自己名義の預金口座からの払戻しと詐欺罪について
著者 四方 奨
雑誌名 同志社法學
巻 69
号 7
ページ 3287‑3332
発行年 2018‑02‑28
権利 同志社法學會
URL http://doi.org/10.14988/pa.2019.0000000321
( )自己名義の預金口座からの払戻しと詐欺罪について同志社法学 六九巻七号一二五九三二八七
自 己 名 義 の 預 金 口 座 か ら の 払 戻 し と 詐 欺 罪 に つ い て
四 方 奨
一 はじめに 自己名義の預金口座から預金を払い戻す行為は、預金口座開設に際して金融機関との間で締結された預金契約に基づく行為である )1
(。自ら預け入れた預金を払い戻す場合もあれば、第三者が振り込んだ預金を払い戻す場合もある。こうした払戻行為は、経済取引の一端を担うばかりでなく、ごく日常的な行為でもあり、預金規定に従う限り、通常、法的問題は生じない。
しかし、自己名義の預金口座から預金を払い戻す行為が、犯罪となる場合がある。たとえば、自己名義の預金口座に誤って振り込まれた預金を払い戻す場合である。振込みとは、振込依頼人の依頼に基づき、銀行(仕向銀行)が振込依頼人から資金を受け取り、受取人の取引銀行(被仕向銀行)の預金口座に資金を入金するように依頼し、被仕向銀行が
( )同志社法学 六九巻七号一二六〇自己名義の預金口座からの払戻しと詐欺罪について三二八八
これを受けて受取人の口座に入金することをいう
)2
(。こうした振込みの過程で過誤が生じ、本来予定されていた受取人の口座に入金されず、第三者の口座に入金される場合を﹁誤振込み﹂という(以下、誤振込みに係る預金を﹁誤振込金﹂と略する)。最二小決平成一五年三月一二日
)3
((以下﹁平成一五年決定﹂という)は、受取人が誤振込金であることを知りながら、このことを秘して銀行の窓口で誤振込金を払い戻す行為について、詐欺罪を成立させた。払戻請求は民事法上の権利である預金債権の行使であるから、民事法上の規律を前提として、法秩序の統一性を損なわないかたちで、その刑法上の取扱いを検討する必要がある。平成一五年決定は、振込依頼人の過誤による誤振込金の受取人に預金債権の成立を認めた民事判例である最二小判平成八年四月二六日
)4
((以下﹁平成八年判決﹂という)を前提として詐欺罪を成立させた。しかし、その後、払戻請求が権利の濫用に当たる場合について判示した民事判例である最二小判平成二〇年一〇月一〇日
)5
((以下﹁平成二〇年判決﹂という)が下された。この平成二〇年判決は、平成八年判決を前提に、権利濫用該当性という預金債権の行使の局面に関する新たな判断を付け加えたものと解される。平成二〇年判決は、不作為構成を採用したと解される平成一五年決定の理論構成を塗り替え、平成一五年決定とは異なる理論構成で詐欺罪を成立させる可能性を秘めたものとして、刑事法の観点からも重要性が認められる。
誤振込みの場合における問題状況は、自己名義の預金口座に振り込まれた振り込め詐欺被害金 )6
(を払い戻す場合など、犯罪行為に利用されている自己名義の預金口座から預金を払い戻す場合にも同様に認められる )7
(。東京高判平成二五年九月四日 )8
((以下﹁平成二五年判決﹂という)は、自己の口座が詐欺等の犯罪行為に利用されていることを知りながら、このことを秘して銀行の窓口で預金を払い戻す行為について、詐欺罪を成立させた。振り込め詐欺被害金の払戻請求の場合は、誤振込金の場合とは異なり、犯罪利用預金口座等に係る資金による被害回復分配金の支払等に関する法律(以下﹁救済法﹂という)が適用される点に特徴がある。しかし、誤振込金の場合と同じ自己名義の預金口座からの払戻行為
( )自己名義の預金口座からの払戻しと詐欺罪について同志社法学 六九巻七号一二六一三二八九 として、検討するべき問題点に共通性が認められる。また、振り込め詐欺を含めた特殊詐欺の認知件数および被害金額は近年でも高い水準で推移しており )9
(、未だ収束する気配は無い。そして、振り込め詐欺では、振り込め詐欺被害金を引き出すことだけを役割とする、いわゆる﹁出し子﹂といった部分的な関与者も存在する。したがって、振り込め詐欺被害金を払い戻す行為に関して、刑法上の取扱いを検討することは、実務的にも重要である )₁₀
(。
そこで本稿は、自己名義の預金口座から誤振込金あるいは振り込め詐欺被害金を窓口で払い戻す行為について、詐欺罪に焦点を当てて検討する。
二 誤振込金の払戻しについて 一 誤振込金の払戻しにおける「欺罔行為の態様」 ⑴ 問題の所在 預金払戻請求は、自己に帰属する預金債権(預金払戻請求権)の行使である。払戻請求の対象が誤振込金であった場合、受取人に預金債権が成立するのか、成立するとして行使できるのかという問題が生じる。こうした預金債権の成立および行使に関する問題は、民事法上の問題である。しかし、この問題に対する結論は、犯罪の成否、とりわけ詐欺罪における欺罔行為の態様といった刑法上の問題に影響を与える。
誤振込金の受取人に預金債権が成立するのかという問題は、平成八年判決によって状況が一変した。平成八年判決以前は、民事裁判例上、名古屋高判昭和五一年一月二八日 )₁₁
(、鹿児島地判平成元年一一月二七日 )₁₂
(、東京地判平成二年一〇月二五日 )₁₃
(および東京高判平成三年一一月二八日 )₁₄
(において、預金債権は成立しないと判断されていた。他方、刑事裁判例に関しては、東京地判昭和四七年一〇月一九日 )₁₅
(は誤振込金を払い戻した行為について占有離脱物横領罪を成立させたほか、
( )同志社法学 六九巻七号一二六二自己名義の預金口座からの払戻しと詐欺罪について三二九〇
札幌地判昭和五一年八月二日 )₁₆
(は誤振込みの場合には受取人に預金債権は成立しないと解した上で誤振込金を窓口で払い戻した行為について詐欺罪の成立を認め、同判決の控訴審判決である札幌高判昭和五一年一一月一一日 )₁₇
(も、これを支持した )₁₈
(。平成八年判決以前は、民刑両裁判例において、振込みは原因となる法律関係(原因関係)の存在が必要な有因行為と理解することで、誤振込みの場合は原因関係を欠くため受取人に預金債権が成立しないという理解が主流であったといえる )₁₉
(。こうした理解のもとでは、詐欺罪における偽りの内容は、正当な払戻権限がないのに、これがあるように装って預金の払戻請求をすることであると解される。
しかし、平成八年判決は、﹁振込依頼人から受取人の銀行の普通預金口座に振込みがあったときは、振込依頼人と受取人との間に振込みの原因となる法律関係が存在するか否かにかかわらず、受取人と銀行との間に振込金額相当の普通預金契約が成立し、受取人が銀行に対して右金額相当の普通預金債権を取得するものと解するのが相当である﹂と判示して、振込依頼人の過誤による誤振込みについて受取人に預金債権が成立するとした )₂₀
(。平成八年判決は、従前の裁判例とは対照的に、振込みは原因関係の存在が不要な無因行為と理解したものである。
もっとも、平成八年判決は民事判例であったことから、同判決の射程は刑事法の分野には及ばないと考えることによって、従前の説明を維持し、詐欺罪の成立を認める見解が示された )₂₁
(。平成八年判決以降も、刑法上は受取人に正当な払戻権限は認められないから、誤振込みの事実を秘した払戻行為は詐欺罪に当たると理解する見解 )₂₂
(である )₂₃
(。この見解によると、偽りの内容は、平成八年判決以前と同じく、正当な払戻権限がないのに、これがあるように装って預金の払戻請求をすることであると解される )₂₄
(。もっとも、この見解は、民事法上は預金債権の成立を肯定しながら、刑法上はこれを否定するものであり、民刑の統一的解釈が損なわれるという欠点を抱えていた )₂₅
(。
民刑の法解釈の統一性という観点からすると、平成八年判決は、刑事法の分野にも及ぶと理解するべきである。平成
( )自己名義の預金口座からの払戻しと詐欺罪について同志社法学 六九巻七号一二六三三二九一 八年判決によって受取人に預金債権が成立する以上、その預金債権の行使も、無制約に許されると解することもできる。この場合、誤振込金の払戻請求は、正当な払戻権限の行使となる。したがって、欺罔行為には当たらず、詐欺罪は成立しないと考える見解に至ることとなろう )₂₆
(。
たしかに、預金債権が成立する以上、その預金債権の行使も、原則として許容されると解するのが自然である )₂₇
(。しかし、権利の行使といえども、無制約に許容されるとは限らず、例外的に権利の行使が制約されることがある。
平成八年判決は、第三者異議事件(第三者異議の訴え)であり、預金払戻請求事件ではなかった。したがって、同事件における審理対象は強制執行(差押え)の対象となる預金債権の存否であり、預金債権の行使の可否は審理対象ではなく争点ではなかった )₂₈
(。また、権利の帰属(取得)と行使は別概念であり、帰属を認めることが必然的に行使を認めることに結びつく訳ではない )₂₉
(。そのため、平成八年判決は預金債権の行使の可否までは判断しなかったと解され )₃₀
(、預金債権の行使に関する制約の有無や程度は未解決のまま残された問題であったといえる。こうした預金債権の行使に関する問題も、預金債権の成立の問題と同様に、詐欺罪における欺罔行為の判断に影響を与えることとなる。そこで、以下において、預金債権の行使に関する民事法上の規律を踏まえて、詐欺罪における欺罔行為の態様を如何に構成するべきかについて検討する。
⑵ 不作為態様(告知義務構成) ⒜ 平成一五年決定 平成一五年決定は、平成八年判決に従い受取人が預金債権を取得することを前提に、受取人に﹁誤った振込みがあった旨を銀行に告知すべき信義則上の義務があると解される﹂と判示し、受取人の告知義務を認定した上で、﹁誤った振込みがあることを知った受取人が、その情を秘して預金の払戻しを請求することは、詐欺罪の
( )同志社法学 六九巻七号一二六四自己名義の預金口座からの払戻しと詐欺罪について三二九二
欺罔行為に当た﹂ると判示した。平成一五年決定は、欺罔行為の態様を﹁不作為による欺罔行為﹂と構成したものであると解される )₃₁
(。
平成一五年決定の調査官解説は、﹁⋮⋮被仕向銀行において必要な調査、照会をし、被仕向銀行、仕向銀行の事務処理に過誤がなかったことが明らかになった後、受取人が組戻しに応じず、現金の払戻しを強く請求したときには、これに応じざるを得ないことになる﹂ )₃₂
(と述べ、平成一五年決定は受取人に預金債権が成立し、その預金債権の行使が可能であることを前提に、その行使に信義則上一定の制約を課したものであると説明する )₃₃
(。それゆえ、平成一五年決定は、受取人に預金の正当な払戻権限があるのかという観点ではなく、預金の払戻請求を受けた銀行側が、誤振込みであることを知っていれば、その払戻請求に対して、どのように対応したか、直ちにその払戻しに応じたかという観点を重視して詐欺罪の成立を肯定したものであるといえる )₃₄
(。平成一五年決定は、預金債権の成立を認め、かつ、行使も可能とした上で、なお詐欺罪の成立を肯定したものである。
平成一五年決定は、﹁挙動による欺罔行為﹂が認められないと判断したからこそ、告知義務を問題にしたと解される )₃₅
(。﹁挙動による欺罔行為﹂は、積極的な欺罔行為ではなく、一定の動作によって相手方を偽る黙示的(推断的)欺罔行為であって、作為犯として位置付けられる )₃₆
(。したがって、﹁挙動による欺罔行為﹂の場合、告知義務は不要であるのに対して、﹁不作為による欺罔行為﹂の場合、告知義務が必要となる )₃₇
(。
要、在存がれそで間者事当めるたるあで容内な要重るおすけこり必るすに葉言﹃とわい、ばおし識意とるあで然当てが 度動(態的)が黙示挙二のそ、﹁は説解官査調の頁虚にる偽合五に引取、ちわなす、場をきで釈解とるいてし示表八号 を用当に罪欺詐が為行たし利るを場フルゴるいてし止禁たか用年巻八六集刑日八二月三六を二成平判小二最たし断判三 ﹁利たいつに断判のか否かる当、に﹂為行罔欺るよに動て暴のと者係関団力暴てし秘をこ力るあで員団力暴が員団挙
( )自己名義の預金口座からの払戻しと詐欺罪について同志社法学 六九巻七号一二六五三二九三 がない﹄状況にあれば、﹃挙動による欺罔行為﹄と認められる。⋮⋮まずは挙動による意思表示の法律的解釈を基本とし、従前からの当事者間の取引関係・基本契約、契約の際の確認内容(確認事項)、さらには取引慣行、社会的理解等を総合的に考慮して、当該挙動が黙示的に表示する事項(黙示的に包含する意思表示)を解釈するべきことになろう﹂ )₃₈
(と説明する。こうした観点から、誤振込みの場合における払戻請求が、﹁挙動による欺罔行為﹂に該当するかを検討すると、払戻請求の際に振込みの原因となる法律関係が存在することについて確認は行われないこと、平成八年判決から原因関係が存在しなくても預金債権は成立すると解されることなどから、払戻請求が黙示的に誤振込みではない(原因関係が存在する)という虚偽を表示しているとは解釈できないものと解される )₃₉
(。
また、平成八年判決は預金債権の成立を認める一方、その行使の可否(制約の有無)について判断せず、平成一五年決定の時点では民事法学上も預金債権の行使が権利濫用に当たるかについて必ずしも明らかではなかった )₄₀
(。こうした背景から、平成一五年決定は、誤振込金の受取人には払戻権限がない(権利濫用に当たる)という判断を留保したものと考えられる。こうしたことも平成一五年決定が﹁挙動による欺罔行為﹂を認定しなかった一因と見ることができよう )₄₁
(。
以上から、﹁挙動による欺罔行為﹂と構成せず、﹁不作為による欺罔行為﹂と構成したと解される平成一五年決定は、妥当であったと解される )₄₂
(。
⒝ 告知義務 平成一五年決定のように﹁不作為による欺罔行為﹂と構成すると、偽りの内容は、誤振込みがあることを知りながら、これを告知せずに預金の払戻しを請求することであると解される )₄₃
(。
上述のとおり、平成一五年決定は、信義則上の告知義務の存在を肯定した。その根拠は、受取人は銀行との間で普通預金取引契約に基づき継続的な預金取引を行っている者として、自己の口座に誤った振込みがあることを知った場合には、銀行に組戻しや自行を含めた関係者の過誤を確認照会するなどの措置を講じさせるためであるという。告知義務を
( )同志社法学 六九巻七号一二六六自己名義の預金口座からの払戻しと詐欺罪について三二九四
肯定するに当たっては、組戻しや確認照会措置は普通預金規定、振込規定等の趣旨に沿った取扱いであり、安全な振込送金制度を維持するために有益なものである上、銀行が振込依頼人と受取人との紛争に巻き込まれないためにも必要なものということができ、また、振込依頼人、受取人等関係者間での無用な紛争の発生を防止するという観点から、社会的にも有意義なものであることが指摘されている。
ここでの告知義務は、継続的契約である預金契約に付随して発生する義務であると解され、民事法上における付随的義務としての告知義務との関連性が認められる。振込依頼人の過誤による誤振込みの場合、自己の口座にある誤振込金を払い戻せるのは受取人だけである。この場合、被仕向銀行も受取人の意思に反して一方的に誤振込金を取り戻すことはできない。そのため、受取人が﹁管轄する領域内 )₄₄
(﹂において、誤振込みという事故状態が生じているといえる。この事故状態は、受取人からの申告によって、早期かつ円滑に回復する。したがって、受取人に告知義務が課されることによって、安全な振込制度が維持され、無用な紛争の発生が回避される側面がある。他方で、誤振込金の受取人は、誤振込金を振込依頼人等に返還しなければならず、最終的に誤振込金の返還義務は免れない。こうした点からすると、誤振込金の受取人は、振込制度上不可避的に発生する誤振込みという事故状態を解消するために協力するべく、情報提供義務として告知義務を負うものと解される )₄₅
(。したがって、平成一五年決定が告知義務を認めたことは、支持できる )₄₆
(。
⒞ 法秩序の統一性 不作為構成を採用したと解される平成一五年決定と、その前提となった平成八年判決は、整合しているといえるか。上述のとおり、平成八年判決は、預金債権の成立(帰属)について判断したものであり、預金債権の行使の可否までは判断していないと解される。他方で、平成一五年決定は、民事法上、預金債権の行使自体は可能であるとしながら、その行使に一定の制限を加えたものと解される。したがって、平成一五年決定と平成八年判決は、整合していると解される )₄₇
(。そうであるとして、平成一五年決定は、民刑の法秩序の統一性を損なわないといえるか。
( )自己名義の預金口座からの払戻しと詐欺罪について同志社法学 六九巻七号一二六七三二九五 誤振込みであることを告知した払戻請求は、刑法上、告知義務に違反せず詐欺罪は成立しないため適法であると解される。また、民事法上も、告知したことで銀行が調査確認措置や組戻しを行う機会を与えており、銀行の利益を侵害するものではないため、適法であると考えられる。したがって、誤振込金であることを告知した上での払戻請求は、民刑両法において適法であると解される。
これに対して、誤振込金であることを告知しない払戻請求は、刑法上、告知義務に違反し詐欺罪が成立するため違法であると解される。他方で、民事法上も違法になるかについては、その違法の意味も相俟って、議論の余地があると考えられる。上述のとおり平成一五年決定は権利濫用に当たるという判断を留保したと解されるから、権利濫用に当たるという意味での違法はないと解される。しかし、誤振込みの事実を告知しないことで、本来であれば払戻しを受けることができた時よりも早く払戻しを受けることができただけではなく、本来であれば銀行が行うはずであった調査確認措置や組戻措置を行う機会を失わせて、こうした措置を経ることなく払戻しを受けたという意味で、銀行の利益を侵害する権利行使として民事法上も違法であると考えられる )₄₈
(。したがって、誤振込金であることを告知しない払戻請求は、民刑両法において違法であると解される。
以上から、平成一五年決定は、誤振込金であることを告知した払戻請求を民刑ともに適法とし、告知しない払戻請求を民刑ともに違法とするものであると解されるから、法秩序の統一性を損なわないといえる。
⑶ 作為態様(権利濫用構成) ⒜ 問題の所在 上述のとおり、平成一五年決定は、受取人に成立した預金債権の行使を可能とした上で詐欺罪の成立を認めたものである。権利濫用となる場合には、民事法上、権利行使の効果は生じず )₄₉
(、預金債権を行使できない。
( )同志社法学 六九巻七号一二六八自己名義の預金口座からの払戻しと詐欺罪について三二九六
したがって、平成一五年決定は預金債権の行使は権利濫用に当たると判断したものではないと解される。平成一五年決定が預金債権の行使に加えた制限は、告知義務であって、権利濫用という永久的抗弁権とは異なる。
平成一五年決定は、預金払戻請求事件という民事事件ではなく、詐欺罪の成否が問われた刑事事件であった。そのため、告知義務違反という不作為犯に関する刑法理論によって詐欺罪の構成要件該当性を肯定できる以上、議論が熟していない上に少なからぬ問題点が懸念された権利濫用構成の判断に踏み込むことを控えたように思われる。こうして、平成一五年決定後も、誤振込金の払戻請求が権利濫用に当たるかという民事法上の問題は、未解決のまま残された。
払戻請求は、自己の有する債権を行使して払戻しを求める行為である。権利濫用に該当する事実を秘した払戻請求は、本来であれば行使できないため払戻しを受けられない権利を、あたかも行使でき払戻しを受けられる権利と装っていることになる。こうした払戻請求は、払戻請求権を行使でき払戻しを受けられるという虚偽を黙示的に表示していると解釈できる。そのため、誤振込金の払戻請求が権利濫用に当たる場合には、﹁挙動による欺罔行為﹂として構成できると解される。このように誤振込みの事実を秘した払戻請求が権利濫用に当たるかという民事法上の問題は、詐欺罪における欺罔行為の構成などの刑法上の問題に影響を与える )₅₀
(。
⒝ 学説および判例の展開 誤振込金の受取人による預金債権の行使が権利濫用に該当するかという問題に関する従前の学説および判例の展開について概観する。
平成八年判決の評釈には、民事法の観点から、平成八年判決を前提とした権利濫用構成を示唆する見解が存在した )₅₁
(。その後、平成一五年決定以前に、刑事法の観点から、平成八年判決により刑法上も預金債権の成立が認められることを前提として、誤振込金の受取人からの払戻請求は権利濫用に当たるので、受取人には正当な払戻権限は認められないとして、詐欺罪の成立を認める見解が提唱された )₅₂
(。この見解は、手形法における後者の抗弁 )₅₃
(などの議論を援用し、誤振込
( )自己名義の預金口座からの払戻しと詐欺罪について同志社法学 六九巻七号一二六九三二九七 みの場合も原因関係を欠いているため、預金を返還しなければならず、払戻請求権を行使すべき実質的理由が無いことを権利濫用となる理由としていた )₅₄
(。この見解からすると、偽りの内容は、正当な払戻権限がないのに、これがあるように装って預金の払戻請求をすることであると解される )₅₅
(。
しかし、上述のとおり、平成一五年決定は、誤振込みの事実を秘した払戻請求が権利の濫用に当たるか否かについて判断せず )₅₆
(、こうした権利濫用構成を採用しなかった。平成一五年決定の評釈の中には、権利濫用構成に否定的な刑事法学者の見解もあり )₅₇
(、平成一五年決定の調査官解説も権利濫用構成に否定的な態度を示していた )₅₈
(。
もっとも、平成一五年決定を受けて、民事法の観点からも、預金の払戻請求が権利濫用に当たるという見解が示された )₅₉
(。たとえば、平成一五年決定が﹁誤った振込みについては、受取人において、これを振込依頼人等に返還しなければならず、誤った振込金額相当分を最終的に自己のものとすべき実質的な権利はない﹂と判示した点を捉えて、払戻請求は権利濫用であるとする見解がある )₆₀
(。このように、平成二〇年判決以前に、権利濫用に当たるとする見解は、その根拠を原因関係の不存在に求めていた。しかし、こうした見解に対しては、手形抗弁論から示唆を受けることは慎重であるべきなどといった批判が存在する )₆₁
(。また、平成八年判決を前提とすると、振込制度のもとでは、受取人による払戻しを受けるべき固有の利益の有無にかかわらず、預金債権を行使できることが織り込まれていることなどから、受取人に自己のために払戻しを請求する固有の利益がないということのみをもって、その預金債権の行使を権利の濫用であると評価することはできないという指摘が存在する )₆₂
(。
その後、払戻請求が権利の濫用に当たる場合について判断した民事判例である平成二〇年判決が下された。平成二〇年判決は、誤振込みの事案ではなかったが、次のとおり、払戻請求が権利の濫用に当たる場合について判示した。すなわち、平成二〇年判決は、﹁受取人の普通預金口座への振込みを依頼した振込依頼人と受取人との間に振込みの原因と
( )同志社法学 六九巻七号一二七〇自己名義の預金口座からの払戻しと詐欺罪について三二九八
なる法律関係が存在しない場合において、受取人が当該振込みに係る預金の払戻しを請求することについては、払戻しを受けることが当該振込みに係る金員を不正に取得するための行為であって、詐欺罪等の犯行の一環を成す場合であるなど、これを認めることが著しく正義に反するような特段の事情があるときは、権利の濫用に当たる﹂と判示した。他方で、平成二〇年判決は、﹁⋮⋮受取人が振込依頼人に対して不当利得返還義務を負担しているというだけでは、権利の濫用に当たるということはできないものというべきである﹂と判示したことから、原因関係の不存在を理由とする権利濫用論を採用しなかったと解される。平成二〇年判決は、権利濫用となる理由を、原因関係の不存在ではなく、公序良俗に違反する点に求めたものと解される )₆₃
(。
平成二〇年判決によって、誤振込みの事実を秘した払戻請求は、上記﹁特段の事情﹂があり、権利の濫用に当たるのかが改めて問題となった )₆₄
(。具体的には、誤振込金の払戻請求が、﹁払戻しを受けることが当該振込みに係る金員を不正に取得するための行為であって、詐欺罪等の犯行の一環を成す場合﹂に該当するかという観点から、権利濫用該当性が論じられることになった。この問題については、該当説 )₆₅
((権利濫用説)と非該当説 )₆₆
((非権利濫用説)とが対立している。平成二〇年判決の調査官解説は、﹁振り込め詐欺等における受取人による預金債権の行使に限らず、誤った振込みがあることを知った受取人が、その情を秘して預金の払戻しを請求することは、詐欺罪の欺罔行為に当たるとされていることからすれば、このような場合における当該振込みに係る預金の払戻しを請求することも、権利の濫用であると評価することができよう﹂ )₆₇
(としており、該当説(権利濫用説)に依拠している。この問題は本来的に民事法の観点から議論が尽くされるべきであるが、平成二〇年判決の背後にある公序良俗違反を理由とする権利濫用の判断は正当な指摘として支持し得るものと解され、該当説(権利濫用説)が妥当であると解される。
⒞ 権利濫用構成の問題点 もっとも、権利濫用構成に対しては、次の問題点が指摘されている。
( )自己名義の預金口座からの払戻しと詐欺罪について同志社法学 六九巻七号一二七一三二九九 第一に、一種の循環論証に陥っている、という指摘である )₆₈
(。平成一五年決定は、権利濫用論には触れずに、告知義務を認めて、詐欺罪を成立させたものと解される。したがって、権利濫用であるから詐欺罪となり、詐欺罪であるから権利濫用となる、という意味で循環論証が問題になる訳ではない。そうではなくて、平成一五年決定が詐欺罪の成立を認めたからこそ、誤振込みの事実を秘した払戻請求が民法上権利濫用に当たると解され、権利濫用に当たるからこそ﹁挙動による欺罔行為﹂により詐欺罪が成立すると考えると、結局、詐欺罪を認めた平成一五年決定が詐欺罪の根拠となっていることから、一種の循環論法であると指摘される )₆₉
(。たしかに、平成一五年決定が詐欺罪の成立を認めたことだけを根拠として、それ以上に実質的な説明を付け加えることができなければ、循環論法に当たり得る。この点について考察すると、平成八年判決以前は、誤振込金の事実を秘した払戻請求が詐欺罪など犯罪行為に当たることについて特に争いはなかったと解される。しかし、平成八年判決によって、誤振込金の払戻請求が依然として犯罪行為に該当するのか疑義が生じた。そのため、平成一五年決定は、誤振込金の事実を秘した払戻請求について、公序良俗に違反するという理由で権利濫用に当たると判断せず、不作為態様での詐欺罪を成立させたものであると解される。このように平成一五年決定が誤振込金の事実を秘した払戻請求について詐欺罪の成立を認めたことで、平成八年判決後も、なお詐欺罪という犯罪行為に当たることが明確になった。詐欺罪が成立することを明確にした平成一五年決定と、平成二〇年判決によって確認された公序良俗違反を理由とする権利濫用論とが結び付いたことで、権利濫用構成によって詐欺罪を成立させることが可能となった。誤振込みの事実を秘した払戻請求は、平成一五年決定までは権利濫用に当たると断じ難かったけれども、平成一五年決定を契機に権利濫用に当たることになったといえる。告知義務の根拠となった信義則(民法一条二項)と権利濫用(民法一条三項)とは判例上も実務上も厳密に区別されているとは言い難く、また、日本の権利濫用論は加害の意思や公序良俗違反、信義誠実違反から権利濫用を認める性質を有していると指摘される )₇₀
(ことなどからする
( )同志社法学 六九巻七号一二七二自己名義の預金口座からの払戻しと詐欺罪について三三〇〇
と、平成一五年決定が詐欺罪の成立を認めたことを契機に、権利濫用(作為)構成の詐欺罪の成立可能性が認められるとしても、信義則を根拠とする告知義務から権利濫用論への理論的進展として許容する余地があるように思われる。また、﹁挙動による欺罔行為﹂として詐欺罪の成立を認めるためには、欺罔行為の態様だけではなく、欺罔行為における重要事項性など他の構成要件該当性について吟味される必要があるから、平成一五年決定が詐欺罪の成立を認めたことだけで、直ちに権利濫用構成の詐欺罪が成立する訳ではない。こうしたことなどからすれば、循環論法に陥らない説明も可能であると思われ、平成一五年決定が信義則上の告知義務違反などから詐欺罪の成立を認めたことを前提として、権利濫用(作為)構成の詐欺罪を肯定することも支持できると解される。
第二に、平成八年判決が預金債権の成立を普通預金規定の形式的な解釈で決しており原因関係の存否を考慮していないことからすると、成立した預金債権の行使も普通預金規定によって定まるのであり、同規定に預金の支払を原因関係に係らしめる規定がない以上、銀行は権利の濫用を理由として、受取人の預金債権の行使を拒むことはできないという指摘がある )₇₁
(。しかし、権利濫用の根拠を原因関係の不存在ではなく公序良俗違反に求めれば、こうした問題は回避できると解される。
第三に、払戻請求が常に権利の濫用に当たると、誤振込みによる預金が宙に浮くという指摘がある )₇₂
(。たしかに、権利濫用に当たる場合、預金債権を行使できない受取人が被仕向銀行に対して払戻請求を行っても認められない。そうかといって、預金債権を有しない振込依頼人が被仕向銀行に対して払戻請求を行っても認められない。それゆえ、誤振込金が誰にも払い戻されず、被仕向銀行の管理下から動かない状態となり得る。しかし、誤振込金が受取人に払い戻されてしまえば、受取人はこれを費消してしまい、振込依頼人が受取人に対して不当利得返還請求を行っても、現実に誤振込金を回収することができず、現実に損失を回復できない事態も起こり得る。そのため、誤振込金が被仕向銀行の管理下
( )自己名義の預金口座からの払戻しと詐欺罪について同志社法学 六九巻七号一二七三三三〇一 から動かず、受取人に対して払い戻されない状態は、受取人による費消ひいては回収不能状態を予防できるという意味では利点とも捉え得る。他方で、振込依頼人としては、受取人に対する不当利得返還請求権に基づき、受取人が被仕向銀行に対して有する預金債権を差し押さえ、転付命令により取得した預金債権を行使するなどの法的手段を採ることで状況を打開し得る )₇₃
(。したがって、預金が宙に浮くとしても決定的な支障とはならないと考えられる。
第四に、受取人の払戻請求が権利の濫用に当たると、仮に、受取人が誤振込みであることを告げて被仕向銀行に預金の払戻しを請求した場合、被仕向銀行としては、これに応じてよいのか、仮に応じた場合、被仕向銀行が免責されてよいのか明らかではないという指摘がある )₇₄
(。受取人が誤振込金であることを告げて払戻請求をした場合、平成一五年決定の段階で民事法上適法であったのと同様に、平成二〇年判決後も民事法上適法であると解される。たしかに、権利濫用の根拠を原因関係の不存在に求めた場合には、たとえ受取人が誤振込金であることを告げて払戻請求をした場合でも、権利濫用に当たると考えられる。しかし、平成二〇年判決が示した判断枠組みからすると、誤振込金の払戻請求が権利濫用に当たる理由は、原因関係の不存在ではなく、公序良俗に違反する点に求められる。そして、誤振込金であることを告知しない払戻請求は告知義務に違反し詐欺罪が成立するのに対して、誤振込金であることを告知した払戻請求は告知義務に違反せず詐欺罪は成立しない。そのため、受取人が誤振込金であることを告げて被仕向銀行に払戻請求をした場合は、犯罪行為の完遂を目的とするものではない以上、公序良俗に違反せず、権利濫用とする理由に欠ける。したがって、この場合、被仕向銀行は、払戻しに応じるべきであるといえ、払戻義務を履行すれば有効な弁済を行ったものとして免責されてよいと解される。
以上のとおり、権利濫用論に対して種々の問題点が指摘されているとしても、権利濫用構成の採用を妨げるだけの決定的な支障とはならないものと解される。
( )同志社法学 六九巻七号一二七四自己名義の預金口座からの払戻しと詐欺罪について三三〇二
⒟ 法秩序の統一性
。用たし解とるた当に利合権るすと由理を反場濫でなもかるえいとなわい損の、秩序法統一性を 秘て、誤振込金の事実を俗した払戻請求は公序良違とし提もそなう前のではなかった。れをでは、平成二〇年判決を損 ﹁作﹂解とたし成構と為為行罔れ欺るよにさ不る刑性一統の序秩の民平、は定決年五一成法 誤振込金の事実を告知しない払戻請求は権利濫用に当たる以上、民事法上違法であると解される。また、刑法上も詐欺罪が成立するため違法であると解される。したがって、誤振込金の事実を告知しない払戻請求は、民刑両法において違法であると解される。
これに対して、誤振込金の事実を告知した払戻請求は、上述のとおり、権利濫用には当たらず、銀行の利益を侵害しないため、民事法上適法であると解される。そして、権利濫用には当たらない以上、受取人は払戻請求権を行使して払戻しを受けられるから、黙示的にも虚偽を表示しているとはいえず、﹁挙動による欺罔行為﹂には当たらないと解される。また、告知義務違反もなく﹁不作為による欺罔行為﹂にも当たらない。それゆえ、詐欺罪は成立せず適法であると解される。したがって、誤振込金の事実を告知した上での払戻請求は、民刑両法において適法であると解される。
以上から、平成二〇年判決を前提として、誤振込金の事実を秘した払戻請求は公序良俗違反を理由とする権利濫用に当たると解した場合でも、誤振込金の事実を告知した払戻請求は民刑ともに適法であり、告知しない払戻請求は民刑ともに違法であると解されるから、法秩序の統一性を損なわないといえる。
⑷ 不作為態様(告知義務構成)と作為態様(権利濫用構成)との比較 平成一五年決定は、誤振込金の事実を秘した払戻請求を﹁不作為による欺罔行為﹂として詐欺罪の成立を肯定したものと解される。もっとも、平成一五年決定を前提とすると、誤振込金の事実を秘した払戻請求は、上述のとおり、平成二〇年判決が示すところの﹁特段の事情﹂
( )自己名義の預金口座からの払戻しと詐欺罪について同志社法学 六九巻七号一二七五三三〇三 に該当し、権利濫用に当たると解される。そのため、誤振込金の事実を秘した払戻請求は﹁挙動による欺罔行為﹂に当たるとして詐欺罪の成立を肯定できると解される )₇₅
(。
詐欺罪の欺罔行為に関する作為構成と不作為構成の関係については、作為構成も不作為構成も基本的な考えに違いはなく、いずれの構成を採っても差し支えないと考えられるという指摘がある )₇₆
(。こうした観点からは、誤振込金であることを秘した払戻請求について、実務的には、作為不作為両態様の厳密な区別は実益に乏しく、選択的に採用できるとも考えられる。
たしかに、検討したとおり、告知義務構成と権利濫用構成は、いずれも法秩序の統一性を損なうものではないと考えられる。しかし、告知義務を前提とした不作為構成は、﹁挙動による欺罔行為﹂が認められない場合に初めて問題とするべきである )₇₇
(。
以上から、現在においては、誤振込金であることを秘した払戻請求は、民事法上、権利濫用に当たることを前提に、﹁挙動による欺罔行為﹂として、詐欺罪の成立を肯定するべきであると解される )₇₈
(。
二 誤振込金の払戻しにおける「欺罔行為の内容(重要事項性)」
⑴ 問題の所在 欺罔行為は、財産交付に向けて人を錯誤に陥らせる行為であり、相手方がその点を錯覚しなければ財産的処分行為をしなかったであろうような判断の基礎となる重要事実を偽るものでなければならないと解される )₇₉
(。近時の判例も、欺罔行為の判断に当たって、交付等の判断の基礎となる重要な事項に該当するかが問題となることを明示しており )₈₀
(、同様の理解に立っているものと解される。誤振込金の事実を秘した払戻請求が欺罔行為に当たるためには、払戻請求の対象が誤振込金であることは、銀行にとって交付の判断の基礎となる重要事項であるといえる必要がある。
( )同志社法学 六九巻七号一二七六自己名義の預金口座からの払戻しと詐欺罪について三三〇四
これまで検討してきた欺罔行為の態様について、作為あるいは不作為いずれの構成に立とうと、この重要事項性に関する検討の中で、銀行に対する法益侵害の有無が吟味されることとなる。
⑵ 不作為態様(告知義務構成)の場合 不作為構成に立ったと解される平成一五年決定は、﹁銀行にとって、払戻請求を受けた預金が誤った振込みによるものか否かは、直ちにその支払に応ずるか否かを決する上で重要な事柄であるといわなければならない﹂と判示し、重要事項性を肯定した。その根拠として、平成一五年決定は、組戻措置や過誤の確認調査措置は、普通預金規定等の趣旨に沿った取扱いであり、安全な振込送金制度を維持するために有益なものである上、銀行が振込依頼人と受取人との紛争に巻き込まれないためにも必要なものであり、また、関係者間での無用な紛争の発生を防止するという観点から社会的にも有意義なものであることを指摘している。
上述のとおり、平成一五年決定は、誤振込金の受取人による預金債権の行使を認めたものである。それゆえ、銀行が誤振込金であることを知り、過誤の調査確認措置を講じた結果、振込依頼人の過誤であると判明したため、組戻措置を講じたけれども、受取人から拒まれ払戻請求を維持された場合、銀行は最終的に払戻請求を拒むことはできず支払に応じなければならない。したがって、誤振込金の受取人が払戻請求に当たって誤振込金の事実を告げていれば、これを知った銀行は預金を払い戻さなかったという関係は認められない。しかし、銀行は、最終的に払い戻さなければならないとしても、誤振込金の事実を知った場合には、組戻措置の契機ともなる過誤の確認調査措置を講じた上で払戻しを行ったのであり、こうした措置を講じることなく直ちに払戻しに応じることは無かったといえる。
この点に関して、平成一五年決定の調査官解説は、最一小判平成一三年七月一九日 )₈₁
((以下﹁平成一三年判決﹂という)を参考に、﹁本件では、欺罔行為を用いて支払を早めた期間だけに着目すれば、社会通念上別個の支払に当たるといい
( )自己名義の預金口座からの払戻しと詐欺罪について同志社法学 六九巻七号一二七七三三〇五 得る程度の期間、支払時期を早めたものとはいえないであろう。しかし、誤振込みに係る事案については、当初から預金債権の成否が関係者間で明らかになっているわけではなく、被仕向銀行の調査、照会等の結果を待って、その成否が明らかになるのである。そして、被仕向銀行の調査、照会等の結果、預金債権の成立が否定される可能性がある以上、調査、照会等の手続を経た上での預金の払戻しと、それを経ない預金の払戻しとでは、質的に全く異なるものといえる。そうすると、誤振込みに係る預金の払戻しであることを秘して行われた預金払戻請求に基づく払戻しと、これを告知した上で行われた預金の払戻しとは、社会通念上別個の払戻しに当たるといえるから、誤振込みに係る預金の払戻しであることを秘して行われた預金払戻請求が詐欺罪に該当することは明らかであると思われる﹂ )₈₂
(と述べる。平成一三年判決が示した﹁社会通念上別個の支払﹂という基準については、財物の占有移転という構成要件的結果の抽象化の限度を示したものであり、社会通念上同一の支払といえる限り、欺罔行為と支払(交付ないし処分行為)との間の条件関係は否定されることを示したものと解される )₈₃
(。誤振込金の事実を知っていれば銀行は調査確認措置を講じることなく直ちに支払わなかったといえ、調査、照会等の手続を経た上での預金の払戻しと、それを経ない預金の払戻しとでは、質的に全く異なり、社会通念上別個の払戻しに当たるものと解される。したがって、被仕向銀行において誤振込金の事実に関する錯誤がなければ払い戻さなかったという具体的現実的因果関係は認められる。平成一五年決定が重要事項性の検討に当たって、銀行が﹁直ちに﹂支払に応じるかという点に着目していることは、こうした観点から理解できる。
もっとも、被仕向銀行が行う組戻措置については、その実施が法的に義務付けられている訳ではない。また、振込依頼人の過誤による場合、被仕向銀行による入金処理が終了した後は、受取人の承諾なしに、被仕向銀行の判断で、一方的に組戻しを行うことはできない )₈₄
(。それゆえ、銀行が調査照会の利益を有するとしても、単なる事実上の可能性にすぎないとも考えられる。しかし、最終的に受取人が組戻しに応じるか否かは別として、誤振込みが発生した場合に組戻し
( )同志社法学 六九巻七号一二七八自己名義の預金口座からの払戻しと詐欺罪について三三〇六
での解決を試みることは銀行実務に根付いた慣行である )₈₅
(。受取人が最終的に組戻しに応じなかったとしても、受取人に対する不当利得返還請求訴訟の提起等の法的措置に頼るより遙かに迅速かつ安価に誤振込み状態を解消できる可能性がある組戻措置を試みることは、振込制度を担う被仕向銀行 )₈₆
(にとって、安全な振込制度を維持し、振込制度利用者の信頼を確保するために重要となる。また、誤振込みの原因が仕向銀行あるいは被仕向銀行の過誤であった場合、平成八年判決とは事案が異なるため、その射程は及ばず、受取人の被仕向銀行に対する預金債権は成立しないと解される )₈₇
(。このような場合に被仕向銀行が払戻請求に応じて払戻しを行うと、払戻金が流出する反面、払戻義務は消滅せず、財産的損害を被る。そのため、被仕向銀行にとって、自行の入金処理の過誤の有無や仕向銀行の過誤の有無を調査して誤振込みの原因を把握することは重要である )₈₈
(。したがって、被仕向銀行は、誤振込みの発生を把握した場合、調査確認措置を行うことで原因を把握し、振込依頼人の過誤による場合は組戻措置を採ることについて重大な関心を寄せているといえる。以上から、平成一五年決定が重要事項性を認めたことは支持できる。
これに対して、振込依頼人が銀行に対し組戻依頼をしたとしても、銀行は何ら経済的損害を被らない )₈₉
(から、銀行にとって誤振込みの事実は重要事項に当たらないとする見解がある )₉₀
(。銀行(被仕向銀行)が被る経済的損害については、振込依頼人に対する不当利得返還義務と不法行為責任とに分けて考えることができる。不当利得返還義務については、振込依頼人の過誤による場合、平成八年判決によって受取人は預金債権を有することになり、不作為構成の場合、その預金債権の行使は権利濫用に当たらないと解されることから、特に問題なく、被仕向銀行が受取人に対して行う払戻しは有効な弁済になるといえる )₉₁
(。この場合、振込依頼人は、被仕向銀行から払戻しを受けた受取人に対して、不当利得返還請求権を有する。その反面、振込依頼人は、被仕向銀行に対して、不当利得返還請求権を有しない。したがって、被仕向銀行は振込依頼人に対して不当利得返還義務を負わないと解される。他方、不法行為責任についても、不作為構成の
( )自己名義の預金口座からの払戻しと詐欺罪について同志社法学 六九巻七号一二七九三三〇七 場合、誤振込金の払戻請求は権利濫用に当たらないと解されることから、被仕向銀行は振込依頼人に対して不法行為責任を負わないと解される。このように考えると、不作為構成の場合、被仕向銀行は経済的損害を被らないと解される。しかし、銀行は受取人に対して預金を払い戻しており、それ以上に経済的損害を被らなくても、重要事項性は認められると解される。
⑶ 作為態様(権利濫用構成)の場合 それでは、権利濫用構成を採用し﹁挙動による欺罔行為﹂と構成した場合も、同様の考え方で、重要事項性を肯定することはできるか。
権利濫用構成の場合、誤振込金の受取人は、その有する預金債権を行使できないから、銀行が誤振込金であることを知った場合、払戻請求を拒むことができる。したがって、誤振込金の受取人が払戻請求に当たって誤振込金の事実を告げていれば、これを知った銀行は預金を払い戻さなかったという関係が認められる。不作為態様の場合と異なり、平成一三年判決の判断を援用することなく、被仕向銀行において誤振込金の事実に関する錯誤がなければ払い戻さなかったという具体的現実的因果関係は認められるものと解される )₉₂
(。
そして、不作為態様の場合と同様、被仕向銀行は、誤振込みの発生を把握した場合、調査確認措置を行うことで原因を把握し、振込依頼人の過誤による場合は組戻措置を採ることについて重大な関心を寄せているといえる。以上から、欺罔行為を作為態様で構成した場合でも、重要事項性は認められると解される。
それでは、銀行が被る経済的損害について、不作為態様の場合と違いが生じるといえるか。不当利得返還義務については、作為態様(権利濫用構成)の場合、預金債権の行使は権利濫用に当たるとしても、被仕向銀行は権利濫用の抗弁を行使せず払い戻すこともできる。したがって、この場合、受取人は預金債権を有する以上、こうした払戻しは有効な
( )同志社法学 六九巻七号一二八〇自己名義の預金口座からの払戻しと詐欺罪について三三〇八
弁済になると解される )₉₃
(。それゆえ、不作為態様の場合と同様、被仕向銀行は振込依頼人に対して不当利得返還義務を負わないと解される。他方、不法行為責任については、払戻請求が権利濫用に当たるにもかかわらず、被仕向銀行が払い戻した場合、被仕向銀行が振込依頼人に対して不法行為責任を負う可能性は否定できない )₉₄
(。この意味で、被仕向銀行は、経済的損害を被る可能性があるといえる。もっとも、払戻請求が権利濫用に当たるか否かの判断は時に困難であるため、単なる過失の存在をもって不法行為責任を肯定すると、被仕向銀行に判断の危険を負わせることになる。それゆえ、不法行為責任が発生する要件として、過失では足りず、被仕向銀行に故意あるいは害意があるときに限られるという理解が示されており )₉₅
(、妥当な解釈であると考えられる。こうした理解を前提とした場合、被仕向銀行が誤振込金の払戻請求であることを知らず錯誤に陥っている場合には、不法行為の成立要件としての故意あるいは害意は認められず、被仕向銀行は振込依頼人に対して不法行為責任を負わないと考えられる )₉₆
(。この場合でも、銀行は預金を払い戻しており、それ以上に経済的損害を被らなくても、重要事項性は認められると解される。他方で、被仕向銀行に不法行為の成立要件としての故意あるいは害意が認められる場合には、被仕向銀行は錯誤に陥っていないといえ、少なくとも詐欺既遂罪は成立しないと考えられる。
三 誤振込金の払戻しにおける「預金の占有」 預金を事実上占有しているのは銀行である。しかし、預金者は、銀行との預金契約に基づく預金債権を有しており、その預金債権を行使することによって、払戻義務を負う銀行から直ちに預金の払戻しを受けることができる。そうすると、預金者が預金債権を有しており、それを行使して直ちに払戻しを受けられる限り、受取人に預金による占有が認められるとも考えられる。