Komazawa University
NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 Unlverslty
弥 勒 請
問
章
和
訳
袴
谷
憲
昭
こ こ に
和訳
し て紹 介
す る 「弥 勒請
問章
(ByamsEzes
k」ri lehu)」 とは ,r
一万 八 千 頌般
若
(・4
面 面 伽 δ肋 37瀬 一P
ア衂゜
勉砂 δ〆硼 晦 )』(略号
ADS
)チ ベ ッ ト訳第
83
章
1), 『二
万 五 千 頌 般 若 (
Paftcavim
. Satisahasアika
−P
吻 觚 毎 7α 〃litd)』(略 号pyS
)チ ベ ッ ト訳 第72
章 2)に 相 当 する箇
所 を指 す。 こ の章
を 「弥勒
請 問章
」 と呼ぶ の は , お そら くチベ ッ ト における伝 統で あ
っ て , イ ン ドに
端
を発
する もの で は なか ろ う 3)。こ の 章に 始め て 注 目し た の は , 筆 者の 知 るか ぎ り
E
.Obermiller
が最
初で あ る 4)。 わ が 国 で は 山 口益 博士 がr
仏 教に お け る有と無 との 対 論』 に お い て,清 弁
(
Bhavaviveka
。rBhavya
)のr
中観
心論 註
思択
炎(Madhyamakahrdayavrtti
−Tarka7
’vala−)』(略 号
TJ
)所 引のr
般 若
経』 の 文 との 関 連か ら, か のObermiller
の説
を紹
介 し て , 「二 万五 千 頌 般 若の 弥 勒 の請
問な る一章
は,般若
経が解 深 密 経 と同じき意趣
の 上に置かれ ん と した般
若経
の 歴史
的進
展 に よ る加上 」で あ る と 述 べ , さ らに 「学派
的色彩
の漸
く加は るに 至 らん とする時代
の 瑜 伽 唯 識 派 として ,中
観派
に対
して か か る弥 勒 の請
問な る一章の 文を提 出 し, 以て瑜伽 唯識
が 大乗
の標識
た る般若
の 本 意 を 満 足 す る もの で ある と示 すに 至 っ た こ とは , あ り得
らる る こ と と思は れる 」 と言 明されたが, 残念
なが らこ の章
の 所在
は 不 明 とされた の で あ っ た 5) 。1
)P
.版,No
.732
,Phi
,168bL180a
‘.2
)P
.版,No
.731
,Di
,243aac254b2
:No
.5188
,Ca
,369a3
−380az
.3
)以下に示す よ うに, 清 弁の 引用で は 『般 若経 (
Ses
rabkyi
Pha
rol tuPhyin
Pa
=P
γの擁 ク尠σ厩 ’δ)』, 無 性の 引用で は 『大 般若波 羅 蜜 多経 (=1
瓢盈 訊P
γの触 ρ伽 α痂 ’δ)』とし て引かれ 単に 『般若経』の一節であるこ としか示 さ ない 。 もしこの 章が 独立の一 本と して 流 行 して い た もの とすれば , *
Maitreyapan
‘Prcchd
・Parivarta
な どに相 応 する名 称で 引用 さ れ たはずで ある。 し か し, その痕 跡は 現時点で は イ ン ドに迹 れない 。 チ ベ
ッ ト訳
ADS
第83
章,PVS
第72
章の 章名はB
ンah ch semsdPahi
slabPa
rab tu
dbye
(Phy
のba
で ある。 チ ベ ッ ト に おける問題の 呼称は 例え ば,Tsoh
kha
pa,
Legs
bSad
sftiiPo
, P .版, NQ .6142
, Na ,120b
&−121a5
など参 照。4
)E
.Obermiller
,‘‘TheDoctrine
of Prajfiaphramita ”,
AO
,XI
(1932
), pp .97
−98
.5
) 山口益 『仏 教に お ける有 と無 との 対 論』(1941
年), pp .15
(}−153
.な お同書。 pp 。392
−
393
に お い てTJ
所引のr
般 若経 』の 文を和 訳に て 紹 介。一
210
一Komazawa University
NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 Unlverslty (
2
) 弥 勒請 問 章和 訳 (袴 谷) アま た ,
E
.Lamotte
は 『解 深 密 経』 チ ベ ッ ト訳の 校 訂な らび に 仏 訳に 対す る序 文 中で , 玄 奘訳 『摂大 乗 論釈』 の み に おい て無 性 (Asvabhava ) が 『大般 若波羅 蜜
多
経 』 とし て引
用 す る文
に注
目 し, そ こ に 『般若経
』か ら 『解 深密
経』へ と展開
する思 想 史 的意義
を認め た の で ある 6) 。 し か し,彼
もやは り, その 典 拠をr
般 若 経 』中
に 明示 す るこ と がで きず , 単に 玄 奘 訳 『大 般 若 波 羅 蜜 多経 』600
巻
を指
示 す る に 止 まっ た 7)。その 思 想 史 的 重
要
さに もか か わ らず, 従来指摘
困難
だ っ た上述
の清 弁
と無
性の 引用典 拠を ,1
)yS
サ ン ス ク リッ ト写 本中
に 始め て トレ ース し て 紹介
した の が , わ が 国の 飯田 昭 太 郎 氏で あ る s) 。 同時に 氏は , 同 写 本の こ の箇
所をE
.Conze
と 共 同で校 訂
し公表
し た 9)。 こ の箇
所 がチ ベ ッ ト に おい て 「弥 勒請
問 章」 と呼 称 さ t6 )E
.Lamotte
,Sarpdhinirmocana
3
π〃α ,L
,explication
des
mystares (Louvain , paris,
1935
),Prdface に て無 性 所引の 文を仏 訳で 紹 介 (p .15
)し た直 後 “Cet
extrait
de
la
M
α肋 ρアの苑δρδ7砌 曜 顔 estimportant
.Avec
ses th60riesdes
trois caractさres et du (Rien−qu’id6e
)(vif髭aψtimδ
tra
),il
indique
le
thさme g6nξral surlequel
son亡venus se grefferles
d6veloppements
du
Sar1zdhinirmecana
,du
L
α競 α頗アσ etdu
Ghanavy
”−
ha
(画σ.)que I’
6cole
Yogachra syst6matiseradans
ses trait6s.” (p .16
) とい う。7
) Lamotte 前 掲 書 中で は その 典 拠に 触れて い な い が ,同教授La
somlne dugrand
vehicule
d
’Asahga
(Louvain
,1938
), TomeII
, p .91
で は , 大正大 蔵経,No
・220
= ノSatasaliasrika
と示 す。 し か し, こ の漠 然 と した指示は現段階で は なん の根拠も ない こ とが 判 明し た。 こ の 無 性所 引の 文を含む 「弥 勒請 問 章」は現 存漢 訳 諸 本に その対 応箇所 を見 出 しえ ない こ とがすで に 報告されて い るか らである (本稿註10 参照 )。 なお本 稿の 目的 と は直接関係の ない こ とで は ある が, か つ て筆 者は玄 奘訳 無 性釈論 の特質を論 じ, 玄 奘 訳のみに あっ て チベ ッ ト訳に は ない 箇処の 多くを玄 奘 加筆と断じ
たの であるが,こ の 引用 箇 所につ い て は 同じ条 件下に あるに かかわ らず, 内 容 的観点 よ り玄奘加筆の 可否を問うこ と は保留に し て お い た(拙稿 「
MS
.に 対する Asvabhava 註 釈の 特徴 一チ ベ ッ ト訳 を資 料 と して一」,『印仏 研 』19
−1
, p .439
参 照 )。 し か るに問題の 引用文が玄 奘訳 『大般 若 波 羅蜜多経』 中に認め られ ない こ とが判 明した現時 点 で は ,玄 奘 加 筆の 可能 性が薄ま り, 玄奘 が 用 い た サ ン ス ク リ ッ ト原本に は か か る経文 があっ た と する方向に 向わね ぽ な らない 。
8
)Sh6tar61ida
, “Agama
(
Scripture
)andYukti
(Reason )in
B
埴 vaviveka ”, 『金 倉 博士
古稀記 念 ・印度学仏教学 論集』(京 都, 平楽寺書店,
1966
), pp .85
−
91
,
Point
II
.The
Maitreya
Chapter
andBhavaviveka
. こ の論 文を知 っ た の は服 部正明教 授の 御 教示にょ る (
1975
年5
月24
日, 大 谷大学に おける印仏研 ・学 術大会に て)。 記 し て感 謝 申上たい 。
9
)E
.Conze
andIida
Shotaro
,‘ ‘Maitreya
’sQuestions
in
thePr
¢jn
− dPdramita ”,M61anges
d
’
indianisme
δla
mtimoirede
LOuis
Renou
,(Paris
,1968
),東 大 写 本, 松 濤 目録 (A
Catalogzee
Of
th8S
α ηs々爾’Manusc
「iPts
in
theTohyo
Unive
「sityLib
「a「y),No
.234
を底本 とし
Cambridge
Add
.1628
,1629
を 比 較 対照 し た校 訂 本。一
209
一Komazawa University
NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 Unlverslty 弥勒請問章和訳 (袴 谷 ) (
3
) れ , チ ベ ッ ト訳PVS
第72
章,Al
)S
第
83
章
に対応
する こ とは劈
頭に示 し た とお りで ある。 なお, サ ン ス ク リ ッ ト写本 の こ の箇
所が ,漢
訳 諸 本に は 対 応箇所
を欠 くも, 上 記の チ ベ ッ ト訳に対 応 す る こ とは ,すで に 干瀉 竜 祥 博士 に よ っ て 指摘
さ れ て い た10) 。本
稿
は ,E
.Conze
・飯
田 昭 太郎
氏校
訂の サ ン ス ク リッ トを底
本とし和訳 に よ っ て こ の章
を紹 介せ ん とす る もの で ある。 こ の章
の成
立年代
11)お よびその 唯 識 思想 史上に おける意 義 に つ い て は稿
を改
め て 論 じた い と 考 え る。 和 訳に あた っ て はConze
の 英 訳を参照 した12) 。 ま た和訳 に よ っ て 専 問 家に は か えっ て意味
が瞹昧
に な る よ うな technical term の 場 合に は , 漢 訳慣
用 語お よびサ ン ス ク リ ッ トを補
っ て お い た。 なお 和 訳中
に示 し た ア ラ ビア数 字
は校訂 本
に お い て飯
田氏が付
した 分 節 番 号で ある。 必 ず しも妥 当
とは思わ ない箇
処 も存 するが , 対 応 の 便 宜の ため 今は これ に従 う。 ロ ーマ数 字
は英
訳 中にConze
が示 した章
節 番 号で あ り , そ こ に 並 記 し た表
題は英
訳を参
考に 筆 者が与 えた もの であ
る。作 業
の性質
上 チベ ッ ト 訳3
本もい ちい ち厳 密に 対 照 すべ きで あっ た が ,筆
者 個人 の 時 間 的制
約の た め , 意を尽 す こ とがで きなか っ た の を遺 憾
とす る。和
訳
1
菩 薩の学 ぶべ き諸 問 題(
1)
その と き, マ イ ト レーヤ (Maitreya
)菩 薩 大士 は 世尊
(Bhagavat
) に こ う申
しあ げた 。
(
2)「世尊
よ, もしもすべ て の 存 在 (sarva ・dharma
)が無存 在
の性 質
(abhava −svabhava ) の もの で あるな ら, 世
尊
よ,智 慧
の完 成
(prajfiap…iramita)に つ い て実践
10
)R
.Hikata
,Suvikrdintavilerdmi
−PariPrccha
”
1
)7¢ノ免δρδノσ〃2ゴ’岳s配7α (
Fukuoka
,1958
),Table
III
(3
), note1
,‘‘This
SK
.pOrtion
(=Ms
.462a
−467a
)is
missingin
each ofCh
.
MPPSs
, butit
correspOnds to the Tib .Chap
.830f
kri
−brgyad
−stoh ・pa , and also tothe
Chap
.720f
stoh ’1〕hrag
−ii・螽u・1自aT )a.”11
)Obermiller
がBu
ston の仏教史に基づ い て “evidently ala
亡er production ”(
History
Of
Buddhism
by
Bu
・ston ,II
, p .50 , n.335
)とい っ た よ うに後 世の 産物で ある こ と は間違い ない と して も下 限 が問題で あ る。 漢 訳 諸 本 中に は存 在 し ない が その 一部 が玄 奘
訳無 性 釈 論に ある こ とよ り,それ 以前で あ る とい う見 当 は つ く。 し か し, こ の 章が
r
般 若経』か ら 『解 深密 経』へ 展 開 する過程の 産物で あ る と みて 『解 深 密経』以 前の 成立で ある とい うに は論 証が必要で あろ う。12
) Conze ,The
LargeSntra
on RerfectWisdom
with thediviSions
ofthe
Abhisama
・yδ
1
伽 兢 アα,(University of Califomia Press,Berkeley
,Los
Angeles
,]しondon , 1975 ),pp .
644
−652
.一 208 一
Komazawa University
NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 Unlverslty (
4
) 弥勒 請 問章和訳 (袴谷 ) し, 菩薩
の 学 道 (bOdihisattva
−SikSti) に つ い て学
ぽ う と欲 す る菩
薩 大 士 は ,物体
(色, rinpa) 13)に つ い て どの よ うに学
ぶ べ きで し ょ うか ,感 覚
(受, vedana ) ・表 象 (想 ,samjfia )・意欲
(行, sa1pskara )・認識
(識 vijfiana )14)につ い て どの よ うに学
ぶKomazawa University
NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 University 弥 勒 請 問章和訳 (袴谷) (
5
) 非物体
的な もの (無 色, arfipin)21), 見 える もの (有見, SanidarSana )・見
え ない もの (無見, anidarSana ) 22) , 抵 抗のあ
る もの (有対, sapratigha )・抵抗
の ないも
の (無対, apratigha )23), 有 為 の もの (samskrta )・無 為 の もの (asarpsk ;ta),
有 漏
の もの (sasrava ) ・無
漏
の もの (an5srava )24), 欠 陥の あ る もの (有 罪 ,Shvadya
)・欠陥
の ない もの (無罪,anavadya ),
劣
っ たも
の (hina
)・勝 れた もの (pra4ita
)25),内
的な もの (adhyatmika )・外
的
な もの (baliya
)26),見
られる もの ・聞
か れるも
の ・感 覚
されるも
の ・認 識
さ れる もの (見聞覚知
dr
$ta
−9ruta
−mata ・vijfiata)27), 過 去 ・未 来 ・現 在 の もの (atitan 互gata
−pratyutpanna
),善
か 不善
か 決 定で きる もの ・で きな い もの (kugalakuSala
−vyal [;ta・vyakrta )28) , 欲 望 よ りな る世 界に か か わ る もの (欲 界 繋, karna ・pratisamyukta )・物 体 よ りな る
世界
に か かわ る もの (色 界繋Jrapa ° )・ 非 物 体 よ りな る世 界に か か わ る も の (無 色界 繋 ,arifpya
° )29),有
学に 属 す る もの (SaikSa
)・無 学に 属 する もの (aSaikSa )・非
学 非 無 学に属 す るもの (naivaSaik $a・naSaik $a−)30)につ い て どの よ うに学
ぶ べ きで し ょ うか 。(
4)
強
欲(貪, rtiga ) ・嫌悪
(瞋 , pratigha)・高慢
(慢 , mEna ) ・無
明(avidya )・21
)‘‘
rifparp
hi
sapratightva 亡sarvaudatikam /arttpip 亘rp
vedan 互
pracEr巨udarikatay 亘”
(
Al
(Bh
, P .15
,1.9
).22
) ‘‘ye punarime
a$tada
§a dhatava ,uktas te§arpkati
sanidar6an 互勾katy anidar §ana 阜/sanidarSana ekdtra rUpa 叩 (v.
1
−29a
)”(
AKBh
, P .18
, L24
−
P
.19
, L
1
).23
) ‘ ‘kati
sapratigh5 毎
katy
apratigh 巨虹/ sapratigh 亘da6a
rttpirpalj (v.1
−29
bc
)’”(
AKBh
, p ,19
, Il,3
−5).24
) ‘ ‘sa 甲skrt盃 marga ・varjit 飾 /s盃srava り (v.
1
−4bc
)” (んKBh
, p .3
, ll.8
−9
).‘‘katisAsrav 盃阜
katy
anasrava 耳/…・一”(ノ
U
二(
B
乃, p .21
,1.21
−p .22
,1.1
).25
) “dharm
互りam
id
互ni単 kecit paryay 盃 ucyant (ゾ s盃vadya niv #ahinah
kli
$ta
dharmab
(v .
IV
−127ab
)kli
$覃n巨rpdharma
項 卑 s盞vady 亘 niv ;ta hin盃iti
pary毳y 抽/§ubha ・mala り/
prapita
り (v.IV
−127bc
)ku
§alanAsrav2rp 訌甲 prapit巨iti
paryaya
ね/”(AKBh
,p .
275
,II
.7
−12
).26
) ‘‘katy盃
dhy
巨tmik 巨dh2tava
単kati
bahyah
・・… ・” (AKBh
, p .27 ,11.1
−6
).27
) ‘‘yac cakSur −vij顛 nenanubh ロta卑 taddr
§‡amity
uktam /yac chrotra ・vijfi亘nena tacchrutam
/
yan mano ・vijfianenatat
vijfiatam /yat
ghr 的a・jihv
訊一k
亘ya
−vijfianais tan matam /”(ノ
11
く」劭 , p .245
,11
.14
−16
).28
) ‘‘e§盃maS 垣da§a・
dh
互t血 匪卑 katikuSalah
katy aku 自alah katy avyakrtab … …”(!
IKBh
, p.20 ,11.4
−15
),29
) eS巨m a$tadaSa
・dh
巨tfin盃mkati
kama −dh
巨tv・aptah
kati
ritpa−dhatv
−apt
亘り 〔katy
arUpya ・
dhatv
−tiptab
〕… …(.4K
、B
ゐ, p .20
,L
16
−p .21
,L
20
).今の場 合, °pratisarpyukta も ゜dh
飢v・且
pta
も 同義。30
) ‘‘含aikS 的 a【p dharma 嘛 卑 §aik $aiva
pr蠢ptib a§aik騨 p巨m a§aik 頭iva
naiva6aik 頭 ・n盃§aik 爭a尊 盃lp tu
bhedah
”(
A
」KBh
, p .64
,1.24 ).一
206
一Komazawa University
NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 University (
6
) 弥 勒請問章和訳 (袴谷)見解
(見drsti
)・疑
惑 (疑, vicikitsa ) 31)に つ い て どの よ うに学
ぶ ぺ きで し ょ うか 。 吝嗇
(慳, matsarya ) ・施 与
(施 ,ddna
) , 悪い 習慣
(da
啅6ilya
)・良
い 習慣
(戒, §ila),憎 悪(瞋 恚, vyap 巨
da
)・忍 耐(忍,k
蜘 ti), 怠 惰(懈 怠, kau §idya )。勤 勉(進, virya ),散 乱(乱, vik §epa )
・ 瞑想(定 ,(lhyEna )
, 悪 慧(daurlPralfia)・
智
慧(慧, prajia )32)に つ
い て どの よ うに 学ぶ べ きで し ょ うか。 分 別 (vikalpa )・空 性 (§〔inyata ),特 徴(相,
nimitta )・無
特 徴
(無相, 盃nimitta ), 誤 っ た願 い (mithya ・prapihita)・ 正 し い 願 い(samyak °
),
浄
(§ubha )・不浄
(aSubha )33)の あ り方
(dharma )に つ い て どの よ うに学
ぶべ きで し ょ うか。
(
5)
煩 悩 (kle
§a)と煩 悩の 捨 断 (klega
−praharpa), 雑 染(salpkle6a )と清31
) 以上, い わ ゆ る 六 煩悩 (kle§a)。 これは む し ろAbhidharlna
教学よ り も唯 識学派で主張さ れ た もの 。 遅い 成立 を 示唆す る か。 列挙順は チベ ッ ト訳
3
本ともに一致。r
三十頌 』
ijllcd
−12a で は kleSa raga −pra
亡igha−mitdhayab mana −dr9 −viciki 亡sASca ”とあ
り安慧 釈 も raga , pratigha, moha (= avidy 蚕), mana , dr§ (= d;$
ti
), vicikitsa の 順である か ら本 章の場合と moha , mana の 順が異なる 。 ち なみ に
Abhidharmasamuccaya
で は ’‘
ragah pratighQ m …ino’ vidya vicikits 巨satkayadr 睾tiり”
(
V
.V
.Gokhale
, ed ., p ,15
,ll
.31
−32
) と あ り,(satkaya ・)dr§ti
が後置 さ れ る点 が 本章と 異 な る。 な お本校 訂本 中にdr
$te
とある はd
;$tau
と 正 すべ きで あ ろ う し, viciktsayam と あるのは vicikitsayap
の ミ ス プ リ で あろ う。32
)マ イナ ス ・プ ラス の あ り方を対に し た一群。 プ ラ ス の 方は い わ ゆる 六 波 羅 蜜の徳目
が並ん でい る。
AKBh
(p
.267
)で も六波羅蜜は 説か れてい るが, これ らがど うい う系 統を意識 し た一群か 筆 者に は未 詳。33
) 同じくマ イ ナ ス ・プラ ス の あり方を対に した一群で ある が, 筆者に は どの よ うな性 格の 一群か未詳。 プラ ス の 方は 空性 ・無 相 ・無願 に も解 し う るが ,その 場合は浄 ・不 浄が わ か ら ない 。 し か るに チ ベ ッ ト訳3
本を対照 して み る と問題は 一応解決する よ うで ある。No
.731
, “stofi
pa
fiiddafi
rnam par stog pa dah/
mtshar コ ma med pa dah /mtshanma
daft/
smonpa
medpa
dah /
10gpabi
smon lamdah /
midge
bahi chos dah /mi rtag
pa
dah
/sdug bshal ba dah bdag med pa” (244a2’3).No
.732
,“mam
par rtog
pa
dah/
stofipa
fiid dah /mtshan ma dah/log
pahi smonlam
(lafi
smon pa ma mchis pa dafi/mi sdug pahi chos rnams dah mi rtag pa
da
血/sdugbshal
ba
dafi
/bdag
med pa rnams ”(
69ae
−7).No .
5188
, “mam par rtog pa
dah
/stoh pafiid
dah
/mtshan madah
/mtshan mama mchis
pa
dah
/10g
pabi smonlam
dah
/smon pa ma mchis pa dafi/sdug padah /
mi sdugpabi
chos rnams ”(370a3
−4),チ ベ ッ ト訳に よれ ば ,最後の
No
.5188 を除き, こ の 文は 二 群に 分け られて い る。 す
な わ ち, 最初の 一群は いわ ゆ る 「三解脱 門」 と その マ イ ナ ス 面, 第二 群は 「四顛倒」 と そ れに 対 す る aSubha (不浄), anitya (無常),
duhkha
(苦), anatman (無我)で ある。
No
.731
とNo
.732
とで は マ イ ナ ス 方面,プ ラス 方面 の列 挙順 が 異 なるが,こ れ は先の 註32
)の場 合で も 同様で あ り, 今は内 容上 問題 とな る こ とで は ない 。 No5188 が 最もよ くサ ソ ス ク リ ッ ト に 合致 す る が,「三 解 脱 門」は 明確に意 識 し て訳さ れて い る。 Conze は校 訂 本, 英 訳 中に て も上 述の こ とに は 一切 触 れ ない 。 た だ文中の dharma が単 数か複 数か を諸本校 合 してい るに す ぎ ない 。 チベ ッ ト訳No
.731
,Nb
.732
を とる とすればConze
の 考え る よ うに “§ubha ・agubha ・
dharme
§u”で は な く, 「四顛倒」 群 すべ てに か か る複数の
dharma
でな け れ ば な ら ない 。 従 っ てComp
.で は ない 。 以 上, 提示 さ れ た諸群を検 討 した わ けで あるが, 各 群を中心 に考え れば飯 田氏の 示 し た分節 番 号は あま り根拠の あ るもの とは い えない 。 一205
一一 N工 工一Eleotronio LibraryKomazawa University
NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 Unlverslty
弥勒請問章和訳 (袴谷 )
(
7
)浄
(vyavadana ),輪 廻
(sarpsara )と涅 槃 界 (nirvapa −dhatu
)につ い て どの よ うに 学 ぶ べ ぎで し ょ うか 。 仏 法 (buddha
−dharma
)34)に つ い て どの よ うに 学ぶ べ きで し ょ うか 。」 皿 名 称 の 偶 然性こ の よ うに い わ れ て, 世 尊は マ イ ト レーヤ
菩 薩大
士 につ ぎの よ うに 言 っ た 。 「マ イ ト レ ーヤ よ , 智 慧の 完 成に つ い て実践
し,菩
薩の 学 道に つ い て学
ぽ うと欲す る
菩
薩 大士 は,物
体は 単な る名称
に す ぎない 35)(nama ・matrakarp rifpam )と学ぶべ ぎで あ り, _ L..な い し,仏法
に い た る まで〔
すべ て は 〕 単 なる名 称に す ぎない と学
ぶべ きであ
る。」す る と, マ イ ト レ ーヤ
菩
薩大 士は 世尊
に つぎ
の よ うに申 しあ げた 。 「世尊
よ, これ は 物 体で あ る とい う命 名 (namadheya )は 事 物に か か わ っ てい る (savastuka ) と感 得
され (upalabhyate ), ない し, こ れ は仏 法で ある とい う命 名は 事 物に か か わ っ て い る と感
得され ます。 とい うの も 〔それ らは〕 形 成因
(samskdra −nimitta )SC)}こ 基づ い て い る か らで す。 こ の よ うな場 合に , 菩 薩 大士 は どの よ うに し て物 体は単
な る名 称に すぎ
な い と学
ぶ べ きで し ょ うか , ......な い し , 仏 法は 単な る名称
にすぎ
ない と学
ぶ べき
で し ょ うか 。 しか るに , こ の よ うに 事Komazawa University
NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 Unlverslty
(
8
) 弥勒請 問章和訳 (袴谷)「これは
物
体で ある とい うこ の 命名
は偶 然 的な もの (agantuka )で あ り, そ の 形 成因 (samskara ・nimitta )で あ る事 物 (vastU )に 対 し
て
付 加 された もの (prak$ipta
)であ る37)._ .,な い し , こ れは
仏
法で ある とい うこ の命名
も偶
然的
な もの であ
り付 加 され た もの で あ る。(
9)
マ イ ト レ ーヤ よ, そ の 形 成 因に よ っ て ,事物
に対
し て物体
で ある とい い , こ の名 称
に対
し て物 体
で ある とい う 38)理 解 (sarppratyaya )や 了解 (pratyayagama )や 認 知 (pratisarpvedana )39)が あ るの だか ら, そ れ ゆえ , マ イ トレ ーヤ よ , こ の 方 法 (paryaya ) に よっ て つ ぎの よ うに知
るべ ぎで ある。 『これは物
体で ある とか _ _ない し, こ れは 仏 法で あ る とい うこ の命名
は ,偶然
的な もの で あ り, そ の 形 成 因で ある事
物に対 し て 付 加さ れた もの で ある 』 と。マ イ ト レ ーヤ よ, お ま えは こ れを ど う思 うか 。 こ の 場 合に , ある もの は , その 形 成 因で ある
事
物
その もの に対 して ,表 象
(想, sarpjfia), 概念
(施設, praj員aptl ),名称
(narnan )・言 葉 (言説, vyavahara ), 執
著
(abhiniveSa )を も つ の で はなか ろ うか 。」彼
は言 っ た 。 「その とお りで す, 世 尊 よ。」〔世
尊
は言 っ た。〕「そ れで , マ イ ト レ ーヤ よ, こ の方
法に よっ て もま たつぎ
の よ うに 知るぺ きであ る。r
こ れは物体
であ
る とか _ _ない し, こ れは仏 法で あ る とい うこ の命 名
は偶
然的
な もの であ り, そ の 形 成 因で あ る事物
に対
して付
加さ れた もの で ある』 と。」皿
言 語
表
現 を越 えた根 源 的 世 界そ の とき,マ イ トレ ーヤ
菩 薩
大士 は世尊
に つ ぎの よ うに 申 しあ げた 。 「世尊
37
) “agantukametan n5madheyarp prakSip亡am ”
とい う表現に つ き,
Conze
は 『八 千頌』‘‘agantukam etan 面 madheya 甲 prakSiptam /avastukam etan n且madheyaip prak§
i
・ptam /anatmiyam e亡an namadheyarp prak$
iptam
/an aramba rpam etan n巨madheyarpprakSiptarp yad ・uta sattvab sa 亡亡va
iti
/” (Va
量dya
, ed.,p
.24
.1t
.3
−4
) を参照 す。 また その
Haribhadra
註で prak鼻iptam
は ‘’prak
睾iptam
adhyalppitarp samv ;ti・matram ” (Wogihara
, ed ., p .179,1
.8 )と解 釈され てい る。38
) naman と vastu の関係 につ い ては ,唯 識 説で は 特に 「四尋 思」「四 如実遍 智」で問 題に さ れ る。 例えぽ, 『荘厳経 論 』に
‘‘
tatra namno vas 亡uny Egan亡ukatva ・paryeSana
・・”
(
L6vi
, ed.,p
.168
,1
.・21
・ff
)。 なお こ の 箇所の 訳文に つ い て は補註1
参照。39
)Conze
は the conviction , the assignment , the r ognition と 訳 し, さ らに 註を付 す(校 訂本, p ・
235
, n.d
,英訳, n.5
)。 チ ベ ッ ト訳No
.5188 に は yan dag par r亡ogspa, rab
tu
rtogs pa , so so yafidag
par rigpa
とある。 しか るにNos
.731
,732
はか な りの増広があ り対 応が 明確で ない が,
No
,731
で は yid ches pa,khofi
du
chudpa , so so rig pa ,
No
.732
で は rig pa, rtogs pa,htshal
ba
がこれ ら三語に 対応 するかと思わ れ る 。
一
203
一Komazawa University
NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 Umversrty 弥 勒請問章和訳 (袴谷) (
9
) よ, もしもそ うな ら, そ れに基づ い て , こ れは 物 体で あ る とか _ ...ない し仏 法で あ る とい う名称
・表
象 ・概 念 ・ 言 葉が お こ る , その 形成 因
であ
る事物
とし て の ,物
体の自性
(svabhava )は感 得 さ れ う るで し ょ うか 。」こ の よ うに い わ れ て, 世
尊
は マ イ トレ ー ヤ 菩 薩 大士 に つ ぎの よ うに 言 っ た 。 「形 成 因た る事物
に対
し て ,物体
で ある とい う名称
・表 象 ・概 念 ・言 葉が お こ る が, マ イ トレ ー ヤ よ, お ま えは こ れ を ど う思 うか 。 そ れは物
体 の 自性 で あ る の か , あるい は 単な る概念
に す ぎない (prajfiaptimatra)の か 。」彼
は 言 っ た。「単な る概 念に すぎ
ませ ん ,世尊
よ。 こ れは単 な る概 念にす ぎま せ ん。」世
尊
は言 っ た 。「し か らば, マ イ ト レ ーヤ よ, それに基
づ い て , こ れは物
体で ある とか _ _ ない しこれ は仏 法であ る とい う名 称 ・表
象 ・概念
・言葉
が お こ る, その形成
因である事
物の もとに ,物
体の自
性が感得
され る とい うよ うな考えが ど うし て お ま えに浮
ぶ の か 。 マ イ ト レ ーヤ よ , お ま えは こ れ を ど う思 うか 。 そ れは 感 覚 ・表 象
・意
欲 ・認 識
._ .。ない し仏法の 自性で あるの か ,あるい は 単 なる概念
に す ぎな い の か 。」(
iO彼
は言 っ た 。「単な る概 念
にす ぎませ ん , 世 尊 よ。 これ は単な る概
念にす ぎ ま せ ん。」衂 世
尊
は 言 っ た。「しか らば , マ イ ト レ ー ヤ よ,感覚
・表
象 ・意
欲 ・認 識, ._ .. な い し仏
法の自
性が感 得 される とい うよ うな考え が ど うし て お まえに 浮ぶの か 。」ag
−7 イ トレ ー ヤ が申
しあ げた。「世尊
よ, もしも, 物 体 ._ ..な い し仏法 とい うも の が ,単
な る名称
・表 象
・符
牒 (sarpketa ) ・概 念
・言葉
にす ぎ
ない とすれ ば, こ の よ うな 場 合 に ,物
体 につ い て , すなわ ち これ は 単 な る 名称
・ 表 象 ・ 符牒
・ 概念
・言 葉に す ぎない もの で ある とい わ れ, ま た この よ うな場合
に , _ _ ない し仏
法に つ い て , す なわ ち これは 単な る名称
・表 象
・ 符牒
・概 念 ・言 葉に す ぎない も の で ある とい われ る, 〔その よ うな物体
な い し仏
法の 〕自
性は ま っ た く感
得
さ れ ない の で は あ り ま せ ん か 。」世
尊
は言っ た 。「マ イ トレ ー ヤ よ, お ま えは これ を ど う思
うか 。物
体 とい うも の が 単な る名称
・表
象 ・符牒
・概念
・言 葉に す ぎ ない もの で あ り, .._ な い し仏 法 とい うもの が 単 なる名称
・表 象
・符
牒 ・概 念
・言葉
に す ぎな い もの で あ る 場 合, そ の 生起 (utpada )や 消 滅 (vyaya )あるい は雑 染
(sarpkleSa )や 清 浄 (vyavadana )が 了
知
さ れ る (prajfiayate)で あろ うか。」一一
202
一Komazawa University
NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 Unlverslty (
10
) 弥勒請問 章和訳 (袴谷)鋤 彼は言 っ た。
r
そ うで は あ り ませ ん , 世尊
よ。」〔世 尊は言 っ た。 〕「し か らば , マ イ ト レー ヤ よ,
物 体
_ ,..ない し仏 法 な どと い う もの の 自性が感
得 され る とい うよ うな考え が ど こ で お ま え に 浮び え よ う。」マ イ トレ ーヤ が
申
しあげた。「そ れで は , 世尊
よ, 物 体_ .,.ない し仏 法は い かな るあ りか た に お い て も (sarva §as)個 別 的 特 質 と し て も(svalak $anena )40)ま っ た く 存 在 しない の で し ょ うか 。」
世
尊
は 言 っ た 。「マ イ トレ ーヤ よ, わ た しは ,物体
_ ...な い し仏法
がい か なるあ
りか たに お い て も個 別的特
質
とし て も存 在 しな い とは説 か ない 。」飼
マ イ トレ ーヤ が申
しあ げた 。「世 尊 よ, 物体
......な い し仏
法 は どの よ うに し て存
在 するの で し ょ うか 。」世
尊
は 言っ た 。 「マ イ トレ ーヤ よ,物体
_ ...な い し 仏法
は 世 間的符牒
の 言葉
(loka・sarpketa ・vyavalialihra )とし て
存
在 す る, しか し最高
の実
在 (勝 義 paramal’
tha
) として〔存在 す
るの〕
で は ない 41)。」鋤
マ イ トレ ーヤ が 申しあ げた 。「世尊
よ, い ま や わ た しが 世尊
の お っ し ゃ っ た意 味を知
っ た よ うに , 根源的
世 界 (dhatu
)42)は最 高
の実
在と して ま っ た く言語表 現
を越えた もの (nirabhilapya )で あ ります。 世 尊 よ, もしも, 根 源 的 世 界が最 高の実
在 とし て 言 語表 現 を越えた もの で あ る な ら ,か の 形 成因で あ り, そ れに 対 し て ,物体
で ある とい う偶 然 的 命 名が付 加 され, ....,.ない し ,仏法
であ
る とい う偶
然 的命
名が付
加さ れ る事 物 (vastu ) は , ど うして 最高
の実
在 と して存在
しない こ とに な るの で し ょ うか。 も しもそ れ が最 高の 実 在と し て 〔存 在し〕ない な らば , ど うして 言語表 現
を越 え た根
源的
世界は存
在 す る の で し ょ うか。〔
ど うし て〕形
成 因で ある事物
が 言語表 現
を越え た根源 的
世 界で ある とい うの は不適
切な の で し ょ うか 。」世 尊は 言っ た 。「そ れゆ え, マ イ トレ ー ヤ よ , わた しは ま さに こ の
点
に つ い て お まえに 尋ね よ う。 お ま えは自分
の最
もよい と思 うよ うに 答 え な さい 。 マ イ トレ ー ヤ よ , お まえは これ をど う思 うか 。 お ま え が 言語表現
を越
え た根 源
的世
界に お40
) チ ベ ッ ト訳No
.5188
, “rnam pa thams cad du mtshan fiid thams cad
kyis
L・か なる ありか たに おい て もい か な る 特 質に よっ て も
”
(
372a6
)。 答え を考慮すれ ば こ の 理解の 方が い い 。
41
) 拙稿 「唯識説に お け る法と法性」(『駒大仏 教学部 論集』第5
号)p .9
, 註4
参照。42
)Conze
が1
]k
)zhungRinpoche
の 説 明とし て thedharmadhdtu
と註 するが ご とく,
dhatu
= dharmadh 訌tu = ctharmata .こ の 場合のdhatu
は 女性形で扱わ れ る。 なおdhatu
に 関 し て は前 掲 拙稿, pp .
7
−
8
,註 29, 32,
33
参照。一 201 一
Komazawa University
NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 Umversrty 弥 勒請問章和 訳 (袴谷) (11 ) い て智 慧 を 行 使 (pracara ) して い る , その よ うな時に , お ま え は , 形
成
因で あ り, そ れに 対 して , これ は 物 体で ある と か , _ _ ない し仏法で あ る とい うこ の 偶 然的命名
が付
加され る,〔
そ の 〕 事 物 を感
得 す るで あろ うか 。」〔
彼
は言 っ た。〕「そ うで は あ りませ ん , 世 尊 よ。」鱒 〔世
尊
は 言 っ た 。〕「そ れで , マ イ トレ ー ヤ よ, こ の方法
に よっ て も ま たお ま えは つ ぎの よ うに知 るべ きで ある 。 『か の 形成 因で ある 事 物は , 言語表 現 を 越え た根
源 的 世 界 と異な る もの で もな く, また異 な らな い もの で もない 』 と。 ど う し て43), 言語表 現
を越え た根 源
的 世界
が , それに対
して こ れは物 体
で ある とか _ _ ない し仏 法で ある とい うこ の偶 然 的 命 名が付
加 さ れ る, こ の 形 成 因で あ る事物
と 異な る もの で もな く ,異な ら ない もの で も ない の か とい えぽ , マ イ ト レ ー ヤ よ , もしも言語表 現
を越 えた根源
的 世界
が , 形成 因 た る事物
と 異 な らな い とすれ ば , 今 し も あ ら ゆ る愚か な 凡 夫 (bala−p
;thagjana ) た ち が完
全に 涅槃
する で あ ろ う し(parinirvayus ), こ の うえ な く正 しい 覚 り (無
HiE
等 菩 提 , anuttara ・samyak ・sarpbodhi ・)を
直観
するであろ う (abhisambudheran )44) 。BD
マ イ トレ ーヤ よ, もし も言 語 表 現を 越え た根源
的 世 界が ,形 成因 た る事物
と異な っ てい るとすれぽ , もは や , それ に よっ て言 語 表 現を越え た根 源的
世 界の 体得
(prativeda)が あ りうる よ う な そ の因
(nimitta )も感 得 されな い で あろ う。 そ れで , マ イ トレ ー ヤ よ , こ の 方 法に よ っ て もま た , お まはつ ぎの よ うに 知るべ きである 。r
言語表 現を越え た根 源 的 世界は , それに対
して これ は物 体
であ
る とか _ _ない し仏 法であ る とい うこ の偶
然 的命
名 が付 加され る, そ の 形成 因た る事 物 と異な る もの で も な く, また そ れ と異な らな い もの で もな い 』 と。」BZ
マ イ トレ ー ヤが申
しあ げた。「世尊
よ, もし も, 言語表現
を越 えた根
源 的 世界 に か か わ っ て 智 慧を 行 使 しつ つ あ る菩 薩 大士 が , そ れ に対
して これは 物 体で ある とか .._ .な い し仏 法で ある とい うこ の 偶然的 命 名が付 加 され る , その 形 成 因た る事物
を感
得 しな い とす
れ ば, 世尊
よ, そ れは , 存 在 し てい る もの (vidyamana ) が感
得 されな い の で し ょ うか , ある い は ま た存 在
して い な い もの (avidyamana )が感
得
され ない の で し ょ うか 。」こ の よ うに い わ れ て , 世
尊
は マ イ トレ ーヤ菩 薩大士 に つ ぎの よ うに 言 っ た 。43 ) sacet とあるを
Conze
の 指 示に よ り katham と読む (校 訂 本, n .n)。44
) 分 節 (30
)に対 応 す る チ ベ ッ ト文に は 異 同 あ り。No
.5188
,373a2
−G ,No
.731
,247b8
−248a3
,No
.732
,173a4
−8 参照 。 一200
一 N工 工一Eleotronlo LlbraryKomazawa University
NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 Unlverslty (
12
) 弥勒請問章和訳 (袴谷) 「実に , マ イ トレ ーヤ よ , そ の 形 成 因た る事物
は い か な る存 在性
(vidyamiinata )で もな く, ま た 非存
在性
(avidyamdnata )で もな い 。 ど うし て か とい え ぽ, マ イ ト レ ーヤ よ, お まえが 形 成 因た る事物
を分
別 して い る場 合に は , そ の 形 成 因た る事 物 は , 分別 に よ る (vikalpatas )把 握 (graharpa)に な る し, あるい は ま た , 言 語表現
を超
えた 根源 的
世界
に か か わ っ て智
慧 を行使
しつ つ あるお ま え が , 〔それを 〕 分別
し ない場合
に は , 〔そ れは〕
無 分 別に よ る (nirvika 正patas)把 握 に な る か ら で あ る 。」マ イ トレ ーヤが 申 しあ げた 。 「その とお りで す, 世
尊
よ。」BS
世尊
は言 っ た 。 「し か し, マ イ トレ ーヤ よ, そ うであ
るな らば, これ ,すな わ ち, そ れに対
して こ れ は物 体
で ある とか _ ..ない し仏 法で ある とい うこ の偶
然 的 命 名が付
加さ れ る形 成 因 とし て の 事物
は単な る分 別にす ぎない で は ない か 。 そ れ が単な る分
別 に す ぎず , あるい は ま た無 分別の 根 源 的世界
に あるもの が分別
を離
れて い る とき, そ れ に対
し て こ れ は物 体
である と か _ _な い し仏 法で ある とい う こ の 偶 然 的命
名 が 付 加 され る, その もの に つ い て , い か なる存 在 性 (vidyamanata ) ある い は 非存
在 性 (avidyamanatE )が感 得
され よ うか。」N
も の の あ リ方 に関 する 三種の様 相45)
マ イ トレ ーヤが 申 しあ げた , 「世
尊
よ,智
慧の 完 成に つ い て 実 践 し, もの の あ り方
の区分
46)に関 す
る熟 練
(法差 別善巧,
dharma
・prabheda
・kauSalya
)を行
っ てい る
菩 薩
大士 は , い くつ の 様 相 (akara )に よっ て ,物 体
の 区分 設
定 (差別施設,prabhe
praj血 pti) .....,な い し仏法
の 区 分 設定
を理解
すべ き (anugantavya )で しょうか 。」
3D
世尊
は言 っ た 47)。 「マ イ トレ ーヤ よ ,智
慧 の完
成に つ い て実践
し , もの の あ り45
) こ の 章 節が特に 唯 識の 三 性 説 と関 連 して 重 要で あ る。46
)dharma
・prabheda とは本章の 壁 頭に列 挙 さ れた よ うな, あ らゆる もの の あ り方に関す る 区分で ある。 以 下に 示 されるの と類 似の
dharma
の 取 り扱い 方がAsaftga
のAhbidharmasamta
cayaV
こ認め られる。 すな わ ち蘊 ・界 ・処に 関する 三種の 区 分で あっ て , その文は すで に指 摘 して おい た 。 前掲 拙稿,
p
.3
, 註9
参照。 47 ) こ の 分節 (37
)以下の 文が清弁のTJ
に 引か れる。 対応 す る箇 所にそれ ぞれの分 節 番 号を挿入 し て示 す と次の と お りで ある。‘‘
尊
dir
smrad pa /de
niSes rab
kyi
pha rol tuphyin pa
las
kyah gsuhs te/(37
)byams
pa
byah chub sems dpah gzugskyi
bye
brag
gdags
pa
ni rnampa
gsum
gyi 〔s〕
khoh
du chud parbya
ste /触di
lta
ste/
尊di
nikun
btags
pa4i gzugs so //bdi
ni rnam parbrtags
pal
igzugs
so/
/
尊di ni chos fiidkyi
gzugs so 婁esbya
bas
一
199
一Komazawa University
NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 Unlverslty
弥勒請問章和訳 (袴谷) (
13
)方の 区 分に
関
す る熟練
を行 っ て い る菩 薩
大:ヒは ,三種
の様
相に よ っ て ,物 体の 区分
設定 (rapa −prabheda −prajfiapti) _ _ ない し仏法の 区 分 設 定 (buddha ・dharma ・prabheda ・ praj軸
pti
)を 理解
すべ きで あ る。 す な わ ち , こ れは 仮構
さ れ た物 体
(parikalpitarprapam )で あ り, こ れは分 別 された物 体 (vikalpitaip ritpam )で あ り, こ れは もの の
本 性 (法 性)と し て の
物
体 (dharmata ・rapa )で ある, .._ .ない し, これは仮構
され た 仏法
であ り, これ は分 別 された仏
法で あ り, こ れは もの の 本 性 と して の仏法
であ
る, と 48) 。」鰺
マ イ トレ ーヤ が 申しあ げた 。 「世尊
よ,仮 構
された物 体 とは なん で し ょ うか , 分 別 された物 体 とは なん で し ょ うか , もの の 本 性 と し て の物 体
とは なん で し ょ う か , _ _ ない し ,仮 構
さ れた 仏 法 とは なん で し ょ うか , 分 別 さ れ た 仏 法 とは な ん で し ょ うか , もの の本
性 と し て の 仏 法 とは なん で し ょ うか 。」39
世尊
は言 っ た 49)。 「マ イ トレ ーヤ よ,その 形 成 因た る事 物に 対 して ,物
体であso
/
/(38
)de
lakun
btags
pabi gzugs gah §e na/
(39
)gzugs
Ses
bya
ba
ni mihda血
bdu
ses
d
急h /gdags pa dafi/tha sfiad
la
brten
nas gzugskyi
thobo fiid
du
rtog pa gafi yin pa
de
/(43
)de
ni rdsas su meddo
〔//〕(38
)de
la rnam parbtags
pahi
gzugs
gafi
Se
na /(40 )rnampar
rtog pa la brten nas ga血1a
mi 血da
血/bdu
Ses
da
血/gdags padah
/tha s五adkyi
gzugs Sesbya
ba
Ia sogs par mhonpar
brjod
pa
fiid
de
/(44
)bdi
ni mam par rtog pa rdsas su yod pa fiid labrten
nas rdsas suyod pa yin gyi /ra血
dbah
du
耳jug
palas
ni ma yin no //(38
)de
la
chos fiid kyigzugs
ga
血 §e na /(41 )kun btagspalli
gzugs des mam parbtags
pa 紅i
gzugs
de
la
rtag
tu
ho bo 五id
med padah
/chosbdag
med pafiid
dah/yah
dagpa
皐i
mtha 与la sogs pa 喜ah yin pa ste / (
45
)de
la rdsas su yodpa
yafi ma yin la/rdsas sumed pa ya血 ma yin te/mam 匹 塑 g旦_
p
些@
Qng珪
§−sゆ 」〜aiid
d
曼血/mam par魎
p
璽 翌odpa
垣phyir
ro //Ses
gsuhs so” (TJ
P
.版, No .5256
,Dsa
,229bB
−230a1
)下線の 表 現は 本 章 中に は み あた らない 。
48
) 以上に列 挙 さ れ た parikalpi亡a, vikalpita ,dharmata
が順 次に 三性 説の parikalpita,paratantra, pariniSpanna に相 当 する もの で ある。 なお
buddha
−dhatrma の場 合は 複数で 示 さ れるが, こ こ で は あえて訳 出 し ない 。 以下に て も同様。