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Vol.68 , No.2(2020)084松岡 明子「『十地経』第五難勝地における菩薩と衆生の関係性」

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Academic year: 2021

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(1)

印度學佛敎學硏究第68巻第2号 令和2年3月 (80) ― 1027 ―

『十地経』第五難勝地における

菩 と衆生の関係性

松 岡 明 子

1

.はじめに

『十地経』(Daśabhūmikasūtra, 以下,Dbh.) は菩 の修行段階を十種に分けて説いた ものであるが,そのうち第五難勝地(sudurjayā pañcamī bhūmi, 以下,第五地)の基本 内容については伊藤(2013, 213)により次のようにまとめられている. 信解による智力の任持によって諸諦を如実に知り,諦に善巧である智にて成就された覚慧 によって一切の有為を如実に知り,有為なるものに常などを妄分別し執着・誑惑している 一切衆生に対して顧念(=悲愍)をいだき,彼らを救済するためにあらゆる善根を形成し て聞思修の三慧など種々の功徳を摂持し,方便に善巧なるものとなる. 漢訳や各種資料における記述もこの要約とそれほど異ならないが,第五地には もう一つの特色がある.それは自性空に至る第六現前地の直前段階であるこの地 において,世間に在る一切衆生に対する積極的な利益教化の様子が描写され,そ れが個々の衆生から衆生全体に向けて広がりを見せている点である.そこで本稿 では,この地における菩 と衆生の関係性について,第五地の解説に現れる4つ の語句「平等性」(samatā)「諦の善巧」(satya-kuśala)「一切衆生の利益」( sarva-sattva-hita)「方便による教化」(upāya-paripācana)を検証することによりこの特色について 考察する.

2

.平等性(

samatā

初地から第十地までの各章冒頭部分において菩 がそれぞれの地に入る条件が 説かれるが,そのうち第五地と第六地についてはsamatāが条件になっている.

(第五地)sa daśabhiś citta-āśaya-viśuddhi-samatābhir avatarati. katamābhir daśabhiḥ. yad uta atīta-buddha-dharma-viśuddhy-āśaya-samatayā ca …. (Dbh. p. 42, 2–8

彼は十種の心意楽の清浄に関する平等性によって(第五地へ)入る.いかなる十種か.す

(2)

(81)

― 1026 ―

『十地経』第五難勝地における菩 と衆生の関係性(松 岡)

未来の仏,現在の仏など9種が列挙されるが省略).

(第六地)sa daśabhir dharma-samatābhir avatarati. katamābhir daśabhiḥ. yad uta sarva-dharma-animitta-samatayā ca …. (Dbh. p. 47, 10–18) 彼は十種の法の平等性によって(第六地へ)入る.いかなる十種か.すなわち,一切法が無 自性であることの平等性によって….(以下,不生起,無相など9種が列挙されるが省略). 第六地のsamatāが一切法の平等であるのに対して,第五地のsamatāは清浄な る意楽(viśuddhy-āśaya)の上に生じた平等である1).つまり,samatāは菩 自身の うちに生じていることになる.なぜなら,第五地の菩 には主客の差別が厳然と して存在するからである.岸根(1993, 37–40)は『入中論』に引用される『十地 経』の菩 について,第六地の菩 は止滅(nirodha)を獲得するが,それ以前の 菩 は止滅の獲得には至っていない,その理由は彼らが般若波羅蜜を得ておら ず,縁起観を習得していないからである(趣意),と述べる. それでは,第五地の菩 が目指すべき差別なき状態とは如何なる状態か.それ は菩 (自)と衆生(他)との間に差別のない状態と想定される.平等心につい て,たとえば,Bodhisattvabhūmiでは次のように説かれる. 菩 は,一の衆生の法性とはすなわち一切衆生の法性であると知り,法の平等性に倶なわ れた心をもって(dharma-samatā-anugata-cetasā)一切衆生の中にあって平等のうちに住す2) この記述は第五地について述べているものではないが,法の平等性を心のうち に抱きつつ,一切衆生のうちに留まりながら彼らを苦の止滅へと導くことは可能 である,ということを示唆していると思われる. 以上のことから,自他の差別が存在しながらも,自他の平等性を目指すのが, 第五地における菩 の態度なのではないかと考える. 3

.諦の善巧(

satya-kuśala

また,第五地の菩 は四聖諦をありのままに知り,さらに世諦・第一義諦の二 諦をはじめ相諦・差別諦・説成諦,四聖諦に対応する事諦・生諦・尽無生諦・道 智入諦に善巧であることによって衆生を教化し,如来智集諦に精通するに至る3) 多様な諦を提示することについて,『十地経論』は「衆生を化する方便の差別と は,所化の衆生の差別故の方便の差別であるとまさに知るべきである」4)と注釈 する.菩 は根未熟の者,仏法を誤解している者,外道,時には根熟の衆生な ど,さまざまな機根を持った衆生たちと対峙し,その過程で彼ら各々に相応する

(3)

(82) ― 1025 ― 『十地経』第五難勝地における菩 と衆生の関係性(松 岡) 諦を発見するとともに,彼らを導くためにそれらの諦を方便として用いる.諦の 善巧(satya-kuśala)とは,世間全体を教化するために個々の衆生にまで細分化され た利益教化のあり方と言えよう. 4

.一切衆生の利益(

sarva-sattva-hita

諦に精通し,衆生たちの姿を総体的に眺め渡すことができるようになった菩 は,真理を知らず苦に翻弄される衆生に対し大悲大慈の念いを発する5).さらに この念いから生じた行動により得られた善の功徳は,一切衆生へと帰せられる6) 大悲大慈について,『十地経論』は「彼の前地の悲に勝るが故に,大悲と言う なり」7)と注釈する.大悲大慈の念いは初地の段階から存在しているが,一切衆 生を教化しようとする第五地における念いは初地から第四地におけるものよりも 勝る.さらに,次の第六地では無願解脱門,すなわち「大悲を先として衆生を教 化する以外には何の願いも生じない」という境地に至る8) 第五地における大悲大慈は,個々の衆生から一切衆生に向けて拡大した憐愍の 情であり,一切衆生を利益教化するための行動の動機である. 5

.方便による教化(

upāya-paripācana

衆生を利益するための方便として列挙される項目は書・論・印・算数・病の癒 やし・娯楽・建物等の設計・占い・諸相の判断など,世俗的かつ実践的で,広範 囲におよぶ9).このような手立ての列挙は他の経にもみられるが,修行に支障を きたすものとして否定的に説かれているものが多い.しかし,『十地経』では, これらの方便について肯定的に述べられている.これらの方便は,菩 が社会の 一員として存しながら,現実の衆生を教化する実践的手段として説かれていると 言えよう. おそらくこの経が説かれた時代に,それらの手立てに実際に携った在家信者の 影響や仏教以外の文化との接触があったのではないかと思われるが,これについ て詳細に論じるのは別の機会としたい. 6

.まとめ

第五地の菩 が第六地の境地に至るためには,自他が別個である世間にともに 在りつつ,菩 と衆生の間に差別のない状態,すなわちsamatāを実現すること が求められる.

(4)

(83) ― 1024 ― 『十地経』第五難勝地における菩 と衆生の関係性(松 岡) また,個々の衆生に対しては各々の衆生の機根に相応する諦に精通し( satya-kuśala),技芸などの世俗的・実践的な方便を用いて教化する(upāya-paripācana). 菩 の行動の動機は一切衆生の苦しみを取り除こうとする大悲大慈の念いであ り,一切衆生を利益すること(sarva-sattva-hita)が,彼らの目的であり修行でもあ る. 以上の4つの語句の検討から,『十地経』第五地の菩 は,世間にともに在る 一切の衆生を対象として積極的に利益教化を行い,菩 自身と衆生という自他の 差別を取り払うことを目指す者であり,その境地は,実際にこの世間に存在し, 修行する菩 の視点から説かれている,と考えられる. 1)伊藤(2013, 384)は年代の古い漢訳における表記から,古くはāśayaとのみあったもの に後代になってからsamatāが付け加えられた可能性を示唆する.ただし最も古い『漸備一 切智徳経』(竺法護訳,A.D. 297)にも偈の部分に「平等」の語句が認められるから,samatā の存在については少なくともその年代を下らない.   2) Bodhisattvabhūmi: A Statement of

Whole Course of the Bodhisattva Being Fifteenth Section of Yōgācārabhūmi), ed. Wogihara Unrai (Tokyo: Seigo Kenkyūkai, 1930–1936), p. 286.   3) Dbh. p. 42, 20–26.   4) T. 26. 164a3–

4. 和訳は大竹2005; 2006による.   5) Dbh. p. 43, 7–10.   6) Dbh. p. 44, 15–19.    7) T. 26. 164b6–8.   8) Dbh. p. 52, 12–13.   9) Dbh. p. 45, 25–p. 46, 3. また『大方広仏華

厳経』入法界品(Gaṇḍavyūha)にも善財童子が出会った善知識の一人である自在主童子

(indreśvara)が語る場面でこの部分に非常に類似した文章がみられる(Suzuki and Idzumi 1934–1936, 132).

〈使用テキストと略号〉

Dbh.: Daśabhūmikasūtra et Bodhisattvabhūmi. Ed. J. Rahder. Paris: Paul Geuthner, 1926.

〈参考文献〉 伊藤瑞叡 (1988)2013『華厳菩 道の基礎的研究―十地経における菩 道とその歴史的 発展―』国書刊行会. 大竹晋校 2005『十地経論I』新国訳大蔵経14,釈経論部16,大蔵出版. ―校 2006『十地経論II』新国訳大蔵経14,釈経論部17,大蔵出版. 岸根敏幸 1993「『入中論』における中観学説の提示―十地経の引用を巡って―」『イン ド学仏教学研究』1: 37–49.

Suzuki Daisetz Teitaro and Idzumi Hokei, eds. 1934–1936. The Gandavyuha sutra. Kyoto: Sanskrit Buddhist Texts Publishing Society.

〈キーワード〉 十地経,第五難勝地,平等性,世間,衆生

参照

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