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1. キャンパス新天地

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Academic year: 2021

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 角間キャンパスの総合移転は、紆余曲折を経て、第Ⅰ期が1995(平成7)年の本部移転、第Ⅱ期が2010年のがん研究所(現が ん進展制御研究所)移転によって実質的に完成しました。移転の理由は、そもそもメインキャンパスとしては城内が狭く、風致 地区の指定からさまざまな建築上の規制もあったために、大学の将来の発展は城内キャンパスでは望みえない、というところに ありました。当時の城内地区が23万㎡、工学部のあった小立野地区が8万㎡でしたから、それらの移転先である角間キャンパス の総面積200万㎡、東京ドーム約43個分というのが以前と比べてどれほど広いか、お分かりいただけることでしょう。緑豊かな 角間キャンパスは、「浅野川の右岸に広がる水田地帯を過ぎると曲がりくねった山道に変わる細い県道を角間川沿いに約2㎞遡っ た山地に位置していた」*と『金沢大学五十年史』に描写されているように、「起伏に富み、植生の豊かな自然」がとりわけ強み でした。

1. キャンパス新天地

総合移転後の角間キャンパス

 しかし、角間への移転はよいことばかりではありません でした。なによりも「お城の中の大学」という強烈なイメー ジが金沢大学から失われてしまったのです。また、城内キャ ンパス時代、学生の半数はお城から2㎞圏内に住み、その3 分の1が徒歩で通学していましたが、移転の完了とともに、

お城から遠い大学門前町の「もりの里」界隈にアパートが 林立するようになりました。学生は市の中心部から姿を消 し、市民は大学がずいぶん遠くに行ってしまったように感 じたのです。

 ある卒業生は城内キャンパスをこう回想しています。「中 でもやはり桜の季節が一番印象深い。学生食堂とクラブの 部室の並ぶあの通りの桜並木、満開の頃は圧巻だった」**。

日本のハイデルベルクであった城内から角間への移転を惜 しむ声は卒業生を中心に今も根強くありますが、そう言わ しめているのは彼らの現在の年齢かもしれません。もう20 年もたてばきっと角間の日々こそが、「わが青春の輝き」と して慈しまれるようになるでしょう。

*『金沢大学50年史 通史編』1999年 p. 772

** 津川伴子「キャンパスの四季」、『廿世紀 青春の群像 金沢大学 法・経・

文 同窓会創立50周年記念誌』2003年 p. 96

1996 年に設置された「金沢大学」の標石(47tの戸室石)

角間北地区と中地区をつなぐアカンサスインターフェイス(136m)

角間キャンパス正面にある 104 段の大階段

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