九州大学学術情報リポジトリ
Kyushu University Institutional Repository
On the Selection of a Government Official 擬官 by Li-bu-cao 吏部曹 in the Jin 晋 and the Nan- chao 南朝 period
野田, 俊昭
九州大学大学院文学研究科
https://doi.org/10.15017/24520
出版情報:九州大学東洋史論集. 6, pp.32-50, 1977-10-30. The Association of Oriental History, Kyushu University
バージョン:
権利関係:
晋南朝における吏部曹の擬官をめぐって
告南朝における吏部曹の擬官をめぐって
二 一
三
四 はしがき 目次
郎部曹の擬官権
家格制下の吏部曹の擬官
魚子制下の吏部曹の軌範
官吏任命手続きの改変
むすびにかえて
︵附︶吏部尚書と吏強磁
は し が き
魏晋南朝︵以下六朝と言う︶時代の官僚には︑ほぼ西一日末 Dころ以降︑梁の天鼓七年︵・五〇八年︶武事によって断行さ Aれた所謂青垣の改革︵以下﹁改革﹂と言う︶より前で言えば︑郷品一・二品を得て第五・六品に起家すべき官僚集団︵以
下これを甲族層と言う︶及び下品三・四・五品を得て第七・
八・九品に並家すべき官僚集団︵以下これを三門層と言う︶
野
田俊
昭
並に郷品六・七・八・九品を得て流外に起物すべき官僚集団
︵以下これを後門層と言う︶があるが︑こうした集団は世襲
性をもつものであるO︒このうち話調層と次門層との官序は︑
長官自辟の場合を除き︑尚書吏部曹が擬明した結果を天子に
上呈し︑天子がこれに基づいて任命大権を行使する形をとる︒
本稿は︑まず吏部曹の職能のひとつである擬官権について
考え︑次いで右に述べた官吏任命手続きに陳代になると変化
が生じたが︑こうした変化の要因として﹁改革﹂時にうち出さ
れた﹁任子制﹂に象徴される新しい人事原則の施行が大きな
意味を持つと考えられること︑つまり︑それが天子の任命大
権行使を通じての官僚支配の組織的強化を物語るものである9
ことなどを論ずる︒
なお︑本稿で言う擬官権とは︑ ︵起家前の︶官吏候補者を
ある官職に擬する権限︑もしくはある官職に欠員ができた時
に適当な官吏を選んでその官職に擬する権限のことである︒
︵起家前の︶官吏候補者をある官職に就官せしめようとす 鞠、
一 32 一
晋南朝における吏部曹の擬宮をめぐって
亙 日 南 朝 に お け る 吏 部 曹 の 擬 官 を め ぐ っ
目
次
はしがき四
吏部曹の擬官権
家格制下の吏部曹の擬官
任子制下の吏部曹の擬官 官吏任命手続きの改変
むすびにかえて
(附)吏部尚書と吏部郎
I
まカ3
き
し 貌晋南朝(以下六朝と言う)時代の官僚には︑ほぼ西晋末
D ころ以降︑梁小天監七年(・五O 八年)武帝托よって断行さ
A
れた所謂天監の改革(以下﹁改革﹂と言う)より前で言えば
︑郷品一・二品を得て第五・六口聞に起家すべき官僚集団(以
下乙れを甲族層と言う)及び郷品三・四・五品を得て第七・
八・九品K
起家すべき官僚集団(以下これを次門層と言う)
て
野
俊
昭 田 並陀郷品六・七・八・九品を得て流外に起家すべき官僚集団
バ以
下
ζ
れを後門層と言う)があるが︑こうした集団は世襲
性をもつものである似︒このうち甲族層と次門層との官序は︑
長官自畔の場合を除き︑尚書吏部曹が擬官した結果を天子陀
上呈し︑天子がこれに基づいて任命大権を行使する形をとる︒一
角4
本時間は︑まず吏部曹の職能のひとつである擬官権陀ついて寸 考え︑次いで右に述べた官吏任命手続きに陳代になると変化
が生じたが︑こうした変化の要因として﹁改革﹂時にうち出さ
れた﹁任子制﹂に象徴される新しい人事原則の施行が大きな 意味を持つと考えられること︑つまり︑それが天子の任命大 権行使を通じての官僚支配の組織的強化を物語るものである
ことなどを論ずる︒
なお︑本稿で言う擬官権とは︑(起家前の﹀官吏候補者を ある官職K
擬する権限︑もしくはある官職に欠員ができた時
に適当な官吏を選んでその官職に擬する権限の乙とである︒
一
︑ 吏 部 曹 の 擬 官 権
(起家前の)宮吏候補者をある官職に就官せしめようとす
る時︑或いは︑ある官職に欠員ができた時に適当な官吏を選
んでその欠をうめようとする時︑転部曹はその穿つ擬官権を
行使して選案をつくる︒いま︑選案について考えるに︑著書
巻四三濤伝に︑
濤再居選球十有余年︒毎一官欠︑軌匡数十人︑詔旨有所
向︑然後顕奏︒
とある︒また芸文類聚巻四八吏部尚書七四に︑吏部尚書山高
について︑
王算置書云︑:・濤用人︑皆先密啓︑然後公奏︒
とある︒右の二記事から三部尚書山濤は︑官職に欠員が生じ
た場合︑その欠をうめるに適当と考えられる候補者を数人あ
げ︑天子の意向を聞いて後︑それに沿って正式の選案を作製
し︑それを天子に上呈したことが分かる︒
ただし︑その選案の上呈に先だち︑吏部尚書が予め天子の
意向をきいた場合がある︒即ち︑太平御覧巻一=六吏部町中
に引く山濤啓事に
人才既自⁝難知︑中人三下情偽又難︒吏部郎以砕事︑日夜
相接︒非但当正己而己︑乃二野正人︒議掛杜黙︑徳直筆
佳︒太子庶子崔諒︑三郎陳准︑皆有意正︒又其次︒不審
有可用者︑不︒
とあり︑さらに淳化閣帖三に
侍中尚書僕射奉車都尉新沓伯忍言言︑臣近群書諒・史曜
・陳准可詳論部郎︑詔書可爾︒此三人皆衆論計器︒諒尤
晋南朝における吏部曹の擬官をめぐって 質正少華︒可以敦教り錐大化未可︑倉卒風尚︑所三唱益
.一︐一︐者多ゆ色鳥︑宜先用諒︑謹聴以闘︒
とあるが︑後者は大庭激越の高説のごとぐ先の方の啓事に連
続する文書であろう②︒つまり山濤は︑選案の上呈に先だち
天子に密啓し︑その意向を承知したうえで︑淳化閣帖に見え
る形の選案を上呈したことになる︒いずれにしても九品宮人
法王にあっては︑原則として吏部暫が擬官の愚案を作成し︑
天子に上呈するが︑天子はその選案に基づいて任命大権を発
動するのである︒これは︑吏部曹に官吏の遷転︑陞進につい
て大幅な権限が委譲されていたことを示す︒宋書巻六九萢家伝に︑元嘉二+二年︵智四五年︶譲のクーデタ売加担
して入獄した孔煕先のことについて︑
煕先望風吐款︑辞気不熟︒上奇其才︑閑人慰労之日︑以
卿之才︑而嘱望集書省︒理富有異心︒此天下一一也︒又
詰責前二部何尚之日︑使孔菜刀将三十作散騎郎︑那不作
賊︒とあって︑文帝は孔煕先がクーデターに加担した原因を彼の
官達が遅滞していたことに求め︑その責を吏部曹の人事行政
に帰している︒ただし︑南面書巻三三張緒伝に︑
︵永明︶七年︵鰯四八九年︶︑意陵王子領国子祭酒︒世 祖︵武帝︶勅︵吏部尚書︶王尊母︑吾欲令司主辞祭酒以
甲張緒︒物議年忌云何︒
とある例に見られるごとく天子が吏筆跡の擬花をまたず︑自
一一@33 一一
る時︑或いは︑ある官職に欠員ができた時陀適当な官吏を選 んでその欠をうめようとする時︑吏部曹はそのもつ擬官権を 行使して選案をつくる︒いま︑選案について考える
K
︑膏書 巻四三濡伝
K︑ 濠再居選職十有余年︒毎一宮欠︑朝擬数十人︑詔旨有所
向︑然後顕奏︒
とある︒また芸文類衆巻四八吏部尚書七四陀︑吏部尚書山濡
について︑
王隠膏書云︑:・濡用人︑皆先密啓︑然後公奏︒
とある︒右の二記事から吏部尚書山濡は︑官職陀欠員が生じ た場合︑その欠をうめる
K
適当と考えられる候補者を数人あ げ︑天子の意向を聞いて後︑それ陀沿って正式の選案を作製 し︑それを天子陀上呈した
ζとが分かる︒
ただし︑その選案の上呈陀先だち︑吏部尚書が予め天子の 意向をきいた場合がある︒即ち︑太平御覧巻二一六吏部郎中 K引く山濡啓事陀 人才既自難知︑中人己下情偽文離︒吏部郎以砕事︑日夜 相接︒非但当正己而己︑乃当能正人︒議副社黙︑徳履亦 佳︒太子庶子崖諒︑わ郎陳准︑皆有意正︒又其次︒不審
有可用者︑不︒
とあり︑さらに淳化閣帖三
K
侍中尚書僕射奉車都尉新沓伯臣祷一言︑臣近啓僅諒・史曜
・陳准可補吏部郎︑詔書可爾︒此三人皆衆論所称︒諒尤
晋南朝における吏部曹の擬官をめぐって
質正少華︒可以敦教︒雄大化未可︑倉卒風尚︑所勧局益 者多勺臣以︑宜先用諒︑随謹以間︒ とあるが︑後者は大庭修氏小高説のごとく先の方の啓事
K連
続する文書であろう
ω
︒つまり山濡は︑選案の上呈陀先だち 天子陀密啓し︑その意向を承知したうえで︑淳化閣帖K
見 え る形の選案を上呈したとと陀なる︒いずれ托しでも九品宮人 法下陀あっては︑原則として吏部曹が擬官の選案を作成し︑
天子
K
上呈するが︑天子はその選案陀基づいて任命大権を発 動するのである︒とれは︑吏部曹陀官吏の選転︑陸進陀つい て大幅な権限が委譲されていた乙とを示す︒宋書巻六九沼嘩 伝花︑元嘉二十二年(仙四四五年)活嘩のクーデターに加担 して入獄した孔黒先の乙と
K
つい
て︑
照先望風吐款︑辞気不榛︒上奇其才︑遣人慰労之目︑以 卿之才︑而滞於集書省︒理応有異心︒此乃我負卿也︒又 詰責前吏部何尚之目︑使孔県先将三十作散騎郎︑那不作 賊 ︒ とあつで︑文帝は孔照先がクーデター
K
加担した原因を彼の 官達が遅滞していたこと陀求め︑その責を吏部曹の人事行政 陀帰している︒ただし︑南斉書巻三三張緒伝陀 (永明)七年(仙四八九年)︑意陵王子領国子祭酒︒世 祖(武帝)勅(吏部尚書)王曇日︑五口欲令司徒辞祭酒以
授張緒︒物議以潟一五伺︒
とある例
K
見られるごとく天子が要部曹の擬官をまたず︑自
‑ 33 ‑
晋南朝における吏部曹の擬官をめぐって
ら吏部曹に意中の人物の播州を命ずることも当然ある︒
さて︑こう・した擬官権は︑九品官人法の創設とともに尚書 省︑特にその南部曹に集約されたことが指摘されている侶︒
それではどのような官職が錦部曹によって富岳され︑また擬
岩されるべきであるとなされていたのであろうか︒
吏部曹のもつ高要官の擬官権についであるが︑魏節巻二二
言伝伝に︑明帝の在位中に吏部尚書であった露玉について︑
会司徒欠︒娩挙処上右記︒帝不能用︒更問其次コ銃対日︑
敦篤重信︑則太中太夫韓琶︒亮直清方︑則青石校尉崔林︒
貞固純粋︑則太常常林︒帝乃只管︒
とある︒これは三公のひとつである司徒︵第一品官︶につい
ての擬官を吏部曹が行なったことを示している︒ただし︑右
の史料によると︑上官は口頭でなされている︒しかし︑前掲
の山濤啓培から見て︑晋代には擬官の結果の文書化︵11選案
の作製︶がなされていたと思われる︒つぎに告書巻七七薬護
伝に︑東晋時代のこととして︑精密が司徒に任ぜられたがそ
の就官を断つた時のこととして︑
時︵康︶照年八歳甚捲︒問左右日︑所召人暦書至今不来︒
・:君臣倶疲弊︒:・中軍将軍股浩奏︑免吏部尚書江彪官︒
とある︒これは司徒の授官に童部尚書が責任をもたなければ ならないことを示している侮︒ とするとこれは押部曹が司
徒についての擬装を行なっていたことを察せしめるものとな
ろう︒さらに︑南斉書巻二三楮渕伝に︑ 建元元年︵智七九年︶︑進位司徒︒侍中︑中書監如故︒ 封南康郡公︑邑三千戸︒渕固譲司徒︒与僕射王倹書︑欲 票護事例︒倹以非所宣言︑勧灘受命︑渕終止就︒とある︒票護の事例とは︑前述したよろに︑東晋時代藥⁝護が司徒就官を固辞したことを指す︒この年歯倹は尚書僕射を以て吏部尚書を領している︒楮渕が司徒器官固辞の意を領吏部尚書たる王倹を通じて示そうとしているのは︑司徒の授官に
ついて吏部面が責任を有していることを示していると考えら
れる︒とするとこれもまた司徒についての即行を吏部下が行
なっていたことを察せしめる例となろう︒なお︑九品官人法
下︑官吏たるべきものは郷品を必要とするが︑司徒はこの郷
品の授与を統轄する最上級官である︒
つぎに︑吏部尚書の長官である尚書令︵第三品官︶の擬官
権についてであるが︑古典巻一四選挙二歴代制中に引く山濤.
謹書に︑ 山思者吏部尚書十有余年︑士官閾︑輻啓擬数人︒・:尚
書令閾︒宜得其人︒征南大征軍祐︑体義立正︑可粛朝廷︒
又云有疾苦者︑大将軍錐不整正︑須筋力戎馬間︑猶宜得
昔者︒征北将軍珪︑貞正静一︒中書監助︑里居事物︒三
人皆人彦︒不審有司参挙者︑不︒
とあり︑尚書令につびての擬官を吏部費が行なっていること
を示している︵﹁又貸有疾苦者﹂の句にはなんらかの誤りが
あると思われる︶︒また︑南斉書巻四九王奥伝に︑
一一一@34 一
晋南朝における吏部曹の擬官をめぐって
ら吏部曹に意中の人物の擬宮を命ずることも当然ある︒
きて︑こうした擬官権は︑九品官人法の創設とともに尚書
省︑特にその吏部曹K集約されたことが指摘されている
ω
︒それではどのような官職が吏部曹によって擬宮され︑また擬
{目されるべきであるとなされていたのであろうか︒
吏部曹のもつ高要宮の擬官権についであるが︑貌志巻二二
塵統伝に︑明帝の在位申陀吏部尚書であった直舗について︑
会司徒欠︒鏑挙処上管寧︒帝不能用︒更問其次J
鏑対
日︑
敦篤至行︑則太中太夫韓置︒亮直清方︑則司隷校尉崖林︒
貞固純粋︑則太常常林︒帝乃用聾︒
とある︒これは三公のひとつである司徒(第一品宮)につい
ての擬官を吏部曹が行なったことを示している︒ただし︑右
の史料陀よると︑擬官は口頭でなされている︒しかし︑前掲
の山溝啓事から見て︑菅代陀は擬宮の結果
文書化m w
( H
選案
の作製﹀がなされていたと思われる︒つぎK菅書巻七七察護
伝K︑東菅時代の乙ととして︑察諜が司徒陀任ぜられたがそ
の就官を断つ充時のとととして︑
時(康)帝年八歳甚捲︒間左右目︑所召人何以至今不来︒
・:君臣倶疲弊︒:・中軍将軍殿浩奏︑免吏部尚書江蕗宮︒
とある︒これは司徒の授官陀吏部尚書が責任をもたなければ
ならない乙とを示している例︒とすると乙れは吏部曹が司
徒についての擬宮を行なつでいたことを察せしめるものとな
ろう︒さらK︑南斉書巻二三橋測伝K︑ 建元元年(泊四七九年)︑進位司徒︒侍中︑申書監如故︒封南康郡公︑邑三千一戸︒湖国譲司徒︒与僕射王倹書︑欲察譲事例︒倹以非所宣言︑勧測受命︑測終不就︒
とある︒察護の事例とは︑前述したよ弓K︑東菅時代察諜が
司徒就官を固辞した乙とを指す︒乙の年王倹は尚書僕射を以
て更部尚書を領している︒楕測が司徒就官固辞の意を領吏部
尚書たる王倹を通じて示そうとしているのは︑司徒の授官に
ついて吏部曹が責任を有している乙とを示していると考えら
れる︒とすると乙れもまた司徒についての擬官を吏部曹が行
なっていたζとを察せしめる例となろう︒なお︑九品宮人法
下︑官吏たるべきものは郷品を必要とするが︑司徒はこの郷
品の授与を統轄する最上級官である︒
つぎに︑吏部尚書の長官である尚書令(第三品官﹀の擬官
権についてであるが︑通典巻一四選挙二歴代制中に引く山濡
啓事
に︑
山濡矯吏部尚書十有余年︑毎宮閥︑朝啓擬数人︒・・・尚
書令開︒宜得其人︒征南大征軍祐︑体義立正︑可粛朝廷︒
又云有疾苦者︑大将軍雄不整正︑須筋力戎馬問︑猶宜得
健者︒征北将軍潅︑貞正静一︒申書監助︑達練事物︒三
人皆人彦︒不審有司参挙者︑不︒
とあり︑尚書令につ︑いての擬官を吏部曹が行なっていること
を示している(﹁又云有疾苦者﹂の句にはなんらかの誤りが
あると思われる)︒また︑南斉書巻四九王集伝陀︑
‑ 34 ‑
王倹卒︒上︵武帝︶用奥爲尚書令︑以問︵吏部尚書︶王
曼︒比比遇己重︑与奥不能相推︒答上日︑柳世隆有葬礼︑
恐不輸在輿後︒右転爲左僕射︑加給事中︒
とあり︑これも尚書令についての県官は本来吏量質が行なう
べきであることを示している︒ちなみに柳世隆は王倹の後を
襲って尚書令となっている︒魏以降国政の枢機を掌握したの
は尚書省であり︑尚書令はその長宮である㈲︒右に見たごと
く︑魏以降の吏部曹は︑人事についての最高官のひとつであ
る司徒及び国政についての最高官である尚書令についての擬
官権を掌握していたのである︒
今︑右に示した例も含めて吏部曹が擬官を行なった例及びそれが凝官すべきであるとされた例を捜し︑その具体的な官
職を各時代別に表示するとつぎのようになる︒
○魏代︒司徒︵第︸品︶
偉中書侍郎︵第五品︶
㈹郡太守︵第五品︶
侮一読Aコ︵第六口叩︶
かP県長︵第七品︶
㊨黄門郎︵第五品︶○奮代
ω侍中︵第三品︶ 魏志巻二二盧銃伝︒魏志巻二二盧硫伝︒魏志巻九夏候喧伝罫引魏氏春秋︒吝書巻三三石苞伝︒晋書巻三三石苞伝魏志巻二八鐘会伝所引当勘爲其伝︒
通典巻二四選挙二歴代制中の条︒
太平御覧巻二一九職官部一七侍中
晋南朝における吏部曹の擬官をめぐって ⑫尚書令︵第三品︶㈹県令︵第六品〜第八品︶ω郡太守︵第五品︶㈲宗正卿︵第五品︶㈲太子中庶子︵第五品︶ω尚書吏部郎︵第六品︶㈹太子左衛率︵第五品y⑨尚書郎︵第六品︶
︵10セ常磁︵第三品︶太平御覧巻二一九職官部一七侍中 伝︒同七五王坦之伝︒ 尚書郎の条︒奮書巻七八王彪之 太平御覧巻二一五職官部=二総 太子左衛率の条︒ 条︒太平御覧巻二四七職官部四五 通典巻三〇職官=一左右衛率府の の条︒奮書巻七力謝安伝︒ 平御覧巻二一六職官部一四吏部郎 通典巻一ご二職官五吏部郎の条︒太 子左右庶子の条︒ 条︒太平御覧巻二一二〇職官四三太 通尿巻三〇職官一二太子中庶子の の条︒ 平海覧巻二三〇職官部二八宗正一望 通典薬二五職官七宗諸島の条︒太 同二三一五県令の条︒ 通典二九職官=三二署郎官救の条︒ 著書巻八二陳寿伝︒ 通典巻二三職官五吏部尚書の条︒ 芸文類聚巻四八職官速球尚書令の条 通典巻一四選挙二歴代制中の条︒ の条
一一 35 一
王倹卒︒上(武帝)用負潟尚書令︑以問(吏部尚書)王
曇︒曇位遇己重︑与集不能相推︒答上目︑柳世隆有重望︑
恐不宜在集後︒乃転馬左僕射︑加給事中︒
とあり︑乙れも尚害令についての擬官は本来吏部曹が行なう
べきである乙とを示している︒ちなみ陀柳世隆は王倹の後を
襲つで尚書令となっている︒貌以降国政の枢機を掌握したの は尚書省であり︑尚書令はその長官である例︒右に見たとと く︑貌以降の吏部曹は︑人事陀ついての最高官のひとつであ
る司徒及び国政Kついての最高官である尚書令陀ついての擬
宮権を掌握していたのである︒
今︑右
K
示した例も含めて吏部曹が擬官を行なった例及び それが擬官すべきであるとされた例を捜し︑その具体的な官
職を各時代別に表示するとつぎのようになる︒
O貌代
的司徒(第一品)
川判中書侍郎(第五品)
例都太守(第五品)
ω
県令(第六品)
例県長(第七品)
制黄門郎(第五品)O膏代
似侍中(第三品)
貌志巻二二麗銃伝︒
貌志巻二二庫銃伝︒
貌志巻九夏候玄伝所引規氏春秋︒
音書巻三三石萄伝︒
青書巻三三石萄伝
頻志巻二八鐘会伝所引何勘潟其伝︒
通典巻二四選挙二歴代制中の条︒
太平御覧巻二一九職官部一七侍中
晋南朝における吏部曹の擬宮をめぐって
の条
通典巻一四選挙二歴代制中小条︒
芸文類緊巻四八職骨蔀五尚書令の条
例県令(第六品
i
第八品)通典巻二三職官五吏部尚書の条︒膏書巻八二陳寿伝︒
通典二九職官一三三署郎官殺の条
n
同二二二五県令の条︒
通典巻二五聡宮七宗正卿の条︒太
平御覧巻二三O
職宮部二八宗正卿
の条
︒
通典巻三O
職官二一太子中庶子の
条︒太平御覧巻二三O
職官四三太
子左右庶子の条︒
通典巻二三職官五吏部郎の条︒太 平御覧巻一二六職宮部一四吏都郎
の条︒膏書巻七六謝安伝︒
通典
巻一
二
O
職官二一左右衛率府の
条︒太平御覧巻二四七職宮部四五
太子左衛率の条︒
太平御覧巻一二五職官部一三総
尚書郎の条︒膏書巻七八王彪之
伝︒同七五王坦之伝︒
太平御覧巻一二九職宮部一七侍中
ω
尚書令(第三品)似郡太守(第五品)
制宗正卿(第五品)
制太子申庶子(第五品)
約尚書吏部郎(第六品)
制太子左衛率(第五品)
制尚書郎(第六品)
(10 )
太 常 Y~n 第 品
‑ 35 ‑
16i徒︵第一品︶
○宋代ω太子庶子︵第五品︶
②著作佐郎︵第六品︶
㊨州刺史︵第五品︶
ω散騎侍郎︵第五品︶
⑤尚書吏部郎︵第六品︶
⑯郡太守︵第五品︶ 晋南朝における吏部曹の擬官をめぐって の条︒
の条︒ ︵11ヘ南歩︵第三品︶ 太平御覧巻一=九職官部一七侍中
12a中侍御史︵第六品P︶太平御覧巻二二七職官部二五殿中
侍御史の条︒
13B刺史︵第四品?︶ 太平御覧巻二二九職官部三七游撃
将軍の条︒
14O友︵P︶ ︐ 太平御覧巻二四八職官部四六重砲
の条︒
15ヴ^卿︵第三品︶ 芸文類聚巻四九職官部五離塁卿の
条︒︶ 著書巻七七察護伝︒
σ公車令︵p︶
侶黄門侍郎︵第五品︶
㈲中書侍郎︵第五品︶ 宋書巻九三郭希林伝︒宋書巻九三郭希林伝︒宋書巻八九衰藥伝︒宋書巻六九萢曄伝︒宋書巻六二王微伝︒宋書巻七五王曹達伝︒同五一劉義欣伝︒梁書巻七献皇后伝︒宋書巻七七顔師伯伝︒宋書巻八四郡碗伝ゆ
宋書巻八四郡碗伝︒
コ散平常侍︵第三品︶ メ 10カ衛将軍︵第六品︶
ラη侍中︵第三品︶
X
13セ子左・右衛率︵第五
品︶ラ
×ー4去亦?i第五品︶
15R遠行斑尾︵第七品︶
ラ
ー6ョ書郎︵第六品︶
X
17i外記室︵へ!.︶
X
18體カ口丞︵第六口叩︶
X
19ァ令︵第六品︶
20ァ長︵第七品目
21S丞︵第八品︶O斉代⑥
ω撫軍長史︵第六品︶
②前軍将軍︵第六品︶
㈹郡五官︵第八品p︶
ω侍中︵第三品︶
㈲太子中庶子︵第五品︶ 宋書巻五六察興宗伝︒
■宋書巻五六藥興皆伝︒
伝︒宋書巻五六察興宗伝︒
宋書巻五六票興宗伝︒ 同八四孔顎
宋書巻五六察興宗伝︒
南蛮書巻四六王秀之伝︒
僧度伝︒南斉書巻四六陸曹宣伝︒
南斉書巻三三張緒伝︒
南斉.書巻三三張六籍︒
南斉書巻三三王僧慶伝︒
献皇后伝︒
南斉書巻三三王立慶伝︒
献皇后伝︒
南斉書巻三三王僧度伝︒
南斉書巻四九三顧伝︒
南斉書巻四四沈文季伝︒
南斉書巻三四虞玩之伝︒
南斉書巻三七冠着之伝︒
南至書巻三七胡譜之伝︒ 同三三王梁書巻台梁書巻七
一一 36 一
晋南朝における吏部曹の擬官をめぐって
の条
︒ 太平御覧巻一二九職宮部一七侍中 の条
︒ ロ殿中侍御史(第六品?)太平御覧巻二二七職宮部二五殿中
侍御史の条︒
太 平 御 覧 巻 二 二 九 勝 宮 部 三 七 勝 撃
将軍の条︒
太 平 御 覧 巻 二 四 八 職 官 部 四 六 玉 友 の条
︒ 芸文類衆巻四九職宮部五鴻臆卿の 条 ︒
膏書巻七七察護伝︒
(11 ) 河 南 芦 第 ロロロ
03) 州 刺 史 第 四
口口口 (14)
王
友 05)
鴻 艦 卿 第
口口口
MM司徒(第一口昨)
O宋代
ω
太子庶子(第五品)
ω
著作佐郎(第六品﹀ω
州刺史(第五品)川駅散騎侍郎(第五品)
ω
尚 書 吏 部 郎 ( 第 六 品 ) 削郡太守(第五品)
但)担)(7)
中 黄 公 害 門 車 侍 侍 令 郎 郎 ( 第 第 ) 五 五
口口 口口 口口
宋書巻九三郭希林伝︒
宋書巻九三郭希林伝︒
宋書巻八九衰祭伝︒
宋書巻六九箔嘩伝︒
宋書巻六二王微伝︒
宋 書 巻 七 五 王 僧 達 伝
︒ 同 五 一 劉 義 欣伝︒梁書巻七献皇后伝︒
宋書巻七七顔師伯伝︒
宋 書 巻 八 四 部 腕 伝
4
宋書巻八四郡斑伝︒
O)X10) 散 左 騎 衛 常 将 侍 軍 第 第 品 品 (15)04) (3)(12)
軍 給 品 太 侍 府 事 ) 子 中 行 中 左 ( 参
軍 第 右 三
( 五 衛 品 第 品 率 ) 七
品 第) 五
(9)(lS)(17)06) 県 秘 格 尚 令 書 外 書 ( 丞 記 郎 第 〈 室 ( 六 第 ( 第
咽ι
ロロノ¥ /¥
、J ,::耳、コ
ロ
ロ ロロ
(20) 県 長 第
七ロ
ロロ
幻郡丞(第八品﹀
O
斉 代 納
ω
撫 軍 長 史 ( 第 六 品 )ω
前軍将軍(第六品﹀刷郡五官(第八品?)
ω
侍申(第三品) 削太子中庶子(第五品)宋 宋 伝 宋 宋 書 書 。 書 書
巻 巻 巻 巻
五 五 五 五
察 禁 葬 察
興 興 興 興
刀 て 刀 て 刀 て 刀 て
伝 伝 伝 伝
同/¥ 四
子
L
韻
宋書巻五六禁興宗伝︒
南 斉 書 巻 四 六 王 秀 之 伝
︒ 同 三 三 王
僧度伝︒
南斉書巻四六陸慧暁伝︒
南斉書巻三三張緒伝︒
南斉書巻三三張緒伝︒
南 斉 書 巻 三 三 玉 僧 度 伝
︒ 梁 書 巻 七
献皇后伝︒
南 斉 書 巻 三 三 玉 僧 度 伝
︒ 梁 書 巻 七
献皇后伝︒
南斉書巻三三王僧度伝︒
‑ 36 ‑
南斉書巻四九王績伝︒
南斉書巻四四沈文季伝︒
南斉書巻三四虞玩之伝︒
南斉書巻三七胡譜之伝︒
南斉書巻三七胡譜之伝︒
㈲太子左衛率︵第五品︶
ω王友︵第六品︶
㈲中書郎︵第五品︶
㈲国子博士︵第六品
×10ョ書令︵第三品︶
11ョ書左僕射
X
× 12去亦?i第五品︶
13綜q祭酒︵?9︶
X
○梁代 ︵14i徒︵第一品︶
ω尚書儀曹郎︵流母班︶
②藩王国国職︵流内・二
・一班︶
㈹王府法曹参軍︵流内二
・一班︶
ω皇子国侍郎︵平内班︶
㈲太子舎人︵流内八班︶
㈹王府妙跡︵流内八・七
班︶ω中書侍郎︵流内九班︶
㊨国士博士︵炉内九班︶
9著作郎︵流内六班︶ 整斉書巻三七胡譜皆伝︒整斉書巻三七胡諾之伝︒整斉書巻三九劉蹴伝︒整斉書巻三九劉皆伝︒整斉書巻四九王奥伝︒整斉書巻四九王奥伝︒南斉書巻四九王奥伝︒整斉巻三三張緒伝︒南斉書巻二三楮渕伝︒梁書巻五〇昏眠伝︒孔休源伝︒帆手五〇劉峻伝︒梁書巻四一謝幹理︒ 梁曜日巻一二六
︐梁書巻五〇劉豊野︒
梁書巻五〇劉杏伝︒
梁書巻五〇庚仲容気︒
梁書巻五〇庚落下伝︒
梁書巻三〇斐之早発︒
梁書巻三〇装之野伝︒
晋南朝における吏部曹の擬官をめぐって
10S太守︵P︶ 梁書巻四一瀟介伝︒ 11??i急呈十二班︶ 梁書巻四一薫介伝︒
X
12ョ書殿中郎︵理論五班︶︐梁書巻三四張緬伝︒
X
13ワ官魯事︵うr︒︶ 梁書巻二五旧慣伝︒
X
メ 14セ子洗馬︵翠煙六班︶ 陳書巻一七王勘伝︒
ー5c子国常侍︵流内二班︶陳書巻三四徐伯陽伝︒
○陳代ω台鉱・褒章の職︵第一 陳書巻二一孔奥伝ω︒
品︶②太子讐事︵第三品︶ 陳書巻二一孔奥伝︒
㈹黄門侍郎︵第四品︶ 陳書巻三四票凝伝︒
ω 王国府長史︵p︶ 陳書巻三四察凝伝︒
右に示した各官職の官品は主として通典巻三六.三七に掲
げる官品表によった︒斉代の官品は不明であるが︑斑白の官
品と大きな変動がなかったと考えられるから︑宋代のそれを
示しておいた︒ 右の表によりかなり大まかではあるが︑六朝を通じて吏部
曹の擬官権が申央官はもとより︑地方官︑地方武官︵出府の
属佐︒ただしこれは高級属佐についてであり︑下級のものには長官自辟のものもある︶に及んでいたことが首肯されよう︒
これは当然のことながら六朝時代の各王朝にあって吏部曹が
その人事を行なううえでの中心的︑かつ公的な人事機関であ
ったことを示すものであろう︒
一一 37 一一
制太子左衛率(第五品)
例王友(第六品)
制申書郎(第五品)
糾因子博士(第六品
川尚書令(第三品)
日尚書左僕射
ロ給事申(第五品)
日国子祭酒(?)
M司徒(第一品)
O梁代
ω
尚書儀曹郎(流内班)州制藩王国国職(流内・二
・一
班)
糾王府法曹参軍(流内二
・一班)
制皇子園侍郎(流内班)
制太子舎人(流内八班)
糾王府諮議(流内八・七
班)
例中書侍郎(流内九卸﹀
ω
国土博士(流内九班)糾著作郎(流内六班) 南斉書巻三七胡諮之伝︒南斉書巻三七胡譜之伝︒南斉書巻三九劉職伝︒南斉書巻三九劉琳伝︒南 斉
章 一 一
F巻四九王免伝︒
南斉書巻四九王集伝︒
南斉書巻四九王集伝︒
南斉巻三三張緒伝︒
南斉書巻二三椿測伝︒
梁書巻五O陸雲伝︒梁書巻三六
孔休
源伝
︒
梁書五O
劉峻
伝︒
梁書巻四一謝萌伝︒
梁書巻五O
劉峻
伝︒
梁書巻五O
劉杏
伝︒
梁書巻五O庚仲容伝︒
梁書巻五O
庚伸
容伝
︒
梁書巻三O
費之
野伝
︒
梁書巻三O
義之
野伝
︒
晋南朝における吏部曹の擬官をめぐって
ω
郡 太 守 (
? ) 梁 書 巻 四 一 粛 介 伝
︒
ω
侍 申 ( 流 内 十 二 腕 ) 梁 書 巻 四 一 粛 介 伝︒
凶尚書殿中郎(流内五班)梁書巻三四張緬伝︒
ω
五 官 魯 事 (
? ) 梁 書 巻 二 五 徐 勉 伝
︒
ω
太子洗馬(流内六班)陳書巻一七王勘伝︒ω
皇子国常侍(流内二班)陳書巻三四徐伯陽伝︒O陳代
ω
台鉱・褒章の職(第一陳書巻一二孔集伝例︒
品)
ω
太 子 倉 事 ( 第 三 品 ) 陳 書 巻 一 二 孔 免 伝︒ 刷 黄 門 侍 郎 ( 第 四 品 ) 陳 書 巻 三 四 察 凝 伝
︒ 糾 王 国 府 長 史 (
? ) 陳 書 巻 三 四 察 凝 伝
︒ 右K示した各官職の官品は主として通典巻三六・一二七K掲
げる官品表によった︒斉代の官品は不明であるが︑宋代の官
品と大きな変動がなかったと考えられるから︑宋代のそれを
示しておいた︒
右の表によりかなhリ大まかではあるが︑六朝を通じて吏部
曹の擬官権が中央官はもとより︑地方官︑地方武官(軍府の
属佐︒ただしとれは高級属佐陀ついてであり︑下級のもの陀は長官自畔のものもある)陀及んでいたことが首肯されよう︒
これは当然のことながら六朝時代の各王朝にあって吏部曹が
その人事を行なううえでの中心的︑かつ公的な人事機関であ
った乙とを示すものであろう︒
‑ 37 ‑
晋南朝における吏部曹の擬官をめぐって
しかし︑六朝時代における面部曹の擬官は決して無前提︑
無規則に行なわれたわけではない︒吏部曹が擬官を行なうう
の えでのわくは存在する︒ただし︑そのわくは六朝を通じて同
一ではなく︑魏照日以降︑梁の﹁改革﹂までと﹁改革﹂以降と
では異なっている︒次節以下でそれについて考察する︒
なお︑北堂紗書巻六八に引く鎮東大将軍司馬伯表に︑
従事中郎歓︒用第三品︒中散太夫山荒︑清精履正︑才識
通済︑品儀第三也︒
とあって︑公算従事子爵に郷品三品のものを用うべきであっ
たことが示されており︑また︑奮書巻三九王俊伝に︑
元康初︑転員外常店︑遷越騎校尉︑右軍将軍︒出石河内︐
太守︑書志公不得爲二千石︑転東中郎将︑鎮許昌︒
とあって︑君公は郡太守に遷ることができないとされており︑
就譜面でも特別な規制が存在していたことが分かる︒吏部曹
の擬官は当然こうした規定に則一ノて行なわれるべきであった
㈲︒
二︑家格制下の吏部曹の擬官
ほぼ西奮末以降︑ ﹁改革﹂より前で言えば︑すでに﹁はし
がき﹂で述べたように︑その官僚たるべきものには︑郷万一
・二品を得て第五・六品官に起家すべきもの及び郷品三.四
・五品詞得て第七・八・九品官に起家すべきもの並に郷品六
・七・八・九品を得て流外に女官すべきものの別があり︑そ れらの集団は世襲性をおびていた︒これは結局それぞれの家 ガ ●が右の三つのわく内で家格を固定化して行ったということになる︒吏部曹における擬官もこうした家格を勘案して行なわれることとなったことを物語る︒資治通鑑巻=一八宋大明二年の条に︑ 斐子曲論日︑古者徳義可尊︑無血負販︒苛非其人︑何取 世族︒.名公子孫︑還斉布衣之伍︒士庶錐分︑本門華素之 隔︒自奮以来︑其流梢改︑艸沢之士︑猶顕清塗︒降及季 年︑南限閥閲︒自是︑三公之子︑傲論説下家︑黄散之孫︑ 帝位長之室︑転相驕誇︑互争鉄心︒唯論門戸︑不賜賢能︒とある︒ここに著の初中期にはいまだ当無の士が畔塗を歩むこともあったが︑しかし︑その末年になると専ら家の閥閲を問題とするようになったといった理解が示されている︒右に.見える清塗とは︑前述した各官僚集団のうち甲下層の進むべき官途といった意味である働︒さちに右の清塗と基底を同じくするものに清官がある︒即ち清官とは甲族層が原則として独占的に就官するものであるゆ︒ 奮書巻六五王蕾伝に王導 の子蕾について︑ 少歴清官︒とあり︑晋書巻六七温嬌伝に︑温田の子放之について︑ 少樋清官︒とあり︑南斉書巻三八薫煙草伝に︑薫毅について︑
以書割子︑少歴清書太子舎人洗馬階王友永嘉太守大司馬
一一@38 一
晋南朝における吏部曹の擬官をめぐって
しかし︑六朝時代民おける吏部曹の擬官は決して無前提︑
無規則
K行なわれたわけではない︒吏部曹が擬官を行なううえでのわ人いは存在する︒ただし︑そのわくは六朝を通じで同
一ではなく︑貌晋以降︑梁の﹁改革﹂までと﹁改革﹂以降と
では異なっている︒次節以下でそれについて考察する︒
なお︑北堂紗書巻六八K引く鎮東大将軍司馬伯表陀︑
従事申郎歓︒用第三品︒中散太夫山筒︑清精履正︑才識
通済︑品儀第三也︒
とあっ
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︑公府従事中郎K郷品三品のものを用うべきであったことが示されており︑また︑青書巻三九王竣伝児︑
元康初︑転員外常侍︑選越騎校尉︑右軍将軍︒出補河内
太守︑以郡公不得篤二千石︑転東中郎将︑鎮許昌︒
とあって︑郡公は郡太守K遷る乙とができないとされており︑
就官面でも特別な規制が存在していた乙とが分かる︒吏部曹
の擬官は当然こうした規定K則って行なわれるべきであった
︐
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︒ニ ︑ 家
格 制 下 吏 部 曹 の 擬 官 ほぼ西膏末以降︑﹁改革﹂より前で言えば︑すでK
﹁は
し
がき﹂で述べたように︑その官僚たるべきものには︑郷品一
・二品を得て第五・六品官K起家すべきも小及び郷品二一・四 .五品を得て第七・八・九品宮に起家すべきもの並K郷品六
・七・八・九品を得て流外に起官すべきものの別があり︑そ
の
れらの集団は世襲性をおびていた︒乙れは結局それぞれの家
が右の三つのがい内で家格を固定化して行ったということに
なる︒吏部曹陀おける擬官もこうした家格を勘案して行なわ
れることとなったことを物語る︒資治通鑑巻二一八宋大明二
年の条K︑
斐子野論目︑古者徳義可尊︑無釈負販︒萄非其人︑何取
世世︒名公子孫︑還斉布衣之伍︒士庶雄分︑本無華素之
隔︒自亙回以来︑其流檎改︑州︑沢之士︑猶顕清塗︒降及季
年︑専限閥関︒自是︑一二公之子︑倣九練之家︑黄散之孫︑
蔑令長之室︑転相騎持︑互争銑一両︒唯論門一戸︑不問賢能︒
とある︒乙乙陀替の初中期陀はいまだ草沢の士が清塗を歩む
乙ともあったが︑しかし︑その末年になると専ら家の閥闘を
問題とするよう陀なったといった理解が示されている︒右K
見える清塗とは︑前述した各官僚集団のうち甲族層の進むべ
き官途といった意味である例︒さらに右の清塗と基底を同じ
くするものに清宮がある︒即ち清宮とは甲族層が原則としで
独占的に就官するものである附︒青書巻六五王蒼伝に玉導
の子蒼について︑
少歴
清官
︒
とあり︑青書巻六七温幡伝陀︑温崎の子放之について︑
少歴清官︒
とあり︑南斉書巻三八粛景先伝K︑粛毅について︑
以勲戚子︑少歴清宮太子舎人洗馬惰王友永嘉太守大司馬
‑ 38 ‑
詮議参軍南康太守中要旨︒
とあり︑梁書巻二〇節季皆伝に︑彼について
父思考︑以宋高祖族弟︑顕於宋世︒位至金紫光禄大夫︒
影野有名誉︒早雪清子︒
とある︒右に見える筑前︑温放置︑薫毅︑劉季連はいずれも
甲族層に属する人々と考えてさしつかえなかろう︒以上の例
は︑家格を前提として成立した選序がよく守られていること
を示している︒こうした人事は吏部曹の擬官をふまえて行わ
れるものであるから︑それは結局三部曹が人事行政において
家格を重視したのを示すものとなる︒右は甲二審についての・
選序であるが︑次門層︑後門層についてもそれぞれに応じた
選序が成立しており︑建部曹の人事行政がよくそれを勘案し
ていたことはこれを察するに難くない︒以下︑家格制下の財
部官僚の性格について考えていくが︑合せて次門層︑後門層
の家格に基いた人事行政にもふれることとする︒
宋書巻五七票興宗伝に︑
︵票興宗︶野拙尚書吏部郎︒時尚書何傷疾患︒上名門宗
口︑卿重臣清濁︒今以選事相付︑便開門当之︑無所譲也︒
とあり︑南斉書巻四二王曼伝に︑
︵永明︶八年︑⁝上欲望宝鑑代曼二選︑手勅問之︒曼
啓日︑鶯清幹有余︑然不諸百氏︒恐不可義歯職︒
とある︒野壷宗伝に見える清濁のうち︑清は前述した清塗・
垂雪の清と基底を同じくするもので︑甲族層或は甲族層の就
晋南朝における吏部曹の擬官をめぐって くべき官位を意味し︑濁はその反対概念︑即ゐ墓門層以下或 は次門層以下の就くべき官位を意味する11︒この二つの史料は︑吏部官僚たるべき資格として︑住僧層︑次門層以下のそれぞれのつくべき官位について十分な知識を有し︑かっ被擬益者がいかなる家格の家に属しているかに熟知する必要が有 つたことを示しているものとされよう12︒ く 家格制下の各王朝の天子は︑吏部曹の家格を重視した擬官を否定するものではなく︑これに則って任命大権を行使している︒宋書巻七五名僧達伝に︑ ︵王僧達︶家貧求郡︒太祖欲以爲秦郡︒吏五郎庚柄之日︑ 王弘子既製宜作秦郡︒乃止︒とある︒王弘の家系は甲年層の︵上部︶に属すべきであったのは疑うべくもない︒右は玉繭の子である王奥羽のごとき家格のものが秦郡太守に遷るべきでないことを吏部曹が主張し︑宋の文帝もそ九を認めていたことを示している︒南斉書巻四九王奥伝π酒∵ 王倹卒︒上用奥爲尚書令︑以問︵吏部尚書︶王曼︒曼位 地謡重︑与露盤能相推︒答上下︑柳堀隆有重望︑恐不宜 在奥後︒乃転爲左僕射︑加給事中︒とあり︑適量書巻三七心性之伝に︑ ︵永明︶六年︑遷都官尚書︒上三遷譜之︑嘗従容謂譜之 日︑江適量幾侍中︒諾之短日︑近世唯有程道恵一人而己︒ 上畳︑当令有二︒後実語尚書令︵領吏部︶菊園︒心意更
d一 39 一
諮議参軍南康太守中書郎︒
とあり︑梁書巻二O劉季連伝陀︑彼について
父思考︑以宋高祖族弟︑顕於宋世︒位至金紫光禄大夫︒
季連有名誉︒早歴清官︒
とある︒右K見える王昔︑温放之︑粛毅︑劉季連はいずれも 甲族層K属する人々と考えてきしっかえなかろう︒以上の例
は︑家格を前提として成立した選序がよく守られている乙と
を示している︒乙ろした人事は吏部曹の擬宮をふまえて行わ
れるものであるから︑それは結局吏部曹が人事行政において
家格を重視したのを示すものとなる︒右は甲族層についての
選序であるが︑次門層︑後門層についてもそれぞれ陀応じた
選序が成立しており︑吏部曹の人事行政がよくそれを勘案し
ていたことはとれ争察する陀難くない︒以下︑家格制下の吏
部官僚の性格Kついて考えていくが︑合せて次門層︑後門層 の家格K基いた人事行政陀ホふれる乙ととする︒
宋書巻五七察興宗伝陀︑(察興宗)俄選尚書吏部郎︒時尚書何優疾患︒上謂興宗
日︑卿詳練清濁︒今以選事相付︑使関門当之︑無所譲也︒
とあり︑南斉書巻四二王曇伝K︑
(永
明)
八年
︑
‑ ‑
‑ K
欲以高宗代曇領選︑手勅問之︒国安
啓目︑驚清幹有余︑然不詰百氏︒恐不可居此職︒
とある︒察興宗伝陀見える清濁のうち︑清は前述した清塗・
清宮の清と基底を同じくするトので︑甲族層或は甲族層の就
晋南朝における吏部曹の擬官をめぐって くべき官位を意味し︑濁はその反対概念︑即ち次門層以下或は次門層以下の就くべき官位を意味する日︒乙の二つの史料は︑吏部官僚たるべき資格として︑申族層︑次門層以下のそれぞれのつくべき官位Kついて十分な知識を有し︑かっ被擬
官者がいかなる家格の家K
属しているかに熟知する必要が有
ったことを示しているものとされようロ︒
家格制下の各王朝の天子は︑吏部曹の家格を重視した擬官
を否定するものではなく︑これ陀則って任命大権を行使して
いる︒宋書巻七五玉僧達伝K︑
(王僧達)家貧求郡︒太祖欲以潟秦郡︒吏部郎庚照之目︑
王弘子既不宜作秦郡︒乃止︒
とあFる︒王弘の家系は甲族層の(上部
)
K属すべきであった
のは疑うべくもない︒右は王弘の子である王僧達のごとき家
格のものが秦郡太守陀選るべきでない乙とを吏部曹が主張し︑
宋の文帝もそれを認めていたことを示している︒南斉書巻四
九壬集伝花︑
王倹卒︒土用集局尚書令︑以問(吏部尚書)王曇︒長位
遇己重︑与集不能相推︒答上回︑柳世隆有重望︑恐不宣
在集後︒乃転潟左僕射︑加給事中︒
とあり︑南斉書巻三七胡諮之伝医︑
(永明)六年︑選都宮尚書︒上欲遷諮之︑嘗従容謂諮之
目︑江州有幾侍中︒諮之答日︑近世唯有程道恵一人而己o
k
日︑当令有一一︒後以語尚書令(領吏部)王倹︒倹意更‑ 39 ‑
晋南朝における吏部曹の擬官をめぐって
異︒乃以太子中庶子︒
とある︒以上の二例は直接吏部曹の選序に関したものではな
いが︑吏.部曹が官格︑官歴︑声望等をおし出した際︑天子も
それに従わざるを得なかったことを示唆している︒また墨筆
書巻四四沈文岸伝に︑
兄子昭略︑有剛気︒昇明末︑爲相国西曹豫︒太祖賞之︒
及即位︑謂︵吏部尚書︶二野日︑南島中有沈昭略︑何職
処子︒駐日︑臣亀有擬︒星置前軍将軍︒上下欲違︑可其
奏︒とあるが︑この記事も右の線にそって理解すべきであろう︒
ただし︑南斉書巻三九下汐伝に︑
上鮎用蹴野中書駒︒使吏部尚書何蛾固着︒俄謂蹴日︑上・
意欲以鳳首相処︒恨君資軽︒尊爵就前︑少日当転国子博
士︑便即後影︒
とある︒これは吏部曹が天子の意向を尊重しつつも吏部曹の
選挙をまもろうとした場合のあることを推測させるものである︒
さて︑右の考察の問に︑家格制下の吏部官僚が家格を前提
として成立した選序をほぼ維持しえたのが推断されよう︒南
斉書巻三二に︑
単字日︑⁝貴任素質︑皆頂門慶︒平流進取︑坐至公卿︒
とあり︑梁書巻七太宗簡早期に︑斉代のこととして︑
︵簡皇后の父王︶憲︑字困難︒・:以公子起笹下外郎︑
遷太子洗馬︑襲封南昌県公︑出爲義興太守︒還爲腰騎士 議︑累遷黄門郎︑司徒右長史︒性無卦︑不随当世︒嘗従 容謂諸子日︑吾家門戸︑所謂素族︑自可随流罪︒影野萄 求︒とある︒以上の二記事は︵上層の︶甲族層に属する人々につ.いて述べたものであるが︑こうしたことの背景には︑今まで述べたような吏部官僚の機能があの・たのである︒
三︑二子制下の吏部曹の擬官
梁の武帝は天監七年に﹁改革﹂を行なっている︒ ﹁改革﹂より前︑官僚たるべきものは甲族層︑次門層︑後門層に属する人々であったが︑武帝は﹁改革﹂において官僚たるべきものを甲族層と次門層とに限ることとした︒これは官制面では﹁改革﹂時︑基本的な官制として文官を主対象とする流内十八班︑流外七班の官制を設けて︑それらに甲族︑下意がつく エキモクこととし︑旧来後門のつくべきであった官を役目としたという形をとっている︒この際注意すべきことは︑流内十八班制にあって︑流内十二班以上十八班以下の官がすべて甲族だけのつくべき官とされていることである︒ ﹁改革﹂より前︑甲累層と次門層との間に明確な一線が引かれていたが︑ ﹁改革﹂以降にあっても同様であったわけである︒㈱1 しかし︑武雄は﹁改革﹂以降︑本来ならば流内十一班を極官とすべき上層の次門のうち有功有能のものを盛んに流内十二班以上に就官させ︑また流内十二班以上に贈官した彼等の子に蔭を適用して甲族としての盲官︵著作佐郎以上起家︶を
一一 40 一
晋南朝における吏部曹の擬官をめぐって
異︒乃以太子中庶子︒
とある︒以上の二例は直接吏部曹の選序に関したものではな
いが︑吏部曹が官格︑官歴︑声望等をおし出した際︑天子も
それに従わざるを得なかったととを示唆している︒また南斉
書巻四四沈文季伝陀︑
兄子昭略︑有剛気︒昇明末︑矯相国西曹橡︒太祖賞之︒
及即位︑謂(吏部尚書)王倹日︑南土中有説昭略︑何職
処之︒倹日︑臣己有擬︒奏転前軍将軍︒上下欲違︑可其
奏 ︒
とあるが︑この記事も右の線にそって理解すべきであろう︒
ただし︑南斉書巻三九劉職伝K︑
上欲用嚇矯申書郎︒使吏部尚書何域聡旨︒戟謂撤回︑上
意欲以鳳池相処︒恨君資軽︒可旦就前︑少日当転国子博
士︑便即後授︒
とある︒これは吏部曹が天子の意向を尊重しつつも吏部曹の
選序をまもろろとした場合のあることを推測させるものである︒
さて︑右の考察の間K︑家格制下の吏部官僚が家格を前提
として成立した選序をほぼ維持しえたのが推断されよう︒南
斉書巻三こに︑
史臣目︑・・・責任素質︑皆由門慶︒平流進取︑坐至公卿︒
とあり︑梁書巻七太宗簡皇伝K︑斉代のこととして︑
(簡皇后の父王)霧︑字思寂︒:・以公子起家員外郎︑
選太子洗馬︑襲封南昌県公︑出矯義興太守︒還矯標騎諮 議︑累選黄門郎︑司徒右長史︒性凝簡︑不押当世︒嘗従容謂諸子日︑吾家門一戸︑所謂素族︑自可随流進︒不須有求 ︒
とある︒以上の二記事は(上層の)甲族層陀属する人々につ
いて述べたものであるが︑こうした乙との背最Kは︑今まで
述べたような吏部官僚の機能があったのである︒
三
︑ 任 子 制 下 の 吏 部 曹 擬 官
梁の武帝は天監七年陀﹁改革﹂を行なっている︒﹁改革﹂
より前︑官僚たるべきものは甲族層︑次門層︑後門層陀属す
る人々であったが︑武帝は﹁改革﹂において官僚たるべきも
のを甲族層と次門層と陀限る乙ととした︒これは官制面では
﹁改革﹂時︑基本的な官制として文官を主対象とする流内十
八班︑流外七班の宮制を設けて︑それら陀甲族︑次門がつく
エキ モク
乙ととし︑旧来後門のつくべきであった宮を役目としたとい
う形をとっている︒乙の際注意すべき乙とは︑流内十八班制Kあって︑流内十二班以上十八班以下の官がすべて甲族だけ
のつくべき宮とされていることである︒﹁改革﹂より前︑甲
族層と次門層との聞に明確な一線が引かれていたが︑﹁改革﹂
以降陀あっても同様であったわけである︒崎ー
しかし︑武帝は﹁改革﹂以降︑本来ならば流内十一班を極
官とすべき上層の次門のろち有功有能のものを盛んK流内十
二班以上に就宮させ︑また流内十二班以上に就宮した彼等の
子陀蔭を適用して甲族としての起家(著作佐郎以上起家)を
の
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させている︒先に︑流内十二班以上の官がすべて甲族だけの
つくべき官とされたことを述べたが︑次門の上部出身の父が
軍内十二班以上に石蚤した場合︑その父は制度的に甲族とな
り︑その子もまた制度的に甲族とされたことになるわけであ
る︒これは旧来の家格に基づく人事原則に新たに天子の任命
大権行使に基づく新人事原則が附加されたことを意味する︒
右の新人事原則のうち﹁鉗子制﹂が適用された具体例を一・二
あげると︑斉の西陽国侍郎に借家し︑ついで王学博士に遷っ
た︵門門の上層としての選序が適用されている︶徐勉がのち
侍中︵流内十二班︶︑右光禄大夫︵熊内十六班︶などになっ
たことにより︑その子忌が著作佐郎︵甲族起家官︶に古家し
たこと︑次男の上層に属すると考えられる到沿が梁の御史中
丞︵参内十一班︶となり︑死後侍中︵流内十二班︶を贈られ
たことにより︑その子仲挙が父の死後著作佐郎に母家したこ となどがある13︒つまり﹁改革﹂以降の官僚層は︑旧来の甲 ︵族で﹁改革﹂以降にあっても依然として甲族としての選評が
適用されるもの︑及び旧来の上層の次門で﹁改革﹂以降流者
十二班以上に就学して黒雲となり︑したがってその子に甲族
としての選序が適用されるもの︑並ひに旧来の次門で﹁改革﹂
以降も次門としての選序が適用されるもの︑の都合三種類に
理論上区別されることになる14︒ く では︑新たに﹁掛子制﹂に象徴される葉序基準を課された吏部
層は擬官を行うにあたり果してそれを守︵・たであろうか︒陳
晋南朝における吏部曹の擬官をめぐって 書巻二六徐陵伝に︑ 天恩元年︑唱遷山群尚書︑領大著作︒陵以︑梁末以来︑選 電脳失其所︒於是︑提挙直垂︑春信名実︒時有上進歯型︑ 誼競不己者︒岩魚為書︑宣示日︑自古︑吏部尚書者︑品 藻人倫︑簡其才能︑尋其門冑︑逐其大小︑山颪官爵︒:・ 若問梁朝朱領軍昇亦爲卿相︑此不瞼其本分邪︒此是天子 島抜︑非普選序︒梁武帝伝︑世間人言有目色︒我特不目 儒学悌︒宋文帝亦云︑人世山豆無遺命︒毎有好官欠︑直面 羊偏保︒此則清階顕職︑不由選也︒︒:既早霜流︒応須 粉墨︒所望諸賢︑深明主意︒とある︒天康元隻撃六六年︶は陳の天子臨海王の治世に属し︑ほぼ陳王朝の中期前半になる︒右に見える清階とは︑第一流の甲族のつくべき官の等級︑官需といった意味であり︑
﹁改革﹂より前にあっては第三品以上︑以降にあっては流内
十二班以上である︒したがって右の清階は流内十二班以上を
指す︒先に﹁改革﹂時︑有功有能の次門の上部を三族層に繰
り入れ︑かつそれを家格面で保証すべく﹁任子鼠﹂をうち出した
ことを述べた︒ところで︑徐陵は右の宣言で︑朱鼻が本分を
応える昇進をしたという理解を示している︒朱鼻は揚州議曹
従事史に起廉しているが︑その里家の官から見て︑三国以来
の名門で︑朱張顧陸と並称される呉郡の二瀬に属する典型的
な上層の次門であったと考えられる︒とすると︑右の徐陵の
宣言は鷲鼻に代表されるような次門の上部に属する家格の人
一一@41 一一
させている︒先K︑流内十二班以上の宮がすべで甲族︑だけの
つくべき官とされた乙とを述べたが︑次門の上部出身の父が
流内十二班以上K就官した場合︑その父は制度的陀甲族とな
り︑その子もまた制度的K甲族とされたことKなるわけであ
る︒乙れは旧来の家格に基づく人事原則K新たに天子の任命
大権行使に基づく新人事原則が附加されたことを意味する︒
右の新人事原則のうち﹁任子制﹂が適用された具体例を一二一
あげると︑斉の西陽国侍郎に起家し︑ついで太学博士に選っ
た(次門の上層としての選序が適用されている)徐勉がのち
侍中(流内十ニ班)︑右光禄大夫(流内十六班)など陀なっ
たことKよれ円︑その子俳が著作佐郎(甲族起家官)陀起家し
たこと︑次門の上層陀属すると考えられる到沿が梁の御史中
丞(流内十一班)となり︑死後侍中(流内十二研)を贈られ
た乙と陀より︑その子仲挙が父の死後著作佐郎陀起家した乙
となどがある日︒つまり﹁改革﹂以降の官僚層は︑旧来の甲
族で﹁改革﹂以降にあっても依然として甲族としての選序が
適用されるもの︑及び旧来の上層の次門で﹁改革﹂以降流内
十二班以
JK K就官して甲族となり︑したがってその子K甲族 としての選序が適用されるもの︑並びK旧来の次門で﹁改革﹂
以降も次門としての選序が適用されるもの︑の都合三種類に
理論
t
区別されることになるM︒では
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K象徴される選序基準を課された吏部
層は擬官を行うにあたり果してそれを守ったであろうか︒陳
晋南朝における吏部曹の擁官をめぐって 書巻二六徐陵伝に︑
天康元年︑選吏部尚書︑領大著作︒陵以︑梁末以来︑選
授多失其所︒於是︑提挙綱維︑総薮名実︒時有自国進求官︑
誼競不己者︒陵乃為書︑宣一不日︑自古︑吏部尚書者︑品
藻人倫︑簡其才能︑尋其門胃︑遂其大小︑量其官爵0
・ ・ ・ 若問梁朝朱領軍昇亦矯卿相︑此不愉其本分邪︒此是天子 所抜︑非開選序︒梁武帝伝︑世間人言有目色︒我特不目
色沼悌︒宋文帝亦云︑人世山豆無軍命︒毎有好宮欠︑開憶
羊玄保︒此則清階顕職︑不由選也︒:・既恭衡流︒応須
粉墨︒所望諸賢︑深明部意︒
とある︒天康元年(組五六六年)は陳の天子臨海王の治世陀
属し︑ほぼ陳王朝の中期前半になる︒右K見える清階とは︑
第一流の甲族のつくべき官の等級︑宮序といった意味であり︑
﹁改革﹂より前にあっては第三品以仁︑以降にあっては流内
十二研以主である︒したがって右の清階は流内十二班以上を
指す︒先陀﹁改革﹂時︑有功有能の次門の土部を甲族属医繰
り入れ︑かっそれを家格面で保証すべく﹁任ヱ制﹂をうち出した
ことを述べた︒ところで︑徐陵は右の宣言で︑朱巳汁が本分を
起える昇進をしたとい弓理解を示している︒朱巳汁は揚州議曹
従事史に起家しているが︑その起家の官から見て︑三国以来
の名門で︑朱張顧陸と並称される呉郡の朱氏K
属する典型的
な上層の次円であったと考えられる︒とすると︑右の徐陵の
宣言は朱昇K
代表されるような次門の上部に属する家格の人
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