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近代個人保険需要の実証研究 生命保険市場発展の核心的原動力

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【査読済み論文】

近代個人保険需要の実証研究

生命保険市場発展の核心的原動力

福 地 幸 文

■アブストラクト

保険業法制定後,1902~39年度の個人保険市場の保有契約増減率(年平 均)は件数+8.6%,金額+13.7%(実質+10.8%)で,生産国民所得増減 率(年平均)+8.1%(実質+4.6%)を上回る高成長を遂げた。この発展の 基底には生保の約束(契約)の履行に対する国民の信頼があった。それは生 保産業の支払能力向上に向けた各社の経営努力と政府の監督強化ならびに保 険金等の給付実績の積み重ねにより醸成された。1918年には有配当養老保険 が同市場の典型となり,平時は貯蓄,スペイン風邪等の危機の際には保障が 国民に意識された。実質所得,名目金利および総人口を用いた回帰モデルは 1902~39年度の保有契約高増減率に対し6割強の説明力を有した。

■キーワード

生命保険需要,生命保険市場発展の要因,市場の信頼

1.はじめに

宇佐見憲治の『生命保険業100年史論』によれば,日本における近代的生 保事業は1881年7月9日に創業した有限明治生命保険会社(現明治安田生命 保険相互会社,以下「明治生命」)に始まる(宇佐見憲治,1984,p. 24)。

当時の日本経済は,同年10月に就任した松方正義大蔵卿の強力な引き締め

*平成26年12月12日の日本保険学会関東部会報告による。

/ 平成27年1月5日原稿受領。

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近代個人保険需要の実証研究

政策,所謂松方デフレによってインフレを終息,1885年5月9日に兌換銀行 券(銀貨兌換)の発行を開始した。一方,1889年2月11日には大日本帝国憲 法が発布された(日本銀行金融研究所編,1993,p. 32,p. 41)。この1885年 が日本の経済発展の起点である(伊藤修,2007,p. 32,p. 41)。日本の生保 産業は政治および経済の近代化とともに,その歩みを始めた。

1899年制定の新商法により保険契約の基本事項が定められ1),翌1900年に は保険事業の監督法である保険業法が制定された2)(宇佐見,同,pp. 49-50,

p. 59)。当該2法により生保契約における保険者と保険契約者等(消費者)

との関係,そして社会制度としての生保事業の在り方が規定された。

本研究では近代日本の個人向け生保(以下「個人保険」)市場における需 要要因を明らかにすべく,内国生保会社に係る史料と時系列統計に基づき同 市場の発展過程を歴史的・計量的に分析,主な推定期間を1902~39年度とす る回帰分析によって,その歴史的・計量的分析結果の妥当性を検証する。

2.先行研究

生保需要理論の枠組みは Yaari に始まる。Yaari の “Uncertain Lifetime, Life Insurance, and the Theory of the Consumer” によれば,消費者の期待生 涯効用は財産(遺産)と期待生涯所得,利子率,生保コストおよび現在の主 観的割引率による期待消費支出の関数である(Yaari, 1965, pp. 137-140)。

1) 1890年4月に公布された商法(旧商法)は,会社法が1893年7月に,その他 は1898年7月に施行された。旧商法は,かねてから修正が議論され修正草案も 準備されていたが,生保会社側からするとその草案は実情に沿わない点がある と思われた。生保業界は1898年5月に生命保険会社談話会を結成し談話会商法 草案改正案を決定,これをもって政府,両院議員,法典調査会委員,その他関 係方面に改正要望を働きかけたが実現せず(宇佐見,同,pp. 48-49),新商法 および商法施行法は1899年3月公布,6月施行となった(日銀金融研究所編,

同,p. 61)。1911年の商法改正(5月公布,10月施行)では生保業界の要望の 大部分が採用され,実情に合った規定の改正がなされた。これに合わせて同年 10月に模範約款(1900年10月作成)も改正された(宇佐見,同,pp. 49-51)。

2) 保険業法は1900年3月公布,7月施行(日銀金融研究所編,同,p. 64)。

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Lewis の “Dependents and the Demand for Life Insurance” は生保需要を保険 契約の受益者である配偶者や子どもの期待生涯効用最大化問題として Yaari の枠組みを拡張した(Lewis, 1989, p. 452)。

Outreville の “Life Insurance Markets in Developing Countries” によれば,

開発途上国の生保産業の発展は1人当たり可処分所得と金融の発展度合いに 関係し,期待インフレ率に悪影響を受け,そして独占的市場に阻害される

(Outreville, 1996, p. 273)。Beck & Webb の “Economic, Demographic, and Institutional Determinants of Life Insurance Consumption across Countries”

によれば,1人当たり所得,インフレ率および銀行部門の発展度合いが生保 消費動向の最も頑健な予測変数である(Beck & Webb, 2003, p. 78)。

一方,水島一也の『現代保険経済〔第8版〕』は,衣食住等の生活維持に 係る基本的な要求を満たす所得水準達成後に保険需要が生じること(保険需 要の間接性)の重要性を論じた(水島一也,2006,pp. 84-85)。

個人保険市場の需要は,所得と強い関数関係を有しているようである。

3.日本の近代個人保険市場

⑴ 近代的生命保険事業成立の条件

生保の保険給付は金銭の支払が原則で,金銭以外の給付(現物給付)は例 外的である。近代的生保事業は貨幣経済を前提とする。このことは生保産業 発展の基盤の1つが当該国の貨幣(通貨)制度の確立にあることを示唆する。

中村隆英の『明治大正期の経済』によれば,松方デフレは国内の管理通貨 制を廃止し,国内外ともに銀本位制で統一するための準備であった。1860年 代末以降の物価変動は不換紙幣の濫発(不換紙幣の銀貨に対する減価)とそ の整理の結果だが,銀兌換制度(銀本位制)が確立された1885年から金本位 成立の1897年までの卸売物価上昇は為替相場の低落に由来するところ大であ った。松方デフレ以後の金の銀に対する価格倍率(以下「金銀比価」)の低 下は銀本位国にとって通貨安を意味し,銀本位制を確立して経済発展に踏み 込もうとしていた日本に極めて有利に作用した。1885~97年の日本の輸出成

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近代個人保険需要の実証研究

長率は,円建て名目ベースで年率+11%であった。金銀比価の低下によって,

輸出品の国内価格は上昇するが,国際競争力はむしろ強化される。輸出需要 は増大し,輸出関連産業は高い利潤を収める。この分野の拡大は雇用や原材 料需要の増加を生み出し,国内経済の他の分野を刺激する。この傾向の延長 線上における当然の帰結として日本は企業勃興期を迎え3),輸出は1886年か ら,固定資本形成は1888年から,そして消費は1889年から増加が目立つよう になった(中村隆英,1985,pp. 48-54,p. 58)。

個人保険市場で新契約が本格的に増加に転じたのは,銀本位制による貨幣 制度確立直後の1886年度頃からである(図1参照)。1888年に帝国生命保険 会社(現朝日生命保険相互会社,以下「帝国生命」)が,1889年に有限責任 日本生命保険会社(現日本生命保険相互会社,以下「日本生命」)が開業し,

市場競争が始まった4)。その後の三大会社(明治生命,帝国生命および日本 生命)の成功は資本家達に安心感を与え企業勃興期後半,生保産業は第一次 会社濫設期(1893~1900年)に至り多くの生保会社が創業した(宇佐見,同,

pp. 39-44,pp. 56-58)。1893年度に4社であった生保会社が1900年度には43 社に増加した(日本経営史研究所編,1981,p. 522)。景気が活況を呈し企業 が勃興して個人保険の潜在需要が高まり,新たな生保会社の参入と募集活動 の活発化で当該潜在需要が顕在化した。独占的市場は生保産業の発展を著し く阻害していると論じた Outreville の主張を支持するものであろう。

近代的生保事業成立には,貨幣制度の確立と経済成長による生保の潜在需 要創出が極めて重要である。Beck & Webb や Outreville は金融等の発展度

3) 1885年に1,279であった会社数が1900年には4,296に,資本金も5,000万円余 りから22,000万円余りに増加した(中村隆英,1985,p. 53)。

4) 当時,明治生命に比べ①帝国生命は保険料率を低廉にし,保険料払込猶予期 間を3倍の90日,解約返戻金を既払込保険料の2分の1(明治生命は同3分の 1),そして保険金支払期日を10日短縮し請求日から50日以内とした。②日本 生命は帝国生命より幾分高いが明治生命より幾分安い保険料率とし,保険金額 500円以上で7年以上継続の契約者に対し8年毎の大決算の利益金を分配する 独自の規定を設けた(保険銀行時報社編,1933,本紀 pp. 86-91)。

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図1 新契約と保有契約の増減率の推移

注:①1943年度の新契約は年間決算(1943年1月1日~12月31日)と3月末決算 化に伴う臨時決算(1944年1月1日~3月31日)の合計値。

②1943年度の保有契約は3月末決算化に伴う臨時決算(1944年1月1日~3 月31日)値。

③1934年度以降の値には団体保険を含む。

④実質新契約高と実質保有契約高は,生命保険協会編[1978]掲載の卸売物 価指数(1934~36年=1.00)により実質化した。

出所:日本経営史研究所編[1981],第一生命保険相互会社編[2004]および生命 保険協会編[1978]を基に作成。

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近代個人保険需要の実証研究

合いを生保需要の有意な説明変数とした。日本では貨幣制度確立前に国立銀 行制度を導入したが,不換紙幣濫発の最中では生保産業の発展には寄与しな かった。生保需要の創出には貨幣制度の確立が大前提であることを理解した 上で,金融等の発展度合いについて議論すべきであろう。

⑵ 近代個人保険市場の動向

森荘三郎の「我国生保業の統計的調査」(1931~32年,生命保険経営)に よれば,米国は多少その事情を異にするが各国ともに生保業の初期には終身 保険が最も普通の保険種類で,死亡の危険に対する保護(死亡保障)を目的 とした。その後,多くの国では養老保険が次第に盛んになっている。生保業 は保障の色彩が薄らいで,将来の準備に充てるための投資(貯蓄)の色彩が 濃くなってきた5)。新契約の終身保険と養老保険の件数比率は明治初年には 終身保険がほとんど全部(1881~89年度は95%以上)を占めたが,帝国生命 と日本生命が創業7年を経過した1895,96年度頃に伯仲し1918年度には断然 養 老 保 険 が 優 勢( 94.6% )に な っ た。う ち 有 配 当 保 険 比 率 は 1885 年 度

(2.3%)以降急激に低下,1894年度(17.6%)頃から一時復活の兆しを示し,

1907年度(33.6%)以降増勢。1911年度(51.5%)以降過半を占めて優勢を 持続,そして1918年度には決定的な地位(94.5%)を占めた6)(日本経営史 研究所編,同,pp. 534-541)。第一次世界大戦前後の時代に有配当養老保険 が日本の保険種類の典型となったのは,その貯蓄面が次第に強調されてきた ことを示し,1945年の終戦まで変化がなかった7)(宇佐見,同,p. 131)。

5) 終身保険は満期を100歳または110歳等とする養老保険と同じ構造だが,契約 者貸付を除き死亡以外で現金を得るには解約を要する。解約返戻率が既払込保 険料の2分の1以下等と低率の場合,長期間契約を継続しても貯蓄部分に相当 する解約返戻金は受け取れず,終身保険の主な目的は死亡保障となろう。養老 保険は同様の解約返戻率でも満期が到来すれば貯蓄部分に相当する満期保険金 を得られ,死亡保障と貯蓄の両方の目的を充足することができる。

6) 1915年度以降,同保有契約有配当保険比率も過半を占め,1927,28年度に件 数の90%,金額の95%程を占めた(日本経営史研究所編,同,pp. 538-541)。

7) 1937年の日中戦争勃発で資産運用利回りが低下し2期連続で契約者配当は引

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同じく森によれば,新契約1件平均保険金額は明治20~30年代に著しく減 少しているが,当時多数の小会社が簇出し契約の品質が概して低下したこと による。また,第一次世界大戦中の大戦景気以降1916~25年度は順調に増加 しているが,物価騰貴のために実質では却って減少している(日本経営史研 究所編,同,p. 539,p. 543)。1916~39年度の新契約1件平均保険金額増減 率(年平均)は名目+4.1%,実質+1.4%8)で,有業者1人当たり所得増減 率(年平均)は+9.2%(大川一司編,1956,p. 162)であった(図2参照)。

有業者1人当たり所得の伸び率が,新契約1件平均保険金額の伸び率を大幅 に上回っている。有業者1人当たり所得の増加は生保の主な加入者であった 中級以上の階層の人々9)(「以下「中間層等」)の増加を示唆する。

き下げ。1938年に政府が国民貯蓄奨励運動を開始,有配当養老保険販売一本槍 の内国生保会社はこれを活発に推進(宇佐見,同,pp. 213-215)。

8) 1件平均保険金額(年平均)は1881~89年度が新契約462円(対有業者1人 当たり所得倍率(年平均)は15.5倍),保有契約489円(同16.3倍),1890~

1906年度が新契約286円(同4.8倍),保有契約290円(同5.1倍),1907~15年度 が新契約560円(同4.2倍),保有契約453円(同3.4倍),1916~26年度が新契約 1,002円(同2.7倍),保有契約755円(同2.1倍),そして1927~36年度が新契約 1,547円(同3.6倍),保有契約1,250円(同2.9倍)。卸売物価指数(1934~36年

=1.00)で実質化した1件平均保険金額(年平均)は1881~89年度が新契約 1,664円,保有契約1,757円,1890~1906年度が新契約688円,保有契約717円,

1907~15年度が新契約903円,保有契約732円,1916~26年度が新契約814円,

保有契約614円,そして1927~36年度が新契約1,620円,保有契約1,312円。実 質新契約1件平均保険金額(年平均)は1934~36年度(卸売物価指数基準年)

が1,528円(名目1,527円),1881~89年度が1,664円(同462円)。1881~89年度 の300円は1934~36年度の1,080円程に相当(日本経営史研究所編,同,p. 522,

第一生命保険相互会社編,2004,pp. 160-164,pp. 219-222,生命保険協会編,

1978,pp. 1068-1069および大川一司編,1956,p. 162に基づき算出)。契約金額 階級別新契約件数で①300円以下の小口契約が1896年頃まで漸増したのは弱小 会社の濫設,②500円以下契約が1918年頃以後減少したのは1916年創設の簡易 生命保険の影響ならびに1916~19年の大戦景気とそれによる貨幣価値変動,そ して③1,000円以下の契約が大正期に急増したのは1,000円の契約が標準的にな ったことによる(日本経営史研究所編,同,pp. 549-550)。

9) 資本家,地主,商工業者,官公吏,軍人,高級使用人,自由業者等中級以上

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近代個人保険需要の実証研究

図2 新契約1件平均保険金額の推移

注:①1934年度以降の値には団体保険を含む。

②実質新契約1件平均保険金額は,新契約高を生命保険協会編[1978]掲載 の卸売物価指数(1934~36年=1.00)により実質化した上で算出した。

③保険金額の対所得倍率は,有業者1人当たり所得に対する新契約1件平均 保険金額(名目)の倍率である。

出所:日本経営史研究所編[1981],第一生命保険相互会社編[2004],生命保険 協会編[1978]および大川一司編[1956]を基に作成。

一方,森の「内国生保会社の解約失効率」(1930年,生命保険経営)によ れば,1912~28年度の件数による解約失効率(年平均)は対新契約で58%。

1915(108%),16(83%),27(83%)および28年度(80%)は高率(日本 経営史研究所編,同,p. 523,p. 570および p. 572)だが,第一次世界大戦当 初の経済混乱と1927年の金融恐慌の影響であろう。大正末期からは募集競争 が次第に激しくなり,予想配当を武器に既契約者に早期解約を勧める略奪募 集等も盛んになり始めた(宇佐見,同,p. 118,p. 142)。

⑶ 約束(契約)の履行による信頼の醸成

小林惟司の「比較生保経営史に関する一考案」によれば,内国生保会社は 明治初期から中期にかけて主に無配当終身保険を販売,1904年までは三大会

の階層に限られ当時の労働者等は民間生保加入圏外(宇佐見,同,p. 87)。

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社3社とも終身保険が保有契約高の5割を超えていた10)。当時,予定利率は 年4%,実際利回りは年7~8%11)で,利差益は営業費や死差損の填補と資 産内容の充実に向けられた12)。内国生保会社は支払能力に重点をおいて内部 留保に努め,徐々に経営体質を強化して1918,19年度頃までには終身保険か ら養老保険への転換を成し13),有配当保険による保険契約者への利益還元も 積極化した14), 15)(小林惟司,1985,pp. 140-141,p. 149および p. 152)。

1900年の保険業法制定による政府の監督強化は不良生保会社の合併や整理

10) 保有契約高の養老保険占率をみると①日本生命は1905年に終身保険,養老保 険共に49%で,1913年70%。②帝国生命は1912年に終身保険50%,養老保険 49%で,1913年52%,1918年65%。③明治生命は1918年に終身保険54%,養老 保険44%で,1912年発売の有配当養老保険は伸展著しく1919年50%,1920年 54%,そして1921年56%(小林惟司,1985,pp. 140-141)。

11) 後発会社の多くが明治生命の予定利率年4%を踏襲,国内生保会社は総資産 利回り年6~8%を確保し膨大な利差益が生じた(宇佐見,同,p. 38)。

12) 明治生命の利差益は1910年に営業費の39%相当であったが,1914年以降は 60%相当以上に増加した(小林,同,p. 144)。

13) 明治生命創業時の付加率(付加保険料÷純保険料)は無配当全期払の養老保 険が23~33%,同終身保険が33~37%(小林,同,p. 142,保険銀行時報社編,

同,本紀 p. 78)。他の条件が同じならば経営体質強化には高付加率の終身保険 販売が有利。また当時は膨大な利差益が生じていた。有配当と無配当の比較に おいて他の条件が同じならば利差益の内部留保には無配当保険販売が有効。

14) 良質の保障をできるだけ安く提供する実費主義の徹底による高配当を実現す るための財源として,死差益,費差益および利差益の三利源の極大化が必要と なるが,それは必然的に経営規模の拡大を要請する(水島,同,p. 70)。

15) ①明治生命が当初販売した有配当保険の配当算出基準は無配当と有配当の保 険料の差額で,これを利殖し配当原資とした。1885年の初回配当率は8%で4 年毎に実施し1897年以降増加に転じた。②日本生命は創業時より証券配当付保 険を販売し1897年末の大決算より8年(1913年より5年)毎に配当を実施。③ 帝国生命は福原社長の外遊後,米国同様保険契約者への利益分配(配当)によ る事業伸長を企図,1902年から毎年配当付尋常終身保険(全期払終身保険)等 の有配当保険を発売。④第一生命は1906年10月に年払保険料の3%に相当する 初回配当を実施,1916年まで毎年3%の累加配当を継続。⑤千代田生命は1910 年発売の乙種満期保険につき1912年に年払保険料の4%に相当する初回配当を 実施(保険銀行時報社編,同,本紀 p. 119,補論 pp. 79-82)。

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近代個人保険需要の実証研究

を促進し16),その後も生保産業における資本集中(不良会社の整理を含む)

に適応して保険業法の改正がなされた17)。個人保険市場に一定の秩序をもた らし,生保産業の支払能力を国民の信頼に足るものにする上で,保険業法の 制度的な支えは個人保険市場の成長に極めて重要であったといえよう。

一方,このような国民の信頼醸成に向けた生保各社の経営努力や政府の監 督強化の積み重ねも然ることながら,消費者たる国民一人ひとりからすれば 保険金,解約返戻金および契約者貸付等(以下「保険金等」)の給付が約束

(契約)のとおりに履行されるのかが最大の関心事であり,当該生保会社,

更には生保産業全体に対する信頼(評価)は主に保険金等の給付実績の積み 重ねにより徐々に醸成されたものと推察される。近代日本の主な生保会社は 日清戦争,日露戦争,スペイン風邪18),関東大震災19),1927年の金融恐慌20)

16) 保険業法の実施と共に政府の監督は漸く軌道に乗った。保険会社の検査が厳 重に行われ,多数の会社が新契約の停止や整理の命令を受けた。また,1900年 末に発生した金融恐慌後財界は不況に陥ったため,不良生保会社の整理が急速 に進展した。第一次会社濫設期に設立された生保会社のうち数多くは経営基盤 が弱く,後に営業不振か主務官庁の営業停止処分により消滅,昭和初期まで営 業を続けていたのは14社に過ぎない。その後,当該14社の中にも合併や包括移 転となったものがある(宇佐見,同,p. 57,p. 61)。

17) 保険業法は①1912年,②1927年および③1933年に一部改正がなされた。①で は包括移転制度の法定,合併手続きの簡素化,不良会社の財産供託制等が,② では合併手続きの一層の簡素化,合併・包括移転の際の利益配当方法の変更を 認めたこと等が,そして③では株式会社,相互会社間の包括移転の容認,相互 会社の合併等の決議機関として社員総会の代わりに社員総代会を認めたこと等 が主な改正内容。②の改正では1927年の金融恐慌を踏まえ,政府による監督強 化を狙った改正原案のうち⒜不良会社に対する命令発動条件の広範囲化は国会 において否決,⒝基礎書類違反の法令違反対象追加は「特に重要なる事項」に 限定する原案修正が国会においてなされた(宇佐見,同,p. 167)。

18) スペイン風邪による日本の発病者は2,380万人,死亡者は39万人で,被保険 者死亡件数は1918~20年5月で合計17,900件。1917年度の被保険者死亡件数は 21,150件であり,その災厄の甚大さが分かる(宇佐見,同,pp. 110-111)。

19) 1923年9月1日の関東大震災では,政府が9月7日に「私法上の金銭債務の 支払延期および手形等の権利保存行為の期間延長に関する件」(支払猶予令)

の勅令を公布・施行(日銀金融研究所編,同,pp. 122-123)し,全ての債務の

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そして昭和恐慌21)等の際にも着実に保険金等を支払い続け国民からの信頼を 勝ち得て急速に成長した22)。新契約増減率はスペイン風邪流行の最中1918年 度は件数+36.2%,金額+40.0%(実質+6.4%)で,1919年度は件数+

34.2%,金額+50.2%(実質+22.8%)。同じく関東大震災の翌年1924年度 は 件 数 + 27.8%,金 額 + 32.0%( 実 質 + 27.1% )で,1925 年 度 は 件 数 +

期限が1か月間延長された。生命保険会社協会は9月10日に臨時総会を開催,

支払猶予令にかかわらず,手続きを簡易にして迅速に保険金を支払うこととし た。更に保険料払込猶予期間を支払猶予令よりも2か月延長。資金確保に万全 を期し農商務省と日本銀行に保険金支払に係る支払資金の生保会社宛融資を陳 情した(第一生命編,同,p. 119)。日本銀行は9月22日に生保会社に対する保 険金支払資金特別融通を承認した(日銀金融研究所編,同,p. 122)。関東大震 災 で の 支 払 は,死 亡 保 険 金 5,644 件,7,085,957 円,解 約 返 戻 金 12,067 件,

1,792,167円,保険証券担保貸付(契約者貸付)22,378件,6,175,800円。なお,

日本銀行の特別融通を受けたのは帝国生命(10万円),大正生命(2回で計30 万円)および日本医師共済生命(10万円)(宇佐見,同,pp. 112-114)。

20) 1927年の金融恐慌では銀行への取付が全国に広まり,政府は4月22日に3週 間のモラトリアム実施に関する緊急勅令を公布・施行した(日銀金融研究所編,

同,p. 134,p. 136)。生保会社は銀行休業日にも営業しモラトリアム実施中に もなるべく保険金支払に応じ,保険料払込についてはモラトリアムの適用を認 める処置(保険料の払込猶予)をとった(宇佐見,同,p. 134)。

21) 1929年7月発足の浜口内閣は金解禁の政策を以て日本経済の立て直しを図り,

緊縮財政と産業合理化政策を強力に推進,不況は深刻化,株価は暴落した。株 価指数(1921年=100)は1929年4月の99.8から12月81.8に低下。同年10月24 日に世界恐慌が勃発,不況は一層深刻化した。生命保険会社協会は1929年度決 算処理に関し政府に陳情,有価証券評価損相当額を暫く責任準備金より借り入 れる緊急措置は認められたが,株主(基金)配当と契約者配当を制限された。

同年12月決算会社33社中9社は前期配当実績を確保,残りは両方または一方を 減配または無配とした。更に1930年1月11日の金解禁で日本経済全般が恐慌状 態に陥り,株価指数は1930年10月44.6になった。1931年12月の犬養内閣成立時 公布・施行の「金貨幣または金地金の輸出取締りに関する大蔵省令」(金輸出 再禁止)により株価は順調に回復した(宇佐見,同,pp. 135-138)。

22) スペイン風邪や関東大震災は生保普及にはむしろ好材料であった(宇佐見,

同,p. 118)。関東大震災の翌1924年,保険金の迅速な支払や支払猶予期間に拘 わらず無制限に証券担保貸出(契約者貸付)を敢行した事が大いに世の好評を 博し,新契約も好績を挙げた(保険銀行時報社編,同,本記 p. 209)。

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近代個人保険需要の実証研究

19.5%,金額+23.0%(実質+25.8%)であった(図1参照)。宇佐見によ れば,1920年23)と1927年の銀行恐慌による銀行破綻の頻発が預金者に不安を 与え郵便貯金が激増したのと同様,生保産業が不況期における事業の安定性 を示し,1930,31年頃から金融機関としての地位が強く認識されるようにな った24)。金融恐慌と昭和恐慌等,昭和初期の経済情勢は生保各社の決算悪化,

配当格差,更には弱小生保会社の整理に繋がり五大会社(明治生命,帝国生 命,日本生命,第一生命および千代田生命)への契約集中を促した25)。五大 銀行(三井,三菱,住友,安田および第一)の市場シェアが上昇したのと同 様である(宇佐見,同,pp. 134-136,pp. 144-147および pp. 156-157)。

国民は金融機関としての生保産業を信頼し,より支払能力に優れた大手生 保会社を選好していた。生保各社の経営努力と政府の監督強化,そして保険 金等の給付実績の積み重ねにより,生保会社,更には生保産業の約束(契 約)の履行に対する国民の信頼が徐々に醸成された。この約束(契約)の履 行は,個人保険市場発展の核心的原動力であり,基底である。

⑷ 保険業法制定前後の状況

第一生命保険相互会社編の『第一生命百年史』によれば,保険業法制定後 創業の第一生命保険相互会社(現第一生命保険株式会社,以下「第一生命」)

は,当時の「保険は死ななければ損なもの」という国民の認識を「長生きす ればするほど得なもの」に変えるべく累加配当方式26)を採用したとされる

23) 1920年4月に川崎銀行王子支店に小取付,その後6月まで栃木,徳島,広島 および神奈川等の各地で休業・取付銀行続出。11月に東京の農工貯蓄銀行が休 業,12月に東京市内に銀行動揺(日銀金融研究所編,同,p. 110,p. 114)。

24) 総資産は,1921年末が五大銀行2,637,849,674円,五大会社205,962,216円,

1932年末は五大銀行4,148,369,191円(+57.3%),五大会社908,134,972円

(+340.9%)。11年間で五大銀行の総資産に対する五大会社の総資産は7.8%か ら21.9%に増加した(保険銀行時報社編,同,補論 p. 2に基づき算出)。

25) 五大会社の市場占率は1926年度が新契約高33.79%,保有契約高40.56%,

1931年度は新契約高56.83%,保有契約高53.34%(宇佐見,同,p. 147)。

26) 1917年に第一生命が,1925年に千代田生命が4.5%累加配当を実施。その後

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保険学雑誌 第 633 号

(第一生命保険相互会社編,2004,p. 56)。保険業法制定前,当時の「保険は 死ななければ損なもの」の意味するところは如何なることであろうか。

主に1901~02年に日本に進出した外国生保会社は,当初から主に養老保険 を販売し成功を収めた27)。米国系のエクイタブル生命とニューヨーク生命は,

本国でトンチン配当付保険28)を資産家の投資対象として高額の配当予想をつ けて販売,日本でも資産家の射幸心を煽り大口加入者を大量に獲得した29)

(小林,同,pp. 149-151)。高額の配当予想が加入動機のポイントとみられる。

1885~99年の東京銀行集会所ないし東京銀行協会社員銀行の定期預金金利

(6か月)(以下「東京定期預金金利」)(年平均)は年5.35%で,実質東京定

も帝国生命等が高配当主義を採用。累加配当は既払込保険料の合計に対し毎年 所定の率(4.5%や5%)の配当をするもの。5%累加配当の場合,配当開始 後20年経過で配当金が年間保険料と同額になり保険料払込が不要となって,以 後年間保険料を上回る部分は毎年現金受け取り。明治生命や日本生命等は最初 から保険料を低めにする低保険料主義を採用。低保険料主義会社は5年毎にま とめて配当し保険金買い増しの一時払保険料に充当する方式が多かったが,高 配当主義会社に対抗,順次毎年配当に切り替えた。高配当主義会社は利息計算 を割愛,中途死亡や解約の場合の比較もせずに養老保険の満期までの保険料合 計金額から配当金合計金額を差し引いたものを正味保険料と称し,低保険料主 義会社の商品と比較,募集上の利器とした(宇佐見,同,pp. 141-142)。

27) 外国生保会社の新契約は対内国生保会社比(年平均)で1904~06年度が件数 2.2%,金額11.3%,1907~11年度が件数1.2%,金額6.4%,そして1912~26 年度が件数0.7%,金額3.0%(日本経営史研究所編,同,p. 522,p. 625に基づ き算出)。外国生保会社の新契約は1929,30年度頃をピークに以後急減し,

1932年度以後は保有契約高も漸減した。内国生保会社の大部分は(世界)恐慌 中も減配しなかったが,外国生保会社は本国と同様減配したことと日本の政治 情勢の変化が原因(宇佐見,同,p. 190)。

28) 一定の期間を定めて剰余金を積み立て,期間満了前に解約・失効した契約の 剰余金を没収,継続契約のみに配当金を支払うもの。1906年制定のニューヨー ク州保険法はトンチン配当を禁止,本国の業績低下とともに両社の日本での競 争(力)もトンチン配当の廃止で低下した(小林,同,pp. 150-151)。

29) 1911年度の外国生保会社の1件平均保険金額は新契約2,675円(有業者1人 当たり所得の20.0倍),保有契約2,484円(同18.5倍)(日本経営史研究所編,

同, p. 625,大川編,同,p. 162に基づき算出)。

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近代個人保険需要の実証研究

期預金金利(東京定期預金金利マイナス卸売物価指数増減率)(年平均)は 年1.00%と預金の実質価値を保存できる水準にあった30)。保険銀行時報社編 の『本邦生命保険業史』によれば,保険業法制定直前の1899年当時,加入年 齢30歳,保険金1,000円,60歳満期の無配当養老保険の年払保険料は32.2

(明治生命)~28.6円(愛国生命)31)で,30年間の払込保険料合計額は966~

858円となる。また,解約返戻金は3年または保険期間の3分の1以上の保 険料払込等が要件とされ,その返戻率は既払込保険料の3分の1,5分の2,

2分の1および3分の2等で「半分以下のもの多し」と付記され,約款に甚 だしき寛厳の相違あることがわかり,無基準の会社も少なくないことが発見 されるとある(保険銀行時報社編,1933,本紀 pp. 100-102,補論 pp. 78-82)。

定期預金金利を年5%と仮定して毎年32.2円(年払保険料)を積み立てると 30年間で2,139円(元金の2.21倍)になるが,当該無配当養老保険の満期保 険金は1,000円で,税金を度外視すれば預金の方が2倍以上有利であった32)。 当時の中間層等にとって貯蓄の手段として預金と比べると,個人保険は死な なければ損なものに映ったのかもしれない。保険期間の3分の1以上経過等,

解約返戻金支払要件充足後に中途解約をしても,解約返戻金が既払込保険料 の半分以下になってしまう可能性もあった。

一方,宇佐見によれば,契約者配当は大正期に漸次増額され,昭和初期に おいて高配当主義の生保会社では既払込保険料の5~4.5%,低保険料の生 保会社でも責任準備金の3.5~3%程度の配当を実施していた。昭和恐慌に 際しても大部分の生保会社は配当率を維持し,契約者配当を武器に業績の伸

30) 生命保険協会編,1978,pp. 1068-1069,日本統計研究所編,1958,pp. 214 -215に基づき算出。なお,郵便貯金金利は1881年4月に年6%から7.2%へ,

1885 年 1 月 に 6%,1886 年 5 月 に 5.4%,同 年 9 月 に 4.2%,1898 年 4 月 に 4.8%,1904年9月に5.04%,1910年4月に4.2%,1915年4月に4.8%,そし て1930年10月に4.2%に設定された(日銀金融研究所編,同,pp. 24-144)。

31) 保険銀行時報社編,同,本紀 p. 100,24社比較表,補論 p. 82,第5表より。

32) 当時の全期払終身保険の年払保険料は金利年5%で積み立てると24~25年程 で保険金を上回る水準(保険銀行時報社編,同,本紀 p. 100に基づき算出)。

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保険学雑誌 第 633 号

長を図った。各社間の配当競争は募集界に幾多の問題を提供したが,契約者 配当の増加が有配当養老保険の貯蓄面の強調に貢献し,業界の規模拡大に寄 与したことは争われない(宇佐見,同,p. 212)。本城俊明編の『生命保険各 社配当表』(1930年10月,会社研究社発行)の予想配当表によれば,30歳加 入,30年満期,保険金1,000円の年払養老保険の配当金合計金額と配当金控 除後の保険料合計金額(以下「正味保険料」)は,明治生命(年払保険料 30.70円)が配当金414.40円,正味保険料506.60円,帝国生命(同36.00円)

が配当金753.30円,正味保険料326.70円(後に帝国生命は5%累加配当を実 施し,正味保険料が243.00円になった),日本生命(同31.30円)が配当金 404.75円,正味保険料534.25円,第一生命(同33.14円)が配当金693.44円,

正味保険料300.76円であった(生命保険協会編,1971,pp. 306-309)。正味 保険料が概ね450円以下ならば,満期保険金1,000円は正味保険料の2.21倍以 上となり,金利年5%の定期預金と同等かより有利な貯蓄になる33)

生保各社の経営努力と保険業法等の制度的な支え,そして保険金等の給付 実績の積み重ねにより,個人保険市場に対する信頼が徐々に醸成されると,

次第に個人保険市場において貯蓄機能が重視されるようになった。

4.近代個人保険需要の回帰分析

これまでの歴史的・計量的分析を踏まえ,主な推定期間を1902~39年度の 38年間とする回帰分析により近代個人保険市場における需要要因を推定する。

推定期始は1900年の保険業法制定後,同年末の金融恐慌34)が終息した翌年に は個人保険市場に一定の秩序がもたらされていたと推測し1902年度とした。

33) 回帰分析の推定期間1902~39年の東京定期預金金利(年平均)は年5.21%

(実質年1.57%)と預金の実質価値を保存できる水準にあった(生命保険協会 編,1978,pp. 1068-1069,日本統計研究所編,同,pp. 214-215に基づき算出)。

34) 1900年11月に横浜蚕糸銀行支払停止,東京明治銀行臨時休業。同年12月25日 に熊本第九・熊本貯蓄の両行が臨時休業し,九州地方に銀行動揺拡大。翌1901 年1月には関東・伊勢・大阪方面にも銀行動揺拡大,3~4月に関西地方で銀 行動揺が激化,香川・長崎にも波及(日銀金融研究所編,同,p. 64)。

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近代個人保険需要の実証研究

推定期末は戦時統制が本格化する前年の1939年度である。

近代個人保険市場における需要は新契約件数,新契約高,保有契約件数お よび保有契約高の年次増減率(以下「被説明変数4系列」)で把握,需要要 因(説明変数)も長期経済統計等の年次増減率または年次階差を用いる。

本実証研究は保険業法制定後,戦前の戦時統制が本格化する前までの38年 間,すなわち近代日本の個人保険需要を推定する日本初の試みである。

⑴ 仮 説

これまでの分析によれば,推定期間(1902~39年度)における近代個人保 険市場の主な特徴は,①所得の増加(経済成長)とともに同市場が発展して きたこと,②当時の平常時の人口増加率を低下させる程の出来事は,それま での保険金等の給付実績(約束(契約)の履行)の積み重ねに裏打ちされて 個人保険需要を増加させる方向に作用したこと,そして③有配当養老保険は 日露戦争後の1907年度以降増勢となって,1918年度には同市場の典型となっ たことの3点である。回帰モデルの説明変数に置き換えると,生保需要は① 所得関連系列と正の,②人口増加率と負の,そして③契約者配当率すなわち 生保会社の資産運用実績と正の関数関係にあることが示唆される。

⑵ 計 画

本回帰分析に用いる被説明変数4系列は,1928年度以前は森荘三郎の「内 国生保会社の解約失効率」に,1929年度以降は第一生命編[2004]に基づき 整備した(日本経営史研究所編,同,p. 522,第一生命編,同,pp. 160-164,

pp. 219-222)。説明変数の候補は,次の8系列である。

所得関連系列は大川一司編の『日本經濟の成長率』に基づき①生産国民所 得,②実質生産国民所得の2系列を整備した(大川編,同,pp.160-161)。

物価関連系列は③卸売物価指数(1934~36年=1.00)を生命保険協会編の

『生命保険協会70年史』に基づき,④一般物価指数(1928~32年=100)を大 川編[1956]に基づき整備した(生命保険協会編,1978,pp. 1068-1069,大

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保険学雑誌 第 633 号

川編,同,p. 118)。金利関連系列は⑤東京銀行集会所ないし東京銀行協会社 員銀行の貸付金日歩の年利換算値(以下「東京貸付金日歩」)(率の階差)を 日本統計研究所編の『日本経済統計集』に基づき整備した(日本統計研究所 編,1958,pp. 214-215)。名目金利として取り扱う。⑥総人口,⑦同(男子)

および⑧同(女子)の人口関連系列は,1920年以前は日本統計研究所編

[ 1958 ]( 日 本 統 計 研 究 所 編,同,p. 6 )に,1921 年 以 降 は 総 務 省 統 計 局

[2012]に基づき整備した。なお,特に表示がない限り変数は増減率である。

本回帰分析は最小二乗法を用い,その結果については有意水準5%の t 検 定,系列相関,正規性,分散不均一および構造変化の検定35),更にデータの トレンド検定36)(以下「全検定」)を行う。原則として,全検定にパスし,修 正決定係数が0.5以上で,多重共線性の問題が無いモデルを回帰分析結果の 表に掲載する37)。例外のモデルを掲載する場合は,その旨明記する。また,

人口関連系列と被説明変数4系列には負の相関関係が認められる(図3参 照)。そこで,人口関連系列が説明変数に採択された場合は,符号の逆転で はないことを確認できるよう回帰分析結果の表に参考として,総人口を説明 変数に用いた単回帰分析結果を掲載する。

35) 系列相関は1~3次の Breusch-Godfrey 検定,正規性は Jarque-Bera 統計量,

分散不均一は White 検定(クロス(交差)項を含む),そして構造変化はステ ップワイズチャウテストを用いる。

36) 本計量分析で用いる変数は主に増減率で,その階差は変数の微分に相当する。

当該モデルにトレンドの影響を受けない有意な関数関係があるのであれば,当 該モデルの両辺の階差による回帰分析で両辺を微分しても,その関係は保たれ るであろう。評価軸は同回帰分析の t 検定で1つ以上の説明変数が有意水準1

%を満たすならば,当該モデルの両辺にはトレンドの影響を受けない有意な関 数関係が存在すると判断する。分析結果の表には同 t 検定の p 値を表示する。

37) 吉川洋によれば,賃金の変化率はほぼフィリップス・カーブに従い,一般物 価水準の動きは賃金に大きく依存する(吉川洋,1999,pp. 160-161)。名目所 得と物価指数の両増減率には有意な関数関係がある。本回帰分析では多重共線 性等,議論の混乱を避けるために,この2つの説明変数を併用しない。

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近代個人保険需要の実証研究

図3 被説明変数4系列と総人口増減率

注:①1934年度以降の値には団体保険を含む。

②総人口増減率は1920年以前は日本統計研究所編[1958]に基づき,1921年 以降は総務省統計局[2012]に基づき整備した。なお,総人口増減率の目 盛は反転している。

出所:日本経営史研究所編[1981],第一生命保険相互会社編[2004],日本統計 研究所編[1958]および総務省統計局[2012]を基に作成。

⑶ 新契約件数増減率の回帰分析

推定期間を1902~39年度とする回帰分析の全検定の結果,新契約件数のモ デルは6つに収斂し,修正決定係数は0.58~0.52であった(表1参照)。① 生産国民所得,②実質生産国民所得と卸売物価指数または一般物価指数を用 いた3つのモデルの説明変数(t 検定)は有意水準1%(表1モデル1,3 および5参照)で,東京貸付金日歩(率の階差)を加えたものは修正決定係 数0.57以上(表1モデル2,4および6参照)。東京貸付金日歩は,生保産業 の総資産利回りの代理変数である。推定期間1910~39年度では,総資産利回 り(率の階差)と東京貸付金日歩(率の階差)の相関係数は0.82で,総資産 利回り(率の階差)を被説明変数,東京貸付金日歩(率の階差)を説明変数 とする単回帰分析の結果,説明変数(t 検定)は有意水準1%,修正決定係

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保険学雑誌 第 633 号

数は0.66である38)

⑷ 新契約高増減率の回帰分析

推定期間を1902~39年度とする回帰分析の全検定の結果,新契約高のモデ ルは6つに収斂し,修正決定係数は0.60~0.54であった(表2モデル1~3,

5,6および8参照)。①生産国民所得,②実質生産国民所得と卸売物価指数 または一般物価指数を用いた3つのモデルの説明変数(t 検定)は有意水準 1%(表2モデル1,3および6参照)。新契約の有意水準1%のモデルは件 数,金額とも同じ説明変数を用いたものだが,説明変数の係数の値は金額の 方が若干大きい。新契約高の方が景気に敏感であることを示唆する。また,

総人口(女子)の符号は負であった(表2モデル2,5および8参照)。そこ で,説明変数に総人口(t 検定の有意水準10%)を用いた2つのモデル(表 2モデル4,7参照)も表2に掲載した。

⑸ 保有契約件数増減率の回帰分析

主な推定期間を1902~39年度とする回帰分析の全検定の結果,保有契約件 数のモデルは4つに収斂し,修正決定係数は0.59~0.52であった(表3モデ ル1~4参照)。しかし,4つとも1932,33年度から1935年度にかけて有意 水準10%前後の構造変化を検出。1931年9月に満州事変が勃発,翌1932年3 月には満州国の建国が宣言され,第一次世界大戦後の不況から脱する契機と なった(宇佐見,同,p. 153)。構造変化は満州事変以降の国内の好況による ものとみられ,推定期間の分割を試みた。⒜ 1902~33年度,⒝ 1902~25年 度および ⒞ 1917~33年度の3つで,⒜ は構造変化検出年度を推定期末,⒝

は大正期を推定期末,そして ⒞ はスペイン風邪流行の前年から構造変化検 出年度を推定期間とし約束(契約)の履行に注目したもの。

⒜ 1902~33年度の32年間を推定期間とする回帰分析の全検定の結果,保

38) 説明変数の係数は0.3759,t 値は7.5157,p 値は0.0000(第一生命編,同,

p. 94,p. 180および p. 232,日本統計研究所編,同,pp. 214-215に基づき算出)。

(20)

近代個人保険需要の実証研究

表1 近代の新契約件数増減率の回帰分析結果

䛆᭱ᑠ஧஌ἲ䠄OLS䠅䛇 䝰䝕䝹1 䝰䝕䝹2 䝰䝕䝹3 䝰䝕䝹4 䝰䝕䝹5 䝰䝕䝹6

⿕ㄝ᫂ኚᩘ ᪂ዎ⣙௳ᩘቑῶ⋡

⏕⏘ᅜẸᡤᚓ ಀᩘ 0.8292 0.8255

t್ 6.5346 6.8364 p್ 0.0000 0.0000 㸦ࢺࣞࣥࢻ᳨ᐃ㸧 p್ 0.0000 0.0000

ᐇ㉁⏕⏘ᅜẸᡤᚓ ಀᩘ 1.0007 1.0617 1.0150 1.0770

t್ 4.4948 5.0046 4.5848 5.1238

p್ 0.0001 0.0000 0.0001 0.0000

㸦ࢺࣞࣥࢻ᳨ᐃ㸧 p್ 0.0006 0.0007 0.0003 0.0003

ಀᩘ 0.8879 0.8471

༺኎≀౯ᣦᩘ

䠄1934~36ᖺ=1.00䠅 t್ 5.2437 5.2599

p್ 0.0000 0.0000

㸦ࢺࣞࣥࢻ᳨ᐃ㸧 p್ 0.0003 0.0003

0.8583 0.8215

t್ 5.3277 5.3852

୍⯡≀౯ᣦᩘ ಀᩘ

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p್ 0.0000 0.0000

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ᮾி㈚௜㔠᪥Ṍ ಀᩘ 5.5034 5.8404 5.9309

t್ 2.1834 2.2741 2.3361

䠄⋡䛾㝵ᕪ䠅

p್ 0.0358 0.0294 0.0255

㸦ࢺࣞࣥࢻ᳨ᐃ㸧 p್ 0.3472 0.5936 0.4739

ᐃᩘ㡯 ಀᩘ 2.8282 3.6842 1.7582 2.5026 1.8941 2.6296

t್ 1.3392 1.7996 0.7831 1.1654 0.8536 1.2442 p್ 0.1889 0.0806 0.4389 0.2520 0.3991 0.2219 㸦ࢺࣞࣥࢻ᳨ᐃ㸧 p್ 0.6722 0.6546 0.6506 0.6407 0.6890 0.6734

F᳨ᐃ

⤫ィ㔞 42.7010 25.9684 21.1399 17.4967 21.6888 18.1199

p್ 0.0000 0.0000 0.0000 0.0000 0.0000 0.0000

᥎ᐃᮇ㛫䠄ᖺᗘ䠅 1902-1939 1902-1939 1902-1939 1902-1939 1902-1939 1902-1939

OBS

38 38 38 38 38 38

0.5299 0.5744 0.5212 0.5722 0.5279 0.5813

Durbin-Watson᳨ᐃ

⤫ィ㔞 1.4530 1.4862 1.5996 1.6430 1.5866 1.6234

Breusch-Godfrey LM᳨ᐃ ⤫ィ㔞 2.4830 2.4216 1.5501 1.3205 1.6448 1.4986

䠄⣔ิ┦㛵 1ḟ䠅 p್ 0.1151 0.1197 0.2131 0.2505 0.1997 0.2209

Breusch-Godfrey LM᳨ᐃ ⤫ィ㔞 3.5230 2.9910 2.2838 1.6424 2.3028 1.7509

䠄⣔ิ┦㛵 2ḟ䠅 p್ 0.1718 0.2241 0.3192 0.4399 0.3162 0.4167

Breusch-Godfrey LM᳨ᐃ ⤫ィ㔞 3.8690 3.2625 2.6388 1.9375 2.8923 1.9122

䠄⣔ิ┦㛵 3ḟ䠅 p್ 0.2760 0.3529 0.4507 0.5855 0.4085 0.5908

Jarque-Bera᳨ᐃ

⤫ィ㔞 0.4930 0.2696 0.3421 0.3855 0.4580 0.4442 䠄ṇつᛶ䛾᳨ᐃ䠅 p 0.7815 0.8739 0.8428 0.8247 0.7953 0.8008

White᳨ᐃ䠄஺ᕪ㡯䜢ྵ䜐䠅 ⤫ィ㔞 1.6321 1.5408 3.7445 3.8574 4.0933 4.4161

䠄ศᩓ୙ᆒ୍䛾᳨ᐃ䠅 p್ 0.4422 0.9083 0.5868 0.9205 0.5361 0.8820

䝇䝔䝑䝥䝽䜲䝈䝏䝱䜴䝔䝇䝖 ᖺᗘ ʊ ʊ ʊ ʊ ʊ ʊ

䠄ᵓ㐀ኚ໬᳨ᐃ䠅 p್ ʊ ʊ ʊ ʊ ʊ ʊ

䈜ୖ఩2ᖺᗘศ ᖺᗘ ʊ ʊ ʊ ʊ ʊ ʊ

p್ ʊ ʊ ʊ ʊ ʊ ʊ

ಟṇỴᐃಀᩘ

注:①1934年度以降の被説明変数の値には団体保険を含む。

②東京貸付金日歩(率の階差)は,年利換算後の値を用いて算出した。

出所:日本経営史研究所編[1981],第一生命保険相互会社編[2004],大川 一司編[1956],日本統計研究所編[1958],生命保険協会編[1978]

および総務省統計局[2012]を基に作成。

(21)

保険学雑誌 第 633 号

表2 近代の新契約高増減率の回帰分析結果

䛆᭱ᑠ஧஌ἲ䠄OLS䠅䛇 䝰䝕䝹1 䝰䝕䝹2 䝰䝕䝹3 䝰䝕䝹4 䝰䝕䝹5 䝰䝕䝹6 䝰䝕䝹7 䝰䝕䝹8 ཧ⪃

ಀᩘ 0.8936 0.7563 t 6.7908 5.3903 p್ 0.0000 0.0000 㸦ࢺࣞࣥࢻ᳨ᐃ㸧 p್ 0.0000 0.0000

ಀᩘ 1.1300 1.0506 1.0111 1.1469 1.0695 1.0301

t 4.8678 4.6131 4.5715 5.0162 4.7265 4.6769

p್ 0.0000 0.0001 0.0001 0.0000 0.0000 0.0000

㸦ࢺࣞࣥࢻ᳨ᐃ㸧 p್ 0.0003 0.0005 0.0006 0.0001 0.0002 0.0003

ಀᩘ 0.9150 0.7357 0.7290

t 5.1826 3.7806 4.0474

p್ 0.0000 0.0006 0.0003

㸦ࢺࣞࣥࢻ᳨ᐃ㸧 p್ 0.0004 0.0023 0.0012

ಀᩘ 0.8953 0.7297 0.7176

t 5.3814 3.9068 4.1452

p್ 0.0000 0.0004 0.0002

㸦ࢺࣞࣥࢻ᳨ᐃ㸧 p್ 0.0001 0.0008 0.0005 ಀᩘ -13.8478 -12.8707 -29.6723

t -1.9036 -1.7662 -3.5199

p್ 0.0655 0.0863 0.0012

䠄䝖䝺䞁䝗᳨ᐃ䠅 p್ 0.2851 0.3385 0.0548

༺኎≀౯ᣦᩘ

䠄1934~36ᖺ=1.00䠅

୍⯡≀౯ᣦᩘ

䠄1928~32ᖺ=100䠅

⥲ேཱྀ

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F᳨ᐃ ⤫ィ㔞

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᪂ዎ⣙㧗ቑῶ⋡

-18.3941 -20.9818 -19.8538

-2.1735 -2.5265 -2.3831

0.0366 0.0163 0.0229

0.0757 0.0460 0.0638

7.7871 32.5226 6.5492 24.6918 34.7116 6.6416 23.4984 33.2960 3.5559 2.8110 2.7974 2.5209 3.0562 2.8983 2.3978 2.9233 0.0011 0.0080 0.0083 0.0166 0.0043 0.0064 0.0221 0.0061 0.6919 0.7548 0.6675 0.7307 0.7383 0.7059 0.7605 0.7693 46.1145 27.8045 22.3723 17.2407 19.3368 23.7257 17.8149 19.8248 0.0000 0.0000 0.0000 0.0000 0.0000 0.0000 0.0000 0.0000 ᥎ᐃᮇ㛫䠄ᖺᗘ䠅 1902-1939 1902-1939 1902-1939 1902-1939 1902-1939 1902-1939 1902-1939 1902-1939

OBS 38 38 38 38 38 38 38 38

0.5494 0.5917 0.5360 0.5684 0.5979 0.5513 0.5769 0.6042 ಟṇỴᐃಀᩘ

Durbin-Watson᳨ᐃ⤫ィ㔞

Breusch-Godfrey LM᳨ᐃ ⤫ィ㔞 䠄⣔ิ┦㛵 1ḟ䠅 p್

Breusch-Godfrey LM᳨ᐃ ⤫ィ㔞 䠄⣔ิ┦㛵 2ḟ䠅 p್

Breusch-Godfrey LM᳨ᐃ ⤫ィ㔞 䠄⣔ิ┦㛵 3ḟ䠅 p್

Jarque-Bera᳨ᐃ ⤫ィ㔞 䠄ṇつᛶ䛾᳨ᐃ䠅 p್

White᳨ᐃ䠄஺ᕪ㡯䜢ྵ䜐䠅 ⤫ィ㔞

䠄ศᩓ୙ᆒ୍䛾᳨ᐃ䠅 p್

䝇䝔䝑䝥䝽䜲䝈䝏䝱䜴䝔䝇䝖 ᖺᗘ 䠄ᵓ㐀ኚ໬᳨ᐃ䠅 p್

䈜ୖ఩2ᖺᗘศ ᖺᗘ p್

1.6255 1.6784 1.8096 1.9011 1.8847 1.7955 1.8803 1.8708 1.2146 0.7813 0.3611 0.0796 0.0987 0.4233 0.1107 0.1137 0.2704 0.3767 0.5479 0.7778 0.7534 0.5153 0.7393 0.7360 1.7091 1.1437 0.5817 0.4118 0.3062 0.6198 0.3642 0.2725 0.4255 0.5645 0.7476 0.8139 0.8580 0.7335 0.8335 0.8726 1.7190 1.1439 0.6215 0.4386 0.3074 0.6278 0.4047 0.2850 0.6327 0.7665 0.8915 0.9322 0.9586 0.8900 0.9393 0.9628 1.0930 2.5865 0.2481 0.3687 1.5506 0.2436 0.3829 1.5884 0.5790 0.2744 0.8834 0.8317 0.4606 0.8853 0.8258 0.4520 0.7790 3.4474 1.4514 5.2963 5.0679 2.0008 5.6773 5.4681 0.6774 0.6314 0.9186 0.8078 0.8284 0.8490 0.7717 0.7917

ʊ ʊ ʊ ʊ ʊ ʊ ʊ ʊ

ʊ ʊ ʊ ʊ ʊ ʊ ʊ ʊ

ʊ ʊ ʊ ʊ ʊ ʊ ʊ ʊ

ʊ ʊ ʊ ʊ ʊ ʊ ʊ ʊ

51.7586 4.8290 0.0000 0.7463 12.3895 0.0012 1902-1939

38 0.2354 1.6080 1.0406 0.3077 5.4047 0.0670 8.4768 0.0371 1.5599 0.4584 2.6661 0.2637

ʊ ʊ ʊ ʊ

注:1934年度以降の被説明変数の値には団体保険を含む。

出所:日本経営史研究所編[1981],第一生命保険相互会社編[2004],大川一司 編[1956],日本統計研究所編[1958],生命保険協会編[1978]および総 務省統計局[2012]を基に作成。

(22)

近代個人保険需要の実証研究

有契約件数のモデルは2つに収斂し,修正決定係数は0.63(表3モデル5,

6参照)。⒝ 1902~25年度の24年間を推定期間とする回帰分析の全検定の結 果,実質生産国民所得と東京貸付金日歩(率の階差)を説明変数とするモデ ル1つに収斂し,説明変数(t 検定)は有意水準1%,修正決定係数は 0.6639)(表3モデル7参照)。⒞ 1917~33年度の17年間を主な推定期間とす る回帰分析の全検定の結果,保有契約件数のモデルのタイプは大きく3つに 分かれた。1つは生産国民所得と東京貸付金日歩(率の階差)を説明変数と するもので同じく有意水準1%,修正決定係数は0.71(表3モデル8参照)。

2つは ⒜ と同じ実質生産国民所得,卸売物価指数または一般物価指数,な らびに東京貸付金日歩(率の階差)を説明変数とするもので同じく有意水準 1%,修正決定係数は0.77(表3モデル9,10参照)。そして,3つは総人 口を説明変数とする単回帰モデル(推定期間1917~34年度)で同じく有意水 準1%,修正決定係数は0.68(表3モデル12参照)。なお,トレンド検定に 難があるが総人口の単回帰モデル,生産国民所得と総人口を説明変数とする モデルも掲載した(表3モデル11,13参照)。

⑹ 保有契約高増減率の回帰分析

推定期間を1902~39年度とする回帰分析の全検定の結果,保有契約高のモ デルは7つに収斂し,修正決定係数は0.65~0.56であった(表4モデル1~

4,6~8参照)。モデル3~4とモデル6~8の説明変数(t 検定)は有意 水準1%で,中でも実質生産国民所得,東京貸付金日歩(率の階差)および 総人口を説明変数とするモデルは頑健(robust)である(表4モデル6参 照)。有意水準10%の構造変化はあるが保有契約件数にも同じ説明変数を用 いたものがある(表3モデル3参照)。なお,実質生産国民所得と東京貸付 金日歩(率の階差)を用いたモデルは修正決定係数が0.5未満ではあるが人

39) 当該モデルの Durbin-Watson 統計量は2.0より大きく負の系列相関が認めら れる。説明変数の符号は共に正であるが,推定期間内の説明変数が逆相関とな った年が散見されたことによる。

参照

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