チャガの子ども観について
アフリカ民衆教育史研究ノート(1)
柿 沼 秀 雄 まえがき
現代日本における子ども(そしておとな)の生活のありさまと身心の危機状 況は,たしかに社会の根底において人間が崩壊している事態を示すものであろ う。この人間の崩壊は教育意識のうえでは,育つ一育てるという社会的営みを 枠組として子どもやおとなを捉える見方の喪失や,子どもを人間にする,ある
いは子どもが人間になるという視角からの問題自覚や文化意識の死滅を内にも って現象している,とみることができるのではないか。それはすでに崩壊感覚 をすら超えてしまっているとさえ言いうるのかもしれない。
こうした状況はもちろん日本に限られるわけではない。現代アフリカの多く のところでも社会の近代化と教育の「学校化」という大波に洗われて,人間と 子どもが崩壊させられて行く現実が生まれてきている。ゴー・ディマのようにア
フリカはまだ「言葉が信じられている世界」(『現代アフリカの文学』)だと言 うにしても,それは言葉が信じられなくなっているもうひとつの世界が,近代 化や学校と結びついてアフリカに出現していることを前提にして言われている,
と見なけれぽなるまい。
言葉が信じられていない世界とはまがいもなく近代世界の謂であり,それは 人間を崩壊させる事態を生じさせるに至っている世界のことである。あらため
てその捉え直しが迫られているのも当然であろう。もっともそれは,即反近代 とか伝統への回帰などといった方向への転換を意味してはいない。そうではな
く,人間を人間にする文化の固有性や本源性をどのように現代に復権させ,再 構築できるかといった問題なのである。
本稿はアフリカ民衆教育史,ないしはアフリカ民衆の教育意識史とでもいう
べき研究のための一覚え書きにすぎないが,私はアフリカ民衆教育史研究とい
うものを,上のような視角からの仕事と考えている。ここではその基礎作業の ひとつとして,チャガ族の子ども観を,子どもをあらわす言葉や習俗儀礼を手 掛りにして探ってみたいと思う。
以下の叙述は・0・F・ロp−一ムのrチャガの子ども時代』(初版1940年,Oxford)
と・同じく「チャガ語に見る教育心理学」(Bantu Studies vo1.13.1939年)
のふたつの文献に依拠している。ロ 一一ムは習俗儀礼で使われる個々の象徴を厳 密に取り上げて儀礼そのものが表象する人間化への意味基底を詳らかに問うて いるわけではなく,親と子の世代関係の変遷を叙述することに力点を置いてお り,その研究に依るだけではトー・タルな形で子ども観を捉えにくい面がある。
言葉についても必らずしもその原意に遡及しているわけではない。そのために 多々ある不明部分は,今後の調査や研究で埋めていかなけれぽならない。
そしてロームの論文や著書の発表年からわかるように,かれが取扱っている のは1940年以前の時代である。したがって本稿でいう子ども観も,窺在あでは
なく,いわぽ前代の子ども観である。
なおロームの論文・著書の該当箇所をいちいち示すことは繁雑になるため,
一切しないことにする。
一,子どもの成長過程を示す言葉
「チャガ語に見る教育心理学」は,チャガ語のなかに子どもをあらわす言葉 を探って,生物学的画期や社会的地位階梯の切れ目,人生の危機などといった要 素を考慮しながら,子どもの成長過程の概要を提示した論文である。この論文と rチャガの子ども時代』とを参照しながら,子どもが誕生してから一人前の大人 になり,結婚するまでの成長段階と特徴を整理し直してみると次のようになる。
i) ムナング期
誕生から乳歯が生えるまで。ほぼ生後6ケ月ぐらいまでの嬰児の段階で あり,不完全なるものを意味するムナングmunanguの呼称が当てられる。
歯や名前のない生き物を指すマツマmatumaの部類に属し,人間集団の一
員として認められてはいない。したがって人間社会への加入を予定されて
はいるが,いまだ曖昧で不完全な存在であるムナングを,人間の社会に仲
間入りさせるための,さまざまな儀礼に満ちた時期である。
ii) ムコク期
生歯が確認されてから2才ぐらいまでの子どもで,ムコクmukokuと 呼ばれる。母親の膝を占領するものという意味である。生歯とともに命名 式もすませており,個人名を持つ人格としての生存権を確認されている。
ムコクが膝を占領するものという意味であるとはいっても,這ったり,歩 けるようになる時期を含んでいる。
iii) ムワナ期
2才ぐらいから4才ぐらいまで。この時期の子どもはムワナmwana(1)
と呼ぼれる。2才ぐらいになるとそろそろ弟や妹が生まれる頃であり,個 人差や氏族差にもよるが,およそのところ離乳を終えている。言葉も増え 行動範囲も広がって,この時期の子どもは親や隣近所の人々にとって,手 のやける厄介な存在と考えられている。仕付けが重要な意味をもつととも に,家事労働への参加が求められる。そして男の子はこの段階の終り頃に なると,母親や妹と一緒に寝ることに恥ずかしさを覚えるようになるもの とされ,弟妹と同じ家事労働に携わることに抵抗を示すようになる。それ は,次の段階のマナカmanakaになることへの憧れを,周囲の人々が育 くんでやっていることの結果でもある。
iv) マナカ期
4才頃からイニシエーショソの行われる15才ぐらいまでの,いわば少年 期に当たり,マナカmanaka(2)と呼ばれる段階の子どもである。この時期 にはイニシエーションへ向けて子どもを社会・経済的に自立させるための 労働と知識の教育(3)がなされると同時に,儀礼上では耳朶への穴あけや抜 歯が行われる。少年の場合には山羊や羊の番,牛飼いなど牧童としての仕 事が始まり,ビール・パーティへの同席も一応許されるが,社会的にはガ キisekaであり,大人の話しに口をはさむことは絶対に許されない。
他面,遊びを中心とした子ども固有の社会が形成され,その自立性が発
揮されるという独特の時期でもある。家族や種族の社会的宗教的規制から
自由に振舞iって,家へも帰らず各地をうろつきまわる少年たちも出現する。
そうした少年たちの集団は群れisumbaと呼ばれ,その成員がイセカでも ある。男女の区別もはっきりさせられるとともに,異性への関心が高まる 時期である。
V) ムレウ・モノワカ期
15才ぐらいから結婚まで。男の場合はムレウmleu(若者),女はモノワカ monOwaka(娘)と呼ばれる。通過儀礼の極点であるイニシエーションに ょって,子どもという曖昧な存在を断ち切り,一人前の男や女,あるいは戦 士Kiruru(4)として再生した存在である。かれらは新しい年齢組rikaを形 成し,年長制秩序による種族の政治社会体系のなかに組み込まれていく。
vi) ムソロ・ムカ其月
結婚以後の段階で,人間の成長過程における理想状態とされる。男の場 合にはムソロmsoro,その妻はムカmkaと呼ぼれる。それに対し結婚 しない男の地位はムレウのままであり,未婚女性の場合にはロキャrokya と称される。さらにまた妻が第1子を出産すると,新しい社会的地位を示 すマリュィmalyiと尊称され,第2子出産以後はヌヵnkaと称される
ようになる。
以上6つのそれぞれの時期を表現する言葉は,vi)のムソロやムカといった 言葉のほかは,ほぼ子どもの社会的成長の過程に即して,それぞれの時期の子
どもを一般的・包括的に表示するものである。ただし,ムナング,ムコク,ム ワナ,マナカ,ムレウ,モノワカの言葉は,現在使われているような心理学主 義的傾きの強い意味での「発達」段階と,単純に対応させて捉えるわけにはい かない。そこには,発想や人間観・子ども観についての本質的な差違があると 考えられるからである。「人間である」ことと「人間になる」こと,あるいは
「子どもである」ことと「子どもになる」こととの本質的な思考方法の違いと 言ったらよいだろうか。
チャガ族の言葉に貫かれている思考からすれぽ,子どもは(あるいは人間は)
もともと人間として生まれ出てくるのではない。人間ではないものとして人間
の社会に生まれでてくる存在だからこそ,さまざまな手立てを講じて人間にし
ていく,あるいは人間になっていくべき存在である。ムナングとは非人間を意
味しており,ムレウとモノワカが男や女として人間になった存在である。ムコ クやムワナやマナカは,いわば人間ではないものとしての子どもとでも言うべ き存在なのである。
二,子どもをあらわす言葉
人間ではないものとしての子どもという表現は一種の形容矛盾であるかのよ うに見える。しかし,ムナングとムレウ,モノワカとの間に挾まれた中間的存 在,いいかえれば人間になる可能性を備えているが未だ人間ならざる存在,そ れが子どもなのだという捉え方は,形容矛盾でもなければ、奇を衝った表現で もない。子どもというものを,平板に,形式的・抽象的な概念で捉えるのでは なく,矛盾した存在と捉える子ども認識の仕方なのである。したがってそれは,
人間を非人間化し物象化する文化ではなく,人間を人間化する文化の存在を予 定し,その必要を強く意識した子ども観である。
チャガ族にかぎらず,社会的・文化的移行を儀礼化してきたアフリカ(ある いはその他多くの)社会では,ことにイニシエt−・一ションをはっきり制度化して
いる場合には,それを通過しない者は一人前の人間として認められず,決して 人間になることができなかった。そこに人間になることの問題に対する根深い 文化意識の原初的な基本形式を見ることができる。
少なくともこうした人間化のための文化は,つねに質的に規定された,有機 的で非合理な統一性として,現われてくる。育つ一育てるという側面からいさ さか構造的な捉え方をしてみるならば,この統一性を破って部分要素に解体し,
人間の形成過程を合理化して別の教育過程として総括するところに、近代の子 ども概念は成立している。それは,合理化の原理による疎外された抽象物とし ての子どもである。そうした近代の意味での子どもなるものは,チャガ族の言 葉のなかには明らかに存在していなかった。
子どもをあらわす言葉は,つねに具体的で表現的である。
チャガ語の西部方言のなかから子どもをあらわす言葉を拾い出してみると,
ウケレukele,キピラkibilaまたはイベレibele,キドラkidola,ケンダナ
シkendanasi,キドロkidoro,イルソグirungu,イシャンパishamba,イ
コンパikomba,ウロインゴニuloing oni,マセヵmasekaなどがある。ま た中部・東部方言で,それらと意味の重複しない言葉だけをいくつか拾ってみ ると,イチョヴィラitshovila,ンデンテウーラndentewura,ソダヵndaka,
ムスンパmusumbaなどがあげられる。
ウケレとは,ケロケロと鳴くカエルの表象から来た言葉であり,キピラ,イ ベレもまたすぐに泣き叫ぶものという意味をあらわしている。一番年下の子ど
もを指すキドロは,小鳩を表わす言葉であり,かわいいものの象徴であろう。
ケンダナシは這いまわるもの,キドロ,イルングは,それぞれ乳離れしたもの,
よちよち歩くものを意味している。いずれも子どもの動きや特色を形容した言 葉である。イチョヴィラもまた,高い高いとか肩ぐるまをしてやる習慣に照し て,揺り動かされるものという意味の,同質の言葉である。
そのほかに加入儀礼と結びついた表現がある。イコンバは,耳朶に穴をあけ ていない状態を示し,ンダカは逆に耳に穴をあけた少年を指す言葉である。イ
シャンバは,山羊や牛飼いの仕事をまかされているものを意味し,ソデンテウ ーラは,永久歯が生えた子どもを意味している。
また軽蔑すべき子どもの状態を表現する言葉もある。割礼前の子どもたちを 一般的に侮蔑する言葉がマセカであり,鶏冠の伸びていない若鳥を意味するの がウロイソゴニである。それぞれガキとか,ヒヨッ子とでも訳すべき言葉であ
る。
ムスンバという言葉はいささかニュアソスを異にしており,割礼前の子ども たちが群れをなして歩きまわる姿をとらえて,そうした子ども集団を群れと表 現したものである。
こうした子どもをあらわす多様な言葉の存在は,人間ではないものとしての
子どもという児童観,あるいは抽象化され,空間化されてしまった子どもなる
ものが欠如していることに対応していると考えられる。子どもをあらわす言葉
の多様さは,そのまま子どもへの関心の強さを示しているであろう。人間では
ないものとしての子どもという児童観もまた,子どもに対する関心が薄い社会
からは生じ難い。そうした子どもへの関心は,つねに人間はどのようにして人
間になりうるのかという,基本的な問いと直結しているのである。
三,子育ての儀礼と習俗
人間ではないものとして誕生してくる子どもを,チャガ族はどのような具体 的手立てによって人間にしていくのであろうか。その手だてを儀礼を中心にし ながら『チャガの子ども時代』から拾い出しておくことにしたい。
〈ムナソグ期の儀礼〉
子どもはまず,夫の母が統括する女たちの世界に誕生してくる。かの女は取 り上げた赤ん坊の胎脂を除き,産水をつかわせると,その子をバナナの葉に包 む。子どもはかの女の手から親族やその他の女たちの手へ,序列に従って渡さ れていく。誕生した子どもは,そのようにして,まず産屋に集った女たち一人 ひとりに紹介され迎えられる。それが済むと食い初めである(5)。
焼いてミルクとバターに浸したバナナを,夫の母が赤ん坊に食べさせる。口 を開かせるための,ユリ科の植物ドラセナや,寄生虫除けのための球根類とい
った幾種類かの呪薬が一緒に与えられる。その昔,この産飯を食べない赤ん坊 は,放置して死ぬにまかせたというから,これは育てる子か育てない子かが決
まる,いわば子どもの生存の承認にかかわる儀礼なのである。
母乳が出てくると,夫の母がしばらくの間吸乳し,その後にいくつかの儀礼 が続く。まず赤ん坊の顔に母乳が吹きつけられる。次に母親がその乳房に水を 吐きかける。最後に1口の牛乳が赤ん坊に与えられる。この儀礼手続きを踏ん だ後に,子どもは初めて吸乳することができる。この儀礼が何を象徴するもの か明瞭ではないが,ロームは子どもを家族の一員として育てることの承認を示 すものだと説明している。たしかに母親と赤ん坊が公式に出合い,親交を結ぶ のはこの場面が初めてであり,産後雌牛の初乳以外子どもが飲むことを禁じら れる貴重な牛乳を与えられるという事実は,産飯とつながって,家族の一員と して育てることを承認する,家族への加入儀礼の最初の段階と見ることはでき る。だがまだ完全に家族への加入が承認されてはいない。
生後4日目に,妻方の家族との友交的関係を取り結ぶ儀礼が行われる。この
日妻方の家族は,子どもの誕生を正式に知らされる。子どもが健やかで幸わせ
に育つよう祈りを唱えるなか,諸霊に対する供犠として一頭の家畜カミ屠られる。
その家畜の皮からリングを切り取り,それを父は指に,母と子は手首につける。
皮のリングは妬み深い霊たちの災いから身を守る魔除けの意味をもっている。
屠られた家畜の肉の一部は,ドラセナの葉に包んで妻の父に贈られる。このド テセナの葉は平和と友好の意図を象徴している。そしてこの日赤ん坊の世話と 家事仕事を,一時的に夫の母から妻の母に交替する。こうして子どもは妻方の 家族との親密な関係に入る。2〜3ケ月後には妻の兄弟がはじめて妹を儀礼訪 問する。帰宅後かれは,一頭の家畜を屠り,妹への肉の贈物と同時に額の皮の 部分からとったいくつかの指輪を赤ん坊に送る。これもまた平和と友好のしる
しである。(子どもとこの伯(叔)父との特別な関係については後述する。)
一週間後,子どもの夫方家族への正式加入を確認する儀礼が行われる。これ は,子どもに体現されている父方の身体的特徴の確i認と,家族が食べる食物の 聖なる共有の儀礼とから成っている。身体的特徴(耳,顎,手足,爪,手相,額 の毛の生え方)の確認を行うのは,祖父母と祖父の兄弟であり,祖父によって 子どもは父方の親族に正式に加入したことを認められる。祖父は,子どもを空
(子孫を見守る沈黙の観察者としての祖霊)に差し上げることによって,子ど もを祖先の保護の下に置くことを表現する。そして噛んだバナナを孫の口に移 し入れてやることで,子どもと家族の聖なる食物を共有する。
こうして女たちの世界に生まれ落ちた子どもは,産飯によって生存を承認さ れ,授乳以降の諸儀礼を通じて父方と母方の家族集団にまず加入していくので ある。そして母が産後の物忌みにある間,子どもは他者の邪悪な目と言葉に暴 されないように,家のなかに保護される。
地域社会に子どもを公表するのは,約3ケ月後,母親の物忌みが解けて,は じめて市揚へ出かけた時である。このとき彼女は,かつての妻から子どもの母 としての新しい社会的ステータスであるマリユイへ移行する。
約6ケ月後,子どもに歯が生えると生歯の儀礼が催される。その際,生歯の 事実を,親たちに儀礼にのっとって公表するのは子守りである(6)。
生歯儀礼は,農事暦に合わせて適切な時期に,祖母と母親を主役にして行わ
れる。祖母は=子どもの歯をこする、、特別の草を持参し,乳歯が生え揃うよう
に祈願すると同時に,産婆役としての報酬を求める文句を唱えながら,その草
で子どもの歯茎を撫でる。他方子どもの母親は,子どもの出産の場面をリアル に演じる。この儀礼は子どもの第2の誕生を告げる神話的ドラマなのである。
それは歯や名前のないものとしてのムナソグなる存在の終焉と,人間になりゆ くものとしての子どもという新しい存在の誕生を意味する,死と再生の儀礼に ほかならない。子どもはこの儀礼によって人間の世界に加入させられ,はじめ て名前を持つことのできる具体的な存在となる。
〈子どもの命名と腕輪の儀礼〉
生涯に渡って親が使う子どもの名前の付け方は2通りある。その1は祖先に 連なる祖父の名に因む方法,その2は出生時の情況に因む方法である。
出生時の情況に因む名前を持つ子どもは,少女の名前がそうであるから数の 上ではかなり多い。情況に因む名前の場合,なぜその名前がついたかというこ
とは,偶然に支配される清況次第なのだから,親たちにしかわからぬこともあ る。しかも父母が一致して子どもに同一・の名前を付けるとは限らない。父母と もに子どもを「雨」とか「雨降」りとか呼んでいるとすれば,その子は雨の日 に生まれたということで,これなどはわかりやすい。しかし産後の肥立ちが悪
くて,母の物忌み期間にとても金がかかったりすれば,父はその子に「シリン ギ(shilingiは貨幣単位であるが,ここでは物入りという意味になる)」と名 付ける一方,母はまた母で「ソデランキワ(私はひどい目に遭わされた)」と 名付けたりもするわけである。アフリカ人の名前はそれぞれにすべて意味をも っているわけであるが,こうした情況に因む名付け方には儀礼の伴いようがな いo
儀礼を伴う命名は,祖先に因む方法を採る場合でもある。ほぼ長男と次男の 場合がそれに当たると考えてよいが,その名付け方にはひとつの規則がある。
父方の祖父の名前は長男に,母方の祖父の名前は次男にというのがその規則で あり,3男以下にこの方法をとるときは,他の祖先に因んだ名前が付けられる。
まず儀礼上の名付け親になるのは誰かといえぽ,それは子守りである。子守
りは,授乳時に,教えられた筋書きに従って母親に子どもを手渡しながら言う
一「さあ,お母さん,ムワソギを受け取って。」(7)母は驚いて尋ねる一「いつこ
の子に名前が付いたの?」子守りは答える一「この子は長い間,名付けてくれ
るのを待っていたにちがいない。」母親は喜色満面,子どもの幸せを祈るとと もに,祖父ムワソゴの祝福を受けながら,子どもを受けとる。生歯儀礼のとき と同様,命名においても子守りが重要な役割を担うのは,子守りが霊たちの世 界を前にした子どもの守護者だからである。
命名式の日取りは友人や親族には知らせてある。かれらは祝物を持って集っ てくる。男たちは小さな森に集まり,そこで供犠の牛が屠られて,子どもがそ の名を引きつぐことになった祖先に祈りを捧げる。女たちは小屋で祝いの膳に つき,それがすむとステップを踏んで庭へ出てくる。女たちと子どもの父の間 で名訊きの行事が始っていくのだ。
こうして子どもは祖先の祝福と名訊きの行事による固有な人格の社会的承認 をうけて,人間の社会に迎え入れられるのである。この命名式の間,子どもの 指には魔除けの皮のリングがはめられている。
人間の社会に子どもを迎え入れる手立てはもうひとつある。腕輪の儀礼がそ れである。このときの腕輪は,命名式のときにする指輪とは,その意味がまっ たくちがう。
供犠用の牛が祖先にささげられると,儀礼の指導者は2本の角の間に唾を吐 き(祝福の象徴),子どもを守ってくれるよう祈願する。捧げられた牛の額か ら2本のリングを切り取り,1本は祖父の手で子どもの手首にはめられる。祖 父は祈る一「私はジャコ・一ネコがお前に噛みつかないように,ジャコーネコか
らお前を引きとろう……」祖父は更なる子宝の恵みを祈りながら,もう1本の リングを母の腕につけてやる。
ジャコーネコは祖先たちの使者であるといわれる。だからジャコーネコから 子どもを引き取ることは,祖先たちの世界から人間の世界に子どもを引き取る 行為を象徴的に表現するものとなる。だがそれは祖先たちとの結びつきを断つ という意味ではない。子どもが人間の世界に引き取られることは,完全な人間 としての資格を得ることであり,これによって子どもは生者と死者に新たに結 び直されるのである。
〈耳朶の穴あけと抜歯の儀礼>
4〜6才ぐらいになると,子どもたちの耳朶に穴があけられる。この儀礼は,
子どもが少年期に移行する社会的意味を持つと考えられる。
儀礼の指導者は祖父であり,穴あけを執行する儀礼助手の役は父が果す。祖 父は子どもの耳朶に鋭く尖った棒を当て,この子が同じ儀礼をその孫に施すこ とができるように,守り育てて欲しい,と祖先たちに祈る。子どもの右耳に穴 があけられると,子どもは祖先に対する供犠として捧げられた家畜の肉の一部 を祖母に贈りとどける。それに対して祖母は,子どもを誉め讃え,こうした贈 物が毎年子どもの手で届けられるように,この子を守ってほしい,と祖先に呼 びかける。それから祖父母は,自分たちのもっている宗教的な力について子ど
もに教え諭すのである。
参加者(この儀式には父の兄弟たちと隣近所の人々が招かれる)への肉の分 配が終る頃,子どもの左耳は母の兄弟の手で穴をあけてもらう必要のあること が想起され,今度は母の兄弟のもとで同様の儀式が執り行なわれる。その場で
も母方の伯(叔)父のもっている呪術的な能力について教え諭される。左耳に穴 をあけてもらい,分け前の肉をもらって親の家へ帰ってくると,子どもは親か
ら次のように諭される一「今日,お前は伯(叔)父さんから偉大さを授けてもら ってきたのだから,しっかりしなけれぽいけないよ。もう弟や妹を虐めたり,
兄さんに悪態をついてはいけないんだ。」これからは幼児期の我ままは通用し ないという自覚に立って行動するように,子どもを促すのである。幼児から少 年への移行を促すこと,それがこの儀礼の習俗としての教育上の意味である。
ところでこの儀礼で顕著なのは,左耳の穴あけは母方の伯(叔)父が行わなけ ればならないという事実に示される,この伯(叔)父と子どもとの特別な関係で ある。母の兄弟は妹の妊娠と子どもの誕生および成長にとって,重要な宗教上 の意味の担い手であり,子どもの生命を司どる者としての地位を,父親から継 承している。いわばかれに代表される母系親族は,父系の支配する世俗的社会 関係とバラソスがとれるように,「左側の先祖たち」という形で宗教儀礼上の 優位性を付与されているのである。夫婦が小屋を建てるときの儀礼助手に妻の 兄弟をたてるのも,子どもが病気になったときにかれの執り成しで治癒儀礼を 行うのも,そこに根拠がある。
子どもの生命と成長に対する母の兄弟の支配度の高さは,逆にその子どもに
対し,生涯にわたる援助をもi義務づけている。子どもに対する母方の親族のや さしさや心のこもった世話,左耳の穴あけやイニシエt−一・・ションにおける儀礼助
手の役割等の諸事実は,そうした子どもと母の兄弟との特別な関係によって支 えられているのである。
子どもの歯が永久歯に生え代わると,12才ぐらいで下の門歯2本を専門家に 抜いてもらう。抜歯がすむと,子どもは儀礼的に祖父に唾を吐き,抜いた2本 の歯を小屋の屋根に投げて言う一「この初めての収獲物を,私はあなたに捧げ ます。」あなたとは直接にはヤモリのことであり,歯はそれが呑み込むものと 信じられている。歯の処理の仕方は乳歯の場合でも同じで,やはり屋根の上に 放り上げる。もっとも乳歯のときに2本の下の門歯を投げ上げるのは祖母の権 利である。そのときの祈りの言葉はこうである一「ヤモリよ!おじいさんとお ぽあさんに祈っておくれ,真白い新しい歯を,びっしりときれいに並んだ歯を 生やしてくれますように。願わくは大空なんじと私の子どもの生命の永からん ことと,なんじの長老たちに加護あらんことを。」いずれの祈りにおいても,
ヤモリが祈願の対象物になっている。チャガ族は,ヤモリを初代先祖の霊が宿 った存在と見ているのであり,ヤモリを通じて祖先との結びつきを強調するの
である。
抜歯の遅い少年少女は「ハイエナみたいな歯をしている」と嘲笑される。抜 歯はある種の経済的自立と,今までよりも広い社会関係へ入ることを含意する サインなのであり,割礼への準備として欠かせない儀礼なのである。少年たち は唾をとばす遊びを好むが,この遊びの際にも抜歯してあることが大切な要素 である。だが唾をとばすことは遊びに本来の意味があるわけではない。チャガ 族の宗教儀礼にはつねにと言えるほど唾を吐く行為がともなっている。唾は豊 饒と繁栄,健康や幸福を表わし,祝福の欠かせない手段なのである。唾を満足 に吐けるということは,成人としてさまざまな宗教儀礼に関わるときの必須条 件と考えられるから,抜歯は吐唾と結びついた儀礼とみられよう。祖父に儀礼 上唾を吐くという行為はそれを表示するものであろう。成人式がもう間近に迫
っているのである。
こうしていくつかの子どもの儀礼を拾い出してみると,それらはいつも祖先
とのつながりにおいて,執り行われていることがわかる。しかもそれらの儀礼 はほとんどが祖父母の媒介によって行われている。子どもと祖父母との関係は 実に密接であり,父母はその関係の媒介役として図式化することさえできる。
この子どもと祖父母の関係を明示するものに,離乳後の子どもを祖父母が引き 取る慣行がある。
子どもの離乳期は,父の所属する氏族の慣習の違いによって一概には特定で きない。早けれぽ1才未満,遅けれぽ3才ということもある。だが離乳期の早 遅にかかわらず,離乳した子どもは祖父母によって一度は引き取られるのであ
る。
この慣習は,ひとつには経済的・法的調整の意味をもっている。通常第1子 は,若夫婦が家を建てるに際してなされた援助や,産後の禁忌期間に子どもの 母親に与えた特別食等に対する返礼として,夫方の祖父がその子の引き渡しを 求めてくる。第2子を要求するのは妻方の祖父母であり,この子は婚資の支払 いが完了するまでの人質と考えられるむきもあって「母方の家族の子ども」と 呼ばれる。第1子が女で第2子が男の場合,夫方の祖父は慣習法に反して第2 子の方を要求するのだが,いつれにせよ,こうした子ども引き取りの慣習の根 底には,若夫婦に対する祖父母の援助の気持が働いていることは確かであろう。
もちろん逆に親の立場からすると,子どもたちに祖父母のために働いてもらう,
という見方もあるが,それは子どもたちが結婚するまで祖父母の下で暮らすの ならその意味も了解できなくはない。しかし子どもを引き取っている期間は,
1〜2年,あるいは山羊の番ができるようになるまで,あるいは結婚するまで と区々であるところを見ると,むしろ一種の子育ての習俗と考えるのが適切で
あろう。
孫たちを預っている間,祖父母は,親族の連帯,両親への従順な態度,祖先 たちへの崇拝の念,弟や妹たちに果たすべき義務等を,祖母は夜の炉端の昔語
りのなかで,祖父は牧草地へ連れて行きながら,子どもに教え諭す。そうした 教えは,家族や親族のレベルに留らず,種族の規範全体の話題にまで及ぶ。祖 父母の家での暮らしは,子どもにとっては何よりも教育の場としての意味を持
っているのである。
しかしながらこの慣習には,宗教的基盤に支えられた,重要な別の意昧が伴 っている。子どもの名付け方にも示されるように,祖父母と孫の関係は,祖霊 や生ける死者たちの系譜において宗教的に結ばれている。概して長男・長女は 夫方の祖父母の名に因み,次男・次女は妻方の祖父母の名に因む。この慣行は 廃れてしまい,古い昔にも厳密に守られたわけではないようであるが,祖先や 生ける死者の再生としての意味がそこに込められていたことはわかる。
それはもともと死者と生者についてのアフリカ的思考,つまり「出生,成人,
成人式,婚因,老年,死,死者の世界への加入,最後に祖霊たちの仲間入りが 一連のリズム」(J.S.ムビティ『アフリカの宗教と哲学』P.26)をなす祖先信 仰における,死者と生者の相互依存関係の形成・再構成という脈絡のなかで捉
えられるべき問題である。その関係においては,祖父母は死者にもっとも近い 存在であるがゆえに,祖霊への媒介者であり,かれらの媒介なしに,子どもは 人間一生のリズムのなかに入ることができない。それが事の一面であるとすれ ぽ,もうひとつの面は,祖父母自身の一生のリズムにおける死後状態への危惧
と関連する。死者は生者による供犠や供物を媒介としてはじめて生者とともに 生きることができるのである。そうした人間一生のリズムをどう生きるかとい
う問題が,チャガ族のなかでは,1代おきの世代間の緊密な関係を示す慣習の 形で解決されてきたと考えられる。祖父母による孫の引き取りと子育ては,そ のようなアフリカ的思考と人間観を背骨とするシステムなのである。
たしかに少年期における牧畜や農業,およびそれとも結びついた博物学とも いうべき知識の教育は親の手で行われるし,遊び集団のなかでもさまざまなこ とが学ぼれる。しかしそうして身につけた知識や技術だけでは決して人間にな ることはできない。人聞になり,人間として生きるとは,先のさまざまな段階 をなす一連のリズムを生きることである。その意味で儀礼的人間としての知者 のレベルこそ,子どもが子どもでなくなる境界であり,そこにもまたアフリカ における子ども観のひとつの相を見ることができるのである。
《註》
(1)幼児infantを指す言葉と説明してあるだけで, P ・一ムはなぜムワナと呼ばれるの
かという点について立ち入っていない。ムワナという言葉は,ニヤソジャ語にもスワ
ビリ語にもキクユ語にもあって,いずれも特定の年齢段階に限定されず,社会的な包括 的概念としての子どもを指している。ただし楠原彰氏によると,キクユ語では 泣き 叫ぶもの というのが原義とされている(「アフリカの教育は今」,解放教育,1980年 9月号)。その解釈はチャガ語の場合にも妥当する可能性がある。というのはrチャ ガの子ども時代』のなかに,弟妹が生まれたのちに,その兄ないし姉となる子どもは,
赤ん坊である弟妹を子どもの意味で表現する場合に,ムワナを用いることが記されて いるからである。そこでは泣き叫ぶもの=赤ん坊の表象とムワナという言語記号が結 びついている可能性が強い。
(2)このmanakaおよび次の段階の若者,娘を意味するmleu・monowakaについても・
その原義には言及されていないため,不明である。
(3)少年が牧童としての仕事をするようになるのは7才頃である。まず子山羊や羊の番 から始まって,それが完全にこなせるようになると,牛飼いの仕事へ進む。この牧童 としてのカリキュラムは屠殺をもって完了する。7〜8才頃はちょうど男女の育て方 に区別が生じる時期であり,少年は父親に付いて,少女は母親に付いてさまざまな仕 事や知識を身に着けていく。少年の場合に農業教育が始まるのは12才頃になる。植物 の名前と種類を覚えるところから,クワで土を耕やす訓練,バナナの植え付け,バナ ナの種類と用途,土質の見分け方,灌概の仕方というように段階を追って,15才頃ま で続く。ちなみに植物の種に関する教育は,儀礼との密接な結びつきがあることから,
イニシエーショソにおける知育のなかでも最も入念なもののひとつになっている。
少女の場合に農業教育は,母親との関係が密接であるために,ずっと早く始まる。
すでに植物名や種類に関する知識は4〜5才から身につき始めている。別に女の仕事 として市場での商売があり,母親は少女を一緒につれていって,荷物の運び方とか商 売の仕方を教え込んでいく。
(4)rチャガの子ども時代』のなかでは,ムソロmsoroを戦士と説明している箇所があ るが,用法がはっきりしない。ここでは中・東部方言で,その昔,戦争や襲撃に動員 されるために結婚しない若者期の戦士を意味したKiruruの用語を用いておく。
⑤ 出産にかかわる産育習俗は実に豊富であり,それは結婚と同時に始っている。それ らのほとんどについてここでは記すことができないので,参考程度に膀の緒の切り方 と処理についてだけ例示しておくことにしたい。
結婚したときに豊饒の象徴として2本のバナナが植えられる。膀の緒を切るときに 使うのはこのバナナの靱皮である。男の子の膀の緒をしばるのに使われるのは,極上 バナナであるムチャレ種の靱皮であり,女の子の場合にはそれより品位の低いムラロ ェ種が用いられる。膀の緒は通常女の子の場合にはバナナの木の下に,男の子の場合 にはヤム芋の木の下に埋められるが,乾燥させて粉にし,ポリッジのなかに入れて祖 母が食べるという呪術的処理の仕方もある。
(6)赤ん坊に子守りがつけられるのは,母親が産後の物忌み期間を過ぎて,社会活動へ
復帰する頃である。古くは12〜16才ぐらいの少女で,父の姪か近所の者がその任に当
ったといわれる。