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2010年度1学期 金曜3時限 学部「哲学講義」大学院「存在論講義」

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2010年度1学期 金曜3時限 学部「哲学講義」大学院「存在論講義」

「言葉を理解するとはどういうことか?」

第9回講義 2010年6月18日

§

§

§

§7 7 7 7 Dummettの の の の主張可能性意味論 主張可能性意味論 主張可能性意味論( 主張可能性意味論 ( (続 ( 続 続 続き き き) き ) ) )

【前回の復習】

Dummettは、

原理的に検証不可能な真理条件を持つ文の真偽はわからない。その真偽は我々にはわからないとし ても、真であるか偽であるかのどちらかなのだろうか?例えば、過去についての次の文が真である かどうかを確かめるすべはない。

「ジェームズ2世は、32歳の誕生日の午後に頭痛をもっていた」

①<この文の真偽がわからないが、それは真であるか偽であるかのどちらかである>(二値原理)

とすると、<我々がそれを知るかどうかに関係なく、この文の真偽は決まっている>また<我々が それを知るかどうかに関係なく、過去の事実は実在する>ということになる。これは通常、「実在 論」と呼ばれる立場である。真理条件の「実在論」であり、かつ過去の「実在論」である。

②もし<この文の真偽はわからないだけでなく、この文は真でも偽でもない>とすると、<我々が この文の真偽を知る時に限り、この文は真偽を持つ>(K原理)、<我々がそれを知るときにのみ、

過去の事実は実在する>ということになる。これは通常「反実在論」と呼ばれる立場である。

■ダメットは反実在論を主張する。それは二値原理を批判し、 K原理を採用するということである。

K原理 原理 原理:「言明が真であるならば、それが真であることを知ることが原理的に可能でなければなら 原理 ない。」(p.61)

K 原理 原理の 原理 原理 の の「 の 「 「 「知 知 知 知る る る」 る 」 」 」は は は、 は 、 、 、直観主義数学 直観主義数学 直観主義数学 直観主義数学では では では では「 「 「証明 「 証明 証明 証明する する する する」 」 」 」になり になり になり になり、 、 、 、 K 原理 原理は 原理 原理 は は直観主義数学 は 直観主義数学 直観主義数学 直観主義数学では では では、 では 、 、 、次 次 次のよ 次 のよ のよ のよ うに うに

うに うに言 言 言 言い い い い換 換 換 換えられる えられる えられる えられる。 。 。 。

「 「 「

「言明 言明 言明 言明が が が が真 真 真であるとは 真 であるとは であるとは であるとは、 、 、それが 、 それが それが それが証明 証明 証明されていることである 証明 されていることである されていることである。」 されていることである 。」 。」 。」

と と と

と表現 表現 表現 表現される される される される。 。 。 。

3 3 3

3、 、 、 、検証 検証 検証ないし 検証 ないし ないし反証 ないし 反証 反証 反証を を を を中心概念 中心概念 中心概念とする 中心概念 とする とする意味 とする 意味 意味 意味の の の の理論 理論 理論 理論へ へ へ へ向 向 向 向けて けて けて けて( ( ( (続 続 続 続き き き) き ) ) )

数学や論理学以外の文一般についていうと、「知る」は「検証」に置き換えられるので、 K原理は 次のようになるだろう。

「言明が真であるならば、それが検証されることが原理的に可能でなければならない」

「言明が偽であるならば、それが反証されることが原理的に可能でなければならない」

■「 「 「 「数学的 数学的 数学的 数学的言明 言明 言明 言明の の の の理解 理解 理解 理解」 」 」 」とは とは とはどういうことか とは どういうことか どういうことか どういうことか? ? ? ?

・ ・

・ ・「 「 「 「数学的言明 数学的言明 数学的言明 数学的言明の の の の主張 主張 主張 主張」 」 」 」とは とは とは とは

(2)

「そのような [数学的 ] 言明の主張は、それが真であるという要求として解釈されるべきではな く、それの証明が存在する、あるいは構成可能である、という要求として解釈されるべきであ る。」 (p. 70)

「このような仕方で、数学的文や表現の意味の把握は、数学的言語の使用の習得において完全 に示されるようなものであることが保証されている。」(ibid.)

・ ・

・ ・「 「 「 「数学的言明 数学的言明 数学的言明 数学的言明の の の の理解 理解 理解 理解」 」 」 」とは とは とは とは

「 「

「 「このような このような このような意味 このような 意味 意味の 意味 の の理論 の 理論 理論 理論では では では、 では 、 、全 、 全 全 全ての ての ての理解可能 ての 理解可能 理解可能 理解可能な な な な言明 言明 言明が 言明 が が が実効的 実効的 実効的に 実効的 に に に決定可能 決定可能 決定可能 決定可能であるである であるである であるである であるである、 、 、とい 、 とい とい とい うことは

うことは うことは

うことは少 少 少 少しも しも しも要求 しも 要求 要求されていない 要求 されていない されていない。 されていない 。 。」 。 」 」 」 (ibid.)

「我々が言明を理解するのは、言明が与えられたときにそれの証明を認識する方法を我々が知 っているときである。」 (ibid.)

「言明の理解は、必ずしも証明を見つける能力にあるのではなく、証明 証明 証明 証明が が が が見 見 見つかったときに 見 つかったときに つかったときに単 つかったときに 単 単 単 にそれを

にそれを にそれを

にそれを認識 認識 認識 認識する する する する能力 能力 能力 能力にある。」 (ibid.)

ゴールドバッハの予想は、まだ証明されていない。従って(二値原理を採らない直観主義数学では)

「それは真か偽のどちらかである」ということもできない。しかし、<ゴールドバッハの予想を理 解する>とは、<もしその証明が見つかったらならば、その証明を認識する能力をもつ>ことであ る。

言明の理解とは、このような「能力」 (ability, capacity)をもつことであり、「実践的知識」(practical knowledge)、「陰伏的知識」(implicit knowledge)である。

・「 「 「 「数学的表現 数学的表現 数学的表現 数学的表現の の の の理解 理解 理解 理解」 」 」 」とは とは とは とは

数学的言明、つまり定理や数式の中の部分的な表現は、式の証明の理解への貢献にある。

「数学的表現の理解は、<その表現がその中に出現する言明の証明と考えられるものが何なの かを決定することに>その表現が寄与する仕方の知識の中にある。」 (ibid.)

■自然言語 自然言語 自然言語 自然言語において において において において「 「 「 「言明 言明 言明 言明を を を を理解 理解 理解 理解する する する」 する 」 」 」とはどういうことか とはどういうことか とはどういうことか とはどういうことか? ? ? ?

直観主義数学の意味の理論を非数学的ケースに一般化することは簡単であるとダメットはいう(p.7 0) その場合には「証明」にかえて「検証」という概念を用いる。

「言明の理解は、言明の検証として、すなわち言明を真なるものとして最終的に確定すること して考えられるものが何であれ、それを認識する能力の中にある。我々が、言明の真ないし偽 を決定する手段を持っているべきであるということは必要ではない。たんに、その真理が確定 した時に、我々にそれを認識する能力があるということが必要なのだ。」 (pp.70-71)

<言明を理解する>とは、<言明の検証(ないし反証)が与えられたときに、その検証(ないし反

(3)

証)を理解する能力がある>ということである。

「雨が降っている」を理解するとは、<この言明が検証(ないし反証)されたときに、それを理解 する能力がある>ということである。

■数学的言明 数学的言明 数学的言明 数学的言明の の の理解 の 理解 理解 理解と と と と日常 日常 日常 日常の の の の言明 言明 言明 言明の の の理解 の 理解 理解 理解の の の の関係 関係 関係 関係

言明の検証について、ダメットは、クワインの主張に従わなければならないという。ダメットの 理解では、クワインは、理論の周辺( periphery)にある文は、感覚経験によって検証(ないし反証)

される。しかし、他の非―周辺的な文については「それを検証したり反証したりする裸の感覚経験 がどの様なものであるのか、を認識する能力」 (p.71)をもたない。それらは、「その文と結合した他 の文との推論的な結合の理解」によって理解される。数学 数学 数学における 数学 における における における証明 証明 証明 証明は は は は、 、 、 、このような このような このような推論 このような 推論 推論 推論による による による による 検証 検証

検証 検証の の の の一種 一種 一種 一種であって であって であって であって、 、 、いわば 、 いわば いわば いわば検証 検証 検証 検証の の の「 の 「 「 「限界事例 限界事例 限界事例 限界事例であって であって であって、 であって 、 、 、検証 検証 検証 検証とは とは とは異質 とは 異質 異質なものではない 異質 なものではない なものではない なものではない」 」 」 」 (Cf.71) 。

論理実証主義は、次の二つを明確に区別した。

①論理学と数学の命題の真理は、論理的な証明が可能な「分析的な真理」である。

②経験的な科学の命題の真理は、観察による検証が可能な「綜合的な真理」である。

これに対して、クワインは「経験論の二つのドグマ」において「分析的真理」と「綜合的真理」の 区別を批判した。ここでダメットは、これを受けて、数学の「証明」もまた「検証」の限界事例で あるとするのだと思われる

(ここでは、「二つのドグマ」をダメッとは評価しているが、「分析」「綜合」の区別 の否定については、言及していないので、これに対する評価を確認する必要がある)。

しかし、ダメットのここでのクワイン理解は不十分である。

第一に、クワインは、周辺の命題は、感覚経験によってテストされると考えているが、しかしそれ らの意味は、経験のテストによって確定するとは考えておらず、周辺の命題もまた理論の命題全体 の中で意味をもつと考えている。ダメットが検証主義の意味論を主張しようとするならば、クワイ ンの意味の全体論を批判する必要がある。

第二に、クワインが考える文の経験によるテストは、論理実証主義が考えていた観察による検証と は異なるので、ダメットの考えていた検証や反証とも異なるように思われる。クワインが考える「場 面文」の経験によるテストは、感覚刺激がその発話への同意を促すか、不同意を促すか、によるテ ストである。ここでは感覚刺激は語には対応していない。しかし、論理実証主義は、語に対応する ものとして感覚刺激を考えていた。ダメットも、後者である可能性がある。

4 4

4 4、 、 、 、検証 検証 検証 検証ないし ないし ないし ないし反証 反証 反証 反証による による による による意味 意味 意味 意味の の の のコア コア コア理論 コア 理論 理論 理論

ダメットは、「真理」にかえて「検証」ないし「反証」を中心観念にして、全ての文に「検証」の 観念を回帰的に (recursively)説明する指示の理論(コア理論)が可能であると述べている(cf. p.84)。

■ ■

■ ■真理関数 真理関数 真理関数 真理関数の の の の扱 扱 扱い 扱 い い い

(規則∧) 「p∧q」が検証されるのは、「p」が検証され、かつ、「q」が検証される、ときそ の時に限る。

(規則v)「pvq」が検証されるのは、「p」が検証されか、あるいは、「q」が検証される、

ときその時に限る。

問題は、否定(規則¬)の場合である。次のように言うことはできない。

(4)

「¬p」が検証されるのは、「p」が検証されないとき、その時に限る なぜなら、①は成り立つが②は成り立たないからである。

① 「¬p」が検証されるならば、「p」が検証されない ② 「p」が検証されないならば、「¬p」が検証される

「¬p」の形式の文は、「p」と同様に、その検証条件を説明する公理を設定しなければならない。

この公理の説明には、語への言及が必要である。そこで、まず語の導入の公理について考えてみよ う。

■固有名 固有名 固有名 固有名の の の の公理 公理 公理 公理

真理条件意味論の真理理論(解釈的T理論)では、例えば次のような語の導入の公理が立てられる。

(固有名の公理):「ロンドン」は、ロンドンを表示する

この公理が真であることを受け容れたとしよう。我々は、これを意味も分からず単なる規約として 受け入れることも出来るが、しかし真であることを理解して受け入れることもできる。しかし、そ の理解のために必要なのは、「「・・・」は、・・・を表示する」という日本語の述語の理解と、

「ロンドン」が日本語の「語」である、ということだけである。これだけでは、「ロンドン」とい う語の意味が分かっているとは言えない、というのが、ダメットの批判であった。

これに対して、ダメットはいまや次のように言うことができる。

「検証主義ないし反証主義の理論において、我々は、名前 名前 名前 名前の の の意義 の 意義 意義 意義の の の の理解 理解 理解 理解は は は は、 、 、ある 、 ある ある所与 ある 所与 所与の 所与 の の の対象 対象 対象に 対象 に に に ついて

ついて ついて

ついて、 、 、 、それが それが それが それが名前 名前 名前 名前の の の の担 担 担 担い い い手 い 手 手 手であることを であることを であることを最終的 であることを 最終的 最終的 最終的に に に定 に 定 定 定める める める めること こと こと ことと と と として して して して見 見 見 見なされる なされる なされるものが なされる ものが ものが何 ものが 何 何であ 何 であ であ であ れ

れ れ

れ、 、 、それを 、 それを それを それを認識 認識 認識する 認識 する する能力 する 能力 能力のなかにある 能力 のなかにある のなかにある、というべきだった。」(p. 91) のなかにある

つまり、<固有名の senseを理解する>とは、<ある対象がその固有名の担い手(bearer)であること を確定する最終的に定めるものを認識する能力をもつ>ということである。(しかし、これによっ て、語の公理の理解が明らかになっただろうか?)

■ ■

■ ■述語 述語 述語 述語の の の の公理 公理 公理 公理

「フレーゲの主張<述語はあらゆるところで定義されているべきだ>は、<あらゆる対象に関 して、述語が適用されるか適用されないかが決定されている>ということの要求として彼によ って表現されている。しかし、彼は、我々にはそれを決定できないかもしれないことを、はっ きりと認めている。」(p.91)

我々は、ある述語が、全ての対象について、適用されるか適用されないか決められないだけでな く、適用されるか適用されないかのどちらかである、ということも言えない。したがって、述語の 意義の理解は、それの使用によって完全に明白になることはありえない。(ダメットの述べている のはこれだけである)

我々は、述語の意義の理解を、言明の理解の中への寄与として考えざるを得ないのだろう。

(5)

■要素文の検証条件

(以下は、ダメットが全く述べていないことであり、入江の勝手な構想です)

(規則βα ) 「αはβである」が検証されるのは、名前「α」の担い手が、「β」の表示する集

合の要素であることが認識されるとき、その時に限る。

(規則¬βα) 「αがβでない」が検証されるのは、名前「α」の担い手が、「β」の表示する 集合の要素でないことが認識されるとき、その時に限る。

右辺を「検証」とせずに「認識」としたのは、「検証」にすると右辺の文のほうが左辺の文より複 雑な文になり、意味の合成性の説明にならないからである。しかし、「認識」に変えるだけでは、

説明にならない。しかし、名前に対応する感覚刺激を想定できないとすれば、これ以上の分析は難 しいかもしれない。

5 5 5

5、 、 、 、残 残 残 残されている されている されている されている疑問 疑問 疑問 疑問

■疑問 疑問 疑問 疑問1 1 1 1

<言明を理解しているかどうか>、言い換えると<言明の検証(ないし反証)が与えられたときに、

その検証(ないし反証)を理解する能力があるかどうか>は、どのようにしたらわかるのだろうか。

この「能力」ないし「陰伏的知識」は、「言語的実践」(linguistic practice)において示されている、

とダメットはいう

(Cf. p. 71)

。確かに、「雨が降っている」のような通常の言明であれば、ある人が ある言明を理解しているかどうかは、その人の言語的実践から理解できる。

■ ■

■ ■疑問 疑問 疑問 疑問2 2 2 2

検証不可能な真理条件をみとめないとするとき、文を次のように分けることができるのか?

①真理値が解っている文

「6月18日の大阪は雨である」

「6月18日の大阪は大雪である」

②真理値は解らないが、それが検証可能であることが解っている文 「シリウスに5つの惑星がある」

「6月19日の大阪は雨である」

③真理値が解らず、検証可能であるかどうかもわからない文

「2より大きなすべての偶数は、二つの素数の和である」(ゴールドバッハの予想 )

④真理値が解らず、検証不可能であることが解っている文

「我々の太陽系には、我々がその存在を設定することができない惑星が存在する」

「色のスペクトラムは、女性では逆転している」

言明を理解していることが、<言明の検証(ないし反証)が与えられたときに、その検証(ないし 反証)を理解する能力がある>ということであるとすると、

②については、真理値がわかっていないが、言明を理解していることになるだろう。

③について、我々がその言明が検証可能であるかどうか解らないとすれば、<その言明の検証が与

えられたときにそれを理解できるかどうか>解らない。したがって、我々は<その言明を理解して

(6)

いるかどうか>解らない。したがって、我々はその言明を理解しているとも、理解していないとも

いえないのだろうか。それとも我々はその言明を理解していないのだろうか。

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