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雑誌名 明治学院大学国際学研究 = Meiji Gakuin review

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(1)

人身取引対策の福祉社会開発論的考察―タイ日間の 人身取引被害者支援の事例から―

著者 齋藤 百合子

雑誌名 明治学院大学国際学研究 = Meiji Gakuin review

International & regional studies

巻 46

ページ 51‑64

発行年 2014‑10‑31

その他のタイトル Human Trafficking Policy Seen from the

Perspective of Social Development Theory: Case Studies in the Support of Survivors of Human Trafficking between Thailand and Japan

URL http://hdl.handle.net/10723/2144

(2)

【研究メモ】

人身取引対策の福祉社会開発論的考察 

――タイ日間の人身取引被害者支援の事例から――

齋 藤 百合子

はじめに 人身取引対策における被害者支援 の課題

グローバル化が進展する現代の人身取引課題に 対して,国際社会が地域間協力も含めて本格的な 対策を講じるようになったのは国連総会で国際組 織犯罪防止条約に付帯する人身取引議定書が採択 され,人身取引の定義が明確になった

2000

年から である。国際社会はこの頃から人の取引を,

Human Trafficking(人身売買)から Trafficking in Persons

(人身取引)と呼称するようになった。日本政府 も人身売買という呼称を改めて,人身取引という 用語を使用するようになった。

現在,国際社会で取り組まれるようになった人 身取引対策は加害者の摘発と訴追(Prosecution),

被 害 者 の 保 護 (

Protection), 人 身 取 引 の 防 止

(Prevention)の英語の頭文字から

3Pと呼ばれ,

この

3Pを中心に実施されてきた。近年は,3

つの

Pに「パートナーシップ(Partnership)」や「国際協 力の促進(Promotion of International Cooperation)」(1)

を加えて

5

つのPとも呼ばれている。さらに,人 身取引対策

5Pに加えて,被害者の保護と支援を

強調した人身取引対策の原則は

3

つのRの「救出

(Redress),回復(Recovery),再統合(Reintegration)

に表れている。

人身取引被害者の保護および支援,そして防止 への取組みの指針は,人身取引議定書の人身取引 の被害者の保護について規定する第

6

条「人身取 引の被害者に対する援助及びその者の保護」,第

7

条「受入国における人身取引の被害者の地位」,第

8

条「人身取引の被害者の送還」のほか,防止,

協力及びその他の措置について規定する第

9

「人身取引の防止」に示されている。議定書の規 定と上記の

3

つのRによる保護・支援原則に照ら すと,人身取引の被害者の保護と支援は以下のよ うな手順で政府や民間団体などを通じてなされて いることが多い。

1

ステップ:人身取引からの救出と保護(人身 取引議定書 第

6

条に相当)

身柄の確保,緊急一時避難所など安全な場所 や多言語対応,心身の医学的支援,物資の提 供,損害賠償請求など法的支援,雇用訓練や 教育機会の提供など。

2

ステップ:被害の回復支援(人身取引議定書 第

7

条,第

8

条に相当)

被害者の非犯罪化と在留資格の付与(第

7

条), 帰国支援など。

3

ステップ:社会への再統合と人身取引の防止

(人身取引議定書 第

9

条に相当)

人身取引対策における被害者支援における被害 者とは,人身取引という犯罪の被害者という側面 と,保護および支援においてソーシャルワークの 対象者(=クライエント)との側面があり,どち らも,被害者(=クライエント)として認定(選 別)された人しか援助や支援などの社会的なサー ビスを享受できない。社会福祉における選別主義 はスティグマを生じさせ,人身取引対策における 被害者の保護や支援を限定的なものとする。社会 的なサービスが被害者のニーズに合わずに失敗す

(3)

れば再被害を生じさせる要因ともなり,新たな被 害の防止にはなりえない。現代の国際社会での共 通課題である国を超えた人身取引の被害を防止 し,被害者を保護および支援し,そして加害者を 裁くという人身取引対策を推進するために選別主 義を越えた社会開発など新たな視座が必要ではな いだろうか。

本稿は,人身取引被害者対策の,被害者支援,

とくに再統合課題において,選別した被害者に限 定的に対応する選別主義的なアプローチではな く,認定されなかった被害者や潜在的な被害者を 含む,より広義の被害者支援を福祉社会開発とし て論じるための概念を整理し,福祉社会開発の事 例として,元人身取引被害者らのセルフヘルプグ ループの活動を分析することが目的である。

1. 問題の所在―人身取引対策における被害 者支援の課題

まず,人身取引対策における被害者支援の課題 を整理する。これまでの選別的な保護や支援がな されてきた課題は大きく

3

つの課題としてとりあ げることができる。

1

に,人身取引被害者の認定が難しいことで ある。被害者を認定するべき立場の警察や出入国 管理局(以下,入管)やシェルターの職員の多く は,人身取引の構造など背景がわからず,また外 国人被害者の言語のバリアが被害者の心情やニー ズの把握や真実の供述を促す信頼関係の醸成を妨 げている。東欧から北欧に人身取引された被害者 支援に関する調査研究を重ねているブルノヴスキ スとサーティーズは,人身取引被害者がなぜ認定 されないかとの要因をいくつか挙げている。人身 取引加害者は被害者をマインドコントロールして いること,非合法的な在留や就労を強要されるこ とが多いために,警察など当局よりも加害者側に 信頼感や忠誠心を植え付けている。また,人身取 引被害の可能性のある人々(主に女性)はスナッ クやバーなど飲食店で行われる性サービスや性風 俗店で摘発された中にいることも多いが,その捜 査の際に,「被害者らしからぬ」態度(煙草を吸う,

酔っぱらう,悪態をつくなど)が,捜査官らの「被 害者らしさ」の型にはまらないと被害者と認定さ れることは困 難である(

Brunovskis and Surtees 2012:33-39)。よって,人身取引の被害に遭っても

被害者に認定されていない人々も少なくないと推 測される。

さらに人身取引被害当事者が自身を被害者であ ることを認めたがらないことも多い。その理由は 加害者側にマインドコントロールされていること もあるし,当局に「被害者」として認められると 正規の在留資格をもたない外国人は本国に送還さ れてしまうことを恐れているからでもある。人身 取引被害者の可能性がある人々にヒアリングする 際に留意すべき点を,世界保健機構は「人身取引 された女性とのインタビューのための倫理と安全 性に関する提言」(2)としてまとめている。

人身取引被害者が自身を被害者であることを認 めたがらない場合は,人身取引被害者としてでは なく,違法者として強制退去の対象にされてしま うことも多い。また,人身取引被害者認定のプロ セスには,過去に被害を受けた人々は基本的には 含まれない(3)。人身取引被害者は厳しい選別の末 に認定されているのである。

当局が認知しやすい方法でしか被害者が認知さ れないこれまでの被害者認知方法について,ティ ルダムとブルノヴスキスは批判的に検討した。そ れは直近に発生した人身取引だけでなく,過去に 発生した人身取引や,人身取引とはみなされない かもしれないが何らかの搾取に遭っている人や,

移民などより広い範囲の人々を対象とした調査方 法を提起している(Tyldum & Brunovskis 2005:17)。

2

に,認定(選別)された人身取引被害者に 対して,ソーシャルワークの場では売春を強要さ れた女性,被害者は心身ともに傷ついて弱い人と いうスティグマが付される。このスティグマは,

「支援する人(助ける人)」と「支援される人(助 けられる人)」との役割を固定し,偏った見方を助 長する。たとえばシェルターなど居住型施設では さらに男女の役割を固定化する,家計の補助的収 入しか望めない「女性らしい仕事の職業訓練(4)」 が提供されることが少なくない。また先行調査研

(4)

究では,日本で就労できると騙されて人身取引被 害に遭った女性の中には,自分のためだけでなく 家族の窮状の救済とよりよい将来のための移住労 働の機会を選択し,その過程で搾取という人身取 引の被害に遭った女性も少なくない(Human Rights

Watch 2000, Cauette

& Saito 1999,如田&青山

2007:56)。しかし偏見は,こうした女性たちが持っ

ていた「強さ」を照射せずに,スティグマを強化 する。

3

に,人身取引後の生活再建など社会的な再 統合に関する取り組みが限定的である。人身取引 に起因する,人身取引後の困難はさまざまである。

たとえばタイ出身の無国籍の女性(両親と彼女 は中国出身の難民としての在留資格でタイに滞在 していた)が人身取引で日本に連れて行かれたま ま

20

年以上日本に滞在し続け,支援の手が入って ようやく帰国できた。これは無国籍という脆弱性 が背景にある事例である(齋藤 2010a)。また,

HIV

感染や帰国後の経済的な困難や,家族や地域 社会の社会的排除の困難が要因で発症した鬱状態 など心身の健康被害や,日本で知り合った男性(元 買春客,ブローカーを含む)との離婚や,その男 性との間に生まれた子供の国籍や養育の課題は

(人身売買禁止ネットワーク/お茶の水女子大学

2005:117)は,間接的に人身取引に起因したもの

だ。

このような困難に直面するサバイバーたちに対 して,絡まった糸をほどくような対応が求められ る。しかし,人身取引被害者の帰国後の生活困窮 や健康に対する中長期的な支援は限定的である。

脆弱性が除去されず,生活再建が困難である場 合には,新たな脆弱性を生み出す。こうした脆弱 性は,被害に遭った当人および次世代の人身取引 の再被害化のリスクを生じさせ,負の連鎖を断ち 切れない。人身取引被害者の再統合支援は,人身 取引被害者に認定(選別)された人々に対して限 定的に,短期的に行われるのではなく,人身取引 被害者と認定されていなくても,人身取引に起因 して発生している課題に対応することが求められ ているのではないだろうか。

国際社会において,人身取引議定書が採択され た

2000

年以降人身取引策は活性化しているよう だが,地域社会(コミュニティ)から見ると,人 身取引被害者の生活再建を支え,人身取引再被害,

そして新たな人身取引を防止するための対策はい まだ乏しい(Lisborg 2009:1)

1 潜在化した人身取引被害者と認識された人身取引被害者

出所)Tyldum & Brunovskis 2005より,齋藤百合子が翻訳 政府が法的に認定した

被害者

搾取された

NGO

や社会サービ 人々

ス機関が認識した 被害者

移民,移住して きた人々 人身取引被害者

(5)

2.福祉社会開発の概念の検討

(1) エンパワーメント

では,こうした人身取引対策としての被害者支 援はどうあるべきか。被害者支援において大事な 概念のひとつにエンパワーメントがある。エンパ ワーメントという考え方は社会福祉や政治学,そ して開発学などさまざまな分野で用いられてい る。社会福祉分野において最初にエンパワーメン トが用いられるようになったのは

1950

年代から

1960

年代にかけて黒人の公民権運動が盛んなアメ リカだった。ソーシャルワークにおけるエンパ ワーメントの概念やその歴史を研究している久保 は,エンパワーメントの定義を「エンパワーメン トとはスティグマを負った人々が社会のなかで関 係を取り結び,そして価値ある社会的役割を遂行 するようにスキルを身につけるべく援助される過 程。エンパワーメントの活動は問題解決の過程が 否定的評価に対抗するために機能する」としてい る(久保 1995:22)。

ま た , フ リ ー ド マ ン は 政 治 学 の 立 場 か ら 力

(power)の源となる市民社会の資源には①生活 空間,②余暇,③知識とスキル,④適切な情報,

⑤社会組織,⑥社会ネットワーク,⑦仕事と生計 の手段,⑧現金収入や信用の

8

つの基盤があると し,貧困状態とはこれらの力が剥奪された状態

(dis-empowerment)にあるとする。そして,その 状態から力を得て市民社会の基盤を獲得するプロ セスをエンパワーメントと呼んでいる(フリード マン 1995,穂坂 2013:13)。

さらに開発学においては,佐藤が援助とエンパ ワーメントを能力開発と社会環境変化の組み合わ せとしてとらえている。エンパワーメントの構成 要素には,①当事者の「気づき,主体的意欲」(心 理的変化)が,エンパワーメント達成過程におい て大きな役割を果たすこと,②外部者(ドナー,

政策当局者)の機会付与(訓練・教育や資金など のサービス提供)によって,当事者が「能力開発

/能力開花」を経験することが,エンパワーメン トのための中核的な活動であること,③こうして

「得られた/付与された」能力は,社会的な制約 のためにそれだけでは十分に機能するとは限らな いので,外部者はこの能力を発揮しやすいような 社会環境づくりを働きかけるという,3つの要素 であると述べている(佐藤 2005:8-9)。

このようにエンパワーメントという言葉は,社 会福祉,政治,そして国際協力や支援を考える社 会開発の分野において「スティグマを負った人」

や「力の剥奪状態にある人」,そして援助対象とな る貧困層を対象とした実践的な概念であり,人身 取引被害者支援を考えるときの重要な考えであ る。

(2)

福祉社会と社会開発の融合としての福祉社会 開発

本節では,エンパワーメントの考え方を適用し ながら,エンパワーメントを発展させたものとし て「福祉社会開発」を規定する。この場合,エン パワーメントの対象者は「スティグマを負った人」

や「力の剥奪状態にある人」だけではなく,広く 一般の「わたしたち個人」も含まれる。対象が一 般化することでエンパワーメントがこれまで用い られてきた意味が薄弱になる恐れもあるが,エン パワーメントという言葉の中に潜む「スティグマ を負った人」「力を奪われた人」が弱者として客体 化され,エンパワーされる人とエンパワーする人

(してあげる人)の非対照的で硬直的な関係が構 築されることを危惧するために対象をより広げ る。

福祉社会開発という言葉は,現代の新たな福祉 課題を取り扱う社会福祉の理論と,開発学や社会 開発に関する理論を融合させている。福祉社会開 発学は現在,日本福祉大学を中心に構築されつつ ある社会政策理論である。福祉社会開発学の背景 には,アマルティア・センのケイパビリティやエ イジェンシー論(穂坂 2013),そしてジェームス・

ミジレイの社会政策としての「社会開発」論(ミ ジレイ 2005,穂坂 2005)がある。

福祉社会開発学の中心的な研究メンバーの穂坂 は,福祉社会開発を「個人が,生活能力を,自他 の福利のために自らが属するコミュニティで行使

(6)

し,幸福感を得る行為主体となれるような福祉社 会を実現するための,ミクロ・メゾ・マクロレベ ルの政策的な形成」(穂坂 2009:9-12)と定義して いる。この定義を構成する言葉の中には,いくつ かの重要な概念が含まれている。たとえば「個人 が,生活能力を,自他の福利のために自らが属す るコミュニティで行使し,幸福感を得る行為主体」

の中には,センの「潜在能力」と訳されることが 多いケイパビリティがある。ケイパビリティは,

「本人の主体的選択が妨げられないのみならず,

物理的に達成可能でもあるような自律的活動の選 択機会」(鈴村・後藤 2001:272)を「生活能力」

との言葉に凝縮していると考えられる。この文に は,センの中心的な自由に関する概念の「福祉的 自由」と「行為主体的(エイジェンシー)自由」(5)

が含まれている。この場合の福祉とは,選別主義 的な福祉(welfare)ではなく普遍主義的な福祉

(well-being)である。また,行為主体という言葉 はセンの概念を援用して「行動し,変化をもたら す人,そしてその達成度が自分自身の価値と目的 によって判定される存在」をエイジェント(agent)

とし,「人をしてそのように責任をもって生き方を 選びとるエイジェントたらしめる力(ないしそう いう力を媒介する媒体)がエイジェンシーである

(穂坂 2013:19)。

先行研究によれば,1980年代から

1990

年代に かけてブローカーに騙されて日本で人身取引の被 害に遭って被害者とされた女性たちの中には故郷 を離れて異国での就労機会に期待した理由に,「本 人以外の,たとえば子どもや親など近親者の福祉

(well-being)の向上」があった(Caouette & Saito

1999,

如田&青山 2007)。このような目的を設定

して,それを追求する人々の意思と行為が,人身 取引によって,妨害されたのである。人身取引被 害者は,人権を侵害される被害に遭っており,そ の被害回復のための支援は必須だが,決して無力 で,自分で立てない存在ではなく,「本人以外の,

たとえば子どもや親など近親者の福祉(well-being)

の向上」のための行為主体,つまりエイジェント としての行為を果たそうとしていたのである。

さらに,「福祉社会を実現するための,ミクロ・

メゾ・マクロレベルの政策的な形成」は,エスピ ン・アンデルセンの生産主義的福祉(6)を適用し,

またコミュニティ開発の考えも取り入れたミジレ イの「社会開発」の考え方を反映している。ス ウェーデンなど福祉国家の生産主義的な福祉は,

一方で,福祉国家と呼ばれる国での国家予算規模 の違いを理由に北欧以外の国々では消極的であ る。ミジレイはコンリーとの共著

Social Work and Social Development

で社会開発を実現するための 開発的ソーシャルワークの理論を提唱し,アメリ カ合衆国や南アフリカ共和国における子ども,高 齢者,メンタルヘルス,障がい者,若年ホームレス を対象とした社会福祉の分野で,コミュニティで の実践や社会的企業の設立,行政の投資などの実 践事例から福祉国家ではない国においても,当事 者(ミクロ),コミュニティや地方行政(メゾ),

政府や国際社会(マクロ)における社会の変容や 福祉社会の実現可能性を提示している(

Midgley and Conley 2010)。

本稿では外国で人身取引の被害に遭ってタイに 帰国した女性たちをサバイバーと呼ぶ。サバイ バーによる生活再建など社会再統合支援事例は,

当事者(ミクロ),ピアサポートグループなどの新 たなコミュニティなどの中間組織の存在や地方行 政(メゾ),政府や国際社会(マクロ)において変 容が見られる。これは,新たな福祉社会開発の一 例となり得るのではないと考える。

(3)

ケイパビリティ・アプローチによる女性の 人間開発

センのケイパビリティ・アプローチから発展し た福祉(well-being)とエイジェンシー論とミジレ イの社会政策的な社会開発の理論を取り入れ構築 されつつある福祉社会開発の理論は,個人の幸福 や満足よりも社会の発展のための個人のケイパビ リティの効用に重きが置かれて論じられているよ うな印象を否定できない。そのため,ヌスバウム の女性の人間の開発について考えてみたい。

センと共にケイパビリティ・アプローチの理論 を発展(7)させてきたヌスバウムは,センのケイパ ビリティ・アプローチとの微妙だが重要な違いを

(7)

著書

Women and Human Development

において福 祉社会開発理論の検討にもつながる点を表明し ている。ヌスバウムはひとつは,中心的な人間の 機能を示すケイパビリティのリストを提示した が,センの福祉(well-being)という概念が功利主 義と結びつき(リストが明示されていないために)

実際の活動を伴わずに展開される可能性があるこ と,また,権利とケイパビリティの関係において,

ヌスバウムはひとりひとりの権利を中心的な人間 のケイパビリティとしてとらえているが,センは 権利を副次的なものにとらえていることである

(Nussbaum 2000:14)。

哲学や倫理学を背景とするヌスバウムは,微妙 だが重要なセンとの違いを指摘した上で,とくに 女性のケイパビリティを深く洞察し,実現すべき 中心となる人間の機能的ケイパビリティを①基礎 的なもの,②内的なもの,③複合的なものと

3

に分類し(ヌスバウム 2005:14-17),さらにそれ を基に

10

項目のリストにした(Nussbaum 2000:78-

80,ヌスバウム 2005:92-95)。ジェンダーの格差

や女性ひとりひとりの人間開発についての視座を もつヌスバウムのケイパビリティ・アプローチに よる人間開発は,本章でとりあげる人身取引サバ イバーの女性たちの分析にも有効であると考え,

センの福祉とエイジェンシー論と併せて福祉社会 開発の基礎部分を補完するものとして援用する。

ヌ ス バ ウ ム の 人 間 開 発 と し て の ケ イ パ ビ リ ティ・アプローチを採用するため,福祉社会の開 発においてミクロレベルやメゾレベルでしばしば 言及されるコミュニティは,地理的な集合体の地 域社会に限定せず,個別のニーズによって同じ課 題を抱える者同士が,地理的な制約を超えた集ま りとしても使用する。ヌスバウムが示したこの機 能のリストが示したケイパビリティ・アプローチ 中心となる人間の機能的ケイパビリティ

1

生命 正常な長さの人生を最後まで全うできること。

2

身体的健康 リプロダクティブヘルスを含む健康。適切な栄養を摂取でき,適切な住居に住むこと。

3

身体的保全 自由に移動できること。主権者として扱われる身体的境界をもつこと。DVや子どもへの暴 力がないこと。性的満足の機会や生殖に関する選択の機会をもつこと。

4

感覚,想像力,

思考

想像し,考え,そして判断が下せること。読み書きや基礎的な数学的科学的訓練ができる こと。(中略)。宗教,政治,芸術の分野で自由と信仰の自由が保障され,想像力を働かせ ること(中略)。

5

感情 自分自身の周りの物や人に愛情を持てること。(中略)。愛せること,嘆けること,切望や 感謝や正当な怒りを経験できること(中略)。

6

実践理性 良き生活の構想を形作り,人生計画について批判的に熟考できること。

7

連帯

A

他の人々と一緒に,それらの人々のために生きることが出来ること。(中略)。正義と友情 の双方に対するケイパビリティをもてること(中略)。

B

自尊心を持ち屈辱を受けることのない社会的基盤を持つこと。他の人々と等しい価値を持 つ尊厳のある存在として扱われること。このことは,人種,性別,性的思考,宗教,カー スト,民族,あるいは出自に基づく差別から守られることを最低限含意する(中略)。

8

自然との共生 動物,植物,自然界に関心を持ち,それらと関わって生きること。

9

遊び 笑い,遊び,レクリエーション活動を楽しめること。

10 A

政治的環境 自分の生活を左右する政治的選択に効果的に参加できること。政治的参加の権利を持つこ

と。言論と結社の自由が護られること。

B

物質的環境 実質的に土地や動産の資産の権利をもつこと。他者と同じ財産権を持つこと。雇用を求め る権利をもつこと,不当な捜索や押収から自由であること。

出所)Nussbaum 2000およびヌスバウム 2005より筆者作成。

(8)

は,生命体としての人間の基本的,内的,複合的 なケイパビリティのための,ひとりひとりの人と しての権利を全うすることが可能なアプローチで ある。このアプローチをコミュニティに取り入れ ることで,社会的に排除されている,もしくは,

される恐れのある人々-たとえば出自や民族によ る被差別者,性的少数者,性産業従事者(人身取 引被害者を含む),感染症患者,受刑後の犯罪者,

など個別のピアサポートなどのグループ活動の形 成やコミュニティ内での場の創成,そしてその活 動から派生する地域社会との連動など,福祉社会 形成や開発を促す可能性があるのではないかと考 える。

(4) 小括:福祉社会開発の定義

上記で,エンパワーメントから福祉社会開発へ の展開,センのエイジェンシー論,ミジレイの福 祉社会と社会開発の理論に基づいた社会開発アプ ローチによる実践,そしてヌスバウムのケイパビ リティ・アプローチによる人間開発を見てきた。

ここで,本稿における福祉社会開発を穂坂の定義 を援用しながら,ヌスバウムのケイパビリティ・

アプローチも取り入れて,次のように定義する。

「個人が,人間としての生存と生活能力を確保 して,自他の福利のために自らが属するコミュニ ティ(地理的な地域社会に限定しない)で行使し,

幸福感を得る行為主体となれるような福祉社会を 実現するための,ミクロ・メゾ・マクロレベルの 政策的な形成。ミクロは,個人の内的なレベルと,

家族,親密な関係にある者など外的なレベルに分 けられる」。

3. 人身取引対策におけるサバイバーの社会 再統合の検討

(1) ダークスの社会再統合の定義と帰国後の課題

次に,人身取引対策における被害者支援のひと つである社会再統合を,福祉社会開発論から検討 する。

人身取引課題における再統合の定義をダークス は「再統合とは新しく統一もしくは結合すること」

とシンプルに定義した(Derks 1998:7)。社会再統 合を第

1

段階の個人レベル,第

2

段階の家族と地 域社会レベル,第

3

段階の国レベルおよび国際レ ベルの

3

つの段階に分け,それぞれの段階に合っ た支援を促した(Derks 1998:194-195)。

人身売買禁止ネットワークは,「タイ日移住女性 ネットワーク

Self Empowerment Program of Migrant

Women」(以下,SEPOM)の協力を得て,2005

に実施した調査結果をダークスの社会再統合

3

段 階にあてはめて考えてみる。

1

段階の個人レベルでは,日本での人身取引

(売春の強要)で,避妊具を使用することが許さ れず,HIV感染の不安があった。また,帰国後に 日本での厳しい経験は語らないまま経済的恩恵を もたらさなかった女性が家族に非難されるという 家族の軋轢が生じていた。さらにそうした葛藤か ら心身の健康を疎外していた。第

2

段階の地域社 会レベルでは,帰国女性に経済的な力が備わって いないと,性ビジネスに従事していたことなどに より差別的な態度をとられていた。また,かつて 被害者だった女性が加害者側に転じている事例も 報告されていた。第

3

段階の国レベルもしくは制 度レベルでは,日本の出入国管理局の課題と無国 籍状態の子供の課題が散見された。すなわち人身 取引後に日本人男性と同棲や結婚した女性たち の,日本への渡航ビザが発行されない課題があっ た(人身売買禁止ネットワーク 2007:116-118)。

SEPOM

は,タイではじめての人身取引サバイ

バーによってピアサポートや共通の課題(職業能 力開発や起業に関する経済的側面,子どもの養育 や国籍)を解決するために設立されたセルフヘル プグループである。設立は,1997 年にチェンラ イ 県 と パ ヤ オ 県 で 国 際 移 住 機 関 (

International Organization of Migration 以下, IOM)が実施した,

日本で人身売買の被害経験がある女性たちの帰国 後の実態調査がきっかけだった。この時の調査の ヒアリング後に「誰にも話したことがなかったこ とを今日はきだせた」「頭の中,心の中が整理され た感じ」そして「同じような経験をした人と何か できるかもしれない」との感想が複数の被調査者 から聞かれた。ある経験を通して,その経験を振

(9)

り返り,言葉にし(概念化し),次の行動に進む力 を得る,という循環が,ピアサポートグループを つくりたいとの思いとなって昇華し,SEPOMが立 ち上がった。その時の調査研究は

To Japan and Back Thai women’s experiences in Japan

(日本へ,

そしてタイに帰国 日本から帰国した女性たちの 経験)とのタイトルで

Cauette

と齋藤が執筆し,

IOM

から

1999

年に発刊された(8)

SEPOM

は活動の一環として,被害当事者による

ピアサポートを目的に,日本からチェンライ県に 帰国した女性たちのアクションリサーチをチェン ライ県内

7

郡において

2002

年から

2006

年にかけ て実施した。その第

1

次調査分析が如田と青山に よって記されている(如田&青山 2007)。

また国際労働機構(International Labor Organization,

以下 ILO)は,フィリピンとタイで外国から帰国 した女性たちの支援プログラムを実施している

NGO

や地方自治体を対象に

2007

年から

2009

年に かけて帰国者支援事業と,

59

人からのヒアリング を実 施し た(

Lisborg 2009,Lisborg & Plambech

2009:4)

(9)。同報告書で指摘された人身取引サバ

イバーたちが社会再統合するための主なニーズ は,新たな技術を身につけて仕事をすること,ピ ア(仲間)やプロのカウンセラーらによる感情的・

精神的なサポート,権利に基づいて被害に対する 公平な判決のための法的アドバイス,新たな生計 手段のための起業のための貸付資金,人身取引被 害者支援金(10),身体の健康チェック,人身取引者 の仕返しからの保護だった(Lisborg 2009:3)。こ の

ILO

の事業のコンサルタントのリスボルグは実 施した支援プログラムの成果を分析し,①当事者 たちが望んだプロジェクトを実施し,②経済エン パワーメント活動は参加の機会や他のサービスの 情報を得ることが可能となり,③多くの人が参加 するので共同作業から社会的な統合を促し,④経 済エンパワーメントは,失敗した外国出稼ぎとの スティグマを軽減し,⑤経済エンパワーメント活 動は地域社会での社会統合を促し,搾取の危険が ある再移住を防止する効果があるとした。一方,

①ジェンダーに即した料理や縫製など,「女性らし い仕事」,市場に合った仕事以外の訓練ができな

かったこと,②仕事の技術訓練が目的となってし まい,価値ある仕事づくりまで到達しなかったこ と,③技術訓練は作業療法としてトラウマ軽減を 果たしたが,プロとして市場を意識した活動では なかったこと,④帰国者個々の思いや関与の強弱 に配慮できなかったこと,を課題としてあげてい る(Lisborg 2009:3)(11)

2007

年から

1

年半の間,ILOの投入によって,

SEPOM

が事務所を置いていた,チェンライ県庁所

在地のムアン郡のほか県内

6

郡で,起業支援を目 的としたマイクロクレジットなどのセルフヘルプ グループの活動を展開した。起業した事業内容は,

畜産(豚,鶏,食用コウロギ),漁業(養魚,食用 蛙),農業(野菜),廃品回収,日本食レストラン

(ラーメン屋)経営などであった(齋藤 2010b:43)。 しかし,

ILO

の資金助成が

2009

2

月に終了し た頃から,

SEPOM

ではマイクロクレジット以外の 活動は停滞,休止した。その要因は

3

点考えられ る。ひとつは,リスボルグも記しているように

ILO

の職業支援(起業)プログラムは,トラウマの軽 減のための作業療法的な色合いが強く,市場に合 わせた持続発展可能なビジネスの萌芽とはならな かった。作業療法的な支援は,資金的な継続性を 担保することが難しく,活動は停滞もしくは休止 した。2点目は,2008年の反人身取引法によって 制度化された人身取引被害者支援基金に関して情 報の混乱があったことである。

2008

年の反人身取 引方が成立し,制度化された同時期,帰国した人 身取引被害者,つまり被害者支援基金受給対象者 を対象に

ILO

がプロジェクトを展開していたが,

同法成立直後には申請手続きや必要書類,支給基 準など運用に関する取り決めが十分に整っていな かった。たとえば人身取引された時期の渡航を証 明するために基金からの支援金を申請する時はパ スポートのコピーが必要だが,現実的には人身取 引された多くの人は偽造パスポートを持たされた か,日本に到着したとたんにパスポートを取り上 げられているので手元にない。そのため,申請が できた者とできない者の溝ができた。また受給額 も 個 人 差 が あ り , 支 給 さ れ た 金 額 を め ぐ っ て

SEPOM

のメンバーの間の溝が深まった。SEPOM

(10)

のメンバーはもともと経済的に厳しい環境に置か れていた女性たちが多かったため,支給される額 面の違いは,その後の人間関係に大きな溝をつ くった(12)。その後,人身取引被害者支援基金の制 度は,公正に運用するために申請時の必要書類や 要件について徐々に明確にされつつある(13)

3

点目は,SEPOMは設立から

10

年が過ぎ,設 立当時

30

代だったメンバーは

40

代になり,設立 当時子育てで大変だったメンバーの子どもたちも 成人を迎えるようになり,人身取引被害者同士の ピアサポートの需要がなくなったからだと推測す る。SEPOMの活動は停滞しているが,SEPOMの 中心メンバーらは,自営で農業に励んだり,HIV に感染しているメンバー複数は健康と環境を考え た有機農業グループに属して中心的な役割を担っ ている。中心メンバーからは,メンバーの新たな 移住や再搾取の話は聞かれず,それぞれの選んだ 職業で地域に定着していた。人身取引の元被害者 が共通して経験した人身取引の苦難を語りあい,

必要な情報を交換して,励ましあうという需要は なくなっていた。

SEPOM

の活動としては停滞の時期を経たとして

も,個人の生活は自律し,家族を支え,自らの価 値を見出して誇りをもっている。また,

SEPOM

時 代の仲間たちともときどき電話で近況を尋ねあ い,マイクロクレジットは継続している。帰国し てからすでに

20

年近く経過したいま,人身取引被 害当事者のピアサポート活動の役割はほぼ終了し たとみてよいのではないか。

リスボルグとプラムベックは

ILO

のプログラム を通して,ダークスの定義をさらに発展させて,

再統合を次のように再定義している。「人身取引は 移住や移住の過程で発生し,搾取されてしまうこ とにより自律性を失い,自分で自分の管理をする ことができなくなる。だから再統合とは人身取引 被害者が自律し自分を取り戻し,自分自身の人生 を管理することである。それは単に帰国すれば実 現するものではなく,社会的にも経済的にも自分 で決断し,健康で生産的な生活を営んで社会の構 成員となることである。多くの場合,再統合の意 味は家族が住む場所に戻るという意味だと考えら

れている。しかし,再統合は新たな土地で,新た なコミュニティに入っていくことをも含む。再統 合の主な要素は,自己の信頼と弾力性を取り戻し,

力づけ,勇気づけることと,人身取引被害者とい う立場から自らが希望する状況に改善していく ための技量を身につけることである」(Lisborg and

Plambech 2009,筆者訳)。再統合の主な要素は,

自己の信頼と弾力性を取り戻し,力づけ,勇気づ けること,そして自らが希望する状況に改善して いくための技量を身につけること,と定義するな

らば

SEPOM

のメンバーは,自己の信頼と他者と

の関係をつなぐ弾力性を取り戻し,自他ともに力 づけ,自らが望む状況に改善していく技量を身に つけることを果たしており,再統合を実現させつ つあると言えるだろう。

4.福祉社会開発の検討―SEPOM の事例から

それでは福祉社会開発として

SEPOM

の事例は どのように分析できるのだろうか。外国で人身取 引の被害に遭ってタイに帰国した女性たちすなわ ちサバイバーのピアサポートグループの形成など 再統合の活動は,ミクロレベル,メゾレベルでど のように当事者の変容をもたらしたのか。また国 や国際社会などマクロレベルでは人身取引被害者 の社会再統合を含めた支援的な政策環境を形成し てきたのか。ミクロ,メゾ,マクロそれぞれのレ ベルでの変化は福祉社会の開発と言えるのか,を 検討したい。検討の期間は

1997

年から

2013

年ま での

16

年間である。この期間,国や国際社会のマ クロレベルではタイ政府が女性と子どもの人身取 引禁止法を制定(1997年)し,国連で人身取引議 定書が採択されて人身取引の定義が明確となった

(2000年)。またメゾレベルでは,SEPOMの成立

(2001年)の契機となった

IOM

調査が実施(1998 年)されているなどの動きがあった。

(1) ミクロレベル

① 内的なケイパビリティ

元人身取引被害者たちが国を離れて外国で就労 先を探すというリスクを犯した行動を決意したの

(11)

は,「本人以外の,たとえば子どもや親など近親者 の福祉(well-being)の向上」のためで,こうした 行為により,女性たちはエイジェントであったと みなすことができる。しかし,人身取引は移住や 移住の過程で発生し,搾取されてしまうことによ り自律性を失い自分で自分の管理することをでき なくさせられ,エイジェンシー性は人身取引被害 直後にはかなり失われてしまう。だから,少なく とも人身取引被害者が自律し自分を取り戻し,自 分自身の人生を管理する回復はエイジェンシー性 の回復よりも優先される必要がある。自律性の回 復のためにはヌスバウムのケイパビリティのリス トによる,基本的で内的なアプローチが有効であ ると思われる。ヌスバウムのリストは基本的,そ して内的な部分を気づかせるのに有効であると考 える。

SEPOM

の場合,「誰に話しても日本で起きたこ

とはわかってもらえない」と考えていた孤立状態 の帰還者に対して,リサーチャーという立場では あるが,ヒアリングという行為で外部者の介入が 刺激になって,

SEPOM

というピアサポートグルー プが形成された。その後,日本から帰国して同じ ような経験をした女性たちを対象とした,当事者 によるアクションリサーチが実施されるなど実践 的な学習サイクルが回りだしていた。

SEPOM

の活動メンバーらは,性暴力や搾取など

の経験を経て,被害者自身がどんな境遇のどんな 立場に置かれていても,希望をもてることに気が つき,そして自らが希望する状況に改善していく ための技量を身につけたりした。場に集った女性 たちの変容の過程は一定の時間を要すると推測さ れるが,社会的にも経済的にも,健康で生産的な 生活を営んで社会の構成員となる可能性が提示さ れた。

② 外的な側面(個人・家族レベル)

帰国した当初の女性たちは,経済的な問題(仕 事,収入など),家族との葛藤,地域社会からの蔑 視,偏見,子どもの養育問題,日本で知り合った 男性(子どもの親,夫)と離婚や養育責任の件で 連絡がとれない,また日本へ再入国できないなど

の個人や家族レベルの課題に直面していた。その 中でも,家族との葛藤は女性たちに大きな精神的 なプレッシャーを与える。たとえば,日本で人身 取引されて店やボスの管理下に置かれ,現金収入 がない時でも,買春客からのチップを貯めては密 に送金していた女性は,帰国後に家族が送金され た金を遊興に費やしていたことを知って失望し た。家族のためと耐え忍んだ労苦が帰国後に家族 に裏切られたような精神的な負担としてのしか かってしまうのである。(Caouette & Saito 1999,

人身売買禁止ネットワーク/お茶の水大学 2005:

116)。

このような状態の女性たちに

SEPOM

のピアサ ポートはどのように活用され,ミクロレベルでの 変容をもたらしたのか。

まず,SEPOMのピアサポートは共通の問題に直 面している人たちが集う「場」を提供した。その

「場」に女性たちは定期的に集まり,さまざまな 活動を通して,「場」に集う人々の話ができるよう になった。また,SEPOMの「場」は,タイ人の母 親と日本人の父親の間に生まれた子どもたち

Thai Japanese Children(以下,TJC)を対象に毎週日本

語や日本文化を教えるなど,文化やアイデンティ ティの形成を促すこともあった(Global Alliance

Against Trafficking in Women 2010:9)。

さらに,女性たちだけでは可能とならなかった かもしれない法的な知識を得て,子どものタイ国 籍を取得したり(齋藤

2010a:43),音信不通の日

本人夫との離婚などを相談し,実現することがで きた(Global Alliance Against Trafficking in Women

2010:8)。起業など生活に必要な情報や知識を得,

それを活用して,希望の実現可能性を広げること ができるようになった。さらに

ILO

のプロジェク ト実施期間中にタイでは包括的な人身取引禁止法 の施行により,被害者支援基金など社会制度の情 報にアクセスでき,申請できたメンバーも少なか らずいた。こうした資源や制度を活用してケイパ ビリティの可能性を

SEPOM

は提供していたと言 えるだろう。

(12)

(2)

メゾレベル(地域社会,コミュニティ,市場,

地方自治体,学校,中間支援団体)

個人のミクロレベルでは

SEPOM

というメゾレ ベルの中間支援団体がエンパワーメントを促進 し,ケイパビリティを拡張する可能性を見出せる

が,メゾレベルの地域社会,市場,地方自治体,

学校,市場など,いわゆる当事者にとって一番間 近な社会は,行為主体である帰国者たちを支援す るよりは,差別と偏見のまなざしをもちやすい。

とくに「売春」をした女性に対する偏見は根深い。

帰国女性が経済的な力を持っている時(日本で働

メゾレベル,マクロレベルでの人身取引対策

メゾレベル(中間組織) マクロレベル(国,国際社会など)

SEPOM

の主な出来事 ▼タイにおける出来事

▽GMS(14),ASEANに関連する出来事

★日本の出来事

☆国際的な出来事

1998 IOM

調査

2001 SEPOM

設立

2002

当事者調査開始(~2006年まで)

活動内容

・被害当事者が集い,ともに活動する

「場」の提供

・法的な相談(子どもの国籍,離婚な ど)

・職業支援(起業支援,職能開発,情 報提供など)

・貯蓄(マイクロクレジット)活動

・タイ日児童(TJC)のための活動

2007 ILO

支援事業開始

(タイでは

SEPOM, Phayao YMCA, Yo Ying Women center)

2009 ILO

事業終了

2009 Yo Ying

から

LOL

▼1997 女性と子どもの人身取引禁止 法制定

▼1997 BATWC(15)設置

▽2000 UNIAP設立(バンコク)

▼児童保護法改正

▼2003 国内諸機関間の

MOU

締結

▼2003 カンボジアとの二国間

MOU

締結

▼2003 タクシン首相が人身取引被害 者支援基金創設を発表

▽2004 COMMIT合意

▽ 人身取引に関する

ASEAN

宣言

▼2006 売春防止・禁止法改正

▼2006 ラオスとの

2

国間

MOU

締結

▼2006 クーデタ勃発(以降,親タク シン派と親国王派で対立が深 まる)

▼2008 包括的な人身取引禁止法制定

▼2010 BATWCと

JICA

の国際協力事 業開始

▼2010 米国務省評価第

2

階層監視国

(2013まで)

▽2012 ベトナム/JICA人身取引対策 事業開始(~2016まで)

▽2012 ミャンマー/JICA人身取引対 策事業開始(~2015まで)

▼2014.3

BATWC/JICA

事業終了

▼2014.6 米国務省評価第

2

階層に転 落

★1999 児童買春等禁止法制定

☆2000 人身取引議定書採択

☆2000 HRW(16)レポート発行

☆2001 米国務省初の人身取引報告書 が発刊

★2002 バリ・プロセス

★2003 JNATIP設立

★2003 CEDAW(17)最終見解

★2004 人身取引タスクフォース結成

☆2004 米国務省人身取引報告書第

2

階層監視国

★2004 「人身取引対策行動計画」発 表

★2004 ILO報告書発行

★2005 刑法など改正

★2005 JNATIP報告書発行

★2008 国籍法改正

★2009 改正「人身取引対策行動計画」

発表

筆者作成

(13)

いて収入を得る機会があって)には表面化しない が,女性の経済力が失われた時,女性の日本での 仕事が「売春」であることや,弱い経済力に対し て,冷酷で差別的なまなざしを向ける。このまな ざしゆえに,出身地に戻ることができない女性も 少なくない(人身売買禁止ネットワーク・お茶の 水女子大学 2005:116)。

SEPOM

は地理的な地域社会を超えたコミュニ

ティを形成している。チェンライ県内では

7

つの 郡にメンバーがそれぞれ点在しているほか,国内 外でもシンガポールや北欧など諸事情で海外に移 住した元メンバーたちとはインターネットでつな がり,情報共有を可能にしている。

しかし課題もある。経済的な不安や課題を抱え る帰国者たちにとって,より的確に市場を把握し,

技量を形成するためにもマーケットリサーチや現 金出納などのマネジメント能力,小規模事業を起 業する人が多いため,それに見合ったさらなる技 量の開発が必要であろう。

(3) マクロレベル

先述したように国際社会が本格的に人身取引対 策に取り組むようになったのは

2000

年に国連で 組織犯罪防止条約に付帯する,人身取引が犯罪で あることを明記した人身取引議定書が採択されて からだが,タイはそれ以前の

1997

年に女性と子ど もの人身取引禁止法を制定している。その背景に は,深刻化する児童ポルノや児童買春の被害の深 刻化がある。

2003

年には人身取引禁止法の運用を 円滑にするために,国内の政府機関間および政府 機関・NGO・国際機関の間,また北部

7

県知事と 政府の間で人身取引の課題に取り組むための合意 書(Memorandum of Understanding,以下 MOU)

が複数締結された。国際的にも隣国カンボジアと,

送還と送還後の規定を含む二国間協定が結ばれ た。二国間協定はその後

2006

年にラオスと,

2009

年にはミャンマーと締結し,マレーシアとは

2013

年に

MOU

を締結した。

さらに

2000

年にバンコクに本部事務所を構え たメコン河流域諸国(GMS)6 か国(タイ,ミャ ンマー,カンボジア,ラオス,ベトナム,中国雲

南省)の人身取引対策を促進するための国連組織

United Nation Inter-Agency Program on Human

Trafficking

が,この地域の国々の政府関係者ら人

身取引に対する意識と関心を促進した。2004年 にはメコン地域の人身取引課題に対応する

6

か国 政府間合意(The coordinated Mekong Ministerial

Initiative Against Trafficking)を行うなど,国際社

会やタイ政府は人身取引課題解決に向けて積極的 に対応している。

ところが,国際機関で長期的な人身取引課題,

とくに人身取引被害者の帰国後の社会再統合支援 に関心を寄せる機関は決して多くない。その理由 のひとつに国連職員の任期が比較的短いスパンで 終了するという構造的な課題がある。在任期間中 に業績を構築しなければならない国連の実務者ら は,中長期的な課題である人身取引被害者の再統 合支援の課題を避ける傾向にあるとしたら,それ は被害者支援の支援的な政策環境の形成を阻害す る一因であろう。

5.結論

2000

年に国連が人身取引議定書を採択して以 来,国際社会でのマクロレベルの人身取引対策は 進んでいるかのように見える。しかし,被害者を 長期的に被害回復および再統合のための支援を行 うためには,選別的なアプローチだけでなく個々 人のケイパビリティを促進するアプローチが,メ ゾレベルやミクロレベルで必要ではないかと考え られる。ピアサポートを行うセルフヘルプグルー プの活動は,ミクロレベルでの被害者の個人的な 支援と,メゾレベルでのより広範な範囲での支援 の可能性がある。しかしそれだけでなく,マクロ レベルの制度,政策,法整備,国際機関との連携 などにおいて,個人の基本的なケイパビリティ・

アプローチや,市場への効果的なアクセスのため の技量開発などを促す支援的な政策環境の形成も 望まれる。選別的な支援から普遍的な支援へと,

行為主体者に対する支援的な政策環境を整備する ことで福祉社会が形成され,人身取引を生み出す 脆弱性と,人身取引の負の連鎖を断ち切る可能性

(14)

が生まれるのではないだろうか。

(1) Special Rapporteur on trafficking in persons, Especially

women and Children, Concept Note of Experr Meeting on Prosecurion of Trafficking Cases, Geneva, 4 July 2011 http://www.ohchr.org/Documents/Issues/Trafficking/

Geneva2011ConceptNote.pdf

(2) この提言には次の

10

の指針がある。①傷つけない,

②自分のテーマを知り,リスクを査定する。③情報を 準備する。果たせない約束はしない。④適切な通訳や 協力者を選ぶ。⑤匿名性と機密性を守る。⑥インタ ビューの内容や目的,情報の用途,質問に答えなくて もよい権利などに関してインフォームドコンセント を得る。⑦自らの境遇や身の危険についてどう考えて いるか,耳を傾けて尊重する。⑧女性に再び精神的苦 痛を与えない。⑨危険な状態にあると女性が訴える場 合は,緊急介入の準備をする。⑩集めた情報を有効に 活用する(訳は

JNATIP 1997:20

のものを使用)。

(3) ただし,タイでは

2008

年包括的な人身取引禁止法 第

5

条によって,人身取引被害者支援基金が規定さ れ,ある一定の証拠を提示して手続きを行えば,過去 の人身取引被害者に対して支援金が拠出される。

(4) 大槻は現地調査から人身取引被害者に対する職業 訓練の内容を,タイのクレットラカーン保護・職業開 発センターでは,裁縫,理髪,調理,伝統的タイマッ サージ,カンボジアの

Women in Development Center

では裁縫,美容・理容,織物,伝統的な衣類作りであ ると紹介している(大槻 43-44:2007)

(5) 「《行為主体的自由》とは,ひとの主体的な意思に基 づく多様な目的や価値の形成とそのもとでの自律的 な選択に対して,外部的な妨害が存在しないことを意 味する概念である。われわれが想定する社会は,資質 や能力においてのみならず,目的や価値において多元 的なひとびとから構成されている。この社会において ある選択状況に直面するひとの関心は,必ずしも自ら の《福祉》に向けられていない。本人以外の《福祉》

の向上,あるいはいかなるひとの《福祉》の向上とも 直結しない理想や信念が,主要な関心対象となる場合 さえある。《行為主体的自由》がまずもって着目する のは,このような多様な目的を設定してそれを追求す るひとびとの意思と行為が,外部から妨害されないこ とである」(鈴村・後藤 2001:223)。

(6) 「たとえば失業手当や生活保護のように問題が起 こってから生活保護のために給付に予算を使うより も,雇用促進・職業訓練・就職支援,生涯教育,病気 や事故の予防,家族支援などの「投資」をして,その ことによって事後的・消費的な社会支出のニーズを低 下させることに特徴がある」(穂坂 2013:14)

(7) ケイパビリティ・アプローチは,センとヌスバウム の

1986

年の共同研究から生まれたもので(ヌスバウ

ム 2005:13-14),新たに人間開発として発展し,国連 開発計画(United Nation Development Plan)が毎年公 刊する人間開発報告書の基となった理論である。

(8) 人身取引や人身売買,社会再統合などの鍵となる概 念は,当時は

2000

年に国連が人身取引議定書を採択 する前で,表現することに限定的だった。

(9) タイの支援対象事業体は,タイではチェンライ県の

SEPOM,パヤオ県のパヤオ YMCA,バンコクに拠点

を持つ女性財団

Foundation for Women(FFW)を通じ

て,Yo Ying Women’s Center,そしてフィリピンでは

Batis Center for Women, the Development Action for Women Network (DAWN) the Department of Social Welfare and Development (DSWD) Field Office

in Pampanga, DSWD office in Zamboang city, the Kanlungan Center Foundation, Philippines Against Child Trafficking (PACT), the Humanitarian Organization for Migration Economics.

(10) ILOのプロジェクトが実施されている

2008

年に,

タイでは第

5

条に人身取引被害者支援基金が明記さ れた包括的な人身取引禁止法が制定された。

(11) またリスボルグはこのプロジェクトの経験から,人 身取引被害者の帰国後の再統合の支援者側が留意す べきキーポイントを

5

点記している(Lisborg 2009:2)。

① フレキシブルで個人的なサポートであること。大 人の被害者は自分のニーズを伝える権利がある

―権利をベースにしたアプローチ。

② スキルトレーニングを民間セクターと共に行う と共に経済的なエンパワーメントであること。訓 練のための訓練ではないこと。

③ オルタナティブな生計戦略として安全で合法的 な再統合プロジェクトであること。再統合は,現 実的な安全を考慮し,必ずしも出身地に戻る(帰 郷)ことではない。

④ より実践的なアウトリーチが必要である。これま で人身取引被害者と認識されてこなかった人々 が集まる地区などにおいて。

⑤ 支援サービス提供者は,帰国者の準備が整ったと きに,支援を行う。帰国者は帰国直後には支援を 必要としていないかもしれない。

(12) 2013年

12

26

日の

SEPOM

関係者へのヒアリング より。

(13) 2013年

9

月のタイ人身取引研究者からのヒアリン グより。

(14) Great Mekong Sub-region メコン河流域地域

(15) Burauw Against Trafficking in Women and Children

(BATWC)タイ社会開発・人間の安全保障省内に設 置された女性と子どもの人身取引対策室

(16) Human Rights Watchの略。報告書名は

Owed Justice:

Thai women trafficked into debt bondage in Japan (HRR 2000)

(17) Committee on the Elimination of Discrimination against

Women

の略。女子に対するあらゆる形態の差別に関

する条約を検討する委員会

(15)

<参考文献>

大槻奈美

2007「1-4 人身取引被害者に対する職業訓

練・生活自立支援の種類」『アジア太平洋地域の人身取 引問題と日本の国際貢献―女性のエンパワーメントの 視点から』平成

17

年~18年度科学研究費補助金(基盤 研究(B))研究成果報告書 43-50頁

久保美紀

1995

「ソーシャルワークにおける

Empowerment

概念の検討―Powerとの関連を中心に(エンパワーメン ト・アプローチの動向特集)」『ソーシャルワーク研究』

21

巻 第

2

号 相川書房 93-99頁

齋藤百合子

2010a「見えない人身取引―過去の人身取引

被害者の複合的な脆弱性」『PRIME』第

34

号 明治学院 大学国際平和研究所 71-80頁

―――― 2010b「人身取引被害者の帰国後のエンパワーメ ント支援アプローチ―タイの当時者組織の活動分析か ら」『女性教育会館研究ジャーナル』Vol.14

35-49

―――― 2005「「第

6

2 帰国後の課題―タイ」『「日本

における人身売買の被害に関する調査研究」報告書 ト ヨタ財団

2005

年度地域社会プログラム助成事業』人身 売買禁止ネットワーク お茶の水女子大学

21

世紀

COE

プログラム「ジェンダー研究のフロンティア」 107-119 頁

佐藤寛

2005

『援助とエンパワーメント―能力開発と社会 環境変化の組み合わせ―』経済協力シリーズ第

207

号 アジア研究所 3-23頁

人身売買禁止ネットワーク・お茶の水女子大学 2005「日 本における人身売買の被害に関する調査研究」報告書 人身売買禁止ネットワーク お茶の水女子大学

21

世紀

COE

プログラム「ジェンダー研究のフロンティア」

人身売買禁止ネットワーク(JNATIP) 2007「人身売買被 害者支援の連携の構築―地域,国境を越えた支援に向け て」調査および活動報告書 トヨタ財団

2005

年度地域 社会プログラム助成事業

鈴村興太郎,後藤玲子

2001『アマルティア・セン 経済

学と倫理学』実教出版

如田真理・青山薫

2007

「タイ王国チェンライ県

7

郡にお ける帰国女性一次調査」『アジア太平洋地域の人身取引 問題と日本の国際貢献―女性のエンパワーメントの視 点から』平成

17

年~18年度科学研究費補助金(基盤研 究(B))研究成果報告書 51-78頁

ヌスバウム,マーサ,C

2005『女性と人間開発』池本幸

生・田口さつき・坪井ひろみ訳 岩波書店

フリードマン,ジョン

1995『市民・政府・NGO

「力」

の剥奪からエンパワーメントへ』斎藤千宏,雨森孝悦訳 新評論

穂坂光彦

2013「福祉社会の開発と研究」『福祉社会の開

発 場の形成と支援ワーク』穂坂光彦/平野隆之/朴兪 美/吉村輝彦編著 ミネルヴァ書房

―――― 2009「福祉社会の開発学の実践性を高める」『ア ジアの福祉社会開発』Newsletter Vol.1 日本福祉大学 アジア福祉社会開発研究センターニュースレター 1頁

―――― 2005「第

1

章 福祉と開発―「社会開発」の政 策科学に向けて―翻訳者解説」『福祉社会開発学の構築』

日本福祉大学

COE

推進委員会編 ミネルヴァ書房 28-

34

ミジレイ,ジェームス

2005「第 1

章 福祉と開発―「社 会開発」の政策科学に向けて―」『福祉社会開発学の構 築』日本福祉大学

COE

推進委員会編 ミネルヴァ書房

2-27

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参照

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