65番,80番,93番,98番。

14)M. TINTÓ i SALA,Els gremis a la Barcelona medieval. Ajuntament de Barcelona.

Servei de Publicacions. Col·lecció A. Duran i Sanpere , 6 : Barcelona, 1978, pp.56 -58.を参照。

15)Ibídem, p.53.

遺言状に見る15世紀バルセロナの解放奴隷たち(下) ― 65 ―

(15)

16)Ibídem, p.56.

17)Ibídem, p.58.

18)35番,42番,58番。

19)Ibídem, pp.52, 56.

20)Ibídem, p.58.

21)Ibídem, p.57.

22)Ibídem, p.57.

23)76番,92番。

24)Ibídem, pp.54, 55.

25)この事例は,後に都市バレンシアにおいても見出せる。M.Gual Camarena, Una cofradía de negros libertos en el siglo XV , inEstudios de la Edad Media de la Co- rona de Aragón,5(1952), pp.457-466.を参照。

26)この事例では,遺言者は黒人である。しかし遺言状には,黒人たちがバルセロ ナで有していた兄弟団──中心はサン=ジャウマ教会であったらしい──への 言及は一切無い。

27)8番,17番,23番,30番,47番,48番,63番,76番,86番,87番,88番,

94番,95番,99番,100番。

28)36番,54番,55番。

29)註27を参照。

30)19番,21番,29番,51番。

31)20番,22番,32番。

― 66 ― 遺言状に見る15世紀バルセロナの解放奴隷たち(下)

参照

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