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薬種取引における並合

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Academic year: 2021

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(1)大坂御城在勤中書留. 史料紹介. 高 宏 之 . 中を見物するものである。その都市の年中行事を季節感. 野. 近世の旅といえば、ながらく五街道に代表される街道 と宿駅と、伊勢参りに代表される寺社参詣が二つの柱で. とともに経験できる強みがある。大坂における長期観光. 大坂御城在勤中書留 . あった。近年、ここに都市観光を対象とする研究が加わっ. の史料としては、銅座役人として大坂に赴任してきた大. ②. 田南畝の『羈旅漫録』、古河藩家老鷹見泉石の日記、第二. ①. め藩邸や蔵屋敷などで一年から数年暮らし、その間に市. てきた。 都市観光は滞在期間によって短期・中期・長期の三つ. 次長州征討で在坂した中西関次郎の日記、大坂城代家臣. で数カ月程度三都に滞在する間に市中を見物するもので. は二日から四日程度が一般的であった。中期観光は所用. 城に詰めた佐藤仲右衛門の大坂・京都・奈良見聞記であ. と略記する)は、大坂城大番衆の家来として一年間大坂. 今回紹介する「大坂御城在勤中書留」 (本稿では「書留」. ③. に分類される。短期滞在は伊勢詣でなど旅行の途次に江. の日記などがある。. ある。訴訟のため地方から江戸など来て公事宿で滞在す. る。長期滞在型観光を体験した武士の記録といえる。. ④. 戸・京都・大坂といった都市にたちよるもの。江戸見物. る場合がこれにあたる。長期観光は地方武士が勤番のた. 一.

(2) 史料紹介. 記録を一冊にまとめたもので、以下のものを収めている。. 辺に暮らす池田正求なる人物が、人から借写した五つの. に 収 め ら れ て い る。 『万代実録』は江戸もしくはその近. 「書留」は大阪府立中之島図書館が所蔵する『万代実録』. る。. 一覧せよと見みせられるままに筆写したものなのであ. える。これによると佐藤仲右衛門が大坂在勤中の書留を. 池田某が「書留」を採録した事情は④の奥書からうかが. 文政二年、船橋御殿参詣者から借写。池田。 ③「吉祥寺御由緒明細書」. 寛政九年、楠本氏より借写。池田。 ②「下総舟橋神明宝物書抜」. ①「東都神社仏閣年行事」. 年間、大番頭五島伊賀守のもとで大坂城の大番を勤めた。. の三十二年以前なので、「書留」に登場する山中吉十郎. に 吉 十 郎 盛 寅 が 三 十 八 歳 で 家 督 を 継 い で い る。 家 禄 は. 重修諸家譜』によると、山中家は慶長七年(一六〇二). 佐 藤 仲 右 衛 門 は 旗 本 山 中 吉 十 郎 の 家 臣 で あ る。 『寛政. 文政七年、吉祥寺の僧から借写。 ④「大坂御城在勤中書留」. 同行したのである。. かる城代は十万石ほどの譜代大名が任命される。江戸時. りわけ大坂城は規模が大きい。将軍家にかわって城を預. ていた。各城には守衛担当の大名・旗本を配置した。と. 徳川家は江戸城のほか、駿府・京都・大坂に城をもっ. この時吉十郎は破損奉行も兼帯している。これに佐藤も. は盛寅の子か孫にあたる。この吉十郎が文政七年から一. 五百石である。 「書留」が執筆された文政八年(一八二五). 以来、代々大番を勤める旗本である。 寛政五年 (一七九三). 文政八年、佐藤仲右衛門から借写。正求。 ⑤「東都四ツ谷敵討実録」 文政七年、山條氏から借写。 「 書 留 」 を 除 く 四 つ は 江 戸 と そ の 周 辺 を 話 題 と す る。 このように、さして上方に関心があったとは思われない. 二. 地域創造学研究.

(3) 大坂御城在勤中書留. 十二組ある。大坂城には毎年交替で二組ずつ勤番する。. 大番は桜門の南、二の丸南面の官舎に住んだ。東西の. 代中期以降、大坂城代職は将来、老中職に昇進する大名. の広大な城を守衛できない。そこで二の丸の諸門を基準. 両翼にそれぞれ東大番頭・西大番頭の屋敷があり、その. この二組を東西に分けている。. に城をいくつかのブロックに分けて守衛する体制をとっ. 中間、現在の修道館や豊国神社のあたりに、百軒長屋と. がつく役職の一つであるが、十万石程度の大名では、こ. た。. よばれる大番衆小屋が並んでいた。 「小屋」は戦時の「陣. 小屋」に由来する名称である。ここから大番衆は形式上、. 二の丸から城外に通じる門は大手口・京橋口・玉造口・ 青屋口の四ケ所である。この諸門は譜代大名が受け持っ. 戦時の備えで城内に配備されたと考えられている。. を 警 固 す る の が 大 番 組 で あ る。 「書留」によると大坂城. これに対し、城の中心である本丸とそれに通じる桜門. は山里丸・中小屋・青屋口・雁木坂の四ブロックである。. 青屋口は加番四名がそれぞれ警固する。加番の担当区域. 十二日に城入りをし、大番衆の勤番が始まる。約一年の. 月十七日に江戸を出立し、八月一日に大坂に到着。同月. 勤中に上方を見て歩きした「書留」である。文政七年七. る大番衆の役務記録を予想するが、内容をみると大坂在. 「大坂御城在勤中書留」という表題から大坂城におけ. ⑤. た。城代は大手口・二の丸、京橋口と玉造口は定番二名、. では桜門を大番組与力・同心が、門内の本丸は大番衆の. 任 務 を 終 え、 翌 年 八 月 九 日 に 大 坂 を 離 れ た。 「書留」に. 「 書 留 」 に は 大 坂・ 京 都・ 奈 良 見 物 の 話 題 が あ る 。 大. 受持であった。本丸内は大番衆以外立ち入ることが許さ. 大番組は江戸城・二条城・大坂城を警備する将軍直属. 坂の話題としては、 まず大坂城内を見物した記録を記す。. はこの間の見聞が記録されている。. の軍団である。大番頭一名、組頭四名、番士五十名に与. 佐藤主従が勤務する場であるが、役務の記録は皆無であ. れなかったようだ。. 力 十 騎・ 同 心 二 十 人 で 一 つ の 組 を 編 成 す る。 こ の 組 が. 三.

(4) 史料紹介. 年八月まで、ちょうど一年を大坂城内で暮らした。その. る。次に大坂市中の年中行事を記す。佐藤は八月から翌. したと思われる記述がある。. からみた大坂城が絶景であることなど、佐藤自身が実見. 頓堀の芝居小屋のようす、十日戎のにぎわい、野崎観音. 大番衆の家臣ならば城の出入はさほど制限されなかっ. 間に見聞した事柄を記すのである。最後に大坂城を起点 とする見物コースを記す。また、佐藤は三月に京都、四. たのではないかという考えもなりたつが、主人山中に伴. われて料理茶屋に出かけたという記述だけは動かしよう. 月に奈良観光をおこなっている。大坂近郊では三月に阿 倍 野、 四 月 に 野 崎 観 音 に 出 か け て い る。 「書留」の後半. このように、佐藤はおりおり市中にでかけては大坂見. がない。大番衆も城を出ることができたようだ。. ここに一つの疑問がある。大番衆は大坂城を出て市中. 物を楽しんでいる。その記述には次のような特徴がある。. はその記録である。. を見物できたのかという問題である。先に記したように、 大番衆は形式上、戦時状態におかれている。したがって. しかし「書留」をみると、主人の御供で浮瀬という料. いぜい城内から市中の望見した記録ということになる。. ば「書留」に記述された内容は、他者からの聞書か、せ. して禁止されていた」 と考えるのが妥当である。なら. 御城也」 (一九頁)と、江戸城よりも大坂城の方が美し. ている。たとえば大坂城は「絵に書たる如く、日本一の. る。 「 書 留 」 に は そ れ が み ら れ な い。 公 平 な 目 で 比 較 し. 江戸人が三都を比較すると、江戸自慢にはしりがちであ. 1 江戸人から見た大坂 大 坂 や 京 都 を 江 戸 と 比 較 す る 記 述 が 随 所 に 見 ら れ る。. 「 大 番 頭・ 組 頭 を 除 く 大 番 衆 は 城 外 に 出 る こ と は 原 則 と. 理茶屋にたびたび出かけている。この料亭は高台にあり. さではまさっていると評価する。考えてみれば大坂城も. ⑥. 廻船が海を行きかうありさまは絶景であること、ここの. 徳川家の城という点では江戸城と同じである。徳川家の. ⑦. 仲居は接客の名人であることを記している。その他、道. 四. 地域創造学研究.

(5) 大坂御城在勤中書留. 2 大阪城内見物 大坂城本丸は、大坂城守衛の者でも、大番衆のほか一. いない。. 京都見物でたちよった二条城についは何の感想も記して. 陪臣が大坂城を自慢するのは当然かもしれない。ただし、. 衆は城内から遠めがねで見物するのである。. の子女が芝の上に身を横たえ転がる。このようすを大番. も出た。端午の節供の早朝になると、芝の朝露を体につ. のだろう。日常は庶民が弁当を広げる広場であり、茶店. 場として大坂町人に親しまれていることに関心があった. 大坂市中の見物コースも大坂城を起点とする。佐藤は. けると病にならないという俗信から、町人はむろん武家. 部の者しか立ち入りが禁止された場所であった。その本 丸御殿の見学が記録されている。他の旅行記・案内記に. 3 大坂城から見た大坂 大番衆は大坂城内で生活する。大坂を眺める視線はお. 丸御殿の見学日を設けている。 (一一頁). ②①の西側、上町台地を谷町筋から南下するコース。城. る。浮瀬で見る大阪湾の眺望に一番感心している。. 玉造稲荷、真田山、桃谷、産湯稲荷、四天王寺、清水寺、. 四ツのコースを記している。. のずと、大坂城からの視点になる。これも従来の記録に. 代中屋敷、生玉神社、寺町、高津神社。ここで台地を. みられない「書留」独自の特色である。これによると、. はみられない特徴である。大坂城から見たとき、佐藤が. お り て 道 頓 堀、 難 波 新 地、 難 波 御 蔵、 今 宮 神 社 を 廻. ① 大 坂 城 南 東 の 玉 造 門 か ら 上 町 台 地 を 南 へ 進 む コ ー ス。. もっとも興味をもったのが、意外にも大手門の前にひろ. る。佐藤は高津神社境内にある料理茶屋でも市中から. 六月の大掃除の機会を利用して、大番衆関係者向けに本. がる番場の原であった。都合六回も登場する。江戸城の. 海にひろがる眺望を楽しんでいる。また道頓堀の芝居. 料亭浮瀬、茶臼山、一心寺、天下茶屋、住吉大社を廻. 桜田門前は登城する諸大名の行列を景物する群集でにぎ. 小屋や難波新地も実際に見物しないと書けない記述が. (馬場). わう空間であった。それに比べ、大坂ではピクニックの. 五.

(6) 史料紹介. ある。. とはいえ「大坂の名物なり」とも記している。このあ. たりが佐藤が公平な目をもっていると考えるところで ある。. ③大坂城北西の京橋口門を出て天満に向かうコース。東 町奉行所、八軒屋、大川を渡り大阪天満宮へ。川崎船. 大坂城を起点とする見物コースを記したのち、佐藤仲. る。このコースは船場・新町・川口にある大店、豪壮. 蕎麦店、両川口(安治川・木津川)の繋船と問屋を廻. 西横堀をわたって新町の遊郭、阿弥陀池和光寺、砂場. 4 「盛り場」の早い事例。 式亭三馬が文化十年(一八一三)刊行の『浮世風呂』. まれていたことがわかる。. ②周囲を高い山が囲む。 ③大船が西日本と大坂を結ぶ。また橋数は八百八 である。 ④街路が直線で川端まで見通すことができる。 ⑤夜廻りと火之元廻りは別である。 この頃すでに大坂には橋が八百八あるという俗説が生. ①金持ちが多い。. な揚屋、倉庫群(蔵)といった大きな建物が見物であ. 第四編に「盛り場」を用いたのが、現在確認されている. . 右衛門は大坂の感想を五点にまとめている。. 役所、桜宮を廻る。大川べりの料理茶屋では仲居が多 いことを記録している。浮瀬でも仲居の接客に感心し ている。このあたりが江戸の茶屋との違いなのだろう. る。大坂のものを好意的に評価する佐藤がマイナス点. 初見である。その十二年後に書かれた本史料で、江戸の. か。. をつけた数少ないものに蕎麦がある。砂場の蕎麦は大. 武士が大坂の繁華な場所を「盛場」と形容している。一. あげや. おおだな. 南北御堂(東西本願寺)、人形店、座摩神社、馬喰稲荷。. 御霊神社を見物。中船場の本町通りでは西町奉行所、. かうコース。北船場の高麗橋通りでは呉服屋、虎屋、. ④大坂城大手門を出て西へ、上町台地を下り、船場を向. 坂の名所のひとつであるが「まづし」と記している。. 六. 地域創造学研究.

(7) 大坂御城在勤中書留. る。近世大坂の文化史・観光史を考えるうえで貴重な史. ころ大坂における「盛り場」の最も早い事例と考えられ. である(一六頁)。ここにみられる「盛場」は、現在のと. り、惣して盛場ハ夜おびたゝ敷人出ルなり」という記述. は天神祭の当日は「天満天神祭礼、至 而にきやかの事な. 見勢物惣して盛場休日」になるという記述。もうひとつ. つは紀州藩の大名行列が「大坂御通りの日、二日芝居・. 都所司代屋敷、町奉行所、島原遊郭を廻る。この方面は. 京都の北辺から右京へむかう。北野天満宮、二条城、京. のようなと形容している。闘鶏は見物せず、御所を出て、. した。御所内でみかける公家装束がめずらしく、 「天神」. の か も し れ な い。 佐 藤 ら は 町 人 に 変 装 し て 御 所 を 見 物. 許可している。佐藤一行はこれにあわせて計画をたてた. 三日は御所で闘鶏があり、御所内の見物を「雑人」に. もないと感想を述べている。その一方で、町中に火の見. 二条城や遊郭周辺がいたって淋しい所であり大店が一軒. 佐藤は公用を名目に京都に出かけて、京見物を楽しん. 櫓が一つもないことに驚いている。火事が日常のできご. 料である。. でいる。一行は六人。道中の川船・駕籠の手配は佐藤名. とであった江戸住民ならではの視点であろう。. 四日は東山廻り。四条芝居前、河原町、八坂神社、知. 義でおこなっているので、主人の御供ではないことがわ かる。山中家の家臣一行か、番士の家来が誘いあわせて. 用を済ませたと思われるが、その記述はない。翌三日か. 日は駕籠で京都大宮通りの宿泊先。おそらくこの日に公. 三月一日に大坂を出、乗合船で伏見まで行き一泊。二. 神社。百万遍に戻り吉田神社、真如堂、南禅寺。最後に. で北白川に戻り銀閣寺、北へ向かい今宮神社、上下賀茂. たと記している。平野の桜、仁和寺の桜、金閣寺。ここ. 六日は西山と東山の見物。一日の行程は七里ほどだっ. 恩院、清水寺、安井金比羅社を見物。. ら九日まで京都に滞在するが、そのうち雨天を除く四日. 下京の東西本願寺まで見物している。所々の大寺に感心. 出かけたと思われる。. 間を京見物にあてている。. 七.

(8) 史料紹介. しているのは当然であるが、金閣寺の境内をみて「見渡. 佐藤は書留の最後に奈良見物を記録している。四月 十三日に大坂を発ち、その日は郡山藩家中酒井市郎右. ⑤名所はすべて山の麓にある。. 江戸でも大坂でも、大寺の境内は盛り場であるのがふつ. 衛門方に泊まる。翌十四日を奈良見物にあてている。. ス所なんにもなし」という感想を述べている(二六頁)。. うである。芝居小屋・見せ物小屋・茶屋が軒をならべる. 春日大社、 春日山、二月堂、大仏、若草山、興福寺、. 猿沢池などが見物地であった。. 繁華な場所である。ところが京都の有名な寺はなんにも ないのである。盛り場にならない境内地が、江戸の住人. 一、吉川弘文館、一九七五年. 【註】 . 人々の記憶から、徳川家が再建した事実は消えている。. ⑥ 岩城卓治前掲⑤書 ⑦ 近世の大坂城は徳川家が再建したものである。ところが 「書留」には城内に残る豊臣ゆかりの遺物が記されている。. 再建大阪城』大坂都市協会、一九八三年。岩城卓二『近 世 畿内近国支配の構造』柏書房、二〇〇六年。. ⑤岡本良一編『大坂城』清文堂、一九八三年。渡辺武『図説. ④ 渡辺忠司『大坂見聞録 関宿藩士池田正樹の難波探訪』 、 東方出版、二〇〇一年。. ② 古河歴史博物館編『鷹見泉石日記』全七巻、吉川弘文館。 ③『原田伴彦著作集』五巻。. ①『日本随筆大成』第一期. には新鮮にうつったのであろう。 八日は京都の郊外西山へ。嵐山から太秦を見物する。 最後に京都の印象を次のようにまとめている。 ①京都は三方が山に囲まれ、市中は一里四方である。 (東 西と北に山があり、町中なら一時間も歩けば目的地に 行けるという感覚は現代の京都と同じである。) ②御所と二条城は市中の北にある。 ③二条城の周辺は淋しい所で大店がない。一方三条・四 条・五条通り、祇園町、河原町は繁華で大店もある。 ④嶋原は田地の先にあり、きたない所である。江戸の吉 原、大坂の新町とくらべて、島原は予想外にさびれて いる。. 八. 地域創造学研究.

(9) 大坂御城在勤中書留. 凡 例 一、大阪府立中之島図書館が所蔵する『万代実録』から「大 坂御城在勤中書留」を翻刻した。 一、史料の字体は原則として常用漢字を用いたが、人名 など固有名詞は旧字体・正字体を残したものもある。 異体字・略字も原則として常用漢字に改めたが、ゟ(よ り)などはそのまま使用した。 一、変体仮名は現行のかなに改めたが、江(え) ・而(て) ・ 与(と)・者(は)・茂(も)・而已(のみ)などの助詞 は原文のまま使用した。 一、史料には読点「、」、並列点「・」を付けた。 一、原文に抹消や改変のある場合は、その文字の左側に 「〻」を付し、右側に訂正文字を記した。 一、筆者による傍注には( )を付けた。 一、条文の後に適宜、注釈を入れた。これを原史料と区 別するため、文字のポイントを落とし、注釈の冒頭に 「*」を入れ、字下げをおこなった。 一、本書には、現在からみて人権を侵害すると解釈され. る字句も含まれるが、歴史的事実を正しく理解するた. めに、原文通り翻刻した。. 一、翻刻に際しては西区古文書の会の方々から多くの御. 教示を得た。記して感謝する次第である。. 九.

(10) 史料紹介. (空). 下ハ石ニ 而敷詰有之なり、此所ゟ入口桜御門、此内ハ. 大手ゟ玉造西ノ方御堀ハから堀なり、然れ共至 而深し、. ○大坂城内書留之事 一大坂御城ハむかし本願寺之地所也、信長公是を取上縄. 同心、御玄関・御座敷共平日〆切、其次御台所入口御. 東の方そろばん橋半分掛り有るなり、半分ハ内ゟつき. 根の高サト大手の御門地ふくと高さ同様と申事なり、. 側にあり、御堀深き躰なり、段々上りにして両門跡家. 玉造御門、三ケ所共橋なし、入口通り五段ツヽ石垣両. 口ハ西の方ニ向大手御門、西北ニ当り京橋御門、南向. 筒所々ニ並へ有り、是に慶長十五年 与ほり附有り、入. 金水ハ御庭ニ有り、是ハ落城之砌女人此井戸へ飛入死. 五間四方なり、中段ニ黄金水、銀水ハ御台所前ニ有り、. 厳重之事也、此脇御天守台也、高サ拾三間、上ハ弐拾. の下赤銅ニ 而張詰、唐銅・筋銅同断、あみニ 而張詰有り、. 残明るなり、御破損奉行見分、赤銅 御殿、是ハ淀殿 住居之所なり、不残赤銅ニ 而包み有り、家根同断、縁. 〆切、壱ケ月ニ三度ツヽ九ノ日に御掃除あり、此日不. 大御番持、是ゟ内外ハ入事ならず、桜御門大御番与力・. 張のみしてあり所、其後 秀吉公城をきつき金にあか して立たる御城也、大坂東の末也、八町四方ニして丸. 門同断与力・同心、奧御番所大御番衆、御殿向ハ不残. 出しの橋、此内青谷口御門御加番持、京橋・玉造御門. たる事数知れす、是ハ不用ト成て有なり、奧御番所前. (築). き形ち、外丸御櫓ハ二重なり、塀下に不残三百目の大. ハ御定番持、二ノ御丸ハ御城代、大手ハ御城代持、入. 通り弓稽古場有り、秀頼公生殺の印の松此所ニ有り、. (開). 口御番四ケ所有り、中仕切御門同断、此上御太皷櫓な. 同所ニ真覧上人けさ懸松、何レ 茂大木なり、此所御櫓. (本願寺) (屋). り、此内西大番頭、其次西大番衆五拾騎、其次東之方 (屋). (覆). 御番衆五拾騎御普請定小屋弐ケ所、其次東御番頭、是. に 御当代御馬印有り、是ハ御城之外見分ならず、御 (聞) (鉛) 多門ニ 者御弓・御鉄炮・御塩硝・玉薬・なまり・干飯・. (屋). ゟ玉造御門 江出ル、玉造ゟ青谷口迄御加番四軒也、京. 塩肴其外軍用之品、此御多門ニ有り、御天守之脇帯曲. (親鸞). 橋ゟ大手之間御目付、御本丸取巻御役人之御長屋也、. 一〇. 地域創造学研究.

(11) 大坂御城在勤中書留. 御普請之節人足計、入たる者怪我をする也、穴有り、. 輪 御 門 大 番 与 力・ 同 心 勤 番、 此 内 壱 人 茂入 事 な ら す、. 衆家来東ノ五拾騎なり、七日ハ同様西ノ方拝見、八日. 一六月六日四時ゟ九時迄大番頭家来、九時ゟ八時迄大番. 一案内ハ大御番与力・同心、御殿番所々ニ詰罷在候. (塞). 石ふたにてふさき有り、御城代・御破損奉行之外入事. 御破損奉行東西立合〆切ニ相成申候. (同 山 楽 ) ( 同 尚 信 ). 一御城代腰懸殿上ニ人の足跡血ニ 而染たる形多くみゆる. き事なり. 一玉造内人面石と申石有り、笑候様ニ見ヘ候時ハ甚あし. (門). 有ルなり. 一桜田御門内蛸石と申有り、四、五間の石ニ蛸の形多く. ( 桜 門 ) (たこ). 拾五有り、是ハむかし塩硝箱と申事也. 一御城内所々ニ二間四方唐銅ニ 而用水入ニ相成候、数三. 堅無用之事、六月十六日御虫干有り、今日大御番頭家 来・大御番衆家来拝見被 仰付候 ( 格 天 井 ) 御座鋪向不残拝見、金のかな物にてごう天上、菊 茂有 (狩野探幽). り、唐草 茂有り、諸木有り、諸鳥 茂有り、皆金地、絵 (鶏). 師たんにう・三楽・主馬なり、欄間彫り物名前なし (徳川家光). 一御三代様御筆ニ 而庭鳥の御絵有り、百性農業の所の絵 有り (篁). 一小野の高村の筆額有り. なり、是ハむかし御座敷縁頬なり、今取替候 而も亦あ. (梨). 一御手道具類有り、なし地ニ御紋附. らわるゝと申候. 一御番頭の庭、大野道軒切腹之場、小宮有り、此所へ上. なり. 一奧ニ三ツ立の雪隠あり、中ヘハ入事無用、錠おろし有. 毎年如件. 一五月七日青谷口御堀水、血ニ染たる様ニ赤く成ける、. (屋). 一御櫓向弓・御鉄炮数不知 (すえ). 一淀殿御遣被成候居風呂桶壱ツ、是計なり 一御座鋪之内、二階 江上り候事無用之所有り 一御台所上ノ間・下ノ間四間四方之大炉有り、縁チハ黒 塗ニして金物有り、所々戸棚有り、拝見相済、御台所 入口ゟ出申候. 一一.

(12) 史料紹介. り候得ハ怪我あるなり. (なお). 一御城犬数不知飼置申候、是ハ 三代様江戸ゟ御召連被 遊候申事なり. (今宮神社). ( 戎 ). ゑひす宮 江大坂中ゟ参詣之者群集なし、江戸浅草市の. 如し、第一売物金銀なり、是を十日ゑひすと申なり、. 其外手遊なに品と申事なし出るなり、新町・嶋の内・ (. 緋. 縮. 緬. ). 坂町の辺ゟ女郎参詣、駕籠にて看坂新敷して、先へ男. (馬場). 一御城ハ景色よし、四、五里先より見れハ直よし、いつ. (縫). (参). 芸者三・四人ツヽひちりんめん振袖、亦ハ綿入はんて. ん 江金糸にて種々のぬい物いたし、おどりなからまい. (踊). 見ても外ゟ見渡候ヘハ誠ニ見事成御城なり、番場の原 へ諸国ゟ見物ニ出、近所之者共弁当持参、三、四月頃. る事おびたゝし. であったようだ。遊女の参詣が花をそえた。男芸者(幇. 佐藤にとって盛り場などの雑踏は浅草市の人出が基準. *ゑびす宮は今宮戎社。十六日とあるのは十日の誤りか。. たのしむ者多し、日本一の御城なるべし 一そろばん橋御堀之内、大キなるすつぽんおり、弐間余 有之由、是を見物ニ御城内ゟ出ル. 間)が派手な衣装を着て踊り歩き、場を盛り上げた。. 一廿五日、初天神ト申て、天満天神の宮 江右同様之事、. 一御城内きつね・たぬき之類多し、すまい居申候、犬ニ おそれ出不申、時々不思議成事共有り、見懸候者も有. 大かくら一切なし、鳥おいも一切なし、子供たなから. (店). 種々の作り物多くあり、町人ハ男女共見物ニ入申候、. 初午御城代中屋敷・御城番弐ケ所・町奉行屋敷稲荷へ. 一二月ハ大手の廻り、番場の原へ茶見せ多く出ルなり、. (馬 場). じみの大神楽や鳥追いの姿がないことを記録している。. * 天 満 の 北 野 天 満 宮 の 正 月 二 十 五 日 の 例 祭。 江 戸 で は な. ( 神 楽 ). り、 夏 向 は じ ゆ か う ぼ う ト 云 毛 虫 多 く 出、 是 ハ 大 の (触). 上 江なり、かくべい獅子ハ廻るなり. (毒). とく虫なり、さわり候 而も其所はれるなり、あらまし 書留申候. 大坂年中之事 一大坂正月年礼 者江戸 茂同様 一 十 六 日 ハ 天 王 寺 江 御 城 内 御 役 人 中 御 仏 参、 同 日. 一二. 地域創造学研究.

(13) 大坂御城在勤中書留. 武家ハ無用之事. に な ら ぶ 南 北 御 堂 前 に 雛 人 形 の 店 が 出 る。 江 戸 と 比 べ. て大坂の雛人形は小さいと記している。 『守貞漫稿』 (巻. 二十六 『近世風俗志』四、岩波文庫、二〇〇一年)によ. る と、 京 坂 の 雛 飾 り は 上 檀 に 無 屋 根 の 御 殿 を お き、 殿. 中 に 夫 婦 一 対 の 小 雛 を す え た ら し い。 二 月 下 旬 か ら 三. 此日、番場の原へ出候男女おひたゝ敷事、御城内御櫓 所々明ケひらき、御番衆遠眼鏡ニ 而見物被致候、廿日 後ゟ両門跡前通り雛店出候、江戸とハ相違ニ 而、皆宮. 月 上 旬 に か け て、 新 町 九 軒 町 の 桜 を 見 物 に 多 数 が 訪 れ. その名残がある。. ( 笙 ). ( 篳 篥 ). ( 後 光 ). か ん お ん 土 蔵・ け い し の 面 を か ぶ り、 背 中 に ご か う. ( 観 音 ) (菩薩). 一二月十五日、天王寺ニおゐて釈迦如来そうしき有り、. ( 葬 式 ). 吉 ま で は 桃 の 名 所 だ っ た。 い ま で も 桃 谷 と い う 地 名 に. * 大 坂 城 の 南 に 伸 び る 上 町 台 地 に そ っ て、 真 田 山 か ら 住. 花盛の節所々 江茶屋出、見物之者群集なす. 一二月中旬ゟ真田山ゟ住吉迄三里之間、桃一面ニ有り、. 淀川沿いの桜ノ宮は花見の見物客でにぎわっている。. る。遊郭も観光スポットの一つであったことがわかる。. の内ニ内裏あり、至 而ちいさき人形なり、御所の躰な り、下旬ゟ三月上旬迄、新町九軒町ニ桜の花咲、是を 見物の者出ルなり、桜の宮ト申所、淀川端ニ而見物群 集ス て、 手 頃 な 空 間 で あ っ た。 人 出 を み こ ん で 二 月 か ら 茶. *大坂城大手門前の馬場の原は、緑地の少ない大坂にあっ 店 が 出 た こ と が わ か る。 二 月 最 初 の 午 の 日 は 稲 荷 社 の 祭 礼 で あ る。 商 売 に 御 利 益 の あ る 稲 荷 信 仰 は 町 人 か ら の 人 気 が た か く、 所 々 に 稲 荷 社 が 勧 請 さ れ た。 大 坂 城 周辺では大坂城代中屋敷・二ケ所の定番屋敷・ (東)町 奉 行 所 に 稲 荷 社 が あ り、 こ の 日 は さ ま ざ ま な 作 り 物 を 用 意 し て 町 人 の 見 物 を 待 っ た。 こ れ は 町 人 へ 娯 楽 を 提. を さ し、 夫 々 の 装 束 に て し や う・ 七 り き・ 太 皷 ニ 而. ( 弔 ). 供 す る と と も に、 そ の 日 の 賽 銭 収 入 に 期 待 す る 意 味 あ. かげんいたし、石の舞台の上ニ 而とむらいの法式有り、. * 二月十五日は四天王寺六時堂で涅槃会の舞楽が行われる。. 此日も見物群集なす. ( 管 絃 ). い も あ っ た。 た だ し、 武 家 の 見 物 は 禁 止 し た。 こ の 日 は 城 内 所 々 の 櫓 門 を 開 け、 大 番 衆 は 城 内 か ら 馬 場 の 原 の 群 集 を 遠 め が ね で 見 物 し て い る。 三 月 三 日 の 雛 祭 り が近づく二月二十日をすぎると、御堂筋(両門跡前通り). 一三.

(14) 史料紹介. (守屋). ( 退 治 ). 一同廿三日、聖徳太子、森家の大臣をたいじの躰、朝よ ( 火 炎 ). り夜迄懸り、百二十番のおどり有り、是も音楽ニ 而其. 心 身 の 健 康 を 保 つ 祈 願 と し た。 二 月 初 午 と 同 じ く、 こ. の 日 も 櫓 門 を 開 け、 番 士 ら が 城 内 か ら こ の 光 景 を 見 物 している。 (屋). 一二月初午、御城内御長家御門内稲荷あり、東西御番衆・. 節の太皷弐間四方、かゑんの高さ一丈五尺程有り、是 ハ唐のひつじの革ニ 而張りたるよし、二ツあり、是ハ. 同家来ニ至まて、種々納物有り、出銅いたし、餅・赤飯・. ( 舞 楽 ). 日本ニ外ニなき申事、此事おぶがくと申也、此日参詣. 酒肴調、御破損ニ而是をひらく、尤仲間計なり、当年. ( 桟 敷 等 ). 群集なす、さしきなそも懸り申候. 東計酒五斗八升入. あるが、これに該当するのだろうか。. ( 転 げ ). (湿). 六月廿八日 右定日ハ御城内札留 九月十五日 生玉 尤御破損ハ御用ニ 而罷出候 右祭礼日町々挑灯を出し、何れ 茂群集なすといへとも. 六月廿五日 六月廿二日 九月廿五日 天満天神 九月廿二日 座 摩. 所々祭日 二月廿二日 二月初午 庚申ノ日 七月十六日 天王寺 六月十七日 三月三日 九月廿七日 御霊 六月晦日 住 吉. た。また仲間内で酒肴をととのえ宴会を開いている。. の 稲 荷 祭 の と き、 大 番 衆 は 城 内 の 稲 荷 社 に 供 え 物 を し. * 佐 藤 仲 右 衛 門 は 御 破 損 奉 行 配 下 の 者 で あ る。 二 月 初 午. *二月二十二日は四天王寺の聖霊会(聖徳太子の忌日)で. (大尽). 一御城ゟ壱里余あり、北ニ当り赤川と申所、百性大臣之 者庭ニかきつはた花盛、人多く見物あり 一高津の下、植木屋、牡丹花盛、見物あり 一藤の花ハ住吉なり、天満にもあり ( 無 性 ). 一五月節句の朝、七時半ゟ番場の原へ大坂中の男女此所 の芝のうへ 江むしやうニころけ、夜露にて所々しめし、 其年病難なしと申て、人多くころける也、此日も 御 城中所々櫓明け、皆々見物ス *端午の節供には夏に向けて多発する疫病から心身をま も る 風 習 が 各 地 で み ら れ る。 近 世 の 大 坂 で は 大 坂 城 の 馬 場 先 で 芝 の 上 に こ ろ が り、 朝 露 を 体 に つ け る こ と で. 一四. 地域創造学研究.

(15) 大坂御城在勤中書留. なんにもなし、宮地ニおゐて神子神楽計なり、其内、. やいやいと申おり、拍子木をたゝき候と、弐、三百人. 段々と其人数の声へり、壱人ニなり、其一人しハらく. ( 暫 ). 天神祭礼六月廿五日ハ淀川へ神輿を出し、夜花火をあ. の者かけて帰り申候、是ハ日々の事なり. 一四月二日ニ河内国野崎と申所かんおん開帳へ参詣いた. (駈). け、見物船おひたゝしく出ルなり、五月より所々遊山 舟出、はやしなどして通ル有り、はやしハ太皷ニ三味 ( 半 鐘 ) 〽 、夫 線・はんしよなり、其音 てんつくてんどん 計ニて候、中にて踊あり、誠ニおかしき事なり、三月. し候、此所御城ゟ東ニ当り四里あり、川崎ゟ舟ニ 而参. ( 観 音 ). ( 鴻 池 ). 麗 橋 渡 り、 北 新 地 め し の 佐 太 郎 方 御 泊 り、 御 供 人 数. ( 食 野 ). 一 四 月 七 日 紀 伊 殿 御 入 国、 大 坂 京 橋 ゟ 八 軒 家 通 り、 高. ている。. 野池」と表記。鴻池新田会所を「大そう成屋敷」と記し. 門は野崎からみた大坂城に感心している。 「鴻池」を「高. は 川 舟 を 利 用 す る 際、 こ の 役 所 を 通 し た。 佐 藤 仲 右 衛. 船 を 監 視 す る の に 対 し、 川 舟 の 監 督 に あ た っ た。 番 士. * 川 崎 は 川 崎 船 役 所 を 指 す と 思 わ れ る。 川 口 船 番 所 が 海. そう成屋敷あり、行道六ツ川あり. 相場取引のようすである。. *「とたん」は「とたん商内」ともいう。堂島浜での米の. 中旬ゟ八月迄、難波新地にて種々見勢物出ス、是ハ江. り、帰りも野崎ゟ船ニ 而帰り申候、壱人前七拾二文ツヽ. ( 囃 ). 戸よりよし、竹田細工・水からくりハ江戸ニなし、八. なり、尤乗合なり、野崎にて山の上より御城見へ、誠. く. ツ時ゟ夜四ツ時迄人群集なす. ニ景色能き躰なり、此間ハ不残高野池新田ト申也、大. (見せ物). * 大 坂 の 主 要 な 祭 礼 で は 神 子 神 楽 ば か り で、 江 戸 の 祭 に 比べて活気がないと感じたようだ。 「なんにもなし」と 記 し て い る。 天 神 祭 に む け て 大 川 で は 五 月 頃 か ら 川 舟 を く り だ す 川 遊 び が 始 ま る。 一 方、 難 波 新 地 で は 三 月 か ら 八 月 ま で 見 せ 物 が 出、 午 後 か ら 夜 に か け て 人 出 が 多 く な る。 大 坂 の 盛 り 場 は 夕 涼 み を か ね た 夜 に 賑 わ う と佐藤は記している。 (堂 ). 一淀屋橋を渡り道嶋・中ノ嶋辺ニ毎日四つ時ゟとたんあ. と申事一向分り兼、. り、 人 数 弐、 三 百 人 も 寄 合、 中 江五、六 十 人 程 ニ 而足. く. をつまたて、手を上ケ、やい. 一五.

(16) 史料紹介. 七千五百人余、当日往来見物、男女おひたゝしく事な り. (. 夥. ). 一六月ハ淀川 江涼み船おひたゝしく出ル、廿四日・五日. ゟハ天満天神祭礼、至 而にきやかの事なり、惣して盛. 場ハ夜おびたゝ敷人出ルなり、平日難波新地見せ物ハ. 大そう成事、是ハ江戸両国・浅草ニ 而茂なし. 一大井川御渡り之節、嶋田・金谷之宿ゟ川人足弐千五百 人出ル、大坂御通りの日、二日芝居・見勢物惣して盛. * 六 月 に は い る と 夕 涼 み の 人 出 が 多 く な る。 こ と に 大 坂. (よ). り候、夜ハ舟ニ 而御輿を出し、花火も有り、挑灯おひ. 車ニ 而引、其中ニ 而太皷・三味線はやしいたし町中通. (囃). 木綿しぼり、赤き股引・半てんにて、だんじりと申物. (纏). 一天満天神祭礼、大坂一番と申事、見物いたし候処、皆. 二度目。. 難波新地の見せ物が江戸にまさるという感想はこれで. の 盛 り 場 は 夜 の 人 出 が 多 い と い う 印 象 を 述 べ て い る。. 場休日 *芝居や見せ物がある場所を盛場(盛り場)と記している。 大坂で「盛場」が使われた初見史料かもしれない。紀州 家 の 大 名 行 列 が 大 坂 を 通 行 す る 期 間、 盛 り 場 は 休 日 と な っ た。 江 戸 と 比 べ て 大 名 行 列 を 見 る 機 会 が 少 な い 大 坂 で は、 紀 州 徳 川 家 の 大 名 行 列 が 見 物 客 を 集 め た こ と がわかる。 (所). 一四月十日、京都諸司代内藤紀伊守殿死去ニ付、鳴物二 日停止有り. たゝし、是ハ淀川の事ゆへ景色かき事なり、諸大名蔵. 屋敷辺尚景色よき事なり、六月廿四・五日なり. 一五月ハ江戸ト同様、武家ハ幕打、鑓建申候、作り物等 有之候. 留米郷土研究会 二〇〇四年)。. 幸雄校注『久留米藩吉村辰之丞大阪勤番中公私日記』久. ことが、久留米藩蔵屋敷勤番日記からうかがえる(古賀. 祭 の 当 日、 各 藩 は 蔵 屋 敷 に 客 を 招 き、 祭 を 見 物 さ せ た. * 中 之 島 の 蔵 屋 敷 は 天 神 祭 見 物 の 絶 好 の 場 所 で あ っ た。. であろう。. * 五 月 節 供 の 飾 り。 上 町 台 地 に あ る 幕 僚 の 屋 敷 で の 光 景. (転). 一節句ハ明ケ方大手前通り番場之原ニおゐて武家妻女ハ 六ツ前、町人之分ハ六ツ半時頃迄ころけ申候. 一六. 地域創造学研究.

(17) 大坂御城在勤中書留. 一そろばん橋御堀の内、大き成すつぽんあり. 一十月ハゑびす講、三井・大丸・越後屋・升屋等本店ニ. 一天満天神 一高津明神 一玉造稲荷 (博労) 一馬喰稲荷 一御霊. 一大坂ニ 而ハ生玉氏子多シ、次ハ. 風情は江戸と比べて雅びであると記している。. 坂では十二、三歳まで髪を剃っていたと記す。宮参りの. * 七 五 三 の 行 事。 七 五 三 と い う 名 称 は ま だ な か っ た。 大. 参り、風情ハ至 而かゝ也. (雅々). 十 一、二 位 ま て 坊 主 な り、上 下・ 袴・ 振 袖 ニ 而宮 地 へ. (かみしも). 一 十 一 月 十 五 日 子 供 祝 ひ ハ 江 戸 も 同 様、 子 供 男 女 共. 一古着屋見勢物同様下直引下ケ売申候. (店). 物」の定番であった。. の饅頭を茶請けに出した。虎屋の饅頭は大坂での「お使. 買 物 を し た 客 に は 料 理 を ふ る ま い、 少 額 の 客 に は 虎 屋. は こ の 日 値 引 き を お こ な っ た。 ま た 一 両 以 上 の 高 額 の. (也). 出ス、今日ハ直段引下ケ候とて人多行成. 而壱両ゟ種々馳走なす、少々ニ 而も虎屋のまんちうを. 一四月廿五日 御城代松平周防守殿江戸 江被召候ニ付、 (御門) (御門) 四月廿七日大手御門〆切、東ハ玉造、西ハ京橋通用也. * 十 月 の え び す 講 は 商 家 の 祭。 三 井 や 大 丸 な ど の 呉 服 屋. (祝). (腹). 一七月ハ夕暮ゟ所々町中いわヰ申候、節句ニ七夕の竹と ( 襦 袢 ). 申 ハ 一 向 ニ な し、 子 供 白 き 麻 しば ん ニ 而、 赤 き服 懸、 下帯を〆、手習師匠へ寄合申候 *当時の大坂には七夕の日に竹(笹)に短冊をつける習俗 は な く、 か わ り に 子 供 ら が 晴 れ 着 を 着 て 寺 子 屋 に 集 ま る習慣があったことがわかる。. (菊). 一八月十五日、月へ団子上候事、江戸同様、栗・柿・枝 豆同様之事 南. 〻. 一九月ハ菊の畑・天満山・大坂西の末へ、是ニ大きく有 り、天満植木屋ニもあり 一難波新地菊作り之者、是ハ見勢物なり、所々茶屋ニあ り 「菊作り之者」は菊を素材とする造り物。菊人形の起源. *江戸と同様、大坂でも菊栽培が流行したことがわかる。 である。. 一七.

(18) 史料紹介. * 大 坂 で 氏 子 が 最 も 多 い の は 生 玉 神 社 で あ る。 馬 喰 稲 荷 編. 鳳凰丸は海船で七十二挺立である(『新修大阪市史史料. 管された船である。紀伊国丸は川御座船で十六挺立て、. (博労). は難波神社(博労町四丁目)のこと。仁徳天皇宮とも称. 楽しむことができたようだ。. のような由緒があり豪華な船で大川のクルージングを. 近 世Ⅰ 』 二 三 八 ~ 二 三 九 頁 ) 。大坂城の番士は、こ. する。. 一十二月煤払、朔日ゟ十三日まて 一餅つきハ十五日ゟ初メ大晦日まて. 大坂町中書留之事 一大坂御城八丁四方ニして丸キかたち、大手御門西向、. 玉造御門南向、京橋御門西北向、三ケ所橋なし、入口. 一六月十一日、川崎御船役所太田軍八郎殿御役宅御船拝 見仕候. ゟ弐町程石ニ 而五段、御堀淵通東ノ方青谷口外そろは. 西ニ弐軒有り、御長家御門内東西五拾騎ツヽ. 造・青谷口〆切迄四軒有り、桜御門外大御番頭屋鋪東. 御定番屋鋪ハ玉造・京橋ト弐軒有り、御加番四軒ハ玉. 至 而何レニ 而も六ケ敷事也、御城代屋鋪大手内ニ有り、. 御門ハ御定番持、青谷口ハ御加番、大手御城代、出入. 大御番与力・同心勤番、其内大御番衆也、京橋・玉造. 高也、内外共見へ渡ルなり、御櫓之数弐拾五、桜御門. 外弐重、石垣高クして外丸御櫓丈ケ内ハ石垣ニして中. (だ). 屋鋪也、近辺田畑なり、御城御櫓、御本丸ハ三重、其. ん橋、是ハ〆切、東之末也、後ロハ御米蔵 并掛り之者. (屋). 一御船蔵弐拾間宛三カ所 而 一鳳凰丸 船そこ箱階子ニ 拾三段上ル 惣金・惣ほり物有 江. 是ハ太閤秀吉公 朝鮮国ゟ献上之御船なり、長サ 茂可有哉 拾八間 一紀伊国丸 是 茂同様之作り也 一良命丸 是ハ秀吉公日本順見之節被召候 而作り置被申候由 心得ニ 右三ツ之御船、何レ 茂大船也、其外小船数不知、京 橋ゟ舟ニ乗、川口御役所 江罷越申候 * 川 崎 船 役 所 は 淀 川 に 営 業 権 を も つ 過 書 船 の 番 所。 京 橋 五 丁 目。 鳳 凰 丸 と 紀 伊 国 丸 は 九 条 御 船 屋( 舟 蔵 ) に 保. 一八. 地域創造学研究.

(19) 大坂御城在勤中書留. 群集なす也、此間ハ池も有り、山も有り、此辺生湯の. (うぶゆ). 一御本丸桜御門内ハ大御番衆ゟ外ハ出入不成. 黒. 稲荷ト申社有り、是ハ秀頼公此所にて産湯遣ひし所な. 大. 一御城代 御定番屋鋪大手外壱ケ所ツヽ有り、是ニ男女 住居なり、京橋・玉造迄 御城近辺不残原なり、是を (馬場) 番場の原と云也、三月上旬ゟ八月下旬迄、此所へ出茶. まつ、根ハ一本也、御用木ト申札建有り、此順見場なり、. 三躰也、其先あいおいの松、大木ニして、男まつ・女. (境). 弁 天. 屋出数不知、大坂町人・近国百性弁当・酒肴持来、此. 天王寺、大坂壱番之大社なり、地内広く、宮々堂数不. ( 続 き ). (閻). 山・一心寺、其下がつほうが辻、石ノ焰魔有り、此辺. ( 合 邦 ). 其先田畑なり、表門ハ町づゝきたり、西南に当り茶臼. ( 相 生 ). 所ニ 而御城の景色を誹め楽しむ人数多なり、御城絵に. 知、五重ノ塔、門所々ニ有り、表門石の鳥居、三人し. りと云、三天社宮有り、是ハ ひしやもんからだ一躰、貌. 書たる如く、日本一の御城也. て手を廻し見るに漸々廻るなり、額ハ弘法大師の筆也、. た び た び こ の 記 録 に 登 場 す る。 こ こ か ら 眺 め る 大 坂 城. (眺). * 馬 場 の 原 は 佐 藤 仲 右 衛 門 が 最 も 印 象 に 残 っ た 場 所 で、 の景観もすばらしく、 「日本一の御城也」と手放しでほ. ばらの木ト申事也、其先玉造稲荷大社、其先真田山、. 御用木ト申札建有り、竹矢らひニ 而囲、此所順見場也、. 一大坂山のさねかつら、玉造御門外杉林の土手ニ有り、. り、三拾丁先ハ大海、大舟行通ひ見やるありさま外ニ. 計見ヘ、町中分り不申、下ニとみ田村一面ニ菜の花盛. 二階ゟ見渡候と、右ニ大坂一面ニ見ヘ、両門跡の屋根. 王寺ゟ西に当り清水寺、下ニうかむせト申料理茶屋に. 夫ゟ堺ト申所、西ハ大海なり、此所迄三里余有り、天. 不残田畑なり、南ハ天下茶屋ト申所、其先住吉大明神、. 稲荷高くして御城見へ渡る也、下真田ノ丸ト申所、此. なき景色なり、此茶屋女拾四、五人有り、種々もてな. めている。. 百文ト 、外堀埋メ候跡有り、此辺 所ニ安き遊女有り 泊 り五百文. ( 鳶 田 ). ( 浮 瀬 ). 桃一面ニ作り有、横拾丁程、竪住吉まて三里之間、花. す事、名人なり、ここにてハ壱両ゟ下ハ遣かたく、是. (巡見). 時分其節居茶屋・出茶屋多く出ル、見物おひたゝしく. 一九.

(20) 史料紹介. ハ四、五度殿方ト同道ニ 而参候、帰りハ女共四、五人ニ. 外ニ立、客を呼候、江戸ニ 而ハかつぱと申、大坂ハ皆. 敷 江上ケ、茶・多葉粉・火持参致し、掛り者ハ男ニ 而. (盆脱カ). 而七、 八丁ばたしにて送り申候、此下通り遊女あり、七、. 女なり、客壱人ニ小ぶとん壱ツツヽ敷申候、弁当ハ膳. ( 裸 足 ). 八丁 茂家続なり、是ハ弐百文、泊り弐朱なり. にて出候、代銭人ニ寄なり、難波新地此所ハ冬ハ原な (難波). ( 米 蔵 ). り、三月ゟ八月まて種々の見勢物・出茶屋多あり、群. (見世物). * 以 下、 大 坂 城 を 起 点 に 大 坂 市 中 各 所 の 見 物 コ ー ス を 記 す。 こ こ で は 玉 造 門 を 出 て 上 町 台 地 を 南 に 行 く コ ー ス で あ る。 佐 藤 仲 右 衛 門 は 四 天 王 寺 を 大 社、 宮 と 記 し て. ( 今 宮 神 社 ). 集なす、其末番場の御蔵屋敷、掛り奉行・小役人住居、. 其先ゑひすの宮正月十日人多参詣、浅草市の如し、此. い る。 上 町 台 地 の 有 名 な 料 亭 浮 瀬 の 記 述 も み え る。 こ こ か ら の 眺 望 は つ と に 有 名 で あ る が、 仲 右 衛 門 は 大 船. 日金銀を売候、其外種々品々うり物出申候、末ハ田畑. け て 盛 り 場 と な る 難 波 新 地 を、 佐 藤 仲 右 衛 門 は 興 味 深. を 確 保 し て い た よ う だ。 冬 場 の 空 き 地 が 春 か ら 秋 に か. 進 む コ ー ス。 道 頓 堀 の 芝 居 小 屋 で は 大 坂 番 士 用 に 桟 敷. * 大 坂 城 の 南 か ら 高 津 神 社 を 経 て 道 頓 堀・ 難 波 新 地 辺 に. ニ 而堺道中なり. (廻船)が大阪湾を航行する光景に感動している。仲右 衛門は主人の供で何度もこの料亭を利用している。. 一御城ゟ上本町通り、是も南へ行、谷町通り 茂同様、御 城代中屋鋪、其先右ハ生玉明神、左ハ玉造小谷と申所 (よき). 通り、其先上中下共ニ寺町なり、何れも能寺計也、寺. く な が め て い る。 番 場 の 御 蔵 屋 敷 は 難 波 米 蔵。 難 波 を. ( 続 き ). 町も七、八丁もづゝき有なり、其先高津明神、何レも. 番 場 と 聞 き 誤 っ た の だ ろ う。 こ の 掛 り 役 人・ 小 役 人 は れる。. 一北の方京橋・番場の原前通り、東の町奉行屋鋪有り、. (馬場). したがって御蔵奉行・小揚頭(仲仕頭)をさすと考えら. 大社なり、地内居料理茶屋多く有り、生玉ニ 而利倉屋 ト申茶屋 江一両度参り、高津ニ 而春日屋ト申茶屋 江一 両度参り候、此所高くして大坂中見おろすなり、其先 道どん堀、芝居六軒あり、皆繁昌の事なり、是迄ニ所々. 其 下 八 軒 家 ト 申 所 な り、 船 宿 多 く 住 居 な り、 種 々 の. (頓). 橋を渡ルなり、芝居ハ何レ成共、御城内ゟ参候と、桟. 二〇. 地域創造学研究.

(21) 大坂御城在勤中書留. (東横堀カ). 一西ノ方、大手通り小名色々有之、淀川端まて拾丁程行、. (谷). 見世有り、此所淀川、天満橋・天神橋・天神橋・京橋、. 右高麗橋、是ニ三ツ井・升屋・越後屋本店有り、其外. (店). 是を渡り、至 而平日共にぎやか成所也、天神の宮地内. 大町人見勢あり、其次今橋之通り、鴻ノ池善右衛門居. (三井). 小芝居弐ケ所、土弓・見勢物多有り、裏門外れいふと. 宅有り、其外大町人見世あり、其次淀屋橋渡り行ハ町. 中 之 島 に む か う コ ー ス。 北 船 場 の 大 店、 大 川 沿 い の 蔵. 渡って北船場を西へ、淀屋橋を渡って大川をこえ、堂島・. (店). 申所遊女有り、せん香壱本弐匁五分ツヽなり、夜ハ壱. 家拾弐、三丁、其末諸大名蔵屋敷、此辺道嶋・中ノ嶋. ( 霊 符 ). 分なり、同所穴門ト申所遊女有り、是ハ百文ト泊りハ. ト申所也、大船ニ 而水門へ舟通候、近江水海ト淀川と. (見世物). 五百文なり、其先町家続き七、八丁も行、天満山ト申. の中なり、横立川橋 茂数不知有之候、末大海なり. (線). 所近辺田畑なり、其先山なり、又末近江水海なり、京. *大手門を出て坂を下り、東横堀沿いに北進し、高麗橋を. (堂). 橋を渡る、舟役所あり、ふなや宇兵衛ト申料理茶屋、 是も名高き者なり、座敷淀川へつき出し、玄関・入口. 屋 敷 を 見 物 し て い る。 米 俵 な ど を 積 ん だ 川 舟 が、 大 川. から蔵屋敷の舟入へそのまま入る光景が印象に残った. 所々ニ有り、是も女共多く也、其先桜之宮ト申て名所 也、七、 八丁桜有り、花盛ハ至 而人多く出ル、居茶屋数. ようだ。近江水海は安治川・木津川河口付近をさすか。. まんちうふかせし釜拾三ケ所有之、是ニも二十人程も. な り、大 キ なる家 作 ニ 而、 見 世ニ 懸り之者廿人程 居、. (係). 一高麗橋七、八丁先、とら屋ト云餅や、よきのハ此壱軒. (屋). 多あり、是迄橋多く渡り、右ハ田畑、左淀川なり * 大 手 門 を 出 て 馬 場 の 原 を 北 へ 進 み、 大 川 を 渡 っ て 天 満 に 向 か う コ ー ス。 天 満 を 北 に 進 む と 郊 外 の 田 園 風 景 が 広 が る。 寺 町 の 北 辺 の 風 景 で あ ろ う。 人 家 が と だ え、. 懸り居り、夫ニ 而も間ニ合不申、誠ニ繁昌の事也、此. 見 晴 ら し の よ い 眺 望 が 展 開 す る、 淀 川 の 上 手 を み る と 摂津、河内の山々があり、下手は河口、海につながる、. 脇ニ御霊之宮有り、是ハ鎌倉権五郎を祭りし宮なり. *御霊神社の祭神を鎌倉権五郎としているのがいかにも. 蕪村の「菜の花や月は東に日は西に」の光景が似合う所 である。. 二一.

(22) 史料紹介. 関 東 人 ら し い。 こ の 神 社 近 く に 店 を か ま え る 虎 屋 の 饅 頭 は 大 坂 の 代 表 的 な 土 産 物 で あ っ た。 作 り 手 二 十 人、. (北御堂). (野). 売り子二十人でも対応できないほど客を集めたことが. (内本町). わかる。. ( 思 案 ). 一 西 ノ 方、 本 町 橋 通 り 川 端 西 町 奉 行 屋 鋪、 平 の 橋・ (南御堂). し あ ん 橋 渡 り 行、 此 所 町 づ ゝ き 拾 丁 程 行、 西 門 跡 辺 (店). ゟ信州善光寺如来上り申候、毎年十夜彼岸中至 而参詣. 有り、近所ニ砂場そば見世有り、壱軒ハ拾二間間口、. 壱 軒 ハ 八 間 間 口、 是 も 至 而繁 昌 也、 一 膳 十 六 文 ニ 而、. 弐ツツヽ、至 而まづし、然共大坂の名物なり. 渡り、船場を通り抜け、西横堀近くに点在する南北御堂・. * 大 手 門 か ら 西 に 直 進 し、 西 町 奉 行 所 を 過 ぎ て 東 横 堀 を. 座摩神社・馬喰稲荷、新町遊郭、堀江新地へ向かうコー. ス。座摩神社・馬喰稲荷も芝居小屋のある盛り場であっ. た。 西 横 堀 沿 い に 並 ぶ 鰹 節 問 屋・ 油 問 屋 の 蔵 な ど も 景. 人形見勢多し、是ゟ南七、八丁行東門跡、何 茂町中也、 此裏通り座摩の稲荷宮あり、地内小芝居弐軒・土弓・. 物 の 対 象 で あ っ た。 堀 江 新 地 の 名 物 で あ る 砂 場 の 蕎 麦. 遊女有ル所 (生玉) 一新町九軒丁 一嶋ノ内 一坂町 一馬場先 一天満 一北ノ新地 一天王寺下通り. を佐藤仲右衛門はとてもまずいと記している。. 茶屋多く有り、繁昌の所也、是ゟ南馬喰稲荷宮有り、 是ハ年中人形芝居有り、是も茶屋色々あり、西へ行、 (格). 新町揚屋有り、是ハ大そう成家作なり、此所三丁程家 数九軒ニ 而、内ハ金張附、ごう天井、二間階子所々ニ 掛りあり、三月の頃ハ見物の人々多く出ルなり、太夫 昼夜ニ 而弐両弐分、天神壱両也、此脇通り女郎屋多く. ( 惣 嫁 ). 一あま寺 一生玉寺町裏通り 一 一道とん堀 一難波新地. 一そうか出候場所難波新地 一ばんばノ原 . 有り、是ハ弐分なり、誠ニ繁昌の事なり、其先諸国へ 舟廻しニ 而出ス、鰹節問屋多く有り、油問屋同断、其. (家). 先舟渡し、大川末ハ大海也. 一八軒谷川端 一淀川筋土蔵の間一めんなり 一町人大金持多く有る国なり (阿弥陀). 一新町九軒町南ノ方あみたの池ト申寺有り、大寺ニ 而是. 二二. 地域創造学研究.

(23) 大坂御城在勤中書留. 東ハ奈良 一大坂ハ三方ニ高山四、五里先ニ見ヘ 南ハ紀州 北ハ京都. (いいなずけ). 部村名主忰安名へいゝ名つけ有りしを、恩有りしきつ. をもふけ暮ける、年廿ニなり、篠田村名主娘弥々来ル. ね十六才トなり、くづの葉ニ替り阿部村へ来り、男子. 東西壱里半余、南北ハ壱里半 茂可有也、町ハ碁盤の. のよし定り、狐くづの葉つい立ニ哥を書、和泉の国へ. 一西大海諸国 江大船行通町中也. 目のことく、誠ニ川端迄何丁 茂見ヘ渡ル也、橋の数. 帰りけり. 是を掛物ニいたし、阿部村名主方に 而見せ申候. ( 衝 立 ). 八百八と申事也 一夜廻りハ時々ニ太皷を打廻るなり 一火の廻りハ伏鉦を打廻るなり. 酉三月十八日見物 (阿倍野) 大坂御城ゟ南東ニ当り、五里先なり、阿部村ニ篠田之森. との事、京都ニ 而承之. 金子取申候、三年過、右之分相知レ、御仕置となり申. 万事江戸とハ相違し事共也. (桂). 巡見之節 者同村寺ニ 而見せ申候 おはん 一京都 長右衛門 実録ハ おはん十四才の年、伊勢参宮壱人小者を連れ出立、道. 狐の書し哥有り. 一夕霧・伊左衛門のわけ. ニ 而盗 賊 ニ出合、三人 共 切殺れ、 かつち川 へな け 入、. 恋しくて. 夕きりハ新町の太夫なり、伊左衛門ハ所の穢多なり、 (恋). 尋きて見よ. 夕霧を応したい病気となり、三年煩ついに病死いたす、 (縫). ( 回 向 ). よし、大坂中評判となり、大きニはやり候由、石碑は. かすかたを小袖のぬいにいたし、常にゑこういたせし. (姿). 其事を夕きり聞、ふひんに思ひ、石碑を立、伊左衛門. ( 不 憫 ). 和泉なる篠田の 森のうらみ (葛) つの葉 く ( 葛 の 葉 ) 是ハむかし、和泉国篠田村名主娘くつのは摂津の国阿. 二三.

(24) 史料紹介. (尼崎カ). あまがの寺に有り. 京都見物書留之事 一二月廿九日 御組合御評儀之上、京都使御願出、三月. 江書付之文. 朔日昼時、御城代御届相済之由 御頭様ゟ被仰渡候、 御証文ニ 而大手御門送人付、九ツ時 御城出仕候 御船役所 覚. 大御番 三月朔日 山中吉十郎内 佐藤仲右衛門印. 一乗合船 四人前 右京都用事有之罷登り候間、此段御申付頼入候、以上. (過書). 廻 書御舟方 伏見 御役人中 右書付、川崎御舟役所 江持参、奥書 江印をすへ出シ申 候差図ニ 而、大坂八軒家舟宿おひ屋市松方 江右書付出 シ申候、夜舟之儀夕方可参由申聞、夫ゟ同所桜の宮花. 盛 茶屋 多 く出、 にぎや か 敷、 是 江参り支 度等い た し、. 夕方市松方へ参り、夜六ツ時舟出シ申候、乗合ニ 而舟. 之中竹ニ 而四人前仕切御座候、舟賃之儀ハ伏見迄、海 上拾三里. *川崎舟役所は淀川・大川の川舟を監督する機関。. 一 平人壱人分百七拾弐文ツヽ. 一 御用舟 七拾弐文ツヽニ御座候 二日朝五ツ半時伏見 江付、舟宿 江支度申付、今日大雨降. 候ニ付、京都迄駕籠ニ 而罷越候、舟宿ゟ問屋役人 江書付 文. 大御番. 覚 (駕籠) 一京都大宮通り迄用事有之、只今罷登候間、かこ御申付 可給候、以上. (鶏). 三月二日 山中吉十郎内 佐藤仲右衛門印 伏見問屋 役人中 江遣し、早速駕籠参り、京都 右書付舟宿を以問屋場 大宮通り迄三里、賃百七拾弐文也. 米 屋 茂助 方 江参 り、 三 日 快 晴 御 所 拝 見、 毎 年 鳥 合、. 二四. 地域創造学研究.

(25) 大坂御城在勤中書留. 御所紫宸殿ニおゐて御座候 一禁裏様上覧、此日ハ雑人之分拝見御免し御座候、拙者 (ママ). ( 紫 宸 殿 ). (きざはし). (干). け、しゝんてん内亦高く塀あり、御門開きあり、内見. ゆる也、喜多橋四方欄間、上ハ四方共翠簾懸り、内の. 誠ニ宮之如くなり、百性・町人おひたゝ敷拝見之場所. 様 子ハ 不 見、 下 ニ小サ キ 橘ト桜、小石ニ 而敷詰有 り、. 其内. 北野天神へ参詣致シ帰り申候、大社ニして、入口町家・. 茂町 人 之 躰 ニ 相 成 罷 越 候、干 津 御 所 入 口 弐 ケ 所 有 り、. 近衛様 鷹司様 二條様 九條様 其外御家形有り、中ニ. 茶や多くあり、入口ゟ本社迄七、八丁も有り、小芝居・. (所). 四角成御城也、御門ハ本西向ニ壱ケ所ツヽ弐ケ所有り、. (東). 二条御城廻り四丁四方ニして御櫓二ツ有り、 塀ひくし、. ニ左甚五郞関物也、誠ニ古御宮なり、是を見物いたし、. (彫). 上にあり、額堂・三重之堂、其外色々の所あり、本社. 土弓なぞもあり、大キなる牛唐金ニ 而作り、石の台の. ニ詰居申候、鳥合ハ八つ時過ト申事故拝見せす、夫ゟ. *鳥合(鶏合)は三月三日におこなう宮中の行事。この日. (破風). に あ わ せ て 御 所 の 見 物 を 庶 民 に 許 可 し た。 佐 藤 仲 右 衛 門は町人姿で御所を見物した。 ( 檜 皮 葺 ). 一禁裏様御家形御門、ひはだ吹ニ 而はふ作り、金めつき ニ 而菊唐草の惣金物なり 一仙洞様右同様、御玄関破風作り、金物同様、皆翠簾懸. 鐘. ). 夫ゟ御諸司代屋鋪御城裏之方、夫ゟ千本通り両町奉行. 半. り有り、節句の事故巻上有り、中ニ天神之様成御方二、. 屋鋪中ニ高き所ニ火の見やくら、上ニはんしやう、中. (. 三人、麻上下之侍五、六人被居候、天神之様成人供五. ニつりかね、火事之節是をつき候得ハ京洛中へしれる. ( 櫓 ). 人亦ハ三人、多く見懸申候. なり、町家に火の見無之候、京洛中壱里四方あり、町. き所なり、夫より嶋原へ行見物、洛外ニ 而たんぼあり、. 家大キなるハ壱軒もなし、所々廻り見る所、至 而淋し. ( 釣 鐘 ). *公家風の装束を「天神之様」と記している。江戸では御 目にかかれない姿である。 (北カ). 一御所廻り拝見いたし、非之御門ゟ入、西ノ御門 江通ぬ. 二五.

(26) 史料紹介. り、女郎ハ至 而美しく、吉原とは大キに相違、けちな. なぞも一向なし、淋しき躰なり、内庭ニ 而酒盛なそあ. く、大キなる家作四、五軒もあり、節句なれ共三味線. 其先なり、大門ありて江戸吉原のことく中ハ甚冝敷な. 申候. 金比羅大社なり、地内茶見世多くあり、所々見物帰り. 多く、手遊うり物其外品々見せ多くあり、夫ゟ安井の. 瀧、舞台二ケ所ニ有り、誠ニ高き事なり、此門前茶屋. なるよし申なり、夫ゟ清水寺 江登り五重の堂、三筋の. 所、是も桜の名所なり、大社ニして三門・五重ノ堂、. (山). 人徳天王の社あり、地内茶屋多くあり、夫ゟ御室の御. (仁). 一五日ハ大雨降休、六日曇り、平のト申所桜の名所なり、. (平野). (店). (店). る所なり、皆見物して帰り申候 * 火 事 が 日 常 茶 飯 事 で あ る 江 戸 者 に と っ て、 火 の 見 櫓 と 半鐘が町奉行所敷地内だけで市中に見当たらないのが 驚 き で あ っ た。 徳 川 家 の 城 で あ る 二 条 城 近 辺 は 大 店 も. 本社太神宮なり、囲ひの外ねり塀ニして屋鋪あり、是. な く 寂 し い よ う す に 驚 き を 隠 せ な い で い る。 三 都 を 代 表する島原遊郭が江戸者にとっては意外に活気がない. 台所へまいり初穂を遣し願候と、座鋪へ上ケ所々見せ. 門 内 ニ 出 茶 屋 三、四 軒 あ り、 見 渡 ス 所 な ん に も な し、. ハ社人、夫ゟ金閣寺へ参る、禅寺也、下馬札有り、台 (條). ことも印象に強く残ったようだ。 (ママ). 芝居前通り、河原之辺ぎをんへ参詣、大社なり、夫ゟ. 申候、南天の床柱、金銀の皆金物、種々案内いたし見. ( 祇 園 ). 一四日開晴、東山之辺 江出、所々見物、三保通越、四条. 智恩院大寺也、本堂・台所まて見物、奧ニ釣鐘大キな. せ申候、表の方ニ大キなる石にて鐘のことく何ニても. (留カ). る事、是ニ 而休、大谷ト申寺也、台門長く、入口石の. うつり申候、是を鐘か石と申なり、銀閣寺庭よし、此. (知). 灯籠大キなる有り、是ニ大谷トほり附あり、本堂奧ニ. 弐ケ所見たる所小寺なり、夫ゟ今宮大神宮入口鳥居ゟ. (鏡). 石段ニ 而たゝみたるはか高き所ニ有り、四角ニして弐. 本社迄八丁も可有なり、 大社ニして裏門台門通りぬけ、. (鏡). 間四方、高サ一丈計、上ニ穴あり、皆人是へ参詣なす、. 是ハ拾丁も可有也、夫ゟ上加茂大明神、大社なり、地. (墓). 大寺なり、三年坂を上り、八坂の塔、是ハ八百年にも. 二六. 地域創造学研究.

(27) 大坂御城在勤中書留. 所 大 井 川 ト 申 也、 山 高 サ 三 拾 丁 程、 谷 合 桜 一 面 ニ. ). 内流レ川有り、居料理茶屋有り、下加茂同断、大社な. 薩. 有 り、 川 端 同 様 三 方 水 の 落 口 な り、 掛 茶 屋 五、六 丁. (幣). 菩. り、此地外弐ケ所共長家門、亦ハねり塀三、四丁、其. 像. な ら び 有 之 候、 是 を 見 物、 山 中 ニ 法 輪 寺 真 言 宗 ニ 而. 本尊虚空蔵菩薩を開帳したようだ。. *法輪寺の十三詣は三月十三・十四日。この日にあわせて. 広く大社なり、是を見物、皆々帰申候. うつまさと申所、聖徳太子拾六歳の姿の宮有り、地内. ( 太 秦 ). 空. 内数多く居宅有り、入口門口一同ニしめ縄御へい有り、. こ く う そ う ほ さ つ、 此 節 開 帳、 此 所 へ 京・ 大 坂 不 残. (幣). 虚. 分り不申故尋候処、此所皆軽き公家御所の与力・同心. 十 三 才 の 女 子 参 り 申 候、 是 を 十 三 参 と 申 也、 行 道 ニ. ( 榊 ). (. の居宅也、夫ゟ百万遍大寺也、吉田殿 江行、山之上坂 (蕃). を上り太神宮六角成御宮なり、〆切有り、此本社両側 ( 如 ). 八百番神宮有り、皆さかきニ御へい上り、上へ注連縄 (禅). 張有り、夫ゟ真女堂開帳有り、黒谷浄土宗大寺大僧正 隠居寺なり、南善寺禅宗大寺なり、京都西山ゟ此辺東. 六日西門跡大寺なり、東門跡仮普請不残出来、東の門. 詣、是ハ日本稲荷惣本社、もろこしへ渡り稲を持来ル. 出立、伏見海道三里之所行、途中色々見物、稲荷 江参. 一九日夕方大宮通り米屋茂助方ニ居、十日九ツ半時京都. かねつき堂ばかり焼不申残たるよし、東門跡門の通り、. ハ是なり、入口鳥居山門大キなる事、誠ニ見事の御宮. 山へ廻り所々見物、今日凡七里程廻り見物いたし候、. 六条数珠屋町不残数珠屋の居宅なり、念仏物さしと申. なり、日本惣本社正一位稲荷大明神ト書印有り、夫ゟ. (記). て壱軒有り. 伏見 江七ツ半時着、船宿を以役所書付を出ス、文. 一乗合船 六人前 右ハ大坂 江用事有之今夜罷下り候間、御申付頼入候、. 覚. * 東 門 跡 門 の 通 り は 烏 丸 通 り。 念 仏 物 さ し は 念 仏 さ し と もいい、大工の使う竹尺のひとつ。. 一 七 日 雨 降 休、 八 日 雨 天、 西 山 の 方 へ 行 弐 里 先、 嵐 山 (流). 桜 の 名 所、 大 川 三 方 ゟ な か れ、 水 本 丹 波 の 国、 此. 二七.

(28) 史料紹介. 以上 大御番山中吉十郎内. 拾弐文. 藤仲右衛門印 舟 方 佐 平人. 酉. 四 月十三日大坂出立、奈良見物書留之事. (峠). 一大坂 御城ゟ東ニ当り此道中五拾丁壱里なり、奈良迄 (現東大阪市) ( 暗 峠 ) 八里余有り、松原ト申所迄四里、其先くらやみ挊ト申. 難所山有り、山高キ所迄弐里半有り、挊に茶屋有り、. 是迄ハ畑多し、松原ゟ駕籠ニ 而登り追分ト申所まて参. 候、 夫 ゟ 大 和 国 郡 山 松 平 甲 斐 守 殿 城 下、 是 ハ む か し. 御役人中 右書付船役所江出シ 下りハ 御用舟ハ廿四文なり 伏見ゟ大坂迄海上拾三里船ニ 而渡り、十一日朝六ツ半. 大和大納言殿城跡也、尤山城なり、大坂ゟ摂津・河内. 間十丁程、祭礼之節此所 江御輿を出シ柳沢甲斐守殿・. 一春日大明神参詣、此地内大鳥居ゟ中迄皆芝原なり、此. す. 町つゝき二十丁四方程ニ見へ申候、段々名所廻り見物. 所々ニ少々ツヽ茶屋有之候、奈良入口惣門有り、是ゟ. 良堺なるよし、尤此国海川なし、壱里半程之所皆田也、. (境). へ参候、城下ゟ拾丁程行、大橋ト申所、是ハ郡山・奈. 家中酒井市郎右衛門方ニ泊り、十四日五ツ時夫ゟ奈良. 内居宅もあり、城下町家廿軒程、此所ニ拾万石有之候、. を越、是まて参候、家中住宅長家門もあり、一同塀之. ( 豊 臣 秀 長 ). 江. 江. (家). 時八軒谷 附、大手谷町河内屋孫兵衛を以 御城門 及通達ニ、御断昼時相済、御城入致候、以上 文政八酉年三月 佐藤仲右衛門 一京都ハ三方山ニして、. 西ハあたご山 北ハくらま山 東ハゑい山、其内町家一里四方. 伏見道中南ニ当ル 一御所ハ北東ノ角也 御城 茂北なり、 此間廿四五丁有り 一御城之外、至 而淋し敷所也、町家大キ成るハなし 一嶋原ハたんぼのさき、至 而きたなき所なり 一名所ハ不残山の本なり. 奈良奉行、此所 江被出候、中鳥居ゟ本社迄五丁程之間、. 二八. 地域創造学研究.

(29) 大坂御城在勤中書留. 小サキ御宮なり、地内鹿おひたゝしくすまい居る也、. 両側石灯籠数不知有之、御本社ニ鳥居、其内御宮至 而. 佐藤仲右衛門 . . 大御番頭 五嶋佐賀守組 御番衆ニ 而 文政七申年 御破損奉行 兼 帯 山 中 吉 十 郎 大坂在番. 参詣之者からの団子遣申候、此鹿ニ手を附候事堅無用. 親方 佐藤仲右衛門 文政七申年七月十七日江戸出立、同八月朔日大坂着、同. 山中吉十郎内. 居おり候、夫ゟ二月堂 江参詣、是ハ山の中段なり、石坂・. 十二日御城入、同八酉年八月九日大坂出立、同月廿五日. ト申札所々ニ建有之候、裏門通ぬけ、夫ゟ春日山ト申. 青石の坂弐通りあり、夫ゟ大仏殿へ参詣、堂高サ拾六. 江戸着、右佐藤氏大坂在勤中書留一覧せよと被見せける. 高キ山有り、是ハ竹木あり、此所ニ鹿おびたゝしく住. 丈、 仏 御 丈 五 丈 三 尺 三 寸 五 分、 御 貌 壱 丈 六 尺、 御 耳. まゝ写置ぬ. (元興). 文政八酉年九月五日 正 求 . 八尺五寸、中指五尺丸サ四尺、御かう拾六らかん八尺 (若草山). ツヽ、委敷事ハ絵図ニ有り、爰ニ略ス、夫ゟ 三笠山、 (興). 是ハ芝山にて景色よき所也、八幡の池四、五丁の地也、 夫ゟ幸福寺大門・五重ノ堂・南円堂・願江寺・猿沢の 池見物、十三かねト申釣鐘有り、是ハむかし拾三才の 男子鹿を打ころし、其とがにより此所ニ生キ埋に成り 申候、親共なげき、其上へ鐘つき堂を建候由申候、是 迄名所見物いたし、十四日夕方郡山家中酒井市郎右衛 門方へ泊り、其日拙者病気ニ 而、十九日朝大坂へ帰宅 いたし候. 二九.

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パターンB 部分制御 パターンC 出力制御なし パターンC 出力制御なし パターンA 0%制御.