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(1)

東京音楽大学リポジトリ Tokyo College of Music Repository

セルゲイ・ボルトキエヴィチ(1877−1952) の自

筆書簡の概要および所蔵一覧

著者

石岡 千弘

ページ

1-36

発行年

2017-10

URL

http://id.nii.ac.jp/1300/00001145/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

(2)

2017

10

月 作 成

セルゲイ・ボルトキエヴィチ(

1877

1952

の自筆書簡の概要および所蔵一覧

The Complete Catalog and Outlines of Sergei

Bortkiewicz’s hand-written letters (1877-1952)

石岡 千弘

(3)

【目次】

凡例

第1章

NMI

... 1

第 1 節 ヒ ュ ー ゴ ・ フ ァ ン ・ ダ ー レ ン

Hugo van Dalen( 1888-1967) ... 1

第 2 節 ヘ レ ー ネ ・ マ ル ホ ラ ン ド

Hélène Mulholland( 1912-2000) ... 27

第 3 節 そ の 他 ... 29

第2

章 ウィーン市立図書館

... 29

第3

章 オーストリア国立図書館 ... 31

第 1 節 ヨ ー ゼ フ ・ マ ル ク ス

Joseph Marx( 1882-1964) ... 32

第 2 節 カ ー ル = フ ラ ン ツ ・ ミ ュ ラ ー

Karl-Franz Müller( 1922-1978) ... 32

第 3 節 エ ミ ー ル ・ ペ チ ュ ニ ヒ

Emil Petschnig( 1877-1939) ... 33

第 4 節 そ の 他

... 33

第4

章 ザクセン州立アルヒーフ ... 33

第5

章 ケルン大学図書館

... 35

第6

章 フライシャー・コレクション ... 35

(4)

凡例

本 稿 は 、 筆 者 に よ る 博 士 論 文 『 セ ル ゲ イ ・ ボ ル ト キ エ ヴ ィ チ 研 究 - 自 筆 資 料 に 基 づ く 生

涯 ・ 音 楽 観 ・ ピ ア ノ 作 品 の 考 察 - 』 第 Ⅰ 部 の 第

2 章 第 2 節 を 再 編 し た も の で あ る 。

本 稿 に お い て ボ ル ト キ エ ヴ ィ チ の 書 簡 を 引 用 す る 際 に は 、 以 下 の 書 式 に て 出 典 を 示 す こ

と と す る 。 な お 、 ボ ル ト キ エ ヴ ィ チ の 自 筆 資 料 を 引 用 す る 際 は 、 出 典 を 参 照 す る 際 の 簡 便

性 を 考 慮 し 、ボ ル ト キ エ ヴ ィ チ の 名 前 を キ リ ル 文 字 で は な く 、ア ル フ ァ ベ ッ ト で 記 載 す る 。

1. ボ ル ト キ エ ヴ ィ チ か ら フ ァ ン ・ ダ ー レ ン に 宛 て た 書 簡 は 、 〔 Bortkiewicz 年 /月 /日 〕

と 記 載 す る 。

2. ボ ル ト キ エ ヴ ィ チ か ら マ ル ホ ラ ン ド に 宛 て た 書 簡 は 、 〔 Bortkiewicz-M 年 /月 /日 〕 と

記 載 す る 。

ま た 、 自 筆 資 料 を 所 蔵 す る 図 書 館 名 の 原 綴 は 以 下 の 通 り 。

1 章 NMI Nederlands Muziek Instituut

2 章

ウィーン市立図書館

Wienbibliothek im Rathaus

3 章 オ ー ス ト リ ア 国 立 図 書 館 Österreichischen Nationalbibliothek

4 章 ザ ク セ ン 州 立 ア ル ヒ ー フ Sächsisches Staatsarchiv

5 章 ケ ル ン 大 学 図 書 館 Universitäts- und Stadtbibliothek Köln

6 章 フ ラ イ シ ャ ー ・ コ レ ク シ ョ ン Fleisher Collectio

(5)

1

本 稿 で は 、ハ ー グ の ネ ー デ ル ラ ン ト・ム ジ ー ク・イ ン ス テ ィ テ ュ ー ト

1

Nederlands Muziek

Instituut( 以 下 、NMI)や ウ ィ ー ン 市 立 図 書 館 、オ ー ス ト リ ア 国 立 図 書 館 、ザ ク セ ン 州 立 ア

ル ヒ ー フ 、 ケ ル ン 大 学 図 書 館 、 フ ラ イ シ ャ ー ・ コ レ ク シ ョ ン に 所 蔵 さ れ て い る 書 簡 お よ び

書 類 の 明 細 を 所 蔵 先 ご と に 整 理 す る 。 そ れ ぞ れ の 書 簡 に つ い て 、 日 付 、 発 信 地 、 形 態 、 頁

数 、 概 要 、 所 蔵 先 コ ー ド を 一 覧 化 す る 。 日 付 に つ い て は ボ ル ト キ エ ヴ ィ チ の 記 載 し た 日 付

を 優 先 し 、 記 載 が な い も の に つ い て は 郵 便 の 消 印 の 日 付 を 採 用 し た 。 郵 便 の 消 印 も な い か

不 鮮 明 な も の は 「n. d.」 と し た 。 頁 数 に つ い て は 封 書 の 本 文 の 枚 数 の み カ ウ ン ト し 、 葉 書

に つ い て は カ ウ ン ト せ ず 「

-」 と 記 載 し た 。 ま た 、 受 取 人 別 に 通 番 を 付 し た 。

な お 、 本 稿 で 取 り 上 げ る 書 簡 は ボ ル ト キ エ ヴ ィ チ が 発 信 し た も の で あ り 、 ボ ル ト キ エ ヴ

ィ チ が 受 領 し た 書 簡 に つ い て は 所 在 が 確 認 で き な か っ た 。 そ の 背 景 に は 、 ボ ル ト キ エ ヴ ィ

チ 夫 妻 に 子 供 い な か っ た こ と や 、 第

2 次 大 戦 後 、 妻 の エ リ ザ ヴ ェ ー タ が 酷 い 双 極 性 障 害 を

患 っ た た め 、 彼 の 死 後 、 手 紙 を 整 理 し 保 管 す る 人 物 が い な か っ た こ と 、 ま た 、 何 回 も 居 住

地 を 追 わ れ 、 そ の 都 度 持 ち 物 を 手 放 さ ざ る を 得 な か っ た こ と な ど の 理 由 が あ っ た と 推 測 さ

れ る 。 ボ ル ト キ エ ヴ ィ チ は 基 本 的 に ド イ ツ 語 で 書 簡 を 認 め て い る 。 し か し 、 一 部 の 書 簡 は

フ ラ ン ス 語 ま た は 英 語 で 書 か れ て お り 、 そ れ ら に つ い て は 表 中 の 概 要 欄 に 言 語 を 示 し た 。

第1章 NMI

NMI に は 、オ ラ ン ダ の ハ ー グ に 居 を 構 え て い た ピ ア ニ ス ト の ヒ ュ ー ゴ・フ ァ ン・ダ ー レ

ン と 、 そ の 弟 子 で あ る ヘ レ ー ネ ・ マ ル ホ ラ ン ド に 対 し て ボ ル ト キ エ ヴ ィ チ が 送 っ た 書 簡 が

所 蔵 さ れ て い る 。

第1節 ヒューゴ・ファン・ダーレン

Hugo van Dalen(1888-1967)

フ ァ ン ・ ダ ー レ ン は ベ ル リ ン で ボ ル ト キ エ ヴ ィ チ に 出 会 い 、 終 生 の 友 人 と な っ た 。

NMI

に は 、ボ ル ト キ エ ヴ ィ チ が

1910 年 か ら 1952 年 に か け て フ ァ ン・ダ ー レ ン に 送 っ た 書 簡 271

通 が 下 表 の と お り 保 管 さ れ て い る 。 こ れ ら の 書 簡 は す べ て 、 ボ ル ト キ エ ヴ ィ チ の ア ー カ イ

ブ で は な く 、 フ ァ ン ・ ダ ー レ ン の ア ー カ イ ブ 「

MNHGM 040」 に 所 蔵 さ れ て い る 。 書 簡 は

期 間 ご と に 区 切 ら れ た

13 の フ ァ イ ル に 分 け て 所 蔵 さ れ て お り 、そ れ ぞ れ の 書 簡 に 対 し て 所

1 オ ラ ン ダ の 音 楽 文 化 遺 産 の 保 存 を 目 的 と す る 中 央 機 関 で 、 ハ ー グ 市 Den Haag に 所 在 。 数 千 に 及 ぶ 自 筆 譜 や 書 簡 、 そ の 他 の 資 料 が 保 管 さ れ て い る 。

(6)

2

蔵 先 コ ー ド は 付 さ れ て い な い た め 、 下 表 で は そ の フ ァ イ ル ご と に 表 を 作 成 し て 全 書 簡 を 一

覧 化 し た 。 な お 、 書 簡 の 中 で 曲 名 に 言 及 が あ る 場 合 、 簡 潔 さ の 観 点 か ら 表 中 で は こ れ を 作

品 番 号 で 記 述 し た 。

( 1 ) 1910 年 -1920 年 ( 10 通 )

年 /月 /日 発 信 地 形 態 頁 数 概 要 1 1910/12/10 ベルリン 葉 書 - ロ シ ア に 帰 郷 す る こ と の 連 絡 /付 。Op. 15 を 作 曲 中 と 言 及 Op. 13 を ダ ー レ ン に 送 2 1911/2/7 ベルリン 封 書 4 作 曲 中 のOp. 15 に つ い て 曲 の 構 成 、拍 子 、難 易 度 等 に 言 及 。 コ ン サ ー ト で の 演 奏 に 適 し て い る と 述 べ る / 子 供 向 け の 作 品 を 書 く 意 思 を 伝 え る 3 1911/2/26 ベルリン 封 書 3 ダ ー レ ン に ベ ル リ ン で の 就 職 先 に つ い て 紹 介 4 1911/4/11 ベルリン 葉 書 - ダ ー レ ン の 就 職 に つ い て /へ 送 付 す る と 言 及 Op. 15 は 未 出 版 で 、 ダ ー レ ン 5 1911/5/14 ベルリン 葉 書 - Opp. 14、 15 を 同 時 に ラ ー タ ー 社 か ら 出 版 す る と 報 告 /Op. 14 を オ ラ ン ダ の ピ ア ノ 教 師 や 教 育 者 に 勧 め て ほ し い と 依 頼 6 1911/8/5 ヴィアレッジョ 葉 書 - 滞 在 先 ( 伊 ) か ら の 近 況 報 告 7 1911/9/25 ベルリン 葉 書 - ダ ー レ ン へ の 近 況 伺 い 8 1911/12/29 ベルリン 葉 書 - 新 年 の 挨 拶 9 1912/6/30 ベルリン 葉 書 - 事 務 連 絡 10 1914/5/12 ベルリン 葉 書 - Op. 16 の 返 送 を 要 求

( 2 ) 1921 年 -1925 年 ( 24 通 )

1923 年 2 月 22 日 の 書 簡 以 降 、 ダ ー レ ン を 指 す 人 称 が 「 あ な た Sie」 か ら 「 君 Du」 に 変

化 し て お り 、ボ ル ト キ エ ヴ ィ チ と ダ ー レ ン の 関 係 性 が 親 密 に な っ て き て い る こ と が 窺 え る 。

一 方 、 ダ ー レ ン が ボ ル ト キ エ ヴ ィ チ を 書 簡 の 中 で ど う 呼 ん で い た か は 、 ダ ー レ ン か ら の 書

簡 が

1 通

2

を 除 き 現 存 し て い な い た め 不 明 で あ る 。

2 ボ ル ト キ エ ヴ ィ チ が ダ ー レ ン か ら 受 領 し た 書 簡 を 筆 写 し ダ ー レ ン に 送 っ た 。 こ の 書 簡 は 、 ボ ル ト キ エ ヴ ィ チ へ の 貸 金 の 返 済 方 法 を 記 載 し た 内 容 だ っ た た め か 、 ダ ー レ ン は ボ ル ト キ エ ヴ ィ チ に 対 し 「 あ な た Sie」 を 用 い て い る 〔Bortkiewicz 1932/12/24〕 。

(7)

3

11 1921/8/18 コンスタンティノープル 封 書 6 第 1 次 大 戦 と ロ シ ア 革 命 、 コ ン ス タ ン テ ィ ノ ー プ ル へ の 亡 命 ま で の 状 況 を 報 告 / ベ ン ジ ャ ミ ン 社 とOpp. 20、 21、 22、24 の 出 版 交 渉 中 。Op. 19 の 評 判 を 尋 ね る 。Op. 18 の オ ー ケ ス ト ラ 版 を 書 い た 。 ス コ ア と パ ー ト 譜 を キ ス ト ナ ー&ジ ー ゲ ル 社 か ら 出 版 予 定 12 1921/9/15 コンスタンティノープル 封 書 4 Op. 19 の 楽 器 編 成 と 演 奏 法 に つ い て 13 1922/5/22 コンスタンティノープル 封 書 2 Opp. 20、21、24 の 完 成 稿 が ま だ 届 か な い / 夏 は ウ ィ ー ン 近 郊 で 過 ご し 、 そ こ で 秋 以 降 の 居 住 地 を ウ ィ ー ン か プ ラ ハ に 決 定 す る / チ ェ ロ の 小 品3 曲〔 i.e. Op. 25〕を 数 年 以 内 に 書 く 意 思 を 伝 え る 14 1922/8/7 メードリング・バイ・ウィーン 封 書 2 ウ ィ ー ン 到 着 の 報 告 /11 月 末 ウ ィ ー ン で の 演 奏 会 の 案 内 / ベ ン ジ ャ ミ ン 社 が Opp. 20、 24 を ダ ー レ ン に 送 付 し た と 報 告 15 1923/1/17 バーデン・バイ・ウィーン 封 書 2 ヴ ァ イ オ リ ニ ス ト 、 フ ラ ン ク ・ シ ュ ミ ッ ト と 29 日 、 2 月 6 日 に ベ ル リ ン で 演 奏 会 を 行 う 1923 年 1 16 1923/2/223 バーデン・バイ・ ウィーン 葉 書 - 近 況 報 告 /Op. 28 を 作 曲 中 と 言 及 17 1923/3/4 バーデン・バイ・ウィーン 封 書 2 出 版 社 が 、 ボ ル ト キ エ ヴ ィ チ 自 身 の 「 芸 術 的 信 条 」 を 載 せ た 作 品 カ タ ロ グ を 近 日 中 に 発 行 予 定 と 言 及 。Op. 29 の 前 半 6 曲 を 作 曲 し 、 楽 譜 を 送 付

18 1923/6/24 バーデン・バイ・ウィーン 葉 書 - Op. 29 の 構 成 に つ い て 。エ チ ュ ー ド 12 曲 を 6 曲 ず つ Opp. 29、 30 と す る こ と も 考 え た が 、 最 終 的 に Op. 29 と し て 2 巻 よ り 構 成 /Op. 28 の 初 演 に つ い て / Op. 27 を 作 曲 し た

19 1923/11/24 ウィーン 封 書 2 ピ ア ノ 協 奏 曲−左 手 の た め の 幻 想 曲 −[ i.e. Op. 28]の 初 演が 11 月 29 日 ウ ィ ー ン で 決 定 / Opp. 25、26、27、29 を ラ ー タ ー 社 に 託 す 20 1923/12/24 ウィーン 封 書 2 Op. 28 の 初 演 が 成 功 / Op. 29-5、 12 を 作 曲 中 / オ ペ ラ を作 曲 中 21 1924/3/10 ウィーン 封 書 2 夫 婦 で 体 調 が 悪 い こ と の 報 告 。 健 康 は 損 ね る と 特 に そ の あ り が た み が 分 か る /Op. 29 の エ チ ュ ー ド 全 12 曲 を ダ ー レ ン に 献 呈 22 1924/4/1 ウィーン 葉 書 - Op. 29 の 校 正 を ラ イ プ ツ ィ ヒ [ i.e. ラ ー タ ー 社 ] に 送 付 23 1924/6/10 ウィーン 葉 書 - 近 況 報 告 / ウ ィ ー ン で のOpp. 27、 29 の 楽 譜 販 売 が 好 調 24 1924/7/4 シュトルーデン 葉 書 - 滞 在 先 か ら の 近 況 伺 い 25 1925/2/264 ウィーン 葉 書 - Op. 32 を 書 き 終 え た / 構 成 と 編 成 な ど の 詳 細 を 通 知 26 1925/4/21 ウィーン 葉 書 - Op. 32 の コ ピ ー を ダ ー レ ン の た め に 注 文 / 5 月 10 日 に ヴィ ッ ト ゲ ン シ ュ タ イ ン が パ リ でOp. 28 を ハ ー グ の 指 揮 者 と 演 奏

3 ボ ル ト キ エ ヴ ィ チ が 本 文 に 記 載 し た 年 月 日 は 、21 年 か 23 年 か 判 別 し づ ら か っ た 。NMI は こ の 書 簡 を 1921 年 の も の と し て 整 理 し て い る が 、バ ー デ ン か ら 投 函 さ れ た の に 対 し 、1921 年 に は ボ ル ト キ エ ヴ ィ チ は オ ー ス ト リ ア に 入 国 し て い な か っ た こ と か ら 、 正 し く は1923 年 の 書 簡 だ と 考 え ら れ る 。 4 ボ ル ト キ エ ヴ ィ チ が 本 文 に 記 載 し た 年 月 日 は 、25 年 か 28 年 か 判 別 し づ ら か っ た 。NMI は こ の 書 簡 を 1928 年 の も の と し て 整 理 し て い る が 、Op. 32 は 1927 年 に 初 演 さ れ て い る た め 、 1925 年 の 書 簡 と 執 筆 者 が 判 断 し 、 適 正 な 箇 所 ( ( 2 ) ) の 表 中 に 記 載 し た 。

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4

27 1925/6/17 ウィーン 葉 書 - 10 月 30 日 に マ ド リ ッ ド で 初 め て の 演 奏 会 を 開 催 / 同 時期 に パ リ でOp. 32 を 弾 い て 欲 し い と ダ ー レ ン に 依 頼 28 1925/7/15 ウィーン 葉 書 - Op. 32 の コ ピ ー の 件 は ま だ 返 事 が 来 な い / 今 日 旅 に 出 るこ と を 通 知 29 1925/9/21 ウィーン 葉 書 - 11 月 に パ リ で Op. 32 を 弾 い て 欲 し い と ダ ー レ ン に 再 度依 頼 。 日 程 が 決 ま り 次 第 、 至 急 ス コ ア と パ ー ト 譜 を 送 付 す る 30 1925/10/12 ウィーン 封 書 2 Op. 32 の ス コ ア を ダ ー レ ン に 送 付 。 近 日 中 に パ ー ト 譜 も 送 付 予 定 。 ス コ ア は1 部 の み の た め 紛 失 し な い よ う 頼 む /10 月 26 日 に マ ド リ ッ ド へ 出 発 し 、 11 月 に パ リ に 行 く / ハ ー グ でOp. 32 を 2 台 ピ ア ノ 版 で 一 緒 に 弾 か な い か 打 診 /Op. 33 を 印 刷 中 31 1925/10/225 ウィーン 葉 書 - 1 月 に ハ ー グ で Op. 32 を 2 台 ピ ア ノ 版 で 一 緒 に 弾 く こ とを 依 頼 / 再 度 、 ス コ ア を 紛 失 し な い よ う 依 頼 32 1925/11/21 パリ 葉 書 - 明 日 の 朝 ウ ィ ー ン へ 戻 る こ と を 報 告 33 1925/12/3 ウィーン 葉 書 - ハ ー グ に お け る ダ ー レ ン と の コ ン サ ー ト の 日 程 の 打 診 34 1925/12/22 ウィーン 葉 書 - 1926 年 1 月 28 日 の コ ン サ ー ト の 開 催 有 無 を 確 認 / 改 めて 、 ス コ ア を 紛 失 し な い よ う 依 頼

( 3 ) 1926 年 -1930 年 ( 44 通 )

年 /月 /日 発 信 地 形 態 頁 数 概 要 35 1926/2/15 ウィーン 葉 書 - 4 月 10 日 に ダ ー レ ン と の コ ン サ ー ト の た め ハ ー グ に 行 く予 定 /Op. 33 は ラ ー タ ー 社 か ら 出 版 さ れ た / Opp. 20、28 を 最 近 指 揮 し た 。Op. 20 の 譜 面 を 無 く さ な い よ う 依 頼 36 1926/2/28 ウィーン 封 書 2 4 月 10 日 の ダ ー レ ン に よ る 「 ボ ル ト キ エ ヴ ィ チ の 夕 べ 」の プ ロ グ ラ ム を ベ ン ジ ャ ミ ン 社 か ら 受 領 / 近 況 報 告 37 1926/3/18 ウィーン 封 書 1 ダ ー レ ン と の Op. 32 の 2 台 ピ ア ノ 版 の コ ン サ ー ト を 、 4 月 24 日 に ハ ー グ で 開 催 す る こ と が 確 定 / シ ュ ミ ッ ト が Op. 22 を ア テ ネ で 演 奏 し た 38 1926/3/30 ウィーン 葉 書 - 近 況 報 告 / コ ン サ ー ト の 曲 順 に つ い て 39 1926/4/86 ウィーン 葉 書 - オ ー ス ト リ ア 市 民 権 を 取 得 し て し ば ら く 経 過 / オ ー ス ト リ ア の パ ス ポ ー ト を 持 っ て い る /4 月 22 日 午 前 11 時 に 到 着 す る 40 1926/9/19 パリ 葉 書 - 滞 在 先 か ら の 近 況 報 告 41 1926/12/9 ウィーン 葉 書 - 近 況 報 告

5 NMI は こ の 書 簡 を 誤 っ て 1935 年 の も の と し て 整 理 し て い る が 、 ボ ル ト キ エ ヴ ィ チ が 記 載 し た 日 付 か ら 明 ら か に 1925 年 の 書 簡 と 執 筆 者 が 判 断 し 、 適 正 な 箇 所 ( ( 2 ) ) の 表 中 に 記 載 し た 。 6 ボ ル ト キ エ ヴ ィ チ が 本 文 に 記 載 し た 年 月 日 は 、21 年 か 26 年 か 判 別 し づ ら か っ た 。NMI は こ の 書 簡 を 1921 年 の も の と し て 整 理 し て い る が 、1922 年 以 降 に 居 住 し た ウ ィ ー ン か ら 投 函 さ れ て い る た め 、 1926 年 の 書 簡 と 執 筆 者 が 判 断 し 、 適 正 な 箇 所 ( ( 3 ) ) の 表 中 に 記 載 し た 。

(9)

5

42 1927/1/197 ウィーン 葉 書 - 2 月 11 日 の「 ラ ジ オ・ベ ル リ ン 」で の 演 奏 の 告 知 / ベ ルリ ン に お け る 滞 在 先 の 住 所 43 1927/6/6 ウィーン 封 書 3 ウ ィ ー ン で ボ ル ト キ エ ヴ ィ チ 指 揮 に よ るOp. 32 の 初 演 が 大 成 功 / 経 済 的 に 困 難 で 作 曲 活 動 に も 悪 影 響 が 出 て い て 苦 痛 だ / コ ン サ ー ト で ゆ っ く り の 曲 を 続 け て 演 奏 す る の は 良 く な い 。 変 化 が 必 要 だ 。 44 1927/8/8 ラウラーナ 葉 書 - 避 暑 地 ( 現 ク ロ ア チ ア ) か ら の 近 況 報 告 45 1927/10/3 ウィーン 葉 書 - 「 ラ ジ オ・ミ ュ ン ヘ ン 」でノ ・ ト リ オOp. 38 を 書 き 終 え た Op. 32 を 演 奏 す る 予 定 / ピ ア 46 1927/12/20 ウィーン 葉 書 - ク リ ス マ ス と 新 年 の 挨 拶 47 1928/5/10 ウィーン 封 書 4 ウ ィ ー ン で 指 揮 者 と し て 好 評 を 博 し て い る / ラ ー タ ー 社 か ら Op. 37 の ピ ア ノ 版 を 出 版 。オ ー ケ ス ト ラ 版 も 続 け て 出 版 予 定

48 1928/9/10 ウィーン 封 書 2 9 月 23 日 夕 方 に「 ラ ジ オ・ウ ィ ー ン 」で Op. 36 を 演 奏 する / ワ ル シ ャ ワ で1 月 に Op. 32 を 演 奏 す る / Op. 40 の 作 曲 は 完 了 し た が 、 未 出 版 49 1928/12/22 ウィーン 葉 書 - 1929 年 1 月 25 日 に ワ ル シ ャ ワ で Op. 32 を 演 奏 し 、Op. 37を 指 揮 す る /1 月 28 日 に「 ラ ジ オ・ベ ル リ ン 」で ピ ア ノ 作 品 を 演 奏 し 、 イ ギ リ ス 大 使 館 で も 弾 く 50 1929/1/20 ベルリン 封 書 4 ベ ル リ ン で 開 催 し た 演 奏 会 で 、Op. 36 が 大 変 好 評 だ っ た /1 月 は ベ ル リ ン で 、 Op. 28 な ど 幾 つ か の コ ン サ ー ト を 予 定 し て い る が 、 そ れ で も 経 済 的 に は 苦 し い 51 1929/4/14 ベルリン 葉 書 - Op. 37 を は じ め 、 自 分 の 作 品 の 宣 伝 の た め の 機 会 を ベ ルリ ン や ベ ル リ ン 以 外 で 探 し て い る 52 1929/6/14 ベルリン 葉 書 - 6 月 18 日 に Opp. 26、 36 や 4 つ の ピ ア ノ 小 品ツ ィ ヒ の ラ ジ オ で 演 奏 す る 8 を ラ イ プ 53 1929/8/13 ベルリン 葉 書 - Op. 42 を 作 曲 し た / Op. 40 は 未 だ 出 版 さ れ て い な い 54 1929/9/14 ベルリン 封 書 2 ダ ー レ ン が オ ラ ン ダ で 出 版 し た『 ロ シ ア の 音 楽 と 作 曲 家 』 に 自 分 を 取 り 上 げ て く れ た こ と へ の 礼 / 出 版 社 J. フ ィ リ ッ プ ・ ク ル ー ゼ マ ン へ の 祝 い 状 を 同 封 / 経 済 的 に 苦 し い こ と の 愚 痴 55 1929/10/7 ベルリン 葉 書 - ダ ー レ ン の 演 奏 を 聴 く 機 会 が 無 く て 残 念 だ ! / 定 職 が 無く 、 収 入 が 不 安 定 だ ! 56 1929/10/29 ベルリン 封 書 4 経 済 的 困 窮 の 訴 え / リ ガ か ら 戻 る 途 中 、 ダ ン ツ ィ ヒ で マ ル ツ ィ ン ス キ 伯 爵 夫 人 の 館 に 招 待 さ れ 、 ロ シ ア の 地 主 と し て の 生 活 を 思 い 出 し た /Op. 19 が 12 月 に 演 奏 さ れ る 予 定 /12 月 に バ ヴ ァ リ ア の ラ ジ オ に 出 演 予 定 57 1929/11/3 ベルリン 封 書 2 近 況 報 告 / 定 職 へ の 憧 れ 58 1929/11/14 ベルリン 封 書 3 ダ ー レ ン が オ ラ ン ダ の 音 楽 院 で の 教 職 の 口 を 紹 介 し よ う と し て く れ た こ と へ の 礼 / ダ ー レ ン が12 月 8 日 に ハ ー レ ム で Op. 32 を 演 奏 す る 予 定 だ と 、ラ ー タ ー 社 か ら 聞 い た

7 ボ ル ト キ エ ヴ ィ チ が 本 文 に 記 載 し た 年 月 日 は 、21 年 か 27 年 か 判 別 し づ ら か っ た 。NMI は こ の 書 簡 を 1921 年 の も の と し て 整 理 し て い る が 、1922 年 以 降 に 居 住 し た ウ ィ ー ン か ら 投 函 さ れ て い る た め 、 1927 年 の 書 簡 と 執 筆 者 が 判 断 し 、 適 正 な 箇 所 ( ( 3 ) ) の 表 中 に 記 載 し た 。 8

4 つ の ピ ア ノ 小 品 」 が ど の 作 品 を 指 す か 特 定 で き な か っ た 。

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6

59 1929/12/11 ベルリン 葉 書 - ダ ー レ ン のOp. 32 の ハ ー レ ム で の 演 奏 が 成 功 し た と 聞 い た / 職 に つ い て ダ ー レ ン か ら の 知 ら せ を 引 き 続 き 待 っ て い る 60 1929/12/12 ベルリン 葉 書 - 近 況 報 告 61 1929/12/219 ベルリン 葉 書 - 1930 年 1 月 3 日 に「 ラ ジ オ・ラ イ プ ツ ィ ヒ 」で ヴ ィ ト ゲ ン シ ュ タ イ ン がOp. 28 を 演 奏 予 定 / 経 済 的 困 窮 の 訴 え 62 1930/2/1 ベルリン 封 書 4 1 月 26 日 に ヴ ィ ト ゲ ン シ ュ タ イ ン が Op. 28 を 演 奏 し 好 評だ っ た /AKM か ら 4 月 に 入 金 予 定 の 著 作 権 料 見 合 い で 、 ダ ー レ ン に300 ラ イ ヒ ス ・ マ ル ク の 借 用 を 打 診 63 1930/2/7 ベルリン 封 書 2 255 ラ イ ヒ ス ・ マ ル ク を 送 金 し て く れ た こ と へ の 礼 / 借用 証 を 送 付 / オ ラ ン ダ で の 職 の 紹 介 が 難 し い と 聞 い た が 何 故 か 教 え て ほ し い 64 1930/2/14 ベルリン 封 書 2 Op. 39 の タ イ ト ル を 決 定 し た こ と を 伝 達 65 1930/2/24 ベルリン 葉 書 - 近 況 報 告 66 1930/3/23 ベルリン 葉 書 - Op. 39 を 出 版 し て く れ る 出 版 社 が 見 つ か ら な い の な ら 、託 し た 楽 譜 を 返 送 し て 欲 し い と 依 頼 67 1930/4/10 ベルリン 葉 書 - オ ラ ン ダ の 出 版 社 がし た 楽 譜 を 返 送 す る よ う ダ ー レ ン に 依 頼Op. 39 に 興 味 を 示 さ な い の な ら 、託 68 1930/4/28 ベルリン 葉 書 - Op. 39 に 興 味 を 示 す 出 版 社 を 自 分 で 見 つ け た の で 、 す ぐに 楽 譜 を 送 り 返 し て 欲 し い と 依 頼

69 1930/6/1710 ベルリン 葉 書 - 6 月 19 日 に ダ ー レ ン が Op. 16 を 弾 く と 聞 い て 嬉 し い /Op. 39 を リ ト ル フ 社 か ら 出 版 す る こ と が 決 ま っ た / Op.

45 を 作 曲 し た 70 1930/6/27 エーバースヴァルデ 封 書 2 ハ ー グ 在 住 で 「 ブ ダ ペ ス ト ・ ト リ オ 」 の メ ン バ ー の ニ コ ラ ス・ロ ス へ の 手 紙 を Op. 38 と 一 緒 に 同 封 す る の で 、彼 に 手 渡 し て ほ し い 71 1930/7/13 ベルリン 封 書 3 ダ ー レ ン が 出 し た チ ャ イ コ ー フ ス キ イ に 関 す る 本 と 、 自 分 の 伝 記 を 送 っ て く れ た こ と へ の 礼 と 、 ダ ー レ ン が 作 品 を 自 分 に 献 呈 し て く れ た こ と へ の 礼 72 1930/8/20 ベルリン 葉 書 - Opp. 31、37 の 送 付 に 関 し 、お 互 い の 理 解 に 齟 齬 が あ っ たた め 状 況 を 確 認 73 1930/8/27 ベルリン 封 書 2 Opp. 31、 37 の オ ー ケ ス ト ラ の パ ー ト 譜 と 、 Opp. 31、 45 (2 台 ピ ア ノ 版 ) の ス コ ア を 送 付 す る / Op. 37 の ス コ ア は ラ ー タ ー 社 か ら 送 ら せ る / 私 は 「 小 さ な チ ャ イ コ ー フ ス キ イ 」 /Op. 19 の 演 奏 ガ イ ド を 送 付 す る の で 指 揮 者 の ヴ ァ イ ス バ ッ ハ に 渡 し て ほ し い 74 1930/9/22 ベルリン 封 書 3 10 月 に ベ ル リ ン で 演 奏 す る た め Op. 37 の 譜 面 を 返 送 す る よ う 依 頼 / 「 ブ ダ ペ ス ト ・ ト リ オ 」 の ロ ス か ら は 連 絡 が な い /Op. 45 を 5 月 の ト ン キ ュ ン ス ト ラ ー フ ェ ス ト の た め に 提 出 し た 75 1930/10/15 ベルリン 封 書 2 Op. 45 の 変 更 箇 所 を 同 封 / 10 月 14 日 の コ ン サ ー ト で Op. 16 が 大 成 功 を 収 め た / ロ ス と ヴ ァ イ ス バ ッ ハ か ら 連 絡 が な い

9 NMI は こ の 書 簡 を 10 月 の も の と し て 整 理 し て い る が 、 ボ ル ト キ エ ヴ ィ チ 自 身 の 日 付 の 記 載 か ら 正 し く は 12 月 の 書 簡 だ と 考 え ら れ る 。 10 NMI は こ の 書 簡 を 1920 年 6 月 14 日 の も の と し て 整 理 し て い る が 、 ボ ル ト キ エ ヴ ィ チ 自 身 の 日 付 の 記 載 か ら 1930 年 6 月 17 日 の 書 簡 と 執 筆 者 が 判 断 し 、 適 正 な 箇 所 ( ( 3 ) ) の 表 中 に 記 載 し た 。

(11)

7

76 1930/10/28 ベルリン 葉 書 - Op. 37 の オ ー ケ ス ト ラ の パ ー ト 譜 が 未 着 / Op. 37-9 の〈 お 祭 り 騒 ぎ 〉 は 最 後 に 演 奏 す べ き [i.e. 10 曲 目 に 曲 順 を 変 更 ] 77 1930/11/26 ベルリン 封 書 3 Op. 37 の 批 評 を 送 っ て く れ た 感 謝 / 5 曲 し か 演 奏 し な かっ た の で 印 象 が 弱 ま っ て 残 念 だ っ た / 例 え ばOp. 37-6、 8、 10 は 優 秀 な ソ ロ ・ ヴ ァ イ オ リ ン が 必 要 だ 78 1930/12/12 ベルリン 封 書 3 255 ラ イ ヒ ス・マ ル ク の 返 済 を 待 っ て ほ し い / Op. 45 の 2台 ピ ア ノ 版 の 編 曲 を 近 日 中 に 送 付 す る /Op. 37 の 曲 順 は 1、 2、 3、 4、 10、 5、 6、 ( 7) 、 8、 9 を 勧 め る

( 4 ) 1931 年 -1932 年 ( 24 通 )

年 /月 /日 発 信 地 形 態 頁 数 概 要 79 1931/1/6 ベルリン 葉 書 - ベ ル リ ン 国 立 歌 劇 場 の バ レ エ・デ ィ レ ク タ ー にOp. 37 の 音 楽 や 構 想 を 見 せ た い の で 、 カ ペ ル マ イ ス タ ー に ス コ ア を 返 送 し て も ら え な い か 聞 い て 欲 し い と ダ ー レ ン に 依 頼 80 1931/2/14 ベルリン 葉 書 - 2 月 5 日 に 行 っ た Op. 32 の ベ ル リ ン 初 演 が 驚 く ほ ど の 大成 功 を 収 め た / 「 ブ ダ ペ ス ト ・ ト リ オ 」 の ロ ス に 返 事 を す る よ う 、 ダ ー レ ン か ら 強 く 申 し 入 れ て 欲 し い と 依 頼 81 1931/3/24 ベルリン 封 書 3 先 日 ベ ル リ ン の ピ ア ニ ス ト 、 ヘ ル マ ン ・ ホ ッ ペ がOp. 42 を 初 演 し 、 小 品4 曲 を 素 晴 ら し い テ ク ニ ッ ク で 演 奏 し た / 「 ブ ダ ペ ス ト ・ ト リ オ 」 が ベ ル リ ン で コ ン サ ー ト を 行 い 、 ロ ス と 会 話 し た /Op. 45 に つ い て 、 難 易 度 や 演 奏 す る 意 思 の 有 無 を 尋 ね る 82 1931/4/14 ベルリン 葉 書 - ダ ー レ ン へ の 近 況 伺 い

83 1931/6/5 ベルリン 葉 書 - 6 月 9 日 に チ ャ ッ プ 女 史 が Op. 17-1、Op. 33-6、9、Op. 3-3を 演 奏 す る

84 1931/7/28 エーバースヴァルデ 封 書 4 ダ ー レ ン が 8 月 9 日 に ス ヘ ー フ ェ ニ ン ゲ ン11 で Op. 32 を 演 奏 す る と 知 っ て 嬉 し い /9 月 27 日 に は プ ラ ハ で Op. 16 を 演 奏 予 定 / 経 済 的 困 窮 と 体 調 不 良 の 訴 え / Op. 46、 〈 ア ル バ ム の 一 葉 〉 、 〈 祝 婚 歌 〉 を 作 曲 し た /Opp. 40、 42 は 間 も な く リ ト ル フ 社 か ら 出 版 予 定 85 1931/8/25 ベルリン 葉 書 - Op. 32 の ダ ー レ ン の 演 奏 が 大 成 功 だ っ た こ と へ の 礼 /Opp. 40、 42 は 間 も な く リ ト ル フ 社 か ら 出 版 予 定 86 1931/9/7 ベルリン 葉 書 - Op. 16 の ス コ ア を で き る だ け 早 く 私 に 送 っ て 欲 し い と ダー レ ン に 依 頼 87 1931/9/18 ベルリン 葉 書 - 9 月 25 日 に ヴ ロ ツ ワ フ で 行 う 自 分 の 演 奏 を 聴 け る か ダ ーレ ン に 尋 ね る 。28 日 に は プ ラ ハ で も 演 奏 予 定 88 1931/10/7 ベルリン 封 書 3 ヴ ロ ツ ワ フ と プ ラ ハ で 行 っ た 演 奏 旅 行 の 報 告 。10 月 11 日 に ケ ー ニ ヒ ス ベ ル ク で 30 分 間 、 14 日 に は リ ガ で 1 時 間 ピ ア ノ 小 品 を 演 奏 予 定 / ダ ー レ ン が 購 入 を 検 討 し て い る ピ ア ノ ( フ リ ュ ー ゲ ル ) に つ い て の 情 報 を 連 絡 89 1931/10/17 リガ 葉 書 - ケ ー ニ ヒ ス ベ ル ク か リ ガ で の 自 分 の 演 奏 を 聴 け た か ダ ーレ ン に 尋 ね る / 滞 在 先 か ら の 近 況 報 告

11 デ ン ・ ハ ー グ の 中 心 部 か ら 約 6 キ ロ 北 西 の 、 北 海 に 面 し た 地 区 。

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90 1931/11/8 ベルリン 葉 書 - ダ ー レ ン が1930 年 か ら 31 年 に か け て ボ ル ト キ エ ヴ ィ チ の 作 品 を 演 奏 し た 全 て の コ ン サ ー ト の 記 録 を 、 詳 細 な 日 付 と と も に 書 き 付 け た 目 録12 に 対 す る 礼 91 1931/12/11 ベルリン 封 書 2 Op. 19 の ベ ル リ ン 初 演 と 、優 秀 な ピ ア ニ ス ト 、ヘ ル マ ン・ ホ ッ ペ がOp. 45 を 初 演 し た シ ン フ ォ ニ ー・コ ン サ ー ト の プ ロ グ ラ ム を 同 封 /12 月 20 日 に ウ ィ ー ン で Op. 16 を 、 22 日 に ミ ュ ン ヘ ン の ラ ジ オ 局 で ピ ア ノ 小 品 を 演 奏 予 定 / 演 奏 機 会 に 恵 ま れ て い る が 収 入 は 限 ら れ て い る / 今 は 南 ア メ リ カ を 夢 見 て い る / 最 近 、 ピ ア ニ ス ト の テ ラ ン が リ オ デ ジ ャ ネ イ ロ でOp. 16 を 演 奏 し た13 92 1931/12/31 ベルリン 葉 書 - 新 年 の 挨 拶 93 1932/2/25 ベルリン 封 書 4 ピ ア ニ ス ト の テ ラ ン が 、 聴 衆 の 希 望 で 、 リ オ デ ジ ャ ネ イ ロ の 次 の コ ン サ ー ト でOp. 16 を 再 演 す る こ と に な っ た / 例 え ば Op. 20 な ど は チ ェ リ ス ト の パ ウ ル が 20 回 も 演 奏 し た /Op. 44 は ま だ 自 筆 譜 で 、 演 奏 は さ れ て い な い / 2 月 4 日 に リ ト ル フ 社 主 催 の コ ン サ ー ト で Opp. 39、40、42 を 演 奏 し た / 夏 に は Opp. 46、 48 を リ ト ル フ 社 か ら 出 版 予 定 / こ れ ら の 謝 礼 金 で は 充 分 な 生 活 が で き な い / い ま オ ペ ラ を 書 い て い る 。 こ の 作 品 が 成 功 す れ ば 経 済 的 に は 死 ぬ ま で 安 泰 だ 。 し か し 心 配 事 や 暗 い 考 え の せ い で 作 曲 が 捗 ら な い 。 こ の オ ペ ラ が 成 功 し な け れ ば 、 自 分 も 死 ん で し ま う か も し れ な い 94 1932/3/25 ベルリン 封 書 2 Op. 46 の 自 筆 譜 の コ ピ ー を ダ ー レ ン に 送 付 / 昨 日 オ ペ ラの 第 2 幕 を 書 き 終 え た 95 1932/6/20 ベルリン 封 書 2 こ の 夏 は 街 に 留 ま る 予 定 だ / オ ペ ラ の ス コ ア を す で に 250 ペ ー ジ 書 い た / ダ ー レ ン の 知 り 合 い で 、 自 分 を 尊 敬 し 経 済 的 に サ ポ ー ト し た い と い う 裕 福 な 女 性 に 興 味 を 持 っ て い る 96 1932/7/3 ベルリン 封 書 4 Op. 45 の ス コ ア と Op. 37 の パ ー ト 譜 を ダ ー レ ン に 送 付 / オ ペ ラ の リ ブ レ ッ ト は ヘ ル マ ン ・ バ ン グ の 小 説 『4 人 の 悪 魔 』 が も と に な っ て い る 。 オ ペ ラ を 早 く 仕 上 げ る た め に 、 裕 福 な 女 性14 か ら 3000 グ ル デ ン 貸 し て も ら え な い か 交 渉 す る よ う ダ ー レ ン に 依 頼 97 1932/7/25 ベルリン 葉 書 - ダ ー レ ン か ら 良 い 知 ら せ15 が あ る か 尋 ね る / 自 分 は 疲 労 困 憊 だ 。 お 金 が な い の で 近 く の 田 舎 へ の 安 い 旅 行 に も 行 け な い 。 そ れ に も 関 わ ら ず オ ペ ラ を 仕 上 げ な け れ ば な ら な い 98 1932/8/24 ベルリン 葉 書 - ダ ー レ ン か ら 長 い 間 連 絡 が な い / オ ペ ラ を 《 ア ク ロ バ ー テ ン 》と 名 付 け る こ と を 報 告 。夏 の 間 中 作 曲 に 取 り 組 み 、 間 も な く 完 成 99 1932/9/14 ベルリン 封 書 3 オ ペ ラ は 当 初 《4 人 の 悪 魔 》 と い う タ イ ト ル だ っ た が 、 最 終 的 に 《 ア ク ロ バ ー テ ン 》 の 方 が 格 段 に 良 く 、 作 品 の 世 界 を 言 い 表 し て い る と 考 え た / 自 分 が 死 ん で も 印 税 は ま だ 30 年 あ り 充 分 に 保 障 さ れ て い る

12 こ の 時 期 の 目 録 は 未 発 見 だ が 、1910 年 11 月 20 日 か ら 1926 年 12 月 21 日 ま で の 記 録 は NMI に 所 蔵 さ れ て い る (NMI 368) 。 13 テ ラ ン は モ ン テ ビ デ オ で も Op. 16 を 演 奏 し 大 成 功 を 収 め た 様 子 を 、 ニ ュ ー ヨ ー ク ・ タ イ ム ズ が 報 じ て い

る ( 著 者 不 明1931 ”Music Brevities from Abroad.” New York Times 27, December) 。

14 1932 年 6 月 20 日 の 手 紙 で 言 及 。

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100 1932/10/18 ベルリン 封 書 2 6 月 ま で 持 ち こ た え る に は 至 急 2000 マ ル ク が 必 要 だ 。で な け れ ば 餓 死 す る か 自 殺 し な け れ ば な ら な く な る だ ろ う 。 で も 何 と か 夏 ま で に は 、 こ の 惨 め な 状 況 が 好 転 す る と い う 望 み を 持 っ て 暮 ら し た い 。 ダ ー レ ン に 助 け て ほ し い ! 自 分 が 死 ん で も 印 税 は 30 年 あ る し 、自 分 の 作 品 は 失 わ れ な い は ず だ 101 1932/12/10 ベルリン 封 書 3 自 分 は ダ ー レ ン に2000 マ ル ク 借 り が あ る が 、ど の よ う に 返 済 す る べ き か つ い て 、 ダ ー レ ン か ら 書 面 で 教 え て ほ し い / オ ペ ラ の 作 曲 を 進 め て い る 。 オ ペ ラ は 成 功 し な け れ ば な ら な い 。 私 の 最 後 の 望 み だ ! 102 1932/12/24 ベルリン 封 書 1 ダ ー レ ン か ら2000 ラ イ ヒ ス・マ ル ク の 借 金 に つ い て 少 な く と も 毎 月 返 済 を し て 欲 し い と の 依 頼 [i.e. ダ ー レ ン か ら の 書 簡 を ボ ル ト キ エ ヴ ィ チ が 筆 写 し て 同 封 ] / ダ ー レ ン が 自 分 を 心 配 し て く れ て い る こ と へ の 礼 / ク リ ス マ ス と 新 年 の 挨 拶

( 5 ) 1933 年 -1934 年 ( 24 通 )

年 /月 /日 発 信 地 形 態 頁 数 概 要 103 1933/2/8 ベルリン 葉 書 -

ベ ル リ ン でOp. 7-1、 Op. 8-3、 Op. 17-8、 Op. 48-1、 2、 5、 6 を 演 奏 し た / 2 月 19 日 に 「 ラ ジ オ ・ ウ ィ ー ン 」 で 30 分 間 演 奏 予 定 / 戦 争 と 人 間 の 愚 行 が 呪 わ し い ! 南 ア メ リ カ ( ブ ラ ジ ル ) に 行 く た め の 金 も 無 い 104 1933/3/14 ベルリン 葉 書 - [ 国 会 議 事 堂 放 火 事 件 と ナ チ ス に よ る 共 産 主 義 弾 圧 を 踏 ま え て ] 我 々 は ド イ ツ で 、 完 全 に 威 圧 的 な 新 時 代 に 直 面 し て い る 。大 勢 の 共 産 主 義 者 、ユ ダ ヤ 人 、「 現 代 主 義 者 」 が 逃 げ 出 し て い る 105 1933/4/21 ベルリン 封 書 4 サ イ ン 入 り の ブ ロ マ イ ド を ダ ー レ ン に 送 付 。 ボ ル ト キ エ ヴ ィ チ の 賞 賛 者 に 渡 し て 、 代 わ り に お 金 を 集 め て ボ ル ト キ エ ヴ ィ チ に 送 っ て 欲 し い と 依 頼 / ヒ ト ラ ー 革 命 の 後 、 オ ペ ラ の プ ロ デ ュ ー サ ー や オ ー ケ ス ト ラ の デ ィ レ ク タ ー が 殆 ど 馘 に な っ て し ま っ た 。 オ ペ ラ に つ い て 一 か ら 交 渉 仕 直 し に な っ た /AKM か ら の ロ イ ヤ リ テ ィ の 入 金 は 6 月 末 頃 の 予 定 で 、 そ れ ま で に 資 金 が 尽 き る だ ろ う 。 私 の 「 賞 賛 者 」 か ら お 金 を 集 め て300 か ら 400 ラ イ ヒ ス ・ マ ル ク ほ ど 送 っ て も ら え な い か / か わ い そ う な 妻 が も し い な け れ ば 、 随 分 前 に 自 分 の 人 生 を 終 わ ら せ て い た だ ろ う / ブ ラ ジ ル で は 評 価 さ れ て い る / ユ ダ ヤ 人 で も な く 、 ド イ ツ で 名 声 を 得 て い る に も か か わ ら ず 、 生 粋 の ド イ ツ 人 で は な い こ と を 理 由 に ポ ス ト が 手 に 入 り に く く な っ て い る 106 1933/4/29 ベルリン 封 書 2 現 状 の 報 告 / ミ ー ス 婦 人 に お 金 を 貸 し て 欲 し い と ダ ー レ ン か ら 頼 ん で も ら う よ う 依 頼 。 ミ ー ス 婦 人 が ベ ル リ ン に 到 着 し た ら 自 分 に 連 絡 で き る よ う 、 ダ ー レ ン に 連 絡 先 を 伝 達 107 1933/5/22 ベルリン 葉 書 - Op. 45 の す べ て の 弦 楽 器 を 含 め た オ ー ケ ス ト ラ の パ ー ト 譜 の 多 く を ダ ー レ ン が 持 っ て い る か 照 会 / ミ ー ス 婦 人 に お 金 を 送 付 し て も ら う よ う ダ ー レ ン に 依 頼 し た が 、 そ の 後 君 か ら 返 事 が な い 108 1933/5/30 ベルリン 封 書 2 50 ラ イ ヒ ス・マ ル ク の 受 領 に 感 謝 。同 封 の 手 紙 を ミ ー ス 婦 人 に 転 送 し て 欲 し い と 依 頼 。 ミ ー ス 婦 人 に ベ ル リ ン で 直 接 会 え る こ と を 望 ん で い る / 昨 日Op. 50 の ピ ア ノ 編 曲 を プ ラ ハ の ド イ ツ 劇 場 に 送 付 し た 。 台 本 は そ れ 以 前 に 送 付 し て お り 、 今 回 編 曲 を 要 求 さ れ た

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109 1933/7/3 ベルリン 封 書 3 生 活 の 困 窮 の 訴 え 。10 月 ま で は 持 ち こ た え な け れ ば な ら な い / 革 命 、 ボ リ シ ェ ヴ ィ キ 、 生 命 の 危 機 に 耐 え て い る こ と へ の 嘆 き 110 1933/7/30 ベルリン 封 書 3 ミ ー ス 婦 人 か ら の 30 マ ル ク に 対 す る 礼 。 [ 合 計 ] 80 マ ル ク の 受 領 証 を 送 付 す べ き か 照 会 / オ ペ ラ で は 、 合 唱 は 短 く 断 続 的 だ が 全3 幕 に 存 在 す る 。 第 2 幕 で は セ レ ナ ー デ と し て バ リ ト ン 独 唱 が 繰 り 返 し 出 て く る 。 そ の 他 、 場 面 の 展 開 に つ い て 説 明 111 1933/8/23 ベルリン 封 書 4 近 況 報 告 / リ オ デ ジ ャ ネ イ ロ か ら 長 い 新 聞 記 事 が 送 ら れ て き た 。 新 聞 は 私 の 宣 伝 活 動 を 盛 大 に し て く れ る が 、 現 地 に 行 く 金 も 無 い 。 ブ ラ ジ ル の ピ ア ニ ス ト が 、 私 の ピ ア ノ 協 奏 曲 の 楽 譜 を ラ イ プ ツ ィ ヒ か ら 入 手 す る の は 、 外 貨 管 理 規 制 が 厳 し い た め に 非 常 に 困 難 だ と 書 い て き た / お 金 が 入 っ て 借 金 を 返 済 で き た ら ど ん な に 嬉 し い だ ろ う 112 1933/9/22 ベルリン 葉 書 - ダ ー レ ン へ の 近 況 伺 い 113 1933/10/9 ベルリン 封 書 1 ミ ー ス 婦 人 か ら の 30 ラ イ ヒ ス ・ マ ル ク に 対 す る 礼 / 10 月 の 終 わ り に ド イ ツ の ラ ジ オ 局 で 一 連 の ピ ア ノ 小 品 を 演 奏 す る 114 1933/12/23 ウィーン 封 書 4 ベ ル リ ン の「 ド イ チ ュ ラ ン ト ゼ ン ダ ー 」[i. e. ラ ジ オ 局 ] で11 月 1 日 に 演 奏 予 定 だ っ た が 急 遽 キ ャ ン セ ル さ れ た 。 恐 ら く 自 分 が ド イ ツ 人 で は な い か ら だ 。 腹 が 立 っ て 仕 方 が な い 。 こ の 話 を ジ ャ ー ナ リ ス ト の 友 人 に 伝 え て 欲 し い / ベ ル リ ン で オ ペ ラ の 話 が 進 ん で い た が 、 デ ィ レ ク タ ー が ユ ダ ヤ 人 の た め 追 放 さ れ た こ と か ら 、 振 り 出 し に 戻 っ て し ま っ た / ウ ィ ー ン の 国 立 歌 劇 場 の デ ィ レ ク タ ー の ワ レ ン シ ュ タ イ ン 氏 がOp. 50 に 興 味 を 示 し て く れ て い る / ウ ィ ー ン は と て も 貧 し い が 、 そ れ で も 素 晴 ら し い ! 115 1934/1/24 ウィーン 葉 書 - ミ ー ス 婦 人 に 心 か ら よ ろ し く 伝 え る よ う ダ ー レ ン に 依 頼 /2 月 2 日 と 10 日 に「 ラ ジ オ・ウ ィ ー ン 」で 演 奏 予 定 / 日 々 の 生 活 に お け る 苦 闘 は よ り 深 刻 で 疲 労 困 憊 し て お り 、 全 く 作 曲 が で き て い な い 116 1934/3/6 ウィーン 封 書 2 57 歳 に な っ た が 、か つ て の ロ シ ア が 続 い て い た な ら ど れ 程 か 人 生 が 違 っ て い た こ と か 。 時 代 が 変 わ っ た せ い で 、 こ の 歳 に な っ て も 自 分 の 作 品 が 有 名 に な り き ら ず 報 わ れ て い な い 。 自 分 が ま だ 生 き て い る の は 奇 跡 だ ! / ダ ー レ ン が 自 分 の 作 品 を 多 く 演 奏 し て い る こ と へ の 礼 / ミ ー ス 婦 人 に 同 封 の 手 紙 と 自 筆 譜16 を 渡 す よ う ダ ー レ ン に 依 頼 /3 月 10 日 に 3 台 ピ ア ノ の「 ベ ル リ ナ ー・ト リ オ 」が 、 Op. 3-3、 Op. 24-2、 Op. 48 の 編 曲 4 曲 を ラ ジ オ 局 で 演 奏 す る 117 1934/3/24 ウィーン 葉 書 - ミ ー ス 婦 人 に 献 呈 し た 《 ピ ア ノ の た め の 前 奏 曲 》 の 自 筆 譜 と 手 紙 を 送 付 し た が 、 返 事 が な い の で ダ ー レ ン が 受 領 し た か ど う か 心 配 し て い る 118 1934/3/29 ベルリン 封 書 1 昨 日ツ ェ ル 婦 人 に 心 か ら の 感 謝 を 伝 え る よ う ダ ー レ ン に 依 頼 100 墺 シ リ ン グ を 受 領 し 、 ク レ マ ー ス 婦 人 と ヴ ィ ー 119 1934/6/18 ウィーン 葉 書 - 長 い 間 ダ ー レ ン か ら の 連 絡 が な い / ミ ー ス 婦 人 や 他 の 婦 人 に 会 っ た ら 、 心 か ら よ ろ し く 伝 え て 欲 し い と ダ ー レ ン に 依 頼 / 私 の 状 況 は 非 常 に 悪 い / 近 況 報 告 120 1934/8/1 バーデン・バイ・ウィーン 葉 書 - Op. 45 の ス コ ア と パ ー ト 譜 を す ぐ に ベ ル リ ン の ヘ ル マン・ホ ッ ペ に 送 付 し て 欲 し い と 依 頼 /8 月 15 日 に Op. 26 を 「 ラ ジ オ ・ ウ ィ ー ン 」 で 演 奏 予 定

16 1934 年 2 月 に 作 曲 し ミース婦 人 に献 呈 した 《 前 奏 曲 Präludium》(作 品 番 号 なし)を指 す。

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121 1934/8/11 バーデン・バイ・ウィーン 封 書 1 25 墺 シ リ ン グ を 受 領 し 、心 か ら の 感 謝 を ダ ー レ ン に 伝 達 / [ 経 済 的 困 窮 か ら 脱 す る た め 、 イ ン ド ネ シ ア へ の 移 住 を 考 え ]こ の 歳 で 熱 帯 地 方 の 暑 さ に 耐 え ら れ る と 思 う か 、 ダ ー レ ン に 相 談 122 1934/9/12 バーデン・バイ・ウィーン 封 書 2 ウ ィ ー ン に 戻 る 旅 費 に も 事 欠 い て い る の で お 金 を 集 め て送 っ て ほ し い / い よ い よ 進 退 窮 ま っ た 123 1934/9/28 バーデン・バイ・ウィーン 封 書 4 ヴ ァ イ オ リ ニ ス ト の ヤ ロ ・ シ ュ ミ ー ト と 一 緒 に バ ー デ ン で 音 楽 学 校 を 開 設 す る こ と を 検 討 し て い る 。 開 設 に 必 要 な 資 金 と し て250 か ら 300 墺 シ リ ン グ 貸 し て も ら え な い か 。 教 え 始 め れ ば 返 す こ と は 充 分 可 能 だ 124 1934/10/11 ウィーン 葉 書 - 妻 と ウ ィ ー ン に 戻 っ た 。 家 を 見 つ け た が 、 し ば ら く ポ ー ル ・ デ ・ コ ン の 処 に 身 を 寄 せ て い る / バ ー デ ン の 音 楽 学 校 の 計 画 は 進 捗 が あ ま り な い 125 1934/10/19 ウィーン 葉 書 - 新 住 所 と 電 話 番 号 を 伝 達 / 作 曲 家 と し て の ボ ル ト キ エ ヴ ィ チ を 忘 れ ず に い つ も 協 奏 曲 を 演 奏 し て く れ て 嬉 し い / 自 分 を 助 け る た め に 骨 を 折 っ て く れ る こ と へ の 感 謝 。25 か ら30 グ ル デ ン を 送 っ て く れ た ら 嬉 し い 126 1934/11/21 ウィーン 葉 書 - 間 も な く12 月 1 日 で 家 賃 を 払 う お 金 も な い 。100 墺 シ リ ン グ を 至 急 送 金 し て く れ な い か / ダ ー レ ン にOp. 45 の 自 筆 譜 を 渡 し た 。 こ の 自 筆 譜 を 担 保 と し て ほ し い / 今 は 厳 し い が 時 代 が 良 く な れ ば 出 版 社 が 印 税 を も っ と 払 っ て く れ る だ ろ う / 今 、Op. 52 を 作 曲 し て い る 。 こ れ は 自 分 の 最 高 傑 作 だ 。 完 成 さ せ る た め に 手 助 け し て ほ し い

( 6 ) 1935 年 -1936 年 ( 28 通 )

年 /月 /日 発 信 地 形 態 頁 数 概 要 127 1935/1/2 ウィーン 葉 書 - Op. 52 が 12 月 末 に 完 成 し た / お 金 が な い の で 、パ ー ト 譜 を 自 分 で 作 成 し て い る / 指 揮 者 の カ バ ス タ 氏 が 「 ラ ジ オ ・ ウ ィ ー ン 」 で の 初 演 を 検 討 し て く れ て い る / 「 ラ ジ オ・ウ ィ ー ン 」で12 月 24 日 に Op. 51 の 弦 楽 オ ー ケ ス ト ラ 版 ( 初 演 ) を 、12 月 31 日 に Op. 37 を 演 奏 し 、 1 月 23 日 にOp. 38( 初 演 ) と Op. 36 を 演 奏 予 定 128 1935/2/10 ウィーン 葉 書 - 1934 年 12 月 24 日 に ウ ィ ー ン で 初 演 し た Op. 51 を 、 35 年1 月 25 日 に ベ ル リ ン の 短 波 ラ ジ オ で 演 奏 し 、録 音 し た 。 Op. 51 の ス コ ア と パ ー ト 譜 を 自 分 が 受 取 り 、 ベ ル リ ン の カ ペ ル マ イ ス タ ー の バ ー レ イ に 託 す の で 、 ダ ー レ ン は 近 日 中 に そ れ ら を 受 け 取 る だ ろ う 。す ぐ に 指 揮 者 と 面 会 し 、 楽 譜 の 賃 貸 料 に つ い て 話 を し て ほ し い /Op. 52 は 、 ウ ィ ー ン の ラ ジ オ で 初 演 予 定 / ロ シ ア が 昔 の ま ま だ っ た ら 、 も っ と 名 誉 と お 金 を 手 に し て い た だ ろ う に 129 1935/2/16 ウィーン 封 書 2 Op. 51 の ス コ ア と パ ー ト 譜 を ウ ィ ー ン で 受 領 し た 。 Op. 51 の 楽 器 編 成 と 曲 順 を 連 絡 。[ オ ラ ン ダ の ]オ ー ケ ス ト ラ の カ ペ ル マ イ ス タ ー に 、 各 パ ー ト の パ ー ト 譜 が 何 部 必 要 か 、 ま た 、 楽 譜 の 賃 料 を 払 う 意 思 が あ る か を 尋 ね る よ う ダ ー レ ン に 依 頼 130 1935/3/5 ウィーン 葉 書 - Op. 51 を 何 プ ル ト で 演 奏 す る か 、 楽 譜 の 賃 料 を 支 払 う 意 思 が あ る か を 、 カ ペ ル マ イ ス タ ー に 会 っ て 聞 い て ほ し い /15 か ら 20 グ ル デ ン 送 っ て も ら え る と 嬉 し い / Op. 52 を 「 ラ ジ オ ・ ウ ィ ー ン 」 で3 月 末 に 初 演 予 定

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131 1935/3/2617 ウィーン 葉 書 - Op. 52 を 3 月 30 日 の 夜 に「 ラ ジ オ・ウ ィ ー ン 」で ニ リ ウス 指 揮 、ウ ィ ー ン 交 響 楽 団 に よ り 初 演 す る こ と が 決 定 。4 楽 章 で 36 分 く ら い 。 私 の 傑 作 だ 132 1935/4/10 ウィーン 封 書 2 Op. 52 は ニ リ ウ ス 指 揮 に よ り 大 成 功 を 収 め た 。 演 奏 終 了 後 、 舞 台 で 楽 団 員 も オ ベ ー シ ョ ン で 迎 え て く れ た 。 自 分 の 名 声 は こ の 演 奏 会 で 相 当 高 ま っ た 。 数 年 前 で あ れ ば 楽 譜 は す ぐ に 売 れ た と 思 う が 、 こ の 苦 し い 時 代 の 中 、 楽 譜 の 出 版 自 体 の ハ ー ド ル が 高 い 。だ か ら 、自 分 の 不 治 の 病 、 金 欠 は 永 遠 に 治 ら な い /5 月 末 ま で お 金 を 貸 し て い て く れ な い か 133 1935/11/5 ウィーン 葉 書 - 自 分 の 新 作 、 《 メ ル ヘ ン ・ オ ペ ラ へ の 序 曲Op. 53》 は 8 分 か ら 9 分 か か る 。 こ の 曲 は 1 月 に ウ ィ ー ン ( コ ン サ ー ト ) と ベ ル リ ン ( ラ ジ オ ) で 演 奏 予 定 / ピ ア ノ の た め に は 全 く 作 曲 し て い な い / お 金 が 常 に 足 り な く て 心 配 が 尽 き ず 、 気 分 が 悪 い 134 1936/1/7 ウィーン 封 書 2 ダ ー レ ン が コ ン サ ー ト でOp. 37 を 弾 く に あ た り 、こ の 曲 は オ ー ケ ス ト ラ の た め に 書 か れ た も の も の だ と い う こ と を プ ロ グ ラ ム で 明 示 す る よ う 依 頼 。 〈 お 祭 り 騒 ぎ 〉 は 最 後 に ! /1 月 12 日 に Op. 53 が ウ ィ ー ン・コ ン ツ ェ ル ト ハ ウ ス で 初 演 さ れ る /16 日 に は「 ラ ジ オ・ウ ィ ー ン 」で チ ェ ロ と ピ ア ノ に 編 曲 し たOp. 46 が 演 奏 さ れ る / 長 い こ と 作 曲 し て い な い の で 気 分 が 晴 れ な い /Op. 48-2、5 を ヴ ァ イ オ リ ン と ピ ア ノ に 、Op. 46 を [ チ ェ ロ と ピ ア ノ に ] 編 曲 し て 、 リ ト ル フ 社 よ り 出 版 予 定 。 チ ャ イ コ ー フ ス キ イ と メ ッ ク 婦 人 の 書 簡 集2 冊[ i.e. 1 巻 と 2 巻 ]を ロ シ ア か ら 受 け 取 れ る こ と に な っ た 。 翻 訳 版 を オ ラ ン ダ で 出 版 す る 可 能 性 は あ る と 思 う か 135 1936/1/20 ウィーン 封 書 2 チ ャ イ コ ー フ ス キ イ と メ ッ ク 婦 人 の 書 簡 の 最 初 の 翻 訳 (25 書 簡 、18 枚 )を 同 封 す る 。オ ラ ン ダ の 新 聞 社[ i.e. レ ジ デ ン テ ィ ボ ー デ 社 ] が 興 味 を 持 っ て く れ て 出 版 し て く れ る こ と を 期 待 す る 。 こ の 仕 事 を 続 行 す べ き か ど う か 教 え て ほ し い 。 こ の 仕 事 で お 金 が 稼 げ る と と て も あ り が た い 。 第 1 巻 は 276 書 簡 、 563 ペ ー ジ に な る 。 第 2 巻 も 同 じ く ら い の 分 量 に な る /1 週 間 前 に Op. 53 が 初 演 さ れ 、 大 成 功 を 収 め た 136 1936/2/13 ウィーン 封 書 1 8 日 前 に [ チ ャ イ コ ー フ ス キ イ と メ ッ ク 婦 人 の 書 簡 の 翻 訳 の ]88 ペ ー ジ ま で 発 送 し た / 手 紙 を 送 っ た が 返 事 が な い の で 、 す べ て 受 け 取 っ た こ と を 期 待 す る / 今 日 は ○ ペ ー ジ [ ペ ー ジ は ブ ラ ン ク ]18ま で 送 る 137 1936/2/18 1936/2/19 ウィーン 封 書 2 【18 日 】今 日 は[ チ ャ イ コ ー フ ス キ イ と メ ッ ク 婦 人 の 書 簡 の 翻 訳 の ]残 り の129 ペ ー ジ か ら 153 ペ ー ジ を 送 る / 3 ペ ー ジ の 前 書 き は 別 途 送 る 。 前 書 き は ド イ ツ 語 版 用 に 書 い た も の を 、 [ オ ラ ン ダ 語 版 で も ] 全 部 ま た は 部 分 的 に ダ ー レ ン の 好 み に 応 じ て 利 用 出 来 る 。 私 の 前 書 き と ダ ー レ ン の 前 書 き を 併 記 し て も い い 。ド イ ツ 語 版 に 関 し て は 、 た っ た 今 ラ イ プ ツ ィ ヒ の ブ ラ イ ト コ プ フ & ヘ ル テ ル 社 に 興 味 が あ る か ど う か 尋 ね た 【19 日 】 た っ た 今 レ ジ デ ン テ ィ ボ ー デ 社 か ら 50 グ ル デ ン の 頭 金 を 受 領 し た 。 完 成 し た ら す ぐ に 、 残 り の150 グ ル デ ン を 受 領 で き た ら 嬉 し い

17 NMI は こ の 書 簡 を 3 月 6 日 の も の と し て 整 理 し て い る が 、 消 印 か ら 3 月 26 日 の 書 簡 と 執 筆 者 が 判 断 し 、 表 中 に 記 載 し た 。 18 1936 年 2 月 18 日 の 手 紙 を 踏 ま え る と 、 128 ペ ー ジ ま で 送 付 し た と 考 え ら れ る 。

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138 1936/2/26 ウィーン 封 書 2 ブ ラ イ ト コ プ フ & ヘ ル テ ル 社 か ら は 、 楽 譜 事 業 が 厳 し い た め 、 楽 譜 以 外 の 本 は 出 版 し な い と 断 ら れ た 。 そ の 他 の ド イ ツ の 出 版 社 か ら も オ フ ァ ー は な い 。 今 や レ ジ デ ン テ ィ ボ ー デ 社 が ド イ ツ 語 版 の 出 版 も オ フ ァ ー し て く る の を 待 つ の み だ / 自 分 の 誕 生 日 の2 月 28 日 に Op. 52 が ウ ィ ー ン 楽 友 協 会 の 大 ホ ー ル で 演 奏 さ れ る 139 1936/3/7 ウィーン 葉 書 - 2 月 28 日 の コ ン サ ー ト は 大 成 功 だ っ た 。指 揮 者 の ユ リ ウス ・ レ ー ナ ー ト が 来 シ ー ズ ン に 、Op. 52 を 演 奏 し た い と 言 っ て く れ た 140 1936/3/16 ウィーン 封 書 2 や っ と 、[ レ ジ デ ン テ ィ ボ ー デ の ]編 集 部 か ら 残 り の150 グ ル デ ン を 受 領 し た / ラ イ プ ツ ィ ヒ の 出 版 社 「 ケ ー ラ ー & ア ン メ ー ル ン ク 」 が [ チ ャ イ コ ー フ ス キ イ と メ ッ ク 婦 人 の ] 手 紙 に 興 味 を 示 し 、 タ イ プ 打 ち の [ ド イ ツ 語 ] 原 稿 を 送 っ て 欲 し い と 書 い て き た / ロ シ ア で [ 書 簡 集 の ] 第 3 巻 が 夏 に 出 版 さ れ 、 ダ ー レ ン が そ の 本 を [ ク リ ン 社 か ら ] 受 け 取 れ る と 嬉 し い 。 ダ ー レ ン か ら ク リ ン 社 の 担 当 者 に 出 版 後 す ぐ に 送 る よ う 依 頼 し て ほ し い / ラ フ マ ー ニ ノ フ が 先 月 ウ ィ ー ン に 来 て 壮 麗 な 演 奏 を し た 。 最 後 に ロ シ ア の ピ ア ノ 小 品 を 演 奏 し 、 来 シ ー ズ ン に ボ ル ト キ エ ヴ ィ チ の 作 品 を 演 奏 す る と 自 分 に 約 束 し て く れ た 141 1936/3/25 ウィーン 封 書 1 「 レ ジ デ ン テ ィ ボ ー デ 」 へ の200 グ ル デ ン の 領 収 書 を 同 封 / [ チ ャ イ コ ー フ ス キ イ と メ ッ ク 婦 人 の 書 簡 の ] ド イ ツ 語 版 に つ い て の 要 件 を 知 り た い 142 1936/4/8 ウィーン 葉 書 - し ば ら く ダ ー レ ン か ら 連 絡 が な い / [ チ ャ イ コ ー フ ス キ イ と メ ッ ク 婦 人 の 書 簡 の ] ド イ ツ 語 版 に つ い て の 要 件 を 知 り た い /[ チ ャ イ コ ー フ ス キ イ と メ ッ ク 婦 人 の 書 簡 を ] 自 分 が 翻 訳 し た 原 稿 に つ い て 、 ダ ー レ ン か ら 編 集 部 に 引 き 渡 し 済 み か 。 オ ラ ン ダ 語 版 は い つ 出 版 予 定 か 143 1936/4/17 ウィーン 葉 書 - ダ ー レ ン が コ ン サ ー ト でOp. 37 を 弾 い た 際 の 聴 衆 の 反 応 を 教 え て ほ し い / [ チ ャ イ コ ー フ ス キ イ と メ ッ ク 婦 人 の 書 簡 の ] ド イ ツ 語 版 に つ い て の 要 件 を 知 り た い /4 月 27 日 に 楽 友 協 会 の バ レ エ の 夕 べ で 、 ダ ン ス 学 校 [ の 生 徒 ] が 自 分 の 音 楽 に 合 わ せ て 踊 る こ と に な っ た 144 1936/4/24 ウィーン 封 書 2 今 日 や っ と ダ ー レ ン か ら 手 紙 が 来 た が 、 残 念 な が ら [ レ ジ デ ン テ ィ ボ ー デ 社 の ド イ ツ 語 版 出 版 に 対 す る ] 見 解 に つ い て 書 か れ て い な か っ た 。 ど う し て 返 事 を く れ な い の か / ラ イ プ ツ ィ ヒ の 「 ケ ー ラ ー & ア ン メ ー ル ン ク 」 が 書 簡 に 興 味 を 持 っ て く れ た 。 し か し 、 手 書 き の 原 稿 を タ イ プ 打 ち し な い と い け な い 。 [ レ ジ デ ン テ ィ ボ ー デ 社 が ] ド イ ツ 語 版 も 引 き 受 け て 、 高 額 の 報 酬 を 支 払 っ て く れ る と 嬉 し い / ダ ー レ ン の 演 奏 会 で のOp. 37 の 成 功 に 感 謝 す る 145 1936/5/31 ウィーン 葉 書 - [ チ ャ イ コ ー フ ス キ イ と メ ッ ク 婦 人 の 書 簡 の ] 第3 巻 が ク リ ン 社 か ら 間 も な く ダ ー レ ン の も と に 届 く か 。 手 許 に 届 い た ら 直 ぐ に 自 分 に 送 っ て ほ し い 。 夏 場 の ち ょ う ど い い 仕 事 に な る / 明 日 、 バ ー デ ン に 向 か う 予 定 / [ レ ジ デ ン テ ィ ボ ー デ 社 の ] ド イ ツ 語 版 に 対 す る 返 事 を 待 っ て い る / 最 近 、 ピ ア ノ 曲 で 新 し い 作 品 は 書 い て い な い 146 1936/6/15 バーデン・バイ・ウィーン 葉 書 - ダ ー レ ン に 演 奏 会 の プ ロ グ ラ ム を 送 っ て く れ た こ と へ の 礼 / な ぜ 、 最 近 は 手 紙 が 入 っ て い な い の か / [ レ ジ デ ン テ ィ ボ ー デ 社 の ] ド イ ツ 語 版 に 対 す る 返 事 は ど う な っ た の か 。 ク リ ン 社 か ら の 第3 巻 は い つ 手 に 入 る の か 。 直 ぐ に 翻 訳 に 取 り 掛 か る の で 送 っ て ほ し い 。 オ ラ ン ダ 語 版 は い つ 出 版 す る の か /[6 月 ]28 日 に「 ラ ジ オ・ウ ィ ー ン 」 で 演 奏 す る

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147 1936/7/1419 バーデン・バイ・ウィーン 葉 書 - ク リ ン 社 に[ チ ャ イ コ ー フ ス キ イ と メ ッ ク 婦 人 の 書 簡 の ] 第 3 巻 が い つ 出 版 さ れ る の か 直 ぐ に 問 い 合 わ せ て ほ し い 。 ド イ ツ 語 版 は 全3 巻 に な る だ ろ う 。 [ レ ジ デ ン テ ィ ボ ー デ 社 の ] 編 集 部 に と り 自 分 の 手 書 き 原 稿 が 読 み や す い か 、 ま た は 、 手 書 き 原 稿 を タ イ プ 打 ち す べ き か ど う か を 至 急 再 確 認 し て ほ し い 。 タ イ プ 打 ち が 必 要 な ら ば 、 直 ぐ に 手 書 き 原 稿 を 自 分 に 返 送 し て ほ し い / ダ ー レ ン に 、 ソ ビ エ ト 化 し た ロ シ ア に は 行 か な い ほ う が 良 い と 助 言 148 1936/8/28 バーデン・バイ・ウィーン 封 書 1 ダ ー レ ン に 、 な ぜ 手 紙 を 送 ら な い の か と 問 い か け 。 チ ャ イ コ ー フ ス キ イ の 書 簡 の ド イ ツ 語 版 出 版 の 返 事 が な い / す で に 2 月 [ 正 し く は 3 月 ] の 時 点 で ド イ ツ 語 版 に つ い て ケ ー ラ ー & ア ン メ ー ル ン ク が 興 味 を 示 し て い る こ と か ら も 、 早 く 編 集 部 の 答 え を 聞 い て ほ し い 。 長 く は 待 て な い 。 も し 、 編 集 部 が 提 示 す る ド イ ツ 語 版 の 報 酬 が 充 分 で な い 場 合 、 す ぐ に 手 書 き の 原 稿 を 自 分 に 返 送 し て ほ し い / ク リ ン 社 か ら 第3 巻 を い つ 入 手 で き そ う か 149 1936/10/3 ウィーン 封 書 2 『 回 想 録 』を14 枚 目 ま で 書 き 上 げ 、サ ン プ ル と し て ダ ー レ ン か ら 新 聞 社 に 渡 せ る よ う 同 封 し た 。 書 簡 集 の オ ラ ン ダ 語 版 の 進 捗 を 照 会 /Op. 55 を 作 曲 し て い る 。 第 2 楽 章 を 書 き 終 え た 。 ピ ア ノ 曲 は 長 い こ と 作 曲 し て い な い 150 1936/10/12 ウィーン 封 書 2 今 日 、ダ ー レ ン に『 回 想 録 』を さ ら に22 枚 送 っ た 。こ れ で 全36 枚 に な る 。出 版 社 が 長 い こ と[ チ ャ イ コ ー フ ス キ イ と メ ッ ク 婦 人 の 書 簡 の ] 自 分 の 原 稿 を 手 許 に 置 い て い る こ と を 踏 ま え 、 ド イ ツ 語 版 の 出 版 を 引 き 受 け た も の と み な す 。 こ れ ま で 多 く の 時 間 を 無 駄 に さ せ た こ と は こ の 上 な く 不 当 だ 。原 稿 を タ イ プ 打 ち し て ド イ ツ の 出 版 社[ ケ ー ラ ー & ア ン メ ー ル ン ク ] に 既 に 提 供 を 申 し 出 て い た の に 151 1936/10/22 ウィーン 封 書 1 8 日 前 に ダ ー レ ン に 『 回 想 録 』 を 15 か ら 36 枚 目 ま で 送 っ た の に 、 な ぜ 連 絡 が な い の か 。 今 日 は 、37 か ら 66 枚 目 ま で 送 る / [ レ ジ デ ン テ ィ ボ ー デ の ] 編 集 部 が オ ラ ン ダ 語 版 の 本[ チ ャ イ コ ー フ ス キ イ と メ ッ ク 婦 人 の 書 簡 集 ] を 一 度 も 送 っ て き て い な い 152 1936/10/31 ウィーン 封 書 2 レ ジ デ ン テ ィ ボ ー デ 社 か ら オ ラ ン ダ 語 版 の 本 と 、 自 分 の 手 書 き 原 稿 が や っ と 届 い た / ダ ー レ ン に 『 回 想 録 』 を さ ら に28 枚 送 る 。 こ れ で 全 94 枚 に な る 。 ダ ー レ ン が オ ラ ン ダ 語 訳 を 完 成 し た ら 手 書 き 原 稿 は 全 部 返 送 し て ほ し い / 我 々 の 本 [ チ ャ イ コ ー フ ス キ イ と メ ッ ク 婦 人 の 書 簡 集 の オ ラ ン ダ 語 訳 ] の 評 判 は ど う か / ダ ー レ ン に 、 オ ラ ン ダ で60 歳 記 念 の「 ボ ル ト キ エ ヴ ィ チ の 夕 べ 」を ア レ ン ジ で き る か 照 会 。 プ ロ グ ラ ム に つ い て 、 指 揮 者 は 自 分 で 、 Op. 53、 Op. 16( ソ リ ス ト は ダ ー レ ン ) 、 Op. 52 を 提 案

153 1936/11/15 ウィーン 葉 書 - ダ ー レ ン が 『 回 想 録 』 に 興 味 を 持 っ て く れ 、 ま た 、 間 も な く 翻 訳 が 完 了 す る こ と を 嬉 し く 思 う 。 終 わ っ た ら 手 書 き 原 稿 を 返 送 し て ほ し い 。 も し 、 『 回 想 録 』 で 高 い 報 酬 が 得 ら れ た ら 嬉 し い /Op. 55 の 第 3 楽 章 ま で 完 成 し た 。 全4 楽 章 の 調 性 を 連 絡 154 1936/12/23 ウィーン 葉 書 - ク リ ス マ ス と 新 年 の 挨 拶 /60 歳 の 記 念 に Op. 50 が 、4 人の ソ リ ス ト と 大 オ—ケ ス ト ラ と 自 分 の 指 揮 に よ り 、 「 ラ ジ オ ・ ウ ィ ー ン 」 で 演 奏 さ れ る

19 NMI は こ の 書 簡 を 7 月 19 日 の も の と し て 整 理 し て い る が 、ボ ル ト キ エ ヴ ィ チ 自 身 の 日 付 の 記 載 か ら 7 月 14 日 の 書 簡 と 執 筆 者 が 判 断 し 、 表 中 に 記 載 し た 。

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( 7 ) 1937 年 -1938 年 ( 30 通 )

年 /月 /日 発 信 地 形 態 頁 数 概 要 155 1937/1/12 ウィーン 葉 書 - Op. 50 が 「 ラ ジ オ ・ ウ ィ ー ン 」 で 2 月 3 日 に 放 送 予 定 / オ ラ ン ダ で の チ ャ イ コ ー フ ス キ イ と メ ッ ク 婦 人 の 書 簡 集 お よ び 、 ボ ル ト キ エ ヴ ィ チ の 『 回 想 録 』 の 出 版 計 画 の 進 捗 に つ い て 照 会 156 1937/1/22 ウィーン 封 書 1 ク リ ン 社 か ら チ ャ イ コ ー フ ス キ イ と メ ッ ク 婦 人 の [i.e. ロ シ ア 語 の ] 書 簡 の 残 り [i.e. 第 3 巻 ] が 出 る か 確 認 を 依 頼 。 ド イ ツ の 出 版 社 か ら は 書 簡 が 揃 う ま で 翻 訳 の 出 版 を 延 期 し た い と の 申 出 を 受 け た と 報 告 157 1937/2/20 ウィーン 葉 書 - 2 月 3 日 の Op. 50 の ラ ジ オ 放 送 に つ い て 、 ダ ー レ ン か ら感 想 が な い こ と に ク レ ー ム / ク リ ン 社 か ら の 回 答 状 況 、 自 身 の 『 回 想 録 』 の 状 況 を 照 会 158 1937/3/3 ウィーン 葉 書 - Op. 50 が ラ ジ オ で 放 送 さ れ て 反 響 が 大 き い 。 名 声 は 得 ら れ る が 経 済 的 に は 報 わ れ な い / 以 前 質 問 し た 、 ク リ ン 社 か ら の 書 簡 集 第3 巻 の 出 版 見 込 み 、 レ ジ デ ン テ ィ ボ ー デ 社 か ら の 『 回 想 録 』 出 版 計 画 の 進 捗 に つ い て 再 度 回 答 を 要 請 / ヴ ィ ー ツ ェ ル 婦 人 か ら 自 分 の 60 歳 記 念 の お 祝 い が な い 。 彼 女 宛 に ダ ー レ ン か ら2 月 3 日 の ラ ジ オ 放 送 の 案 内 を 送 り 忘 れ て い な い か 確 認 159 1937/3/11 ウィーン 葉 書 - ロ シ ア 人 の 知 人 か ら チ ャ イ コ ー フ ス キ イ と メ ッ ク 婦 人 の 書 簡 集 の 第3 巻 と 第 4 巻 が 出 版 さ れ た と 聞 い た 。 自 分 に 送 付 し て く れ れ ば す ぐ に 翻 訳 す る /3 月 2 日 に フ ラ ン ク フ ル ト でOp. 52 が 演 奏 さ れ た 。3 月 30 日 に 録 音 盤 が 再 放 送 さ れ る 予 定 160 1937/4/3 ウィーン 葉 書 - ダ ー レ ン の 演 奏 会 でOp. 29 が 好 評 を 博 し た と 聞 き 喜 ば し い /4 月 7 日 に バ ー デ ン で Op. 22 が 演 奏 さ れ る 予 定 /『 回 想 録 』 が オ ラ ン ダ で 出 版 さ れ る 予 定 と 聞 き 嬉 し い /Op. 55 の 第 4 楽 章 を 昨 晩 書 き 上 げ た 161 1937/5/8 ウィーン 封 書 2 1 ヶ 月 返 信 が な い が ど う し た の か / 『 回 想 録 』 が 出 版 さ れ る か 教 え て 欲 し い / ク リ ン 社 か ら チ ャ イ コ ー フ ス キ イ の 書 簡 集 第3 巻 を 入 手 し た な ら 、 翻 訳 を 始 め る の で 送 っ て 欲 し い /Op. 55 を 最 近 書 き 上 げ た 。 Op. 52 と は 構 成 を 変 え 、よ り 特 徴 的 に し た / ベ ル リ ン でOp. 16 が 2 回 演 奏 さ れ 、 ラ ジ オ で5 回 放 送 予 定 162 1937/6/1 ウィーン 葉 書 - 6 月 11 日 に ベ ル リ ン の ラ ジ オ で Op. 16 が 放 送 予 定 / プ ラハ の ラ ジ オ でOp. 52 が 放 送 予 定 / チ ャ イ コ ー フ ス キ イ の 書 簡 第 3 集 と 『 回 想 録 』 の 状 況 を 教 え て 欲 し い 163 1937/7/26 バーデン・バイ・ウィーン 葉 書 - Op. 45 を ダ ー レ ン に 貸 与 し て い た の を 忘 れ て お り 、 7 月23 日 に ケ ー ニ ヒ ス ベ ル ク の ラ ジ オ で ホ ッ ペ 氏 に 演 奏 し て ら も う 機 会 を 逸 し た 。 ロ イ ヤ リ テ ィ が 貰 え ず 残 念 だ 164 1937/7/28 バーデン・バイ・ウィーン 葉 書 - 長 い 間 連 絡 が な い が ど う か し た の か / チ ャ イ コ ー フ ス キ イ の 書 簡 の 第3 巻 が 出 て 随 分 経 つ が ウ ィ ー ン で は 手 に 入 ら な い の で 送 っ て 欲 し い 。 ま た 、 『 回 想 録 』 の 出 版 は ど う な っ て い る の か / 写 譜 屋 を 雇 う お 金 が な い の で 、Op. 55 の パ ー ト 譜 を 何 部 も 写 し て お り 疲 れ た / Op. 54 を 作 曲 し た 165 1937/8/12 バーデン・バイ・ウィーン 封 書 2 ダ ー レ ン か ら ソ 連 を 旅 す る と 聞 い て 驚 い た / ソ 連 の 悪 口 / ヴ ィ ト ゲ ン シ ュ タ イ ン が Op. 28 を キ エ フ で 演 奏 し た 際 、 大 好 評 で2 回 弾 か ざ る を 得 な か っ た こ と が あ る / ダ ー レ ン はOp. 16 を 大 変 美 し く 弾 く の で 好 評 間 違 い な し と 思 う / ボ ル ト キ エ ヴ ィ チ の 作 品 は ソ 連 の 人 々 に 古 き 佳 き 時 代 の 思 い 出 を 想 起 さ せ る と 思 う

参照

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