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現代 中国の 「陶行知学校 」

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現代 中国の 「陶行知学校 」(李)55

現 代 中 国 の 「 陶行 知 学 校 」

李 燕

1.は じ め に

2.流 動 人 口子 女 教 育 の概 況 と 「陶 行 知学 校 」 3.陶 行 知 学 校 と教 育 にお け る 「愛 」 の 思 想

4.お わ りに 一 陶 行 知 の 教 育 思 想 か ら見 る現 代 の 陶行 知 学 校

1.は じ め に

今 日の 中 国 で は、 陶行 知 は、 教 育 関 係 者 だ けで な く多 くの研 究 者 が 高 く評 価 す る思 想 家 ・教 育 実 践 家 で あ るが 、彼 に対 す る評 価 は 、 ほ ぼ1980年 を起 点

と して大 き く変 遷 して い る。

1981年 は 、 陶 行 知 へ の積 極 的 評 価 が 現 れ た年 で あ る。 言 い 換 えれ ば、 陶 行 知 は、1950年 代 か ら30余 年 の あ い だ 、 中 国 で 長 く批 判 され た 人 物 で あ っ た 。 そ の最 大 の理 由 は、 彼 が 、"帝 国 主 義 国 家"の ア メ リカ に 留 学 した こ とで

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あ っ た。

しか し、1980年 初 頭 、 そ れ まで 封 印 さ れ て きた 陶 行 知 教 育 思 想 は、 彼 の 誕 生90周 年 記 念 行 事 を機 に再 評 価 され る よ う に な り、 「陶行 知 再 評 価 」 運 動 が全 国 で展 開 して い っ た の で あ る。 そ して 、 中 国 教 育 部(当 時 、 国家 教 育 委 員 会)に 所 属 す る中央 教 育 科 学 研 究 所 に は、 中 国 陶行 知 研 究 会 が 設 け られ た

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の で あ る。

中 国 陶 行 知 研 究 会 は、 中央 教 育 科 学 研 究 所 の 中 に設 置 され て い る。 上 述 の よ うに設 立 か らす で に30余 年 が 経 っ て い る。 陶 行 知 の教 育 思 想 の 実 現 に 力 を注 い で い る そ の会 名 の 通 りで 、 毎 年 、 陶行 知 の 学 術 検 討 会 を各 省 ・市 で 開 催 す る こ とや 国 際 シ ン ポ ジ ュー ム の主 催 と国 際 的 交流 、 陶行 知 研 究 論 文 集 や

『陶 行 知 全 集 』な どの 書 籍 の編 纂 出版 、 また 「陶行 知 学 校 」の 創 立 と命 名 を お こな う。

1991年 陶行 知 生 誕100周 年 国 際 シ ン ポ ジ ュ ー ム は北 京 の 人 民大 会 堂 で 開 催 さ れ 、 陶 行 知 の 教 え子 、1930年 上 海 工 学 団 」 の 小 先 生 が 出席 、 さ らに 、 中 国 陶 行 知 研 究 会 の 方 明 会 長(当 時75歳)を は じ め とす る 中 国 陶 行 知 研 究 会 会 員 、全 国 の 陶 行 知 研 究 者 た ちが 出席 した 。 筆 者 も この 国 際 シ ン ポ ジ ュー ム

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に 出席 し、 これ らの ひ とび と と研 究 交 流 し、10年 以 上 に な る。

近 年 、 市 場 経 済 に よ り、 中 国 の都 市 部 、 特 に北 京 市 と上海 市 へ の 流 動 人 口

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が 急速 に増 加 し、 それ まで差 別 され て きた流 動 人 口子 女 に対 して 、 義 務 教 育 の機 会 を十 分 に保 障 す る こ とが 提 起 され た 。2002年2月28日 、 教 育 部 に属 す 企 画 部 門 ・全 国教 育 科 学 企 画 領 導 小 組 が 、 「陶 行 知 教 育 思 想 と新 世 紀 基 礎 教 育 改 革 と発 展 研 究 」 を全 国教 育 十 五 」 企 画 重 点 課 題 と して 公 布 した。 そ し て 、2003年7月10日 に 、 陶 行 知 の 直 弟 子 ・中 国 陶 行 知研 究 会 会 長 の 方 明 が 、 温 家 宝 総 理 宛 に、 中 国 の 農 村 教 育 を 陶 行 知 が 一 貫 して 主 張 した よ うに徹 底 的 に実 行 して い こ う とい う考 え を提 出 した 。 それ は 、 「農 村 ・都 市 差 別 」 と貧 富 差 別 の 状 況 に対 して 、 農 村 教 育 と貧 困 者 教 育 を最 も力 入 れ るべ きで あ る との 提 案 で あ っ た 。

中 国 陶 行 知 研 究 会 が2003年 か ら 「陶 行 知 学 校 」成 立 に あ た る規 則 を制 定 し、

全 国 の流 動 人 口子 女 教 育 を0種 の 「民 弁 教 育 」 の形 式 で 、 政 府 の政 策 と民 衆 の要 望 と国 内 外 の経 済 援 助 で作 りあ げた の で あ る。 本 論 文 の 目的 は、 現 代 中 国 の貧 困 者 ・農 村 の 余 剰 労 働 力 い わ ゆ る流 動 人 口層 の 子 ど もた ちが 、 「陶 行 知

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学 校 」 で い か に 学 び 、 教 育 者 た ちが い か に 陶行 知 教 育 思 想 を用 い て 教 え て い るか を 、 「陶行 知 学 校 」 の実 践 か ら考 察 す る こ とで あ る。

2.流 動 人 口子 女 教 育 の概 況 と 「陶 行 知 学 校 」

まず 、 流 動 人 口 と流 動 人 口子 女 教 育 の概 況 を見 て み よ う。

国 家 統 計 局2003年 の統 計 に よれ ば、 中 国 の 農 村 労 働 力 は5億 人 で あ る。

これ が 、 現 代 化 を 実 行 して 以 来 、 余 剰 労 働 力 が1.5億 人 とな っ て い る。 い ま、 全 国 の流 動 人 口 は主 に 民 工(農 民 労 働 者)で 約1500万 で あ る。 民 工 の子 女 は 約700万 、 小 学 校 の 入 学 率 は約85%、 中学 校 の 入 学 率 は 約20%、 学 習 の機 会 を逸 した 児 童 少 年 は約100万 人 、 これ らは年 毎 に増 え て い る。 北 京 、

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上海 、深洲 の3大 発 達 の都 市例 を以下 の統 計 に掲 げ る。

*北 京 の 戸 籍 人 口1200万 人 、流 動 人 口360万 人 、流 動 児 童 少 年22万 人 、 簡 易 民 工 学 校350ヶ 所 。

*上 海 の 戸 籍 人 口1300万 人 、 流 動 人 口380万 人 、 流 動 児 童 少 年24万 人 、 簡 易 民 工 学 校519ヶ 所 。

*深 洲 の 戸 籍 人 口132万 人 、 流 動 人 口336万 人 、 流 動 児 童 少 年35万 人 、簡 易 民 工 学 校221ヶ 所 。

以下 で は、 「陶行 知 学 校 」の 代 表 校 の うち、 北 京 市 大 興 区 「陶行 知 学 校 」 と

北 京 行 知 打 工 子 弟 学 校 」 を取 り上 げ 、 そ の実 状 を考 察 す る。

「陶行 知 学 校 」は 、 中国 陶 行 知 研 究 会 が 陶行 知 の 教 育 思 想 を研 究 し、 実 践 す るた め に創 設 した もの で あ る。 以下 に見 る よ う に、 各 市 各 区 の い ず れ で も、

一 定 の条 件 が 満 た され るな らぼ、 「陶行 知 」の名 前 を冠 した学 校 の 建 校 が 可 能 で あ る。

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名 称:○ 市○ 区陶行知学校

創 立者:中 国 陶行 知研 究会

学校 の性質:① 私立学校 、義務教 育 を施行 。②貧 困者 た ちの教 育科学 実験 学校 で あ る。

学校 主 旨:① 流動 人 口子 女が平 等で よ りよい教 育 を受 け る権利 を守 る。

②流 動人 口子女教 育 の理論 とモデル を探 求す る。

建 学思想:① 党 と国家 の教 育方針 と政策。② 人 民教 育家 ・陶行 知 の教 育 思想 。③ 主体 教育 と環境保 護教育 の思想。

校訓:愛 国愛校 愛天 下、徹人 徹事徹学 問、徹 学教合 一一

募集 対象:流 動人 口の子女

募 集原 則:応 募 を歓迎 、応募 しない者 には来校 す るよ う薦 め る。

教員資格:全 国各地 の流 動人 口子女 の教育 を熱愛 し、か つ奉仕 精神 を もつ青 年教 師。

設 備:i義 務 教育 に準 じる。

カ リキ ュラム:国 家 のカ リキ ュラムに準 じる、 また流 動人 口子 女 の現 実 に応 じて学校 テ キス ト課 程 もあ る。

経 費:社 会 の寄付 金。

(1)北 京 市 大 興 区 「陶 行 知 学 校 」

北 京 市 大 興 区 陶行 知 学 校 は、 北 京 市 の公 立 学 校 で は な い 。 教 育 の 機 会 か ら 漏 れ た 流 動 児 童 の た め に建 て られ た 元 「棚 鵬 学 校 」で あ っ た 。 「棚 」 とは橿 襖 屋 、 貧 困 者 の 意 味 で 、 「鵬 」とは大 き な遠 く飛 ぶ 一 種 の鳥 で あ る。 流 動 児 童 を 支 援 す る黄 鶴 ら7名 の 熱 血 青 年 た ち が 創 立 発 起 人 で あ る。 彼 ら は、 中 国青 少 年 発 展 基 金 会 と北 京 小 学 、 さ らに 中 国 陶 行 知研 究 会 な どの 団体 、 さ らに は貧 困 者 の 教 育 を支 持 す る教 育 関 係 の 同 志 た ち の 支 援 を受 け、2001年8月6日 に創 立 した。

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現代 中国 の 「陶行知 学校 」(李)59

彼 らは 陶行 知 の精 神 一 「暖 か い 心 を持 ち教 育 に捧 げ 、 一 本 の 草 さ え も持/4 ず に行 こ う」(原 文:捧 着̲.̲..心 来 、 不 帯 半 根 草 去)と い う文 句 一 を実 行 し、

新 型 で か つ 教 育 部 の規 則 に合 う流 動 人 口子 女 の 学 校 を作 っ た 。 棚 鵬 学 校 の モ ッ トー は 「棚 居 何 晒 有 真 教 、 鵬 翔 万 里 在 良 師 」(艦 襖 屋 に い て も本 当 な教 育 が あ り、 大 き な遠 く飛 ぶ 鳥 に な れ る の は 良 い教 師 が い るか ら)で あ る。 学 校 は流 動 人 口子 女 と 「下 歯 工 人 子 弟 」(リ ス トラ され た 労 働 者 子 女)の 希 望 を生 む揺 藍 とな った 。 中 国 陶 行 知 研 究 会 は2003年6月25日 に 「中 国 陶 行 知 研 究 会 流 動 人 口子 女 教 育 工 作 組 」 を成 立 させ た 。 そ の 結 果 、 棚 鵬 学 校 は 陶行 知 学 校 と改 名 した の で あ る。

学 校 は北 京 市 大 興 区 西 紅 門 鎮 第6村 に あ る。 在 籍生 徒 が582名 、 内訳 は男 子216名 、 女 子366名 で あ る。 生 徒 た ち は19ヶ 省 ・70ヶ 県 の 出 身 で あ る。 専 任 教 師24人 、 内訳 は 男 性8人 、 女 性16人 。 ま た 中 に は 中 学 校 高j級 教 師3 人 、 中 学 校0級 教 師1人 、 小 学 校 高 級 教 師3人 。 大 学 卒 業 以 上 の 学 歴 が20 人 、 大 学 専 科 卒 業 は4人 、 大 学 院 に在 籍 し な が らの 非 常 勤 教 師 は6人 で あ

る。

学 校 の 敷 地 は6600平 方 メ ー トル 、 建 築 面 積 は1643平 方 メ ー トル 、 グ ラ ウ ン ドは4000平 方 メ ー トル。 専 用 教 室24、 電 算 室 と図 書 室 が あ る。 パ ソ コ ン 40台 、 図 書3万 冊 以 上 、VCD教 材300部 、 小 学 校 用 の 自然 と数 学 機 材 各1

セ ッ ト、体 育 用 と音 楽用 機 材 もあ る。 これ らは す べ て 社 会 か らの 経 済 援 助 で あ る。 この2年 間 の学 生 の た め の学 費 免 除 は総 計 で100780元 で あ っ た 。

学 校 の 建 学 中 に、 北 京 テ レ ビ局 と中 央 テ レ ビ局 、 華 夏 時報 と京 華 時 報 と光 明 日報 、 ス イ ス 国 家 放 送 局 、 ロ イ ター 通 信 社 と香 港 鳳 鳳 衛 視 に よ り報 道 され た 。 北 京 師 範 大 学 農 民 之 子 協 会 と北 京 大 学 法 律 援 助 協 会 と中 国人 民 大 学 学 生 と中 国 陶行 知 研 究 会 な ど、 積 極 的 に建 設 に参 加 した 。 さ らに は、 自然 之 友 環 境 保 護 組 織 と首 都 書 画 界 と北 京 大 学 人 民 医 院 と中 国 科 学 院 心 理 研 究 所 、 中 国 農 業 大 学 図書 館 と北 京173中 学 、 北 京 大 興 区 教 育 委 員 会 と大 興 区西 紅 門 鎮 政

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府 お よ び 父 兄 か らの後 援 を受 け て い る。 また ア メ リカ 星 星 共 同 体 、 ジ ョ ン ズ ・ホ プ キ ンズ大 学 教 授 ア ン ・サ ー ス トン、RCIア ジ ア太 平 洋 集 団 、 ア ジ ア児 童 基 金 会 、 駐 華領 事 夫 人 協 会 、 香 港 調 節 顧 問 セ ン タ ー な ど も支 援 を寄 せ て い

る。

2003年11月17日 の 月 曜 日、 「陶 行 知 学 校 」 が 西 紅 門 村 か ら黄 村 に移 転 し た 。 教 職 員 と生 徒 の 全 員 が 喜 ん だ 。 な ぜ な ら、2001年8月6日 に建 校 以来 、 数 えて4回 の 移 転 で あ っ た が 、 移 転 ご とに正 式 の 学 校 の 基 準 に ます ます 接 近

して きた か らで あ る。

創 設 の最 初 は、 学 校 に は数 人 の 教 員 と数 十 人 の生 徒 しか お らず 、 廃 校 の教 室 を借 り受 け、 教 員 に は専 用 の事 務 室 す らな か っ た。3回 目の 西 紅 門 村 に移 動 して 以 来 、 教 職 員 は十 何 人 、 生 徒 が600余 人 に な っ た 。 学 校 は事 務 室 、 宿 舎 、 食 堂 、 グ ラ ウ ン ド、 図 書 室 、 パ ソ コン室 を持 つ よ うに な っ た。 しか し、

廃 棄 さ れ た 工 場 か ら改 築 さ れ た 狭 い教 室 と設 備 は 、 教 育 部 の 規 則 に合 わ な か っ た。 この た め に、 今 回 の移 転 とな っ た の で あ る。

現 在 の校 舎 は 黄 村 の 中 心 に あ る。 キ ャ ンパ ス に は一 棟 の 三 階 の建 物 は4つ の基 準 化 され た教 室 棟 で あ る。 教 室 は広 くて 清 潔 で あ り、 広 い窓 か ら明 るい 採 光 が 可 能 とな っ て い る。 教 室 ご と に ホ ワ イ トボ ー ド、 天 井 に3列 の ラ ン プ、 机 といす 、 ス ピー カ な どが 完 備 した 。 右側 に位 置 す る二 階 の建 物 は、 二 階 の み教 室 棟 に 通 じて 、校 長 室 、 会 議 室 、 財 務 室 な どの行 政 機 関 が あ る。 一 階 に は許 可 済 の 食 堂 が 独 立 して あ る。 教 室 棟 の 向 か い側 に一 つ の 平 屋 が あ り、 生 徒 募 集 と教務 課 と指 導 処 が あ る。 また 、 グ ラ ン ドに はバ ス ケ ッ トな ど の体 育 器 具 が あ り、 その 向 か い側 に はパ ソ コ ン室 と実 験 室 と倉 庫 が あ る。 そ の 隣 に は 、 小 さ い庭 を 囲 む 教 職 員 宿 舎 が あ る。 キ ャ ンパ ス 全 体 は1万 平 方 メ ー トル 以 上 あ る。

新 校 舎 は元 々 、 北 京 里 光 高 級 職 業 技 術 培 訓 学 校 の 小 学 部 ・里 光 小 学 で あ っ た 。 里 光 小 学 は大 興 区 教 育 委 員 会 が運 営 す る 「打 工 子 弟 学 校 」 で あ る。 しか

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し、 常 に募 集 人 数 に満 たず 、 倒 産 の 危 機 が っ き ま とっ て い る。 「陶行 知 学 校 」 に は優 れ た教 師 陣 と数 多 くの 生 徒 が い な が ら、 長 期 間 の校 舎 基 準 の不 合 格 の た め、 大 興 区教 育 委 員 会 は 「弁 学 許 可 証 」 を な か な か お ろ さな か っ た 。 これ は長 い 間 、 「陶 行 知学 校 」 に とって の大 問 題 で あ っ た 。

今 回 、 大 興 区 教 育 委 員 会 が積 極 的 に 「陶 行 知 学 校 」 と里 光 小 学 との合 併 を 進 め た の は 、 一 石 二 鳥 の戦 略 で あ る。 人 数 が 多 い 「陶行 知 学 校 」 の教 職 員 と 生 徒 を主 体 と し、 人 数 の少 な い里 光 小 学 の 教 職 員 と生 徒 を受 け入 れ た 。 こ う して 、 「陶 行 知 学 校 」 の校 舎 問題 を解 決 し、 里 光 小 学 の経 営 問 題 も解 決 した 。

新 校 舎 に移 転 した 陶 行 知 学 校 」 の生 徒 は始 め て 自前 の 校 舎 で 授 業 を受 け た。 廊 下 で 歓 声 を上 げた 。 週 末 に は、 寄 宿 生 は み ん な 自発 的 に学 校 の移 転 を 手 伝 い 、 放 課 後 の 時 間 を利 用 して 、 土 曜 日 の 夕方 か ら翌 日の 朝3時 まで の 問 に した 。 寄 宿 生 た ち は大 変 苦 労 した に もか か わ らず 、 朗 らか に言 っ た 「疲 れ な い よ。 素 晴 ら しい 教 室 に 引 っ 越 す な ん て 、 夢 さ え も見 た こ とが な か っ た よ。 い ま、 喜 ん で い るか ら、 力 が 一 杯 出 せ る。」 引 っ越 す 時 に は、 生徒 が ま ず 、 学 校 の机 とい す 、 そ して 図書 な ど を運 搬 して 、 最 後 の一・日 に個 人 の 荷 物

を運 ん だ 。 生 徒 た ち が 学 校 を愛 す る この行 動 が 、校 長 と教 職 員 に感 動 させ る こ と とな っ た 。

教 職 員 が最 初 か ら最 後 まで 第0線 に立 っ て荷 物 を運 ん だ 。 資 金 を節 約 す る た め 、 週 末 の 土 曜 と 日曜 日 の2日 間 だ けで 、 月 曜 日の一 時 限 か らの授 業 は確 保 で きた の で あ る。 運 送 会 社 な どに頼 まず 、 教 職 員 と生 徒 の 力 で 、 全 学 校 ご

と引 っ越 して きた の で あ っ た 。

新 校 舎 は教 育 部 の規 則 に合 格 した の で 、 ま もな く 「弁 学 許 可 証 」が 下 りた 。

陶 行 知 学 校 」 は2年 前 に遭 った 「封 鎖 」の悪 夢(当 時 、公 安 局 が 全 学 校 の集 会 時 に、 教 職 員 と生徒 の 前 で 校 長 を検 問 に連 れ 去 っ た とい う)か らの 解 放 、 遠 くか ら流 れ て きた 子 ども達 も 「学 校 で 勉 強 で きな くな る危 機 を乗 り越 えた 」

と大 喜 び、 彼 らは これ か ら、 安 らか な環 境 で学 習 に励 み 、 健 康 で 成 長 で き る

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か らで あ っ た 。

陶 行 知 学 校 の教 職 員 と生徒 の喜 び を表 して い る 「校 園 歌 曲 」 が 、 陶 行 知 学 校 中 学 校 二 年 生 ・張 艶 妓 に よっ て 作 詞 され た。 い ま、 全 世 界 に対 して 、優 れ

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た 曲 を募 集 して い る の で あ る。 以 下 は歌 詞 で あ る。

一番

われ らが祖 国の 四方八 方 か ら 首都 北京が第 二故郷

陶行知 学校 に入 り われ らが健 康 に成 長

ともに美 しい時候 を過 ご し

ラ ララ、 ともに美 しい時候 を過 ご し。

二 番

先生 はわれ らを知識 の海 を案 内 し 知識 に理想 の翼 を付 けて もらい 愛 国愛校 愛 天下

徹 人徹 事徹 学問

徹学教合 一 、校 訓 をわれ らが心 に掛 け ラララ、校訓 をわれ らが心 に掛 け。

三番

響 いた歌 声が キ ャンパ ス に 先 生 た ちの熱 い希望 に 祖 国 に報 い

故 郷 を変 革 し

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わ れ らが 手 をっ な ぎ前 に 向 き

ラ ラ ラ、 わ れ らが 手 をつ な ぎ前 に 向 き。

(2)「 北 京 行 知 打 工 子 弟 学 校 」

北 京 市 の 西部 、 西 四環 路 沿 い に、 雑 然 と した 胡 同 が あ る。 そ こ に、 各 地 方 か ら出 稼 ぎ 労働 者 の子 ど もた ち の学 校 北 京 行 知 打 工 子 弟 学校 」 が あ る。 見 るか らに粗 末 な木 造 校 舎 か らは、 時 お り、 子 ど もた ちが 元 気 よ く朗 読 す る声 が 聞 こえ て くる。 事 務 室 兼 宿 舎 で あ る校 長 室 が あ り、 この 学校 を創 立 した 李 素 梅 と彼 女 の 夫 で 現 校 長 の 易 本 耀 が い る。 夫 婦 の2人 と も40歳 前 後 で 、 河 南 省 の 南 部 、 息 県 の 出 身 で あ る。 易 校 長 は 高 等 専 門 学 校 を卒 業 し、 北 京 に来 る前 は県 の食 糧 局 で働 い て い た 。 夫 人 の李 素梅 は 以 前 、 教 鞭 を執 っ た こ とが あ り、1993年 に野 菜 売 りの 出 稼 ぎ の た め、 北 京 へ とや っ て きた 。 早 くか ら 北 京 に出 稼 ぎ に来 て い た 李 素 梅 の兄 妹 は、 故 郷 か ら連 れ て き た子 ど もの教 育 問 題 に頭 を悩 ませ て お り、 李 素梅 に 学校 を創 立 して も らお う と何 度 も懇 願 し て い た 。

94年9月1日(中 国 で の 新 学 年 の 開 始 の 日で あ り入 学 式 の 日で もあ る)、

北 京 市 郊 外 の野 菜 畑 の 一 角 に、 ほ っ た て 小 屋 を教 室 に、 レ ンガ や 板 で 机 や イ ス を作 っ た小 さ な学 校 が 開 校 した 。 李 素 梅 が創 立 した この学 校 は、 労 働 者 の 子 ど も九 人 を生 徒 と して ス ター ト した 。

思 い も よ らな か っ た 学 校 創 立 の ニ ュ ー ス が 出稼 ぎ労 働 者 た ち の 問 に広 ま り、 入 学 希 望 の 子 ど もた ち が 続 々 と き た。 学 校 は み るみ る う ち に拡 大 発 展 し、 李 素梅 一 人 で は手 が 足 りな くな り、 夫 の 易 本 耀 も退 職 し、 学 校 運 営 のた め北 京 へ や っ て き た。 しか し、 学 校 運 営 は 、 じつ に厳 しい もの で あ っ た 。 こ れ まで に3回 の移 転 を余 儀 な くされ 、 現 在 はす で に使 わ れ な くな っ た古 い 工 場(約4000平 方 メ ー トル)を 校 舎 と して 借 りて い る。 こ こ数 年 、学 校 は徐 々 に整 備 され て き た 。 学 齢 前 児 童 ク ラ ス や 小 学 生 、 中 学 生 の 各 部 が 設 置 され

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て、 しだ い に北 京 で 最 大 の 出 稼 ぎ労働 者 子 弟 学 校 へ と発 展 した。 全 校 児 童 は 3200人 。9年 制 の 義 務 教 育 と学 齢 前 教 育 を行 う学 校 と して 、 教 育 部(日 本 の 文 部 科 学 省 に あ た る)が 制 定 す る学 習 指 導 要 領 に沿 っ た全 コー ス を開 設 、 北 京 市 の0般 的 な小 ・中 学 校 と同 じ教 育 計 画 を実 施 して い る。

月 曜 の 朝 、 学 校 で は恒 例 の 国 旗 掲 揚 式 が行 わ れ る。 学 校 か ら遠 く離 れ た家 で は、 親 が 出 勤 前 に子 ど も を送 り と どけ る。 全 国各 地 か ら集 まっ た 労 働 者 の 子 どもた ち の 多 くは農 村 か ら来 た の で あ り、 都 会 の児 童 に比 べ る と身 な りは 貧 しい が 、 む じ ゃ きで元 気 一 杯 で あ る。 学 校 の 周 りは出 稼 ぎ労 働 者 の 家 が 密 集 して い る。 易 校 長 に よれ ぼ 、 現 行 の9年 制 義 務 教 育 の 規 定 で は 、 学齢 児 童 は原 則 と して 、戸 籍 の所 在 地 に お い て 入 学 し、 そ の教 育 費 は当 地 の政 府 が ま か な う こ とに な って い る。 しか し、 市 場 経 済 の 発 展 に よ り、 農 村 の余 剰 労 働 力 が 大 量 に都 市 へ と流 れ 込 ん で い るの も事 実 で あ る。 現 在 、 全 国 の流 動 人 口 は1億 人 以 上 、 北 京 に入 っ た流 動 人 口 は300余 万 人 、 彼 らの子 ど もの うち学 齢 の児 童 が10万 人 あ ま り と考 え られ て い る。 児 童 の 義 務 教 育 費 は、 移 転 先 へ と移 す わ け に は いか な い し、 児 童 の教 育 を す べ て 移 転 先 の公 立 学 校 に ゆ だ ね る な らば 、 学 校 側 に大 き な負 担 が か か る の で あ る。 そ の た め 、 中 に は転 校 生 か ら 「賛 助 費 」や 「借 読 費 」(他 の学 校 が 委 託 され て 学 業 を履 修 させ る費 用)

を徴 収 す る公 立 学 校 が 出 て き た の で あ る。

地 方 か らの 出稼 ぎ労 働 者 、 と りわ け低 額 所 得 者 の場 合 は、 子 ど もを都 市 の 公 立 学 校 に転 校 させ た くて も、 学 費 が 高 くて 手 が 出 な い 。 貧 しさ の た め に入 学 で き な い が 、 た とえ入 学 で きた と して も、 そ の 多 くは 中途 退 学 せ ざ る を得 な くな る。 そ の た め の 教 育 ケ ア の要 求 が徐 々 に高 ま り、 私 設 の 出稼 ぎ労働 者 子 弟 学 校 が 全 国 各 地 に生 まれ始 め た の で あ る。

こ う した 現 状 に対 応 し よ う と、 国 家 教 育 委 員 会(現 在 の 教 育 部 の前 身 〉は98 年 、 『流 動 児 童 少 年 の 就 学 臨 時 規 則 』 を発 表 、 「流 動 児 童 少 年 の就 学 は、 お も

に移 転 先(の 学 校)が 管 理 す る こ と」 とい う通 達 を出 した 。 また 、 国 民 個 入

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流 動 児 童 少 年 を専 門 に募 集 す る学 校 、 また は簡 易 学 校 を開 設 す る こ と」

を許 可 した 。 こ う して 、 出稼 ぎ労 働 者 の子 弟 学 校 も しだ い に社 会 か ら認 め ら れ る よ うに な った の で あ る。

臨 時 に使 っ た 校 地 が 、 み る み るマ ン シ ョン に取 り囲 まれ て しま っ た。 学 校 は再 転 居 を迫 られ て い る。 大 まか な統 計 に よ る と現 在 、 北 京 に あ る出稼 ぎ労 働 者 の子 弟 学 校 は 、300カ 所 を超 え て い る。 学 齢 の流 動 児 童 の 就 学 率 はす で に90%に 達 し、 その うち の70%は 出稼 ぎ労 働 者 子 弟 学 校 で 学 ん で い る。

行 知 学 校 の 学 費 は、 他 校 と比 べ て もか な り安 い もの で あ る。 小 学 生 と学 齢 前 児 童 は毎 学 期 一 人 あ た り300元(1年2学 期 制 、1元 は約15円)、 中 学 生 は毎 学 期1人 あ た り600元(も し正 規 の 学 校 に移 転 児 童 が 入 る場 合 は、 借 読 費 に600元 、 賛 助 費 に3500元 か 、 そ れ 以 上 が 必 要 とな る)。 孤 児 、 障 害 児 童 、 特 別 困 窮 児 童 、 被 災地 児 童 、 片 親 の家 庭 や 教 職 員 の子 ど もな ど、 これ ら の 立 場 の 児 童 生 徒 は、 学 校 側 が 学 費 を免 除 にす る。

しか し教 室 の借 用 料 な ど、 学 校 側 の 負 担 は相 当 な額 に上 っ て い る。 教 育 設 備 を整 え る経 費 もな けれ ば、 正 規 の 学 校 の よ う に さ ま ざ ま な課 外 活 動 を行 う

こ とも、 教 育条 件 を 改 善 す る こ と も難 しい 。

こ こ数 年 、 行 知 学 校 の苦 しい運 営 は 国 内 外 に 知 られ、 広 く関 心 を集 め る こ と とな っ た 。 支 援 の 手 が 続 々 と差 し伸 べ られ 、 学 校 運 営 に対 して 寄 せ られ た ア ドバ イ ス や 資 金 ・物 資 が 、 しだ い に危 機 に瀕 した学 校 を救 って い っ た。

96年9月 、 『華 声 月報 』の 記者 ・曹 海 麗 は、 行 知 学 校 を取 材 し、 その 様 子 を 熱 の こ も った 筆 致 で 伝 え た 。 遠 くは ア メ リカ の ロ サ ンゼ ル ス に住 む 華 僑 の任 玉 書(80歳)が 、 報 道 を 目に して 、 行 知 学 校 に20万 元 を寄 付 して くれ た 。

同 年2月 に は 、流 動 人 口 の研 究 に あた る趙 樹 凱 が訪 れ 、 貧 困地 区で しか 見 られ な い よ うな こ この教 育 環 境 を 目の 当 た りに した 。彼 は、 テ レ ビ局 の 記 者 を取 材 に呼 ん だ り、 貧 困 救 済 基 金 会 に連 絡 して 机 や イ ス を寄 贈 した り、 大 学 生 を動 員 し、 義務(必 修 課 目)と して 授 業 を受 け持 たせ た り した 。

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また 、 中 国 の 「陶 行 知教 育 思想 研 究 会 」の方 明 会 長 は、 この 学校 を 「行 知 」 と改 名 した の で あ る。 貧 しい 人 た ち の た め に学 校 をっ くっ た 有 名 な 教 育 家 ・ 陶 行 知 氏 の よ うな 人 物 を め ざ す よ う、 教 師 た ち を激 励 す るた め で あ った 。 易 校 長 は、 感 激 した面 持 ち で 語 っ た 。 「どん な 支 援 に も、 感 動 の物 語 が ひ とっ ひ とつ 込 め られ て い る。 それ は お 金 や 物 を贈 るだ け に とど ま らな い 。 心 が 強

く揺 さぶ られ る物 語 な の で す!」

教 室 は狭 い。 時 に は5、60人 が 押 し込 め られ て い る。 行 知 学 校 に勤 め る 169人 の教 師 は、 全 国 十 数 の 省 と市 か ら集 ま っ て い る。 学 校 に は当 初 、低 学 年 ク ラス しか なか っ た。 その た め 、 教 師 の 多 くは校 長 の郷 里 か ら招 か れ た親 戚 や 友 人 で 、 教 育 の経 験 も ほ とん どなか った 。 規 模 の拡 大 に と もな い 、学 校 は学 歴 や 教 育 経 験 の あ る比較 的 高 い レペ ル の 教 師 を、 広 く社 会 か ら求 め る よ う にな っ た 。

現 在 、 高 等 専 門 学 校 卒 業 以 上 の学 歴 を持 つ 教 師 が78人 、 高 級 教 師 が19人 、 教 師 を兼 任 す る大 学 生 が9人 勤 め て い る。 月 給 は700〜1200元 。 北 京 に あ

る正 規 の 学 校 と比 べ る と、 半 額 近 い 賃金 で あ る。

環 境 や 待 遇 の面 で な お 善 処 が 求 め られ る もの の、 教 師 た ち の 児 童 へ の愛 情 に は な ん ら変 わ りが な い よ うで あ る。1年 生 を教 え る萢 先 生 は、 東 北 地 方 の あ る師 範 専 門学 校 を卒 業 し、 話 が 子 ど もた ち の こ とに及 ぶ と、 目 を輝 か せ て 言 っ た 。 「子 ど もた ち は とて もか わ い い。 子 ど もた ち に好 か れ た ら、 あ な た もす ぐに友 達 に な れ ます よ」。 授 業 を早 め に終 え る と、 子 ど もた ち に物 語 を 話 して 聞 かせ る。 放 課 後 は、 子 ど もた ち とい っ し ょ にジ ェ ンズ(羽 つ き の 羽 の よ うな もの を蹴 る遊 び)や 縄 跳 び 、 ダ ンス な どを して 遊 ぶ 。

20歳 の 注 廉 は、 首 都 師 範 大 学 で 英 語 教 育 を専 攻 す る学 生 で あ る。 必 修 課 程 の一 環 で、 こ こで 教 鞭 を執 っ て い る。 子 ど もた ち は家 庭 の貧 し さの 中で 一 生 懸 命 学 ん で い る。 この姿 を見 るた び、 彼 女 の胸 は い っ ぱ い に な る。 ク ラス に は、 ほ とん ど 「太 った 」 子 が い な い。 着 て い る服 とい え ば 多 くが 十 数 年 前

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現代 中国の 「陶行知学校 」(李)67

の も の で 、 か な り着 古 さ れ て い るか らで あ る。 冬 に な っ て も、 教 室 に は ス チ ー ム の設 備 が な い 。 す き ま か ら風 が ひ どい せ い も あ っ て 、 教 室 で 石 炭 ス トー ブ をつ け る と、 す ぐに むせ 返 る よ うな煙 が 立 ち込 め る… … しか し、 こ う した 厳 しい環 境 で 育 つ 児 童 を、 江 廉iは こ う見 て い る。 「こ この男 の 子 た ち は、

正 規 の 学 校 の 児 童 よ りもず っ と元 気 が い い し、 勇 敢 で 、 責 任 感 が 強 い の で す 」。 貧 し さが彼 らの豊 か な 経 験 を養 い 、 向 上 心 や 自 己処 理 能 力 を培 っ て い るの で あ る。 子 ど もた ち は 自 ら石 炭 ス トー ブ を つ け、 学 習 用 の用 具 を つ く り、 壊 れ た戸 や 窓 を修 理 す る こ とが で き るの で あ る。

入 学 した ぼ か りの ころ は、 異 な る地 域 や 家 庭 か ら集 ま るの で 、 子 ど もた ち の レベ ル が バ ラバ ラで あ る。 「2」とい う算 用 数 字 が書 け な い9歳 の 子 ど も も い た 。 しか し教 師 た ち は厭 う こ とな く、 しん ぼ う強 く、 手 に手 を とっ て教 え て い る。

一 部 の児 童 は、 学 校 か ら家 が 遠 く離 れ て い る。 その た め 毎 朝 五 時 に は起 床 し、 通 学 途 中 はバ ス を2、3回 乗 り換 え て 、 よ うや く学 校 に た ど り着 く。

安 全 の 面 か ら、 学 校 側 は 生 徒 の 一 人 ひ と りに、 首 に か け る カ ー ドを 手 渡 し た。 自分 一・人 で 帰 宅 す る時 に は、 教 師 と親 の双 方 の 許 可 を必 要 とす る。

子 ど もた ち の作 文 に は、 生 活 す る上 で の独 特 な 理 解 が 記 さ れ て い る。

両 親 が 汗 び っ し ょ りに な っ て 働 い て い る時 、 私 はい つ も思 い ます 。 『お父 さん 、 お母 さ ん、 本 当 に お疲 れ さ まで す!大 き くな っ た ら必 ず 、 私 を育 て て くれ た ご恩 に報 い ま す』 と」ま た、 あ る子 ど もは、 「大 き くな った らお 金 を も うけ て、 労 働 者 子 弟 学 校 をた くさ んつ く ります 。 入 学 で き な か っ た 幼 な じ み を改 め て 学校 に迎 え て あ げた い の で す 」。 教 師 や 学 生 た ち の 努 力 に よ って 、 児 童 生 徒 の成 績 も上 に あ が り、 教 育 レベ ル も都 市 の 正 規 の 学 校 に追 い つ い た 。

出 稼 ぎ労働 者 の子 弟 学 校 は、 彼 らの教 育 に対 す る基 本 的 な要 求 を あ る程 度 満 た す もの で あ る。 しか し、 多 くの 教 育 家 が 指 摘 す るの は、 「学 校 の教 育 方

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法 が 規 範 を は ず れ て お り、 教 育 の質 も低 い 。 ま た その 多 くが 、 児 童 の非 識 字 率 を何 とか 抑 え る とい う最 低 線 を維 持 す るの に精 一 杯 だ」 とい う問 題 点 で あ

る。

流 動 児 童 の 教 育 問 題 は、 す で に 各 界 の 高 い 関 心 を集 め て い る。2000年 国 連 教 育 科 学 文 化 機 関(ユ ネ ス コ)は 、 北 京 市 社 会 科 学 院 に対 し社 会 に お い て 不 利 な 境 遇 に あ る児 童 の教 育 問 題 を、 専 門 的 に調 査 ・研 究 す る よ う委 託 し た 。 また 、 中 国 労 働 力 資 源 開 発 研 究 会 の専 門 家 た ち は 、 都 市 に お い て ます ま す 大 き くな る移 住 者 二 世 の 教 育 問題 を重 視 して い る。 各 地 の政 府 も政 策 を 改 め、 戸 籍 政 策 を改 革 し、 流 動 児 童 の 就 学 につ い て 積 極 的 に取 り組 ん で い る。

この ほ ど、 北 京 で 開 か れ た 全 国 人 民 代 表 大 会(全 人 代 、 国会 に あ た る)で は、 多 数 の 代 表 か ら、 「出 稼 ぎ労 働 者 の子 ど も た ち の就 学 問 題 を 、 一 刻 も早

く解 決 し よ う」 との提 案 が 出 され た 。

4月6日 付 の 『北 京 日報 』に よ る と、 「北 京 市 に お け る、 出稼 ぎ労 働 者 の 子 ど もた ち の公 立 学 校 入 学 問題 は、 ほ ぼ解 決 した 。 市 政 府 は、 出 稼 ぎ 労働 者 の 子 ど もた ち の 入 学 の た め に便 宜 を図 り、 在 来 の 市 民 の子 ど も と同 じ待 遇 を与

え る こ とを 明 記 した 関 係 書 類 を提 出 す る」 とい う。

子 ど もの 知 識 欲 は い た って 旺盛 で あ る。 労 働 者 の子 ど もた ち だ け に、 み な よ く動 く。 ほ とん ど何 の体 育 設 備 もな い が 、 運 動 場 に は子 ど もた ち の 笑 い声 が 絶 え な い 。 学 期 末 に は、 教 師 が 児 童0人 ひ と りに成 績 表 を手 渡 しなが ら、

い っ そ う努 力 す る よ う激 励 す る。 教 師 た ち も同 じ よ うに粗 末 な 教 員 室 で 、 答 案 の採 点 を して い る。 この よ うな 努 力 に もか か わ らず 、 学 校 は また転 居 を迫

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ら れ て い る 。

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現 代 中国の 「陶行 知学校 」(李)69

3.陶 行 知 学 校 と教 育 に お け る 「愛 」 の 思 想

陶行 知 が 労 苦 の大 衆 教 育 に は 「愛 満 天 下 」(愛 は天 下 を満 た す)と い う理 想 を も って い た 。 そ こか ら陶行 知 の教 育 思 想 の核 心 は 「愛 」で あ る と言 え よ う。

中 国語 で 愛 」 を表 現 す れ ば 「熱 愛 」 とい う こ とで あ る。 以 下 の 陶行 知 学 校 」 の 教 員 と生 徒 の 作 文 か ら、 彼 らが 学 校 と学 習 と周 りの 人 々 と大 自然 と小 動 物 を愛 す る生 活 を見 通 して成 長 す る姿 が 分 か る と思 う。

(1)「 熱 愛 学 校 、 熱 愛 学 習 」(学 校 を愛 し、 学 習 を愛 す る)

教 員 が 貧 困 の 子 ど もを愛 し、 そ の 子 ども の教 育 に尽 力 した い とい う気 持 ち を持 つ こ とで 、 さ ま ざ まな 困 難 を克 服 が で き る。 教 員 は み な喜 ん で 、 遠 くの 地 方 か ら 「陶 行 知 学 校 」 へ や っ て きた の で あ る。 ま た、 教 員 とは、 陶 行 知 の 教 えで 言 え ば学 生 と同 じ よ うに時 々 刻 々 に新 しい 課 題 に挑 戦 し、 真 理 と善 良

とい う 目標 に登 らな けれ ば な らな い の で あ る。

生 徒 が 自分 らの 学校 を愛 す るの は、 「陶 行 知 学 校 」が 北 京 市 の 戸籍 を もっ て い な い子 ど もで あ る 自分 た ち の た め の学 校 で あ るか らで あ る。 学 生 に とっ て 学 習 とは首 要 な任 務 と義 務 で あ り、 しか も、 何 よ りも良 い人 聞 に な っ て い こ

う とい う陶行 知 の教 え に応 え るた め な の で あ ろ う。

陶行 知 学 校 」 の教 員 が こ う記 録 して い る。

邸 小 珍 先 生 は シ ンガ ポ ー ル の 華 人 で あ る。1995年 『中 国 青 年 報 』 の 記 者 ・

解 海 龍 が シ ンガ ポ ー ル で 開催 した 「希 望 工 程 」 の 写 真 展 を見 て 、 貧 困 の子 ど もた ち に貢 献 した い と思 い 、 「陶 行 知 学 校 」の無 償 奉 仕 す るた め に来 た 。 彼 女 は 自分 の美 術 作 品 を売 り、 そ の売 り上 げ金 を 「陶 行 知 学 校 」 に寄 付 し、 そ し て現 在 この 学 校 の 英 語 教 師 と して 活 躍 して い る。

生 徒 の 日記 は、 教 員 と一 緒 に暴 風 雨 と戦 う奮 戦 記 を次 の よ う に書 い て い る。

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2003年10月 中 旬 、 暴 風 雨 が ま る一一日 あ っ た。 グ ラ ン ドに は水 が 溜 り、 校 舎 が 簡 略 な建 物 な た め に、 戸 外 は大 雨 、 教 室 内 は雨 漏 り とな り、 机 もび し ょ び し ょで あ っ た 。5年 生 と6年 生 の教 室 は、 停 電 で真 っ暗 で あ っ た 。 す ぐさ ま、 教 師 の王 立 新 が 、 自転 車 で 暴 風 雨 の 中、3キ ロ以 上 も離 れ た所 へ 電 線 を 買 い に ゆ き、 膝 まで っ か りな が ら戻 って きた 。 生 徒 た ち も一 生 懸 命 に手 伝 っ て 、 電 線 をつ な げた 。 そ して、 再 び蛍 光 灯 が 光 り出 した 。 生 徒 は教 室 内 の雨 漏 りの 中 で 授 業 も受 けて い た 。 教 師 の 王 立 新 が 濡 れ た 衣 服 の 着 替 え もせ ず に、 そ の ま ま仕 事 に奮 戦 して い た 。 こ う して、 困 難 な学 校 建 設 の 中 で 教 員 と 生 徒 と一 体 とな って 、 運 営 に 当 って い た 。

(2)「 熱 愛 老 師 、 熱 愛 朋 友 、 熱 愛 父 母 」(先 生 を愛 し、 友 達 を愛 し、 家 族 を愛 す る)

子 ど も は腕 白 で もあ る。 しか し教 員 の 苦 労 が 分 か っ て くる と、腕 白 さ は影 を ひ そ め る。2003年9月10日 教 師 デ ー」の 日 に、 生 徒 た ち が 真 心 を込 め て 、 教 師 に感 謝 す る様 子 が 教 師 の遅 晶 に よ っ て書 か れ て あ る。

教 師 デ ー」の 日、 事 務 室 の私 の 机 上 に一 枚 の精 巧 な祝 カ ー ドが 置 い て あ った 。 それ を あ け る と、 ベ ー トベ ンの 「エ リー ゼ の た め」 が流 れ て く

る。 そ して 、 そ の カ ー ドの 間 か ら0本 の バ ラが 出 て きた 。 中 に は きれ い な字 で 次 の よ うに書 い て あ る。 「敬 愛 す る遅 先 生 一 本 のバ ラ を さ し あ げ ます 。 教 師 デ ー の 楽 しみ を 心 よ りお祝 い 申 し上 げ ま す。 一 中学1年

2ク ラス全 員 」 これ は、 い つ も諸 事 で 悩 ませ られ て い る ク ラス の 子 か ら の もの で あ ろ うか 。 引 き出 しを 開 け る と、 お人 形 と花 瓶 と写 真 の額 … こ れ は す べ て私 の 担 当 す る ク ラス の子 か らの プ レゼ ン ト… 「先 生 、 お め で と うご ざ い ます 。」の声 が す る。 我 が ク ラス の 王 嘉 で あ っ た 。 王 嘉 は手 に サ ボ テ ン の盆 栽 を持 ち 、 「ど うぞ 、 収 め て くだ さ い。」 と言 った 。 緑 の贈

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り物 を受 け取 っ て 、 ひ そか に涙 が あ ふ れ て きた 。 贈 り物 よ り子 ど もた ち の 厚 い気 持 ち、 そ して教 育 者 の 重 責 を担 っ て い る よ うで あ った 。 私 が 子

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ど もた ち か ら最 高 の栄 誉 を も らっ た の で あ る。

師 弟 関 係 の ほか に、 友 達 を愛 して 朋 友 の 真 意 を探 求 して 、 学 校 の 生 徒 が 友 情 につ い て探 求 し、 次 の よ うに綴 っ て い る。

陶 行 知 学 校 」中

千 里 に も捜 し難 い の は 『朋 友 』で あ り、 朋 友 が よ けれ ば人 生 を歩 みや す くな る。 誠 実 な心 を持 て ば成 功 で あ る。 わ れ わ れ は互 い に永 遠 の 朋 友 に な りた い」。 これ は 「友 達 」の 歌 で あ る。 「友 達 」 と言 え ば、 す ぐに 「 友 」(友 情 が 素 朴 で純 潔 の友 達 関 係)と 知 友 」(互 い の こ とを よ く知 っ て い る)と 戦 友 」(一 緒 に戦 っ た 友 人)と 難 友 」(生 死 の 難 を と もに

した友 人)と 校 友 」(同 じ学 校 の 友 人)と 契 友 」(助 け あ う友 達)と

謬 友 」(直 言 で批 評 しあ う友 人)の 言 葉 を 思 い 出 す 。

友 情 は太 陽 の 光 、 心 と心 を 結 ぶ 虹 、 生 き るた め の 不 可 欠 な もの で あ る。 アイ ン シ ュ タイ ンが 言 う。 「世 界 最 大 の 幸 福 とは、 頭 脳 と心 の両 方 で 正 直 な 何 人 か の 友 達 を もっ こ とに過 ぎ な い 。 友 情 は一 本 の ゆ っ く り と 成 長 す る植 物 で あ り、 誠 実 の太 陽 の光 と新 鮮 で 肥 沃 な 大 地 で 養 わ れ るの

で あ る」。 「友 情 は心 と心 との結 び つ きで あ るが 、 こ ち らの 心 が そ ち らの 心 を束 縛 した りや 命 令 で は な く」、 古 今 の 良 い 友 人 関係 は 、 み ん な互 い に と もに 苦 楽 を経 た り して い る の で あ る。 「順 調 の 時 に は黙 々 と祝 福 し て くれ る。 失 意 の 時 に は支 持 して くれ る。 ま るで 人 生 の 航 路 で 帆 前 を揚 げて くれ る人 で あ り、 た とえ ば 、 間 違 い が あ れ ば指 摘 や 助 け を して くれ る人 で あ る。 これ こそ、 真 の友 人 の証 で あ る。反 対 に虚 偽 な 友 達 は、 太 陽 の光 の 下 で 追 い か けて くるの に、 暗 くな っ た ら逃 げて しま う。 こん な 人 は真 の 友 人 で は な い で あ ろ う。」真 の 友 人 よ、 良 い 友 人 よ、 愛 の広 い心

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で この世 界 を大 き く包 容 し よ う。真 の友 情 を探 求 し、 本 当 の 同 志 に な ろ う。 これ こ そ さ らに友 情 の 花 を 多 くに絢 燗 に 咲 か せ よ う。

ま さ に 、 「陶 行 知 学 校 」の 子 弟 と友 人 関 係 は真 の 友 情 を もつ こ とに 目指 して お り、 学 校 の発 展 と壮 大 な前 途 を もつ未 来 を見 え る。

両 親 の 苦 労 と、 両 親 へ の敬 愛 とを、

文 に さ りげ な く表 現 して い る。

陶 行 知学校 」中学校1年 生 の趙 偉 は作

僕 は、 健 康 、 しか し背 は高 くな い 。 真 っ 黒 な髪 の 毛 、 二本 の濃 い眉 の 下 に輝 く大 き な 目 を して い る。僕 、 趙 偉 、 今 年 、13歳 、 中学 校1年 生 、 生 ま れ っ き の腕 白だ 。 あ る 日、 放 課 後 の帰 宅 時 に 、 プ ラス チ ッ クの 瓶 が 道 に 落 ち て い る の を 見 つ け、 力 い っ ぱ い 瓶 を空 に蹴 り飛 ば した 。 しか し、 同 時 に足 が石 に もぶ つ か り怪 我 を した。 痛 み を耐 え な が ら、 帰 宅 し た ら、 母 に 叱 られ た 「蹴 っ て ケ ガ な ん か して 足 が 要 らな い つ も りな の?」

これ は僕 の 反 省 しな けれ ば な ら な い点 だ 。

しか し、僕 に は良 い と ころ も あ る。 人 を助 け るの も、 読 書 も大 変 好 き で あ る。 なぜ な ら友 た ち を助 け る こ とは僕 自身 も気 持 ち よ くな るか ら。

また 、 読 書 に よっ て視 野 が 広 が り、 知 識 も増 す 。僕 の今0番 気 に な って い る こ とは何 に対 して も 「なぜ だ?」 と聞 くこ とだ 。 僕 を父 と母 は、 「 破 砂 鍋 問 到 底 」(と こ とん まで 問 い た だ す)子 だ とい っ た。 家 に い る と き、

い つ も母 に 問 い か け る。 た とえ ば 、 「箸 を水 に挿 す とな ぜ 曲 が っ て 見 え るの?」 「あ る もの は水 に入 れ る と浮 か ぶ 、 あ る ものが 沈 む 、 なぜ な の?」

母 が 喜 ん で答 え る とき もあ る し、 相 手 して くれ な い とき もあ る。 それ も しか た が な い 、 母 が仕 事 も家 事 も両 方 忙 しい か ら…

この よ うに、 「大 人 の 徹 す こ とか ら教 え られ る」とい う陶行 知 の言 葉 の意 味 も こ こで も再 確 認 で き るで あ ろ う。

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(3)「 熱 愛 大 自然 、 熱 愛 小 動 物 」(大 自然 を愛 し、 小 動 物 も愛 す る)

学 校 の グ ラ ン ドで は放 課 後 に教 員 と生 徒 が 、 また 子 ど もた ち が駆 け っ こ、

縄 跳 び 、 羽 根 蹴 り、 定 期 的 に網 引 き大 会 や バ レ ー ボ ー ル 、 バ ス ケ ッ トボ ー ル、 バ ト ミン トン、 ピ ンポ ン大 会 な どを す る。

生 徒 た ち は、 都 市 部 の 子 ど も に流 行 して い るテ レ ビゲ ー ム の 遊 び と違 っ て、 大 自然 を愛 し、 小 動 物 も愛 して い る。

小 学 校6年 生 の徐 晶 晶 が 次 の よ うに春 を描 い て い る。

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冬 の 日が 去 っ た ぼ か り、 「春 姑 娘 」 が軽 快 にや っ て きた 。 万 物 が 「春 姑 娘 」 を歓 迎 して い る。 見 て ご らん 。 一 列 一 列 の柳 の 木 が 、wれ の美 し

い少 女 の よ うに踊 って い な が ら 「春 姑 娘 」 を迎 え る。 一・輪 一 輪 の 花 が き れ い な歌 を歌 い な が ら 「春 姑 娘 」 を迎 え る。 小 鳥 た ち が 絶 え間 な くチ ュ チ ュ と叫 び 、 万 物 が 「春 姑 娘 」の到 来 を報 告 す る よ うだ 。 「春 姑 娘 」 もみ な の 期 待 に応 じて 、 大 地 を蘇 生 させ 、 万物 に活 力 を与 え る。大 地 が 緑 の カ ー ペ ッ トに な り、 上 に は様 々 な色 の 小 花 を飾 りそ な え て くれ る。 …私 は 「春 姑 娘 」 を愛 す る。

鶏 と子 犬 へ の 愛 情 につ い て書 い た 「陶 行 知 学 校 」 二 人 の 中学 生 の作 文 が あ る。 これ は子 ど もた ち が 家 に い る とき、 犬 や 鶏 と一緒 に遊 び そ の 中 の 喜 び と 悲 しみ につ い て 書 い て あ る。

こ こで は そ の一 人 の もの を取 り上 げ よ う。

小 学 校4年 の初 冬 に、 母 は私 に0羽 の ひ よ こを買 っ て くれ た 。 か わ い くて活 発 で あ る。 私 は 「喜 喜 」 とい う名 を付 け て あ げた 。 「喜 喜 」が 私 の 生 活 に入 っ た 日か ら、 毎 日が うれ しい気 持 ちで い っ ぱ い に な った 。 餌 を

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や っ た り、 一 緒 に遊 ん だ り して い た。 ひ よ こが だ ん だ ん と大 き くな っ た。 私 が ひ よ こを訓 練 した 。春 末 に いた っ て 「喜 喜 」が六 ヶ月 に な っ て 、 私 の い う こ とを よ く聞 い て くれ て 、 わ た しが ど こに行 っ て も 「喜 喜 」 も 付 い て くるか らだ。 「喜 喜 」が 外 へ 遊 び に行 った と して も、 しば ら くして 家 に戻 って くる。 こん な可 愛 い姿 を見 て 心 よ り嬉 し くて し ょ うが な か っ た 。 しか し、 あ る 日、 「喜 喜 」突 然 に わ た しの 家 か ら姿 が な くな っ た 。 そ れ は あの 日の昼 に私 は外 に 出 か け て遊 ん で い た 。 帰 っ て きた と き に庭 の ドアが 開 い て い た 。 「喜 喜 」 が 絶 対 に戻 っ て くる と、 じ っ と待 っ て い た 。 しか し、 帰 っ て来 な か った 。 私 が 狂 った よ う に家 か ら出 て 、 西 黄 村 鎮 の す みか らす み まで 探 しま わ っ て い た。 だ が 無 駄 だ っ た 。 私 が大 声 で 泣 い

くエo)

た 。 本 当 に か な しか っ た 。

4.お わ り に 一 陶行 知 の教 育思想 か ら見 る現代 の陶行 知学校

陶 行 知 が 主 張 した 生 活 は、 現 実 と遊 離 しな い とい う もので あ る。 彼 の 主 眼 は、 も っ とも苦 労 を し、 しか も貧 困 に あ り、 世 間 か ら軽 視 され た 労 苦 大 衆 と その 子 女 の 教 育 をす る こ とで あ る。

時 代 は変 遷 し、 現 在 、 農 村 の現 代 化 が進 む機 械 の導 入 に よっ て 、 余 っ た 農 村 の 労 働 力 が 、 都 市 部 に流 れ 込 ん で 、 安 い賃 金 の 肉体 労働 を し、 そ して 、 都 市 部 の発 展 と繁 栄 に貢 献 して い る。

「陶行 知 学 校 」の校 長 と教 員 に はす べ て共 通 す る、 学 校 を作 る際 の エ ピ ソ ー ドが あ る。 そ れ は い ず れ も、 陶 行 知 の 優 れ た 教 育 理 念 を学 ん で か ら学 校 を 作 った の で は な く 一 本 稿 冒頭 で も触 れ た よ う に、 陶行 知 は批 判 され 続 けた 時 期 が 長 か っ た 一 た だ、 親 戚 や 友 人 た ち が 、 子 ど もた ち を学 校 に入 れ るた め の都 市 戸 籍 を もっ て い な い た め に、 何 とか 教 育 を とい う願 い を受 け て、 や む に や まれ ず に学 校 を は じめ た とい う こ とで あ っ た 。

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現代 中国の 「陶行 知学校 」(李)75

こ れ ら の 人 々 は、 や が て 、 教 育 の 過 程 の 中 で、 陶 行 知 の 教 育 思 想 を発 見 し、 そ の思 想 も現 実 の生 活 の 中 で 活 性 化 させ た の で あ る。

今 か ら80年 前 に 、 列 強 が 中 国 を侵 略 し、 政 府 が 腐 敗 し、 労 苦 大 衆 が 困 難 な 中 を彷 径 って い た 。 陶行 知 は言 った 現 在 中 国 不 得 了 、 将 来 一・定 了不 得 」 (現 在 の 中国 は ど う しよ う もな いが 、 将 来 は き っ と立 派 に な る)。 い ま も、 陶 行 知 の見 す え た大 衆 教 育 の 道 を歩 み つ つ 、 た くさん の 困 難 、 障 害 に もか か わ らず 、 前 進 して ゆ くしか な い ので あ る。 そ れ は 中 国 人 民 の 発 展 の 道 で あ り、

人 民 の願 い で あ る。

(1)1982年 以 降 の研 究 論 文 に よれ ば 、 権 力 者 の江 青 は、 その 女 優i時代 の 恋 愛 の詳 細 を 陶行 知 に知 られ 、 さ らに 陶行 知 は失 恋 した江 青 の相 手 ・唐 青 年 を 自殺 前 に 救 っ た こ と、 さ ら に、 後 に 唐 青 年 が フ ラ ン ス へ 渡 っ た こ と、 これ らの 事 実 に よ り、 陶 行 知 が 江 青 に よ っ て 疎 ん じ られ た こ とを挙 げ て い る。 質 培 基 『陶 行 知 』 重 慶 出 版 社1991年pp.3‑8

(2)全 国 各 省 ・ 市 に も研 究 会 の23ヶ 所 の分 会 を設 立 し、 個 人 会 員 が 国 内 外 で 合 わ せ 、3万 人 ほ どで あ る。 こ う して 、 陶 行 知 教 育 思 想 の 実 践 を全 国 的 に 広 が っ て い て 、 全 世 界 か ら支 持 を え て い る。 「 中 国 陶行 知 研 究 会 簡 介 」 中 国 陶 行 知 研 究 会:http://wwwJdngzhi.orgよ り

(3)流 動 人 口の 子 女 とは、1979年 以 降 、 流 動 人 口 に対 して の規 制 が 弱 め られ た結 果 で あ る。 そ れ は 、 農 村 に あ る い は都 市 に 生 まれ た か に か か わ らず 、 地 方 戸 籍 あ る い は農 民 の 戸 籍 を もつ 子 ど もは 流 動 人 口 の 子 女 と定 義 され る。 この よ

う な子 た ち は、 都 市 に 入 っ た 親 に と もな い 、 そ の 都 市 の 戸 籍 を持 っ て い な い た め、 公 立 小 学 校 に 入 学 で き な い規 則 が あ る。 現 在 、 国 内 の 社 会 学 者 た ち の 研 究 に よれ ば、 流 動 人 口の 子 女 へ の 教 育 機 会 均 等 の た め の政 策 は、 政 府 と全 国 民 の 課 題 で あ る。 そ れ は社 会 的 差 別 を な く して、 自由 平 等 な 社 会 と安 定 な 社 会 を作 る第 一 歩 と して 、 流 動 人 口 の 子 女 の 完 全 な 義 務 教 育 化 を 目指 す こ と

で あ る。 郷 艶 絹 「 流 動 児 童 教 育:今 日的 教 育 問題 」 『中 国 青 年 報 』2001年ll月 16日 よ り

(4)中 国 陶 行 知 研 究 会 網:http://www.xingzi.orgよ り

(22)

(5)陶 行 知 学 校 に 関 す る資 料 は 中央 教 育 科 学 研 究 所 網:www.cnier.ac.cn所 載 (6)「 北 京 行 知 打 工 子 弟 学 校 」に関 して は、 魯 忠 民 「 北 京 出 稼 ぎ労 働 者 の子 らに

も教 育 の光 が 」 『人 民 中 国 』2002年6月 号 所 収

(7)中 国 青 少 年 発 展 基 金 会 が 作 っ た全 国 の経 済 的 理 由 で 失 学 した少 年 た ち を助 け る組 織 で あ る。 郵 小 平 が2回 に わ た り、L人 の 老 共 産 党 員 」 とサ イ ン を して

「 希 望 工 程 」 へ 寄 付 した とい う 。 『 郡 小 平 与 現 代 中国 』 現 代 出 版 社1997年p.217 (8)遅 晶 「 収 穫 」 前 掲 中 国 陶 行 知 研 究 会 網:http://v+Tww.xingzhi.org

(9)春 を擬 人 化 す る現 代 中 国 文 学 的 表 現 で あ る。

(10)「 陶行 知 学 校1中 学1年 生 の 王 春 頴 「 私 の心 の 痛 め 」前 掲 中 国 陶行 知 研 究 会 網:

http://Urww.xingzhi.org

参照

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