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島津齊彬の『ローマ字日記』と長田穂積の『菊池俗 言考』

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(1)

九州大学学術情報リポジトリ

Kyushu University Institutional Repository

島津齊彬の『ローマ字日記』と長田穂積の『菊池俗 言考』

吉町, 義雄

https://doi.org/10.15017/2557098

出版情報:文學研究. 7, pp.61-94, 1934-01-31. 九州文學會 バージョン:

権利関係:

(2)

鹿兄脇市外の磯︵朧朧郡士︑野村︶にある尚古集成館に雑賜宇抵加の盗料があり︑町延に鹿兇肪方言が混入してゐるとか

一云ふ知らせを鍵けたので︑自分は術古集成伽へ川︿叩はせて兄た所︑親切にも極少部分の抄為迄附しての返番を柵たが 勿愉殆ど何の足しにもなら歩︑昭和七年夏九州一脚旅行の途次俗もの決附を叩Ⅱして磯諾訪れた︒一堂付の御方の諏示に

川って︑本館川賊陳列詫料の巾で維賜半神の物は

脇津群彬の﹁ローマ字Ⅱ記﹂︑匡腿︑秘祇の﹁菊池僻言考﹂六一︵九二七︶

夙に中央に知られた随飛や文學は櫛らく措いて︑叉長崎州係の外剛壷料は別として︑明治維新以前に物された日本

の方言古北血の総じて少い中にも︑九州のそれは姓に珍らしいのであるが︑此庭数年の短期川に乏しいながらも可なり

發見紹介されて来てゐるのである︒小群分立の東部地方は未だに皆無であるが︑耐附久留粍.繩坤に麺への僻面 上からも︑此虚へ紹介・する關係二菱料は何等かの意味に於て川好粁の興味を喚起する袴である︒

島津齊彬の﹃ローマ字日記﹄

と長田穂積の﹃菊池俗言考﹄

吉町義雄

4

(3)

女畢研究第七紺︑六二︵九二八︶

飛紫公御縦紅毛字五枚

郷彬公御兼ローマ字︑記

の二鮎なる邪が分ったが︑説明神には

砧沌亜豪公縦樅丈鋪二十五代藩主朏池亜﹂豪公夙二長崎ヨリ蘭學考﹂ヲ招聰シテ剛語ヲ學フ本﹂番ハ公

ノ手兼ニシテ巾二調﹂力代ノ古歌ヲ井カレシ群アリ

濟彬公御兼﹂ローマ字日記公夙二ローマ字ヲ習得シ﹂秘特ノ文一一ハ之ヲ使川﹂セラレタリ本譜ハ嘉永﹂

初年甑ノ御日記ナリ

とあ.り︑此の中で前粁は美溌紙五枚へ和蘭陀流雑賜字もて墨書した語句であり︑殆ど全部が硝子箱外からも誠み得る

ので直に解決したが︑後粁は横緩の細長き罫紙へ同じく和蘭陀流雑馬字もて墨書した日記であって︑此の方は附子箱

外からは訓在不可能なる蔀か分った︒所で柵り本蚕料に限らず︑館外貸出は論外としても稲子箱外へ取出す事さへも

が︑東京の肪雄公爵家と鹿兄砧の市役所との許可を得ない限り︑そして何れが峡けても︑全然不可能になってゐる制

度を知るに及んで改めて進だけの爲に來麗するの必要を感じ︑苅燕芳悦として館を僻したのである︒

自分の所謂九州方言の研究の手前からも︑本黄料の調在は給局娘大のそして妓後の宿題になって了ったのであつ

︵ j

た︒昭和八年不休に自分は鹿兄肪市助役氏の許可状を得て危く川發しようとした前日午後︑東京の鵬津家の許可證も

無ければと云ふ集成館からの恐らくその親切を感謝す可き評狄に接して断念︑更に晶津家へ間合はすと︑禽事鹿兒烏

市に委托してあるからと云ふ執郡氏の返弐︑を北︿惟唯成倣へ逢附︑漸く附子繍外取出の許可だけは雄得したと云った様

7

(4)

中川仲左術門

藤隙艇常回

とあり︑﹁僻節廿一号本邸﹂貼札がしてある︒

次に五枚の内容を紹介するが別に順序は定ってないのであって︑n分が使旅上から配列するのである︒

烏沌祷彬の言Iマ字H記﹄さ長︑轆械の﹁菊池俗言幸逗六三︵九二九︶

先づ亜衆公の械文なるものは︑前述の如く美濃紙五枚へ阿蘭陀流靴馬字もて記した語句類であるが︑此の外に美濃

紙一枚からなる包紙が矢張り箱内に陳列してあるのであって︑処には

天明六年丙午十二月十六日於芝邸拝領之

於大奥被遊御害拙者江被下之

思弼二而被遊御書段御意有之

御自御持被遊御手渡拝領之

らL承かあくね

な經路を事だしく記しては共逝の人逹に笑はれようが︑兎も角此の変体天本速征の蹄途︑牛深から小船で阿久根へ上陸︑午後鹿兒品騨治︑直に磯行Qハスへ身を托したのである︒

自分は碑度術古集成館の受付係氏の御好意に繩ろ事を謝しつk早速目的の蚕料二鮎を箱の外へ出して戴いた︒

L

1

重豪公御筆紅毛字五枚

1

ノー、

(5)

文學研究第七帷

節一はイタリク僻の大字で三行に亙って

鋪二は同じくイタリク偶大字であるが︑語頭は極度の花文字を以てしてあり︑二行に亙って

第三︑もイタリク僻であって︑五行に亙って

爵﹃一.色色富e○画の︻ 自酌↓︒寄邑↓どの帛冒へ︶o↓・色色

︑①︸↑①﹃︵﹃這急一一 ︺畠員叶い一念琴①

←Lの

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︵九三○︶

(6)

第四は印刷鵠で四行に亙り

館五は諜僻は混川︑そして絲川六行に亙って

胃肖屋○○切因胃ロ因zzC君○国国zワご少Nqz

NqO圃○︑再○ン畠冒唱冒出口弱○○筥○z塑○昌少圃

恥津濟彬の﹃ロー↓︑字Ⅱ記﹄さ長川秘秋の﹁菊池俗言考﹄

侭窪田z屍固くp園巨の尽○○︻○国 V

門うぐシ巨少﹃肖zシ閏の国zの門口園諺Z

間国寓目Pz○の目白匡昌シごPzシ侭少圃P

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書a︑拭こ含み︑雷︑浄︑﹄︑

︑︑︑︒︑︑匂︑︒

琴︒画o︑︒﹄&迫冒負笥

品田︑魂︒〃﹃耳︑︒﹄へ剰廷目固曽

−レ

ノ、

︵九三一︶

(7)

さて齊椛公の日記織紙髄美濃紙様の細長き和紙を二折にして二箇所を小採で袋綴にしたI上の綴目には小札が括

ってあり︑是は叶側には﹁併第二十一号本部﹂とインキで︑片側には.︑二○六﹂と鉛筆で記してあるIもの

であって︑縦ニハ獅五︑幟三一蘓五︑厚さは締めて一糎五あり︑丁付は無いが凡てH九十五丁分を算へられる︒向っ

て左に綴目を世いて左へ左へと繰って行く洋式の慨裁は勿論だが︑黛潴色l元来は赤かlの罫が印刷してあり︑

棚内は十九行分記し得る様に樅線が走ってゐる︒別に表紙としての用意もなく︑當座の控帳程度のものに過ぎない様

である︒

所で附子桁内に展げられてあった時は氣が付かなかったが︑此の日記には縦臓に紙もてした封印が一丁八六丁と

九○丁九五丁との二簡所にあって︑是は何虚へ掛合っても破る事は我共には先づ不可能になってゐるのである︒尤

も墨付は案外に倣少であって倣かに経の方の八六丁表から九五丁裏に亙ってゐるに過ぎないが︑結局完全に報告し得

るのは八七丁表八九丁裏の三丁分に過ぎない︒淺念であるが仕方がない︒從って数日間滞麗日参の豫定も即日で用

濟となって了ったのである︒

文學研究第七卿

冒乏シN昌硯p同扇○○日.趣ざ婿含︑邑愚s︑ミ

ミ辱︑ご冴息ミーcミミ

﹄斜昌︑︑ご蜀員忌雷︑み︑謡︑ご○

薯ご戸貝ご畠怠蝿

一レ ノ、

←レ ノ、

︵九三二︶

〆■、

(8)

と記してある︒

本文は縦墨もて和蘭陀流の羅賜字が記されてあり︑是を左に紹介するのである︒筆癖も相當あるし︑原形の誤記と

老へられるものも見受けるが︐鰯虞で示す様には勿論行かないにしても︑今は可成的忠實に原形の面影を守る事に力

めた︒前の養料に於けると同じく︑の横線を除いた形のものは悉く偽に改めたが︑︑蝿はウと︑&は1と誠ます位

を心得れば︑別に態交日本の文字に改めて陳べる必要もあるまいと思はれるから︑翻字は見合はせる事にした︒

八七丁表

雛一丁表の封印の右下には小さな貼紙があって︑﹁島津百八十五稀﹂とインキで二行に記してあり︑第九五丁裏のより長い方の上側になってゐる封印紙l本文罫紙三行分位の幅lには縦普借艦で

1

上側外に

ごミミ︑︑基逗︑自国︑可︑浄負国己畠吟○句

棚門に

浄就ご免浄熱︑ミミ壁へミミ笥一胃︑ミミご曽自﹃葛へ尋︑吾︑免琴︑︑浄︑両畠︑

§8詞豆菅息ご

腸津齊彬の﹁ローマ字H記﹄さ長田轆械の﹃菊池俗言考﹄六七 齊彬公御筆欧文

︵九三三︶

(9)

八七丁裏 女學研究第七柵六八

愚ご母︑ミヘ尋へ胃﹄ぎぎ︽︽︑量ごどき閏蔓ミミミ︑ざ慰さごきき

写ぎみミ蔓︒ご翰員等︑尋へ愚尽郵急畠肴苫ミ︑ミミ︑急宛

尋§罫載き︑ごミご曇へミミ器ミ昌怠電爵

監肴員豆︑ご屑・語︑み︑ごミ受︒み︑き︑畠︑

急︒︑墓︒ミミ寺︑尽き歎莨罵浄︽戴韓員器︑畠︑

b■鯰︑豆員へ§︑赴きQミヘ目Q灸﹃津へへご患曽ご向一蔦︑堂︒負号向ご頁費愚狩野試

津員鯰員きき肴ミご号ぎぎ

さ雪︑琴︒謡畠曽︑胃︑ミ和弘ざ§ミミ論︒尋員奇︑§︑き︑篭a罰

以下九棚分空白

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ご︑きざミミミきざ奇︑尋︑きき屑冨韓爵蕪︑詞ミ§怠

爵愚室.o詞︑善ミ胃畠︑ミミ号ミ︾謡a奇︑︑ミミミ︑きき 届き寺︑ 上欄外に ︵九三四︶

(10)

八八丁表

棚内に 島沖郷彬の言−マ字Ⅱ記﹄さ長川認械の﹃菊池俗言考﹄

ミミ急ミミミ§:ぎ詩わき罰冒討ぎご︑母︒患ミ員饗︑︑ご皇亘幕

野ふぺ匂︒︑倉︑免尋員浄︑︑可︑み︑弐○︑②ミ︑み︑恥ご㈲ごaごaみ︑︑み︑言︑匂︑︑可︑

琴津ミ︑ミミミ急さ奇計ご黒へ忌蔚:冒掛曳覺貝韻g證負ご津員

︑酢ミ︑2§骨浄吋§怠み急電苫負ミ倉守︑昏浄Q竜s驚き愚ミミミ

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毎冒尋︾ご︽︺芝ミミ・寅弓奇.

以下二棚分潅白

巽善くご具ミ︑︾ご奄玲ミ苛ざ号ご怠

一棚空白〃

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以下四棚分案白

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︵九三五︺

(11)

一欄塞白

怠︒︑浄吋︑ミミ喝§浄︒急含燗菖翌月談3ミミ息苛苛︑署員︑

ご颪薯︒奇基﹃ぜ︑鳶ごS︑冨墓︑ご詞息守

以下七側空白

八八丁裏 側外にひ 女學研究第七轍

ミミミ︑胃熱負ミ︑2くきごoミ︒ミミ慰み:禺貞﹃熟鳥

一棚室白

ご貝蔦函︑蔦§息旨ご蚤自浄負ご韓奉§蒔肴ご︑

目へ基︑登電︒き︑腎亀ご酢ミミ︑穐さ等ご鼠融尉

ご浄鳥蔦:亀母︑旨奇きご号︑齢ござご員ざ守

一棚空白

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(12)

品沌齊彬の言−マ字Ⅱ記﹂さ長爪穂秋の﹁菊池俗言老﹄

7

棚内に

Qごミミござき︑忌尋唾司ご鼠苛苛︑旬ご号︑ざ︑蛍苛苛︑﹀

一棚筌白

建浄ごo蔦ご愚ミごミ冒罰薯︑ききミ︒︑怠罰鳶守︑

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二棚察白

浄試み員墓︑謡ミ算へ愚︻&︑︑匂警ごミ︑ふご︒ご怠琴蹄︑蕾

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一棚空白

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浄含繭ご黒︑野浄胃鳥ご串︒母︑鼠蒔ご忌みミ寓言貝尋R8曽惑爵昏︑琴R患野員︑︑蹄ごミグ罰熊員奇︑時怠母曽︑昌烏

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(13)

八九丁表

棚内に

匂員︑ミミ︑ごミミミ怠曽号︑腎慰己§酌ミミミ:苛鼠

一棚潅白

ご風蔦忌︑ご鼠ご患角爵ミミ息ミミ急蔦ミ惑旨時烏目同母堂亜貝削︶

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以下十四柵空白

八九丁裏

欄外に

文學研究・第七刺

﹄危み︑浄︑︑︑

棚内に

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一欄空白

十床

一棚塞白

︵九三八︶

(14)

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部︒︑︑邸﹃〃亀み︑恥ご恥匂へ愚︑︑知a︑己︑ご︵﹃み︑琴斜み︑匂ミ︑葛︑ぺ●み﹃︑ミ︒

ご﹃︑︑匂﹃︑︑﹃篭︑ご︑愚︑亀季︑︑﹃篭Qみ︑︑ごベミコベ︑匂﹃墓︑︒︑象剰謡︑︑ご︽○○句︑りゆ●■

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乾泳員奇諦息寺骨琴︒息負浄烏ごso怠§胃冒恥さ号ミミミ

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賄:ご恥§已謂奇ミ叱急︑き︑忌冒員守︑腎怠り

島津濟彬の﹁ローマ字Ⅱ記﹄さ長︑聴秋の﹁菊池侭昔考﹂七三

ミミ︑ご画︑ミ苛的袖罵再︵4串営︑9配︶ミ︑ミー員奇畏鼠奇冠毎ご免常奄爵さ︑

﹃ グ

︑量ごミミミミヘミ鳶ミ鳥︑葛言ご鼠育み迩蔦奇冒津烏骨へ尋

︵九三九︶

(15)

文畢研究第七棚

一棚案白

九○丁表

封印がしてあるが柵内に

薯自浄園弓凝ごs昌冨ごミ員︑ミ為浄罵番等︑号︑怠輔畢蜀︑︑尋為る獄包み︑

因に尚古喋成倣には右二卿と竝んで

久光公御日記丈久三年九月ヨリ元治元年﹂五月マテ抑上京中ノモノト﹂慶應三年四月御上京中ノ﹂モノ

ナリ

なるものがあり︑即ち前考は総上下二冊よりなる袖珍加械綴和紙畿諜であり︑後粁は前者の牛分程の小型で黒クロー ○○○コ○○○○○○○○︻J○︵帥︶かくて本菱料も烏沫齊彬公か細じて秘箱文神に使川されてゐたと云ふ阿剛陀流雑賜字書の文語総候文養料に脇するに過ぎない事が分明になった︒封印のある簡所からも恐らく朧朧的色彩ある語難の一二さへもが潜んで鵬ようとは老へられない︒方言學徒に取っては間よりだし︑剛語學粁に於ても除りに平凡な炎料であると詔へよう︒

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ミ胃:寺︑

一棚推白以下打略

︵九四○︶

ご〆

(16)

ス表紙付の舶来物11亜米利加かIへ鉛弧群したものであるが︑何れも汗人の求める壷料としては問題にならない

のである︒

︵川︶抑溌凋り卉彬公に限らず︑更には棚h鹿兇砧には限るまいが︑江戸で生育した大諸侯がお阿需栞などを評き鰭され

上そもん

る符が無いのが渡は常態なのであらうし︑所洲鐸侭撫︵江戸で召抱へられた外者︶が鹿兇肪に永住してもその日術川

誘が立派な江戸前なのには寧ろ意外な程であったと云ふ尚古渠成館一鑓付氏lその御先老も定府群の一人であったと

云ふIの述懐は餘泰ながら此庭へ好き添へて世かなければならない︒

︵Ⅲ︶鼓に於一是彼の天明四年二七八四︶の序ある文語慨の﹃大石兵六夢物語﹄は兎も角としても︑処は琉球で物された

文政元六年二八一八二三︶の表脊ある同謡慨︑﹃大和川上﹄が鹿兄品方言炎料とし一﹂蛍亜なものとなって来る

のである︒

註1﹁殊に九州方言に一部をも礎兇する鞭のできない聯は寧不旭識である﹂︵﹁剛語戸一閥文學﹄第六巷第一號昭和四年一月の束條操

氏﹁居瀬文脈所蔵﹁丹波通僻﹂外二稲の方言稿本﹂二四○頁︶︒

﹁筑紫方言﹂︵﹃方言﹂第一巻第三跳昭和六年十一月に繼刻︶︒

2﹁小學方言誰莪﹄﹃論語他識﹂︵﹁文學研究﹂第四岨昭和八年三月に春Ⅱ政治氏が細介︶o

3﹁久翻米市誌﹂中綿︵昭和八年一月︶九二三頁へ議餓の野崎卒八が﹁はまおき﹂は燕永頃の蚕料である︒

4﹁柳川方言海河沙一捉﹂︵﹁方言﹂第三忽第二縦昭和八年二月に授刻︶・

烏沖齊彬の﹁ロー↓︑字Ⅱ記﹄さ艇川鯉械の﹁菊池俗滿考﹂七五︿九川己

(17)

丈學研究第七職七六︵九四二︶

5羅獅紫鵬﹂︵﹁方言﹂第三総第一晩昭和八年一月にその抄川﹁雌句略解﹂測紋︶・

﹃伊勢道中不案内記﹂肥削史談會が昭祁三年十二月に澄刻刊行︶及び朴三称の戦文畢碑︒

6昭和六年秋に原︑芳起氏より︑同七年夏に來條操氏より私信︒そして此の出所は何れも伊波瞥献氏︒

﹁鹿兒島の方言については蒋弗時代に何か盃料がありさうなものざ探してゐるが︑まだ溌兄し得ないのは賤念である﹂︵﹁岡語

数青﹂露十二巻第三腓昭和二年三月の東條換氏﹁國語方言盃料目線﹂六六頁上︶o

﹁鹿兒肪には何かありさうなものさ多年探してゐるが未だ一肌も發兇しない﹂︵艀波識座﹁Ⅱ本文蛾﹂の同氏﹁方言研究の概

凧﹂昭和七年六月二三頁︶︒

7﹁九州大部新聞﹄第七十六賊昭和七年八月廿五Ⅱ︵二︶・

﹁鹿兒品激育﹄第四七○號﹁鹿兒脇方言研究號﹂昭和七年十二月三四頁︑九頁︒

﹁文訊研究﹂第三戦昭和八年二月﹁九州方言の特異性﹂一○言頁○

8現在の標準和剛陀語は牌三号鼠.

9﹁鹿兒肪縣立間護館郷土志料目録﹂︵昭和七年三月︶の﹁蝉記﹂︵三六頁︶には文献二十弧︵内爲本十繩︶が兇える︒

﹁七郎右術門殿傳之砿殿︿洋畢モ兎ャ角畢パレタル由ニテ順聖公江戸ヨリ洋丈ヲ以テ謡状ナド塗ラレ候小腿γリシトナリ﹂︵爲

木﹃脇津齊彬公二開墨恥邪頂﹂六丁オ︶・

﹁亦修二和側テーo其賜二戸塚靜抑二一番︒有下戯潟二吾邦ノ語音一以二羅馬字グー者上︒叉賜二村野傳之亟二一・人名姓︒及緊要字眼︒

往々窟以二羅馬字デーo使三他人子ノ無一一能解.︒其番今間傳在二得人家一云﹂︵川多溌﹁仰止餓﹂明病廿五年十月三十六丁オ︶︒

・明治四十三年一月二月芝公園内三縁亭に於て小牧昌業柳北談﹃順聖公蛎蹴﹂︵明治川十三年八月︶の口絢三枚目なる﹁順止公

手謹羅馬字韓翰﹂は色刷に課交付であるが︑是は中村徳五郎氏﹃烏津評彬公﹂︵昭和八年七月初版︑文章院出版部︶の口繪五枚

︑なる﹁脇津齊彬公自蛾欧文訴翰﹂の篤興さ同じものであって︑此の戸塚岬海に送った諏翰に山っても・胃lマ字Ⅱ記﹂の剛流

糀馬字の姉厳文髄は充分弊髭たらし酌得る︒

(18)

長剛幹彦氏の帆父荊に餅る長川穂械に﹃肥後研脈老卿一なる迩特のある率を昭和八年初夏夜の沖多術散策で偶然知つ

︵ O L

たので︑坪かましくも同氏へお雛ねした所︑紬脇一月班して仰度の懇望に山り幹彦氏より併川するを得た︒

送られたのは一.肥後語叩老﹄の一部で今は処のみ礎作すると云ふ︷菊池裕荒老﹄と稲するものであって︑踵川家の

︵舟︾︶家讃の一であるさうである︒同氏に對し厚く謝意を表する︒以下此ぬ新壷料を少し糾介して見ようと忠ふのである︒

是は上は六十丁︲下は五十七丁の美泌紙袋綴へ表紙を附した二Ⅱよりな︑り︑表紙は雑色の松の上に抑鵬で僻が数匹

舞ってゐる棋様が刷ってあり︑綴絲は紫色であるか︑題韮は白紙の催になってゐる︒凡て丁付は無いのである︒

品沈群彬の﹃ローマ字Ⅱ記﹂さ長川砿械の﹁菊池併言老﹄七七︵九Ⅲ三︶ 12 11

]0

巾村徳伍郎氏に由る蕾こ︑昔はセイヒン訓はl直木三十五氏の﹁南脚太平記﹂にもある通りlナリァキラが正しいのださうで

ある︒文化六年○八○九︶九月廿八H1故あって幕府には翌七年三月廿八Ⅱさ届たl・江戸に生れ︑幼名な邦丸︑文化九

!︲天保六年︵一八三五︶の廿三年間は佃子畔代で江戸征住︑砺永隅年︵一八五二二月八Ⅱに四十三歳で襲封︑以後鹿児島在

化︑安政五年二八五八︶七月十二日に五十雌を以て蕊ず︵擬喪は廿H︶・飯鑑公︵延享二年生l天保四年蟹の係に幟り︑

久光公︵文化十四年l明治二十年残︶の兄に淵るっ

薪者毛利正直が一夜にして番終へたさか稲される自餓本が伺古錐成館に陳列されてある︒爲本や刊本が鯉多く存するが︑﹃薩藩

叢秘﹂第三編︵明冶四十一年十二月︺の﹁毛利集﹂所收ば人の能〃︑知る所であり︑﹁小波お伽全集﹂の﹃栓奇物韮哩︵昭和八年

五月︶所收の﹁大石兵六狐退治﹂の如き翻案もある︒

﹃方言﹄第三巻第十一駅︵昭和八年十一月︶に凝刻︒鹿兒吊棚持己は勿論言へなくさも﹁さしこ﹂︿幾何︶や﹁んぢやつた﹂

︵なかった︶は股く九州方言さしても髄砿な要素ご恩ふ︒

I

(19)

文畢研究第七棚七八︵九四四︶

上冊は先づ序が五丁・分を占めてゐて七行神である︒可な.り雌戒の汗朏を以てしてあるが︑鍵態仮名や略冊漢字は大

部分正冊に改めた︒価し浦測は推服橘に於ても脈形を守ることにしたc﹂神は行の切目︑︹︺は削批を示す︒

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菊池僻言考︑昨

ナハヤフルコトタでfl.︒︑クー雫巳少マもが■汗敷砧の剛はしも千辮破川のむかし﹂より言蛾の幸はふ御剛にして文字﹂てふものもなく只あいうえをの五

づら〃D〃コエカルシマ十訓も﹂て干盈の言の葉をなすにひとつもあやま﹂ることなくことは・リもたくひあやにたへ﹂なりしを鞭貼

アノノシグシい邑ノススノラヤオホ今.︑羽クタァノヶニの梅に御宇天皇の弗大御代に︹人皇十六代唯椰天皇十五年百済剛の和迩吉師と云﹂人に付て論語と千

コ卜すヘカフク|一宇文を武す太子百濟阿直詳岐又和迩に維典を秤ひ﹂よくさとり給ふとあり︺云さへぼぐ辛剛ゆ品の跡﹂文字

.rてふものをさkけまつりしを我叫の両に﹂あはせ一﹄訓習はしめ給ひしかとも本より﹂こ上とかしことは物の

さま従りはた人﹂のこ出るもおなしからさるふしノ\さへあ﹂なれはおしあてにものしてまつ訓てふ鶉もの

イヂ十罰ジや︐

︾ ク 一 一

は川來にけりきれと古聯記幽葉﹂蝶のことき皇叫ふ・リ旦而の葉は︹人王四十代﹂天武天晶詳元年稗川の阿澱

訓︑?︑ウカペに制して古事記を間荊させ総ひ川十二代﹂文武天塁二年湖葉雌を撰はせられ同四十三代兀明天皇和釧鰈元

年劣醐侶朝価に詔ありて﹂古事記を将せ給ふとあり︺からもしにては中ノ︑﹂え識しかたけれはたkかりの

︑印にのみ﹂謀そめてしを却拝といふ文字のわ﹂たりこしLのちはそをもても辨文諜眞文害に返しなとかに

かくと為し﹂誤れるも多かりけるをいろはといふ文字﹂を作り川てより︹大同年中筌海上人入府して佛典

を﹂學ひ天竺の經丈を和らけていろは鰈と云ものを作り﹂川られけるとなん︺︻三行目に對しては上に韮を

(20)

附してあって︑四行に亙り﹁吐誰不委﹂云荏と赤字が記されてあるが︑吾人に取っては不必要と認め特略す

マb力しる︼いゐえゑをおのたくひ共朧机﹂似て意の礎なるけしめこゆみたらはしく﹂なりけんとかや故ひら假名出

來し後は﹂眞字の仮名は括れて巾むかしの甑に詳至りてはたはやすくよみうる人もなく﹂手爾速波假字遥ひ

なとも私に改め﹂︹文字の川朧によ・り或は悉埜﹂なとによりて作れり︺なとせしよりみた﹂れにみたれてよ

み川る歌作り出る﹂文も雌しくさとひにけるとなんさろを﹂難波の奨仲法師ひとり繭葉﹂塊を懐にして古言

の葉を仲へ課られけるに

スノカ︑︒﹄・・・釘Tノリナイニ皇祁の餓農幸や話はしけむ壬し﹂暫孵といふ年のころ荷川大人血鵬﹂劉茂の縣主眞淵の翁なと価に川﹂閏葉

アナノハラフルコトマナ集の談を正しもろノ︑の︲一ふみとも作り川て淺茅原のつばらに﹂ときさとされけるより初て古事學巽ひの道

ウシ身俳寸リアラハひらけ鈴の屋の翁橘の千陰﹂大人なとあやしくたへなろもの知り﹂逹寄川て古事記傳を幹し繭﹂葉集の誤を

力ルトロコ.下︒︒︑正し手剛逵波假宇遜ひ﹂に至るまてことノーに正しあきらめ﹂られしより今日はや稚間のよの﹂明たらんや

ア子サ〃ヒナヒト弓になりもて行ぬれば天鶚放る郡人のおのれらすらふるきむかし﹂のありさまをもえさとりすなぽに﹂みや

ひなることたまをもよみ得ることL﹂はなりぬことよみ柵るまにノー︑おのか﹂さとのさとひこと虫もの何く

︒Lヤピコト

ミ や 0

れと耳に﹂とまることに恩ひ老へ見るに座ひち﹂の中の王とも云へき雅言ありもと鶉は靴ひにして末誤れる

ありもとより﹂ふつ上かなるととのいやなまりになまりた﹂るもありて秋の千草のさまノ\なるをお﹂もへ

は上つ価は天雲のむかふすきみて﹂谷雌のさはたるかきりしつ玉木賎しき﹂下さまの人糞も今のことなまれ

る言は﹂あらさりけんとむかしをしのふ匝行群かをちなき心の・すさひになんかくおし﹂侍りけるをこなるわ

脇鰍濟彬の言−マ字Ⅱ記﹂さ長旧秘稚の﹁菊池僻言考﹂七九︵九四五︶

1

(21)

五丁裏左には源氏物諦︐古事記仰︑万雌雄︑落推物語︑和橘鋤伊勢物研︑古今集の略號を口符で包んだ下へ

﹁源氏物語ノ印﹂の如く説明したものが三行に亙って存する︒

︵ の

右の自序に於て見える永川通行とは焚川穂祇の燕稲である︒大冊特粁が吾人の求める方言には左程興味を有してゐ

ない事が分るが︑是は本文を一読しても益糞此の感が深まるのである︒

本文は六丁オから矢張り七行課であるが︑此の方は読み易い飛蹟もてしてある︒

の様な僻裁であって︑各語共一糞改行せ赤註樺の後へ世に締番してある︒﹁伊﹂は九丁オで経り︑妓後に﹁合三十九

文恥研究

さとな答玉ひそ

嘉永七年六凡

物ノ慨ヲ聞叉如何程カナト言ヘキ虚二

○いくら#︐ゞ談・一鍍

幾等カト言フハ古言ナリ何程カト言︿俗ナリ

菊池俗言考

鯆七帆八○︵九四六︶

永田直行撰

永川直行誌

(22)

言﹂と記してあり︑十丁オから始まる﹁ろ﹂以下もM様な形式を屈んでゐるのである︒

上冊は

い三十九ろ四は五十三に二十ほ五十二へ二十一と五十ち二十 り十七ね八る四を十三わ二十七か五十九よ二十八た五十六 れ五そ三十一つ三十四ね十六な四十ら四む二十三

であって︑六十丁ウには﹁通計六百冊凹言﹂と記してある︒三十九丁ウには美漉紙縦半分程の貼紙が姓込んである︒

下冊は直に本文であって

う三十九ゐ三の六お三十く二十九や二十五ま二十二け十八 ふ二十三と三十四え七て十あ六十九さ三十九き十五ゆ八 め十み十し五十六ゑ一ひ三十二も十せ十八す二十一

であるが︑五十四丁ウには﹁惣介五両三十五言﹂と記してある︒

各語の顕の○符の中には朱で﹁古硲雅店﹂の脈別が註してあるが︑処は﹁に﹂迄であって︑﹁ほ﹂以下は凡て朱注

は見られない︒統計で示すと

古言四古五十二雅三僻四十七︲ 古裕四雅併二肝三本古一

であるが︑処は勿論蒋粁の︑玉槻に山るもので正糾を御たものでない聯は云ふ迄もない︒評蛉めて間.も如く巾化した理

恥諏齊彬の﹃ロー↓︑字Ⅲ記﹄さ擬川秘械の﹃菊池俗言考﹂八一︿九岡七︶

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I

(23)

文學研究第七卿八二︵九四八︶

曲も想像される︒

自分は今は九州方言學上の立場から左に惟か許りの抄録をするが︑特略したものl中からも民俗輿的見地からして

捨て難い誰料が存するかも知れない︒併し目下その餘裕も興味も自分にはないのである︒○符の中の朱は勿論︑是は

︵ q 弘 一

上下二冊共所盈に伽か宛見える朱推の柵外註樺も無硯する事とした︒そして制誰に於ける行の切目などは雌早面倒で

はあるし示さない事にした︒口符附文字は太字に改めた︒︻︼符内の文句はn分の老婆心に由る︒

いまどこらへいつらふか︻上瞳シラフハッランノ音便ナリナプヤフイヅトイフナキ一丁もない一云モ無ノ約ナルヘシーッモナヒナト云マホシ物ノ上一二丁二丁卜算堂テルヘヶレトソレハ別也

イルイブアアルハイハイ

入ルちふたい入用二有卜云意一一テ入卜云タヒナ英シタヒハ而有者伊ノ約者伊ノ伊ハ下二附助群一一テ妹伊ナト古言一一例

多シ

ナイロフいるふな勿レ崎ナリ源イロヒ仕フマッル人ナシトァリ古言ナリ

シ〃イヌカウfウぱい然致シタハト云詞ノ下伊ノ助語ヲ添テ︒ハト濁しリ郡方一一一英斯シタハ然シタハトノミ云ヘリ

ハフうはぐらかす今人ヲ呵ル率ヲハクラヵスト云へり是︿源人ヲ放力スナト云詞ノ説ナラン

帳ノヘヒコヘモノはぐれた者少年ナトノ人二打超タルヲ翌言う俗言ナリ這越者/批ナラン越ヲ久禰ト批︿打越ダル兒ヲ打コクリ者卜云ヲ以

テ可知

恥1ヤピノはい氣者張氣者ノ誤ナリ

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1

(24)

L はァつまらぬ事じゃ﹇上睡ジャハデァルノ約言ナリ

ハjヤル■●

はちぎるL張切ノ誤ナリリトチハ幟音辿へリ

ハシナ〃マSハシテカヒはしかい人端近ノ略語ナルヘシ人ノ上三雲智悪浅グシテ腹立安キヲ云手足ノ上一天皮肉ノ美カラ.ステ悪キ方二端近ヲ云

木ノ枝ナトノハジカヒ卜云モ性悪グテ折し安キヲ云俗言ナリ

ハザハィカリハフハカリはうからしい抑カラシノ説ナリ椰︿這斗ノ略一一テ恭敬ノ意ナリ

﹃ プ

ニ刃ロー弧コニ訓斗によるつく純キ窓ナルヘシ源一一ヨリ出卜有ル詞ナトョリャ出ツラン如鷺如虎如鬼ナト書︿作字ナルヘシ

ワルにが四郎悪サスル男子ヲ云放吉ナリ人ノ姓ヲ五味二唖テ甘辛苦酸嶮ナト云ヘリ

にはんなる事善悪f定放言ナリー季ノ窓

ニク姿にくじ禰事ナリ俗言

二︒ンにし︐11と見る柔白〜§ノ意ヵ和ラヵ一兇ル貌ナルヘシ

ニ0F皿

ト ロ j

にとJ︲Iする柔議呂〜〜ノ略ナラン柔︽和ラヵナル意薙呂︿怒呂呂汁ノ登呂卜同言ニテ蝿ロギタル意

スリシルにじる碓記スノ略ナリ

ハヒ穂クぽくした敗北之略言カ

ホ哩プユカナヅ

ぼろかしいホロハ亡ノ意ナルヘシ涙ノホローI︑卜落シ木葉ノホロノー︑散ナト同言ナリヵシヒハ床シヒ懐カシヒト同言ナリ

FシとL・訓ぽとめ・4足元ノタドノーシキヲ云俗言ナリ足ノ土二職リテ鯉ム昔ノポトーi§聞孟ヨリ云ナランメクハ手爾葉ナリ

脇津榔彬の言−マ字H記﹂さ長田秘械の﹁菊池俗言老﹂八三︵九川九︶

41

I

(25)

I

女學研究第七価八四︵九五○︶

ホン寺ジシほんにのうホーーナ申ノ略

ホブトウぼくそふに突く放言未柵思放潮ナトノ誤カモ不知

ホアトウナほふたぶるな放蕩ブル英ノ誤ナリプルハ荒プル榊ナト去プル一テ僻ナリ

ヘやエヤヱキヘきともせぬ畷罰ノ易ヲ略セル放言ナリ

ヤヅヘげん奴竹ヲヘグニ素性ノ悪キハヘゲヌ物ナレ・息非ノ無二辨別人ヲ畷ナ云唾二再ナリヘグト云詞︿其部一二更リ

ドナコ少とぢやくむぢや何路ャ此路ヤノ課ナラン

どじれん事を云トモ知レヌ躯ノ誤ナリト要何トモシレヌト云何ヲ略テ云瞥画ナⅢ/

トケクヅロとけノーと寝る解&一テ甘キタル恋

ナニセプスシライノイイコタフト子〃カモ

どふしうるしれぬ何ト爲ヤラ不し知ナリ何ヲド︑約ムル例︿何鹿ヲドコト云二伺呂︿下二附助避一テ万鯨呂哉ナト詠リ︑

劫ケ汕叉瓢呂鴫トモ詠リ

セクヵドカド戸ざす戸ヲサストー要古言ナリ立ル叉来ナトー要俗言ナリ門一ス立f云テサストハ云ス万二門立テ戸#シタルヲトァリ

どやりくはつさリドャノI︑トハ物ノタヵル︑貌ククサリトハ物ノ陣ル香ナリ

トじコヘ砥ノとごへ者飛越者ナルヘシ今飛上り者卜云類ナリ

トヅハモノヅハモノヅパヒノソレ

とつばもの利兵ナルヘシ兵ハ鰐物ノニテ兵亙ヲ云名ナレトモ其二比シテ果敢ナル人ヲ云力

チリ︒こげレハタ?ソマグう●

ちんだはんだに引裂く散乱班ノ略ヵ歌ニハ班ヲ多ラ多レナト詠リ

(26)

1

脇津卉彬の﹃ローマ字Ⅱ記﹂さ長川漣祇の﹃菊池僻雷考﹂ ハリクヒチカリぢかつく針叉杙ナトノ立ヲ智斑理卜文卜云︻以下墨

シタトク唾ノイフコヘ

ちやぱノーもの云チャ・71ハ舌疾言盤ナリ ハヅナァフヶナ

リうけもない阯力シキf二至り出今菟無キノ臘両カ

ワククシわつち私ヲ略シテワシト云ヲ誤しり

わやくらしい和独寺シキナリ取締ナキ意シィノィハシノ除苦ナリ

タナスエスリ#セカユキカキ今ンヨグワ〃守

掻さく加久トー詞︿凡テ手末シテ爲ル業ヲ一夏手シテ慮不卜孟︿形ノ間キ物ヲ以テ爲ル率モ加久卜云痒ヲ概書錨ナド書ホノ

カク葉ヲ掻モ同言ナリ

カでグレとノ.︑ボコル

がまだしもの我慢出者ナルヘシ我慢l︿人ヲ悔自慢ヲ云稲ナレトモ是二一要家業二慢尖単癸シ

ヅノがさノ︲1爪ニテ物ヲ掻ク費コソノ\・ククサj︑ナトモ同意ノ詞ナリ

ぐはたノ︲1物ノ歴フー音

ノ ノ

グ星ケウがんくうで居るウハノ室ナル人ヲ云雁空ノ意ナルヘシ

〃|ソtヒユクからひて行蝿資行ナルヘシ

カナトシカサワクドクニク秒

かさわぐどうカサハ笠一テ年笠ナトノヵサト同長大ノ名ナルヘシワクドゥハ惑士ノ意ナルヘシ谷蝮ノ+壱一一似タルョリ ︾﹄

コシプル十シァルトアユ・もユ十

よざるき夜志歩行ノ略志ハ肋緋ナリ只サルクトノミ云︿誤ナリ歩行ハ歩行ノ約 一云力

1

︵九五己

(27)

女駆研究第七紺八六︵九五二︶

イーユフイコノイトヅキアフよこふ融ノィヲョト弛リテ言う湖ナリ瓢︿恩突合ノ約リナルヘシ

ーケイヅ〃ハナゾ−洞・とナフャルJム

よんにやうやる総計二辿スヲ云無峰除ノ説力又︿訓熈泄ノ淡ナルヘシ物ヲ界少ヲ説卜云ハ古言ナリ

ヨコシマイう

よこいふ邪言ナリ

コハ

よるjくIヨロ︑︑ヨト︑︑ヒョロ︑︑︑へロ︑︑ナト云詞︿皆刷語一一テ木弱ノ稗語ナルヘシ

・アァル一Jムア7グ〃上たいタヒハ而在ノ約欣ノトジメニ云フランノ詞︿而將レ在ノ約一一テ本同語ナヵラ通サマ一ヨリテ雅俗分ル︑ナリ

タ一一クャタ一一クもサリタレキ?Lカカナタギクギリ

たんがく谷蟆ノ説ナリ久具︿鴫盤二依兇名ナリ古谷蟆ノ佐渡極トァリ状ヲ云湖モ多蕊理ノ約ナリ

ソレ一︑ソ島そればの夫ハナ申ノ批ナリ

ソガユヘニ

そぎあに其故ノ誰也本吉言・

ナヤウ丁リナ″

そればってんか然様︿有而モ哉ノ託ナリサャゥヲサワト約メ者有而茂ヲパッテント約ダル誰言ナリ

リャ舎ワ

ゲγゞr7ル

そふげんたいソフハ然様ノ約リゲンハ氣奈ノ託〆ヒハ而有ノ約ナリ

ゾレダノル〃T一﹃それじゃけヱ其而在故撒/約

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そよノー1風佐夜︑︑風ナリ佐夜トハホ葉ナトノ動〃状ソョトハ|音便ナリ

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ソラクぞらくな鹿略ナト云事ナリ

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そるけい走伊須く伎トァル古言ヨリ肌テソ︑ケノ誤ナリソ︑カマシキハ進カマシキノ意ソ︑ケヌハ不し進ノ意ナリ委ハソ︑

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(28)

脇津群彬の﹁ローマ字H記﹂さ長田轆秋の﹁菊池俗言考﹂ トリシノナ十ゾゾフリプナヒト ぞんな人取締無愈柑ナル人ヲ云雑人ノ誤ナルヘシ︻サプはザフの誤記であらう︼

ヅキククルつきたくる突手繰ナリ

ヅヒヤクル

つん負る終誕ナリ

ヰナヨソ外ヂコソねちこらしひ佐凝シカ叉︿佐兒等シナルヘシ

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ねづむ捻撮ノ略

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ねい人一藷スル詞ナリ古へ諾スル|天﹁ウベヲ︑卜云ヘリ共ヲ後仙砕ケテベ子ヒバハヒベナヒベヘヒ﹁アヒナト云ヘリ凡テ本

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ハアイウエヲハこつ/ヘホナニヌ子ノ︑三條ノ喬中一一テ親キ喬二鱒シテ歓卑ヲ分ダル物ナルヘシ其證握一天手爾遠波ノヒノ

盤ノ替ラサルヲ以左鼬ルナリ

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なぐれ者塙隈者略︲

ナニイフコトカトイフ

何ちう事か佃卜言蛎鰍/約言ナリ薙吉ヲ約テ﹁チフペトフト云︿古言ナリ圓下雌

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ネヅトフノプ又ルむぶる驚宮一水ヲ入ルヲムプルト云伸ルノ誤ナリ湯一一水ヲ加ユレハ仲ナリ叉洲プルノ誤力

Rキンアコヱ毛ノうちこくりもの人二卓越没ル子ヲ去打ハ跡一一一雪クリハ越者ナトノ批ナルヘシ 戸L

カマシノ注二云ヘリ

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︲﹃町

︵九五三︶

(29)

文學研究第七柵八八︵九五四︶

ウナカうシクシ

うてがうづ〃︑腕柄誰略︻シクシはツクシの批記であらう︼

うろりとつぼリウロリハゥロタヘノゥロト同言トッポリトハ誤卜7︲︑トポノ︲︑ナト云放言ナリ委ハポトノ︲︑ノ部一一云

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州うればクウうつうほづう食ふワント云程嘘/訳一一テ至テ卑賎ノ詞ナリ

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うんとこじやァ荷ふクムト腰張荷黄ノ誤ナリ

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のんし糸申ノ略

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ーヤシ4m才ソカおる能ひ物品ノ卑キヲ云飼ナリ湖呂︿忽ノォロト同意頁下魑

オレト母リレ︒Lヅカラオレ

イヤシ︒尾ノ︑シルナナ・ジブオレオレ

おども己等ナリ我卜云モ自ノ聯ナリ意祗トハ人ヲ賤濁稲爾ト訴テ妖例卜雫訓也夜意禰何某ナド云夜︿呼出ス辞意組ハ

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坐オレrオし1寺汝ノ意ナリ今人ヲ醤一プ云詞二立居し行旙レナト云芯一一忠へ卜本︿行ヶ憲栂立一ァ意禰ヨリ紛タラン今之俗自ノ鞭ヲ憲祗卜云

オノレJ力〃へ十マヒ人ヲ賎テ已卜云人ヲ桁テ我ナト云︿古ト相反ナリ.

オドおとるし荊ノ︑シキノ略力

f︑さいなア極ナト云詞一一テ古言ナリ物語沓ナト|参キ詞ナリ今京大阪ノ人ノサヵヒト云う愛ニテクサヒト可レ云鹿一一云へ

クサハヒプ・E

くれる分別シテ乖六ケシク言フヲクネルト云︿詩歌ノ句練ヨリャ出ツラン

(30)

ぐはやノーーワャノ︲︑卜垂至り人ノ賑う聾ナリ 1

コジル〃くじる掘ノ轆語ナリ委含ジルノ下二注

クゾッタヅ

くはつだつ辮逹漢語

クグリムクt︑るぶ〃§下向ノ略

クグリムクナ守り

くんだりむく下向ノ靴ナリ

ケンゾケハシけそ/︲︑嶮岨j︑ノ略言ナルヘシ物ノ念ナル事ヲ云俗言ナリ嶮トノミモ云へリ

タ↓アシfキけでんのいき氣轄ノ勢ナリ

リヤウヶシナ+︐︒︾リヤワナ午?

けんによもない顯如上人ノ古郡二依テ無瓢如卜云説アレト如何アラン剛ツー了簡モ無卜云詞ヲ上r一簡了モ無卜戯ナ

マbfノjトー云ケンヲ奨雛誤一アケご一ヨモナヒト云習ハシタルーヌァラサカ父︽蹴乘モ無卜云言ノ誤カモ不し知

ウレシゲカナシゲサヒンア.〃rし

げなたい鯉氣︒悲菜︒淋飛︒ナトノゲナリ奈︿手爾速波︒タヒハ︒而在ノ約

ヤハラなりす

ふはノー1和ナル状日下聡

コヅトタヒこったいの事に來た辛労シテ來ル時一芸詞ナリ骨鍛ノ略ヵ外昊不御思

参ナ劃スコパ

こばす詞ヲ品能〃云フヲ云令レ媚ノ意ナルヘシ

ゴク乞うしごくだうれ賎人共ノ人ヲ翻刺ナリ︒職擁ナルヘシ

貼沖齊彬の﹁ロー↓︑字H記﹄さ長剛秘秋の﹃菊池俗言幸運八九︽九五五︶

ヨコナマリハ是モ本クサハヒノ誰一スァラザルヵサヒナト云詞モサヵヒナノ約力可レ蔀

(31)

P

是しこ斗り物ノ程位ヲ云詞也魁式計ノ誤力 郡レシトハカリコレ

女學研究第七帆九○︵九五六︶

.もう型も今ソこ上りやァ尖等ノ誤ナリ是等︿古言ナリ

コナグこそぐる古左久卜云古言ノ艸朋ナリ︻以下雌

ヤヅコサ力シクこさくな奴小礎ノ略刀

J幼ノこぶる風ナトノホヲ食フヲコプルト云伴ノシタピラコプ生︐卜云制︿小ムルノ意ヨリ川タルナラン姿ナト臼一一入一ァ綿ヲコプ

コマルト云モ小ムル意ナルヘシ

ェメトイル︑えすぐる柄透人ノ略力

哩ノヒトえずい蝦夷人︿赫男ナきり云詞トモ云ヘリ一説一一葹受伊卜云詞︿天ノ宇受斑命ノ御名ョ出リタリトモ式芙釧女命ヲ古語

えLん沈腔ナリ物語一ヌョ︑卜泣トアリョ入沈盤ナリ此孑モョ︑卜同言ナルヘシ

︾アテゴフ

ビト恥ヶ色千切りアワ少テ︑ゴフ

て上んがう手:業ナルヘシ水範爽ヲ云ヘリ揮変︿手一一テ爲牛業故二手梁卜天意一三手§業卜云初ケム叉是ヲ︒↓ハクチ︒卜

︑クゾナハクホゴ色咋シぃ6ワギスガロク

モ云ハ簿打ノ約リナルヘシ木簿ハ刷非ノ事ナリ変トハ將華双六十トナリ 云ヘリ今ノ枇ノ言一三﹄於受伊トモ云ヘリエスイモ此オスイノ訓力トモ魁へトヱトオヲ誤少へき−アラネハ先於受伊︿女ノ テ兇ジベタ錫ノ巻一一八聞二﹂ウタテオズ︾シカベキワサヲ﹁東屋二物包ミセス疾リカ二剣ゾキ人ニテトモアリ祷姉人ノ兼二

マもハqT

|天於須女卜云其祁弧搾猛脚故爲レ名今俗弧女詔廷於須志此総也父源例ノ服立怨スル︸一斯於曾万之久者伊美芯畿契深共絶

ェゾイ事トシ延受伊︿蝦夷伊一一テ男ノk二云へシ

えつとない物ノ多カラヌ時云詞ナリヱットハ延rゞノ課一一テ少ヲ悪ム献辞布〆

(32)

トノミ云二同シ志加ノ志モ中二付助字ナリ

恥派祷彬の﹁ローマ字Ⅱ記﹄さ長川穂械の﹁菊池俗言老﹂ ノッテン.︑

Tメウスメモヒ催ホトソシタレ

てんば女郎天婆ナルヘシ天ノ釧女命ナト一ャ無ケン此紳而弘祁ニテ天照大御帥天ノ岩戸二鰹し玉ヒシ時裳紐ヲ陰一一押垂ツ

ワナオやオセカヅカミ

︑俳優ヲ奏シ玉ヒシ古小ナト一依レルナラン古而勝祁也トァリ

ズヒハリシニテヅ︑テトも

てつくはふ女繩針ナト爲得又女ヲ○無名妙二手筒/如シrアリ此幽一一テ繊維ヲ能クスル女ヲ手利卜云ヲ思う一テックヲ

ーアキカズハ手不レ利ノ靴ナルヘシ

ササドワテ.リンてんやわんや騒動ノ髄ヲ云詞ナリ來客ナトノ時蚤所混雑シテ手ョ椀ヨト奔走スルヲ云

ア 声 ソ

あらふつらふ事か在ンツラン事カノ喬便ナリ

アユル...キヅルアユアヒカルストリ

あゆるホノ海ナトノ散トハ征ノ熟シテ可落時候二所し合卜云怠ナルヘシァャヵルト云詞モ人ノ年ヲ祁俄ノ意ナルヘシ不二取

丁へトリス了へTへγ︑テ

敢一卜云モ取不レ相ナルヘシ敢テナト云詞モ令レ州而ノ意力

入ワサアサfLr︑了サアヒルγ七ザル

あせがる人ノ爲少案ヲ淺ハヵ|恩上侮リテ徽悶スルヲ云詞ナレハ漉ミヵルノ略ナルヘシ叉阿世留卜云詞︿川世賀留ノ略ナル

アサヘシ淺ヲアセト云ハ水ノ賊ヲ水ノァスルト云色ノ簿クナルヲ色ノァスルト云ヘリ

アムナ刀ノコノナコノあんぢやう菊池三玉早弟十トヲ指テ彼丈此丈卜云阿蘇放言ノ移りタルナルヘシ

ムアクァキレレアやあぐうだ物困窮シタル時云制ナリ將レ催ノ窓ヵ燗モ所し伽ノ意ナルヘシ

ァゾゾン

ざうたん雑談ナリ 弱ルユクヨシアルキ

さるく若人ナトノ夜行ヲヨザルキト云ハ夜志歩行ノ約志︿助字尾然ルヲ行ヲ佐留久卜ノミ云︿佐男志加ノ佐男ヲ打キテ志加

九一

︵九五七︶

(33)

I

文畢研究第七帆九二︿九五八︶

マギしきやアノーの紛れグワャノ︲︑ノ紛ナリクワャーーワャノ︲〜ナトー高︿人ノ多〃騒〃啓ナリ

コソッイヶヘプ

きよふこつない人菊池ニテ老人ナトノ等フ云詞ナリ身二不し鯉粧ナトスル人ヲ習う詞ナリ化粧小ナイト一革ジリ詞ノ

誤ナルヘシ

ユカユカセ叩カセコエカセユカ

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(34)

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ユゾリ丁フジやノハセ

ずき合せ卒二誕号一燕宜合ノ誤ナリ

■■■■■■■■■FhBpL 九三︵九五九︶

(35)

女學研究節七紺九州︵九六○︶

下冊の五十川丁ウの並後には﹁菊池併言蒋終﹂とあり︑五十五丁は逃しく難諭の八行将の趾文があるか︑水稲には

直接大した關係も雑さそうだし︑処は符略しよう︒災裏の経は

繭延とあらたまりしとしのさみたれ

や上はる上川思購︼に兄をへて

マ︑養學蟻印花押

とあり︑花押は﹁刀﹂と兄えるか或は﹁大﹂であるかも知れない︒五十六丁と五十七丁オは白紙︑五十七丁ウは中央

に三行に亙って﹁熊本聯菊池郡隈府ノ牝藤脈匝行﹂とある︒

本養料は題病でも柑然想像されるが︑方荒井とし一﹂兄る時は案外物足らないのである︒併し規模は処でも本邦哲藩

時代の九州方惹諜としては今迄の伽雄大のものと老へられるので︑此虚へ紹介して見たのである︒

註1春鵬堂﹃H木小説文庫﹂二川一の侭Ⅲ幹彦氏が﹃帥風巡﹂︵昭和八年五月︑是碓前年十十二月の﹁迦刊朝Ⅱ﹂へ辿救したもの

を綱靹たのである︶の二頁へ議醗o

2明治洲胱﹃閏語科雛誰座﹂Ⅵ﹃剛語〃言皐﹂の蕪稲﹁九州の方言﹂︵昭和八年十一月︶の廿九頁へ簡蝿に紹介して股いた︒

3長︑蕗献は文化九年︵一八二一︶に脹れ明治八年︵一八七五︶に六十四歳で残した肥後呼隈府町の菊池祁献の宮司である︒晩年

は中品雁足に師躯したが︑その﹁肥徒語脱考﹄は四九十歳に掛いての薪であるざ云ふ︒

4一部分唯肥後の小山川隆︵多平坦一の縦である︒

︿昭和八・十二・十五︶

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