南アジア研究 第28号 008書評・南埜 猛「柳澤悠・水島司(編)『激動のインド 第4巻 農業と農村』」
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(2) 南アジア研究第28号( 2016年). 第10章 労働力移動と農村社会(宇佐美好文) 第11章 経済成長を支える農村市場(柳澤悠) 終章 インド農業の新段階(藤田幸一) まず本書の全体的な構成を確認する。第1部は、インドの農業・農 村社会を長期の歴史的な中で捉えることと地域的な類型を見いだす試 みがなされている。すなわちインドの農業・農村社会を、第1章から 第 3 章で歴史的に、第 4 章では空間的に俯瞰している。そしてインドの 新しい地域類型(農業地域区分)を提案し、その地域類型を前提に、 第2部で取り上げる 4 つの典型的な事例を検出する作業を行っている。 第 2 部は、その検出された 4 つの州、すなわちパンジャーブ(第 5 章)、 タミル・ナードゥ(第 6 章)、ビハール(第 7 章)、そして西ベンガル (第 8 章)について、それぞれの農業や農村社会の動向をより深く分析 することで, 地域の特徴的な変化を追及するとともにインド国内の位相 化の実態を示して空間的な構造を解明する試みがなされている。そし て第 3 部は、農業や農村社会をインドの経済や社会の全体構造の中に 位置づけて解明する試みを、それぞれ開発行政(第 9 章)、労働力移動 (第 10 章)、そして農村市場(第 11章)に焦点をあてて検討されている。 なお第1部から第3部の論考すべてにおいて、統計等を使ったマクロな 分析と村落調査等を使ったミクロな研究を結合することに配慮した考 察がなされている点も本書の特徴の一つである。 次に、章ごとの内容を簡単に紹介する。 第 1章は、250 年間にわたる村落レベルの史料が残っている南インド のチングルプット地域を研究対象地域とし、18 世紀からの農村社会の 長期変動を描くとともに、インドの農村社会が今後どのような方向に 動くのかを展望している。この考察において、GIS を用いた多くの地図. やグラフが示されており、インドの農業史上において画期的な変化であ った19 世紀末の集約的農業の形成を視覚的に把握する試みがなされて いる。 第 2 章は、農業生産を担った農村社会の構造やその基盤にある土地 所有の構造が、1947 年のインド独立以降、如何に変化したかを検討し ている。土地改革は十分な構造改革をなしえなかったものの、下層階 層に土地所有の機会を提供し貧困の削減に寄与したことを指摘してい. 104.
(3) 書評 柳澤悠・水島司 (編) 『激動のインド 第 4巻 農業と農村』. る。また下層階層が緑の革命においてその担い手の一翼を担ったと評 価し、さらに下層階層の非農業就労が農業労働賃金の上昇や社会経済 的な地位の上昇をもたらしたことを村落調査などによりに明らかにし ている。 第 3 章は、20 世紀初頭からの100 年間を対象にインド農業の変動を検 証している。その結果、長期停滞していた植民地期とは対照的に、 「緑 の革命」以前の1950 年代前半には持続的成長に移行し、灌漑や化学肥 料・改良種子の投入などを通した農地の集約的利用により、土地生産 性を高めてきたことを定量的に明らかにしている。 第 4 章は、国際半乾燥熱帯農業作物研究所が集計・編集した県レベ ルのデータベースをもとに、1965 / 66 ~ 2006 / 07 年の 42 年間を対象 として、生産要素に関連する変数と個別作物の作付面積などを指標に. して分析がなされている。それぞれの指標は GIS を用いて地図化され、 考察がなされている。また上記分析指標を用いたクラスタ分析によっ. て、大分類(5 区分)と小分類(10 区分)の地域類型を提案している。 第 5 章は、パンジャーブを取り上げ、近代的農業技術の導入が農業 経営を変化させ、それが農家の階層構成と農地保有構造の変容を促し、 さらには農村労働市場を作り変えていった過程を、英領植民地期から 現在に至るまでを詳細に検討している。とくに「緑の革命」を可能に した条件と「緑の革命」の終焉に伴うパンジャーブ農村社会の変化の 2 点に注目した分析がなされている。 第 6 章では、タミル・ナードゥを取り上げて、まず19 世紀の集約的 農業の成立過程、世界農業不況下での農業生産の停滞、そして「緑の 革命」を展開する基盤の検討がなされている。続いて最近の動向であ る農村社会における有力農民の脱農家化と下層階層の人々の社会的経 済的な交渉力の強化と発言力の拡大に焦点をあてた検討がなされてい る。 第7章は、インドの中で最貧困州であるビハールを取り上げ、その 原因である農業発展の遅れを社会階層との関係で考察している。また 500 世帯をサンプル世帯とする詳細な質問票調査をもとに、労働移動 (出稼ぎ)の実態ならびに出稼ぎに基づく経済と社会について考察がな されている。 第 8 章は、長期にわたり左翼政党が政権を維持し、土地改革やパン. 105.
(4) 南アジア研究第28号( 2016年). チャーヤット改革において先進的業績をあげてきた西ベンガルを取り 上げ、左翼政権の土地改革やパンチャーヤット改革が農村経済(とり わけ農業生産)に与えた意義に焦点をあてて検討し、その評価に新た な視点を提供している。 第 9 章では、農村開発行政・政策とその農村社会へのインパクトな いし意義について検討している。ここでは農民を対象とした農業開発 政策と、主に非農民を対象にした(貧困削減のための)農村開発政策 に分けて検討している。それら政策において政策目的が意図どおりに 実現していない構造的問題や、州間の格差が拡大するとともに貧困州 のパフォーマンスを悪くしていることの指摘がなされている。 第 10 章は、「全国標本調査」の個票データを用いたインド国内・外 における労働力移動の全体的動向の検討と、ビハール、パンジャーブ、 タミル・ナードゥを事例にそれぞれの労働力移動の特徴を検討してい る。出稼ぎ者の年齢や出稼ぎ先、出稼ぎ世帯の状況、そして出稼ぎ者 からの送金やその使途について詳細な分析がなされており、事例州で その状況が大きく異なることを明らかにしている。 第 11章では、インドのサービス部門や工業部門の市場における農業 や農村社会の果たしてきた役割を検討している。1991年の経済自由化 政策以降の経済成長は、同政策が契機ではなく、1980 年代以降のトレ ンドの流れの中の動きとして位置づけている。それを支えたのが農業部 門の成長であり、耐久消費財、繊維品市場、履物市場、さらには旅行・ 観光業について検討した結果、農村の消費が都市より大きく、市場と して全経済を支えている実態を明らかにしている。 終章は本書の最後の章である。本書の章構成に示されるように、最 初に「序」がある。それに対応する語は「結」であるが、本章は「結」 ではなく「終章」となっている。これまでの議論を総括するのではな く、総括にかえて今後のインド農業の動向を展望する内容となってい る。そこでは、農業政策ならびにインド農村の変容と農業生産構造の 2つの視点から展望がなされている。 さて評者は、「刊行によせて」の冒頭に書かれている「つい20 ~ 30 年前のインドに訪れたことのある日本人」であり、そして「激動のイ ンド」に裏切られた思いをしている一人である。また1989 年から2006. 106.
(5) 書評 柳澤悠・水島司 (編) 『激動のインド 第 4巻 農業と農村』. 年にかけて、インド調査に参加し、インド各地 10 つの農村調査を経験 した。同調査の基本は地理学のアプローチをベースとして、評者はそ の中でとくに水利に焦点をあてるとともに、地誌にこだわって研究を 行った。ただインドの農村・農業にかかわる地域研究はここ10 年以上 も離れている。そのような評者が本書で最新の研究に触れ、インドが 激しく動いた以上に研究の大きな進展があり、隔世の感を少なからず 感じた。10 年前の評者は、村をはいずり回り、悉皆調査によりオリジ ナルのデータを作り、村の実態を把握し記述した。また統計といえば、 土 地 台 帳 や 調 査 村 を 含 む セ ン サ ス の 報 告 書(『District Census. Handbook』)のほか、インド中央統計局の『Statistical Abstract』や関 係省庁の『Annual Report』に示された州単位の値を使う程度であった。 年月を経て、統計データが蓄積されただけでなく整備がなされ、さ. らにそれらデータはインターネットを通じても利用ができるようにな った。インドの役所でたらい回しされながら、土地台帳などの統計デ ータをノートに写していた当時とは雲泥の差である。さらに本書では、 「全国標本調査」の個票データ、国際半乾燥熱帯農業作物研究所が集 計・編集した県レベルの調査データベースといった長期かつ広域のデ. ータや、ツールとして GIS をフルに活用した研究が行われ、結果として インド全体の大きな流れ(長期変動)と姿(空間的相位)を示すこと. に成功している。また定量的に示されたその大きな流れと姿を、検出 された事例州における実証的で丁寧な検証を通して、具体的な実態を ビビットに浮かび上がらせている。さらには、新経済政策導入後の IT. 産業や都市が注目される中、農業や農村が果たしてきた大きな役割や 位置づけがなされたことは本書の大きな成果といえる。 本書の読後に、評者は次の3つの感想・関心をもった。1つ目は隣国. との関係である。本書では、第 7 章や第 8 章でバングラデシュとの比較 研究がなされ、また他の地域とのつながりという点で第 5 章や第 7 章、 そして第 10 章では、出稼ぎなどの人の動きに焦点をあてた考察がなさ れている。それらの考察を読みながらインドと隣国との関係が気になっ た。とくにネパールは、1950 年の Indo-Nepal Peace and Friendship 締. 結後はインドとオープンボーダーとなっており、両国国民の移動は自由. である。インドより経済的に低位にあるネパールからは大量の労働者 の流入がみられる。またネパールは最貧困州と位置付けられたビハール. 107.
(6) 南アジア研究第28号( 2016年). に隣接しており、ネパールの低地地域の開発にはインド人の流入がみ られる。またスリランカとは内戦の難民を含めた移動がみられる。南 アジアという枠組みで、隣国との関係や人の動きを検討してみると、グ ローバルな文脈と国家レベルの文脈において、違ったせめぎあいや実態 を見い出すことができるのではないだろうか。 2つ目は、本書で示されたインド全体の大きな流れと姿と、日本人に よる既存のインド農村調査との関係である。 歴史学、経済学、農学、 社会学、人類学を専門とする本書での筆者らの農村調査以外に、 [岡橋 2014]にも示されるように、これまで地理学者によっても多くの農業・ 農村研究がなされてきた。それら研究の成果や内容を、改めて本書が 示す大きな流れと姿の中に位置づける作業をすれば、本書が示す激動 するインドの実態の補強ならびに現代インドの解明に貢献できると考 える。 3つ目は、インドの農業政策と今後のインドの農業発展についてであ る。本書が示したインドの姿の一つが地域的格差の拡大である。イン ド政府は第 4 次 5 ヶ年計画(1969 -1973 年度)から地域格差是正の諸施. 策に着手してきた歴史がある。具体的には、干ばつ常習地域開発計画. などである。また結章では、農業発展の糸口として高付加価値の農業 への転換が指摘されている。その農業の実現はもとより、不安定なモ ンスーンや地球温暖化の影響を考えると、灌漑の重要性はさらに高ま ると思われる。その灌漑について、独立以前のパンジャーブ(第 5 章) や独立後のビハール(第 7 章)などで用水路灌漑が触れられているが、 論考の多くは井戸灌漑についての言及がほとんどである。しかしながら 独立後にインドは積極的にダム建設を行い、現在 5000 基以上を有する 世界第 3 位のダム保有国となっている。それらダムを水源とする用水路 灌漑とともに、土地の整備も行われてきた。その事業が受益地域開発 計画である。これらの大規模水利事業と先に述べた地域格差是の各種 事業の受益地域での実態について、本書ではほとんど触れられていな いのが気になった。その受益地域と非受益地域との比較により、それ らの農業政策の評価を行うことで、今後の政策立案において有効な示 唆が得られるのではないかと考える。 さてここで述べた3つの感想・関心は、個人的なものではあるが、激 動のインドの大きな流れと姿を示した本書は、評者のようにかつてイ. 108.
(7) 書評 柳澤悠・水島司 (編) 『激動のインド 第 4巻 農業と農村』. ンドの農業・農村研究にかかわってきた者に、これまでの研究の位置 づけと振り返りを促すものであり、そして大きな刺激と新しい研究の インスピレーションをもたらすものであることを示したかったのであ る。またこれからインドの農業・農村研究に取り組む者においては、 個々の研究の大前提として、本書の示すインドの大きな流れと姿を確 認することは必要不可欠であり、また本書で用いられたデータや活用 の方法などは大いに参考になるであろう。 以上のことから、本書は日本におけるインドの農業・農村研究の基 本文献であり、多くの方が本書を一読されることを期待したい。 参照文献. 岡橋秀典、 2014、 「日本の地理学におけるインド地域研究の展開― 1980 年代以降の成果を中心に ―」 『 、広島大学現代インド研究―空間と社会―』 、 4、 15-27頁。. みなみの たけし ●兵庫教育大学. 109.
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