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マールボロ広告の神話記号

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マールボロ広告の神話記号

著者 源馬 英人

雑誌名 言語文化

巻 1

号 4

ページ 837‑869

発行年 1999‑03‑10

権利 同志社大学言語文化学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000004311

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マールボロ広告の神話記号

源 馬 英 人

Ⅰ 神話世界の構築

消費社会の市場には、あらゆる製品分野で無数の同種商品や近似商品が溢 れ、競い合っている。かかる状況下にあって、すべての商業広告はそれが宣 伝する商品を競合商品から差異化しようと試みる。競合商品が達成し得ぬ高 性能や高い品質、美質を、自ら売り込む商品が如何に劇的に達成しているか を消費者に示すことにより、広告はその商品に特別な地位を与えようとする のである。この試みが成功したとき、商品は、差異の実際的有無とは無関係 に、特別の資質を有するものとして消費者に認識され、他の競合商品と異な る地位を獲得する。だが現実は、無数の商品広告がこの同じ目標に向かって 熾烈に争い、およそ考えつく限りの差異化メッセージを送り続けるため、情 報の洪水の中で消費者の識別力は半ば麻痺し、商品の差異化は、実質上、困 難なものになっている。1 それゆえ特定の商品が他から抜きん出た地位を達 成し、且つそれを維持する場合には、その事実自体が広告メッセージと戦略 の成功を証拠づけることになる。

こうした視座から二十世紀後半の商品市場を俯瞰すると、アメリカ合衆国 の紙巻タバコ、マールボロの広告戦略が、他に類を見ぬ巨大な成功例として 屹立していることが確認される。これはジャンルをタバコに限定した話では ない。消費市場の全分野を見渡しても、マールボロほど鮮明且つ安定したイ メージの確立と、長期にわたる膨大な販売実績を両立させた商品は、他に存

「言語文化」1-4:837−869ページ 1999.

同志社大学言語文化学会©源馬英人

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在しない。2 マールボロの成功を支えたのは、徹底的に統制された差異化メ ッセージの広範且つ長期にわたる連続的発信である。それによって形成され たイメージは、時間的空間的に拡張し、独自の価値基準と審美基準を備えた 世界を構築している。この世界は自己完結的である。それは外部世界の基準 による解釈や裁断を拒絶し、それ自体の法則によって支配される絶対的世界 である。この絶対性を繰り返し誇示する戦略展開により、マールボロ広告は、

体系として自らを神話化することに成功している。筆者はここで「神話」と いう語を、バルトがその著書『神話作用』で定義した意味において使用して いる。商品としてのマールボロの成功は、上述した広告神話化の結果にすぎ ない。人々は神話として定着した広告メッセージを受け容れ、その託宣に従 ってタバコを買ったのである。

如何なる体系も、それが神話化されるためには、幾つかの条件を満たさね ばならない。先ず第一に、その体系は大きな遠心力と、更にそれ以上の求心 力を備えている必要がある。神話世界を支配する法則や諸基準はこの求心力 が集結する一点から生じる。それによって神話世界は秩序を得、同時に外に 向かって膨張するのである。第二に、神話化される体系には包括性が不可欠 である。自己の法則や基準を絶対化するためには、外部世界の法則や基準を 自己のそれに従属させる必要があるからである。広告においてこれは、全市 場を自己の体系内部にそっくり取り込むような言説の構築を意味する。こう した包括性は第一に指摘した求心力と有機的に結びついて機能する。第三に、

神話化される体系はそれ自体が崇拝の対象となる可視的形態を有するか、さ もなくば可視的な概念か対象物を内部に持っていなければならない。神話作 用は純粋に記号的であり、対象の明確な形態なくしては成立し得ない。求心 力の収斂点には空虚を埋める表象、即ちイコンが必要なのである。第四に、

体系が自らの神話的地位を安定維持するためには、その存在を瞬時に想起或 いは再確認させる周知の呪文を持たねばならず、またその神話的概念を強化 する情報の恒常的補給を行わねばならない。

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マールボロ広告は上記条件をことごとく満たしている。1954年のフィルタ ー装着に伴う全面的モデル・チェンジ以来、現在に至るまで、レオ・バーネ ット社によって手掛けられたその広告は、一貫したメッセージを発し続けて きた。3 とりわけ、架空の国マールボロ・カントリーとそこに住む英雄マー ルボロ・マンを創出し、それらによる「西部」文化の表象という戦略を確立 して以来、その言説は今に至るまで完璧に統制されている。この戦略により マールボロ広告は合衆国全体を包括するとともに、“Come to where the flavor is. Come to Marlboro Country.”という定番コピーや多数の詩的コピー、画像 等によって、マールボロ王国の揺るぎない地位を築き上げたのである。更に、

王国の領土は合衆国の外にも猛烈な勢いで拡がり、今や日本を含む国際市場 においても、マールボロは無敵の販売量を誇っている。

厳密に見れば、1997年7月にタバコ問題協議会(Tobacco  Settlement)が広告 での人物像使用の禁止を結論として発表して以来、マールボロ・マンの顔は 隠されることが多くなり、その威光にも翳りが見えている。だが、衰えたり とはいえ、マールボロ広告の訴求度が極めて高い事実に変わりはなく、それ が合衆国及び他の国々の民衆文化において有する意味が相変わらず巨大であ ることもまた確かである。マールボロ広告は複数メディアを通じて多様な形 態で発信されたが、本稿ではそれらの中から印刷広告に焦点を絞って論証を 進める。

印刷広告の特徴に従い、マールボロ広告の場合も、その言説は三要素で構 成される。それらは、文字言語によるコピー、写真やイラスト等の画像、広 告中に導入或いは応用される商品パッケージのデザインである。マールボロ 広告に優れて特徴的なのは、これらの要素が単なる補完関係に終止せず、高 度の相互包含・相互翻訳関係の中で機能している点である。それによりマー ルボロ広告は複雑で弾力的なメタ言語のネットワークを形成し、多重構造の 言説を構築する。そして融合言語特有の自己拡張性が、神話に不可欠の普遍 性と永遠性を広告に付与しているのである。

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マールボロ広告の文化的意味、とりわけ民衆文化において果たす役割の重 要性については、本稿でも取り上げるロホフをはじめ、これまで多くの研究 者によって指摘されてきた。しかしながらこれらの研究はすべて、マールボ ロ広告のメッセージを一つの大枠の中で包括的に取り扱っており、筆者の知 る限り、個々の構成要素に光を当てた詳細な学術的分析は未だになされてい ない。民衆文化研究が盛んな今日の情勢に照らすと、これは意外な事実だと 云えるが、筆者がこのテーマに力を注ぐ所以である。以下、上記三要素がマ ールボロ広告の神話記号として如何に機能しているか、実例に基づいて分析 し、その言説を解剖してみよう。

Ⅱ コピー

マールボロ・カントリーの概念は、1978年の下記コピーによって完璧に描 き出されている。

This is a special place

where some do what others only dream about.

And life has a flavor all its own.

遙か彼方まで広がる山岳地の荒野をカウボーイが馬の群を率いている写真に 重ねて、このコピーは印刷されている。人間は誰も皆、果たそうと願いなが ら果たせずにいる夢を持っている。もしその夢が叶う場所がどこかに在ると すれば、それは正しく「特別」な場所に違いない。そこには本物の人生の香 りがある。機械文明と官僚機構に埋没して暮らす我々にとって、その香りは 最も獲得困難なものである。我々は嫉妬と希望の両方を抱きつつ、写真が示 す荒野の中にいる自分を想像し、馬上のカウボーイに我が身を重ね合わせる 衝動を抑えることができない。そうした我々の心の動きを、広告は見通して いる。或いは、我々の心の動きを広告が精細に計算し、操作していると述べ る方が、より正確であるかもしれない。コピーは次のように続くのである。

Come to where the flavor is...

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Come to Marlboro Country.

Wherever men smoke for flavor, that’s Marlboro Country.4

上記第4−5行は、マールボロ広告の定番コピーとしてあまりに有名な文で ある。ここで先ず注意すべき点は、“flavor”という語が二重の意味を持って いることである。即ち、前半部で用いられた「人生の香り(生の実感)」と、

実際のマールボロ・タバコの「風味」である。この“flavor”の二重含意によ り、コピーは、前半部で提示した生の実感を何ら損なうことなく、後半部で は力点をタバコの売り込みの方へ横滑りさせている。その作用は、我々が第 6行を読み終える時点で完了する。この行にも二重含意の“flavor”が使われ ているため、我々はコピーの言説を拒絶できず、結果的にマールボロ・カン トリーに吸収される。

だが、上記コピーに関して更に重要な点は、前章で述べた求心力が言説全 体を支配していることである。コピーは最初から巨大な吸引力で読者を呑み 込み、渦の中心に最後まで固定する。マールボロ・カントリー以外の事物/

事象への言及が皆無であることが、読者がその求心力に逆らうことを許さぬ のである。読者はこの架空世界の法則に従うほかない。広告の求心力は、コ ピーのレトリックにおいては、競合商品への言及を排除するという形で発現 する。これはマールボロ広告の伝統的手法であり、ライバル商品広告の戦略 とは明確な対比をなしている。以下、パッケージ一新後のマールボロ広告の コピーを検証しよう。5

新生マールボロの初期数年間は商品イメージの模索期でもあり、広告コピ ーには後年の鮮烈なメッセージが欠如している。しかし、“The filter doesn’t get between you and the flavor!”や、“Yes, this easy-drawing but hard-working filter sure delivers the good on flavor. Popular filter price. This new Marlboro makes it easy to change to a filter. This one you’ll like.”(下線は原文のまま)と いう1955年のコピーには、競合商品を無視し独自の世界を構築するというマ ールボロ広告の戦術が既にはっきり認められる。同年のラッキー・ストライ

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ク広告の“LUCKIES TASTE BETTER – Cleaner, Fresher, Smoother!”や、キャメ ル広告の“No other cigarette is so rich-tasting yet so mild as CAMEL!”等のコピー と比較すれば、それは明らかである。ラッキー・ストライクはアメリカン・

タバコ社の、キャメルはR.J.レイノルズ社の、それぞれ代表商品だが、これ ら大手会社の主力商品が比較広告合戦に鎬を削るのを尻目に、当時まだ弱小 企業であったフィリップ・モリス社が新生マールボロの広告戦略に当たって 比較合戦の泥仕合を回避したことは、レオ・バーネットの先見の明によると ころが大きい。

1957年には「マールボロ・マン」の呼称が登場した。この時点でマールボ ロ・マンのモデルは、カウボーイ以外にも多種多様であった。彼らの正体が 軍人で、それがいろいろなマールボロ・マンに扮していたというのは興味深 い。6 商品名が特定の人間集団を定義する語として使用されることは、今日 でこそ珍しくない(例:「ペプシ・ジェネレーション」)が、当時としては 画期的事件であった。マールボロ広告はこの瞬間から遠心力による拡張を開 始したのである。1961年には新旧のプロ・フットボール選手八人をマールボ ロ・マン集団として紹介し、“They’re Marlboro men, no mistaking that. Rugged as they come and tops in the field.”7という定義を付している。

同じ1961年、「マールボロ・カントリー」の名が登場した。アメリカ合衆 国をマールボロのパッケージが埋め尽くした地図とともに、“Wherever you travel this summer ... from Klondike to Key West ... In any state ... in every state you’re in Marlboro Country.”(下線は原文のまま)というコピーが多くの雑誌 に掲載された。これにより合衆国全土が架空のマールボロ・カントリーにそ っくり置き換えられたのである。国民の一人一人はその地に居ながらにして マールボロ・カントリーに包括された。また1963年以降、マールボロ・マン がカウボーイに限定され、マールボロ・カントリーの概念は明瞭な輪郭を獲 得した。続いて1964年には“Come to where the flavor is. Come to Marlboro Country.”という不朽のコピーが誕生し、それ以後三十年以上の長期間、呪文

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のように反復された。このコピーは、その限りない反復によりマールボロ・

カントリーの存在を読者に強く印象づけるとともに、彼らを絶えずその中心 に誘導する役割を果たした。

1997年7月のタバコ問題協議会がタバコ広告における戯画像及び人物像の 使用を禁じる決定を出して8以来、マールボロ・マンのオーラは急速に減衰 し、コピーにも変化や省略化が現れ始めているが、全体的に見れば、マール ボロ・マン登場時から数えて四十年以上の長期間にわたり、マールボロ広告 は同一のメッセージを貫いているのである。他のライバル商品はすべて、数 年の周期でメッセージを大きく変えている。代表的例外に、1968年誕生のヴ ァージニア・スリムがあるが、これは同じフィリップ・モリス社の製品であ る上に、女性対象商品なのでマールボロとの競合性が極めて低かった。それ ゆえ、これは比較対象から外れよう。ヴァージニア・スリムの場合は一種の 妹分的製品として、マールボロで使用された広告力学を障害なく女性用鋳型 に応用できたのだと考えられる。何れにせよ、ライバル製品が有効な広告メ ッセージを模索して悪戦苦闘した事実に照らしてみれば、マールボロ広告の 一貫性は驚異的というほかない。

マールボロ広告がライバル商品への言及を排除したことは上述のとおりだ が、広告である以上、その最終目的はあくまで商品の差異化である。マール ボロ広告はそれを、タバコそのものの比較ではなく、マールボロ・カントリ ーと他の世界を比較し差異化することによって、巧妙に成し遂げている。

1971年の例を見よう。

“Days  don’t  start  like  this  anywhere  else  in  the  land.    Fried  eggs,  potatoes, sourdough  flapjacks,  thick  slabs  of  fresh  beef,  and  coffee.    Always  coffee.

No, days don’t start like this anywhere else in the land.”

これは“Chuckwagon Cooking from Marlboro Country”と題された広告9のコピー で、まだ暗い早朝の荒野でカウボーイたちが火を囲み、朝食後のタバコやコ ーヒーを楽しんだり仕事の準備をしたりしている写真に挿入されている。コ

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ピーの主題が朝食の物理的形態ではなく、状況から形成される精神状態であ ることは、云うまでもない。それは、最後の文が最初のそれの反復となって いることからも明らかである。具体的な個々の献立は、読者をマールボロ・

カントリーへ誘導する可視信号であり、道標なのである。濃密な充足感と緊 張に満ちた一日の始まりは他のどんな場所でも得られぬ、と断言することに より、マールボロ・カントリーの差異化は完璧に達成されている。本章冒頭 の引用と同様、ここでもマールボロ・カントリーは「特別」な場所として提 示される。

こうして差異化された虚空間の中へと、広告は我々を誘う。1976年の広告 で、コピーは次のように訴える。“It’s a good smoke, at the end of a workin' day.

Come to Marlboro Country.”(資料1) これは生活共有のアピールである。

マールボロ広告は、他の多くの広告のように快感やスタイルの提示で終止す るのではなく、一見穏やかだが容赦ない手口で、我々を中に引きずり込む。

我々はマールボロ・カントリーに入り、そこの住人と時空間を共有すること を、絶えず求められるのである。

資料1

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Ⅲ 画像:マールボロ・マン

画像はコピーの補足としてではなく、コピーとの相互翻訳・相互注釈関係 の中で作用し合い、メッセージに明瞭な可視的輪郭を与えるとともに多元的 広がりと奥行きを提供することで、広告の言説を強化する。マールボロ広告 は、コピーが印刷されず画像だけで構成されることがしばしばある。この場 合、コピーは画像に吸収されているのであり、消滅したわけではない。我々 はそのメッセージを、画像を通して読みとるよう求められる。これはマール ボロ広告のように、長期間にわたり同一のメッセージを発し続けた広告のみ に可能な方法であると同時に、極めて効果的な訴求形態である。

マールボロ広告では、とりわけ画像が重要な役割を果たしている。その原 因は、第二次大戦後のテレビの普及である。テレビは戦後のメディア革命の 主役であった。当時、映画館以外に動画を見る機会のなかった人々は、画面 に躍動する映像に魅了された。マールボロ・マン及びマールボロ・カントリ ーのイメージは、このテレビを通じて定着したのである。視聴者がナレータ ーの語りよりもカウボーイの容姿や風景をずっと鮮明に記憶したのは、自然 なことであった。またテレビ広告では、西部劇映画『荒野の七人』(The Magnificent Seven)のテーマ曲が効果的に使用され、それがカウボーイの容姿 や風景と劇的に結合することによって、人々のイメージ記憶をいっそう鮮烈 にした。実際、このテーマ曲は、映画中のオリジナルより広告で編曲された ものの方がずっと荘重雄大である。テレビの効果が如何に強烈であったかは、

タバコ広告のテレビ放送禁止(1971年)から二十年を経ても、人々がこの曲 からマールボロを連想するという事実10や、カウボーイ・イメージとマール ボロ・マンとの結合があまりに強いため、他の広告会社がカウボーイ・イメ ージを利用できなかったという事実11等が、如実に物語っていよう。何れに せよ、画像はテレビを通じてマールボロ広告の最大構成要素となったのであ り、それはテレビ広告が廃止された後も変わっていない。以下、本章及び次

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章で、画像が神話記号の中核として担っている機能を、具体的に分析しよう。

前述したように、マールボロ・カントリーは広告の虚空間に現前した、失 われた理想郷である。マールボロ・マンはこの理想郷の孤高の住人であり、

ロホフが指摘するように、苛烈で恵み深い荒野に身を委ねながら牧場の単純 な仕事を黙々とこなすことによって、現代人が都市文明の中で失ったものを 堅持している。12 彼(場合により複数)の関心は、目の前の仕事をやり遂 げることと、合間に取る休息を神聖な安らぎで満たすことだけに注がれる。

彼は自己の生の在り様に充足し、それ以上もそれ以下も望まない。彼の生活 には作業の厳しい掟はあっても、心を苛む欲望も寂寥感もない。彼は、「西 部」文化が伝統的に期待してきたマチズモ的美質――頑健、老練、熟達、威 厳、才覚、独立不羈(Rutherford  44)――の体現者として、我々の前に現れる。

その構図上の現れ方は、顔や手の超クローズ・アップから、大自然の中に彼 が牛馬とともに溶け込みそうなほど遠く引いた写真まで、多様を極める。彼 の行動もカウボーイの実生活そのままに広範であり、山岳地を馬で疾走し、

時にはゆっくり歩く馬の背で景色を一望する。暴れる馬や牛を投げ縄で捕ら えたり、激しい雨や雪をついて牛馬の群を移動させる。また時には清流から コーヒー用の水を汲んだり、仲間と火を囲んで談笑したりする。

無数にあるマールボロ・マンの肖像の中でも、特に重要なものは、中・近 距離写真(またはスケッチ)と、カメラ(我々)を正視したクローズ・アッ プ写真である。中・近距離による写真やスケッチは、作業中や休息中の彼の 顔と全身の輪郭を、我々にはっきり提示する。(資料1) 彼の視線が必ず と云ってよいほどカメラ(我々)から逸れているのは、重要な点である。彼 はカメラ(我々)の存在を無視し、普段の仕事や生活そのままに、油断ない 注意をもって牛を追い立て、寛いでコーヒーを飲む。場面と状況を次々に変 えながら際限なく繰り返されるマールボロ・マンの現前は、荒野を舞台にし たファッション・ショーのようにすら思われてくる。マールボロ・マンの視 線がこちらから逸れているという事実は、彼が生身の人間である以上にマネ

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キンであるかのような錯覚を、一瞬、生じさせる。彼の手や顔のしわ、風雪 で荒れ日焼けした皮膚は、頑健な体躯とともに衣裳の一部と化す。我々はそ の衣裳にすっぽり身を埋める誘惑に、打ち克つことができない。“Come to where the flavor is. Come to Marlboro Country.”というコピーは、こうした具体 的容器を広告が用意した時、誘引力を倍加する。資料1では“Come to where the flavor is.”の部分が欠けているが、画像がそれを補充している。辺り一帯 に漂っている(筈の)マールボロ・マンの汗の臭い、コーヒーの香り、薪が 燃える臭い、草花の臭い、燃えるタバコの香り(“It’s a good smoke”)、これら が混じり合って「本物の世界」の香りを醸成する。そして、こうした解読作 業に携わることにより、読者である我々もまた広告に参加し、そのメッセー ジを再生産することになるのである。

一方、彼のクローズ・アップ写真の多くは、カメラ(我々)を真正面から 見つめている。(資料2) これはウィリアムスンがラカン理論援用により

「鏡像状態」(mirror-phase)の名称で定義するところの状況(Williamson  60-6)を 創り出す。こちらを直視した顔のクローズ・アップは、大抵の場合、鏡に映 った自己を、見る者に連想させるものである。マールボロ広告はこの作用を 意図的に利用している。我々は憧憬の念で彼の顔を見つめながら、それが自 分のもう一つの顔であることを無意識のうちに期待するのである。都市文明 メカニズムの中で不能感や絶望感を与えられ (Lohof  448)、自己のアイデン ティティに自信が持てぬ我々に対して、鮮明な輪郭によって強固な自我を放 射するマールボロ・マンの顔が果たす役割は、アイデンティティ形成初期の 幼児が初めて見る自己の鏡像の機能と、完全に符合する。幼児は自己を知覚 的に統合できぬので、自分の外観に関する概念を持たない。それに対し、鏡 像は完全な輪郭を持ったゲシュタルトである。鏡を覗いた時、幼児はこのゲ シュタルトを自分の姿として認識するが、自己と他者を区別する能力をまだ 欠くため、鏡像があくまで自分の象徴にすぎないのであって自分そのもので

.......

はない...

ことを、理解できない。それゆえ彼(彼女)は、想像の中で鏡像と一

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体化し、過渡的アイデンティティを創出する。同様に、我々は自分の頼りな いアイデンティティの補完要素を、あたかも鏡像のようにこちらを見つめる マールボロ・マンというゲシュタルトの中に求め、想像の中で(或いは無意 識的に)彼との一体化を図るのである。だがその試みは、次の瞬間に挫折す る。我々は幼児と違い、脆弱ながらも自己のアイデンティティを持っており、

どう足掻いても自分がマールボロ・マンになり得ぬことを知っているのであ る。

この一体化失敗の瞬間こそ、マールボロ広告の戦略が最大効果を発揮する 時なのである。ラザフォードの分析を引用しよう。

Time and again, the commercials emphasized one fundamental message: the 資料2

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cowboy, whether alone or with his fellows, enjoys a satisfying life, work that is meaningful and pleasures that are simple, and on his terms.  To the viewer was left the task of comparing such an ideal lifestyle with the frustrations of working and living in the cities of the 1960s.  That contrast was crucial to the impact  of  the  campaign:  the  Leo  Burnett  agency  expected  people  to  bring their  own  negative  experiences  to  the  task  of  decoding  these  commercials.

(Rutherford 42)

我々は、制作者の目論見どおり、自分のマイナス要素というレンズを通して 広告を解読し、マールボロ・マンの満ち足りた生活に較べ、フラストレーショ ンを鬱積させる我々自身の都市生活が、如何に理想からかけ離れたものであ るかをあらためて痛感し、その落差を嘆くのである。それでも尚、我々はマ ールボロ・マンと訣別できない。というよりも、こちらを見つめる彼の眼が 我々を放さぬのである。“Come to where the flavor is. Come to Marlboro Country.”というメッセージを、無言の彼の眼が、印刷文字の何倍も強く訴え る。(因みに、テレビ広告においても、マールボロ・マン自身は終始無言で あった。) コピーなしで彼の顔だけを載せた広告が多くあるという事実が、

それを証拠立てていよう。我々はフラストレーションからの逃避を求め、す がる思いで彼の顔を再度見つめる。

Ⅳ 画像:風景/パッケージ・デザイン

マールボロ・カントリーを理想郷に仕上げるために、広告は荒野を全一な 宇宙として提示する。そこには西洋哲学の宇宙四元素である大気・土・水・

火のすべてがバランスよく織り込まれている。色と天候を無限に変える大空、

荒々しい岩肌や緑豊かな草原、湖沼や河川、食事や暖をとるのための焚き火 等、それらのすべてが重要な構成要素として密接に関連し合い、マールボ ロ・カントリーの調和を構築している。そこでは自然も人工物も等価の位置 に並べられ、建物や柵は大地と一体化している。また、「火」の中には、当

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然、タバコの火も含まれる。マールボロ・カントリーの構造に組み込まれる ことにより、タバコは聖域の正統な付属物として認可されるのである。だが、

タバコだけが周囲の世界から切り離されることは稀であり、むしろ周囲の世 界に吸収され目立たなくなることによって、当たり前の要素という地位を獲 得するよう、巧妙に配置されている。

1980年の例を見よう。(資料3)近景で馬上のマールボロ・マンが口にタ バコをくわえ、荒野を一望している。草原が遙か彼方まで広がり、遠くで空 と溶け合っている。彼から少し離れた所では地上を霧が流れ、大気と土の抱 擁を象徴的に表している。彼の前景には池があり、水面には馬と彼の姿が映 っている。以上が画像全体の概略だが、その中で最重要の構成要素は池であ る。滑らかな水面は鏡の役目を果たしている。しかしそのごく一部しか写真 の枠内に入っていないため、我々には馬の下半身が映って見えるだけである。

上半身と肝心のマールボロ・マンは枠外に切り取られている。それゆえ我々

資料3

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は自分でその欠落を補うことを余儀なくされるのであり、この段階で我々は 広告に参加させられる。水面が前述の鏡像状態を創出するため、我々がそこ に補充する像には必然的に我々自身のイメージが重ねられる。我々は水の中 に自己を再生産するのである。

資料4の画像も資料3と類似した技法で構成されているが、カメラは遠く 引き、三人のマールボロ・マンと馬たちが水辺でゆったり憩う姿を示してい る。今度は、彼らの姿がすべて水面に映っている。ここでも四元素が見事な 調和で組み合わされている。彼らが起こした焚き火は、あたかも巨大なタバ コのように濃い煙を立ち昇らせている。この画像で重大な点は、大地と水の 境界線を写真中央よりやや上に配置させたことである。この構図ゆえに、空

資料4

(17)

は、実際にそれが位置する場所ではなく、水が創り出す鏡の面上、即ち写真 の最前景に、より大きく広がって見える。そして水に映った空に、マールボ ロの写真が重ねられている。この配置計算は極めて狡猾である。なぜなら、

タバコの煙は(物理学的定義でなく日常感覚的に見て)気体であり、空中に 吸収されるものだからである。写真のパッケージは開封され、数本のタバコ が潜在的消費者(我々)に差し出されている。それは我々の想像の中で火を 点けられ、その煙は想像された空(水面の鏡像)に吸い込まれていく。こう した一連のイメージを、やはり水の鏡に映った焚き火の煙が完成させる。鏡 の中の煙が立ち昇る先に“Come to Marlboro Country.”のコピーが印刷され、

中央の“Marlboro”の中にそれは吸収されているのである。

マールボロ広告の風景画像でもう一つ特筆すべき点は、パッケージ・デザ インがそこに巧妙に投射されていることである。より厳密に云えば、風景が パッケージ・デザインとの相似関係の中にはめ込まれることによって、盗用 されているのである。パッケージ・デザインの「クレスト(山形)・パター ン」が際立って特徴的であり、13 且つ単純で作出容易な形であることが、

広告に有利に働いた。資料5では地面にできた柵の影が、また資料6では橋 の保護柵が、それぞれ鮮やかなクレストを形成している。資料7は、人馬の 配置とカメラ・アングルによる人為的なパターン作出である。馬上のマール ボロ・マン二人の中、遠方の男の頭と、二人が乗る馬の頭と尻の先をそれぞ れ結んだ線は、ほぼ正確な二等辺三角形を形成する。そして、通路入り口の 簡素な木枠がその三角形と結合することにより、完璧なクレストがそこに現 出するのである。おそらく冬の早朝なのであろう。人と牛馬の吐く息が白い 霧となってもうもうと立ちこめ、奥の男が吸うタバコの煙と渾然一体となる。

更にもう一点、この画像には見逃せぬ点がある。二等辺三角形の頂点がマー ルボロ・マンその人によって形作られ、しかもそれが二重構造によって強化 されていることである。広告は、ヒエラルキーの頂点に立つ者としてのマー ルボロ・マンの地位を、公然と正当化する。資料8は、資料7ほど劇的では

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ないが、マールボロ広告が自然を盗用した例として興味深いものである。画 面左下の黄褐色の草地がクレスト・パターンに酷似している。この場合、斜 面に偶然生まれた模様は、色彩的に見て「マールボロ100」の金色のパッケ ージとの相似関係に置かれる。マールボロ・マンのレインコートの黄色、彼 の帽子と馬の白色は、この相似関係を成立させるための触媒である。パター ンの相似を潜在意識的に了承した後、我々は触媒であるマールボロ・マンの 進む先に目をやる。そこには、当然のように、パッケージから引き出された タバコがある。資料4の場合と同様、ここでもまた我々は、自ら広告に参加 することによって、我々自身の中に消費者を生産するのである。

資料5

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資料6

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資料7

資料8

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Ⅴ 幻想のトポス(結論)

以上述べた諸要素の有機的結合によって、マールボロ広告の神話的世界は 構築されている。マールボロ広告がタバコと同時にメタファーを商品化して いるというロホフの指摘について、筆者は論文「マールボロ広告の文化的意 味」の中で既に触れた。マールボロ・マンや荒野が有する高次の意味はメタ ファーとしてのそれであり、マールボロのイメージは民衆の集合的想像力に 語りかける文化的シンボルなのだ、とロホフは分析する。(Journal of Popular

Culture447) 製品からシンボルへの昇華を可能にするのは、云うまでもな

く、神話世界特有の絶対的権威という後ろ盾である。圧倒的な消費文明の機 構に呑み込まれた現代人の意識に向けて、マールボロ広告は想像力の解放と、

それによる神話への帰依を促す。神話記号としての広告諸要素は、この巨大 なファンタジー装置の部品であり、またスイッチでもある。我々はそれを押 すことにより、マールボロ広告のイデオロギーに取り込まれる。

文化的/心理的アピールに頼る広告のイデオロギーを考察するに際し、以 下に引用するワーニックの分析は有益な示唆を与えてくれる。これはリゲッ ト&マイヤーズ社の女性用タバコ、イヴの広告に関する評論の一部だが、彼 の分析はマールボロ広告にも当てはまる。

All advertising, even the most informational and rationalistic, is ideological if only in the formal sense that it places its audience in the role of buyer/consumer and seeks to dispose that audience favourably towards what is for sale. But ads of the Eve type, which infuse their products with cultural and psychological appeal, also impinge on more particular dimensions of their addressee’s sense of identity, orientation, and purpose. The commodity they project as the object of desireis simultaneously presented as a cultural symbol charged with social significance; and the ego they seek to engage as the subject of desireis induced to adopt the socio-cultural identity attributed

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to those who already use the product.  Such advertising is thus ideological in a concrete sense as well.  (Wernick 31, italics mine)

ワーニックの指摘どおり、読者(或いは視聴者)を購買者/消費者の立場 に置き、彼らが商品を欲するようにし向けるという点において、すべての広 告は等しくイデオロギー的であるが、イヴやマールボロのタイプの広告は、

それに加えて、受け手の思考を方向づけ、アイデンティティを左右するとい う、極めて重大なイデオロギー的機能を有する。引用後半はとりわけ重要で ある。付与された社会的意義により文化的シンボルとなった商品(欲望の客 体)を巡って、広告の受け手は、購買者/消費者(欲望の主体)となること により、既にその商品を使用している者に(広告から)帰せられるところの 社会的文化的アイデンティティを獲得するようにし向けられる。ウィリアム スンも指摘していることだが、主体とは我々の中に初めから存在しているも のではなく、イデオロギーに取り込まれることにより我々が自己の意識中に 創り出すものなのである。(Williamson  40-70) 我々は自ら生産した主体を通 じて広告に参加し、広告のオリエンテーションに従い、架空のアイデンティ ティを供与される。我々がマールボロ・マンの像に自分を重ね合わせる時、

我々の内部では以上のプロセスが発動されるのである。

マールボロ広告に関して更にもう一つ注目すべき点は、指示対象システム によって使用された客観的相関物の膨張と、それによる商品(タバコ)イメ ージの縮小、或いはメタファー内部への収斂である。資料9でそれを検証し よう。赤いワークシャツとジーンズを着たカウボーイの腹部、それに手の指 がクローズ・アップで画面全体を覆っている。左手は一本のタバコを持ち、

右手は黄燐マッチをバックルで擦って点火している。銀製の巨大なバックル は年月を傷に刻みながら王冠のように輝いている。カウボーイの必需品であ る「シャップ」(「チャップ」とも云う)のベルトと、節くれ立った太い指が、

彼を「西部」の正統な継承者として現前させる。実物大以上に拡大された画 像は我々を威圧し、写真枠外の目に見えぬカウボーイの全身が圧倒的迫力で

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我々を包み込む。ワークシャツの赤色はマールボロ・パッケージのそれと呼 応しており、画面左下にごく小さく印刷されたパッケージは、膨張する画像 のイメージに吸収される。このプロセスの重要点は、タバコと荒野のイメー ジとの間における主従関係の完全な逆転である。本来はタバコの付属物とし て提示される「西部」が、ここでは広告のほとんどすべてを占拠している。

パッケージ・デザインが画面にある以上、タバコの存在が消え去ることはな いが、それは「西部」の一部としてイメージに包摂され、片隅にささやかな 居場所を与えられる。そして、これこそが広告の目的なのである。タバコは 実質的に「西部」の裏側に隠れ、ファンタジー装置のスイッチ・ボタンとし ての小さな長方形だけを表面にとどめるのである。

資料9

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アメリカ合衆国におけるマールボロ広告の成功が、舞台である実際の西部 牧場地帯14よりも大都市圏で遙かに大きかった(Rutherford  43)ことは、この広 告の本質を顕わにする象徴的事実であろう。マールボロ・マンに大きな共感 を寄せたのは、本物のカウボーイよりもビジネスマンの方であった。マール ボロ・カントリーは、疲弊した背広姿の都会人に幻想の場を提供したのであ る。ワーニックは前述のイヴ広告論の中で、「記号表現」としての製品及び 指示対象と、「記号内容」としての文化的意味とのちょうど中間に、想像上 の存在として両者を統合する商品が位置し、消費者の自我がその想像上の商 品に向かって突進することを示している。(Wernick  32) もちろん、そこに は何もあろう筈がない。統合は広告のイデオロギーに従った消費者の想像中 で行われるのであり、現実には決して成立しない。我々の自我は空白の座標 を目指すのである。もしメタファーの実質を手に入れたければ、我々は製品 を捨てねばならない。我々が製品にしがみつく限り、メタファーは必ず土壇 場で砕け散り、我々の手には一箱のタバコだけが残されることになる。だが、

驚嘆すべきことには、この土壇場で我々は文字どおり煙に巻かれ、メタファ ー瓦解の事実から注意を逸らされる。マールボロ・マンと同じタバコを吹か すという実際行為の中で、我々は、一瞬にせよ自分を彼と同一視する誘惑か ら逃れられず、メタファーの残骸を必死に拾い集める。神話記号のオリエン テーションは、かくも強力なのである。

現実のマールボロ・シガレットは、夢の実現を約束しない。マールボロ・

マンは、ロホフの云う「永遠に失われた無垢」(Journal of Popular Culture 449)のシンボルであり、また、永遠に失われた夢の主人公である。タバコの 煙は虚空に吸い込まれていくほかない。そこには永遠の幻想の香りが漂い、

それに包まれて呆然と佇む我々は、朽ちてなお絢爛たる道標を憑かれたよう に凝視する。書かれている案内は、無論、次の二文である。“Come to where the flavor is. Come to Marlboro Country.”

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1  タバコの各ブランド間における差異化が如何に困難であるかを示す興味深い事実 が、クリアリーによって紹介されている。

Cigarette offers a classic example of a “brand differentiation” problem. Not only do they look alike; they also smell and taste so much alike that seasoned smokers, in blindfold tests, cannot tell them apart with any reliable degree of accuracy. The character, image, and public perceptions of a cigarette are (or can be) fashioned entirely by its maker. (Great American Brands 51.)

2    これに関し、Advertising in America には次のような文が、一ページをまるまる割 いて掲載された。マールボロのパッケージ・デザインの変更や、モデル・チェン ジ当時の広告の実際、及び販売状況等を知る上で貴重な資料である。

COME TO MARLBORO COUNTRY

The Marlboro campaign, believed by many advertising professionals to be Number One among the All-Time Greats, started in 1954 when Philip Morris moved an uninspired account to Leo Burnett in Chicago. By 1954, there were already six filter-tip cigarettes on the market. Marlboro then had a red paper “beauty tip” to camouflage lipstick, came in a white pack bearing the slogan, “Mild as May,” and, not surprisingly, sold mostly to women. It held less than one quarter of one percent share of the cigarette market.

Burnett decided to go for the macho. The agency redesigned the pack to a flip-top box, changed the color to strong red and white, and chose the cowboy as the most effective shorthand symbol for the masculine image. (For the first ten years the cowboy always had a tattoo on the back of one hand.)

The original photographer of the series, Constantin Joffe, recalls that "the most successful Marlboro men were pilots, and do you know why? Because pilots seem to have a little wrinkle around the eyes."

At the time of this writing, the Marlboro series is the longest running modern campaign and has higher brand identification and recall than any other advertising theme in the marketplace. (Charles Goodrum and Helen Dalrymple, Advertising in America: The First 200 Years198.)

3    新生マールボロを“macho”なイメージで売り出すという基本構想は最初から固ま っていた。但し、モデルの使い方や彼らを通して送られるメッセージについては、

初期に幾度か試行錯誤が繰り返された。第一号モデルがカウボーイで始まったマ

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ールボロ広告は、数年間の試行錯誤の末、再び(より純化強化された思想戦略に 基づいて)カウボーイに帰り着いたのである。この点に関しては、拙論「マール ボロ広告の文化的意味」(『同志社大学英語英文学研究』70号)を当たられたい。

4  この広告はかなり凝ったページ構成となっている。筆者の手元の資料は、デュー ク大学特別資料図書館所蔵の『ニューズウィーク』1978年11月13日号掲載のもの だが、見開き二ページで始まり、更にそれが両側に開かれて四ページを加えると いう、全六ページ構成である。画面では、最初の見開き二ページに本文で紹介し た光景、更に各々のページを開いた左側二ページに牛の群を追うマールボロ・マ ンたちの遠・近景、右側二ページに焚き火を囲んで憩う彼らの姿、という三種類 の構成になっている。これらは時間的にそれぞれ朝、昼、夜に対応している。こ れらを二ページごとに第一・第二・第三面と呼ぶと、コピーは第一面に最初の四 行、第二面に“Come to Marlboro Country.”、第三面に最後の一行が配置されている。

5    パッケージ一新以前の広告に関しては、「マールボロ広告の文化的意味」を当た られたい。また、上記注2にも言及がある。

6  初期マールボロ・マンのモデルが兵士であった事実は多くの文献に指摘されてい るが、兵士特有の迷いなく鋭い眼光が広告制作者に好まれたことが、その理由で あろう。上記注2では、眼の周囲のしわ(おそらくゴーグルのためであろう)が 独特の味を出すことから航空兵が歓迎された事実が紹介されている。

7    手元の資料は『ルック』1961年10月24日号のものである。ページ上部に“How many of these football greats can you name?”という見出しが印刷され、その下に八 人の顔写真とともに、“Each of these Marlboro men is a famous pro player––past or present”や、“You’ll be seeing them this fall in our Marlboro commercials during NFL Pro Football telecasts”等の文が続く。ページ下部では“You get a lot to like with a Marlboro”という、当時の定番コピーが締めくくっている。

8  タバコ問題協議会は政府の諮問機関であり、本文中の決定内容は、現時点で最終 的な議会決定ではない。それゆえタバコ広告における戯画像及び人物像の使用中 止に関し、現段階で明確な法的規制があるわけではない。しかしながら、タバコ 問題協議会が1997年7月に上記決定に達して以後、タバコ広告が大きく変質し始 めていることは確かである。最も明瞭な例は、云うまでもなくキャメルである。

(そもそも上記協議会は青少年層へのキャメル広告の影響があまりに深刻である ことが契機となって召集されたのである。)タバコ問題協議会とほぼ時を同じく して、キャメル広告のイコンとして十年間君臨したジョー・キャメルは、世界か ら姿を消した。他のタバコ広告においても、程度の差はあれ、協議会決定の影響 は例外なく現れている。

9    この広告は全十七ページにわたる大部のもので、実在の老コック(カウボーイ)

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が登場し、牛肉・パン(bakin’s)・豆の三分野で計二十八種類のカウボーイ料理の 調理法を紹介している。また、荒野でカウボーイの心の拠り所となる食料馬車、

チャックワゴンについての説明も行っている。(「マールボロ広告の文化的意味」

参照。)

10  Encyclopedia of Consumer Brandsには、マールボロの項に以下のような一節があ るので引用する。

In 1962 Leo Burnett & Company purchased the publication rights to the Elmer Bernstein score, The Magnificent Seven. The theme was played over television and radio ads for Marlboro, featuring the now familiar Marlboro Man. Through incessant repetition, the “Marlboro Country” campaign established the theme so thoroughly with the brand that, even 20 years after it ceased, people still identify the theme with Marlboro.

Television advertising, which by the 1960s had become the most powerful advertising medium, was used to feature the Marlboro Man and his companion horse in artful panoramas of cattle-driving country. As the music played, the Marlboro Man was seen looking out over the land, or relaxing around a campfire, like a scene from the immensely popular show Gunsmoke (some people actually confused the two and their themes.) Imagery now was more important than mere words in advertising. In fact, the Marlboro Man never uttered a word. (Encyclopedia of Consumer Brands1: 357.)

11  やはりEncyclopedia of Consumer Brandsに、以下のような一節がある。

The imagery of the Marlboro Man, however, was so firmly established that it translated easily to billboard and print advertising. In fact, other advertisers were precluded from using cowboys because they were so closely associated with the Marlboro Man. (ibid.

1:357.)

12    都市文明人とマールボロ・マンとの比較に際しては、ロホフの下記分析が重要 な参考となる。これは、本文中に引用するラザフォードの分析と本質的に共通す る。

The Marlboro image represents escape, not from the responsibilities of civilization, but from its frustrations. Modern man wallows through encumbrances so tangled and sinuous, so entwined in the machinery of bureaucracies and institutions, that his usual reward is impotent desperation. He is ultimately responsible for nothing, unfulfilled in everything. Meanwhile, he jealously watches the Marlboro Man facing down challenging but intelligible tasks. He sees this denizon [sic] of the wilderness living as Thoreau would have: “deliberately ... front[ing] [sic] only the essential facts of life.” (Journal of Popular Culture448.)

13    マールボロ広告の成功がパッケージ・デザインにも因っていることは、しばし

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ば指摘される。上記Encyclopedia of Consumer Brandsには、パッケージ一新に際し、

レオ・バーネット社が何種類かの試作を用い、テキサス州で予備調査した結果、

現行のデザインが71パーセントの消費者に好まれたという事実が紹介されてい る。(Encyclopedia of Consumer Brands1: 356.)

また、従来のソフト・パッケージに代わる厚紙製の丈夫な箱("flip-top box")を最 初に導入したことも、新生マールボロの成功を助けた。以下のシュミットとシモ ンソンの指摘は、それを簡潔に説明する。

The original success of the Marlboro cigarette brand was due not only to its cowboy theme but also to the clever combination of primary attributes perceptions in the redesign of its cigarette package. Until 1955 [sic], Marlboro was an obscure niche brand for women. Then it was repositioned as the epitome of machismo, in major part by developing a rugged box with a flip-up top that changed the shape of the packaging.

(Marketing Aesthetics88.)

14    マールボロ・カントリーの舞台となった撮影地は、拙論「マールボロ広告の文 化的意味」中で指摘したモンタナ州以外にも、広告の長期展開に従って、テキサ ス、アイダホ、オクラホマ、コロラド等の複数州が選ばれた。ここに補足してお く。(Cf, Rutherford 40.)

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The Mythological Signs of Marlboro Advertisement

Hidehito GEMMA

Key words: myth, sign, discourse, identity, cultural symbol

In the modern consumer world where the market is flooded with numerous brands of products in every genre, each advertisement desperately tries to differentiate the specific product it promotes. If a certain brand attains a distinct image and is differentiated from the competing brands, the fact itself will be a good proof of the success of its advertisement's strategy.

Surveyed from this point of view, the Marlboro advertisement stands out as the greatest example of success in the twentieth century consumer market.

No other product, in any genre, has attained such a clear and consistent image of itself or such big sales continuously for a long period as Marlboro, whose success is chiefly due to the numerous repetition of the same message throughout the period.

The image formed by the repetition has expanded in time and space, and thus has constructed a myth with its absolute measures of value and aesthetics. The success of Marlboro as a product is nothing but the result of its advertisement’s success in mythification of its world – Marlboro Country. Marlboro advertisement satisfies all the necessary conditions

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required in mythification. First, as a system it has not only a centrifugal force but also a centripetal force which gives a basis to the rules and measures of a mythological world. Second, it has the comprehensiveness which subordinates the outside rules and measures to its own and thus encompasses the whole market within its system. Third, it has an icon, the Marlboro Man, who as a visible object fills up the vacuum hole at the center of the myth. Finally, by its numerous repetition of the incantation of same massage, it keeps on conjuring up the image of its world and makes the people re-cognize it.

According to the characteristics of printed advertisements, the discourse of Marlboro printed advertisement consists of three elements: copy by the written (English) language, visual image of photograph and illustration, and package design introduced or applied into the image. What makes Marlboro advertisement distinguished is that these elements do not only work complementarily but also highly include and translate one another. As a result, Marlboro advertisement forms a complicated network of metalanguage which constructs a flexible multi-level discourse.

The concept of Marlboro Country is completely depicted by the following copy in 1978:

This is a special place

where some do what others only dream about.

And life has a flavor all its own.

Come to where the flavor is...

Come to Marlboro Country.

Wherever men smoke for flavor, that's Marlboro Country.

Man, whoever he (or she) is, has a dream which he wishes to realize but he cannot. If there were some place where the dream could be realized, that

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must be a very "special" place. It is full of flavor of an idealized life, which is the hardest to be obtained for us who are made totally impotent by the materialism and bureaucracy of the modern urban life. Feeling jealous, we cannot help projecting ourselves onto the cowboy on the horse back. The advertisement has foreseen how our minds work, and by using double meanings of the word “flavor,” it can easily slide the gravity of the message onto the flavor of a cigarette, without marring the rich flavor of life.

The most important fact about the copy is, however, not a simple word- play but the fact that the centripetal force dominates the whole discourse.

The copy captures the reader with irresistible force from the start, and keeps him at the very center of the vortex to the last moment. The fact that it refers to nothing other than the Marlboro Country does not allow him to resist the force. The advertisement differentiates Marlboro from other brands, not by comparing the cigarette itself with other cigarettes but by comparing the Marlboro Country with other worlds.

The visual image operates in the inter-translation relationship with copy, rather than as its complement. It reinforces the discourse of the advertisement by providing a clear visual outline as well as multi- dimensional expanse and depth. Marlboro Country represents the Lost Utopia. Marlboro Man is the dignified solitary denizen of this ideal world.

As Bruce Lohof points out in his thesis, “The Higher Meaning of Marlboro Cigarettes,” he retains what the civilized urbanites have long lost, by doing the simple but rewarding tasks of the mountain ranch and paying respect to the severe and benevolent wilderness. He represents a complete sample of machismo, and again the reader (we) cannot suppress the desire to identify ourselves with him. The middle-distance picture of the Marlboro Man offers us a perfect garment to wear. His rough skin, the wrinkles of his face

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and hands, dramatically make parts of that garment. The fact that he never looks at us in the middle-distance shot allows us to wear him easily. In this attempt to identify ourselves with the Marlboro Man, we reproduce ourselves by participating in the operation of advertising.

The close-up of the Marlboro Man, on the other hand, creates the

“mirror-phase” as Judith Williamson defines in her book, Decoding Advertisements. Now he directly looks at us. Just as an infant integrates itself with the gestalt of its own image in the mirror to form its temporary identity because of the lack of the knowledge to distinguish its symbol from itself, so we unconsciously try to seek the complementary elements of our fragile identity in the clear-cut gestalt of the Marlboro Man. Although our attempt fails in the next moment and we have to face the wide gap between his confidence and our frustration, we cannot release ourselves from his eyes directed toward us. It is in that captive situation where we are forced to receive the repeated massage, “Come to where the flavor is. Come to Marlboro Country.”

The advertisement presents the wilderness as the space of the complete unity so as to render the characteristics of an idealized world to the Marlboro Country. There it combines the Four Elements (air, earth, water, and fire) in the perfect balance. Another important point is that the package design of the cigarette is cleverly introduced or applied into the landscape.

The crest pattern, which is unique to Marlboro, frequently appears in the foreground or background of the Marlboro Man, and thus reinforce the message of copy and picture, by a kind of subliminal way. In this case the landscape, being molded into the resemblance to the package design, is appropriated by the advertisement. We, the consumers, are tempted to decode the puzzle and thus get captured by its strategy.

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The image of the Marlboro cigarette created by its advertisement is, as Lohof points out, the cultural symbol which appeals to the collective imagination of the people. What sublimates a product into a symbol is the backing of the absolute authority of a myth. The components of the advertisement are mythological signs. They are the switch buttons of that huge fantasy machine as well as its components. By pushing it, we get caught in the ideology of the advertisement.

The real Marlboro cigarette does not guarantee the realization of dreams.

The Marlboro Man is “a symbol of irretrievable innocence” (Lohof) and a hero of a eternally lost dream. As the smoke is absorbed into the air, we, at a loss, can nothing but gaze the decayed but still charming guidepost which reads, “Come to where the flavor is. Come to Marlboro Country.”

参照

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