目本の国家総合安全保障における軍縮と軍備管理
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︿資料﹀
日 本 の 国 家 総 合 安 全 保 障 に お け る 軍 縮 と 軍 備 管 理
ラインハテ・デリフテ
高村忠成訳
はじめに
国家総合安全保障概念のための事例研究として︑軍縮と軍備
管理の問題を取り上げることにする︒その理由は︑何もそれら
が大平内閣の時以来︑日本で問題になっている国家総合安全保
障概念の一部として不可欠な部分を占めているからというだけ
ではなく︑軍縮と軍備管理が︑広い範囲におよぶ問題を持って
いるからである︒軍縮と軍備管理の問題は︑核エネルギーや企
業秘密の保護や︑軍艦だけでなく商船のための海洋への自由接
近や︑また高度の技術商品の貿易のような︑重要な経済的かつ
安全保障利益を含んでいる︒しかもまた︑いかなる大国もこれ らの問題に関する討議や交渉に参加しないわけにはいかなくな
ってきているので︑軍縮と軍備管理の問題は政治と密接な関係
を持っている︒それ以上に︑軍縮と軍備管理措置は︑平和憲法と
アメリカの核の傘の下にあるという日本の二重の性格の政治組
織の中で︑橋梁としての重要な機能を果たしているのである︒
できれば本稿では︑軍縮と軍備管理についての全般的な研究
を鼓舞したいと考えている︒というのは︑日本の政治の中で︑
軍縮と軍備管理の個別事例は︑このかなり広くまた捉えどころ
のない分野にいかにアプローチするかということについて︑多
くの手がかりを提供しているからである︒核爆発の唯一の犠牲
者として︑日本は同規模の国にとって一見ユニークに思える手
だてを︑軍縮と軍備管理の分野で講じてきた︒日本人は軍縮憲
章ともいえる形式を持つ一九四七年憲法を制定し︑また︑非核
三原則や武器輸出禁止のような軍備管理措置を採用している︒
これらユニークな措置は︑国民の平和主義のムードや︑敗戦に
対する反動としての熱烈な軍縮への熱意や︑また︑ヒロシマと
ナガサキによって支えられている︒しかし日本の外交と安全保
障政策の二重性格のため︑それは消滅の憂き目にあうかまたは
かなり曖昧な性質のものになるか︑試練にさらされている︒
次の議論では︑軍備管理と軍縮のための制度的構造︑民衆の
役割︑経済的・安全保障的利益の機能というようなさまざまな
レベルでの問題を分析するつもりである︒そこではまた︑なぜ
日本政府が︑これまで首尾一貫した考え方を打ち立てられなか
ったかという問題も扱うことにする︒﹁軍備⁝管理﹂と﹁軍縮﹂
という言葉は︑同意語ではないが︑相互に交換して使用される
ことがある︒軍縮とは︑軍備の削減ないしは撤廃である︒それ
には︑多国問的か一方的︑全域的か局地的︑包括的か部分的︑
統制されているかまたは非統制的かがある︒軍備管理は︑もと
もとは武器の撤廃を目指すものではない︒というのは︑それは︑
戦争の危険は武器から起こるというよりも︑利益の対立によっ
て誘発されるとみなしているからである︒その主な関心は︑安
定の創出であり︑それは︑動的過程の統制を意味し︑静的状況
の統制ではない︒それは︑軍備管理は必然的に軍縮を要求また
は促進するのではなく︑軍縮への予備段階になるかもしれない
( ‑ )
ということを意味している︒日本の一方的軍縮と軍備管理措置
一平和憲法
平和主義の前文と第九条をもった一九四七年憲法は︑日本の
一方的軍縮と軍備管理措置の基礎をなしている︒一九四六年に
起草された前文と第九条の表現方法は単に当時の風潮だけでは
なく︑世界に日本の名声を再構築する必要性と武装を解いた国
家の状態とを反映している︒一九五〇年の占領期の終わりに︑
アメリカが日本に再軍備するように促さざるをえなかったの
は︑冷戦と朝鮮戦争のためであった︒それ以来︑憲法は多くの
解釈に遭遇した︒というのも︑極東における日本自身の防衛努
力の必要性と目本の役割についての認識が変化し︑それを考慮
したからである︒ 政府は︑第九条は自衛権を否定するものではないと解釈し︑
それに沿って一九五四年︑自衛隊の創設を認めた︒また︑日本
は憲法上︑防禦防衛(専守防衛)は許されていると主張し︑集
団防衛は第九条に抵触するとの見解に立っている︒しかし︑ア
メリカとの相互防衛条約とアメリカや他の国との軍事演習は︑
合法的であるとみなしている︒さらにつけ加えると︑目本の防
衛構想は︑もし日本に対し何らかの大規模な侵略がなされれ
ば︑米軍と協力して撃退するであろうとの前提の上に成立して
いるのである︒
以上の結果︑憲法は完全軍縮を謳った一種の法的憲章という
性格から︑軍備管理の憲章に姿を変えていった︒その理由は︑
憲法はその本来の性格を放棄したにもかかわらず︑目本の軍事
努力を長い間かなり低くおさえておくことに貢献し︑日米安全
保障条約の攻撃的な性格を抑制してきたからである︒政府の憲
法解釈にしたがって︑自衛⁝隊の規模と実戦配⁝備領域に対しては
多くの制限が加えられた︒そのため︑小規模な侵略から日本を
守るという自衛隊の任務が遂行できるかどうかは疑わしくなっ
ている︒他方︑軍備規制政策をとったため︑日本はアジア太平
洋地域の中に自らを再統合することができるようになり︑奇蹟
的な経済成長を成し遂げた︒その結果︑日本は地域の安定に貢
献できることになったのである︒しかしこれらの制限と制約
は︑今日自衛隊が軍事的潜在力を小規模だが急速に拡大しよう
とするのを阻止しなかった︒実際日本の軍事支出は世界第八位
であり︑軍事予算は低い水準から出発したとはいえ急激に増大
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日本の国家総合安全保障における軍縮と軍備管理
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し︑毎年約=一〇億ドルに上っている︒日本政府はそれでも日本
は決して軍事大国にはならないと誓っている︒
政府は︑自衛隊に曖昧さではなく正統性を与えるため︑憲法
の平和主義的な内容を修正しようと試みてきた︒だがこれ雲で
のところ︑野党や世論の抵抗にあってそれは成功していない︒
憲法を改正せず︑現憲法の下でも合法的であると考えられる枠
を政府は徐々に拡大してきた︒しかしながら︑少しずつ﹁自
由に﹂解釈していくうちに︑政府は世論が首尾一貫した防衛政
策の構築には反対しているということに気がついたのである︒
防衛問題に対する世論の反発とアメリカからの早期再軍備へ
の強力な要請との問に立って︑政府が妥協案として採った方法
は︑自衛隊の拡大を対GNP比として︑または︑他の予算項目
の増大との比較における防衛予算の増加として︑予算条件の中
ではかろうとするものであった︒この実質を伴わない概念だけ
の操作は︑自衛隊拡大の最終目標をどこに置くのかについて不
安を招いている︒
さて次項において︑日本の軍事的努力に対して課せられてい
る制限の中で二つの点についてもう少し詳しく分析してみよ
う︒というのもそれらは︑軍備管理一般に対し模範的な妥当性
を持っていると思われるからである︒それに加えてそれらは︑
目本の独特の軍備管理措置がなぜ侵食されつつあるのかという
ことについての理由も述べている︒
二非核三原則
日本人の﹁核アレルギー﹂を再燃させた︑日本の港にある米 海軍の原子力部隊を巻き込んだいくつかの事件を背景に︑一九
六七年十二月︑佐藤首相は︑現在もまだ日本の核政策の公式の
基礎をなしている非核三原則を発表した︒その原則は︑日本は
決して核を保有せず︑製造せず︑核兵器の国内持ち込みを認め
ないと規定している︒佐藤内閣の政策は︑歴代内閣に引き継が
れ︑国会決議でも支持されている︒しかしながら︑一九五五年
以降︑政府は機会あるたびに︑憲法は防衛目的のための核兵器
の所有は排除していないと述べてきた︒同じことが生物兵器︑
( 2 )
化学兵器をもつ揚合にもいわれてきた︒ちょうど佐藤首相がノーベル平和賞を受賞した時︑元アメリ
カ海軍ラロック長官は一九七四年一〇月︑アメリカの軍艦は日
本に寄港する時︑核兵器を搭載したままである︑というのは︑
それなくしては日本に核抑止を供与することは不可能だからで
あると発表した︒一九八一年︑元米駐日大使ライシャワー教授
は︑基本的には同じことを述べ︑かつ︑日本とアメリカのかっ
ての役人たちによる他の陳述と同時に︑過去になされた報告が
再確認された︒これらの報告によれば︑日本政府は一九六〇年
に︑核兵器の導入(持込み)禁止は通過を排除したものではな
く︑事前協議を必要としないということに秘密裡に同意した︑
( 3 )
とされている︒世論を揺り動かしたかつての爆弾宣言によるスッパ抜きの時
のように︑政府は︑秘密協定はないし︑持ち込み禁止は通過も
当然認めないことであると発表した︒政策的に︑アメリヵ側は
つねに核兵器の存在についてはコメントを差し控えているし︑