弥生〜古墳時代の北陸地方における木製農耕具の様 相
著者 石田 浩司
雑誌名 金大考古
巻 32
ページ 1‑2
発行年 2000‑03‑13
URL http://hdl.handle.net/2297/2815
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金 沢 大 学 考 古 学 研 究 室 2000年 月3 13日第 3 2 号
金 大 考 古
修 士 論 文 概 要
弥生〜古墳時代の北陸地方における木製農耕 具の様相
石田 浩司
年の唐古池の発掘調査で木製農耕具が出 1937
土 し て 以 来 、 木 製 農 耕 具 の 研 究 の 中 心 は 主 に 機能研究であった。それが、 1980 年代に入ると 木 製 農 耕 具 の 様 式 論 的 研 究 、 編 年 ・ 伝 播 ル ー ト の 追 求 が 関 心 の 中 心 と な っ た 。 北 陸 地 方 の 木 製 農 耕 具 研 究 も そ の 流 れ を 受 け 、 機 能 的 側 面 は ほ と ん ど 触 れ ず 、 専 ら 木 製 農 耕 具 の 様 式 論 的 研 究 、 伝 播 論 に 終 始 し て い た き ら い が あ る 。 し か し 、 農 耕 具 は 様 々 な 農 作 業 に 用 い る た め の 道 具 で あ り 、 機 能 を 無 視 し て 研 究 を 進 め る べ き で は な い 。 そ こ で 、 筆 者 は 北 陸 地 方 の 資 料 を 中 心 に 、 木 製 農 耕 具 を 機 能 的 な 側 面 を 重 視 し て 分 類 ・ 整 理 し た 。 そ の 後 で 、 近 畿 地 方 な ど 他 地 域 の 木 製 農 耕 具 と 比 較 し 、 北 陸 地 方 に お け る 木 製 農 耕 具 の 特 徴 を 明 ら か に し た。
北 陸 地 方 に は 、 直 柄 平 鍬 ・ 直 柄 又 鍬 ・ 直 柄
、 ( )、
横鍬 曲柄平鍬・曲柄又鍬 ともにナスビ形 鋤 が 存 在 し た 。 直 柄 平 鍬 は 身 の 幅 ・ 柄 孔 角 度 を も と に 、 4 つ の 種 類 に 分 類 す る こ と が 可 能 で、幅の狭い方から ABCD と名付けた。最も幅 の狭い直柄平鍬 はその形態上、一般耕作に用 A い ら れ た も の で は な く 、 雑 草 な ど を 打 ち 払 う
「 は ら い 鍬 」 と し て の 機 能 を 推 定 し た 。 そ れ 以外の直柄平鍬は、 と には泥除が装着され C D るが には装着されないことなどから、直柄平 B 鍬の中でも と の間、つまり幅 B C 12cm を 境に大 き く 機 能 を 使 い 分 け て い た こ と が 分 か っ た 。 そして、直柄平鍬 は、直柄又鍬・鋤とともに B 水 田 耕 作 の 荒 起 こ し 作 業 に 用 い ら れ た も の と 推定し、直柄平鍬 ・ は荒起こしの次に行う C D 砕 土 用 の 鍬 と 推 定 し た 。 曲 柄 鍬 は 縄 文 時 代 以 来 の 土 木 具 と 考 え 、 そ の 延 長 で 開 墾 具 と し て も 使 わ れ た 可 能 性 を 指 摘 し た 。 ま た 、 近 畿 地 方では直柄平鍬 に相当する狭鍬が弥生後期以 B 降 に 消 滅 し 、 北 陸 地 方 で も 柄 孔 周 辺 の 厚 さ が 薄 く な り 、 強 靱 度 が 低 く な る こ と と 、 弥 生 後 期 以 降 に 曲 柄 鍬 が 増 加 す る こ と を 合 わ せ て 考 え、本来は開墾・土木の機能を有していたが、
後 に は 荒 起 こ し な ど の 一 般 耕 起 に も 使 わ れ る
ようになったことを指摘した。
北 陸 地 方 の 木 製 農 耕 具 の 大 き な 特 徴 は 、 泥 除 の 数 が 多 い と い う こ と で あ る 。 こ れ は 山 陰 地 方 と 共 通 し た こ と で 、 日 本 海 側 で 共 通 し た 特 徴 と い え る 。 ま た 、 田 下 駄 が ほ と ん ど な い と い う の も 日 本 海 側 に 共 通 し た 大 き な 特 徴 で あ る 。 興 味 深 い こ と に 、 太 平 洋 側 の 近 畿 ・ 東 海 地 方 は 日 本 海 側 と は 全 く 正 反 対 で 、 田 下 駄 は 多 い が 泥 除 は 少 な い 。 こ の こ と が 何 を 意 味 し て い る の か は 分 か ら な い が 、 少 な く と も 、 日 本 海 側 と 太 平 洋 側 の 気 候 の 差 、 そ れ に よ る 農 作 物 の 違 い ・ 農 作 業 の 違 い を 示 し て い る 可 能性はあるだろう。
江上A遺跡の直柄平鍬と泥除
木 製 農 耕 具 の 伝 播 論 に つ い て は 、 こ れ ま で も多くの研究者が論じてきたところであるが、
筆 者 な り の 考 え も ま じ え て 整 理 し た 。 北 陸 地 方 で は 弥 生 中 期 よ り 近 畿 地 方 や 山 陰 地 方 の 木 製 農 耕 具 の 影 響 を 受 け た 。 北 陸 地 方 に は 泥 除
Ⅰ 式 と c1 類 の 泥 除 装 着 装 置 が 多 い と い う こ と と 、 弥 生 中 期 後 半 に 山 陰 地 方 か ら ナ ス ビ 形 曲 柄 鍬 が も た ら さ れ た と い う こ と か ら 、 近 畿 地 方 よ り も む し ろ 山 陰 地 方 か ら の 影 響 が 強 い と 考 え ら れ る 。 弥 生 後 期 以 降 も 近 畿 ・ 山 陰 地 方 の 影 響 は 受 け て は い た が 、 北 陸 独 自 の も の も 生 み 出 さ れ た 。 1 つ は 泥 除 Ⅳ 式 で あ り 、 も う 1つは方形柄孔を持つナスビ形曲柄鍬である。
こ れ ら が 富 山 県 東 部 で 作 り 出 さ れ 、 弥 生 末 期 以降金沢平野を中心に北陸地方全体に伝わり、
そ の 後 泥 除 Ⅳ 式 は 滋 賀 県 や 山 陰 地 方 に 、 方 形 柄 孔 の ナ ス ビ 形 曲 柄 鍬 は 長 野 県 を 経 て 関 東 ・ 東北地方へと伝わった。
木 製 農 耕 具 を 中 心 に 、 木 製 品 の 生 産 体 制 に
つ い て も 論 じ た 。 弥 生 中 期 は 未 製 品 が 大 量 に
出 土 す る こ と か ら 、 各 集 落 内 で 木 製 品 の 生 産
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・ 供 給 体 制 が 行 わ れ て い た 。 弥 生 後 期 に な る と 、 集 落 単 位 で は な く 、 1 地 域 単 位 で 生 産 ・ 供 給 体 制 が 整 っ た 。 例 え ば 、 金 沢 平 野 で は 、 西念・南新保遺跡からは未製品が出土するが、
そ れ 以 外 の 遺 跡 か ら は 全 く 出 土 し な い こ と か ら も 、 専 門 の 生 産 集 団 が 存 在 し た こ と が う か が え る 。 古 墳 中 期 に な る と 、 ナ ス ビ 形 曲 柄 鍬 が全国的に形・大きさがほぼ統一されてくる。
これは、鉄製 字形刃先を装着することによる U 規 格 化 が な さ れ た 結 果 だ と も 考 え ら れ る が 、 日 本 列 島 の ほ と ん ど の 地 域 を カ バ ー す る 広 域 の 生 産 ・ 供 給 体 制 が な さ れ た と 考 え ら れ る 。 金 沢 市 の 畝 田 ・ 寺 中 遺 跡 か ら 、 規 格 化 さ れ た ナ ス ビ 形 曲 柄 鍬 が 多 く 出 土 し た と い う こ と か ら 、 北 陸 地 方 に お い て も そ の よ う な 広 域 の 生 産 ・ 供 給 体 制 の 中 に 入 っ て い た こ と が う か が える。
カア・アブ・トゥレイハ西遺跡における板状 スクレイパーの生産工程と編年
早坂 陽一
板 状 ス ク レ イ パ ー は 、 先 史 時 代 末 か ら 歴 史 時代初頭(紀元前約 5000 〜 2200 年)にかけて、
レ ヴ ァ ン ト 南 部 を 中 心 に 西 ア ジ ア の 広 域 に 分 布 し て い た 、 フ リ ン ト 製 打 製 石 器 で あ る 。 製 作 技 術 や 用 途 に 、 ま た 時 代 的 ・ 地 域 的 に も 多 様 性 が 認 め ら れ る に も 関 わ ら ず 、 資 料 の 偏 在 と 製 作 址 の 欠 如 と い う 問 題 に よ り 多 く の 問 題 が 未 解 決 で あ る 。 と り わ け 生 産 状 況 に 関 す る 情 報 不 足 、 型 式 論 ・ 編 年 論 な ど の 基 礎 的 研 究 の貧弱さは、覆うべくもない。
ヨルダン南部アル・ジャフル盆地に位置する、
カ ア ・ ア ブ ・ ト ゥ レ イ ハ 西 遺 跡 は 、 過 去 類 を 見 な い 質 量 を 備 え た 板 状 ス ク レ イ パ ー 製 作 址 である。そこで以下の 点から過去の研究の空 2 隙を埋めることを試みた。 )板状スクレイパ 1 ー の 生 産 工 程 の 詳 細 を 、 実 際 の 資 料 を 用 い て 復元し、 )それを基に、とりわけ技術的様相 2 を 睨 み つ つ 、 カ ア ・ ア ブ ・ ト ゥ レ イ ハ 西 遺 跡 に お け る 板 状 ス ク レ イ パ ー の 編 年 試 論 を 構 成 する。
)の分析・考察を通じ、従来の器種認定に 1
は 重 大 な 見 落 と し が あ る こ と が 判 明 し た 。 過 去に「壊れた」として処理されてきたものが、
実 は 生 産 者 の 手 に よ る 意 図 的 な 素 材 分 割 の 所 産 で あ る 可 能 性 が 高 い こ と が 判 明 し た 。 接 合 例 に よ っ て 体 系 的 な 分 割 技 法 の 存 在 が 確 認 さ れ た だ け で は な く 、 そ の 復 元 さ れ た 技 法 に 関 連する遺物も頻繁に検出されたことにより 、 「 断 片 化 」 が 意 図 的 で か つ 汎 用 性 の 高 い 生 産 技 術
で あ る こ と が 判 明 し た の で あ る 。 そ の 見 地 を 得 る こ と に よ り 、 従 来 に は な い 新 た な 視 野 ― 素 材 分 割 技 法 の あ り 方 を 比 較 す る ― が 獲 得 さ れたのである。
) そ こ で 次 に 、 ) で 得 ら れ た 見 通 し を 付 加
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し て 、 カ ア ・ ア ブ ・ ト ゥ レ イ ハ 西 遺 跡 に お け る 板 状 ス ク レ イ パ ー の 編 年 を 試 み た 。 カ ア ・ ア ブ ・ ト ゥ レ イ ハ 西 遺 跡 の 製 作 址 の 年 代 は 、 概 ね 前 期 青 銅 器 時 代 ( 紀 元 前 約 3500 / 3400 〜 年)に位置づけることができるが、年代を 2200
細 か く 限 定 で き る 証 拠 が 不 足 し て い る た め 、 そ れ 以 上 の 時 期 の 細 分 は で き な か っ た 。 し か し 生 産 状 況 は 明 ら か に 時 期 的 な 変 遷 を 示 し て お り 、 そ れ は 特 に 技 術 的 な 様 相 の 変 遷 で あ っ た。カア・アブ・トゥレイハ西遺跡には 件の 3 板 状 ス ク レ イ パ ー 製 作 址 ( 号 遺 構 ・ 号 遺 構 1 3
・ 号遺構)が確認されており、その遺構の前 7 後 関 係 と 生 産 状 況 の 相 違 を 対 照 す る と 、 概 ね 以下のような変遷状況が確認されるのである。
第 期( 号遺構 :素材分割技法が既に適用さ 1 3 ) れ て い る が 、 分 割 を せ ず に 素 材 を そ の ま ま 製 品 化 す る こ と も 多 か っ た 。 ま た 熱 割 れ 剥 片 を 利 用 し た 製 品 は 、 こ の 時 期 の 大 き な 特 徴 で あ った。
第 期( 号遺構 :素材分割技法の適用度が急 2 1 ) 増。量産・浪費を特徴とする生産体制。
第 期( 号遺構 :素材分割技法の独占体制。 3 7 ) た だ し 技 術 的 な 質 は 低 下 し 、 ま た 素 材 の 利 用 度 に 制 限 が 生 じ た た め か 、 過 度 に 分 割 技 法 を 用いていた。
以 上 が 本 稿 の 主 た る 結 論 で あ る 。 一 言 に ま と め る と 、 時 代 が 下 る に つ れ 素 材 分 割 技 法 の 適 用 度 が 増 大 し 、 技 術 の 質 が 劣 化 し て い く と いうことである。
カア・アブ・トゥレイハ西遺跡の板状スクレイパー
卒 業 論 文 概 要
金沢城下町遺跡における漳州窯系陶磁器の 変遷