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ウォール・オブ・サウンド特集

ROOT SELECTION∼X’masアルバム

芽瑠璃堂マガジンWEB 人気記事紹介

芽瑠璃道∼芽瑠璃堂の原点を辿って

葉月賢治の編集後記

芽 瑠 璃 堂 マ ガ ジ ン 『 R O O T 』

# 0 0 4

W

ALL

音の魔術師∼フィル・スペクター

O

F

S

OUND

伝説

音壁

 原

復活記念

全曲解説

(2)

I N M E M O R Y O F P H I L S P E C T O R

 2011年11月現在、書店で容易に入手できて、日本語 で読めるフィル・スペクター関連の本と言うと、真っ先に 思い浮かぶのが、マーク・リボウスキーが書き、あの大瀧 詠一が監修を務めた「フィル・スペクター 甦る伝説 増補改 訂版」(白夜書房)。さらにキングスレイ・アポットが書い た「音の壁の向こう側 フィル・スペクター読本」(シンコー ミュージック)というのもあります。2011年には、別冊 ステレオサウンド、Beat Soundの特別号として「Beat Sound フィル・スペクター特集号」も発行されています。 今回の『ROOT』ではフィル・スペクターに関する基本的 なバイオグラフィと、日本における「音壁」にポイントを 絞ってビギナー向けに進めていきたいと思いますので、 フィル・スペクターに関して何かを徹底的に知りたい方は これらの本をお読みになることを強くお勧めします。 2011年はフィレス・レコード設立50周年となる記念の年  まず、2011年後半はフィル・スペクターの創り上げて きた音楽を愛するファンにとって、そしてポップ・ミュー ジックを好んで聴いてきた人にとって、またとない充実 した数ヶ月だったのではないでしょうか。11月にはフィ ル・スペクターの新装ベスト盤を始め、クリスタルズ、ロ ネッツ、ダーレン・ラヴの各種ベスト盤、アメリカやイギ リスのミュージシャンで、フィル・スペクター・サウンド の影響を受けた楽曲の中から、優れたアイディアを基に アレンジされたナンバーを収録した日本独自企画となる オムニバス盤『テイスト・オブ・“ウォール・オブ・サウン ド”』、そして忘れてはならないクリスマス・アルバムの定 番『クリスマス・ギフト・フォー・ユー・フロム・フィル・ スペクター』は紙ジャケット仕様で再発。これらすべて が最新のリマスターを施されて高音質のBlu-spec仕様で 発売されました。特に『クリスマス∼』はCD化になって から初めてとなるオリジナル・マスターテープからのリマ スター音源を使用し、より一層広がりのある“ウォール・ オブ・サウンド”を楽しめる仕上がりになっています。  2011年12月21日には大本命である『フィル・スペ クター・プレゼンツ∼フィレス・アルバム・コレクション』 が輸入盤から遅れること2 ヶ月で遂に発売されました。 このボックス・セットは、フィル・スペクターが1961年 に設立したフィレス・レコード50周年を記念して、アル バム単体では未CD化となる6枚のアルバムと、文字通 り入手困難かつ貴重なシングルBサイドを収録したもの です。収録アルバムは、クリスタルズ『ザ・クリスタルズ・ ツイスト・アップタウン』(1962年)、クリスタルズ『ヒー ズ・ア・レベル』(1963年)、ボブ・B・ソックス&ザ・ブルー・ ジーンズ『ジップ・ア・ディー・ドゥー・ダー』(1963年)、 クリスタルズ『ザ・クリスタルズ・シング・ザ・グレイテ スト・ヒッツ Vol.1』(1963年)、オムニバス盤『フィレス・ レコーズ・プレゼンツ・トゥデイズ・ヒッツ』(1963年)、 ロネッツ『プレゼンティング・ザ・ファビュラス・ロネッツ・ フィーチャリング・ヴェロニカ』(1964年)、そしてボー ナス・ディスクとして『フィルズ・フリップサイズ』が収 められています。  同日にはフィル・スペクター関連の最重要アイテムで ある、ジャック・ニッチェの『ロンリー・サーファー』 (1963年)とパリス・シスターズの『パリス・シスターズ・ シング・エヴリシング・アンダー・ザ・サン!!!』(1967年) もそれぞれ発売されました。 グループ活動からプロデュース業へ  フィル・スペクターは、1940年12月26日にニュー ヨーク市ブロンクスに生まれ、幼少の頃にロサンゼルス へ移住。10代の頃から音楽活動を始め、テディ・ベアー ズを1958年頃に結成、いきなり「会ったとたんに一目 惚れ(To Know Him Is To Love Him)」がビルボード・ チャートで1位となる大ヒットを3週間に渡って記録。 その後、音楽制作への興味の比重が大きくなり、プロ デューサーへの道を歩んでいきます。1961年にはフィ レス・レコードを設立。ここでロネッツやクリスタルズ などを筆頭にヒット曲を続々と生み出していきます。ま た、ビートルズとの交流も有名で1970年の『レット・イッ ト・ビー』ではプロデュースを務め、そこに収録されて いた「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」の アレンジに関するポール・マッカートニーとのいざこざ はファンならずとも耳にした事のある有名なエピソード だと思います。このレコードの元となったゲット・バック・ セッションで膨大に録音されたまとまりのないテープを ひとつの作品として短期間のうちにまとめ上げた手腕を ジョン・レノンとジョージ・ハリスンは高く評価し、それ ぞれのソロ・アルバムでプロデュースを依頼しています。 なお、フィル・スペクターがプロデュースしたアーティ ストは数多く存在し、アイク&ティナ・ターナー、ベン・ E・キング、ライチャス・ブラザーズ、パリス・シスターズ、 少し意外なところでは70年代ニューヨーク・パンクのラ モーンズや、カナダのシンガー・ソングライター、レナー ド・コーエン、さらにモダン・フォーク・カルテットなど もそのリストに名を連ねています。 日本におけるスペクター・サウンドの影響  そんなフィル・スペクターが作り上げたウォール・オブ・ サウンド。ここ日本では通称「音壁」として広く知られ ており、その特徴と言えば真っ先に思い浮かぶのが、オー ヴァー・ダビングを幾度も繰り返し、分厚く共鳴するサ ウンド。そして一貫してモノラルに拘ったことも挙げら れます。例えばクリスタルズの「ハイ・ロン・ロン(Da Doo Ron Ron)」や、ロネッツの「ビー・マイ・ベイビー」 などは一度聴いただけで「これがウォール・オブ・サウン ドか」と納得できるはずです。その様なフィル・スペク ター・サウンドに影響を受けたアーティストは世界中に 数多くいると思いますが、中でも代表的なのはブライア ン・ウィルソン、日本では大瀧詠一や山下達郎が挙げら れると思います。大瀧詠一がはっぴいえんど活動中の 1972年にソロ・アルバム『大瀧詠一』を発売し、1973 年に自身のレコード・レーベル「ナイアガラ」を立ち上げ、 ウォール・オブ・サウンドならぬナイアガラ・サウンドが 生まれます。1974年には自身の作成する原盤の管理と 保存を目的に「ザ・ナイアガラ・エンタープライズ」を設立。 ここから発売された初めての作品が山下達郎、大貫妙子、 伊藤銀次などが在籍し、大瀧詠一がプロデュースしたシュ ガー・ベイブのシングル「DOWN TOWN」とアルバム 『SONGS』でした。また、1981年に大瀧詠一が発売し た『A LONG VACATION』は日本における音壁作品と して最高峰に位置する名盤。  2008年に発売された『音壁Japan』というコンピレー ションCDがありますが、このCDは大瀧詠一もマスタリ ング協力としてクレジットされ、2011年11月現在、非 常に入手困難であるシリア・ポールの「夢で逢えたら」 も収録されています。このCDは土橋一夫による詳細な 曲目解説や、すべての楽曲の歌詞なども掲載され、作り 手の愛情が手に取る様に感じられる仕上がりになってい ます。収録曲は、大瀧詠一「青空のように」、シュガー・ ベイブ「雨は手のひらにいっぱい」、松田聖子「一千一秒 物語」、佐野元春「SOMEDAY」など。これらと並んで 収録されている曲のひとつが伝説の音壁アイドル、原め ぐみの「涙のメモリー」でした。 音壁アイドル 原めぐみ  原めぐみは1980年に「ボーイ・ハント」でデビュー、 原めぐみ名義で4枚、原江梨子名義で3枚のシングルを リリース。TVやラジオで活躍し1991年に結婚、引退後 は、輸入家具・雑貨店『Grace Note』の経営者として敏 腕を振るっています。この「涙のメモリー」はシングル「見 つめあう恋」のB面として1981年10月25日にトリオ・ レコードから通算2枚目のシングルとして発売されまし た。「見つめあう恋」はブリティッシュ・ビート・バンド、 ハーマンズ・ハーミッツの1967年のヒット曲「There's A Kind Of Hush (All Over The World)」のカバー。「涙 のメモリー」の作詞作曲はジューシィ・フルーツの沖山 優司、作詞には原めぐみ本人もクレジットされています。 アレンジは藤田大士。プロデューサーは当時トリオの社 員であった中村俊夫。氏はクリンク・レコードから2009 年に発売された原めぐみの約18年振りとなる新録を収 録した『Everlasting Love』でもプロデュースを務めて います。この作品は、先に触れた『音壁Japan』に収録 された事から、ファンの間で再び話題を呼び、それがきっ か け と な っ て 制 作 が 実 現 し た も の。新 曲「ト ビ ラ∼ EVERLASTING LOVE∼」は原めぐみ自身が作詞を手掛 けた意欲作で、実に28年振りとなる音壁作品でした。そ して2011年12月24日に前作から約2年振りとなる新 作『PARTY!』がクリンク・レコードより発売されること を記念して、原めぐみの音壁作品『Everlasting Love』 の全曲解説を中村俊夫自らによる熱のこもった解説でお 楽しみ下さい。 文=葉月賢治

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 2011年11月現在、書店で容易に入手できて、日本語 で読めるフィル・スペクター関連の本と言うと、真っ先に 思い浮かぶのが、マーク・リボウスキーが書き、あの大瀧 詠一が監修を務めた「フィル・スペクター 甦る伝説 増補改 訂版」(白夜書房)。さらにキングスレイ・アポットが書い た「音の壁の向こう側 フィル・スペクター読本」(シンコー ミュージック)というのもあります。2011年には、別冊 ステレオサウンド、Beat Soundの特別号として「Beat Sound フィル・スペクター特集号」も発行されています。 今回の『ROOT』ではフィル・スペクターに関する基本的 なバイオグラフィと、日本における「音壁」にポイントを 絞ってビギナー向けに進めていきたいと思いますので、 フィル・スペクターに関して何かを徹底的に知りたい方は これらの本をお読みになることを強くお勧めします。 2011年はフィレス・レコード設立50周年となる記念の年  まず、2011年後半はフィル・スペクターの創り上げて きた音楽を愛するファンにとって、そしてポップ・ミュー ジックを好んで聴いてきた人にとって、またとない充実 した数ヶ月だったのではないでしょうか。11月にはフィ ル・スペクターの新装ベスト盤を始め、クリスタルズ、ロ ネッツ、ダーレン・ラヴの各種ベスト盤、アメリカやイギ リスのミュージシャンで、フィル・スペクター・サウンド の影響を受けた楽曲の中から、優れたアイディアを基に アレンジされたナンバーを収録した日本独自企画となる オムニバス盤『テイスト・オブ・“ウォール・オブ・サウン ド”』、そして忘れてはならないクリスマス・アルバムの定 番『クリスマス・ギフト・フォー・ユー・フロム・フィル・ スペクター』は紙ジャケット仕様で再発。これらすべて が最新のリマスターを施されて高音質のBlu-spec仕様で 発売されました。特に『クリスマス∼』はCD化になって から初めてとなるオリジナル・マスターテープからのリマ スター音源を使用し、より一層広がりのある“ウォール・ オブ・サウンド”を楽しめる仕上がりになっています。  2011年12月21日には大本命である『フィル・スペ クター・プレゼンツ∼フィレス・アルバム・コレクション』 が輸入盤から遅れること2 ヶ月で遂に発売されました。 このボックス・セットは、フィル・スペクターが1961年 に設立したフィレス・レコード50周年を記念して、アル バム単体では未CD化となる6枚のアルバムと、文字通 り入手困難かつ貴重なシングルBサイドを収録したもの です。収録アルバムは、クリスタルズ『ザ・クリスタルズ・ ツイスト・アップタウン』(1962年)、クリスタルズ『ヒー ズ・ア・レベル』(1963年)、ボブ・B・ソックス&ザ・ブルー・ ジーンズ『ジップ・ア・ディー・ドゥー・ダー』(1963年)、 クリスタルズ『ザ・クリスタルズ・シング・ザ・グレイテ スト・ヒッツ Vol.1』(1963年)、オムニバス盤『フィレス・ レコーズ・プレゼンツ・トゥデイズ・ヒッツ』(1963年)、 ロネッツ『プレゼンティング・ザ・ファビュラス・ロネッツ・ フィーチャリング・ヴェロニカ』(1964年)、そしてボー ナス・ディスクとして『フィルズ・フリップサイズ』が収 められています。  同日にはフィル・スペクター関連の最重要アイテムで ある、ジャック・ニッチェの『ロンリー・サーファー』 (1963年)とパリス・シスターズの『パリス・シスターズ・ シング・エヴリシング・アンダー・ザ・サン!!!』(1967年) もそれぞれ発売されました。 グループ活動からプロデュース業へ  フィル・スペクターは、1940年12月26日にニュー ヨーク市ブロンクスに生まれ、幼少の頃にロサンゼルス へ移住。10代の頃から音楽活動を始め、テディ・ベアー ズを1958年頃に結成、いきなり「会ったとたんに一目 惚れ(To Know Him Is To Love Him)」がビルボード・ チャートで1位となる大ヒットを3週間に渡って記録。 その後、音楽制作への興味の比重が大きくなり、プロ デューサーへの道を歩んでいきます。1961年にはフィ レス・レコードを設立。ここでロネッツやクリスタルズ などを筆頭にヒット曲を続々と生み出していきます。ま た、ビートルズとの交流も有名で1970年の『レット・イッ ト・ビー』ではプロデュースを務め、そこに収録されて いた「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」の アレンジに関するポール・マッカートニーとのいざこざ はファンならずとも耳にした事のある有名なエピソード だと思います。このレコードの元となったゲット・バック・ セッションで膨大に録音されたまとまりのないテープを ひとつの作品として短期間のうちにまとめ上げた手腕を ジョン・レノンとジョージ・ハリスンは高く評価し、それ ぞれのソロ・アルバムでプロデュースを依頼しています。 なお、フィル・スペクターがプロデュースしたアーティ ストは数多く存在し、アイク&ティナ・ターナー、ベン・ E・キング、ライチャス・ブラザーズ、パリス・シスターズ、 少し意外なところでは70年代ニューヨーク・パンクのラ モーンズや、カナダのシンガー・ソングライター、レナー ド・コーエン、さらにモダン・フォーク・カルテットなど もそのリストに名を連ねています。 日本におけるスペクター・サウンドの影響  そんなフィル・スペクターが作り上げたウォール・オブ・ サウンド。ここ日本では通称「音壁」として広く知られ ており、その特徴と言えば真っ先に思い浮かぶのが、オー ヴァー・ダビングを幾度も繰り返し、分厚く共鳴するサ ウンド。そして一貫してモノラルに拘ったことも挙げら れます。例えばクリスタルズの「ハイ・ロン・ロン(Da Doo Ron Ron)」や、ロネッツの「ビー・マイ・ベイビー」 などは一度聴いただけで「これがウォール・オブ・サウン ドか」と納得できるはずです。その様なフィル・スペク ター・サウンドに影響を受けたアーティストは世界中に 数多くいると思いますが、中でも代表的なのはブライア ン・ウィルソン、日本では大瀧詠一や山下達郎が挙げら れると思います。大瀧詠一がはっぴいえんど活動中の 1972年にソロ・アルバム『大瀧詠一』を発売し、1973 年に自身のレコード・レーベル「ナイアガラ」を立ち上げ、 ウォール・オブ・サウンドならぬナイアガラ・サウンドが 生まれます。1974年には自身の作成する原盤の管理と 保存を目的に「ザ・ナイアガラ・エンタープライズ」を設立。 ここから発売された初めての作品が山下達郎、大貫妙子、 伊藤銀次などが在籍し、大瀧詠一がプロデュースしたシュ ガー・ベイブのシングル「DOWN TOWN」とアルバム 『SONGS』でした。また、1981年に大瀧詠一が発売し た『A LONG VACATION』は日本における音壁作品と して最高峰に位置する名盤。  2008年に発売された『音壁Japan』というコンピレー ションCDがありますが、このCDは大瀧詠一もマスタリ ング協力としてクレジットされ、2011年11月現在、非 常に入手困難であるシリア・ポールの「夢で逢えたら」 も収録されています。このCDは土橋一夫による詳細な 曲目解説や、すべての楽曲の歌詞なども掲載され、作り 手の愛情が手に取る様に感じられる仕上がりになってい ます。収録曲は、大瀧詠一「青空のように」、シュガー・ ベイブ「雨は手のひらにいっぱい」、松田聖子「一千一秒 物語」、佐野元春「SOMEDAY」など。これらと並んで 収録されている曲のひとつが伝説の音壁アイドル、原め ぐみの「涙のメモリー」でした。 音壁アイドル 原めぐみ  原めぐみは1980年に「ボーイ・ハント」でデビュー、 原めぐみ名義で4枚、原江梨子名義で3枚のシングルを リリース。TVやラジオで活躍し1991年に結婚、引退後 は、輸入家具・雑貨店『Grace Note』の経営者として敏 腕を振るっています。この「涙のメモリー」はシングル「見 つめあう恋」のB面として1981年10月25日にトリオ・ レコードから通算2枚目のシングルとして発売されまし た。「見つめあう恋」はブリティッシュ・ビート・バンド、 ハーマンズ・ハーミッツの1967年のヒット曲「There's A Kind Of Hush (All Over The World)」のカバー。「涙 のメモリー」の作詞作曲はジューシィ・フルーツの沖山 優司、作詞には原めぐみ本人もクレジットされています。 アレンジは藤田大士。プロデューサーは当時トリオの社 員であった中村俊夫。氏はクリンク・レコードから2009 年に発売された原めぐみの約18年振りとなる新録を収 録した『Everlasting Love』でもプロデュースを務めて います。この作品は、先に触れた『音壁Japan』に収録 された事から、ファンの間で再び話題を呼び、それがきっ か け と な っ て 制 作 が 実 現 し た も の。新 曲「ト ビ ラ∼ EVERLASTING LOVE∼」は原めぐみ自身が作詞を手掛 けた意欲作で、実に28年振りとなる音壁作品でした。そ して2011年12月24日に前作から約2年振りとなる新 作『PARTY!』がクリンク・レコードより発売されること を記念して、原めぐみの音壁作品『Everlasting Love』 の全曲解説を中村俊夫自らによる熱のこもった解説でお 楽しみ下さい。

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伝説の音壁アイドル 原めぐみ 復活記念 中村俊夫 全曲解説

1.トビラ∼EVERLASTING LOVE∼  91年に芸能界から結婚引退した原めぐみ(当時の芸名は 原江梨子)にとって、18年ぶりの新曲であり、原めぐみ名 義の“音壁もの”としては実に28年ぶりの作品。私にとっ ても彼女とのレコーディングは28年ぶりであるだけでなく、 2002 年 に ス プ リ ン グ ス の ス ト ー ン ズ・カヴァ ー (「YESTERDAY’S PAPER」「DANDELION」)をプロ デュースして以来、久々の新録制作だった。そのスプリン グスの渡辺博之が作曲とコーラス・アレンジ、同じくスプリ ングスの土屋剛がアレンジ&プログラミングを手がけ、さ らに CASH の太田シノブがエンジニア兼ギタリストとして 参加。録音場所も彼のハウス・スタジオという、いつもの 気心の知れた面子 (“Toshiphonix Crew”) が集まって のプロジェクトとなったのである。  実際にレコーディング作業に入るまでは、歌手として 18 年間のブランクがある原めぐみ嬢が一体どこまで歌い こなせるのか?現在のデジタル録音機材でどこまでアナ ログな音壁感を出せるのか?この2点がずうっと不安要素 として頭にあったのだが、それは歌入れと仮ミックスの時 点で杞憂に終わった。彼女の声は 28 年前と変わらぬ…い や、それにも増して艶やかで伸びやかだったし、ヴォーカ ル、コーラス、アコギ、パーカッション類、ベース・ギター 以外は生音を使っていない“打ち込み”で作られたバッ キング・トラックも、アナログ感漂う迫力ある音壁に仕上 がったのだ。手前味噌ながら、私がこれまでに手がけた 音壁作品の最高峰と言っても良い、会心の一作であるこ とは間違いないだろう。 2. 涙のメモリー  81年10月にリリースされた原めぐみの2ndシングル「見 つめあう恋」のB面曲。2008 年にソニーからリリースされ たコンピレーション『音壁 JAPAN』に本曲が収録された ことにより、久々に音壁ファンたちの間で原めぐみの記憶 が甦り、それが彼女の音壁新曲発表のきっかけとなった。 まさに“伝説の音壁アイドル”復活のカギとなった作品だ。  2ndシングルのA面をハーマンズ・ハーミッツのカヴァー と決めたものの、B面をどうしたら良いか、しばらく思案に 暮れる日々が続いたのだが、そんなある日、私が音楽雑誌 記者をしていた頃から交流があったジューシィ・フルーツの 沖山優司くんと、誰か ( 大瀧詠一さんだったような記憶が … ) のコンサート会場で遭遇。二人でお茶を飲んで雑談し ているうちに、フィル・スペクターの話で盛り上がり、彼に B面用に一曲書いてもらうことになった。沖山くんはロネッ ツの「I Wonder」を意識して書いたそうで、彼の意向は さび前の♪あなたがそばにいたなら∼♪という個所のバッ キングのリズムに反映されている。 曲を貰ったものの適当な作詞者が思い当らず、それならば 他のアイドルとの差別化を図ろうと、原めぐみ自身に書か せてみたわけだが、これが見事にハマり、彼女は作詞デ ビューを果たすことに。そしてその後、28 年という長いイ ンターバルを経て、作詞第2作となった「トビラ∼」を発 表するのである。 3. 離さないで  シングル「見つめあう恋」の制作終了後の81年9月から スタートした三遊亭円丈さんのアルバム『リハビリテーショ ン』のレコーディング・セッションからは、2曲の音壁作品 が生まれた。ひとつは円丈師匠が歌う「恋のホワン・ホワン」。 そして、もう1曲がこの「離さないで」である。両曲ともバッ キング・ミュージシャンは同じ顔ぶれで、当時「WEEKIDS」 というバンドを結成していた丸尾めぐみさん(key)とその 仲間たちだ。   新作アルバム『PARTY!』でも、コニー・フランシスのヒッ ト2曲を収録しているが、初めて原めぐみ嬢の歌をスタジオ で聴いた時から、彼女の声質にはコニーの歌が合うのでは と感じていたこともあって、「見つめあう恋」の次はコニー のカヴァー…それもまだ誰もカヴァーしていないマニアック なヤツ…と決めていた。「離さないで」はこの条件にピッタ リで、日本語ヴァージョンはコニー自身によるものしかなく、 邦人歌手によるカヴァーは原めぐみが最初である(未だ他 に現れてはいない)。後年、訳詞を手がけた漣健児さん (2005年没)にお会いした時、本曲を聴いてもらったこと があるのだが、「この曲のカヴァーは初めて聴いた」と驚か れていた。  最終的に「離さないで」は円丈師匠のアルバム (LP)か らは外され、81 年 12 月にリリースされた同アルバムのカ セット版のみに収録。長らく幻の原めぐみ作品として伝説 化していくが、2004 年に私が企画・選曲したカヴァー・コ ンピレーション『フェイバリッツ!』(テイチク/クロニクル) で初CD化を果たした。 4. 見つめあう恋  80 年夏に音楽雑誌記者からレコード会社の洋楽ディレク ターへと転身した私が、約半年後に海外アーティスト作品 から離れて、最初に手がけた邦人歌手が原めぐみだった。 彼女は前年 11 月に「ボーイ・ハント」という曲 (コニー・ フランシスとは無関係 ) でデビューしたものの鳴かず飛ば ずで、やがて所属事務所も解散。レコード会社の宣伝部預 かりとなっていた。そんな時期に、本来彼女の制作担当部 署である邦楽制作部から洋楽部在籍の私に 2nd シングル 制作の話が持ち込まれる。何か目先の変わったアイディア を求められた私は 60 年代ポップスのカヴァーを提案し、そ れが本作誕生へと繋がって行ったのである。  音壁アレンジにしたのは、以前からフィル・スペクターの 音作りに興味があり、試してみたい一心から。アレンジャー の藤田大士さん ( 彼は 70 年代にツトム・ヤマシタのバンド のベーシストだった)にロネッツのアルバムを聴いてアレ ンジ譜を作成してもらい、各楽器の動きや絡み方等を研究 したことが、私流の音壁作りの基本となったわけで、それ は現在も変わらない。  訳詞者として「水無月孔」という名前がクレジットされ ているが、これはジューシィ・フルーツのイリアのペンネー ム。前述の沖山くんとの邂逅がきっかけだ。ジューシィの メンバーの近況などを沖山くんから聞いているうちに、イ リア嬢に訳詞をお願いするアイディアがパッと閃いたので ある。実は、彼女が在籍していたガールズとアイドル・バ ンドのスロッグが映画『グリース』収録曲を日本語カヴァー した共演企画アルバムを 78 年にリリースしているのだが、 その中でイリアが訳詞を手がけた曲がなかなか良くて、そ のことが脳裏に残っていたのだろう。  初めての音壁制作ということもあって、試行錯誤(特に 録音方法、ミックスで苦労した)をくり返しながらも、な んとか満足のいくテイクが完成。さっそく新譜発売会議の 席上で披露したのだが、営業・宣伝関係の反応はイマイチ で、特に尋常ではないリヴァーブ量の多さに懸念の声が上 がり、作り直しを命じられるハメに…。結局、私自身も弱 いと感じていたヴォーカルを録り直し、不本意ながら全体 のリヴァーブの量を減らして作り直したテイク2が発売さ れ、本アルバムに収録されているのも、そのテイクである。 不本意なテイクではあるが、私にとって初のプロデュース 作品であり、その後も続くことになる「音壁実験」の第一 号となった記念すべき作品であることは間違いない。しか し、あれから 30 年が経った現在も思う。「テイク1のミッ クスは完璧だった…」と。残念ながらテイク1のマスター テープは現存していない。 5.トビラ∼EVERLASTING LOVE∼( モノラル )  スペクター・サウンドはやっぱりモノでしょう…ということ で作ったのが、このモノ・ミックス。ヴォーカルを前面に出し た他、各楽器もステレオ・ヴァージョンとは異なった調整を 施している。顕著なのが転調後の「♪二人の時間をあの頃 に∼♪」の部分だろう。ぜひステレオ版と聴き比べてほしい。 6. トビラ∼EVERLASTING LOVE∼( カラオケ )  基本的に音数の多い音壁作品なので、アナログ録音時代 は限りのあるトラック数をいかに有効活用するかに知恵を 絞ってきたが、Pro Tools などデジタル機器でのレコー ディングが主流となった現在は、トラック数の呪縛から解 放され、自由にトラックを増やしていける。その恩恵に甘 えて、「トビラ∼」のレコーディングでは総トラック数が 80 を超えた。ここで聴けるカラオケは、コーラス・パートが オフなので全トラックではないが、約8割方の音が聴ける はずである。 ライヴ・アルバム『PARTY!』について  原めぐみが何度かライヴで共演しているサニー多咲とバ ブルジェッツをバックに、彼女のステージ・レパートリーで ある 60 年代ポップスの名曲ばかりを歌ったスタジオ・ライ ヴ・アルバム。極力オーヴァー・ダビングを排したプリミティ ヴなバンド・サウンドと、歌唱力では定評のある原めぐみ のネイキッドなヴォーカルは、いつもの音壁作品とは対極 のものだが、逆に新鮮な魅力にあふれている。

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1.トビラ∼EVERLASTING LOVE∼  91年に芸能界から結婚引退した原めぐみ(当時の芸名は 原江梨子)にとって、18年ぶりの新曲であり、原めぐみ名 義の“音壁もの”としては実に28年ぶりの作品。私にとっ ても彼女とのレコーディングは28年ぶりであるだけでなく、 2002 年 に ス プ リ ン グ ス の ス ト ー ン ズ・カヴァ ー (「YESTERDAY’S PAPER」「DANDELION」)をプロ デュースして以来、久々の新録制作だった。そのスプリン グスの渡辺博之が作曲とコーラス・アレンジ、同じくスプリ ングスの土屋剛がアレンジ&プログラミングを手がけ、さ らに CASH の太田シノブがエンジニア兼ギタリストとして 参加。録音場所も彼のハウス・スタジオという、いつもの 気心の知れた面子 (“Toshiphonix Crew”) が集まって のプロジェクトとなったのである。  実際にレコーディング作業に入るまでは、歌手として 18 年間のブランクがある原めぐみ嬢が一体どこまで歌い こなせるのか?現在のデジタル録音機材でどこまでアナ ログな音壁感を出せるのか?この2点がずうっと不安要素 として頭にあったのだが、それは歌入れと仮ミックスの時 点で杞憂に終わった。彼女の声は 28 年前と変わらぬ…い や、それにも増して艶やかで伸びやかだったし、ヴォーカ ル、コーラス、アコギ、パーカッション類、ベース・ギター 以外は生音を使っていない“打ち込み”で作られたバッ キング・トラックも、アナログ感漂う迫力ある音壁に仕上 がったのだ。手前味噌ながら、私がこれまでに手がけた 音壁作品の最高峰と言っても良い、会心の一作であるこ とは間違いないだろう。 2. 涙のメモリー  81年10月にリリースされた原めぐみの2ndシングル「見 つめあう恋」のB面曲。2008 年にソニーからリリースされ たコンピレーション『音壁 JAPAN』に本曲が収録された ことにより、久々に音壁ファンたちの間で原めぐみの記憶 が甦り、それが彼女の音壁新曲発表のきっかけとなった。 まさに“伝説の音壁アイドル”復活のカギとなった作品だ。  2ndシングルのA面をハーマンズ・ハーミッツのカヴァー と決めたものの、B面をどうしたら良いか、しばらく思案に 暮れる日々が続いたのだが、そんなある日、私が音楽雑誌 記者をしていた頃から交流があったジューシィ・フルーツの 沖山優司くんと、誰か ( 大瀧詠一さんだったような記憶が … ) のコンサート会場で遭遇。二人でお茶を飲んで雑談し ているうちに、フィル・スペクターの話で盛り上がり、彼に B面用に一曲書いてもらうことになった。沖山くんはロネッ ツの「I Wonder」を意識して書いたそうで、彼の意向は さび前の♪あなたがそばにいたなら∼♪という個所のバッ キングのリズムに反映されている。 曲を貰ったものの適当な作詞者が思い当らず、それならば 他のアイドルとの差別化を図ろうと、原めぐみ自身に書か せてみたわけだが、これが見事にハマり、彼女は作詞デ ビューを果たすことに。そしてその後、28 年という長いイ ンターバルを経て、作詞第2作となった「トビラ∼」を発 表するのである。 3. 離さないで  シングル「見つめあう恋」の制作終了後の81年9月から スタートした三遊亭円丈さんのアルバム『リハビリテーショ ン』のレコーディング・セッションからは、2曲の音壁作品 が生まれた。ひとつは円丈師匠が歌う「恋のホワン・ホワン」。 そして、もう1曲がこの「離さないで」である。両曲ともバッ キング・ミュージシャンは同じ顔ぶれで、当時「WEEKIDS」 というバンドを結成していた丸尾めぐみさん(key)とその 仲間たちだ。   新作アルバム『PARTY!』でも、コニー・フランシスのヒッ ト2曲を収録しているが、初めて原めぐみ嬢の歌をスタジオ で聴いた時から、彼女の声質にはコニーの歌が合うのでは と感じていたこともあって、「見つめあう恋」の次はコニー のカヴァー…それもまだ誰もカヴァーしていないマニアック なヤツ…と決めていた。「離さないで」はこの条件にピッタ リで、日本語ヴァージョンはコニー自身によるものしかなく、 邦人歌手によるカヴァーは原めぐみが最初である(未だ他 に現れてはいない)。後年、訳詞を手がけた漣健児さん (2005年没)にお会いした時、本曲を聴いてもらったこと があるのだが、「この曲のカヴァーは初めて聴いた」と驚か れていた。  最終的に「離さないで」は円丈師匠のアルバム (LP)か らは外され、81 年 12 月にリリースされた同アルバムのカ セット版のみに収録。長らく幻の原めぐみ作品として伝説 化していくが、2004 年に私が企画・選曲したカヴァー・コ ンピレーション『フェイバリッツ!』(テイチク/クロニクル) で初CD化を果たした。 4. 見つめあう恋  80 年夏に音楽雑誌記者からレコード会社の洋楽ディレク ターへと転身した私が、約半年後に海外アーティスト作品 から離れて、最初に手がけた邦人歌手が原めぐみだった。 彼女は前年 11 月に「ボーイ・ハント」という曲 (コニー・ フランシスとは無関係 ) でデビューしたものの鳴かず飛ば ずで、やがて所属事務所も解散。レコード会社の宣伝部預 かりとなっていた。そんな時期に、本来彼女の制作担当部 署である邦楽制作部から洋楽部在籍の私に 2nd シングル 制作の話が持ち込まれる。何か目先の変わったアイディア を求められた私は 60 年代ポップスのカヴァーを提案し、そ れが本作誕生へと繋がって行ったのである。  音壁アレンジにしたのは、以前からフィル・スペクターの 音作りに興味があり、試してみたい一心から。アレンジャー の藤田大士さん ( 彼は 70 年代にツトム・ヤマシタのバンド のベーシストだった)にロネッツのアルバムを聴いてアレ ンジ譜を作成してもらい、各楽器の動きや絡み方等を研究 したことが、私流の音壁作りの基本となったわけで、それ は現在も変わらない。  訳詞者として「水無月孔」という名前がクレジットされ ているが、これはジューシィ・フルーツのイリアのペンネー ム。前述の沖山くんとの邂逅がきっかけだ。ジューシィの メンバーの近況などを沖山くんから聞いているうちに、イ リア嬢に訳詞をお願いするアイディアがパッと閃いたので ある。実は、彼女が在籍していたガールズとアイドル・バ ンドのスロッグが映画『グリース』収録曲を日本語カヴァー した共演企画アルバムを 78 年にリリースしているのだが、 その中でイリアが訳詞を手がけた曲がなかなか良くて、そ のことが脳裏に残っていたのだろう。  初めての音壁制作ということもあって、試行錯誤(特に 録音方法、ミックスで苦労した)をくり返しながらも、な んとか満足のいくテイクが完成。さっそく新譜発売会議の 席上で披露したのだが、営業・宣伝関係の反応はイマイチ で、特に尋常ではないリヴァーブ量の多さに懸念の声が上 がり、作り直しを命じられるハメに…。結局、私自身も弱 いと感じていたヴォーカルを録り直し、不本意ながら全体 のリヴァーブの量を減らして作り直したテイク2が発売さ れ、本アルバムに収録されているのも、そのテイクである。 不本意なテイクではあるが、私にとって初のプロデュース 作品であり、その後も続くことになる「音壁実験」の第一 号となった記念すべき作品であることは間違いない。しか し、あれから 30 年が経った現在も思う。「テイク1のミッ クスは完璧だった…」と。残念ながらテイク1のマスター テープは現存していない。 5.トビラ∼EVERLASTING LOVE∼( モノラル )  スペクター・サウンドはやっぱりモノでしょう…ということ で作ったのが、このモノ・ミックス。ヴォーカルを前面に出し た他、各楽器もステレオ・ヴァージョンとは異なった調整を 施している。顕著なのが転調後の「♪二人の時間をあの頃 に∼♪」の部分だろう。ぜひステレオ版と聴き比べてほしい。 6. トビラ∼EVERLASTING LOVE∼( カラオケ )  基本的に音数の多い音壁作品なので、アナログ録音時代 は限りのあるトラック数をいかに有効活用するかに知恵を 絞ってきたが、Pro Tools などデジタル機器でのレコー ディングが主流となった現在は、トラック数の呪縛から解 放され、自由にトラックを増やしていける。その恩恵に甘 えて、「トビラ∼」のレコーディングでは総トラック数が 80 を超えた。ここで聴けるカラオケは、コーラス・パートが オフなので全トラックではないが、約8割方の音が聴ける はずである。 ライヴ・アルバム『PARTY!』について  原めぐみが何度かライヴで共演しているサニー多咲とバ ブルジェッツをバックに、彼女のステージ・レパートリーで ある 60 年代ポップスの名曲ばかりを歌ったスタジオ・ライ ヴ・アルバム。極力オーヴァー・ダビングを排したプリミティ ヴなバンド・サウンドと、歌唱力では定評のある原めぐみ のネイキッドなヴォーカルは、いつもの音壁作品とは対極 のものだが、逆に新鮮な魅力にあふれている。

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 中学 2 年の 3 学期、1966 年の 1 月からいきなりポッ プス(洋楽の流行歌)を聴き出した私は貪欲そのもの でした。学校から帰るともう毎日 8 時間ぐらいはラジオ にかじりついていたでしょうか ?(いやほんとにそれぐ らいのめりこんでいたということで。試験の時はさすが にあれでしたけど)。日曜日なんぞはそれこそもう朝か ら晩まで。ラジオから流れて来る曲すべてが新鮮でカッ コ良く興味シンシン。ジャンルも国籍も何も関係なく。  そんなアホほど曲を聴く日々を過ごすうちにやはり自 分の肌に合うものというのがだんだんわかって来るもの でして、中 3 から高校に上がる頃にかけての多感な時 期に虜になったのはザ・バーズやラヴィン・スプーンフル、 ママス &パパスらに加えてライチャス・ブラザーズや ウォーカー・ブラザーズあたりにも心を奪われておりま した。50 代以下の世代の人たちは「音楽性が違うのに」 と思うかも知れませんが、いえいえ当時の私にとっては そんなもん、一緒くたです(同世代の人は似たようなも んかと)。サウンドや見た目が‘カッコいい ' かどうか、 それが基本でしたね。最初はみなミーハーなもんです。 小難しいことなんぞ考えてませんよ。  ライチャス・ブラザーズをリアルタイムで体験したの は 1966 年 4 月に全米 No.1(英 No.15)に達した「ソ ウル・アンド・インスピレイション」が最初。ポップスを 聴き始めてまだ 3 か月ほどながらこの曲がその後の私 の人生を決めてしまったと言っても過言ではありませ ん。今でも覚えてますよ、この曲を聴いた後、自宅の(狭 い)庭に出て空を見上げ「これからもず∼っとポップス を聴いて行くぞー!」と心に誓ったことを♪(これホンマ です)。それほどまでに感銘を受けた楽曲でした。その 少し後にラジオで耳にしたのがウォーカー・ブラザーズ の最新(当時)ヒット「太陽はもう輝かない」(1966: 英 No.1 /米 No.13)。その頃はこの両者に共通項が あるなんて全く気も付かず(そら当然でしょ)。もし試 験に出てたら(!?)回答書けませんでしたわ。。。そう なんですよね、今のご時世ならばピンと来る人もおられ るでしょう。どちらもいわゆる‘スペクター・サウンド' を巧みに取り入れてるんですよね。スペクターが直接携 わっているのではなくともそれ風に仕上げられておりま す。とはいえライチャス∼は前出「ソウル・アンド∼」 (Verve 移籍第 1 弾)以前はスペクターのレコード会社 フィルズ・レコードに在籍していたのでスペクターが直々 に制作をしていたのですが(「ふられた気持」もスペク ターの制作)、移籍後も同じソング・ライター(Barry Mann&Cynthia Weil)の曲でライチャスのビル・メ ドレー自らがプロデュースを担当してスペクター同様の 音作りを受け継いで仕上げたというわけで曲風は変わら ずといったところ。区別が付きません。  ウォーカーズの方はスペクターとの関わりは全くない んですが上手いことその‘音壁 ' 風の作りとロネッツの 「ビー・マイ・ベイビー」調のビートを取り入れて。。。い わば‘模倣'ではあるのですがその模倣が‘魔法'に変わっ たのがウォーカーズ(プロデューサーはJohn Franz)。 スペクター・サウンドのおいしいとこどりをして見事に 成功した例だと思います。しかも彼らはロネッツの曲そ の も の も カヴァー して ますしね。ロ ネッツ 1964 年 No.23のヒット「恋の雨音」を1967年全英No.26に、 そしてロネッツが 1966 年 10 月に録音した「ふたりの 太陽」を 1967 年の 3rdアルバム「イメージズ」で取 り上げ日本でシングル・カットされてヒット。この曲なん てロネッツ自身のレコードは当時発売されないままだっ たんですけどねぇ(ウォーカーズはえらい研究熱心 ?)。 ちなみにこの時期といえば(1966 年∼1967 年)世 の中はビートルズを旗振り役にどんどん新しく革新的に (ロックの時代へと)進行中でして、スペクター本人は すでにヒット・チャートではその‘神通力 ' を失っており ましたがそれをライチャスやウォーカーズたちが引き継 いだような形で。。。とはいえ私自身、その頃はスペクター もロネッツも意識なんぞしてませんでしたからね。ロ ネッツの「ビ ー・マイ・ベイビ ー」(1963 年 : 米 No.2 /英 No.4)は当然ながらリアルタイムではなく、日本 でキング・レコードから再発売された 1968 年秋にきち んと向き合ったぐらいですからライチャスもウォーカー ズもスペクターと関連づけて聴くはずもなく‘何ともし びれるカッコいいレコード'としてのめり込んでいただけ かと。ましてや‘ウォール・オブ・サウンド' などという 言葉自体、意識したのは 1970 年代以降でしょうね。 私自身は今もそうですが‘スペクター・サウンド'と呼ぶ 方がピンと来るんです。1976 年にビクターから各アー ティストの編集盤やオムニバス盤、レア音源集などが一 斉にリリースされたことがありましたがその際の帯の キャッチ・コピーが‘スペクター・ウォール・オブ・サウ ンド・シリーズ '。その時点でようやく‘ウォール・オブ・ サウンド'という表現を改めて認識したように思います。 しかしそのシリーズのライナーノーツでは桜井ユタカさ ん、八木誠さんといった先輩方がフィルズ・サウンドとか スペクター・サウンドとも書いておられます。そして‘そ のサウンドの特色としてウォール・オブ・サウンド'とも 記しておられます。  いづれにせよこれはフィル・スペクターという奇才が 独自に生み出した‘発明品 ' みたいなものですので個人 的には敬意を表して今後もその名前を冠した‘スペク ター・サウンド'と言う呼び方を併用したいなぁと思って おります。スペクター本人が制作したレコードの全盛期 はわずか 2 年ほどだったという印象ですが彼が作りだし たサウンドは後世にまで語り継がれておりライチャスや ウォーカーズ以降も内外を問わずいろいろなアーティス トがチャレンジしています。先頃ソニー・ミュージックか ら日本独自編集で出された「テイスト・オブ・‘ウォール・ オブ・サウンド'」(21曲入り)は良き参考書になるでしょ う。私の個人的な‘衝撃 ' であれしますと1970 年代は イギリスの‘ほくろ美人'リンジー・ディ・ポールがバリー・ ブ ル ー と 共 作 し て 歌 っ た「恋 の ウ ー・ア イ・ド ゥ」 (1974: 英 No.25)。初めて聴いた時はその‘あから さま' ぶりに飛び上りました♪そして 1980 年になって 耳にした Yuki Okazaki(岡崎友紀)の「ドゥ・ユー・ リメンバー・ミー」(オリコンNo.18)は加藤和彦の作・ 編曲のセンスにとろけましたね(作詞は安井かずみ)。 アル バ ム で は そ の 曲 に 続 い て シ ルヴィー・バ ル タン 1964 年の「アイドルを探せ」、マリアンヌ・フェイスフ ル1964年(&ローリング・ストーンズ1965年)の「ア ズ・ティアーズ・ゴー・バイ」も‘スペクター・サウンド' に包まれて。。。ときめきました。こういうのって裏方も 含めて一度はやってみたい憧れのサウンドなのかもなぁ と。このスタイルはもうアメリカのポピュラー音楽史に おける‘伝統芸能 ' になっているのかもしれません。妙 にアレンジされることもないですしね(というか変える 必要もないかと)。ビリー・ジョエルが 1976 年にロネッ ツのロニー・スペクターに捧げて作った「さよならハリ ウッド」やそれを当の本人ロニーが歌ったヴァージョン (1977 年)も今だに色褪せてはおりません。いやもっ と最近の誰かの作品であっても古く感じることはないと 思います。もちろん1960 年代の‘オリジナル ' スペク ター・サウンドも例えばこの先 20 年後に聴いても新鮮 でしょう。私にとってはもう古典落語を楽しむようなも のになっているのかも♪ 2011 年 12 月 1 日

ウォール・オブ・サウンド

にとって

文・資料提供=上柴とおる

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 中学 2 年の 3 学期、1966 年の 1 月からいきなりポッ プス(洋楽の流行歌)を聴き出した私は貪欲そのもの でした。学校から帰るともう毎日 8 時間ぐらいはラジオ にかじりついていたでしょうか ?(いやほんとにそれぐ らいのめりこんでいたということで。試験の時はさすが にあれでしたけど)。日曜日なんぞはそれこそもう朝か ら晩まで。ラジオから流れて来る曲すべてが新鮮でカッ コ良く興味シンシン。ジャンルも国籍も何も関係なく。  そんなアホほど曲を聴く日々を過ごすうちにやはり自 分の肌に合うものというのがだんだんわかって来るもの でして、中 3 から高校に上がる頃にかけての多感な時 期に虜になったのはザ・バーズやラヴィン・スプーンフル、 ママス &パパスらに加えてライチャス・ブラザーズや ウォーカー・ブラザーズあたりにも心を奪われておりま した。50 代以下の世代の人たちは「音楽性が違うのに」 と思うかも知れませんが、いえいえ当時の私にとっては そんなもん、一緒くたです(同世代の人は似たようなも んかと)。サウンドや見た目が‘カッコいい ' かどうか、 それが基本でしたね。最初はみなミーハーなもんです。 小難しいことなんぞ考えてませんよ。  ライチャス・ブラザーズをリアルタイムで体験したの は 1966 年 4 月に全米 No.1(英 No.15)に達した「ソ ウル・アンド・インスピレイション」が最初。ポップスを 聴き始めてまだ 3 か月ほどながらこの曲がその後の私 の人生を決めてしまったと言っても過言ではありませ ん。今でも覚えてますよ、この曲を聴いた後、自宅の(狭 い)庭に出て空を見上げ「これからもず∼っとポップス を聴いて行くぞー!」と心に誓ったことを♪(これホンマ です)。それほどまでに感銘を受けた楽曲でした。その 少し後にラジオで耳にしたのがウォーカー・ブラザーズ の最新(当時)ヒット「太陽はもう輝かない」(1966: 英 No.1 /米 No.13)。その頃はこの両者に共通項が あるなんて全く気も付かず(そら当然でしょ)。もし試 験に出てたら(!?)回答書けませんでしたわ。。。そう なんですよね、今のご時世ならばピンと来る人もおられ るでしょう。どちらもいわゆる‘スペクター・サウンド' を巧みに取り入れてるんですよね。スペクターが直接携 わっているのではなくともそれ風に仕上げられておりま す。とはいえライチャス∼は前出「ソウル・アンド∼」 (Verve 移籍第 1 弾)以前はスペクターのレコード会社 フィルズ・レコードに在籍していたのでスペクターが直々 に制作をしていたのですが(「ふられた気持」もスペク ターの制作)、移籍後も同じソング・ライター(Barry Mann&Cynthia Weil)の曲でライチャスのビル・メ ドレー自らがプロデュースを担当してスペクター同様の 音作りを受け継いで仕上げたというわけで曲風は変わら ずといったところ。区別が付きません。  ウォーカーズの方はスペクターとの関わりは全くない んですが上手いことその‘音壁 ' 風の作りとロネッツの 「ビー・マイ・ベイビー」調のビートを取り入れて。。。い わば‘模倣'ではあるのですがその模倣が‘魔法'に変わっ たのがウォーカーズ(プロデューサーはJohn Franz)。 スペクター・サウンドのおいしいとこどりをして見事に 成功した例だと思います。しかも彼らはロネッツの曲そ の も の も カヴァー して ますしね。ロ ネッツ 1964 年 No.23のヒット「恋の雨音」を1967年全英No.26に、 そしてロネッツが 1966 年 10 月に録音した「ふたりの 太陽」を 1967 年の 3rdアルバム「イメージズ」で取 り上げ日本でシングル・カットされてヒット。この曲なん てロネッツ自身のレコードは当時発売されないままだっ たんですけどねぇ(ウォーカーズはえらい研究熱心 ?)。 ちなみにこの時期といえば(1966 年∼1967 年)世 の中はビートルズを旗振り役にどんどん新しく革新的に (ロックの時代へと)進行中でして、スペクター本人は すでにヒット・チャートではその‘神通力 ' を失っており ましたがそれをライチャスやウォーカーズたちが引き継 いだような形で。。。とはいえ私自身、その頃はスペクター もロネッツも意識なんぞしてませんでしたからね。ロ ネッツの「ビ ー・マイ・ベイビ ー」(1963 年 : 米 No.2 /英 No.4)は当然ながらリアルタイムではなく、日本 でキング・レコードから再発売された 1968 年秋にきち んと向き合ったぐらいですからライチャスもウォーカー ズもスペクターと関連づけて聴くはずもなく‘何ともし びれるカッコいいレコード'としてのめり込んでいただけ かと。ましてや‘ウォール・オブ・サウンド' などという 言葉自体、意識したのは 1970 年代以降でしょうね。 私自身は今もそうですが‘スペクター・サウンド'と呼ぶ 方がピンと来るんです。1976 年にビクターから各アー ティストの編集盤やオムニバス盤、レア音源集などが一 斉にリリースされたことがありましたがその際の帯の キャッチ・コピーが‘スペクター・ウォール・オブ・サウ ンド・シリーズ '。その時点でようやく‘ウォール・オブ・ サウンド'という表現を改めて認識したように思います。 しかしそのシリーズのライナーノーツでは桜井ユタカさ ん、八木誠さんといった先輩方がフィルズ・サウンドとか スペクター・サウンドとも書いておられます。そして‘そ のサウンドの特色としてウォール・オブ・サウンド'とも 記しておられます。  いづれにせよこれはフィル・スペクターという奇才が 独自に生み出した‘発明品 ' みたいなものですので個人 的には敬意を表して今後もその名前を冠した‘スペク ター・サウンド'と言う呼び方を併用したいなぁと思って おります。スペクター本人が制作したレコードの全盛期 はわずか 2 年ほどだったという印象ですが彼が作りだし たサウンドは後世にまで語り継がれておりライチャスや ウォーカーズ以降も内外を問わずいろいろなアーティス トがチャレンジしています。先頃ソニー・ミュージックか ら日本独自編集で出された「テイスト・オブ・‘ウォール・ オブ・サウンド'」(21曲入り)は良き参考書になるでしょ う。私の個人的な‘衝撃 ' であれしますと1970 年代は イギリスの‘ほくろ美人'リンジー・ディ・ポールがバリー・ ブ ル ー と 共 作 し て 歌 っ た「恋 の ウ ー・ア イ・ド ゥ」 (1974: 英 No.25)。初めて聴いた時はその‘あから さま' ぶりに飛び上りました♪そして 1980 年になって 耳にした Yuki Okazaki(岡崎友紀)の「ドゥ・ユー・ リメンバー・ミー」(オリコンNo.18)は加藤和彦の作・ 編曲のセンスにとろけましたね(作詞は安井かずみ)。 アル バ ム で は そ の 曲 に 続 い て シ ルヴィー・バ ル タン 1964 年の「アイドルを探せ」、マリアンヌ・フェイスフ ル1964年(&ローリング・ストーンズ1965年)の「ア ズ・ティアーズ・ゴー・バイ」も‘スペクター・サウンド' に包まれて。。。ときめきました。こういうのって裏方も 含めて一度はやってみたい憧れのサウンドなのかもなぁ と。このスタイルはもうアメリカのポピュラー音楽史に おける‘伝統芸能 ' になっているのかもしれません。妙 にアレンジされることもないですしね(というか変える 必要もないかと)。ビリー・ジョエルが 1976 年にロネッ ツのロニー・スペクターに捧げて作った「さよならハリ ウッド」やそれを当の本人ロニーが歌ったヴァージョン (1977 年)も今だに色褪せてはおりません。いやもっ と最近の誰かの作品であっても古く感じることはないと 思います。もちろん1960 年代の‘オリジナル ' スペク ター・サウンドも例えばこの先 20 年後に聴いても新鮮 でしょう。私にとってはもう古典落語を楽しむようなも のになっているのかも♪ 2011 年 12 月 1 日 写真資料: ウォーカー・ブラザース『太陽はもう輝かない』(1966年 日本ビクター FL1221)/ウォーカー・ブラザース『ふたりの太陽』(1967 年 日本 ビ ク タ ー SFL1100)/ Ronettes『Be My Baby』(1963 年 Philles 116)/ Righteous Brothers『You've Lost That Lovin' Feelin'』 (1964 年 Philles 124)/ロネッツ『ビー・マイ・ベイビー』(1976年 の再発シングル ビクター JET2371)/ロニー・スペクター『さよなら ハリウッド』(1977年 CBSソニー 06SP171)/リンジー・ディ・ポール 『恋のウー・アイ・ドゥ』(1974年 ワーナー・パイオニア P1329W)/ ライチャス・ブラザース『ソウル・アンド・インスピレーション』(1966年 日本グラモフォン DV5001)

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ROOT SELECTION

定番クリスマス・アルバム10選

定番クリスマス・アルバム10選

Phil Spector

Christmas Gift for You From Phil Spector

1963 年に Philles から発売されたもの。 クリスマス・アルバムの定番であり、ウォー ル・オブ・サウンドを駆使したクリスマス・ ソングのトータル・アルバムとして広く親し まれている王道的な作品。初めて聴いた 時にはお馴染みの歌の数々が、まるで一 丸となって迫ってくるようなアレンジに新 鮮な印象を覚えた。 Beach Boys

Beach Boys' Christmas Album

1964 年に Capitol から発売されたもの。 A 面は主にオリジナル曲を収録し、B 面は 定番のクリスマス・ソングを収録している。 あまりにも美しいコーラス・ワークはクリス マスの神聖で荘厳な雰囲気にぴったりで、 思わず聞き惚れてしまうこともしばしば。 ボーナス・トラックを多数収録した完全盤 も発売されている。 Bing Crosby Merry Christmas 1955 年 に Decca から発 売 され たもの。 SPレコード (78 回転盤 )として発売された 複数枚をまとめたものだが、このアルバム は何と言っても「ホワイト・クリスマス」だ。 地球上にこの曲が存在することに、そして アーヴィング・バーリンに感謝したい。アン ドリュース・シスターズとの共演も含まれ ている。 Ella Fitzgerald

Ella Wishes You A Swinging Christmas

1960年にVerveから発売されたもの。「ジ ングル・ベル」からラストの「ホワイト・ク リスマス」まで、エラの世界に引き込まれ る。お馴染みのメロディを巧みにフェイク させながら、スキャットを交えて聴かせる クリスマス・ソングの数々。バック・コーラ スも雰囲気作りに一役買っている。

Booker T. & The MG's In The Christmas Spirit

1966 年に Stax から発売されたファンキー でヒップなクリスマス・アルバム。ひとつ 間違うと単純なイージー・リスニングにな りがちだが、ブッカー・T. のオルガンがメ ロディを自由に展開していく「ジングル・ ベル」や、丁寧にメロディを紡いでいく「き よしこの夜」など、バラエティに富んだ1枚。 Carpenters Christmas Portrait 1978 年 に A&M か ら 発 売 さ れ た も の。 1984 年には『オールド・ファッションド・ クリスマス』も発売されている。カレンの 美しく澄んだヴォーカルが、お馴染みのク リスマス・ソングを歌っていることに何度 聴いても感動してしまう。メドレー形式に よって次々と曲が繋がっていくトラックも素 晴らしい。 Ventures

The Ventures' Christmas Album

1965 年に Dolton から発売されたもの。 この年にはあの名盤『ノック・ミー・アウト!』 が発売されているが「サンタが町にやって きた」では、サム・ザ・シャム&ザ・ファラ オスの「ウーリー・ブリー」のイントロから 始まるという洒落たことをしている。この アルバムでは他にもこの様な遊びで楽しま せてくれる。 Frank Sinatra A Jolly Christmas 1957 年に Capitol から発売されたもの。 何と言ってもあのシナトラである。クリス マス・ソングを歌えば、その粋でダンディ な渋いヴォーカルがさらにぴったりとは まっている。お馴染みの「ジングル・ベル」 にしても普通に歌うなんてことはせず、シ ナトラ流になっている。一家に一枚の名盤 である。 Ray Charles Spirit of Christmas 1985 年に Concord から発売されたもの。 「What Child Is This?」は、ゴ ス ペ ル に

始まって、テンポ・アップしたかと思うと テーマ・メロディをモチーフにジャズ・アレ ンジとなるところなど、いつ聞いてもゾク ゾクする展開。レイが歌う事によってクリ スマス・ソングが立派な R&B になってい る。 V.A. Yule Struttin' 1990 年に発売された通称「ミニスカ・サ ンタ」。ソニー・クラーク1958 年の名盤 『クール・ストラッティン』をパロディにし たことからもわかる通り、Blue Note に録 音されたクリスマス・ソングを集めた編集 盤。ここに収録された中ではやはりチェッ ト・ベイカーとカウント・ベイシーの演奏が 光る。

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ROOT

編集後記

芽瑠璃堂マガジン『ROOT』第 4 号 > 編集後記 WONDERFUL CHOICE! 文=葉月賢治

編集人=葉月賢治/発行人=長野和夫 芽瑠璃堂マガジン編集部 ご意見 : [email protected] 読者の皆様のご意見を元に、より良い 雑誌を作ることを目標に努力して参 ります。その為には、皆様の貴重なご 意見が必要です。なんでも結構ですの で、ご意見をお寄せ下さい。  芽 瑠 璃 堂 マ ガ ジ ン﹃ROOT﹄第 4 号 は い か が で し た か?巻 頭 特 集 は フ ィ ル ・ ス ペ ク タ ー と い う こ と で、今 回 は、芽 瑠 璃 堂 マ ガ ジ ンWEBで も ブ ロ グ を お 書 き 頂 い て い る 上 柴 と お る さ ん と 中 村 俊 夫 さ ん に そ れ ぞ れ 原 稿 を 依 頼 さ せ て 頂 き ま し た。  上 柴 と お る さ ん は 、 11月 に 発 売 さ れ た ロ ネ ッ ツ の ベ ス ト 盤 で も 解 説 を お 書 き に な っ て お り、是 非﹃ROOT﹄で も そ の ポ ッ プ ス に 対 す る お 気 持 ち を 書 き 綴 っ て 頂きたいと思い ﹁私にとってのウォール ・ オ ブ ・ サ ウ ン ド﹂と い う タ イ ト ル で ご 依 頼 さ せ て 頂 き ま し た。当 時 の 音 楽 シ ー ン を リ ア ル タ イ ム に ご 体 験 さ れ て き た か ら こ そ お 書 き に な る 事 が で き る、ポ ッ プ ス に 対 す る 愛 情 が ひ し ひ し と 伝 わ っ て 来 る 温 か み の あ る 文 章 は、い か が で し た で しょうか。   ま た 、 中 村 俊 夫 さ ん は 、 前 回 の ﹃ R O O T ﹄ 第 3 号 の G S 特 集 に 引 き 続 き 参 加 し て 頂 い た の で す が 、 今 回 は ス ペ ク タ ー ・ サ ウ ン ド の フ ァ ン に と っ て 見 逃 す 事 の で き な い 原 め ぐ み の ﹃ Everlasting Love ﹄ ︵ 2 0 0 9 年 / ク リ ン ク ︶ の 全 曲 解 説 を ご 依 頼 さ せ て 頂 き ま し た。こ ち ら も ま さ に 現 場 で 実 際 に プ ロ デ ュ ー ス を さ れ て い た ご 本 人 な ら で は の、重 み の あ る お 言 葉 が 並 ぶ 文 章 で 非 常 に 詳 細 な 部 分 に も 触 れ ら れ て お り﹃ROOT﹄で し か 読 む 事 の できない貴重な特集となりました。  私 が 初 め て フ ィ ル ・ ス ペ ク タ ー と い う 名前を意識したのは、 ビートルズの ﹃レッ ト ・ イット ・ ビー﹄ に収録されていた ﹁ザ ・ ロング ・ アンド ・ ワインディング ・ ロード﹂ で の 一 件 で し た。フ ィ ル ・ ス ペ ク タ ー が オ ー ケ ス ト ラ と 14人 の 女 声 コ ー ラ ス を 加 え、そ れ に 不 快 感 を 示 し た ポ ー ル ・ マ ッ カ ー ト ニ ー。そ の 後 は、ジ ョ ン ・ レ ノ ン の﹃ロ ッ ク ン ロ ー ル﹄や、ジ ョ ー ジ ・ ハ リ ス ン の﹃オ ー ル ・ シ ン グ ス ・ マ ス ト ・ パ ス﹄な ど で 名 前 を 発 見 し﹃ク リ ス マ ス ・ ギ フ ト∼﹄で 大 好 き に な っ た と い う 段 階 を 踏 ん で い っ た と 思 い ま す。そ し て 今 で は ク リ ス マ ス の 時 期 に な る と 必 ず 聴 い て しまう愛聴盤となっています。  そ し て 今 回 は 全 世 界 に 膨 大 に 存 在 し て い る ク リ ス マ ス ・ ア ル バ ム の 中 か ら 定 番 だ と 思 わ れ る 作 品 を 10枚 選 ん で み ま し た が、い か が で し た で し ょ う か。選 ん だ 10 枚の中で、 私が一番気に入っているのは、 ヴェ ン チ ャ ー ズ の﹃ク リ ス マ ス ・ ア ル バ ム﹄ 。ヴェ ン チ ャ ー ズ は、そ の 長 い キ ャ リ アの中で、 今のところ3枚のクリスマス ・ ア ル バ ム を 残 し て い ま す が、こ れ は そ の 1 枚 目 と な る 作 品 で 1 9 6 5 年 に 発 売 さ れ て い ま す。ち な み に 2 枚 目 は﹃ク リ ス マ ス ・ ク ラ シ ッ ク﹄ ︵1 9 8 9 年︶ 、3 枚 目が ﹃クリスマス ・ ジョイ﹄ ︵2002年︶ です。 この1枚目のアルバムは、 ビルボー ド の ク リ ス マ ス ・ ア ル バ ム ・ チ ャ ー ト で 1 9 6 5 年 に 9 位 ま で 上 が る ヒ ッ ト を 記 録 し、そ の 後 の 3 年 間 チ ャ ー ト ・ イ ン し て い ま す。面 白 い の は、ク リ ス マ ス ・ ソ ン グ の 中 に 有 名 な 曲 の リ フ を 入 れ て 演 奏 し て い る こ と。例 え ば﹁そ り す べ り﹂で は﹁急 が ば 回 れ﹂ 、﹁赤 鼻 の ト ナ カ イ﹂で は ビ ー ト ル ズ の﹁ア イ ・ フ ィ ー ル ・ フ ァ イ ン﹂と い う 具 合 に 遊 び を 取 り 入 れ て い る の が 気 に 入 っ て い ま す。元 ネ タ を 探 す の も 楽 し み の ひ と つ で ク リ ス マ ス の 時 期 に な る と 必 ず 棚 か ら 引 っ 張 り 出 し て 聴 い て い ま す。そ し て 今 回 の 10選 に 入 れ ら れ な か っ た も の で、ど う し て も 紹 介 し た い ア ル バ ム が あ り ま す。そ れ が、デヴィ ッ ド ・ グ リ ス マ ン の﹃ア コ ー ス テ ィ ッ ク ・ ク リ ス マ ス﹄と、ケ イ ト&ア ン ナ ・ マ ク ギ ャ リ グ ル﹃マ ク ギ ャ リ グ ル ・ ク リ ス マ ス ・ ア ワ ー﹄ 、そ し て そ れ に 関 わ っ て く る チ ー フ タ ン ズ の﹃ベ ル ズ ・ オ ブ ・ ダ ブ リン﹄です。  デヴィ ッ ド ・ グ リ ス マ ン の﹃ア コ ー ス テ ィ ッ ク ・ ク リ ス マ ス﹄は 1 9 8 3 年 に ラ ウ ン ダ ー か ら 発 売。初 め て こ の ア ル バ ム の 存 在 を 知 っ た 時 に は も う 驚 き ま し た。何 し ろ デヴィ ッ ド ・ グ リ ス マ ン の ク リ ス マ ス 作 品 な ん で す か ら。メ ン バ ー も こ の 手 の 音 楽 好 き に と っ て は 堪 ら な い プ レ イ ヤ ー が 揃 っ て お り、ダ ロ ー ル ・ ア ン ガー、 ベラ ・ フレック、 マイク ・ マーシャ ル、 マーティン ・ テイラー、 ロブ ・ ワッサー マ ン な ど が 参 加 し て い ま す 。 19世 紀 の 有 名 な ク リ ス マ ス ・ キ ャ ロ ル﹁御 使 い う た い て﹂ ﹁世 の 人 忘 る な﹂や﹁サ ン タ が 町 に や っ て く る﹂ ﹁き よ し こ の 夜﹂な ど の 定 番 曲 を グ リ ス マ ン の き ら び や か な 音 色 の マ ン ド リ ン と、そ れ を サ ポ ー ト す る そ れ ぞ れ の 楽 器 に よ っ て、ジ ャ ケ ッ ト さ な が ら に 心 温 ま る ク リ ス マ ス 作 品 と な っ て い ま す。な か で も ア ーヴィ ン グ ・ バ ー リ ン が 作 曲 し、ビ ン グ ・ ク ロ ス ビ ー や フ ラ ン ク ・ シ ナ ト ラ が 歌 っ た こ と に よ っ て ス タ ン ダ ー ド 化 し た﹁ホ ワ イ ト ・ ク リ ス マ ス﹂ は、 ここに収録された中でも一押し。 メ ン バ ー は ブ ル ー グ ラ ス の イ メ ー ジ が 強 い と 思 い ま す が、純 粋 な ア コ ー ス テ ィ ッ ク ・ ミ ュ ー ジ ッ ク と し て 楽 し め る 1 枚 で す。ケ イ ト&ア ン ナ と チ ー フ タ ン ズ は ブ ロ グ に 書 い て あ り ま す の で、是 非 ご 覧 下 さい。  最後に上柴とおるさん、 中村俊夫さん、 お 忙 し い 所 ご 協 力 を 頂 き、誠 に あ り が と うございました。  次 回 の 発 行 は 1 月 を 予 定 し て い ま す。 詳 細 が 決 ま り 次 第、私 の ブ ロ グ で 随 時 発 表 し て い く の で、こ ち ら の 方 も 宜 し く お 願い致します。

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参照

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