九州大学学術情報リポジトリ
Kyushu University Institutional Repository
スウェーデンの司法
萩原, 金美
https://doi.org/10.11501/3092849
出版情報:Kyushu University, 1993, 博士(法学), 論文博士 バージョン:
権利関係:
350
(必)〕己∞同円。\おOω
-H
∞・(叫)かれは円分が聞かれた裁判行腔の賛同者であることについて円己のωニ吋誌上の論文を引用する。この点については前掲注(初)参照。(江川)このμ論はあまり説得力があるとは思えない。現在では司法修刊は六月間弁投土事務所でできるし、また、弁護士となるために必要とされる弁設土尖務の試験的則聞は三年であるのに対して、司法修山内における裁判所の執務は沿い比二年半であるが、円以低は一年でも紀りるのである。期間の不均衡は大きな問地であり、それを是正しようとすれば、弁護士の試験執務は司法修習の六月プラス六月でよい、ということになるのではあるまいか。後述するカlレの所説を参照。(必)筆右はもとより木文のノベールの所論に全面的には賛同しえないが、わが国において退VAとくに元司法高官とよばれるような弁進士の、ときに拙劣ないし不当と川心われる弁護士活動を日見聞するとき、右の所論がそのような弁護士にとって教訓となりうるものを含んでいると考えざるをえない。(灯)」己ω開問。\∞。∞・5・かれはこの論文のなかでJコZmZE門ごC「EEコロ=(統合化された法曹歴
)と
いう 語を用いており、これがわが国の法曹一元に相当する表現であることは前述した(第W部恒頭の注(4)参照)。
(必 ) 」己印巴ハ?l∞ \ ∞CPE 1 5 ・(。)〉・白・凹・】印・(印)もっとも、裁判官協会のレミス立比古だけはインタヴュlの際、ヴィルヘルムソンから入手したものである。(日)例えば、調査会の委川について尋ねたところ、スパークは委μドッケラlドの職業(段業経常者)を記憶していなかった(第一章注(初〉参照)。(臼)前仰向拙稿「スウェーデンの弁護士制度」二三四頁以下参照。(臼)なお、第一章注(4)参照。(日)報告書の公表後は、弁護士、検作MI、執行官、県中央行政庁の法律家などから裁判官職への任命を申請する者が珍しくなくなっていることを、裁判行職推せん委以会の委此の立場から指摘するものとして、zrc・宅gR-F山口
(日)第三章注(犯)参照。 3UBロ門日g凹〈2rssr212{R272巾『O与印三宮ロE2・印〈]叶HU∞ω目・品C参照。 CUEZEE-白∞∞・
法W一元論の形成と展開 第W部
第三章
法曹一元論の展開
(その二)||第二の波||
四 一 一 裁判守養成教汗をめぐる論議 非正規の裁判官に閃する休職制度の改革 外圧的法曹一元論 位咽 罰間 前章の
結語において若干ふれたとおり、
一九 八0年代に入ってから開かれた裁判官歴および裁判官養成教育
をめぐ る論議が再燃しつつあり、
また一九八四年法務省
は、
各方面から
の反対を押し切って非正規の裁判官と
くに判事補
の
休職制度
に関するかなりドラスティ
ックな改革を行なった。
裁判官 歴なかんず
く裁判官養成教育制度
は、用論のレヴ ェルだけでなく、
現実のレヴェルにおいて大きく揺れ動いてレ
るのである
o木
章では
これらの動きに焦点を
あて
て考
察する。
裁判官養成教育をめぐる論議
351
キャリア 裁判官のあいだのみで行なわれたものである点に特徴がある。
論議はす べてω乙吋誌上でなされたが、
それを日時順に紹介してみる。
スカールステド(C円了HZLESZ
お
|高裁長官
裁判官養成教育をめぐる
論議は、
(1)
われわれが十分な養成教育を受け、
有能にして思慮分
352
別に白む裁判官肘を有することの必要性はほとんど白明のことと考えられる。
そしておそらくわれわれは、長らく多
少の例外を別にすればそのような裁判官同を有してきたということができよう。
このことがわが国において、裁判官
法的一元論の形成と展開
長成教育の問題がまれにしか問犯とされなかった型由かも知れな
い。しかし、長期間政府の併や立法関係委μ会で勤務した後裁判所に.反って来た者からみると、
裁判行養成教育の現状に対してはそれほど杭極的な評価を与え
ることができ」ない、というべきである。
私はいまや裁判官養成教育の内容に閃する意見の交換がなされるべき時期だ
と考える。主成教育の現状はどうなっているか?
そこにはどんな欠陥と弱点が存在するか?
現行システムの改善の可能性はありうるか?明日の養成教育はどうあるべきか?
これらの問題について論議を喚起する目的で筒、単に私見を述
第N部
べてみたい。
このように前ほきしてかれは、狭義の裁判官養成教育のみならず、
それに先行する法学教育および司法実務修習
に
ついても裁判官長成教育との閃述において取り上げ、
いわば三段階における裁判官養成教育の現状、
問題点の指摘そして改革案の提示を行なうのである。狭義の裁判官養成教育の現状に関する部分は、第E部とくにその第一章の内容と重復することを避け、ここでは省略する。かれは、現行の裁判官長成教育制度は基本的にはかなりよく機能しているとして、小国スウェーデンの限られた人的、経済的資源に鑑み、現行システムを維持すると共に、
これを改善して発展させてゆく途が正当だと考えている。
法学教育および司法尖務修科に論及する部分も、
mI部第一、三市の'日述との関係上、簡単にふれておくに
とどめる。(2) 法学教育について
現在の新しい法学教育制度は一九七/年(一九七七年が正しい||引用者注)から始まりまだ
日が浅いので、現時点でその成果を軽々に判断することはできないとしながらも、いくつかの問題点と改善策を提示する
。例
えば、刑法と訴訟法の履修期間が旧制度よりも著しく短縮されているのは問題であることを指摘し、法学教
育が可能なかぎり
裁判官長成教育の要請に適応できるよう
、法学部の履修課程委員会の構成;
に高裁の代友も加え
ら
れるべきこと、および法学教師は従来
よりも広範囲に高裁の
員外裁判官
として執務すること等々を
主張する。
(3) 司法実務修世について
一般的には旧制度よりもすぐ れているといえるが、
それにひき続く裁判官養成教育との関係では問題
を含んでいる。
とりわけ現行制度では従前
と
異なり修習庁が多元化
したため地裁における修習期間が短縮され
、その結果修宵生は裁判実務の某礎に
市中円熟する程度 司法実
務修習も現行制度は
一九七三年に始まったもので
、
が低下している。
司法実務修習は修
沼生にとって大学における理
論的学押の後始めての実務との接触であるから
、最
初に十分な個人的指導やアドヴアイスが必要である。
ところが、地裁の部
長判事その他の裁判官は
、大量の事件に追
われて多忙であるこ
となどの理巾からそれが十分になされていない。
このような状況は容認されて
はならない。
司法実務修押が不十分であればあるほど
、十日川裁および行 高裁および行政高裁における裁判官養成教育について 政高裁における判事補候補生および判事補の養成教育の重要性が増加することになるo
候補生の者成教育の最初の段
法曹一元論の展開(その2)
附の任務は、
異なる実務上の知識
・経験の背景をもっ候補生を
、できるかぎり候補
生としてふさわしい共通の水準に
まで高めることである。
高裁等における
養成教育も教育的観点からみてきわめて不十分であり
、裁判所と大学との協 同により養成教育にあたる例人的指導者等に適切な訓練が与
えられることが望
ましい。
裁判官hがこのよう
な仕事を引 き受けたときは、それを任命(昇進)こあたってメリットとして評価することも考店されるべきであろう。
第三TiE
ところで候補生の執務を通じては
、高
裁は候補生の口頭弁論(公判)を指間作する能力について知る可能性
をも
たな
い。
修習生当時の資料か
らもそれを椛尖に判断する
ことはできない
。そ
れゆえ、
判事補が地裁判事補としての執
務を
開始する前に、
下級裁の口頭弁論を
主宰でき、それに関し
て地裁および向裁の裁判官の助
一一一一ロと指導を受ける機
会が制 度的に設けられるべきであろう。
353
最後に、地裁判事補および高裁の口以外裁判
官としての執務
は独立的性格のものであるから
、この段階においてはも
354
ちろん例人的指導は抑制し、助言を与えたりする程度にとどめなければならない。なお、員外裁判官としての執務期間は、現在の最低九月でも短すぎるくらいであって、これを短縮しようとするような動きに対しては警戒すべきであ
法留一元論の形成と民間
ろう。以上の要約からも分るように、スカールステッドは、いわば教育的観点から合目的的、効率的な裁判官養成教育を論じているのであって、その見解は前二章で問題とされた開かれた裁判官陛とは直接に関わるものではないのである。かれは報告書の路,総とは別個に裁判官養成教育の問題を提起し、論じているわけで、この点に是非は別と要するに、
第H部
してその特色が認められる。
(4)
マIティンゲル(印〈g玄釦『己認可)||高裁判事補 (2)
マlティンゲルは一九七j年に法学部を卒業し、司法実
務修溜および基礎的裁判官長成教育を経験したばかりの若年の高
裁判事補である。かれはスカールステッドの分類と同様に広義の裁判官養成教育を三つの段階に分けて論ずるが、「わが国は良き裁判官養成教育を有するか」(【]
白吋i
gσ3号召白『EEE己ZFユユ一E忌)という標題は、むしろ「わが国はそもそも裁判官養成教育を有するか?」(巴号〈Fgιcヨ白E円ZED-a-ユユ]g忌)と改めるべきだと回目頭にいい、すべての
段階における裁判官養成教育の不備を激し
く札弾する。すなわち、法学教育については社会的志向、実務的配慮に欠けていること、司法実務修習についてはその在りょうが古色蒼然としたもので教育的観点が欠如していること、などを指摘し、若干の改善策を論ずる。その上で、
狭義の裁判官養成教育については次のように述べる。
候補生の時期は裁判官歴の階梯における最悪のものである。もちろん
、それは環境(どの裁判所、部で執務するかなど)と本人の気質・
性向によっても異なり一概にはいえない。いずれにせよ
、そこでは候補生自身の知識と有能さは決定的な意味をもたない。法的知識
の不足はかなり容易に戦術的配慮とデリカシーをもって補償されうるo
ある程度自説
を主張することは大切であるが、
一瞬
にしてそれを変えることが要求される。口頭報告の仕方
、そのテクニックが候 補生の運命を決定するといってよい。候補生の執務の醜悪な
面は、
それが全く雇用保障を欠く審者期間であ
ることと
結びついてい
る。年令的に二五
|三五歳の間にあり、
通常すでに家族をかかえている候補生が
、
一年足らずの後には 落第させられて失業する危険にさらされているのである。その代りに判事補に採
用されれば明るい将来が開け
ている。
ここ
に裁判官に対
する奴隷根性に似た有従が生ずることになるo
このような事態
は承認することができないし
、きれ
ではならない
。候補生のためになんらかの形
態の雇 用保障が与えられるべきで
あるo落第
させる代りに
、採用を慎重
にし、例えば書
面および 口頭の試験に加えて
、数度にわたる
面岐を一週間ぐらいにわたって行なっ
たらどうかo雇用 保障が与えられ
れば候補生の執務の成果はより
良く
なる ことが期
待される。こ
のようにして
、われわれは
、より良く 機能する裁判官層、
人間的な労働環境等を得ることが
できる
oそ
しておそらくこのことは、
わが民全社会
の原動力で より強い社会怠識をもっ裁判官を獲得する結果をもたらしうるであ
ろう。
ある変革のために開かれた、
法曹一元論の展開(その2)
右のようにマlテ
ィンゲルの
意見も、その最
後にいたって
開かれた裁判官歴
との関 連を示唆しているけ
れども、主一 批判を述べた
にす ぎず(そこには若干
の偏見と
とし
ては若い法曹の立場から現行の裁判官
養成教育制度に対する不満、
誇張があるように疑われるが)、報告書の延長線上
にあるものではな
い。それはそれとして、若年の現職判事補が代表的
法律雑誌の誌面で
、堂々と裁判官
養成教育の在り
方を批判できるス
ウェーデン司法部、
法曹界の明朗な民
主的風土に
は学ぶ
べきものがあると
いえよう(ちなみに
]己ω開討誌上にも若年の裁判官の司法部に対する批判的論説がしばしばみられる
)O
(5) ヨンソン(』gEggs)ll地裁所長判官 章一一一第 (3)
この問題はスカールステドおよびマiティソゲルによって論議
されたが、
問題の背後にあるのは
、良き養成教育により
良き政判汁
を得
ることができるはずだ
という考えである。そ
ーしてスカ355
ルステドは
、わ が国 はすでに良き
裁判官肘を有
していると
いう芯凡であり、
私はこれに同調
してもよいけ
356
れども、来して
裁判官周はこの国の法曹中のエリートで椛成されているのか?
弁護士および実業界が複雑な紛争の判断に関してわれわれ裁判官を十分には信頼していないことを示すいくつかの兆候
||
例えば
、ーー
が存在する。このことは、多くの若い法曹のなかでも最
も優秀な者が裁判官歴
を去り、とりわ
け弁護士に転じて 仲裁の利用の増大法曹一元論の形成と展開
いることを思うと決して不思議ではあるまい。
だからといって私は、
裁判官服が他の法曹カテゴリーよりも平均的にみて劣っているというつもりはない。
しかし裁判官周が法留中のある
べき
姿としてのエリートだとは考えにくい。その主要な原因はおそらく、われわれはあまりに多数の裁判官を有しており、その給与条件が劣悪だからである。もっと少数の裁判山円であってこそ、最も俺秀な法留
を
裁判官職に
誘引するに
足り
る給与と地位を与えるため
のリソース
が用意されるだろ
うか らである。私は多くの見地から る。こず信だと事要の必急緊がとる
め
努に展発のへ
向の方、
こみて
第N部
最
初になすべきことは、訴訟法
秩序を単純化し、裁判官が本
質的な問題に集中で
きるようにすることである。この ような改革に対しては、法
的保障がおびや
かされるという反対論がいつも聞こえてくるが、他の多くの文
明
諸国の司 法運営は比
較的少数の裁判官で足りており、それで法的保障が不十分だという声はあがっていないのである。 ところ
で、良き裁判官接成教育により、良き裁判官を得ることができるのか?肯定の符えが自明
のように
思われ るであろ
うが、私は果
してそうかど
うか疑問を提示したい。
私が良き裁判官に求め
る要件は、独立性、賢
明
、有
能そ して尖際的であることである。残
念ながら養成教育によって右のすべての要件を具備させることはできない。だがそれにもかかわらず、これら
の要件基準は裁判官養成教育こおいて大きなな
誌をもっ、つま
りわれ
われは養成教育が、上記の能力の開発を主阪とし、記憶力および
他人の考えを模
倣する能力に重点をおかないようそれを形成しうる。独立性に富み
、賢明
に忠応する修習生は、たん
に多くの判例を知っ
ているだけの者よりも良き裁判官になるのである
。これに関連して私は、有能ということばで、たん
に法規および理論を到の中に詰め
込ん
でいること
ではなくて、それ
以上に法規と理論を操作できる能力を意味して
いるのである。
法規や
理論は必要とれると
きに
調べれば
足りる
が、
その適別にはすぐれた資質が必要とされる。
させら
れ
る若い法前日
の多くは
大学の法学教育を批判し、その理巾として、大学で学ん
だこと
は修門生になって担 地とキ
張批す,
判のだがこ。
る誤っている。法学部は 裁での各程の裁判事務を適切に処刑川できる能力を与えなかった、
の任務は修押生を長成することにあるのではない。学生に若干の
某
礎知識を与え、かつ
謀本
的法原則および
勉強の仕 方を教えることである。 そ してこの教育は、学生が独立性に宮み、賢
明
で、かっ実際的になり、法学士試験に合格で
き
る
ように構
成されるべ
きである。
このようにしてわ
れわ
れは、良き裁判官になるため
の良き前提条
件をもっ
若い法曹
を得ることがで
きるのである。法学教育
に続く地裁における司法突務修朝日は
も
ちろんきわめて市要である。
しかし残念ながら、司法実務修習の実
態は必ずしもその前要性に適令していない。その主たる原肉は裁判官、修用什
生双方に時間が不足し
ている点にあるo
法曹一元論の展開(その2 )
加えて、
以上に列挙した良き裁判官円のための要件恭一準が修科生の執務成績を判断するにあたって必ずしも高度
に評価
されていないのは遺憾である。私は
。当るえ考で
一
部は っ と
ている向分修押生にこ、しての対11
多少、 ||
てもっ
伴に
れそ独立さ気
意生性がそ実てし テのィン ゲル マ!
論述る司法修習にす関に
ずもし必し同意ないが、かれの批の判 際的有能さを身につけるよう鼓舞する代りに、一部の裁判竹は、人当りのよい一言動と、簡単な問題こも複雑な法的衣 裳を若せるようなや
り方に何値を認め
ているように
忠わ
れる
。 さて、裁判官養成教育の主たる立任をれ
うのは日
苅だと
いわ
れており、それはおおむね正
当
では
あるが、地裁の執第三草
務か
ら
もっとより多くのものが終得できるはずだと
私は
考える。地球は
新しくなっ
たば
かりの裁判守が、円己の責任で裁判事務を行なう場である。かれば刑事訴訟事件の裁判
長および民事訴訟事件の準備手続をヤ宰す
る。折穏ないし
援助してくれる政判宵はおらず、かれは若干の不安を感じている。この場人口、かれにとっては修有生当時に許記官と
357
358
(6)
して関与した法廷等における裁判長の一言動が行為の指針となる。その裁判長がすぐれた手本ならおそらくスタートは良好である。が、それにもかかわらず、裁判官は裁判官歴のなかでいつしか、さまざまな忠癖、悪習を身につけてゆ法町一元論の形成と展開
くかも知れないのであって、それは弁護士によって抗議されるようになるまでには、すでにかなり肥大してしまって
(7)
いることであろう。
このような事態の展開は阻止されねば
ならず
、そのためには先荒裁判官は若い地裁判事補に対して、その裁判活動に関する適切なな日比、助言を与えて援助すべきである。もちろん、このことが若い判事補の裁判官としての独立性を佼百することがないよう留意しなければならないが||。もう一つの可能性としては、判事補が先読裁判官の事件処理を見学する機会が与えられるようにすることである。裁判官のなかには他にぬきんでて、刑事事件の審理が巧みで迅速にこれを行なう者、民事事件をすぐれて和解で解決できる能力を有する者がいる。このような裁判官の事件処理
mw部
に同席することはすこぶる有益なはずである。刑事事件における評議(参審員との協同)についても同様である。上述のような新旧裁判官相互の接触はもちろん多少の時間を必要とするが、決して不可能ではあるまい。しかもこのような接触は、われわれ古参者の側にとっても間違いなくきわめて有益であり、とくにわれわれは自分自身の裁判活動を熟考、反省する刺戟を与えられるであろう。
私の結論は、伝統的意味における裁判官養成教育の直接的な充実強化とはいえないにしても、裁判所の水準
を
高めるためには多くの為すべきことがある、ということである。大
学から素質ある人材が裁判所に入ってき、かれらが十分な教育を与えられ、そして裁判官陛のなかに保有されるならば、われわれは水準の高い裁判官肘を得ることができ
(8)
るので企める。ヨンソンの所説は、昌一頭の部分では少数のエリート裁判官制を主張し、聞かれた裁判官歴の方向への展開を予想さ
せたが、結川、現行シス
テムのなかにおける
論議にとどまっている。もっとも、
そここは傾聴すべき有益
な論点が盛
られており、検討に値すると考える。
いずれにせよ、
以上に紹介した三者の論議は、
すでに指摘し
たように報告書の延長線にあるものではない。
しかし、
やがて始まる裁判官歴および裁判官養成教育をめ ぐる地殻変動を予感した内部からの防衛木能の発現なの
かも知れない。ひき続いて、
この地殻変動の前兆と
目すべき このような論議が裁判官層のなかか
らいわば自生してきたことは、
かも分らぬこつの現象(ニおよび三)に注目することにしよう。
非正規の裁判官に関する休職制度の改革
第三立 法�'í-元論の展開(その2 )
法務省の裁判所M20ヨえorgroZコ)は一九八四年五月
、『裁判官歴の現状
お
(9) よ
び将来||通常裁判所および一般行政裁判所における裁判行歴の分析』
と題する党許を発表した。その背景には、裁判所以外
の公峨のために休職となる非正規の裁判官
の数が激射したという事実がある(このような休職は、古くから
(叩) (孔)
一般化していたことについてはすでにふれた)。党
書の要旨は次のようなものであった。
(→ 裁判官腔に関する法務特党書 裁判所外の職務のために休職となる非正規の裁判官の数は、最近
一 0
年間にほ
とんど
倍増した(二 二
四人か ら
四
一 一
人
へ )0
結果と
して来るべそのき 一0
には、裁判に入っ年間ら規のてか正官悦裁判官臓に任命され
るま
で の平均的期
山が
若しく長くなること
になろう。このような危似をいだかせるネガティ
ヴな方 向への展開は、
すでに日裁に
おける
359
日比外裁判官としての執務までの期間については現災化しつつある。
正規の裁判官と非正規の裁判官との聞の数に閃する合理的な配分比が保持されねばならない、
裁判所白休の需要に
360
基づかす、他の目的のために必援とされる非正規の裁判官の数は大幅に減少させるべきである。れのような日的のた
めの井正規の裁判ηの採川は、立法凶係委日会、政府各省および同会における立法関係事務ならびに特別裁判所にお
法的一元論の形成と展開
ける裁判官臓のみに制限すべきである。その他の行政部門では特段の児山がある場介にのみ裁判所法官が用いられるべきである。覚』は一つの必準として、
公臓のために休戦となる非正規の裁判官の数を半減することを捉柴す
る。そして判事加ではなく代理判事のみがそれに充てられるべきである。
公職のための休職の許.台の問題は、法務大臣を報告者とし、政府によりι事査・決定されるべきであるハ現在 は、判事怖についてはぺ法行政庁、代理判事については政府が決定)。 なお、
第W部
党書は、休職令(乙ロコ三の一色mzzzsEEコ向。コ〔52HZH)による他の公私の職務において試験的執務をするための短期間の休職については、なんらの改正も提案しない。判事補は今後、その任命以降刈裁または行政尚北において長期間執,Mし、もっぱら政判事務にたずさわり、全面的かつ充実した養成教育を受けることになる。
同
その提案する方式の効果は長期的視野に立って考えられている、(ロ)
レミ
ス段階における意見 という。
最後に、
党主は、
レミス意見は、最高裁、行政円以山川作品、げはは門院宗長官、検事総長および司法行政庁ならびに全部の高裁および行政高裁、すべての中央行政庁、捉宗と関わりのあるその他の行政機関および特別裁判所、 一部の地裁および行政地裁ならびに若干の利益団体(後述のとおり)等から提出された。各大学法学部、
↓寸・J"』0・~メーLJ/中央行政庁およびその他の行政機関の大部分ぼ党占の提案に各法学部は提案にω持論を述べた。特別裁判所およびこれに類する紛争処別委礼会の江口んには賛否両論が混在してい るo
円以高裁は、同裁判所の活動に閃するかぎり提案に反対する迎山はない、とする。行政最高裁は原則として提案に賛
成する
。法
務監祭長宵および司法行政庁は提案に肯定的意見を述べたが、検事総長は反対である。 高裁のな凡は一様でない。スヴェア高裁は捉案に反対であるが、
イョlタ(の宮山)高裁は捉案の基本方針になんら 異存がない。スコlネおよびブレーキンゲ高裁は原則として提案の実施に反対ではないが、その附置では不十分だと(日)指摘する。四郎スウェーデン山裁は非正規の裁判官の休服者数を制限することを承認する。両ノルラント高裁は原則
として旋楽に賛成である。
行政高裁は、イェンシェ!ビング行政高裁が提案は部分的には賛成できると答えたほかは、その余の三行政高裁とも提案に全く根木的に反対である。地裁についてはな凡を述べたもののうち、約半数が賛成で、約半数が批判的である。行政地裁は大多数が反対である。(凶)利益団体については次のとおりである。スウェーデン庫業組織連令会(ω〈ozmom-ロ含凶EEFE己)は提案に賛成する。∞〉のO訪日山およびJUSEKは提案に反対であるが、現行方式の枠内で判事怖の休職許停の審査にあたってより制限
法曹一元論の展開(その2 )
的な述川を導入すること、ならびに、高裁および行政高裁における判事
制の執 務を延長することについては反対しない。スウェーデン裁判官協会は、裁判守の裁判所外における執,拐の若干の減少が必然的であることは認めるが、提案をこのまま尖地することに対しては反対する。なお、党訟は閃かれた裁判官歴の基本路線から諦離しているとして新(日)たな裁判官制度調査会の設抗を求めている。
しかし大部分のレミス機凶は、党Hド一日が描く裁判官雌の展開に対する危恨の念にくみする。多くのレミス機関は||
一一�jニJ11叶
そのなかには捉系に批判的なものもあるll、現状をこのまま維持することはできず、一回の検討がなされるまでの
361
一時的な的問が講じられるべきだ、と考えている。党書に対する批判は、以下のように民約される。 同り、円 作
362
川λuJは、出批判V抵の芯引か
の川辺についてあまりにも附い民唱
を作りヒげているo外進の則間以外にも呪史性をも
っ一辿のファクターが存在するのであるo
そのようなものとして給与、
労働給付の性灯、
人主交流の可能性、
ぷ任の
法問一元u命の形成と脱IJfJ
大きさ、長成教育ないし
そのための執務の朋川小の転任の強制なら
びに右い裁判行にとっての社会的状況一般が挙げ
られるoさらに刈此および行政刈般における執務の延長は、所定的効果をもつであろうことが折摘されたoまた、
一辿の以川的川組すなわち、
裁判官の適格を有する者に対する行政の側の宵安、
そのことの行政権の行使に おける法的保附にとってのな義、および提案が行政機関に対して与える影響ならびに聞
かれ
た裁判官慌の必要性などの川辺も取り上げられた。
WW部
裁判官
出お
よびその誘引力に閃する川題は、い
てみる必要があるとさ
れ、
多方面から全面的な調査を行なうよう提議
された。そのよ
うな調査のための論拠
として、
レミス機関によれば、
党刀よりももっと広汎なパlスベクティヴにお 裁判官の負担過豆、
訴訟手続法調査会(品5包ロ何回己門『aEロ向。ロ)等の作業ll'それは裁判所制度および裁判官歴にとっ て重大な意義を有しうるーーによって生
じてい
る状況を検討することの必要性が挙げられた。
なお、弁護土会は党書一には調査としての著しい
欠陥があるとして党
書の提案に強硬に反対すると共に
、近年同会は
訴訟手続法による弁護士に対する懲戒監仔権の行使に関して
、その調査・
報告事務のために非正規の裁判官
を雇用し(日)
てい
る関係上、
捉山朱が実m仇すると重大な支障が生ずるので
、たとい提案が実胞されるとしても、
右の執務は特別裁判 所の執務と同祝してひき続き休職を認める扱
がい なされることを要望して
いるのが注目され (犯o 上以
のようにレミス機関の圧倒的な反対にもかかわらず政府は、党書の提案を
やや
緩
日党書の捉築の立法化
和された形にお
いて
ではあるが立法化することを決定するに
たい
った。理由香にお
いて法務大臣は次のように述べるo
まず、一九
七二年の裁判官制度調査会の報告
書『開かれた裁判官歴
』に対するレミス意見の結論的部 (的に言及し、私は
現行の裁判官養成教育および執務の枠内における可能なかぎり閲かれた裁判官肢の価値の実現に関する当時の法 務大臣の見解にくみすると言明した上で、次のようにい
う。しかし
同時に、覚書が述べるように、
多数の非正規の裁
判官が凶家行政の各部門にお
いて
執務している現状は危恨の念を惹起すると考えざるをえな
い。
この危倶の念の正当性は、大多数のレミス機関の意見によっても裏付けられて
いる
。法務省内部では現在、この問題の解決のためにより
長則的な枚討作業を行なうことを考服して
いる
。しかし私には、その結果を待つことにして、現状を放医すべきでな
いこ
とは自切だと考えられる
。な ぜなら現状のままでは、非正規の裁判官は同家行政における職務を行なうためにほ とんど無制限の休職を得る権利を有するからであるoそれが裁判官歴および裁判官の補給に与える影響にかんがみ、
現在すでになんらかの措置を講ずることは不可避的である。
それ ゆえ 政府は、私の報告に基づき
以下 のような関係する各種の裁判所規則等の改正を決定したoこの改正は一九
八五年一月一日から効力を生ずる。改正の内容は、雇用令(ロコ凹門巳一己コ宮ES丘三口ぬき〔58一gH〕)における自動的休職
に関する規定は裁判官には適用されないこと、公職および同家行政における類似の雇用のための休職の許否は、今後
法曹一元論の展開(その2 )
法務省の調査・報告に基づき政府により審査・決定されるべきことである。
休職令による試験的執務のための短期間の休職(六|一二月)の権利につ
いて
は、なんらの変更もな
い。こ
の休職
は従前と同様に司法行政庁により審査・決定される。
しかしながら私は、
レミス機関の批判から休職の問題の審査にあたって党書の提案よりも緩和した基準をとるよう
勧告された、との印象を受けて
いる
oレミスの結果はまた、
裁判所外の職務のなかには代理判事より
も判事補に適す
るものがあることを示している。したがって、裁判所外の公的職務は原則として代理判事によって担われるべきであ
第三章
るにしても、判事補をそのような職務から全く排除すべきではな
い。
新方式注、政府各省、
同会の委円以会または立法関係委日以会におけ
る立法関係事務についてはなんらの変史も意味し その他の国家行政の部門についてもその機関の特質にかんがみ、今後とも合理的な配胞がなされねばな
363
ない
。また、
364
らない。
一九/五年一月一円前に休職となっている判事補および代m判事は新
方式により影特を受けない
。(なお、将来は休 職の決定権が政府から適切な行政機関に授権される可能性があることを述べる。) 法門一元論の形成と展開
司法行政庁規則の一部改正(巴∞品川田∞)その他一連の裁判所規則の一部改正は同年二一月一一一一日に公布された。
法務大臣は理由昔日の目頭で、現行システムの枠内において可能なかぎり開かれた裁判官肢の価値の実現をはかる見
解にくみする旨述べているが、
判事補に対する公職のための休職制度の実質的廃止は、
それと全く矛罰するものと受
':'.'r= 1.
乙<0_ιlIJ
け取られてもやむを得ないものであった。なぜなら、右の凡解は要するに、閃かれた裁判竹肢の必要性ないし重要性を原則的に承認しながらも、それは現行システムの枠内においてとりわけ広範囲に裁判官が休職して裁判所外の公的職務に従事することにより達成できる、と主張するものだからである。判事補に対する公職のための休職制度の大幅な制限は、その論拠の重要部分を崩壊させてしまうことになるoかつて裁判行制度調査会の『聞かれた裁判官歴』の提案を否認した
JU
S(
EK
)や裁判官協会その他のレミス機関がほとんど一致して覚書の提案に対
す る のは当然の成行きというべきであった。しかるに政府はなぜ、レミス機関の圧倒的反対にもかかわらず改革を強行したのであろうか。
背反的事情の詳細に通じない者には十分に
理解しかねるが、しかし今回の改革は、立法関係事務のための休職を除外していること、党古においても裁判所外で公職に従事する非正規の裁判官数の半減を狙っているにすぎず、しかもこの基準は法務大国によればさらに緩和されること、さらに裁判所外で執務する裁判官の数の減少はこれまで(ω)
長年の懸案でもあったこと、
などを合わせ考えると、
今回の改革を目してドラスティックな強行的改革と断ずのは当
らないともいえよう。
ともかく、以上は内部からの改革であるが、実はこれとは別に、裁判官歴の改革を求める戸が主として外部からも
(却)
台顧しつつあった。
本章の最後に、
この外部の動きを眺めることにしたい。
外圧的法曹二克論
一九八四年一二月一四日、(忽)ンスカ
・ダlグプラlデット(ω〈g∞Eロ由民σ一足立)紙上
に、(幻)批判する一文を寄せたことに端を発する。 (幻)
(〉コ号円印回」ひ『門γ)がスヴェ 開かれた裁判官肢に関する新しい論議は、同会議員ピョルク
最高裁および行政最高裁の裁判官人事の在り方について その結果、主として弁設士会の機関誌「弁護士」
(〉?oEZコ)誌上において閃かれた裁判官歴の問題が活発に論議 されるにいたった。のレミス当時
にくらべる
と、弁諮土肘のこの川題に対
する 態度にはしかも『閃かれた裁判官M山』
かなりの変化がみられるように窺われる。同誌に現われた論説等でこの問題に関わるものを取りあげる。以下、
法曹一元論の展開(その2 )
組(1)ト)と する
rîfITJ
説を 寄せ てし、
る。 その内容はおそらく前記の新聞への寄稿と同様と思われるが、
次にそれを簡単に紹介す
ピ 『
ヨ ヲ?Ht.:
/レ ,'-'''-
ク2Lt 号'=lレc.
上(J)
圭P、
説
「われわれは新しい裁判官歴を必要とする」
の一九八五年三月号にビョルクはその後、戸弁護士』
る。かれは
一七 年間におよぶ国会議員とくにそのうち一二年間は芯法委日会
(}内Oロ∞己門戸』門戸Oロm己門間ro門店円)
の委員としての経
験にかんがみ、ス
ウ ェー デンにおける思しき'V僚制の幣告が全面的かつ急以に進行し、
いまや何人は公権力に対して
第三章
また、
広汎な枠組規定の
濫川が市民の法的保仰の脅威となっ
ていることを指摘した上、次のよ悦…β化している市災、
365
市民の
権利を凶器する最後のとりでであるべき最尚決および行政最高ぶの判事
〔お)
の山いよに約半数が政府各取引で執務した法官(形式的には必判古)
から
任命されているのは山々し
い問題である。任命に際 うこいう。」のような状況のなかで、
366
してなんらかの約束があったか何かは、大した問題ではない。そんなものは裁判に影響しないと私は信ずる。だが問
組なのは、長年政府部内で執務してきた者は無な識的に、立法の背後に存在する政治的立凶に忠誠を示したり、従前
の執筋環民が裁判官としての法適用に浸透して影響を与える危険がありはしないか、ということである。政府部内で
法山一元"命の形成と民1m
例えば一五年間も政治権力のもとで執務を続けてきた者は、裁判所制度および中央政府部門以外の世界との現実的援
触はほとんど欠けていると疑うべきである。
われわれは裁判官任命に関する全面的な論議を必要とする。それは現行システムは政治権力からの独立の要請を充
足しうるか低か、という点から出発すべきである。この問題は最高裁および行政最高裁の判事のみでなく||それが
第三部
現在とくに注目されるけれども||、すべての裁判官の任命人事について論議されるべきである。
同係に重要なことは、各種のランクの裁判官たちはいかにして社会に関する知見の獲得、換言すれば官僚制とその
働き方および個人の公的機関に対する劣位の不断の用大に関して知ることができるか、を検討することである。弁護
土胞は後台の点について穴重な知識・経験を有していると思われるから、将来においては弁護士が各種のレベルの裁
その活川をはかるべきである。そのためには官僚法曹でない者のための任命時における業判官職に就くことにより、
総評価制度の確立および給与問題の解決が必要である。
スウェーデン社会には「すべてのスウェーデンの制度はつねに最上のもの」という誤れる通念が支配しているが、
私は設近九年来のヨーロッパ議会の議員としての経験にかんがみ
、そ
の真実性を強く疑わざるをえないのである。(お)ルlネ||高裁部長判事
(2)
ルlネは自分が熟知している通常裁判所の問題に限定し、とくに刑事司法の運営
を前面に出して論ずる。かれはまず、現行の閉ざされた裁判官歴を概観した上、ついでその長所と短所とを列挙する。
長所としては、
裁判官は職務における客観性および廉潔性のような徳を身につけてお
り、かつ適用されるべき法規
に忠実で、長年その職歴にある者は職業経験に富むこと、裁判官肘が同質的になり、その結果法適用の統一性が増進
されることが挙げられる。
他方、重要な短所として、次の三点が折摘される。
第一は、
あまりにも多くの裁判官があまりにも長期間
、版業人としても人間としても十分に成熟する以前に、他の
人々の豆大な事件を法判する、
ということである。
かれらは長いあいだいわば徒弟として裁判するのだ。
このような
システムは、
有能で賢明な裁判官の裁判を求める市民の史山に適作せず
、法文化的行悶の-証明にほかならない。
第二は、あまりにも多く
の裁判げがあまりにも長期間
、
非正規の政判汁臓に円かれると
いうことである。かれらは
正規の政判官に昇進してゆく過程の中にあるのであっ
て、
上司や他の者が向分の執務についてどう判断するか
を顧慮
すべきあまりにも強い理由を有している。と
くに特別裁判所ではそれが械皮にまで述してい
る。このことは表而には
現わ
れないとしても裁判官の独立した裁判活動にとっ
て危険である。
この危険性は人生経験に常む人なら誰に
でも分
一つは服従ということである。
これは一般に官僚
を
法曹一元論の展開(その2 )
ることである。それに関連して二つの憂出すべき問題が生ずる。
装飾する特性であるが、
裁判官にとっては法
への服従を別にすれば必要のないものである。
もう一つは、ミスを犯す
ことへのおそれであり、これはしばしば正
しい裁判をすることの附
生けとなる。
われわれのシステムは
、人間的弱点お
よびそれと基本的な法的保昨と
の関述こついて無知ないし無関心なのであ
る。
第三は、すべての裁判官が長い行僚陛を歩むことに伴う弊市ぃ円である。すなわち、
かれは一般公衆との密接な接触か ら切断され、権利の保護を求める公衆の実態に対する到解力が不十分になってしまうだけでなく、その経歴はかれの
なかに
国家権力および国家的利益との同一化という心的態度を醸成
する。この最後の点がまさに最近における裁判官
第三fj't
歴に関する論議の引金となった問題なのである
。 われわれは、民判宵のこ、その官僚的環民して検察官距離とのの近 さが、無怠識担に証拠を検察官の有利に判断する傾向などを助長させる危険
があることを過小評価してはならな
い。
この危険は世人やマスコミの日を惹く大事件よりも政判所の日常を満たすルlティンの群小事件においてより大きい
367
といえよう。
368
さらに加えて、立法凶係いやMに淀川肌を示した裁判Vは、法文の不明確または欠陥を、ときには明らかに法文自体に
法�ll一元;12の形成と展開
反して放消しようとする傾きがある。
」れは制定法の法文に対する英同の此判行のきびしし態度とは対照的である。
上記の長所と短所とを比較衡止することは、裁判所にとってよりも市民にとって一回重大な関心事である
。裁
判官
インテ〆リテイ
(同)がその純一性、独立性をきびしく保持しようと努めていることは、少なくともむ識の支店レヴェルにおい
ては
事尖である。しかし問題は、一般公衆とくに現実の・あるいは必定される同家的利捻と両立しない口己の権利の保護を裁判所に対して求める市民が、国家権力との関係における裁判官の地位をどのように理解するか、そして新聞・テ
部N部
レビはどうみるかということなのである。
訴訟とは本来、相手方と一緒に裁判所に行く、すなわち相手方を裁判所の前に引き出すこ
とで
ある
から
事件名は「:::
b か
(50L)訴訟事件」とよばれるのが正しい。ところが、新聞・テレビは例外なく「被告人に
介や か
(EC訴訟V件」(傍点は原文ではイタリック、以ド同じ)と友到する。このことは枇人をして検察官と裁判官が一体となって被告人と戦っているかのようなイメージを形成させるのに役立つ。事実、そのような事態は、折界のどこかでかつては存在したし、現に存在するのだから。「被告人に対する弁論」という言い方も同様である。法的には裁判所は当事者双方の問の事件について弁論を聞くのである。「被告人に対する判決」という言い方はもっと問題で
ある
。有罪判決が被行人に不利益だという立味でそうaa--uうのならば、無非判決は「検察官に対する判決」であるはず。だが、われわれはそうは一二日わない。上記のようなぷ現は、新聞、テレビだけでなく、裁判官の間でもますます用いられるようになって
き
ている(法
文の中 に す
ら に「: ::
対する 事件」
という
表現が 現われる
にいたっ
ている
)。もう一つ不快な言葉の使用例を挙げよう。それは検察官がほとんどつねに「われわれ」という話を使うことである。例えばこういう。「そんなたくらみをしても無駄ですよ、ヨハンソン計。われわれは計が手にナイフを持っていた事実
を知っているのだ!」(裁判所は知らないし、
また予め知つてはならないのだ、
ということに冊立せよ。)この「われわれ」と いう語は被告人や公衆に、
裁判官と検察官が一体の、
被告人に対する抑圧機構であるかのような印象を与えてしま
う。
この場合は「依以者(被告人)と私」という合意であること
が弁護人も「われわれ」という訴を使うことがあるが、
容易に理解される。
だが、
検察官の用いる「われわれ」は刑事司法の迎仰上重大な弊害を伴うのであ
る。以上は決し
てたんなる言葉の問題ではなく、
木質的な問題に関わることに問なすべきであろう。
以上の
よう な考・祭を踏まえて私は
、市民として、
また裁判官として
、有能かつ賢明で、内面
的にはもちろん外観上も
独立性を有する司法運
営が十分に行なわれるよ
うにするためこ、次のようなヴィジョン
が検討されることを
望みたい。
基本的な裁判官養成教育は
、大学の法学教育を終え
た後、やはり司法実務修習
と同裁における判事補
としての執務
ということになる。しかし、
高裁および最市裁において他人に代って弁論をするためにはそれ以とのもの
が要求され
よう。
最高裁事務川における執務(現在の上告調査官の執務)が裁判官慌の通常の一環となるべきであろ
う。
法官一元論の展開(その2)
高裁においては非正規の裁判官は裁判所の構成品とされるべ
きではない。
この梢成品のすべては(おそらく長守口を例
外として)同格とするo構成員たる
高裁の裁判官は有能さを基準として任命され
、法判長の職務は任命の順序に従つ て行なうものとする。
さて、弁護士と検察官
は統合されて刑事訴訟追行
人(己主33去32)の附肘
を形成するものとす
(
ヤ
その活動の 芯盤は全国の公私の弁護士事務所であるが、公共弁護士事務所主必要な場合には経
過措託として元検察官でもって強
化できよう。
これらの弁護士H
刑事訴訟追行人は英国にみられるように検察官および弁護Jの服務
を交互に行なうも
第三平
のとする。
倹山ハ小官の現花の服務は刑事訴訟に限
られないが
、訴法と関係のない
ものは持 祭に委譲する
ことができよう
o刊
事訴
訟追行人 になるのを欲
しない枚祭官は各
粧のランクの件族長に転じることとし、
それによって特祭は強化され
、委設
369
370
された峨務を処理しうる十分な能力を備えるはずである。
(お)また、一行察
記録は一訴訟記録のなかに編入されることを
祭ずべきである。このことは最近、正当にも訴訟手続法調査(泊)会が提案したところでもあるo件察記録
は裁判上の利用価値がと
ぼしいにもかかわらず、心理的には裁判官に大きな
法rV一元論の}fjt)):.と民間
引一日必を与えうるからである。
将来の裁判官の大部分は、右の刑事訴訟追行人の階居から任命されるべきであ
る。しかし地裁の裁判官につい
ては、司法修出および判事補候補生の長成教育を終了した者から直ちに補充してもよい。すなわち、現在の裁判官歴も部分的には存続 することにする。もっとも
、このコ!スをとる若年の裁判官の地位は、
できるかぎり明確に限定され
た権
�HI部
以を有する正規の峨と
することが望ましい。
かれらの中の有能な者は、
完全な権限をもっ正規の地裁判事お
よび上級
裁の判事に任命されるべ
きである。また、
法学者も現状より以上に裁判官職に就くよう誘引されるべ
きであるo任命人事は、合目的的な構成等
を有する裁判官職推せん委民会が運営
し、
上級裁の判事の任命に
ついては委員会の提案する
名簿の中から任命するよう、
政府は拘束を受け
るものとする。このように
して報償的任命(政府部門で長年立
法凶係事務にたずさわり、すぐれた業績
を示した者を上級裁判官
職に任命すること)を可能なかぎり防ぐことができるo私は、立法関係事務において業続をあげた法曹から裁判官を任命することを排除し
ようとするものではな
いけれども、そのような者が裁
判官同の最上層部を圧倒的に占める現状は正
しくないと思うoなぜなら、
たしかに良き立法作業はわが
国の誇るべき伝統に属するが、司法運蛍およびそ
れにおける裁判官の経験は
、市民にとって立法作業およびそれにお
ける経験よりも根本的に重要なものだからである。
なお、司法行政庁は現在の裁判所の上級行政官
庁的地位から裁判所制度の中
心的事務局へと改組され、例えば最高(ω)
裁の首席判事および長官会議により運営されるべきである。
最後に、外国においては、
任官すれば収入が激減するにもかかわらずすぐれた弁護士を裁判官職に誘引することに
成功しており、
市民の信煩を得る裁判官層の形成が
実
現されているこ
とを指摘しておきたい。
ルlネの所説は、
刑事訴訟に重点を附いており
、また、
ヴィジョンの部分はすこふるドラスティックな改革案の提
キャリア裁判官制 言であるところから
、その実現可能性
については大いに疑問の
余
地があるかも知れない。しかし
、
の
短所を折摘する筒
所など、生涯を職業裁
判廿として過ごしてきた者の休験に
発する
一六葉だけに
、職
業裁
判官
にと
り
国境を担えて傾聴に値するものを合んでいるというべきである。かなり詳細に紹介をこころみたゆえんであ
る。
他方、『弁護士』
編集部は
、
弁護士会職域委員会(
ヨrgL仏)と協同し
て、裁判
官任命問題に関するアンケート調査を行なった。被調衣者の数などはよ
く分らないが、
同誌一九八式年
一月
(幻)
号に六人の回答が掲
載
されている(後述のとおりほとんどは
、アンケートへの問符というよりもむしろ論説と
いうべきもので
、
(斗
『弁護士』誌のアンケート調査の結果
もとも
と こ
の
六 人
の
み に 回
答を
求 め た
のかも知れない)。
質 問は
七 項 目から成る次のようなものであった。
法曹一元論の展開(その2)
裁判官任命人事はどのような目標を充足すべきか?
任命される者は、
どのような特性を備えるべきか?
現在の裁判官は、効率
的で法的保附を備えた裁判
活動のために要求される
、今日
の社会生活に関す
る広汎な法
的知識と経験を有しているか?
裁判官任命に関する英国式モデルは、
t日中一一一第
わが国の裁判所制度にとって役立つか?
今日、
社会の中心権力に対する不
当な考泌によって、裁判竹の純一性および独 らびにかれがその職務の
遂行上影明日を受ける危
険が存花するか
?
(存十代すると
すれば、それは何に由来するのか、そして、 それはいかにして避けることができるか?)
四 五
性がおびやかされる危険
、な
371
ー」ー・ノ
下級裁判所の裁判げと上級裁判所のそれとの川、
または大都市の裁判行と地方のそれとの問に差異が存花する
372
カフ・ 七、なぜ
多数の裁判官が裁判官歴を去るのか
?
法曹一元論の形成と民間
六人の凶答者のうち、
一人だけはアンケートの項目ごとに符えているが、他の者はそうしないで論説調で問題を一括して論じており、その内容も概してかなりの長文である。以下、開かれた裁判官僚に関する部分に重点を置いて紹介する。
(1) ヘイルポlン(orzロ巴505)||弁護士会副会長
かれは項目ごとに答えた唯一人である。
第N部
一について。
法の適用ーl判例ーーを社会および個人にとって信頼しうるものにすることである。
二について。
広い意味における法に関する現実的かつ生新な知識。
たんなる法律(学)的知識だけでは十分
でないと企業、個人
のあいだでいかに働いているかを
理解すべきである。考える。裁判官は法律(学)が公的機関、三について。残念ながら多くの裁判官は重要な社会関係の現実、例えば企業の実態についてほとんど知識を有しないと考える。
裁判官はその方面の実務家および仲裁人から多くのことを吸収することが有益であろう。
四について。
英国の裁判官任命制度は部分的にはわが国のモデルになると考える。
私は、
弁護士と裁判官との聞の人
事交流の価値を強く信ずる。(MM) 五について。私はルlネ高裁部長判事がスウェンスカ・ダ!グプラlデット紙への寄稿
において適切に答えていると思
(お)ぅ。
任命人事における柔軟性は裁判官の独立性の減少の傾向を防止するであろ
う。
誰も他者が向分について受ける印
象をどうしょうもないし、
また自分は客観的だと十分な正
当性をもって宅張することもできない。客観性の保障は、多様な印象と経験とが存在し、それらが相互に衡泣きれうる、ということである。六について。
質問のような差異が存在するとは忠われない。
じについて。
答えは、『開かれた裁判官歴』(ωOCHSTS)および現在問題化している『裁判官歴の現状および将
来』
と泌する党書に
対する弁護士会の各レミス立見
書のなかにあるo
私は
、裁判官(府)がもっと合理的な額の給与
を得
るというだけでなく、
裁判官歴がもっと各職域との聞の人事交流のために閃かれるほうがよいと思
う。
ω
ェlドルンド(ロaEEえ)
私はビョルク議日以の見解に左担するo
いまや裁判官任命というこの霊要な問題 について熟考し、論議すべき時であるoというのは、かつては現行システムを適切に機能させてきた要因が今日にい
たり、
同時にそれを崩壊させる種子をも包含しているのかも知れないことを示す兆候が存在するからである。
往時はーーといってもそれほど以前の
ことではないが||現行
システムは立法作業にとっても、裁判官の質的向上
にとってもプラスの方向に作用すると考えられてい
たo
わが国の
立法||例えば私法および刑法||は国際的にみ
て
また有能な法曹によってその中心的作業が担われるという田でもユニークなものとして特徴づ
けられた。
手続面でも、
第三章 法曹一元論の展開(その2 )
政治家は尊敬の念をもって法曹の意見を傾聴した。立法の歩みは概して緩慢であったけれども、その水準は高かった。
そして良き立法は、
その 副産物としてすぐれた法曹||多方面か
らの批判的検討を受けることを通じて整然
たる法文を書きうる能力を身につけたーを生み出したのである。ところ
が現在の立法は粗製濫造の作業であり
、しかも事態は日増しに悪化しつつあると結論せざるをえない。これ はある程度まではやむを得ぬことだ。現代社会は多数
の立法とそれの急激な社会関係の変化への対応を要求する
から
である。-R-e、‘、 ふれ・刀
新憲法を始め近時の立法は、
対立する利益への十分な顧慮なしに市民の権利とくに経済的権利の領域に限界
を超えて踏み込んで来ており、その立法作業において法曹は、
政治家の浅い応に発する社会改革の要請の実現にかなり
373
無原則的に協力しているのである。
」のような状況のなかで立法作業の口は低下し、
誇るべきレミスの手続もしばし ば形骸化している。
以上が過一十一一口だとしても、
」のままではその方向ヘ進行し
ていくといってよい。