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二つの韻文版『マンデヴィルの旅行記』における散 文版からの変化

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二つの韻文版『マンデヴィルの旅行記』における散 文版からの変化

著者 大沼 由布

雑誌名 主流

号 75

ページ 25‑47

発行年 2013‑10‑04

権利 同志社大学英文学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000015247

(2)

二つの韻文版『マンデヴイルの旅行記』における 散文版からの変化

大 沼 由 布

25 

『マンデヴイルの旅行記j(Mαndeville's Travels, c. l357)は,ジョン・マ ンデヴイル (JohnMandeville)となのるイングランド出身の騎士が語る旅 行記の形をとり,中世に人気を博した作品である.実際の記述は様々な先行 文献の切り貼りであり.

I

マンデヴイjレ」という人物が実在したかもわかっ ていない 当初フランス語でかかれたが,その後各国語に訳され,中でも英 語版はよく知られており,六つの版がある.その内訳は,基本となる散文版 が三つ,縮約版が一つ,韻文版が二つである.縮約版に関しては,現存する 散文版とは別と考えられる英語版の縮約ではあるものの,内容は基本の散文 版に準じる形なのだが,二つの韻文版は,形式・内容双方において散文版と 大きく異なっている.しかし『マンデヴイルの旅行記j を論じる場合,特 にパージョン聞の違いを分析する目的がない限りは, もとの散文版を論じる こととなるため,特に韻文版は,これまでほとんど注目を浴びてこなかっ た.また,

r

マンデヴィルの旅行記』研究ではなく,中世の詩作品の研究,

という観点からでも,韻文版は,それぞれ一写本にしか残されておらず,同 時代のロマンス群などに埋もれ顧みられることはない.しかし韻文版『マ ンデヴイルの旅行記j は,散文版とはかなり異なっているからこそ,作品が 初期の読者たちにどのように受け取られたかを考える上で,興味深い点を示 している.具体的にいうと,二つの韻文版は,特に語り手を変化させること により,内容だけでなく記述姿勢までも変え,散文版に含まれていた様々な 特質をそぎ落とし,単純化している.

(3)

26  二つの韻文版『マンデヴイルの旅行記』における散文版からの変化

初めに,

r

マンデヴイルの旅行記

J

の英語版の各版を整理しておきたい.

英語版には, 44の写本があり 上述の通り,六つの版にわかれている基 本となる散文版三つのうち, 38と最も現存する写本数が多いのが,フラン ス語原典にあるエジプトについての記述が欠けていることから,欠損版 CDefective Version)と呼ばれるパ}ジョンであるそして,欠損版あるい は他の英語版に基づき作られた版に, London, British Library MS Egerton  1982に残されたエジャトン版 (EgertonVersion)と, British Library MS  Cotton Titus C, xviに残されているコットン版 (CottonVersion)とがある.

どちらもー写本でしか現存していないが,欠損版にはエジプトの記述がな く,校程版も2002年まで作成されなかったため,

r

マンデヴイルの旅行記』

研 究 の 主 流 は こ の 二 パ ー ジ ョ ン が 占 め て い る . こ れ に 二 写 本 (Oxford, Bodleian Library MS E Musaeo 116およびBodleianLibrary MS Rawlinson 

99)で現存するボドリー版 (BodleyVersion)と呼ばれる縮約版が加わ り,英語でかかれた散文版『マンデヴイルの旅行記』は四つとなるさら にそこに,今回取り上げるこつの韻丈版, Coventry, City Record Office MS  Acc.325に残される, Metrical Versionと呼ばれるパージョン(直訳の「韻 文版」では紛らわしいため,以下コベントリー版と表記する)および,

Stanzaic Fragmentと呼ばれ, Oxford, Bodleian Library MS E. Musaeo  160に含まれるパ}ジョン

r c

韻丈断片版」となるだろうが,同上の理由に より以下断片版と表記する)が加わる.それぞれー写本ずつにのみ残されて おり,二っともに,前述のように,散文版と比べ,形式はもちろんのこと,

内容にも大きな変化が見られ,これらを『マンデヴイルの旅行記

J

とはみな さない研究者も存在するほどである (Kohanskixiii‑xiv). 

二つの韻丈版がどのような作品として意図されていたかについては,コベ ントリー版の場合,写本のコンテキストからある程度知ることができる.コ ベントリー版が納められている写本には,

r

マンデヴイルの旅行記』以外に,

ホックリーブやリドゲイト、チョーサーといった同時代のイングランドの詩

(4)

二つの韻文版『マンデヴイルの旅行記Jにおける散文版からの変化 27 

人の作品がともに納められている (Seymour,Metricα1 Version xxi) .さら に,この写本は複数の写字生により制作されているが.

r

マンデヴイルの旅

行記』を写したのは第一の写字生で,その写字生が書いた他の作品は,上述 の三人の詩人によるものである (Seymour,Metricα1 Version xxi) .この写 本に入っている作品は,チョーサーの作品の中でも後期のもので,それに加 え,ちょうどこの写本が作られたと考えられる 1450年頃に他界したリドゲ イトとホックリーブによるもの,といった作品群と同ーの写字生に筆写さ れ,確実にひとまとめになっていたことを考えると, コベントリー版も中英 語の最新の詩作品の一つだったといえる.ただしその文体について,校訂 版の編者Seymourは大したできではないとしているし (MetricalVersion  xx),二つの韻丈版を論の一部で取り上げたMoseleyは ft]hepoet has no  outstanding ability (14)"と述べている. しかし Seymourは同時に itis  able to stand comparison with all but the finest in its field CMetrical  Version xx)"とその全体の完成度に一定の評価を与え,同時代のロマンス の形式や韻律などに精通している人物によって書かれたロマンスに近いもの

と考えている (MetricalVersion 111xx).

一方断片版の方は.Moseleyには clumsy,coarse (13)"と呼ばれ,こち らについては,同じく編者Seymourも,詩的価値という点から見れば,こ れまでほとんど注目されてこなかったのも道理,と厳しい評価を下している (Mandeville and Marco Polo" 39).総じて,コベントリー版はそれなりの 内容があるものの,断片版のほうは詩的完成度という面からは全く評価でき ない,ということがいえる.これは,コベントリー版は2949行とそれなり の長さがあるが,断片版は,少なくとも現存しているのは313行のみである ことも関係しているかもしれない.さらに,断片版については.

r

マンデ

ヴイルの旅行記』だけでなく.マルコ・ボーロの『東方見開録

J

も深く関 わっている.なお,断片版の場合は.15世紀後半から 16世紀前半と考えら れる写本制作時からそこに含まれていたわけではなく,後代に製本した際,

(5)

28  二つの韻文版『マンデヴイルの旅行記Jにおける散文版からの変化

挿入されたものであるため (Seymour,"Mandeville and Marco Polo" 39),  写本のコンテキストから制作当時の作品受容を考えることはできない. しか

し祈祷丈などが多く含まれた写本であるため,後に述べるようなキリスト 教的道徳色に重点がおかれてそこへ挿入された可能性も考えられる Ccf. Moseley 11).4 

このように,同じ韻文版『マンデヴイjレの旅行記』とはいえ,二作品は大 きく異なり,そして当然,それに伴い,散文版がどのように受容され,利用 されるかという点も二作品で、異なっている.

まず散文版の『マンデヴイルの旅行記』の内容だが,冒頭部分で,特にエ ルサレムへの巡礼を志す人へ向け,そこへの道のり,聖地自体について,そ して,聖地より向こうにある様々な国々の風習や人種について紹介するとし ている.

. . . and haue passed thorghout Turkye, Ermonye the Litylle  and the Grete, thorgh Tartarye, Percye, Surrye, Arabye, Egypt  the High and the Lowe, thorgh Lybe,Caldee, and a gret partie  of Ethiope, thorgh Amazoyne, lnde the Lasse and the More a  gret partie, and thorghout many othere iles tha ben abouten  lnde where dwellen many dyuerse folk and of dlersemaneres  and lawes and of dlerseschappes of men; 0f whice londes and  iles 1 schalle型 担 型ore些 旦lyhe竺 些 旦 ニf

並堕里担也坐

hem that wille and are in purpos for to visite the holy citee of  Ierusalem andheholy pl型 竺 生 坐 笠eth型坐型空ニAnd1  schalle telle the weye that thei schulle holden thider

, 

for 1 hauβ  often tymes passed and ryden that way with gode companye of  many lordes, God be thonked. (Seymour, Mandevillぬ Trαu 3; 下線は筆者による)5

(6)

二つの韻文版 fマンデヴイルの旅行記Jにおける散文版からの変化 29 

このように,マンデヴイルが訪れた国々はかなり長いリストになっており,

下線部が示すように,特にエルサレムに関連した記述は重視するとあるが,

他の国々についても詳しく語っていく,と説明されている.つまり,散文版

『マンデヴイルの旅行記』はこれだけの国々をカバーしそれに伴い内容は かなり多岐に渡っているといえる.

さらに,他の国々について語る,という部分については,実質的に驚異に ついて語るという宣言といえる.マンデヴイルは東へ向かつて旅をしている が,ギリシア・ローマの時代から西洋中世においては,東洋は驚異の国で あ っ た た め で あ る 実 際 .

r

マンデヴイルの旅行記

J

の後半部分にある,

ヨーロッパから見てエルサレムより東にある国々についての記述は,多くの 不思議な事物を紹介している.さらに,マンデヴイルは物語を終える際,

manye other dyuerse contrees and manye other merueyles,"dyuersitees  of many wondirfulle thinges,"

t

hatbenbeyronde包(22認8)"など.

I

多様性」と「驚異」とを組み合わせて使っ ており,前出の執筆動機についての manydyuerse folk and of dyuerse  maneres and lawes and of dyuerse schappes of men (3)"という,遠因の 描写部分で繰り返される"dyuerse円という単語は,自分たちの常識外にある 驚異という概念と深く結びついていたと考えられる.

そういった驚異と,第一の執筆動機としてあげられる聖地についての情報 は全て,旅行者マンデヴイルという媒体に集約され,発信される.作品の冒 頭で,マンデヴィルは短い自己紹介を行っている.

1 Iohn Maundevylle knyght

, 

al1e be it  1 be not worthithatwas  born in Englond in the town of Seynt Albones, • • • and hiderto  haue ben longe tyme ouer the see and haue seyn and gon thorgh  manye d.lerselondes and many prouynces and kyngdomes and  iles . . . (3) 

(7)

30  二つの韻文版『マンデヴイルの旅行記jにおける散文版からの変化

マンデヴイルは, 自身を取るに足らない者と卑下しつつも,多くの土地へ旅 した経験を紹介している.そして,この引用部分が,前述の聖地を含む訪れ た土地のリストの部分へとつながり,マンデヴィルが自身の体験や伝聞に基 づいて聖地と様々な国や人々,慣習について語るという構図ができあがる.

このような枠組みを作った上で,マンデヴィルは,随所で「自分は見た,経 験した」という主旨の文を織り込み,目撃したことによる権威付けを行って いる.

それに対しまず二つの韻文版における最大の変化は,散文版では語り手 であったこのジョン・マンデヴイルの役割の変化である.具体的には,この 二つの

f

マンデヴイルの旅行記』は,実はジョン・マンデヴイルによる一人 称の語りではない.かわって語り手となっているのは,ただ 1"とのみ表現 される,無名の詩作者である.例えば,コベントリー版の冒頭部分では以下 のように 1"が登場する.

Nowe lordis and ladies leve and dere,  Yif ye wolle of wondris here, 

A litille stounde yifye wolle dwelle, 

Of grete meruailis 1 mai you telle.  (11. 11‑14; Seymour, Metricαl  Version 3)7 

紳士淑女に向かい静聴を呼びかけ,これから物語がはじまることを高らかに 宣言しており,朗諦の始まりにふさわしいものではある.しかしこの 1"

が何者かはまったく触れられてはいない.そして断片版でな ifIsuld 30U 

rede / aftir the buk (11. 6162;Seymour,Mandeville and Marco Polo" 44)" 

と, 1"が登場するものの,コベントリー版同様に全くこれがどのような人 物であるかという描写はないさらに,コベントリ}版のような聴衆への 呼びかけで自らに注目を集める形でもないため,コベントリー版以上に,語

(8)

二つの韻文版 fマンデヴイルの旅行記』における散文版からの変化 31 

り手は形式上のもので,重要な役割をはたさないa

散文版の『マンデヴィルの旅行記』では,語り手のマンデヴィルは,実際 にその地を旅した者,という設定を通して,様々な記述に「マンデヴイルの 経験」という一貫性を与える装置として大きな役割を担っていたが,二つの 韻文版の一人称の語り手は,特に物語上の役割を持つこともない.コベント リー版の 1vndirstonde (1. 119) ,"as 1 you say (1. 167)"や,断片版の I wat, and woo (1. 155),"1 lat 30W wete (1. 164)"といった登場例で顕著に示

されているように,特に意味を持たず,詩の韻律を調整し朗諦を助けるた めの定型匂の一部と考えて差し支えないだろうまた,中世のロマンスで は,通常登場人物が語るのではなく,三人称の物語となるため,韻文に直し た際に,ロマンスの形を踏襲したとも考えられる 10

語り手の変化に加え,二つの韻文版では,前述の通り,散文版に比べ内容 も大きく変わっている.どちらも,散文版

f

マンデヴィルの旅行記』の一部 を取り出し,脚色したものとなっているためである.コベントリー版の内容 は,驚異に関する記述が中心だが,聖地などキリスト教徒の関心が高そうな 記述は残している.驚異とキリスト教・聖地というこつについては,散文版

『マンデヴイルの旅行記』において,まさに書物執筆の動機としてあげられ たものであったため,基本姿勢は共通しているといえるかもしれない. しか し意図的に驚異の抽出を行う旨が,実はコベントリ}版の冒頭で宣言され ている.

But in tat boke is moch thinge  That nedeth naught in tis talkinge.  And terefor seth hit nedeth nau3t,  As 1 haue herde men sein offt,  Be it in geste othir in songe,  And it be made ouer1onge, 

(9)

32  二つの韻文版『マンデヴイルの旅行記』における散文版からの変化

Hit maketh men werie and lothehere lou3hit be neuer so good matere.  And terefor this litill tretis  Out ofthat boke draweys, That of alle merueilis tellys 

That he sawe and some tinge elles. (ll. 35‑46) 

つまり,コベントリー版が典拠とした「マンデヴイルの本」は長すぎて,そ のまま話したのでは聴衆は飽きてしまうだろう,と断った上で,下線部にあ るように,マンデヴイルが体験した驚異に関する話を全て取り出して語ろ う,といっているのである 11 ここには『マンデヴイルの旅行記j を再現し ようという意図はなく,むしろそれを種本とした新たな作品を生みだそう,

という姿勢が見られる.また,前出のコベントリー版官頭部分で 1"が聴衆 に呼びかける場面でな [o]fgrete meruailis 1 mai you telle (1.14)"とい う表現をしており,作品の取り扱う内容を「驚異」としたいことは明らかで ある.

それに対し,聖地やキリスト教については,上記の驚異のように,明確に 語り手が抽出意図を語ることはない. しかしコベントリー版の内容をみて いくと,配慮は明らかである.例えば散文版[マンデヴィルの旅行記』に 基づいて話を語る前に.12世紀の作品『ローマの驚異j(Mirαbiliαurbis  Romαe)を典拠に,散文版では触れられなかったローマについての記述を,

400行程挿入している.ローマの基を建設したアエネアス,ロムルスとレム スといった神話上の人物から話を始め,ローマ市内の様々な建造物を紹介 し最後に,巡礼により特に大きな蹟罪効果のある教会を紹介して終わって いる.この部分は,もちろん壮麗な建築など驚異といった面もあるが, tat same cite / Is chief of alle cristiante / And also hede of holi church (ll. 70‑ 72)円といった紹介のされ方が導入部にあり,締めくくり部分に巡礼と臆罪

(10)

二つの韻文版『マンデヴイルの旅行記jにおける散文版からの変化 33 

とをもってきていることからも,エルサレムに次ぐ重要な巡礼地としての ローマを紹介しようという意図だと考えられる.それ以外にも,もちろん巡 礼の最重要地エルサレムについても,町や周辺についての記述は残されてい るし全体的に散文版同様聖書からの引用も数多く見られ,権威や道徳、を付 与している 12 さらに,作品を始めるに当たり,語り手は神に呼びかけてお り(11.1‑10),その後にローマについての詳しい記述が入っている.これに より,西洋と東洋の最も重要な巡礼地について記述し驚異を神の計画の中 で語る,という構図を,コベントリ}版は作り出している 13

一方断片版は,散文版の記述からさらに大胆な取捨選択を行っている.作 品は OfftheGrete Caan, Emperour ofTartaria"という見出しから始まり,

その後も60行目と 61行日の聞に Offthe Grete Cane, " 184行日と 185行目 の間に

続き,その見出しに沿った内容がそれぞれ記述されて終わる.つまり,断片 版の内容は大ハーン及びスルタンについてのみであり,コベントリー版同 様,散文版の一部を抜き出し,脚色して語り直す形となっている.現存して いるものが断片であるため,大ハーンとスルタン以外の内容を本来は扱って いた,あるいは扱う予定であったという可能性は当然考えられるが,現在 残っている部分は少なくとも,東洋の二君主、特にそのキリスト教やキリス ト教徒への視線を記述することが中心となっているといえる.

r

マンデヴイ ルの旅行記』はこの計画にふさわしい資料のーっとして扱われるに過ぎない (C王Kohanskixiv; Moseley 15) . 

こういった語り手や内容の変化にともない,散文版では語り手であった ジョン・マンデヴイルは,二つの韻文版では貴重な情報源となる書物を著し た人物として扱われている.二つのうち,断片版のマンデヴイルの描写はや や散文版に近いものになっている.散文版では,マンデヴイルの旅の期間や 帰国の年などについて,以下のように紹介される.

(11)

34  二つの韻文版『マンデヴイルの旅行記』における散文版からの変化

1 haue fulfilled theise thinges and putte hem wryten in this  boke

, 

as it wolde come into my mynde

, 

the yeer of grace a m.ccc.  and lvi. in the xxxiiii. yeer that 1 departede from oure conees.

(229) 

イングランドを出発してから34年後の1356年に,この本を記憶に従ってま とめた,というのである.細かな数字は写本により違いがあるが,いつ出発 し, どれくらいの期間異国で暮らしたか,などのおおよその設定がここから 読み取れる.それに対し断片版もマンデヴイルの旅行歴について述べる が,断片版は内容が大ハーンとスルタンについてのみであるため,その二人 の東洋君主との関係において,マンデヴイルも記述される.そして,ここで 特徴となる点は,マンデヴイルとマルコ・ボーロとが並んで登場することで

ある.

In the yere of Our Lord Ihesu 

a thowsand two hundrethe fifty and fyve  the iornay of Marcis buk so tru 

began, tat twenty 3er and more did dryve.  In far landis thay led ter life

, 

his fader and he and his vnkylle Mathew. 

But Ser Marke vsid travalle most rife  for the Gret Caan sent on hys messagis tru. 

Also in the yer of Our Lord Ihesu  a thowsand thre hundredth and fiftee 

Mandevelle endid his buk and iornay trewe,  that lastid hym xxx. 3ere and three 

(12)

二つの韻文版『マンデヴイルの旅行記』における散文版からの変化 35 

in far cuntrese be30nd the see. 

With the Gret Caan he dwelt a 3erモandmore;  forthy mo marvallis did he se. (11. 73‑87) 

引用一番目のスタンザで,マルコ・ボーロについて, 1255年に旅を始め,

20年以上もの間父や叔父と海外逗留したと紹介されているが,直後のスタ ンザで同様の形により,マンデヴイルが, 1350年に30年以上にわたる旅を 終えたことが紹介されている 14 そして,二人とも,大ハーンに仕えた,と いうことが明記されている.実際,散文版『マンデヴイルの旅行記』は,大 ハーンの宮廷について詳しく描写しその際 Andye schulle vndirstonde  that my felawes and 1 with oure yomen, we serueden this emperour and  weren his soundyoures xv. monethes ayenst the kyng of Mancy that held  werre ayenst him (158)"と述べる部分がある.大ハーンがMancyの王と 戦っていた際に15ヶ月間仲間とともにハーンに仕えたというこの記述は,

一年以上ハーンの宮廷に滞在したという断片版の下線部の記述と合致する.

つまり、マンデヴイルは,このように実際宮廷に滞在したと考えられたから こそ,マルコ・ボーロとともに大ハーン記述の権威となり、貴重な情報源と なったのである 15

散文版をそのまま取り入れつつも マンデヴイルを実在の旅行者として扱 う断片版のこのような姿勢は,スルタンについて記述する際にも見られる.

Opon a tym when Ser Iohan Mandevelle  in Egipe was in his iornaye, 

two 3er wit the Sowden did he dwelle.  Wel beloued he was ofhym allewaye.  A lordis doghter and his ayr ryght gaye  he offert to hym if he wald forsakβ 

(13)

36  二つの韻文版『マンデヴイルの旅行記』における散文版からの変化

his fayth and take Machometis laye,  but no sich bargan wald he make. (11.185‑192) 

1 due11ed with him as soudyour in his werres a gret while ayen  the Bedoynes. And he wolde haue maryed me fulle highly to a  gret princes doughter yif 1 wolde han forsaken my lawe and my  beleue, but 1 thanke God 1 had no wille to don it for no thing that  he behighte me. (24) 

並べてヲ│いたのは散文版において,マンデヴイルがスルタンに仕えたことを 紹介している部分である.断片版は マンデヴイルが2年間スルタンのもと に仕えたと下線部のように具体的に記述している以外は,散文版に忠実であ る.つまり,断片版は,散文版にあらわれたマンデヴィル像を,事実として そのまま受け入れ,それ以上のものに仕立てようとはしていない. しかしそ れでも,実際にスルタンに仕えた経験に言及しているため,先ほどのマルコ

・ボーロと並べた記述と合わせ,実際の経験者の記述として扱われているこ とは明らかである.また,大ハーンとスルタンは,散文版の中でマンデヴイ ルが実際に仕えたと主張するただ二人の君主で,マンデヴイルが騎士らしい 働きをしたことをうかがわせる描写は,ほぼここだけとなっている.そのこ とから,断片版は特に,マンデヴイルの傭兵的な働きをした騎士として造形 された部分を取り上げているといえる.

それに対し,コベントリー版のマンデヴイル描写の取り上げる側面は異 なっている.ここでは,サー・ジョン・マンデヴィルはもちろん騎士ではあ るものの,旅行経験豊富な徳の高い人物として描かれ,中世ロマンスの主人 公を思わせる (Higgins,Writing Eαst 61; Zacher 142).実は,中世の旅行 記の枠組みとして最もポピュラーなものは巡礼記であり,散文版『マンデ ヴイルの旅行記』の特に前半部分はそれに則っていたが,巡礼記以外にも騎

(14)

二つの韻文版『マンデヴイルの旅行記』における散文版からの変化 37 

士の探求諌という中世ロマンスの形があり,実際の旅行記にも影響を与えて いた (Thompson40).高徳の騎士マンデヴイル,というコベントリー版の 描写は,こういった点も影響している可能性がある.いずれにせよ,コベン トリー版の制作者は,自分の作品が,信頼できる騎士の書いた書物に基づい ているとして,読者の信頼を勝ち取ろうとしていたと考えられる.

Som time in Engelonde was a knyght,  A fers man boothe stronge and wyght. 

He was a man of noble fame

Sir Iohn Mavndevile was his name

, 

A worti sowdioure forsothe was he  And wel trauailid biyonde the see 

And euer he trauailid without wene  The wondres of tis worlde to sene.  And al tat he sawe he vndirtoke  And euer he wrote it in a boke,  And al tat men hym tolde tereto 

He wrote it in a boke also. (ll. 1518,23‑24, 29‑34) 

勇敢で高貴なる騎士マンデヴィルは,長旅の内に見聞した驚異を書き留めて 書物としその書物こそが,コベントリー版の情報源となるのである.ここ には,散文版の, notworthi (3)," "insuffisance (229)"などという慎み深 い自己評価をしていた騎士の姿はなく,勇敢で広く旅した学識のある騎士と

して,大人物として描かれている 16

博識の騎士というマンデヴイルの側面を強調する手法以外に,コベント

(15)

38  二つの韻文版『マンデヴイルの旅行記Jにおける散文版からの変化

リ}版ではさらに他の方法でもマンデヴイルの権威付けをおこなっている.

サー・ジョン・マンデヴイルという名前を紹介した直後に,コベントリー版 は,マンデヴイルについてさらに詳しく紹介し始める.

And in Seinte Albones hβwas born

, 

And his auncestres hym biforn.  And yitte in Englonde

, 

wete ye wele

, 

Ofhis kmetere liven ful fele.  A worti sowdioure forsothe was he  And wel trauailid biyonde the see  In many a dyuers kinges londe, 

And euer he trauailid without wene 

The wondres oftis wor1de to sene. (11.19‑25,29‑30) 

下線部分は,家系図のような役割を果たしており,それに続き, Aworti  sowdioure"と知識だけでなく,騎士という側面も強調されている.自分 の情報に権威を付与するための手段として,家系図や情報源の身分を強調す る例は中世ロマンスにも見られ,コベントリー版の作者がそれを応用したこ とは十分に考えられる 17 散文版では,経験者としての権威を裏付けとした 語り手マンデヴイルが,コベントリー版では,書物としての権威の一部をな すものへと変化しそれに伴い強調される部分が「私は見た」という実際の 見聞から.

r

信頼の置ける人物が書いた」という書物としての信頼'性へ移っ ていったことがうかがわれる.

散文版では語り手として,物語をまとめるための役割を担ったマンデヴイ ルだが,二つの韻文版では,このように,情報の源, という二次的な役割に 退いている.さらに,細かくいうならば,断片版では,マンデヴィル自身の

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二つの韻文版『マンデヴイルの旅行記』における散文版からの変化 39 

紹介はきわめて少なく,情報の出所を示すに過ぎないものの,スルタンと大 ハーンという,散文版でマンデヴイルが実際に兵士として滞在したと主張す るこ君主の宮廷が取り上げられていることから,マンデヴイルを,実在した 騎士として扱っていたと考えられる.一方コベントリー版では,学識のある 勇敢な騎士であり,広く旅した博識の人物として,知識の源として,いわば マンデヴイル自身が権威ある書物のような使われ方をしている.つまり,作 品を韻文にした際, もとの散文版では数多くあったマンデヴイルの属性の 内,断片版では.

I

騎士」という面が強調され,コベントリー版では.

I

旅行 者」という面が強調されたといえる.

散丈版『マンデヴィルの旅行記』と比較し語り手が変わったことによる 影響としてもう一つあげられるのは,記述の視点の変化である.コベント リー版の驚異も断片版の東洋の二君主も結局他者について語っているのだ れ散文版はこの他者に対する視線が寛容であることが大きな特徴である.

それに対し,二つの韻文版では,常にキリスト教徒の視点から描かれてい る.例えば,断片版では,大ハーンの固について描写する際,

o

Ihesu, lat  Ti mercy falle / opon thes folke the soth to see (11. 71‑72)"と歌い,キリス

ト教の真実に目覚めていないことを強調している.さらに,大ハーン自身に ついての描写では,ハーンに Cristis  God, it is provid playn (1. 43)"とい わせている.これは,マルコ・ボーロのエピソ}ドに基づいている.反乱を 起こし鎮圧されたハーンの親類がキリスト教信者であったため,その掲げて いた十字架が,結局その者を救わなかったと異教徒たちが瑚笑した折に,

ハーンは,むしろその十字架は,悪しき者を助けないという正しいことをし た,と擁護したという (Yule1:  343‑47).その際のハーンの発言として断片 版は引用した台詞をもってきており,確かに同趣旨の話ではあるものの,キ リスト教色をさらに強めるように改変している.さらに,作品の終盤近くで は, TheGret Cane hatist most of on / Machometis law for it s1Uenesse./ He callys Cristyn law best but his alone, / and sothly so doth alle sectesse. 

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40  二つの韻文版『マンデヴイルの旅行記』における散文版からの変化

(11.  157‑60)"と記し,大ハーンがイスラム教を嫌いキリスト教を重んじてい ると述べる.これも散文版『マンデヴイルの旅行記

J

にベースとなる記述が あるエピソードに組み込まれているのだが,散文版ではこの引用部分と同じ 記述は見当たらない.ゆえに,これも,断片版による脚色と思われる.大 ハーンの富やその国土の広さなどを断片版は称揚しているが,それも,この ようにキリスト教に理解のある王として描いているからこそではないだ、ろう か.

一方断片版のもう一人の主題であるスルタンの方は,対照的に,キリスト 教国へスパイを送る卑怯な人間として描かれている.散文版には,スルタン と会話したマンデヴイルが,スルタンにキリスト教国の堕落ぶりを言い当て られ,その知識の正確さに驚き,理由を聞くと,スルタンは西方諸国に人を 送り,内情を探らせていた,というエピソードがある.散文版では,語り手 マンデヴィルは,その直後に,異教徒に非難されるキリスト教徒の堕落ぶり を嘆くとともに, theSarazines ben gode and feythfu11e, for thei kepen  entierly the commandement of the holy book Alkaron that God sente hem  be His messager Machomet (102)"といっており,サラセン人は敬度であ る,ということを認めている.このように,キリスト教徒からみれば間違っ た信仰をもっ異教徒を,敬度さという点では認め,そのような敬度な人物に キリスト教徒の堕落ぶりを指摘させる,というパラドックスが,散文版では 非常に痛烈な批判として働いていたのだが,断片版では,語り手マンデヴイ ルの消失とともに,こういった相対的な視点、や自己を省みる視点も消え,単 純なキリスト教の観点からのみの話となっている.

さらに,コベントリー版でも,驚異について語る際,散文版の語り手マン デヴイルが示していた,それに付随する相対化の視点が欠けている.例え ば, Gymnosophist, Bragmanなどと呼ばれるインドの高徳の行者について 紹介している例が典型的である.散文版では,まずBragmanが, "gode  feythララを持つ godefolk"と紹介され (211),その行いの正しさが詳述され

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二つの韻文版『マンデヴイルの旅行記jにおける散文版からの変化 41 

た後, itsemeth we1 that God 10ueth hem and is p1esed with hire creance  for hire gode dedes  (212)門と,彼らとその行いは神も気に入るだろうと述 べられている.そしてアレクサンダー大王も,彼らの生活を乱しではならな いと征服しなかったことが語られる.次にGymnosophistについて,散文 版は godefolk and fulle of gode feyth (213)"と述べ,そのすばらしさをア レクサンダー大王との避遁のエピソードを用いて紹介した後,以下のように 締めくくっている.

And alle be it  that theyse fo1k han not the arti伽 ぱoureu

盟 h

as wee han, nathe1es for hire gode feyth naturelle and for hire  godβentent 1 trowe fully that God 10ueth hem and that God take  hire seruyse to gree . . . . And . . . alle be it that there ben many  dyuerse 1awes in the world

, 

yit 1 trowe that God 10ueth alweys  hem that 10uen Him and seruen Him meke1y in trouthe. (214) 

下線部のように,彼らはキリスト教徒ではない、と明言した上で.Bragman  の時同様,良き人々が良き意思を持ち,正しい生活を送っていれば,それは 神の心にかなうのだと主張している.これが.

r

マンデヴィルの旅行記』の 最大の特徴ともいえる,東洋や他者への寛容さの表れである.

それに対し,同じインドの行者たちについて,コベントリー版は,キリス ト教徒と読み取れる存在にしてしまっている.

Sinosop1e and a1so Dragmey. 

And of alle the pup1e in cristiante  T'he best lyuers 1 trowe thei be;  For 10ue and charite and eeke pees  1s euermore tere withouten 1ees

, 

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42  二つの韻文版『マンデヴィルの旅行記』における散文版からの変化

And mekelich thei serueth God almY3te 

In penaunce and praier daie and nY3te. (ll. 2462‑68) 

SinosopleがGymnosophistに, DragmeyがBragmanにそれぞれ対応す るのだが,下線部のように,キリスト教国最良の民で,全能の神に従順に仕 えている,と紹介しており,散文版の特徴が,コベントリー版では全く消え てしまっている.さらには,これらの種族は西洋古典の時代から,徳の高い 異教徒として,東洋の不思議な種族の一つでもあったため,その伝統にも反 しているといえる 18 ここでも語り手がマンデヴィルではなくなったことに より,相対的な視点は欠け,一方的にキリスト教徒の観点から書かれたもの となっている.

このように,二つの韻文版『マンデヴイルの旅行記』は,形式や内容が原 典である散文版『マンデヴィルの旅行記』と異なっているだけでなく,物語 の語り手を変えたことにより,そこで描かれるマンデヴイル像や記述姿勢に 変化が生まれている.これらの変化は全て連動している つまり,語り手を 変えたためマンデヴイルをどう扱うかという問題が生まれ,かつ,語りの視 点や内容が変化した.あるいは,視点を変えるために語り手を変え,マンデ ヴイル像を変化させ,内容の取捨選択が必要となった.どの変化が最初に意 図されたものかはわからないが,

r

マンデヴイルの旅行記』が同時代にどう 受け取られ,その内容のどこが注目され, どう改変されたかを示す一例とい える.具体的には,断片版は,

r

マンデヴイルの旅行記j の,実在した騎士 による体験,という部分を重視している.散文版のなかでマンデヴイルが実 際に仕えた君主のみが記述されていることは,断片しか残っていないため,

意図的かどうかは必ずしもわからないが,結呆として,

r

体験」を最も重視

した選択となっている.マンデヴイルがどのような人物か特に触れなかった のは,長らく海外へ旅をし,これから記述しようとする君主に実際に仕え た, というだけで,その君主に直接接した人物による情報, という十分な権

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二つの韻文版『マンデヴイルの旅行記Jにおける散文版からの変化 43 

威があったからであろう.それに対して,コベントリー版は,

r

マンデヴイ ルの旅行記j の書かれた書物としての権威を重視している.作者の信濃性を より高めるための様々な付け足しは,書物としての権威をより高めるためで ある.単なる「経験」だけではそこでは不十分で,マンデヴイルが信頼する に価する人物であり,読み書きもできる知識人だからこそ,その記述に権威 が生まれてくるといえる.断片版は散文版の記述にあるマンデヴイルについ ての情報を比較的忠実に再現し淡々と情報源として利用しているのに対 し,コベントリー版では,マンデヴイル自身の権威をより高め,ロマンスの 情報源となるような書物へと仕立てようとする動きが見られる.

さらに,散文版で特異な働きをしていたマンデヴイルという語り手が,単 なる情報源に退いたことにより,二つの韻文版では記述姿勢が大きく変わ り,東洋や他者への寛容さが減じる結果となっている.コベントリー版,断 片版に共通して言えるのは,キリスト教的道徳、観の強さである.散文版のマ ンデヴィルは,聖地を何度も訪れた敬度なキリスト教徒だが,異国での経験 も豊富なためか,決して狭量で、はなく,東洋,他者,驚異,異教徒といった ものに一定の理解を示していた.それにより,散文版には相対的な視点,自 己を省みる視点などが見られたが,そういった寛容性は二つの韻文版には見 られない.散文版に存在していた実在の人物による語りに見えてそうではな い,という点や,キリスト教徒が語るもののキリスト教至上主義ではない,

という点など,語り手マンデヴイルに関わる複雑な逆説的仕組みがすべて排 除され,キリスト教的道徳色の強い単純化された物語となっている.

このように,二つの韻文版『マンデヴイルの旅行記』は,単に散文から韻 文になったという以上に,語り手の変化やマンデヴイルという人物の再定義 を伴い,意図的に散文版と内容を大きく変え,根底にある記述姿勢までも異 なっている.これらのことを考え合わせれば,この三作品は,

I

マンデヴイ ル・サイクル」に属する作品ではあるものの,厳密には『マンデヴィルの旅 行記』と呼べるものではないだろう.しかしこれまであまり注目されてこ

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44  二つの韻文版『マンデヴイルの旅行記』における散文版からの変化

な か っ た こ の 二 作 品 は , 非 常 に 作 品 に 近 い 位 置 で 『 マ ン デ ヴ イ ル の 旅 行 記 』 の 多 様 性 を 再 確 認 さ せ , そ の 同 時 代 で の 作 品 受 容 の 一 端 を 示 す と と も に ,

「 ジ ョ ン ・ マ ン デ ヴ ィ ル 」 が 物 語 の 上 で 果 た し た 役 割 を よ り 明 ら か に す る も のといえる.

写本のリストおよび詳細は,Senour,句'heEnglish Mam盟 国.pts"178‑206; SnourSir John Mα丸山ville4345などで紹介されている.各パージョン閑の関係につ いては, Higgins,Mandeville" 104111; Tzanaki 1418などを参照.

ただし38写本の中には,断片や抜粋も含まれている.また, Higginsは, Senour がさらにもう一点抜粋の可能性がある写本 (Oxford,Trinity College MS 29)を 紹介していると指摘しており,もしこれが入れば,欠損版の写本数は39,全体の写 本数は45となる( Mandeville"105; Seymour, Defective Versionvi).

ボドリー版はオリジナルの約三分のーの長さで,エピソードの順番なども違って いる (Higgins,Mandeville"11011;Senour"Medieval Redactor").  断片版の写本に含まれる作品についてはSeymour,コ.乙

202O3を参照.

散文版『マンデヴイルの旅行記』の例として,本論では特に断りのない限りこの Seymourによるコットン版の校訂版から引用し,これ以降頁のみ記す.なお,

コットン版は, Tzanakiにより,断片版の基となったパージョンである可能性が 指摘されている(16).また,これ以降の引用において,下線は全て筆者が付与

したものである.

このテーマについては様々な研究があるが,例えば, Wittkower, Friedman,  Rommなどが特に詳しい.

コベントリー版からの引用は全てこのSeymourによる校訂版からであり,以下,

頁は省略し行数のみを記す.

Fieldによれば, 14世紀のロマンスは無名性が色濃くなっていた (168).なお,

断片版からの引用は全てこのSeymourによる校訂版からであり,以下,頁は省 略し,行数のみを記す.

コベントリー版の作者が多くの伝統的な韻文の定型勾を用いていることは,

Seymourも指摘している (Metricα1Version xviii) .なお,中世の詩作品におけ る 1"の役割については, Cobley 7074が論じている

10  Moseleyはコベントリー版の制作者は『マンデヴイルの旅行記』をロマンスと同 カテゴリーとして扱っていたと指摘している(15). 

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二つの韻文版『マンデヴイルの旅行記』における散文版からの変化 45 

11  14世紀のロマンスは,長い物語を避ける傾向にあった (Fie1d168).また,驚異 とロマンスとの関にも関わりがあり.Fie1dは,アレクサンダー大王に関する中 世ロマンスにおける驚異への関心は.wマンデヴィルの旅行記』の姿勢と共通す るとしている (172173).

12  例えば,聖書からの引用は11.2493, 2528, 2745などに見られ.1. 2493では道徳付 け.1. 2745では権威付けに使われている

13  このような呼びかけは中世ロマンスにも見られ,例えば,イングランド中部地方 で 1350-1400 年頃に書かれた中世ロマンスの一つ『アセルストン~ (Athelston)  の冒頭でも,三位一体,恩寵,罪といったテーマが盛り込まれた呼びかけがみら れる (Frenchand Ha1e, 1:  179). 

14  ただし,マルコ・ボーロにせよマンデヴイルにせよ,写本間の異同などもあり,

この数字をそのまま受け入れることはできない (c王Senour,Mandevilleand  Marco Po1o" 51) •

15  ただし,中世当時はボーロよりマンデヴイルの方が正確な記録として信じられて いた (Mose1ey12). 

16  これは例えば,中高ドイツ語の作家ハルトマン・フォン・アウエ (Hartmannvon  Aue, c.  1165 ‑c.  1215)がその作品『哀れなハインリヒ1(Der arme Htrichc.  1195)の冒頭部分で,自身を学識のある騎士として誇らしげに紹介する部分にも 似ている (Rautenberg4). 

17  例えば,ラヤモン (Layamo丸 紅 1200)の fブルートj)(Brut, c.  11901215)の 冒頭の作者紹介では,コベントリー版のマンデヴイル同様,ラヤモンの出身地,

家系,さらには遠くまで旅をしたことが紹介されている (Barronand Weinberg 2). 

18  この伝統については,例えばHahnを参照.

引用文献

〈一次資料〉

Barron, W. R. J., and S. C. Weinberg, eds and trans. Lα5αmon: Brut; or, Hystoriα  Brutonum. New York: Longman, 1995. Print. 

French, Wa1ter Hoyt, and Char1es Brockway Ha1e, eds. Middle English Metricαl  Romαces.2 vo1s. New York: Russell Russell, 1964. Print. 

Kohanski, Tamarah, ed. The Book of John ndeville: An Edition of the Pynson  Text with Commentαry on the Defective Version. Tempe: Arizona Center for  Medieva1 and Renaissance Studies, 200l. Print. Medieva1 and Renaissance  Txtsand Studies 231 

参照

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