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イブな 人 間 行 為 の 姿 を 界 円 そうとする 点 ~c., 行 為 の 中 ~L, 人 間 の 本 来 的 な 価 1h J iの 只 現 を 見 出 そうとする

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(1)

-

1

7

スと

.

シ ュ ッ ツ

l

の社会開論について

γ

制 雅

一 官 僚 制 化 と 私 化 序 苗 と し て

1

J

バ芸一

的立味

(

i

l

:

卜!しつ

中心的

問おうとする

~1為者110 の相 11:的な関係行為が如 (J1J' 乙

-るカ

メドロジー

.

シンボル的相

l

i

作用論むどの忌

い("

t

:

')~i 在 JS! 関井*れでいる

るJ

j

.

法論

j:

の批判とし

1

1

ン~

'

''/ツはおいては

F

人々の

代サ

:

l

会的佃

i

l

1(ft

J

j

l

u

J

付{

える見

J

J

(

乙批判を加えている

1

た色合

l

、令強く

f

J

然的態

l

f

'

f

'

にお{

4

'

1

たものとしての

:ノ Jノ江;)

りわけ既

L

る行為の

z

りを捉

の社会学が

行為者の主観的怠味

l

乙陀J:

J

するという

J

J

-

i

s

命的

t1¥'r附

.

パうまでもなく社会学の

i

:

で市!桜江川抗争占めてはいるが,

・つの

P

i

l

i

論カ

J の時代の多くの人々の問で!なり1--.げられるという乙とは,その.f1HJ~命がJj

たらしたという

J

i

t

i

t

i

乙のみその以閃をもつもので

l

b

いだろう。それだけではなく

やはり則論が特定の時代の現実巻反映し

現実ぞ鋭く抱保している点l

ζ

そのJ

i

刈が求められなく

の乙と

.

立味の社会学

i

乙お

L

ただし

乙乙で扱うのはエスノメソド口ジーやシンボル的制

l

:

l

:

作用品

合めた,

g

味の社会学全般ではなく

あくまで

f

現象学的

社会学に限定志れ

る。そして

d

i

l

乙乙の「現象学的

社会学とは

シュッツ i

乙起加を発し

}

)

'

.

L.. . パーガーや 'r . ルックマン(乙紙 t~ された ] つの流れぞノjミすものとし 1

でいる

込化

それでは

"

乙の

i

f

;

現象学

社会学が

閣と

した羽%とは

{

n

J

でめろうカ

7

4

3

(2)

-

1

8

-それは,すでに標題にあるように,官僚制化と私化という

2

つの並行する現

象である。

占僚制化という用語は板めて多義的に用いられている。

M

.

ェーバーの

場合において示すならば,支配の装置としての行政組織が,権限の分化やヒ

エラルヒーの確

などの特徴をもつようになる乙と,つまり近代官僚制の成

立と

いう意味で用いられるのが

1

つ。

そして第

2

H

:

'

普遍的宵僚制化という場

合には

行政官僚制が,私企業など社会のあらゆるセクターにその支配を及

ぼす現象を示すものとし

用いられている。もちろん,乙れらの現象は,極

めて重要で検討に値するものであるが,乙乙で用いる官僚制化という用語

は,行政組織

K

限らず他のあらゆる組織が機能的合理的な原理によって運営

されるようになるという第

3

の意味内容を示すものであぶ)乙の機能的合理

的とは,あくまで目的に対する手段の適合性を求める

ζ

とにおいて優れてお

り,ド的のもつ価値的側面を問わないという意味での合理性であり,乙の点

(

後述するように

)

ウェーパーの形式合理性とは区別される。

私化とは,上記の官僚制化と独也して発生する現象ではなく,まさに官僚

制化が進めば進むほどそれに並行して進展する現象である。つまり,私化と

は,国家,地域社会,職業,制度化された宗教などに意味を求められなくな

る反面,家族や親しい友人関係

(

それは職場や地域社会を契機とするもので

って

も,それらとは無関係に信念や趣味,スポーツなどを契機とするもの

で、わてもよい

)

,様

々な運動休

,あるいは

一人だけの趣味や膜想などの私

的領域においてますます意味を求めようとする現象をぷしている。

1

人の人

間が,その人の過去の様々な経験をふまえて

(

個人誌とその中での知識在庫

i

乙基づいて

後述

)

全人格的に関与しうる場は

行政とや企業などの組織

が宵僚化すればするほど,つまりそ乙で、の意味の探究が閑難になるほど,ま

すます家族や友人関係などの私的領域に求めぎるを仰ない。そして,私的領

域での意味の傑究を,退行現象としてネガティブに評価するのではなく.乙

の現象を不司避的現象として捉え,そ

ζ

で、の意味の傑究の中にむしろポムテ

イブな人間行為の姿を界円そうとする点~c.,

i

現象学的

l

社会学の共通の現

代社会像があると言える心現像学的

社会学の立場は,国家や地域社会の

一員

としての義務ゃ,職業人としての職務に従うハターン化された行為が現

代社会七は人間の本来的な姿の出現の場でなくなったとし,それらに拘束さ

れない附で,自己の経験や人生の円的に従いつつ,それを十分に表現できる

行為の中 ~L ,人間の本来的な価1h

J

iの只現を見出そうとする。

(

744

)

(3)

ちろん

1

1

込的

学的

;

社会常の

住しようとしているわけで

l

での

I

自由 l を「幻の自 (~t - 19ー

込化を現

1

うl

乙ルックマン

としており,国家や臨業などの

J

J

<

.-うとしている。その

z

試みは現実の相

る。しかし唾乙のJ:~論において i

現象学的

社会学をぷ向した人々カ

r

-

史的

l

乙後付けることが探題とされる。

f

n

J

・えば,私化現象

'

.

歴史的な脳をもって考察されるべき長期

1

るカ

ョえるにあた

ウェーパーである。ウ

T

として市典的な存在とされている

官僚制的特買を魁初比定式化し

r

V

J

I

乙取り上げと

C

ければならえ

E

いの

はれ僚制の問題を扱った社会(科)学者

1 )

わけ,組織

f

l

l

!

論の領践では,組織の

のとして

{

G

i

r

t

付けられている。しかし

ウェ

- 1

1

織の機能的合苅!化を指摘しただけというのでi

乙乙では

.

行政組織の日僚制化という問題を通して

ウェーパーが

tJai-

僚制

l

いう概念

によってどういう現

J

'

j

ミそうとしたかを問う乙とはしよう。

ウェーパーは

.

行政組織が(近代)官僚制的性質を備える

i

a

F

i

j

つまり

能的合問的伝特性をもつようにポる過討を,合法的支配の問題とからめて

'刊している。結論から先に

J

うならば,

I

V

g

T

制による文│西日は合法的支配ぞ

のものでは位仁合法的支配が成、工するには,機能的介周!的l

乙作用する行政組

しての官僚制と共

i

仁'すべての人々が

仲間として

.

あるいは市民とし

て法

i

乙従うという側面が必坦

~j政組織が行 i34 1

ることはく

,権限

の分化

.

ヒエラルヒーの

l

る乙とをノメしている。つまり,そ乙で i

能的i

乙合則的な

J

1

i

;

i

乙従って,行政組織が辿'討されるわけである

乙ろが

合法的支配とは,乙のような原則をもった行政組織による支配

によ勺でのみ成

1

1

つものではない。近代官僚制としての特

V

i

s

しての行政組織はそれ肉体

1

入社主きするのでは位く

-lj

噛合法的

支配の

ドにあるすべての成はの

L

E

\I~ 性{,;念がえよくては合法的支配は成慌しは L 札機能的合照的信行政組織はあくまで,辺 J~ あるいは縄械であり.ぞれ 745

(4)

- 20

を動かすのは成員の間で共有された特定の価値への正当性

念である。乙の

ような正当性信念,更には特定の価値への合意がなくては,機能的合理的な

行政組織は

l

人歩きし,合法的支配は形骸化してしまう。法の形式合理化と

は,合法的支配の成

を含意するものであり,形式合理化と機能的合理化と

は同義ではない。

乙のように,ウェーバーは合法的支配という用語によって,機能的合理的

な行政組織が先行せず,成

員が国家の支

配に対し

て合意、

を見出しうる状況を

示そうとした。乙

れは,

僚制化

私化という標題の下で

示そうとした現象と

は対

する特性をも

って

いる。つまり,人々は国家の支配に対して正当性を

,その成

員で

ある乙

とに意味を見出しう

るからである

。しかし

一方ウ

ェーバーは,合法的支配の成

を近代の成

期比

見ょうとしたが

,すでに

知のように,価値への合意の側面が合法的支配から欠落し,機能的合理的な

ものとし

の行政組織の

1

人歩きする合法的支配の形骸化の現象を示してい

。そ

れは,ゥ

「ぶバー

研究者によ

って

没意味化

の問題として鋭く指摘

た現象である。そして

,組織における機能的

合理性の拡大

は,ウェ

- f

においても行政組織のみに限らず,組織

般の現象とされるのである。乙

のような現象と並行して,私化の進行をもウェーバーは鋭く指摘している

まり

,究極の且

つ最

崇高

な諸々の価値は,悉く公の舞台から引き

退き,あるいは神秘的生活の隠れたる世界の中,

C

,あるいは人々の直接的交

わりにおける人間愛の中,

C

,その姿を没し去

って

いる。乙れは孜々の時代,す

なわち合理イ限ぴ主知化,就中かの魔術からの世界の解放を特徴とせる時代

の宿命である

J

するウェ

ーパーの言葉

れば,それは

明である。

現象学的

社会学が問題にした宵僚制化と私化という現象は,乙のよう

にすでにウェーバーにおいて鋭く指摘主れていた。しかし,ウェーバーにお

いては,私化現象にきびしく耐え,

r

自らの仕事につき,そして

時代の要

~

c

一一

人間的にも職業的にも

一一

従ヲ

j

'

乙とが自らの課題とされたので

あり,乙の点からも,正当性信念に表付けされた合法的支配の珂念型をまさ

に理想型として提出しようとしたのであ話

J

従って,私化はウェーバーにお

いて明らかに克服されるべき対象であ

以上のウェーパーの

場に対し,ウェーバー以後の時代における

現象学

J

社会学の視点はどうであろうか。その検討の出発点はさうまでもなくシ

ユツツに求められる。

シュッツ

現象学的

J

な課題を社会科学の領域に架橋した人間として位

( 746 ) •

(5)

レリパンスと社会的世界

:

2

1

-ナけられ

rrc~ I

l

乙彼{

促ぷしている。乙乙では

l'

日常的生活

仕しうるかを解明した

L

j

えるにあたって

f

J

i

-

(U:n1 "telt" '¥¥'or::ld

のを倣うのではなく

あく

.

シュッツの社会則論がどの

1

るべき事柄

.

シュッツの

E

l

i

:

f

consociates)

J

"

r

J

i

時代の世間

(1\1it~\'eh, ¥¥'or:ldof conte:rnporar::ies)

の[

別 で あ 比 出 態 的 世 界

c

L

i

.

他者

そのものと対面しうる世界であり

る世界である。

也者と

n

寺問と空間

乙れに対し

ョリ刊として他者とか丈

r

l

n

しえ

るものである。つまり

q

l

i

U

を共有しえ丈

いが

.

時間を共有しうる世界を示している。

う(乙レパリンス

(:Relevanz 陀le. ance)

との関係において扱われる必要がある。レゾバンス

U

ム行為を決定

1

るかの基準と考えてよいが

'

.

それは

1

l

の人悶の

ぷ (Biogr:aphic

biogra phy)

5

l

ものもあれば

社会的

l ζ

強いられるものもある。

I({

般的世界では

.

人々はユニークな個人誌に

したレリパンスをもって行為しうるが

同時代の世界では

.

レリパンスロユ

ニーク江個人

誌を反映しえず,つねに矧型

的なものとして倒人民付与されて

ちろん

l

f

{

接的世界はおける他者同!解も矧型的である;場合があ

L

ノス

φ

反映

しうるものであり

.

また他

のr:いでいつでも修

1

J

:

され位かにされる

l

l

J

能性を合んで・

L

乙れら

2

つの世界は,行為者の

i

z

倒的意味と無関係にが

f

i

i

するのではなく

行為者を核として

行為者の視点(パースペクティブ)を,

+

l

J

心として広がる

世界である。従って

.

ど乙からど乙までが

l

f

I

接的世界で

.

また

r

r

a

時代の世間

打のかの基匂

i

はあくまで行為者そのものに委ねられており

.

かつて

1

1

1

践的

t

f

t

f

平を形成しえた他者との関係も

ノ?では

f

r

t

l

時代の世界

になることもある。

ンュッツは , 現実の峨々は |諸fU.~闘について Il~:(践的丈

のflR~論から呪代社会についての

|

明確な像を抗みとることは悶難であるかもし

1

位い。しかし

シュッツは

前記の

2

つの

1

世界の区別をとおして

.

'

~(~

'

í1{制

化と私化の問題,rz

.

:

:

1

つの凡

J

J

;

を与えている。つまり

,職

業的

i

i

t

i

がや合法的

J

E

はどを合

t

r

r:

r

t

l

f

時代の

界で

j

i

:

'

人間は

7

i

3

l

乙矧型的

(

乙行為し

.

ユニークな例

7

4

7

(6)

-

2

2

人誌に根ざしたレリ

バンス

舎も

って

は行為しえないのであり,その逆,

C

,ユ

ニーク

な個人誌に培かわれたレリ

バンス

をも

って

参加しうるのは直接的世界

に限定されるのである。

シュッツ

は,ウェー

バーが

理 化

J

の問題

I

r

J

j

時代の世界における行為

類型化の問題とし

って

おり,行為が個

々の行為者の

個性を排し

,類型的に行われる過程に注

目したの

だが,それ

乙乙での主題

である

僚制化の現象に対

する

それに対し,ユ

ニークな

個人誌に根

ぎした

レリ

パンス

をも

って参

加しうる直接的世界は,

シュッツ

K

れば

自由

が発揮される領域と規定されるが,乙の指摘は,私的領域で

意味を見出そうと

する私化

の現象

に対

する

と考

えられる

ウェーパーにおいても,すでに指摘したように私化現象への鋭い関心は見

たが

シュッツ

は,間接的世界での人間の

向由

を指摘し,その具体

的ありえ

J

を検

討し

た乙とによって

ウェー

バーと

別される

。そして

r

l

i

差点は,何

よりもパーガーやルックマン

K

よってひきつが

れた

T

現象学

社会学

とウェーパーとの

相違

点で

もある

シュソツ理論

ついての詳論

は次

章で

扱うが,次

l

シュッツ理論がその後

どのように継

J

J

K

されてい

たかを検討しよう。シュッツ理論の社会学におけ

る継

J

f

.

¥

言うまで

もな

バーがーや

ックマンとさ

いるが,

ζ

2

者を扱うに先すーって

A.

を検討する必要がある。

パーガーや

クマン

シュッツとゲー

おし

宵僚制化と私化という現象

に迫

って

ったと

考えられるからである

ゲー

は,生物学的な視点から人間

(

a

nth ropo l

o

g

y

)

に 接 近 し た も

のとして一

般には位

l

i

9

:

付けられ

きたが,

は,制度

(

I

n

s

t

i

t

u

t

i

o

n

)

私 化

という

問題を通し

,現代社会の把握に

とって

傾め

て意

義深い指摘をし

ゲーレンにとって人間は,衝動に満ちあふれた存花ではあるが

,他の動物

のようにその衝動を統制する下段を生得的に与えられてはいない。人間の行

為を統制するのは

,後

天的に形成された文化諸形態を人間が学汚する

ζ

とに

よって可能となるのである。

r

n

j

の行為を定形化し,衝動の

j

λ

j

から解放する lつのlR安な作用を果す

のが,他ならぬ制度である。制度とは

,人間の行為に

意味をうえ

,行為がそ

れに方向付けられる限りにおい

,安定した秩序を

形成するものである。ゲ

レンにおいて,乙の判持は,個々の人間の意識を超え

客観化

J

された形

態として規定されている。そして,制度が人々に意味を付号する限りで,そ

( 748 )

(7)

レリパンス

1

i

j_tF!免除何

l

a

s

t

u

n

g

)

の機能を果す。負担

1

免除とはゲーレンの制度論

1

J

1

心的テーマであるが

.

それは

人間が個々

l

の場

r

I

f

i

において

f

J

l

J

巧え

{

n

J

を実行するかの決定l

乙伴う負担

1

を免除する乙とである。つまり

人々

tJ

l

行為が方向付けられる限

りにおいて

制度は負担

i

免除の機能

ヨ寸のである。そして

F

l

のようなね拘免除という点

i

乙乙そ,制度は人間

( .:l(1) 守 '

日出

右足もたらすとゲーレンは

i

?

う。つまり

r

C

I

f.1~1

_と

(

f

i

j

した

1

、 国

のその時々の偶然性からの解放位のである。そこでは

人間(

1

.

J

t

t

,乙身喜子委ねる乙とによ勺て間性的な作イ

i

i

となる

は現代社会を制度

l

の解体の時代として捉えている。現{

合法的

い,それ

るのである向乙の

1

行阜YYffl僚 { い fたこよう lに乙は , 合法的支配は 1 1:吋 t1:{,~

ヒする

る制

1日

えにで

l

の隈能的合開{

- え

為をえよしえた

L

レン

I(

l

〉るとパう

乙のように

ゲーレンにおいては

私化という現匁i

t

f

i

大という点から克服されるべき現象であり

,制

J

[

の下で

l

の安定化

したれ

会へのノスタルジアをぷ

I

f

Y

l

してい足:

}ゲー

レンはおいては唖;街伽制

U

似凶│

l

リ脚

(

l

r

h

であり.

私イ化

k

i

:

l

r

f

1

1

l

r

t

l

;

(

f

ι

J

iF

c

{

i

i

正;しない。

かi

のtEえ

J

J

の点で

=

-

.1(;))レックマノ イ ノ

J

y

クマン

'

i

u

ソ{乙おける

7

(8)

-

24-リパンスや知識在庫

(

W

i

s

s

e

n

s

v

o

r

r

a

t

s

t

o

c

k

o

f

knowledge

)

,個人誌,

およ

びゲーレンにおける制度の概念を用いて両者を統合したと乙ろで,官僚制化

と私化としづ現象に接近しようとしたと言える。

ノてーガーとルックマンは,社会の成立を習慣化とそれに伴う制度化に求め

ている。習慣化とは

その仔為の遂行者によってその範型と

L

そ理解される

ようになった

J

行 為 で あ 抗

'

更に

,制度化

とは

習慣化された行為が行為者

のタイプによって相互に類型化されるとき

常 に 発 生 す 幻 つ ま り , 行 為 が

単に類型化されるだけでなく,それが他者の類型と相互に対応するようにな

る時に制度が成立するわけである。そして,

ζ

の習慣化および制度化は,ゲ

ーレンがすでに指摘したように

負担免除の機能をもっている。つまり

,個

々の場面における意思決定を省

略させ,必

要とされる決定の場のためにエネ

ノレギーを保存するのである。

乙のような

制度の考え方は

ゲーレンに依ると乙ろが多いが

一方で、バーガ

ー と ん ク マ ン は

,制

度を知識在庫やレリバンスの問題とからめて扱ってい

る。つまり,特定の制度の下で、は,人々はどうしづ場面や時 ~L,どういう行

為をすればよいかを示されるわけだが

,その

ζ

とは知識として人々に蓄積

j

れる。そして

ζ

の蓄積された知識在庫が,実際の行為の時に引き出されて行

為が行われるのである。また一方で,制度が示す様々な行為範型は.人々の

もつレリパンスと対応する。つまり,特定の場面や時間における行為の決定

の規準としてのレリパンス構造は,制度によって付与され,また乙のレリノ守

ンスの共有が広いほど

制度の範囲は拡大し

安定するのであ公)

乙のように制度を知識在庫やレリバンスとの関連で捉えた後 ~L

.

バーガー

と ん ク マ ン は

2

つの社会を理念型として示している。

1

つは

,す

べての領

域が制度化され,問題やその解決策がすべて共通であるような社会である

A

そして,その対極としてのもう

1つの社会とは,制度化が特定の問題にかぶ

わる行為に関してのみ生じているような社会で、ぁ公)乙の

2つの社会の理念

型は,実は官僚制化と私化を考えるにあたって重要な意義をもっている

n

パーガーとルックマンの聞に見られる共通の社会観は,現在の社会を役者

の理念型と規定すると

ζ

ろにある。その社会とは,

R

僚制化と私化の進行し

た社会であるに他ならない。パーカ。ーの言葉によれば「近代社会のすべ

J

主要な公共的制度は『抽象的』になった。すなわち,

ζ

れらの制度はいきい

きとした体験の中で具体化以るような意味をほとんどともなわない,形式

的で迂遠な存在と感じられる

J

制度は人々の伺人誌に根をもっレリパンスと

( 750 ) •

(9)

しえ いのである。 ーク紅白己

5

したレリパンスは制度領;践ではもはや発問しえ 々は綴々な私的領域告形成し,そ の中で‘ユニ b は私的領域で透砂

ノ う私化の現象{ で 制 度 化 , パーガ

¥.JJ

!

r~ のレリパンスをもって参加 |しうる自律的丈 現 象I(乙はある。しかし , 乙の私的領峨は

=

-

f

5

で不安定で点、 It の

U

K

1

i

3

1

乙脅かされている。パーがーとル ックマンは共,

(

e

,私 的 領 域 で

r

u

関係の場

ξ してz認めつつ 1~争相対化し

-つ

吋 あ 見r-.... .. うに,ノ、ー は lあまり負手IfY~ には aJ~/l いるわけではな L Jレ・J ク

l

:ノ ソ{乙才

:

>

l

]つの現代社会 ン:L'"'1ツやゲーレンらの概念瓦 ネ ガ テ ィ プi

乙仰向付

l

して担え

l

f

i

したのである 次市:では, 特{乙シュッツ{ いく乙とにしたい。その他の社会

1

るであろう F H M J 側 F A v a ' ' ' ' フ ナ -イ ア レン

l

つ も の

F

論での視点から,洋しく検枕して ~ ) 学者については ,他の{閥IVi で近いう 注 1) J.

:

H

7 P P. 現 象 学 的 社 会 学 を 次 の 4つ に している

ソからノ

:

H

ドやウ 3 ルックマン{乙弔る

i

n

i

れ。;n3 I らの して窮 4は, エ ス ノ メ ソ ド ロ ジ ー で あ る 。 乙 乙 で い" 子的 '社会学と lいう

H

j

J

E

で ポ す こ と に す る 。 従 っ て" この名祢 は 限定さ れ た も の で コり,乙の学派がはfこして

I

3

.

では!問:氾

q

わ な い 。 (Ii-eap,

1

.

Ji. &~ P.,A. Roth,

()n Phen0l11CnologicaI , A.

1

.

S., 38, Pp. 354 367.)

,~ーンド 4i:F5

の 私 的 領 援 は , 国 家l乙対する と乙 ろの rl[13

d

i

:

場,私 的 所 有 位 ど を か な ら ず し ボすものでは位い。 シ 1 ソツ の

H

1

J

討によって脱注するなら,それは ユニーク 匂{闘

(10)

, - 26 -誌をもって参加しうる世界 (他 者 との関係および

1

人だけの世界を含む )と言 える が,その領域の種類や範聞はあくまで個人の主観的意味付けに依存する場合が多 (4) 乙の点は,私化現象をネガティブに取り扱 った大衆社会論と異なる 。また,フラ ンクフルト学派, とりわけ

H.

マルクーゼ、は私的領域の独立性を否定し , そ れがイ デオロギーによって浸蝕さ れた場である としているが (H.マルクーゼ、 『一 次 元 的 人 間』 三沢謙一訳, 1974年, 河出書房新社, 特 に 第 1章 第 1・2節 ),たとえマルク ーゼ、の指摘が正しいとしても ,私的領域に しか生きがし、を見出し得ない人間の F リ アリティ は何ら否定されないだろう。 (5) ウェーパーは,ヒープやロスの位罰付けでは,シュ ッツ からノ〈ーカーやル ソクマ ンに至る 「現象学的」社会学の一員ではないが,それに影響を及ぼした

1

人として 乙乙では位置付けられる 。 (6) 乙の点、の叙述は ,拙稿 「ウェーパーと行為の社会学 『現 代 社 会 学 I 7号 ,1977 年の 2節に依っている。 (7) 拙橋前掲論文, 125頁を参照 。 (8) 折 原 浩 マ ッ ク ス ・ウェーバーにおける 没 意 味 化 の 概 念 危機における人 問と学問 ~ 1969年,未来社, 383 387頁を参照。 (9) M. ウェーバー 『職業とし ての学問 ~ (尾高邦雄訳)1936年,岩波書活, 70頁。 (10)

M.

ウェーバー前掲書,72頁 。

1) 稲 上 毅 「ウェーパーにおける 4認 識 根拠 と 実 在根 拠 の 関 連 を め ぐ っ て

J

『思想、~ 568号,1971月10月, 13頁を参照。 (12) 拙稿前掲論文 3節を参照 。な お, ンュッツについては次章で詳論する。また訳語 については次章注(3)を参照。 (13) レリバンスの訳語は 「有 意 性

J

(山口節郎氏など )が一般的である。また ,水 野 節郎氏が 関連テーマ群」 と訳出している点は興味深い。 (水野節郎 -

H.

P

.

ドラ イツェルにおける役割理論の展開 (ヒ

)

J

W社会労働~ 24 1, 2 ~ラ 1978年 ,65頁 } しかし , 乙乙ではふさわしい訳語が疋着していないのでレリパンスのまま用いる 0 (14)

I

r

u

時代の詳細については,次 章の注(15)を参照。

5) Schutz, A., 一TheProblem ofRationality in the

S

o

cial World", Collected Pa ・

pers 11, 1971, Nijhoff, p. 7

1

.

( 16) 乙 の 点 に つ い て は , Roche, M., Phenornenology, Language and the

S

o

cial World, 1973, R. K. P., pp. 278 -279. (17) ゲーレンも ,

i

現象学的 j社会学の流れに属するものではないが,それに影響を

(

7

5

2

)

(11)

レリパ ンス止社会的世界

27ー 弓えたものとして他民付けられる l~

!

Ge

hlen, A_" Unnensch und Spatkultur, 1'977, Athenaion, S. 21. な お" 乙乙 で は 人 間 の 監 物 学 的 取 数 lいについてl h'len, A., I)ie

S

e

e

leiIrlltechnischen

Z

e

itah.er, 195

7

.

.

Ro¥¥'ohlt. S. 1し. hlen, A.!!

S

t

udien zurAnt

h

:

ropologieund Soz:iologie, 1971, Luchterhand, ー. • ('((1

1

ギ約他

J

(

u'人

H

t

l

学 の 探 究r. 1970 hlen, ,A.喧 lop-Clit.,1937.S. 1 1可 . Jonas,

F

.

I

)ic Institutionenlehre Arnold

'

Ge

hlens, 1966, ].

C

.

B

.

~1ohr" S. 72. ウェーパーについての日僚制をめぐる検討は下;若に とって の ぷ 題 で る hlen" A., op. cit." 1 • p. crt., 1: p. ,ci't.. 1 7, S. 11

7

.

.

S

.

105. 7, S. 115. hlen

hlen, . , rger, P. L. & 1". Luclkmann, 1'1 nguin, P. 7

1

.

q1JI日節良 ibid., 1). 72. rr~ ~t

.

"

!

i

9

3

ibid., p. 97 ial ns:tructlon l,ity" 1967, 1977~1 ・" libid., p. rEer

P.L. 13 rgcr 位 H. Kellner, l"he lionu'(

.

向 / n u d 唱A 1 4 、 星 ι o h F 内 J ・P ・ - - a J 川

2

圃 圃 圃 ・ ・ EV -a p.165. ihid., PP. 163 1 依 郷 者

-

r

F 212 Lぽ krnann. 1

n the Rationalit of:1陪 tltutl 1口 Europ毛ennesd ー ‘ .• , F 1 1 1, 1975 弓 t ' 圃 圃 A n L L r L 3 -JK 1d id リ p o p u - - E 、 , , 4 U 1 ヴ , QJ - - - a &E 屯 P ﹄ 、 , , - - - a ・ 0 E I ヮ -a 咽 A - a E . E P L 5 m / . 白 3 ・ 、 J ・ ・ E -h 冒 ・ 晶 -E ・a ・ r ・ -ρ ﹄ 骨 t -2 E m -- a ' z a ' ・ 、 J 、 . , - - - z ••••• 、 . , Lucknlann

1" ー- レリパンスと社会的世

ン~

<

)ツの刀法よ命的

f

f

.

場そのもの五

うな制定の解

JUJ

に有効かという制点カ

の制定とは

t

f

うまでもなく

日僚制化

t

i

九のでは

t

c

I

.

のJ1

H

いう;月

r

l

f

i

:

{

4

i

J

3

l

断的

ζ

l

ぷし

f

i

.'.

はiJ

(12)

-

2

8

-えられた合法的支配の解体を過して,ゲーレンやバーガ、一,ルックマンは立

場乙そ違うが,制度とその解体という現象をとおして,官僚制化と私化の問

題に接近しようとした。そして,シュッツの場合にも,社会的世界における

l

f

f

接 的 世 界

と同

時代の

別を

おし

, 乙 の 問 題 に

l

の 視 点 を 弓 え

る。つまり,不透明な同時代の世界では,人々は付与された類型に従うほか

はないのだが,直接的世界で、は,ユニークな個人誌とそれに基づくレリパン

スとを反

しうる。乙のように

I

f

{

接的世界

と同

時代の世界

を例人誌やレ

リパンスとしづ概念を用いて規定するシュッツの理論は,制反領域と私的領

域がどのような構造をもち,また両者がどのような違いをもつかを考えるに

あた

って

南安な視点を提供し

いると思われる

従って,本市では,乙の点

についてのより詳

細な検

討を合てようと思う。

ただ

乙乙での問題を巧えるに先

¥L

I

.

って

シュッツが行為者をどのような

ものとして促えていたかに言及しておく

ζ

は,問題の

F

P:解の

となる。

行為者をどう捉えるか

とりわけその

円発性

や主

体性をどう捉えるかは,社

会科学全般の大きな問題となってきた。

ζ

れまでも,た

とえば「

社会的価値

の主体的選択

とか

r

目的

-

手段連関の

明 断 な 把 俸

とそ

れ に 恭 づ

く行為

といった表

現の中

e

'

,行為の主体性が表現されてきた。しかし,人間の行為

の主体性は , かならずしも明噺な判断に基づく 意関的で r~ 党的な必 ぶ だけか

ら成りぐにっているのでもないし

,範型

とさ

れる価伯やイ

オロギ

に従

って

し、る限り主体性があると断乏しうるものでもはい。その反而,特

;

4

:

のイ問人に

とって

れまで

のすべての竺活

体験の

しみついた情

緒的で,第

者 に は 珂

解 さ れ な い と い う 意 味 で 私 的 な 袈 泌 氏 も , 人 間 を 動 か す 大 き な 以 動 力 が あ

る。そして

それらの要五-は

,多

くの場合

,既成の役

;

中j

や地位に基づく類型

的な行為の枠にもとらわれず,そ乙ではその人の核となるような姿か表現さ

れている。自己の生活体験やそ乙から形成される様々なレリハンス,

(

将 来

K

l

f

I

j

かつてどう行為するかという)プランに焦点

をあ

,そ乙に人間行為の原

動力を見

j

.

1

1そうとする視点は,行為の主体性を考えるにあたってノ

j

ミ唆すると

乙ろは大きい。乙のよう

な要

素を

も合め

て人

間の行為争捉えようとするン

ッツの行為堕論の特

徴を前提

とした上で

,彼の社会に

ついて

の像を探っ

ζ

1

.

主観の構成としての

世界

シュッツ

は,世界が客観的法見

fJ

をも

た唯

の実体であるとは考えなかっ

た。世界は各個人にとって異なって把握されるのであり,そ乙から相互的行

(754 ) •

(13)

レリパンスと社会的世界

29ー カ)l-、カ リンス

l

t 形成されるカ

って対的

f~3 3

択し

lるわ{

。び 1 0

た選(る

り,各個人は後

l

乙持論するレノ 1た 世 界 の 部 分 を も っ て 世 界11乙

32

!

l

乙おいて に と っ て ど の よ う な 広 が り を も つ も の で あ ろ う カ 0 1活 世 界

(

L

e

b

e

n

s

¥

¥

'

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h

I

i

九y.

'

o

r

l

d

)

4

つ の 領 域 の 広 が り と 考 つは常閥的な広がりである。 lr[媛 肌 民 感 じ う る 世 界 か ら , 何 ら て し か 知 ら れ な い 世 界 が そ の 個 人 を 法 点 と し て 広 が っ て L 時間的広がりがある。過よ-において経験された世界.お よ び 1る だ ろ う 世 界 , こ れ ら す べ て は 現 在 の 経 験 を 拘 束 す る とは乙れらすべての総体として存花 シュヮツ えて1いる。 か の

i乙 の で

る。ン

日常的世界 A とし ー そ れ を パ ラ マ ウ ン ト な 現 実 と し て い る 。 そ し て, ぞ 1以 外 の 窓 味 領 域 と し て"宗 教 書 神 話

piE

術,科学, 4jit,ゑ

J

怨 の 世 界 を

i

¥

L

.

i

r

i

f

け て い る 。 そ し て,最 後 民 社 会lあ る い は 社 会 的 世 界

(

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i

a

l

e

¥

¥

'

_

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o

c

i

a

I

r

o

:

dd)

の広がりがある 。乙れは

l

H

践 的 世 界,

f

d

J

時 代 の

t

j

t

!

f

/

.

"過 去 お よ び

1

で い る 。 シ ュ ッ ツ に と っ て,乙れら

4

つの領;肢から

t

くまである個人を法点として広がっているのであり の レ リ パ ン ス を 誌 に し て か か わ り 合 う の で る。乙の限りにおいて,世界は個人民よる開成であり, シ 孟 ツ ツ は そ の梢

1

.

&

の あ り 万 巻 問 お う と し た の で あ る 。 技 々 は , ζ のようとよ観点から ,特

l

乙如 で あ る , 社 会 的 世 界 { 乙 限 定 し て 焦 点 ぞ あ て , 個 人│にとってそれか ど の よ う に 従 え ら れ る か を , レ リ パ ン ス と の 関 係 か ら 問 お う と 思 う 人 に と っ て 基 本 的

ζ

i

不透明位もの(その乙とはかえまらずし忠良沼化され ているわけでは江い j である世界応対して,各人は~~めて限られた筒[1M

(

ζ て か か わ り 合│い,それな りの

i

世界像を出成する。そのかかわり合いのあり

J

j

.

を決定するのがレリパンスという

:

J

日 訟 で シ ょ ッ ツ が ぶ 現 す る も の で あ る 序 摘 で も 間 取 に ふ れ た よ う に. レリパンスとは:1-1,.I~. ワーグナーの定通I( 乙 ば'.特 定lの 場,活 動, プランをj]]ぷときに, 例 人や集卜

1

J

によって,

1

1

1る。例人│は そ れ ぞ れ の レ リ パ ン ス あ 限の世界の一定の部分をjj]びとるのであ F

2

. レリパンス

ζ

i

つ L 節 で は そ の レ リ パ ン ス を ぷ │し く 凡 て い く 乙 と に し よ う 向 レ リ パ ン ス に いで . シュッツは, テーマ │的 レ リ パ ン ス !I 説 明│的レリパンス ,動機的レリ J

755

(14)

-

30-ンスという分け方と,固有の

(

w

e

s

e

n

t

l

i

c

h

i

n

t

r

i

n

s

i

c

)

レリパンスと押しつけ

られた

(

a

u

f

e

r

l

eg

t

imp

o

s

e

d

)

レリパンスという

2

つ の 分 け 万 か ら 説

して

いる。乙乙では前者の

3

つのレリパンスを中心に取り

i

二げつつ

レリバンス

│による対象へのかかわり万を凡ていく乙とにしよう。

まず,テーマ的レリバンスはどういうものであろうか。

人は

無限でイ

f

透明なものとしての世界に対して

そ の す べ て を 意 識 し て は 知 ろ う と し な

し ¥ つ ま り , 多 く の 部 分 は 所 り と し て 特 例 人 の 怠 識 に は 介 入 し な い の で あ

る。と

ζ

ろが,自分にとって

j

E

必な対象

すでに所うとしえすそれについて

の詳細な説明や仰向付けを必!必とする対象が

そ れ ぞ れ の 人 間 に は 存 花 す

る。乙のように,特定の対象を選び、

jjj

ζ

つまりテーマとする乙とがテ

ーマ

的レリパンスの働きである

;

)

特'どの対象がテ

ーマとさ

その

r

f

i

l

りには

テーマとされなかった領域

れをシュッツは地、ド

H

o

r

i

zo

n

t

h

o

r

i

zo

n

と呼

)

が!ぶがっている。乙の限りでは

レリパンスとは出人・な│協やみに

筋の

光をあてる作用とでも巧えられるだろう。

さて,乙のようにして取り出された対象を如何にして説明付けたらいいめ

たろうか。

ζ

れが説明的レリハ

ンスの

問題である。シュ

ッツ

は説明的レリ

J

ンユヘを 2 つの

側面からぶ~11!している。つまり,その取引

i

j された対象の特定

の側

i

師か説明にとってレリパノスであるといク

r

f

j

j

f

I

ri

l

J

:

f

{

の特定の

民話かレリパンスとなるという

fj

ぁ石

J

;

l

I

?

j

j

のぷJ:}lで

百-えば,その対象の特定の側

i

l

"i

Uc

説明の光があてられるとでも

1

1

えはいいだろ

っ。そして,その特定の側聞に光をあてるためには

側人がノトまての例人

I

今円で帯磁してきた知識在

i

J

}

i

l:

いから特定の知識が取り出されるわけであ

(

2

f

J

と乙ろが,取り出された対象の側部のすべてか説明されるわけではない。

その側人が

ζ

れからい

j

をしようとしているかに必法な限り

対象についての

説明が求められるのである。つまり

尖際的な動機にとって必唆とさ

る限

対象の説明か求められるのである。ンュソツは

乙のような説

行為の

限定のされ方を

意 図 の 動 機

(U

m

-

z

u

-

M

o

t

i

v

i

n

-

o

r

d

e

r

-

t

o

m

o

t

i

v

e

)

によっ

て規定されるものとしている。

ζ

の意図の動機とは

あ〈までー未来の行為に

かかわるものであり

ζ

の動機

i

乙照らし出される限りで

つまり動機

にレ

リパントである限りで,対象の説明がなされるわけである。と

ζ

ろが

シュ

ッツは

ζ

の動機的レリパンスにもう

l

つの

念 会 対

させている。そ

.

理由の動機

(

W

e

i

l

-

M

o

t

i

v

b

eca

u

s

e

-

m

o

t

i

v

e

)

ある

。つま

対 象

の 酬 を

(

756

)

• • , R '

.

(15)

る際I( 乙は,未来へ ~lJ けられた動機だけが作用するのではなく F その個人の の掠々な経験やパーソナリティが作用するのである。人間{乙

L

':I"現 在 の の人間ぞ規定している過去の核となるような出来事がある。あの│時

C

'

, の人と '.あるいはあの出来事と出会っていなければ今の日分はあり仰ないと いう経験をだれもがもっている。乙のように.現 在 の 経 験 は そ の 人 の 倒 1ている。 以上の乙とをシュッツのあげた例によってわかりやすく説明して

る人カ丸、つも見慣れた部長

f

,た と え ば 自 分lの 部j益!と入ってきたとし

の人は部恒のすみにコイル状の何かがあるのを発見し,それがヘピだとわ か っ た 向 乙 の 時 , 乙 の 人 が 乙 れ か ら 絞 ょ う と す る の だ っ た ら (怠 凶 の 動 婦 に ヘ ピ が い る 乙 と は % に な っ て

1

1':

J

J

-

ないだろうし,そうでえ.ct 合

l

乙はたいして気

i

乙かけないかもしれない。また , その人が過去においアヘ ビi乙乙わい[

1

1

に会った乙とがlあるは lら(ffH

[

1

]

の 動 機 ). よ け い に E うであろうし " ヘピが好きなのならまた・

]

l

t

.

t

j

は 奥 伝 る だ ろ う 。 乙 の よ う の点からヘピの作布がiJi:大であるとされる場合lζは唖 そ の ヘ ピ が

{

n

J

の腕顕であるカ

l

i

U

t

i

i

i

す子

を求めるだろう かけはしえ

C

l

ス{乙規正されるので し か し

.

1

j

t

カ しかし,そのヘピの存住が明大でないなら,たいして以 人の対象へのかかわり万は,乙のように動機的レリノ、ノ る。乙の場合の例は,ささいな出来恒であるかもしれ り差し迫った Ifl:~題にかかわる乙とも lあるだろう。その 人 は 一 生 の プ ラ ン (l..eil川 崎pla11, I

i

f

c

-

p:lan) ilC}~'~づき . 現A の疋し迫った出来事へのかかわり方告決めるのである。動機的レリパンス 究{説的

i

乙はj段 々 な プ ラ ン の ヒ エ ラ ル ヒ ー か ら 成 り 江 つ も の (

f

J

1::1のプフ ノ 慌のプランなど}であり ,そのプランはもちiz札

A35

へ の J4lζ,

t

闘人誌の彫を映すものである 以上のように

3

つのレリパンスか〆j E にかかわりあうのである の世界である。しかし . レリパンヌ ノ¥はレリハノ の 人

i

乙 うか。ン yは乙のレリパンスを社会的

i

乙匂えられるものだと組定している白つまり 不通i切な世界の jr1~ から特定のテーマを!なり iii し 唾 その説明の f ゐどのようにして帯

f

i

l

しー また説明のスポットのあて

J

J

-

応 、:J どのように形成していくかは,他名a との

t

f

l

1':作

l

H

r

f

l

で検社されなくては丈 らえ

!t

、。シュソツ │は

'

C

,. :1-

1

.

クーリ ζ?

7

5

7

(16)

-

32-i

n

g

)

R

っ て い る 。 つ ま り , 個 人 は 現 住 の 自 分 に と

て 何 を す る 乙 と

番 電 裂 で あ る か を , 他 者 と の 関 係 に お い て 学 ひ 取

て い き , そ の 中 で 個

々人の主観的経験は他者と比較され,共有されたレリ

/ヌが形成されるの

である。乙のような共有されたレリハンスの形成を媒介するのは,第

1

c

.

族 内 の 禄 々 な 役 割 で あ る 。 特 に そ 乙 で は 性 に よ る 役 割 の

f

業 が

族右?

おし

て学習される点

K

注目がなされている

また,

シュッツ

族 の 他

ζ

i

世 代

(

たとえば,若者組などの特定の集[引をとおし

レリハ

スが伝達される

)

階 級

(

その階級にふさわしい物の見万か形成される

いうよ

)

, イ デ オ

ロギーなどを,社会的レリハンス形成の媒介

考 え

いる

その限りでは,

レリバ

スは個別的なものではなく,あくまでその個人の属する集

, 制 度

を反映するものである。

ζ

れ ら の 議 論 に は , ク ー リ ー や

G.

H.

ー ド ら の 社

会 化 論 , 鏡 像 化 論 の 影 響 が 色 濃 く 見 ら れ る 。 た だ 注

してお

べき乙

ツがレリパンスの社会性を主張する反面で,レリ

ンスの個別性に執

着 し て い る 乙 と で あ る 。 つ ま り , レ リ バ

スは相

主 観 性 の 中 で

形成される

が,個人のもつ実際のレリパンスはその人の個人誌の影をもら,個別化され

たものである。

I

誰でもが同

ようなレリバ

スをも

ているように見え

ても,その本人にとって,レリパ

スはその人のユニー

な生活を反映した

ものなのである。

3

.レリ

バンスによる世界の選れと構成

さて,不透明で広大な世界の巾から,特定の対象が特定の個にによ

て 取

り出される過程が,レリバンスという概念によ

て 説 明 さ れ た の だ が , そ の

取り出され万をもう少し詳しく見ていこう。

ツは,レリ'てンスに基づ

く領域の灰別を次の

4

つに分けて検討している。まず第

l

は , レ リ バ ン ス に

よって取り出された領域である。それについては,問題の切迫さのゆえに詳

しい知識が求められ

それ

l

fm

!

F

域 を 第 一 義 的

(

p

r

i

m

a

r

y

)

レ リ バ ン ス と 呼 人 で い る 。 次

i

にこは,詳しい珂解は

必要とされず,

E

f

:

標実現のために,単

l

こ道代あるいは条件:となるような領域

がある。

ζ

の 領 域 は 第 一 義 的 レ リ パ ン ス の 周 辺 を 形 成 す る 。 そ し て 築

3

は,その領域に変化が起らぬ限如何与とされる世界が広がり,最後の築

4

領域には,変化が生じても何ら影響を受けないと思われる領域が広がってい

る 。 乙 の よ う に 社 会 は , そ の 例 人 に と っ て レ リ パ ン ト で あ る 領 域 ぞ 械 と し

,よりレリパ

ントでない領域へと広がっているのである。そして

, そ の 械

には,側々人が位置するのであり,イ間々人の核と周辺は他者の核と

:

相違し,

(

i

5

8

)

(17)

方で市なりつつそれ

と乙ろが,

ζ

乙で注I:

J

ンス~払つ五のとして取り if

けられる乙とである。つまり

レリパンス

している。

その

3

3

fl:

~,

c:.おいてしか再構成しえない領域で

,...~であり,乙 ζ では 一応問題の

く。問題と

τべ

2と第 3

つ主

l

り他者や物の

1

点的

L

t

でに出来上った習慣や制度の怠味をす

1

後 的

i

乙期解するだけであり

過花氏参加しえない。従

って

,何故そ

l

のような狩慣や制度が形成されたカ

ぞ順を迫って理解するわけにはいかない。そ乙での様々な知織は

PE13

化 注 れ

1

ものと

l

I

L

l

-

える。(制度はおいては

それがた

r

,f C. ンュッツによれば, ζ の領域での段々な~]誕は . 個人のユー

ーク位レリパンスを無視する乙とに

.

リパンスによって取り出

ると口

に おL

l乙,(

のレリパンスは作用

しえ位いと

1

ている。たとえ

ーマ的レリパンスに

は]花的であり

ュー

カ斗?をなしえない。ま

t

:

.

に光カ

〈への

m ζ

止もあるのつまり倒人のレリパンスとは関係なく

1

的なァ

その説明

るを仰はい乙ともあるよシ

A

ツツは

.

乙のようなレリパンスや抑しっしり

1

たレリパンスと呼ぴ,倒むのあるいは日発的な

(

v

o

l

u

n

l

a

r

y

)

レリノ

[ベ別している。乙れに対し,第

2

1

の領ほは,個人

l

のユニークなレリハノ

をも勺て参加しうる世界であり,そ乙ではテーマ化は以f!

J

I

とし

{閥有のレリパンスをもっでなされるのである

乙のように

,世

界はレリパンスによって

1

&

l

H

J(,)

としてその倒人によって偶成されるカ

のかかわり万には

3

l

の段式が分

l

うち後者の

2

つの機式と

L

i

,. ン

的レリパ

λ の iifJ!JJ¥i.へ

白かった

n

そして,

3

つの

乙の

2

つの

U

t

のめり

/

j

J

J

の 後 で

r

J

l

ぴレリノ

75

した

2

F j乙{申書

l

刻係を

!

?

q

(18)

- 34

乙と

i

乙しよう。

4

.

レリノ¥ンスと社会的世界の関係

序論ても

概 略

したように

i

直接的

世 界

とはノュッツによれば

, 時

間 と 空 聞

を共行しうる世界をノ示している。つまり,他者と同

場 所 に お い て 対 面 し て

し、る関係である。そ乙ては他者を多/己的に理解しうるとシュ

ッツ

は 言 う 。 先

院も

i

i

i

てきた意味の多

J

b

性とは何かについて乙

ζ

で 手 短 か に ふ れ て お く 必 要

かある。シュッソは

行為を考える

ζ

l

際 し て

,ある

行為を頭の中で想像する

ζ

とと

それを実際の動作

ζ

l

移 す

ζ

ととの双方を問題とし

詔 像 か ら 動 作 ま

で、の過れを時間の幅として捉え

それ全体を行為と考えている。他者を自の

円ij

l

C

児ている状況であれば,他者の動作を結果として受けとるだけでなく,

その動作比五る過引を

, 他

者の微妙な表情やしぐさ

,ある

いは他者

K

ついー

n

1

分のもっている知識在郎氏よって推測する乙とができる。つまり,他者

がどうして

ζ

のような行為

(

動 作

)

をしたかが

L

得しうる。乙のよう

な 他 者

m

解を

シュッ Y

は斉刊の多元的原解と呼人ている。乙れが可能なのは他なら

i

直接的世界である。

ζ

れに対して

同時代の世界とは

, 他

者を

1

元 的

ζ

l

しか態解しえない世界

の乙とであり

, 時

間を共有しでも

2

2

聞 を 共 有 し え な い 世 界 の 乙 と を 指 し で い

1

7

的 な 照 解

とは

, 既

述、の怨像から動作

l

走 る 過 程 を 見 る 乙 と が で き

,動作を単

l

ζ

結果としてしかJ1.f

!解できないも

のである。

ζ

f

d

J

時 代 の 世 界

I

r

t

(接的世界

が社会学てきう対而

関 係

とほぼ対応したのに吋して

甑 め て

広 い 範

(I_M

の社会関係およひ

物を

含人でいる。シュッツ

ζ

の 同 時 代 の 世 界

として前接

的世界に近い領域か

IJ

原氏

8

つ の 領 域 を 網 羅 的 に あ げ て い る が

れ は , 件

青との関係

集 合 体 と の 関 係

, 物

との関係の

3

!とたきベ

寸類さ

れるだろう

r

:

i

J

時代の

t

t

t

界では,し、

れもな{味をでき

上 っ た も の と し て 受 け 取

しか丈

いわけであり,怠日未を多

的 lこ耳目解しえず,怠11未の n

~J

J父過程

i!

に参加するこ

もできない

。もち

ろん,間接的!立界から述い領域ほど

i

E

名 性 の

ほ乃は高まる

のである。

l

(銭的世界

h

d

r

時代の

j

世 界 が ど の 上 う な も の で あ る か が 明 ら か に さ れ た

,レリハ

ンスと

の関係をもう

度考えてみたいと思う。個人にと

って

世間

は広大で不透明なものであり,その

1

部をレ

.

リパ

スによ

-

c

1

代 川

H

して

らの世界と考えるという発泡!がシ

ュッツ

の 捉 え 万 だ

たわけである。ところ

が,レリパ

スに法づいて特定の対象を取り出す際にも

同時代の伶界

ζ

l

760

)

. •

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