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こぺる No.222(2011)

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2011

乙べる刊行会

NO. 222

部落問題とわたし② 仕事としての出会いから考えたこと 谷 亜 生 尼崎だより⑧ 被災地で起こっている高齢者の“深層死” 中村大蔵 こころのつぶやき③ 職業への眼差しについて考える 小津 覚 花 と マ グ マ ー 絵 と 詩 森永都子

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絵ー森永都子 生きてきた ということ 葉隠れ木つ葉が、人を傷つけ 痛みとともに木つ葉を脱ぎ 木つ葉は我れをも傷つけ また木つ葉を脱ぎ そのいく重もの服を脱ぎ わ た し に な っ た 。 わたしは 教育という名で、しつけという名で 生まれた時から着せられた被支配の 全ての木つ葉を脱ぎ捨てて わたしは たったひとつの わ た し に な っ た 。 森永都子

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部落問題とわたし②

仕事としての出会いから考えたこと

つぐお 亜生︵元京都市消防局勤務・京都市在住︶ わたしと同和問題との関わりは、昭和四十五年︵一九 七

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︶頃、京都市の南部に位置する同和地区のある集会 に参加したことに始まる。集会の内容は定かに覚えてい ないが、会場を埋めた黄色のゼッケンを着けた支部員の 熱気に完全に圧倒されたことを、現在も鮮烈な印象とし て 記 憶 し て い る 。 し か し この集会への参加は、今から思えば一種の動 員によるもので、個人的には ﹁ 一 過 性 の 接 触 ﹂ に 過 ぎ な か っ た 。 本格的な関わりは、昭和五十年頃、仕事の関係で同和 地区に足を運ぶようになってからである。このときは同 その実態を知ることにとどまらず、地区一 に組織されている運動団体と接触し、住民の考えを聞き、 それを施策に反映させるという、いわば同和問題に直接一 関わる担当者となり、運動の基本的な考えや、あり方、 行政としてなすべきことなど、初歩的な事柄の﹁手ほど一 き ﹂ を 受 け た の だ っ た 。 運動団体や支部役員との接触が同和問題に関心をもっ きっかけとなったことは言うまでもないが、こうした体一 験の中から、その解決の困難さを実感するようになると一 ともに、同和地区出身者との出会いにより、自らの偏見一 和 地 区 へ 入 り 、 こぺる が と れ て い っ た よ う に 思 う 。 1

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同和問題と消防行政 消防行政になぜ同和問題が関係するのかと思われる方 も 多 い か も 知 れ な い が 、 いわゆるオ

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ル・ロマンス事件 ︵ 一 九 五 一 年 、 雑 誌 ﹃ オ

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ル・ロマンス﹄に掲載された ﹁特殊部落﹂と題する小説をめぐる差別事件︶で、当時 の同和地区の状況として﹁消防車が通れない道路﹂が現 存していることが部落差別だと糾弾されたことが、消防 とのかかわりの原点であると理解している。 わたしが仕事として関わっていた当時の消防行政は、 大 き く 言 っ て 、 ﹁ 火 災 予 防 行 政 と 同 和 地 区 ﹂ 、 ﹁ 警 防 ︵ 消 防 活 動 ︶ 行 政 と 同 和 地 区 ﹂ 、 ﹁ 雇 用 と 同 和 地 区 ﹂ 、 ﹁ 市 民 啓 発﹂の四点に集約される。運動団体から指摘された問題 点 を 列 挙 し て み る 。

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火災予防行政 ﹁部落民はこれまでの部落差別の結果、部落外住民に 比べ防火に対する知識が低い。ゆえに消防としてどの よ う な に 施 策 で 臨 む の か 。 ﹂ 部落内の駐車車一 消防車が接近して消防活動ができる一

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雇 用 と 同 和 問 題 一 ﹁これまでの部落差別により就職の機会均等が保障さ一 れ て こ な か っ た 部 落 民 を 公 務 員 と し て 雇 用 せ よ 。 ﹂

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市民啓発 二般住民による差別発言、差別落書き等、差別事件一 が数多く発生している。行政としてどのように啓発し一 が市内各支部との交渉一

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警防︵消防活動︶行政について ﹁ 万 一 部 落 内 で 火 災 が 発 生 し た 場 合 、 両 に 妨 げ ら れ て 、 の か 。 ﹂ て い く の か 。 ﹂ 当 時 、 こ う し た ﹁ 質 問 ・ 要 求 ﹂ の 課 題 と な っ て い た 。 各支部との交渉に臨む 京都市役所のそれぞれの分野を担当する課長が交代し

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た場合、多くの新任課長に対し、交渉の席で支部役員か らぶつけられるのは、 ﹁ 部 落 問 題 と は な に か ﹂ という質 問 で あ る 。 大半の担当者は、丸暗記してきた﹁同和対策審議会答 申﹂に書かれている文章を暗唱して回答しようとする。 しかし、緊張から暗記してきたはずの文章がすらすら出 て こ な い 。 そんな担当者がたびたびいた。運動団体が主 導権と優位性を持つ、こうした席上での担当者の緊張感 は、その場にいた者のみが実感できるものだと思う。 この時、支部役員同士はお互いに顔を見合わせ、 や り と 笑 い 、 ﹁そんな同対審答申を覚えているだけでは部 落問題の本質を理解していることにはならない!﹂ と の 言葉が投げつけられる。同じ質問を他の新任担当者にも 浴 び せ て い く 。 そんな光景を何度も見てきた。前の者と 同じ回答はもはやできない。 その苦労をお分かりいただ け る だ ろ う か 。 わたしは幸いにも ︵ ? ︶ こ う し た 支 部 の ﹁ 洗 礼 ﹂ を 受 けたことがなかった。それは、 いまでも良かったと思つ て い る 。 さて、支部からの質問・要求に対しては、以下のよう ﹁各同和地区への防火啓発、各家庭に対する防火査察 お お む 一 で概ね解決している。﹂当時、各家庭への防火啓発、 防火査察は同和地区以外の地域より実施回数が多かっ た。このことが、消防職員から﹁なぜ同和地区ばかり一 へ行くのか?﹂という不満とも三守える言葉が口をつい て出てくる場面もあり、これを捉えて、﹁差別的発言一 だ!﹂と問題提起されたこともある。

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警防行政︵駐車場問題︶ ﹁市内の大半の同和地区には駐車場が整備されている一 が、駐車場の絶対数不足により、地区内の通路に違法一 駐車が後をたたない。地区内の通路に違法駐車車両が一 あるため消防活動の障害、特に高層住宅へのはしご自一 に回 答 し た 。

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火災予防行政 動車の接岸に支障になることがある。﹂ 実際には他の方法により消防活動は可能であるが、 こぺる しかし支部との交渉等では﹁他の方法で活動可能﹂と の発言は禁句となっていた。なぜなら違法駐車車両が一

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存在すること自体が問題点となっていたからだ。 ﹁こうした部落内の状況を消防は把握しているか? またどのように対処しているのか。﹂駐車状況につい ては、毎月夜間に一回地区内の状況を調査し、記録し て い る 。 また、特に障害となる駐車車両に対して啓発 ビラを貼付する等の方法で啓発している。 ﹁消防活動の障害となる駐車車両に対する他の部局 との協力体制等はどうなっているのか。﹂ 消防自動車の進入路へ駐車している車両も見受けら れるため、関係部局と連携し、路面表示による進入路 の 明 一 不 等 を 実 施 し て い る 。 いまひとつ大きな課題があった。それは﹁駐車場料金 問 題 ﹂ である。当時、駐車料金を徴収している地区と無 料の地区が併存していた。地区内の駐車場利用料金を徴 収していた地区でも、家賃より高い利用料は徴収せず、 一ヶ月二千円程度であったと記憶している。市街地にお け 京 る 都 部

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会 以 議 外 昌 の

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た ﹁使用料金に多少の 政策的な部分があるとしても、周辺と大きな格差があっ ︵ ﹁ 同 和 行 政 と 制 一 度疲労|京都市議会での質問から﹂﹃こぺる﹄一九九六一 年九月号︶。こうした状況から、地区外に駐車場を借り一 ている人との不公平をどうするのか、という問題も交渉一 時の議題となっていた。 当時、わたし自身、こうした地区と駐車場利用料金を一 徴収できない地区とは雲泥の差があると感じていたが、 当時の行政と運動団体との力関係では如何ともし難かっ たと、今では思っている。

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雇用問題 ﹁京都市における同和地区住民の雇用問題は一九九 六年以降、市の重要施策として、選考採用を同和事業一 の一環と位置づけている。具体的には運動団体から推一 薦があった応募者を採用してきた。その結果、現業職一 として相当数採用されてきた。﹂ これが、職員の非行問題の背景として指摘されること一 になった。こんな事象はつい最近まで新聞や T V で報道一 ていいものではない﹂ と指摘している で報道されたことは周知のとおり。

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ある交渉風景 当時消防局においては、消防自動車等の車両整備に必 要な、整備土等の資格を有する同和地区出身者を選考採 用 し て き た 経 緯 が あ る 。 一方、消防組織法に根拠を置く 消防職員の採用は人事委員会の競争試験により実施され てきた。それに関して、ある支部との交渉の場面で、返 答に窮した体験がある。もちろん、大半の支部は正当な 要求交渉であったことは言うまでもない。 そのときのや りとりは以下のようなものだった。 お い 女﹁俺の甥が消防の試験を受けた。不合格になった。こ れは部落差別や。どうしてくれるんや。この前の市交 渉 の 時 、 お前とこの局長が選考採用で採用すると言う て た ぞ 。 ﹂ こ の 唐 突 な 発 言 に 対 し 、 一瞬言葉に窮した。交渉時 には交渉相手をあまり刺激しないことが、京都市職員 の 暗 黙 の 了 解 事 項 で あ っ た 。

R ﹁消防の試験に不合格となったことが全て部落差別に よ る も の で は な い と 思 っ て い ま す 。 ﹂ 女﹁就職の機会均等が奪われてきた。これが部落差別や一 と わ か ら ん の か ! ﹂ 大﹁就職の機会均等を奪われてきたことと消防の試験に一 不 合 格 に な っ た こ と と は 別 問 題 で す 。 ﹂ このやり取りをしているあいだ罵声を浴びて隈着状一 態に。︵内心では、﹁今日の交渉は長引くなあ﹂と覚悟一 す る 。 ︶ 大﹁もうエエ。不合格になった俺の甥を選考採用せぇ

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。 局 長 も 採 用 す る と 言 っ て い た 。 ﹂ 大﹁局長クラスの対市交渉の席に私も同席していました一 が 、 局 長 は そ の よ う な 発 言 は し て い ま せ ん 。 ﹂ この発言に支部長がまた興奮。腰着状態が続く。 大﹁消防として採用できるやろ?﹂ 大 ﹁ 消 防 と し て 単 独 で 採 用 は で き ま せ ん 。 ﹂ ﹁ 京 都 市 の 人 事 委 員 一 こ の 回 答 に 支 部 長 が 興 奮 し た 。 大 ﹁ ど こ が 採 用 す る の や 。 ﹂ 女 一 言 葉 と し て 出 し た く な か っ た が 、 会が試験します﹂と答えた。 こベる 大﹁ほんなら今から人事委員会を呼べ!﹂ ︵ そ ら き た 。 こ の 時 、 時 計 は 午 後 十 時 を ま わ っ て い た 。 ︶ 5

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女﹁もう深夜になっています。今から人事委員会を呼ぶ こ と は で き ま せ ん 。 ﹂ こ の 応 答 で ま た 罵 声 を 浴 び 、 しばらくもめた。交渉 終了時には日付が変わっていた。翌日、人事委員会担 当者同伴で支部長へ話しに行くことになる。 これは一例であるが、答えの出ない交渉、支部役員の 話にならない要求など、同和問題担当としての四年間、 わたしなりに感じるところがたくさんあった。 誰 し も 思 う こ と で あ る が 、 いかなる場合においても交 渉相手、協議相手とは対等であるはずであろう。だが、 こ と 同 和 問 題 に 関 し て は 、 ﹁ 対 等 の 場 ﹂ で の 十 父 と う て い 渉・協議とはなっていなかった。具体的に表現すれば、 運動団体と京都市行政は対等な組織として、個々人の交 渉では対等な人間として対峠していたのではなく、 方 的 に ﹁ 要 求 す る 側 ︵ 人 ︶ ﹂ と全面的に﹁要求を受ける側 ︵ 人 ︶ ﹂ 、 ま た ﹁被差別者側﹂と﹁差別者側﹂として対峠 していたのではないかと思う。 鈴 木 正 穂 さ ん が 、 ﹁交渉を見学してのぼくの感想を率 直に言うと、﹃僕は京都市の職員にならへんでよかった﹄ というものだった。高校、大学時代に大衆団交で校長や一 教授をつるしあげたことがあるが、攻める方は実際気持一 ちがいい。しかし、多くの場合、不毛な憎しみが残った一 だけで、なんの成果も生まれなかった。立ちすくむ行政一 職員と攻める運動団体の人々とのやり取りを見ていいて、 や り き れ な い 思 い が し た ﹂ と 書 い て い る ︵ 前 掲 ﹃ こ ぺ る ﹄ ︶ 。 鈴木さんの感想をどう受けとめるか。﹁ケシカラン差別一 発言や﹂と反発するか、それとも﹁対等な立場で話し合一 うことの大切さを主張する、まっとうな意見だ﹂と考え一 るか、それが問題として今もあり続けている。 同和問題と向き合って、今思うこと 同和問題担当者として在任中、わたしは同和地区の実一 態把握、運動団体との交渉だけでなく、支部ごとの要求一 の根底にある社会的な理由、歴史的な背景、悩みや課題一 を知るために、支部役員たちとの協議や接触を活発に行つ た 。 一 京都市の大半の部局では、一、二箇所の地区を担当す一 るのが一般的だったが、消防局については一人で全地区一

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を担当した。だから結果として京都市内の同和地区全体遅い!﹂ ﹁ 発 見 、 あ る い は 聞 き 知 っ た 経 緯 は ど う か ﹂ 、 た。﹁多くの人を知ることにより、多くの友人ができる﹂ を理解し、各地区の運動団体役員と接触することができ﹁どのように対処したのか﹂、 の よ う な 啓 発 を 行 っ て き た の か ﹂ 、 と い う 。 個 人 的 に は 、 口 幅 っ た い 言 い 方 に な る が 、 人 間 の幅が広がったように感じている。 もちろん、どうして も 好 き に な れ な い 人 も い た 。 そ れ は 仕 方 が な い こ と だ 。 大事なのは、好きになれない人がいるからと言って、 れを地区全体のイメージにしないことを学んだ。これが 第 一 。 第 二 に 、 ﹁ 好 き 嫌 い ﹂ と 差 別 は 異 な る と い う こ と 。 誰 し も ﹁ 好 き 嫌 い ﹂ は あ る 。 し か し そ れ を 、 ﹁ 公 的 な 場 における忌避と排除﹂につなげない生き方をすることが 肝心だと学んだ。第三に、差別することは、 いかに人を 知らないことか、愚かなことかが漠然としてだが、見え て き た こ と で あ る 。 同和問題解決への道は 同和問題担当者として四年、消防署副署長としてコ一年 の計七年のあいだに、京都市内において数多くの差別事 象が起こり、問題提起がなされた。 そ の つ ど 、 ﹁ 報 告 が ﹁その地域に対し今までど そ ﹁ 今 後 ど の よ う に 対 応 していくのか﹂等々について、運動団体への応答に多く一 の 時 間 を 費 や し た 。 たしかに、住民啓発については、﹁各種啓発パンフレツ トの作成と配布﹂、﹁憲法記念日や人権週間の講演会・映一 画会等の計画﹂、﹁職場での人権教育﹂が主な施策で、一 般的な対応の域を出ることはなかった。それで十分だっ たかと問われれば、今もって返答に窮する。 職場における人権教育もそうである。当初、同和問題一 に関する題材が主であった。しかし、このことが﹁また一 同和問題の研修か﹂という不満の噴出につながったこと一 は否定できない。何をどう実施すれば同和問題解決への 道が開かれるのか。真面目に考えれば考えるほど苦悩は 深 く な っ た 。 わたしは、支部担当の市職員で体に変調をきたし、一 ﹁ 同 和 問 題 の 解 こぺる 時リタイヤした人を何人も知っている。 決は行政の責任だ﹂という主張に立ちすくまなかったわ たしは鈍感だったのかと、今も自問しているが、わたし一

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個人の問題ではなさそうである。 自宅から一時間弱のところに宇治田原町がある こ の 地は宇治茶で有名な緑茶の産地である。この畑地をお借 りして約三十年になるが、秋の収穫期、四十

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五十人の 人たちと収穫祭と称してバーベキューパーティーをする のが年中行事の一つであった。二十年ほど前になるだろ うか、わたしの運転するワンボックスカ

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に六人ほどの 中年女性を乗せ、京都市の南部の、ある同和地区を通過 中 、 一人が﹁この辺で交通事故でも起こしたら大変なこ と に な る ﹂ と つ ぶ や い た 。 そ こ で ﹁ こ の あ た り に 知 り 合 い が い る け ど 、 そ ん な こ と な い の と ち が う の ? ﹂ と 一 言 う と 、 ﹁わたしは知らんけど、知り合いがそう言ったはっ た﹂とのこと。車内には沈黙が支配し、 それ以上、話は 進 展 し な か っ た 。 しかし六人の女性の心中︵﹁そんな差 別 的 な 話 は し て は い け な い ﹂ ︶ は 察 し た が 、 わたしには それ以上突っ込んだ話はできなかった。それでよかった の か と 今 も 思 う 。 こ の 五 月 初 旬 、 中 園 地 方 の 、 とある島へ二泊三日の小 旅行に出かけた。この島は肉午の子牛の生産を地場産業 としている。観光タクシーで島内をまわった。島内は多 と質問すると、運一 ﹁ こ の 島 で は 処 理 し て い な い 。 ここには﹃ょっ﹄はいないから。﹂わたし、ドキン。観一 光客に平気でこんな言葉が発せられるとは。わたしは運一 ﹁ お 客 さ ん に い っ と尋ねると、彼一 くの牝牛と子牛が放牧されている。 ﹁ 昨 夜 食 べ た 美 味 し い お 肉 に は 、 ﹃

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午 ﹄ と 、 ブ ラ ン ド が 付 い て い た け れ ど ここの牛はどこで処理しているの?﹂ 転 手 兼 ガ イ ド さ ん い わ く 。 転手兼ガイドの横に座っていたから、 氏 も は そ 怪けの 罰

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よ そ う う な な 案 顔 内 を し し て た い の る で の で す か

﹁ い や い や 、 ﹃ ょ っ ﹄ が い ないからと言うような案内をしているんですか﹂ と 重 ね て 聞 い た 。 しかし彼氏からは返事はなかった。 今では死語なっているような言葉が平然と使われてい あぜん ることに唖然するとともに、同和問題の根深さと解決の 困 難 さ を 痛 感 し た の だ っ た 。 京都市消防局を退職し、再就職した職場からも身を引 き、今は完全にフリーな一市民としての生活を送ってい る。そんなわたしに何ができるか。自問自答の日々であ る

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尼 崎 だ よ り ⑧

被災地で起こっている

高齢者の”深層死“

中村大蔵︵阪神共同福祉会 尼 崎 市 在 住 ︶ 今、東日本大震災の被災地にある高齢者福祉施設では 大変なことが起こっている。施設入居者の死亡率が異常 な ほ ど 高 い 。 それも震災前からの入居者であり、地震や 津波で身体的損傷を受なかった人たちである。 朝日新聞︵日・

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朝 刊 ︶ の ﹁ 特 養 の 日 人 な ぜ 命 尽きた﹂との大きな見出しが目を引く。宮城県石巻市の 定員五十人、短期入所十二人の

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苑で、震災後半月に起 こった死亡者の数である。宮城県気仙沼市の特養

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苑 ︵ 定 員 六 十 人 ︶ で は 、 震 災 後 三 ヶ 月 で 死 亡 者 九 人 と な り 、 例年の一年分に相当する数に達した。 阪神淡路大震災時にも同じことが起こった。定員五十 人の園田苑でも九五年一月十七日の地震発生から、翌年 の四月二十日までに十七人の入居者が死亡した。明らか 一計を案じて尼崎市にある最一 大手の葬儀屋 H 祭典に問い合わせた。すぐさま一年間の一 六十五歳以上の死亡者で手がけた葬儀の一覧表が入手出一 来た。しかもどこで死亡したのかまで記録されていた。 もちろん住所、氏名欄は空白である。前年同期間の数も一 一緒に入手できた。それによると、やはり震災の年は異一 常に高齢者の死︵葬儀︶が多かったことを覚えている。 現在では個人情報保護法なる、庶民には情報隠しの一 ﹁悪﹂法で、このような情報は入手できないが、その当一 時でもこの種の情報を入手するのは一般的には難しいこ一 とであっただろう。だが、老人ホ

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ムと葬儀屋との親密一 な関係が情報開示を促した。それにしても、役所と民間一 との﹁仕事差﹂を見せつけられる思いがした。 す ベ ﹁知らん顔﹂するしか逃れる術を持たない高齢者 園田苑での死も、また在宅での死も、決一 に 高 い 死 亡 率 で あ っ た 。 在宅でも同じことが起こっているのではないかと思い、 市 役 所 に 問 い 合 わ せ た が 、 ﹁ そ ん な 調 査 は し て い な い ﹂ と 、 す げ な い 返 事 だ っ た 。 こぺる ー + 知 や

S

+ 知 、 して震災関連死とはカウントされない。私はこのような−

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高齢者の死を ” 深 層 死 “ と名づけた。しかも、ここで忘 れてならないのは、広域大災害では介護される側もする 側も同じ被災者であり、自分を守ることで精一杯の状態 に 置 か れ て い る こ と で あ る 。 しかし先に引用した朝日新聞の報道もその後、大した 反響を呼んでいない。確か、それも朝日新聞だったが、 阪神淡路大震災の時も淡路島にある特養での死は、例年 以 上 に 多 か っ た と 報 じ て い た 。 園田苑で阪神淡路大震災をベッド上で体験した C さ ん は、=一月に聞かれた入居者の月一回の定例懇談会の席上 で、職員の ﹁ 地 震 、 怖 か っ た で す か ﹂ と の 問 い に 、 かったけど、知らん顔してた﹂と答えた。質問した職員 もこのような返事は全く想定外のことだった。 C さんは食事介助の時、いつも ﹁ 毒 が 入 っ て い る ! ﹂ と、介助して口に入れた食べ物を ﹁ プ ツ ﹂ と吐き出す人 であり、それなりに痴呆のある方だった。だが、この返 事を直接耳じして、歳がなせるいい表現だと思った。 痴呆※を美しく生きるとは、自分の痴呆を笑いの対象 に 出 来 る 生 き 方 だ ろ う 。 だ が 、 C さんの返事は単に笑つ て済ますことの出来ないものを含んでいる。 ベ ッ ド 上 で 自 一 ましてやそこを離れるこ とも出来、ず、呼べども誰も駆けつけてくれないことは長一 年の経験で知っている。短期入所者を含めて五十四人に、 夜明け前の時間帯、介助職員はたったの二人である。 ﹁知らん顔﹂して時の過ぎ行くのを待つしかなかったの一 だ 。 このような状況下でいつもより多くの入居高齢者が命一 知 ら ん 顔 ﹂ を す る こ と で し か 、 その危機から逃れる 術がない高齢者の現状を言い当てている。 ら 身 体 を 動 か す こ と も 出 来 ず 、 を 落 と し て い っ た 。 ,,布 私 が こ の よ う な 死 を ” 深 層 死 “ と 命 名 し た の は 、 モ ノ 言 え ぬ 、 モノ言わぬ高齢者が、大震災という天地激動に 遭い、大きなダメージやストレスを受け、 それを体内に 深 く 溜 め た ま ま 、 ついぞそれから解き放たれることなく 死 ん で い っ て い る か ら で あ る 。 事故・事件があるたびにハ!ドの強化ばかり しかも、高齢者の死はいつの時もそれほど注目されな い。されても一過性のものである。 ﹁ い ず れ 死 ん で 行 く 人々たち﹂と目されているからである。単なる出来事と

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して高齢者の死は語られでも、 その死を避けるための、 施設での根本的な対策は皆無に等しいと言わざるを得な い

園田苑の場合、あの大地震の時でさえ近隣の住人がわ ほ が家を放ったらかしにして駆けつけてくれた。だが、津 波や土砂崩れの場合はそんなことはあり得ない。自らが 逃げることで必死である。 昨年十月の奄美大島での土砂崩れや、今回の大津波を 伴う震災では、絶対的少数者である施設職員が絶対的多 数者の救出に、短時間で当たらなければならない。 長崎のグループホ

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ムでの夜間火災での死は、九人の 高齢者に夜勤者がたつた一人という状況の中で起こった。 しかも、、グループホ!ムだから入居者全員が痴呆︵認知 症︶である。誰が想像しても一旦緩急の際は手の施しょ うがないことは明白である。 だが、その後の行政指導は、狭い面積だから必要がな いとされていた施設にまで ﹁ ス プ リ ン ク ラ ー の 必 置 ﹂ あり、現場が望む介護職員の配置基準の見直しで、増員 ではなかった。現在もグループホ

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ムは定員十八人まで は、夜勤者が一人でよいとの厚労省見解は見直されてい で 火災の発生でスプリンクラーから水が放出され、高齢一 者はズブ濡れになりながらも一命を取り留めるが、その一 後に待っているのはほぼ全員の肺炎であろう。その肺炎一 が死期を早めることは想像に難くない。介護職員の配置一 数が、どう考えても少ないことは、いっときは世間の同一 情をかつてもそれはやがて忘れ去られ、この国民的無関一 心が過酷な介護現場を存続させることに繋がっている。 昨今、グループホ

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ムなど少人数を少人数でケアする一 ことが人気を博しているが、注意しなければならないの一 は、高齢者に社会から隔離された小規模空間を与え、閉一 ざされた生活を強要することになっていないかである。 そこでは介護職員の権力的存在︵特に夜間帯︶が目立一 ち、高齢者どうしの多様な関わりゃ協働の営みを阻害す一 ることになりかねない。 施設であれ在宅であれ、介護現場を知らない者には、 ぎ ょ う そ う 介護者が﹁笑顔の天使から鬼の形相﹂まで、常時その両一 極面を使いこなして介護に当たっていることを、具体的一 こべる E 3 0 チ h p v にイメージすることはとても無理なことである。 11

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高齢者だからこそ絶えざる人との関わりを 守 山 斗 品 、

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? V 七月に東日本大震災の被災地を三回往復した。 二泊三日で苑に戻ってきた時、顔を会わせた入居者の

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さんの第一声は ﹁ 長 い こ と 会 わ ん か っ た な ﹂ で あ る 。 ” た っ た 一 一 一 日 の 不 在 “ で こ こ ま で た い そ う に 言 わ れ る 。 嬉しい限りではあるが、高齢者にとっての長い短いは、 私たちと同じ尺度の絶対的な時間ではない。 今日も朝一番の ︵ 自 力 歩 行 の ︶ 早 起 き は

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さ ん で あ る 。 まだ明けきらぬフロアでこちらの姿を見つけた E さ ん は 、 ﹁ 私 、 な ん で こ ん な 所 に お り ま す ん や ろ な ﹂ ﹁ 息 子 は 知 つ て ま す の か な ﹂ ﹁ 息 子 は 来 ま す か な ﹂ ﹁ お 金 払 っ て い ま す か な ﹂ と 語 り か け て く る 。 毎朝毎朝この繰り返しなので、忙しい時に無視すると ﹁聞こえているのに知らん顔して﹂とブツブツ怒りなが き び す ら腫を返す。新聞を取りに玄関から出ょうとすると、 ﹁ オ ジ サ ン 、 ど っ か 行 き ま す の か な ﹂ と 引 き 返 し て き て 、 ﹁ オ ジ サ ン 、 放 っ と か ん と っ て ﹂ と 哀 願 す る 。 高齢者にとって人の気配を失うことは、とてつもなく 寂しいことなのである。被災地で起こっていることは 人との関わりを断絶された結果の死である。 しかも、この出来事は震災という非日常で起こったも の で あ る が 、 常 日 頃 の 人 手 ︵ 金 ︶ をできるだけかけない ことを旨とする、我が社会の介護状況の反映でもある。 阪神淡路大震災の時、園田苑では定員をオーバーする こと十二人の緊急避難者が約三ヶ月滞在した。取材に訪一 れたマスコミは﹁入居者がパニックを起こしませんでした一 か﹂と問うた。そんな気配は感じられなかったので、﹁ウ一 チの入居者は来客慣れしていますから﹂と冗談半分に答一 えたが、高齢者介護の現場では絶えざる人との関わりが、 当の高齢者をして生きる意欲を掻き立てる。震災など大一 へ い ぜ い きな事変が起こる時、高齢者に見られる事象は、平生に一 高 齢 者 が ど の よ う に 遇 さ れ て い る か の 反 映 で も あ る 。 ※私は今なお﹁痴呆﹂にこだわっている。認知症なる一 呼称は余りにも病気・病人臭く、人間味が薄いからであ一 る。介護は医療に比して、より人の生活に肉薄し、人間一 的に深いものがある。痴呆は人間の加齢に伴う自然、生一 理的現象と捉えた方が、介護する・される側双方にとっ てより豊かな人間関係を結ぶことができる。なお、認知症一 な る 語 句 を 使 用 す る な と 言 っ て い る の で は な い 。 念 の た め 。

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﹂ こ ろ の つ ぶ や き ③ 覚 ︵ 地 方 公 務 員 ・ 横 浜 市 在 住 ︶

職業への眼差しについて

考える

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昨年三月まで関東地方向 と あ る 屠 場 ︵ 正 確 に は 、 畜場併設食肉市場︶に三年間勤務していた。その問、本 誌回年 1 月号に内揮旬子﹃世界屠畜紀行﹄の、叩年 1 月 号には佐川光晴﹃牛を屠る﹄の書評を書かせていただい たことがある。最近は、以前の職場との関連で役所全体 の人権啓発助言者なるものに任命されている。 屠場に勤務していたからといって、人権感覚が豊かに なるとか、人権について特に詳しくなるなどということ 十 晶 玉 、 4 0 7 V デ JPν そ う し た 、 ﹁どこどこの職場に勤務していたか ら、あの人はこうなんだ﹂というステレオタイプ︵紋切 り型︶の見方こそが、職業に対する偏見に繋がり、 人 権 侵害を引き起こす種になるかもしれないのである。 と 今まで見えていなかったものがいくらか見一 えてきたように思う。その意味では、とても良い経験を一 させてもらったと感じている。そうした自分の気付きゃ一 内省、現場で働く職員たちから聞かせてもらったことな一 どを研修の場で少しでも伝えられたらと、可能な限り講一 師依頼を引き受けるようにしている。その際、必ず短く一 ても良いのでアンケートを書いてくださいとお願いして− とくに一般職員は屠場差別について学ぶ機会は多一 13 しかし、私自身は三年間屠場に勤務して、物の見方が 少 し 変 わ り 、 い る 。 く な い 。 だ か ら 、 ど ん 話のどこがわかりづらかったか、 な部分が印象に残ったかを書いてもらい 次回の研修に 活 か し た い の で あ る 。 今回はその中から、ある若い女性職員のアンケートを 紹 介 し た い 。 正直、研修が始まる前は何も考えずにボ

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ッ と 座 つ て い た の で す が 、 お 話 し を 聞 い て い る う ち に 、 い ろ いろなことを思い出したり、考えたりするようにな こぺる りました。特に印象に残っていることは、 ﹁ 親 の 職 業 を 言 え な く な る ﹂ という話しです。子どもの頃は

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あまり考えることはありませんでしたが、自分も働 くようになったときから父親の職業が回りに言えな く な っ て い ま し た 。 今の職場の女性は、大学を卒業しているお嬢様 ︵ 私 に は そ う 見 え る : ・ 笑 ︶ が 多 く 、 父 親 の 職 業 も 流企業や公務員などが多いみたいです。私の父親の 仕事は比較的お給料が少ないほうだと思いますし、 マナーや接客態度の悪い人が多く、時々話題になっ た り し ま す 。 一 度 だ け 職 場 の 人 に 父 親 の 仕 事 を 言 っ た と き に は 、 気まずそうに話しを流されました。私の父がそうだ とは知らずに﹁

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してる人って、人生終わってい る感じだよね

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﹂ と 言 わ れ た こ と も あ っ て 、 そ ん な に 嫌 な 思 い を し た こ と が あ る の か な ・ ・ ・ と 申 し 訳 な い 気持ちになったり。後で私の父の仕事を知ったその 子 が 血 相 変 え て 謝 り に 来 た と き の あ の 気 ま ず さ と い っ た ら : ・ ︵ 笑 ︶ 社会にはお金のない人に対して見下すような発言 を無意識にする人が多いと思います。私のボーナス の使い道はひたすら学費の返済ですが、旅行に行つ どんな空気になるかもう分っているので、当たり障一 りのないように、﹁貯金かな

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?﹂と言っています一 ︵ 笑 ︶ 自 分 の 話 ば か り で す み ま せ ん で し た 。 ち な み に 私 の 父 は タ ク シ ー の 運 転 手 を し て い ま す 。 私は結構好きですよ。電話一本で飛んできてくれま一 すから b e 彼女のアンケートにある﹁親の職業が言えなくなる﹂ というのは、本誌叩年 1 月号で触れた、屠場の中堅職員一 の 話 を 研 修 で 紹 介 し た か ら で あ る 。 その方は、娘さんが小学校へ入学するのに当たって心一 配があるという。今はどこの小学校でも小鳥やウサギな一 どの小動物を飼っているが、彼はそれをもとにした教育一 が心配なのだとも。彼の娘さんは父親が屠場で毎日牛・ 豚を屠畜して肉にしていることを知っている。しかし、 今の小学校では、﹁動物を傷つけたり殺したりすること一 は悪いことなので、してはいけません。動物は可愛がる一 ものです﹂としか教えない。娘さんが学校で父親の仕事一 た り 、 ブ ラ ン ド 品 を 買 っ た り し て い る 人 に 話 し て も のことを理由にいじめられないか。父親の仕事を変えて

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欲しいと思うのではないか、学校での ﹁ 動 物 を 殺 す こ と は 悪 い こ と ﹂ という教えにしたがって父親の仕事を隠す ようになるのではないか、自分の父親は﹁悪い人﹂だと 思 っ て し ま わ な い か 。 そうした心配があると、私に語つ て く れ た の で あ る 。 アンケートを書いてくださった彼女の思いと、屠場の 職員の思いというのは、職業差別ということでくくれば 共通するものがあると思う。どちらも表立った差別の話 で は な い し 、 それによって何か直接的な被害を受けたわ け で は な い が 、 そ う し た 職 業 に 対 す る 価 値 観 や 思 避 観 が 、 当事者や当事者の家族の心を縛り、結果として彼らの心 を深く傷つけてしまっているのだろう。 当事者の家族にまでも﹁親の職業を言えない﹂ と 思 わ せてしまう職業に対する価値観とは何なのだろうか。 職業に限らず、自分の学歴や出身地、国籍、性別など、 さまざまな事柄で ﹁偏見や差別にさらされるかもしれな いから、他人には言えない﹂という話はよく耳にする。 屠 場 差 別 は 、 一 般 的 に は ﹁ 職 業 差 別 ﹂ の中に分類され る人権問題として取り扱われることが多い。 また、同和問題と関連して、部落差別の形態の一つの 差別観とは異なる視点があるとともに、他の職業差別と一 は別の何かが加重されているように思えてならない。そ一 れはやはり﹁動物を殺すこと﹂がその職業の一部を構成一 していることからきているのではないか。﹁動物を殺す一 こと﹂が職業の一部としてあるのは、屠畜の他に保健所一 などで行う犬の収容・殺処分や、今は携わる人もほとん一 ど残っていないと言われている﹁野良猫を捕獲して三味一 線用の皮として加工する仕事﹂があげられる。 昨今は、保健所が人に及ぼす危険性や公衆衛生面など一 から野良犬や野良猫などを捕獲しても、﹁動物を殺処分一 するのは残酷だ﹂という世論に押され、改めて飼い主を一 探すなどの形に変えざるを得なくなっている。また、動一 物愛護を自認する人たちの中には、﹁動物を殺すこと﹂ が職業の一部となっている仕事に就く人たちに対し、ま一 ではないような視線や言葉を投一 そ う し た 心 一 カテゴリーとして論じられることもある。 しかし、私は 三年間屠場で働いて、屠場差別には、同和問題に対する る で そ の 人 た ち が ﹁ 人 ﹂ こぺる げかける人が多い。私が屠場にいた時にも、 ない内容のファックスが匿名で送りつけられてきたこと一日

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が あ っ た 。 ペットは確かに可愛いし、私も昨年、十三年飼ってい た柴犬が死に、心の隙間を満たすために、 わざわざ山梨 県まで赴き甲斐犬を譲り受けた。動物を可愛がることを は な 端から否定するつもりはないが、冷静に考えてみれば、 ペットも人の精神的な充足感を得るために、人工的な繁 殖 や 改 良 を 行 い 、 人に従順に従うように作られてきた愛 玩 動 物 で あ り 、 ﹁動物を生きたまま利用している﹂こと の 一 つ の 形 態 で は な い か 。 動物をペットとして可愛がる︵生きたまま利用する︶ ア ア と 牛 わ 、 ﹁動物を殺して﹂我々の食料やさまざまな原材 料として利用することも、人が動物を利用するという行 為において同一線上にあると考えるのは無理だろうか。 少し前の時代を思い起こせば、牛馬などは今のトラク ターや乗用車代わりに使役されてきたわけである。 ﹁このすき焼きに使っている肉は

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牛で百グラム 千円もするんだ﹂とか、 ー し れ ん か ∼ い。血の滴るようなステーキでなきゃダメだ﹂と言いつ ﹁良い肉は焼きすぎはうまくな っ、おいしそうに肉を食べる口で、 ﹁ お い し い 肉 は 大 好 その家族がどんな思いを抱くのだ一 東日本大震災による福島原発事故が原因で福島県の多一 くの市町村で人の避難が義務付けられた。その中で、酪一 農家たちは、飼っていた牛や豚を現地に残して、いろん一 な思いを抱いて避難している。そんな中、ある新聞記事一 によれば、﹁区域内で酪農を営む男性は三日に一回、警一 察の検問を避け山道を通って牧場に入り、餌やりを続け一 る。しかし先月二十九日、牧場に着くと、﹃餌を与えな一 い の か ﹄ 、 ﹃ 命 は 殺 し て も い い も の と 子 ど も に 教 え る の か ﹄ 一 などのビラが約六十枚貼られていた﹂とあった。 動物を殺して利用するということについて、私自身の一 中で全てが解決しているわけではない。これからも自分一 の中での葛藤は続く。私は人も動物も大切にしたいとは一 やはり最後は﹁人を大切にする﹂ことが真に人一 きだけど、自分は牛・豚なんて可愛そうで殺せないよ。 よくそんな残酷な仕事をやれるよね﹂という言葉の前で、 屠 場 で 働 く 人 た ち ゃ 、 ろ う か 。 思 う が 、 権を考えるということなのだろうと考えている。

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濃水飛山記 マ部落解放同盟愛知県連による﹁イ チャモン﹂一件について、早速読者 から感想メ

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ル が 届 き ま し た 。 マ﹁愛知県連の話は驚きです。こう やって、どんどん信頼をあちこちで 失っているのですねえ。﹂言いがか りと膏薬はどこにでも付く。例の飛 鳥 会 事 件 で は コ 一 和 銀 行 ︵ 現 三 菱 東 京 UFJ 銀行︶淡路支店の窓口で、ク レジットカードを申し込んだ客に職 業を尋ねたことがきっかけだったと か 。 ﹁ ︵ 同 和 地 区 の ︶ 地 域 住 民 の 職 業 を 聞 く の は 夕 、 ブ ! と さ れ て い ま し た から、それで、小西さんが烈火の如 く 怒 り だ し た ﹂ ︵ 森 功 ﹃ 同 和 と 銀 行 ﹄ 講 談 社 、

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9 ︶ 。 ﹁ 差 別 や ! ﹂ と 怒 鳴り散らす姿が固に浮かびます。か くして﹁同和と銀行﹂の癒着がうま れ た わ け 。 マ﹁わたしの住む町が部落解放同盟 から受けたクレームと同じだと感じ ました。奈良の山下力さんを講師に 招こうとしたところ、﹁山下氏は当 団体から除名された人間である。そ んな人聞に講演を行わせるとは何事 か﹂と言つできたらしい。いろいろ なことがあっても解放同盟の思考 はいまだ何も変わっていないので すね。﹂批判や異論、苦言や直言を 拒否する先に待っているのは、見 る も 無 残 な 精 神 の 荒 廃 だ け で す 。 マ﹁愛知県連と豊田市のやりとり に は 、 ﹁ 今 も な お ﹂ と 、 う ん ざ り さ せ られますが、豊田市の対応に、過 去とは違う変化が見られてほっと し ま す 。 ﹂ ﹁ 濃 水 飛 山 記 の 文 章 は 、 解放同盟の相変わらずの依たらく とそれを乗り超える可能性をもっ 一部行政の対応の好対照を示して いる点で、かなりの反響を呼ぶの ではないでしょうか。﹂部落や同和 を名乗って私的利益や便宜供与を ひ る あさる連中と、彼らの言動に怯む 人がいるかぎり、残念ながら﹁イ チヤモン﹂事件は後を絶たないで し ょ う 。 マ最近の読書からシェルビ

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・ ス テ ィ

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ル﹃白い罪|公民権運動 と み ち はなぜ敗北したか﹄︵径書房、日− 4 ︶。差別の根絶だけでなく、﹁和 解と関係の修復﹂をもめざしたは ず の 公 民 権 運 動 。 に も か か わ ら ず 、 ど の よ う な 状 態 が も た ら さ れ た か 。 その責任を黒人側は負わなくていい のかと著者は問う。わたしは本書を 読みながら、﹁白い罪﹂の﹁白﹂を ﹁ ハ ク ﹂ と 読 み 替 え て い ま し た 。 ﹁ ハ ク﹂とは、﹁部落民以外の人間﹂を 指す部落の隠語です。三年前、部落 解放同盟の支部幹部からブログ上で この言葉を投げつけられたことがあ る。それは、﹁部落共同体に属さな い 連 中 ﹂ と い う 意 味 で す 。 し か し 、 ひょっとしたら﹁部落差別の原因と その解決責任はハクの側にある﹂と の主張が含まれていたかもしれませ ん。もしそうなら、著者が自分史を 通して述べる﹁黒人と白人の隔絶さ れ た 関 係 ﹂ と 重 な っ て く る 。 ﹁ 朝 日 ﹂ の書評︵ 7 ・ 3 M ︶で上丸洋一記者 は﹁では、どうすればいいのか。そ の点を著者はほとんど語らない。黒 人対白人という対抗関係自体をどう 越えるか。聞いは、読者の前にその まま投げ出されている﹂と書いてい ますが、部落問題についても同じこ と が い え そ う で す 。 ﹁ 関 係 を 越 え る ﹂ 方途が見えないままに、人びとは考 えることに倦んでいるのかもしれな い な あ 。 ︵ 藤 田 敬 一 ︶ - .o"2' 第222号 ー〆・忙之J2011年9月25日発行 発行者こべる刊行会(代表藤田敬一) 発行所 岐阜市西改回字川向187 4 藤田敬一方 干5011161 Tel.&Fax. 058 239 5348 Email・[email protected] 印刷・発送戸田写植(〒50160お岐阜県笠松町円城寺818・1Tel回目・388・18E品 定価300円 年 間 購 読 料4000円 郵便振替 010107 6141 銀行振替十六銀行正木支店 こベる刊行会代表藤田敬一名義 普通口座 1418253

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て 甲 台

ニ ニ 二 口 一 勺 二 O 一 一 年 九 月 二 十 五 日 発 行 ︵ 毎 月 一 回 二 十 五 日 発 行 ︶ 一 九 九 三 年 五 月 二 十 七 日 第 三 種 郵 便 物 認 可 ... Aヒ 価 三百円

参照

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