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言語ゲームとメタファーの役割 : 2020年の場合

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著者 寺西 隆弘

雑誌名 コミュニカーレ

号 10

ページ 49‑69

発行年 2021‑03

権利 同志社大学グローバル・コミュニケーション学会

URL http://doi.org/10.14988/00028123

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寺 西 隆 弘

1.はじめに

人間は現実世界を認識・理解するため、様々な経験を利用しているが、そ れらは大きく五感に基づいたものと言語に基づいたものに分けられる。感覚 を通した直接的な経験はわかり易いが、言語に基づいた経験はどのように現 実世界の認識・理解に貢献しているのであろうか。本稿は「言語ゲーム」と いう考え方を援用し、人間が実際のモノ・コトと特定の言語形式とを同一視 することを通して、現実世界を認識・理解しているものと捉え、その中でメ タファーがどのような役割を果しているかを考えるものである。

実際のモノ・コトの代替物として言語を捉えてみると、経験はどのように 言語化されるのであろうか。モノ・コトと言語は一対一の対応関係にあるの か、あるいは複数のモノ・コトと言語は複雑に絡み合っているのであろうか。

後者であれば、結果的に現実世界の認識・理解の方法に何らかの重要な影響 を与えているのではないだろうか。さらに、モノ・コトと言語の結びつきは、

何を根拠とし、どのように機能しているのであろうか。意図的な「規則に従っ た人間の振る舞い」は言語ゲームの中心的な考え方であるが、モノ・コトと 言語の結びつきが、人間の振る舞いに基づいているのであれば、モノ・コト と言語の結びつきは極めて実践的なものではないだろうか。

修辞技法の一つと捉えられているメタファーは、現実世界の認識・理解に 大きく関わっている。人間は「A を B と見なす」メタファーを利用して、

ある概念 A を別の概念 B に拡張し、現実世界を認識・理解している。概念 拡張とはどのようなものであり、人間はどのようにその能力を身につけてい くのであろうか。メタファーを、言語形式に豊かで巧みな表現を与える方法

『コミュニカーレ』10(2021)49–69

©2021 同志社大学グローバル・コミュニケーション学会

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と考えるのであれば、それは学習によって身につくものであり、現実世界を 認識・理解する方法と考えるのであれば、それは実践的なメタファーの使用 を通じて身につけるものであろう。

現実世界において認識・理解し難い場面・状況に遭遇した場合に、メタ ファーが使用されることがある。2020 年、コロナ禍の認識・理解に「コロ ナと戦う」や「コロナに勝つ」といった表現が見られた。メタファーを利用 して病原・病気を認識・理解することは珍しいことではなく、「スペイン風邪・

ペストと戦う」等のメタファー表現が様々な時代に普遍的に使用されている。

目には見えない病原・病気の認識・理解に使用されるメタファーはどのよう な役割を果しているのであろうか。

2.言語ゲームにおける言語

後期ウィトゲンシュタインの中心的思想の一つに「言語ゲーム」が挙げら れる。「言語ゲーム」という用語は理論的用語として使用されたものではな く一種の比喩(日常的説明の場面で多用される手段)として使用されている

(飯田 1997:198)。「言語ゲーム」の中で取り扱われる「規則に従った人間 の振る舞い」は、言語あるいはメタファーの問題を考える上で極めて重要で ある。ここでは先ず、特定の言語形式と実際のモノ・コトの対応について考 える。例えば「コップ」という語が何を意味するのかを説明することは簡単 なことであろうか。一般には「ガラスやプラスチックで作った、飲み物を入 れる(主に円筒形の)容器」と定義されるが、ここで「ガラス(プラスチッ ク)とは」、「飲み物とは」や「容器とは」という定義に使用した語の説明を 求められると、説明は堂々巡りに陥る可能性が出てくる。言語での説明を諦 め、特定の一個のコップの実物を持って来て、直示的に定義する方法にも限 界があるように思われる。「コップ」のような単純な語の定義が難しいので あれば、人間はどのように複雑な現実世界を認識・理解しているのであろう か。

言語ゲームでは、例えば道具としての「コップ」がどのようなものかわかっ ている a が、わかっていない b に「「コップ」という語を使う言語ゲームが あり、このゲームを見ているとだんだん「コップ」というものがわかってき

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ます」と言う。次に、a は b に様々なコップを順に見せる。見せられたコッ プは、大きさ、色、形、材質が違うが、全体としては似ている 1。順に見て いくうち、ある瞬間に b は「わかった」と言う。この段階で b が「コップ」

とは○○であると定義できるとは限らないが、重要な点は、b が「コップ」

が何かを理解するのに、それほど多くのコップを見る必要がない、おそらく 数個のコップを見るだけで充分であるという点である 2。このような限られ た場合で無限の場合に当てはまる規則を理解する人間の能力が、現実世界の 認識・理解を支えていると考えられる。

特定の言語形式が、実際のモノ・コトを指し示すことができるのは、言語 ゲームの中で言語形式がモノ・コトに結びつけられているからであるが、こ れには何の保証もない。人間が規則を理解し、規則に従って振る舞っている ことだけが確かなことである。この規則に従って振る舞う方法(言語の使用 の仕方)が、言語の意味をもたらしている。例えば c は、空が青く見え、リ ンゴが赤く見え、空を「青」、リンゴを「赤」と教わった。d は、空が赤く、

リンゴが青く見え、空を「青」、リンゴを「赤」と教わった。空を見ながら、

c が「空が青い」と言うと、d は赤い空をイメージしながら「そうだ」と答 える。次に、リンゴを見ながら、c が「リンゴは赤い」と言うと、d は青い リンゴを思い浮かべながら「そうだ」と答える。二人の会話は問題なく進み、

色覚が逆になっていることに気がつかない。これは二人の「空を「青」と言 いリンゴを「赤」と言う」規則に従った振る舞いが一致しているからである。

言語ゲームを「規則に従った人間の振る舞い」と捉えるのであれば、「青」

や「赤」という言語形式は、色覚を指し示しているのではなく、「青」は空 の色、「赤」はリンゴの色を指しているだけである 3。それらが色覚を指し示 しているように思われるのは、言語ゲームの中だけである。

色覚のような人間の感覚が一致しているから、規則に従った振る舞いが一 致しているわけではなく、規則に従った振る舞いが一致しているから人間の 感覚が一致しているという信念がもたらされる。ウィトゲンシュタインは痛 みについても振る舞いの一致の重要性を説いている 4。「痛い」という言語形 式が、自分の持つ痛覚を指し示すのであれば、自分が痛い時に「痛い」と言 う。他人が「痛い」と言う時、自分は痛みを感じない。痛いかどうか自分に

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はわからないにもかかわらず、他人が「痛い」という資格を持っているのだ ろうか。自分が指を切った時や転んで擦りむいた時に「痛い」と言う。他人 が顎や頭を押さえ歯や頭が「痛い」と言う。自分が痛いから「痛い」と言う のであれば、自分が痛みを感じなくても他人が「痛い」と言う資格を認めな ければならない。他人の痛みと自分の痛みが、同程度ということではないに しても、同じ感覚であると認めなければならない。人間は様々な状況で「痛 い」と言うことを学ぶが、「痛い」と言うことは「痛い」という言語形式を 用いた振る舞いである。痛みの場合も、規則に従った振る舞いが一致してい るから人間の痛いという感覚を共有しているという信念がもたらされる。

「規則に従った人間の振る舞い」が、言語ゲームの中心となる考え方であ るが、人間は盲目的に規則に従い振る舞っているわけではない。ある言語形 式が何を指し示しているかを理解しているといえる場合、これまで偶然その 言語形式を正しく利用してきたからではなく、その言語形式をどのように使 用するかという規則を知っていて、その規則に意図的に従ってきたからであ り、規則に従うことは一つの実践である(飯田 1997:239–245)。一般には、

ある程度の規則を理解した上で、何かを実行することは普通であり、そこに は意図の存在が感じられる。言語ゲームでは、特定の言語形式が何を指し示 しているかという問いかけに対する答えを直接的に求めることではなく、そ の言語形式をどのように使用するかという規則を見つけ、身につけることが 重要な点である。特定の言語形式の使用の最初期では規則性が発見できない 場合も考えられるが、早期に発見された規則性(の一部)を発展させ、形式 と内容に関わる規則を確立していく。この確立された規則に意図的に従うこ とは、人間性を説明する理論と考えるよりむしろ人間性を育む実践そのもの であると捉えられるのではないだろうか。

意図的な「規則に従った人間の振る舞い」が、言語ゲームの要であるが、

ここで改めて言語の役割について考える。人間の現実世界の認識・理解とい う点で、言語はどのような役割を果たしているのであろうか。言語が存在し ない時代、仮に前期旧石器時代以前として、現実世界の認識・理解は、その 大半を直接体験に頼っていたのであろう。身体つまり五感を通じて必要な情 報を手に入れ、生活していくことは可能であったが、言語の存在なくして情

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報を保持し、それを利用することは困難であったと思われる。情報は断片的 であり形がなく極めて不安定なものである。ここで、世界を経験するための 道具、「代替物」として言語を捉えてみる。直接体験、具体的な体験には時 空的な限界があるが、代替物である言語には時空的な制約はない。目の前に は存在しない、反事実的な可能性を開くためには、実際のモノ・コトの代替 物である言語が必要である。但し、実際のモノ・コトと代替物である言語の 対応の程度は、その言語が使用される度に確認・見直しが必要になる場合は あるであろう。あるいは、実際のモノ・コトと代替物である言語の関係は、

常に安定しているわけではなく、言語が使用される度に変化し、その変化こ そが反事実的な可能性を開くことに貢献していると考えることも可能である。

五感に頼る直接経験の量が減少し、言語に頼る情報経験の量が増大するこ とは、何を意味するのであろうか。情報経験はその膨大な量が故に、人間の 現実世界の認識・理解にとって大きな意味を持つようになってきたと考えら れる。人間は情報経験を、決して直接的ではないが一次的な経験として扱い、

現実世界の認識・理解の道具としている。五感に頼る直接経験は、直接的で ある他に見方や聞き方、感触の「程度」を伴っている。一方、言語に頼る情 報経験は、表面的であり「程度」は常に一定している。このことは、実際の モノ・コトと代替物である言語の対応の程度が一定しているわけではないと いうこととは無関係に、ただ情報経験は表面的であり内包されたものを伴わ ないということを表している。

具体的なモノから抽象的なコトまでを内包している現実世界を認識・理解 するために、直接経験と情報経験を相補的に利用し、現実世界を空間的に捉 える必要があろう。さらに、この三次元である現実世界が一瞬たりとも停止 していないことを考えると、時間的な要素を考慮する必要もあろう。常に変 化する現実世界を、直接経験だけを通じて認識・理解することは極めて難し いと思われる。それは、五感に頼る直接体験が程度を伴っており、その程度 の違いが千差万別であり、現実世界のモノ・コトを比較対照するのが容易で はないからであろう。言語に頼る情報経験は、時間の経過とは無関係に表面 的であり程度の問題もない。例えば「5 年前に見た空の青さ」や「例の腰の 痛み」という言語形式を持つ情報経験は、異なる場面での「青」や「痛み」

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との比較対照を可能にする。使用された言語形式は実際のモノ・コトの代替 物に過ぎないが、特定の言語形式を持つ情報経験は、現実世界を認識・理解 する方法を制限するフィルターの役割を有していると考えられる。

現実世界を認識・理解する方法を制限するフィルターの役割の一つが、一 般化である。人間には特定のモノ・コトから普遍的な概念を引き出そうとす る特性がある。同じ種類の経験(例えばスマホの使用や自己紹介)であって も、個々の経験は様々なコンテクストに基づいており、さらに時間の経過を 考えれば、一般化するということは容易なことではない。にもかかわらず、

特定の経験が記憶に残るのは、その経験が特定の個人のモノ・コトであり、

その個人が労力をかけずに普遍的な概念を引き出すことができるからであろ う。個人的な体験は記憶に残り易く、普遍的な事柄や例は記憶に残り難いの ではないだろうか。現実世界の認識・理解の対象は、自分自身の直接経験と 信頼できる人間から聞いた情報経験である。人間は、繰り返された実験、蓄 積されたデータ、それらの分析からではなく、おそらく選択の余地なくして、

限られた具体的な経験から現実世界を認識・理解していると考えられる。

言語、ここでは実際のモノ・コトの代替物としての言語は、膨大な情報経 験をもたらすだけではなく、結果的に人間のモノ・コトの見方に大きな影響 を与えていると考えられる。これは、人間が特定の情報経験から特定の見方 を思いかけずたまたま入手したということではなく、何らかの流れの中で特 定の見方を身につけていくということである。言語ゲームにおける意図的な

「規則に従った人間の振る舞い」があくまで実践的であるように、情報経験 における特定の見方の獲得も極めて実践的であるということができよう。

3.言語による同一視とメタファー

一般に実践が行動を伴うのであれば、意図的な規則に従った人間の「振る 舞い」が行動であるように、情報経験の根幹をなす、言語を実際のモノ・コ トの代替物と「見なすこと」も行動である。では「見なすこと」とは一体ど のような行動であろうか。単にあるモノ・コトを別のモノ・コトとして捉え ることをいうのであろうか。あるいは、異なる二つのモノ・コトを同じモノ・

コトとして取り扱うことをいうのであろうか。また、A を B と見なすとい

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うことはメタファーのような修辞技法の問題なのであろうか。「見なし」を どのように捉えるにせよ、「同一視」、ここでは「言語に関係した同一視」に ついて考える必要があろう。なぜなら、人間は言語を実際のモノ・コトの代 替物として利用しているというよりむしろ異なるモノ・コトを同一視するた めに言語を利用していると考えられるからである。また、そこには何らかの 規則が存在しており、この規則が同一視を可能にする重要な役割を果してい るものと考えられる。

言語に関する分野においては、様々な同一視に関わる問題が取り扱われて いるが、ここでは主語と補語の関係及び翻訳の問題を取り上げる。伝統的な 学校文法では、英語の基本的な五つの文型のうち、主語+動詞+補語の文型 を第二文型とする 5。補語は主語の説明(属性関係、包含関係等)とされるが、

主語と同一であることを示す場合もある。例えば “Sara is a college student”

という文では、補語である a college student は主語の Sara と同一であり、

そこでは Sara = a college student という同一関係が成立し、主語と補語は 入れ替え可能であるとする考え方が存在する。しかしながら、“Sara is a college student” における主語と補語の関係は、同一関係だけではなく属性 関係や包含関係に基づく関係とも捉えられ、第二文型における同一視の問題 は「言語に関係した同一視」には直接かかわりがないものと判断される。翻 訳の問題についてはどうであろうか。起点言語と目標言語の間に存在する違 い、形式・文法から社会文化的背景までの様々な違いを超え、原文は翻訳さ れ訳文となる。原文と訳文との間の同一視の問題は、翻訳者の能力だけでは なく読み手の能力に左右される。翻訳に限界は付き物であり、原文と訳文と の間の同一性については、翻訳者と読み手の間に存在する意味あるいは内容 の違いに関する(最大)許容限度の問題と捉えることも可能である。結局、

翻訳に関する同一視の問題も「言語に関係した同一視」に直結しているよう には感じられない。しかしながら、翻訳という行為は、意図的な「規則に従っ た人間の振る舞い」の一典型であり、異なるモノ・コトを同一視するために 言語を利用している点において、等閑視されるべきではないものと思われる。

ここで改めて「同一視」の問題を考える 6。先ず、同一視は、全く同一の モノ・コトが存在しないということを前提にしているのであろうか。その場

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合、何が同一視を推進しているのであろうか。そこには異なるモノ・コトを 同一であると見極めようとする人間の意図が関与しているものと思われる。

同じことは「見なす」という表現から考えることができる。動詞の連用形に ついて複合動詞を作る「〜なす」は、意図して〜する意を表している。意図 とは、何かを実現しようとする抽象的な概念であり、特定の時空と結びつい たものではない(Allan 2001:45–52) 7。よって、どのような(異なる)モノ・

コトであれ、それらを意図的に同一視するということは、極めて生得的ある いは本能的な行為であると考えられる。では、なぜ意図的に同一視すること が、生得的・本能的なのであろうか。精神分析の分野では、同一視を防御機 制の一種と扱っており、危険が迫ったあるいは不安になった時に、自己防衛 のため自動的に無意識に機能する環境適応の一方法としている。また、食料 調達を考えた場合、食用に適するかどうか、有害か無害かという判断におけ る同一視は重要である。さらに、敵味方の区別あるいは闘争か逃走かの判断 における同一視も生存に関わる欠くべからざる機能であろう。あらゆる生物 にとって最も大切なことは、自身が存在している環境に関する知識を身につ けることであり、同一視はその要の役割を果している。生存への必要性から 生まれたとも考えられる同一視は、複雑化する環境そのもの及び増え続ける 環境に関する知識に対応するため、さらには想像・創造のような知的活動や 人間性の陶冶のため、発展・進化してきたものと思われる。

人間の精神活動においては、同一視に関する連続した「圧縮」と「解凍」

が重要である(Fauconnier & Turner 2002:115–119)。人間は、無意識に 圧縮(同一化)と解凍(差異化)の間の行き来を繰り返しながら、現実世界 を認識・理解しようとしており、この心的作業を支えているのが、実際のモ ノ・コトの代替物である言語と考えられる。圧縮(同一化)と解凍(差異化)

の行き来は同一視の程度の問題と捉えることができよう。異なるモノ・コト を比較し、同一であるかそうでないかを判断することは、明確かつ容易なこ とであると考えることも可能であるが、実際、同一視には必ず程度の問題が 伴う。上述したように、全く同一のモノ・コトが存在しない状況下において、

同一視を支えているのは異なるモノ・コトを同一であると見極めようとする 人間の意図である。人間の意図が関与する以上、そこには程度の問題が伴う

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はずである。ある状況下において、特定の閾値を超えた場合は同一であり、

越えなければ同一とは見なされない。「見なす」という表現においても、常 に見なしの範囲を考慮する必要がある。この問題は、同一視がある特定の時 空・環境の下で意図的に行われる限り、必ず存在するものと考えられる。ま た、同一視の程度の問題は、人間の能力や性向に関わる問題でもある。食糧 調達あるいは敵味方の区別においては同一視の能力が生存問題に直結してお り、環境とのやり取りが同一視の程度を制御する能力に大きな影響を与えて いる 8。一方で、人間は自己の都合の良いように実際のモノ・コトを変形し 同一視を実現させようとする性向を備えている 9。いずれにせよ、環境が複 雑化しコンテクストが多様化する中、同一視の程度の問題は、言語による何 らかの影響を受けざるを得ないものと考えられる。

同一視に関わる同一化と差異化の相反関係あるいは程度の問題における言 語の影響とはどのようなものであろうか。複雑化・多様化していく環境・コ ンテクストにおける同一視を考えた場合、言語が何らかの重要な役割を担っ ているであろうことは直感的には理解できる。ここで、上述した「コップ」、

「青」と「赤」そして「痛み」について同一視の観点から再度、言語の役割 を考えてみる。「コップ」という語が何を意味しているかは、数個のコップ の実物を見ることにより、理解できるようになる。限定された場合を利用し 広範な場合に当てはまる規則を推測する能力が人間には備わっている。では、

「聖杯」という語が何を意味しているか、数個の聖杯(のレプリカ)を見る ことにより理解できるであろうか。この問題においては、聖杯伝説に関する 言語化された情報をあらかじめ理解しておく必要があるという点ではなく、

聖杯に関わる様々な情報が存在し、それらを整理するには言語の助けが必要 であるという点が重要である。整理された聖杯に関する情報があれば、「聖杯」

という語を使う言語ゲームは成立する。色覚の場合も同様である。「青」や「赤」

という語は、色覚を指し示しているのではなく、「青」は空の色、「赤」はリ ンゴの色を指しているだけであるように、「紺碧」や「深紅」は色覚を指し 示しているのではなく、「紺碧」は真夏の日差しの強い空の色、「深紅」は紅 花による染めの色を指しているだけである。「紺碧」や「深紅」が色覚を指 し示しているように思われるのは「規則に従った人間の振る舞い」の中だけ

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である。しかしながら「紺碧」や「深紅」が漢字の複合語であり、個々の漢 字の意味をあらかじめ理解しておくことは、他の色覚の指し示しに貢献する ものと考えられる 10。「痛み」という言語形式が自他の痛みの感覚の共有を 可能にするのも、規則に従った振る舞いが一致しているからである。「痛み」

の場合、問題になるのは痛みの種類・程度である。「痛み」が激痛なのかそ れとも鈍痛なのか、ズキズキする痛みなのかヒリヒリする痛みなのか、これ ら種類・程度を言語無しで共有することは不可能であろう。同一視における 言語の重要性を述べてきたが、上記の例に共通することは、規則に従った振 る舞いが意図的に行われている点であり、言語を利用した同一視は、言語ゲー ム内での問題であり、実践に他ならない。

言語を利用した同一視は、言語学に関連した様々な分野で観察される。先 に述べた、学校文法における第二文型の主語と補語の関係や翻訳における原 文と訳文の関係は直接的な例であるが、話法や繰り上げ構文における意味の 違い、言語実験に伴う統計処理やフィールドワークにおけるデータ整理等の 分野において直接的及び間接的に観察される。比喩や擬人法、倒置・反復等 を扱う修辞技法においても同一視は基本的な考え方である。本稿では、比喩 の中のメタファー(隠喩)を取り上げるが、「A は B である」という言語形 式で示されることの多いメタファーは、実際のモノ・コトのある部分をより 具体的で理解し易い言語形式で言い換えるものである。例えば「時は金なり」

というメタファー表現では、「時間」の特定の部分(取り返すことのできな い資源である)を「金」(現代社会において限られた資源であり価値がある)

で言い換えている(Lakoff & Johnson 1980:7–9)。個々のメタファー表現 の根底には、A IS B という概念メタファーが存在する 11。「時は金なり」の 場合には TIME IS MONEY という概念メタファーが「時」の概念の理解を 支えている 12。直接理解し難いある概念を、既に把握している別の概念で理 解するという概念メタファーの基本構造は、ある概念を別の概念で写し取る というものであり、言語を利用した同一視と深く関係するものと考えられる。

一般に「A を B と見なす」ことがメタファーであるが、ここで概念メタファー を一種の同一視として捉え、それを言語ゲームという枠組みの中で、人間が メタファーを利用してどのように現実世界を認識・理解しているかを考える

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ことは重要である。

言語を実際のモノ・コトの代替物としている点では、メタファーと情報経 験は似ているということができよう。言語に頼る情報経験は、表面的であり

「程度」は常に一定しているが、これは概念メタファーにも当てはまる。実 際に使用・理解されるメタファー表現が様々なコンテクストに基づいている ことは言うまでもないが、概念メタファーは飽くまで表面的であり「程度」

は一定していると考えられる。例えば「議論に勝つ」というメタファー表現 は、議論の特定の部分(趨勢・結果)を「勝つ」(勝ち負け)で言い換えて いるが、ARGUMENT IS WAR という概念メタファーに基づいており、こ の概念メタファー自体は表面的であり安定している。また、情報経験で使用 される言語形式は実際のモノ・コトの代替物に過ぎないが、情報経験が現実 世界を認識・理解する方法を制限するフィルターの役割を有している点も、

メタファーと共通すると思われる。先に、人間には特定のモノ・コトから普 遍的な概念を引き出そうとする特性があると述べたが、様々な個人的な経験 から普遍的な概念がもたらされる一般化は、様々なコンテクストに基づくメ タファー表現から特定の概念メタファーの存在が認められることに関係する。

例えば「的を射た意見」、「相手を言い負かす」や「説を破る」は議論に関連 したメタファー表現であるが、これらは ARGUMENT IS WAR という共通 した概念メタファーに基づいている。

実際のモノ・コトの代替物としての言語は、膨大な情報経験と結びついて いるように、様々なメタファー表現と結びついている。そして、情報経験が 人間のモノ・コトの見方に大きな影響を与えているのと同様に、メタファー も人間のモノ・コトの見方と深い関係がある。修辞技法の一つであるメタ ファーは、実は現実世界の認識・理解に大きく関わっている。メタファーを 通じ、具体的・身体的な経験を基に概念を拡張することにより、人間は現実 世界を認識・理解している(Lakoff 1987)。人間は特定の具体的・身体的な 経験から特定の認識・理解の方法を偶然入手するのではなく、何らかの流れ の中で特定の認識・理解の方法を身につけていく。メタファーは言語形式に 豊かで巧みな表現を与えるものというよりはむしろ現実世界の認識・理解に 欠かすことのできない実践的なものと捉えることが妥当であろう。次に、こ

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の実践的なメタファーが、2020 年の現実世界の認識・理解にどのように寄 与したかを見ていく。

4.2020 年におけるメタファーの役割

21 世紀に入り、グローバル化、地球温暖化や ICT に関わる事柄が話題に されることが増えた。一方で、年中行事を含む日々の営みは繰り返され、一 人一人の人間は様々なコンテクストの中で生活を続けている。このような「通 常」を根本的に変えたのが、2020 年のコロナ禍である。コロナ禍はその突 然の出現と規模の大きさで生活を一変させた。個人レベルでの毎日の生活の 変化、そして地域・国家レベルでの様々な行事や活動の変容は、グローバル 化、地球温暖化や ICT を含む地球レベルの問題にも大きな影響を与えた。

コロナ禍に関わる様々な側面を「コロナは怖い」や「コロナで不安を感じる」

のような直接的な表現で示すことはあろう。あるいは、コロナ禍を「想像を 絶する大災害」や「予想だにしなかった大問題」と表現することはできよう。

さらに、この地球レベルでの危機を認識・理解するためには、通常使用され る直接的な表現に加え、特有の言語形式を備えたメタファー表現を用いるこ とが有効である。

「通常」においても、無論、メタファー表現は現実世界の認識・理解に貢 献している。「国境を越える情報」(グローバル化)、「燃える地球」(地球温 暖化)や「ガラパゴス化した技術」(ICT)等のメタファー表現は、様々な 話題をそれらの時代に応じて巧みに表しており、新たに出現した実際のモノ・

コトの概念を既によく理解している言語形式に結びついた概念と見なすこと に成功している。また、これらのメタファー表現は、偶然に作られたわけで はなく、特定の状況に応じて人間が意図的に作り出したものである。では、

コロナ禍の状況に応じてどのようなメタファー表現が作り出されたのであろ うか。先ず、「コロナはインフルエンザだ」、「コロナは悪だ」や「コロナは 悪魔だ」が挙げられる 13。これらの表現に共通する点は、日常的、直接的で あるということである。個々のメタファー表現の根底には、A IS B という 概念メタファーが存在するが、これらの表現においては A(という概念)と B( と い う 概 念 ) は 極 め て 近 い も の で あ る。 そ れ ぞ れ CORONA IS

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INFULENZA、CORONA IS EVIL や CORONA IS A DEVIL という概念メ タファーが想定される 14。A と B との間の違いは小さく、同一視の程度は 大きなものとは考えられない。では、次に示すメタファー表現の場合は、

AB 間の違いや同一視の程度はどのようなものであろうか。

「コロナと戦う」、「コロナに勝つ」や「コロナに負けない」等のメタファー 表現は、コロナ禍の初期段階から多数観察された 15。また、「病院・ICU は 戦場だ」や「医師・看護師は兵士だ」というような関連表現も少なからず見 られた。これらの表現は、上記の例と比べると、AB 間の違いや同一視の程 度という点では大きく異なる。にもかかわらず「コロナと戦う」や「コロナ に勝つ」といった表現は、コロナがもたらす現実世界の認識・理解のために、

新たに、特別に作り出されたものではない。このことは、これらの表現が、

ごく普通に、日常的に使用されていることから明らかである。では、なぜコ ロナ禍を戦争と見なすメタファー表現が日常的に使用されるのであろうか。

「コロナと戦う」や「コロナに勝つ」といった表現に共通する概念メタファー は、CORONA IS WAR と考えられる 16。ある概念を WAR と見なすことが 特別なことでないことは、上述した「議論に勝つ」、「的を射た意見」、「相手 を言い負かす」や「説を破る」というメタファー表現が ARGUMENT IS WAR という概念メタファーに基づいており、これらの表現がごく普通に使 用されていることからわかる。では、ARGUMENT IS WAR と CORONA IS WAR は同じ種類の概念メタファーであるということができるのであろう か。両者に見られる WAR という概念は同じものなのであろうか。

コロナ禍を「想像を絶する大災害」や「予想だにしなかった大問題」と表 現することがあることは既に述べたが、コロナ禍を認識・理解する上での最 大の問題点は「目に見えない」という点であろう。五感で直接経験すること ができない場合は、言語を代替物とした情報経験に頼るが、ここでは「想像 を絶する大災害」や「予想だにしなかった大問題」という言語形式が目に見 えないコロナ禍の認識・理解に貢献している。「コロナと戦う」や「コロナ に勝つ」という言語形式を備えたメタファー表現も情報経験に頼っている点 では同じであるが、これらのメタファー表現の根底には CORONA IS WAR という概念メタファーが存在する。直接理解し難いある概念を、既に把握し

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ている別の概念で理解するという概念メタファーの基本構造において、

WAR は既に把握している概念である。その概念には、WAR に関連した「敵 の大軍の到来を告げる予感」や「力を合わせて敵兵を倒す光景」のような感 覚やイメージが含まれる 17。これらの感覚やイメージの中で最も適当なもの が選択され、CORONA の「正体がわからない」、「死に及ぶ可能性がある」、「感 染力が強い」や「対応が長期間に及ぶ」というような側面を見なす対象となっ ているのである。このことは、CORONA IS WAR という概念メタファーが、

CORONA IS AN UNKNOWN ENTITY や CORONA IS A POWERFUL AGENT のような下位概念メタファーに基づいている可能性を示している。

ARGUMENT IS WAR と CORONA IS WAR が 同 じ 種 類 の 概 念 メ タ ファーであるかという問いに対しては、そうではないと回答せざるを得ない。

しかしながら、A IS B という概念メタファーに基づき「A を B と見なす」

メタファーは、ある概念 A が理解し易いものであれ理解し難いものであれ、

既に把握している別の概念 B を利用して理解することを可能にする機能を 有しているということはできる。「受験戦争」、「交通戦争」や「貿易戦争」

という表現からもわかるように X IS WAR という概念メタファーは珍しい ものではない。この概念メタファーは、様々な場面や状況を WAR に関連し た様々な感覚やイメージと同一視することによって成立している。また、

ARGUMENT IS WAR と CORONA IS WAR に見られる WAR という概念 は同じものなのかという問いに対しても、そうではないと言わざるを得ない。

確かに前者の WAR と後者の WAR では関連した感覚・イメージは大きく異 なると思われる。しかしながら、既に把握している別の概念 B に関連した 感覚・イメージを応用するあるいは発展させることができれば、ある概念 A が理解し易いものであれ理解し難いものであれ、メタファーがその理解 に柔軟に対応する機能を有していることは十分に考えられる。「受験戦争」、

「交通戦争」や「貿易戦争」における WAR に関連した感覚・イメージが異 なるとしても、既に把握している WAR に関連した別の感覚・イメージを拡 大・拡張することは可能であろう 18

ここまで、2020 年に見られるようになった「コロナと戦う」等のメタファー 表現について述べてきたが、過去に同じようなメタファー表現の出来はな

(16)

かったのであろうか。例えば、スペイン風邪やペストの場合は、コロナ禍の 場合との類似点等はあったのであろうか。メタファー表現に関しては、当時

「スペイン風邪・ペストと戦う」が用いられ、そこには SPANISH FLU/

PLAGUE IS WAR という概念メタファーが存在したと思われる。コロナ禍 と同様に「正体がわからない」や「死に及ぶ可能性がある」等の側面に焦点 を当て、SPANISH FLU/PLAGUE を(当時の)WAR に関連した別の感覚・

イメージと同一視していたものと考えられる。このように、メタファーを利 用して病原・病気を認識・理解することは特別なことではなく、様々なメタ ファー表現が時代を超えて普遍的に使用されているが、この状況を悲観視し、

改めるべきであるとする考え方が少なからず存在する。例えば、朝日新聞の 社説「対コロナ「戦争」の例えは適切か」(2020 年 5 月 6 日)では、過度に コロナを敵視することは感染者や医療従事者への差別をもたらすことがあり、

コロナ禍の重大性を国民に訴える必要があるとしても、政治家は慎重な態度 をとるべきであるとしている 19

CORONA IS WAR に基づくメタファー表現を利用することは、直接的に は、理解できない事態を一気に戦争レベルに引き上げ、予測できない事態を 敵と味方に二分し、間接的には、人々の恐怖心・不信感を煽り、社会不安を 引き起こすというものであるが、このような考え方は他の病原・病気の場合 にも見られる。19 世紀の結核と 20 世紀のがんにおいては「敗者」や「殺し屋」

等の表現が罹患者の「自己管理不足」を、現代のエイズにおいては「悪」や

「戦いを挑む」等の表現が罹患者の「性的放縦」を想起させる(Sontag 2001:10–12, 59–72, 91–101)。そこでは、結核やがんは個人の病気であり、

罹患者の弱さが病の原因とされ、罹患者は死に至るまで病魔に追われる。ま た、罹患者を特定のグループに限定する傾向のあったエイズでは、必要以上 に罹患者を社会悪として扱ってきた。ソンタグは罹患者を追い詰め、社会か ら分離するようなメタファーを用いた病気感は一掃されるべきであるとして いる(ibid.) 20

上記のような批判的な考え方は、コロナ禍や他の病原・病気に関する具体 的なメタファー表現が、社会を疲弊させ人間性を否定していることを示唆し ているが、それはメタファー表現そのものが原因ではない。修辞技法の一つ

(17)

であるメタファーが、結果的に否定的な修辞的効果を発揮することはあり得 るが、これもメタファーそのものが原因ではない。上述したように「A を B と見なす」メタファーは、ある概念 A が理解し易いもの(ARGUMENT)

であれ理解し難いもの(CORONA)であれ、既に把握している別の概念 B

(WAR)を利用して理解することを可能にする機能を有している。この機能 は、ある場合は肯定的な効果を、別の場合は否定的な効果をもたらす。つま り、A IS B という概念メタファーが常に中立的である一方で、概念メタ ファーに基づいたメタファー表現は、その使用される場面・状況に応じて様々 な効果を発揮するのである。

5.結論

「A を B と見なす」ことがメタファーであり、異なる概念間の拡張は、一 種の同一視として捉えることができる。人間がメタファーを利用して現実世 界を認識・理解しているのは、飽くまで言語ゲームという枠組みの中である。

メタファーによる同一視は、意図的な「規則に従った人間の振る舞い」であ り、実践的なものである。人間は、日々 ARGUMENT のような日常的なも のから CORONA のような理解不能なものまで、実に様々なモノ・コトに対 応せざるを得ない。人間はメタファーでしか現実世界を認識・理解できない というのは明らかに誇張であろう。しかしながら、実際のモノ・コトに対応 するため、頻繁にメタファーを利用していることは事実である。

「A を B と見なす」能力は、極めて生得的あるいは本能的な行為であると 考えられる。直接経験であれ情報経験であれ、経験は一過性である。一時的 な現象から、A IS B という概念メタファーを想起することは極めて難しい と思われる。また、経験は一回性をも備えている。変化する時空に存在する 人間が、全く同じ現象を二度経験することはあり得ない。にもかかわらず、

A IS B という概念メタファーは、一時的でありかつ決して同一ではないが 似たような現象から想起される。これは人間の本質的な能力の一部であり、

食糧調達あるいは敵味方の区別における同一視の能力と同様、社会での生存 に必要不可欠な能力であると考えられる。

「A を B と見なす」行為は、人間が環境とやり取りする中に存在する。つ

(18)

まり、特定の時間・場所で、あるいは特定の場面・状況で、特定のメタファー 表現が使用される。意図的にあるいは意識して使用される場合もあれば、偶 発的あるいは無意識に使用される場合もある。使用されたメタファー表現は、

ある場面では肯定的、好意的に受け取られ、また別の場面では否定的に、悪 意を伴って受け取られることもある。これは単に、常に中立的である概念メ タファーに基づいたメタファー表現が、その使用される場面・状況に応じて 様々な効果を発揮するというメタファーの特性によるものである。しかしな がら、2020 年に見られたコロナ禍に関連した、あるいは古くから見られる 病原・病気に関連したメタファー表現に対する、批判的な考え方に対しては、

状況を謙虚に捉え、実際のメタファー表現の使用に際しては細心の注意を払 う必要があろう。メタファーを現実世界の認識・理解に欠かせない「道具」

と捉えるならば、剣やペンのように、その使用には注意を払いすぎるという ことはない。

1 「家族的類似」も後期ウィトゲンシュタインの中心的思想の一つである。特 定の言語形式が、共通の本質を持たないまま、多様かつ妥当な使用領域を持 つことを表している(§65–67)。言語ゲームは、類似性と非類似性を通して 言語の様々な状態に焦点を当てる比較対象として存在しており、還元主義的 な見方(ここでは大きさ、色、形、材質に対する関心)を示しているわけで はない(cf. Child 2020)。

* §65–67:Philosophische Untersuchunngen. 「哲学探究」のセクションを 示す(以下同様)。

2 規則決定までにはいろいろな可能性がある(§41 & 42)。また、取り決め(規 則)があれば、実際のモノ(コップ)は必要ないという考え方も存在する

(McNally 2017:179–182)。

3 §273–277、380–382 参照。

4 §244–246、253–257、281–289、300–304、310–317 参照。

5 ここで取り上げる補語は、言語学で扱われる complement(補部)とは異なる。

6 ここで取り上げる同一視は、モノ・コトが同一であると認識する行為であり、

同じ種類のモノ・コトを所属する部類・部門に分類することではない。

7 抽象的な概念である意図は言語化されていない(cf. 頭の中にある意図は言

(19)

語化されると変化・派生していく(Searle 2004:19–20))。

8 生存に関わる問題に関しては、同一視の程度の幅は迅速かつ正確に縮小して いく可能性が高い。

9 異なる部分を意識的にあるいは無意識に無視し、特定のパターンを形成しよ うとする傾向は、現状維持バイアスとも考えられる。

10 「紺碧」は濃い青色の「紺色」と強い青緑色の「碧色」の、「深紅」は「深み のある」と「紅色」の組合せである。

11 異なる概念を IS という繋辞で結びつける A IS B という形式ついては、同一 性に問題があるとする考え方もある(Sullivan 2013:104–110)が、ここで は A IS B という形式を使用する。

12 「時は金なり」における TIME IS MONEY という概念メタファーは、TIME IS A RESOURCE と TIME IS A VALUABLE COMMODITY という下位概 念メタファーに基づいている(Lakoff & Johnson 1980:7–9)。

13 「論座.2020 年 10 月 19 日.「新型コロナの「指定感染症」は過剰。インフ ルエンザと同じ「5 類感染症」に」.岡田幹治.」、「朝日新聞デジタル.2020 年 3 月 12 日.「新型コロナは「撲滅すべき悪」なのか 人類の歴史に学べ」.

山本太郎.」や “Hare, D. (2020). Beat the Devil: A Covid Monologue. London:

Faber & Faber.” が挙げられる。また、これらの表現すべてをメタファー表 現とするかどうかは議論を呼ぶところであるが、ここではメタファー表現と して扱う。

14 「コロナ」、「コロナウィルス」、「コロナ感染」や「コロナ禍」等の言語形式 と 結 び つ い た 概 念 を、COVID-19、CORONAVIRUS や COVID-19/

CORONAVIRUS PANDEMIC と 表 記 す る こ と も で き る が、 こ こ で は CORONA で代表させる(以下同様)。

15 「BBC News Japan. 2020 年 5 月 7 日.「新型ウイルスは「真珠湾攻撃よりひ どい」トランプ米大統領」.」、「MIT Technology Review. 2020年5月18日.「新 型コロナ禍を「戦争」に喩えるトランプ政権は「勝利」できるか?」.Mike Orcutt.」や「日経メディカル.2020 年 5 月 12 日.「COVID-19 と「戦争」

する政治家たち」.田邉昇.」が挙げられる。

16 ここでは、コロナに関連する様々な状況を包含するコロナ禍を戦争と見なし CORONA IS WAR を共通する概念メタファーと考える。

17 これらの感覚やイメージは、個々人により、あるいはコンテクストにより大 きく変化するものと考えられる。

18 「受験地獄」、「交通麻痺」や「貿易摩擦」のような他の概念の拡張に基づく

(20)

メタファー表現も存在する。

19 「朝日新聞デジタル.社説.2020 年 5 月 6 日.「対コロナ「戦争」の例えは 適切か」.」参照。他に “General-Anzeiger. 21 März 2020. Corona-Krise Die Schwächen des Systems. Von Markus Gabriel.”、「毎日新聞.論点.2020 年 8 月 14 日.「戦後 75 年「コロナ禍」への視線」.」や「Yahoo! ニュース.

2020 年 5 月 5 日.「コロナ対策は「戦争」ではなく…」.江川紹子.」が挙げ られる。

20 ソンタグは 1975 年に乳がんに罹患した後、メタファーに関連した病気観を 根絶すべきだと主張している。

参考文献

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Child, W. (2020). “We Can Go No Further”: Meaning, Use, and the Limits of Language. In H. Appelqvist ed., Wittgenstein and the Limits of Language, 93–114. New York: Routledge.

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(2020 年 5 月 21 日).

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Language Games and the Role of Metaphor in 2020

Takahiro Teranishi Keywords: Language games, metaphor, identification, coronavirus

Abstract

Human beings recognize and understand the real world by using metaphorical expressions. Although metaphor is usually considered as a literary device for rhetorical effect, it has pragmatic processes and is an essential tool to conceptualize real things in human behavior. The basic function of metaphor is “see A as B” shedding light on various aspects of particular concepts. In the metaphorical expression “He won the argument,”

ARGUMENT is seen as WAR. The function can be a kind of conceptual identification in which one aspect is equally dealt with another. That is connected, at a fundamental and pragmatic level, to the idea that rule governed human activity covers most of human behavior and interaction between human beings and their environment in Language games termed by Wittgenstein.

In 2020, human beings encounter Coronavirus (COVID-19) outbreak and the fear of the unknown. Many metaphorical expressions such as “We can fight the virus” and “We are winning the coronavirus battle” are widely observed, where CORONA is seen as WAR. Metaphorical expressions are practically and appropriately used to recognize and understand both ordinary events (ARGUMENT) and unknown things (CORONA). Metaphor is a handy useful tool but attention must be paid to its use because metaphor is powerful and effective so that some metaphorical expressions on viruses or diseases can give negative emotions to society.

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参照

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