弘
法
大
師
を
め
ぐ
る
人
々 (一) -広
智-武
内
孝
善
一 弘 法 大 師 空 海 (以 下、 大 師 と 略 称 す) と 交 渉 を も つ た と 考 え ら れ る 人 は、 上 は 恵 果 和 尚、 嵯 峨 ・ 淳 和 両 帝 を は じ め と す る 僧 侶 ・ 皇 族 ・ 貴 族 か ら、 下 は 名 も な い 一 般 民 衆 に 至 る ま で 少 な か ら ず 存 在 し た。 い ま、 こ れ ら の 人 々 を 大 師 の 著 作 の 中 に 求 め る な ら ば、 約 四 百 八 十 名 の 名 前 を 数 え あ げ る こ と が で (1) き る。 し か し、 こ の な か、 そ の 人 物 の 事 蹟 が 知 ら れ て い る の は ご く 限 ら れ た 人 だ け で、 大 半 は 名 前 の み で い か な る 人 物 で (2) あ つ た か 不 明 の 人 達 で あ る。 大 師 の 御 生 涯 を た ど る 場 合、 重 要 な か か わ り を も っ た と 思 わ れ る 人 物 に も、 後 者 に 属 す る 人 が 少 な く な い。 そ の 一 人 に ﹁ 広 智 禅 師 ﹂ が い る。 大 師 は ﹁ 広 智 禅 師 ﹂ な る (3) 人 物 に、 笛 教 経 論 の 書 写 を 依 頼 し た 書 簡、 な ら び に ﹁ 十 喩 を (4) 詠 ず る 詩 ﹂ を 贈 つ て お ら れ る。 こ の ﹁ 広 智 禅 師 ﹂ に つ い て は 今 日 ま で、 い か な る 人 物 を さ す の か 定 か で な く、 先 学 の 見 解 (5) も つ ぎ の ご と く 分 か れ て い る。 (一)﹃ 性 霊 集 便 蒙 ﹄ の 著 者 運 傲 ( 一 六 一 四-九 三) は ﹃ 元 亨 釈 書 ﹄ の ﹁ 円 仁 伝 ﹂ を 引 い て、 下 野 国 大 慈 寺 の 広 智 菩 薩 か、 と し、(6) (二)﹃ 性 霊 集 聞 書 ﹄ の 著 者 ( 未 詳) は 同 じ く ﹃ 元 亨 釈 書 ﹄ を (7) 引 用 し て、 河 内 国 小 野 寺 の 恵 達 か、 と す る。 口 日 本 古 典 文 学 大 系 本 ﹃ 三 教 指 帰 ・ 性 霊 集 ﹄ の 校 注 者 は、 ﹁ 十 喩 を 詠 ず る 詩 ﹂ の 頭 注 で は ﹁ 不 詳。 下 野 国 都 賀 郡 大 慈 寺 の 広 智 ( 慈 覚 大 師 円 仁 の 師) と い う ﹂ と 述 べ、 ﹁ 空 海 を め ぐ る 人 物 略 伝 ﹂ の 項 で は 運 傲 の ﹃ 性 霊 集 便 蒙 ﹄ を 弘 法 大 師 を め ぐ る 人 々 (一) -広智-密 教 文 化 (8) 典 拠 と し な が ら、 円 仁 と 広 智 を 同 一 人 物 と 解 し て い る。 筆 者 は、 大 師 か ら 書 簡、 な ら び に ﹁ 十 喩 を 詠 ず る 詩 ﹂ を 贈 ら れ た ﹁ 広 智 禅 師 ﹂ と は 下 野 国 大 慈 寺 の 広 智 菩 薩 で あ つ た、 と 確 信 す る に 至 っ た。 こ の 点 に 関 し て は、 す で に 拙 稿 ﹁ 十 住 (9) 心 思 想 の 成 立 過 程 に つ い て ﹂ で 簡 単 に 触 れ た が、 そ の 後 広 智 に つ い て 二、 三 の こ と を 知 り え た。 よ つ て こ こ に、 あ ら た め て そ の 経 緯 を 記 し、 あ わ せ て 広 智 の 人 と な り に つ い て も 卑 見 を 述 べ る こ と に す る。 二 ま ず、 ﹃ 高 野 雑 筆 集 ﹄ (以 下、﹃ 雑 筆 集 ﹄ と 称 す) 巻 上 所 収 の 三 月 二 十 六 日 付 ﹁ 下 野 広 智 禅 師 ﹂ 宛 書 簡 か ら み て い こ う。 そ れ は つ ぎ の ご と く あ る。 幽 蘭 心 な け れ ど も 気 遠 く、 美 玉 深 く 居 て 以 て 価 貴 し。 閣 梨、 遽 方 に 僻 処 す れ ど も、 善 称、 風 雲 と 与 ん じ て 周 普 す。 甚 だ 善 し、 甚 だ 善 し。 貧 道、 大 唐 に 遊 ん で 習 い 得 た る 所 の 真 言 秘 蔵、 其 の 本 い ま だ 多 か ら ざ る に 縁 っ て、 久 し く 講 伝 に 滞 る。 今 思 わ く、 衆 機 の 縁 力 に 乗 じ て、 神 通 の 宝 蔵 を 書 写 せ ん こ と を。 所 以 に 弟 子 の 僧 康 守 を 差 し て 彼 の 境 に 発 向 せ し む。 翼 く は 彼 の 金 剛 薩 垣 の 悲 願 に 乗 じ て、 待 雨 の 種 子 を 拍 勧 せ ん こ と を。 今、 康 守 金 剛 子 に よ る。 不 宣。 釈 空 海 白 す。 三 月 二 十 六 日 (10) 下 野 広 智 禅 師 侍 童 ( 原 漢 文、 以 下 同 じ) こ の 書 簡 は 年 次 を 欠 い て い る が、 そ の 内 容 は み ず か ら 入 唐 請 来 し た と こ ろ の 真 言 法 門 を 講 読 ・ 流 伝 せ し め ん が た め に、 弟 子 の 康 守 を 遣 わ し て、 密 教 経 論 の 書 写 を 懇 請 し た も の で あ る。 ﹃ 雑 筆 集 ﹄ 巻 上 に は こ の ほ か、 常 陸 の 徳 一 菩 薩 ( 四 月 五 日 付)、 万 徳 菩 薩、 甲 州 の 藤 太 守、 常 州 の 藤 使 君 な ど に 宛 て た、 同 じ く 密 教 経 論 の 書 写 を 依 頼 し た 書 簡 八 通 を 見 出 す こ と (11) が で き る。 し か し、 い ず れ も 年 次 を 欠 く も の で あ る。 こ こ で 想 起 さ れ る の が、 弘 仁 六 年 (八 本 五) 四 月 一 日 の 日 付 (12) を も つ ﹁ 諸 の 有 縁 の 衆 を 勧 め て 秘 密 蔵 の 法 を 写 し 奉 る べ き 文 ﹂ (以 下、 ﹁ 勧 縁 疏 ﹂ と 称 す) で あ る。 本 疏 は 仏 身 論、 修 行 の 方 法、 教 説 の 優 劣、 成 仏 の 遅 速 な ど の 面 か ら 顕 笛 の 相 違、 優 劣 を 明 確 に 述 べ、 こ の 最 妙 な る 笛 教 に 結 縁 し て 密 教 経 論 三 十 五 巻 を 書 写 し て い た だ く よ う 有 縁 の 人 々 に 依 頼 し、 も つ て 秘 密 法 門 の 流 伝 を は か ら れ た 時 の も の で、 そ の 末 尾 は つ ぎ の こ
と く 記 さ れ て い る。 貧 道、 帰 朝 し て 多 年 を 歴 と 錐 も、 時 機 い ま だ 感 ぜ ず。 広 く 流 布 す る こ と 能 く せ ず。 水 月 別 れ 易 く、 幻 電 駐 ま り 難 し、 元 よ り 弘 伝 を 誓 ふ。 何 ぞ 敢 へ て 鞭 黙 せ む。 今、 機 縁 の 衆 の 為 に 読 講 宣 揚 し て 仏 恩 を 報 じ 奉 ら む と 欲 ふ。 然 る に、 猶 其 の 本 多 か ら ず し て 法 流 擁 滞 す。 是 を 以 て 弟 子 の 僧 康 守 ・ 安 行 等 を 差 し て 彼 の 方 に 発 赴 せ し む。 (中 略) 庶 は く は 無 垢 の 眼 を 諮 か に し て 三 密 の 源 を 照 し、 有 執 の 縛 を 断 じ て 五 智 の 観 に 遊 ぽ し め む。 今、 法 を 弘 め 人 を 利 す る 至 願 に 任 へ ず、 敢 へ て 有 縁 の 衆 力 を 焉 り 煩 ふ。 不 宣。 謹 む で 疏 す。 (13) 弘 仁 六 年 四 月 一 日 沙 門 空 海 疏 す こ れ を 先 に あ げ た 広 智 宛 書 簡 と 比 べ て み る と、 文 の 長 短 は あ る も の の、 一 見 し て 同 じ 内 容 を も つ こ と が わ か る。 こ の こ と か ら、 ﹃ 雑 筆 集 ﹄ 所 収 の 密 教 経 論 の 書 写 を 依 頼 し た 九 通 の 書 簡 は す べ て 弘 仁 六 年 の も の で あ り、 ﹁ 広 智 禅 師 ﹂ 宛 書 簡 も 弘 仁 六 年 の 三 月 二 十 六 日 付 の も の と み な さ れ て い る。 栂 尾 の 高 山 寺 に は、 弘 仁 六 年 に 書 写 さ れ た ﹃ 金 剛 頂 一 切 如 来 真 実 摂 大 乗 現 証 大 教 王 経 ﹄ (以 上、﹃ 大 教 王 経 ﹄ と 称 す) 三 巻 (14) が 現 存 す る。 こ の 経 巻 に は つ ぎ の 奥 書 が あ る。 (緑) 上 野 国 縁 野 郡 浄 院 寺 一 切 経 本 掌 経 仏 子 教 興 掌 経 仏 子 写 経 主 仏 子 教 興 経 師 近 事 法 慧 弘 仁 六 年 歳 次 乙 未 六 月 十 八 目 即 是 平 城 宮 御 宇 神 野 天 皇 之 世 也 奉 爲 皇 帝 皇 妃 太 子 諸 皇 左 右 大 臣 洪 基 元 動 六 親 七 世 裕 徳 有 絵 近 零 自 身 遠 治 他 界 一 切 行 者 法 眼 (15) 元 上 菩 提 正 因 す な わ ち、 弘 仁 六 年 六 月 十 八 日、 上 野 国 緑 野 郡 の 浄 院 寺 に て 教 興 が 写 経 主 と な り、 法 慧 の 助 力 を え て 書 写 さ れ た こ と が わ か る。 こ の 経 巻 は 釈 一 乗 忠 撰 ﹃ 叡 山 大 師 伝 ﹄ の つ ぎ の 記 述 ( 弘 仁) 六 年 秋 八 月。 ( 中 略) ま さ に 講 麺 寛 て、 本 願 に 催 さ れ て 東 国 に 向 ふ。 盛 に 功 徳 を 修 し て、 其 の 事 を 為 せ り。 二 千 部 一 万 六 千 巻 の 法 華 大 乗 経 を 写 し、 上 野 下 野 の 両 国 に お の お の一 級 の 宝 塔 を 起 て、 塔 別 に 八 千 巻 を 安 置 弘 法 大 師 を め ぐ る 人 々(一) -広
智-密 教 文 化 す。 其 の 塔 の 下 に お い て、 毎 日 法 華 経 を 長 講 す る こ と 一 日 も 閾 か さ ず、 兼 ね て 金 光 明、 仁 王 等 の 大 乗 経 を 長 講 す。 弘 願 の 逮 ふ と こ ろ、 後 際 あ に 息 ま む や。 所 化 の 輩、 百 千 万 に 途 え、 見 聞 の 道 俗、 歓 喜 せ ざ る は な し。 笈 に 上 野 国 浄 土 院 の 一 乗 仏 子 教 興 ・ 道 応 ・ 真 静、 下 野 国 大 慈 院 の 一 乗 仏 子 広 智 ・ 基 徳 ・ 鷺 鏡 ・ 徳 念 等 あ り。 本 是 れ 故 道 忠 禅 師 の 弟 子 な り。 延 暦 年 中 に 遠 く 伏 麿 し て、 師 資 を 閾 か ず。 (16) こ れ 其 の 功 徳 句 當 者 な り。 ( 圏 点 筆 者、 以 下 同 じ) と、 年 次、 人 名、 経 典 の 書 写 な ど に 関 連 す る 内 容 を も つ こ と か ら、 こ れ ま で 弘 仁 六 年 か ら 同 七 年 に か け て 行 な わ れ た 伝 教 大 師 最 澄 ( 以 下、 最 澄 と 略 称 す) の 東 国 巡 化 に 関 連 さ せ て 論 じ (17) ら れ て き た。 し か し、 こ の ﹃ 大 教 王 経 ﹄ 巻 第 一 の 表 紙 見 返 し に は テ 秘 密 経 王 三 十 六 巻、 弘 仁 六 年 五 月 依 ニ ニ ム (18) 海 阿 閣 梨 之 勧 進一、 上 毛 沙 門 教 興 書 進、 な る 識 語 が 見 出 さ れ る。 こ こ に ﹁ 弘 仁 六 年 五 月 依 海 阿 閣 梨 之 勧 進 ⋮⋮書 進 ﹂ と 明 記 さ れ て い る こ と は、 と り も な お さ ず、 こ の 経 巻 は 最 澄 の 東 国 下 向 の 時 に 書 写 さ れ た も の で は な く、 先 に み た 大 師 の 弘 仁 六 年 四 月 一 日 付 ﹁ 勧 縁 疏 ﹂ の 勧 進 に 応 え て 書 写 さ れ た も の で あ る こ と を 明 確 に 語 っ て い る と い え る。 こ の 表 紙 見 返 し の 記 述 は つ ぎ の 二 つ の 点 か ら も 信 頼 し て よ い。 (一)歯 田 香 融 教 授 が 円 澄 の ﹁ 相 承 血 豚 譜 ﹂、 ﹃ 慈 覚 大 師 伝 ﹄、 ﹁ 徳 円 阿 闊 梨 付 法 文 ﹂、 弘 仁 七 年 五 月 一 日 付 泰 範 宛 最 澄 書 状 な ど を 典 拠 と し て、 最 澄 の 東 国 巡 化 は ﹃ 叡 山 大 師 伝 ﹄ に い う 弘 仁 六 年 か ら 七 年 に か け て で は な く、 弘 仁 八 (19) 年 で あ つ た と 述 べ て お ら れ る こ と。 (二)﹃ 金 剛 頂 一 切 如 来 真 実 摂 大 乗 現 証 大 教 王 経 ﹄ は 通 常 ﹃ 金 剛 頂 経 ﹄ の 名 で 呼 ば れ る 密 教 経 典 の 一 つ で、 真 言 宗 で は ﹃ 大 日 経 ﹄ と と も に 真 言 教 学 の 中 心 を し め る 所 依 の 経 典 (20) で あ る。 最 澄 の 東 国 巡 化 が い か な る 目 的 の も の で あ っ た (21) か、 ま た 最 澄 の 依 つ て 立 つ 教 学 が 何 で あ っ た か、 な ど を (22) 考 え 合 せ る と、 ﹃ 大 教 王 経 ﹄ と 最 澄 と は 結 び つ き が た い。 よ っ て、 高 山 寺 に 現 存 す る ﹃ 大 教 王 経 ﹄ 三 巻 は、 表 紙 見 返 し の 識 語 の 如 く、 大 師 の 勧 進 に 応 え て 教 興 が 写 経 主 と な つ て 書 写 さ れ た も の で あ る と み て よ い。 こ こ で、 写 経 主 で あ る ﹁ 上 毛 沙 門 教 興 ﹂ に 注 目 し た い。 す (23) で に 指 摘 さ れ て い る よ う に、 こ の 教 興 は 最 澄 が 浄 土 院 と 大 慈
院 に 宝 塔 各 一 基 を 建 立 し、 法 華 経 を 安 置 し た 時 の 功 労 者 七 人 の 一 人 で あ っ た。 す な わ ち、 上 野 国 浄 土 院 一 乗 仏 子 教 興、 道 応、 真 静、 (24) 下 野 国 大 慈 院 一 乗 仏 子 広 智、 基 徳、 鷺 鏡、 徳 念、 の 七 人 は す べ て 故 道 忠 禅 師 の 弟 子 で あ り、 そ の な か に ﹁ 広 智 ﹂ な る 人 物 が 見 出 さ れ る。 筆 者 は こ の ﹁ 下 野 国 大 慈 院 一 乗 仏 子 広 智 ﹂ こ そ、 大 師 が 笛 教 経 論 の 書 写 を 依 頼 し た ﹁ 下 野 広 智 禅 師 ﹂ で は な か つ た か と 考 え る。 い ま の と こ ろ、 ﹃ 雑 筆 集 ﹄ の ﹁ 下 野 広 智 禅 師 ﹂ と ﹃ 叡 山 大 師 伝 ﹄ に み ら れ る ﹁ 下 野 国 大 慈 院 一 乗 仏 子 広 智 ﹂ と が 同 一 人 物 で あ る こ と を 直 接 示 す 史 料 は 見 当 ら な い。 と は い え、 つ ぎ の 三 つ の 理 由 か ら、 二 人 の 広 智 は 同 一 人 物 で あ る と み な し て よ い。 (一) 高 山 寺 所 蔵 の ﹃ 大 教 王 経 ﹄ が 大 師 の 勧 進 に 応 え て 書 写 さ れ た こ と は す で に 述 べ た。 し か し、 今 日 写 経 主 で あ る 浄 土 院 の 教 興 と 大 師 と を 直 接 結 び つ け る 史 料 は 見 当 ら な い。 と す る と 二 人 の 間 に は 仲 立 ち が い た と 考 え ら れ、 そ の 仲 立 ち が す な わ ち 広 智 で は な か っ た か と 思 わ れ る の で あ る。 つ ま り、 こ の ﹃ 大 教 王 経 ﹄ の 書 写 は、 大 師 か ら ﹁ 勧 縁 疏﹂﹁ 書 簡 ﹂ に よ つ て 密 教 経 論 書 写 の 依 頼 を 受 け た 大 慈 院 の 広 智 が、 兄 弟 弟 子 に あ た る 浄 土 院 の 教 興 に 働 き か け て 実 現 し た も の と 考 え ら れ る こ と で あ る。 (25) (二) 最 澄 の 伝 記 で 一 頭 古 い 一 乗 忠 撰 ﹃ 叡 山 大 師 伝 ﹄、 藤 原 時 (26) 平 等 の 撰 で 延 喜 元 年 ( 九 〇 一) に 成 っ た ﹃ 三 代 実 録 ﹄、 元 亨 (27) 二 年 ( 一 三 二 二) 虎 関 師 錬 が 著 わ し た ﹃ 元 亨 釈 書 ﹄、 明 和 八 (28) 年 ( 一 七 七 一) 以 降 に 編 纂 さ れ た ﹃ 天 台 霞 標 ﹄ な ど を 見 る と、 い ず れ も 広 智 の 居 所 を 大 師 の 広 智 宛 書 簡 と 同 じ 下 野 国 と し て い る こ と。 お よ び、 寛 平 入 道 親 王 ( 真 寂)・源 英 明 の 撰 し た ﹃ 慈 覚 大 師 伝 ﹄ に 広 智 は ﹁ 徳 行 該 博 に し て 戒 定 を 具 足 し、 己 を 虚 し く し て 他 を 利 ﹂ し た た め、 人 々 か ら (27) ﹁ 広 智 菩 薩 ﹂ と 親 し く 呼 ば れ て い た と す る 記 述 と、 大 師 が 書 簡 の 冒 頭 で、 幽 蘭 心 な け れ ど も 気 遠 く、 美 玉 深 く 居 て 以 て 価 貴 し。 闇 梨、 遽 方 に 假 処 す れ ど も、 善 称、 風 雲 と 与 ん (30) じ て 周 普 す、 甚 だ 善 し、 甚 だ 善 し。 と、 言 辞 を つ く し て ﹁ 居 所 は 遠 く は な れ て お り ま す が、 あ な た の 名 声 は 伝 え 聞 い て お り ま す ﹂ と 述 べ て い る こ と と の 間 に は、 相 通 ず る も の が 見 受 け ら れ る こ と で あ る。 弘 法 大 師 を め ぐ る 人 々 (一) -広
智-密 教 文 化 口 経 典 の 書 写 な ど の 勧 進 を 依 頼 す る 場 合、 経 済 力 を 第 一 に 周 囲 に 対 す る 影 響 力 の よ り 大 き い 人 物 が 選 ば れ た と 考 え ら (31) れ る。 < 表 1 > 鑑 真-道 忠 猿登 円 澄 ( 下 野 大 慈 院 ) 広 智 墓 徳 轡 鏡 徳 念 (上 野 浄 土 院) 教 興 道 応 真 静 円 仁 ( 第 三 代 天 台 座 主) 安 恵 ( 第 四 代 天 台 座 主) 徳 円 ---円 珍 (第 五 代 天 台 座 主) ※ --は 三 部 三 昧 耶 印 信 の 付 法 を 示 す。 表 一 の ご と く、 広 智 は 第 三 代、 第 四 代 の 天 台 座 主 と な つ た 円 仁、 安 恵 の か つ て の 師 で あ り、 第 二 代 座 主 の 円 澄 と は 兄 弟 弟 子 に あ た る 人 物 で あ っ た。 ま た、 一 般 民 衆 か ら は 親 し く ﹁ 広 智 菩 薩 ﹂ と 呼 ば れ て い た。 さ ら に、 広 智 の 師 道 忠 が 延 暦 十 六 年 ( 七 九 七) 最 澄 の 一 切 経 論 章 疏 記 等 の 書 写 の 願 に (32) 応 え て 二 千 余 巻 の 経 論 を 助 写 し て い る こ と な ど を 考 え 合 せ る と、 大 師 が 経 論 の 書 写 を 依 頼 し た 広 智 な る 人 物 は、 下 野 大 慈 院 の 広 智 で あ っ た と み な し て も 差 し つ か え な い。 以 上 よ り、 ﹃ 雑 筆 集 ﹄ の ﹁ 下 野 広 智 禅 師 ﹂ と ﹃ 叡 山 大 師 伝 ﹄ ﹃ 三 代 実 録 ﹄﹃ 元 亨 釈 書﹄﹃ 天 台 霞 標 ﹄ 等 に 見 出 さ れ る 下 野 国 大 慈 院 の ﹁ 広 智 菩 薩 ﹂ と は 同 一 人 物 で あ っ た と 考 え る。 三 (33) 次 に ﹁ 十 喩 を 詠 ず る 詩 ﹂ を み て お く。 こ れ は ﹃ 大 日 経 ﹄ 住 (34) 心 品 に 説 か れ る 十 縁 生 句 を 典 拠 に、 真 言 行 を 修 す る と き、 つ ぎ つ ぎ に 浮 ん で く る 妄 想 を 打 破 し な け れ ば な ら な い も の と し て、 十 種 の 比 喩-如 幻 ・ 陽 鱗 ・ 如 夢 ・ 鏡 中 像 ・ 乾 閣 婆 城 ・ 響 ・ 水 月 ・ 如 泡 ・ 虚 空 花 ・ 旋 火 輪-を も つ て 示 し た も の で、 天 長 四 年 ( 八 二 七) 三 月 一 日 の 日 付 を も つ。 問 題 と な る の は 十 喩 の 詩 に 付 さ れ た ﹁ 践 尾 ﹂ と 呼 ば れ る つ ぎ の 一 文 で あ る。 此 れ 是 の 十 喩 の 詩 は 修 行 者 の 明 鏡、 求 仏 の 人 の 舟 筏 な り。 一 た び 調 し、 一 た び 調 ず れ ば、 塵 巻 と 与 ん じ て 義 を 含 み、 一 た び 観 じ、 一 た び 念 ず れ ば、 沙 軸 と 将 ん じ て 理 を 得。 故 に 翰 札 を 揮 う て 東 山 の 広 智 禅 師 に 贈 る。 物 を 観 て は 人
を 思 ふ。 千 歳 に 忘 る る こ と 莫 れ。 上 に は 都 て 神 護 国 柞 を 翼 は む。 (35) 真 言 寺 沙 門 少 僧 都 遍 照 金 剛 右 の 文 か ら は こ の 詩 が い か な る 状 況 の も と で 書 か れ た の か を 知 る こ と は で き な い。 し か し、 ﹁ 故 に 翰 札 を 揮 う て、 東 山 の 広 智 禅 師 に 贈 る ﹂ と 記 さ れ て い る こ と か ら、 東 山 の 広 智 禅 師 に 贈 ら れ た こ と だ け は 明 ら か で あ る。 は じ め に 挙 げ た ご と く、 こ の ﹁ 東 山 の 広 智 禅 師 ﹂ に つ い て は こ れ ま で 未 詳 と さ れ な が ら、 種 々 の 説 が 出 さ れ て き た。 筆 者 は つ ぎ の 二 つ の 理 由 か ら、 こ の 広 智 禅 師 も 下 野 国 大 慈 院 の 広 智 菩 薩 を 指 す と 考 え る。 の 先 述 の ご と く、 弘 仁 六 年 ( 八 一 五) 広 智 は 教 興 な ど に 働 き か け て 大 師 か ら の 笛 教 経 論 の 書 写 依 頼 に 応 え て い る こ と。 口 天 長 七 年 ( 八 三 〇) 閏 十 二 月 十 六 日、 広 智 は 三 部 三 昧 耶 の (36) 印 信 を 徳 円 に 授 け て お り、 こ の こ と か ら 天 長 七 年 ま で は 広 智 の 存 命 が 確 認 で き る こ と。 で あ る。 特 に、 広 智 が 大 師 の 写 経 依 頼 に 応 え て い る こ と か ら、 両 者 の 間 に は 弘 仁 六 年 以 降 も 交 流 が 続 い て い た と 考 え ら れ、 そ の 一 コ マ と し て 天 長 四 年 に ﹁ 十 喩 を 詠 ず る 詩 ﹂ が 大 師 か ら 広 智 に 贈 ら れ た と 見 る こ と は、 さ し て 不 自 然 と は 思 わ れ な い (37) こ と で あ る。 も し、 こ の よ う な 見 方 が 許 さ れ る な ら ば、 こ の ﹁ 東 山 の 広 智 禅 師 ﹂ も 下 野 国 大 慈 院 の 広 智 菩 薩 で あ つ た と み な し て よ い。 四 で は、 下 野 大 慈 院 の 広 智 菩 薩 と は ど の よ う な 人 物 だ っ た の で あ ろ う か。 残 念 な が ら、 彼 に つ い て の 史 料 は 断 片 的 な も の し か 残 つ て い な い。 し か し な が ら、 そ れ ら の 史 料 を 手 掛 り に、 以 下、 可 能 な か ぎ り 彼 の 事 蹟 を た ど り、 あ わ せ て 彼 の 教 学 に つ い て も 触 れ る こ と に す る。 (38) そ の 前 に、 広 智 の 師 で あ つ た 道 忠 菩 薩 を み て お き た い。 (39) 道 忠 に 関 す る 一 頭 古 い 史 料 は 一 乗 忠 撰 の ﹃ 叡 山 大 師 伝 ﹄ で あ り、 こ れ に 続 く 史 料 に、 元 亨 二 年 ( 一 三 二 二) 成 立 の ﹃ 元 亨 (40) (41) 釈 書 ﹄、 慧 堅 の ﹃ 律 苑 僧 宝 伝 ﹄、 元 禄 十 五 年 ( 一 七 〇 二) 師 蛮 が (42) 著 わ し た ﹃ 本 朝 高 僧 伝 ﹄ な ど が あ る。 一 等 詳 し い 史 料 と し て は 元 禄 十 四 年 ( 一 七 〇 一) に 成 立 し た 義 澄 著. 招 提 千 歳 伝 記 ﹄ 所 収 の ﹁ 道 忠 律 師 伝 ﹂ が あ げ ら れ る。 そ こ に は つ ぎ の ご と く あ る。 弘 法 大 師 を め ぐ る 人 々(一) -広
智-密 教 文 化 ス ニ 律 師 道 忠、 不 レ 知 二 何 許 人 一也、 師 二 事 吾 祖 大 僧 正 ハ 戒 行 氷 ニ シ テ ス シ テ フ ト テ シ ニ テ 潔、 纈 白 尊 慕、 吾 祖 称 賛 日 二 持 戒 第 一一、嘗 行 二 化 東 州 ハ 好 フ ヲ ノ ス ル ノ タ テ 行 二 利 済 ﹁ 国 人 号 二 菩 薩 一也、 天 台 円 激 未 為 レ 童 時、 慕 二 師 ニ テ シ デ ヲ ニ テ ス 之 徳 ﹁ 夙 夜 服 労、 曽 無 二 難 色 ﹁ 師 哀 二 其 懇 誠 ハ 授 以 二 菩 薩 ヲ シ テ セ ン ト ヲ ス ヲ ニ ク ノ 戒 幻 又 伝 教 大 師 欲 レ 弘 二 通 台 教 ハ 書 二 写 経 巻 ハ 師 殊 助 二 其 功 一 ヲ (43) 云、 賛 日、 ( 以 下 略) こ れ ら 五 種 の 史 料 を 整 理 す る と、 つ ぎ の よ う に な る。 (一)道 忠 の 出 自 は 不 詳。 彼 は 鑑 真 和 上 に 師 事 し、 和 上 か ら ﹁ 持 戒 第 一 ﹂ の 弟 子 と い わ れ て い た。 (二)彼 は 早 く か ら 東 国 に 下 向 し、 民 衆 教 化 に つ と め た の で、 人 々 か ら ﹁ 東 国 の 化 主 ﹂ ﹁ 菩 薩 ﹂ と 慕 い 仰 が れ た 人 物 で あ っ た。 (三)延 暦 十 六 年 ( 七 九 七) 最 澄 が 一 切 経 の 書 写 を 発 願 し た と き、 彼 は 二 千 余 巻 の 経 論 を 書 写 し て こ れ を 助 成 し、 そ れ 以 降 道 忠 の 弟 子 達 は 最 澄 ・ 叡 山 教 団 と 師 資 の 関 係 を 閾 か な か つ た と い わ れ る。 (四)叡 山 の 第 二 代 座 主 と な つ た 円 澄 は、 は じ め 彼 に 師 事 し、 菩 薩 戒 を 受 け た。 (五)彼 の 弟 子 は 円 澄 の ほ か、 下 野 国 大 慈 院 の 広 智 ・ 基 徳 ・ 鷺 鏡 ・ 徳 念、 上 野 国 浄 土 院 の 教 興 ・ 道 応 ・ 真 静 の 七 人 が い た。 彼 の 没 年 は い ず れ の 史 料 に も 明 記 さ れ て い な い。 し か し、 延 (44) 暦 七 年 ( 七 八 八) 十 八 歳 で 弟 子 入 り し た 円 澄 が、 同 十 七 年 ( 七 (45) 九 八) 叡 山 に 登 つ て い る こ と か ら み て、 道 忠 は 延 暦 十 七 年 前 (46) 後 に 示 寂 し た も の と 思 わ れ る。 つ ぎ に、 広 智 の 事 蹟 を み て い こ う。 彼 は す で に 述 べ た ご と く、 道 忠 の 弟 子 で 下 野 国 大 慈 院 に 住 し、 徳 行 該 博 に し て 戒 定 を 具 足 し、 己 を 虚 し く し て 利 他 行 に 努 め た た め、 人 々 か ら ﹁ 菩 薩 ﹂ の 名 で 親 し く 呼 ば れ て い た 人 物 で あ っ た。 ま た、 天 長 二 年 ( 八 二 五) 八 月 の ﹁ 参 議 伴 国 道 書 ﹂ (47) は ﹁ 如 来 之 使 と し て 如 来 之 事 を 行 な う ﹂ と い つ た 言 葉 を も つ て、 彼 を 称 讃 し て い る。 広 智 が 文 献 に あ ら わ れ る 最 初 は 延 暦 十 三 年 ( 七 九 四) の 円 仁 誕 生 の 時 で あ る。 す な わ ち、 ﹃ 三 代 実 録 ﹄ 巻 八 ・ 貞 観 六 年 ( 八 六 四) 正 月 十 四 日 条 に 収 め ら れ た ﹁ 円 仁 卒 伝 ﹂ に、 テ ニ リ 円 仁、 俗 姓 壬 生 氏、 下 野 国 都 賀 郡 人 也、 當 二 産 時 一有 二 紫 ユ ニ シ コ ト ニ リ テ ゥ 雲、 見 二 其 家 上、 家 人 無 レ 見、 干 レ 時 有 レ 僧、 名 日 二 広 智、 ノ ス シ テ ヲ チ ル コ ト ヲ 国 人 号 一広 智 菩 薩、 広 智 規 二 望 雲 気、 乃 知 レ 起 二 於 檀 越 壬 生
ノ ニ ダ テ ト ス ヲ シ テ ズ テ ノ ヲ ク ス ペ シ 氏 家、 甚 以 奇 レ 之、 秘 而 不 レ 言、 誠 二 其 父 母、 善 能 愛 養、 シ ク シ テ ウ ヲ テ ニ ス テ ニ シ テ ス ニ 久 而 円 仁 喪 レ 父、 随 レ 母 育 長、 年 甫 九 歳、 付 二 託 広 智 菩 薩、 ク シ テ ナ リ (48) 円 仁 幼 而 警 俊、 風 貌 温 雅、 (以 下 略) と あ る ご と く、 広 智 は 円 仁 が 生 ま れ た 時、 紫 雲 の た な び く の を 見 て 彼 の 生 家 を た ず ね、 父 母 を 誠 し め た こ と が 知 ら れ る。 ま た、 ﹃ 慈 覚 大 師 伝 ﹄ ・ ﹃ 元 亨 釈 書 ﹄ な ど に は こ の 時、 広 智 が ﹁ こ の 児 が 成 長 し た な ら 必 ず 自 分 に 与 え ら れ る で あろう﹂と (49) 円 仁 の 出 家 を 予 言 し た 話 を 載 せ て い る。 こ の 出 家 を 予 言 し た 話 は、 広 智 と 円 仁 と の 関 係 の 浅 か ら ぬ こ と を 物 語 っ た ブ イ ク シ ョ ソ と も う け と れ な く は な い。 し か し、 紫 雲 の た な び く の を み て 円 仁 の 生 家 を た ず ね た 話 は、 円 仁 伝 に は 必 ず と い っ て (50) よ い ほ ど 見 出 さ れ る。 し た が つ て、 広 智 が 円 仁 の 出 家 を 予 言 し た 話 は さ て お き、 延 暦 十 三 年 ( 七 九 四) 円 仁 が 生 ま れ た 時、 彼 の 生 家 を た ず ね た 点 に は 信 を お い て よ い で あ ろ う。 こ れ を う け て 延 暦 十 九 年 ( 八 〇 〇) に は 叡 山 の 第 四 代 座 主 と (51) な っ た 安 恵 が 七 歳 で 広 智 に 師 事 し、 同 二 十 一 年 ( 八 〇 二) に は (52) 九 歳 に な つ た 円 仁 が 広 智 の 門 に 入 つ て い る。 そ の の ち、 広 智 は 二 人 を 最 澄 に 付 属 す べ く、 大 同 元 年 ( 八 〇 六) に は 十 三 歳 の (53) 安 恵 を 伴 な い、 同 三 年 (八 〇 八) 七 月 に は 十 五 歳 の 円 仁 を た ず (54) さ え て 叡 山 に 登 っ た。 こ れ ら 広 智 本 門 と 叡 山 と の 関 係 は 先 に 述 べ た ご と く、 広 智 の 師 ・ 道 忠 が 延 暦 十 六 年 (七 九 七) に 最 澄 の 一 切 経 書 写 を 助 成 し た こ と に は じ ま る も の で あ り、 円 澄 ・ 安 恵 ・ 円 仁 な ど の 叡 山 へ の 登 山 入 門 を 経 て、 両 者 の 関 係 は そ の 後 ま す ま す 緊 密 の 度 合 を 深 め て い っ た。 す な わ ち、 大 同 五 年 ( 八 一 〇) 五 月 十 四 日 に は 叡 山 止 観 院 妙 徳 道 場 に お い て、 広 智 み ず か ら 三 部 三 昧 耶 の 印 信 を 最 澄 か ら (55) 授 け ら れ た。 こ の 三 部 三 昧 耶 の 印 信 は 最 澄 が 入 唐 し た 折、 貞 元 二 十 一 年 ( 八 〇 五) 四 月 十 九 日 越 州 泰 岳 霊 巌 寺 に て 順 暁 阿 閣 梨 か ら 伝 授 さ れ た も の で、 最 澄 の 請 来 本 と も 目 さ れ る 印 信 が (56) 四 天 王 寺 と 毘 沙 門 堂 に 現 存 し、 最 澄 み ず か ら も ﹃ 顕 戒 論 縁 起 ﹄ (57) で 二 箇 所 に こ の 印 信 全 文 を 載 せ て い る。 そ れ ら に よ る と、 砒 盧 遮 那 如 来 三 十 七 尊 曼 茶 羅 所 (噛) (58) 阿 鍵 藍 咋 欠 上 品 悉 地 阿 尾 羅 畔 欠 中 品 悉 地 阿 羅 波 者 那 下 品 悉 地 灌 頂 伝 授 三 部 三 昧 耶 阿 閣 梨 沙 門 順 暁、 図 様 契 印 法、 大 唐 貞 元 二 十 一 年 四 月 十 八 日、 泰 嶽 霊 巌 寺 鎮 国 道 場 大 徳 内 供 テ ノ ニ シ ヲ ス 奉 沙 門 順 暁、 於 二 越 府 峯 山 頂 道 場、 付 二 三 部 三 昧 耶、 牒 二 弟 弘 法 大 師 を め ぐ る 人 々 (一) -広
智-密 教 文 化 ニ ニ 子 敢 澄 ハ 大 唐 国 開 元 朝、 大 三 蔵 婆 羅 門 国 王 子 法 号 善 無 畏、 リ シ ヲ リ テ ニ シ テ ス ノ 従 二 仏 国 大 那 蘭 陀 寺、 転 二 大 法 輪 ﹁ 至 二 大 唐 国、 転 付 二 嘱 伝 法 ニ ナ リ テ ニ 弟 子 僧 義 林 ハ 亦 是 国 師 大 阿 閣 梨 一 百 三 歳、 今 在 二 新 羅 国 一 ス ヲ ス ノ ニ ノ ナ リ 転 二 大 法 輪 噛 又 付 二 唐 弟 子 僧 順 暁、 是 鎮 国 道 場 大 徳 阿 闇 梨、 シ テ ノ ニ セ シ ム ヲ ハ ノ 又 付 二 日 本 国 弟 子 僧 最 澄、 転 二 大 法 輪、 僧 最 澄 是 第 四 付 嘱 ナ リ ス ム ヲ シ テ ク ラ 伝 授、 唐 貞 元 二 十 一 年 四 月 十 九 日 書 記、 令 二 仏 法 永 永 不 7 エ シ テ ス ニ (59) 絶、 阿 閣 梨 沙 門 順 暁、 録 付 二 最 澄、 と あ り、 こ の 印 信 は 善 無 畏-義 林 -順 暁-最 澄 と 次 第 し た こ と が 知 ら れ る。 最 澄 は 唐 か ら 帰 朝 後 そ う そ う の 延 暦 二 十 四 年 ( 八 〇 五) 九 月 一 日、 高 雄 山 寺 で 灌 頂 を 行 な っ た が、 そ の 折 伝 授 さ れ た の は こ の 三 部 三 昧 耶 の 法 で あ り、 道 証 ・ 修 円 ・ 勤 操 (60) ・ 正 能 ・ 正 秀 ・ 広 円 な ど 八 人 が 受 法 し た。 そ の 後、 最 澄 が 三 部 三 昧 耶 の 伝 授 を 行 な っ た の は 大 同 五 年 五 月 十 四 日 の 広 智 と、 (61) 弘 仁 八 年 ( 八 一 七) 三 月 六 日 の 徳 円 だ け で あ る。 し か し、 ど う し た 訳 か 徳 円 に は 印 信 が 授 け ら れ な か つ た。 そ れ は さ て お き、 大 同 五 年 の 広 智 へ の 伝 授 は つ ぎ の 二 つ の 点 か ら 信 頼 し て よ い で あ ろ う。 す な わ ち、 (一)園 城 寺 所 蔵 の 智 証 大 師 関 係 文 書 の な か に、 最 澄 か ら 広 智 (62) に 与 え ら れ た 印 信 の 円 珍 当 時 の 写 し が 見 出 さ れ る こ と。 (二)後 述 す る ご と く、 こ の 印 信 は 最 澄 か ら 最 澄-広 智-徳 円-円 珍 と 次 第 し て 伝 授 さ れ、 徳 円 か ら 円 珍 へ 与 え ら れ た 印 信 の 原 (63) 本 が や は り 智 証 大 師 関 係 文 書 中 に 現 存 す る こ と。 で あ る。 こ の 三 部 三 昧 耶 の 印 信 ( 形 式) は 今 日 で も 台 密 十 三 流 の う ち、 法 曼 ・ 大 原 ・ 穴 太 ・ 石 泉 ・ 双 厳 ・ 三 昧 の 六 流 に﹁根 (64) 本 大 師 印 信 ﹂ と し て 継 承 さ れ て い る と い わ れ る。 と す る と、 こ の よ う な 印 信 が 広 智 に 授 け ら れ た こ と は、 最 澄 が 広 智 を 一 人 の 伝 法 者 と し て い か に 見 て い た か を 窺 わ せ る も の で あ ろ う。 つ い で、 弘 仁 八 年 (八 一 七) に は 先 に 述 べ た ご と く、 最 澄 の 東 国 巡 化 に と も な う 宝 塔 建 立 事 業 を 援 助 し て い る。 そ し て、 同 年 五 月 十 五 日 で き た ば か り の 上 野 国 緑 野 寺 の 法 華 塔 前 に お い て、 円 澄 と と も に 最 澄 か ら 両 部 の 灌 頂 を 授 け ら れ た。 こ の 記 述 は、 明 和 八 年 ( 一 七 七 一) か ら 文 久 二 年 ( 一 八 六 二) に か け て 敬 雄 ・ 慈 本 に よ っ て 編 纂 さ れ た ﹃ 天 台 霞 標 ﹄ 所 引 の 承 和 四 年 (65) ( 八 三 七) 二 月 十 四 日 付 ﹁ 円 澄 相 承 血 豚 ﹂ に だ け し か 見 出 さ れ な い も の で あ る。 同 年 ( 八 一 七) 三 月 六 日 同 じ く 緑 野 寺 に て 徳 (66) 円 に 三 部 三 昧 耶 の 付 法 が 行 な わ れ て い る こ と は、 つ づ い て 両 部 の 灌 頂 が 開 壇 さ れ た こ と を 窺 わ せ る 一 つ の 証 左 と は な る で
あ ろ う が、 た だ ち に 信 を お き が た い。 な ぜ な ら、 円 澄 の 寂 年 (67) (68) に は 異 説 が 多 く、 弘 仁 三 年 ( 八 一 二)、 天 長 十 年 ( 八 三 三)、 承 和 (69) (70) 三 年 ( 八 三 六)、 同 四 年 ( 八 三 七) 説 な ど が あ る が、 今 日 で は 承 和 (71) 三 年 十 月 二 十 六 日 示 寂 説 が ほ ぼ 定 説 と な つ て い る。 と す る と、 承 和 四 年 二 月 十 四 日 付 の こ の 血 豚 自 体 の 信 葱 性 が 疑 わ し く な っ て く る か ら で あ る。 そ れ に、 最 澄 が は た し て 両 部 の 灌 頂 を 授 け る こ と が で き た か、 の 点 に つ い て も 問 題 が 残 さ れ て お (72) り、 こ の こ と か ら も 疑 問 は け し が た い。 と も あ れ、 天 台 宗 で は 弘 仁 八 年 五 月 十 五 日 の 広 智 ・ 円 澄 へ の 灌 頂 は 事 実 あ っ た こ と と み な さ れ て い る よ う で あ る。 天 長 二 年 ( 八 二 五) 八 月 付 の ﹁ 参 議 伴 国 道 書 ﹂ に、 テロ ヲ ニ ン カ ヲ シ テ ニ ( 前 略) 禅 師 (=最 澄) 以 二 去 弘 仁 八 年 殉 為 レ 令 三 一 切 衆 生、 直 ラ ニ シ テ ニ ル シ ヲ ク 至 二 道 場、 結 二 縁 八 島 之 内、 奉 レ 写 二 法 華 経 六 千 部、 今 聞、 ノ シ テ テ ノ ニ ス ヲ ニ ジ 下 野 国 小 野 寺 沙 弥 広 智、 伏 依 二 師 教 騨写 二 千 部 噛 毎 レ 年 行 レ ヲ シ テ ゲ ノ ヲ フ ヲ ニ 檀、 毎 日 長 講、 揚 二 一 乗 奥 義、 述 二 十 如 是 之 妙 旨、 正 法 将 レ ベ シ ル シ テ ト フ ヲ ヲ テ 来、 若 人 更 起、 所 レ 謂 為 二 如 来 之 使、 行 二 如 来 之 事、 是 以 ニ エ ヲ シ テ ム セ ム ル ハ ヲ セ ル 左 相 君、 遙 加 二 随 喜、 持 奏 令 レ 度、 今 使 二 円 教 東 被、 唯 懸 ニ ノ ニ (73) 斯 人、 努 力、 努 力、 ( 以 下 略) と あ る。 こ れ に つ い て、 田 村 晃 祐 教 授 は ﹁ 広 智 は 一 乗 の 奥 義、 十 如 の 妙 旨 な ど 天 台 の 教 え を 広 め た の で、 天 長 二 年 に 至 つ て (74) 特 別 に 得 度 す る こ と が 許 さ れ た﹂ と 解 し て お ら れ る。 筆 者 は そ う は 思 わ な い。 上 述 し て き た よ う に、 広 智 は 鑑 真 か ら 持 戒 第 一 の 弟 子 と 称 さ れ た 道 忠 の 弟 子 で、 叡 山 へ は 少 な く と も 三 度 は 登 っ て お り、 最 澄 か ら 三 部 三 昧 耶 の 印 信 ・ 両 部 の 灌 頂 ま で 授 け ら れ た 彼 が こ の 年 に 至 る ま で 得 度 を 受 け て い な か つ た と は 到 底 考 え が た い。 な ぜ な ら、 ﹁ 左 相 君 ﹂ は 周 知 の ご と く ﹁ 左 大 臣﹂の唐名で、﹃公卿補任﹄にょると左大臣は延暦 二 年 ( 七 八 三) 三 月 十 九 日 に 亮 じ た 藤 原 田 麿 以 降、 天 長 二 年 ( 八 二 五) 四 月 五 日 に 任 ぜ ら れ た 藤 原 冬 嗣 ま で お か れ な か っ (75) た。 し た が つ て、 文 意 か ら み れ ば 冬 嗣 が 左 大 臣 に な つ た 天 長 二 年 四 月 五 日 以 後 に ﹁ 持 奏 令 度 ﹂ ら れ た こ と に な る。 し か し、 ﹁ 伴 国 道 書 ﹂ に お け る 官 位 の 表 記 は 記 事 の 年 次 に 関 係 な く、 こ れ が 書 か れ た 天 長 二 年 八 月 当 時 の 官 位 を も つ て 記 し て い る と 考 え ら れ る。 た と え ば、 弘 仁 十 三 年 ( 八 二 二) 叡 山 に 大 乗 戒 壇 が 設 置 さ れ た 条 に、 (76) 左 大 臣 正 二 位 藤 原 朝 臣 冬 嗣 中 納 言 正 三 位 良 峯 朝 臣 安 世 と あ る が、 こ の 二 人 の 官 位 ぱ い ず れ も 天 長 二 年 の も の で あ り、 弘 仁 十 三 年 当 時 は 弘 法 大 師 を め ぐ る 人 々(一) -広
智-密 教 文 化 (77) 冬 嗣→右 大 臣 従 二 位 安 世→中 納 言 従 三 位 で あ つ た ご と く で あ る。 と す る と、 一 歩 譲 つ て ﹁ 持 奏 令 度 ﹂ を ﹁ 特 別 に 得 度 す る こ と が 許 さ れ た ﹂ と 解 し て も、 そ れ が 天 長 二 年 で あ っ た と み な す こ と は で き な い。 広 智 の 得 度 年 次 を 明 確 に 記 す 史 料 が ほ か に 得 ら れ な い 今 日、 早 急 に 結 論 を 出 す こ と は 差 し 控 え な け れ ぽ な ら な い が、 筆 者 は 広 智 は 弘 仁 八 年 か ら 天 長 二 年 の 間 に 度 牒 を え て、 そ れ ま で の 私 度 僧 か ら 正 式 の 僧 侶 と な ら れ た と 解 し て お く。 天 長 七 年 ( 八 三 〇) 閏 十 二 月 十 六 日、 広 智 は 下 野 国 大 慈 山 寺 (78) に お い て 三 部 三 昧 耶 の 印 信 を 徳 円 に 授 け た。 こ れ は 彼 の 生 存 が 確 認 で き る 最 後 の 記 事 で あ つ て、 こ の 時 の 印 信 が ﹃ 天 台 霞 (79) 標 ﹄ に 収 載 さ れ て い る。 ま た、 承 和 九 年 ( 八 四 二) 五 月 十 五 日 (80) に 徳 円 が 円 珍 に 与 え た ﹁ 徳 円 阿 闊 梨 印 信 ﹂ に も こ の こ と が 明 記 さ れ て い る。 こ の ﹁ 徳 円 阿 闇 梨 印 信 ﹂ は 原 本 が 園 城 寺 所 蔵 の 智 証 大 師 関 係 文 書 の な か に 現 存 し、 広 智 の 生 存 が 確 認 で き る だ け で な く、 三 部 三 昧 耶 の 印 信 の 相 承 系 譜 を 知 る 上 で も 実 に 貴 重 な 史 料 と い わ ね ば な ら な い。 そ の 全 文 を 挙 げ る と つ ぎ の ご と く な る。 眈 盧 遮 那 如 来 曼 茶 羅 所 (槍) (81) 阿 鍵 唯 畔 欠 上 阿 尾 羅 噂 欠 中 阿 羅 波 遮 那 下 灌 頂 伝 授、 金 剛 界 五 部 曼 茶 羅、 三 十 七 尊、 三 種 悉 地 法、 阿 閣 梨 沙 門 徳 円 図 様 契 印 法、 大 日 本 承 和 九 年 五 月 十 五 日、 梵 釈 寺 鎮 国 道 場、 十 禅 チ 師 比 叡 山 延 暦 寺 天 台 法 華 宗 沙 門 伝 灯 法 師 位 徳 円、 即 テ ノ ノ ニ シ 於 二 西 塔 院 転 法 輪 鎮 国 道 場 本 師 釈 迦 如 来 像 前、 付 ニ ヲ ス ニ 三 部 三 昧 耶、 牒 二 弟 子 僧 円 珍、 ノ ハ ト レ ノ ナ リ 大 唐 開 元 朝、 三 蔵 大 阿 閣 梨 大 善 無 畏、 元 是 婆 羅 門 国 王 子、 リ リ テ ス ニ ジ ヲ ノ 従 二 中 天 竺 大 那 蘭 陀 寺 一来 達 二 漢 境 ハ 伝 二 大 法 輪 大 唐 弟 子 僧 ニ ズ ニ 義 林 阿 闊 梨、 阿 閣 梨 伝 二 弟 子 僧 順 暁 阿 閨 梨、 阿 闇 梨 大 唐 貞 テ ニ ス ノ 元 十 一 年 四 月 十 八 日、 於 二 越 府 峯 山 頂 道 場、 付 二 本 国 最 澄 ニ ナ レ ナ リ ル 阿 闊 梨、 皆 是 国 師 供 奉 大 徳 突、 澄 阿 閣 梨 去 大 同 五 年 五 月 ニ テ ス ニ ナ リ 十 四 日、 比 叡 山 止 観 院 妙 徳 道 場 伝 二 灯 広 智 阿 闊 梨、 皆 有 ニ チ タ ル 印 信、 師 即 相 付 也、 復 澄 阿 遮 梨 去 弘 仁 八 年 三 月 六 日、 下 ニ テ ス ニ タ ラ ニ シ マ 野 州 大 慈 山 寺 伝 二 付 弟 子 徳 円、 印 署 未 レ 蒙、 大 師 遂 没 去、 ス シ テ ニ ム ガ ヲ テ 天 長 七 年 潤 十 二 月 十 六 日、 為 レ 取 二 印 信、 於 二 野 州 大 慈 山 ニ ク ニ ニ フ ヲ ミ マ ク 道 場、 更 受 二 広 智 阿 閨 梨、 方 給 二 印 信、 今 阿 閣 梨 徳 円 嗣 二
ヲ ニ ス ニ ニ シ テ ヲ レ ヅ 師 跡 一故、 伝 二 授 弟 子 僧 円 珍、 最 後 紹 二 継 仏 種 一莫 レ 断、 広 智 和 ハ レ ノ ハ ノ ナ リ ハ ノ ナ リ シ テ 上 是 第 五 付 嘱、 沙 門 徳 円 第 六 付 嘱、 僧 円 珍 第 七 付 嘱、 曖 々 ミ ヲ テ ニ セ ヨ ク シ ヲ ク サ ン ヲ ヨ ヨ 含 レ 光、 随 レ 機 伝 授、 普 利 二 益 有 情、 自 他 同 期 レ 仏、 努 力 努 力、 キ ス ニ ズ エ 日 本 承 和 九 年 五 月 十 五 日 書 記、 今 仏 法 長 劫 不 レ 絶、 阿 閣 梨 シ テ ス ニ (82) 沙 門 徳 円、 録 付 二 弟 子 僧 円 珍、 つ ま り、 こ の 三 部 三 昧 耶 の 印 信 は 善 無 畏-義 林-順 暁-最 澄-広 智-徳 円-円 珍 と 次 第 し た も の で、 い ま 第 七 伝 と し て こ こ に 円 珍 に 付 嘱 す る こ と を 明 記 し て い る。 ま た、 こ の 印 信 に は 徳 円 の 受 法 の 経 緯 を つ ぎ の よ う に 述 べ て い る。 す な わ ち、 徳 円 は 最 初、 弘 仁 八 年 三 月 六 日 下 野 州 大 慈 山 寺 に て 最 澄 か ら 付 法 さ れ た が 印 信 を 授 け ら れ な い う ち に 師 は 示 寂 し た。 で、 天 長 七 年 閏 十 二 月 十 六 日 大 慈 山 寺 に て 改 め て 広 智 か ら 伝 授 を う け、 印 信 を 給 わ っ た と。 こ れ に よ つ て、 広 智 が 少 な く と も 天 長 七 年 末 ま で は 存 命 で あ つ た こ と が わ か る。 以 上 が ﹃ 三 代 実 録﹄﹃ 元 亨 釈 書 ﹄ ﹁ 付 法 印 信 ﹂ ﹁ 相 承 血 豚 ﹂ な ど か ら 知 る こ と の で き た 広 智 に つ い て の 全 て で あ る。 こ れ に 上 述 し た 弘 仁 六 年 ( 八 一 五) の 大 師 か ら の 写 経 依 頼、 天 長 四 年 ( 八 二 六) の ﹁ 十 喩 の 詩 ﹂ の 贈 呈 を 加 え て も、 ま こ と に 微 々 た る も の で し か な い。 し か し、 こ れ ら か ら 彼 の 活 躍 年 代 は ほ ぼ 知 る こ と が で き、 そ れ は 延 暦 十 三 年 ( 七 九 四) か ら 天 長 七 年 ( 八 三 〇) の 間 を 中 心 と し た 約 四 十 年 間 で あ っ た。 つ ぎ に 彼 の 教 学 に つ い て 見 て お き た い。 彼 の 教 学 を 知 り う る 史 料 と し て は、 天 長 二 年 八 月 付 ﹁ 参 議 伴 国 道 書 ﹂ が 唯 一 の も の と い っ て よ い。 す で に 触 れ た ご と く、 そ こ に は、 広 智 は 毎 日 ( 法 華 経 を) 長 講 し て ( 法 華) 一 乗 の 奥 義 を 掲 げ、 十 如 ( 天 台) の 妙 旨 を 述 べ て お り、 天 台 教 学 の 東 (83) 国 へ の 布 教 は た だ 一 人 こ の 人 に よ る。 (趣 意) (84) と ま で い わ れ、 ﹁ 如 来 の 使 と し て、 如 来 の 事 を 行 な う ﹂ と い っ た 語 句 も 見 出 さ れ る。 こ れ に、 (一)延 暦 十 六 年 (七 九 七) 広 智 の 師 道 忠 が 最 澄 の 一 切 経 書 写 を 助 成 し た の は、 道 忠 が 天 台 教 学 を あ る 程 度 学 ん で い た か (85) ら で あ つ た と 考 え ら れ て い る こ と。 (二)師 道 忠 と 最 澄 と の 関 係 も あ っ て か、 弟 子 の 安 恵 ・ 円 仁 を 相 つ い で 叡 山 に 送 り 込 み、 最 澄 に 付 嘱 し て い る こ と。 弘 法 大 師 を め ぐ る 人 々(一) -広
智-密 教 文 化 (三)み ず か ら も 三 部 三 昧 耶 の 印 信、 両 部 灌 頂 を 最 澄 か ら 伝 授 さ れ、 ま た 最 澄 の 宝 塔 建 立 事 業 を 助 成 す る な ど、 広 智 一 門 と 叡 山 教 団 と の 間 に は 密 接 な 関 係 が 伺 わ れ る こ と。 を 考 え 合 せ る と、 広 智 の 教 学 は 明 ら か に 天 台 教 学 で あ つ た と 思 わ れ る。 五 こ の よ う に 見 て く る と、 大 師 が 叡 山 教 団 と 密 接 な 関 係 を も ち、 天 台 教 学 を 信 奉 し て い た 広 智 に 密 教 経 論 の 書 写 を 依 頼 し て い る こ と は、 一 見 奇 異 に 感 じ ら れ る か も 知 れ な い。 し か し、 つ ぎ の よ う に 考 え れ ぽ、 そ の 疑 い は 氷 解 す る で あ ろ う。 つ ま り、 大 師 は 下 野 国 を 中 心 と し た 東 国 に お け る 広 智 一 門 の 経 済 力 ・ 組 織 力 ・ 影 響 力 な ど を 高 く 評 価 さ れ、 そ れ ら を 十 分 に 計 算 さ れ た 上 で、 彼 に 密 教 経 論 の 書 写 を 依 頼 さ れ た の で あ っ た と。 広 智 一 門 の 経 済 力 ・ 組 織 力 に つ い て は、 つ ぎ の 二 つ か ら も 窺 い 知 る こ と が で き る。一 つ は 延 暦 十 六 年 ( 七 九 七) 師 の 道 忠 が 最 澄 の 一 切 経 の 書 写 事 業 を 助 け て 二 千 余 巻 の 経 論 を 書 写 し て い る こ と に 先 例 が 求 め ら れ、 一 つ は 広 智 の 兄 弟 弟 子 で あ つ た 教 興 が 写 経 主 と な っ て 書 写 さ れ た ﹃ 大 教 王 経 ﹄ 三 巻 が 現 存 す る こ と で あ る。 ま た、 時 代 は 少 し 降 る が、 承 和 元 年 ( 八 三 四) 五 月 十 五 日 に、 メ ヨ ヲ シ テ セ テ ヲ 勅、 令 下 相 模、 上 総、 下 絡、 常 陸、 上 野、 下 野 等 國 司、 鋤 レ カ リ ヲ ニ セ ノ ハ リ 爲 二 取 一 切 経 一 部、 来 年 九 月 以 前 奉 進 上、 其 経 本 在 二 上 野 ニ (86) 國 緑 野 郡 緑 野 寺一、 と、 一 切 経 書 写 の 勅 が 東 国 六 ケ 国 に 出 さ れ て い る。 こ こ に み ら れ る 緑 野 寺 は い う ま で も な く、 弘 仁 六 年 に 書 写 さ れ た ﹃ 大 教 王 経 ﹄ の 写 経 主 教 興 が 住 し て い た 緑 野 寺 で あ る。 そ こ に ﹁ 其 の 経 本 は 上 野 国 緑 野 郡 緑 野 寺 に 在 り ﹂ と あ る こ と は、 想 像 を た く ま し く す れ ば、 緑 野 寺 に は 手 本 と な る ﹂ 切 経 が 完 備 し て い て、 い つ で も 写 経 の で き る 体 勢 が 整 っ て い た と も 考 え ら れ る。 も し、 こ の よ う な 理 解 が 正 し け れ ぽ、 後 に 触 れ る よ う に、 大 師 は 東 国 に お け る 仏 教 界 の 動 静 を か な り の 程 度 ま で 把 握 さ れ て い て、 広 智 に 白 羽 の 矢 を 立 て ら れ た も の と 考 え る。 最 後 に、 大 師 と 広 智 と の 交 友 が い つ 頃 か ら は じ ま っ た の か に つ い て 見 て お き た い。
弘 仁 六 年 の 広 智 宛 書 簡 の 冒 頭 を み る と、 幽 蘭 心 な け れ ど も 気 遠 く、 美 玉 深 く 居 て 以 て 価 貴 し。 闇 梨、 遽 方 に 僻 処 す れ ど も、 善 称、 風 雲 と 与 ん じ て 周 普 (87) す。 甚 だ 善 し、 甚 だ 善 し。 と あ り、 大 師 は 広 智 を 蘭 の 芳 香 と か 玉 の 高 貴 さ に 讐 え、 ﹁ 居 所 は 遠 く は な れ て お り ま す が、 あ な た の 名 声 は 伝 え 聞 い て お り ま す ﹂ と、 丁 重 か つ 敬 意 を こ め て 書 か れ て い る。 大 師 と 最 (88) 澄 と の 間 で 取 り 交 わ さ れ た 書 簡 は 約 三 十 通 見 ら れ る が、 こ の よ う に 丁 重 な 書 き 出 し で は じ ま る も の は 見 当 ら な い。 と す る と、 密 教 経 論 の 書 写 依 頼 と い う 事 情 は あ っ た に し ろ、 少 し 丁 重 す ぎ る よ う に 見 受 け ら れ る。 こ の こ と よ り、 両 者 の 交 流 は 弘 仁 六 年 三 月 二 十 六 日 付 の 書 簡 を も っ て は じ ま つ た も の と 思 わ れ る。 で は、 大 師 は い つ、 い か な る 契 機 で も っ て 広 智 を 知 る よ う に な つ た の か、 が つ ぎ に 問 題 と な ろ う。 今 日、 大 師 が 東 国 へ 趣 む か れ た こ と を 記 す 信 頼 で き る 史 料 は な い。 も ち ろ ん、 大 師 と 広 智 と の 出 逢 い を 記 し た 史 料 も な い。 そ こ で、 推 測 の 域 を 出 る も の で は な い が、 大 師 が 広 智 を 知 る に 至 っ た 経 緯 と し て、 つ ぎ の 二 つ の ケ ー ス が 考 え ら れ よ う。 第 一 に 想 起 さ れ る の は、 弘 仁 五 年 ( 八 一 四) 八 月 三 十 日 の (89) 日 付 を も つ ﹁ 沙 門 勝 道 山 水 を 歴 て 玄 珠 を 螢 く 碑 ﹂ で あ る。 こ の 碑 文 は、 大 師 が 勝 道 ( 七 三 五-八 一 七) の 意 を う け た 前 下 野 国 伊 博 土 の 懇 請 に よ り、 二 荒 山 の 勝 景 お よ び 同 山 を 開 創 し た 沙 門 勝 道 の 補 陀 洛 山 初 登 頂 を 讃 え る た め に 撰 せ ら れ た も の で、 ﹃ 性 霊 集 ﹄ 巻 二 に 収 載 さ れ て い る。 そ の 内 容 は の 序 文、 口 勝 道 の 出 自 と 略 歴、 口 前 後 三 回 に お よ ぶ 登 頂 の 記 録、 凶 補 陀 洛 山 の 山 容 と 山 頂 か ら の 眺 め、(五)後 年、 湖 ( 中 禅 寺 湖) を 遊 覧 し た 時 の 光 景、 因 神 宮 寺 の 建 立、 爾 講 師 へ の 補 任 ・ 華 厳 精 舎 の 建 立 と 祈 雨、 囚 碑 文 撰 述 の 経 緯、 伽 全 体 を 総 括 す る 詩、 (十)執 筆 の 由 来、 か ら な っ て い る。 こ の な か 特 に、 四 と 固 に お け る 風 景 描 写 は 流 麗 な こ と ば を も つ て 詳 細 に 記 述 さ れ て お り、 そ れ は あ た か も そ の 光 景 を 目 の 前 に し て 綴 っ た ご と く で あ る。 し か し、 大 師 は 本 文 中 に、 人 の 相 知 る こ と 必 ず し も 封 面 し て 久 し く 話 る の み に し も 在 ら ず。 意 通 す れ ば、 傾 蓋 の 遇 な り。 余 と 道 公 と 生 年 よ り 相 見 ず。 幸 に 伊 博 士 公 に 因 っ て 其 の 情 素 の 雅 致 を 聞 き、 兼 ね て 洛 山 の 記 を 請 ふ こ と を 蒙 る。 余 不 才 に し て 仁 に 當 弘 法 大 師 を め ぐ る 人 々(一) -広
智-密 教 文 化 れ り。 敢 へ て 辮 譲 せ ず。 輯 ち 拙 詞 を 抽 で て 井 に 絹 素 の 上 (90) に 書 す。 と、 す べ て 伊 博 士 か ら の 伝 聞 を も と に、 書 か れ た こ と を 明 ら か に さ れ て い る。 そ こ で、 筆 者 は そ の 詳 細 な 記 述 か ら、 大 師 は こ の 碑 文 を 撰 す る に あ た り、 伊 博 士 か ら 勝 道、 補 陀 洛 山 に つ い て は も ち ろ ん の こ と、 下 野 国 を 中 心 と し た 東 国 一 円 の 動 静 に つ い て も つ ぶ さ に 聞 か れ た は ず で あ り、 そ の 時 広 智 の 存 在 に つ い て も 知 識 を 得 て お ら れ た こ と は ほ ぼ 間 違 い な い と 考 え る。 そ れ は つ ぎ の 点 か ら も 首 肯 さ れ る で あ ろ う。 す な わ ち、 こ の 碑 文 の 主 題 は 補 陀 洛 山 初 登 頂 と い う 偉 業 を な し と げ た 勝 道 を 讃 嘆 す る こ と で あ る が、 そ の 舞 台 は ま さ し く 広 智 の 住 し て い た 下 野 国 で あ っ た。 勝 道 は 天 平 七 年 ( 七 三 五) 同 国 芳 賀 郡 の 若 田 氏 に 生 を う け、 延 暦 年 中 ( 七 八 二-八 〇 六) に 上 野 国 の 講 師 に 任 ぜ ら れ て い た 期 間 以 外 は 補 陀 洛 山 を は じ め、 彼 の 建 立 し た 神 宮 寺 ・ 華 厳 の 精 舎 を 根 拠 地 と し て 活 躍 し て い た と 考 え ら れ る。 こ の 華 厳 精 舎 は 同 国 都 賀 郡 城 山 に 建 て ら れ た 寺 で、 広 智 が 住 し て い た 大 慈 院 は 同 じ 郡 内 に あ っ ( 91) た。 ま た、 広 智 の 居 住 し て い た 大 慈 院 と、 伊 博 士 が 住 ん でい (92) た で あ ろ う 国 学 ( 国 府 内) と は、 直 線 距 離 に し て 約 二 十 キ ロ し か は な れ て い な か っ た。 勝 道 と 伊 博 士 と は、 碑 文 中 に 前 の 下 野 の 伊 博 士 公、 法 師 と 善 し、 秩 満 し て 京 に 入 る。 時 に 法 師 勝 境 の 記 の 無 き こ と を 歎 い て 属 文 を 余 が 筆 に 要 む。 伊 公、 余 に 與 す、 故 に 固 辮 す れ ど も 免 れ ず。 虚 に 課 (93) せ て 毫 を 抽 づ。 と あ る ご と く、 実 に 親 し い 間 柄 で あ っ て、 任 期 を お え て 帰 京 す る 博 士 に、 大 師 へ の 碑 文 撰 述 の 依 頼 を 託 し て で き あ が つ た の が こ の 碑 文 で あ る。 勝 道 は 弘 仁 八 年 ( 八 本 七) 三 月、 八 十 (94) 三 歳 で 入 寂 し て お り、 し た が つ て 広 智 よ り も 若 干 年 長 で は あ っ た が、 両 者 は ほ ぼ 同 じ 時 代 ・ 同 じ 地 方 を 中 心 に し て 生 き た 僧 で あ つ た と い え る。 博 士 の 職 務 は 国 学 に お い て 学 生 を 教 授 (95) し、 課 試 す る こ と を 原 則 と し た が、 以 上 の 点 か ら、 伊 博 士 が 人 々 か ら 菩 薩 の 名 で 慕 わ れ て い た 広 智 を 知 ら な か つ た と は 考 え が た い。 こ の よ う な 見 方 が 許 さ れ る な ら ば、 伊 博 士 か ら 大 師 に 碑 文 の 撰 述 が 依 頼 さ れ た 時、 勝 道 だ け で な く、 広 智 を は じ め 東 国 一 円 の 僧 侶 の 動 静 に も 話 が 及 ん だ で あ ろ う こ と は 疑 い な い。 そ の こ と は 弘 仁 六 年、 広 智 へ の 書 簡 と 時 を 同 じ く し て 東 国 へ 出 さ れ た、 密 教 経 論 の 書 写 依 頼 の 書 簡 八 通 の 宛 名 か ら も 窺 う
こ と が で き よ う。 第 二 は、 広 智 と 叡 山 教 団 と の 密 接 な 結 び つ き か ら、 叡 山 関 係 の 人 物 を 介 し て 知 る に 至 っ た ケ ー ス が 考 え ら れ る。 そ の 場 合、 最 澄 か ら 聞 き 及 ん だ と み る こ と は ま ず で き な い で あ ろ う。 な ぜ な ら、 広 智 一 門 と 最 澄 と の 交 渉 は 大 同 元 年 ( 八 〇 六) こ ろ か ら は じ ま り、 大 師 と 最 澄 と の 交 友 は 弘 仁 三 年 ( 八 一 二) 末 の 二 度 に わ た る 灌 頂 を 頂 点 と し て 大 同 四 年 ( 八 〇 九) こ ろ か ら 続 い て い た。 し た が っ て、 可 能 性 が 全 く な い わ け で は な い。 し か し、 大 師 と 最 澄 と の 関 係 は 弘 仁 五 年 こ ろ か ら 次 第 に 疎 遠 と な っ て 行 き、 同 六 年 の 時 点 で は ほ ぼ 冷 え き っ て い た と (96) 考 え ら れ る か ら で あ る。 そ こ で、 想 い 起 さ れ る の が 泰 範 で あ る。 泰 範 は は じ め 元 興 (97) 寺 で 学 び、 の ち に 最 澄 の 門 に 転 じ た。 そ の 年 次 は 詳 か で な い (98) が、 弘 仁 元 年 ( 八 一 〇) 正 月 十 九 日 に は 最 澄 と ﹃ 住 持 仏 法 ﹄ を 作 っ て 寺 観 を 定 め、 同 三 年 (八 一 二) 五 月 八 日 付 ﹃ 最 澄 遺 (99) 言 ﹄ で は 泰 範 を 山 寺 総 別 当 兼 文 書 司 と し、 円 澄 を 伝 法 座 主 に 任 じ て い る こ と か ら、 比 較 的 早 く 最 澄 の 許 に 入 り、 将 来 を 嘱 望 さ れ て い た も の と 思 わ れ る。 し か し な が ら、 同 三 年 六 月 二 (100) 十 九 日 に は 暇 を 請 い、 最 澄 の 許 を 去 っ て い る。 そ の 後、 同 年 十 二 月 十 四 旦 尚 雄 山 寺 に て 大 師 か ら 胎 蔵 灌 頂 を、 翌 年 ( 八 一 (101) 三) 三 月 六 日 に 金 剛 界 の 灌 頂 を 受 け て か ら は 再 三、 再 四 に わ (102) た る 最 澄 か ら の 帰 山 懇 請 に も 応 じ ず、 大 師 の 許 に と ど ま り、 大 師 門 下 の 四 哲 と ま で 称 せ ら れ る 程、 初 期 の 真 言 教 団 に あ つ (103) て 重 要 な 役 割 を は た し た。 上 に 述 べ た ご と く、 泰 範 は 弘 仁 元 年 最 澄 と と も に ﹃ 住 持 仏 法 ﹄ を 作 り、 寺 観 を 定 め て い る こ と か ら、 こ の 当 時 叡 山 に い た と 考 え ら れ る。 本 方、 広 智 は 大 同 元 年 ( 八 〇 六) に は 安 恵 を、 同 三 年 に は 円 仁 を た ず さ え て 最 澄 に 付 嘱 す べ く 叡 山 に 登 っ て お り、 同 五 年 (=弘 仁 元 年) 五 月 十 五 日 に は 広 智 自 身 が 一 乗 止 観 院 に お い て 三 部 三 昧 耶 の 印 信 を 授 け ら れ た。 し た が っ て、 お そ く と も 弘 仁 元 年 の 時 点 で は 泰 範 と 広 智 と の 間 に 面 識 が で き て い た と 考 え ら れ、 弘 仁 六 年 大 師 は 密 典 の 書 写 を 依 頼 す る に あ た っ て、 泰 範 か ら 広 智 に つ い て の 進 言 を う け た と み る こ と も で き よ う。 以 上、 問 題 提 起 の 意 味 も 含 め て、 少 々 あ ら っ ぽ い 推 論 を 述 べ た が、 い ず れ と も 決 し が た い。 し か し、 広 智 宛 書 簡 に ﹁ 閣 (104) 梨、 遽 方 に 僻 処 す れ ど も、 善 称、 風 雲 と 与 ん じ て 周 普 す ﹂ と 弘 法 大 師 を め ぐ る 人 々(8) -広
智-密 教 文 化 あ る の は、 一 種 の 外 交 辞 令 と も う け と れ る が、 一 つ の 示 唆 を 与 え て く れ る も の で あ ろ う。 六 以 上、 高 山 寺 所 蔵 の ﹃ 大 教 王 経 ﹄ を 手 懸 り に、 大 師 か ら 書 簡 な ら び に ﹁ 十 喩 の 詩 ﹂ を 贈 ら れ た ﹁ 広 智 禅 師 ﹂ な る 人 物 に つ い て 考 察 を 加 え た。 そ の 結 果、 ﹁ 広 智 禅 師 ﹂ と は 鑑 真 か ら ﹁ 持 戒 第 一 ﹂ と 称 さ れ た 道 忠 の 弟 子 で、 人 々 か ら ﹁ 菩 薩 ﹂ の 名 で 親 し く 呼 ぼ れ、 下 野 国 大 慈 院 に 住 し て い た、 広 智 菩 薩 L そ の 人 で あ っ た と 考 え る。 彼 は 弟 子 の 安 恵 ・ 円 仁 を 最 澄 の も と に 送 り 込 み、 ま た み ず か ら も 三 部 三 昧 耶 の 印 信、 両 部 灌 頂 を 受 法 す る な ど、 叡 山 教 団 と 笛 接 な 結 び つ き を も つ て い た。 し た が つ て、 彼 の 教 学 も 法 華 一 乗、 す な わ ち 天 台 教 学 を 中 心 と す る も の で あ っ て そ の 活 躍 年 代 は 延 暦 十 三 年 ( 七 九 四) か ら 天 長 七 年 ( 八 三 〇) に か け て の ほ ぼ 四 十 年 間 で あ っ た。 で は、 何 故 大 師 は 天 台 教 学 を 信 奉 し、 叡 山 教 団 と 笛 接 な 関 係 に あ っ た 広 智 に 笛 典 書 写 を 依 頼 し た の か に つ い て は、 広 智 の 師 道 忠 に 先 例 が 求 め ら れ る よ う に、 広 智 一 門 の 経 済 力 ・ 組 織 力 ・ 影 響 力 な ど を 十 分 に 評 価 さ れ た 結 果 で あ つ た と い え よ う。 大 師 と 広 智 と の 交 友 は 弘 仁 六 年 の 書 簡 に は じ ま り、 そ の 後 も ﹁ 十 喩 の 詩 ﹂ か ら 窺 え る よ う に 両 者 の 間 に は 交 流 が 続 い て い た と 思 わ れ る。 大 師 が 広 智 を 知 る に 至 つ た 経 緯 と し て は、 弘 仁 五 年 ( 八 一 四)﹁ 沙 門 勝 道 山 水 を 歴 て 玄 珠 を 螢 く 碑 ﹂ の 撰 述 を 懇 請 し た 前 下 野 の 伊 博 士 か ら 伝 え 聞 い た ケ ー ス と、 弘 仁 六 年 当 時 最 澄 の も と か ら 大 師 の 門 に 帰 し て い た 泰 範 か ら 伝 聞 し た ケ ー ス と の 二 つ が 考 え ら れ よ う。 史 料 の 制 約 も あ っ て、 重 複 が 多 く、 は な は だ 雑 駁 な 論 述 と な っ た が、 こ れ ま で と か く 諸 説 の 出 さ れ て き た ﹁ 広 智 禅 師 ﹂ の 人 物 比 定 に は 一 つ の 解 決 を み た と 考 え る。 し か し、 広 智 に 関 連 し て 残 さ れ た 問 題 も 少 な く な い。 た と え ば、 (一)な ぜ 密 教 経 論 の 書 写 依 頼 は 弘 仁 六 年 に 行 な わ れ た の か。 書 写 依 頼 は 東 国 に 集 中 し て 行 な わ れ た ふ し が 見 受 け ら れ る (105) が、 そ れ は い か な る 目 的 を も っ て な さ れ、 そ の 成 果 は い か ぼ か り で あ っ た か。 国 初 期 の 天 台 教 団 に と っ て、 東 国 仏 教 な か で も 道 忠 一 門 の
は た し た 役 割 の 大 き さ に は 瞠 目 す べ き も の が あ る が、 大 師 は 東 国 を、 ま た そ の 地 の 仏 教 を い か に 見、 ど の よ う に 対 処 な さ れ た か。 な ど が あ げ ら れ よ う。 こ れ ら の 点 に つ い て は 今 後 の 課 題 と し た い。 註 ( 1) こ こ で 取 り 上 げ た 大 師 の 著 作 は つ ぎ の 六 種 で あ る。 ﹁ 御 請 来 目 録 ﹂ ( 密 教 文 化 研 究 所 発 行 ﹃ 弘 法 大 師 全 集 ﹄ ( 以 下 ﹃ 大 師 全 集 ﹄ と 略 す) 第 一 輯、 六 九-一 〇 四 頁)。 ﹁ 諸 開 題 ﹂ ( ﹃ 右 同 ﹄ 第 一 輯、 六 三 三-八 五 四 頁)。 ﹁ 三 教 指 帰 ﹂ ( ﹃ 右 同 ﹄ 第 三 輯、 三 二 四-三 五 八 頁)。 ﹁ 遍 照 発 揮 性 霊 集 ﹂ ( ﹃ 右 同 ﹄ 第 三 輯、 三 八 五-五 六 二 頁)。 ﹁ 高 野 雑 筆 集 ﹂ (﹃ 右 同 ﹄ 第 三 輯、 五 六 三-六 一 〇 頁)。 ﹁ 拾 遺 雑 集 ﹂ ( ﹃ 右 同 ﹄ 第 三 輯、 六 一 一-六 四 七 頁)。 こ れ ら の 人 々 を 五 十 音 順 に 配 列 し た 索 引 を ﹃ 空 海 を め ぐ る 人 々 ・ 入 名 索 引 ﹄ と 題 し て ﹃ 密 教 学 会 報 ﹄ 第 十 七 ・ 十 八 合 併 号 に 載 せ て お い た。 あ わ せ て 参 照 し て い た だ き た い。 ( 2) こ の こ と は 日 本 古 曲 文 学 大 系 本 印, 三 教 指 帰 ・性 霊 集 ﹄ の 付 録 ﹁ 空 海 を め ぐ る 人 物 略 伝 ﹂ を 一 瞥 す れ ば、 首 肯 さ れ る で あ ろ う。 ( 3)﹃ 高 野 雑 筆 集 ﹄ 巻 上 ( ﹃ 大 師 全 集 ﹄ 第 三 輯、 五 六 六 頁)。 ( 4)﹃ 遍 照 発 揮 性 霊 集 補 闘 抄 ﹄ ( 以 下 ﹃ 性 霊 集 補 閾 抄 ﹄ と 略 す) 巻 十 ( ﹃ 大 師 全 集 ﹄ 第 三 輯 、 五 五 二-七 頁 ) 。 ( 5 ) こ れ ら の 見 解 は す べ て ﹁ 十 喩 を 詠 ず る 詩 ﹂ の ﹁ 広 智 禅 師 ﹂ に 対 す る も の で あ る 。 ( 6 )﹃ 性 霊 集 便 蒙 ﹄ 巻 第 十 (﹃ 真 言 宗 全 書 ﹄ 巻 42 、 三 五 四 頁 ) 。 広 智 禅 師 未 レ詳 、 釈 書 日 、 円 仁 野 之 下 州 都 賀 郡 人 、 同 郡 大 慈 寺 僧 広 智 徳 行 兼 優 、 俗 号 二広 智 菩 薩 一者 也 、 父 以 レ仁 付 レ智 、 智 後 付 二 伝 教 大 師 一云 々 、 蓋 謂 レ 是 乎 、 な お 、 田 村 晃 祐 教 授 は ﹃ 高 野 雑 筆 集 ﹄ を 引 い て 、 大 師 が 写 経 を 依 頼 し た ﹁ 広 智 禅 師 ﹂ と は 道 忠 の 弟 子 広 智 で あ っ た と み な し て お ら れ る (﹃ 二 松 学 舎 大 学 論 集 ﹄ 昭 和 四 十 一 年 度 収 ﹁ 道 忠 と そ の 教 団 ﹂ 一 四 六 頁 ・ 一 五 六 頁 、 昭 和 四 十 二 年 ) 。 小 野 勝 年 博 士 も ﹃ 性 霊 集 補 閾 抄 ﹄ 巻 十 を 引 い て 、 円 仁 の 師 広 智 は 大 師 と も 交 友 が あ っ た 、 と 述 べ て お ら れ る ( ﹃ 入 唐 求 法 巡 礼 行 記 の 研 究 ﹄ 第 四 巻 、 三 四 五 頁 ) 。 し か し 、 両 者 と も そ の 論 拠 は 示 さ れ て い な い 。 ほ か に 塩 入 亮 忠 ・ 中 野 義 照 編 ﹃ 伝 教 大 師 ・ 弘 法 大 師 集 ﹄ (﹃ 仏 教 教 育 宝 典 ﹄ 3 、 玉 川 大 学 出 版 部 、 昭 和 四 十 七 年 ) の 校 注 者 は ﹁ 下 野 国 の 人 。 円 仁 の 師 ﹂( 同 書 四 一 九 頁 頭 注 ) と す る 。 ﹃ 弘 法 大 師 著 作 全 集 ﹄ 第 三 巻 の 校 注 者 は ﹁ 十 喩 を 詠 ず る 詩 ﹂ の 注 で は ﹁ 下 野 国 都 賀 郡 大 慈 寺 の 広 智 禅 師 か ﹂ と し 、 ﹃ 高 野 雑 筆 集 ﹄ の 注 で は ﹁ 伝 未 詳 ﹂ と す る ( 昭 和 四 十 八 年 、 同 書 四 五 三 頁 ・ 四 七 五 頁 ) 。 ( 7 ) 坂 田 光 全 講 述 ﹃ 性 霊 集 講 義 ﹄ 四 三 九 頁 ( 昭 和 十 七 年 ) 。 ま た ﹃ 聞 書 ﹄ に は ﹃ 釈 書 ﹄ を 引 き て 曰 く ﹁ 釈 恵 達 の 伝 の 下 に 河 内 国 小 野 寺 に 居 住 す 。 広 智 菩 薩 と 号 す 。 此 れ 時 代 も 同 弘 法 大 師 を め ぐ る 人 々(一)-広 智
-密 教 文 化 じ。 若 し 近 き を 取 ら ば 之 を 指 す べ き か L と。 こ の 説 は 以 下 の 二 点 か ら、 聞 書 の 著 者、 ま た は 引 用 者 の 誤 読、 あ る い は 誤 記 と み て 大 過 な い と 思 わ れ る。 8﹃ 元 亨 釈 書 ﹄ の 恵 達 の 伝 (﹃ 大 日 本 仏 教 全 書 ﹄ (以 下 ﹃ 仏 教 全 書 ﹄ と 略 す) 巻 一 〇 一、 二 五 〇 頁) は、 釈 慧 達、 姓 秦 氏、 美 州 人、 事 二薬 師 寺 仲 継 一学 二法 相、 嘗 上 二比 良 山 一修 練 者 久、 仁 寿 帝 不 豫 召 レ達 加 護、 達 出 レ山 入 レ宮、 帝 疾 即 差、 元 慶 二 年 八 月 二 日 滅、 年 八 十 三、 達 於 二薬 師 寺 H毎 歳 修 二萬 燈 金 具 始 自 二行 年 三 十 八 一至 二終 歳、 年 数 反 復 亦 可 レ控 云、 と あ っ て、 ﹁ 河 内 国 ﹂ ﹁ 小 野 寺 ﹂ ﹁ 広 智 菩 薩 ﹂ な ど の 語 は 見 当 ら な い。 し か し、 こ れ ら の 語 は 延 暦 寺 第 四 代 座 主 と な っ た ﹁ 釈 安 慧 ﹂ の 伝 (﹃ 同 書 ﹄ 一 六 五-六 頁) に つ ぎ の ご と く 見 出 さ れ る。 釈 安 慧、 姓 狛 氏、 内 州 大 縣 郡 人、 母 夢 レ呑 二明 星 一有 レ孕、 延 暦 十 三 年 生、 及 二 四 五 歳 一聰 敏 超 軟、 七 齢 事 二州 之 小 野 寺 広 智、 俗 之 号 二菩 薩 一者 也、 (以 下 略) こ こ に は 安 慧 は 小 野 寺 に 住 し て い た 広 智 菩 薩 に 師 事 し た と あ り、 聞 書 の 著 者 が い う 恵 達 は 小 野 寺 に 住 し て 広 智 菩 薩 と 呼 ば れ て い た と す る 記 述 と 異 な る。 よ っ て、 聞 書 は 明 ら か に 読 み 誤 ま っ た も の と 考 え ら れ、 恵 達 は 安 慧 に 訂 正 さ れ る べ き で あ ろ う。 口 安 慧 の 伝 は ﹃ 釈 書 ﹄ の ほ か(1)﹃ 三 代 実 録 ﹄ 安 慧 卒 伝 の 逸 文 ( 飯 田 瑞 穂 尊 経 閣 文 庫 蔵 ﹃ 類 聚 国 史 ﹄ 抄 出 紙 片 に つ い て-﹃ 三 代 実 録 ﹄ 逸 文 の 紹 介 1﹃ 高 橋 隆 三 先 生 喜 寿 記 念 論 集 古 記 録 の 研 究 ﹄ 収、 二 〇 四-五 頁、 昭 和 四 十 五 年)、(2)﹃ 阿 娑 縛 抄 名 匠 等 略 伝 ﹄ ( ﹃ 仏 教 全 書 ﹄ 巻 四 一、 三 本二一 頁)、 個 ﹃ 拾 遺 往 生 伝 ﹄ 巻 上 ( ﹃ 続 群 書 類 従 ﹄ 第 八 輯 上、 二 二 九 頁)、 四 ﹃ 天 台 座 主 記 ﹄ ( ﹃ 校 訂 増 補 天 台 座 主 記 ﹄ 一 七-二 二 頁、 昭 和 四 八 年)、(5)﹃ 本 朝 高 僧 伝 ﹄ 巻 六 ( ﹃ 仏 教 全 書 ﹄ 巻 一 〇 二、 一 二 二 頁)、(6)﹃ 東 国 高 僧 伝 ﹄ 巻 四 (﹃ 仏 教 全 書 ﹄ 巻 一 〇 四、 四 二 頁) な ど に 見 出 さ れ る。 ﹃ 天 台 座 主 記 ﹄ 以 外 は、 ﹃ 元 亨 釈 書 ﹄ の 記 述 と ほ ぼ 同 じ で あ る。 し た が っ て、 ﹁ 恵 達 ﹂ は ﹁ 安 慧 ﹂ の 誤 り で あ り、 聞 書 の 説 は 誤 記、 誤 読 か ら 出 た 説 と い え る。 ( 8) 日 本 古 典 文 学 大 系 71﹃三 教 指 帰 ・ 性 霊 集 ﹄ 四 六 〇 頁 ・ 五 八 八 頁 ( 昭 和 四 十 年)。 ( 9)﹃ 密 教 学 研 究 ﹄ 第 十 号、 一 〇 一-一 三 四 頁 ( 昭 和 五 十 四 年)、 ( 10) 註 ( 3) に 同 じ。 ( 11)﹃ 大 師 全 集 ﹄ 第 三 輯 五 六 五 之 九 頁。 高 木 訴 元 先 生 は、 大 師 は こ の 時 東 国 だ け で な く、 筑 紫 へ も 経 論 書 写 の 依 頼 状 を 出 さ れ て い た と さ れ る ( 空 海 と 最 澄 の 交 友 に つ い て ﹃ 高 野 山 大 学 論 叢 ﹄ 第 三 巻 一-六 頁、 昭 和 四 十 一 年)。 ( 12)﹃ 性 霊 集 補 閾 抄 ﹄ 巻 九 ( ﹃ 大 師 全 集 ﹄ 第 三 輯 五 二 六-九 頁)、 写 本 に よ っ て は 日 付 を 四 月 二 日 と す る も の も あ る。 ( 13)﹃ 右 同 ﹄ 巻 九 (﹃ 右 同 ﹄ 第 三 輯 五 二 九 頁)。 ( 14) 高 山 寺 所 蔵 ﹃ 大 教 王 経 ﹄ に 言 及 し た 論 考 に、 つ ぎ の ご と き も の が あ る。(一)三 浦 周 行 編 ﹃ 伝 教 大 師 伝 ﹄ 二 〇 一-二 頁 (大 正 十 年)、(二)日 下 無 倫 ﹁ 緑 野 寺 一 切 経 に 就 て-弘 仁 六 年 爲 経 奥 書 考 -﹂ (﹃ 真 宗 史 の 研 究 ﹄ 七 二 八-七 四 二 頁、 昭 和 六 年)、 日 塩 入 亮 忠 ﹃ 伝 教 大 師 ﹄ 二 九 四 頁 (昭 和 十 二 年)、(四)田 村 晃 祐 前 掲 論 文 一 四 六 頁、(五)鶴 岡 静 夫 ﹃ 古 代 寺 院 の 成 立 と 展 開 ﹄ 七 三-九 〇
頁 ( 昭 和 五 十 年)、 因 高 木 諒 元 ﹁ 弘 法 大 師 請 来 の 経 疏 を め ぐ る 一、 二 の 問 題 ﹂ ( ﹃ 弘 法 大 師 研 究 ﹄ 五 八 頁 註 2、 昭 和 五 十 三 年)、 (七)拙 稿 前 掲 論 文 一 二 五-六 頁。 ( 15)﹃ 高 山 寺 経 蔵 典 籍 文 書 目 録 ﹄ 第 一 十 二-三 頁 ( 昭 和 四 十 八 年) こ の 識 語 は 各 巻 末 に 見 出 さ れ、 そ こ に は 後 世 の 加 筆 も 見 ら れ る が、 掲 載 部 分 は 三 巻 と も 全 同 で あ る。 ま た、 本 経 典 の 蹟 文 は、 田 中 塊 堂 ﹃ 日 本 古 写 経 現 存 目 録 ﹄ 九 一 頁 ( 昭 和 四 十 八 年) 同 ﹃ 日 本 写 経 綜 鑑 ﹄ 三 〇 〇-二 頁 ( 昭 和 四 十 九 年-初 版 昭 和 十 七 年-) に も 載 せ ら れ て い る が、 後 述 す る 表 紙 見 返 し の 識 語 は な い。 ( 16)﹃ 叡 山 大 師 伝 ﹄ (﹃ 伝 教 大 師 全 集 ﹄( 以 下 ﹃ 伝 教 全 集 ﹄ と 略 す) 第 五 付 録 三 〇-三 一 頁)。 ( 17) 註 ( 14) に あ げ た(一)・(二)・(三)・(五)の 論 考。 こ の な か 口 に は 延 暦 十 六 年 に 道 忠 が 助 成 し た 最 澄 の 一 切 経 書 写 の 事 業 が、 こ の 時 ま で 継 続 さ れ て 行 な わ れ て い た と う け と れ る 記 述 が み ら れ る。 ( 18)﹃ 高 山 寺 経 蔵 曲 籍 文 書 目 録 ﹄ 第 一 十 二 頁。 ( 19) 日 本 思 想 大 系 4﹃ 最 澄 ﹄ 四 八 九-四 九 一 頁 ( 昭 和 四 十 九 年)。 天 長 二 年 ( 八 二 五) 八 月 付 ﹁ 参 議 伴 国 道 書 ﹂ (﹃ 天 台 霞 標 ﹄ 二 編 巻 之 二 所 収 <﹃ 仏 教 全 書 ﹄ 巻 一 二 五 一 五 六 頁 >) に 禅 師 以 二 去 弘 仁 八 年、 爲 レ 令 三 切 衆 生、 直 至二 道 場、 結 二縁 八 島 之 内 ﹁奉 レ 爲 二法 華 経 六 千 部、 今 聞 下 野 国、 小 野 寺 沙 弥 広 智、 伏 依 二師 教 一爲 二千 部 (毎 年 行 レ檀、 毎 日 長 講、 揚 二 一 乗 奥 義、 述 二十 如 之 妙 旨、 正 法 将 レ来、 ( 以 下 暑) と あ る 点 も、 最 澄 の 東 国 巡 化 が 弘 仁 八 年 で あ っ た こ と を 裏 付 け る も の で あ ろ う。 ( 20) 松 長 有 慶 ﹃ 密 教 の 歴 史 ﹄ 六 三-七 三 頁 参 照 (昭 和 四 十 四 年)。 ( 21) 薗 田 香 融 教 授 は 弘 仁 八 年 二 月 に 成 っ た 最 澄 の ﹃ 照 権 実 録 ﹄ の 執 筆 動 機、 天 長 二 年 八 月 付 ﹁ 参 議 伴 国 道 書 ﹂ の 内 容 の 検 討 な ど か ら、 徳 一 と の 対 決 を 東 国 巡 化 の 動 機 の 一 つ と 見 な し て お ら れ る ( 前 掲 ﹃ 最 澄 ﹄ 解 説 四 九 〇-一 頁)。 ( 22) 最 澄 は 弘 仁 三 年 十 月 二 十 四 日 付 書 状 で 大 師 に ﹁ 大 教 王 経 一 部 三 巻 ﹂ の 借 覧 を 申 し 込 ん で お り ( ﹃伝 教 全 集 ﹄ 巻 五 四 五 四-五 頁)、 弘 仁 十 年 十 二 月 五 日 に 撰 し た ﹃ 内 讃 仏 法 相 承 血 詠 譜 ﹄ に も ﹃ 大 教 王 経 ﹄ を 引 用 し て い る ( ﹃ 同 書 ﹄ 巻 一 二 四 二 頁) こ と か ら、 最 澄 と 本 経 と が 全 く 結 び つ か な い と い う わ け で は な い。 ( 23) 註 ( 14) の 諸 論 文。 ( 24) 註 ( 16) に 同 じ。 ( 25) 右 同。 ( 26)﹃ 三 代 実 録 ﹄ 巻 八 貞 観 六 年 正 月 十 四 日 条 ( 円 仁 卒 伝) ( ﹃ 新 訂 増 補 国 史 大 系 ﹄ 第 四 巻 一 二 四-七 頁)。 安 慧 卒 伝 逸 文 (飯 田 瑞 穂 前 掲 論 文 註 ( 7) -(二)参 照)。 ( 27)﹃ 元 亨 釈 書 ﹄ 巻 二 釈 安 慧 の 項 ( ﹃ 新 訂 増 補 国 史 大 系 ﹄ 第 三 十 一 巻 五 三 頁)、 ﹃ 同 書 ﹄ 巻 三 釈 円 仁 の 項 (﹃ 同 書 ﹄ 六 〇-六 四 頁)。 ( 28)﹃ 天 台 霞 標 ﹄ 二 編 巻 之 二、 天 長 二 年 八 月 付 ﹁ 参 議 伴 国 道 書 ﹂ ( ﹃ 仏 教 全 書 ﹄ 巻 一 二 五、 一 五 五-七 頁)、 ﹃ 同 書 ﹄ 二 編 巻 之 四 ﹁ 大 慈 広 智 菩 薩 ﹂ の 項 (﹃ 同 書 ﹄ 二 二 〇-二 頁) な ど。 ほ か に 註 ( 7) に あ げ た ﹁ 安 慧 伝 ﹂、 お よ び 種 々 の ﹁ 円 仁 伝 ﹂ に、 も と の 師 で あ る 広 智 に 関 す る 記 述 が 見 出 さ れ る。 弘 法 大 師 を め ぐ る 人 々(一)-広