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帝 政 ドイ ツに お け る経 済 政 策 の 二 元 性

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1986, 2, 37-45

帝 政 ドイ ツに お け る経 済 政 策 の 二 元 性

一 諸邦 の鉄 道政策 と帝国鉄道問題 一

山 田 徹 雄

DIE EISENBAHNPOLITIK IN DEN EINZELNEN STAATEN UND DAS REICHSEISENBAHNGEDANKE IN DEUTSCHLAND

Tetsuo YAMADA

Atomi Gakuen *Women's University, Niiza-shi, Saitama 352

Die diskussion urn das Staatsbahnwesen in Deutschland ist fast ebenso alt wie deren erste Eisenbahnen. Die Geschichte der preuBischen Eisenbahnpolitik hat mit dem Privatbahnsystem begonnen. Nachdem die Verstaatlichungsplane von v. d. Heydt getreten sind, sind zwar sie mit dem Aufkommen der deutschen Freihandelspartei zuriickgegangen, aber nach der Krise von 1873 ist der Staatsbahngedanke wieder aufgetreten. Der Staatsbahngedanke fand mehr Zustimmung bei den kleineren Staaten.

Bereits vor der Griindung des Deutschen Reiches gab es in Deutschland Bestrebungen, die ver- schiedenen Einzelstaaten mit einen einheitlichen Eisenbahnnetz zu ilberziehen. Unter Fiihrung von Bismarck unternahm Preul3en den Versuch, seine Staatsbahnen dem Reich zum Kauf anzubieten. Der Versuch in dieser Richtung scheiterte am Widerstand der Landern, so daB eM Reichseisenbahngesetz gegenwartig keine Gelegenheit auf Verwirklichung.

Key words: Reichseisenbahngedanke, Eisenbahnpolitik

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研 究 報 告1986年 第2号

〔1〕 じ め に

帝 制 ドイ ツに お け る 経 済 政 策 を論 じ る際,厂 国 」(Reich)の 次 元 と 胸(Staat)の 次 元 とい う 二 元 性 を念 頭 に置 か ね ば な らな い 。 こ の こ とは ま た,領 邦 の 分 裂 性 に よ って 規 定 さ れ る 経 済 政 策 上 の 分 立 主 義 が,ど の 程 度 ま で ラ イ ヒ に よ って 相 殺

され う る か,と い う こ とに も な る。

本 稿 に お い て は,ド イ ツ 資 本 主 義 の 地 帯 構 造 を 確 認 しつ つ,領 邦 に よ って 展 開 さ れ た 分 立 主 義 的 鉄 道 政 策 と全 ドイ ツ 的 視 野 に 立 つ 帝 国 鉄 道 問 題 の 対 抗 関 係 を論 じ る。 そ の 際,国 有 化 一 邦 有 化

(Verstaatlichu㎎)と 帝 国 有 化(Verreichu㎎)と は 厳 密 に そ の 意 義 を 確 認 して お く必 要 が あ る。 前 者 は ドイ ツ 資 本 主 義 の 分 裂 性 を促 す も の で あ る が, 後 者 は そ の 統 一 性 を ま ね く こ と に な る。

〔2〕 地 帯 構 造 と 領 邦 鉄 道 政 策

農 民 解 放 と農 業 ・土 地 所 有 の 地 帯 別 構 造 と 産 業 部 門 別 の 分 業 構 造 との 関 連,及 び そ れ に 基 く ドイ ツ資 本 主 義 の 市 場 構 造 に 関 す る研 究 は,次 の よ う な 成 果 を 残 して き た 。(1)

1.ド イ ツ 資 本 主 義 の基 本 的 性 格 を 規 定 す る の が, ユ ン カ ー的 土 地 所 有 と して の 東 エ ル ベ と農 民 的 土 地 所 有 の 西 エ ル ベ と い う対 抗 関 係 で あ る こ と 2.西 エ ル ベ に は,最 先 進 地 域 で あ る 西 北 ドイ ツ と,停 滞 地 域 で は あ る が 東 エ ル ベ と比 較 す れ ば 農 民 の 土 地 保 有 権 の 良 好 な 西 南 ドイ ツ が 含 ま れ て い る こ と

3.西 エ ル ベ 内 部 に は,ラ イ ン ・ヴ ェ ス トフ ァ ー ン,ザ クセ ン,西 南 ドイ ツ とい う産 業 革 命 の 中 心 的 な 地 域 が 検 出 さ れ る こ と

4.東 エ ル ベ に は,ベ ル リン を 中 心 とす る 首 都 圏 と シ ュ レ ー ジ エ ン とい う工 業 地 帯 を含 ん で い る こ と

以 上 で あ る。

さ て,こ う し た ドイ ツ資 本 主 義 の 地 帯 構 造 と, 各 領 邦 の 経 済 政 策 上 の 関 連 を 明 らか に す る た め に, 諸 邦 の 鉄 道 政 策 の 基 本 線 を 検 討 す る。

プ ロイ セ ンに お い て は,ビ ス マ ル ク に よ る 国 有 化 が 実 現 す る 以 前 に 厂西 部 に お け る 私 有 鉄 道 の 優 位 」 と 「東 部 に お け る 国 有 鉄 道 の 優 位 」 とい う き わ だ った 特 徴 が み られ た(20)これ は,ラ イ 馳 方 の ブ ル ジ ・ア ジ ー主 導 に よ る 私 有 鉄 道 と産 業 資 本 の 形 成 が 未 成 熟 な オ ス トエ ル ベ の 国 家 主 導 型 の 鉄 道 の 建 設 とい う,対 抗 関 係 の う ち に 把 え ら れ る で あ

ろ う。 こ うした対 抗 関 係 は,私 有 鉄 道 と して 出発 した プ ロイ セ ンの鉄道 政 策 に大 き な振 幅 を与 え, 国鉄,私 鉄 の並存 体 制(い わゆる 限 合鉄 道制 度D

を経 験 し た後,一 時的 に 私有 鉄道 に傾 斜 した 政策 を辺 て,最 終 的 に 国有化 へ 向 った の で あ る(3)0私鉄 主 義 と菌 鉄 主 義 との問 の 往復 運動 を単 な る利 害対 立 の 力関 係 と把 える こ とは むず か しい。 とい うの は,私 有 鉄道 が優位 と 目されて い る時期 は,政 府 が鉄 道 建 設の 財 源 を持 ち えなか った時 期 と対 応 が み られ るか らで あ る。(4)

ライ ソ ・ヴ ェス トフ ァー レン と並 び称 せ られ る 産業 革 命 の主 導地 域 で あ ったザ クセ ン王 国 は,プ

ロイセ ンの鉄 道 政策 とよ く似 た発 展過 程 を経験 し た。 ライ プツ ィ ヒー ドレスデ ン鉄道 の建 設 をも っ て プ ロイ セ ン と開 始 され た 「鉄 道 戦 争舮)に代表 さ れ る よ うに,プ ロイ セ ン と の 対 抗 が きわ め て 類 似 した 政 策 を生 ん だ の で あ る 。 即 ち,私 有 鉄 道 政 策 を 出 発 点 と し,国 鉄 私 鉄 の 並 存 体 制 を経 験 した 後, 再 び 私 有 鉄 道 へ の 傾 斜 を 深 め た 後,国 有 鉄 道 政 策

を 推 進 し,経 営 難 に あ る 私 鉄 を 買 収 した(sO) 以 上 二 邦 の 政 策 に み られ る よ う に,生 産 力 の 高 い 基 盤 を も つ 地 域 に お い て,鉄 道 政 策 が か な り跛 行 的 な 展 開 をみ せ る の は,様hな 利 害 を 包 摂 し て い る が 故 で あ ろ う。

こ れ に 対 し て,国 有 鉄 道 政 策 が 早 くか ら採 用 さ れ た の は,ブ ラ ウ ン シ ュ ヴ ァイ ク,バ ー デ ン,ハ ノ ー フ ァ ー,オ ル デ ン ブ ル クな ど の 中 小 邦 で あ っ た 。 ドイ ツ内 最 初 の 国 鉄 は,ブ ラ ウ ン シ ュ ヴ ァ イ ク 国 鉄 のBramschweig‑Wolfenbiittel区 間 で あ った 。 ブ ラ ウ ン シ ュ ヴ ァ イ ク は,プ ロ イ セ ン と ハ ノ ー フ ァ ー の 仲 継 点 とい う地 理 的 な 意 義 を背 景 に 鉄 道 政 策 が 展 開 さ れ た(70)また,ハ ノ ー フ ァ ー公 国 は ベ ル リン か ら ライ ン下 流 域 に 至 る通 商 路 で あ る と同 時 に,ハ ム ブ ル ク,ブ レー メ ンか ら南 部 に 至 る ル ー トで あ る とい う意 識 に 立 ち,す べ て 国 有 鉄 道 と し て 建 設 が 行 な わ れ て い た((80)一般 に,中 邦 に お い て は 他 邦 との 連 路 の 重 要 性 が 強 調 さ れ,

国 有鉄道 政 策 が採 用 され る鯉 バ ーデ ンに おい て は, 既 に1842年 に 国 有 鉄 道 財 政 が 一 般 国 家 財 政 か ら 分 離 さ れ,国 有 鉄 道 の 経 済 基 盤 が 確 保 さ れ た 。 同 邦 の 国 鉄 は 広 軌 で 出 発 した が,他 邦 との 連 絡 の た め 大 き な 犠 牲 を 払 って 標 準 軌 に変 更 す る に 至 る。

こ れ は ドイ ツ の 幹 線 の 技 術 的 統 一 を意 味 す る も の で あ り,!ミ ー デ ン に と っ て 邦 間 交 通(internatio‑

nalerVerkehr)が,い か に 重 要 で あ るか を示

(3)

す も の で あ る 。qo

南 ドイ ツ で は,私 有 鉄 道 と して 出 発 し た も の の, ほ とん ど発 展 が み ら れ な い う ち に 国 有 鉄 道 政 策 が 採 用 さ れ る こ と とな る 。1850年 に 最 初 の 国 鉄 が 開 通 した ヴ ュル テ ム ベ ル ク の 政 策 は,国 務 大 臣

フ ォ ン ・シ ュ ラ イ ヤ ー(v(mSchlayer)の 答 弁 に 代 表 さ れ る 。 『 鉄 道 体 系 の 実 現 は 国 家 行 政 が 行 う べ き任 務 で あ ろ う し,し か も 直 接 的 な 国 家 企 業

(Staatsimternehmen)の 型 態 で 行 うべ き で あろ う』

(、842年)qD

バ イ エ ル ン に お い て も,私 有 鉄 道 に あ ま り進 展 が み ら れ な い う ち に,国 有 鉄 道 政 策 が と られ る に 至 った 。 ⑫ バ イ エ ル ン政 府 の 政 策 は,議 会 に お け る 内 務 大 臣 フ ォ ン ・ア ー ベ ル(vonAbel)の 発 言 に 端 的 に あ らわ れ て い る。 『そ れ を 所 有 す る も の が,あ る程 度 ま で 邦 の 商 業 ・流 通 を支 配 す る 鉄 道 の 管 理 を,民 間 の 手 に わ た す こ とは ど う して も で き な い 。』(1846年)⑭ け れ ど もバ イ エ ル ンで は, そ の 後10年 足 らず で,財 政 上 の 理 由 か ら鉄 道 政 策 を 体 系 的 に 国 家 主 導 で 行 う こ とが む ず か し くな り,

1855年 に は 再 び,私 有 鉄 道 が 認 可 さ れ る に 至 っ

た の で あ る

以 上 の コ ンテ ク ス トの 中 で,次 の よ うな 点 が 明 らか とな ろ う。

1.ラ イ ン ・プ ロイ セ ン とザ ク セ ンに お い て は, 私 有 鉄 道 企 業 を生 み 出 し う る程 度 ま で 産 業 資 本 の 発 展 が み られ る こ と。

2.に も か か わ らず,上 記2地 域 に お い て さ え, 政 府 の保 護 を あ る 程 度 必 要 と して い た こ と。

3.オ ス トエ ル ベ に お い て は,私 有 鉄 道 の 展 望 が 与 え ら れ な い ま ま に,国 有 鉄 道 が 建 設 され た こ

と。

4.南 ドイ ツ で は,私 有 鉄 道 が 誕 生 しつ つ も,そ れ が 存 続 し え な い 程 度 の 産 業 資 本 の 発 展 が 看 取 で き る こ と 。

5.中 部 ドイ ツ の 中小 邦 は,邦 間 流 通 の 一 環 と し て の 重 要 性 を考 慮 し,国 有 鉄 道 政 策 を採 用 した こ と。

6.私 有 鉄 道 制 度 か ら 国 有 鉄 道 制 度 に 移 行 した 後, 再 び 私 有 鉄 道 政 策 の 傾 斜 す る場 合 に は,財 政 上 の 理 由 を考 慮 す る 必 要 が あ る こ と。

以 上 で あ る 。

〔3〕 ドイ ツ鉄 道 制 度統 一 の 試み

ドイ ツ諸邦 にお け る鉄道 政 策 は,以 上の指 摘 に

み られ る よ うに,別hの 発 展 過程 をた ど り,各 邦 の 鉄道 間 に 有機 的連 関 が な いば か りか,邦 内に お い て も国鉄 と各 私鉄 間に 共通 基 盤 が存 在 しな か っ た 。 多 くの鉄道 企 業体 を結 ぶ きず な は,1846年

に 「プ ロイセ ン鉄 道管 理 協 会」 として成 立 し,翌 年 「ドイ ツ鉄道 管 理 同盟」 へ と拡 大 された,い わ

ば プ ロイ セ ン主導 型 の 国鉄,私 鉄 の連 合体 であ っ た。 これ は ご く限 られ た範 囲 で トラ ンジ ッ ト輸 送 の た め の直嶺 率 を実 現 した に と どま った9⑤そ の 後 トラ ンジ ッ ト輸 送 の た め の多 くの 賃率 同盟 が ま さに 無秩 序 に,鉄 道 企 業 間 に形成 され た が,統 一 的 な 賃率 の形 成 に は至 らな か った鯉

1849年 に ドイ ツ 国 民 議 会 が 立 案 し た 帝 国 憲 法 の 草 案 は,次 の よ う な 内 容 の 鉄 道 条 項 を 含 ん で い た 。

1.帝 国 当 局 は 鉄 道 及 び そ の 経 営 に つ い て 帝 国 の 保 護 な い し は 公 共 的 な 交 通 の 利 益 が 必 要 と さ れ

る 限 り,総 監 督 権 及 び 立 法 権 を 持 つ こ と。

2.帝 国 当 局 は,帝 国 の 保 護 な い し は 公 共 交 通 の 利 益 が 必 要 と さ れ る 限 り,鉄 道 の 計 画 に 認 可 を 与 え る 。

3.そ の 計 画 を実 施 す べ き 諸 邦 が,こ れ を 拒 否 す る と き に は,帝 国 自 らが 鉄 道 を敷 設 す る 権 利 を 有 す る こ と。

こ うい っ た 規 定 は,諸 邦 レベ ル で 無 秩 序 に 展 開 さ れ て い る 鉄 道 政 策 と 並 ん で,ド イ ツ全 体 に 及 ぶ 統 一 的 な 帝 国 鉄 道 政 策 を 創 り出 そ う とす る も の で あ っ た 。 こ の帝 国 憲 法 草 案 は,こ れ と 同 様 の 鉄 道 条 項 を 有 す る1849年 の プ ロ イ セ ン,ザ ク セ ン,ハ

ノ ー フ ァ ー の 憲 法 草 案 及 び1850年 の バ イ エ ル ン, ザ ク セ ン,ヴ ュ ル テ ム ベ ル ク の 憲 法 草 案 と 同 様 に, 机 上 の 論 に 終 った 。⑱

1867年 に ドイ ツ帝 国 の 前 身 で あ る 北 ドイ ツ連 邦(NorddeutscheBu面)が 成 立す る が こ れ は い わ ば ズ ロイ セ ン主 導 に よ る ドイ ツ 統 一 の 動 き で あ っ た 。⑲ 北 ドイ ツ連 邦 憲 法 に は 次 の 鉄 道 条 項 が み ら れ る 。⑳

41条 ドイ ツ防 衛 の 利 益 に お い て,或 は 共 同 的 交 通 の 利 益 に お い て 必 要 とみ な され る鉄 道 は 帝 国 法 に よ り,連 邦 構 成 員 の … … … 抵 抗 に 対 して も地 方 主 権 を 損 わ ず,帝 国 の 計 算 で 敷 設 さ れ うる,或 は 民 間 企 業 家 に,そ 実 施 が 認 可 され 夂,収 用 権 が 賦 与 さ れ う る。

43条 … … … で き る 限 り速 や か に,調 和 の とれ た 経 営 制 度 が 実 施 さ れ,特 に 同一 の 鉄 道 警

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40

研 究 報 告1986年 第2号

察 規 定 が 採 用 さ れ る べ き で あ る … … … 。 46条 鉄 道 会 社 は,困 窮 の 事 態 の 発 生 に 際 して

… … … 低 い 賃 率 を採 用 す べ き義 務 を 負 う。

… … … 前 述 の 並 び に42条 か ら45条 ま で の 規 定 は,バ イ エ ル ンに は 適 用 され な い 。 だ が 国 土 防 衛 に と って 重 要 な鉄 道 の 建 設 及 び 装 備 の 為 の統 一 的 規 準 を立 法 的 方 法 に お い て 確 立 す る 権 利 は,バ イ エ ル ンに 対 し て も 帝 国 に 属 す る。

47条 ドイ ツ 防 衛 の 為 に 鉄 道 を利 用 す る こ と に 関 し て の 帝 国 の 官 庁 の要 求 に,す べ て の 鉄 道 経 営 は 必 らず 従 が わ ね ば な らな い 。 特 に 軍 隊 及 び す べ て の 軍 需 資 材 は,等 し く軽 減

さ れ た 賃 率 で 輸 送 され る。

我 々 に と って この 鉄 道 条 項 が 興 味 深 い の は 次 の 点 で あ ろ う。 まず,す べ て の 鉄 道 に 対 す る 監 督 権 を連 邦 に 帰 属 させ よ うとす る 上 記の 規 定 が,プ ロイ セ ンの 主 導 を 前 提 と して 軍 事 輸 送 と鉄 道 の 機 能 に 十 分 な 考 慮 が お か れ て い る こ と,賃 率 の 統 一 が 重 要 な 一 要 因 と考 え られ て い る こ と,バ イ エ ル ン に 留 保 権 が 与 え られ て い る こ と か ら,プ ロ イ セ ン と バ イ エ ル ン の 対 抗 が 看 守 さ れ る こ と,つ ま り,統 一 と支 邦 の 独 自 性 の 妥 協 の 上 に な り立 った も の で あ る こ と,以 上 で あ る。 む ろ ん この 条 項 は,政 の 実 現 に は い た らず,「 さ し さわ りの な い 単 な る 文 言 と し て の 存 在 」 に し か す ぎ な か っ た 。⑳

こ う し た プ ロ イ セ ン主 導 の 統 一 鉄 道 制 度 の 考 え 方 に 対 立 して 存 在 して い た の が,バ イ 、エ ル ン主 導 の 構 想 で あ っ た 。 北 ドイ ツ連 邦 に 対 抗 す る 南 ドイ ツ を 中 心 と して,「 北 と南 の 統 一 」 を 論 じた の が

1867‑69年 の ドイ ツ 関 税 議 会(Zollparla‑

ment)で あ っ た 。 当 時 バ イ エ ル ンの 首 相 で あ り, 後 に 帝 国 宰 相 とな った ク ロ ー ドヴ ィ ヒ ・ホ ー エ ン ロ ー 工 公 は 南 ドイ ツ に よ る 四 邦(バ イ エ ル ン,バ ー デ ン

,ヴ ェ ル テ ム ベ ル ク,ヘ ッセ ン)を 南 ドイ ツ 連 邦 に 統 括 し,北 ドイ ツ連 邦 と連 合 す る こ と に よ っ て 帝 国 統 一 を計 る 提 案 を 行 っ た 。 最 初 の 民 族 的 課 題 と し て,彼 は 各 邦 に よ る 鉄 道 の 買 収 と ドイ ツ鉄 道 同 盟 へ の 諸 邦 の 参 加 を考 え た 。⑫ こ の 鉄 道 同 盟 の 設 立 に 関 す る 条 約 は,次 の よ うに 指 摘 して い る 。

『諸 邦 政 府 は,そ の 領 土 に あ り トラ ンジ ッ ト輸 送 に と って 必 要 と認 め られ る 鉄 道 を,す べ て 購 入 す る こ とが 義 務 づ け られ る 。 個 々 の 邦 は 鉄 道 の 経 営 を 共 通 の 規 則,同 一 の 経 営 規 定,旅 客 及 び 貨 物

輸 送 に つ い て の 共 通 の 賃 率 の も の で 維 持 さ れ る べ き で あ る。 官 庁,会 計 制 度,計 算 制 度 の 管 理 及 び 組 織 は,あ らゆ る 条 約 領 域 に お い て 同一 の 基 盤 の 上 に も た ら さ れ る べ き で あ り,あ らゆ る 鉄 道 業 務 の 指 導 及 び 最 高 監 督 権 は 関 税 議 会 と連 絡 の 上 で, 鉄 道 評 議 会(Eisenbahnrat)に よ って 行 な わ れ る べ き で あ る。 邦 境 を越 えて 行 な わ れ る 輸 送 に 関 わ る す べ て の 収 益 は,同 盟 金 庫 に 繰 り入 れ られ,邦 内 交 通 に よ って 生 ず る 運 賃 は 個 々 の 邦 に よ って 経 営 さ れ る 鉄 道 の キ ロ メ ー トル 延 長 に比 列 して 分 配 さ れ る,』㈱

上 記 ホ ー エ ン ロ ー 工 公 の 構 想 は1871年 に お け る ドイ ツ帝 国 の 創 立 に よ っ て 挫 折 す る 。 統 一 的 な 鉄 道 体 系 の 構 想 に は,以 上 の よ う に,プ ロイ セ ン 北 ドイ ツ連 邦 → ドイ ツ帝 国 へ と連 らな る 基 本 線 と,結 局 は プ ロ イ セ ン権 力 の 前 に 消 滅 し て し ま う 南 ドイ ツ の 側 か らの 対 抗 軸(バ イ エ ル ン→

南 ドイ ツ 連 邦 一一一ケドイ ツ帝 国)が 存 在 し て い た の で あ る 。

〔4〕 ドイ ツ帝 国 憲法 と鉄 道 制 度

1871年 に成 立 した ドイ ツ帝 国 に おい て は,ド イ ツ統 一 が プ ロイ セ ンに よる軍事 的制 覇 とい う形 を と りな が らも,プ ロイ セ ン と他 の邦 の 間 の様 々 な妥 協 を基 盤 としてい た。 そ こに 含 まれ る諸 邦

(22の 君主 国 と3自 由市)は 独 自の憲 法 と政 府 を 持つ こ とが許 され,ま た,南 部 ドイ ツ諸 邦 には い くつ か の 留保 が み とめ られ る こ とにな った。 例 え ば バイ エ ル ンや ヴ ュル テ ムベ ル クには 郵便,電 信 及び 軍隊 の管理 に関 して,独 自の権 限 がみ とめ ら れ てい た。⑳

ドイ ツ帝 国憲 法 は,北 ドイ ツ連 邦 憲法 を基 本 と して 制定 され,二 つ の異 った 原則 一 一 つは 連邦 参 議 院 を中軸 とす る支邦 の 独 自性 の維 持,も うひ とつ は プ ロイ セ ン邦 の優 位 に基 づ く中央 政 府 の強 化 一 に よ って 特 徴づ け られて い た。⑳ 帝 国 憲法

にお け る鉄道 条 項(第4条8項 及 び第41‑47条) は,北 ドイ ツ連 邦 に お け る規定 が ほ とん どそ の ま

ま受 け継 が れ た。

第4条8項 及 び 第41条 は,国 防 上 の観 点 と交通 の公共 制 とい う点 か ら,鉄 道 を帝 国 の監 督 と立法 の下 に置 い た。 この二 つ の利 害 の少 く とも一 つ で も関わ りが あ る限 り,当 該地 域 の 支邦 の 反対 が あ って も,帝 国 自 らが新 しい路 線 を建設 ・認 可 し, 強制 収 用 権 を発 動す る こ とが で きた。 第47条 に よ

(5)

っ て,軍 事 利 用 に 関 す る 帝 国 官 庁 の 要 求 に,鉄 道 が 従 う べ き義 務 を 定 め,軍 隊 及 び 軍 需 資 材 が 低 廉 な 賃 率 で 輸 送 され る こ とが 保 証 され た 。 第42条 は, 連 邦 諸 政 府 の 義 務 と して,公 共 交 通 及 び 統 一 的 鉄 道 網 の た め に ドイ ツ の 鉄 道 を 管 理 し,そ の た め に 統 一 的 規 準 に 従 っ て 鉄 道 を 新 設 し,整 備 す る こ と を定 め た 。 第44条 は トラ ン ジ ッ ト輸 送 と運 行 に 関 す る 規 定,第45,46条 は 運 賃 に 関 す る も の で あ っ た 。⑫⑤

と こ ろ が こ うい った 憲 法 の 規 定 自体 何 ら強 制 力 を も た ず,違 法 の 場 合 に も 処 罰 規 定 が 存 在 し な か っ た 。 ま た,鉄 道 に 関 して 諸 邦 の 主 権 を 侵 害 し な い よ う に,あ い ま い さ を含 ん で い る上 に,41‑47 条 で 規 定 され て い る 内 容 を具 体 化 す る 法 律 が な か

っ た 。 従 って 連 邦 諸 邦 は,憲 法 規 定 に も か か わ ら ず,い や 憲 法 規 定 故 に,鉄 道 制 度 上 自 由 で あ り え た の で あ る。 更 に バ イ エ ル ンに 大 幅 な 留 保 権 が 与 え られ,バ イ エ ル ンが い か に 慎 重 に 帝 国 の 主 権 か らま ぬ か れ よ う と した か が わ か る 。⑳

憲 国 憲 法 に 立 脚 し た 鉄 道 立 法 を 実 現 し よ う とす る 試 み は,ド イ ツ帝 国 議 会 に お い て く り返 し議 論 さ れ た 。 帝 国 議 会 は1869年3月,1871年4月 及 び 6月 に 圧 倒 的 多 数 を も って,ド イ ツ宰 相 に 帝 国 鉄 道 法 及 び 鉄 道 制 度 の た め の 帝 国 機 関 の 設 立 を要 求 す る 決 議 を行 って い る。 こ うい った 要 求 は 産 業 界 に も み ら れ た 。 ドイ ツ商 業 会 議(derdeutsche

Handelstag)も 同 じよ うな 決 議 を く り繰 り,こ に 総 括 的 委 託 権 を も った 帝 国 機 関 の 設 立 を支 持 し た 他,1873年 に は 工 場 主 ロ ー トシ ル トが,帝 国 に よ る 鉄 道 の 買 収 を 議 会 に請 願 し た 。⑳ け れ ど も, 帝 国 に 併 合 さ れ る こ とに さ え難 色 を示 した バ イ エ ル ンが,自 邦 の 鉄 道 を帝 国 に 提 供 す る の に 反 対 す る の は 明 らか で あ った 。 ビ ス マ ル ク は,当 面 「帝 国 鉄 道 庁 」(Reichseisent)ahnamt)の 設 立 の み に 甘 じた の で あ る。¢9ヴ ュ ル テム ベ ル ク選 出 の 帝 国 議 会 議 員 エ ル ベ ンは1873年3月 に 超 党 派130名 の 議 員 の 支 持 を得 て,帝 国 鉄 道 庁 設 立 に 関 す る 法 案 を 帝 国 議 会 に 提 出 し た 。 そ の 内 容 とす る と こ ろ は,同 庁 が 鉄 道 に 関 す る情 報,賃 率,ダ イ ヤ グ ラ ム な ど を 集 中 管 理 し,苦 情 を裁 定 し,邦 監 督 官 庁 と 同 等 の 権 利 を 各 私 鉄 に 行 使 し,憲 法 に の っ と っ て 鉄 道 政 策 を 行 う とい う も の で あ った 。60

同 法 案 は 採 択 さ れ た に も か か わ らず,同 庁 が 総 括 的 な 監 督 権 を行 使 で き ず,結 局 連 邦 主 義 的 な 原 理 が 維 持 され た 。(31)帝国 鉄 道 庁 に 対 す る 期 待 の ひ

とつ は 賃率 問題 の解 決 で あ った。1871年 に帝 国 の 所 有 とな った エル ザ ス ー ロー トリンゲ ン鉄 道(ワ

イマ ール期 に至 る まで 唯一 の帝 国鉄 道 で あ った) は容積 に基 づ く賃率 制 度 を実 施 してい た。 ところ が,西 南 ドイ ツでは,車 両 容積 賃率,東 南 部で は 混合 賃 率,北 部 では正 味価 値賃 率 が支 配的 で混 乱 をきわ めて いた上 に,商 品 の 賃率 分類 基 準 が 不統 一 で あ ったば か りで な く,差Y J賃率,例 外 賃率 が 存在 し混 乱 の度 を深 め てい た。(32)賃率問 題 に関 す る帝 国 鉄道 庁 の 貢献 は,1876‑77年 に統 一 的 な ドイ ツ貨 物等 級 を実現 し,改 正 貨 物 賃率 が 制 定 さ れた こ とに とど ま った。(胸

一 方,鉄 道 立法 実 現 の最 初 の試 み が な され たの は,1874年 に帝 国鉄道 庁 総 裁 シ ェー レの起 草 に よ るも の であ る。 この 草 案 の究 極的 な 目標 は,帝 国 に よ る監 督 権の独 占で あ った が,当 面 帝 国 監督 官 庁 で あ る帝 国鉄道 庁 と諸邦 監督 官 庁 の並 存 を許 し てい た。一 方 では,こ の法 案 は 商業 会議 所 な どの 経 済 団体 に と って 不十 分 な も ので あ り,各 種 経済 団 体 は帝 国 の全 鉄道 に対す る強 力 な監督 を要 求 し た。 他 方,ド イ ツの 中小邦 に と って,こ の法 案 は 極 端 す ぎた の で,諸 邦 は危 惧 を感 じ,鉄 道 に対 す る監 督 権 を手離 そ うと しな か った。 結局,こ の法 案 は秘 密裡 に取 り下 げ られ る運 命 にあ った。③0

帝 国鉄 道 庁 の次 の総 裁 マ イバ ッハ(後 の プ ロイ セ ン鉄 道 大 臣)は,1875年 に帝 国鉄 道法 の第2次 草 案 を起草 した。 この草 案 は帝 国 監督 権 と支邦 監 督権 を明確 に区 分 した 。 まず 第2条 に お い て 厂鉄 道 制 度 に対 す る直 接 的監 督権 が帝 国 に属す 」 と規 定 して い る。 また,新 規 の鉄 道 建設,駅 の設 備, 停車 場 の設 立,ダ イヤ グラ ム及 び 賃率 制 度 も帝 国 機 関 の 監督 下 にお か れ た。 特 に連邦 参 議院 に管理, 財政 状 態,経 営指 導 に 関す る広 汎 な権 利 が 容認 さ れ,も っぱ ら鉄道 の 認可 と所 有だ け が諸邦 に まか され た。 しか しこの法 案 も多 くの反対 に あ った。

まず ドイ ツ私 鉄 同盟 が取 引 所 を動 員 し,鉄 道 債権 が 無価 値 に な る と宣 伝 した。㈲ 更に,帝 国権 力の 強 大化 を嫌 うもの が これ に加 わ った。 我 々は その 例 とし て南 ドイ ツの反対 を指摘 す る こ とが で きる で あ ろ う。(謝

1875年6月 に,プ ロイ セ ン政 府 は連 邦 諸政 府 と非 公 式 な協 議 を行 った結 果,帝 国の監 督 権 が法 案 か ら削 減 され る ことにな った。 こ こに至 って, 骨抜 き とな った法 案 をマイ バ ッハが取 り下 げ るに ・ 至 った 。 この二 つ の草 案の 運 命 は帝 国鉄 道 庁 の無

(6)

42 研 究 報 告1986年 第2号

力 さ を暴 露 す る もの で あ る。 ドイ ツ の 鉄 道 制 度 に 影 響 力 を 行 使 し う る の は,帝 国 鉄 道 庁 総 裁 よ りも む し ろ,プ ロ イ セ ン公 共 事 業 省 の 大 臣 で あ っ た(37)0

〔5〕 ビス マ ル クの 帝 国鉄道 計 画

以上 二 度 に渡 る帝 国鉄 道法 の 挫 折 に よ って ビス マル クは法 的 解 決 をあ き らめ,帝 国 に よる ドイ ツ 鉄 道 の直 接 的獲 得 の計 画 が 浮び 上 った 。 当時 ビス マル クの手 足 とな って活 躍 して い た マイ バ ッハは 1875年 に 「帝 国 の た めの鉄 道 の 買収 」 とい う論 文 をBerlinerAktionarに 発表 し,帝 国鉄 道 構 想 をあ き らか に した。 これ は帝 国 宰相 に ドイ ツの 鉄 道 を買 収 す る権 利 を与 える とい う内容 を含ん で い た 為,各 方面 か ら活 発 な議 論 を呼ん だ。㈱ そ

う した 中 で1867年 には 『プ ロイ セ ン年 報 』 (PreuβischeJahrbucher)に 次の よ うな 内容 を 含 ん だ論 文が掲 載 され た。

「中小 邦 の存 在 及び プ ロイ セ ン行 政 の 弱体 の 為 に 残念 なが ら我 国 ほ ど鉄 道制 度 が 内部 混乱 してい る大 国 は他 に ない。 ベ ル リンか ら カール スル ーエ に 旅行 す るの に六 つ の独 立 した鉄 道 制 度 を通 過 し な け れば な らない し,鉄 道 職 員 の だれ 一 人 と して, い わん や 民 間鉄 道 員 の だれ一 人 と して1357の 賃 率 を正 し く区別 で きない し,ド イ ツの一 方 の端 か ら他方 の端 へ送 られ る貨物 の輸送 費 を正 確 に計 算 で きな い。 こ うい った 障害 は一 定 の賠 償

...

とひ き か えに帝 国 がす べ て の鉄 道 所 有 を獲 得 す る

..

こ と に よ っ て の み 解 決 され る」(傍 点,引 用 者)(39) さ ら に ドイ ツ の 商 ・工 ・農 業 の 国 際 競 争 力 に 触 れ,

「.1'1年 代 に フ ラ ン ス の 鉄 道 所 有 は ま っ た く賠 償 も な しに,民 間企 業 か ら国 家 に 移 管 さ れ た 。 ベ ル ギ ー は1869年 以 来 私 鉄 の 買 収 が 始 ま り,も は や 主 要 路 線 に は 認 可 が 与 え られ ず,非 常 に 安 価 な 貨 物 及 び 旅 客 運 賃 が 保 証 さ れ て い る」(40)と指 摘 し て,帝 国 に よ る 安 い 賃 率 に よ って ドイ ツ 商 品 が 国 際 競 争 力 を 強 め る こ と を提 案 し た 。

マ イ バ ッハ を 中 心 とす る帝 国 鉄 道 構 想 の 考 え 方 は,ビ ス マ ル ク の 支 持 の も とに 大 き な 論 争 を 引 き 起 す こ とに な る 。 ビ ス マ ル クは 強 大 な 監 督 権 を も つ 鉄 道 法 の 成 立 の た め に,プ ロイ セ ン政 府 は す べ て の 鉄 道 所 有 権 を 帝 国 に移 管 す る 用 意 の あ る こ と を 明 ら か に し た 。(41)ビス マ ル クが 帝 国 鉄 道 問 題 に 積 極 的 に 介 入 の 姿 勢 を示 した1875‑76年 に は, 連 邦 諸 国 と りわ け ヴ ュ ル テ ムベ ル ク,ザ ク セ ン, バ イ エ ル ン を ヰ心 に 反 対 論 が 続 出 した 。(42)

ビ ス マ ル クは,こ の 法 案 を帝 国 議 会 に 提 出す る こ と を 断 念 し,こ れ に か わ って1876年3月24日

プ ロイ セ ン下 院 に,「 鉄道 に関す る国家 の 所 有権 及び そ の 他 の権 利 を ドイ ツ帝 国 に 移譲 す る こ とに 関す る法 案」 を提 出 し,そ れ は 次 の 内容 を含 ん で い た。㈲

1.国 有鉄 道 ば か りで な く,私 有鉄 道 も含 めた プ ロイ セ ンの鉄道 主 権 の帝 国移 管 を意 味 してい た こ と

2.プ ロイ セ ンの私 鉄 の 中に は,自 邦 を越 えて 路 線 を有 して い た もの が あ る こ とか ら,北 ドイ ツ の鉄道 全 体 に対 す る事 実 上 の支 配 権 が帝 国下 に 置 か れ る こ と。

3.従 って 中小 邦 か らの 国有鉄 道e国 有財 産 の 没 収 を意 味 して いた こ と。

4.連 邦 諸 政 府 の鉄 道政 策 が 帝 国 に継 承 され る展 望 を含み,帝 国 の連邦 主 義原 理 を喪 失 す る もの で あ る こ と。

な ど総 じて,プ ロイ セ ンを除 い た 諸 邦の犠 牲 の上 に立 った もの で あ った。

この 法案 に 対 す る反対 論 は,上 院 にお い そは 主 に連 邦 主 義的 右翼 か ら,下 院 で は 中央 党 及 び左 翼 か ら出 された が,5月2日,両 院 で可 決 され るに 至 った。(44)

しか しなが ら,こ うした 帝 国鉄 道 構 想 に対 す る 姿 勢 で 重要 な の は,邦 議 会にみ る非 プ ロイ セ ン ド

イ ツの動 向で ある。

バ イ エ ル ンで は ,帝 国鉄道計画 の忌避 が もっと も早 い 時期 か ら,も っ とも徹底 して行 な わ れて い た。 既 に1876年 の議 会 にお い て,r政 府 が この 新 たな 鉄道 に基 づ く統一 の試 み に対 して 断 固 と して 抗 議 を しない の では な いか,政 府 は 留保 権 が与 え られ てい ない 連邦 諸 国 を助 け よ うと しな い ので は ない か 』とい う質問 が 出 され た。㈲ これ に対 して フ ォ ン ・プ フ レ ッチ ュナ ー(vonPfretzschner) 首 相 は,次 の よ うな 解 答 を した 。 『王 国 政 府 は こ の 事 態 の こ れ か らの 展開 の課題 を二 重 の 意 味 で 認識 して い る。政 府 はバ イ エ ル ンの鉄 道 につ いて は,留 保権 を守 り帝 国 へ の譲 渡 は考 えてい な い。 政府 は夂,帝 国 憲法 に命 じられたや り方 で, バイ エ ル ン以 外 の諸邦 が帝 国 の手 に集 中化 され る のに も反 対 す る で あろ う 』(46)

ザ クセ ソに おい て も連 邦主 義 が広 く支 持 され て い た。 帝 国 鉄道 庁 が連 邦 政 府 に対 して,全 ドイ ツ にお いて 客 車 の等 級 と切 符 の色 を統 一す る提 案 を

(7)

行 った と き で す ら,ザ クセ ン政 府 は 拒 否 して き た。

1876年2月5日,ザ クセ ン の 商 業 会 議 所 ・工 業 会 議 所 の 代 表 が ド レス デ ンに 集 ま り,帝 国 に よ る ド

イ ッの 鉄 道 の 接 収 に 反 対 す る こ と を決 議 した 。 議 会 に おい て は,二 つ の 動 議 が 下 院 に 提 出 さ れ た 。 ひ とつ は,保 守 党 と進 歩 党 の 支 持 に よ る も の で,

ドイ ツ の 鉄 道 が 帝 国 に よ って 買 収 さ れ る こ と に反 対 す る も の,も う ひ とつ は 国 民 自 由 党 の 支 持 の も

とに 提 出 さ れ た 帝 国 鉄 道 計 画 の 早 期 実 現 を め ざ す と い う動 議 で あ った 。 第 一 の 動 議 が,66対7で 決 さ れ,ザ クセ ン に お い て も,ビ ス マ ル ク の 計 画 は 帝 国 内 の 平 和 を 脅 す こ とが 確 認 され た の で あ る 。㈲

比 較 的,冷 静 な 受 け と め 方 を し た の は バ ー デ ン で あ った 。 邦 議 会 に お け る 商 務 大 臣 の 答 弁 は,明 確 な 回 答 を 控 え,次 の よ う な 考 え を 述 べ た。 ベ ル

リ ソか らの 提 案 は そ の 内 容 も形 態 も 知 ら さ れ て い な い の で 意 見 を述 べ る こ と は で き な い し,将 来 の 態 度 決 定 に つ い て もい う こ とが で き な い 。 政 府 が 同 意 しよ う と拒 否 し よ う と,一 つ の こ と だ け は 確 実 で あ る 。 即 ち,政 府 は 鉄 道 の 所 有 と経 営 が バ ー デ ソに どの 程 度 許 され る の か,と い う点 だ け は 見 の が さ な い つ も りで あ る。 以 上 の 内 容 で あ った{紳

ヴ ュル テ ム ベ ル クに お い て は,少 数 で は あ る が 有 力 な 議 員 が ビ ス マ ル クの 計 画 を強 く支 持 した 。 帝 国 議 会 議 員 エ ル ベ ンが そ の 先 頭 に 立 ち 帝 国 思 想 を流 布 させ た 。 議 会 で は,三 っ の 動 議 が 出 さ れ る 混 乱 を生 ん だ 。 ひ とつ は シ ュ ミ ッ ト(Schmid), ザ ル ヴ ァイ(Sarwey)を 始 め と し て,国 民 自 由 党 及 び 与 党 の30人 の 議 員 が 提 出 した も の で,帝 鉄 道 の 拒 否 及 び 帝 国 鉄 道 法 の 免 除 を主 張 す る も の, 第 二 の 動 議 は エ ル ベ ン を 中 心 に 四 人 の 国 民 自 由党, ドイ ツ党 員 の 提 出 した も の で,ド イ ツ鉄 道 網 の 帝 国 に よ る 買 収 をみ と め る も の,第 三 に エ ス テ ル レ

ン(Oesterlen)及 び15人 の 中 央 党 員 を 中 心 と す る も の で,ビ ス マ ル ク の 計 画 に 反 対 し,政 府 の 監 督 を要 求 す る も の で あ っ た。 こ の う ち,第 一 の 動 議 が 圧 倒 的 多 数(87対8)で 可 決 され,こ こ に

お い て も 連 邦 主 義 原理 が 確 認 さ れ た 。(49) こ うい った 動 向 と は 異 な る 姿 勢 をヘ ッセ ン に 見 る こ とが で き る。 ヘ ッセ ン州 議 会 で は 下 院 議 員 フ ォ ン ・ ラベ ナ ウ(VonRabenau)を 中 心 に,ビ ス マ ル クの 政 策 を支 持 す る 動 議 が 提 出 され,32対 8で 可 決 さ れ た 。

ドイ ツ 諸 邦 に よ る 帝 国 鉄 道 計 画 に 対 す る 反 対 姿

勢 は,1876年4月 の プ ロイ セ ン法 の 運 命 に と って 決 定 的 で あ った 。 ビ ス マ ル ク は,プ ロ イ セ ン議 会 に よ っ て 承 認 され た 提 案(プ ロイ セ ン鉄 道 の 帝 国 へ の 移 譲 に 関 す る 法)を,連 邦 参 議 院 へ 提 出 す る の を 断 念 す る に 至 った 。勧 つ ま り帝 国 鉄 道 は,プ

ロイ セ ン とい う狭 い 枠 の 議 論 を越 え て,帝 国 機 関 へ 論 議 を拡 大 す る こ と が 不 可 能 に な っ て し ま っ た の で あ る 。

〔6〕 お わ り に

鉄 道 が 帝 国 有 化 され,統 一 的 な 鉄 道 政 策 が 全 ド イ ツ的 な 次 元 で 展 開 され る の は,ワ イ マ ー ル 時 代 ま で 待 た ね ば な ら な か った 。 こ うい っ た 経 済 政 策 レベ ル で と ら え る ドイ ツ帝 国 は 「ドイ ツ の 統 一 」 と い う フ ァ ク タ ー よ り も,厂 連 邦 主 義 の 強 固 な 土 壌 に 立 っ 妥 協 の 産 物 」 な る 色 彩 が 強 く あ らわ れ て い る。 ビス マ ル ク体 制 下 に 実 施 さ れ た 政 策 が,実

は 支 邦 の 独 自性,と りわ け 南 ドイ ツ諸 邦 と経 済 基 盤 の 豊 か な ザ ク セ ンの 自立 性 を再 確 認 す る こ と が あ って も,そ れ を 弱 め る とい う こ と は 決 し て な か っ た 。

従 って ドイ ツ 帝 国 に お け る プ ロ イ セ ン の 主 導 性 も 相 対 概 念 で あ って,「 統 一 され た ドイ ツ像 」 す ら も,相 対 化 して 考 え な け れ ば な ら な い で あ ろ う。

注 〕

(1)松 田 智 雄r近 代 の 史 的 構 造 論 』近 代 思 想 社 1984年 。 同 『 ドイ ツ資 本 主 義 の 基 礎 研 究 』岩 波 書 店,1967年 。 同 「 ドイ ツ 資 本 主 義 構 造 論 に 寄 せ て 」 川 島 ・松 田 編 『 国 民 経 済 の 諸 類 型 』 岩 波 書 店,1968年 。 大 野 英 二 ・住 谷 一 彦 「 ド イ ッ 資 本 主 義 分 析 とr資 本 類 型 』」(下)『 想 』1965年2月 号 。 大 野 英 二rド イ ツ 資 本 主 義 論 』未 来 社,1965年 。 川 本 和 良rド イ ツ 産 業 資 本 成 立 史 論 』未 来 社,1971年 。 渡 辺

「『 ドイ ツ 』資 本 主 義 と地 帯 構 造 」 大 野 ・住 谷

・諸 田編rド イ ツ資 本 主 義 の 史 的 構 造 』有 斐 閣 1972年 。 肥 前 栄 一rド イ ツ経 済 政 策 史 序 説 』 未 来 社,1973年

(2)Jagtiani,H.N.,TheRoleoftheState intheProvisionofRailways,1924,PP.

88‐9,AppendixF

(3)拙 稿 「 ドイ ツ 産 業 革 命 期 に お け る プ ロイ セ ソ 鉄 道 政 策 の 展 開 」 『社 会 経 済 史 学 』39‑4, 同 「プ ロ イ セ ンに お け る鉄 道 と 国 家 」 『経 営 史

(8)

44

研 究 報 告1986年 第2号

学 』16‑4。

(4)Jagtiani,op.cit.,pp.48‑9Hen‑

derson,W.O.,TheStateandthelndus‑

trialRevolutioninPrussia,Liverpool, 1967,P.1870

(5)Gisevius,H.F,ZurVorgeschichteder Preu,6'isch‑SachsischenEisenbahnkrieges, Berlin,1971.

(6)Kech,E.,Geschichtederdeutschen Eisenbahnpolitik,Leipzig,1911,S.100 (7)Widenfeld,K.,DeutscheEisenbahnge‑

stalterausStaatsverwaltwigundWirt‑

schabtslebenim19enJahrhundert,in ArchiefiirEisenbahnwesen,1940,S.54 (8)Clapham,J.H.,EconomicDevelopment

ofFranceandGermany,1914,P.153

(9)こ の こ と は 逆 に,経 済 的 自 立 性 の 可 能 性 が あ る 限 り,鉄 道 を 民 間 企 業 に 任 せ う る 余 地 が 存 在 す る こ と に な る 。

αOWidenfeld,a.a.o.,S.52‑3

⑪Kech,a.a.0.,S。81u.90

⑫Widenfeld,a.a.O.,S.56Staats‑

untern.ehmenに 「国 家 企 業 」 と い う訳 語 を あ て た の は,ド イ ツ の 鉄 道 企 業 に く 国 有 企 業 〉 と 、

〈 国 営 企 業 〉 が 存 在 す る た め で あ る 。

⑱Clapham,⑪p.citのP.153

⑭Widenfeld,a.a.0.,S.56

⑮Kech,a.a.0.,S.64

α⑤derselbe,S.101‑2,Ritter,P.,Zur FragederdeutschenEisenbahngemein‑

schaft,1913,S.7,Henderson,op,cit,

P.166,180北 條 功 「 ドイ ツ 産 業 革 命 と 鉄 道 建 設 」 高 橋 幸 八 郎 編r産 業 革 命 の 研 究 』岩 波

書 店,1970年,235ペ ー ジ.

⑰ 石 井 彰 次 郎 厂ビ ス マ ル ク 的 国 有 に つ い て 一 プ ロ シ ア の 鉄 道 国 有 一 」 『経 済 理 論 』41,3g

‑40ペ ー ジ o

⑱Kech,a.a.0.,S.103

⑲ 北 ドイ ツ 連 邦 は,ド イ ツ の 「プ ロ イ セ ン 的 軍 事 的 性 格 規 定 」 と い う特 徴 を も つ 上 か ら の ドイ ツ 統 一 で あ っ た 。(松 田 智 雄 「 ドイ ツ 資 本 主 義 構 造 論 に 寄 せ て 」 前 掲 書,483ペ ー ジ)

⑳ 石 井 彰 次 郎,前 掲 論 文,39‑40ペ ー ジ

⑳Kech,a.a.0.,S.103‑4

derselbe.,S.104;Ritter,a.a.O.,S.7

㈱Kecha.a.0.,S.104‑5

⑳ 村 瀬 興 雄 『 ドイ ツ 現 代 史 』東 大 出 版 会,101

‑103ペ ー ジ

2∂ 飯 田 収 治 他 著 『 ドイ ツ 現 代 政 治 史 』 ミ ネ ル ヴ ァ 書 房,124ペ ー ジ

QOKech,a.a.O.,S.105‐6

⑳derselbe,S.107‑8

v.:derselde,S.108‑9;Alberty,Der UeberganggumStaatsbahnsystemin

Preussen,Jena,O.J.,S.11 29Clapham,op,cit.,P.346;Ritter,a.

a.0.,S.26

⑳Alberty,a.a.0.,S.8;Kech,a.a.

O.,S.109

(31)鉄 道 省 運 輸 局 『 独 逸 鉄 道 概 観 』(昭 和3年) 10ペ ー ジ

(32)Bloemers,K.,DerEisenbahntarif‑

Kampf,herausgegebenvonBom,K.E., ModerneWirtschaftsgeschichte,Kolnu.

Berlin,1966,S.151ff;Ritter,a.a.O.,

S.28ff;Clapha.m,op.cit.,P.346石 井

前 掲 論 文,・:iペ ー ジ

㈱ 『 独 逸 鉄 道 概 観 』10ペ ー ジ (34)Alberty,a.a.O.,S.9‑10;Kech,a.

a.0.,S.110‑1 (35)Kech,a.a.O.,S.111‐2

虧)例 え ば ヴ ュ ル テ ム ベ ル ク 議 会 の メ ンバ ー で あ っ た モ ー リ ツ ・ モ ー ル は 当 時 も っ と も 熱 心 な 分 権 主 義 者 で,帝 国 権 力 の 介 入 に 反 対 す る 論 文 を 肇 表 し て,諸 邦 に 大 き な 影 響 を 与 え た 。

(Alberty,a.a.O.,S.10‐11) (37)Kech,a.a.O.,S.112

×38)Alberty,a.a.O.,S.12 (39)derselbe,S.13 (4Q)derselbe,S.13‐4

(41)derselbe.,S.15;Kech,a.a.O.,S.113

(42)そ の 代 表 で あ る ヴ ュ ル テ ム ベ ル ク の 交 通 大 臣 フ ォ ン ・ ミ ッ トナ ハ トは,同 邦 が 鉄 道 を 帝 国 の 人 身 御 供 に さ し 出 す 考 え を も っ て い な い,と 強

く反 対 意 見 を 表 明 し て い る 。 (Alberty,a.a.O.,S.15)

(43》 同 法 案 の 条 文 はKech,a.a.0.,S.114参 照

㈹Alberty,a.a.0.,S'.18‑21

㈲Kech,a.a.0.,S.116

(46)Alberty,a.a.O.,S.26

(9)

(47)derselbe,S22‑3,Kech,a,a.O.,S.

116‑7

(4&)Kech,a,a.O.,S.117;Alberty,.a,a.

O.,S.26‑7

⑲Kech,a.a.0.,S.117‑8;Alberty,a.

aO.,S.25‑6 (50)derselbe,S.27

翻Kech,a.a.0.,S.118帝 国 鉄 道 計 画 に 反

対 す る 意 見 は,「 ドイ ツ 私 鉄 連 合 」 の よ う な 私 有 鉄 道 サ イ ドに み ら れ た(Alberty,a.a.o.,

S.27‑8)ほ か,大 蔵 大 臣 カ ム プ ハ ウ ゼ ン, 商 務 大 臣 ア ー ヒ ェ ン バ ッ ハ の よ う に プ ロ イ セ ソ 政 府 部 内 に も 消 極 論 が み ら れ た 。(Kech,a.a.

O.,S.118‑9;Alberty,a.a.O.,S.31)

一1985 .11.39受 稿 一

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