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Evolution of the Riverbed of the Kizu River, Kyoto Prefecture, from 1965 to 2008

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Evolution of the Riverbed of the Kizu River, Kyoto Prefecture, from 1965 to 2008

Fujio MASUDA*, Aki FUJIWARA*, Jyunko MURAKAMI*, Yuriko FUKUMOTO* and Takahiko SAKAMOTO**

(Received October 15, 2015 )

The evolution of the bed of the Kizu River in the Yamasiro Basin, southern Kyoto Prefecture, Japan, during the 43 years from 1965 to 2008 was examined based on the river surveying data by Land, Infrastructure and Transportation Ministry. We established a longitudinal profile along the river’s thalweg and transverse sections at every 200 m intervals from its confluence with the Katsura and Uji rivers to the 30 km upstream at every other year. And we investigated changes in the riverbed along the profile and sections during the study period. We obtained four main results. (1) Overall, the riverbed had eroded along the whole length of the channel. Erosion was greater in the lower reaches and seemed work upstream over time. This result suggests that the erosion was likely caused by excavation at the low-flow channel along the lower Yodo River. (2) Erosion had been dominant along straight and narrow channels, especially along the low-flow channel where the flow was low during non-flood period. (3) Sedimentation had been relatively dominant where the channel is broad and curved. During floods, sedimentation occurred in both in low-flow and higher flood channels. (4) Crevasse splay had formed along the levees and bank overflow events had happened in the past where sedimentation was dominant. Curved parts of the river, therefore, are at high risk for flood damage.

Keywords: variation of riverbed, erosion and sedimentation, Kizu River, straight and curved channels

キーワード:河床変動,侵食・堆積,木津川,河道の直線部と屈曲部

京都府南部,木津川下流~中流域における 1965 年から 2008 年の河床高変動

増田富士雄,藤原 暁,村上純子,福本有里子,坂本隆彦

1. はじめに

京都府南部を流れる木津川は,三重県西部,滋 賀県南部,奈良県北部の青山高原,鈴鹿山地,布 引山地を源流とする長さ約 99 km,流域面積 1,596 km2の一級河川である1).木津川は,伊賀の上野盆 地から笠置,加茂の山間部を西流し,木津で北に

大きく屈曲し,京田辺までの扇状地性の谷底平野 を北流し,そこから下流で巨椋池干拓地の平坦な 山城盆地を北西に流れ,八幡で宇治川・桂川に合 流して淀川となり,大阪湾に注ぐ.この木津川は 流域に花崗岩類が分布するためマサ化した土砂の

* Faculty of the Science and Engineering, Doshisha University, Kyotanabe, Kyoto 610-0321, Japan Telephone: +81-774-6685, E-mail: fmasuda@mail.doshisha.ac.jp

** Listener of Doshisha University

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増 田 富士雄 ・ 藤 原   暁 ・ 村 上 純 子・ 福 本 有里子 ・ 坂 本 隆 彦 214

供給量が多く,普段は流量が少ないが,大雨で増 水すると木津川流域だけでなく,下流の淀川流域 の大阪平野にまで洪水を引き起こす“暴れ川”で ある2-4)

この暴れ川の木津川は,戦国時代から昭和 30 年代まで,その河床を激しく変動させてきた5, 6). 戦国時代から江戸時代の初期に,戦乱による山林 管理の低下と人口増加による燃料確保の乱伐のた め流域山地は荒廃し,1632 年から 1739 年の約 100 年の間に,中流部から下流部の河床は約 5 m も上 昇した.まさに流域での森林破壊による河川の荒 廃である.その後,江戸幕府の指導のもと堤防の かさ上げにより木津川は天井川化し,江戸時代中 期以降,植林などの治山事業も進み,氾濫はする ものの河床への土砂堆積は治まっていた.さらに 明治・大正・昭和へと長い間,河床高は安定して いたが,戦後の高度成長期のコンクリート需要の 増加に伴い,その骨材としての川砂利採取が行わ れた結果,河床は急激に低下した.川砂利採取が 行われた 1958 年から 1963 年の 5 年間に河床は 0.8

~1.5 m も低下した5, 7).砂利採取が禁止されたす ぐ後の 1971 年から 1976 年までの 5 年間は僅かに 河床低下したが,1980 年代以降においてはほぼ安 定しているとされている8).その一方で,1986 年 以降でも木津川河床の低下が継続しているという

報告 5, 6, 9)もある.すなわち,砂利採取禁止後の

木津川河床の変動像については未だ明確になって いないのが,現状である.

この論文では,川砂利採取が禁止された後の 1965 年から 2008 年までの木津川の河床高の変動 像を明らかにするため,国土交通省の定期横断測 量データの解析を行った.この解析では,古い数 値データをデジタル化して解析したこと,これま での研究が主として行っていた最深河床高の河川 縦断面での解析だけでなく,河道内の 3 次元的な 河床高変動,すなわち河道内での堆積と侵食の場 所の特定とそれらの相対的な量比を明らかにした

点で新しい.さらに,河床変動の研究は,高度成 長期の川砂利採取に伴う河床低下が著しかった時 期には多くみられたが10-12),近年は少ないことか ら,ここで示した最近の河床変動像は貴重なデー タといえる.

2.河床高データと解析方法

河床高変動の解析に用いた資料は,国土交通省 が行った木津川の河床標高測量による最深河床高 のデータと,横断面座標表(国土交通省近畿地方 整備局淀川河川事務所提供)である.解析は,最 深河床高の変動については 1965 年から 2006 年ま で,河道内での横断面の河床変動については 1971 年から 2008 年までの期間について行った.データ は,淀川への合流点,桂川と宇治川との三川合流 点(八幡市)から,上流 37 km 地点(笠置町)ま での区間で(Fig. 1),約 200 m 間隔の 181 測線に ついて,2 年毎に 19 回行われた測量結果である.

データにはごく一部の期間や区間について欠損部 分がある.合流地点からの距離は定測線の距離標 番号値を,河床高の標高は東京湾の平均海面高に 補正したものを用いた.

このデータから,各測量年における最深河床高 による河床縦断面形と河床横断面形を作成し,そ れらの比較から侵食・堆積の箇所を求めた.すな わち,河道内での侵食と堆積の場所は,新旧の河 床断面の違いから求めた.また,その河床断面図 における侵食と堆積の面積から,その期間におけ る侵食と堆積の相対的な量と量比を求めた.さら に,3 次元での侵食量と堆積量を求めるため,河 道形態の直線部(7.0 km~10.8 km 区間と 17.0 km

~20.8 km 区間)と屈曲部(11.0 km~13.8 km 区 間と 21.0 km~24.8 km 区間)について,横断面で の値が測量間隔(200 m)を代表するものとして,

測量地点の前後それぞれ長さ 100 m 分として侵食 量と堆積量を求めた.

2 年間の測量間隔の間で,増水があった場合と

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Fig. 1. Map showing the location of the Kizu River in Kyoto. Numbers are the distances from the river mouth. Base maps are cited from topographical chart with a scale of 1 to 50,000 issued by Geospatial Information Authority of Japan.

無かった場合の河床高の変化についても,同様の 方法で調べた.それは,流量の観測地点である加 茂(合流地点から上流約 31 km 地点)と飯岡(合 流地点から上流へ 16 km 地点)における日平均流 量値(国土交通省淀川河川事務所提供)のデータ から,1970 年以降で最も大きい 2,200 m3/s を越え る出水があった 1982 年 8 月 2 日を含む期間(1981 年と 1983 年)と,600 m3/s を越えるような出水が なかった期間(1987 年と 1989 年)で比較した.

この報告では,便宜的に,解析対象区間の木津 川を下流域と中流域と呼ぶことにする.下流域は,

淀川への合流地点から上流約 10 km~約 12 km の 城陽市富野と京田辺市付近までで,ここは遊水池 でもあった巨椋池干拓地(旧巨椋池)のある,山

城盆地の幅 4 km~6 km の広がった平坦地である.

中流域は,それから上流の 25 km~30 km 地点まで で,幅 2 km~3 km の谷底平野を形作っている4). それより上流の測量対象域の 37 km 地点までは,

木津川は山地内を流れる.木津川の平均河床勾配 は,下流域でも中流域でもほぼ一定で,0.8/1000 程度である.

3.河床高の変動像 3.1 最深河床高の変化

木津川の最深河床高データから描いた河床縦断 面形からみると,川砂利採取が禁止された後の 1971 年以降でも,木津川全体で河床が年々低下し ているのがわかる(Fig. 2).特に,0 km 地点か

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増 田 富士雄 ・ 藤 原   暁 ・ 村 上 純 子・ 福 本 有里子 ・ 坂 本 隆 彦 216

ら上流約 15 km の区間では下流ほど低下量が大き く,最下流域では 35 年間で 1.5 m~2.3 m も低下 している.一方,約 15 km 地点より上流の低下量 は下流よりも小さいが,やはり全体的に低下傾向 にある.35 年間で最大 1.4 m も低下している所(約 31.5 km 地点)や,逆に 20 cm~30 cm 上昇してい る箇所(16.0 km~16.5 km,21.0 km~23.4 km,

29.4 km 地点)もある.

最深河床高の変動は,相対的に侵食(低下)と 堆積(上昇)の場所がリズミックにあらわれ,長 い年月での変化でみるほど,その傾向がはっきり とあらわれる(Fig. 2).このことは同じ場所で侵 食あるいは堆積が継続する傾向にあることを示し ている.また,侵食や堆積する場所の多くは 1971 年からほぼ定位置をとるが,途中から発生したり 消滅したり,位置が少し移動した場所も認められ る.

3.2 3次元河床変化

1965 年から 1983 年の 18 年間での河床横断面の 変化では,主に下流域の合流地点から 12.5 km 地 点までの区間での侵食(河床低下)が著しいのが 特徴である(Fig. 3A,Fig. 4A). 1983 年から 2008 年の 25 年間での変化でも,ほぼ同様の傾向が認め られる(Fig. 3B,Fig. 4B).どちらの期間でも下 流域では,侵食(河床低下)量が堆積量をはるか に上回っている(Fig. 4).1965 年から 1983 年の 間の侵食量が下流域全体で一様に大きいのは,

1958 年から 1963 年の 5 年間の下流域での川砂利 採取の結果を反映していると思われる.そして川 砂利採取が禁止になって 20 年も経過した 1983 年 以降でも,それ以前に比べて侵食量は 6 割程度に 少なくなっているものの,河口から 26 km 地点付 近まで河川全体で河床低下(侵食)が起こってい る.

下流域での侵食は,主に低水路で発生している

(Fig. 3). 1983 年から 2008 年までの河床断面

Fig. 2. Variations of the longitudinal river profiles during 35 years from 1971 to 2006 in the Kizu River. The diagrams show the distance from river mouth to upstream (horizontal axis) versus difference of riverbed elevations (vertical axis).

の変化をみると,侵食は低水路で起こり,低水路 が狭い箱形に下刻されているのがわかる(Fig.

5A).一方,下流域での川砂利採取期間と禁止直後 の期間(1965 年から 1983 年の間)では,侵食が 幅広い低水路全体で起こり,最下流部でのみ低水 路の狭い部分での下刻が起こっている(Fig. 5B).

これは 1965 年当時の空中写真や過去の地形図か らもわかる.当時の木津川は河道いっぱいに複数 の流路がみられ,広い河原と浅い流れの扇状地性 の網状河道であった6, 9, 13).その後,河床低下に 伴って,低水路が発達し,それが蛇行化して固定 化してきた結果を反映している.

この低水路での侵食の原因は,侵食量が下流ほ ど多いことや下流の淀川での低水路の拡幅と掘削 が 1971 年以降に進められたことから,平水時ある いは少しの増水時に低水路の砂が淀川へ流出して

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Differences of riverbed proÞles

Distance from the river mouth

Deposition!

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Deposition!

Erosion

Fig. 3. Positions of deposition and erosion showing the transverse sections of the river channel during 18 years from 1965 to 1983, and 25 years from 1983 to 2008 in the Kizu River.

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増 田 富士雄 ・ 藤 原   暁 ・ 村 上 純 子・ 福 本 有里子 ・ 坂 本 隆 彦 218

Fig. 4. Relative amounts of erosion (A to C) and deposition (D to F) during 18 years from 1965 to 1983, and 25 years from 1983 to 2008 in the Kizu River. The diagrams show the distance from starting point (river mouth) to upstream in horizontal axis and amount of change in vertical axis.

km A

B C D E

0 5 10 15 20 25 F

large

small

Erosion 1965 - 1983

Erosion 1981 - 1983 Erosion 1983 - 2008

Deposition 1965 - 1983

Deposition 1981 - 1983 Deposition 1983 - 2008 Curved

Area

Distance from the river mouth

(7)

りわずかに少ない程度の堆積量であった.このこ とは,年に数回程度発生するような小さな増水(流 量が 500 m3/s 程度)でも,高水敷の低いところに は堆積が進むことを示している.もちろん,大き な増水では広い範囲に堆積が起こるが,大きいか らといって流量に見合った堆積量にはならないと いえる.一方,大きな出水があった期間と無かっ た期間との侵食量を比べると,前者の期間の方が 120%程度多い.これは大きな出水時に高水敷での 侵食も発生した結果と考えられる.

最深河床データによる河床高変動(Fig. 2)で も,3 次元の河床変動(Fig. 3, Fig. 4)でも,

すでに述べたように,地形によって区分した合流 点から 10 km ~12 km 付近を境にした“下流域”

と“中流域”で,それらの変動パターンに特徴が あることがわかる.すなわち,下流域のより広い 遊水池の氾濫平野と,中流域のより狭い谷底平野 とを流れる河川では,河床高の変動に違いが生じ ている.そして下流域ではその下流部ほど侵食が 継続して進行しており,中流域では全体にやや侵 食傾向にあるが侵食と堆積の箇所が交互に現れて いるという結果は,継続する河床低下によって,

浅く広がって流れた扇状地性の網状流路から,固 定化した深い蛇行流路の低水路が発達し増水時の み河道全体が扇状地性の流路となるという変化が,

時間の経過とともに下流から上流へと次第に移っ てきていることを反映している.

3.3 堆積箇所と破堤・決壊地点と流路形態 破堤や越流を繰り返す“暴れ川”であった木津 川にはその痕跡が残されている.ひとつは古文書 の記録であり,もうひとつは地形の痕跡である.

木津川の近世における水害をさまざまな資料から まとめた研究 3)や,木津川の河道際や氾濫原から 大規模な破堤地形や氾濫流路を見いだしている研

14, 15)などがある.それらをもとに過去の破堤や

越流した位置を木津川の流路に記入してみると,

これまで述べてきた最近 25 年間(1983 年から 2008 年)の堆積箇所にほぼ対応することがわかる(Fig.

6).すなわち,過去に破堤あるいは越流した場所 が,河床が上昇して堆積傾向にある地点と一致す ることが多い.また,両者は河道形態とも関係す るようにみえる.すなわち,河道が屈曲した部分,

田辺,飯岡,木津,加茂の屈曲部では堆積傾向に あり(Fig. 4),そこは過去に破堤や越流が多かっ た場所でもある(Fig. 6).また,この部分では河

Fig. 5. Variations of the elevation of river beds in straight (0.2−1.0 km) and curved (8.2−9.0 km) channels during 25 years from 1983 to 2008 (A) and 18 years from 1965 to 1983 (B).

A! B!

m!

10 !

200 m !

1983 – 2008 ! 1965 – 1983 !

0.2 km!

0.4 km!

0.6 km!

0.8 km!

1.0 km!

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8.4 km!

8.6 km!

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9.0 km!

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! ! Deposition!

Erosion�

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増 田 富士雄 ・ 藤 原   暁 ・ 村 上 純 子・ 福 本 有里子 ・ 坂 本 隆 彦

Fig. 6. Erosion and deposition points during 25 years from 1983 to 2008, and the crevasse spray and overflow points by historical record3, 4.

道が広がっていること,河道内の流路が分岐して 流れていることも特徴である(Fig. 1).一方,河 道が直線である部分では侵食傾向にあり,そこで は過去に洪水氾濫が発生した地点も少ない.さら に,その部分は河道も狭く流路が単流路を示すこ とが多い.これらのことは,河道の屈曲部すなわ ち増水時に相対的に流れにくい部分で堆積が起こ り,また,氾濫が起こりやすいことを,河道の直 線部すなわち増水時でも相対的に流れ易い部分で 侵食が発生し,氾濫し難いことを示している.

3.4 屈曲部と直線部における堆積量と侵食量の 違い

1965 年から 2008 年の 43 年間の堆積量と侵食量 を,河道の直線部(7.0 km~10.8 km 区間と 17.0 km

~20.8 km 区間)と屈曲部(11.0 km~13.8 km 区 間と 21.0 km~24.8 km 区間)で比較してみると,

下流域でも上流域でも,侵食量は直線部で,堆積 量は屈曲部で多くなっている(Fig. 4).屈曲部に

Table 1. Amounts of erosion and deposition in straight (7.0−10.8 km, 17.0−20.8 km) and curved (11.0−

13.8 km, 21.0−24.8 km) channels during 43 years from 1965 to 2008 in the Kizu River. Numbers with * are a mean value with the exception of a value for interval of 12.0-12.8 km where the large of artificial changes were conducted.

おける堆積量は直線部の 1.5 倍~1.7 倍で,直線 部における侵食量は屈曲部の 1.1 倍~2.7 倍であ る(Table 1).もうすこし細かくみると,直線部 では侵食が卓越し堆積が極端に少ないのに対し,

屈曲部では堆積が卓越するが,侵食される部分も 少なからずあるという特徴がある.このことは,

屈曲部では堆積する場所が多いが,侵食される場 所もかなりあり,時間が経過するに従って高水敷,

すなわちそこにある砂礫堆の凸凹が強調されてい くことを示している.木津川の京田辺の屈曲部で の洪水時の河道内での流速を計算した結果でも,

内側と外側で大きく異なることが報告されており

16),こうした考えを支持しているようにみえる.

さらに,43 年間での堆積・侵食現象の特徴が,大 きな出水が認められた 1981 年と 1983 年,および,

大きな出水がなかった 1987 年と 1989 年の 2 年間 という,短期での侵食量と堆積量の違いにもあて はまることもわかった.

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Uemura (2008)

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Suzuki (2008) Crevasse spray and!

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220

(9)

1965 年から 2008 年の 43 年間の堆積量と侵食量 を計算した結果(Table 1)は,2 年間の短い期間 での量(Fig. 4)の累積が 43 年間の量に一致しな い.両期間での違いは,堆積量については,直線 部で 1.5 倍~2.4 倍,屈曲部で 1.8 倍~3.6 倍で,

侵食量については,直線部で 2.2 倍~6.4 倍,屈 曲部で 1.4 倍~2.2 倍に過ぎない.すなわち,堆 積量は 1 年半から 3 年半で,侵食量は 1 年半から 6 年半で 43 年分と同じになっている.これは,あ る期間では人間による土砂除去が行われているか,

あるいは堆積量や侵食量はある量で一定に近づく のかなど,現時点では明確になっていない.

4.おわりに

京都南部を流れる木津川の 1965 年から 2008 年 の 43 年間の河床高の変動を,国土交通省が行った 河床標高測量の結果から調べた.その結果,木津 川では 1963 年の川砂利採取が禁止になった後も,

河床が継続して低下していることがわかった.特 に下流域での侵食は大きく,低水路での下刻が特 徴的である.それは下流の淀川での河床掘削の影 響が上流に伝播したことが大きく,上流に建設さ れたダム群による土砂輸送の遮断の影響は小さい と考えられる.一方,堆積は中流域で主に起こり,

田辺,飯岡,木津,加茂などの河道の屈曲部で特 に著しい.堆積しているのは主に高水敷であり,

増水時に河道全体に堆積した砂が,平水時に低水 路で侵食された結果を反映している.また,屈曲 部では堆積と同時に侵食も起こっているのが特徴 である.過去に破堤や越流を発生させた箇所が,

相対的に堆積が起こっている区間にほぼ一致する ことがわかった.

最後に,ここで得られた木津川の河床高の変動 を防災面からみると,堆積し易い河道の屈曲部で は 5 年程度に一度は土砂の除去を行い増水時の流 れを良くしておくことが望ましいと言える.また,

河道の直線部では堤防近くで洗掘による深掘れが

起こらないように最深河床の位置に気をつけるこ とが堤防管理上からも重要であろう.

木津川の河床標高測量データを提供して頂いた 国土交通省近畿地方整備局淀川河川事務所,およ び,文献のご教示を頂いた元近畿大学の鈴木一久 氏と仏教大学の植村善博氏には,深く感謝し,お 礼を申し上げる.

参考文献

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222

Fig. 3. Positions of deposition and erosion showing the transverse sections of the river channel             during 18 years from 1965 to 1983, and 25 years from 1983 to 2008 in the Kizu River
Fig. 4. Relative amounts of erosion (A to C) and deposition (D to F) during 18 years from 1965 to 1983, and 25 years             from 1983 to 2008 in the Kizu River
Fig. 6. Erosion and deposition points during 25 years from         1983 to 2008, and the crevasse spray and overflow         points by historical record 3, 4 )

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