日本社会の再生論
一複合的全体改編のプログラム図式一
高 橋和 宏
臼]展望
新保守主義、グローバリゼーションが世界を席巻し欧米も行き詰まりを見せ るなか一その一端を担わざるをえない政界(舵切り不安)と金融資本主義に 一層傾く経済界(仕事不安)、そのもとで疲弊する生活者と地域社会(生活不 安)、じり貧一方の教育界(次代不安)、といった日本における窮迫の全体現 況を実感するとき一この国もまた市場飽和以降の重ね重ねの錯誤の更新で、
ついに自らを重傷どころか、絶命に追い込みかねない事態に到ったと思う。で もまだ表情はなぜか明るい。笑死態でなければ、反転資源の埋蔵を見越してい るのか。
たしかに、モノ作り日本とか、ボランティアの輩出とか、多彩な事実の示教 はあるが、果たして実際は、それら個々の現況打開力が誇示に値する事実か、
≧
多くは確信をもてないでいる。むしろ不安のなかで直視するのは、個々の大い なる知恵と善意が新産や安心などの創発へと複合化されず、したがって弾む機 会が訪れないどころか、却って意思に反し卑小化しかねない社会の全体現況に 対してであり、そして慨嘆するのは、複合化のための全体構想への戦略転換の 不在に対してなのである。
ではこの窮状についてミクロ個人・マクロ社会という社会学観点から展望し てゆこう。個々人の合理的努力が、世界趨勢と連動せざるをえない日本という 全体現況に対峙し、それへの黙従でなくその再編試行のなかで、自己禁欲的な 相互調整に従い実質化されれば、それらは無残に霧散することはあるまい。社 会全域において、現況を克服して結実するかもしれない。
詳述しよう。全体構想と全体調整のためのメタフレームと、そこで必要な誠
実な施策の案出を、篤志を抱く個々人が自らに期待するのは容易でない。たと えば端的に囚人のジレンマゲームの場合、ルールが歪んでいると分かったとき に変更してくれる権威者の内部調達はありえない。植民地の自治志向はあって も、拘束されている容疑者の自治志向はありえないのだ。またコンサートの場 合、全体を調整しつつタクトを振ってくれる指揮者の内部調達は可能だが楽で ない。全体調整の誠実な担い手が始めから外存在なのは理想だ。が、そうでな いから内存在から外存在への跳躍に期待するだろう。そこで、何らかの組替え 取引の媒介を前提とするゆえに無矛盾ではないが正当な、半外立(ミクロ内部 だがマクロ外部との両方に通じるメゾ周辺部)という立場として、複合的な組 替え取引の積極的試行が構想される。
すなわち、包容戦略に立つ特定ミクロ主体が世界に定位する日本というマク ロ社会を先取りし自己を含むメゾ集合体一と、ゆくゆくはそれらの連結体一 を協同かつ自前で定立しつつ、ミクロ主体群とマクロ社会との関係に対する改 編を半外立において試行する。世界体制に伍して主張すべく、最少限の安定生 活の持続できる体制を国内のマクロ社会のなかに挿げて構築してゆく、という のである。それをセイフティベース(SB)体制と呼びたい。それは、後述の 原社会的一体感の醸成を究極的に目指すが、国家からの福祉給付やいわゆる ベーシックインカムに依存するものではない。
繁栄の淡い火照りと残映がごく一部にしか感じられなくなった今、国難に際 し、清貧の思想を体現した選良、人物たちも多くは去りつつある今、彼らの意 思を継ぐ人々が一既得権の優先的固定化に走りがちな、いわば我がまま猫た ちによる強大な俗化の風潮に対して一為すべきこともせず傍観へと退いてし まうならば、また多くの善意の市民たちが俗化に対する疑念を社会観の再構築 へと転化ないし帰依できないならば、歴史は大きく変わるだろう。むろん民主 主義の窒息に向かって、である。
具体的な説明にうつろう。我がままな猫には暴れ回らないよう警世の鈴を着
けるべきだという真っ当な良策が取り纏められたとしても一実際は、無自覚
な立ち位置から叫ばれた強引な単調無比の「良策」が多いなか一では誰が着
けるのか。熱い善意を冷たく錬った全体構想に突き動される改編者は誰か。マ
クロ社会の全体現況を打開するための全体構想イノベーション過程での主体構 築の問題を社会学用語に依拠しつつ解くことで答えたいと思う。
すなわち、やがて社会構造を深く組替えて改編すべく構想を重ねる情熱市民 たち、そして自ら生み出して担う自前の起動メニュー、それが従来の多彩な支 援メニューと複合連携しながら、篤志の人々をさらに掘り起こして動員しつつ 普及してゆく形姿、そういう改編複合過程が全体構想イノベーションだ。終わ
りを始めに替えるイノベーションである。
つぎに設定すべき具体的課題は、構想の推進に近い情熱市民たち自らも巻き 込まれている格差拡大、中間層縮小化の状況をいかにして超脱するか(「市民 結集」の課題)、である。同時に逆に、かかる構想を良導するはずの選良たち が、近来のその変節からいかにして超脱するか(「選良転成」の課題)、が上 記課題と組み合すべき課題である。そして構想自体の提起が課題である。
ではまず、二つの課題への応答として、聞き取りデータを寄せ集め加工して 作った二つの物語を紹介する。寓意を汲み取ってもらいたい。この二つの紹介 順は「選良転成」が先で「市民結集」が後になる。それから一つの具体的な全 体改編構想を提起したい。
「市民結集」用の物語は集合体の内部組成効果の小話である。一見どこにで もあるような知人の集まり(多重集合体=多体)が、ある選良の参加と他の多 様な成員との一風変わった組み合せから意外な展開を示し社会構造の全体改編 を全員が考究し、かつその内部にかぎり実行するに到った、という筋書きだ。
それは市民結集の前段にすぎないけれども、読者を社会観の転機、いわゆる可
能意識の創発に誘うためのものである。ただし、既刊(人文学報2007「構造効
果と概念ネットワーク」皿)なので割愛する(粗筋は皿頭書の次)。もう一つ
は「選良転成」用の小話であり、政官人脈も広い伝統勝ち組の男の独白が子た
ちを心配するなかで全体改編の構想に到る筋書きである。男の独白を選良転成
と見倣してここで紹介したい(ll)。そして複合的全体改編のプログラム図式
を提起、説明する(m)。この複合プログラム図式は、小話のつづきとして
は、転成した男が多体のなかで主体的錬成をうけて考案するだろうものとも考
えられる。しかし、全体構想イノベーション過程での構想と試行の主体構築
は、選良に重心があるようだが、多体の全成員が起点に立つべきだ。
[ll]小話「選良転成」
(1)伝統勝ち組の苦悩
一見威風堂々の男が北行き新幹線グリーン席で夢うつつの世界に停泊してい た。今期一番の冷込みで目聡くなった自分をいたわってか、うとうとしつづけ ていた。男は名だたる親族中堅企業のトップで、子たちを欧州に留学させてい る。学部と院の生活は日本で送らないことが親族グループでの通過儀礼の一つ なのだ。高額な滞在費を出してやり、しばしば出掛けていき会ってもいる。親 戚も近くにいる。あれこれの費用は気にしていない。子たちの友人関係が気が かりだ。このまえ子たちをパリに呼びだして聞いたのは、テスト明けに開いた パーティ合宿のことだった。今それが脳裏で揺らめく。
親戚の、3年前から遊学中のドラ息子が励ましに、当地の友人をワンサカ連 れて遊びにきてくれたこともあって、大勢集まって2泊3日の熱論だったそう だ。それが気になりはじめていたのだ。ゲストのなかには、本人の大学や成 績、親の懐具合が三流はまちがいないのが少なからず混入していたからだ。30 代後半の学生や退学してアルバイトに転じたもの、変人の類、もいた。でも、
真面目な意見なら陳腐でも背景をスリップバックさせて掬い上げ、結晶化を追 求する議論方法に感動したし、アルコールも節度があり、会話も品が良かった そうだ。そのこも、彼らから色んな情報をもらい、勉強も教えられていると伝 わっていた。
駅メロが遠くにきこえ夢うつつはつづく。子たちが楽しく語るには「グロー
バリゼーションのなかの日本の創造的企業組織作りのツボ、それは社員の全部
局にわたる社会階層や出身大学偏差値の混合における妙味の醸成にある。パー
ティ合宿で三流の中間層や大学の真価が刻まれた。低迷研究や錯誤作業の真因
は人員や態勢でなく分業システムの劣化にある。相互包容に較べ成果競争の意
義はみえない」と。こうまでも語られてしまうと、まず気になるのが、登場し
た概念への違和感よりも、友人を見据える歳に似合わぬ冷徹さ、言葉使いの傲
慢さ、ませた露骨さだった。なぜ、そういう語りをしたか。もしかしたら、
「家」が課す将来のリーダーへの期待、それと子たちが滲ます青春ゆえの寛大 さとの無理な折衷から生まれた語り、かもしれない。そうならば、自分こそが イジメをやっとり、遊びざかりの子たちに生き急ぎを強いているのだ。自身の 人生を大切にせよ、はもう濁す言葉にすらなれない。
たしかに若者は青春の嵐を生きぬかなければならない。一方、アイディン ティティの的確な獲得合戦が執行され、他方、遊びもふくむ投企と試行で猶予 が申立てられて、それらが重なってすすむ難しい時期にいるからだ。とはい え、甘く鋭い見方は時折かえって、人とその周辺を自滅に引き込むものだ。
もしかしたら、実際に、階層間切離しの対極にある階層間包容の導入を正面 にすえる構想のつもりか。そこから創造力向上や内需の拡大循環を見越してい るのか。まったく素晴らしい。しかしじつはこのまえに、ながらく放置され散 逸している幾つもの根本課題の存在を知る覚悟があるのか。地位間疎隔につな がる偏差値序列という簡便的採否基準を大幅に見直すべきこと、ワークシェァ リング類を実効的に拡充すべきこと、などは疾うに複合化すべき片々にすぎな いのだ。たとえば現行の官僚主導のはじまる維新以前まで遡って思料し、多く の類似の工夫が捻れながら潜在化してきた歴史を知ることが不可欠に思える。
にもかかわらず、洗練度がやや低いとはいえ、そんな直感の重さのため逆にそ のうち、激しく縮退してしまわないか心配だ。
とにかく思念としては称賛すべきだ。が、仮にこの青き構想がうまく創発化 しても膨大なリスクを際限なく随伴するにちがいない。それは足元を削ること になるのは承知か、と悩みはじめていた。自分たちの資産の減衰が嫉みの加速 を呼びよせるとき、なおも、かかる精神的余裕を維持できるか。とても、流 石、わが子たちよとは思えなくなっていた。背後に政治洗脳者がいるのか、疑 心暗鬼に取りつかれてもいた。
さても、心配、自問、不安、混乱と細かく揺れるにつれ逆に自尊がもたげて きた。それは俄か勝ち組などにはない伝統勝ち組(裕福層)の素朴なプライド である。が、先にいえば結局、それも苦悩を広め深めただけだった。
海外留学は人脈も広がり、後の出世スピードにも通じる機会といわれ、流
行ってもきていると聞く。そんな世間並みの教育で安心するわけはもとよりな
く、追求すべきは教育の本質だと道破してもみた。本質を汲み取れ、が曾祖父 の教訓だった。緻密な頭脳に鍛えるだけではなく、多情多感ゆえに人情が沁み て解り一しらずしらず贅沢と無難に流れてゆくのと反対に一清貧にして獅 子奮迅のごとく決断と行動ができるように導くことだ、そう自分にいいきっ
た。それならば、もっと根源的にならなくてはいけない。緩み、歪み、は自分 にこそ。リスクを恐がり予め枠を与え、保守に堕してしまった。そもそも、政 界や官界などでも活躍中の親戚、きょうだいとの歩調も気になっていたから、
「家」から子たちを放せなかったのだ、と恥じいりもした。
今や自尊が強気を刺激し、そのかぎりであれ、自責と差恥の湧いてくる余裕 をもたらしたのだった。勝ちパターンを繰返すゆえの自滅化、パターン信仰に 填まり、パターンなきパターンを忘れていた、とも。むろん、心情の負軸を揺 れながら落ちゆく果ての自尊の底で反転しても、悩みは深まるだけで、けっし て消えなかった。でも核心にせまるものはみえはじめてきた。心情の反転を契 機に知性は急速にその構造を伸展させる。そして新たな地平で決意が生じた。
一種の自己否定のカタストロフだった。
すなわち、子たちのいわば柔和な知恵は、かつての学生運動ような一流れ に捧げつづけている方々は別にして一自壊的一過性で終わるべきでない。未 知への挑戦は新世代の永続する自然権だ。親たる責務は子たちの構想止まり、
戦略倒れを真っ当に危惧することだ。子たちがシナリオやプログラムの欠如に 気づき、複雑な社会システムのなかで、構想を支える要件群を丁寧に掘おこし て織り込む複合化作業を実践しつづけうるか。それを自分が導くのは無理だ。
では誰、誰等なのか。子たちが捜すのをじっと待つのが親の責務だ、と覚悟を 決めたのだった。子たちの自慢のネットワークが、その人物に到達するのはい つか、待とうじゃないか。苦悩は深まっていったが、まえとはちがって明るい ものになっていた。
なおも憂慮と差恥がゆったりと去来してはいたが、紅葉が映えているのに気
づいた。名物、花笠音頭も心地よくきこえてきた。もう、完全に我に返ってい
た。旧友の悩みも途中うろうろと登場していたが、もう響きかえすことはな
かった。欧米のみならずアジアの各国にも留学している子弟たちの精神をふく
む罹病の種類と比率が、この数年に異常化したという心配だった。旧列藩同盟 の懇親会でのメインスピーチのため訪れたのだった。
(2)苦悩の深化
男は夢うつつから醒めて乗り換えた後、真剣の度を上げていった。もとより 苦悩の主題は新保守主義による世界席捲への対抗が軸だといえば、それまでだ が、そういった解釈とそれに続く主張に馴染めないのだ。卑俗な見方だとすら 考えている。すなわち、消費性向や需要の減退回避への期待から一階層や階 級の視点で中間階層や中産階級、中流階級、簡単には一中間層を復権させる 選択をして、経済成長よりも生活向上へという標的の大転換という構想にその 主張は到るものだからだ。つまり、生活のなかに経済を再び埋め戻してやる、
と。現況打開の核心は経済の政策転換でなく社会の大舵切りにある、と。たし かに正しくみえる。
しかし本当か。構想の前提を問題設定せずともよいのか。このような構想を 主張する、いわゆる存在としての一根源的な社会存在の利害構造のなかの一 立ち位置自体を自らが真摯に問い返しておくべきでないのか。立ち位置が新保 守主義のもとでの勝ち組、とりわけ伝統タイプよりも俄かタイプにあるとき
一これからなりたい自称タイプも含めて一存在の自己否定を実践的に、な ぜ、どのくらい深く、徹底しうるのか。立ち位置に無自覚で、それゆえ苦悶の 影もない主張は単調で強いから、声高なほど滑稽にも響くが、権威をまとった
ときが恐い。
たとえば、現況打開の財源について税制再編に着眼しやすい彼らが相続税
(雑駁には過去の所得税)か所得税(将来の相続税)かと語るとき、勝ち組タ イプ別の自己主張から、平然と非難もかわしあうだろう。しかし、ゲイティッ
ド・タウン(城砦都市)の集合生活も必要としない、税対策に極めて明るい
人々にとって軽微なお話が、やっと一息吐いた中間層を不安にし他層への敵悔
心に落とし込みかねない。また、いわゆるセフティネットについても、人生の
スタート位置に差がありすぎたり、再挑戦は掛け声だけだったり、の全体現況
に対する深堀は極力避けて、狭量の対処療法とセフティネットの充実化を定番
のごとくいう。そこへの過重な依存は無責任だ。ダブルバインド(頑張って
ね、だが高度な努力はいらんよ!)だ。そのため、彼らがする熱い寄金も、冷 たい順罪にみえるようだ。
枢要なのは、立ち位置の自己相対化の手続きを何程かは済ませ、その自覚を もっているかどうか、である。かかる構想が、もし自覚を欠いていれば、慎み のない単調な掛け声策に、自覚をもっていれば、あざとい歪みを巧く化粧した 理論に、なりかねないだろう。かくして、この存在と意識との競合、それにつ づく現実認識の混濁の如何、に対する問い返し、こっちこそが核心の問題設定 ではないか。この設定がくわわれば、大構想に逢着した子たちと自分が超える べきハードルは、その分より高いのだ。
さて意識は存在をいかにして超えうるか。上記、男たちが想到した日本社会 の大転換の主張は、利害の強固な部片が織り成す存在の罠に填まらずに意識が 全体展望に立ったものか。首肯したい。もっともその主張は、純粋な自己の存 在否定ではなく、放置のままでは自己へと反作用する全体現況の根本的危険性 を認識しているかぎり、むしろ自己の存在肯定に帰着しうる一策ともいえる。
それでも、自己に執着せずに全体現況の打開を企図し、その結果ありうる自己 の存在否定に想到しつつあるにもかかわらず、それを敢えて第一義施策とする 主張は、おそらくは極大含みのリスクを正面において引受けるのだから、意識 による存在の超克といって差しつかえない。他諸層への押しつけなどの積極的 回避や消極的躊躇の戦略を捨てているのだ。ただし、存在は丸ごと一つでない から、存在部片間の調整過程を検討すべきであり、それが残された課題であ る。この意識と存在の交絡は、さらにそれを考察する視界の相対性に関する広 角準位の漸次検討(観測問題)が必要であり、複雑だ。
いや、このへんで課題を限定して決着をつけておこう。まず、部片の塊であ
る社会存在は原基盤(社会階層を貫くかぎりでの広義の利害、人間性)とその
上の諸成層(社会階層を構成する狭義の利害、利権性)からなっていて、最重
要の不一致は諸成層どうしよりも原基盤と諸成層との層隙にあり、そこの亀裂
が意識を喚起しやすい、と仮定しよう。つぎに、原基盤が原社会的一体感(類
的意識に近い全体的な我々意識)の要件を担うとき、他の活性層との間に摩擦
が生じていれば、調整のための意識が直接、間接の人間関係のなかで働きはじ
め、別の活性層との間にも波及、作用すると仮定しよう。それから、多様な成 員からなる集合体が媒介する、存在と意識との競合過程において、かかる一体 感の危機が焦点化されやすい、とも仮定しよう。そうすれば、大転換が点火し た解き納めべき苦悩は、男の帰属する集合体の組成に、つまり親族グループと その周辺にも注目しつつ、意識と存在との社会的意義をもつ葛藤を伴うものと
して、複雑性を削ぐことなく具体的に考究できる。
男は目的の温泉駅で降り、夕日の参道を会場の宿に向かって歩きはじめた。
演題は「今再び、歴史は皮相な大転換か」、 「枠組み改編への投資から日本再 生を始めよう」、「新型のワークシェアリングと日本再生の条件」のどれか絞 れなかったが、主旨は鮮明で決まっていた。
「海外からの容赦ない圧力を理由に、相互包容の精神を捨てつづけ、知的貯 水層ともいえる中間層に対して分解攻勢を何度となく仕掛けて一研究水準の 全般的低迷という犠牲まで惹起しつつも一現今要請されている膨大な単純作 業に振り向けようと画策するならば、又々逆に、我々までもが崩落する日は近 い。作業こそ、研究と表裏一体のものとして皆々で協働分担すべきだ。分業シ ステムの原理的再考を回避してはならない。御都合主義的階級社会の試運転は 済んでいる。セフティネットとは、歪んだ制度自体のための最終保障装置なの だから、始めに取り沙汰されたり、充実が叫ばれたり、というのは無責任、無 理であり、論理混濁だ。どんな人間観か。今こそ我々は、惰性存続の神話を捨 て、院になり、全体社会のための真の自己否定に進み出よう」という主旨だ。
今や避けがたい大舵切りにとって自傷の受忍が当然の核心であり、自分や子 たちにとってやはり、中庸を知り見栄を超え清貧を貫き情に樟差す人生が、歴 史改編の原点にも通じる、と確信するに到っていたからだ。
[川]複合的全体改編プログラム図式
ここでは実質同じ内容の二つの図式、複合プログラム図式を提起する。社会 問題群とセフティベースの組み込み(図1)、CPSから見た社会構造の3層
2期一般ネットワーク分析(図2)である。このプログラムの構想は、安心社
会に向け、資本主義体制のなかにセフティベースという協働方式の分業システ
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社会問題群とセフティベースの組み込み
図1
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図2 CPSから見た社会構造の3層2期一般ネットワーク分析
ムを組み込むことを企図している。セフティベースの常設で、競争原理と一 それに対抗しつつ補強する重厚な一協同原理から全体社会の偏狭な動きを転 成制御しよう、と。前図は社会問題群との格闘の多元的、深層(通時多層)的 表記、後図は全体改編に努める主体たちの可能な階層上の出所も考察した多元 的、多層的、通時的表記、である。図の説明を順次してゆくが、個々の項目の 説明は後回しにしたい。
このシミュレーションの図式は小話の一部ではないが、つづきと思ってもか まわない。すなわち、全体改編を構想するに到った上記の伝統勝ち組の男(企 業のトップ)が子たちの旧友に誘われて一多様な成員が各自抱えた個別課題
を社会問題に拡張視しつつ市民結集を企図している一多体に参加し揉まれる なかで考えついたものとも、読めるだろう。また、伝統中堅企業とはいっても 巨大企業でないからこそ、新型ワークシェアリング、つまりワーク・ワーカ シェアリング(WWS)を男が、政界や官界に助勢を請うことなく自前で導入
しようと決断できたが、これが多体のカフェでの語らいアイディアによるとは 驚きだ、といったのも付けくわわっていい。
(1)社会問題群とセフティベースの組み込みの説明
図1は左3段の上昇化項目群と右3段の上下左方向化項目群とからなる。左
下段は、維新以降の起点としての歴史的趨勢を示す。それは全体社会での分化
機能の4要件に従った具体項目(経済:外向戦略/政治:官僚主導/社会:出
世志向/文化:大都市化)からなる。左中段は、機能障害が見えはじめた戦後
70年代後半以降の、初期ながら既に体質化しつつある社会問題群を示す。そ
れらは4要件に対応し区画、分離しているが実際は「よりいと」現象だ。 (分
析上の区画項目どうしが現実では複合交絡していることは一それらはリンク
で結ばれていないが一図1と2では重要な事柄だ。)左上段は、最近に比重
を置いて、細分繁茂しつつ慢性悪化した社会問題群を示す。ここで左側の矢印
の流れの意味はあたかも、歴史的起点の特性が問題を孕んでいて、しかも社会
問題化した現象が繰り返し手当てを受けているうちに、深刻の度を深めてき
た、のではないかと解釈できる。ボタンの掛け違いの奥に、俗化風潮に囲まれ
た一部選良、そして対策パラダイムの失効を読み取りたい。
さて右中段は発端原理としての4要件化セフティベースを示す。それらは一 つに織り込まれて、社会問題群に対する根本的解決の指向を意味する。右下段 は発端原理の抽象的拡張としての4要件化セフティベースを示す。右上段は発 端原理の具体的拡張としての4要件化セフティベースを示す。さてセフティ ベースから拡大深刻化した現今の問題群(左上段)への改編方向を示す矢印の 流れの意味は、直間の二療法や根治と対処の二療法を混ぜた複合挟み込み方式 だ。すなわち、基点となる発端原理ベースが、まず基本根治を目指し抽象的拡 張ベースを下方経由して歴史的起点へと下左に向かい、つぎに対処療法のため 一方で、直接の影響行使として左に向かい、他方で、間接の影響行使として具 体的拡張ベースを上方経由してから下左に向かっている。
かくして改編プログラムの複合性のゆえんは、高度市民構想での全体改編に ある。すなわち、散在する自生芽を繕りあわせ社会の重大な「もつれ」を解き 替えるための、社会構造の多元性と多層性からの部分的組替え、とそれによる 相互包容的合意感覚の広範な醸成、に対する期待にある。
(2)CPSから見た社会構造の3層2期一般ネットワーク分析の説明 CPSの三層から見た社会構造を期間を区別せずに見てゆこう。まず、中段 のP(Person relationship&compOsition)は、全体社会の階層組成の構造(上 層から順にDBCAという部類の配列)と、それを背景にした個々人の多重共 属人脈の構造(上層から順にdbcaの各自が結ぶ社会ネットワーク)であ
り、ここでの階層組成の構造は経費と収入の組合せで分類した個々人の帰属階 層の全体分布となっている。ミクロとメゾマクロにわたる描出だ。すぐあとで いうようにPはCやSとの関係も担っていて、それは一般ネットワークで表記
(縦の上下リンク)されている。
上段のC(Concept&act)は行為を含めた概念の構造であり、おもに世論に 流布されている考え方にかぎっていて背後の文化は描出されていない。それら を階層組成の各部類Pが特徴的に担う。理論的想像性(アブダクション)の促 進や阻害一人々の概念の構造が揺さ振られる具合一を考察するとき、如何なる 概念ゾーンを担う人々との社会ネットワーク、多体のなかの生活か、がヒント
となると読み取れる。
下段のS(Source&substance)は、社会活動にとっての根源的存在、いわゆ る利害関係の下部構造であり、大括りでいうと、各水準の政府と議会のゾー ン、学校等を含む官系法人を頂点とするゾーン、学校等を含む私的中堅弱小企 業のゾーン、となっている。それらは階層組成の各部類P(立ち位置)を特徴 的に支える。
つぎに社会構造の具体的な内容事項に立ち入る前に、社会構造をCPSで仕 立てた一構造要素として4機能要件に加えて(個別態でなく結合可能態の)
CPSも持ち込んだ一方法論的展開にふれておこう。この仕立ては社会構造 に関する従来の把握方法を踏襲していない。CとSは変数項目分析、 Pは行為 者分析であり一従来いずれかに偏りがちなため残念だったが一ここでは両 分析を混ぜ、その統合を目指しているからだ。統合の理論的信託は、階層組成 の各部類Pのなかの誰、誰等が歴史趨勢に流されないで、かつ的確な高度複合 的構想を立てるという主体的活動に対して、である。つまり方法論的展開が社 会構造の実践的把握にとって、有効、不可欠だと判断したからである。かかる 主体は、c(中上層)が中心となり各他層にも、社会ネットワークのなかでも 輩出すると想定している。ちなみに小話の男はd(Dの下層)としてこのネッ
トワークに当初から参加していて、揉まれ、尊敬に値する選良に育ってゆくだ ろう。ただしいうまでもなく、この図式は彼と共有しているわけではない。
それから二期間の比較についてふれておく。Ti期からTj期へ到って3つ の変化が見られる。Pでは多体セフティベース(SB)が誕生して部類間をつ なぎ、社会ネットワークが濃度を増した。このことは、一方においてSでの、
学校等を含む私的中堅弱小企業のゾーンの拡張と利害セフティベースの誕生へ の連動と見れるし、他方においてCでの概念の構造分化による合理性概念の対 抗的増殖と社会問題に対する複合改編の認識から実践への移行に反映している
と見れる。またTj期C層右上2段目のSBの内部4項問リンクの意味は、繰 り返し往きつ戻りつ、より多くの篤志の人々を巻き込んでゆく上向き螺旋運動 である。
さて一般ネットワーク分析とは、人や組織間にかぎらず、何らかの事象、事
項の内部や間部での関連性に対しネットッワーク表記で分析することである。
社会ネットワークのメリットを引き受けつつ拡張して、諸分野と諸水準を区別 せず、そこでの関連性の複合明記とその自覚的、共同作業的な変形操作が可能 だ、というメリットがある。これはたとえば、関連性の関連性など、メタ化し た点転換情報も同時に巧く扱いうることを意味する。
(3)項目の説明
図の殆どの項目は平凡であり、全体構成のほうに特色を出したいのだが、な かには馴染みがやや薄いため誤解されうるものもあり、それらの幾つかについ て解説しておく。図1からは若干、おもに図2Cの項目から取出して述べた い。どの項目も4機能要件に対応して区画整理されていることを参考にしても
らいたい。左上、左下、右上、右下、の順に進む。
図1において、拡充協同ファンド:SBの極めて多彩な活動を通じて集まる 土地や寄金/お助け万屋センター:SB活動の一部でたとえば子育て・勉強(専 門のも)・買物・介護についての複合連携化した無料のお手伝いで職業情報の 提供も/2.5職:WWSの帰結であるボランティアを含めた3種類の職業で後 述の分業の反省と同根/勝手構築:立ち位置を相対化していない専門家が陥る 上から目線での乾いた理屈による決め付け。
図2において、限界雇用:区切れない重過労含みの労働/しのぎ研修:底力 を磨かないでその場かぎりの適応を迫る短期反復の研修/専門硬直:専門家の 判断力が失敗学からは日常人以下の水準/迎合スキル:核心を欠くか抑えたコ
ミュニケーション/定番労働:創意工夫を拒絶して失敗より残されていない受 験参考書風労働/オジ不在:親と一味違った距離がとれる相談相手でオバでも よいし血縁がなくてもよい/WW親企業:工場以外のワーク・ワーカシェアリ ングの実施小企業を多面的に面倒見る中堅企業/清貧総力:快適な清貧に動機 付けられた選良と市民の合力/長期養成:進路の変更や拡充に対応したカリ キュラムと生活の支援で多くの職能を場当たり的でなく創造水準まで洗練でき る仕組みで元来誰でも挑戦できるはずの医療や設計など多数に不可欠/分業の 反省:現場と企画や管理、研究との分離から部分協働へ/実効化官系:天下り 選良の実質的な就労/綜合学習:そもそもの細分化教科への反省から「自ら」
と「調べ」が教科に連結することで到達する「深い」学習(一見、オタクの趣
味と似ている)/綜析カフェ と複合性感覚が問われる。
多体のオープンカフェで交わされる議論で情味
註と文献は詳細を要するので別の機会に改めて記したい。
An essay on the rebirth of Japan Society−two schemata of a complex program for the