変容するモンゴルの世界 グループを代表して(和 光大学モンゴル学術調査団報告)
著者 三橋 修
雑誌名 東西南北
巻 1998
ページ 144‑146
発行年 1998‑03‑20
URL http://id.nii.ac.jp/1073/00003691/
本日は沢山の方々にお集まりいただき︑あ
りがと−2﹂ざいます︒
私どもの研究会は︑﹃モンゴルの変容する
社会と文化の諸相﹄という課題の共同研究を
しようと︑日本私学振興財団に研究資金の援
助を申し込みました︒幸いなことにこれに合
格して︑助成金を受けることが出来ました︒
学術振興の基金というのは大学からも出てお
りますから︑調査費用の出どころは︑めぐり
めぐって︑皆さんの授業料でもあるわけです︒
ですから調査をやったものを皆さんにお返し
する義務があるというように私たちは考えま
して︑きょう︑この会をもつことになりまし
た︒そういう意味では単に学術調査をしてき グルー寺/を代表して三橋修 変容するモンゴルの世界 和光大学モンゴル学術調査団報告
たというのでお知らせするのではなく︑私ど
もがいわば代表して経験してきたことを皆さ
んに共有していただきたいというのが︑きょ
うの会の目的です︒
モンゴル研究の始まりは︑現在︑研究所が
オープンしておりますが︑もともとはその前
に共同研究機構という教員の研究グループが
ありました︒アジア研究・交流教員グループ
が一九八五年に始まり︑一昨年で終わったの
ですが︑終わるに際して︑針生先生からまと
まった現地調査を︑という提案がありました︒
そこで︑本学には非常勤でフフバートル先生
というモンゴル人の研究者がおいでになるし︑
1先生も朝鮮民族が国をこえて各地で生活し 人間関係学部教授
ている実態を調査されているというようなこ
ともありまして︑ユ先生たちが中心になって
和光大学モンゴル学術調査団が出来るように
なった次第です︒こういう成立事情ですから︑
針生先生が代表者としてふさわしいのですが︑
三年間の研究計画の途中で︑定年を迎えられ
てしまうので︑やむなく私が代表を引きうけ
た次第です︒
さて︑その﹁モンゴル﹂ですが︑最近ちょ
っと流行のようです︒モンゴル人民共和国が
九一年に社会主義体制を放棄し︑モンゴル国
となりましたので︑いろいろなテレビ局が草
原へ出かけていってナーダムという祭りの模
様や放牧の様子を撮影して来て︑番組をつく
‑ I W
戸
ゲルの前でモンゴル相撲の正装を する(ウランバートル郊外)
エヴェンキ自治旗ブリヤートモンゴル人の家で 牛糞をもってよろこぶ筆者
っております︒草原を馬にのって疾走する少
年少女のイメージは︑なかなか素敵なもので
す︒しかし中には草原をオートバイでぶつ飛
ばして︑草原は素晴らしいとうたいあげる番
組もありました︒こうなると︑草原は美しい
とともに牧民にとって貴重な生産の場でもあ
るだけに︑いささか暗然たる気持ちになりま
した︒
こうした草原にすむ牧民たちの映像は︑決
ゲルの中で酪農家にインタヴュー(ウランバートル郊外)
して間違いではありませんが︑しかし︑その
姿がそのままモンゴル人の姿のすべてとはい
えません︒さまざまな地域で︑さまざまな生
活の形をもって彼らは生きています︒定着し
て稲作をやっている人たちもいるのです︒ご
存知のように︑チンギス・ハーンの頃には︑
広大な地域に彼らは移動し︑広がり︑住みつ
きもしたのです︒そしてその後の歴史の動き
の中で政治的に国境が引かれた途端に︑ある
フフホトのモンゴル料理店で音楽学校のアルバイト 学生の歌と盃をうけとる
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